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クロの爪はとても長い。というか、今朝までは長かった。なにしろ、自慢じゃないが一度も切ってやったことがない。ネズミがとれなくなるから、猫の爪を切るものではないという昔からの親の教え(?)に従っていた。 しかし、だいぶ前から私のセーターや毛布に爪がひっかかって困るようになっていた。 昨日の夜、「おうち」の中から出てこようとしたクロがなにやら悪戦苦闘している。よく見ると、ふわふわの「おうち(素材はフリースである)」に爪がひっかかったらしい。私が手を貸してようやく外すことができた。 これではやっぱり爪を切るしかないだろう。 夫は「夜爪を切るのは世づめといってよくないから、クロの将来のことを考えて明日の朝にしよう」などと、わけのわからないことを言う。 そして今朝、すっかり忘れてしまっているような夫に代わって、というか、急に気になって私が自分で切ることにした。 クロは嫌がって暴れるかと思ったら何のことはない。おとなしく切らせてくれた。 ところが、どうも切りすぎたらしい。見境がなくなるのが私の欠点、何かとやりすぎてしまう。 「ありゃあ!お前、後ろ足の爪まで切ったのか?」と夫にあきれられてしまった。「いけなかった?」「こりゃあ、いくらなんでも切りすぎだろう。猫の用をなさないじゃないか!」 猫の用って?今さらネズミをとることもないだろう。 「カラスに襲われたらどうする?」「ほかの猫とけんかになったら?」と夫。 「その時は、けんかしないで逃げておいでね。」と言っておいた。 でも、やっぱり切りすぎたかも。ごめんね、クロ。
2011年01月30日
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仕事が暇になったのを機に、水泳を始めることにした。3月までの短期8回だけの「超初心者コース」である。 今日がその1回目。まずは、息継ぎの練習。そして、板につかまりながらのバタ足の練習。クロールは全然できないが、実は背泳もどきなら25m泳ぐことができる。だから、1回目で板なしのバタ足の練習まで行くことができた。 コーチには「上達が早いですよ」と言われたけれども、「超初心者」というほどのことではなかったということ。でも、問題はやっぱり息継ぎだろう。 それにしても、ゴーグルをつけるとなんと楽なことか。当たり前のことかもしれないが、ちゃんと水の中で目を開けていられる。道具は使うためにあることを実感した。これなら顔をつけるのも潜るのもそれほど苦ではない。 8回だけのコースでクロールが泳げるようになるか? 乞う ご期待!
2011年01月28日
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寒い日が続いているせいか膝の調子はいまいちである。エアロビクスができなくなって、スポーツクラブに通う楽しみも半減というところである。 しかし、今年になって新たにピラティスのプログラムに参加。これが思いのほか難しく、ある意味楽しい。40分の初級のプログラムであるが、「おへその後ろに力を入れて」「骨盤底筋群を引き締めて」などというインストラクターに従って呼吸を繰り返しているうちに、時間が過ぎていく。 こんなに体のことしか考えていない時間は初めてではないだろうか。それも痛いとか、苦しいとかいうのではない。「おへその後ろ?」「骨盤ね」などとひとりごちながら自分の体に集中せざるを得ないのが、妙に快い。 ピラティスのプログラムに参加しているのは、ほとんど女性である。それも、あのスポーツクラブでは若い方に入る30代、40代の人たちが多い。そしてまた、みなスタイルのいい美人である。ピラティスをやろうという人は、自分の体にも意識的な人が多いのかもしれない。ますますスタイルもよくなることだろう。 その中に混じって、50代の私も少しでも体幹を鍛え、正しい姿勢を身に着けたいと思っている。 若い(おまけにやんちゃな)インストラクターには「ティラミス、がんばってください」などという変な激励を受けている。それもまあいいだろう。 元気で長生き、それだけでもこれからの3、40年(いつまで生きるつもりやら)の目標としては十分だとも思う。
2011年01月26日
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授業が少なくなって、1つだけ良いことがある。長い時間家を留守にしなくても済むことである。 ここ富山では、最低気温マイナス1、2度、最高気温2、3度という日が続いている。今日も予報では最高気温が2度までしか上がらないとのことだった。 家を出るときのためらいは、暖房を消すこと。今朝も、といってももう10時にもなろうという時間であるが、炬燵布団の上で(私の座っている横である)、気持ちよさそうに寝ているクロに「ごめんね」と謝りながらストーブを消した。 いくら猫のためとはいえ、エアコンをつけたまま出かけるということはできない。(もっとも、回覧板を持っていったり猫とちょっと外へ出たりするときなどは別。暖房も付けたままなら、鍵もかけないままである。それでしょっちゅう娘に叱られている。) 「ごめんね」の言葉に続けて、「クロには毛皮があるものね。大丈夫だよね。」と言いわけしている。「猫には毛皮がある」という言葉は、夫がよく口にするもの。 暑いときには「毛皮着ているから暑いよな」と、そして今は、寒いだろうと心配顔の私にむかって「なーに、毛皮着ているんだもの」という具合に。 毛皮と言えば確かにあったかそうに聞こえる。しかし、年をとったクロの毛皮は大分薄くなってきたように思う。 でも、火事を出したくはないし、ペットのために暖房をつけたまま出かけるなんてそれはやっぱりエコじゃないと、毎日身を切られるような思いで(ちょっとオーバーだけど)出かける私である。
2011年01月25日
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ミソジニー」は非対称に働き、男には「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」になるという。男の「女性蔑視」がなければ、女が女を「自己嫌悪」することなどないはずであろう。 私が女性学という学問領域があることを知ったのは、もう結婚して子どもを持った後のことである。女性学や女性史研究が学問として広まるようになったのは1970年代初めのことであるという。ちょうどそのころ私は大学生となったが、東北の田舎にまではその波が及んではいなかった。 いや、大学には日本思想史なる講座が設けられていたから、あるいはそちらに進めば女性史研究ができたのかもしれない。文学にばかりうつつを抜かしていた私は目覚めていなかったというべきであろう。今となっては自分の不甲斐なさを口惜しく思うばかりである。 『女ぎらい』のあとがきに、上野は次のように書いている。「社会学者という職業を、ときどき因業だと思うことがある。自分にとって気持ちのよいもの、美しいもの、心温まるものではなく、むしろ不快なもの、むかつくもの、許しがたいものを対象に選び、なぜそうなるのか、その謎を理解しようとしてしまう執念に取り憑かれるからだ。書き手にとってと同様、本書は多くの読者にとって、女にとっても男にとっても――とりわけ男にとって――不愉快な読書経験をもたらすだろう。なぜならそれは多くの男女が目をそむけていたいことがらのひとつだからだ。」 私が上野千鶴子や女性学の本を読むようになったのは、「不快なもの、むかつくもの、許しがたいもの」に苦しみ、これは自分のわがままなのではないかと悩んだ果てのことである。なぜそうなるのか、上野千鶴子の歯に衣着せぬ言説は明確に答えてくれる。 それは決して不愉快な読書経験ではない。時にはここまで言わなくてもと首をひねることもないではないが、私に男(主に夫)に対する抗いの言葉と勇気を与え、支えてくれるのであるから。
2011年01月24日
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ドラマ「相棒」。何気なくテレビで観てからちょっと気に入っている。特にこれまでは気障というか、美男なのかどうかよくわからない及川光博が、「相棒」ではなんかいい。おしゃれである。深い紺のシャツにノーネクタイで同系色のちょっと変わったデザインのジャケットと着ていたりする。 というわけで劇場版「相棒 劇場版2」を観に行った。映画としてはどうなのだろう。私は、正月に放映していた「相棒 劇場版1」の方が好きだなあと思ったりしている。あれは、犯人役の南果歩がよかったのかもしれない。普通の主婦の犯罪。いや、普通の主婦が人殺しになっていく、いわば狂気の過程が面白かった。人間ドラマとして面白かった。 それに比べると「2」の方は大がかりではあったが、人間の描き方がもう一歩だったように思う。「巨大なる権力に挑む!」というのが謳い文句のようであるが、「相棒」「特命係」って、そんな大それたものだった?という感じがした。 なんとなく「踊る大捜査線」を連想してしまった。マネ? それはもちろん「権力に挑む」ことはドラマの性格からして避けられないことではあるが、「相棒」には、大立ち回りよりも、ちょっとひねったところでの犯罪捜査の方が似合うように思う。私の偏見であろうか?
2011年01月23日
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いったん片付けようと思ったら、むちゃくちゃ片付けなくなる。 よし、ここは「断捨離」といこう! とはいうものの、自分のものはなかなか捨てられない。 私の持ち物で多いのは、なんといっても本。そして、洋服である。 毎年春には、本棚の本を全部出して並べなおすのが楽しみであるが、そもそも本は捨てるものではないと思っている。 この前から気になっていたのが、もう着なくなった、あるいは着ないだろうと思う服の数々。女性が所有する上衣(下着をのぞいたものらしい)の平均は約130着と何かに出ていたが、おそらく私の場合は200着を超えるのではないだろうか。 夫には、「1着買ったら1着捨てるのが基本よ」などと言い放つ。そして夫のものは惜しみなく捨てられるが、自分のものは捨てられない。 今日も、リサイクルにでも出そうかと何着かを箪笥の中から出してはみたもののまた元に戻してしまった。 あーあ!なかなか断捨離とはいかないもののようだ。
2011年01月22日
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「小人閑居して不善を為す」というが、その通りかもしれない。「不善を為す」とまではいかないが、この頃の私はぼうっとしている。暇だと、かえって読書にも身が入らないようだ。 家の中を見回せばきちんと片付いているとは言えない状況であるが、掃除や家事に精が出るかと言えばやはりそうでもない。 仕事の合間をぬって時間を惜しんで本を読んだり、忙しく動き回りながらちょこちょこと掃除をしたりという方が、私の性にはあっているようだ。 なんて、ここまで書いてきて結局ただの怠け者なんじゃないかと思ってしまった。 精神がたるんでいるだけだろう!やることはいくらでもあるじゃないか! 「働きたくない」という若者もいるようだが、そういう君よ! 人間は、働いてこそ、仕事をしてこそ、自分の生を生きることも、自分を磨くことも輝かせることもできるのだよ! なんて説教できる立場ではなかったような… さあ、気分を変えて片付けものでもしよう!
2011年01月21日
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3学期になって仕事が少なくなった分、本を読む時間が多くなった。暇に飽かせて読書しているというような状態である。一日に1冊というペースで読破している。 今日読んだのは、『神様のカルテ 2』である。主人公のしゃべりにはやはり違和感がある。年寄くさすぎる。それでも、2を読む気になったのはやはり暇だったからか。といって、全然つまらないと言っているわけではない。人物紹介に終わった感のある1に比べて、2の方が人物像がくっきりしていてなかなか面白かった。扱っている題材にしては軽いような読後感も、重すぎたり後味が悪かったりするよりはずっといい。 ブログを書こうとしてふと思い浮かんだのが「本を読む女」という言葉である。林真理子の小説の表題でもある。この本を読んだのは3人の子どもの育児に忙しいときだった。私も「私も本を読む女になりたい」と思ったのを覚えているが、今の私はまさに「本を読む女」そのもの。 もっとも、『本を読む女』の主人公は、父親の死や戦争の始まりという「時代の中で、常に夢や希望を現実に押しつぶされつつも、読書を心の支えに懸命に生き抜いた。」のであって、私のように単に本を読むのが好きだという能天気なものではなかった。 ひがな一日本を読んでいられる身分は幸せというべきだろうが、実際にいくらでも本を読んでいられるとなると、いくら本好きの私でも飽きがくる。身を挺してやらねばならない仕事がある『神様のカルテ』の主人公が、うらやましくも思えたというのが、この本を読んでの一番の感想かもしれない。
2011年01月20日
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後藤正治『清冽』は、丹念に茨木のり子の足跡を辿り、この詩人を知る人を訪ね歩いてまとめた詩人の評伝である。彼女の詩の読者として初めて知ることも多く、また、頷くことも多く一気に読み終えた。 岩波ジュニア新書から出ている茨木のり子の『詩のこころを読む』は、私の一番の愛読書である。愛読書は何冊かあるが、実際に繰り返し読むのはそう多くはない。この本に限ってはなんとなく手に取って読むことがたびたびである。 初めて茨木のり子の詩に出会ったのそれよりだいぶ先のことである。1982年に詩集『自分の感受性くらい』を手に入れている。といっても、その時のしかとした記憶はない。 1982年、私は生まれ育った仙台を離れ、乳飲み子を抱えて夫の勤務地である松江に移住した。仕事も辞め、誰一人として知るもののない土地での暮らし。夫が帰ってくるまでの時間は、言葉もしゃべれない息子と二人っきりである。詩集の奥付を見ながら、その心細さ、自分だけが社会から取り残されていく焦燥感にさいなまれていた日々が急速によみがえってきた。 詩は学生の頃から好きであったから、街へ出かけることも稀であった当時、たまたま書店でこの詩集を見つけて購ったものであろう。 「 自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ 」という詩句は、自分への戒めとして、また励ましとして、声には出さないがいつのまにか私の口癖のようになっている。時には「感受性」という言葉を他の言葉に代えて、つぶやくこともある。 後藤正治は「茨木のり子は、なにかよきものを、詩という言葉を通して不特定の人々に届けたりもした」という意味のことを書いている。また、自己を厳しく律した人であるとも。詩そのもののような凛とした人柄、「清冽」という言葉は彼女の人となりにふさわしい。 また、読み直したくなった。『詩のこころを読む』を、彼女の残した言葉の草ぐさを。
2011年01月19日
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3学期、2年生の授業は評論から始まった。教材は、リービ英雄の「超えてきたものの記録」(出典は『日本語を書く部屋』)である。評論というよりはエッセイ風の文章で、筆者の体験がもとになっている。 「題名」の「超えてきた」とは、筆者が日本語・日本文化の外から内へ、その境界を越えてきたという意味である。本文中では「越境」という言葉で表現されている。 授業に入る前の導入として、「超えてきた」という言葉からどんなことを連想するかという質問を投げかけてみた。 その問いかけに対して、ある生徒は「渡り鳥」と言い、またある生徒は「困難」と応えてくれた。私の発想をはるかに超えている。 「渡り鳥」・・・「なるほど!」 「困難」・・・「おおっ!」 高校生という年齢の若さ、素晴らしさを改めて思う。 高校生の発想のみずみずしさ、そして未来を信じている向日性。 つくづくいいなあと思う。 そしてはるか昔に過ぎ去りし自分のその頃に思いを馳せてみる。もうはやぼうっと彼方にかすんでいるような…。自分のことはまあいいか。 普段は「読書もしていない、言葉も知らない」と嘆いてばかりであるが、こんなとき、高校生はやっぱりいいなあと思う。その感性を磨いていってほしいと願っている。
2011年01月18日
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土曜日から雪が降り続いている。降ったりやんだりではあるが、降雪は60センチを超えただろうか。 毎日雪かきが欠かせない。雪かきをしないと、車もこのとおり。写真は今日の昼のものである。この状態になると、車を掘り出すという表現がぴったりであるが、いったいどれだけかかることやら。 私の車を停めてある駐車場は、このあたりの事業所に勤務している人たちや近くの看護学校の生徒が借りているらしい。 平日の昼は満車状態になるが、夜と土日はがらがらである。 雪かきのことを考えて一番端の道路に近い区画を選んだのであるが、それでも車を出すためにはずいぶん雪かきをしなければならない。 腱鞘炎や腰痛をたびたび経験して、ようやく、一日に何度も、こまめに雪かきをする必要があることを学んだ。 ちなみに写っている車は私のものではない。この車は普段からほとんど動かない。動かす必要がないから、雪かきもしないのだろう。 うらやましいような。車がかわいそうなような…
2011年01月17日
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大雪警報の出ている日曜日。富山の積雪は30センチくらい。こんな日はやっぱり猫と冬籠り。しかも今日は楽しみにしている都道府県対抗女子駅伝がある。 駅伝ファンの私の関心は、兵庫の小林祐梨子や千葉の新谷仁美。特に小林は、今年初めて走った4区でも区間記録を更新した。インタビューに応えて、「過去の記録ではなく、未来の記録を」という意味のことを述べていたが、すごいなあと感嘆するばかりである。 もう一つの関心は、やはり富山の選手の走りである。特に今回1区を走った野尻あずさを応援している。 野尻については、O高校の1年生の時に現代文の授業を担当したことがある。高校・大学時代を通してスキーの選手として活躍したが、3年ほど前に本格的に陸上に転向し、昨年の札幌国際ハーフマラソンでは準優勝した。その経歴から異色のランナーと紹介されることが多い。 だが、実は私が初めて彼女を知ったのは、駅伝選手としてであった。中学生のとき、やはり都道府県対抗女子駅伝に中学生ランナーとして登場、素晴らしい走りをした。それ以来、ずっと応援してきた。 担当するクラス名簿の中に彼女の名前を見つけて「駅伝の選手ですよね」と担任の選手に確認したら、「スキーの選手ですよ。トレーニングとして走っているんでしょう」と言われて、ちょっとがっかりしたことを覚えている。 その後、教育実習に来たときも話をしたことがあるが、高校時代からのまじめでひたむきな人柄は変わっていなかった。 今日の1区、ゆっくりしたスピードに飛び出すタイミングを計るのが難しかったのかもしれない。28位は、野尻としては本意ではなかっただろうと思う。暮れの実業団駅伝では第一生命の5区の選手として登場したものの天満屋の重友に抜かれて2位に甘んじた。その悔しさも今日の走りにぶつけたかったのではないだろうかと思う。 その後富山チームは4区で選手が転倒して棄権、チームとしても残念な結果に終わった。 でも、これからもやっぱり応援したい。フレーフレー 野尻!頑張れ、頑張れ!野尻!
2011年01月16日
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今日はセンター試験。試験監督をする夫はいつもより早く出かけていった。 私が気にかけているのは受験生である。現在勤務している高校の3年生も全員受験する。推薦入試などでもう進路が決まった生徒もいるが、このセンター試験の結果次第という生徒も少なくない。そして、昨年度まで2年間担当していた前任校の3年生もやはり全員受験に臨む。 9時半から始まり、今日の最後の科目の英語が終わるのは6時35分だという。長丁場である。集中力がものを言うように思う。そして集中力を支えるのは、まず体力であろう。昨夜は十分眠れたであろうか。 心配された天候は、思ったほど雪も積もらず交通機関の乱れを特にはないようだ。 どの生徒にも頑張ってほしいと思う。もちろん大学入試で人生が決まるわけではない。点数や合否そのものよりも、自分がその時頑張ったかどうかということは自分だけがよく知っているし、後々まで残るものである。 私のときにはまだセンター試験もその前の共通一次試験も行われていなかった。個別入試のみである。大事な試験当日に微熱があってかなり咳が出ていた。咳をすることで同室の受験生に迷惑をかけているということが気になってならなかった。 勉強不足は誰よりも自分自身がよく知っていた。本来の体調であっても合格などはおぼつかないこともよくわかっていた。現役の時の受験は、単なるパフォーマンスでしかなかったと今にして思う。 一浪後の受験の際には、最後の数学の試験が終わったときに合格を確信した。 試験の時に思わぬ力が出たということももちろんあるだろう。だがそれも、そこに至るまでの自分が、体力や集中力も含めてどれだけの力を蓄えてきたかということによるように思う。自分に嘘はつけない。自分のやってきたことはごまかせない。そう思う。 受験生へのエールのつもりで書き始めたはずなのに、全く違う内容になってしまった。 それでも応援する気持ちに変わりはない。そろそろ、受験室に入って問題が配られるのを待っている頃であろう。頑張れ!がんばれ!
2011年01月15日
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映画「武士の家計簿」、観に行こうかどうしようか迷っていたが、「お早めに」との文言につられて観に行った。 一言でいえば、「うーん、まあこんなものかな」ということである。そろばん侍の日々を丁寧に描いているといえばいえるのであるが、別の言葉にすれば「単調」ということになるだろう。 「お蔵米騒動」に巻き込まれるあたりで、もっと別の展開を予想したのであるが、そこもあっさりと決着がついてしまった。見せ場は、子どもの袴儀のお祝いに本物の鯛が用意できずに「にらみ鯛」で済ませたところと、その流れで借金の返済のために大事にしている書画骨董や着物を売り払うところであろう。 見せ場がそれであるから、映画全体が低調な感じがするのも否めない。時代劇というよりはホームドラマである。堺雅人でなかったら、絵にならなかったのではないかと思ってしまった。堺に限らず、役者陣がいい。中村雅俊にしろ、松坂慶子にしろ、西村雅彦にしろ、他の役者だったらどれだけつまらなかったことかと思ってしまった。特に私の好きなのは草笛光子のおばばさま。 この題材ならこの程度の映画にしかならなかったということだろうか。いや、このホームドラマがもともとの狙いだろうか。役者がいいだけに、なんだかとってももったいない映画という気がしてならない。
2011年01月13日
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いよいよ3学期。昨日は始業式の後、課題テストがあった。私は、5限目と7限目の監督を担当した。初日からテストがあるのはいつものことだけれども、7限目までとは思わなかった。さすがに生徒も疲れ果てたようで、7限目は早くから机に突っ伏す姿が多かった。先生方も7限目までのテストには異論があるようで、職員室ではしばし課題テストのあり方について議論が交わされていた。 この学校でいいなあと思うのは、時折先生方の間で自然と議論が起こることである。私は職員会議には4月に出ただけなので、実際のところ学校運営にどの程度自由な意見が取り入れられているのかはわからないが、少なくとも自由にものを言える雰囲気があるらしいのがいい。 昨日も職員室には校長先生の姿があった。まるで気取らない校長先生の人柄もあるのかもしれない。 ところで、3年生は今週末にはセンター試験を控えている。今週の授業はセンター対策、来週からは、生徒の受験に対応した特別編成授業になる。私が担当していた国語表現の授業は2学期で終了していたらしい(それに気が付いたのは昨日のことである)。私の持ち授業はたったの6時間であったから、3分の1の仕事を失ってしまったということ。 あーあ!こんな有為な人材、遊ばせておくなんてもったいない。なんて、私が思っているだけであろうけれど。
2011年01月12日
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明日は3学期の始業式。約3週間にわたった私の冬休みも終了する。この間に何冊本を読んだやら。普段読書記録などはつけていないが、今覚えているものを書き出してみようと思う。 『美は乱調にあり』瀬戸内寂聴(角川学芸出版) 大正のアナーキスト・大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝の恋と革命に生きた生涯を 描いた小説。「青鞜」最後の編集者である伊藤野枝のことは知ってはいたが、こんな 激しい生き方もあるのかと圧倒された。作者の米寿記念として復刊されたもの。 『レインツリーの国』有川浩(新潮社) 読んでいるようで実は読んでいなかった有川浩の青春恋愛小説。小説の内容そのもの よりも『図書館内乱』(メディアワークス)とのコラボとということの方に意味があ るかも。そのうち、読んでみよう。 『めくら柳と眠る女』村上春樹(文藝春秋) 一つひとつジャンルも味わいも違う短編集。かなり長いけれど、飽きることなく読み 終えた。たまには短編もいいなと思わせてくれた。 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹(文藝春秋) ほとんどマスコミに出ることのない村上春樹のインタビュー集。13年間の内外のイ ンタビュー18本を収録。なぜ書くのか、創作の秘密などが語られていて興味深い。 『獣の奏者 外伝 刹那』上橋菜穂子(講談社) ファンタジーから生まれた大人のための恋愛小説。 『改造版 少年アリス』長野まゆみ(河で書房新社) たまに読みたくなる長野まゆみ。デビュー作の改造版。巻末に「『少年アリス』辞典」 なるものが付記されているが、これがやたらと詳しくてたのしい。 『TRIP TRAP』金原ひとみ(角川書店) 作者自身がモデルなのかもと思わせる。最後の「夏旅」がいい。 『きみ去りしのち』重松清(文藝春秋) 幼い息子を喪った主人公と死を目前にした母に寄り添う15歳の少女(主人公の娘)。 恐山、北海道奥尻、知床半島と、二人の巡礼のような旅が続く。丁寧で読みやすい文体 はこの作者ならではのもの。じわっとくるものはあるが、なんか感動の押しつけのよう な感じもする。 『逝かない身体』川口有美子(医学書院) ALSという病に冒された母の介護の実際を描いた記録。筆者は介護という体験を通し てALSの療養者にヘルパーを派遣する事業を立ち上げる。何が起こるかわからない人 間の運命や運命に立ち向かう人間のたくましさについて考えさせられる。 『本はこれから』池澤夏樹編(岩波新書) さまざまな立場から本にかかわる37人のエッセイ集。本好き、読書好きの人はぜひ一 読を! 『ハイコンセプト』ダニエル・ピンク 大前研一訳(三笠書房) 私には珍しいビジネス書(?)隣の席の先生が貸してくれたもの。読むのは結構時間が かかったが、なかなか面白かった。2006年に刊行されたものなので、著者の提言を 読みながら、現実社会についても考えを巡らせることになった。 以上、11冊。これ以外にもう図書館に返却して忘れてしまったものもいくつかあるような。 で、おすすめを1冊選ぶとなれば、『本はこれから』ということになるかも。
2011年01月10日
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年末年始を挟んで今日から文庫再開。みんなが集まったらかるた大会をやるぞ!と意気込んでいたのだが、空振りに終わった。 原因は、富山の冬には珍しいほどの晴天にある。立山連峰がきれいに見える。絶好のスキー日和である。おまけに冬休み最後の日曜日。3連休の初日である。スキーをしなくても、こんな日はどこかへ出かけたくなるもの。文庫にやってきたのは、Kちゃん一人だった。 開店休業状態というのも、冬の期間は少なくない。よく晴れれば遠出をするだろうし、吹雪や大雪の日には家を出たくなくなるというもの。 それでも文庫を続けて23年。めげない、めげない。
2011年01月08日
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今年最初の保育園でのおはなし会。お正月にちなんだおはなしや絵本をと思ったけれども、なかなかいいのがない。絵本は『十二支のお節料理』がぴったりなのであるが、暮れに文庫の子どもたちに貸し出したままであった。 まずは”もちっこやいて”の手遊びから。これはおはなし「ふうふう ぱんぱん あちち」の導入のつもりであったが、子どもたちの乗りがそれほどよくない。もう餅はさんざん食べたということだろうか。「ふうふう ぱんぱん あちち」は富山弁のおはなしであるが、わかりにくかったのか、私がまだ未消化だったからか、もぞもぞと体を動かす子どもたちが多くてあまりわかっていない様子だった。 ところが、次の「三びきの子ブタ」のおはなしを始めると、とたんに子どもたちが集中しだした。もぞもぞどころか、ひたっと私を見てくる。けっこう長い話であったが、全く集中を切らすことなく最後まで聞いてくれた。「三びきの子ブタ」は毎年、必ず語るようにしているが、これほど集中して聞いてくれたのもないように思う。改めておはなし自体の持つ力を感じさせられた。 絵本は2冊。子どもたちにも声を出してもらうようにと用意したのが谷川俊太郎の『おならうた』(絵本館)である。飯野和好の独特の絵も印象的であるが、もとはわらべうたである。「いもくって、ぶ。わらって、ぴ。こっそり、す。あわてて、ぷ。」とリズミカルでみんなで声をだして読むとますます楽しい。子どもたちも笑いながら、でも真剣に読んでくれた。これは「もう一回」とリクエストされた。 もう1冊は、『だいふくもち』(福音館書店)。田島征三のむかしばなし絵本である。だいふくもちがこまいだいふくもちを生むところでは笑い声もあがったが、ハッピーエンドでないところが、ちょっと問題かもしれない。楽しく終わる方がいいと思って、『おならうた』をもう一度読んでおしまいとした。 おはなしも絵本もやはり選定が大切だということを改めて感じたおはなし会であった。
2011年01月07日
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朝から寒い日。仕事が始まるのは来週から。こんな何も用事のない日は映画でも観に行こうかと思うのが常であるが、クロに後ろ髪をひかれてしまった。 私が家にいるときはほとんどべったりである。私が台所に立てばいつの間にか後ろに座っているし、私が炬燵に入って本を読んでいればクロも炬燵に潜り込むか私の横で寝ている。 今日は最高気温が2度という予想であった。暖房を消したら寒いだろうなという気持ちが、出足をくじいてしまった。結局、ほとんど一日中家にこもって本を読んでいた。 クロの食事はこのところ鶏のささみをゆでて与えている。市販のキャットフードはすぐに飽きてしまうらしく、なかなか食べない。食欲がないというわけでもなさそうなのであるが、気に入らないと口をつけない。 この前夫が抱いて体重を測ったらたった3.8キロしかなかった。猫としては少なすぎるわけでもないのだろうが、盛りのころのクロの体重は4.8キロから5キロくらいはあったのだ。抱きあげると本当に軽い。背中の骨のごつごつが手に感じられる。本来なら冬こそ体重が増えるはずなのに。「こんなにやせちゃって」と夫が嘆く。 特に元気がないというわけではないが、田舎の義父が私たちと一緒に帰省したクロを見るなり、「もう長くないんじゃないか」と言ったのが気にかかっている。そういう義父は89歳である。そんなお年寄りに長くないと言われてしまったクロ。自分の趣味にかまけているより、少しでも長くそばにいてやろうかと、ついつい出かけることが減ってしまうこのごろである。
2011年01月06日
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昨日の夜、仙台の母から宅急便が届いた。中身は、もち米と手作りのこしあんである。スペースを埋めるためであろう、さつまいもとタオル(フェイスタオルとバスタオル)が入れてあった。 新年になってからもち米?と思われるかもしれないが、年末年始は長野の夫の実家にいること、そしてそちらで餅つきもすることを重々承知しているが故である。 母手作りのこしあんは久しぶりである。81歳になる母にとってはこしあん作りは大きな負担に違いない。先日の電話で何気なく話題にしたのを覚えていてくれたのであろう。ちょっと無理したに違いない。 結婚以来30年、そのほとんどのお正月を夫の実家で迎えてきた。餅といえばお正月のお雑煮だけである。ずっうと以前は、餅つきの際に大福をつくっていたが、それは当然粒あんであった。そういうこともあってか、実家のお正月のあんこ餅がこしあんであることをすっかり忘れていた。あんなに大好きだったのに 思い出してみれば懐かしくてたまらない。とろりとしたこしあんに焼き立てのお餅のおいしかったこと! もちろん今日のお昼は、送ってもらったこしあんで実家の味を再現した。これこれ、この味!やっぱりお餅は、お雑煮より何より、こしあんのあんこ餅が一番である。
2011年01月05日
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駅伝が好きである。冬期間は、駅伝中継に釘付けになっている。マラソンもそうであるが、長いコースの最初から最後まで見なければ本当の面白さはわからない。 今年の箱根駅伝は例年にもまして見ごたえがあった。とはいっても、3日の復路は長野からの帰りの車中にあるので、全部見るというわけにはいかなかったのであるが、6区と10区を見ることができたのでよしとしよう。 下馬評通り早稲田大学が優勝した。18年ぶりの優勝とだいう。私は他の誰よりも驚いたかもしれない。監督の渡辺康幸の早大時代の箱根の活躍はもちろんよく覚えているが、実はその前の市立舟橋高校生時代、高校駅伝で超高校級として鮮烈な走りを見せて以来のファンである。ただのファンに過ぎないが、それからずっと注目していた。オリンピックでの活躍も期待していた。だからけがのためにアトランタ五輪1万mを辞退したときには、本当にがっかりした。その後もアキレス腱のけがのために選手生命は思いがけず短く終わった。 「選手としての優勝よりも監督としての今回の優勝の方がうれしい」という渡辺康幸の言葉は、本当にそうだろうなと思う。自分の挫折を乗り越え、早大チームのドン底状態からの優勝である。本当におめでとう! (P.S)胴上げのために15kgも痩せたなんて、笑ってしまいましたが。
2011年01月04日
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あけましておめでとうございます。 もう3日ですが、私にとってはパソコンの使い初めです。年末年始は、毎年長野・小布施の夫の実家で過ごしています。 長野といえば、初詣は善光寺ということが真っ先に思い浮かぶかもしれませんが、小布施にも有名なお寺があります。 私と夫が詣でるのはまず歩いて5、6分のところにある真言宗の浄光寺です。ここは建立600年になる薬師堂がありますが、私が気に入っているのはお薬師さんへ登る参道の石段(写真うぃ見てください)です。もっとも、ちょっと前まではこんな歩きにくい(自然石でできています)石段なんかいやだよと思っていたのですが。お参りしてこの石段を元気に降りてきたら、甘酒をいただいて帰ります。 続いては曹洞宗の岩松院。浄光寺からはウォーキングロードが整備されていて5分もかかりません。ここには葛飾北斎最の鳳凰の天井画があります。21畳敷きの天井いっぱいに翼を広げた鳳凰の画です。迫力満点で子ども連れにもお勧めですが、初詣のときには拝観できないかもしれません。 浄光寺も岩松院も毎年大勢の参拝客がありますが、今年は少し少なかったような気がします。 そして最後は地元のお宮さん(?)にお参りして帰ってきます。ゆっくり歩いても1時間のコースですが、ちょうどいい散歩にもなります。
2011年01月03日
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