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平日の午前中にもかかわらず、上野の森美術館のダリ展は入場待ちの列ができていたためにあきらめて、科博にまわりました。こちらは、さほどの混雑ではありません。400人入る特設シアターも空席が目立ちました。こちらは、2800年前の古代エジプトの神官ネスペルエンネブウさんのミイラと3Dの立体映像で対面できるという催し物です。3Dの立体映像で最初に美しい木棺が空中に現れた時には、思わず息を呑みました。棺を開けることなく、CTスキャンにかけて撮影したミイラの映像。コンピュータグラフィックで処理された立体映像なので、その時はリアリティがあって楽しかったのですが、今はあまり内容の記憶が残っていません。ただ、ネスペルエンネブウさんの頭上に大きなお皿が一枚、くっついているという事実が印象に残っています。河童のお皿のようです。こういうことは本来、ありえないことなのです。ミイラ作りの最中に、お皿が松脂で頭にくっついてしまい、死人に口なしとばかり、職人たちがあわてて、包帯を巻いて証拠隠滅を図ったのではないかと考えられるそうです。ネスペルエンネブウさん、恥ずかしいですよね。展示コーナーでの圧巻は、やはりネスペルエンネブウさんのミイラの棺です。2800年の時の経過を感じさせられない美しさです。つい最近作られたといってもまったく信じてしまうほどの色鮮やかさです。今回の展覧会の最大の見ものでしょう。猫や鳥のミイラもありました。以下に包帯を美しく巻くことができるかがポイントだったようです。それ以外の展示物は、以前、どこかで見たことあるような神像や、調度品、宝飾品であり、あまり印象に残りませんでした。オシリス神話から、再生を信じる思想が起こりミイラ作りが始まったきっかけとなったことなど、解説は分かりやすかったです。
2006年10月31日
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第一会場の「日本に生息した化け物たち」、期待通りでした。確かに未知のものを集め分類することが科学なら、化け物だって、立派な科学の対象だったのでしょう。それでいろいろなことが分ってきた結果、化け物たちの存在は否定されて、迷信・伝承の類とされ、文学や美術、民俗学、宗教などの中だけの存在になってしまいました。この展覧会では、現存する資料(人魚や天狗や河童のミイラなども含む)を展示して、現代の科学の目でもう一度、化け物たちを見直してみようとの企画なのでしょう。この類の展覧会で思い出すのは、一昨年、川崎市民ミュージアムで開催された「日本の幻獣展」です。こちらでは「化け物」は「幻獣」として定義されていました。展示資料も天狗や河童から現代のツチノコやクッシー、ヒバゴンまでと充実していました。今回の科博はそれに比べれば、ずっと規模も小さいもので二番煎じのようにも思えました。資料の数も少なく見劣りしたのですが、やはり最大の関心である、人魚や天狗のミイラを見ることができたので、まぁ満足です。会場においてあるリーフレットには天狗と人魚のミイラのレントゲン写真と専門家の解説が掲載されています。天狗のミイラ。これは鳥(ヤマシギ)の胴体に猫の頭と手足をくっつけて作ったものだそうです。人魚のミイラは、何と頭がふたつあります。これは紙で作ったハリボテの頭に魚の口をはめ込み、シュロの枝か何かで作った胴体に魚の鱗をはめ込んであるそうです。江戸時代、このようなミイラがたくさん作られて、「見せ物」になっていたのです。見た人はきっとやはり人魚や河童、天狗などの存在を信じたことでしょうね。こういうミイラを作る職人はいったいどういう人だったのか興味がわきます。そして、いつの時代にもこういう珍品を集める収集家もいるのですね。コレクションを自慢しあっていた殿様もいたそうです。国立歴史民俗博物館所蔵の百鬼夜行図の一部分が展示されていました。横には映像が自由に移動できるモニターがあり、絵巻物感覚を楽しむことが出来ます。「江戸の誘惑」にあった鳥山石燕のアート感覚に溢れた作品には負けますが、妖怪図鑑としては面白いものでした。エジプトのミイラ展に向かう一室で、南方熊楠の展覧会も開催されていました。南方は苔とか粘菌とか隠花植物の研究者であり、エコロジー運動のさきがけともなった明治、大正、昭和にかけての学者です。南方は明治42年の神社合祀による和歌山の森林伐採反対運動を過激に指揮した人でもあり、その際、合気道の開祖植芝盛平が彼の運動を応援していたことから、興味を持っていました。8歳の時に筆写した「和漢三才図会」(105巻)もありました。現代で言えば百科辞典を写すのと同じこと。そして、彼の履歴を綴った延々と細長く続く自己紹介文を眺めただけで並大抵の人物ではなかったと思います。粘菌とかにはあまり興味はわかないのですが、南方マンダラに代表される彼の思想については、興味がありますね。
2006年10月26日
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江戸の誘惑というタイトルが、ぴったりの展覧会。最近、修復されたものだそうで、版画とは違う肉筆の鮮やかな色彩に魅了されました。出展作品68点の中から絵師のベスト3を挙げるとすると、まずはやはり、葛飾北斎、次に鳥文斎栄之、そして次は悩みに悩んで鳥山石燕を挙げたいと思います。まずは、北斎。入ってすぐに「朱鍾馗図幟」ののぼり旗があるのですが、200年近く前のこんな品が色鮮やかに残っていること自体に感心させられます。(後に出てくる獅子の袱紗や竜虎の提灯も同様。)鍾馗(しょうき)は、科挙の試験に通ったのに、公職を外されたのを苦にして自殺したのだが、後に皇帝に名誉回復をしてくれたことを感謝して守り神になったとのこと。そんなエピソードをこの展覧会のキャプションで初めて知って、ちょっと驚きました。それでも、この鍾馗、大きな麦わら帽子のようなものをかぶり、剣を持ち軽くジャンプしています。私には敵の攻撃を避け、後ろに跳ねたように思えました。躍動感を感じます。赤一色で描かれ、ことさら深い瞳の色が印象的です。チラシにもなっている「鳳凰図屏風」。実物は高さ35センチ、横2メートル少々の予想以上に小振りな細長い屏風でした。片方だけ広がった羽の一本一本が触手のようで艶かしい。妖気をはらんだ美しさです。袱紗に描かれた「唐獅子図」。よくぞ当時の姿のまま、完璧に残っていてくれたと感激。獅子の胴体の水玉と太い輪郭線が印象的。北斎の娘の応為が描いた周りの牡丹の絵もステキでした。「大原女図」は、ガチガチ、ギザギザの輪郭線の着物。ちょっと異色です。「李白観瀑図」は絶品。子どもを抱えた李白が、流れ落ちる滝を見上げています。リアルな李白像と抽象的な滝の対比がみごとです。次は、鳥文斎栄之。美人画の浮世絵。歌川豊春も喜多川歌麿も懐月堂安知も勝川春章もどれもこれも名品ぞろいですが、描かれた女性のすっきりとした現代にも通じる美しさといえば、私は鳥文斎栄之がいちばんだと思います。「隅田川渡舟図」の女性だけ着色された絵にググッときて、「柳美人・桜美人・楓美人」の3美人にハッとして、「画巻・象の綱」でやられちゃいました。(ご覧になった方はお分かりでしょうが、中途半端は残念。絵巻をもっと開いてほしかったのですが・・・)「見立・三酸図」で立ち直りましたけれど。そして、鳥山石燕。最後のコーナーにたどり着くと、ありました、「百鬼夜行図巻」。石燕の現存する世界唯一の肉筆画だそうです。あの妖怪画が完全な超一級の芸術品となって目前にあります。萩の花の美しさ。うぶめの炎の切なさ。そして赤い夕日に向かって溶けていくような墨絵の餓鬼や妖怪たち。感動で身体が震えました。う~ん、私のDNAは、美人画より妖怪画を求めるのかなぁ。とにもかくにも、誘惑に負けてどっぷりと江戸にはまってしまった2時間でした。
2006年10月25日
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「生活のなかの遊び」の章では、絵巻物、襖絵、掛け軸など、日本古来の絵の見方を「動き」という点から、解説している。簡単に言えば、昔の画家たちは、ふすまを開いたり閉じたりした時や掛け軸を開いた時の視覚効果を強く意識していたとのこと。特に長澤芦雪の作品を多く取り上げて、説明しているので嬉しい。奈良県立美術館で見た「虎図」や「富士越え鶴図」。大倉集古館で見た「大仏殿炎上図」など、最近見たばかりの芦雪の絵が中心に論じられているので、興味津々。次の「視点の遊び」の章でも、先般「美の巨人たち」でも取り上げられていた歌川国芳の「寄せ絵」や「影絵」を題材に、江戸絵の見た目の面白さを解説。国芳は本当にアルチンボルトの絵を眺めたことがなかったのであろうか。最後の「かたちの遊び」の章では、猿の図像学として、ニホンザルやテナガザルの絵の面白さを述べている。テナガザルが水に映った月かげを取ろうとして溺れ死んだ「猿猴取月図」。身の程をわきまえずに無理なことを望むと災いをうけることのたとえ。我が身の戒めにしなくては。それにしても、多くの画家たちが何ともユニークでかわいい猿たちを描いていること。上記以外にも、多数のおもしろ絵画が紹介されており、ますます日本画への興味が深まる一冊だった。
2006年10月24日
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もう20年近く昔に週刊プレイボーイに連載されたもの。日々年々、絶えず変わっていく東京の街並み。普通の待ち歩きエッセイは20年経つと歴史的資料になってしまうが、この本は今読んでも目新しい。(そうか、もともと歴史的な資料を扱っているせいか。)この本、タイトルにある妖怪だけでなく、幽霊も亡霊も怨霊も呪いもオカルト関連なら、何でもあり。東京界隈で取り上げられているスポットは、麻布七不思議。本所七不思議。将門の首塚。鈴ヶ森と千住の二つの首切り場跡。吉原の投げ込み寺、四谷怪談にまつわる四谷と下町。上野の山と谷中・・・私がこの手の本にそそられるのには、大きな理由がある。母方の祖父母が神田、父方の祖父母が谷中に住んでいたので、幼い頃彼らに聞いた怪異譚がDNAに摺りこまれているのだ。谷中の露地で父親が見た幽霊とか、神田のお稲荷さんの呪いとか、恐ろしい話を聞いては、その現場を見に行ったことを思い出す。今夏、全生庵に圓朝コレクションの幽霊画を見に行かなかった。ここに高橋由一や河鍋暁斎の作品もあることは気づかなかった。来年は必ず出かけなくては。近くの瑞輪寺の暁斎の一風変わったお墓にも参拝しに行こう。この本、後半は鎌倉、伊豆、筑波など関東一円で、龍の爪や河童の手のミイラやあちこちの幽霊スポットを見ながら、最後には青森の恐山までたどり着いて巡礼の旅は終わる。そういえば、今、上野の国立科学博物館で「化け物の文化誌展」が開かれている。これも見に行かなくては。なお、この本と重複する部分も多いが、知恵の森文庫の「東京魔界案内」もカラー写真でいろいろなスポットや北斎・広重などの絵も多数紹介されていて、東京の街歩きにはお勧めの本である。
2006年10月23日
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直木賞受賞後書下ろし第一作とあったのだが、実際には1999年小説現代12月号に手を入れ直したもの。事件を起こす家族とそれを追う刑事の2つの家族のあり方が対になっている。主人公の父親と息子のとらえどころのない関係や、犯罪を起こす少年の心の描写など、ほとんど描かれていないので、こちらの家族のどろどろした状況が茶番のように思えてしかたなかった。目を背けたくなるような話だが、東野さんにしては、あっさりしすぎている。読むのが辛くなるほど、人の悪意など、うまく書ける人なので、少々残念。逆に刑事とその父親との関係。最後に思わぬどんでん返しがあり、救いようのないこの話に一抹の清涼感を感じる。ここは、この作者のうまさだとは思うが、小説のために話をこじつけた感じもする。
2006年10月21日
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やっと読みました。道徳観も倫理観もない警察官禿富鷹秋シリーズの完結本。今回も禿富を抹殺するために、最強の刺客が放たれるというところから物語は始まる。それはどうやら警察組織の上層部からの指示らしい。さて、その刺客の正体は?と、地元渋谷でのヤクザの抗争事件などを絡めて話は進む。禿鷹の傍若無人な振る舞いはいつもどおり。読んでいるうちに禿鷹の毒にどっぷり置かされて、もっとやれやれとヒートアップ。周囲の人物がこうむる迷惑が心地よく感じてしまう。ところが、意外なラストに???。まぁ、この手もあったのだろうけれども。ちょっとねぇ。逢坂さんの警察暗黒小説では、百舌シリーズの方が好きだ。次回の新しいキャラクターに期待したい。
2006年10月19日
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ウィーン美術アカデミー所蔵のルネサンス期から19世紀末までのヨーロッパ絵画の400年の流れを概観する構成の展覧会。てっきり、ウィーン美術史美術館とばかり思っていたら、まったく別の美術館だということに気づきました。私にとっては、ルーベンスやレンブラント、ファン・ダイク、ムリーリョ、そして最後のコーナーにあったクールベ以外は、ほとんど名前に馴染みのない画家たちの絵ばかりだったのですが、それぞれの絵の持つ雰囲気は大好きです。国立西洋美術館の本館2階の常設展にも何度も行ってるのですが、なかなか画家の名前が頭に入りません。今回の展覧会で話題になっているクラナハも、ここで「ゲッセマネの祈り」を見ていました。そのクラナハの「不釣合いなカップル」。面白い絵です。「老いは愚行から身を守らない」という教訓を表したものだそうです。人間の浅ましさ(色ボケ、金ボケ)が見事に表現されていて、この画家の人間観察の鋭さを感じました。「ルクレティア」のうっすらとまとう天衣のような透明の布や、ちらりと流れる胸の血など、みごとに描かれています。当時は、さぞ衝撃的な絵だったろうと思われます。フランドル地方の画家。ルーベンスの「三美神」。ルーベンスのファンの自分にとっては、最高のプレゼント。この絵を見ることができただけで来た甲斐がありました。美女が頭上に花かごを掲げて踊っています。この花かごの部分を描いたのはブリューゲルとのことです。見れば見るほど幸せな気分になります。ヨルダーンスの「若い婦人の肖像」。西洋美術館の「ベルギー王立美術館展」で見た作品とは異なり、正装した女性像でしたがその垢抜けない顔はこの画家の特徴だろうなと感じました。フランドル絵画とオランダ絵画の静物画のちがいは、フランドル画の方が、絵の具の筆致を残すのに対して、オランダ絵画は筆致を残さず、まさにそこにあるままのとおり描くのと同時に教訓も含めていることです。ヴァニタス絵画と呼ばれるこのオランダの静物画も、画面の派手さと裏腹に静謐な感じが伝わり、大好きな分野の絵です。今回の展覧会でもそんな何点かの作品を見ることができました。ひとつ面白かったことは、ホーホストラーテンという画家の「トロンプ・ルイユの生物」という絵。額縁がないなぁと想ったら、だまし絵になっているのですね。ドンクデールという画家の孔雀の絵や鶏の絵は応挙や若冲の絵を思い出します。こちらの方は油絵特有のぬめりが感じられる絵です。ほぼ同時期に西洋と東洋で同じような主題を描く画家がいたのだなぁと興味深く感じました。ムリーリョの「サイコロ遊びをする少年たち」。遊びというより、立派なギャンブルをしているのですね。お金のやり取りが描かれていて、将来が心配です。フレンチェスコ・デ・ローザという画家の「パリスの審判」。多くの画家が描いているトロイ戦争のきっかけとなった事件です。この画家の作品は29×30くらいの小さな絵ですが、上品で美しいなぁとおもいます。ヘンドリク・ブルーマールトの「サムソンとデリラ」。サムソンを裏切るデリラの小賢しいにんまりとした顔が印象に残ります。チラシの表紙にもなっているレンブラントの女性の肖像画。黒の背景に黒い服。白い首飾りとの対比が鋭いなぁとは感じるのですが、どうもこの画家の肖像画は苦手で、あまり好きにはなれません。新古典主義のヨハン・ペーテル・クラフトという画家の「アリオスト作『狂乱のオルランド』からルッジェーロとアンジェリカ」という長いタイトルの絵。アンドロメダを竜から救うペルセウスの物語と同じ。救出されたアンジェリカの白い肌の美しさが魅惑的。ミヒャエル・ヴッキーという画家のヴェスヴィオ火山の噴火の絵。こんな溶岩の近くまで近づくことができるのか心配になりました。最後のコーナーのローベルト・ルスという画家。「アイゼネルツより」。家の壁と庭を描いたような絵なのですが、緊張感あふれる筆致。そのなかでモワァと輝く明かりが印象に残ります。同じ画家の「ベンツィンガー・アウの早春」はさらにすごい作品です。細かい枝の重なり合う木々の描写は圧巻でした。
2006年10月18日
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石畳の路地を歩いて中門をくぐると、木々の間から均衡の取れた茶色い本堂が見えます。応仁の乱の際に焼け残ったため、京都でいちばん古い建物だそうです。高さの低い落ち着いたお堂です。大工の棟梁の妻、おかめの悲劇の伝説が残る建物でもあります。さて、ここの宝物館も大変すばらしいものでした。まず、運慶作の釈迦十大弟子像がすべてそろっています。さほど高い像ではないのですが、鎌倉彫刻の写実性が如実に現れています。特に目健蓮行者のあばら骨や静脈が浮き出た姿は迫力満点です。その反対側にある定慶作の六観音は、今回の旅で見た仏像の中で、最も感銘を受けました。聖観音から始まって、千手、十一面、馬頭、准胝、如意輪と観音の変化の姿がよくわかる構成になっています。それぞれの観音菩薩の衣文の流れるような表現、特に准胝観音の衣のリボン結びなど驚くべき精緻さです。それぞれの顔立ちも端正であり、彩色されていない(色落ちた?)木地の美しさが活かされています。それが6体、完全にそろっているのはみごとの一言でした。ここは、仏像が好きな方には、ぜひお勧めのお寺です。観光客もさほど多くありません。ただ、あちこちにあるおかめさんの像にはちょっと引いてしまいましたが、私は。(10/13)
2006年10月16日
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弘法大師帰朝1200年記念。宝物館と観智院の特別拝観。まずは講堂から。ここに来るのは4度目ですが、いつも扉をくぐると、その迫力に息を呑みます。大日如来を中心とした21体の仏像が立体曼荼羅を形作っています。ほとんどの仏像が国宝で、「何だこちらは重要文化財か」と思えるくらいのぜいたく三昧です。ただ、肝心かなめの大日如来は重要文化財です。今日は、五大明王をじっくり覚えようと、それぞれの得意な姿を眺めました。不動明王を中心に金剛夜叉、降三世、軍荼利、大威徳と4体の明王が並んでいます。金剛夜叉明王の特徴は目が5つ。後方にあるので、双眼鏡がないとよく見えません。降三世明王は邪鬼ではなく、異教の神2体を踏みつけて、小指を絡めた特殊な印を結んでいます。軍荼利明王は、8本あるうちの2本の腕を胸の前でクロスさせています。大威徳明王は水牛に乗り、六面六臂で、なおかつ足が6本あるのが特色です。しっかり覚えました。やさしい顔だけでは言うことをきかない衆生を、憤怒の顔で導こうという明王も、いくつにも変化する観音菩薩同様、その異形の姿に対する興味は尽きるところがありません。次は宝物館。食堂には、昭和5年の火災で焼け焦げた四天王が無残な姿でありましたが、宝物館では、そのとき焼けた高さ6メートル近くの千手観音を見ることができます。そして、昨日、奈良博で見たばかりの兜跋毘沙門天に出会うことができました。もともと,こちらの方が平安京の羅城門におかれていたオリジナルで、国宝となっています。二日続けて、そのお姿に出会うとは何という偶然でしょう。観智院宮本武蔵の竹や鷲を描いたふすま絵がありますが、かなり色が褪せていました。ここの庭園は、五大の庭といい、空海が唐から船で帰国するときの様子を表現しています。白砂の海の上を遣唐船が渡っています、となりに龍と亀と水鳥がいます。見れば見るほど楽しい庭です。奥の部屋には、五大虚空菩薩像が安置されています。中国の仏像特有ののっぺりとした顔つきで、獅子、馬、象、孔雀、迦楼羅(かるら)にそれぞれ乗った姿がユニークでした。(10/13)
2006年10月16日
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現在、秘仏十一面観音を見ることができるということで足を伸ばしました。阿弥陀如来の大きな化仏を頭上に頂いたお姿。顔だけが黒光りしているのは、多くの人が撫でたためでしょう。収蔵庫にある聖観音や不空羂索観音のほうが、シンプルな感じで印象に残りました。堂内の2体分の空席に気づいたのですが、ちょうど今、ここの楊柳観音と四天王の多聞天が上野の東博に来ているのですね。奇しくも東京と奈良の両方でこの寺の仏像に出会うことになりました。(10/12)
2006年10月15日
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正倉院展の準備のため、本館平常展のみの展示でした。今回は、法隆寺金堂の多聞天立像が展示されています。法隆寺では薄暗いお堂の奥に安置されているためによく見えないのですが、今回は間近で360度見ることができうれしいです。注目の逸品として、重要文化財の兜跋毘沙門天立像が紹介されていました。元は平安京の羅城門にあったものを模刻したもの。上下にとんがったどんぐり眼の顔がかわいいです。よろいの規則正しい彫り目もみごとでした。そしてもう一体、勝林寺の十一面観音像がすばらしのです。胸のふくらみ、腰のくびれなど、まさに女性のトルソー。とても艶っぽいのです。(10/12)
2006年10月15日
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今回の公開場所は、北円堂・仮金堂・三重塔初層・国宝館となっています。中でも、いちばん期待していたのは、北円堂の本尊、運慶作の国宝弥勒如来像です。ここには、やはり国宝の世親菩薩、無著菩薩像がありますが、2年前に東京藝術大学美術館の興福寺展で出会いました。弥勒如来は、弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7千万年という長い間、兜率天での修行の後、この世の中に如来として現れた姿です。まさにSFの世界です。そう、興福寺に来るとどうしても、光瀬龍あるいは、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」を思い出します。弥勒如来に国宝館の阿修羅、それに梵天、帝釈天とこの物語の登場人物(仏)たちののオンパレードです。国宝の四天王像も迫力ある像だったと思うのですが、残念ながらあちこちのお堂やお寺の四天王とごちゃごちゃになってしまい、頭に思い起こすことができません。特別公開の三重塔の中には、小さな弁才天像がありました。江戸時代に作られたものだそうです。通常は年に一回、七夕の日だけに開扉される秘仏とのことです。頭に鳥居と蛇(宇賀神)をのせた8本の手をもつ坐像でした。鳥居がのっているというのがおもしろいのです。神と仏が融合しているのですね。国宝館での国宝板彫十二神将展、まじめくさったものから、ユニークなものまでのオンパレード。十二神将もあちこちにたくさんありましたが、これはレリーフとなっているので、印象深いのです。揃って眺めたのは初めてでした。(10/12)
2006年10月15日
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大原美術館と棟方志功の関係がよく分かる展覧会だった。というよりも、この展覧会で大原孫三郎や大原總一郎が倉敷レイヨンの経営者だったことを、恥ずかしながらはじめて知った。棟方志功は、実家に版画が一枚あり、子どもの頃から親しんでいた画家である。(父親は家宝だと言っているが、私は贋作ではないかと危ぶんでいる)さて、東京に回ってきた今回の展覧会。肉筆画が多いのが売り。また、満面の笑顔の棟方の写真に温かみを感じる。やはり、いちばんよかったのは、「風神雷人図」。青と赤の子鬼が無邪気に空を駆けている。別名、「天気童子・降雨童女」。太鼓とか袋を持っているわけではないので、どちらが雷神なのか風神なのか分からないが、宗達からの伝統に従って、向かって左が雷神、右が風神らしい。青みと赤みの絵の具のにじみ・ぼかしを利用し、軽やかなタッチの墨の筆致がみずみずしい。はつらつとして、いい感じの絵だ。もうひとつ、「鷹持妃板画柵」。今月号の「日経おとなのOFF」のベスト100の名画にも掲載されており、これでまたひとつクリア。(山種の班猫も見たし、昨日は京都近代美術館で2作品見たので、順調に消化している。)間近に実物をみて、はじめて左肩に鷹が乗っているのを確認できた。赤と青の裏彩色が効果的。顔は表から白を塗っているそうだ。黒いもちもちとした胴体と白い丸顔のバランスがいい案配だ。本展覧会の大部分を占める、大原寿恵子歌集抄板画柵。やはり、裏彩色をした方が、絵が生きるなぁと思っていたのだが、裏彩色をしない屏風に張られた作品を見て、やはり白黒だけの方が、彫られた文字がはっきり見えるなぁと、まったく正反対な感想。いい加減なものだ。版画を板画と称したのは、木の魂を生み出すためのこと。上野でやっている仏像の一木彫にも通じるなぁと感心した。
2006年10月14日
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蘆雪の絵にもう一度、会いたくなって、プライスコレクションへ出かけたというわけではなく、実は、大きな誤解から京都近代美術館に出かける結果となりました。当初は石峯寺の若冲の石仏群を見に行こうと思ったのですが、このお寺の名前がどうにも思い出せなくて、観光案内所に電話して若冲の石仏が見れるお寺はどこかと訪ねたのです。そうすると係りの人は、今、京都国立近代美術館に展示されていますとのお答え。ちょと?マークながらも、「まっ、いいか」と出かけてみたら、何とプライスコレクションだったという次第です。当然、石仏はありません。まぁ、思いがけずに再び応挙や蘆雪の絵に出会うことができて、嬉しかったので良しとしました。石峯寺訪問は次回へ持越しです。さて、京都の展示。東博では、舞台照明を当てて、絵の変化を見せるコーナーがありましたが、京都では何と自然光を当てて見せる展示がされていました。作品は酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」だけですが、それぞれの掛け軸を、桂離宮のものと同じ壁土を使った12面の床の間に飾り、斜め側面からの障子を通した自然光を当てるような展示がされています。さすが、京都ならではの演出です。自然光ですから天気や時間によって、絵が大きく変化してきます。入館してすぐに見たときは、まだ午後の強い日差しが残っているうちだったので、例えば、12月の雪中鴛鴦図の雪の胡粉がきらきらと輝き、鮮やかでした。それが、閉館間際には暗く沈んでいました。やはり自然光でみると、風情を感じます。係りの方によると、ちょうど、今日。プライスさんが来ており、「これが私の目指した展示方法だ」と大いに満足されていたそうです。親と子のギャラリー にあった、作者不詳の「虎図屏風」。竹林で月に向かって跳ねる虎。長い尻尾やよじれた胴体など、昨日の蘆雪の無量寺の絵にも通じるところがあり、お気に入りの一枚となりました。それから、もうひとつ。京都国立近代美術館では、プライスコレクションの展示作品すべての簡単な作品解説の冊子を配っていました。高い入場料を取る上に、展示品リストさえも用意しない美術館もある中で、これはとても嬉しいことでした。さて、来年はいよいよ相国寺での若冲動植綵絵展ですね。もうチラシがありました。↓
2006年10月13日
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まとまった応挙の展覧会を見るのは、何年か前の江戸東京博物館以来で、久しぶりです。今回は、弟子の芦雪との二本立てということで、特に芦雪の絵を楽しみにしていました。展覧会のサブタイトルは「天才と奇才の師弟」。まさにそのものズバリです。今回の展示では、人物・花鳥・山水の3つのテーマに分けて、師弟の絵を展示しています。出展されているのは応挙19点、芦雪21点の合計40点と少ないです。どうしても、屏風絵などかなりのスペースをとる作品が多いので仕方ないです。そのため、展覧会を二期に分けて、後半はすべての作品が展示替えになります。これは、ある意味、悲しいです。カタログには前後期両方の作品載っているのですが、それを見ても、もう一度、奈良まで行かなくては~と思います。どうなることやら。それほどまでにこの展覧会はため息の連続。朝、5時半に自宅を出た甲斐があって、素晴らしい時間を過ごすことができました。さて、ざっと展覧会の内容を紹介します。人物のコーナーでは、応挙の「大石良雄図」から始まります。赤穂浪士の大石内蔵助が、花街で遊んでいるところでしょうか。人々の足がうっすらと透けて見えるところから、裸の人体を書いてからその上に着物を書いたという応挙の写実の様子がよく分かります。芦雪の2枚の中国美人を描いた絵。清楚でありながら艶かしさも同時に感じさせられるという感じです。切れ長の目が魅力的です。それに比べて三国志の英雄、関羽を描いた作品は腹部の周りに充満している『気』も描かれていて(カタログでは龍にも見えました)、威風堂々・気宇壮大。となりの応挙の「鍾馗図」も太い輪郭線が力強くて負けてはいません。芦雪の描いた、「唐子遊図」。ころころと遊ぶ子犬に、子どもたち。川村で見た「牧童図」の子どもたちは老け顔だったのですが、こちらは本当にかわゆい子どもたち。もうひとつ、芦雪の「幽霊図」。プライスコレクションのものようり数段、コワイ。どこに移動しても、じっと睨まれます~。花鳥のコーナー。芦雪の「富士越鶴図」。長細い掛け軸に合わせて、縦長にデフォルメされてとんがった富士山。向こうから二十数羽の鶴が向こうからこちらに向かって一列に飛んできます。簡単な筆致で描かれた鶴。ありそうでなさそうな光景。まさに奇想の画家、芦雪の面目躍如。同じく芦雪の「百鳥図」。六曲一双の屏風。左隻は大鷲、右隻は孔雀を中心に集まる無数の鳥。それぞれ、猛々しさと艶かしさを対比したみごとな作品。35年ぶりの公開ということでしたが、スペースの関係か、屏風の折が急で、見辛かったのが残念でした。次の部屋では、芦雪の「牛図」。プライスコレクションの「白象・黒牛図」も牛の大きさをおもしろい構図で表現していましたが、こちらも真正面を向いた青い瞳の黒牛が画面からはみ出しているという奇抜な表現です。表装はまた別の画家の梅の絵となっています。そして、ここにありました。芦雪の無量寺の「虎図」。まさか出展されているとは思わなかったので、まさに感無量。美の巨人たちでも取り上げられていて、いつか串本まで行かなくてはと思っていたので、ここで出会えて嬉しいです。全体的には猫のようなかわいい虎ですが、間近で見るとやはり、恐い目をしています。長い尻尾、くねくねした足から胴体、突き出された前足、躍動感がみごとに伝わります。山水のコーナー。月を描いた応挙と芦雪の作品が6枚続きます。このあたりは、幽玄な雰囲気に包まれています。応挙の四季の月、後世の円山応立が表装にそれぞれ、桜、夏草に雨・蛍、紅葉、雪牡丹の絵を加えていますが、このコラボレーションもみごと。何気ない月も季節によって、ずいぶん異なるのですね。ラストは応挙の「源氏四季絵屏風」でお開き。まばゆい金色の霞雲の間から四季の移り変わるようすが、鮮やかな色彩で描かれています。幽玄さから華麗さへ一転。もう目も心も一杯になりました。
2006年10月12日
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5月の京博の大絵巻展にて、日本四大絵巻物のうち、「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「鳥獣人物戯画」と見たので、残るひとつ「伴大納言絵巻」も見なければと、半ば強迫観念に駆られて出光美術館に出かけました。絵巻物を見るには忍耐が必要だと、心して出かけたので、入場してから絵巻の上巻にたどり着くまでの20分はさほど苦でもありませんでした。パンフレットと解説ボードで、しっかりと応天門の変の勉強できましたから。やはり、皆さんおっしゃるとおり、この絵巻の人物表現が何とも言えずいいですね。とくに印象に残っている人は、舎人の妻。伴大納言が火をつけたよぉ~と、ウワサを振りまいているところ。両手の指をしっかりと広げて、口を大きく開けて、叫んでいます。いますよね、こういう人。子どもの喧嘩に親が出て・・・といいますが、本当、昔も今も変わりません。無実の罪を着せられた源信の女房たちの悲嘆にくれる姿から、身の潔白がわかってうれし泣きに変わるところも見所の一つ。そして、何といっても応天門が焼ける光景は、圧巻。めらめらと燃える炎をはじける火の粉の赤が目に焼きついてはなれません。解説に「日本絵画史上三大火焔表現」のひとつとありましたが、あとの二つは何でしょうか。美術館で聞いてくるの忘れました。どなたかお教えくださいませ。閉館間際はもうガラガラで、もう一回、ゆったりと眺めることができました。これで日本四大絵巻物、一応クリア。(全巻すべて見たわけではないので、一応です。)
2006年10月11日
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竹内栖鳳の重要文化財「班猫」。今年の5月に「美の巨人たち」で見てから、実際に眺めるチャンスをうかがっていました。とらさんのおっしゃられているように、大きな絵でした。というより、猫の周りの空間が広いのです。だから、猫もゆったりと毛づくろいができています。栖鳳というと、他の作品に見られるように筆の線が太い、タッチのはっきりした画を描くという印象があったのですが、この猫は異なります。背中の斑模様には立体感があります。一本一本の毛が細かく描かれています。だから表面の毛はちょっとつんつんしていそうです。実際に撫でたように毛の感触が伝わってきます。そして、エメラルドグリーンの瞳の何と深いこと。栖鳳の作品ではほかに、「緑地」のカエルさんが気に入りました。いろいろな種類の「緑色」が目に心地よいのです。弟子たちの作品。まず村上華岳の「裸婦図」。彼の絵は、何となく、もわもわっとした太いタッチの筆使いで描く山や木々の絵という印象があり、あまり好きではなかったのですが、この「裸婦図」で認識が一変しました。顔も肩の線も乳房も手も腰も足もすべて円、もしくはなだらかな曲線ではっきりと描かれています。作者は観世音菩薩または、「久遠の女性」を描こうと考えたそうなのですが、聖も俗もこの円の中にすべて収斂されていくような感じです。小野竹喬の「秋渓」の屏風。紅葉の木々の間の渓谷。河の間を流れる岩も紅く染まっています。けばけばしくなく、深まりいく秋の静寂感が感じられていい絵でした。土田麦僊の「大原女」。こちらはまだ若い頃の作品で、「島の女」にも似た女性の表情です。だから女性の表情はゴーギャンの描く女性像に近いのではないかと思いました。同じ麦僊の「大原女」なら、京都近代美術館にある作品の方が好みです。ワンコインでこれだけの絵を楽しめるのはお得でした。(ネットの割引券で600円が100円引き)
2006年10月09日
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青酸カリを使った無差別連続殺人事件と主人公の杉村の職場での部下とのトラブルがからみながら、物語が展開していく。青酸カリや土壌汚染から検出される「名前のある毒」と人間の持つ悪意の放つ「名もなき毒」。前者の毒は管理さえしっかりすれば、制御できるが、後者の毒はどうしようもない。人間が存在する限り消えることはない。世の中の常識にまったく当てはまらず、独りよがりの考え方で周囲とトラブルを起こす人はけっこう多い。うちの職場にも昨年までこういう女性がいてたいへんだったことを思い出した。この本に登場する原田いずみという女性の毒は強烈。他者すべてに対する怒りが恐るべき悪意を生み出す。そういう毒にあたって、周囲の人間は苦しんでいく。これは、小説だけでなく子どもの殺人事件など現実の社会にも頻繁に起こる、この「名もなき毒」に対峙するにはどうしたらよいのかと考えさせられる作品。理由といい、模倣犯といい、宮部みゆきの最近の現代ミステリーは重いテーマを繰り返す。
2006年10月08日
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日経おとなのoffは、年に何回かアート特集があってうれしい。今月号は、日本で見られる世界の名画ベスト100と銘打って全国の美術館で見ることのできる日本と世界の名画100点を選んで紹介しています。ざっと数えると、確かに見たと断言できる作品は69点でした。やはり国立西洋美術館やブリジストン美術館などの作品が多いのですから。つい最近、出光美術館で見た、宗達の風神雷神図屏風や仙崖和尚の指月布袋まで、ノミネートされていて嬉しい。ほとんどの作品がこの一,二年の間に何度か見ています。ただ、有名どころで未見なもの。尾形光琳 紅白梅図屏風(MOA美術館)ミレー 種まく人(山梨県立美術館)上村松園 序の舞(東京芸術大学大学美術館)竹内栖鳳 斑猫(山種美術館)さっそく、山種の斑猫、見に行くことにします。
2006年10月07日
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8日ぶりのオフ、外は暴風雨。こんな日は博物館も空いているだろうと思ったのですが、それでも平成館には、かなりの人がいてびっくり。欧米系のギャラリーも多かったです。さてこの展覧会、まずは小振りな十一面観音の檀像のコーナーから始まります。檀像とはインドで、白檀の木に彫られた高さ数十センチの小振りな仏像のこと。日本ではカヤの木で彫られ、細かい装飾が彫られているのが特徴です。奈良博所蔵の国産現存最古の十一面観音像(No4)。丹念に彫られたひとつひとつの小面がバランスよく頭から突き出しています。背面の暴悪大笑面、カッカと笑っています。次回は単眼鏡を持ってきて、それぞれの小面や化仏まで、しっかり確認しようと思います。海住山寺所蔵のそれ(No6)も整った端正なお顔で素敵です。そういえば、今年の春、奈良博の平常展でもこの2体に出会っていたことを思い出しました。霊山寺所蔵の十一面観音(No7)、頭上の小面の重さで、本体の観音の首がガクッと、前のめりになってしまっています。モデルになった人は重い冠をつけて大汗をかいていたのだろうなと想像して笑ってしまいました。醍醐寺の聖観音菩薩像(No8)は、下膨れのいいお顔。下半身の衣文のスパッとした鋭い掘りが小気味よいです。風を感じます。反対側におられる東大寺の「試みの大仏」(No17)。ずんぐりむっくりした身体を前のめりにして、左手の降魔印で悪魔を追っ払っています。切れ長の目に厚い唇、不思議な魅力があります。次のコーナーは8世紀後半から9世紀前半に作られた一木彫の名品のコーナー。前期の目玉はやはり、京都・願得寺の国宝如意輪観音半跏像(No20)。今年の春に京都に行って(*)、拝観したばかりの仏像。年に2回も出会えるなんて、御縁があります。今回は、360度ぐるっと回って拝観できます。座っていても腰がくねっていて、細部までしっかりと観察されて彫られている絶品です。後半の方にあった滋賀・来迎寺の聖観音菩薩立像(No31)は面白いです。厚い唇に切れ長の目は、アフリカの神像を思い浮かべます。とても、MADE IN JAPANとは思えません。3つ目のコーナーは、鉈彫。10世紀後半から12世紀頃を中心に作られた、表面にノミ目を残す一木彫像です。今まで、つるつるした表面を見なれていたので、何とも不思議な感じがします。たとえて言うならば、印象派の絵画をずっと見ていたら、突然スーラの点描画が目前に現れたような感覚です。それぞれの仏像。どれも手作りの温か味が感じられます。そこで、今回、最も出会うのを楽しみにしていた宝誌和尚像(No42)が現れます。中国の宝誌和尚(超能力者だったようだ)が自らの顔の皮をはいで中の十一面観音を出現させたという伝承がうまく表現されています。会場では分からなかったのですが、買ってきた絵葉書を見るとなるほど、内部の観音の頭に化仏が載っているのでこれが、十一面観音だとよく分かります。こういうエキセントリックなもの大好きです。最後のコーナーは、円空と木喰。江戸時代、全国を回って村々に仏像を残したお坊さんです。我が家のそばにも木喰のお地蔵さんがあって、子どもの頃から親しみを感じていました。円空はジャコメッティの銅像のようなとんがった切れ味の鋭い作風。対して木喰は丸みを帯びた作風。どちらも「笑い」の表現がみごとです。というわけで、前期はひとまず、これで終了。あとは11月からの国宝渡岸寺十一面観音を楽しみにします。
2006年10月06日
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タイトルに惹かれて購入。(105円でしたので)第52回日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門受賞作。ビアバー・香菜里屋を舞台に、客たちが持ち寄る謎を、マスターの工藤が解き明かす連作短編。タイトル作「花の下にて春死なむ」。自室のアパートで衰弱死した老俳人・片岡草魚。葬儀を行おうとしたところ住民票も戸籍もない「幽霊」だった。彼の過去をルポライターの飯島七緒が調べる話と、同時に起こった殺人事件の謎を香菜里屋のマスター工藤が推理するという話。このタイトル作は、なかなか読み応えがあったのだが、他の作品は、話の展開が強引過ぎたり、逆に落ちがあいまいで不完全燃焼だったように感じる。ビールを出して、ぬるくなったら引っ込めてしまうというマスター工藤。ものすごい心遣い。自分の行きつけのカフェバーのマスターもいい人だが、ここまでの心配りはないなぁ。商売にならないし。さらにいつもこんな素敵な料理を出して、支払いは幾ら位になるのかなぁと心配してしまう。ビールにアルコール度数12度なんて、きついものまであるとは初めて知った。飲んでみたい。
2006年10月01日
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