《櫻井ジャーナル》

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2014.09.12
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 バラク・オバマ米大統領はシリア領を空爆する可能性を排除しないと語ったようだ。このところ「悪役」として売り出し中のIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を攻撃することが目的だというのだが、その矛先はシリア政府に向いていて、本当の目的はバシャール・アル・アサド政権の打倒だと推測する人は少なくない。つまりリビアの再現。

 約1年前、アメリカ政府はダマスカスの近くでシリア政府軍がサリンを使ったと主張、西側の政府やメディアは同調して大合唱、NATOのシリア攻撃は決定的であるかのように言われていた。

 しかし、早い段階からロシア政府は西側の主張を否定、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出したという。反シリア政府軍が支配している ドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾 していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。

 ミサイル発射から間もなくして、 化学兵器をサウジアラビアを結びつける記事がミントプレスに掲載された 。デイル・ガブラクとヤフヤ・アバブネの名前で書かれたもので、後にガブラクは記事との関係を否定する声明を出すのだが、編集長のムナル・ムハウェシュはその声明を否定する。

編集長によると 、記事を28日に編集部へ持ち込んだのはガブラクであり、同僚のヤフヤ・アバブネがシリアへ入っているとしたうえで、反政府軍、その家族、ゴータの住民、医師をアバブネが取材した結果、サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供し、それを反政府軍の戦闘員が誤って爆発させたと説明したという。一連の遣り取りを裏付ける電子メールが残っているともしている。その後、カブラクからの再反論はないようだ。

 そうした中、アメリカ政府はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を配備し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備、対抗してロシア政府は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したと報道された。



 攻撃が予想されていた9月3日、 地中海の中央から東へ向かって2発の弾道ミサイルが発射された が、このミサイルをロシアの早期警戒システムがすぐに探知している。2発とも海中に落ち、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表している。

 この説明には疑問がある。事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告されなかったからだ。シリアに向かって発射されたが、何らかの理由で墜落したと推測する人もいる。 スペインにあるNATOの基地から発射されたミサイルをロシア軍が撃墜したとレバノンのメディアは報道 ジャミングでミサイルのGPSが狂って落下 したとも言われている。

 昨年10月に入ると 「ロシア外交筋」からの情報 として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は語る。

 12月に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表している。 反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性がある というのだ。 国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授 は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。

 このハーシュ記者は ニューヨーカー誌の2007年3月5日号

 この「三国同盟」で鍵を握る人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)。アル・カイダを動かし、イスラエルと頻繁に接触しているとされ、アメリカとの関係が深く「バンダル・ブッシュ」とも呼ばれている。オサマ・ビン・ラディンの後継者としてこのスルタンがアル・カイダを雇ってきたと言われている。

 サウジアラビア王室の対米姿勢が変化したのは1970年代の後半からだが、その切っ掛けは1975年のファイサル国王暗殺。執務室で、クウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいた甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだ。

 その当時、スルタンはアメリカのマックスウェル空軍基地などで訓練を受けていた。国王暗殺の2年後に外交の世界へ入り、1983年から2005年まで駐米大使を務めている。言うまでもなく、その間にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCにある国防総省本部庁舎が攻撃され、アメリカはイギリスを引き連れてイラクを先制攻撃した。

 サウジアラビアと同じようにアサド政権の打倒を目指していたイスラエル。その駐米大使を2009年7月から13年9月まで務めたマイケル・オーレンは エルサレム・ポスト紙のインタビュー でアサド体制の打倒を目指していることを表明、そのためならアル・カイダとも手を組むとしている。





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最終更新日  2014.09.12 14:47:10


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