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2024 年の正月は、日本では能登の地震から始まるという、非常にショッキングなモノだった。被害の範囲は広くないが、震源が陸に近いことから揺れがひどかったようで、家がつぶれてしまったり、山崩れが起きたりして家がつぶれ、閉じ込められて亡くなった人が多かったようだ津波も発生したが、津波による大きな人的被害は今のところあまりニュースになっていない。
東日本大震災の発生時、お父さんはベトナムにいたので直接に揺れを体験してはいないのだが、緊急帰国してからの電気や水がない生活は大変だった。子供が皆小さかったので、頼りにするというより面倒を見なくてはならず本当に精神をすり減らしていた。
なので今の被災地の映像を見ると、そのころのことを思い出すし、被災地の人の助けになればできることはいろいろとしようという気持ちになる。
ただし、これから書くことは極めて不遜かもしれないが、東日本大震災と今回ののと地震では大きな違いがある。一番の違いは、能登半島先端の被害が甚大な地域以外は、石川県も富山県も比較的被害が少なく、通常の生活にすぐに戻っているということだ。
能登半島の先端から金沢市内まで 160km ほど、火災被害の大きかった輪島から金沢までは約 100km 、志賀町からは 50km ほどで通常の生活ができている場所に出ることができる。
それに対して東日本大震災では、津波被害で壊滅的な打撃を受けた岩手や宮城の沿岸からそれなりに離れたお父さんの住む地域でも、停電はなかなか復旧しなかったし、東北移動車道は通行止め(緊急車両のみ可)、新幹線は 2 か月以上不通で物流がほぼ止まり、かなり長い期間不便な生活をすることになった。
沿岸の津波被害があまりにも甚大だったため、内陸部に救援や支援はほどんどなかった。ガソリンも届かないので、ガソリンスタンドは緊急車両用になり、一般人は一晩徹夜で並んで20 L ほどのガソリンが手に入るかどうかだった。翌朝ガソリンスタンドが販売をするかは不明だったので、並んだのに買えなかったという状況も当たり前にあった。
それに比べれば、今回の被害範囲はかなり狭い。半島の先端と言うことで道路事情が悪く、距離だけでは判断できない不便さは多々あると思うが、電気や水などのライフラインや道路の復旧は東日本大震災に比べれば早いだろうと思う。支援も比較的早くからできている。マスコミは必死で政府など行政の不手際を強調するが、きちんとしれべればよくやっていることは理解できる。
今回の能登の地震の被害に対する対応を見ていると、東日本大震災の異常さがよくわかる。南海トラフ地震が起きれは、被害は東日本大震災を越えるといわれている。どんなに備えていても、個人の努力だけで被災後の生活をまかなうことはできない。
個人と行政の備えがどちらも重要である。ただ、できれば大地震は起きてほしくない。準備したけど無駄になったという状態が、一番国民にとって良い状態である。
最後に改めて、今回の地震で被害に会った人たちに哀悼の意を表するとともに、一日でも早い復興を願いたいと思う。
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