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お父さんの五十肩は、徐々に回復傾向になっているとはいえ、いまだに腕が上がらないし痛みも取れていない。まだまだ無理な動きどころか普通に動かすこともできない状態である。なので着替えも大変だし、荷物を持つような時もかなり慎重に動きを考えてやっている。 結果として仕事は無理無理やっているが、私生活というかプライベートの部分ではジムにも行けないし、ゴルフクラブは半年以上振ることができずにいる。そしてもう一つできないでいるのが釣りだ。 冬場の船釣りは、東北だとヤリイカとかタラがメジャーである。どちらも釣るにはしゃくりという動作が必要である。 しゃくりとは、主に疑似餌を生きているように見せかけるために1m強の幅で竿を上下に動かす動作である。海水の中で疑似餌が上下に動くことでイカやタラが食いつきやすくなる。逆にしゃくりをしないとイカもタラも釣れないことが多い。 しゃくりも疑似餌が軽いのならば右手を使わず左手だけでできるだろうし、五十肩にも支障は少ないと思うのだが、イカ釣りの仕掛けもタラ釣りの仕掛けもかなり重い。両手でなければスムーズなしゃくりはできない。 結論として、五十肩が治るまで冬の間は釣りには行けないということである。少しずつ回復してきているとはいえ、まだまだ動かすと痛みが強く走ることがある。ましてや無理して釣りをして、悪化させたら笑いものになるだけでなく、この先また一般生活にまで支障が出てしまう。 釣り情報を見ながら、うらやましく釣果のデータを見ているのだが、今年の冬はそれなりに連れているのが悔しいところである。早く肩を直して釣りに行きたいものである。
2025.01.31
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先日会社の同僚と生卵を食べるのは日本人だけだという話をしていたら、ベトナム人の同僚が、ベトナムにはエッグコーヒーがあるからベトナム人も普通に生卵を食べていると言い出した。お父さんはもう何年もベトナムと日本を往復しているが、エッグコーヒーというものを知らなかった。 どんなものか聞いたところ、コーヒーに練乳や砂糖とともに生卵をいれてかき回したものだということだった。自宅に戻ってネットで調べてみたら、ほぼ同じことが書かれていた。エッグコーヒーという飲み物がベトナムで飲まれているのは間違いないようである。 その説明を見て、そういえば昔は日本にもミルクセーキという飲み物が普通にあったことを思い出した。材料は牛乳、砂糖、生卵である。これを適当にミキサーにぶち込んで拡販すると甘くて濃厚なミルク、つまりはミルクセーキが完成する。子供のころ、祖父母の家で何度か飲んだことがあるし、自分でも勝手に作っていた。 あの頃もおいしかった記憶はあるのだが、そう何度も飲んでいないので、いつも飲みたいほどにはおいしくなかったのかもしれない。 ミルクセーキは喫茶店のメニューにもあったと記憶しているが、お父さんが喫茶店を利用し始めた大学生の頃にはほとんど残っていなかったようにも思う。まあメニューにあったとしても大学生以降、喫茶店ではコーヒーしか飲んでいないので、気が付かなかっただけかもしれない。 試しに同僚にミルクセーキを知っているか聞いてみたが、同年代は知っているのだが、若い人たちは全くと言ってよいほど知らなかった。やはりメニューから消えるレベルで人気がないというか、それほどおいしくないのかもしれない。今こうして書いていても、久しぶりに作って飲んでみようとは思わないのだから、ミルクセーキは昭和の遺物になってしまったのではないだろうか。
2025.01.30
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お父さんが子供のころ、祖父母の家に遊びに行くと50円玉を一枚もらって駄菓子屋でお菓子を買うのが楽しみの一つだった。当時の駄菓子屋は5円から購入できるお菓子があったので、50円をいかに効率よく使うかに頭を悩ませたものだ。 5円チョコ、うまい棒、10円のガムやラムネなど選ぶのがとても楽しかった。 親と買い物に行くと、50円のアイスやおまけつきガムなどを買ってもらうことができ、これもとても楽しみだったので、50円というのが当時のお父さんの基準となる金額だった。そのため何かのきっかけで100円をもらうと、いつもは買えない100円のお菓子を一つ買うか、それとも50円で購入しているいつもの2倍の量のお菓子を買うかでもう頭の中は楽しさと興奮で混乱していた。 ちなみに缶ジュースも自販機ではすべて100円で売っていたし、100円玉一つは十分に欲しいものが買えるお金としての認識は高校生ぐらいまで続いたと思う。なので自販機のジュースが110円に値上がりした時はショックだった。百円を1枚チャリンと入れるだけで買えたジュースが今後は100円玉と10円玉の2枚を入れないと購入できない。これは子供にとっては衝撃の出来事であった。 ちなみに今では自販機に100円で買えるものはほとんど存在せず、逆に180円とかいうものも珍しくなくなってしまった。今の子供たちにとっては100円というのは「何も買えないもの」という認識ではないだろうか。 スーパーの駄菓子コーナーなどでは100円以下の商品が存在するが、子供たちに100円まで好きなものを買ってよいと言っても、全く喜ばないであろうことは想像に難くない。 100円ショップの商品も今は消費税があるので、110円である。お父さんの子供の頃の1円玉(子供が使うことはほとんどなかった)ぐらいの感覚で100円をとらえているような気がする。 となると今の子供たちにとって、お父さんが子供の頃の100円に匹敵する金額は1万円になっているかもしれない。恐ろしい話である。 100円で買えるものがないということは、当時よりインフレが進んでいるということである。もう一度デフレが来てほしいと思うぐらい、これからの世の中はインフレが進んで物価が上がっていくだろう。 最近テレビでキャベツが採れなくて値段が高いとか、鳥インフルエンザの影響で卵が品薄になり高いと言っているが、実際はインフレが進んでいるからだとお父さんは思っている。給料は確実に上がるだろう。でも生活は楽になるよりも厳しくなっていくと思う。 100円玉で楽しめたという話が都市伝説になってしまうぐらい、インフレが進んだら、子供の養育や教育にいったいどれだけのお金がかかるようになるのか恐怖でしかない。
2025.01.29
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先日台湾出張から帰ってきた同僚が、臭豆腐のニオイがきつかったと言っていた。アジアで食べられている一般的な臭豆腐というのは、日本の厚揚げを発行させたようなもので、臭みがやや強くある。炒め物などに普通に使われていて、味も触感も厚揚げとほとんど変わらないとお父さんは思っている。ただニオイが臭いというだけの豆腐である。 お父さんは子供のころ、においのきつい食べ物は嫌いだった。しかしながら、学生時代のアジアの貧乏旅行や持ち前の好奇心のおかげか、今では臭い食べ物を結構食べることができる。 美味しいと感じなくても、とりあえず口に入れることにはあまり抵抗がない。実際に臭豆腐も最初から普通に食べることができた。 日本でも臭い食べ物はたくさんある。納豆も初めてニオイを嗅いだ外国人などは腐っていると思うかもしれない。だが日本人で納豆嫌いの人は少ない。その証拠にスーパーの納豆売り場は多くの種類の納豆が売られている。関西人は納豆が嫌いとも聞くが、お父さんの周囲の関西出身者は普通に納豆を食べている。 クサヤというのも、日本では臭い料理の代名詞である。お父さんも今では普通に食べることができるが、昔は祖父がクサヤを焼いていると家じゅうに広がるクサヤのニオイ(はっきり言ってうんこのニオイ)に鼻をつまんでいた。日本人とは言え、今住んでいる東北でクサヤのニオイを知っている人は少ない。何年も前だが試しに会社にクサヤを持って行ったら、多くの社員から「二度と持ってくるな」と怒られた。事務所の窓が前回に開けられ、お父さん以外の全員が、こんなもの食べられないと断定していた。 ベトナムにも臭い食べ物はあるが、お父さんが初対面で口に入れて、吐きそうになった食べ物がある。マムトムというアミエビ(釣りで撒き餌に使う小さなエビ)を発行させた調味料だ。お父さんは犬肉レストランで初めてその匂いを嗅いだのだが、うんこのニオイにしか感じなかった。口に入れると体がそれを食べ物だと認識せず、吐き出すよう脳に命じるので飲み込むことができなかった。 それをベトナム人は肉につけてもりもり食べていた。マムトムは料理に入れるというよりも何かをつけて食べることが多い。お父さんも今では普通に食べることができるようになっているが、美味しいというより面白い味として楽しんでいる。 臭いフルーツとして有名な、ドリアンも初体験から普通に食べることができた。台湾でもタイでもマレーシアでも食べたことがあるが、そんなに臭いと感じたことはない。それでも一緒に旅行した友人は「臭くて食べられない」と言っていたこともあるので、それなりに臭いにおいなのだと思う。 お父さんはドリアンよりもベトナム人がよく食べているジャックフルーツの方が臭くておいしくない。ドリアンはねっとりした食感と甘みを感じるのだが、ジャックフルーツはほとんど甘いと感じない。ただニオイのきつい物体を口に入れているだけと感じるので、臭さが嫌いというより、美味しいと感じることができない。これもベトナムで周囲に食べている人がいると、すぐにわかるレベルではニオイがきつい果物である。 ニオイの強い食べ物というのは、苦手な人も多いが慣れてしまうと普通の食べ物よりもクセになりやすい。アジアでパクチー(香草)に慣らされた人が、これが入っていないとアジア料理としておいしいと感じなくなることも多い。 チーズなども臭いものがあるが、食べ慣れてしまうとその臭みがないとおいしいと思わなくなるのと同様である。 お父さんはこれからも世界各地の臭い食べ物に挑戦してみたいと思う。ちなみに世界最高の臭みと言われるシュールストレミングはまだ食べたことがない。
2025.01.28
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先日、いつから使っていたのか覚えていないほどずっと使っていたペンケースのファスナーが壊れてしまった。はっきりとは覚えていないが、100円ショップで適当に買ったペンケースだったと思う。薄っぺらで軽いのでビジネスバッグに入れるのにとても都合がよかった。愛着があるほどではないのだが、やはり残念である。というよりも同じようなものを購入するのがとても面倒くさいというのが本音かもしれない。 100円ショップへ行くのも面倒なので、ネットで同じようなサイズのペンケースを購入した。今回はコクヨのメーカー品を購入したので、届いたのはかなりしっかりとしてごわごわしたペンケースだ。薄っぺらさや軽さが前のペンケースのメリットだったのだが、そのメリットは今回のペンケースには存在しない。 今回のペンケースのメリットは、容量が大きいのとファスナーを開いたときに、口が大きく開くので中のペンが探しやすく取り出しやすいと言ったところだろうか。前のペンケースに慣れているので、前のペンケースと今回のペンケースのどちらが良いかと言われれば、前のペンケースではある。 まあ数か月すれば、前のペンケースのことは忘れて今のペンケースに慣れていることだろうと思う。生活におけるペンケースの地位はお父さんにとってその程度である。 購入するときにどれだけ吟味したとしても、使いだしてしまえばこちらが慣れてしまうので、購入前に検討して選に漏れたペンケースに未練を残すという経験をしたことがない。ちなみにこれは、自分が使っているほとんどの持ち物において共通している。 新しいシャープペンを買うときに悩んでも、使い始めればそれが自分のものであり慣れてしまう。よほどの不具合がなければ、壊れるまで使い続ける。 電化製品も同じである。パソコンにしてもテレビにしても購入時にはいろいろとスペックや値段を吟味していくつかの候補から最終的に選ぶのだが、購入後は選に漏れた他の候補を思い出すことはない。 お父さんの場合、購入後に壊れていないのに新しいものを買いたいと思うのは、誰かが「これはすごい良い」と教えてくれて、それをお父さんが「確かに良いものだ」と感じた時ぐらいだろう。 最近壊れていないのにほしいと思っているのは自動車である。先日長女に初めて運転させて以来、自動ブレーキのついた車が欲しいと思うようになった。2年前に購入した会社の車に自動ブレーキが付いていて、障害物があると勝手にブレーキをかけてくれる。車線をはみ出せばハンドルが振動して教えてくれるし、様々な安全機能がついている。 あとは冬場のシートヒーターが付いているのもたまらなくうらやましい。五十肩になってからはリアハッチの自動開閉も欲しい機能に追加された。 もちろん車を買い替えようというお父さんの提案はお母さんによってあっさり却下された。同居していもいない、ほとんど家に帰ってこない長女のために自動ブレーキの車に買い替えようというお父さんの提案は、お母さんには全く響かなかった。ほとんど冗談だというぐらいの扱いをされている。実に残念である。まあ新車に買い替えるお金よりも、今は子供たちの学費の方が優先なのはお父さんもわかる。宝くじでも買って夢を見ようかと思っている。
2025.01.27
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五十肩の治療を始めてすでに半年以上が経っている。日本で整形外科、鍼灸治療、接骨院に通い、ベトナムで筋肉整体と整骨院に通い、中国出張で中国の鍼灸院で治療をし、日本に戻ってきて今は地元の整体に通っている。日本に戻っても夜眠れないぐらい痛かったのだが、地元の整体で電気治療をしたら一気に痛みが緩和された。最近は可動域も徐々に増えてきて、調子としては上り坂である。 今通っている整体は、先生の見立てで筋肉が炎症を起こしていると判断して2回目ぐらいから電気治療を使い始めた。約2週間電気治療をしたところ、神経痛のような激痛の痛みが消えてしまった。先生が言うには、炎症が治まったからだという。 そこから筋肉をほぐしたり、痛みでゆがんだ体全体の骨格をもとに戻す治療をしている。治療はそれなりに痛いのだが、徐々に良くなっているという気持ちが、痛さをこらえる原動力となっている。 来月にはまたベトナムに行かなくてはならないし、そこで取引先のゴルフコンペに参加しなくてはならない。整体の先生にそのことを伝えて治療を頑張ってもらっているが、完治はまだ難しいようで、全身をほぐして肩の可動域の狭さを吸収することも考えてくれるらしい。 ちなみに今だったら鍼治療とかももう少し効果があるかもしれない。回復基調にあることは自分でもわかるので、これまで効果があまりなかった治療でも改善するかもしれない。そう思いつつも、やはり効果が少なかった治療をもう一度やろうとは思わない。どうしても不信感がぬぐえないのだと思う。 家族も激痛のころはそれなりに心配してくれたが、最近だいぶ痛みが緩和したと知ったせいで、優しさがだいぶ少なくなってきてる。もう少しいたわってくれてもよいぐらいには痛いのだが、家族もお父さんの五十肩に飽きているのかもしれない。 お母さんの湿布の貼り方がだいぶ雑になっているのがお父さんは悲しいのだが、お母さん的にはいつまで続くのかという倦怠感があるのかもしれない。 春には元気に肩を回すことができるように、治療を続けていきたいと思う。先日、また中国に出張したが、その間は治療ができなかったせいで、⇒や痛みが悪化してしまった。予断は許さない状況が続いているのだとお父さんは思っている。この気持ちを家族にも持ってもらいたいのだが、難しいところである。
2025.01.26
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日本では本とたばこはどこへ行っても定価で売っている。食料品や電化製品、衣料品の含めて値段は販売店によって変化するし、特売などで安くなることは普通にある。ところが本とたばこはどこへ行っても定価である。 ただしたばこは、免税店などでは税金分が差し引かれて少し安く買うことができる。なのでところが本は、空港の出国審査後の本屋で購入してもやはり定価で販売している。 お父さんは学生の頃から海外旅行によく行っていたので、世界でも本の値段は一定だと思っていたのだが、アメリカに留学して驚いた。 アメリカでは本がセール品になって安売りしていることがよくあったのだ。特に安くなるのが、大ヒットした作品の人気が一段落したころ、安売りしているのを見かけることが多かった。 余談だが、アメリカでは「立ち読み禁止」という概念がない。今では日本の本屋にもコーヒーなどを売っている店があるが、アメリカでは20年以上前から本屋で売り物の本を読みながらコーヒーを飲むというのが普通に行われていた。 読んだ本はもとの棚に返さなくてもよくて、図書館のように読んだ本の置き場というのがあった。 さてここ10年、お父さんは紙の本から電子書籍に切り替えてしまっている。電子書籍も基本的には定価販売なのだが、常に定価で売っているわけではない。新刊がでるシリーズのコミックの1巻が半額になるなど特売を普通にやっているのだ。 電子書籍と紙の本屋では流通の仕方が異なるので、単純比較はできないのだが、それでも電子書籍の世界では本が安く変えるというのはお父さんにとって最初は驚きであった。 紙の本がなぜすべての店で定価で売っているのか理由を調べたことはない。だが電子書籍がなぜ安く売れるのかも含めて、時間があったら調べてみたいと思っている。
2025.01.25
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先日テレビのニュースで電車の忘れ物を警察に届けて「落とし主不明」となり返却されたものが、格安で販売されているというニュースを見たのだ。 傘や手袋、メガネなどの定番の忘れ物から、木彫りの人形など大きなものまでさまざまな忘れ物が、格安で売られていた。 それを見ながらお父さんも新幹線に餃子を忘れた時のことを思い出した。もう10年以上前になるが、宇都宮に出張した時に餃子をお土産に買った。冷凍餃子ではなくお店で焼いてもらったおいしい餃子だった。家族にも食べさせてあげようと、大パックを2個購入して帰りの新幹線に乗り込んだ。 自宅のある駅について、いつも通り荷物をもって新幹線を降りたのだが、新幹線が出発して、それを見送りながら歩いている時に、餃子を棚の上に置いたままにしてきたことを思い出した。2000円以上かかっているので、どうしても取り戻したいと思い、改札口で駅員に餃子を棚に忘れたことを伝えた。 次の駅で取り戻してもらい、逆方向の新幹線にのせてもらえれば1時間ぐらいで手元に戻ってくると思ったからだ。 ところが駅員から、忘れ物は終点の駅に着くまで新幹線から降ろすことはできないと言われてしまった。終点の駅で、全員が降車してからお父さんが指定した席の上に件の餃子があれば、そこで忘れ物と認定して保管するという。 ちなみに終点の駅から、お父さんの降りた駅まで持ってきてくれることはできないと言われてしまった。 ではどうやって餃子を取り戻すのかと尋ねたら、終点の駅まで取りに行けば引き渡すということだった。もちろん新幹線代は自分で往復支払わなくてはならない。車で行くとしたら2時間はかかるだろう。さすがに2000円の餃子にそこまでのお金や労力はかけられないので、お父さんはふてくされつつあきらめることにした。 それにしても終点の駅で、あの餃子を手にした駅員はその後どうしたのだろうか。勝手に食べる気にもなれないだろうし、数日は取り置きしていたのだろうか。昔の電車はもっときちんと対応してくれたと思うのだが、新幹線が特殊なのか、それとも国鉄からJRになってシステムが変わったのかよくわからない。 とりあえず、食べ物に関しては忘れ物として新幹線に置いてきてしまったら、二度と手元には戻らないことが分かった。それ以来食べ物のお土産だけを棚に置くことをしなくなった。足元に置くか、ビジネスバッグなどとともに棚に上げるかどちらかにしている。
2025.01.24
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先日台湾でM6.4という大型の地震があった。最大伸度はだったが、その最大震度を観測した街に、お父さんの大学時代の友人が住んでいる。夜テレビニュースをみてびっくりして久しぶりに電話をかけてみた。 彼は台湾人だが、日本に留学していたので日本語がとても達者である。ここ数年連絡を取っていなかったので、電話が通じるか不安だったのだが、数コールで本人が電話に出た。 幸いなことに自宅も会社も家族も無事で、特に被害はなかったそうである。東日本大震災を経験したお父さんたち家族は、地震被害にはかなり敏感になっている。お母さんも何度か会っている友人だったし、何よりアメリカの同時多発テロの時、お父さんはお母さんと台湾で彼と一緒に夕食をとっていた。 ということで彼はお父さんお母さん共通の友人でもある。お母さんも彼や家族が無事なことを聞いてほっとしていた。 日本以外のアジアで中国の文化圏に属する国は、今週末から旧正月の休暇に入る。中国で春節、ベトナムでいうテトの休暇である。先日のお父さんの中国出張も、この春節があるために、無理やり前倒しして年明けすぐの日程になったのだ。 日本の年末年始より、アジアの旧正月はお祝いの度合いがとても強い。みんな楽しみで1月になるとそわそわしてまともに仕事ができなくなるし、春節休暇に入るとほとんどすべての店がお休みになる。昭和時代の日本と同じである。 台湾で被害にあわれた人たちが、無事に春節を迎え、早く元の生活に戻れることを祈りたいと思う。
2025.01.23
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先日上海に出張に行った。最終日の夜、予定していたレストランが廃業していて入れなかったので、近くにある中華料理のレストランに入った。そこで驚くほどではないが、進化したシステムを味わうことになった。 レストランに入って席に着くと、まずはお茶が人数分運ばれてきた。ここまでは普通のレストランだった。ところがメニューを持ってきてくれない。周りのお客さんを見ると、テーブルにあるQRコードをスマホで読み込んでいる。 そこでお父さんたちもQRコードを読み込んでみたが、うまくいかない。なにやら変なエラー画面のようなものが出るだけだった。 そこで入れていたWECHATという中国版LINEでQRコードを読み込むと、ようやくメニュー画面が表示された。後からも調べたがどこにもWECHATで読みこんでくださいとは書いていない。 メニューはすべての料理の写真があったので、とりあえずそれで注文しようとしたが、どうやら1回の注文毎にスマホの電子マネーで支払うシステムらしかった。仕方がないので支払いまですると、本当に注文した料理が運ばれてきた。 つまりこのレストランでは、メニューが読み込めて注文ができるアプリとスマホでの支払いができる両方の準備ができていないと料理にありつくことができないということだ。幸いにも取引先の課長さんのスマホで対応できたので、事なきを得たが、ただ旅行できて中国での決済ができる電子マネーをスマホに入れていないと食べることはできない。試しにLINEで読み込んでみたが駄目だった。 驚くべきことに、注文した後、領収書もスマホに入ってくる仕組みになっていて、料理を運んでもらう以外は、店員との接触が一切ないレストランだった。 料理はおいしかったし楽しめたのだが、50前後の男3人でギリギリ対応できるレベルのシステムだった。 もう少し年を取っていたらまずあきらめるしかなかっただろう。上海とはいえローカルで英語も日本語も話せる店員がいないのでどうにもならない。 今後世界的に、こういうシステムの店が増えていくだろうと思う。レストランだけでなく、コンビニやスーパー、ひょっとすると病院とかも同様のシステムになるかもしれない。 すでに日本でもお小遣いやお年玉を電子マネーで渡す人たちがいると聞いている。お父さんの両親などもう80歳である。彼らがこのシステムについてこれるとは思えない。 使える人には便利だが、使えない人は社会から追放されていくのではないかと感じた。お父さんが老人になって新しいことが覚えられなくなった時、いったいどうやって生活していけばよいのだろうかと恐ろしくなる。
2025.01.22
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次女の高校受験の日程が近づいている。今回次女は単願で第一志望校の受験に臨むのだが、3種類の選考を受けることになっている。その中で学校推薦で受ける選抜では、面接が重要になるようで、面接の練習をしている。 中学校から想定される面接の質問を渡され、事前に回答を準備して同様の質問を受けた時に、すぐに的確な返答ができるようにと指導されている。 ところが、この質問に対する回答がなかなか難しい。ただ本当のことを答えるというわけにはいかないようだ。学校でも練習をしているようなのだが、否定的な回答はダメで、常に前向きな回答をしなくてはならないらしい。ただしウソはNGなのだそうだ。 お父さんは自分が会社で入社希望者の面接を何度もやってきたので、学校で練習してきた回答を聞いても全く面白くない。できれば本音が聞きたいのである。だから学校で想定されていない質問をいくつもする。できる限り本性を見せてほしいからである。 娘の面接もそれでよいと思うのだが、中学校の先生に否定されると娘も学校の先生の指導を優先してしまう。 さて、娘はもらってきた想定質問に対する回答を必死で考えているが、平凡な中学生であった彼女には、華々しい活躍を回答として書くことができない。お母さんもまじめすぎるのでうまくアドバイスできないようだ。お父さんのアドバイスはふざけすぎていると却下された。 そこで、AIを使って回答を作ってみたところ、実にまじめで面白味はないのだが、しっかりした回答が作成された。 試しにそれを丸写しにして学校へもっていかせたら、中学校の先生は納得してくれたようである。これで受験に合格できるなら、面接などAI任せで良いということになる。面接をする意味がなくなってしまうのではないだろうか。 試しに作文もAIに作らせてみたが、実にしっかりした作文が作成され提示された。事前提出型の作文であれば、AIの回答を丸写しするだけで合格できるのかもしれない。文才がない人に比べたら、AIのほうがよほどしっかりしたものを作るからだ。 お父さんはこのブログで何度もAIが世の中を変えると書いているが、受験も変えていくような気がしてならない。
2025.01.21
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アメリカの次期大統領がトランプ氏に決まって以来、彼の多くの発言が世界中で取りざたされている。日本でも連日ニュースでトランプ政権がはじまったら世界はどうなってしまうのか、日本への影響はどうかなどテレビや新聞で取りざたされている。 お父さんが不思議に思うのは、トランプ氏の発言はそれほど驚くべきことでもないし、ひどいことを言っているとも思えない。彼の政治信念は「アメリカファースト」である。アメリカ人にとって最も良いと思われる政策をしていくと宣言しているのだ。 パナマ運河のアメリカへの再返還も、グリーンランドの買収も、カナダやメキシコに大きな関税をかけるのもすべて、アメリカの国防、経済に良いと思うからである。 実現するとかしないとは、全く別の話である。実際に大統領になって、様々なブレーンが大統領の指示に従い検討をして決めていく話である。 アメリカも普通に民主主義の国であり独裁政権ではない。トランプが言ったことがすべて実行されるわけではない。トランプにもそのつもりはないだろう。ただし、大統領の権限というものを可能な限りきっちり使い切るのだとは思う。 日本のマスコミを見ていると、トランプが世界経済を混乱させるとか、分断が進むとかいろいろ文句というか、トランプ=悪という構図で話をしているのをよく見かけるが、おかしな話だと思う。 そんなことを心配するのなら、韓国の大統領の弾劾が決定した時、イジェミョンという野党の党首が次の大統領になったときの方が、日本にとって面倒くさい状況になるとお父さんは思っている。 アメリカ国民にとって、アメリカ人が最も幸せになる政策を採ると思う人に投票するのは当たり前のことだろう。トランプは世界経済が弱体化しても、アジアやアフリカの軍事的緊張が高まっても、アメリカ経済が好調になり、アメリカの国防が最も良い状態を模索していくのだと思う。これはアメリカ国民にとっては喜ばしいことだと思う。 実際に日本人にも親トランプの人はたくさんいるのではないかとお父さんは思っている。世の中がトランプはダメだと言っているから言い出せないだけで、トランプの発言を問題視していない人は多いと思っている。 お父さんの知り合いの社長さんは、トランプが次期大統領に決定した時に、喜んでメッセージを送ってきた。お父さんもバイデンやハリスでは今のアメリカや世界を良い方向に導けないと思っている。 心配なのは、石破総理がまともに日本を守っていけるか。トランプ政権ときちんと交渉して、やっていけるかである。石破総理はお父さんが見ている限り、決断力もリーダーシップもない評論家である。またマスコミによるイメージに捜査に弱いとも感じている。 アメリカ大統領がトランプになったことで、日本もいろいろとチャンスがあるとお父さんは思っているが、そのためには日本が盤石の政府である必要がある。そこだけは、できていないので心配ではある。 どの国でも、自国の国民を犠牲にして世界平和を守るなどという政治が認められることはない。国民は自分の生活が第一であり、世界のことなどどうでもいいのだ。トランプ政権が一定の成果をアメリカに出せば、日本の政治も変わっていく可能性があるとお父さんは思っている。 トランプの発言を悪者の発言として報道していると、日本は大きな変革のチャンスを逃す可能性がある。マスコミの責任は非常に重大である。
2025.01.20
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ツナマヨというおにぎりがある。コンビニでおにぎりを売るようになってから日本人に認知された具であるが、ツナマヨは今ではおにぎりとしてなくてはならない具になっている。お父さんが子供のころは、おにぎりは家で作るものであり、具は梅干し、サケ、たらこなどが定番だった。そのため「ツナマヨ」のおにぎりはかなり衝撃的であった。お父さんは子供だったので、食べてみて純粋においしいと思ったが、当時の大人はかなり否定的だったと思う。 その後、エビマヨとか昆布、その他さまざまな具がおにぎりとして認知されるようになったが、おにぎり界をひっくり返したのは、ツナマヨのおにぎりだとお父さんは思っている。ツナマヨがおにぎりの具として認められたことで、おにぎりの具の世界は一気に広がった。 ツナマヨと似たようなものに、寿司がある。特に巻物に関しては、アメリカで考案されたカリフォルニアロールではないかと思う。お父さんが学生の頃からカリフォルニアロールは有名だったが、日本で食べる機会はなかった。東京などではあったかもしれないが、お父さんが住んでいた地方都市ではなかったと思う。 その後、回転寿司が世の中に認められたことで、徐々に寿司のネタはなんでもありという風に変わっていった。納豆やサーモンも今の若い人には当たり前の寿司ネタかもしれないが、お父さんにとっては当初「えっ!」という寿司ネタだった。巻物と言えば、かっぱ巻き、鉄火巻き、かんぴょう巻きしかなかった。今では納豆巻きは当たり前になり、トロタクとか不思議なものがたくさんある。 今回転寿司に行くと、30年前には考えもつかなかった様々なネタがたくさんある。お父さんもお母さんもあまりそういうものを食べないが、子供たちはよく食べている。保守的な人はこういうものを認めない人のいるのだろうが、お父さんはこのようにして食文化は変化していくものだと思う。 ラーメンも昔は醤油ラーメンが普通で、味噌ラーメンと塩ラーメンが存在すればかなり種類の多いラーメン屋だった。それがいつの間にか、豚骨ラーメンが全国に伝わり、それが豚骨醤油とか、油の多い様々なラーメンとして発展していった。 情報がものすごい速さで伝わる世界では、食の変化も一気に訪れるようだ。これからもお父さんが驚くどころか、子供たちが驚くような食の変化がやってくることだろう。楽しみではあるが、あまり油の多いものはやめてほしいと思う、すでにお父さんの胃にはつらいラーメンが多いから。
2025.01.19
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今年の正月は次女の受験が危ないというのもあり、かなりいろいろな神社に行っている。あちこち行くのは良くないとも聞くのだが、親としてできることがほとんどないので、神頼みぐらいはしておきたいという心境が原因にある。 先日も、受験にご利益があるという神社にお母さんと二人で行ってきたぐらいだ。 さて、正月の初詣に行くとどこの神社も境内がとてもきれいに清掃されている。人混みが多いとあまり感じないのだが、初詣のラッシュが一段落した1月10日過ぎの神社はかなり閑散としてくる。 そうすると神社特有の「清い」という雰囲気が味わえる。先日いった神社もきれいに掃除され、玉砂利の上を歩いていると神社も清いし、心も清められる感覚になる。 この「清い」という感覚だが、よく考えると日本人特有のものではないかと思う。身を清めるとか、場を清めるという言葉は、日本人には普通に理解できる言葉であり感覚であるが、外国人に説明することは難しい。 日本人がきれい好きとかいう大元には、この「清い」という感覚が備わっているというのがあるのではないかと思う。 西洋の教会に行っても神々しいという感覚はあっても、「清い」という感覚にはならない。どちらかというと埃っぽくて重い空気を感じるのはお父さんだけだろうか。それに対して、日本の神社やお寺はやはり「清い」という感覚が心地よい。 特に神社はこの「清さ」を大事にしていると感じる。お寺やお城の石庭なども追及するのは清さだと思う。竜安寺の有名な石庭も「清さ」を感じる。外国人観光客が「清さ」を理解しているのかわからないが、彼ら騒ぎながらスマホで撮影したり、騒いだりしているのを見ると、「清さ」を理解できているとは思えない。 グーグル翻訳で「清い」を英語に翻訳すると「pure 純粋な」とか「clear すっきり」のような英語になるようだ。どちらもお父さんが感じる「清さ」とは異なる。「身を清める」と入力すると「Purify yourself 体を浄化する」とやはり少し違う訳となっている。 日本人には「清い」と関連して「穢れ(けがれ)」という言葉がある。これも日本人が独自に持っている感覚だとお父さんは思う。英語に訳すと「impurity 不純物」となってしまう。清さも穢れも目に見えるものではない。肌で感じるものである。どうしても外国人に説明するのは難しい。 日本人がいつからこの清さとか穢れという感覚を身に着けたのかよくわからないが、この感覚を日本人としてなくさない限り、日本は世界的にもきれいな国であり続けるのではないかと思う。
2025.01.18
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年をとると人の名前が出てこなくなる。これはお父さんが若いころから親や祖父母からよく聞いていた。学生のころ、祖父母から兄の名前で呼ばれるなど当たり前で、兄の名前すら出てこないときは「あなた」とごまかされたこともよくある。不思議とこういう時は呼ばれていてわかるものである。 ボケているというわけではなく、とっさに名前が出てこないだけなので、お父さんが誰であるのかは認識されている。ただただ名前だけが出てこないのである。 お父さんも最近は子供の名前を呼び間違えることが増えてきた。今年の正月など子供や甥っ子が集合して8人もいるので、名前の呼び間違えばかりしていた。特にひどいのが次女を呼ぶときで、長女の名前で呼ぶならまだしも犬の名前で呼ぶという失態もやらかしている。 若いころは、祖父母や親の呼び間違いを笑っていたが、今は自分が笑われるようになってしまった。 先日もお母さんと話をしていて、「あるある探検隊」というネタをやっていたお笑い芸人のコンビ名が出てこなくて二人で悩んでいた。スマホで調べればすぐにわかるのだが、何となく調べるのが悔しくて15分ぐらいお互いに必死で思い出そうとしていた。頭の中がどんどん気持ち悪くなってきて、結局お父さんがスマホで調べて「レギュラー」というコンビ名を思い出した。映像としての記憶は残っていたのだが、コンビ名は本当に出てこなかった。 学生の頃の友人の名前も出てこなくてよく混乱するようになっている。お母さんとの共通の友人も二人でど忘れして出てこないことがよくある。本当に困ったものである。 お父さんの場合は、これが仕事でも起こるのでたちが悪い。年に数回会う人ですら、とっさに名前が出てこないのだ。こっそりと名刺アプリを開いて会社名から名前を検索することが増えてきた。 ちなみに上司と出張に行って、上司が相手の名前を間違えることがある。その場でお父さんが指摘することもあるのだが、話が白熱していたり場の雰囲気によっては最後まで訂正できないこともある。 上司の間違いを見ても、これはお父さんやお母さんが特別ダメなわけではなく、人間が老化していくと誰にでも起こることなのだろうと思う。 ちなみに子供の名前を呼び間違えるときは、口に出してしまってからすぐに間違いには気が付く。早いときは最初の一文字目を口から発した瞬間に気が付くので、無理やり本来の名前に戻そうとして、複合された不思議な名前を呼ぶこともある。呼ばれた子供にとっては間違われたことに気が付くのであまり意味がない行為なのだが、親としてそれはダメだろうという気持ちがこちらにあること、さらに言うと「また間違えた」と言われたくないという思いが、無理やりな訂正をさせるのだと思う。 今お父さんを笑っている子供たちも30年もすれば同じになるだろう。「子供叱るな来た道じゃ、老人笑うな行く道じゃ」という言葉がある。この言葉の後半部分を今まさに正しい言葉と認識している最中である。まだ自分を年寄りとは思っていないのだが。
2025.01.17
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日本のメディアは15年ほど前から「お隣韓国では」という話題を頻繁に出すようになってきている。今では「韓国では」を聞かない日はほとんどない。お父さんが学生のころまで、2000年ごろまでは、韓国という国は日本人に全くと言っていいほど意識されていない国だった。日本との比較に使える国力がなかったためだと思う。 一般人で韓国の大統領の名前を知っている人はかなり少なかったと思う。今では政治、経済、スポーツ、文化と韓国のことを知っているのは当たり前の時代だが、それだけ日本が衰えたのと、韓国の国際的な地位が上がったということになると思う。 お父さんが子供のころ、日本のメディアは外国との比較にやたらとアメリカを使った。今の「韓国では」が「アメリカでは」だったと思ってくれればよいと思う。メディアだけでなく、学校で先生も「アメリカでは」とよく言っていた記憶がある。トピックまでは覚えていないが、憧れの先進国である「アメリカ」に少しでも近づきたいという日本国民の思いがあったと思う。お父さんの中でアメリカは「世界最高の先進国」であった。 だから大リーグに日本人が入団するとか、日本ブランドがアメリカで成功するというのは夢物語だった。ところが自動車や電気製品のメーカーがアメリカで受け入れられ、さらに品質などで日本ブランドが人気となると、日本人にとってアメリカは、憧れから比較対象に変わっていった。バブル時代の日本はアメリカに追いつけ追い越せと頑張っていた。 結果として日米は同盟国でありながら、日米経済摩擦という大きな問題に直面して様々な分野で敗れていった。 ちなみに1999年にお父さんはアメリカに渡ったのだが、日本に対するアメリカ人の一般認識はアジアにある電化製品の国ぐらいであり、ライバルともとらえていなかったし、日本の首相を知っている人も一般人にはあまりいなかった。 アメリカが日本を一番意識していたのは、太平洋戦争の時代だったのではないだろうか。軍事的脅威のなくなった戦後の日本はアメリカにとって、ただアジアにある一つの国ぐらいの認識だったし、今でもそれはあまり変わらないと思う。 トヨタやホンダの車に乗り、ソニーや日立の電化製品を使っていても日本がアメリカと比較されるべき先進国というイメージをアメリカ人は持っていなかった。今の日本人がスイス時計を身に着け、ドイツの車に乗っていてもこれらの国に憧れを持っていないのと一緒である。 逆の立場で、韓国人にとって日本は憧れの国であったと思う。しかしながら日本のアメリカに対する認識が変わったように、経済力を身に着けた韓国にとって、日本は憧れから比較対象に変わったのだと思う。 お父さんが学生のころ、「永遠のライバル韓国」などという言葉はスポーツの分野であっても聞いたことがなかった。 ちなみに野球やサッカーはともかく、一般的な日本人で、韓国が政治や経済、技術で日本のライバルであるという認識を持っている人は少ないのではないだろうか。バブル時代の日本を見るアメリカ人の感覚と、今の韓国を見る日本人の感覚はとてもよく似ていると思う。 そういう意味で、日本より先にいると考えている欧米諸国は日本に対する思いや意見などもっていないとお父さんは感じている。逆にアジアの多くの国は、日本を意識してアジア唯一の先進国日本を目指して発展してきたので、日本に対する思いや意見を持っている人が欧米よりは多いだろう。 南米やアフリカなど日本など物理的に距離の遠い国々は日本の正確な位置を地図で刺すこともできないレベルで興味がないとお父さんは思う。 日本人が思っているほど、日本国や日本人は世界に認識されていないというのが、お父さんの認識である。
2025.01.16
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お父さんの会社は昨年操業50年を迎えた。一般的な企業の寿命は30年ともいわれており、50年を迎えるというのはなかなかにすごいことである。50年経つと、創業者は基本的に生きてはおらず、2代目が結構な高齢になっているか、すでに3代目がバリバリと働いているぐらいに当たる。 経営者の世界では「初代が起こし、2代目が発展させて、3代目がつぶす」という言葉がある。世代を超えて会社を残すというのは、オーナー一族が経営もしている会社ではかなり困難であるということだと思う。 50年前会社ができたころは、前例など一つもないし、伝統もない。すべてのことが初めてで、自分たちで試行錯誤しながら会社を発展させるために頑張っていたと思われる。しかしながら、50年を超える今の会社には50年の歴史に伴う前例や伝統がたくさんある。 2代目に当たる現会長から聞いた話では、伝統に縛られて新しい技術や機械を導入しない同業他社に散々新参者と笑われていたが、今に見ていろと頑張っているうちに、いつの間にか伝統に縛られていた会社がなくなってしまったそうだ。 逆に伝統を生かしつつも、いまだに一線級で活躍している同業他社はいて、いまだにお父さんの会社が勝てるとは思えない会社も存在している。 そして現在、お父さんの会社は伝統や前例が重荷になっていると感じることが多々ある。職人化した人たちが新しい技術や機械を拒否して、若者が苦労をしている。20年前に操業を開始したベトナム工場に追い抜かれてしまった部分もたくさんある。もちろん日本の社員はベトナム工場を下に見ている人がいるが、両方を見ているお父さんにとっては、日本の方が先にだめになる確率が高いように見える。 お父さんがアメリカに留学していた時、ある授業で教授が、「一度できたシステムというのはそう簡単に変更や廃止ができない。だから最初にシステムやモノを作るときには後世まで考えていく必要がある。」という話をよくしていた。 50年の歴史があると伝統的にやっているものが多々ある。50年前はすべてを自分たちで新しく決めたのに、それが伝統になると変更することが難しくなる。 アメリカで、システムもモノも一度決まると大きく変えるのには多大な労力を要するし、基本的に大きな変化は起こせないと習った。今その意味がよくわかる。 一度決めた生産方式や加工設定は、理論的に間違っていたとしても、なかなか変えることができない。ベテラン社員は新しい機械で生産するよりも、古い機械で生産することを好む。購入したばかりの最新型の機械を停めて、古い機械をフルに動かしているということが珍しくないのだ。 人事のシステムから生産技術に至るまで、新興の会社であったお父さんの会社は現在ほんの50年前から作り上げた伝統に縛られている。 世の中では多くの日本企業、それも技術で世界に認められた企業が売却されたり消えて行ったりしている。原因の多くは、伝統という壁を破ることができなかったせいではないかとお父さんは思っている。
2025.01.15
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お父さんも50歳を越え、年々体の衰えを実感している。人生100年時代とは言われつつも、男性の平均寿命は80歳を越えたぐらいであるし、50歳というのは人生の半分ではなく明らかに後半に入っている。体が衰えていくのは必然であるとあきらめているのだが、できるだけ健康で長生きしたいというのも、人間として当然の欲求としてお父さんも持っている。 50歳を越えると、体が衰えるだけでなく病気にかかる確率も当然上がってくる。生活習慣病もそうだが、ガンのリスクがかなり増えてくる。毎年人間ドッグは受けているのだが、もう少し正確性の高いがん検診にPET(ペット)検診というがん検診がある。特殊な薬を注射して、体の中のがん細胞を見つけるのとMRIによる全身の検査がセットになっている検診で、小さなガンでも発見できる。 PET検診の難点はとにかく値段が高いことである。自治体によっては補助が出るところもあるようだが、補助がなければ値段は12~15万円ぐらいだ。簡単に支払える額ではない。 そのようなわけで、お父さんとお母さんは過去に2回ほどPET検診を受けている。結果はどちらもガンは見つからなかったが、安心すると同時に二人で20万円以上の検査費用がもったいないと感じてしまう。 ところが先日お父さんの会社の社長が、海外赴任者やお父さんの様に長期出張でベトナムに行っている人は、会社経費でがん検診を受けさせると言い出した。お父さんはPET検診を会社経費で受けられると喜んだが、社長からの説明はN-NOSEという尿でガンの有無を調べる検査をするということであった。 何度かテレビで見たことがあったが、ガン細胞が作り出す代謝物に反応する線虫という虫というか菌を使って検査する方法で、ほぼすべてのがんが検出できるという。値段は2万円弱と安いうえに、尿を取って薬局で出すだけと病院へ行く必要もない。会社を休む必要もないので、実にお手軽である。 ただしこの検査は、医学界でも賛否両論のようで「意味がない」という人もそれなりに多い。まだまだ発展途上の検査方法である。渡されたベトナム出張者に弟が医学界で働いている人がいたが、その弟は「意味がない」と言っているらしい。お父さんは医学知識がないので賛成も反対もないが、採尿して出すだけなのでまあ理由はないけど賛成派であろうか。 今回社長から検査キットを渡されて実施した。家で尿を取って薬局に持ち込んだのだが、検査が出るのは3週間後ぐらいらしい。実にあっさりした検査方法であることに間違いはない。結果が出てからまた考えようと思う。ガンの疑いありと出たら怖いのであるが。
2025.01.14
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AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」という歌がある。今調べたら2013年にリリースされた歌だそうだ。当時会社の忘年会で幹事グループが踊っていたのでとても印象に残っている。ただその時に、フォーチュンクッキーを知っているかと聞いたら、ほとんどの社員がフォーチュンクッキーを知らなかった。おそらく年齢で行くと50歳前後の人より年齢が上でないと見たことがないと思う。年齢が高くて実物を見ればわかる人も、フォーチュンクッキーという名前だけで実物をイメージできる人も少ないかもしれない。 フォーチュンクッキーとは折り曲げられた妙な形のクッキーの中に細長いおみくじ(大吉とかはなくて、英語で短い文章が書いてある)が入っているものである。 フォーチュンクッキーは、中華料理屋のデザートというか、焼き肉屋で最後にもらうガムやアメぐらいの感覚と同じように中華料理店で出されていたものである。フォーチュンクッキーで画像検索を書ければすぐに出てくる。味もほとんどなくおいしいものではない。昭和時代の子供なら喜んで食べる人も多かったかもしれないが、令和の子供は食べないだろうと思う。 お父さんがフォーチュンクッキーという名を知ったのは、アメリカに留学していた時である。当時何度か飲茶の店に行っていたのだが、最後に一人一つずつ皿の上にのせられたフォーチュンクッキーが出てきていた。 アメリカ人は結構それを楽しんでいた。楽しんでいたというのは、クッキーを食べるのではなく、クッキーを割って中のおみくじに書かれた文章を楽しんでいたということである。お父さんがクッキーを食べたら、アメリカ人が驚いて、「これは食べるものなのか?」と聞いて来たレベルで食べられていない。 そんなフォーチュンクッキーに先日香港で久しぶりに出会った。香港の中華料理屋ではなく、香港空港の免税店でクッキーを買った時のおまけとしてついてきたのだ。会社向けのお土産としてクッキーとおまけのフォーチュンクッキーを購入してしまった。どちらかというと目当てはフォーチュンクッキーだった。 会社に持っていき、みんなに配ると案の定若い人たちは初めて見ると騒いでいた。久しぶりに食べたフォーチュンクッキーは、昔と変わらないおいしいとは言えない味だった。ちなみにおみくじに書いてあった言葉は、Your life is a voyage on the sea of prosperity(あなたの人生は繁栄の海での航海である)というとても良いものだった。 どこで作られているのかネットで検索をしたら、フォーチュンクッキーは日本で発明され、中国人がアメリカで広めたという経緯がよくわからない記述が出てきた。おみくじの片側は英語で反対側に中国語が書いてあるので、お父さんは中国発祥だと思っていたのだが、どうやら日本が発祥の地であるようだ。 謎の多いフォーチュンクッキーだが、次にお目にかかるのはいつになるだろうか。今回が訳20年ぶりなので、同じペースだと次に出会うのは70歳を過ぎてからということになるかもしれない。
2025.01.13
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昨年香港経由で中国出張をしたとき、帰りのフライト日に午前中時間が取れたので、香港で会社や家族にお土産を買おうと思った。前日の夜に香港に戻っていたので、ホテルでどんなものがお土産としてあるのか、場所はどこにあるのかを検索していた。しかしながら、香港と言えばコレという定番のものはなかなか見つからなかった。 前回香港に出張した時は、XO醤を何種類か買っていったのだが、評判は今一つだった。高級レストランの1万円もするものならおいしいのかもしれないが、それで評判がいまいちで食べることなく捨てられてしまうのはあまりにも悲しいので手が出せない。 飛行機の時間とホテルから店の距離を考えて、購入する候補として、ペニンシュラホテル内にある、ペニンシュラブティックのチョコレートか、ジョニーベーカリーのクッキーを購入することにした。 お値段はジョニーベーカリーならクッキー1缶で3000円、ペニンシュラブティックはモノにもよるが、5000円から10,000円ほどするようだった。どちらもおいしいという口コミであったが、ペニンシュラのチョコレートは格が違うというほどおいしいようだった。ただし、値段はすこぶる高いとのこと。 お父さんはクッキーがよいと思い、10時前にクッキー屋(ジョニーベーカリー)に到着したのだが、すでに行列ができていてどれぐらい待つのかわからない状態だった。 そこでペニンシュラブティックに目的地を変えて、ペニンシュラホテルに入った。相変わらずクラッシックで豪華なホテルであった。いつか泊ってみたいと思いつつ地下にあるペニンシュラブティックに向かった。 初めて中に入ったのだが、ペニンシュラブティックのチョコレートは予想していた安いものはなく、すべて高級なチョコ(もしくは値段が高すぎる)ばかりだった。ミルクティーのチョコが5個で5000円ほどのお値段だった。 どのチョコレートも1個あたり1000円から1500円ぐらいで、ちょっと今まで購入したことのないレベルであった。板チョコ1枚ではなく、アイスのピノ見たな大きさのチョコが1個1000円以上するのだ。そんなもの買ったことはもちろん食べたこともない。 ただこの時は両替して使わなかった香港ドルを結構持っていた。また米ドルに両替するのも面倒くさいしもったいない。そこで意を決していくつかチョコレートを購入した。日本円で3万円分ぐらいだった。 ホテルへ戻る途中でもう一度ジョニーベーカリーを見てみたが、行列は相変わらずでどこまで続いているのかもよくわからないぐらいだった。ここについては次回のお土産としてとっておこうと思う。 ちなみに対して変わらないだろうと購入した香港国際空港のクッキーは1缶5000円もしたのに、びっくりするくらいまずかった。これに関しては、まずいとはっきり断言出来る。1個食べただけで口の中から水分が失われる。飲み物と一緒に食べないと飲み込むこともできないレベルでまずかった。 日本に戻って、家で家族とペニンシュラブティックのチョコレートを食べたが、とてもおいしかった。おいしかったが、1個(1粒)1000円の価値があり、次回も買うかと聞かれたら、答えはNoである。一生に一度購入して食べれば十分である。お父さんの収入や社会的地位にはそぐわない高級チョコレートであった。 香港はお父さんが学生の頃は、買い物天国と呼ばれてブランド品を買いあさる日本人観光客であふれかえっていたが、中国に返還され徐々に中国本土に飲まれつつある。決してすたれているわけではないが、昔の香港ほど魅力を感じなくなっているのも事実である。お父さんも仕事で行くのみで、旅行で行こうとは思わなくなってしまっている。
2025.01.12
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1月11日は鏡開きである。今は自宅で餅つきをして、鏡餅を作る家はほとんどないだろう。だから鏡開きと言っても市販の鏡餅を降ろして食べるだけである。今の市販の鏡餅は中に小分けの切り餅や丸餅が入っていて、とても便利になっている。 お父さんが子供の頃は、毎年12月28日に餅つきをしていた。祖父母の家に集まって、家族総出で餅つきをして、鏡餅やのしもち(後で切り餅にする)、そして何故かあんこの入った餅も作っていた。 この日だけはつきたてのお餅をあんこやおろし大根で食べることができて、お父さんも楽しみにしていた。 ちなみに空気中に放置してある昔の鏡餅は3日もするとすぐカビがはえてくる。28日についたお餅は正月の1日にはすでにぽつぽつとカビが浮かんでいた。鏡餅を神棚などから降ろす11日にはヒビだらけカビだらけになっている。これを木槌などで割って、さらにカビを落としながら水につけてふやかしたものをお汁粉などにして食べさせられたものだ。カビがたっぷりはえているのを見ているので、子供としてはあまりうれしい食べ物ではなった。 先日会社の鏡餅を準備していた若い部下に、お父さんが若いころの市販の鏡餅は鏡餅型のパックにみっちりとただお餅が入っていて、1月11日にパックから取り出すのに苦労したし、それを食べられる大きさに切り分けるのにさらに苦労したという話をしたが、本当にそんな時代があったのですかと半信半疑だった。 今年の鏡餅は上にのせるミカンがプラスチックから紙に変更になっていた。おそらく環境対策メインだが、原価低減もあるのだと思う。あまりに寂しいので会社では本物のミカンをのせた。 最近は正月用の玄関飾りもプラスチックのミカンが消えてきている。鶴の水引きのようなものや、その他の飾りを使っていて、これも環境対策なのだろうと思う。どんと焼きに出すときにプラミカンは受け入れてもらえないので別途ごみに出さなければならない。消費者からの何らかの意見があったのかもしれない。 お父さんは東海地方の出身なので、玄関飾りや鏡餅の上には自宅にはえている橙をのせていた。玄関飾りも祖父母が健在の頃は祖父母の家で作っていたのだ。祖父母の家で作らなくなってからは、市販のものを使っていたが、橙は本物だったと思う。 今年お父さんの実家に帰省して実家の玄関飾りを見たら、市販のものだったが本物の橙がついていた。お父さんが自宅用の玄関飾りを購入したスーパーには、本物の柑橘類を使った玄関飾りは一つもなかった。 そういえば、お父さんが子供のころは、自動車にもお飾りをつける人がたくさんいた。お父さんも大学生になり免許を取った30年前には、車にお飾りをつけていた。働きだした2000年以降は車にお飾りをつけた記憶はないので、90年代までの文化だったのだと思う。 今車用のお飾りをつけている車を見ることはまずないだろう。でも誰かがやりだしたらまたはやりそうな気がしないでもない。車をドレスアップする人はいまだに一定数いるのだから。 鏡餅も正月飾りも時とともに変化している。20年後ぐらいには、また今と全く違ったものが主流になっているかもしれない。
2025.01.11
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もうすぐ我が家のトイプードルは8歳になる。シニアというか、人間で言ったら60歳ぐらいの年齢になるだろうか。もう8年も我が家にいると思うと、本当に時の流れの早さを感じる。 我が家のトイプードルは、一言で言うとヘタレで臆病な犬である。飼い始めの時期に近くの動物病院でしつけ教室に連れて行ったのだが、周りの犬が怖くて吐いたぐらいにはヘタレである。 散歩に連れて行こうとしても家を出るのを嫌がるし、車に乗せればブルブルとずっと震えている。 8歳になる今でも乳幼児の様に、お母さんに抱っこされているのが大好きで、とにかくお母さんにべったりである。子供たちやお父さんが呼んでも、お母さんの膝の上や隣にいるときは聞こえなふりをして絶対に呼んだ人の方を見ないし、もちろんやってくることもない。 お父さんが実家に住んでいる時に飼っていた犬は、少なくとも呼ばれれば1度は必ずやってきて義理を果たした後にまた離れていくぐらいだったのだが、今のトイプードルは全く忠誠心というか、犬として問題だとお父さんは思っているが、もうシニア犬になってしまう年なのであきらめている。お母さんがいないときにはお父さんの膝の上にのってくるなど甘えることもあるのでよしとしている。 飼い始めて8年、ヘタレで臆病なほかに、よくお腹を壊している。丸1日食事をしないなど当たり前で、最初の頃は家族で心配していたが、今では2日ぐらい食べなくても、犬が元気なら大丈夫と判断されるようになってしまっている。 年明けも早速下痢をしていたが、そのうち治るだろうと放っている。まあペットショップで売っている下痢止めは飲ませたが、病院に何時間も並ぶまでではないと判断している。 家族で泊りで出かけるときなど、これまで何度かペットホテルのようなところに預けたのだが、エサは食べないし、トイレもしないので、あるペットショップから「次はあずかれません」と断られたぐらい、家にいないとまともに生活ができない。 今年の正月も、実家に連れて行ったが、お母さんの膝の上から降りなかったので本当に大変だった。ただ何回か実家に行っているので、トイレだけは慣れていて、庭に卸すとそそくさと用をたしている。お母さんの実家に連れて行くと、トイレをするまでに外に連れ出してから最低30分はうろうろしている。おそらくヘタレなので、ほかの犬の匂いのするところでトイレができないのだとお父さんは思っている。 ヘタレでよいところが少ない犬ではあるが、まあ家族の一員として、我が家では愛されて育っている。家族の習慣として、帰宅すると犬を触るのが定番となっている。それぐらいには家族に愛されているので、元気で長生きしてほしいと思う。
2025.01.10
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近年社会の分断というのが問題になっている。身近な問題で言えば、貧富の格差なども分断である。大きな問題では、移民と元から住んでいた国民、日本では外国人労働者の扱いなども問題となっている。 ほとんどの場合、我々は社会問題をテレビや新聞などのマスコミを通して知ることが多い。そしてマスコミは会社の思想もあるが、理想論をかざして記事を書いたり番組を作る。結果として社会問題の被害者にクローズアップをするのだが、我々にはその被害者が一般的な被害者なのか、それとも特殊な被害者なのか知ることは極めて困難である。 例えば外国人労働者が日本企業にひどい扱いを受けているという特集を見ても、お父さんの周りで外国人労働者がひどい扱いを受けているのを見たことがないので、ピンとこない。それよりも外国人労働者が窃盗や強盗など犯罪を犯しているというニュースの方が、そうだろうなと共感してしまう。 先日ドイツの移民による分断を特集しているニュースを見たが、移民してきてその国のルールに従わず、その国の慣習や文化よりも自分たちの慣習や文化を尊重するなら移民が受け入れられるのは困難であろう。 お父さんは、移民というのは自国を捨てて逃げてきた人たち、つまりは本来自分たちで何とかしてよくしていかなければいけない自分の国を放棄した人たちというイメージがぬぐえずにいる。命の危険を冒すのはそう簡単ではないとは理解しつつも、先進国は移民を受け入れるより、内政干渉であろうと移民が出ないように対象国に援助なり制裁なりをした方が効率的だと思ってしまう。 理想で言えば、移民も元の国の人も仲良く一緒に生活するのがよいのだろうが、そう簡単にはいかないのが現実である。移民で成り立っているアメリカですら、移民問題が大統領選挙の行方を左右するほど大きくなっている。理想だけではうまくいかないことを如実に表していると思う。大きな声でトランプを支持できないが、内心では応援している人が多いというのも理解できる。 理想と現実をどうバランスをとるか、とても重要な問題である。マスコミが無理に理想論を語りすぎれば、必ず反発する人が増えていくだろう。ネット社会になり、様々な意見がネットにあふれ、それを多くの人が閲覧する時代である。マスコミの意見で世論を操作することができない以上、マスコミももう少し現実的な記事や番組を作るべきであるとお父さんは思っている。
2025.01.09
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お父さんが子供のころ、おばあちゃんというのは家事全般なんでもできる人というのがお父さんの認識であった。料理のレパートリーも母親より多いし、裁縫なども上手だったと記憶している。おばあちゃんはスーパーウーマンだった。 さて、なんでも作れるおばあちゃんなので、お父さんのおばあちゃんはお寿司も自宅で作ることがあった。ちらし寿司ではなく握り寿司である。ただし、きちんとシャリとネタを重ねて手で握るのではなく、シャリを型に入れて握り寿司の形を作り、その上に刺身をのせるという寿司なので、握り寿司とは言えないかもしれない。 お父さんはおばあちゃんが寿司を作っていたころ、寿司は好きではなかった。酢飯がそもそも嫌いだったし、刺身も好きではなかった。食べることができた寿司は、(ゆで)エビ、玉子、いくら、アナゴなどである。 おばあちゃんの寿司はハマチやマグロなどだった気がするが詳しくは覚えていない。なぜならお父さんは全く食べなかったからだ。 ではなぜおばあちゃんのお寿司を覚えているのかというと、酢飯の型抜きをやらせてもらった思い出があるのと、家じゅうに広がるお酢の匂いがあまりにも強烈だったからだ。お寿司屋さんの寿司は、おそらくただの米酢だけでなく、においや味がきつくならないようにいろいろ工夫していると思う。だがおばあちゃんの酢飯は、基本的にほとんど米酢だけだったのではないだろうか。それを炊きたてのご飯にぶっかけてかき混ぜながら団扇で扇ぐ。必然的にキッチンにお酢の匂いが充満する。そしてその匂いはキッチンを越えて、家じゅうに広がるのだ。 お酢の匂いが好きな子供など世の中にほとんどいないだろう。とにかくおばあちゃんがお寿司を作ると、食卓に出てくる前からもう気持ち悪くなるぐらい気分が滅入った記憶がある。おばあちゃんごめんなさいであるが、子供の頃のおばあちゃんのお寿司はとても嫌だった。 先日そんな話をお母さんにしたら、お母さんのおばあちゃんも家じゅうにお酢の匂いを充満させて作っていたとのことである。お父さんたち世代のおばあちゃんは戦時中もしくは戦後すぐに結婚した世代である。おいしいとかいう前に、とにかく作ることが大事だったのかもしれない。 そういえばおばあちゃんがつくるプリンは妙に硬かったし、牛乳カンというよくわからないデザートも作ってくれた。当時はあまりおいしいと思わなかったが、今思うとまた食べてみたいと思ってしまう。おばあちゃんがせっかく作ってくれたデザートをお父さんも含めて兄弟もいとこも「まずい」と拒否したことも多い。 今の味覚で食べればおそらくそれほどまずいものではなかったとも思うし、そもそもおばあちゃんの手作りというだけでもう食べられない思い出だけの味である。ちょっと湿っぽくなってしまったが、お母さんと話したときはどうしてあの時代のおばあちゃんは同じようなものを作っていたのかと笑い話だった。
2025.01.08
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世の中がどんどん変化して、お父さんから言わせれば毎年のようにはやり言葉ができている。数年前はLGBTが流行った。同性婚を認める国が続出し、日本もその波に飲み込まれた。最近では夫婦別姓を認めるかどうかなど、国の戸籍システムにまで影響を与える内容となっている。これが純粋に同性愛者などを救う取り組みならまだよいのだが、利権や政治的思惑が絡んでいるので、お父さんはあまり賛成できない。日本から戸籍システムを消してしまいたい人も少なからず存在していて、そういう人たちがLGBTや同性婚、夫婦別姓に便乗しているのも気に入らない。 近年はやっている言葉にSDGsというのもある。Sustainable Development Goalsの頭文字をとったもので、日本語に訳すと持続可能な開発目標となるだろうか。何をするのかという17のゴールが設定され、行政も企業もこれを宣言しないと世界の敵と認識され、取引に問題が出るほど一気に社会に広がった。 最近はサステナブルという言葉に変更されて、世の中に浸透している。少なくともSDGsよりはわかりやすい言葉になっているが、ではサステナブルとは何をするのかというと、その手段は実にあいまいである。 それでも言葉はどんどん世の中に浸透していき、SDGsやサステナブルを実現するためにこれからも行政や企業は負担が増えていくことだろう。行政がやることは、一般の市民生活にも影響してくるため、ほぼすべての人が何らかの影響を受けていくことになる。 CMを見ながら「なんのことやら」と思っている人も、気がつけば生活が変化している状態になる。 スーパーやコンビニの買い物袋が有料になった例などはわかりやすいが、今後はごみの収集方法などにも影響を及ぼしていくとお父さんは思っている。 困ったことに、理想と現実をごっちゃにして、はやりに先乗りする企業や自治体に所属していると、様々な困難を経験することになるだろう。お題目が環境問題や人権問題になると、今の社会では否定することができない状態になっている。急進的に物事を進めると、必ず揺り戻しが発生する。「分断」を作り出す一因は、理想論をかざして急進的に世の中を変えようとする勢力、もしくはそれに乗ってシステムを変えてしまう行政や企業である。 人間は常に正しい選択をする生き物ではない。間違った時に元には戻せないまでも、折り合いをつけることができるように慎重にやっていかなければならない。
2025.01.07
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年末年始はお金がかかる。我が家の場合、大掃除用に掃除用具を購入することから始まり、正月用のしめ縄やお飾り、帰省のためのお土産、子供や甥っ子たちのお年玉準備など年末のうちにかなりの出費がある。そうそう年賀状の購入やプリンターのインクの補充もあった。 お年玉に関しては、子供や甥っ子も成長しているため、以前は一人1000円から3000円ぐらいで済んでいたものが、平均1万円を超えるようになっている。子供が3人、甥っ子が5人なので結構な額である。こちらはそんなに給与や賞与がUPしているわけでもないのに厳しい話である。 帰省に新幹線を使うとさらに大出費になるので、どうしても車移動になってしまう。それでもガソリン代や高速代で往復5万円弱はかかる。 帰省してからもお金はかかり続ける。年金暮らしの親にすべてを出させるわけにはいかないので、お父さんが帰省してからは基本的に買い物は、我が家の出費になる。まあお父さんだけでなく妹夫婦や兄夫婦とそれなりに分担するのだが、清算するわけではないのでその時次第である。 特に我が家の場合、岩手からきてそれなりの期間寝泊まりするので、多めに出すようには心掛けている。正月になると子供たちと同様親にもお年玉の名目で、滞在費を支払っている。なかなかにきつい出費である。親から出せと言われるわけではないのだが、我々が帰省してくるのに合わせてタオルを新調したり、布団の準備などをしてもらっている。子供 たちへのお年玉もあるので、この出費は致し方ないものである。正月に家族で一泊の温泉旅行に行っただけでも10万円は当たり前に超える出費になるので、そう考えて支払っている。 正月になると初詣やお守りの購入などでさらに出費は続く。今はお守りも一つ500円なら安いほうで、800円とか1000円以上も普通にある。家族5人でお守りを購入するとあっという間に7~8千円ぐらいにはなる。 帰省先から地元へのお土産購入でまた出費、地元に戻ってからはまた初詣である。毎年近くの八幡神社で昇殿してご祈祷をしてもらうので、ここでも1万円を超える。今年は次女の高校受験があるので、ご祈祷の初穂料だけで15000円支払った。奉納のお酒も次女分も購入したので、酒代だけで5000円以上かかっている。 地元の初詣が終わるといったん大きな出費は終了になるが、帰省のために冷蔵庫を空にしているので、食料品の購入がそれなりに必要になる。長女が大学に戻る前に、自宅でもそれなりに正月のごちそうを作るのもあり、1月5日ぐらいまではまだまだ通常以上の出費が続くのである。 我が家はきちんと家計簿をつけていないので、ざっとでしか計算できないが、ほんの1週間強の年末年始での出費は50万円ほどになるのが近年の状態である。帰省しないで家で過ごせばもう少し出費は減るのだが、子供たちが祖父母やいとこたちと顔を合わせる貴重な機会なので、がんばっているというのもある。 来年は息子が大学受験となるので、帰省をする予定はない。今年よりは出費は減る予定ではあるが、それでもそれなりに出費はあるだろう。 年に1度と割り切ってはいるが、年末年始の浮かれた気分で財布のひもが緩んでいるとも感じている。
2025.01.06
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お父さんの会社のベトナム工場はハノイ近郊にある。気候は亜熱帯に属していて、冬でも最高気温が10度以下となることはない。最低気温が10度を下回るだけで小中学校が休みになるレベルである。まあ常時30度を超える熱帯地方とは異なるが、基本的に日本よりははるかに温かい地域である。 お父さんは昨年、12月の半ばにベトナムから帰国した。その時のベトナムの最高気温は大体25度ぐらい。最低気温で18度ぐらいだった。それに対して戻ってきた東北地方の町は最高気温が5度ぐらい、最低気温は氷点下である。最高気温でも最低気温でも約20度のさがある状態で帰国したことになる。 ベトナムに行ったのが10月初旬なので、氷点下対応の上着などもっていかなかった。本来なら帰国時に着るものがないのだが、長年ベトナムを行き来しているため、真冬にベトナムに行くときに着ていき、春を過ぎて帰国するときに置いてきた服を持っている。 お父さんも今回、そのような経緯でベトナムに置いてあったコートを着て帰ってきた。 それにしても20度の気温差をというのは人間がすぐに慣れるほど簡単なものではない。いくら温かい服を着ていたとしても、体の芯が冷えてしまうというか、とにかく寒い。長期で熱帯地方に駐在していた人は、毛穴が開きっぱなしになり、日本の冬に肌がすぐには対応しないという話を聞いたことがあるが、それに近いものがお父さんにも起きているのかもしれない。 寝るときも、毎年冬に使っている布団をそのまま使っているにも関わらず数日間寒くてたまらなかった。ただし日中に関しては、ヒートテック上下を着ることで意外と耐えることができた。寒いのは足先と首筋である。このあたりが日本の、それも東北の冬に慣れるのにはやはり2週間ほどかかった。頭で気温差を理解していても、体はそう簡単に切り替えることができないのだろうと思う。 ちなみに今回の年末年始で帰省した東海地方は、年末年始の期間天気が素晴らしく良く、気温も高かった。最高気温が15度以上になったので、年明けに自宅に帰ったときには、やはり寒くてたまらないと感じた。 帰省先では夜煙草を吸うために外に出ても寒さをほとんど感じることはなかったが、自宅に戻ってからは寒くて1本吸う前に火を消して家に入ってしまうほど寒い。 年を取ったとはいえ、今はまだ50歳代なので何とかなるのだが、もっと高齢になったらこんな温度差を繰り返していたら、すぐに体を壊してしまうのではと思ってしまう。 もともとお父さんは東北のような寒冷地出身ではないので、仕事を引退したら暖かい地方に移住するのもよいのかもしれない。
2025.01.05
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今回の年末年始はお父さんの実家で過ごした。本来なら新幹線を乗り継いでいきたいところなのだが、家族5人分に現地でレンタカーが必要と考えると数日で20万円越えは確実である。そこに甥っ子へのお年玉や、現地での買い物、お土産などを考えると30万円は使うことになってしまう。 そのため当然今回も車で帰省することにした。 長女は帰省前日に大学の下宿先から我が家に帰省し、翌日がお父さんの実家への車移動という日程だった。長女は大学1年生の時に運転免許を取ったのだが、車を持っているわけではないので、日常的に運転することはなかった。農学部なので、実習の畑仕事などで軽トラを運転したことがあるという話はしていたが、一般道を普通に走るという経験はない状態が続いていた。 車の運転は、経験である。運転を続けることで慣れてきて普通に運転ができるようになる。そのため長女が帰省するたびにお父さんは長女に自宅の車を運転させようとしたが、お母さんの反対によって実現していなかった。 そうこうしているうちに、長女は大学3年生になり、2年間もまともに運転していない状態になっていた。 そこで今回お父さんは帰省で長女に1部区間を運転させたいとお母さんや長女に話をしたが、お母さんの反対だけでなく長女も難色を示した。お父さんとしては雪&きついコーナーの続く区間を運転させたかったのだが、これはさすがにダメということになった。 とりあえずお父さんが運転していき、状況によって運転するということで出発した。 出発してしばらくは雪がきつくてコーナーも多く、ここを運転できればとお父さんは思ったが、年末に家族の命を懸けてまで運転させるのはどうかと考えて、運転が比較的簡単な区間はどこかと考えながら運転していた。 出発して2時間ほどで、だいぶ南下したこともあり、気温が0度以上となった。雪も降っておらず、その先の区間も山道は少ない。ここだと思って、お父さんは長女に運転を打診したところ、長女はやってみるという答えだった。 お母さんはかなり難色を示したが、やばかったらすぐに交代するという条件でお母さんも渋々納得してくれた。 夜の高速道路での運転なので、長女もだいぶ恐る恐るの運転だったが、とりあえず大きく失敗することもなく運転が始まった。時折横風に煽られてふらつくのだが、それはお父さんが運転しても同じである。逆に慣れるようにアドバイスしながらお父さんは助手席から声をかけ続けた。 約1時間半、150キロほどを運転させてまたお父さんに交代したが、その間にかなり運転は上達したと感じた。車線変更、特に前の車を追い越すのがまだまだ危ない(車線変更時に減速してしまうのと、ハンドルの切り方がきつい)のだが、とりあえずそれほど迷惑をかけずに運転はできようになったと思う。 帰省から自宅への戻りはすべてお父さんが運転したが、機会があればもっと運転させていこうと思う。あと2日、長女は我が家に滞在するので、その間にもう2~3回運転させるつもりである。
2025.01.04
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実家に帰らない場合、お父さんは自宅の近所の神社と、少し離れた八幡神社に初詣に行く。自宅のすぐそばの神社はお社があるだけで、年末に町内でお札の販売はするが、お守りの販売やおみくじもなく、昇殿して祈祷もできない。そのために八幡神社まで新年の祈祷やお守り買い、さらにおみくじを引きに行く。 今年の様に実家に帰って正月を迎えても、自宅に戻れば同じように2つの神社にはいくのだが、実家に帰省して正月を迎えた場合は、実家の近くの氏神様に行くのは必ずで、それ以外に観光もかねて周辺の大きな神社に行くこともある。 昨年はその大きな神社の境内で、一斉に地震警報が鳴り響くのを聞いて能登の震災を知った思い出がある。ただ昨年9人で行ってお父さんを含む5人がおみくじで大吉を引いたので、2匹目のどじょうを狙って今年もその神社に行くことにした。 まづは地元の氏神様に参拝し、おみくじを引いたら「吉」が出た。よくもなく悪くもなくといった感じの内容だった。 そのまま目的の大きな神社に行ったのだが、今年は昨年より時間が早かったせいか駐車場に入るまで長蛇の列になっていた。ところが車列に並んで20分ぐらい経ったぐらいに、窓の外から知らないお爺さんが話しかけてきた。お父さんの東北のナンバープレートをみて、本当にそこから来たのかと聞いてきたので、そうだと答えると、目の前のおじいさんの家の庭が空いているからそこに車を止めなさいと言ってくれた。 なんだかよくわからないが、行為に甘えて車を止めさせてもらった。こんなラッキーな縁もあるのだなと、感心しつつおじいさんに感謝して目の前の神社に向かった。まだ1時間弱は並ぶだろうと覚悟していたので、本当に助かった。 さて神社も混んでいたが、何とか参拝を済ませ、1年ぶりのおみくじに挑んだ。この神社はおみくじを直接引くのではなく、よく振った筒からだした番号を伝えておみくじをもらうシステムだ。 娘二人、お母さんの順で引いていき、息子に引かせてお父さんは一番最後におみくじを引いた。息子はお父さんの目の前で、23番という番号を引いていた。お父さんは同じ番号が出ないようにかなりしっかり振ったのだが、何故か息子と同じ23番が出てしまった。まあ息子が大吉ならお父さんも大吉だなと思っていたら、受け取ったおみくじを見る前に、背後から息子のおみくじが「凶」だと騒ぐ家族の声が聞こえた。 確かめるまでもなく、お父さんのおみくじが「凶」と確定してしまった。内容を読まなくても家族が息子のおみくじを読み上げているので、内容も分かってしまった。こんなにつまらないおみくじイベントは人生初かもしれない。 明日の夜に実家を出て、明後日はいつも通り地元の神社に行く予定である。そこでもう一度おみくじを引くチャンスがある。とりあえず「凶」を消すためにもう一度おみくじを引く予定である。そこで「凶」が出たら、今年はかなり注意しなくてはいけないのかもしれない。
2025.01.03
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2025年1月1日は、結構きつい状態から始まった。大晦日に実家でダラダラとしながら午前0時の年明けを迎え、寝る前に天気を確認したところ、元日の朝は初日の出がかなり期待できる快晴の予報だった。 日の出の時刻は6時50分ごろ。グーグルマップで初日の出の観測ポイントをいろいろ探していた。昨年までは海岸まで出て初日の出を見ていたが、今年は水平線が見える山の上から見てみようと考えて、場所を決めた。 実家から30分程度で行ける場所がなかなか良いポイントだという妹夫婦からの情報も併せて、あるポイントを決めた。起床5時30分、出発5時45分と決めて子供たちと寝に入った。1時前だったと思う。 ゆっくり寝ようと疲れた体で布団にもぐりこんだのだが、2時に胸やけと肩の痛さで目が覚めてしまった。残念ながら今年も五十肩には悩まされそうである。 そこから3時ぐらいまで何とか寝ようと試みたが、3時過ぎにあきらめて布団を出て、胃薬を飲んだ。胃薬が効いて胸焼けが収まるまで1時間弱はかかる。仕方がないのでソファーに座って、さらに肩の痛みが治まるのを待っていた。 再度布団にもぐったのは4時過ぎだったが、目がさえてしまってなかなか眠れなかった。4時50分ごろまで眠ることができなかった。 結局うとうとしただけで5時半になり、子供たちを起こして妹夫婦の家族とともに初日の出を見るため車に乗り込んだ。前日に決めたポイントにはかなり人がいたが、何とか車を駐車場に入れて、初日の出を実際に見るポイントを探し始めた。目の前に木が結構あったので、できる限り視界が開けた場所を探し始めた。 だが前日寝ていないお父さんはきつい上り坂で力尽き、うろうろするのをあきらめてみんながポイントを決めてから連絡をもらって合流することにした。ところがいつまでたっても連絡がこない。仕方がないのでみんなが向かった方へ向かってまた坂を上ったのだが、合流することができないまま、日の出の時間を迎えてしまった。 お父さんが最後に決めたポイントからも初日の出はばっちり見えたし、最高の初日の出だったのだが、みんなと離れていたために記念写真など取ることができなかった。 初日の出を見終わった後も、何人かのメンバーに連絡を取ろうとしたが、電波の薄い山の中で、多くの人がいたせいか、そもそも呼び出し音すらならない状態だった。 結局諦めて駐車場に向かって歩き始めたところで、みんながお父さんを探しているところに出会って、ようやく合流することができた。太陽はだいぶ上に上がっていたが、その場で集合写真を撮影した。 空は快晴で、寒さもあまりなく、最高の初日の出を見ることができたが、お父さんはその感動やきれいさを語る仲間からはぐれていたので、ボッチ初日の出となってしまった。今年はどんな年になるのだろうか。
2025.01.02
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新年あけましておめでとうございます。2025年を家族で無事に迎えることができたこと、森羅万象に感謝したいと思います。今年も無事に1年を過ごせるよう、また2年越しとなってしまった五十肩が早く治るよう頑張っていこうと思います。 夜が明けたら、今年も初日の出を見に行く予定ですが、実際に朝起きられるのか、また天気はどうかという問題があります。昨年は本当にきれいな初日の出を見ることができたが、今年はどうでしょうか。 毎年海辺まで初もうでに行っているのですが、今年は山の上で見てみようかとも思っています。家からの距離もそちらの方が近いので、時間短縮にもなるのではないかと考えています。 今年の抱負としては、とにかく五十肩を早く治すこと、健康管理をきちんとして、特に糖尿病の数値を良い状態で維持できればと思います。 今年は次女の高校受験など新年から精神的にきつい状態になってくる年でもあり、体調管理にも気をつけていこうと思います。 このブログを読んでくれている皆様の健康とご多幸をお祈りいたします。
2025.01.01
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