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被災地の子どもたちに送る本を少しずつ集めている。昨日は、Sさんがまとめて20冊余りを出してくれた。 我が家の本はほとんどすべてに名前が書いてあるので人にあげることはできない。本棚を見回して無記名のものをようやく5冊ばかり選びだした。 ならば!と思ってブックマーケットへ出かけていった。財布の中には小銭を含めて1万5,000円ほど。何とかまとまった本が買えるだろう。 絵本・児童書の棚は一番端っこに移されていたが、思ったとおりかなりの数の絵本が並んでいる。ここにはシールが付いたままの新品も多い。 子どもたちが笑顔になるような、元気が出るような絵本をと思いながら次々に選んでいくと、あっという間に両手に持ちきれないくらいになった。 レジの店員さんが、同じ値段のものをまとめて手際よく打っていく。その手元を見ていてはっと気が付いた。案の定、すぐに1万円を超えてしまった。ちょうところあいを見て「そこまででちょっと止めてください。」と声をかける。レジは1万4,200円をはじき出していた。残念ながら、そして恥ずかしながら、残りの十何冊はまた棚に戻してもらうことにした。 500円から900円の絵本、しめて24冊。「なんだこれっぽっちか」とちょっとがっかり。日ごろ「絵本は高い」という声を耳にするたびに「そんなことはないんじゃない。こんなにきれいなんだもの」と思っていたけれど、さすがに今日ばかりは「絵本は高いなあ」と思わざるを得なかった。 また、来よう。昔の文庫仲間のKさんが送ってくれた見舞金5,000円がある。そのまま義捐金として出すよりも、絵本を買って送る方がKさんの志にも沿うかもしれない。
2011年03月30日
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4月からの仕事が昨日決まった。こんなに早く決まったのは現任校での継続だからであろう。時数も6時間と変わらない。 1年だけで異動するのではあまりにも悲しい。せっかく慣れ親しんだ環境である。生徒たちの名前や特性もようやくわかってきたところである。だから継続で勤務できるのはうれしい。 これで時数がもう少し多ければ言うことないのであるが、しかたあるまい。クラス数が増えたわけでもカリキュラムが変わったわけでも、そして国語科の管理職が来たわけでもないのであるから、これもわかっていたことである。 それにしても異動が少ない。全体的なところはわからないが、少なくとも現任校も前任校も2、3人だけの異動である。いいことなのかどうなのか。本人の意に染まない異動はないということだろうか? 現任校では、退職される先生がお一人。職員室の席も近く、話しやすいいい感じの先生だった。そして副校長が西の方の学校へ行かれる。いつも必ず声をかけてくれる方だったので、あの笑顔が見られなくなるのはさびしい。 でも、こんな別れはまだいいのかもしれない。大震災で一瞬にして家族や親しい人を永遠に失った悲しみはいかばかりか。推し量りようもない。 せめて温かい春が被災地にも早く訪れるようにと願うばかりである。
2011年03月29日
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東北関東大震災の被災地の子どもたちのために絵本を送りたいと考えて一人で準備をしていた。 そう考えているのはもちろん私だけではないようで、ひこ・田中氏の「児童文学評論」メルマガで児童作家の杉山亮氏が「絵本を送ってください」という発信をしている。 「子どもと見る風景」という団体のHPhttp://kodomiru.exblog.jp/16066290/を見ると、プロジェクトの様子がわかる。 個人個人で送るよりもこの運動に相乗りした方が、無駄がなく被災地の人たちにも余計な手間をかけさせないですむだろう。一人でこっそりやるよりも、みんなで協力した方が多くの子どもたちに絵本を届けることができるだろう。そう思って仲間や友だちに協力を頼んだ。 それが昨日の夕方のこと。今日になってまた新しい情報が入ってきた。ユニセフでも 東日本大震災で被災した子どもたちのために、「ユニセフ ちっちゃな図書館」プロジェクトをスタートさせたとのこと。 http://www.unicef.or.jp/kinkyu/japan/2011_0325_02.htm さて、どうしよう? とりあえず絵本を集めることから始めるしかないかも。動きながら考えるべし!
2011年03月28日
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昼前、やっとタイヤ交換をした。自分用の軽四車を手に入れて10年、ずっと自分でタイヤ交換をしている。 冬用のスパイクタイヤに履き替えるのは例年12月の初めの日曜日、そしてノーマルタイヤに換えるのは3月の彼岸の中日前後と決めている。 今年は1週間遅れてしまったが、仕方があるまい。この寒さに加えて東北大震災関連のことで、それどころではなかった。昨日あちこちに電話をかけまくり、必要なところには宅配便を送り、ようやく人心地がついた。2日はかかるだろうと思った宅配便ももう届いたという。驚き! 気をよくして夕方ちょっとウォーキングに出たら、紅梅が咲いていた。もうとっくに咲いていたのだろうがちっとも目につかなかった。それにしても、例年楽しみにしていた裏の家の白梅が切られてしまったのが口惜しく思われる。いまだに更地のまま買い手がついていない。せめて白梅くらい残しておいてくれたらよかったのにと思う。 明日からは春らしい陽気になるようだ。よし!心機一転、明日は衣類の入れ替えをしよう! ところで、新年度の仕事はいつ決まるやら。例によって例のごとく、年度ぎりぎりまで待たされそうだが、今年はそれほどやきもきしないでいられるのは、これもやっぱり震災のせいだろうか。
2011年03月27日
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被災地仙台の友人や姉、名取の母に電話。みんな津波も家屋の倒壊も免れているが、ライフラインの復旧に関しては地区によってさまざまなようである。ガスの復旧が一番遅れているが、それも今月中には何とかなりそうだという。 物資もなんとか回るようになったらしく、スーパーやデパートでもそんなに並ばなくてもほしいものが手に入るようになったという。ただ一つガソリンだけは不足しているらしい。 「どんな状況なの?困っていない?」という私の問いかけに、母も含めてみんな「安定した生活をしているよ」と答える。 この落ち着き、欲のなさは感嘆すべきものがある。新聞やテレビなどで報道される被災者もみんな謙虚すぎるくらい謙虚である。もう少しわがままを言ってもいいのにと時に思ったりもする。 友だちの母上(母上自身も私の友人である)から、「おいしいかまぼこが食べたい」との言葉を聞いてかえって安心した。昔から気兼ねなく本音を言いあえる人である。「かまぼこ以外には何かほしいのがある?」との問いへの答えがまたふるっている。「カップ麺、まるちゃんのノンフライ麺がおいしいのよ」とのこと。 うっかりしていたが、昨日からようやく宮城県にも宅配便を送ることができるようになったという。さっそくスーパーに行ってかまぼこやら昆布巻きやらの富山特産の海産物を買い込んできて送った。もちろんまるちゃんのノンフライ麺も。 二人暮らしなのに多すぎたかなと後で思ったが、具体的な何かをできることがうれしくてつい張り切ってしまった。今はそんなことくらいしかできないのだから。
2011年03月26日
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大震災からちょうど2週間。復興がどれだけ進んでいるのか、毎日テレビ、ネットで確認する日々。その合間に原発関係のことが飛び込んでくる。 この間というか、地震発生1週間後くらいから左手がしびれて仕方がない。3年前の頸椎の椎間板ヘルニアの後遺症である。急に寒くなったりした時に腕が重かったり首が痛かったりということはよくあったが、こんなに続けて毎日腕がしびれるということはなかったように思う。 針灸治療がよい効果をもたらしてくれていたが、1回の治療費は4、000円である。治療に行こうかどうしようか迷っていた。温かくなればそのうちよくなるだろうというのが治療を先延ばしにしていた理由の1つ。もう1つの理由は、4、000円を節約して震災の救援資金にした方がいいのではということ。 もともとそんな贅沢をしている身ではない。趣味は読書、ほとんどは図書館で借りてくる。映画鑑賞、1,000円の時をねらっていく。外食はほとんどしない。こんな生活であるから節約のしようがない。 特に必要のないものを買わないで節約するという点では、洋服類をあきらめるのがてっとり早いかもしれない。ところが、あいにく震災の前々日に春物を衝動買いしたばかり。当分の間洋服は新調しないつもりである。 そこで針灸代を節約と思ったのであるが、やはりこれは無理だったようだ。体が元気でなければ、被災地の人を応援しようにも力が出ない。ようやくそう思い定めて今日の5時の予約がとれた。というわけで今から行ってきます!
2011年03月25日
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勤務校の終業式である。 始業式や終業式への出席は非常勤講師の仕事とは考えられていないが、何よりも気がかりな生徒がいた。学年末試験を受けなかった2人である。もちろん病気などの理由ではない。成績不振や不登校気味の状態で学校をやめるやめないの事態にまで至っていた。2人とも無事に進級できたとのこと。よかったと心から思う。 中途退学者について進路変更という言葉を使うことがある。積極的に進路を変えようというのであったり、別な道に進む具体的な方法がある場合はむしろ少ない。ともかく、学校に行きたくない、やめたいという気持ちが強いだけだったりする。 学校は確かに楽しいばかりのところではない。規則や制服などの規制も多い。それを縛られていると大概の生徒は思っているかもしれない。だが実は、学校や規則や制服は縛るよりも生徒を守っているのだ。 現在の2年生は1年も経たないうちに卒業する。今までとは全く違うところへ、もしかしたら誰も守ってくれないところへ進まなければならないのだ。自分から学校をやめるなどと早まることはない。生徒の多くは、今の厳しい社会へ出ていくには幼すぎる。まだまだ学ばなければならないこと、身に着けていなければならないことは多い。 避難所の子どもたちを見るにつけ、学校に行けることの幸せ、変わり映えのない日常が続くことの幸いを深く受け止めてほしいと思う。そして、限られた時間の中でしっかりじっくり力を付けていってほしいと願っている。
2011年03月24日
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帰省しようかどうかしばらく悩んでいたが、ようやく落ち着いた。 被災地支援のための全国的な動きを知ったからだともいえる。支援物資や救援の人々(医師・看護師などやいろいろな技術を持った人々)を運ぶトラックやタンクローリーが必死で高速道路を東北へと向かっている。 自分の身内のことばかりを心配したり、食物をリュックで運んだりというレベルではないのだ。そんなことは自己満足かエゴに過ぎない。 東北地方の復興にはこの先長くかかるだろう。街の復興、人々の生活の立て直し、いずれにしても困難を伴うことは目に見えている。 被災者の心のケアということもよく言われるけれど、もっと具体的な子どもたちの教育がどうなるかということも気がかりである。 自分に何ができるか何をすべきかということを考えたとき、行政や企業、それぞれの道のプロの活動をせめて邪魔しないようにすることの方が、のこのこと被災地に出向くことよりも大事なのではと思う。 母や魚の好きな友だちのおかあさんに、富山の新鮮な魚を食べさせたいという思いはあるが、今しばらく我慢しよう。 広い視野で、息長く被災地を見守り支援していくこと。今はそれを改めて自分に言い聞かせている。
2011年03月23日
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地震以来、なんとなく気がふさぐ日々が続いている。時間はたっぷりあるのに、本を読むことにも集中できない。 実家や姉、友だちの安否がわかるまではやたらと片づけをしていた。体を動かしていなければならなかったのだと今になって思う。 そして10日以上経った今、とりあえず実家も姉のところもガスが使えなかったりはするものの、何とか落ち着いた生活をしているという。落ち着かないのはむしろ私の方かもしれない。 運休していた仙台行きの高速バスも昨夜の便から運行しているとのこと。今夜にでも仙台に向かおうかと思って母に電話をしたら「来るな」と言われてしまった。「来なくていい」じゃなくて、「来るんじゃない」というような口調だった。曰く、まだ何があるかわからない。余震も絶え間なく続いている。帰れなくなるかもしれない。かえって心配だ。云々。 確かに今私一人が行ったところで何ができるわけでもない。食料を運ぶにしても知れたものである。顔を見て安心したいというのは自己満足だろう。それでも迷うのである。 とりあえずもう少し様子を見ていよう。今何をすればいいのかを考えて行動すること。これが思いのほか難しい。
2011年03月22日
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昨日は、9日ぶりに80歳の女性と16歳の孫が救出されたという明るいニュースが飛び込んできたが、東北関東大震災の被害の全貌はまだまだ明らかになっていない。 名取市役所のホームページで確認する死者の数は毎日毎日増えていく。その中に、とうとう小学校の同級生らしい名前を発見した。もう何十年も、会うこともなければ消息を聞いたこともない同級生であったが、名前を見たとたん小学生の頃のぼんやりとした面影というか印象が浮かんできた。 私が通った小学校はどうやら無事で避難所になっているらしい。ネットで検索しているうちに、避難所の子どもたちの笑顔を集めたサイトを見つけた。http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/Earthquake/201103/17/children/ ここに掲げた写真には、仙台市若林区の市立若林小学校で5日目の朝を迎えた子供たち=15日午前、宮城県仙台市若林区(甘利慈撮影)(Sankei Shimbun/Shigeru Amari) という説明がある。 サイトには、「その笑顔は希望」という副題がついている。 でも、避難生活が長引くうちに、子どもたちから笑顔がなくなっていくのではないかと危惧している。 今は、インフラの復興が待たれる。そして、物資、特に食べ物が必要である。それから医療・福祉への手当にも時間を置くわけにはいかない。老人や乳幼児への気配りや手当は誰もが気に掛けることだろう。 少し大きい子どもたち、ちょうど手がかからなくなった小学生が、あまり人の気づかないところで心を痛め、元気をなくしていくことのないようにと願っている。そのためにも4月の新年度当初から学校が再開されてほしいと思っている。
2011年03月21日
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パソコンを付けると、まず名取市のホームページを確認するのが習慣になってしまった。災害情報が日々更新されている。 18日には、被災地の画像がアップされていた。その数50枚以上。どこの場所なのかの説明がないのが残念だが、わずかばかり残っている建物から大体推測できるものもある。 テレビで見るよりもさらに悲惨である。私の通った小学校の海沿いの地区と隣の閖上地区は本当に壊滅状態である。 東部自動車道近辺もひどい惨状である。かなりの高架になっているが、あたり一面瓦礫と壊れ傾いた車で埋め尽くされている。 実家はここから500メートルかそこらである。よくも無事であったものよと改めて思う。 名取市で確認された死者も日々増えている。昨日は279人、今日は393人。まだまだ犠牲者はいるのだろう。どうか遺体だけでも家族の元へ帰ってほしいと願う。
2011年03月20日
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名取市の母と再度電話で話した。今度は携帯ではなく、固定電話で。どうやら近い叔父・叔母たちも無事でいるとのこと。 ライフラインが復旧したと思ったら、今度はいろいろなものの不足に悩まされているらしい。一番心配だった薬など(母はペースメーカーを入れている)はまだ大丈夫とのこと。だが、店頭からは食料が消え、ガソリンも不足しているとのこと。農村地帯なので、何とか米と野菜は確保できているようだが、それもいつまでもつかわからない。 そんな被災地に住む母の口から出たのは、埼玉に住む弟のところが物資不足らしいから富山から送ってくれないかということ。ためし弟ににメールを送ると、やはり米・トイレットペーパー・電池がほしいという。 ところがである。スーパーに行ってみてさらに驚いた。富山の店頭から単1・単2の電池が消えている。 被災地にはいまだ物資を個人的に送ることはできない。とすると、乾電池は私のように首都圏に住む親せき知人に送るためだろうか?それともいざという時のために買いだめ・買占めしているということだろうか? 首都圏で買占めが行われているというニュースは聞いていたが、まさかという思いであった。福島原発の不安にさらされているとはいうものの、買占めに走る人の気持ちはわからない。 被災地に住む老いた母が首都圏の息子を思いやる気持ちはこのうえなく尊い。 しかし、弟よ!ホントに米や電池が不足しているのか?万一の用心なのか?そう思いながらもとりあえず小さな宅配便を送った。乾電池は家の買い置きしかなかったが。 で
2011年03月18日
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どうしようか迷いながら、今日は市立図書館の「大人のためのおはなし会」に参加した。スポーツクラブには気分転換のために何とか出かけられたが、それ以外の外出は地震以来初めてといってよい。 迷ったのは特に理由があるわけではないが、要するに気持ちがなかなかほかのことに向かないということだと思う。 週明け後、娘はいつものように出勤した。だが、「こんな時にも仕事をしなければいけないのか」という思いを抱いていたらしい。そんな娘に、信頼している先輩の方が「被災地以外の人は、いつものように生活することが大事なんだよ」と諭してくれたという。 確かに、遠方にいる民間人が今できることは何もない。いたずらに不安を募らせたり(原発のことは気になるが)、買占めに走ったりせずに「いつものように生活する」ことが、回り回って何か被災地の人々のためになるのかもしれない。 会の後は気心の知れた友だちが食事に誘ってくれた。地震以外のことでまとまった話をしたのも初めてだったように思う。おかげで気持ちが前向きになった。 そして帰宅後、すぐに名取市役所から電話があった。避難者名簿で実家の安否確認をお願いしていたことの返事である。兄の家族も母も全員無事であることを、こちらから連絡した方がいいのかと思いながら、忙しいのに迷惑だろうと電話せずじまいであった。連絡が遅くなったことを詫びられてこちらが恐縮してしまった。役所の人というと、とかくぞんざいな態度や言動がやり玉にあげられるが、とても丁寧で感じのよい対応だった。 こちらも丁寧にお礼を言って電話を切った後、名取市のホームページを見たら死亡した人の名前や特徴がアップされていた。そして義捐金の受付も行っていることが判明。日赤や宮城県対策本部にも義捐金を送ったが、より身近な町の復興のために別口で見舞金を送ろうかと思う。
2011年03月17日
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被災地のインフラは少しずつ回復してきたようだ。昨日、電気が復旧した名取の実家と仙台市若林区の友だちから携帯で電話があった。 母も思ったよりも元気そうで安心した。姪を除く全員が自宅にいたというのも普段では考えられないこと。昨年建て替えたばかりの家は耐震性は十分であるとしても、津波が迫っているのに逃げようとは考えなかったらしい。津波注意報(警報)はいつものことだからにげるまでもないというのが今回は幸いしたように思う。 仙台空港で仕事をしていた姪は、空港の上階に集められまる二日間を寒さに震えていたという。水が少し引いてからようやく歩いて帰宅したとのことである。歩いて帰れる距離というのが、また恐怖感を誘う。 依然、親戚の何人かとは連絡がとれないとのことである。死者・行方不明者はどれだけに上るのか。 単なる数字ではない。数字だけで表されるものではない。一人ひとりのいのちと生活と夢と希望と、そしてその人につながる多くの人のいのちやもろもろのものが失われてしまったのだ。 そして原発の恐怖がまだまだ続いている。原発はやめよう!と叫んで済むことではないだろうが、電気やエネルギーに頼らない生活を地球全体で考えなければならないということが身に染みてわかった。
2011年03月16日
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この3日間、固定電話とケータイを交互に掛け、テレビとネットとラジオに耳目を傾けという状態が続いている。 そんなにしても、名取市の実家の状態がわかったとは言い難い。 つながったのは娘と甥っ子のCメールが一度だけ。「全員無事です。家も無事です」という必要最小限のメールにホットしたのもつかの間、その後のことがなんにもわからない。 テレビの情報から、東部道路までは津波が押し寄せたことが判明、実家はそこと市役所とのちょうど中間点にある。ぎりぎりで津波の被害から免れたらしい。 さきほどヤフー知恵袋を初めて利用、流されたかと思った下増田小学校が避難所となっているらしいことがわかった。地元に残っている小学校の同級生が助かってくれていればいいがと、あれこれ顔を思い浮かべながら祈っている。 情報がこれほど大事かつ必要だとは!初めて実感した。 安否の確認後は何ができるか?また必要か? 当面何もできそうもない。できるのは募金の呼びかけと節電くらいだろうか。仙台市の姉は炊き出しを行ったと話していた。よそからの手が届けられるまで被災地の人同士で頑張ってほしい。
2011年03月14日
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宮城県名取市の実家とは全く連絡がとれない。 今朝早く、名取市役所にかろうじて電話が通じたときは幸運に感謝した。担当の女性は避難所の名簿が上がってきたら照合しますといってくれた。それが午前6時。 それ以来5時間、何の連絡もない。 その間、宮城県在住の親戚、友達に片っ端から電話をかけたりメールをしたり。 ようやく連絡が取れたのは、なんと津波の被害がひどいと思われる若林区の友達二人だけである。どちらも家族とも無事とのこと。ただ、相当揺れたらしい。マンションの15階に住む友だちの部屋はめちゃめちゃで、足の踏み場もないとのこと。椅子の上で毛布をかけて一晩を過ごしたらしい。けががなかったのは何より。 こんなことをしている場合じゃない。と思いながらも、家には私一人。たまに来る娘からの連絡に応えるぐらい。気持ちのやり場がない。 どうかみんな無事でいて。
2011年03月12日
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パソコンをつけたとたん大きな揺れがあった。それも一度ならず二度三度である。テレビをつけると、宮城気仙沼あたりで大きな地震があった模様。私の実家は宮城県である。 当然のように電話はつながらない。たぶん大丈夫だろう。と言い聞かせる。 何年か前の宮城県の内陸地震。栗原市などの山間部は大きな被害を受けたが、名取市の海岸側にあるわが実家ではほとんど揺れなかった。地盤が固いのだと母が笑っていた。 私が経験した大きい地震は1978年の宮城沖地震。バスに乗っていて、立っていられないほどの揺れを感じた。それが地震だとわかったのは、バスの外の光景からである。その時も築50年のわが家は何ともなかったが、地面に亀裂が入った恐ろしさ、停電になって信号も消えてしまった仙台市の中心部をバスで通り抜けた恐怖感はよく覚えている。大学の書棚の本が全部落ちてきて後片付けが大変だったと、地震発生時大学の研究室にいた夫がよく回想している。 その宮城県沖地震から30年以内に99%の確率でM7・5前後の「宮城県沖地震」が起きると予想されている。震源地から考えるに、それとは別物という予想がされているようだが、今回は津波の心配がある。 何度かけても電話はつながらない。まさかとは思うが、災害は常に理不尽なものである。ブログで被害の報告をするなどということのないようにと祈るばかりである。
2011年03月11日
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イ・ビョンホンが好きである。ファンになったのは、韓国ドラマ「美しき日々」がきっかけだった。以来、イ・ビョンホンの映画・ドラマといえば、ともかく見逃さないようにチェックしている。 そしてつい昨日、現在上映中の「悪魔を見た」が彼の主演ドラマであることを知った。「えっ、そんな!知らなかった!さっそく観に行かなくっちゃ」と思ったのは言うまでもない。 しかし、ちょっとネットで前情報をと思ったら、これがなかなかの映画のようである。 解説によると、「愛する婚約者を悪魔のような殺人鬼に殺された男が、地獄の苦しみを味わわせるべく冷酷かつ壮絶な復讐に乗り出したことでエスカレートしていく2人の報復合戦の行方を、迫真の演技と緊迫感あふれる映像で描き出していく」というようなものらしい。 もちろん、恋人を殺されて復讐に燃える男がビョンホンである。監督は「甘い人生」のキム・ジウン。 ここで当然迷う私。イ・ビョンホンは観たいけれど、体調がいまいちすぐれない状態ではとても耐えられそうもない。 さらに検索してみると「これはヒューマンドラマである」という批評もあるが、「韓国じゃないと描けないと思われるバイオレンスなサイコスリラー」などという感想が目につく。 あきらめる方がいいかも。ロマンチックな恋愛ものが好きで、ホラーや暴力的なものは遠慮したい私にとっては、「甘い人生」がぎりぎりのところだった。「明日のジョー」もボクシングシーンを想像してしまうと、結局観に行く気力が出なかった。 上映期間内に、「よっしゃ!行くぞ」と思えるほど体調が回復できればいいのだけれど。 せめてポスターを眺めてみますか。韓国版のポスターの方が素敵なのはどうして?!
2011年03月10日
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だいぶ前のことであるが、ラジオを聴いていたら「生まれたのは偶然、死ぬのは必然、でもその間どう生きるのかは本人の自由」という意味のことが耳に飛び込んできた。例によって運転中のことなので、どんな文脈でどんな方が言われたのかはわからない。 なるほど!うまいことを言うなと妙に感心した。感心したわりにはそれきり忘れていたのであるが、今このブログを書こうとして突然思い出した。 じつは今日は「選択」ということについて書いてみようと思っていたのである。「人生は選択の連続である。」これももともとは誰かの言葉を耳にしたものであるかもしれない。でもなんだかなあ、ほんとにそうかなあと思う気持ちもある。 たとえばいつもいる居間。白い壁にはカレンダーと子どもたちの写真以外何もかかっていない。私の気持ちの中ではそうなのであるが、どういうわけか柱のわきにお札が画鋲でとめてあったりする。夫の仕業であるが、それをよしとしているのは確かに私。ここで夫婦げんかするわけにはいかない。炬燵をかけたのも私、炬燵布団は私が選んだものである。でも、全部が全部選択的であるかというと決してそうではない。大体がこの家にしてからが経済的物理的な枠が初めにあって、その中で選択したに過ぎない。 そんなことをつらつら思っていたら、川上未映子『世界クッキー』という随筆の中にその名も「選択」というタイトルの文章があって、次のようなことが書いてあった。 「日々の細かな選択も込みにした人生のケースはもしかしたらすでに無数に決まってあって、そこに偶然、それぞれの意識というか魂というか、そんなものがすこんと配属されたに過ぎないような、そんなことを想像しては日々のすべてがなんというか『無駄な抵抗』であるような気もしなくもなかったりして」「結婚も、仕事も、何であっても『わたしが完璧に選択した!』というほど選択的ではないのかも。」 生まれてから死ぬまでは自由だといっても、また人生は選択の連続であるとはいっても、実は選択させられている、あるいは単に選択したと思わせられているだけではないか。このような思念が、このところ時々というかかなり頻繁に私を捉えている。 といって、それで生き方が変わるわけでも、また「選択」に意識的になるわけでもないのだけれど…
2011年03月09日
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今年度の成績を出すために出勤した。ある意味一番大事な仕事である。それにもかかわらず、今日の分は仕事とはみなされない。ありのままに言うと、一円の収入にもならない。 この理不尽さよ。非常勤講師、わかりやすく言えば時間講師の定めである。 といっても、今年度は同じ授業を担当するもう一人の教諭と組んでの仕事であったので、実際的な仕事はその先生がやってくださった。それでも、どのようにして一年間の成績を出すか、課題の評価をどうするか、確認や相談は一度ならず行わなければならない。特に今回は学年末考査を受けなかった生徒の扱いが焦点であった。 実際のところ、いちいち収入というか賃金を考えて仕事をしているわけではないから、ガソリン代も出ないということを、とりたてて嘆いたり憤慨したりすることはほとんどない。だがこうやって振り返ってみると、「なんかなあ」と思ったりしてしまう。これは人間が小さいからか、度量が狭いからか。 授業や課題の選択から始まって、定期考査を含めた試験の作問・採点、課題の評価そして成績を出すところまで、場合によっては、つまり担当が私一人だった場合には全部一人でやらなければならない。それに比べると今回は仕事としては負担が軽いし楽だったということになる。 だが、だが、やはりちょっとつまらないという思いが残る。全部を一人で責任をもってやらせてもらい、かつそれを仕事としてきっちり評価してもらうというのが理想なのであるが、現在の制度では願うべくもない。 官製ワーキングプアという言葉があるが、非常勤講師などというのもその最たるものであろう。まあ、ずっと非常勤講師でいる人は、私のように(夫がいたりして)生活がかかっていない人がほとんどなのであろうが、これで夫に何かあった場合には即刻生活難に陥ることになる。 やっぱり少しおかしい。そう思う。そして、そのうえで願う。 来年度も仕事をさせてください!
2011年03月08日
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年度末の大仕事は本棚の整理である。今のところまだ全然手を付けてはいないが、これは楽しみでもあり、またなかなか厄介でもある。 本だけなら楽しいだけなのであるが、書類やプリント類の整理には頭を悩ませる。 実は、本にしろ衣類にしろあるいは食器類や調理道具にしろ、書類以外のものならどこに何がしまってあるのかはほとんど把握している。押し入れの中だって結構きちんと整理してある。 ところが、書類というか本以外の紙類に至ってはどうもこうもならない。おまけにこれがたくさんある。仕事関係はもちろん、市民活動に関するもの、子どもの本に関するもの、ボランティアグループの活動に関するもの、そしてそれらみんなひっくるめていつか役に立ちそうな新聞や雑誌の切り抜き。これらの整理がままならない。 先日も、行政に提出する一年間の活動報告をまとめようと思ってその書類を探すのに手間取った。およそ2時間、あきらめかけてひょいと本棚の端っこをみたらそこにあった。そうだった!暮れの大掃除(大したことはしていないが)の時にほかのものと紛れてしまわないようにと、すぐに手の届くところに移しておいたのだった。すっかり失念して、その前に置いてあった場所とその近辺ばかりをを探していたのだ。 大体忘れっぽいのは今に始まったことではない。家の鍵、携帯電話、免許証、財布…毎日必要なこれらのものだって、出かけるたびにどれだけ探すことやら。 全く、探し物に時間を費やしてどれだけ時間を浪費しているやら。このままでは一生を探し物に費やすことになるではないかと自己嫌悪に陥る。それでも自分探しだけはしたくないぞと思うのだが。気持ち悪いでしょ。10代の子どもじゃあるまいし。
2011年03月06日
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今日もマイナスの寒いあさ。でも日中は日差しが降り注ぎ確かに春が近づいていることが感じられるそんな一日だった。 冬の間閑散としていた文庫は開始直後から大賑わい。昔なじみのWさんが久しぶりに顔を見せてくれたが、十分話をする暇もないほどである。 でもそんな中に、ちょっとさびしい話もちらほら。文庫のあるのは転勤の多い国家公務員宿舎の片隅である。毎年、少なくない人数が転勤し、文庫の子どもたちの何人かが去っていく。 久しぶりに来てくれたGさん兄弟、お姉ちゃんのNちゃんが「今日は借りられないの。引っ越すから」と言いながら本を返してくれた。 弟のIくんは、読み聞かせした何冊かを抱えて「これ!」と借りたそうにしていたが、引っ越しは4月初めとのこと。でももう段ボールに詰めるなどの準備をしているそうで、お姉ちゃんがきつく「駄目だよ」と言い聞かせてあきらめさせる。 実はこれまでに引っ越し荷物の中に入れられて転勤先までお供した本も何冊かある。そのうちの何冊かはそのまま戻ってこなかった。そんなことは大したことではないが、少しでも片付けたいおうちの方のことを考えると、むやみに貸すこともできない。 心残りがあるような感じで帰るIくんとNちゃんの背中に、また来週も遊びに来てねと声をかた。文庫でならいくらでも本を読んでいいからね。たくさん読んであげるからね、と。 こうして23年の間に何人もの子どもや家族を見送ってきた。国家公務員の宿命とはいえ、子どもにはやはりかわいそうだと思う。そうして、子どもがある程度大きくなると今度は父親が単身赴任することになる。転勤って本当に必要なのだろうか? なんだかずいぶん無駄使いをしているようにも思うのだが。いや、これで潤う業種もあるのだから日本全体の経済のためにはいいのかも???
2011年03月05日
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先日、思い切って衣類の整理を行ったことはこのブログにも書いたとおりである。ところが、それには思いがけない後日談があった。 というのはほかでもない昨日の卒業式にもかかわりがある。 卒業式の服装といえばやはり礼服である。最近は保護者の方で礼服を着る人はほとんどいないが、教師は礼服に限られる。大学生には定番の袴スタイルは、3年生の担任だけというのも暗黙のルールである。 私は、この何年かは喪服のブラックフォーマルとは別に卒業式用のスーツを着用していた。ほとんど黒といってもいいほどではあるが、織模様があり、真っ黒ではない。卒業式の前の日の夕方、アクセサリーも含めて一式を準備しておこうと思って洋服ダンスを開けた。 ところが、着ようと思っていたそのスーツのスカートがない。上着と一緒にしていたはずだが、どう探してもない。これこれ!と思ったものを出してよく見れば、単品の黒のロングスカートだった。はて? これは先日リサイクルショップに持って行ったはずだが… 「もしかして?」 いや、もしかしなくても、単品のスカートと思ってリサイクルショップに出したのは、間違いなくスーツのスカートだった! 和室の暗い照明の下では、区別がつかないくらいである。あの時よく確かめなかった。店でも、あの黒のロングスカートは確認しなかった。 一瞬真っ青になったのは言うまでもない。あれから2週間経っている。もうないかもしれない。いや、しかしまだ売れ残っているかも。 ためらっている暇もない。急いでリサイクルショップに駆け付けた。 一緒に出した夏物のスカートはまだ売れずにすぐに見つかった。だが、それと一緒に出した冬物のスカートは2枚とも売り場にはない。そして、処分するつもりのなかったスーツのスカートも? ない。売れてしまったか。 あきらめかねて、もう一度丁寧に一枚ずつ見て行って…あった!よかった!今度は間違いない。「ドノバン」というブランド名が確かについている。 というわけで、自分で持ち込んだスカートを自分で買いなおすというドジな話である。 売値はいくらかって? それは内緒にしておきましょう。
2011年03月04日
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3月3日 木曜日 朝方は雪、そして今も霙交じりの雪が降る悪天候である。だが、ちょうど卒業式の始まる1時間ほど前から日が差して、卒業式にふさわしい日和となった。卒業式は雪、というのが富山では当たり前のようにもなっているが、やはり晴天がいい。青い空が見える、それだけで卒業生の未来が祝福されているように思える。卒業式は、厳粛というよりとても簡素でさわやかだった。「今年は泣く子がいないわね」と隣に座った先生が小声でささやく。そう、たぶんそれは答辞を読んだのが男子生徒だったからだろうと思う。しかも全国大会にも出た運動部の生徒である。湿っぽくなるはずがない。卒業式のクライマックスはやはり卒業生代表の答辞である。このところ、私が勤務する学校では女子生徒が答辞を読むことが多かった。途中で声を詰まらせながらの答辞は、いかにも卒業式らしい。他の生徒や教職員も涙を誘われる。でも、今日のように湿っぽさのこれっぽっちもない卒業式もさわやかでよかった。まだ進路の決まっていない生徒も多い。国立大学の合格発表まで後3、4日。卒業生の前途に幸あれと心から願う。
2011年03月03日
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今年度最後のおはなし会。今日は保護者の方も3名見えていて緊張する。 最後のおはなし会に選んだのは、日本の昔話からは「ねずみじょうど」、そしてグリム童話の「七わのからす」である。 10回目で最後のおはなし会というのが子どもたちにも何らかの感慨をもたらしているのだろうか、今までになく集中してよく聞いてくれた。特に「七わのからす」は難しいかなと思いながらの挑戦であった。実は、もう7、8年以上前に幼稚園で語ったことがあるきりで、この頃はどこでも語っていなかった。 少しゆっくり目に語ったが、途中でだれることなくちゃんと聞いてくれた。不思議な世界がそれなりには伝わったのであろうと思うとうれしい。 絵本はよく読み聞かせで使う『よかったねネッドくん』(チャーリップ)と久方ぶりに読む『いつかはきっと』 (シャーロット・ゾロトフ)。これもいつもよりも静かによく聞いてくれた。最後だと思ったからか、あるいは保護者の方がいたからかちょっと遠慮気味な反応であった。 『いつかはきっと』は、だれでも持っているであろう「こうなったらいいな」という願い、たとえば長い髪、一人前の女性として扱われること…などが次々に描かれる。いつかきっとこうなるという具体的なテキストに、子どもたちも、そして保護者や先生も共感してくれたように思う。これから小学校に入る子どもたちに素敵な未来があるようにとの願いを込めて読み聞かせた。 保護者の方たちに聞いてもらうというのは緊張感もあったが、終わってからすぐに「また来年度もお願いします」との言葉をいただいた。よかった! そして、子どもたちからは手紙と折り紙で作ったコマなどのプレゼントをもらった。手紙に書かれていたのは、それぞれの子どもが好きなおはなし。「ホットケーキ」「三びきの子ブタ」「ひなどりとねこ」・・・どれもよく聞いてくれた。また、頑張ろう!という力が湧いてくるおはなし会となった。
2011年03月02日
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