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「あの人に、会いたい…」あの人の話しを聞きたい。何を考えて仕事してるか知りたい。どんな活動してるか聞きたい。川根順史が全世界へ向けて色んな人を紹介していきます。皆さん「かたづけ士」の小松易さんって知ってる?エステの有名先生は云う。「顔を洗う。心を洗う」かたづけ士は云う。「部屋を整理する。心を整理する」じゅん先生は云う。「髪を切る。悪いご縁を切る(爆)」さぁ~22日(水)はいよいよ「かたずけ士 小松易さん」です。日本で早くから「かたずけ」という誰もがやる事を具現化しわかりやすく全国で講演してらっしゃいます。東京で活躍されてますが実家は旭川。今回は、その札幌かたずけセミナーに来られてる佐々木馨さん、小笠原弘実さんも同席していろんなお話をして行きましょう。必聴です。ラジオ「じゅん先生のPMAでいこう」22日 水曜21時~22時 ラジオWITH-S FM 83.0 世界中で生動画ユーストリームhttp://www.ustream.tv/recorded/18518725 世界中でインターネットでも http://www.830.fm/ iPhone&スマートフォンでも http://tunein.com/ 札幌の人はラジオWITH-S FM 83.0 ☆再放送は音声のみ☆金曜23時、日曜21時~ 22日(水)かたづけ士の小松易さん、佐々木馨さん、小笠原弘実さん29日 着付け師、佐藤敦子さん。6月5日(水)英国在住JUJUこと小宮ベーカー純子さん 5次元思考のJUJULINGブログ http://plaza.rakuten.co.jp/jujurinland/ 19日 引き寄せの法則 佐藤由美子さん軍団 今渕陽枝さん、伊藤理恵、山丸聖子さん26日 癌を克服し全国の癌患者を励ます杉浦貴之さん「あの人に、会いたい…」今後もラジオでタメになる方、刺激になる方たくさん紹介していきます。愛をもって生きよう! かたずけ豆知識です(笑)まず小松さんの著書『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』をみていきます。小松さんは、「片づけるということは、過去に経験したことや体験したことに『かたをつける』」ことだと述べます。ただの「整理整頓」ではすぐに元通りになってしまうため、この「かたをつける片づけ」をしなければならないというのです。そして小松さんはこの「片づけ」によって、「現在の自分が変わり、『自分の思い描いている未来』を手に入れることができるように」なると述べます(15-17、31p)。自分が変わるという点について、もう少し具体的に解説します。小松さんによると、片づけを始めるとぶつかる壁の一つが「『何を捨てて、何を残すか』『何が必要で何が不必要か』の線引き」だといいます。そして、この「線引きができない人は、『人生において何をしたいのか、が明確になっていない』」のだと続きます。このような意味で小松さんは、「『生きること』と『片づけ』は同じ」なのだと述べ、片づけを始めるにあたってはまず「自分は人生で何をするのか?」という「あなたのテーマ」を決める必要があるのだというのです(17、35p)。仮にテーマが見つからなくても、今述べたような線引きをしながら片づけを進めていくことで、「余計なものが排除されて、本当に大切なもの」が浮かび上がり、「埋もれていた『本当にやりたいこと』」が見つかるとも小松さんは述べます(36-37p)また、小松さんが述べる「出す→分ける→減らす→しまう」という「片づけの基本動作」は、仕事の流れと同様だとされます。つまり、「やってくる案件に対して、優先順位を決め、何をどうするか判断し、減らして」いくという流れと同じだというのです。このような観点から、「できる人に片づけ上手が多い」といわれるのは、片づけに限らず、また仕事に限らず、このような基本動作が「習慣化」されているためだと説明されます(45p)また、だからこそ片づけを身につけた人とそうでない人で、人生における差が徐々に広がっていくのだとも述べられます(16p)ライブドアニュースより抜粋しました(笑)http://news.livedoor.com/article/detail/7640051/ 愛と熱意を込めて・・・じゅん先生
2013年05月19日
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「さよならの悲しみは、時が癒してくれると言うけれど、自分の子供を亡くした親の悲しみというのは、決して癒えることはないのかも知れない。その深い深い悲しみこそが、逝ってしまった我が子へのまぎれもない愛なのだから。」 「執着をやめると・・・」自分が本当にほしいもの、体験したいことを味わうためには、その反対側のものを体験しなければ、それを、それとして認識できないというこの世のパラドックス」 「さよならの悲しみは、時が癒してくれると言うけれど、自分の子供を亡くした親の悲しみというのは、決して癒えることはないのかも知れない。その深い深い悲しみこそが、逝ってしまった我が子へのまぎれもない愛なのだから。」 「私は、ある夏の日の夕方、泣きながらこの世に生まれた。人はみな泣きながらこの世に生まれる。安全な子宮の海を船出して、未知なる航海に出て行くことがどんなにこわくても、ある日、新しい世界に旅立つことを決意して人は生まれてくる。まるで、この世の痛みや苦しみを象徴するかのような、あの真っ暗で狭い産道。その暗闇の道を潜り抜けて出てくることは、どんなにか不安でこわかったことだろう。人は誰でもこの世界に生まれる時に産声をあげるけれど、生きていく中で、自分の中から新しい自分が生まれる時も産声をあげる。古い私が死に、新しい私が生まれる時のあの耐え難いほどの恐怖と苦痛、胸が張り裂けそうな痛み。 私も、自分の内側を旅し始めたどこかの時点で、確かにある日、魂の産声をあげたのだと思う。でも、その日がいつだったのかはもうよくわからない。とにかくその産声をあげた日から、私は、「私とは誰か」「世界とは何か」「私は何のために生まれたのか」という探求の道に歩みだしたのだ。」 「しかし、神さまは、非情にも、冷酷にも、獅子の谷落としのようなことも平気でするのだ。その人が、そのことを通して大切なことに“気づく”ために。その人が本質に“目覚める”ために。その人が真の意味で自立し、自分の生まれてきた目的、役割、天命、使命を自覚し歩み出すために。」 「で、執着や抵抗をやめて、ぽーんと身を投げ出してみたら、なんと、もう次のステージはしっかり用意されていたのだ。人生には大いなる存在の意図と計画があること。人は幾多の生を生きてきた永遠の生命であること。人はこの世を生きるに値するそれぞれの魂の目的があることを、体験的にじわじわと、しみじみと、ウルウルと実感していった道のりは本当にかけがえのないプロセスだった。」
2013年05月03日
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