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昨年から今年は、香港も合わせて中国出張が非常に多くなっている。中国の機械メーカーや日本メーカーの中国製の機械を会社が購入しているためだが、今の中国に出張するのはあまり楽しいものではない。 お父さんが捕まる可能性は少ないだろうが、日本人がスパイ容疑で捕まる事例が続いている。景気も悪化して治安も以前よりは悪いだろう。マスコミは中国の悪い情報を基本的に隠ぺいするのだが、それなりに危険な状態なのが今の中国の現状である。 昨年11月に中国に出張した時も、ビザの申請が必要だったし入国審査で結構質問が多かったのも、お父さんの中国の印象を悪くしている。 ただ実際に取引先機械メーカーの人たちは、あまり気にしていないようであるし、個人的な関係であればお父さんと連絡を取り合って仲良くしている中国人はそれなりに存在している。 昨年11月の出張ではお父さんを週末まで居残らせて、五十肩の治療の為に鍼灸院に連れて行ってくれた。 今回の出張では複数の機械メーカーを訪問するのだが、鍼に連れて行ってくれたメーカーがメインの訪問先である。 先日そこの社長から、五十肩がまだ治っていないのなら、また鍼治療をしてみますかと連絡があった。今回の出張は平日であるし、同僚2名との出張なのでお父さんの都合で動くことはできない。 一度は断ろうと思ったが、一緒にいく同僚に話すと行きたいなら行った方がいいと言ってもらえた。実際に昨年中国で鍼治療してからかなり肩が楽になったので、効果があることはわかっている。ただ、あの時は寝ることができないくらい痛かったのだが、今は睡眠中に肩の痛みで飛び起きることはないし、仕事中に痛むことも少ない。右肩に負荷がかかれば痛みもあるし、腕も上まで上がらないのだが、痛みだけはかなり良くなっている。そのため鍼治療をして悪化するのが怖いというのもある。 結局同僚と先方の社長さんの勧めで、車を2台出してもらい、お父さんだけ鍼治療終了後に会社訪問することになった。同僚は別の車で先にメーカーに到着し打ち合わせをしてもらうことになっている。 中国出張まであとわずか、今回も大きく改善してくれることを期待して中国に出張し、鍼治療を受けようと思う。 最悪悪化したとしても、日本で高電圧治療をすればかなり痛みが緩和できることも分かっている。鍼治療は帰国前日に行うので、出張中に長く苦しむこともないだろう。結果はまたこのブログに書いていくつもりだ。治ってくれたら最高なのだが、どうなるだろうか。
2025.05.31
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昨年末に帰国してから、3月にベトナムに行くまで、週3回で整体に通っていた。昨年夏に悪化した五十肩の治療のためである。一進一退を繰り返しながらも高電圧治療というもので、痛さはかなり改善された。 昨年は整形外科、鍼治療、筋膜整体、中国での鍼治療など様々な治療を試していたが、結局は完治には至らなかった。 今年3月に再びベトナムに行くときには、また悪化するのではないかという恐怖があったが、ベトナムの暖かさのせいか悪化するというよりは、徐々に回復に向かっていたと思う。シャワーを浴びるときに肩を温めてから、どこまで右腕が上がるか確かめていたが、ベトナムに滞在している間に、腕の上がりはかなり改善された。 そのためこのまま放っておけば、だんだん治るだろうという考えになり、日本に帰国してから整体治療をしないことに決めた。 ところが日本に帰国してから、肩の痛みは現状維持を越えて悪化している。ベトナムにいるときよりも明らかに痛みが増しているのである。 原因は2つあるとお父さんは考えている。一つは日本の寒さである。関東以西ではかなり暖かくなっていて、30度を超えるニュースも見ているが、東北はまだまだ寒い。最高気温が15度にならない日も普通にある。 寒ければ関節の動きが悪くなるのは当然だと思う。ベトナムではエアコンをつけて寝ていたが、日本ではいまだに毛布を使って寝ている。布団をはいでしまうと夜中に寒くて目が覚めるぐらいなので、朝の肩の調子も悪いことが多い。 もう一つの原因が、日本では車を運転することである。左手だけで運転すればよいのだが、どうしても片手運転には限界がある。特にお父さんは通勤で山道を走るので、コーナーでハンドルをしっかり握って操作することが多い。 この時に肩に痛みを感じるようになってきたのだ。毎日会社に通うので、毎日肩にダメージを受けていることになる。かといって車でなければ会社に行けない。ベトナムでは車を運転しないので回復基調だったが、今後暖かくなっても悪化するようであれば、また整体に通わなければならないと思い始めている。
2025.05.30
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昨年の我が家の庭は病んでいた。春先に間違えて芝生に芝用ではない本格的除草剤を撒いてしまったため、芝生がほとんど枯れてしまったことから始まった。約2か月かけてお母さんと芝生の植え替えをしたが、もう一生やりたくない作業である。業者に任せると100万円を超えるレベルだったので、芝生から土の購入まで個人でやって張り替えたがそれでも20万円以上はかかってしまった。今年また青々とした芝生の庭になってようやく苦労が報われたと思うようになった。 そして新緑から常緑に変わる7月ごろ、お父さんが6月末にベトナムから戻ると梅の木が病気になっていた。すでに消毒では手遅れの状態で、冬場に強剪定して対応するしか対応できない状態だった。 そのほかにも姫リンゴも病気、つつじも元気がなく、スノーボールも葉の茂りが悪いという状態で、おそらく芝に撒いた顆粒の除草剤の影響もかなりあるのではと感じた。 一番ひどかったのが柿の木で、夏を待たずして紅葉したように赤くなってしまった。調べると落葉病という病気で、弱っている木に菌が感染して発症する病気の様で、葉を切り落として冬場に消毒するしかないという状態になってしまった。 どの木も元気がないのがわかる、実に寂しいというか見ているのがつらい1年だった。これまであまり庭木に積極的に肥料をやってこなかったのだが、冬場はしっかりと肥料を入れて、翌年に元気に庭木が復活するように考えることにした。 問題は我が家は雑草対策でほとんどの木の下に防草シートを敷いていることであった。シートの上から肥料を撒いても効果が薄い。かといってすべて防草シートをはがして、肥料を撒いた後にまた防草シートを貼るというのはかなりの労力がいる。冬の間にやる作業のため雪が積もっていたら難しい。 いろいろとネットで調べて、グリーンパイルという植木用の肥料を見つけた。使っている人は当たり前に知っている肥料のようだが、お父さんは全く知らなかった。緑色のカバーに肥料が詰まっている杭のような肥料で、地面にハンマーで打ち込むだけでよい。防草シートも杭のサイズで穴をあければ問題がない。あけた穴は防草シート用のテープを貼ればOKである。ミニサイズというのを70本ほど箱買いしてお母さんと3月初めに庭木全体に打ち込んだ。 その結果、今年の春は予想以上に庭木が元気になっている。心配していた柿の木も今のところ元気に葉を茂らせている。お父さんがベトナム出張中にお母さんに2回ほど病気対策の薬品を散布してもらった甲斐もあり、5月現在驚くほど各庭木が元気に新芽を出し、葉を茂らせている。 グリーンパイルは効果が1年以下とのことなので、来年も頑張って打ち込もうと思う。ただやりすぎると元気になりすぎて夏場の剪定が大変になりそうである。すでにドウダンツツジがこれまで見たこともないくらいに枝葉を伸ばしている。剪定は大変そうだが、元気がなかった昨年よりはよほど良い。グリーンパイルに感謝したい。
2025.05.28
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日本に戻ってきた。3月半ばにベトナム入りして5月半ば過ぎに帰国したので、スギ花粉症の季節は完全に回避できた。お父さんはスギ花粉から始まりヒノキなどを経て、イネ科の花粉にも敏感に反応するので一年中抗アレルギー剤を飲んでいる。 それでもスギとイネ科のカモガヤの花粉は反応が出てしまう。圧倒的に量が多いからだと思う。 カモガヤとは明治ぐらいに日本に入ってきた牧草でもあるようだが、今や全国に雑草として広がっている。特に東北では田んぼや畑のあぜ道や道路わきなどに大量に生えていて、5月末から花粉を振りまき始める。 カモガヤは悲惨範囲がスギよりも狭いので近寄らなければ比較的大丈夫と言われているのだが、お父さんの通勤する道路には山ほど生えているので、初夏の気持ちよい風を浴びたいと窓を開けながら走行すると、目や鼻にアレルギー反応が出ることがある。 関東から東北に移り住んで、花粉症だけは悪化してしまった。カモガヤなど関東にいた頃は名前すら知らない草だったが、東北に来て花粉症を発症して覚えざるを得なかった草である。ちなみに同僚にカモガヤと言ってすぐにどの草かわかる人は少ない。それぐらい雑草としてはメジャーなのだが、知名度は低い草である。 東海地方の実家に帰ったときも見かける草ではあるので、子供の頃はカモガヤに対するアレルギーはなかったのだと思う。もちろんそのころカモガヤなどという名前は知らなかった。現在でもお父さん以外の我が家の家族はいまだにどれがカモガヤか知らないので、カモガヤの花粉症持ち以外の人には全く縁のない草である。お父さんも縁がないまま一生を終えたかったが残念なことに東北に来てご縁ができてしまった。 6月末ぐらいまでは、外に出るときにはカモガヤの近くを通らないように注意する生活が続く。それが終わるとしばらくは良いのだが、今度は稲の花が咲き始める。東北は田植えも稲刈りも関東よりも1か月近く早いので、イネの花も7月下旬には咲いてしまう。 幸い稲の花粉にはカモガヤほどアレルギー反応が出ない。もし稲のアレルギー反応が今より強くなってしまったら、夏場もベトナムに逃げるかもしれない。お盆休みはなるべく日本にいるように調整しているのだが、子供も相手をしてくれないし、日本の夏は最近暑すぎて出かける気も起きないので、ベトナムで仕事をするのもありかなと思っている。
2025.05.27
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先日お母さんとちょっとけんかをしたときに、少し話し合いをした。お父さんたちは2002年に結婚しているので、今年で23年になる。結婚前に10年付き合っているので、実際には30年以上をカップルとして過ごしていることになる。 最近は離婚する人がそれほど珍しくない中、なんだかんだと長続きしているのは、もともと相性が良いのかもしれない。 お父さんはお母さんと結婚してから夫婦として一緒に生活するとで、様々な段階があったと感じている。まだ経験していない段階もあるのでこれからどうなるかはわからないが、早くて1年、少なくともあと数年でお父さんたち夫婦は次のステージに進むことになると思っている。 授かり婚の場合はこの限りではないが、夫婦は通常二人だけの新婚生活からスタートする。結婚前から同棲していたとしても、夫婦としての同居生活は結婚後からスタートする。結婚直後の第1ステージは仲良くラブラブが理想だが、恋愛時代と異なりお互いの人生を預けあうという責任感が伴う。共同生活を夫婦としてするということは人生をお互いに支えあって生きるということである。細かな衝突が発生するが、基本は2人だけの問題である。最悪の場合、離婚の選択も比較的容易にできる段階である。 第2ステージは妊娠し子供が生まれてから始まる。これまではお互い大人なので、ある程度は自分のことを自分でやることができるのだが、子供というのは何もできない赤ちゃんとして生まれてくる。親が世話をしなければ絶対に生きていけない存在である。さらに経済的にも自分たちで好きなようにとはいかない。子供の将来設計をある程度立てて、必要な費用を準備していく必要がある。 病気はもちろん、学校のあれこれ、塾や習い事なども含めて子育てをしていくのが第2ステージだとお父さんは考えている。 ちなみにお父さんとお母さんは現在この第2ステージにいる。 第3ステージは、子供が学校を卒業し社会人として独り立ちをしたときから始まる。新婚の時と同じで、夫婦2人だけの生活に移る。しかしながら、新婚の時のような新鮮さはないだろう。現在長女が大学生、長男が高校3年生、次女が高校1年生である。我が家は東北の田舎町なので、高校を卒業すれば家を出ることになる。本来なら次女が卒業するまで3年弱あるのだが、次女は来年下宿先から高校に通う予定になっている。そうなると子供が自宅に住んでいるという状況はあと1年弱で終わる。 夫婦2人だけの生活に戻るまで、あと1年である。次女の下宿先は県内なのでたまに帰ってくる2年間が第3ステージの助走期間だろうか。 お父さんはこの第3ステージでその後の夫婦関係が決まっていくような気がしている。子供が不在で夫婦2人だけの生活を円滑に仲良く過ごすことができれば、その後の夫婦関係はうまくというか、順調に行けるだろう。 逆にここで会話が減ったり、お互いに別々に行動することが増えると、その後の夫婦生活は冷えたものとは言わないが、お互いが支えあうというような寄り添った夫婦関係にならないのではないかと心配している。 お父さんの場合、海外出張はベトナムを中心にこれからも続く予定である。来年からの第3ステージに向けて、お母さんといろいろ話し合いたいとは思っている。
2025.05.26
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ゴルフにはエージシュートと呼ばれる称号がある。エージシュートとは18ホールのラウンドで年齢と同じかそれ以下のスコアで上がることを指す。プロゴルファーでも18ホールのスコアは60以上が基本であるし、通常18ホールをすべてパーで回ったとしてもスコアは72である。つまりエージシューターになるにはそれなりの年齢になる必要がある。 ただ昔はエージシュートを達成できる一般人は少なかったのだが、近年はそれほど珍しいことではなくなっている。達成してパーティーを開くとか、記念品を作って配るということはなく、「おめでとう」「ありがとう」で終わりである。それぐらいエージシュートは昔に比べて量産されていると言える。 この原因は2つあるとお父さんは思っている。1つ目は、健康な老人が増えたということだ。老人の人口が増えたこともあるが、元気な老人が昔より圧倒的に多いのだ。さらに今エージシュートを達成している80歳前後の人たちは、現役時代にバブル景気を過ごしていて、ゴルフブームに乗ってゴルフをやる人が非常に多い世代でもある。世代別のゴルフ人口が最も多い世代ではないだろうかと思う。 年齢に比べて、昔より健康で元気な老人が増えたこと、ゴルフ人口が多い世代であることは、エージシュートを達成する人が増えた原因の一つで間違いないとお父さんは思っている。 もう一つの理由が老人向けにゴルフ場のアマチュアプレーヤーに対するローカルルールがふえたことである。ゴルフというスポーツはスタートするティーグラウンドから、グリーンまでの距離が長いほど難しくなるスポーツである。 同じパー4でも300ヤードと400ヤードでは、圧倒的に300ヤードの方が簡単である。これはおそらくプロでも同じだと思う。 そしてゴルフ場には昔から、グリーンに一番近く一般のアマチュアプレーヤーが使用するレギュラーティー(ホワイトティー)、レギュラーティーより少し遠くなるバックティー(ブルーティー)、そしてプロや一部のハイアマチュアしか使用を許されないフルバックティー(ブラックティー)が存在した。 ところがゴルフ人口が増えて、女性プレーヤーが多くなってくると、男性より飛距離が出ない女性のためにレディースティー(レッドティー)というのが新設されるようになった。通常のレギュラーティーより20ヤードから50ヤードぐらいグリーンに近い位置に設定されている。 そしてさらに新しく新設されたのが、70歳以上の高齢者が使うゴールドティーである。これは飛距離が出なくなった高齢者がパーを取れるように、レギュラーティーより50ヤードから80ヤードほどグリーンに近い位置に設置されている。 若いころに250ヤードをドライバーで打てた人も70歳にもなると180ヤードぐらいが精いっぱいになってくる。お父さんも高齢者とコンペなどでプレーすることがあるが、ドライバーで150ヤードも飛ばない人も普通にいる。 ゴルフ場が飛距離の出なくなった高齢者にも楽しめるようにと設定しているのがゴールドティーである。 このゴールドティーの設置によって、エージシュートが頻繁に出るようになっているというのが、お父さんの考えである。昔は高齢者でもレギュラーティーしかなかったので、飛距離が出なくなってからのエージシュートはかなりの難易度であった。 しかしながら、現在は飛距離が出なくなってもパーがとれるように短い距離でプレーすることができるようになった。当然高齢者のスコアは昔よりも明らかに良くなっている。 道具の発達もあり下手でも飛ぶようになっているし、様々な要因はあると思うが、結局は距離が短くなったことがエージシュート量産の主原因だとお父さんは考えている。 お父さんがゴールドティーから打てる権利を得るにはまだ20年弱の時間が必要であるが、今のうちにゴルフの腕を上げて、20年後はゴールドティーからエージシュートが狙えるゴルファーになりたいと思っている。 ちなみにお父さんの父親は現在84歳であるが、歳のわりにドライバーが飛ぶので、ゴールドティーから何度もエージシュートを達成している。初めて達成したのは確か78歳の時だった気がするが、記念にスコアを入れたトロフィーをプレゼントした。
2025.05.25
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昨年から米の価格が上がり続けている。最初は秋に新米が出れば価格が下がると言われていたが、実際は品薄状態が解消されただけで価格は変わらなかった。新米が出てからすでに半年以上が経って、かつ政府が備蓄米を放出しても値段が下がる気配はない。適正価格とは言わないが、お父さんは今現在の価格水準が今後の米の標準的な価格になるだろうと思っている。 だから石破総理や小泉大臣が米価を下げるとどんなに言ったとしても、おそらく野党から批判を浴びるためのネタにしかならないだろう。そもそも新米が出て米が確保できたのに、値段が下がらなかった時点でそれが市場価格になったということである。昨年が不作だったならともかく、そうではないのだから何をしても米の価格は下がらない。余るほど生産されてしまったり、海外の米をガンガン輸入するようになれば価格は下がる。5キロ4000円でも売れるならば、売り手は値段を下げることはしない。 数年前、玉子が200円前後まで高騰した時も、鳥インフルエンザがどうとか言っていた人もいるが、結局今は200円以上で価格は止まっている。その値段で売り手も買い手の需給バランスがとれるようになってしまったのだと思う。 お米も結局は現在の値段でしばらく落ち着くとお父さんは思っている。おそらく何らかの組織が値段が下がらないようにしているのだと思うが、ぼったくりをしようとしているのではなく、適正な利益が出るように頑張っているのだと信じたい。 何度もこのブログで書いているが、生産者である農家の収入は、米を作っても赤字かすれすれのレベルである。インフレの経済で、モノの値段を据え置くことは難しい。なので米の値段が上がった分の半分は生産者の収入になればと願っている。 ちなみに米に隠れてあまり話題になっていないが、野菜の値段も高止まりしている。ほぼすべての野菜が2倍近くになっているとお父さんは感じている。葉物野菜も根菜なども総じて高価格で止まってしまった。 イチゴなど数や量が減って1パック600円前後が当たり前の時代になっている。誰が買うのかといまだに感じているが、それの価格は少なくとも生産や販売をしている側が必要な経費から算出されているのだろう。 この冬スーパーでイチゴを買う人をほとんど見なかったし、お父さんも1度も買わなかったが、その値段が製造経費に対する適正価格であるならば、売れなければ農家はイチゴを作らなくなるだろう。 お父さんが子供のころ、ラーメン屋でラーメンを頼むと1杯300円から500円だった。いまこの値段で食べられるラーメンはほとんどないだろう。1000円以上のラーメンでも普通に売れる時代である。 お米の値段も5キロ4000円、10キロ7000円ぐらいが平均的な価格になるのだとお父さんは思っている。そもそもインフレで大企業から順に、給与が上がっている。給料が上がるということは、その給料分は少なくとも製造経費が上がる。だからモノの値段も上がる。当たり前の経済の仕組みである。 これも何度も書いているが、インフレの時代に給料が上がっても生活は楽にはならない。どちらかというと出費が増えて生活が苦しくなる。給料が上がって裕福さを味わえるようになるには、インフレを上回る給与の増加が必要である。 米の値段が上がった分、給料を増やすようにするのが国や企業の使命だとお父さんは思っている。
2025.05.24
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日本に戻ってきてすぐ、台湾の機械メーカーが購入した機械の立ち上げで来社した。期間は1週間で、毎朝ホテルに迎えに行き、夜は会社で夕食を食べてホテルに送る。お父さんは彼らが泊っているホテルと家が近いこともあり、またとりあえず英語が話せるので毎日の送迎を任された。 しかしながら、彼らの英語レベルは1人が中学生レベルで、残り3人が英語は全く話せない。そのため実際には車の中で会話をすることはない。幸いなことに彼らは4人いるので、社内では彼らだけで会話をしているのが救いである。 お父さんはホテルで「グッドモーニング」とあいさつをした後は、車に乗せて会社まで無言である。会社に着けば中国語ができる社員がいるので、通訳をしてもらい会話ができる。しかし残念ながら彼女の家をホテルは40㎞ほど離れているので、送迎を任せることができない。 結局毎朝毎晩お父さんが無言で彼らを送迎している。普段の通勤は一人で運転しているので、もちろん車内で会話などできず無言で運転している。しかしながら、4人も車に乗せて自分だけ無言で運転していると、ものすごい違和感がある。これはやったことのある人にしかわからない感覚ではないだろうか。 話は変わるが、食事は昼と夜を会社で準備しているのだが、今回来社している4人の内1名がベジタリアンである。肉と魚がNGである。先方は同じものを出してもらえれば食べれるものを食べると言っているのだが、こちらが用意するのはお弁当である。 日本の弁当は基本的に肉か魚がメインになっており、ベジタリアンの人が食べられるのはご飯以外は付け合わせのサラダとか葉物野菜が少しというものが多い。それだけで1週間の肉体労働ができるとは思えないので、かなり苦労している。 スーパーのお弁当を確認して、うどんとか助六寿司などを出しているが、ベジタリアンが食べられるというとよくわからないので、結局炭水化物だらけになってしまう。彼は普段何を食べているのかわからないが、こういう人に対応することは、東北の田舎町ではかなり無理がある。 東北にイスラム教徒が少ないのも食事が準備できないということが最大の理由ではないかとお父さんは思っている。 海外の会話ができないとか、食べ物に制約がある人と数日一緒にいなければならないというのはかなり精神的につらいものである。
2025.05.23
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先日バンコクへ行って思ったのだが、宗教に対する態度というか価値観などがずいぶん日本と異なると感じた。お寺にこもって祈っている人も多いし、ホテルの敷地内にある祠に従業員が帰宅前に手を合わせていた。日本やベトナムに比べると宗教が実に近いところにあって、生活に溶け込んでいる。 イスラム教の国は毎日礼拝をしているし、キリスト教は日曜日に礼拝をしている。まあキリスト教徒は毎週日曜日に教会に行くことをしない人も結構いるので、イスラム教徒よりは厳格さがない。それでも聖書を勉強していたりと教義を大切にしているなど一般の日本人よりは敬虔であると言えるだろう。 お父さんはベトナムに来て、ベトナム人は宗教観が日本と似ていると感じている。ベトナム人はそれなりに宗教に近しい生活をしているが、一般のベトナム人は定期的にお寺などに行ったりしていない。 街中にお寺などの宗教施設はあるが、なにか願い事があるときに行くことが多いようである。そのため日本と同じように街中の一般的なお寺はひっそりとしている。 長野の善光寺とか京都の清水寺のように観光地化しているお寺には多くの観光客が集まっているのも日本と似ている。ようは日々の信心という行為が強制されていないのだ。日本人の一般的なものはこれだと言い切れないのだが、お父さんの家には神棚があり仏壇はない。お父さんは毎朝神棚の水を交換して日々の無事を祈っている。 ちなみに仏壇は実家にあるが、親は毎日お水とお茶を取り換えて祈っている。お父さんも実家に行くと仏壇に祈っているというか挨拶している。 ベトナム人も各家に神棚兼仏壇のようなものがある。先祖や神様を祀っているらしいのだが、詳しいことはわからない。それでも毎朝線香をあげているようである。家では日本人と同様ちょっとしたお祈りをしているようだが、会社に出社して帰るまでの間に宗教的な儀式をすることはない。 普段の会話に宗教的な考えが出てくることもない。宗教的なタブーも聞いた記憶がない。宗教からの束縛を受けていないとお父さんは思っている。 日本人はよく無宗教だと言われるが、決してそんなことはないとお父さんは思っている。八百万(やおよろず)の神がいるというのを無意識に受け入れているので、特定の宗教を信仰するということをしていないだけである。 ベトナム人も先祖崇拝もするし、中国経由の神(関羽とか孔子)にも祈る。またシャーマンによる占いや治療も20年前はよくやっていた。日本でも占い師はいまだに人気があるようだし、治療はしなくても人生相談をしたり、占い結果に束縛される人はそれなりにいるだろう。 何が良いとか悪いとかはないのだが、20年以上ベトナムと関わってきて、ベトナム人と宗教観で対立したり違和感を持たないのだから、やはりベトナム人と日本人の宗教観は似ているのだろうと思う。
2025.05.22
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お父さんの父親が昨年の9月から猫を飼い始めた。お父さんが初めて見たのは10月に入ってからなのですでに子猫というより子供猫という感じだったが、それでも可愛さには驚いた。最近ややボケてきた父親のよい心の慰みになりそうである。猫は父親の近くに寄り添って寝っ転がっているか、部屋の中を徘徊していろいろと遊んでいる。 一つだけ問題というかクセがあって、子猫だから仕方がないのかもしれないが、人の手をあまがみしてくることである。あまがみだから、それほど痛くはないのだが、子猫の歯は小さいので鋭くとがっており、それなりに肌に刺さってくる。 父親の手や腕にはすでに猫に開けられた穴があちこちにあった。 お父さんが父親のところへ初めて行ったときはそれなりに警戒していたが、比較的人好きな猫の様で、普通に捕まえて抱っこしても暴れなかったし、撫でるとその場にとどまって気持ちよさそうにしていた。 だんだんとお父さんにも慣れてきて、お父さんが行くと猫から寄ってくるようになっている。お父さんもあまがみをされるようになってきているのだが、父親ほど腕に穴は開いていない。 どういうときに穴をあけられるかというと、あまがみを放っておいた時である。最初はゆっくりあまがみしていたのに、だんだん猫が興奮してくるのだ。爪は立てないが4本の足を使ってお父さんの腕に絡みついて甘噛みに力が入ってくる。こうなるとかなり危ないのだが、スッと手を抜こうとするとさらに逃がすまいときつめに噛んでくるので、別の手で猫をどかせるようにしないといけない。 まあ予防注射もしているし、定期的にシャンプーなどケアもしているので、病気になることはないだろう。 それよりも重大なことがお父さんにはある。それは、父親の猫の方が我が家の犬よりもお父さんと遊ぶというか、寄り添ってくるということだ。 我が家の犬はお母さんにべったりで、お母さんがいるときにはお父さんが呼んでも聞こえないふりをして一切お父さんの近くに来ない。無理やり捕まえて抱っこしてもすぐにお母さんの元に逃げ出してしまう。 ところが父親の猫は、お父さんが珍しいのか会うたびにすり寄ってきてはお父さんの膝に乗ってきたりと実にかわいい行動をとってくれる。 最近は我が家の犬より父親の猫の方が可愛いと思い始めている自分に気が付いた。子供が思春期になり親から離れていく中で、自らすり寄ってくる猫が可愛くないはずはないよなと自分で納得している。 我が家でも猫を飼おうとは思わないが、お父さんになつく犬を飼いたい気持ちはある。だが2匹目もお母さんになついてしまったら、お父さんは今以上に居心地が悪くなってしまうのだろう。そんな怖さがあるせいで、2匹目には手を出していない。まあ年の半分を海外で、日本にいても平日は仕事で日中いないのだから、犬がお母さんになつくのは当然だとも言える。なのでたまに顔を出すお父さんに甘えてくる父親の猫はかわいくて仕方がない。
2025.05.21
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ベトナム工場に出張を繰り返すようになってから、とにかく飛行機に乗るようになった。日本とベトナムの往復だけでなく、マレーシア、フィリピン、台湾、中国、韓国などあちこちの国に出かけている。またベトナムの中で国内線に乗ることも結構ある。ほとんどがハノイとホーチミンの往復である。 飛行機に何度も乗っていると、様々なアクシデントに遭遇することになる。出発時間が変更になったり、出発ゲートが移動になるのはしょっちゅうで、場合によっては乗るはずだった飛行機が欠航になることもある。 航空会社の都合で結構になった場合は、安チケットでも他の飛行機に振り替えてくれるのだが、大体が予定していたフライトより遅い時間の飛行機への振り替えになる。 ただ以前にベトナムで、席が空いていれば予定フライトの前のフライトに変更することもできると聞いていた。いつか試してみたいと思っていたが、なかなかそのような機会には恵まれなかった。 先日の5月連休にホーチミンからハノイに戻るとき、お父さんたちは2時間前に予定通り空港についた。現在ホーチミンは新しいターミナルができていて(あちこち工事中だが)、ホーチミン―ハノイ線だけが、この新しいターミナルを使用していた。 なので、まだ空港内の店などが少なく、2時間どうやって過ごそうか考えたが、チェックインの時に試しにフライトの前倒し(時間の早い飛行機に乗れないか)を尋ねてみた。 すると20分後に登場となるフライトに変更可能だと回答された。チェックインして手荷物検査を受けてその飛行機に乗れるのかと危惧したが、チェックインカウンターで発見してもらえるのだから少し遅れても飛行機は待っていてくれると確信して、フライト変更をお願いした。 予定していたフライトより1時間半早い出発となる。新しい空港のなかを見る時間もないまま、お父さんたちは急いで手荷物検査を受けて搭乗口まで急いだ。すでに搭乗がはじまっていて、座って待つ暇もなく飛行機の中までたどり着いてしまった。 本当に前倒しができたのはありがたかったが、実にあわただしかった。 しかしながらハノイに予定より1時間半早く着いたので、結局ハノイ市内でゆっくり夕食を食べて会社に戻ることができた。予定では、スーパーで何か食べ物を買って自室に戻って夕食の予定だったので、本当に振替ができてラッキーだった。 いつでも簡単にできることではないのだろうが、これからも機会があればフライトの前倒しには挑戦してみたいと思う。追加の費用も何もいらないので、本当にありがたいシステムである。
2025.05.20
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5月連休にバンコクに行ったとき、当たり前だがお父さんも一緒に行った同僚3人も誰もタイバーツを持っていなかった。バンコク到着が23時近くで、もう電車も乗れるかわからず、また市内の両替屋もやっているかわからなかったので、空港の両替所で換金することになった。 到着ロビーよりも地下の電車乗り場に近いほうが両替レートがよいと聞いていたので、わざわざ地下まで移動して両替所に行った。 確かに到着ロビーよりは若干レートがよかったが、後で確認した街中の両替所のレートと比べると明らかにレートが悪かった。ま 両替所に日本円を出して両替を頼んでいたら、両替所のスタッフがプリペイドカードを勧めてきた。これを持っていれば電車もカードをタッチするだけで乗れるし、コンビニなどでも買い物ができる。帰国時に返還手続きをすれば残ったチャージ金額も戻ってくるということだった。日本でいるSUICAみたいなものだと思い、先日香港でもオクトパスカードという似たようなシステムを使用したのを思い出したので、そのプリペイドカードを申し込んだ。 ホテルまではタクシーを使ったのでカードの出番はなかったが、翌日BTSという高架式の電車に乗ろうとして、早速使おうとしたところ改札が全く反応しなかった。近くにいたスタッフに見せて確認したら、BTSでは使えないという。空港の両替所のスタッフに騙されたかと思ったが、BTSだけが使えないのかと思い仕方なく券売機でトークンを購入した。ちなみに券売機でも使えなかった。 コンビニで使えると言っていたので、セブンイレブンで使おうとしたら、200バーツ以上でないと使えないと言われた。お父さんはその時ペットボトルのお茶を2本しか買おうとしていなかったので、200バーツも購入する予定がなく、結局現金で支払いをした。 これは使える場所がないと思い始めた時、MRTという地下鉄で同じカードを使用している人を初めて目撃した。現金でトークンを購入した後に改札で目撃したので、その時は使えなかったのだが、帰りにMRTに乗るときに試しに改札にタッチしてみたら普通に改札を通ることができた。両替所のスタッフが言っていた電車で使えるという言葉は一応ウソではなかった。 しかし、BTSでは使用できず、MRTのみでしか使用できないのではチャージした金額を使い切ることはできない。ちなみに最後に乗った空港行きの電車でも使用できなかった。つまり、もし両替所で購入したカードですぐに空港から電車に乗ることにして使用したとしてもダメだったということになる。両替所のスタッフは空港からの電車には使えると言っていたにも関わらずだ。駅の窓口で使えないことを確かめたのでお父さんの勘違いではない。 結局MRTで3回使っただけで、あとはどこにも使える場所を見つけることはできなかった。同僚はレストランなどでも利用しようと試みたが駄目だった。はっきり言って両替所のスタッフに騙されたと言えるだろう。 帰国前に両替所で払い戻しができるという話も嘘なのではと危惧したが、空港に到着して払い戻しをお願いしたら、普通に払い戻しはできた。お父さんは200バーツしか入れていなかったが、同僚3人は1000バーツも入れていたので、返金されなかったらかなりの失態になるところだった。 ベトナムに戻ってタイの情報を集めたが、プリペイドカードのことを見つけることはできなかった。タイでは現地の人が現金で切符を買っていたので、まだまだ電子マネーが発達していないのだろう。もしくはもっと使いやすい別のカードが存在するかだ。 行き当たりばったりで行動するとうまくいかないということを、またしても学んだ出来事であった。
2025.05.19
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5月連休最後はホーチミン滞在だった。バンコクのホテルを出て、重いスーツケースを引きずりながら地下鉄に乗った。そこから空港線の電車に乗り換えて無事にスワンナプーム空港に着いたのだが、空港線は日本や他国のようにエクスプレスというか特急タイプの電車ではなく、普通の電車しか走っていなかった。もちろん種類も各駅停車しか存在しない。 お父さんたちが乗車したのは始発ではない途中駅だったので、すでに電車は8割ぐらいの乗車率だった。これ以上乗ってきても入るのが大変だと思うぐらいには混んでいた。約40分ほどたったまま乗車したが、やはり最後に空港へ戻るときにはゆっくりと座っていきたいと思った。 両替レートが街中の方が空港よりもはるかに良いので、ほとんどのタイバーツを日本円に両替してしまっており、タクシー料金によっては支払えない可能性があったので、電車にしたのだが、50歳を越えた体にはちときつかった。 飛行機は順調なフライトで無事にホーチミンにたどり着いた。そしてホテルに到着した瞬間にやることが無くなった。夕食にどこかで日本食を食べるという以外、何も決めずにホーチミンに来てしまったからだ。 初日は夕方にホテル入りしたので、夕食を食べてあとは日本人街であるレタントン通りをぶらぶらして終わりになった。同僚たちは酒を飲むので夜の街に消えていったがお父さんは下戸なのでそのままホテルに戻った。 そして全く予定のない翌日にどうするかをネットで調べまくった。候補はクチのトンネルかメコン川のクルーズがあったのだが、どちらも当日にツアー参加できるものではなかった。結局出たとこ勝負でクチのトンネルに行くことにして、酔っぱらっているであろう同僚たちにメッセージを入れて、翌日にタクシーをチャーターすることにした。 クチは疲れたが楽しかった。そしてまたホーチミンに戻るとやることが無くなってしまった。ホテルで大浴場に行くとか、夕食をおいしい日本食レストランで食べる以外にホーチミンでお父さんはやることがない。五十肩でなければマッサージぐらい行くのだが、それではハノイで週末を過ごすのとほとんど変わらないのだ。 何となくベンタイン市場に行ってみたが、いつも通りのお土産物とにせもののTシャツなどがあるだけで、代わり映えはしない。ほしいものも見つからないので、ぶらぶらと高島屋まで歩いて行った。高島屋はハノイにはないので、少し違うことをやっているという気分になったが、しょせんはただのデパートなので特にやることはない。 そのほかユニクロ、無印良品などの店をぶらぶら見たが、やはりほしいものも興味をひくこともなく、終わってしまった。ホーチミンでお土産などの購入を一切しなくなってしまったのは、ハノイがそれだけ発展した証拠なのだろうが、そうなるとわざわざホーチミンまで飛行機で来る意味をあまり感じなくなってしまう。 次にいつホーチミンに来ることになるかわからないが、もう少し情報収集をしておこうと思う。まあ仕事で来る可能性のほうが高いので、観光地を調べてもなかなか行く機会はないとは思う。
2025.05.18
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先日のベトナムでの4連休、前半はバンコクに後半はホーチミンを旅行した。といってもホーチミンは出張も含めて何度も言っているので、それほど特別感はない。日本の感覚でいったら中距離の実家に帰省するようなものだ。食事も日本人街で日本食が基本だし、あとはマッサージなどしてまったり過ごすことが多い。 だが今回は旅行としてホーチミンに来たので、それだけでは寂しいと思い、一度行ってみたいと思っていたクチのトンネルを見に行った。クチのトンネルとはベトナム戦争時代、ベトコンと米軍から呼ばれたベトナム解放戦線が掘った地下要塞である。 旧日本軍が硫黄島などで作った塹壕というか要塞に似ているのかもしれない。 クチのトンネルはホーチミンから大体車で2時間、70kmほどの距離にある。通常はツアーに申し込んでバスで行くことが多いらしいが、お父さんたちはタクシーをチャーターして4人で現地に向かった。帰りも乗せてもらうようにして現地で約2時間待ってもらった。メーターで往復200万ドンほどだった。一応チップ20万ドンをプラスして支払ったがかなり喜んでいたので、チップは必要ではない。 さてクチのトンネルだが、予想以上に狭くて大変だった。かがんで歩くというレベルではなく、しゃがんで歩くというレベルだった。お父さんが当時のベトナム人より太くて大きいことを加味しても、かなり狭い。 いくつかのトンネルを歩くころには太ももがパンパンになってしまっていた。観光客もたくさんいるので、トンネルの中の空気は悪く、さらに温湿度ともに高かった。持っていたタオルがあっという間にびしょびしょになってしまった。 このトンネル要塞がどれほど当時のアメリカ軍にとって脅威だったかはよくわからないが、当時の爆弾では破壊ができない深さまであったようなので、歩兵がつぶしに行くだけとしたらかなり大変だっただろう。 ところどころに地下から米兵を狙う狙撃口もあったので、お父さんが米兵だったらかなり恐怖をもって攻めなければならなかっただろう。 通気口もきちんとあり、地下の炊事の煙が朝霧に紛れてばれないようにする工夫もしてあった。これまで写真では何度も見ていたが、人間命がかかるとここまですごいものが作れるのだと感心した。総延長250kmほどあるというのだから、大したもんであるが、きちんと設計して掘られたという説明はなかった。 まあ現在のベトナム人ですら、設計に対する意識が低いので行き当たりばったりで掘っていた可能性が高いとお父さんは思っている。 クチトンネルの周囲は現在ベトナム軍の駐屯地となっていて、近くに軍が経営する射撃場があった。帰りにお父さんたちはそこに寄って、生まれて初めてライフルで実弾射撃を体験した。お父さんは以前に韓国で拳銃は実弾で撃ったことがあるのだが、一緒に行った同僚は実弾射撃は初めてであり、最初は嫌がっていたが経験した後はもう少し撃ってもよかったと言っていたので楽しんだのだろう。AK65というライフルだった。 2時間かけてホーチミンのホテルに帰ってきた後、お父さんはホテルのベッドに倒れ込んで寝てしまった。同僚はマッサージなどに行って寝たようだが、五十肩のお父さんはマッサージが怖い。 かなり疲れたが、クチのトンネルに行ったことでベトナムで行きたい場所リストを一つこなすことができた。ただあの狭いトンネルを歩くことを考えると2度目はなくてもいいかなと思う。
2025.05.17
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先日お父さんの会社のベトナム工場の増改築をお願いしている建築会社の社長さんと会食した。30代後半で独立し、建築会社を立ち上げて、現在ではベトナム人の奥さんと結婚したことでベトナムを主軸に建築会社を経営している人だ。ある会社の紹介でこの人と縁を持ち、お父さんの会社の増改築を発注するようになっている。 お父さんはこれまでの人生で初代のオーナー社長、つまりは自分で会社を興して成功した人たちに何人も会っているが、皆それぞれに個性が強い。自分がやってきたことに対する自信からくるのだろうと思うが、共通するところもいくつかある。 今回は成功したオーナー社長の共通点を書いてみたいと思うが、お父さんは本を出そうとしているわけではないので、人生の参考にはならないと思う。 まずこの人たちに共通していると感じるのは、会社の中で自分が一番仕事をしていると自信をもって言う点である。教訓とし言ってくれているのかもしれないが、「寝ないで仕事をしている」「休みなく仕事をしている」という話がよく出てくる。今回の会食でも社員に仕事量で負けてしまったら社長なんかできないと言っていた。ちなみにお父さんの会社の初代オーナー社長も「自分が一番働いていた」といまだに言っている。 次に共通して言うのが、社内で自分が一番会社のこと、仕事の内容を理解していると断言することである。さらに世界情勢や業界内部の動きを常にアンテナを張っていて、油断せずに戦略を立てているという内容を話すことだ。 これに関しては、そうですねとも嘘でしょうとも言えない。まあ事実かどうかというより、初代オーナー社長というのはこういう風に考えている人が多い。 結局自分が一番仕事をして、自分が一番知識があると思っているので、従業員に対する評価が低いというのがお父さんの認識である。 またある程度成功して安定した状態まで続いた会社のオーナーは、自分は「運がいい」と口をそろえて言っている。40歳以下の若いオーナーはまだこれからどうなるかわからないので、自信をもって運がいいとは言わないが60前後ぐらいから、自分は運がいいとか、運に恵まれているということをいう人が圧倒的に多いと感じている。 お父さんが見ている限り、成功する社長というのはあまり人を頼りにしていない。誰にも頼らず自分一人でというのではなく、成功者の本を読んで勉強するとか、悩んだ時にアドバイスを貰いに行くということをせず、自分で決断し行動していく人が多いという意味だ。 これが2代目や3代目社長になると、セミナーに参加したり、業界の集まりなどでの情報収集が重要と言い出す人が多い。経営者セミナーに参加する人のほとんどが2代目以降の経営者である。 初代オーナー社長の特徴はまだまだあるのだが、とにかく話をするのが好きな人が多い。自分の成功を話したいのもあるのかもしれないが、どちらかというと若者たちにどうやったら成功できるかを伝授したいと思っているように感じる。将来「あなたのおかげで成功できました」と言われたいのかなと思って聞いている。 実際にいろいろな特徴がある中で、初代オーナー社長の話というのは2代目以降の社長の話よりも面白いことが多い。これはお父さんの好みなのだが、よくあるいい話ではなく、アクが強く強引な話がたくさん出てくるからだ。世の中の常識なんてくだらないという話を聞いていると、お父さんは元気が出てくる。なぜならお父さんも「変な人」「考え方がずれている」と常識人と呼ばれる人から良く言われるからだ。お父さんの中では当たり前のことを言っているだけなのに、こういう反応が来ると「この人はつまらない」と感じてしまうのだ。 最後に成功者が持っている必須の条件だけを書いておこうと思う。お父さんも見習いたいと思ってなるべく真似をしている行為だ。それは決断が早く、行動も早いということだ。これはどの初代オーナー社長でも全く同じである。 周りからは強引で気が短いと言われることもあるかもしれないが、決断力と行動力を併せ持たない初代オーナーをお父さんはまだ見たことがない。
2025.05.16
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以前にも書いた気がするが、お父さんがベトナム工場に出張するようになった2006年ぐらいには、ベトナムにはまだお昼寝の文化が残っていた。昼食を食べた後、昼休みが1時間半ほどあり、約1時間は食後のお昼寝をするのである。 お昼寝文化のない日本人駐在者も、やることがないので休憩室でお昼寝をしていた。ベトナム人は専用のお昼寝室があり、そこのベッドに寝ていた。 現在では昼休みは食事時間も含めて1時間であり、お昼寝時間というものを設定していない。それでもお昼寝用のベッドがある休憩室は当時のままなので、従業員はさっと昼食を食べた後に、休憩室のベッドで寝ている。 昨年新しい工場を建設した近くの日系の中小企業を見学させてもらったら、新工場にも関わらずお昼寝室が完備されていた。ハノイ近郊の工業団地にある日系企業にはない施設である。昔からハノイ近郊の日系企業からはお昼寝の話をすると驚かれていた。 お父さんも初めてお昼寝する従業員を見た時には、かなり動揺した。とっとと働いて家で休んだ方が従業員も楽だろうと思っていた。周囲の製造業者に合わせてお昼寝時間をなくした時にはホッとしたのを覚えている。 しかしながら、最近暑くなってきて思うのだが、食後に1時間ほどお昼寝をするのは、意外と仕事の効率を上げているのかもしれない。ベトナムの夏はとにかく暑い。また夏というか4月にはほぼ毎日30度を超えるようになるし、その暑さが10月までは続いていく。7月8月などは実質40度に近い気温になる。 こうなると体力の消耗が著しくなる。いくらエアコンがあるとはいえ、機械から発する熱もあり、エアコンの効率も落ちるので、現場の温度は上昇している。結果としてかなり体力を消耗するのである。 だから昼食後にお昼寝をして体力を回復させるというのは、地域に合った文化かもしれない。日本でも体力が続かない子供のうちは、基本的にお昼寝をするのが当たり前である。特にミルクを飲んでお昼寝、食事をしてお昼寝というパターンが多いだろう。我が家の3人の子供たちもお昼寝をして育っている。 お父さんはお昼寝時間が無くなってから、昼休みは食事後に起きていて本などを読んでいたが、最近は15分から20分ぐらい横になって寝ている。寝ると寝ないのでは午後の仕事の効率というか、眠気やだるさが全然異なるのだ。50代になり体力がなくなってきたのも大きいと思う。 お昼寝習慣は現代の製造業など生産性を考えると無駄なのだが、一度経験するとなかなかに良いものだと思う人も多いと思う。終業時間がその分遅くなるのだが、それを気にしない人は、お昼寝をするほうが午後の仕事に集中できるようになる気がしている。
2025.05.15
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ベトナムから日本に帰国するまで一週間を切った。帰国は目前である。こうなるとこれまでお父さんに出すと怒られたり指摘されるといやだと思っていた案件が、大量にお父さんのところへ持ち込まれる。 ここから帰国日までは突発に次ぐ突発の仕事が山盛りになる時期である。それでも日本に帰国して仕事をするより、ベトナムの活気ある工場がお父さんは好きである。日本人はあまりにも落ち着いている。いや落ち着いているというよりすべてを達観したような仕事ぶりで、トラブルはあっても前向きな意見の激突のような騒ぎがない。ベトナムから日本に帰国するときは、家族に会える喜びと、日本で仕事をする憂鬱さで心が乱れることが多い。 ただそう思うのは帰国日が近づいた時期だけである。ベトナムに来てすぐは、前回出張時の指示事項に対する確認などから入るのだが、こちらがやる気をなくすほど何もやっていなかったり、別のことをやっていることが多い。「これだからベトナムは!!!」という状態から始まる。もちろんイライラや怒りは心の中にとどめてニコニコしながらやらなくてはベトナム人は指示を聞かないので、ストレスがたまる。 さて、日本で日本人としか働かない人にはあまり理解されないのだが、少なくともベトナム人は日本人より自主的に考えて動くということが少ない。例えばAという案件で注意や指示を受けた時、次に発生したA‘というほぼほぼの類似案件をAと同様に処理するということができないのだ。日本人にとっては昨日指示したこととほぼ同じだろ」と思っても、ベトナム人にとっては異なる案件なのだ。 さらに言うと、彼らには責任区という考えが発達しすぎていて、おかしいところがあってもそれが自分の責任にされないのならそのまま見過ごすという習慣がある。隣で明らかにおかしな作業をしていても、注意も指導もしない。 ほぼほぼ自動ラインでモノづくりをするか、全くの単一作業を延々とやらせるということができれば、大きな問題は発生しないのだが、日本でいう「多能工」を作ろうとして失敗している会社は多い。お父さんの会社でも社長指示で多能工かを見た目上は進めているが、精度の厳しい製品は絶対に多能工を作らないように現場は動かしている。 コロナ以降、外国に駐在する日本人は大幅に減っていて、お父さんの会社でも半分にしてしまった。お父さんが知っている日系企業でも日本人がいなくなったり、現場の管理者を現地人にすべて任せたりということを実施した会社が多くある。 結果として不良率が大幅にあがり、日本から長期出張で技術者の派遣を繰り返している会社もある。 お父さんの会社がレベルが低く運営がへたくそなのかもしれないが、ベトナムでは明確に指示したことですら、次の日にはやらなくなることが多々ある。そのため工場をきちんと運営しようと思ったらひたすら巡回チェックして何度も何度も指摘するしかない。 巡回で見逃されたルール違反や不具合は「管理者も認めた」ということになるので、細心の注意が必要だが、それでも巡回して発見して指摘することを繰り返すことでしか成り立たないのがお父さんのいるベトナムの工場だ。 よく海外を知らない本社の日本人が、理想だけを語って帰っていくが、どの企業でも現地で実際に仕事をしている日本人は「またバカなことを言っている」と相手にしないことが多い。現場の口癖は前にもブログに書いたことがあるが、「お前が来てやってみろ!」である。残念ながら性善説で海外工場の運営はできない。 ただお父さんにとってなぜベトナム工場での仕事が楽しいかというと、とにかく明るい性格の人が多いのだ。みんな笑顔だし、原器はいいし、バカなこともたくさんやらかすが、基本的に一生懸命である。特に自分の利益なると思えば目の色を変えて行動する。 日本の工場で自分の利益のために目の色を変えて行動する日本人はほとんどいない。外国人労働者の方にはいることが日本人として悔しいところだ。 スマートに仕事をしようとする日本人と、怠惰だけどがむしゃらなベトナム人、一緒に仕事をするならお父さんは後者が楽しい。まあこれは人によるのだろうとは思う。 ただ、見つけて指摘しないと現場が悪いままというのは最近の日本の工場にも当てはまることが多々ある。日本人の日本人としてのアドバンテージが少なくなっていると感じる。
2025.05.14
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先日のバンコク旅行では、特に目的はなくバンコク行きを決めたのだが、せっかくバンコクに来たのだからとお寺を回ることにした。 バンコクには有名なお寺がいくつもあるのだが、観光ガイドなどを読んで、行きたい順にワットプラケオ(エメラルド寺院)、ワットポー(涅槃寺)、ワットアルン(暁の寺)を巡ろうと決めた。 一緒にバンコクに行った同僚もそれでよいというのでお父さんが見たいお寺がすべてみられると喜んでいた。 早速ワットプラケオ(エメラルド寺院)に行ったのだが、短パンでは拝観できないと断られてしまった。もちろんワットプラケオや王宮は短パンやサンダルはダメだということを知っていたのだが、入り口付近に長ズボンを貸してくれるところがあると思っていた。昔訪れた王宮などはそういうシステムだったからだ。 ところがレンタル長ズボンはないという。どこかで買ってこいと追い返されてしまった。 追い返されたというよりも、実際はここからトゥクトゥクで船着き場へ行き、クルージングを楽しんで降りたところに店があるから長ズボンを買って戻ってこいという話だった。仕方がないのでトゥクトゥクに乗って船着き場から1時間ほどのチャオプラヤー川と水路のクルージングを楽しんだ。 この過程でワットアルン(暁の寺)をチャオプラヤー川からゆっくり見てしまったので、ワットアルンはもういいかなと思っていた。船着き場に降りると目の前に土産物屋がたくさんあり、100バーツでいかにもタイというデザインの生地の薄いズボンをみんなで購入した。 これをはいてすぐにワットプラケオに行けばよかったのだが、船着き場の目の前がワットポー(涅槃寺)だった。 せっかくなのでとワットポーを先に見学した。タイのお寺は日本とは異なり仏塔が目立つのが特徴である。日本で仏塔というと三重の塔とか五重の塔になるが、タイの仏塔はもっときらびやかだったり丸みを帯びていたりと特徴がある。ただ基本的に仏塔の中には入れないので、炎天下で仏塔を見ているとかなり暑さにやられてしまう。 ちなみに仏塔には経典や舎利が収められているらしい。タイ人もたくさんいたが、仏塔に対して手を合わせるようなしぐさを見なかったので、タイ人にとっても仏塔は見学するものなのかもしれない。 日本でいう本堂には入ることができ、本尊を拝むことができる。だがワットポーで有名なのは、涅槃寺という別称が表す通り、巨大な金色の涅槃像である。柱が多くて全体を見渡せないのがちょっと残念だったが、見ごたえはあったし観光客もたくさんいた。 そこから仏塔を巡り、本堂をみてワットポーに1時間ほど時間をかけてしまった。 ワットポーからワットプラケオに移動しようとしたら、トゥクトゥクの運転手に「ワットプラケオはもうクローズした」と言われた。意味がよくわからなくてもう一度聞いたら、ワットプラケオは15:30で入館が終わるということだった。 この閉館時間を知らなかったために、お父さんたちは結局一番見たかったワットプラケオ(エメラルド寺院)を見ることができなかった。 王族が建てた寺ということで、かなりきれいで神秘的だと説明に書いてあったので実に残念だったが致し方ない。写真撮影も禁止なので基本的に中の写真も見ることができず心残りが多めのタイのお寺観光になってしまった。次回バンコクを訪れる際は真っ先にワットプラケオに行こうと思っている。 それにしてもアジアの寺院を見るたびに思うのだが、色彩が豊かで仏像もカラフルだったり金箔が貼ってあったりと、とにかく豪華である。アジア人はそれに神秘性やありがたさを感じるのかもしれないが、日本の寺院に慣れているお父さんとしてはなかなかアジアの寺でそれを感じることができない。金色の仏像も日本ではギラギラピカピカしていることはない。文化の違いなのだろうと思うので、アジアの人が日本でお寺を観光すると、逆にありがたみを感じず貧乏くさいとか古臭いと思うのかもしれない。
2025.05.13
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お父さんは子供のころ、食の好き嫌いがとても激しかった。ご飯と肉だけでいいとずっと思っていた。野菜も魚も苦手で家での食事は親に怒らればかりだった記憶がある。不思議なことに学校の給食は苦手なものも食べることができたので、給食で苦労した経験はない。なぜ給食は食べられたのに、家では食べられなかったのか不思議に思うが、今考えるとただの親への甘えなのだろう。母親の料理を今でもたまに食べるが別にまずいと感じることはないので、給食がおいしくて家の料理がおいしくなかったわけではないと思う。 さて、今回は給食の話をするわけではない。お父さんが小学校低学年ぐらいまでやっていた。ご飯にみそ汁をかけたものについてである。その食べ方に名前があるのかも知らないが、お父さんはみそ汁掛けご飯と呼んでいた。ちなみにお父さんが発見した食べ方でもなんでもなく、家族にも親類にもそういう食べ方をしている人がいた。 ただ親からは家の外ではやらないようにときつく言い含められていた。なので家以外でそんな食べ方をしたことがない。 成長してから、このみそ汁掛けご飯が下品な食べ方で世間で認められるものではないと知った。その時は確かに下品な食べ方だと納得したのだが、最近久しぶりにベトナムでスープをご飯にかけて食べた時に、どうしてこれがOKでみそ汁掛けはダメなのだろうと疑問に思った。 世界はともかく、日本にはご飯に何かを混ぜて食べる料理がたくさんある。典型的なのは卵かけごはんだろうか。最近ではTKGともいうらしい。生卵をご飯にかけて食べるのだから、下品と言われてもよいと思うのだが、専門店があるぐらい市民権を得ている。 お茶漬けもご飯に汁をかける料理と言えると思うが、これも下品とは言われない。高級な割烹料理も含めて締めの料理として当たり前に食べられている。 少し雰囲気は変わるが、鍋料理の最後に残った鍋のスープにご飯を入れてつくる雑炊も下品どころか最高においしい締めの一品として市民権を得ている。残ったスープ(汁)にご飯を入れ、玉子を入れてかき回す。見た目にも美しいとは言えない色をしているが、お父さんも含めてみんな喜んで食べる。 さらに言うとビビンバという日本で人気の韓国料理もある。こちらは汁気はないのだが、きれいにご飯の上に並べられた具をコチジャンと一緒に見るも無残な状態になるまで混ぜ混ぜして食べる料理だ。混ぜ終わったときには料理が配膳された時とは全く違う色と雰囲気になっている。これも下品とは言われない。 どうしてみそ汁をかけたご飯が下品な料理とされるか理由を探すとしたら、みそ汁はご飯にかけないで食べるという暗黙のルールがあるだけのような気がする。もしくはみそ汁をご飯にかけて食べるのは下品であると誰かが決めて、それが騒がれることなく日本全体に広がったのかもしれない。 小田原北条氏の逸話にも、ご飯にかける汁の量を一発で決められない息子を嘆いたという話があるぐらいだから、昔は汁かけごはんは下品ではなかったような気もする。 我が家の子供たちには汁かけごはんを教えていないので、彼らがみそ汁をご飯にかけて食べたことはお父さんが知る限り一度もない。下品と敬遠されているうちに、日本の食文化から消えていく食べ方なのかもしれない。
2025.05.12
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お父さんはタイ料理が比較的好きな方である。学生時代にタイに旅行に行って食べたタイのチャーハンがおいしくて、毎日のように同じ店で食べていたこともある。有名なトムヤンクンは店によって味が違い過ぎて、美味しいと思うものからまずいと思うものまでいろいろあった。タイ人にとっては各店のみそ汁の違いぐらいの感覚なのかもしれないが、お父さんとしては、その店のトムヤンクンがおいしいかどうかは運である。 先日のバンコク旅行でも、タイ料理を中心に食事をした。一番のメインはプーパッポンカレーというのを食べることだった。よくタイに行く取引先の日本人から教えてもらった料理で、カニが入ったカレーで辛さも問題ないということだった。 出発前にプーパッポンカレーの有名店であるソンブーンシーフードというミシュランガイドに乗ったこともあるというお店(チェーン店でバンコク市内に数店舗ある)で食べることに決めていた。 バンコク2日目の昼に念願のプーパッポンカレーをソンブーンシーフードで食べたのだが、見た目の良さに反して味がうすぼんやりしていてあまりおいしいとは感じなかった。味の薄い玉子焼きの様と言えば少しは伝わるのだろうか。 その他の料理も基本的においしかったのだが、全体的に味が薄めでお腹はいっぱいになったが満足度はそれほどでもなかった。ただお父さんは旅でおいしいものを食べるのも好きだが、そうでないものを食べるのも思い出として悪くないと思っている。今回のプーパッポンカレーは期待が大きかった分ダメな方に分類されるが、いい思い出にはなったと思う。 一緒に食べた同僚たちも味が薄いという共通認識はあったので、その日の夕食はホテル近くの現地人が集まるレストランというか食堂でタイ料理を食べることにした。残念ながらそこにはプーパッポンカレーはなかったので、食べ比べはできなかったが、トムヤンクンなどはなかなかおいしかった。 あまり賛同者はいないのだが、お父さんはタイのグリーンカレーが大好きである。好きになったきっかけはタイ旅行ではなく、アメリカ滞在中にアパートの近くにあったタイ料理屋のグリーンカレーにはまったからである。 それ以来何度か日本でもお母さんに作ってもらったが、お母さんも子供たちも誰もおいしいとは言ってくれなかった。そもそも辛いと言って家族はなめるぐらいしか食べていない。 そしてこの食堂のグリーンカレーは辛さも味も香りも久しぶりに食べる本物のタイのグリーンカレーだった。お父さんはものすごく満足したが、一緒に行った同僚には合わなかったようだ。どうも日本人の大半が苦手なココナッツミルクが原因のようだ。 誰もがおいしいと思ったのは、ハーブに包まれて焼いた鶏肉だった。これは普段海外でも日本食しか食べたくないと言っている同僚も、美味しいと言っていた。タイから戻ってきても話題に出すぐらいなのでよほど気に入ったのだと思う。 今回のバンコク旅行で残念だったのは、お父さんの好きなジャスミンライスで作ったエビチャーハンを食べることができなかったことだ。独特の香りのジャスミンライスで作ったチャーハンは、学生のころ2杯でも3杯でも食べられたのだが、今では幻となってしまったのだろうか。ネットでジャスミンライス使用のチャーハンを検索してもお店が出てこない。 しかしタイ料理好きのお父さんも3日間もタイ料理ばかり食べていると、さすがに食傷気味になる。移動したホーチミンで食べた日本食が体にしみこむようにおいしいと感じたのだから、お父さんのタイ料理好きはそれほどではないのかもしれない。
2025.05.11
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ローマカトリックの新しい教皇を決めるコンクラーベが終了した。新しい教皇はアメリカ出身でロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が選ばれ、レオ14世という名前になったそうだ。カトリックは全世界13億人の信者を抱える大きな宗教組織である。そのトップになる人がどのように出世?してきたのか非常に興味がある。 記事を読むと20年近く南米で過ごしていた人の様で、ずっとバチカンやヨーロッパにいたわけではないようだ。会社でいうとずっと海外、それも遠隔地の支社で働いていて、本社に戻り役員になり、今回社長になったという感じだろうか。何が実績として評価されるのかもとても興味がある。 ローマカトリックは助祭⇒司祭⇒司教⇒大司教⇒枢機卿⇒教皇と位階が上がっていくようである。お父さんはこの順番に上がっていく階級というのを知るのが結構好きである。例えば日本の警察官は巡査⇒巡査長⇒巡査部長⇒警部補⇒警部⇒警視⇒警視正⇒警視長⇒警視監⇒警視総監と上がっていく。大卒のキャリアと言われる人たちは、警部補からスタートするようだ。逆にノンキャリアと呼ばれる人たちは警部補で定年を迎える人が多いという。上に行くほど人数が少なくなるので致し方ないことだが、民間も含めて出世するのは難しい。それがカトリック13億人のトップになるのだから、教皇とは普通の人が頑張るレベルでなれるものではないだろう。 ちなみにコンクラーベというものをまともにお父さんが知ったのは小説だった。ダヴィンチコードというダンブラウンという作者の小説のシリーズで、「天使と悪魔」という小説が、コンクラーベを絡めて進んでいく内容で、コンクラーベについてもそこそこ詳しく書いていてくれたので覚えたのだ。 新婚旅行でお母さんとイタリアに行き、バチカンも訪れていたので、情景が目に浮かんで楽しく読めた記憶がある。コンクラーベを実施するシスティーナ礼拝堂も今でも記憶に残っている。 ローマカトリックは世界に認められた宗教というより宗教組織である。バチカン国という国も運営している。だからトップが選挙で決まるというのはすごくわかりやすくてよいと思う。考えてみると、イスラム教のトップは誰かもお父さんは知らないし、キリスト教でもプロテスタントとかロシア正教のトップも知らない。いったいどういう風に決まっているのだろうか。教義上でトップがないという運営方法もあるかもしれないが、それでも組織がある以上、実質上のトップというのが必ずいるはずである。 このように書いていると、日本の神道もトップは誰という話になる。お父さんは勝手に天皇陛下だと思っていたが、もしそうだとしてもこれは名目上のトップであり組織運営をしているとは思えない。そうなると神社庁なるもののトップになるのだろうか。 ちょっと調べたら、神社庁のトップは早朝というらしい。ただこれは宗教指導者ではなく、組織運絵の事務的機関であるらしい。また階位というものと役職というのがあるようだ。 お父さんが効いたことがある禰宜とか権の禰宜というのは役職であり位階ではないらしい。宮司というのを神主とか神官として神社で神職についている人の総称なのだと思っていたら、宮司はその神社のトップであり、基本的に各神社に1人しかいないらしい。勉強不足であった。 ただこういうコンクラーベとかブログを書くことで少し勉強になるのも人生の楽しみの一つである。知識が増えることは単純にうれしいものである。 そういえば、昔の日本ではローマ教皇ではなくローマ法王と言っていたはずなのだが、いつからどういう理由で法王が教皇に変わったのだろうか。
2025.05.10
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ベトナムにも5月に連休がある。4月30日の解放記念日と5月1日のメーデーが2連休で存在する。お父さんの会社では日本のゴールデンウィークほどではないが、4月30日から5月3日までの4連休だった。 お父さんはほぼ毎年5月はベトナムにいるので、この連休を利用して同僚と旅行に行っている。昨年はホーチミンからブンタウというリゾート地を回った。本当はコンダオ島という離島に行きたかったのだが、エアチケットが取れなくて断念していた。 今年こそはコンダオ島と思っていたのだが、最終的な連休の日程が決まったころ(毎回生産状況に合わせてギリギリまで決まらない)には、またもやエアチケットが売り切れていた。そこでベトナム国内をいろいろ考えてエアチケットを探したのだが、ほとんどが売り切れもしくは深夜便というありさまで、国内旅行は断念することにした。 そもそもベトナムの祝日には、商業施設がかなり休みになってしまう。ショッピングはともかく食事をする店の多くがお休みになるので、比較的営業する店が多い観光地を検討していたのだが、海外に出れば関係なくなる。そこで久しぶりに海外に出てみようということになった。 最終的に行先に選んだのはタイのバンコクである。ベトナム人が裕福になって国内を旅行するようにはなっているが、海外旅行はお金もそうだが、言葉の問題があっていく人は少ない。バンコク行きの飛行機はリクエストした時間の便を普通にとることができた。 今回はハノイ⇒バンコク⇒ホーチミン⇒ハノイとラウンドトリップでチケットを取ったので価格は日本往復とたいして変わらない値段になってしまった。これなら福岡に遊びに行ってもよかったかもしれない。 さて、お父さんが最後にバンコクに行ったのは、バングラディッシュに行くために1泊した10年ほど前が最後である。この時は空港そばのホテルに泊まって、バンコク市内に夕食を食べて帰ったぐらいなので、ほとんどバンコクの街を見ていない。 その前のバンコクは学生時代の貧乏旅行である。もう30年も昔の話しだ。 そのころのバンコクは活気はあったがカオスといった雰囲気があちこちにあった。ゲストハウスという一泊200円から500円ぐらいの宿に泊まって、一食50円ぐらいの食事をしていたので、バンコクのキレな部分をほとんど見ていなかった。 今回は街中のハイレベルなホテルを予約してバンコクに挑んだ。29日の夜便でバンコク入りしたので、ホテル着は23時ぐらいになってしまった。翌日からバンコク観光をしたのだが、昔と異なり大きなビルだらけになったバンコクは、どこが中心の繁華街かわからないほど発展していた。東京の中心は?と聞かれても明確に答えられないように、いくつかの地区がそれぞれに発展している街になっていた。 ワットポーなど有名なお寺を見て回り、チャオプラヤー川や水路をいく小舟も体験した。残念だったのが、今回一番見たかったワットプラケオ(エメラルド寺院)が、時間切れで見られなかったことである。 それでもおいしいタイ料理をきちんとしたレストランで食べたし、夜の繁華街を見学するのも楽しかった。しかしながら、30年前すべてが安いと感じたタイは、今では値段が普通の国になってしまった。日本の国力の低下をまたしても感じる結果になった。 初めてバンコクに行った同僚は、かなりバンコクの街が気に入ったようなので、また行く機会があるかもしれない。タイは昔から日本人を引き付ける何かがあるのだろうと思う。
2025.05.09
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お父さんはずいぶん前から自分のパソコンのウィルスソフトは自分で選んで自腹で購入してインストールしている。先日の詐欺メールの件でも書いたが、お父さんの会社は中小企業でまともなIT関連部署はない。社員の中に少しパソコンが得意な人が、何となくパソコンの管理をすることがあるといった程度だ。 一番の問題は社長である。社長は自分が世の中のすべてを知っているという振りを社員の前ですることが多い。そして自分が理解できないものに対しては「必要ない」と話を聞いてくれない。 話は少しずれてしまうが、社長が選んだパソコンを使っている社員は、非常に苦労している。目盛りは足りないし、仕事に必要なソフトが入っていない空っぽのパソコンを「安いのを見つけた」と喜んで購入してしまうからだ。 すでにこの社長のパソコン購入のクセはパソコンを使う社員すべてに知れ渡っているので、日本の工場ではパソコンを買うときに社長がベトナムに出張しているすきを見てお父さんに購入を依頼してくる。お父さんとしては迷惑なのだが、理由をつけて目盛りを充実させ、少なくともオフィスのソフトが入っているパソコンを社長に許可をとって購入している。 最近社長が購入したパソコンは2台。どちらも社長が連れてきた顧問さん用のパソコンである。どちらも使い物にならないので、2人とも自分のパソコンを持ち込んで使っている。後からお父さん経由の購入の仕方を聞かされるらしくて文句を言われたが、社長を裏切ってそこまでお父さんが動く義理はないと思っている。それに一度痛い目に合ってもらわないと、お父さんがいう対社長の注意事項を信じてもらえないというのもある。 話を戻そう。最近のソフトは基本的にサブスクリプション形式のものが多い。毎月とか毎年使用料を支払う方式である。このサブスクリプション方式を社長が大嫌いなのもわが社の問題である。商売の仕方が社長のポリシーに反するらしい。一回の購入で終わりにするのが社長の認める商売で、いつまでもお金を支払い続けるのはおかしいといつも言っている。 それでもおじさんたちのウイルス感染がひどかった時代、ウィルスソフトだけは毎年の支払いを認めていた。 ところがある時若手社員がウィルスセキュリティZEROという毎年の更新料が要らないセキュリティソフトを社長に紹介した。社長はこれに飛びついて、会社のセキュリティソフトを全部切り替えてしまった。 今でもこのセキュリティソフトはあるようだが、お父さんは無料アップデート(期限なし)というのが信用ならず、ネットでいろいろと調べた結果、かなりの脆弱性があるという結論に至った。そこで社長に断りを入れて、自分は別の有料更新のセキュリティソフトを導入した。結果として、1年もしないうちに、お父さん以外の全社員がウィルスに感染した。 さて最近お父さんが使っているウィルスソフトが、さらに上級バージョンを購入するようにという宣伝をポップアップさせてくる。どれぐらい効果があるかはわからないが、ネットで調べる限り、今のソフトでも十分対応は可能であると判断している。 それでも毎日出てくる購入を勧めるウィンドウには閉口してしまう。これもソフト会社の購入をさせる手腕なのではと思っている。 ちなみにYOUTUBEも広告を入れてくるが、お金を払うと広告が出なくなる。これは無料で見ているので致し方ないと思っている。ところが最近アマゾンプライムの動画でも広告が入るようになり、広告なしで見たければ、お金を払えと要求してきている。もちろんサブスクリプション形式である。 初めから有料で登録しているのに、広告を入れ、さらに広告を消したければもっとお金を払えと言う。阿漕な商売である。 ちなみに広告会社からお金をもらっているだろうに、広告を消すシステムを入れてしまっていいのだろうかと思う。倫理上問題はないのだろうか。民法の地上波で、TV局にお金を払ったらCMなしでテレビが見られますとやったら大変なことになると思う。 最近世の中の仕組みや倫理がよくわからない。
2025.05.08
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お父さんは仕事関係をメインに電子メールのアカウントを10個以上持っている。そのうちメールBOXを共有している6個のアドレスに毎日500通以上のメールが届く。そしてその多くが迷惑メールである。仕事関係のメールは200通弱ぐらいが平均ではないだろうか。そして残りはほとんどがDM関連か詐欺メールである。どうしてこれだけ個人のアドレスが漏洩するのかと不思議に思うが、すでに50歳を過ぎたお父さんに最新のIT技術を理解するのは不可能だろう。 それにしてもDMはともかく詐欺メールの多さには本当にうんざりしている。実際に存在している銀行、証券会社、クレジットカード会社、通販サイトなどに偽装したメールばかりで、本物を見分けるほうが大変である。 自分が関わっていないものに関しては、すぐに詐欺メールと判別できるが、自分が使っているクレジットカードや通販サイトなどを偽装した詐欺メールはたちが悪い。 基本的には退会がどうとか、不正利用がどうとかいろいろと不安をあおるような件名がついていればほぼほぼ詐欺メールだと理解できるが、中には微妙なものもある。もちろんそんなメールを開けて読むようなことはしていない。 それでも引っかかる人はゼロではないだろうと思う。お父さんも今は引っかからないように注意しているつもりだが、いつ被害者になるかはわからない。だましのテクニックは日々向上しているように感じるからだ。 お父さんが30代のころ、会社のメールに届くウイルスメールに引っかかるおじさん社員が山ほどいた。大手と異なりファイアーウォールという機能がないままメールの受信を行っていたため致し方ないともいえるのだが、おじさんたちはエロい件名のメールを開くばかりか、添付ファイルまで開いてしまうのだ。 何度注意しても自分が何をしたか全く理解してくれないので本当にあきれたものである。ある一人のおじさんは、エロサイトを装った架空請求メールに返信までしていた。 今はエロメールではなく実在する企業からの偽メールばかりなのだが、そちらのほうが引っかかる可能性のある対象者が多いのだろう。そして一定数の人が常に詐欺に引っかかってしまうからこそ今のはやりは実在企業からを装った詐欺メールなのだろう。 お父さんは、自分が使っている通販サイトやネット銀行などから来たメールだとしても、メールのURLからサイトに入るようなことをしないのが対策である。例えばある通販サイトから来たメールに対して確認をしようと思ったら、自分のブラウザの登録してあるブックマークから入力して、自分のアカウントを確認している。これが100%安心かどうかはわからないが、少なくとも今のところ被害にあってはいない。 家族や同僚が今後もひっかからないことを祈るのみである。お父さんも細心の注意は払うつもりだが、このブログで被害報告をすることがないとはいえない。恐ろしい世の中になったものだと思う。
2025.05.07
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先日名言や格言の話をかいたが、これらは偉人の偉大さを示すとか、自分の座右の銘として自分を鍛えるとかに使われるもので、すぐに人生を変えるものではない。また一般人に名言や格言は作れないという話をかいた。 しかしながら言葉を作ることを仕事にしている人は世の中にいるのである。典型的な職業がコピーライターである。コピーライターとは言葉によって商品や企業の説明や印象をつくる仕事である。場合によってはその言葉が流行して派生していくこともある。 お父さんが知っている有名コピーライターに糸井重里という人がいる。お父さんが知る限り、「おいしい」という言葉を初めて「味」以外で使った人である。たしか「おいしい生活」という言葉だったと思う。 これがものすごく日本人の感覚にはまって、今では普通に「おいしい仕事」とか「おいしい思いをする」などちょっと得をするようなイメージの形容詞として日本人に定着している。コピーライターは言葉を生み出すことで収入を得ているだけでなく、世の中を変える力を持っていると言えるかもしれない。 お父さんの世代の人は、結構このようなコピー、キャッチコピーともいうが、ある言葉を聞くと、ある製品や企業を思い出すという言葉を持っている。 例えば、「お口の恋人」と言えば「ロッテ」、「エネルギーとエレクトロニクスの」と言えば「東芝」、「カステラ1番電話は2番3時のおやつは」といえば「文明堂」という感じだ。 製品でいうと「やめられない止まらない」といえば「かっぱえびせん」、「24時間働けますか」といえば「リゲイン」、「それにつけてもおやつは」といえば「カール」などである。 現在でもキャッチコピーは多くの企業が使っているし、昔から使われているものもある。「そうだ京都へ行こう」「お値段以上」「ファイト一発!」など日本人でわからない人はいないのではないだろうか。 いろいろとキャッチコピーを思い出しているとコンビニ大手はそれぞれにキャッチコピーを持っていることに気づいた。「セブンイレブンいい気分」「あなたとコンビにファミリーマート」「すぐ、そこ、サンクス」「街のほっとステーション、ローソン」などである。 小説家などと違って、ストーリーを読ませるのではなく、音感を含めて少ない文字でイメージを定着させるというかなり高度なセンスが必要なのがコピーライターの仕事だと思う。 企業内で考えるのか、専門のコピーライターが作るのか知らないが、一度定着すると本当に長期間その企業や製品のイメージとして残るのでかなり面白い仕事であるが、生みの苦しみも相当あるのではないだろうか。 ちなみに今はネット社会なので、ネットミームとして自分が考えた言葉が世の中に広がる可能性は十分にある。稼げるわけではないだろうが、「チー牛」とか「上級市民」「プリウスミサイル」「くぁwせdrftgyふじこlp」「草」などという言葉は、すでにネット環境を持っているほとんどの日本人が知っている言葉ではないだろうか。 ネットミームを生み出したらお金がもらえるシステムがあれば、「ネットドリーム」として伝説に慣れるかもしれない。多くの言葉がネットにあふれているので、コピーライターは盗作と言われないよう昔よりも神経を使っているかもしれない。
2025.05.06
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世の中には名言とか格言というものがたくさんある。ちなみに名言とは「有名な言葉」というイメージが強く、格言とは「人生のためになる教訓」のようなイメージがあるのだが、それであっているだろうか。 ガガーリンの「地球は青かった」とかガリレオの「それでも地球は回っている」などは人生の教訓にはならないので名言と言えるだろう。有名な人のその時の状態や感情を端的に表している言葉が名言と呼ばれるのだと思う。 なので名言を残すには、まず自分が偉人もしくは有名人にならないといけない。お父さんがどんなに面白くウィットに富んだ言葉を考えたとしても、それが名言になることは未来永劫来ることはない。まあこの先絶対に有名人にならないとは言いきれないのが人生であるので、可能性ゼロとは言わない。 格言というのは、人生の教訓であるから、有名でなくても作ることはできる。ただし周りに伝播していかないので一般人がどんなに素晴らしい格言を考えたとしても、それを誰もが知る格言にまで発展させることは難しいだろう。 結局のところ、人生の成功者や有名人にならなければ自分の言葉を世に広めることはできない。それに、その辺のおっさんが言った言葉にはあまりありがたみがない。松下幸之助とか本田宗一郎とか一般庶民から世界的な企業を作り上げたからこそ、皆が彼らの言葉を聞きたい、参考にしたいと思うのである。 お父さんは10年ほど前に、近くの中学校で課外活動の一環(インターンシップの一部)として、1時間ほど中学生を前に話をしたことがある。相手は中学生なので、難しい話をしても意味がないし、何を話そうか悩んだのだが、結局最終的に海外で経験した日本ではありえないような経験談を面白おかしくして話した記憶がある。 そして最後に、世の中にはすでに数えきれないほどの格言があふれているので、そういうものの中から自分に合うものを選んで実施してみたらどうでしょうかと話して終わりにした。 ちなみにお父さんが作ったというか、座右の銘にしている言葉は存在する。このブログでも何回か書いているし、子供たちにも伝えている。幸せになる3つの条件は「笑顔・清潔・感謝」というものだ。これを大谷翔平が言ったら、明日にでも全国に広がると思うが、お父さんが言っているだけなら、子供かよくて孫までしか伝わらない。共感した子や孫が、将来ものすごい有名人になってこの言葉を話したときに初めて格言として世に広まるのだが、お父さんの血をひく子供や孫がそんな人になれるとも思えない。 それにしても格言とは面白いもので、いろいろと本などを読んでいると自分が知っている格言の正反対の格言が出てくることも珍しくない。ゴールや目標に向かって一心不乱に突き進めというようなものと、執着するのは心の負担だから、もっと適当に弱い自分も受け入れてのんびりやれというものもある。 聞いたときは良い言葉を聞いたと思うのだが、別の言葉を聞くとやっぱりこっちがいいかなとか思ってしまう。最後に聞いた格言に一番影響を受けるような気がする。つまりはそれまでの格言がずっと心に残って座右の銘になっているということはほとんどないということだろう。 よく格言集などを売っているのを見かけるが、どんなにそういうものを読んだとしても、身につく可能性は低いとお父さんは思っている。まあお父さんも格言などを読むのは好きな方なので、あくまでお父さんを基準にした話であることは強調しておきたい。
2025.05.05
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ベトナム北部は雨期(スコールの時期)に入り、虫がたくさん出てくるようになった。そして雨季の初めは羽アリの季節でもある。毎晩のように灯りに羽アリが集まり、翌朝には羽があちこちに落ちている。 アリという生き物は、動物の死骸も食べるものだと思うのだが、羽は食べないのだろうかと不思議に思う。ただよく考えると、羽というのは虫に限らず動物でも食物に入らないのかもしれない。 日本では夏になると、外灯に集まった虫を鳥が食べているのだが、羽は残っていることが多い。丸のみにしない限りは、やはり羽はおいしくないのか食べることはない。人間も鳥を食べるが、羽の料理というのは食べたことがない。羽は魚ではヒレに当たると思うのだが、魚のヒレも、フカヒレやエイヒレなどの例外を除いて食べることがない。羽やヒレは生きるのには必要だが、食用にはならないということなのだと思う。 それに比べると、たいして違いがないと思える「皮」というものが不思議に思えてくる。動物や魚の皮を人間は好んで食べる。鳥皮の焼き鳥が好きという人は多いし、北京ダックという高級中華料理はアヒルの皮だけを食べる料理である。中華料理には豚の皮だけ食べる料理もある。 魚の皮も同様で、有名なのはサケの皮だろうか。水戸黄門でおなじみの徳川光圀は「1寸の厚さのサケの皮があれば35万石(水戸藩)と取り換えてもいい」と言っていたとされているほどサケの皮が大好きだったらしい。 現在の日本料理に魚を皮だけや皮ごと食べる料理は少ないが、それでも皮つきで出てくる料理は少し考えれば結構出てくる。 動物の皮も魚の皮も皮下脂肪と一緒になり油が多い。それが美味しいのだと思う。お父さんにあまり実感はないが、食通という人は皮や骨についている肉が一番美味しいという発言をしているらしい。 果物に関しては、皮は向いてしまうことが多いのだが、植物の実の周囲を動物の皮と一緒に考えるのは正しいことなのだろうか。大体において、動物の皮は火を通して食べるが、果実は生で食べることが多い。 ただたまに栄養がどうとかいう人が、リンゴなどの果物は皮ごと食べたほうが良いという発言をすることがある。お父さんの祖父母はスイカの皮を漬物にしていたし、最近は社員マスカットなど皮ごと食べるブドウも多くなってきた。 最後に野菜であるが、野菜は非常に難しい。例えばトマトだが、皮ごと食べる料理も皮をむいて食べる料理も両方ある。ナスも皮ごとだったり、皮をむいたりする。野菜の場合皮と中身を別のものと考えるべきかから始めるほうが良いのかもしれない。 キャベツやホウレン草など葉野菜と呼ばれるものにはそもそも皮という概念すらない。 皮というのは本来身を護るためにあるものであり、美味しく食べられるためにあるものではないのだろうが、食料として一躍を担っているというのは面白いものだと思う。
2025.05.04
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先日送られてきた長女の写真を見て、しみじみ感じたことがある。それは「化粧が上手になった。」ということだ。今長女は大学4年生であるが、自分の娘ながらずいぶんかわいくなったものだと感じたのだ。 長女が化粧を始めたのは、大学生になってからだ。東北の田舎で高校に通っていた長女は、興味があったかどうかまではわからないが、高校生時代は全く化粧をしていなかった。スキンケアとかいうものもほとんどしていなかったと思う。洗面所に長女用のそういうものがあった記憶がないからだ。ひょっとしたらお母さんのモノを一緒に使っていたのかもしれないが、お父さんにはよくわからない。 長男は中学生から色気づいて、男性化粧品のようなものを洗面所に置くようになったし、風呂上りに洗面所で30分近く過ごしていた。一体何をそんなにすることがあるのだろうと不思議だったが、まあ中学生ともなれば異性を意識するお年頃だしと思って放置していた。それに対して長女は風呂上りもさっさと着替えてのんびりしていた。ドライヤーで髪を乾かすのですら適当だった記憶がある。 そんな長女が大学生になり、初めて帰省してきたのがゴールデンウィークだったか夏休みだったかはあまり覚えていないが、とにかくものすごい化粧でやってきた。表現するのが難しいが、お笑い芸人が女装したような化粧というか、マンガなど逆で描かれる化粧の派手な女性のようなという感じで、とにかくすごかった。 ただし年頃の娘なので、お父さんもお母さんもあまり直接言えずに、どうやって化粧を覚えたのかとかやんわりと聞いていた覚えがある。お母さんが高校卒業時に近くのサロンで化粧教育をしてもらったと言っていたが、もう少しちゃんと行かせるべきではと話した記憶がある。 高校生まで全く化粧をせずに、大学生でいきなり親元を離れたのでお母さんからいろいろと化粧について教えてもらうこともなかった長女は、本当に大学1年目はかわいそうなくらいお化粧がへたくそだったとおもう。 あれから3年、先日の写真には実に自然な感じで化粧をした長女が笑顔で写っている。学校の勉強がどうとかは心配していなかったが、化粧はずっと心配していた。必死の努力かどうかはわからないが、長女もいろいろと試行錯誤を繰り返して今の状態までたどり着いたのだと思う。 洋服に興味のなかったお父さんが、大学生になって毎日着るものをどうするか困ったのに似ているだろうか。 長女にはとうとう彼氏もできたという話を聞いた。相手がどんな男か、娘がもてあそばれていないかと心配は尽きないが、彼氏の一人もできないで大学生活が終わると社会人になっても彼氏ができない傾向にあると勝手にお父さんは心配していたので、少しほっとしている。
2025.05.03
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金は大昔から、財産や富そして権力の象徴としても使われている。日本でも奥州藤原家がつくった中尊寺の金色堂、足利義満がつくった金閣寺などはその代表ではないだろうか。東大寺の大仏も聖武天皇が作った初代のものは金箔が施されていたという。そういわれると国内外を問わず仏像などには金色のものが普通に存在している。つまり金は聖なるものの象徴でもあるのかもしれない。 よくカラスが光るものを集めるとか聞くが、人間は金色というものに魅かれる遺伝子を持っているのかもしれない。お父さんも先天的か後天的かわからないが、金色の折り紙が子供のころから大好きだった。銀色にはそれほど興味はなかったので、ピカピカしているから好きだったわけではないと思う。 金や金色というのは、人間にとって価値あるもの、一番のモノという認識が世界で共有されていると思う。オリンピックで1位になると金メダルを貰える。あらゆる分野でもらえるトロフィーやカップも金色をしているものが多い。金賞と言えば、内容を知らなくても良い賞に違いないと判断する。 アジア人は金が好きな世界の人々の中でもさらにとびぬけて金に対する信仰が篤い人々だとお父さんは思っている。 中国系の文化を持つアジアの国には、金地金や金のアクセサリーを売る店がひしめき合っている。お父さんの会社のあるベトナムの地方都市にも金の店はいくらでもある。会社の目の前にも1件あるというぐらい金はメジャーな商品である。 エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクは世界で知らない人がいないくらい有名なものだと思うが、もしあれば陶器や石などでできていたら、今ほど有名にはならなかっただろう。金だからこそ有名になったのだ。 アジアには金で覆われたものすごいお寺がある。ミャンマーにあるので、あまり観光対象にならず今はそれほど有名ではないが、ミャンマーンの首都であるヤンゴンにある「シェダゴンパゴタ」は金箔が全体に貼られていて、昼間もすごいがライトアップされた夜の風景は圧巻のひとことである。 仏教徒でなくても神聖さを感じざるを得ないと思う。まあ逆に富や財産の象徴に見えてしまう人もいるかもしれないが、とにかくシェダゴンパゴタはすごい。日本にあったら最大級のパワースポットに認定されること間違いなしだろう。 人類の金に対する羨望や憧れは、それに代わる金属もしくは物質が発見されるまで、軟前年跡も続くのではないかとお父さんは思っている。たとえ、金が人工的に作られるようになったとしても。
2025.05.02
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金(GOLD)の価格が1gで15,000円ほどになっている。ドル建てでの取引を中心としているため為替の影響もあるのかもしれないが、もし現在1kgの金を持っていたとしたら、1,500万円である。お父さんが金の売買というものを身近に感じた2000年代初頭の金の価格は1gでだいたい1,000円ぐらいだった。この時大量に金を買っておけば、今はかなりの資産家になっていた。そう思うと実にもったいないことをしたと思うが、金を買うようなお金も当時はなかったし、購入していたとしても5000円ぐらいになったころには売ってしまっていたと思う。 さて金というのは投資の世界では安定資産として扱われている。基本的に値段が下がらないし、インフレでも価格がきちんと上がっていくからである。もちろん希少性が失われていないことも原因だろう。 昔は装飾品をメインに使われることが多かった金だが、今では電子産業に欠かせない物質となっている。ちなみに家庭用電気機器の基盤には一部金が使われているのは多くの人が知っていると思うが、お父さんの会社で使っている真空機器はネジが金メッキされている。とにかく工業で金というのは常に使われている。 世界中の鉱山で金を算出しても、金の需要が多いだけに値が下がる心配は少ない。 日本で金が使われるアクセサリーは18金と呼ばれる金の合金であることが多い。金は24金を99.99%の純度としている。18金は18/24=0.75なので、金の含有量が75%ということになる。純金は柔らかすぎてすぐに変形するので、銀や銅などを混ぜて加工しやすくしていると聞いている。そんなわけで購入するときは18金でも高価なのだが、資産として考えると18金はかなり価値が下がる。 海外、特にアジアでは資産として扱うために24金のアクセサリーを売っていることが多い。純度99.99%以上なので、そのまま純金といて売買ができる。アクセサリーとして売られているのは、見てくれがよいというより身に着けることで盗難の被害をなくすためだと聞いたことがある。 ちなみにお父さんは、子供のころから金などなじみがなく、テレビの通販などで18金のネックレスとかを売っているのを見る程度だったので、18金というのが金の中の最高グレードだと思っていた。だから18金の指輪とかを買っておけば資産として使えると勘違いしていた。子供の世界で24金などという言葉はまず聞くことがなかったので致し方ないとは今でも思っている。 ちなみにお父さんはベトナムで金のアクセサリー店を経営している人に、2㎏の金塊を持たせてもらったことがある。持つ前はその価値(値段)に緊張していたが、持った瞬間見た目より重いことにびっくりした。またアクセサリーなどで見る金の色と、純金の色の違いにも驚いた。純金は色が暗いというか鈍い色をしている。 加工しているところも見せてもらったが、削った粉も回収して再度溶かして利用していた。体積が小さくても重さがある(比重が高い)ので、ちょっとした粉でも無駄にできないのだ。 金を財産として扱っている人にとって、金は見た目よりも重さが重要である。あとは価格の変動から目が離せない。アジアでは金のお店が当たり前に存在するが、それだけ財産としての金が昔から注目されているということだろう。
2025.05.01
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