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2023.04.10
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 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は4月5日にポーランドを訪問、同国のアンジェイ・ドゥダ大統領と会談した。ドゥダはゼレンスキーに対して軍事支援の継続を約束、今後、保有する全てのMig-29を提供する用意があると語り、両国の間から国境をなくすとも話している。

 ポーランドは日露戦争の前から反ロシア感情が強く、反ロシア運動の中心的な存在だったユゼフ・ピウスツキが1904年に来日し、彼の運動に協力するよう、日本側を説得している。その運動は1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織を生み出した。

 ロシアでは十月革命でボルシェビキ体制が成立すると、東部と南部へロシアの領土を割譲している。西部はカトリックの影響下にあり、反ロシア感情が強いため、東方正教会の影響下にある地域を譲る形にしたのだろう。それ以降、ウクライナにはふたつの国が存在している。アメリカのネオコンはネオ・ナチを使い、キエフでクーデターを実行して東部と南部からロシア語を話す東方正教会の信者を排除、「民族浄化」しようとしたのだ。

 ポーランドは16世紀から18世紀にかけて、リトアニアと「ポーランド・リトアニア連邦」を構成、その領土が最も広かった1600年当時の復活を夢見る人びとがポーランドにはいた。この連邦はバルト海と黒海に挟まれ、カトリック教徒が多い。そしてカトリックの帝国を作ろうという動きとつながった。これが「インテルマリウム」だ。この構想はアメリカやイギリスの支配層が19世紀から計画している世界制覇戦略と利害が一致、ナチスとも連携する。

 ナチスをウォール街やシティ、つまり米英の金融資本が支援していたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。そのナチスが支配するドイツは1941年6月に軍の約4分の3をソ連へ侵攻させるが、ソ連軍の激しい抵抗にあう。1942年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にドイツ軍25万人は完全包囲され、43年1月に降伏。

 それまで動かなかったイギリスとアメリカはその月に動く。イギリスのウィンストン・チャーチル首相とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領がモロッコのカサブランカで協議、シチリア島上陸作戦が決まったのだ。この作戦は1943年7月に実行されるが、これは対ドイツ戦ではなく、対ソ連戦の始まりだ。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからである。

 1942年の冬にドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣している。そこからダレスはドイツ側との接触を繰り返したが、これは大統領に無断で行われていた。

 ダレスたちは1945年初頭にカール・ウルフというナチ親衛隊の高官でハインリッヒ・ヒムラーの側近だった人物に隠れ家を提供した。ウルフはハインリッヒ・ヒムラーの側近で、ナチ親衛隊の高官。北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談も行われている。そして始まったのが「サンライズ作戦だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 1945年に大戦が終わると、ジョバンニ・バティスタ・モンティニというローマ教皇庁の高官がナチスの大物にバチカン市国のパスポートを提供し、逃走を助けはじめた。この高官は後にローマ教皇パウロ6世と呼ばれるようになった。

 逃走のために作られたルートが「ラットライン」だが、このルートを1947年から動かしていたのはアメリカの第430CICのジェームズ・ミラノ少佐。ミラノに逃走支援工作を任された人物がポール・リオンズ中尉で、リオンズの接触した相手がインテルマリウムのクルノスラフ・ドラガノビッチ神父だ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 その間、「プロメテウス同盟」はポーランド人のグループとウクライナ人のグループで分裂、ポーランド側はウラジスラフ・シコルスキーが率い、ウクライナ側ではOUN(ウクライナ民族主義者機構)が組織された。OUNの中で暴力志向の強い人びとはステパン・バンデラを中心に集まる。いわゆるOUN-Bだ。ネオコンが2013年11月から14年2月にかけてのクーデターで使ったグループはOUN-Bの流れだ。

 ポーランドのドゥダ大統領はアメリカやイギリスの政府と同じようにウクライナでの戦闘を長期化させようとしてきた。それはウクライナの破壊を意味するが、その先にウクライナの併合を見ていると推測する人もいる。









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最終更新日  2023.04.10 02:28:50


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