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. 真言宗智山派 補陀落山(ホダラクサン)・六波羅蜜寺 951年60代醍醐天皇の第二皇子・空也上人により、当時京都に流行した悪疫退散の為自ら十一面観音立像を刻み病魔を鎮められ開創された西光寺が始まりで、上人没後高弟の中信上人によりその十一面観音立像(国宝)をご本尊として六波羅蜜寺と改称された六波羅蜜寺にはこのご本尊を始め、平安から鎌倉時代の多くの貴重な仏像・木像が所蔵されています ↑空也上人は念仏を唱えながら病人に茶を与え、歓喜踊躍(カンキユヤク)の念仏踊で病魔を鎮めたとされ、お茶はお正月に授けられる皇服茶として踊躍は空也踊躍念仏(重無文)また六斎念仏として今に伝わっています また中信上人は六つの波羅蜜(彼岸・悟りの世界に至る)の教え *布施 見返りを求めない応分の施しをさせて頂く *持戒 高い見識を持ち常に我が身を慎み自らを戒める *忍辱 他に寛容で如何なる困難も堪え忍ぶ心を持ち合わす *精進 日々誠心誠意不断の努力を重ねる *禅定 常に平常心を保ち冷静に第三者の目で自らを見つめる *智慧 真理を見極め生を享ける此の岸から貪りや怒りで曇らせず彼の岸へ を説くお寺とされ、六波羅蜜寺と名付けられる いまも尚、人として守るべき基本がしめされています ↑六道とは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の世界、いまの世からあの世に至る分かれ道「六道の辻」の石柱が道の曲がり角に立っています、小野篁が冥界に通ったと伝わる六道珍皇寺もこの先です (右)「平氏六波羅第・六波羅探題府」この付近の存在を示す石柱です 六波羅第は、1100年代平正盛(清盛の祖父)の時代から清盛に至るまで30年に渡り平家政治の中心地で、平家一門の邸宅が五千余軒を連ね平氏絶頂を極めた処で「平氏六波羅第」と謂われます 清盛没後の都落ちで平氏自らの手で火が放たれ廃墟となつた跡地に、1221年源氏鎌倉幕府により京都の守護取り締まりと朝廷の監視の為の役所「六波羅探題府」が置かれました、今はその跡形はありませんがその探題府の北門は建仁寺勅使門として、南門は東福寺六波羅門として移築されていてその大きさが偲ばれます、ただこの110年後源氏は後醍醐天皇の命により足利尊氏により攻め滅ぼされて源平の歴史がこの地より消滅します ↑六波羅蜜寺はまた西国三十三ヶ所第十七番霊場札所としても開創されています (右)都七福神の一つ六波羅弁財天の幟、あとは恵比須神社えびす神、松ヶ崎大黒天、東寺毘沙門天、萬福寺布袋尊、赤山禅院福禄寿、行願寺寿老人それぞれの幟です ↑六波羅探題を開いた源氏歴代将軍は当山の福寿弁財天を祈願所と定め、以来お詣りされるたくさんの方で香煙が絶えません ↑六波羅弁財天は七福神の中で唯一の女神で、学問と技芸の神・弁舌と正しい智慧の保護神としてお祀りされています ↑「地蔵菩薩石仏」鎌倉時代に造られた高さ2.8mの石仏です、小さな地蔵尊は境内敷地より発掘されたものです (右)「阿古屋塚」平家の武将・景清と五条坂の遊女・阿古屋の悲話で歌舞伎・阿古屋の琴責めで演じられています、この塚は鎌倉時代阿古屋の菩提を弔う為に建てられています ↑「十一面観音の銅像」 空也上人が自ら刻んだ木像十一面観音立像(国宝・平安時代・)を模して作られた銅像で本堂脇に建てられています (右)空也上人立像(重文・鎌倉時代) 運慶の四男康勝の作で、左手に鹿の杖を持ち念仏を唱える口から六体の阿弥陀様が現れたと云う伝承のままに彫られている木像です (空也上人の写真は当寺資料より) ↑「本堂」(重文) 南北朝時代の1360年代に建立され、1605年に開創1000年を記念して大がかりな解体修理が行われ丹の色鮮やかな往時の姿に立ち戻る、寄棟造り・本瓦葺桁行7間の天台宗仏堂形式(当初は天台別院として開山)の建物です ↑ 本堂正面です 六波羅蜜寺の扁額は開創当時のものとされ藤原佐里筆と残されています 本堂上の軒下には、色彩豊かで豪華な彫り物が施されています ↑本堂内陣、須弥壇上の厨子内にご本尊十一面観音立像が祀られています、像は秘仏とされ12年毎の辰年にしか開帳されていません ↑「地蔵菩薩立像」(重文) 平安時代の定朝の作で彩色に切金が混用され、優しい表情で今昔物語にも見られる由緒ある地蔵尊です (右)「平清盛坐像」(重文) 経巻を手にしたその風姿は平家物語で描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を感じると説明されています (写真は二枚とも当寺資料より) ↑「平清盛公の塚」 30年の間この地で行なわれた平家政治の証しとして清盛公弔いの塚が阿古屋塚と並び設けられています、同じく鎌倉時代の造りとされています ↑本堂の大屋根、四方悪霊を近付けない二段鬼瓦造りです *六波羅蜜寺 すべて2013.1月撮影の写真です 続いて ☆六波羅蜜寺・平清盛に関連して、清盛・西八条殿跡の若一神社をご紹介します---------------------------------------------------------------------- ★「京こよみ 3月」はTopページに載せています、ホームに戻りご覧下さい ★「京都ええとこ」一覧は こちらからご覧下さい.................................................................京都市バス 「清水道」下車 西へ徒歩7分、少し南六波羅蜜寺HP URL---http://rokuhara.or.jp/-----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2014.02.26
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. 若一神社 御祭神・熊野権現の若一王子(ニャクイチオウジ) ↑平清盛1166年熊野詣でに於いてご神託を受け、住まいとしていた西八条殿廷内の土中より熊野権現若一王子黄金の御神体を奉斎し、若一神社ご祭神として祀られる ↑若一神社境内は幾本もの大楠に覆われています、碁盤の目と謂われる京都市内で珍しく迂回している西大路通り、御神木の移転伐採を避けて西へ膨らんで敷設されています ↑「若一神社境内」 御神体が土中より現れご祭神とされた直後、1167年清盛が太政大臣に任ぜられた処から、以後当社は開運・出世の神と崇敬されています、 ↑六波羅第の平清盛は、浅水(センスイ・清水)の湧き出る風光明媚なこの地に別邸を造営し西八条御所と唱し住いとする(現在もここは御所ノ内町です)、その敷地は現在の京都駅西の梅小路公園に及ぶ広大なもので大小五十余りの建物が建てられ、平重盛・宗盛・頼盛らの屋敷も立ち並んでいたとされています ↑「清盛公お手植の大楠」 付近は水が豊かに湧き、鎮守の森は「浅水の森」と呼ばれ境内には複数の大楠があります、築山にお手植えされたこの大楠樹齢800年、幹周り3m、高さ30mあり、御神木とされていて大樹の下には楠社(クスヤシロ)が建てられ御神木を祀っています ↑「本社(ホンヤシロ)・拝殿」 祀られる若一王子は神仏習合の神で若王子(ニャクオウジ)とも呼ばれます、熊野三山に祀られる熊野十二所権現は三所権現・五所王子・四所明神に分けられ、若一王子は五所王子の第一位とされます ↑「平清盛公像」 六波羅第で多端な政事を西八条殿で優雅な暮しを送った平清盛は1181年東大寺・興福寺を焼き討ちの暴挙ののちその生涯を終える、後1183年7月の平家都落ちの際、六波羅第・西八条殿は共に西国へ逃亡する平家一門自らの手によって火が放たれて焼失する ↑「神供水(ジングスイ)」 平清盛が西八条殿の鎮守社として奉斎して以来、日供祭(ニックサイ)と呼ばれ日々御神前に供えられてきた銘水・御神水で、開運・出世の水として尊ばれています (右)「社内(ヤシロナイ)」 熊野権現の分霊・若一王子ご神体が祀られています (下)「祇王歌碑」 清盛が寵愛した白拍子・祇王の 「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」 人の世の無常を詠った平家物語ゆかりの歌碑です ★「京こよみ 3月」はTopページに載せています、ホームに戻りご覧下さい ★「京都ええとこ」一覧は こちらからご覧下さい.................................................................京都市バス 「西大路八条」下車 すぐ前若一神社関連HP URL---http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/05/010/ (若一神社にはHPありません)-----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2014.02.26
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