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猫日記に始まったこのブログ、クロの最期まで書いたところで、やっぱりもう閉じようと思う。 なんというか、気力がなくなってしまった。 それに、わざわざ何を発信しようというのか、日記がわりにはなると思うし、考えをまとめたりするのにもいいとは思うが、ネットで不特定多数に読んでもらうほどのことはないように思えていたところでもある。 今まで読んでくださった方、今度こそ終わりです。ありがとうございました。
2011年10月23日
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夫は、「定命」という言葉を口にする。しかし、それにしては15歳のクロの死は急すぎる。 腎臓が悪いことは十分考えられたのに、そのことに全然気が付かなかった自分が責められてならない。 大分前から2階に行くこともせず、10月初めころからは、私が起きてもまだ寝ているような状態だったのに、年だからで片づけていた。 目に見えて弱ったのは10日の夕方、久しぶりの外出から戻ってきてからである。 11日はとうとう何も食べず、無理やり食べさせようとしてもダメだった。でも、死ぬほどだとは思いもせず、夕飯の後は夫と二人でたくさんの栗の皮を剥くことに専念していた。その夜は、いつもの布団に寝せてやっても、北の間や玄関に移動してうずくまっていた。「布団の上で寝ていればいいのに、何やってんのよ」と声をかけながら特に何も考えていなかった。 9時ごろ、クロが吐いたというのに、片づけを夫任せにして私は見てやりもしなかった。 私が布団に入る11時ころ、玄関の土間に横になっていた。抱き上げた時には、とても力がない状態で軽かった。 あの時もうすでに死はそこまで迫っていたのであろう。 私の脚のあたりの布団の上に乗せてやって1時間ほどのち、大きく吐いたのである。といっても、ほとんど何も食べていなかったので、白い粘液性のものだけであるが。 それから気になって無理やり水を飲ませたりしたが、ろくに飲まなかったようだ。ボールに入れた水の中に、クロの息がぶくぶくと泡をたてていたのを覚えている。 その間も目をずっと開けたままで、その目に光がなくてどんよりしているのを不思議に思いながら、それでもまだ死んでしまうなんて考えもしなかった。 隣に腕枕をするように横たえて、何度もしゃっくりのような感じで吐くのをふき取ってあげながら、それがとても臭いので、やっぱり何か悪いものを口にしたのかなと思っていた。 「朝になったらお医者さんに行こうね」と、自分に言い聞かせるように繰り返していた。 それなのに間もなく大きく痙攣して、それが最後だった。 えっと思いながら、そこで初めて夫を呼んだのである。 夫は見るなり「こりゃ、死んでるな。」と言う。目を見て、「やっぱり死んでる」と。 すぐに硬直が始まって、夫が目を閉じてあげようとしてもなかなか閉じなくて、でもいつの間にか眠っているかのような穏やかな表情になっていた。楽になれたのだろう。 それから初めは夫の言うようにバスタオルにくるんで、それから私の寝ていたまだ新しい白いシーツにくるみ直して、布団の横に寝かせたまま、まだ信じられない思いで朝を迎えたのである。 猫だけではなく、こんなふうに誰かの最期をみとったのは初めてだった。
2011年10月20日
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クロがなぜ死んだのか?実はよくわかっていない。 直前まで、まさか死んでしまうなどとは少しも思わなかった。10日の午後日向ぼっこをした後、2,3時間行方不明になっていた。クロを外に出すときは、必ず一緒に付いていくのがこの3年ほどの習慣であった。 あの日、「みゃあみゃあ」という鳴き声に、てっきり家に入りたいのだろうと思って放っておいたのである。この何日かは外へ出ることもなかったから、まさか家の敷地から外へ出るとは思わなかった。 夕方帰ってきたときに、ずいぶんよろよろしていた。夫は、何か毒でも食べてきたのではないかと疑っていたほどである。餌も何を上げても食べようとしなかった。クロが餌を食べたのは、その10日の朝が最後である。 そして、11日も朝から何も食べずに寝てばかりいた。排尿も朝ほんの少ししたばかり。 昨日そんな話をしていたら、やはり猫を飼っている司書のYさんが腎臓が悪かったのではないかと言う。 腎臓?雄猫は尿管が狭いので、おしっこが出なくなり、あっというまに新でしまうという。 そう言われれば、思い当たることがやまほどある。クロの好物はまず海苔、それから魚は鮭や鯵、もちろん煮干しも好きである。朝ご飯のときなど、必ず夫が少しだけれども食べさせていた。 夫だけではない。私もクロが餌をあまり食べようとしないときなどについつい煮干しをやってしまったりしていた。「人間の食べ物は猫にはしょっぱすぎるんだよ」と言いながら。 この夏、以前にもましてよく水を飲むなあと思うことがたびたびあった。私たちの気づかないうちに、クロの小さな腎臓はやられていたのであろう。 可愛がっていたのは嘘ではない。しかし、もしかしたら間違った可愛がり方、飼い方をしていたのかもしれない。そう思うと、クロは私たちのエゴによって死んでしまったということになるのであろうか。今さら悔いてもどうしようもないのだけれど・・・
2011年10月19日
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クロの写真はアルバム2冊ほどにもなる。 10月10日午後1時23分。久しぶりに駐車場で日向ぼっこをしている写真が最後になってしまった。 そんなことになるとはつゆ知らず、カメラに収めたのである。 いかにもおじいさんという感じではあるが、2日も経たないうちに死んでしまうような猫だとはだれが思うだろうか。
2011年10月18日
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クロを埋葬したのは、10月14日金曜日。 4時ごろ到着。すぐに義父が「どこに埋める?」と聞いてきた。「畑というよりもできれば庭に。家に近いところ」というのが私の希望である。 結局義父の意見に従って、家のすぐ横の柿の木と梅の木の間に埋葬することにした。西側は広いブドウ畑である。 夫と二人でクロを十分横たえることができるように、広く深い穴を掘る。 西方浄土をのぞむことができるように、西側を向かせて寝せてやる。「寝ているときとおんなじ顔をして」と夫が言う。 爪とぎと夫が途中で買ってきた6Pチーズを2つばかり一緒に入れてやった。 「こんなに手厚く葬ってもらって、幸せな猫だ」という義父に頼んで般若心経を上げてもらった。義父は在家僧侶である。迷わずにあちらの世界に行けることだろう。 義父が見つけてきた石をたてて夫が積んできた花を供え、お線香をあげるとすっかり墓らしくなった。 これならいつ子どもたちが来てもお参りすることができるだろう。 クロは、あのまま今もこれからもずっとあそこに眠っている。そう思うことが心の慰めである。
2011年10月17日
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もうこのブログは止めようと思っていたのだが、クロのこと、クロにまつわることを書き記しておこうと思う。 「さて、どうする?」 クロの死を確認した直後に夫が真っ先に口にしたのは、クロの遺骸をどうするかということであったらしい。 私は動転していたので、はたして夫が何のことを言っているのかすぐには判然としなかった。 長野の畑に埋めるーそれは先から決まっていたことのようだ。夫は、重大な決断をするにあたって、人に相談するということをしない。口に出したときには、もうすでに決定しているのである。 だから、「どうする?」というのは、いつ長野に行けるか、それまでどうするかということであった。クロが死んだのは、火曜日から水曜日に日が変わって間もなく。夫が休みをとれるのは、早くて金曜日。それまでの2,3日、クロの遺骸をどうするかということであった。 クロが死んだのは私の布団の上。とりあえずバスタオルにくるんでから、シーツを替えようとして、その白いまだ新しいシーツにくるむ方がいいような気がして、折りたたんだシーツにクロを包んだ。 そのまま隣に横たえた私を見て、「いいのか?」と夫。「いいよ」と答えて、朝まで隣に寝かせておいた。 段々体が硬く冷たくなっていく。夫が閉じてあげようとしてもなかなか閉じなかった瞼もいつの間にか閉ざされて、まるで眠っているかのような穏やかな表情になっていた。 翌朝、シーツにくるんだまま段ボールに入れ、保冷剤をつめて床の間の前に安置した。小さな仏様を据え、灯明をつけ、御供物を上げると、祭壇らしくなった。 夫が般若心経を唱える後ろで、手を合わせる。 「ありがとう。」 「ごめんね」。 本当に、弱っていたのは十分知っていたはずなのに、まさかこんなに早く死んでしまうとは、どうして少しも思わなかったのだろう。 それから水曜日と木曜日の2日間は、灯明をつけ、御線香をあげ、保冷剤を取り換えながら一人でクロの通夜をした。 「いいのか?」とまた夫がいぶかるのが、私には変に思われた。 埋葬が済んだ今、もうこの家のどこにもクロがいないのがさびしくてならない。
2011年10月16日
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10月12日午前1時 愛猫のクロが死亡しました。 享年15 心の準備ができていませんでした。 このブログもまた何か綴ることができるでしょうか。 今はわかりません。
2011年10月12日
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夫が実家の長野から秋の味覚を車のトランクいっぱいに積み込んできた。 リンゴ、巨峰、栗・・・どれも義父の丹精したもの、見事なものである。 畑でとれたじゃがいも、なす、ミニトマト、いんげん、大根、かぶetc・・・ そして、どういうわけか直販所で買ったらしいピーマン、きゅうり、長芋、えのきetc・・・どれもみんな、スーパーにはないような大袋入り。 冷蔵庫にはもちろん入りきらない。夫婦二人の胃袋にも多すぎる。半分くらいはご近所に配って食べてもらうことになる。 どうやら義母には、息子がまだ18、19の食べ盛りの頃と変わらないように思えるらしい。決して惚けているわけではないのだが。 向こうの冷蔵庫の中をさらってきたのではないかというような食品まである。 ありがたいやら、戸惑うやら・・・トホホ こんなことを書いている私は、罰当たりな嫁ということになるのでしょうね。
2011年10月10日
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久しぶりに自転車で街へ出かけた。といっても、行先はいつもの図書館、いつものデパートであるが、車で行くときとはルートが違う。 なんだかとても新鮮だった。工事中の現場の前を通ったとき、係りの人が「自転車が通ります!」と大きな声で工事関係者に知らせていたのが、変に楽しい気分である。 「自転車が通ります!」と自分でも言いながら走っていったら、後ろの方で笑い声が聞こえた。 予約していた本を1冊借りて、大竹しのぶが主演する「ピアフ」のチケットを手に入れて、とってもルンルン気分でデパートへ。 秋物のジャケットやワンピースがいろいろ出ていて目移りがする。好きなお店に、ちょうど好みのジャケットが出ていた。2万9000円也。「いけない、いけない。この秋はジャケットはあるので間に合わせよう。」と自分に言い聞かせて6階へ。 「靴とバッグのフェア」をやっている。バッグもこの前衝動買いしてしまったから、今日は用がない。靴も昨年おしゃれ用のうんと素敵なのを買ったばかりだが、今日の目的は普段ばきの歩きやすくかつ値段も安いウオーキングシューズ。 私の靴のサイズは22cm。デザインはあまり選びようがない。それでも何とか4,5種類がそろっていた。デザインには目をつぶって、ひたすら足に合って歩きやすいのを選ぶ。 それ以外無駄遣いをしなかった自分をほめて、帰りには宝くじを買ってしまった! それで帰ればよかったのだけれど、なんか宝くじが当たりそうな気がして、前祝(?)にいつも行くお店で2万円のジャケットを買ってしまった! これってどうなんだろう??!
2011年10月09日
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今朝、携帯に着信があった。見ると実家の母である。何事か!と驚いて受話器をとった。 別段変わったこともないのであるが、家の電話にかけたけれど誰も出なかったから携帯にかけてみたとのこと。 母が私の携帯にかけてきたのはもしかしたら初めてではないかと思う。 そして、気が付いた。一番身近にいるのに一度も私の携帯にかけてきたことのない人間がいる。 夫である。私が携帯を持ってからもう13年になるが、見事に一度もかけてきたことがない。 その夫は、携帯初心者。一年ばかり前に初めて携帯電話なるものを持った。 勤務先には専用の電話があるし、あちらこちらに出かける人ではないから携帯はほとんど必要なかった。それが持つ気になったのは、長野の実家の生き返りに「あわや!」と思うようなことがあったかららしい。 ただ夫の場合は持っていれば安心という状態で、ほとんど使用しないのではないかと思う。私からのメールに2日以上経ってから気が付くしまつである。 この前は、「着信があったらしいが誰からのものかを見るのはどうすればいいのか」と尋ねてくる。あきれながら、「説明書をみなさいよ」と嫌味を言ってしまった。 でも、それくらいでいいのかもしれない。スーパーで買い物をしながら、携帯で家族に何がいいか聞いたりしている人をたまに見かけるが、あんなふうにだけはなりたくないと思うのである。
2011年10月08日
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朝夕クロと散歩するのがここ何年かの私の日課だったが、このところとんと暇になった。 理由は、クロの老化? ともかく寝てばかりいる。 夏の間は朝5時にはうるさく起こされていたのだが、今朝などは私が布団から出てもまだ寝ていた。 あんなに外に出たがっていたのに、この頃はドアを開けてやっても見向きもしない。 最後に日向ぼっこをしたのは、いつだったろうか?この3、4日は雨模様だから当然として、こんなに外に出ないなんてことは今までにはなかった。 食欲もあまりない。キャットフードの好き嫌いが激しくて、安いのは匂いを嗅いだだけではなっから食べようとはしない。これなら食べるのかと思っても、ちょっと同じものが続くとまた食べなくなるという状態が続いている。 贅沢なとは思うけれども、やせて骨が手に触るような状態なので、何とか食べさせたいといろいろ試している。 本当にお腹がすけばどんなのでも食べるのだろうと夫はいうけれども、それでは少なすぎて心配なのである。 何とか長生きしてほしい。今はそれだけを念じている。
2011年10月07日
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スポーツクラブ主催の紅葉狩り。行先は白山スーパー林道。 予想通り紅葉狩りにはちょっと早かった。1300m付近で、ようやく紅葉がちらほら見られた程度。それでも、午前中は雨もたいしたことはなかったので、まあまあのバスハイクであった。 昨年は上高地行き。スポーツクラブの旅行らしく、バスの中での体操や散策というよりはウォーキングが楽しかった。今年もと期待したのであったが、ひたすらバスの中。山菜釜飯の昼食と海浜温泉はまあまあ良かったが、ちょっと物足りないバス旅行であった。 ところで、昨日のバスは観光バスではなく、なんとスポーツクラブの黄色いスクールバス。その目立つこと!駐車場で迷わなかったのはいいけれど、ちょっとね。来年は参加も考え物かも。
2011年10月06日
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ここ2,3日の好天を生かして夏物を片付け秋冬ものに入れ替えた。こうして衣替えをしながらたびたび自己反省することになる。 今年一度も袖を通すことのなかったTシャツやブラウス、スーツが何枚かある。そしてまた、あるのをすっかり忘れていたようなものもちらほら。 「3年続けて着なかったものは処分すべし!」と自分に言い聞かせたりしているが、そうもいかない。ひところはせっせとリサイクルショップに持っていったりしているが、高値とまではいかなくても何百円かで買い取ってもらえることも少なく、それもなんだかわびしいような気がする。いっそ思い切って処分した方がいいのではないかとこのころは思っている。 要するに買いすぎるのである。見ればほしくなるので、なるべく衣料品店には近づかないようにしている。なんて、そんなことは一月も続けばいい方かも。しばらく洋服を買っていないと、次の機会には2,3枚まとめ買いしてしまったりするから、結局は同じことかも。 思えば、子どもの頃私が一番好きだった遊びは着せ替え人形である。リカちゃん人形はまだなかったし、あったとしてもそんなものは買ってもらえなかっただろう。だから、私の着せ替え人形は紙製である。紙で作った八頭身美人に、やはり紙でつくったオリジナルデザインの洋服を着せ替えて飽きることがなかった。 あいにく容姿端麗とはいかずまたお金もないので、大した洋服を持っているわけではないが、それでも新しい洋服を買ったり、手持ちのものと組み合わせておしゃれを考えたりするのは楽しい。 この秋は衝動買いだけはすまいと言い聞かせながら、明日のバスハイクには何を着ていこうかなと思案中である。 もしもスタイルのいい美人に生まれていたら、女優かモデルにでもなっていたかもしれない。
2011年10月04日
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一昨日の日曜日、珍しく夫と二人で出かけた。行先は近代美術館。先月からやっている企画展「東山魁夷 杉山寧 高山辰雄 日本画の巨匠三山展」が目的である。 夫の観方はとてもはっきりしている。興味のあるのはじっくりと、それほどでもないのはサーッと一瞥をくれるだけ。 なるほどね。 私の場合は、好きなものは丁寧に観るけれど、せっかくだから全部ちゃんと観ようなどと思ってしまう。 そのせいかどうか、すっかり疲れてしまった。名画にあてられたというのだろうか。時間にすればたかだか1時間半くらいのことなのだが、生も根も尽き果てたという感じ。 美術館では時々こういうことがある。まともに鑑賞しすぎるのかもしれない。 家電ショップにも行くはずだったのだけれど、その元気もなくて帰ってきてしまった。 ところで、3画伯ともとても長生きである。70歳以降も海外まで取材旅行に行ったり、旺盛な創作ぶりがうかがわれる。夫は「ものの見方が成熟してくるからいい作品が多いんだろう」と言う。 いい作品かどうかという前に、私は3人の健康の秘訣が気になる。創作意欲が旺盛だからだろうか。
2011年10月03日
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10月になったとたん、もう寒いとしか言いようがない。 今日は、とうとう炬燵を出してしまった。クロがさっそく入ろうとするのがおかしい。 本当に猫って寒がり屋。昨晩はほとんど私の布団の中だった。 炬燵を出すと8畳の部屋が狭くなっていけないけれど、夫婦二人になってからは年のうちの半分は炬燵ライフになってしまっている。 これではまるで年寄夫婦!と言いながら背に腹は代えられない。というほどのものでもないか? 入れ替えのように扇風機をしまう。やれやれ、ついこの前まで夏のような気候だったのに、なんてあわただしいこと。 季節によって暮らし方を変える、季節に合わせて生きる。それはとても大切なこと。扇風機や夏服を出しっぱなしにしておくなどということはしたくないと思う。 こんなとき、クーニーの『にぐるまひいて』(ほるぷ出版)を思い出す。スロー・ライフの原点のような本。「暮らすって、こんなにシンプルでいいんだ!」と感動さえ覚える。 でも、とても無理とため息をつく自分がいるのも本当なのだけれど。
2011年10月02日
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玄関前の金木犀がいいにおいを放っている。花が咲きだすより先にその香りが主張する。 この家を買ったのは16年前の秋である。夫と一緒に初めて家を見に来たとき、金木犀が満開だった。 もう少し時期がずれていたら、つまり金木犀の花の時期でなかったならば、もしかしたらこの家を買うことはなかったかもしれない。 家を見つけたのは私。家さがしなど、どうすればよいかもわからないでいた。住むならこの辺がいいなあと思いながら自転車で走っていて、たまたま「売家」の看板を見つけたのである。業者に連絡してともかく一度中を見せてもらおうと夫と訪れた 大きな買い物ほど迷わない夫であるが、まさか見に来たその日に即決するとは思わなかった。業者も驚いていたように思う。 何が決め手だったのかはいまもってわからない。だが、たぶん金木犀の香りにつられたのではないかとひそかに思っている。
2011年10月01日
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1年生の現代文、やる気のない生徒たちを相手にして、私までがやる気をなくすところであった。 気づかせてくれたのは、数学のK先生。韓国語の習得にも励んでいるK先生は、もちろんのことながら本業の数学の授業でも創意工夫を怠らない。 1時間目の終了後、図書室でK先生と話をしていてハッと思うところがあった。 授業、特に現代文の授業は生ものである。生徒の発言を引き出しながら、その時によっていろいろなルートを辿りながら着地すべきところに着地させる。だから、反応がない生徒を相手にするのは面白くもないし、つらいものがある。 しかし、反応があろうとなかろうと、教師がすべきことが大きく変わるはずはない。また、反応がなくても、それでやる気がないとも決めつけられない。ここひと月ほど、そんなことを見失っていたように思う。 教師が熱を失っていたら、生徒もますますやる気をなくすだけだろう。怒っても嘆いても、疲れるだけでなにも変わらない。 目の前の生徒をよく見ること、迎合するのではなく彼らが求めている以上のものを、あるいは求めていなくても必要としているはずのものをきちんと与えること、そして熱を失わずに根気よく教えていくこと。 反省すべきは、自分自身だった。批判されなければならないのも、また教師自身である。
2011年09月30日
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初めてのM保育園でのおはなし会。たぶん、一度きりの出会いである。 年長さん35人、畳の上に行儀よく正座して待っていてくれた。「お行儀がいいのね。」と褒めてから三角座りになってもらった。なんだか緊張した面持ちである。 ストーリーテリングは、どうやら初めてのよう。ろうそくをつけたりすることにもっとざわめくかと思ったが、そうでもない。 まず手遊びどんぐりどんぐりこーろころから始める。これでぐっと緊張感がとれたようだ。 今日のプログラムは 「さるとかに」「アナンシと五」のおはなし2つに、絵本が2冊。絵本は園長先生に確認して、『くだものなんだ』と『カボチャありがとう』にした。『カボチャ~』と組み合わせるには『やさいのおなか』の方がいいかと思っていたのだが、「それはあります」とのことだった。 初めの「さるとかに」は、2列目の子どもたちまではよく聞いてくれるなという印象だった。知的障害児が一人入っている。先生が付きっきりで、私のことばを繰り返して絵をかいて教えていてくれているらしい。その先生の声がついつい気になってしまって、間違えるのではないかといつも以上に緊張を強いられた。でも、その子は最後まで教室を出ることなく聞いていてくれた。先生の指導のたまものであろう。 「アナンシと五」は、「魔女」という言葉にまず興味津々といった様子で、全体的に笑顔が見られた。園長先生も後から「面白い話ですね。」とおっしゃってくれたからまあまあというところだろう。一度こっきりのところでのおはなし会はやはり難しい。 『くだものなんだ』(きうちかつ 福音館書店)は、よく読む本。「びわ」や「バナナ」はわかりにくかったようだ。 『カボチャありがとう』(架空社)は、実は保育園で読むのは初めてである。木葉井悦子の独特で力強い絵柄が特徴的である。 どんな反応があるかと思ったら、「かわいそう」という声が何度か聞こえた。 カボチャが食べられてしまうのが「かわいそう」だということらしい。なるほど、絵本の中の歩いているカボチャは、食卓に上るカボチャとは別のものに思えるのだろう。種だけになってしまって、土の中で眠る場面は静かに受け止めてくれていた。また、読んでみたいと思わせられた本であった。
2011年09月29日
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娘夫婦がシアトルへ旅立ってちょうど3カ月。9カ月の滞在予定である。 お腹が弱かったりといろいろ気がかりなことの多い娘である。当初は、私もすぐにでも向こうへ行くつもりであった。 ところが、ところが、この夏の忙しかったこと!イチローの試合を観たいねと言っていたのに、9月ももう過ぎようとしている。 気になる娘はといえば、心配したほどのこともなく、極めて健康に、アクティブにアメリカ生活を楽しんでいるようだ。シアトルに住んでいる姪(娘にとっては従妹)とも仲良く付き合っているようで、特にさびしい思いもしていないらしい。 そうなると、なんだかわざわざ行かなくてもいいような気になってきた。 なんていうのは半分言い訳。仕事があって、なかなかまとまった日程が取れないことは事実だが、それ以上に一人で海外へ行くのがおっくうというか、怖くてならない。 飛行機に乗ってしまえばそれまでとは思うものの、羽田から成田への乗り継ぎが心配である。誰か一緒にと思っても、夫は全くその気はないし、息子たちにも振られた。 あーあ!車の運転を始めたときも、自分の臆病ぶりにあきれたけれども、年をとっても変わらない。 これからの2、30年、一人で海外旅行くらいばんばんできるようになりたいというのが本音でもあるのだけれど…
2011年09月28日
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クロを見ていると、つくづく猫という生き物の造形の妙やかわいらしさに魅了される。そして、なんと温度の変化に敏感なことよと驚かされたりもするのである。 夏の間は当然のように涼しいところを探しては寝そべっている。クロの寝ているところが一番涼しい。もっとも、この夏はここは暑くないのというようなところに寝ていることも多かったのだが。やはり年齢のせいだろうか。 このところのクロの寝場所は写真のとおり。薄い夏掛け布団の上である。朝、ちょっと片づけを怠っていたら、すっかりクロの寝場所になっていた。私の夜の布団としてはもう寒いので、大布団を出して使っている。そこで、現在のことろこれはクロ専用となっている。 夜はもうこれでは寒いらしい。一昨日から私の布団にもぐりこんでくるようになった。すぐに暑がって布団の外へ出てしまうのだが。 だが、布団に入り込んでくるのはただ寒いからというだけでもないようである。やたら鳴くことはことは少なくなったが、甘えん坊ぶりは健在である。眠くなったとき、甘えるように鳴く。今朝もやたらと鳴くので、布団に引っ張り込んだらそのまま丸くなってすぐに寝息を立て始めた。年をとっても甘えん坊なのは、いかにもクロだなあと思う。 今もひとしきり鳴き声をたてていたと思ったら、もう写真のように眠っている。寝ますよというサインである。別に教えてくれなくてもいいのであるが。
2011年09月27日
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父の13回忌の法要があるので、宮城県名取市の実家に帰ってきた。 本来ならば3月20日に予定されていたものである。 久しぶりに会った叔父・叔母たちの話題はまず震災時のことから始まった。あの時、実家との連絡がとれず親戚中に電話したが、電話は見事にどこともつながらなかった。だから、叔父叔母たちから直接聞くのは初めてである。 どこも少なからず被害を受けている。 それでも、親戚中で命を落としたりけがをしたりしたものがいなかった。これはむしろ奇跡なのではないかと思うほどである。なにしろ、ずっと実家に住んでいる兄の知り合いに関しては、62名もの人が亡くなったというのであるから。 父は74歳で死んでしまったが、叔父叔母たちのほとんどは健在である。平均年齢は75歳を超えているのではないだろうか。 そして、叔父叔母たちの近況を聞いてびっくりした。この日集った父方の叔父叔母は3人(プラス連れ合い3人)、母方の叔母が3人であるが、その子どもたちは合計で15人、孫たちはといえば、なんと6人に過ぎない。これでは少子化もやむをえまい。 ちなみに私たち兄弟は4人、子どもたちは合わせて11人であるから、ここだけは少子化に逆行しているが、その下の世代はとなると、やはり心もとない。 思わぬところで高齢化と少子化を目の当たりにした。今回はハードスケジュールの中の帰省になったが、やっぱりこういう親族が集まる場にはでるべきだと改めて思ったことである。
2011年09月25日
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今日は、くにたちおはなし会の光野トミさんを呼んでのおはなしの研修会。 研修会とはいっても、午前中は光野さんのおはなしを聞かせてもらおうというもの。6つのおはなしでたっぷり1時間半、堪能した。少し風邪気味ということであったが、特に声を張り上げなくてもよく通る落ち着いた語り口が快かった。 おはなしも創作からロシアの昔話まで幅広い。参考までにプログラムをのせておこう。1. ビリー 「ストーリーテリングについて」 子ども文庫の会2. たぬきと山伏「わらしべ長者」 岩波書店3. かじやセッポのよめもらい「かぎのない箱」 岩波書店4. ざしき童子のはなし「風の又三郎」 岩波書店5. 若返りの臼「ふしぎなオルガン」 岩波書店6. 白鳥の王女「アーサー・ランサムのロシアの昔話」 白水社 40年の経験があるというから、私などの倍くらいになる。ただ経験のさだけではなく、おはなしに対する愛情が違うのかもしれないなどと考えてしまった。おはなしが好きだというのが伝わってくる。 午後はわたしたちの語りを聞いてもらったが、それも終始にこやかに楽しげに聞いて下さっていたのが印象的である。 少しも癖のない正統派の語りである。御年79歳とか。20年後の自分があんなふうになれたらと素直に思う。 お客様にも喜んでもらえたいい研修会だった。
2011年09月23日
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T小学校のおはなし会があった。学校あげての読書フェスティバルという行事の中である。私が担当したのは、2年生40分間である。 プログラムは以下のとおりである。 ・お米のひょうたん 『富山の昔話』 桂書房 ・三枚のお札 『日本の昔話2』 こぐま社 ・ブラックさんとブラウンさん『おはなしのろうそく25』 東京子ども図書館編 ・ついでにペロリ 『おはなしのろうそく6』 ・七羽のカラス 『グリムの昔話3』 こぐま社 普段は保育所で語ることが多いので、小学生はなかなか新鮮だった。出だしの富山の昔話は方言が入るのでちょっと心配だったが、子どもたちは興味津々という感じで聞いてくれた。案外方言に接する機会は少ないようだ。 「三枚のお札」は普段やっているとおりだが、やはり保育所の子どもたちよりもしっかりとお話を聞いてくれている感じが心地いい。 「七羽のカラス」は息が切れてしまうかと思ったが、子どもたちが熱心に聞いてくれたので、最後まで集中して語ることができた。 やはりお話は、聞いてくれる子どもたちとの共同作業だということをつくづく感じた。
2011年09月22日
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昼過ぎから風雨が強くなってきた。クロは落ち着かない感じで私の後をついて回る。 このごろはドアを開けてやっても自ら外に出るということが少ない。私や夫が、外に出るように促すとようやくという感じで外に出るが、ろくろく歩こうともしない。「帰ろうか」というと、その言葉を待っていたかのように家に帰ってしまう。 そんな風であるから、朝から雨が降っている今日のような日は私ももう外へ出そうという気もない。 それでも寝てばかりいるわけでもないので、駐車場に面した障子を開けてやった。風に揺れる庭木が気になるのだろうか、時々顔を動かしながら、そしてしっぽも動かしながらじっと見ている。 「猫背だな」と当然のことを思いながら、暇にまかせて写真を撮ってみた。 そういえば、猫写真はだんだん少なくなっている。子猫の時は寝ている姿も可愛かったので撮りまくっていたっけ。 年をとって毛並も衰え、白髪も増えてきたクロ。もちろん、動作も鈍くなっている。食べる量も少なくなってきている。餌が気に入らなければ、昼中ずっと食べないでいることもある。好きなものを入れてやると口を付けるが、それもちょっとだけである。 自分たちが老いていく先をクロが何倍もの速さで進んでいる。そう思うといじらしい。特にこんな気候で忙しい仕事もないときには、やたらとクロを身近に感じ、一人と一匹で身を寄せ合うように生きている。
2011年09月21日
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英語は苦手である。英語に限らず、語学のセンスはないようだ。 しゃべれるのは日本語だけ。 なぜかと考えてみる。語学の得意な人は大体耳がいい人が多いように思う。その点で音楽的センスがないのと通じるのではないだろうか。私は音楽もダメである。音楽を聴くのも一人で歌うのも好きだが、部類の音痴である。 そして、もう一つ。語学が得意な人は、やはりその国への関心が高いように思う。同僚のK先生は、韓流ドラマのファンになったことから韓国に興味をもち、今や韓国語にもかなり習熟しているようだ。 イギリスやアメリカしろ、韓国にしろ、私にはそれほど興味はない。たまに絵本を読みながら、ちょっと興味をそそられたりはするが、そこまでである。 そんなふうに英語に興味を持てず、ちっとも英語がわからないのに、私が開くフェイスブックの画面は英語だらけである。 これは、アメリカ在住の姪の夫がアメリカ人で、かつ交友関係が広く、かつネット人間だからである。 おまけに、最近はやはりアメリカに滞在している娘の夫までもが英語で近況を綴っている。 おかげで、このところパソコンの前で英和辞書を引くことが増えた。まめに辞書を引いていれば、そのうち少しはわかるようになってくるだろうか?
2011年09月20日
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昨日まであんなに暑かったのに、あの猛暑はもう、というかやっと過ぎ去ったようだ。 そして今日はといえば、ともかく寒い。午前中はそれでも汗ばむくらいだったのだが、スポーツクラブで汗を流して帰ってきたら、もうとても半袖ではいられない。 長そでに着替えて、それでも寒くてベストを羽織っている。 例年は、9月の20日前後に衣類の入れ替えをしている。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、大体春夏の彼岸を目安にしていると困らないで済む。 今年はいつまでたっても暑いのでちっとも秋物を楽しめないじゃないかと思って油断していたので、長そでの外出着はまだすぐには出てこない。 明日も寒そう。仕事に行く日であるが、何を着て行こう。半袖ではもう寒くてかなわないだろう。しかし、こんな雨の日に箪笥をひっくり返して衣類の入れ替えをするわけにはいかない。 と思ったら、土曜日に衝動買いした大きいドット模様のカットソーがあったけ。よかった!出かけるときに着るものが決まらないと、なんだか落ち着かなくて自信までなくしてしてしまう。食べるものと同じように着るものも大事にしている。いつまでもおしゃれを気にかけていたいと思っている。 さあ!おしゃれの秋である。食欲の秋にならないように気をつけねば。
2011年09月19日
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この連休中、宇奈月温泉で音楽祭をやっているので出かけてきた。 その名もモーツァルト音楽祭。宇奈月の風景がモーツァルトの故郷であるザルツブルクに似通っているところから発案・企画されたものだという。 行ってみようかなと思ったのには、もう一つ大きなきっかけがある。文庫に来ているMくんのお母さんが演奏するのである。6年生の彼は、昨日文庫に来るや、プログラムを示しながら「お母さんが出るんです」と、熱心に説明してくれた。私にだけでなく、来る人ごとに丁寧に説明していた。その熱心さにちょっとほだされたというのも大きい。 さて、その音楽祭であるが、宇奈月温泉街がまるごと会場になっていると言っていい。 私は、まずセレネ美術館のホールの室内楽コンサートに行ってみた。アマチュアのグループが5組ほど演奏する。その演奏家の中に、読み聞かせに行っている小学校の校長先生もいてびっくり。 とてもいいホールだったが、冷房が効きすぎている。寒くて第一部だけで退散した。その後、Mくんのお母さんが登場する美術館コンサートがあるのだが、その間の1時間余り、無料休憩所の足湯につかることにした。 いっぷく処と名付けられたその休憩所でもやはり演奏が行われている。足湯につかりながら、弦楽4重奏に耳を傾ける。これはまあなんという贅沢。写真はその演奏の様子である。 すっかり温まったところで、また美術館へ。東山魁夷展をやっていたが、入館料無料で入れてもらえた。ちょうどMくんのお母さんがリハーサル中であった。私の顔を見てびっくりしていた。当のMくんはと言えば、今朝から熱を出して来られなかったという。なんとまあ! Mくんのお母さん(バイオリンです)が演奏したのは、2曲。ホ短調のケッヘル305番(?)というのが、とてもよかった。バイオリンの音色が哀調を帯びた曲調によく合う。Mくんのお母さんは美人だなあと思いながら精一杯拍手を送った。Mくんの分も。 この音楽祭は今年で2年目である。来年もまた来ようかなと思いながら帰ってきた。
2011年09月18日
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今日は文庫の日。私の文庫は、公務員宿舎の管理事務所兼集会所の一室を借りている。 午後3時から5時までの使用料金が600円である。もともと住人が会合に使うことを目的としているから、使用料としては安く抑えれている。 しかし、特に予算がないというか、公的助成が全くない文庫にとっては大きな出費である。 本を自分たちで購入したり、集めてきたりするのは何とも思わないが、使用料を自分たちの財布から出すのは苦しい。 というわけで、利用してくれる人には、会費と称して、月に50円、年会費として600円申し受けている。 これが実は心苦しい。利用者は子どもである。まあ初めは大体親が付き添ってきてくれるので、親に話をすることになる。そのうちに、親は来ずに子どもが会費をもってきてくれるようになることがほとんどである。 小さな指で、「はいお金!」と差し出されると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「ありがとうね。おかあさんによろしくね。」と言って受け取るのだが、できることなら子どもからお金をもらうようなことはしたくないと思う。 この集会所では、週に1回子どもの習字教室も開かれている。わが子もお世話になったのであるが、安いとはいえ月謝を払っている。解せないのは、この習字教室の使用料と、文庫の使用料とが同じであるということである。習字教室の方は広い洋間を使っているので、600円では済まないと思うが、それだけの違いで、利用料金の基準は同じである。 金儲けとは言わないが、全くのボランティアでやっている文庫と月謝をとる習字教室とがどうして同じ利用料金を払わなければならないのか。 文庫が使用している和室には、本棚も本も置かせてもらっている。それはとてもありがたいとは思うのであるが、資料料のことに関してはやっぱり変と思わずにはいられない私である。
2011年09月17日
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よく夢を見る。起きた時には忘れていることも多いが、夜中に途中で目覚めたときなどは、「なんだか面白い夢!」と思ったりすることも多い。そんなときは、「続きが見られないかな」という思いでまた眠りにつく。思ったように続きが見られることはほとんどなく、変形してしまったりするのだが。 そういう面白い夢の中には自分自身が出ていないこともある。家族や知り合いが出てくるわけでもない夢。これはどういうことなのだろうと思って、あるとき知り合いに話したことがある。 すると、彼女曰く、「Kさん(私のことである)はその夢の作者だったんですよ。」と。 なるほど、と妙に納得。 現実世界では小説を書くということはできないでいるが、小説が書ければいいなという憧れのような思いはずっと持っている。ただ、書かなければ生きていられないというほどの突き動かされるような思いも、絶対に書きたいというほどのテーマもないのだから、それはほんとに憧れのようなものである。読書が好きな人なら、誰しもが持つような思いでもあろう。 そんな私が、夢の中でなら小説(?)を書くことができるのかもしれない。設定も話の展開も滅茶苦茶ではあるが、その分自由奔放なドラマ。 そんな夢を書き留めておくことができればとも思うが、いざ書こうと思うと、とたんに色褪せ、ストーリーも何もかもがあっという間に消えていく。 やはり、夢の中でだけ小説を書くということが可能なのかもしれない。
2011年09月16日
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スポーツジムに通う傍ら、スイミングも初めて8カ月。いったいいつになったらちゃんと泳げるのだろう、まあ、そのうちにはと割合のんきに構えていた。 そして、今日ついに、25m泳げた! もちろんビート板なしである。ちゃんと息継ぎも5回できたような。 ようなというのは、息と一緒に水も結構呑んでいたからである。20mくらいのところで、もうやめようかなという思いがちらと頭をかすめた。 でも、と泳ぎながら考えた。来週と再来週はボランティアの活動が入っていて、来られない。次は、10月になってしまう。それに今日は時間的にもうおしまいだろうと思ったら、最後まで頑張れてしまった。 意地っ張りのなせるわざであろう。 先生ももう一人の生徒さんも拍手して祝ってくれた。 10月からは担当の先生が変更になる。2週間も空いたら、また初めからやり直しになるかもしれない。その前に一応結果が出せてよかった!
2011年09月15日
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久しぶりにヨガのプログラムに参加した。「ナチュラルヨガ」と称しているけれど、かなりハード。だいぶ前に参加した「パワーヨガ」の方がまだ楽だったくらいである。 それでも、というか、その分というか、ともかく45分間やりきった後の満足感がある。 やっている最中は、ともかく必死である。「自分の身体の変化を感じてください」とインストラクターがよく言われる。 そんなに変化を感じるということはないけれども、自分の身体のことだけに集中しているのは間違いない。いつのまにか、いろいろな雑念が消えていく。 無念夢想の境地である。 寝ている時間以外でこんなに何も考えていない時間も珍しいのではないだろうか。 スポーツクラブに入会して1年半、いろいろやってみたけれども、今はヨガがいちばんぴったりくる。運動神経も悪く、リズム感も悪い私に向いているのかもしれない。柔軟性だけは人並み以上にあるのもヨガに向いているかも。
2011年09月14日
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1,2年生の感想文20篇を読み終わった。 ネットからのパクリは1篇だけだったが、実はクラス選抜の段階で何人かのパクリは判明して私のところまでは来なかったということらしい。 ネットのパクリ以外でも、あ~あと思うことが多かった。 まず、取り上げている本である。文芸書ではないノンフィクションが多く、しかも優秀な作品がノンフィクションに集中するというのは何年か前から目立っていた。それに「世界がもし~」や「チーズはどこへ消えた」のような哲学書だか自己啓発書だかわからないが、短くて簡単に読めるようなものも多い。 今年は、なんと「自分を磨く方法」(ハウツウ本!)やら「環境問題がスラスラわかる本」(時事解説書!)のようなものまでが出てきた。 あ~あ(ため息) では、文芸書ならどうかというと、これがまたあ~あである。 あら筋はどこにでも紹介されている。どうも、あらすじだけでちゃんと中身を読んでいないのではないかという感想文がいくつもあった。 あ~あ、読むのを省略した読書感想文!びっくりである。 「私はこの本から、命の大切さ(あるいは、友だちの大切さ、あるいは支えあって生きることの大切さ)を学びました。」 あらすじで見当をつければ、どれかは大概の本に当てはまるかも。 笑ってしまったのは、カフカの「変身」を読んで、「家族との真のコミュニケーションが描かれていると思った。」というもの。ザムザは家族に切り捨てられるのだぞ!何を読んでいるのだ!いったい。 あ~あ、悪態だらけの文章になってしまった!
2011年09月13日
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今日はまるでボランティアデーとでも名付けたいような一日だった。 毎週月曜日の朝は、地区の小学校で朝読の時間に読み聞かせを行っている。2学期に入って2回目だが、2学期から実施することになった2年生では初めてということになる。 初めての子どもたちに会うのはやっぱり緊張する。1年生とはまるで雰囲気が違うことにもびっくり。もっとも、1年生だって1学期とは明らかに違っているのだが。 先週1年生の読み聞かせが終わってから、2年生用の絵本を改めて検討してみた。結局、今朝まで迷って1年生に読んだのと同じものを読むことにしたのであるが、やはり2年生だなと思ったのは、『オオカミのごちそう』(木村祐一文/偕成社)を読んだときである。 「逃がした魚は大きい」というのがテーマ。オオカミの頭のなかで、逃がした子ブタがどんどん大きくなっていく。それにこだわるあまり、他のたくさんの獲物に出会っても目もくれず・・・ 田島征三の絵は大胆で子どもをひきつける。話もお説教臭くならないところがいい。頭の中の子ブタがどんどん大きくなっていくのと対照的にオオカミはどんどんやせていく。その説明はなされていないのだが、2年生はちゃんとそこまで気が付いていた。 途中の発言こそ少ないものの、ちゃんと読み取っているというなという手ごたえが、表情から伝わってくる。 午後からはH保育所でのおはなし会。昼食を急いで済ませてH保育所へ。 おはなし2つは先週のS保育所と同じものにしたが、絵本は1冊入れ替えた。なにしろ今日は中秋の名月。ならばということで読んだのが『パパ、お月さまとって』である。 知っているという子どもが一人二人。途中で、「届かないよ」「届くんだよ」と子ども同士のいうやりとりが聞こえる。 「うん、届くんだよね」と心の中で応えながら、「届くか届かないかが問題になるんだ!」と思ったりした。年長児には物足りないかなと思った本であるが、そうでもなかったらしい。 読み聞かせを小学生にも行うようになって、あらためて子どもの1年がいかに大きいかということに驚いている。
2011年09月12日
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生徒の読書感想文を見ている。といっても、私が見なければならないのは、既に各クラスから選ばれてきた20篇ほどであるが。 読書感想文を夏休みの課題にすることについては賛否両論あるだろう。私自身としても迷うところである。だが、非常勤講師に過ぎない私に決定する権利はない。他の国語教諭が課題として出したものを、頼まれて見るだけである。 自分が出した課題でもないのに、目を通して評価する。そんなのおかしい!と抗議したいところであるが、それでは講師は務まらない。それに、実をいうと、感想文に限らず私は生徒の作文を読むのが好きである。 しかも、前任校では、現代文を担当するクラスの提出作文すべてを見ていたが、それに比べれば、昨年も今年もたった20やそこら。 その選ばれてきた20篇であるが、さぞやと期待するのが無理であるのは、日ごろ授業をしていてよくわかっている。文章を読みなれていない生徒が、まともな感想文を書けるわけがない。 7、8年前からインターネットで著作権フリー、コピペフリーと称して、代表的な名作の読書感想文が紹介されている。前任校で最初にそれに気が付いたのは、私であった。あまりに癖のある感想文なので、ネットでちょっと調べてみたら見事にひっかかってきた。そうして見つけてしまった3,4人の生徒が、国語科の主任にたっぷり油を搾られていた光景はまだ記憶に新しい。見つけるだけ見つけて、直接説教するのは私ではないというのも講師ならではのことであるが。 しかし、いまだに懲りない生徒がいるらしい。『世界がもし100人の村だったら』というのを覚えているだろうか。10年も前に話題になったものである。「今頃、こんなものを」と思いながら読んでみたら、やっぱり!であった。 以前にも見たサイトにいまだに同じ感想文が出ている。なんと罪なことをするものよ! 悪いのは、誰か?読書感想文なんかを課題に出す教師か、ネットでけしかける輩か、そんなものに頼って丸写しする生徒か? あーあ、読書感想文。 でも、国語教師としては、やはり書かせてみたいと思うのである。課題にでもしなければまともに本を読むこともない高校生に読書のきっかけを与えていることも事実なのである。そして、感想文を書くことによって深く自分と向き合い、考える生徒がいることもまた確かなのである。
2011年09月11日
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出会い系サイトがらみの迷惑メールに悩まされて2カ月。自動的に迷惑メールに振り分けるように設定してからは、だいぶ削除するのも楽になったが、とうとう向こうさんもあきらめてくれたらしい。 1昨日からなくなった。と言ってもゼロではないのだが、この二日ばかりは「今日の運勢」というのが1本だけであった。 メールアドレスを変えないで済んでよかった粘り勝ちというところだろうか。 それにしても、と思う。初めに連絡をしてきたTなる人物、どの程度かかわっているのだろう。 Tはおそらく本名だろうが、名前を貸しているだけかもしれない。それにしても、その名前がどんなふうに悪用されるか考えたのだろうか? この頃、振り込め詐欺も多いようだ。ATMでの振り込みに慣れていない人を狙っているらしい。なぜ、感嘆にだまされてしまうかと疑問に思うが、だます方はよくよく手口を考えたあげくのことなのだろう。 家にいるといろいろな電話がかかってくる。ついこの前までは、「貴金属や宝石はありませんか?」というのがよくかかかってきた。「そんなものありません」と即答。「節税のためにマンションを購入しませんか?」というのも多い。どちらも私には縁がない話であるが、もしかしたら飛びつく人もいるかもしれない。 10人に一人、いや100人に一人でもひっかかる人がいれば、詐欺は成り立つというか、儲かるのだろう。 先の迷惑メールも、機械的に送信してひっかかってくるのを待っていればいいだけなのだろう。だまされたりする人は、どこか弱い寂しい部分を抱えた人なのではないだろうか?
2011年09月09日
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ようやく悪夢のような暑い熱い夜から解放された。と思ったら、朝晩の冷え込みようにはびっくり!今日はそれほどでもないが、昨日の最低気温は16度だったとか。 どうりで、冷え性の私は足が冷えてならなかった。夜中に目覚めてはや大布団を引っ張りだしたような始末である。 秋になるのがこれほどうれしいとは!昨日も今日もさわやかな秋空が広がっている。そういえば、「さわやか」というのは、秋の季語であった。長い間、春5月のころのことを「さわやか」と表現していたが、なるほど今頃の気候こそが「爽やか」であったかと納得。 しばらくやめていた朝晩のウオーキングをするのにも気持ちがよさそうだ。 それにしても、先週のあの体調の悪さよ。やはり台風のせいだったのかと、これもまた納得。
2011年09月08日
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S保育所、久しぶりのおはなし会。この保育所は小規模で郊外にある。祖父母と一緒に住んでいる子どもたちも多い。大人の目が行き届いているせいか、比較的落ち着いていて、おはなしにも集中してくれる。今年の子どもたちは特によく話が聞けるように思う。 プログラムもついつい欲張ってしまう。しかも、次は11月。というわけで、おはなしは「なら梨とり」「ついでにペロリ」、こどもたちと一緒に指を使いながら「ブラックさんとブラウンさん」。そして絵本は『おおきなおおきなおいも』『うちゅうひこうしになりたいな』の2冊。しめて30分。 「なら梨とり」はこの2,3年はやっていなかった。年長児には難しくなってきたかなというのがその理由だけれど、思ったとおり真剣な表情で聞いてくれた。 「ついでにペロリ」は、早くから笑ってくれた子がいた。だんだん笑いが広がっていって、とても楽しく聞いてもらえた。 「ブラックさんとブラウンさん」は、一緒にやってもらった。話が終わってからもう一度指の形を確認。 絵本『おおきなおおきなおいも』は「家にある!」という子が二人。なかなかいい反応。 「うちゅうひこうしになりたい人!」と聞いたら誰もいなかったけれども、『うちゅうひこうしになりたいな』を読み始めるとすぐにひきつけられたようだ。 1993年刊の再刊だというが、とてもシンプルでよくできた本だと思う。宇宙の濃い青い色がとてもきれい。 子どもたちの前で読むのは初めてであった。読み進むうちに「すげー」というため息のような声が漏れる。それも、何度も。よけいな説明もないのがかえっていいのかもしれない。読み終わったときには、宇宙飛行士になりたいと思った子どもがきっといたはず。読み手もとても満足できた。
2011年09月07日
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2学期が始まって1週間。今学期は、なるべく「褒める」、「けなさない」ことを心がけるようにしている。 今までだって決してけなしていたつもりはないのだけれども、ついつい「こんなことも知らないの?」的な言い方をしてしまったことが少なくない。あるいは、「ものを知らないということを自覚しなさい」のような言い方をしたこともある。 しかし、そんなことを言っても何の足しにもならない。意欲のないことは甚だしいが、かといって、言葉だけで叱咤激励したり、けなしたりしてもどうにもならない。 なにしろ、大概の生徒は勉強したくて学校へ来ているわけではないのだから。 勉強できるということが権利であるということ、知識を得たり、何かがわかったりすることは楽しいことであるということ、それを実感できるような授業がしたい。 3年生の古典講読はいろいろやりようがあるけれども、1年生の現代文の授業は本当に難しい。 ともかく意欲をそぐような発言はすまい。そんなこと教師なら当たり前のことかもしれないが、人間のできていない私は時々こうやって自分で自分に言い聞かせなければならないのだ。
2011年09月06日
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せっかくだから、今日の読み聞かせの本を紹介しよう。 まず、『ハンダのびっくりプレゼント』(アイリーン・ブラウン、光村教育図書) ハンダは女の子の名前、ケニアのルオ族の子どもたちがモデルだという。そのハンダが友だちのアケヨにあげる果物が7つ入ったかごを頭にのせて、アケヨの村へと歩いていくが・・・ 後は、見てのお楽しみ。南国の果物と動物たちが次々に登場する、カラフルな絵本。 『くだものなんだ』(きうち かつ、福音館書店)は果物つながりで取り上げた。『やさいのおなか』の果物バージョン。子どもたちに問いかけ、反応を確かめながら読む本。 普段この時間に読むのは2冊だけなのだが、『くだものなんだ』は『ハンダの~』にからめたおまけのようなもの。最後にもう1冊『オオカミのごちそう』(木村祐一文、田島征三絵、偕成社)。「逃がした獲物は大きい」という話。オオカミの頭の中の子ブタがだんだん大きくなっていくところ、子どもたちはちゃんとわかってくれた。結構大きい子向きだろうと思うが、1年生でも十分楽しめる。 『ハンダの~』も『オオカミの~』も、テキストだけではなく絵が物語る部分が大きい。絵本でなければ表現できない、これぞ絵本という本である。 ところで、夏休みを経て子どもたちは身も心もずいぶん成長しているようだ。本選びもよく考えなければと仲間とうなずき合った。
2011年09月05日
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地域の小学校で毎週月曜の朝に行っている読み聞かせ、2学期は今日が初めてであった。 今年度から始まった活動であるが、スタート当初は5人、夏休み前に1人希望者が出てきた、2学期から6人体制になった。それを機に、1年生3クラスに加えて、2年生にも月に2回のペースでやることになった。 そして今日、また1人希望者があった。これで7人である。 教頭先生曰く、「来週からHさん(新しい人である)にも入ってもらえますね。」 即座に「それは無理です。」と返答してしまった。 「来週の担当はもう決まっていますし、Hさんが読む本はまだ決めていませんから。」と。 仲間が増えるのはもちろんうれしい。そして、読み聞かせは誰にでもできる。 だが、何の準備もなくすぐに子どもたちの前で読み聞かせができるかと言えばそうではない。 小学校の読み聞かせボランティアを始めるとき、決め事をした。1、毎月定例会をもって、絵本の勉強や打ち合わせをきっちりすること。2、読む本はボランティアみんなで選んで決めること。3、司書の方と連絡を取り合うこと。 特に継続していい読み聞かせ会にしようと思うならば、本選びは最も大切である。Hさんは読み聞かせの経験もないという。定例会はまだ先の予定であったが、とりあえず来週かんたんな打ち合わせをすることにした。 それにしても、教頭先生よ、とても安易に考えているのではないですか? ちょっとばかり心外です!
2011年09月05日
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台風12号は、まだ日本列島にいすわっているらしい。おかげで、というのもなんであるが、この1週間最悪な体調だった。 低血圧に寝不足、それに異常な蒸し暑さが原因であろうが、ちょうど台風12号がぐずぐずしていたのと重なる。 各地にかなりの被害をもたらしたらしいが、どうかさっさと過ぎて行ってほしいものである。 富山ではさしたる雨も降らなかった。1日から今朝がたまで八尾で行われた「おわら」にも影響しなかったのは幸いであった。「風の盆」というように、もともと台風の多い210日前後に、台風を鎮め豊作を願う祭りである。夜通し踊り明かす八尾の人々の思いが通じたのであろうか。 今年こそはその「おわら」を楽しみに出かけるつもりでいたのであるが、前述の体調のせいで断念した。 最終日の昨日もぎりぎりまで迷っていたが、午前中小矢部まで遠出、午後は文庫という日程で、どうにも出かけるほどの体力は残っていなかった。 何をするにもまず体が資本。台風が去ると同時に体調も戻ってくることを信じて、今日はゆっくり過ごしたい。(でも、明日の準備がいろいろあるよ~!)
2011年09月04日
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いよいよ2学期開始。といってもそれは私だけ。 8月後半の補習も確か1週間以上あったはず。プラス3年生は模擬試験、1・2年生は校内テストが済んでいる。それでも、始業式は9月1日。この場合の業ってなんだろう?なんて気楽に考えてみる。 1カ月以上、見事に学校から離れていた。その結果として、見事に生徒の名前を忘れている。 こういう場合、「夏休みをしていたので、みんなの名前も忘れてしまいました。」とさっさと断ってしまうのが私流。ごめんなさいね。また、一生懸命覚えます。 生徒はといえば、非常にリラックスしていた。さしあたり大きな行事もないし、テストも終わったし、というところなのだろう。頑張る必要があるのはわたしだけだったりしてね。 ところで、今朝の新聞に出ていた共同通信記者の記事「政治は教育に介入するな」を読んだ人はどれだけいるだろうか。大阪府の橋下知事が教育行政への関与を強めていることへの批判が述べられていた。 大阪では「君が代起立条例」というのも制定された。橋下知事はどこまでやるつもりだろうか。大阪府民は、それでいいのだろうか? 卒業式の君が代斉唱、私は一応起立だけはするが歌ったことはない。それが私の精一杯の意思表示であるが、富山では、大方の人はあまり疑問を持たないで歌っているのだろうなと思う。 橋下知事のすべてが悪いというつもりはないが、大阪府民よ、橋下知事の強権的な政治は怖いよ。声をあげなければどこへ行くかわからないよ。
2011年09月02日
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暑い暑いと言っているうちに気が付いてみれば、8月も今日で終わり。明日から新学期、と思ったら、小学校は今日が始業式だったという。授業時数確保のためらしい。 たった1日だけの違いなら、別に変わりないだろうと思うのは浅はかなのだろう。授業参観も半日ではなく午後までということにしないとまずいことになるらしい。 週休2日になって休みが多くなったはずなのに、それ以外のところでは締め付けがきつくなっているようだ。 先生も忙しい。子どもも忙しい。学校全体が忙しく動いている。 さて、私も新学期の準備をしなければ。2日はもう朝から普通に授業がある。当然と言えば当然。 そして、明日は保育所での読み聞かせ会がある。会のメンバー4人で、年齢別に3回やることになっている。もう一度プログラムと担当を確認しておかなければ。
2011年08月31日
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高血圧に悩む人は多いようだが、私は低血圧である。低血圧が引き起こす病気ってあるのだろうか? 悩むというほどのことはないが、ふらふらしたり立ちくらみがすることはよくある。昨日ジムで計ってもらったら48と98であった。インストラクターに「大丈夫ですか?」と聞かれる始末。 低血圧で貧血気味、しかも低体温とくれば、なんだか命はかないような気さえする。「なんだかふらふらするわ。」なんて言ったら、か弱い女性のようではないか。 冗談ではなく、あまりに低血圧だと自分の存在さえもが薄くなったような気がする。そんな日は、おとなしく過ごすしかない。今日もそう。 ところが、甲高い声が特徴(?)の私の印象に低血圧というのは似合わないらしい。おまけに、すぐに頭に血が上る性格である。 頭に血が上るのと血圧が高いのとは別のことなのだろう。 しかし、低血圧だから朝が弱いなどということもない。猫に起こされて5時起き、6時起きの毎日である。家事が早く済んで午前中の時間がたっぷりあるの。それはいいのだが、気力が持たないというのは、やっぱり低血圧に所以するのかもしれない。
2011年08月30日
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年を重ねて物忘れがひどくなるのは人間誰しもが経験することで、珍しいことではあるまい。 私は、このところ自分の行動は忘れているのに、「~しよう」と思ったことだけはしっかり覚えているということが多い。「あ!そうだ。~するんだった。」と思って、いざそれを実行しようとすると、既にそのことが実行済みだったりするのである。 「~しよう。~しなくっちゃ。」という思いばかりが強く残っていて、実際に自分が行動・処理してしまったことはきれいさっぱり忘れているという具合である。 これはどういうことだろう。なんだか認知症の始まりみたいに思われて不安である。 自分の家にいるのに「家に帰りたい。」と言い出したり、食事したことを忘れてまた食事を催促したりというのは、まさに思いばかりが強く残っているということなのではないだろうか。 自分が認知症になりかけているのではないかという不安、そして、実際の行動よりも思いや気持ちといったものの方が強く心を占めてしまう人間という存在への切なさ、そんなものに時折心を占領されてしまう。
2011年08月29日
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モーツァルトの姉であるナンネルの知られざる音楽への情熱を描いた人間ドラマ。「"神童"と絶賛される弟に対し、才能に恵まれながらも苦難の道のりをたどった女性の激動の人生を映し出す。」ということになるのだろうが、人間ドラマとか女性の激動の人生というには、すこし物足りない。 映画全体はヴェルサイユ宮殿とバロック音楽を背景に展開する。重厚かつ華やかと言いたいところだが、それ以上に馬車での演奏旅行の場面が多く、地味な印象がある。 何とも言えない物足りなさは、たぶんナンネルの表現にあるのではないだろうか。表情に乏しく、セリフも少ない。 天才モーツアルトの教育に夢中になり、作曲家として成功させようと必死になる父レオポルドは、ナンネルの才能を無視してしまう。認めてくれたのはルイ15世の王太子だけ。王太子に励まされ、作曲に打ち込み自立を模索するが、王太子との淡い恋愛の終わりとともに音楽もあきらめ、後はひたすら家族に尽くす人生を送ったというストーリー。 映画に描かれているのは、70年以上の生涯のうちのほんの1年ばかり。そこに女性が生きにくかった時代のありようが感じられるものの、この王太子との恋がもう一つピンとこないのは、ナンネルがまだ14歳という幼さだからか。 ナンネル自身よりもむしろルイ15世の王女たちの描かれ方に惹かれた。幼少時代から修道院に預けられ、成長したのちは尼僧となって国家安寧の祈りを捧げる役目を負う。ルイーズというやんちゃだった王女がナンネルに向かって、「男に生まれていたなら違った人生があったはず」という台詞が印象的だが、それを聞くナンネルにやはりセリフがない。 どこまでが史実なのかはわからないし、物足りなさはあるものの、天才の陰にあった女性の人生の物語と思えば切ない。親でも妻や愛人でもない姉だからこそなお。
2011年08月28日
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世界陸上開幕。なんとトップは女子マラソン。今朝の新聞で知って慌ててしまった。スタートは9時。スポーツクラブに行く予定を変更してテレビに見入る。 日本女子全員に頑張ってほしいと思っているのはもちろんだが、私が特に応援しているのは野尻あずさ選手である。ずっとスキーをやっていたので、異色選手と紹介されることが多い。 私にとっては、かつての生徒の一人である。彼女がスキーに打ち込んでいた高校時代を知っている。 今日のマラソン、あまりにゆっくりしたスタートでどうなるかと思ったら、飛び出したのが野尻あずさ。もともと、人の後ろからついていくよりは、前を走る方が好きなのだとか。「そうだ!行け!行け!」と力が入る。 野尻選手は15km付近まで先頭を走っていたが、じりじりと下がってしまい、19位に終わった。結果はケニア勢の1、2、3独占、恐るべきケニア勢!日本勢では赤羽選手の5位が最高だった。 でも、トップに立って集団を引っ張る野尻選手の姿はとてもかっこよかった。そして、中盤でトップ集団から離されそうになりながらも何度も食いついていった粘り強さも。初めて世界の舞台に立っての堂々とした走りぶりは見事としか言いようがない。 ゴールした後は本当に力尽きたという様子だった。インタビューもコーチらしい人が断っていたが、カメラマンに向かって頭を下げた礼儀正しさは彼女らしい。 マラソンに転向してまだ3年足らず。段々走るフォームが良くなってきているという。とすれば、まだこれからだ。頑張ってほしいと思う。これからも応援しているよ!
2011年08月27日
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映画「ツリー・オブ・ライフ」を観てきた。こんな映画もあるのだなという感じ。 私は映画を観るときにあまり事前に調べたりはしない。映画祭で賞をとった作品であることぐらいは、なんとなく目にも耳にも入るが、評価がどうであるかは、こうしてブログに綴るときに参考にするくらいである。 どんな映画を観るかは大体直感で決める。今回は、ブラピの主演作であること、監督が哲学者でもあること、映像が美しいらしいこと、それなら観ようと思った。 不覚にも途中睡魔に襲われた。といっても、飽き飽きしたとか、観なければよかったとは思わない。かなり壮大な世界観(宗教観)に基づいた抽象的な作品であるが、映像がすばらしくきれいで、クラッシク音楽も気持ちよい。睡魔に襲われるのもむべなるかなという感じ。 右隣の人も途中寝ていたようだ。左隣の人は、終わった時に「さっぱりわからんかった」と連れに漏らしていた。まあ、大多数の人はそんな感じかもしれない。 映画のレビューサイトではさんざんのようだ。私の見たところでは、監督の独りよがりだと批判する声が多かった。でも、と思う。 話題作だから、あるいは映画祭受賞作だからというので、我も我もと観に行って、そして理解不能だからといってけなすのはどうだろう。 みんな映画に何を求めているのだろう。娯楽?感動?「神様のカルテ」の予告をやっていたけれども、きっと「神様のカルテ」は感動の嵐だろうなと思う。第一にわかりやすいもの。原作もとても読みやすく、感動しやすかった。キャストも悪くない。 映画に限らず、ドラマにも小説にも、近頃はお手軽な感動を求めすぎるような気がしてならない。 それなら自分は何を求めるのかと言われれば、うまく言えないけれど。心をわしづかみにするような何かか? 「ツリー・オブ・ライフ」の根底には宗教観がある。無宗教の日本人にわかりにくいのは当然だろう。私も始まるとすぐに寝てしまったのは確かだし、言葉足らずでよくわからないところも多かった。ただ、映像と音楽のなせる技なのだろう、鑑賞後は不思議と心地よかった。癒しやヒーリングも私の求めるものではないのだが、こんな映画もあるのだなという感じ。
2011年08月26日
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月曜日、私は先生方の「図書館教育研修会」の講師としてよばれていった。私が担当したのは、「読み聞かせ」コース。ほかに、「ブックトーク」コースと「アニマシオン」コースがある。 「読み聞かせ」コースの参加者は、6名。小学校・中学校・高校の先生方が2名ずつ、みんなとても熱心だった。 実はこの研修会の講師を担当するのは2回目である。前回の3年前のときは、参加者が11、2名だったかと思うが、「この人は何が目的で研修会に参加したの?」と思うような先生も何人かいた。 たとえば、中学校の先生が「娘が小さいとき好きだったから」というだけの理由で『いないいないばあ』を持参したり、高校の国語の先生が「『竹取物語』の導入に使えるかと思って」と言いながら、スーパーの店頭で販売しているペーパーバックの『かぐやひめ』を読んだり… およそ図書館教育と縁がないばかりか、暇つぶしにきたのだけれど仕方がないからその場限りの思いつきで本を選んだとしか思えなかったのである。 そこで今回は、事前に書いて当日提出してもらうワークシートに「研修会に参加した目的」を追加してもらった。 それが功を奏したのか、あるいは3年経って先生方の読み聞かせに対しての意識も向上したのか、今回はどの先生も明確な目的があって参加されていたようだ。 もっとも、そうなると、「図書館の活性化のヒントを得たいと思って参加した」という目的に応えられるような研修内容ではなかっただろうなという反省が私には残るが、仕方がない。このコースは「読み聞かせ」に特化したものだから、そこから何かを得てもらうしかないだろう。 予定通り、まず実演し、読み聞かせの意義を語り、実際に読み聞かせを披露してもらって実践的なアドバイスをするという内容で行った。 小学校の先生は実際に担当の子どもたちに読み聞かせをされているようで、慣れていた。 大体の方が絵本と言うとおはなし・物語の絵本を想像されるようなので、あえてそれ以外の絵本を多く紹介したのが特徴である。たとえば、『やさいのおなか』6名ともこの本は知らなかったようだ。保育所でもよく読み聞かせに使うのですが、どこへ行っても「この本、初めて」「知らなかった!」と言われるので、こちらの方がびっくりします。初版は1997年。でも、たしか初めはペーパーバックで出ていたように思う。ハードになったとき、ペーパーバックのときとは取り上げられている野菜に変更があったように記憶している。前はオクラもあったはず。 大人は頭が固いからか、きゅうりの大きな断面には戸惑うようで、子どもたちの方が断然すぐに当ててしまうのにはいつも感心する。 ともあれ、まじめな先生方にも十分楽しんでもらえたようだ。年齢を問わず楽しめるので、読み聞かせ会には使いやすい。続編の『くだものなんだ』も紹介した。 だが、時間が足りなかった。この日、紹介しようと持ち込んだ絵本は約50冊。その10分の1も紹介できなかった。リストは作ってあったのでいいようなものだけれど、持参した絵本を出すタイミングを失ってしまったのが原因。また、やってしまった!という感じである。
2011年08月25日
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アメリカにいる娘から突然のメール。何か慌てたような感じで、猫にNGの食べ物についてだけ書いてある。 このところとみに元気のないクロの様子を向こうでも気にかけているらしい。年よりのグルメ猫は、こちらが与えようとしてもめったなものは口にしない。だから娘の心配はほとんど杞憂ではないかと思うのだが、おっと、青魚の食べ過ぎは禁物とか。それは知らなかった。 鯵はクロの好物である。鯵の焼くにおいをかぎつけるとすぐに食卓にやってくる。でも、もう食べ過ぎるというほどの量は食べない。 最近の主食は、三ツ星グルメのカリカリである。(ドライフードのことを我が家ではカリカリと呼んでいる)。どこがどう違うのだろうが、他のカリカリには知らん顔をして口を付けようともしないが、これだけは今のところよく食べる。もっともそれがいつまで続くのかは神のみぞ知る。 餌代はもう気にしないことにした。食べなかったら無駄にするだけだから。多少高くても、ロが食べそうなものだけ、食べるものだけを買うようにしよう。年をとればまずいものを食べたくないというのは人間も同じだもの。高いキャットフードはやはり素材がいいようだ。 水だけはよく飲んでいる。この1週間ほどは涼しい日が続いているが、目を覚ませばいつでもまず水を飲むような状態である。 長野にはもちろん連れて帰省した。盆と正月はいつも連れて行っているので、もう30回目くらいにはなるはずである。義父母にはなかなか慣れないが、それでも義父母の足音を聞いてすぐに逃げ出すようなことはなくなった。結構落ち着いて暮らし、よく食べていたようだったが、帰ってきて体重を測ったらちっとも増えていない。 義父は90歳。まだかくしゃくとして、畑仕事をしている。その義父がクロを見て曰く、「もう長くないんじゃないか。」と 。 あーあ、90歳のおじいちゃんに長くないと言われるなんて!クロよ。おじいちゃんに負けるな。と言ってもなあ。 このところの寝場所は、今私がパソコンをたたいている真後ろ、古新聞を載せている台の下に潜り込んで寝ている。もう廊下で寝るほど暑くはないということだろう。すずしくなって、食欲も回復することを願っている。
2011年08月23日
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