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ふいに口をついて出た言葉が、自分の栄養になるときがある。そして、かえってくる相手の表情や言葉がまた自分の栄養になったりする。でも、時にふいに口をついて出た言葉が自分を傷つけてしまうこともある。口をついて出てくる言葉や湧いてくる気持ちは自分でも予想がつかないから・・・自分の心のありかたがそこについてくる。心のありかたが大事、と思う。悔いのない生き方というけれど、そこには自分が大切に思っている人との関わりかたも自分にとって、とても大事でそれによって、自分の生き方はとても深いものになる。
2005.02.27
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おととい、お仕事の依頼を受け、「よっしゃぁ」と思っていたのです。今日は事前打ち合わせの日。ところが、昨日幼稚園から帰ってきた息子がとても寒そうにしているなぁ、と思っていたところ、夕食後にいきなりごぼっと吐いてしまいました。明らかに様子がいつもと違い、吐いたあと、だるそうにしていたかと思ったら、そのまま眠ってしまいました。これはよくないぞ。・・・ここのところ今までほとんど病気とは無縁だった子どもたちが病気づいています。夜中にも、苦しげに起きあがったかと思ったら、前にのめるように戻してしまい、それが明け方まで数回続きました。吐いて、少しは楽になったようですが、そのかわり朝には紅い顔をして、熱が上がってきてしまいました。悩みました。午後3時からの事前打ち合わせには到底、連れて行くことは出来ないし、かと言って留守番もさせられない。当日になって断るのは忍びない。どうしよう・・・。でも、考えてもやはりお断りするしかないのです。で、お医者さんに連れて行く前に電話を入れました。ファミリーサポートのお仕事は、依頼会員さんに私のような協力会員を2名つけて、2人でバックアップします。今日、依頼を受けたかたは奥様が病気のため、幼稚園の息子さんの送り迎えをお願いしたいと言うことで、旦那さんがお休みをとって、打ち合わせに来られるのです。だから、今日協力会員が揃わないと困ってしまうはず。申し訳ない気持ちで電話をすると、「病気ならば、お子さんを優先して下さい。」「もうひとかた、別の方にお願いするかもしれません」ということで電話を切りました。はりきって、希望したお仕事でやっと依頼が来たというのに、残念・・・。でもしばらくしてから「やはり@@さんにやっていただきたいので、今日そちらに顔合わせに寄ってもよいでしょうか?玄関先でいいですので。」という嬉しい電話が入りました。そうそう、息子はお医者さんに連れて行って、一応インフルエンザの検査もしたところ、かかってはおらず、お腹にくる風邪のようでした。一安心しました。ここのところ仲のよいお友達が次々とお休みしていたので、同じ風邪にかかったのかもしれません。そのことも電話で伝え、約束の時間を待ちました。玄関先とはいえ、病気をしている子がいると部屋の中に風邪の空気がこもるかな、と思いあちこちの部屋を掃除したり、拭いたり、換気をしたりと部屋もすっきりと爽やか~になりました。気持ちよい。いらしたサポーターのかたと依頼されるお父様は感じのよいかたで、お子さんも元気でかわいい^^少しの時間でもその人が持つ雰囲気から、なんとなく人柄が伺えるようです。奥様がご病気ということで、「近所に頼れる人もいないので、ほんとうに助かります。」ととても気持ちが伝わるような話し方をされるのです。のびのびと明るいお子さんを見ていても、ふだんどんなお父さんなのか、想像できるような感じでした。今後の日程などを決めた後、「よろしくお願いします。」とお菓子の入った袋をそっと置いていかれ、思いがけないことにまごついてしまいました。お仕事ですることなのに。違う意味で気合いが入りました。息子も平熱に下がったし、日程も決まったし^^でも、今日のやりとりはなんだか、じんとくるものがありました。
2005.02.25
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「こうしたい」と思う。それを実行に移して、続けている人の力はすごいなぁと今日しみじみ思いました。これは、我が市のEMピープルネットのかたたちの活躍を見て、改めて感じたことです。今日は月の第四木曜日で、EMピープルネットのかたがEM容器を回収に来る日でした。EM容器というのは、EM菌という有用微生物の働きを利用して、野菜くずなどを発酵させるための容器で、この発酵させた物を土と混ぜてしばらく置くと、とてもよい堆肥ができるのです。以前は定期的に回収というシステムはなく、それをつい最近知ったので、ここのところお願いしています。いつも同じかたがいらっしゃるわけでなく、トラックにもずいぶんたくさんの容器が積まれているので、最近はどういう状況になっているのだろうと気になり、代表のかたに電話をして、いろいろとお話を聞くことができました。個人のボランティアから始まったこの活動・・・(EM菌を使った市内の河川の浄化や、生ゴミの堆肥化)は今では市としっかり腕を組みながら、多くのボランティアのかたたちの助けも借りつつ、活動を拡げているようでした。リサイクルセンターのすぐ脇に堆肥づくりのための敷地を借り、有機野菜を作るための土を作っているとのこと。じゃがいもを作って、容器を利用しているひとたちに配ろうという計画もあるそうです。またこの堆肥の泥団子を汚れた河川に入れることで、水の浄化も進むようです。一度、土づくりをしている場所を見に来て下さいと言われたので、今度行ってみようと思います。この容器を買おうと思った当初、電話で問い合わせをした際、運良く「明日、EM菌に関する講演会があるので来ませんか?」と言われ、早速次の日に出掛けていきこのかたたちの活動に気持ちが沸き立つような思いをしました。EM菌に関する知識もその時はじめて知り得ることができたし、このかたたちがEM活性液を作って、2年前から毎月2回、汚れた河川に5tもの活性液を投入してきたということを知ったからです。大量投入のおかげで河川の浄化が進み、半年で水草が生え始め(40年ぶりに)、小魚、カニ、亀、白鷺、そして天然のうなぎまで確認されるようになったそうです。壊れていた生態系のピラミッドが微生物の作用で元に戻ってきている証拠です。今では、河川浄化には市で180万円の予算が計上され、市長からの要望もあって、県の下水処理場に2個のEM1tタンクを設置し、荒川左岸排水路の浄化も始めたそうです。また環境教育においては、夏に市教育委員会主催で、小学校でのEM講座を開催。生徒がEMピープルネットの活動を見学し、その後研究発表をするなど、埼玉県も注目しているといいます。その後はEMピープルネットに総合学習の時間への講師依頼があり、河川浄化、学校菜園を講義。現地視察の依頼もあり、生徒の発表会も予定されているそうです。(こちらはネットからの情報)個人から出発した思いが、周りのひとたちの意識を変え、確実に拡がっていっていることに改めて、すごい力を感じました。
2005.02.24
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今日は、私の誕生日の日でした。こんなことを書くのはどうかと思ったのですが、嬉しかったので、書いてしまうことにしました。朝、5時前に目が覚め、居間に行って本を読んでいて、ふと気がつくと窓に紙が貼ってあるのが目に入りました。よく見ると、「ママ、たんじょうびおめでとう。39さい、おめでとうー!」と娘と息子の似顔絵&名前入りの紙が2枚に分けて、飾ってありました。さらによく見ると、本人によく似た2人が手をあげてにっこりしています。じーん・・・。そういえば、昨日娘が「図工で自分の好きな絵を描いていいという宿題があったからやってくるね」とこもってなにやら書いていました。部屋に行くと、見ちゃだめー!と。 そうかこれを描いていてくれたのね。知らないうちに(私が眠ってから?)貼ったんだね。嬉しい・・・!息子も幼稚園の準備を遅らせて、ちまちまとした可愛らしい絵を描いてくれました。ここにも息子らしい字で「まま、おたんじょうびおめでとう」と。思わずぎゅっとしてしまいました。昼間、メールをチェックしていると、夫からで「シャンペンを買って帰ろう。そして家族が健康で仲がよく幸せであることを感謝しよう!」またまた、じーん・・・。母からのメッセージ、「誕生日おめでとう。39年前の今日はボタン雪が1日降りつづいていました。寒い日でしたよ。」に続く文章・・・。ありがとう。幼稚園に息子をお迎えに行った帰りにポストを覗くと義父母からメッセージとお祝いが届いていました。嬉しい!そのほかにもう一つ、紙包みが・・・。それは、あるかたのサイトで見つけてとても欲しくなり注文していた物でした。誕生日プレゼントを貰ったような気持ちで、わくわくしながら開きました。まさに嬉しいタイミングで届いたその品は、今日特に必要になったものだったので、まさにグッドタイミングでした。嬉しさのあまり報告のメールを出しましたら、「Happy Birthday」そして嬉しいメッセージをいただき、感激しました。それと、とっても嬉しかったこと^^いつもお邪魔している、とても素敵な感性のかたの日記に最近リンクさせていただきたいなぁと思っていたら、今日、「リンクしました」のメッセージが入っていてとても嬉しい気持ちになりました。友人から素敵なプレゼントを貰ったり、なかなか来ないものだなぁと思っていたファミリーサポートのお仕事の事前打ち合わせがまた一件入ったりして、今日は、たまたまが重なったこともあって、よけいに嬉しい日となりました。「歳をとると、誕生日が嬉しくない」という言葉はよく耳にしますが・・・私はやっぱり誕生日は嬉しいです。大切な人の存在をよりいっそう強く感じたり、感謝の気持ちで満たされたりします。今夜は五目いなりでお祝いですが、・・・といってもみんなで一緒に食べるだけだけど、毎年、歳を重ねて迎えるこの日がやっぱり特別な日です。
2005.02.23
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ふいに非常によい気分でいることに気づくことがある。今朝、息子を自転車の後ろに乗せて、幼稚園に向かっているときがそう。楽しいのとも、嬉しいのとも違う、よい気分。クリアーな感覚。自分の肌も寒さに縮こまっているのではなく、開け放っているような気分。人にはそれぞれ様々な価値観や感情があって、それを受け取って、感じることで常に刺激をもらっている。自分の中にいろいろなものがたくさん入ってきて、ぐるんぐるんとかき混ざって、自分の気持ちがどこにあるのかうろうろしてしまった。でも気がついたら、クリアーな気分になっていた。人の価値観も感情も変化していくものだと思うし、自分の価値観や感情も、めまぐるしく変わっていく気がする。その中で、今朝は具体的にこれはこう、という感じではなくて、いつのまにか心の中のどこかにまとまって、すとんと収まった感覚がしました。いつも新しい感覚で、自分を更新していきたい。
2005.02.22
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昨日、見本でもらった檜の無垢のコースター。その匂いを嗅いでいたら、木の家の匂いが嗅ぎたくなって、以前行ったことのある、代官山のログハウス展示場に行って来ました。ドアを開けると、やっぱり木の匂いがする。壁や床を触ってみたり、椅子に座って部屋の中を眺めてみたり、机の上に置いてあった牧歌的な風景の写真集を眺めてみたり・・・。木の家の中でゆっくり過ごしてみました。夫とあれやこれや言いながら。部屋から眺める外の景色も良い感じだぁ。担当者のかたに疑問に思ったことや質問を一通りして、帰ってきました。帰ってからパソコンをいじっていて、ふと後ろを見ると、夫がなにやら書いています。何かと思ったら、それはB5の紙の片隅に書かれた小さな小さな間取り図でした。自分の理想の間取り図を書いていたらしく、なんだかちんまりとトイレやら、お風呂やらを配置している夫がすごく可笑しくて、とても愛しく思えてしまいました。なんでそんなに小さく書いているんだか?最近、森が近くにある場所に住みたいという気持ちがひたひたと心を占めてきています。夫は私が思うより前からあったようですが。図書館からたくさん本を借りてきて、読んでいるのですがなるほど!と思ったことはやっぱり夫に喋りたい。夫も、見聞きしたいろいろなことを喋る。森の近くに住みたいということは共通の夢になってきて、それは現実的には不可能に近いのだけど、なぜか現実をとびこえて、そうするための具体策は何も語り合わずに、いいなぁいいなぁという気持ちが先走りしています。でも、お風呂に浸かりながら、耳に入ってくるたぶん何かしながら歌っているであろう、夫の大きな声を聞きつつ、ちょっと幸せな気分でした。何にも形になったわけではないけど。「ヤギとウサギを飼いたいなぁ」といいながら、今は横で、Gem(7つの木のパーツを組み合わせていろいろな形を作る)に挑戦しています。一つ、どうしてもどうしても解けなかった形ができて、「お~っ!」と喜びの声を上げていました。私もトライして、さんざん悩んでできなかったもので、すごい!なるほど!と。また連続で、次のができたようです☆
2005.02.20
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朝、目が覚めると夫がまだ帰ってない。金曜日は入稿日なので、遅いのは当たり前だけど朝5時に帰ってきていないというのは、心配。こちらに向かっている途中かもしれない、と携帯に電話を入れてみた。まだ仕事中だった。朝5時だというのに、まだまだ終わりそうにない気配が伝わってきた。今日は息子の発表会で、幼稚園最後の発表会でもあるので本人は行くと言っていたけど、夜が明け、朝のニュースが始まり子ども達が食事や着替えを済ませても帰ってこない。徹夜明けで、発表会に行くのはあまりにも辛いので、家で寝ていてもらおうと思っていた。様子はビデオでも観れるし。残念だけど。でも、ぜんぜん帰ってこないことに娘が心配して、もう一度電話を入れた。今帰っている途中で、発表会には行くという。もうすぐ家を出て、幼稚園に行かなければいけない時間・・・。「雪模様なので車は使わなきゃ行けないけど、どうしよう?どうやって幼稚園に来る?」 「なんとかして行く」運良く、車をマンションから出したときに、家の前にタクシーが止まった。タクシーから降りた彼が車に乗り込んで、そのまま幼稚園へ。様子は眠たそうだったけど、でも仕事が終わってから食事をして、ちょっと飲んだそう。あそこまで仕事をしていると、脳を弛緩させないとだめなんだ、と。うん、そうだよね。ふらついていました~。息子の出番以外はずっと観覧席で眠っていたし。でも、息子が出番の時は3人で前のほうで見れたので、演技中なんども目が合い、みんなが見ているということが嬉しくもあり恥ずかしくもあったようで、口元が緩んでいっぱなしだったので、ちょっと気になったけど、こちらの顔も笑ってしまっていたので、お互いさまか。そんなこんなの発表会だったけど、今までの練習の成果を発揮できた様子で、それをみんなで見れてよかった。1時に終わって、家に帰ってお昼ご飯をかきこんだ娘はお友達と約束していた吹奏楽のコンサートに行き、夫は食事をしてお風呂に入って、仮眠をとった後、4時近くにまた会社に出掛けていきました。今日は運悪く、印刷所に原稿をチェックしに行く当番の日だったのです。ハードすぎる!! 寝る暇がない!帰ってきたのは、夜中の1時をまわっていました。それから食事。こうして、やっとゆっくりの休日を迎えます。
2005.02.19
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『地球という奇跡を見つめて』という本の中に心の中に入ってきた文章がありました。「1970年以降、世界の食糧事情はアメリカへの依存度を増した。アメリカも「成果のパンかご」を自認して、大平原の乾燥地を灌漑するなど、穀物の大増産に踏み切った。ところが、家畜の牧草地だった丘陵もブルトーザーで削るという大規模な企業的農法であったため、表土が失われて地力が急速に衰えた。 それを補うために、大量の化学肥料が投入されたが、その結果、土壌の物理的性質が変わってしまい、微生物が生存できない土壌環境となってしまった。有機物を失うと、作物は病害虫を受けやすくなるため、今度は農薬が大量に投入される。この繰り返しによって、土壌はすっかり疲弊し、風害や水害の被害を受けるようになったのである。 土づくりを忘れた農法は持続しないのだ。現在、世界の農地の面積はわずかながら増大しているが、爆発的な人口増加の速度にはとても追いつかない。穀物1トンを生産すると、表土1トンが失われるという。農業生産を維持するためには、生産した農作物の量に相当する養分を表土に戻してやらなければならない。その物質循環を行っているのが、森林の生態系なのだ。ここでは動植物や微生物は循環の一要素の役割を果たしている。いわば土壌を舞台として共生生活をしているのであるが、人類もまた例外ではない。われわれは作物を食べると言うが、実は間接的に土壌の養分を食べているのである。森林破壊や、土をとことん酷使する農法は未来に残すべき土壌を食いつぶし、地球の砂漠化をさらに進めるものだ。人類文明のゆくえは、地球上に肥沃な土壌を維持できるかどうかにかかっている。」長~い抜粋になってしまいましたが、私が反応してしまったのはやはり土でした。森林の生態系のように、有機質の肥沃な土壌で育ったものが、いかに栄養分を含んでいるか・・・。このような食べ物は、もう一握りとなっているのではないでしょうか。どこで、どんな土でどんな肥料や農薬をかけられて育ったか、分からない作物を食べているのが現状だと思います。ある統計によると、食べ残し、調理くずは年間、日本で1000万トン。賞味期限切れ食品は600万トンだそうです。自然の循環にまかせれば、本来は土壌にもどるものが、プラスチックゴミなどと一緒に燃やされ、山間部などの最終ゴミ処分場に行くものがほとんどでしょう。ここまで書いて何が言いたいかというと、言いたいというより、土を身近に感じる場所に住んで、家から出た野菜クズなどで、土を肥やし、自分で野菜を作ってそれをいただく。少しでもいろいろなものが無駄なくうまく循環していると感じられる中で暮らせたら、さぞかし気分がいいだろうな・・・と。そう思うことは簡単ですが。そういう生活に変えるのはとても難しい。経済的にも、たぶん他の面でも・・・。でも、これから続く毎日をどこかで、そういう生活に切り替えて行きたいという気持ちがあります。
2005.02.18
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昨日は春風とお別れしました。夕方、娘の部屋からただごとではない叫び声がして、行ってみると、娘がかわいがっていたハムスターが娘の手の中で小さくなっていました。「春が死んじゃった!」「ほんとうに死んじゃったの?」その悲痛な声に、生きていることが感じられない、春の姿を見つめながら答えることができませんでした。昨日までは元気いっぱいに、ケージの中で遊んでいました。3匹、飼っている中でも特に元気で、覗きにいくと、柵のケージの天井にぶらさがるようにしてよく、うんていをしていました。真っ白でふわふわのお腹をみせながら、小さな手でうんていをする姿があまりにも可愛くて、ときどきその真っ白なお腹に触ってみたくて指で追いかけたりしました。でも渡っていくのがすごく速い。物音がすると、すぐに柵のところに来て、つま先で立つようにして両手で柵を握りながらこちらを見上げていました。これはもうあげないわけにはいかなくなり、ひまわりの種や、フルーツをあげると、背中を丸めて、両手でしっかりもったエサを手際よく食べていました。いつも触りたいけど、なかなか触れないぐらいちょこまか動きまわっていて、生を振りまいていたのに、娘の中の春風は噛まれることを全く心配しなくていいくらいその口はぴたりと閉じられていて、いつもうんていをしていた手も、つま先で立っていた足も、かつてそうしていたことが嘘のように、小さな柔らかいものになっていました。涙が止まらない娘と鼻をぐすぐすさせている息子の横で、私の知っている春風と目の前にいる春風があまりにも違うので、私は死んでしまったということがただただ信じられなくて、じっと見つめるばかりでした。夫が帰ってくるのを待って、お墓を作りました。まだふわふわしている毛の春風に土をかける・・・。その作業がなんとも胸にずーんときました。まだ小さくて、毎日毎日、元気いっぱいに動き回っていた春と、こどもたちがふと重なってしまい、耳をふさぎたくなるような事件が起きているのもあって、今こうして、その姿を眺め、くっつきあえる時間があるということがたまらなく大切なものに感じられました。喋って動いている存在がひときわ大きく感じられました。昨日は、なんだかぬくもりを感じていたくて、こどもにひっついて寝ました。
2005.02.16
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・・・・前の日の日記の続き今の生活は、どうやってその物が作られてきたのか、とても見えにくいし、またたくさんのものであふれています。トーマさんは森林を守るということは森の恵みをありがたく受け入れて、それを有意義に活用することだと言っています。生きている木を伐るということに、なんだか罪悪感のようなものを感じていましたが、もっと生活の中に取り入れて、関心をもつことが森への愛着を深めるのではないかと意識が少し変わりました。余談ですが、前にログハウスの展示場に行ったとき嗅いだ匂い。これはフィトンチットという木が発する成分の匂いだそうです。微生物や害虫から身をまもるために植物が発する成分だそうです。これを人間が吸い込むと五感はくつろぎ、緊張感、不安感などが減少し、逆に活気を増すそうです。いわゆる森林浴効果・・・この効果は木材になっても変わることがないそうです。科学薬品を使わない無垢の木の匂いですね。***************************地球上では、一日あたり数百万立方メートルもの木が森で生育しているそうです。 減少ばかりに目を奪われがちだったので、こちらもちょっと意外な事実でした。
2005.02.14
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エルヴィン・トーマさん著の『木とつきあう知恵』を読み終えて、いろいろな気持ちでいっぱいになっています。著者はオーストリアで製材業を営むかたで、大工をしていたおじいさんの知恵と、体験の中で培われた知恵を活かしながら、何世代にもわたって、住み続けることのできる快適で丈夫な家や、何世代にもわたって使うことのできる家具をつくるための木材・・・科学薬品などを使うことなく加工した無垢材を提供しています。木の性質を知る上でも、とても興味深かったのですが、著者の実生活の中で培われた感覚的なもの、自然の摂理に対する深い信仰心のようなものが読んでいるこちらにも徐々に染みこんでくるようでした。あまりに要素が多すぎて、うまく書けません。木のすばらしい特性・・・微細な管が無数に通っているため、すぐれた断熱効果があることや、木の呼吸による部屋の湿度の調整、または部屋の中の二酸化炭素や有害物質を吸って、空気を濾過してくれること、耐火性、高周波電磁波の遮断性などは、他のところで目にしたことがあります。でも体だけでなく心にも作用する、もっと感覚的なもの。無垢の木から香る匂いだとか、手触りだとか。そんなものがトーマさんの本を読んでいて、疑似体験できたようでした。トーマさんは家の中を見回して、それぞれの木があった森の光景が浮かんでくるようです。うちの中を見回してみると、木はあるのですが鼻を近づけてみても、なんの匂いもしません。確かにどこかの森で育った木なのでしょうが、それを知るよしもないし、着色剤や保護材で塗り込められているため、本来ならば働きかけてくれる素晴らしい効果が半減しているようです。今の生活は、とても森から離れていると思いました。国土の3分の2を覆っている森林王国とはいえ、普段の生活の中で森を意識することはあまりないのではないでしょうか。 本の中に書いてあったように、「森で木が倒れると、たちまちにして昆虫、菌類、微生物がその場に集まってきて、樹皮や木部、広葉や針葉などをそれが生まれ出たところへふたたび戻してくれます。こうして健全な森の生態系ではあらゆるものがふたたび肥沃な土に返っていき、新しく生まれ変わった森の土壌には、古い木の生命力が貯えられて、若い世代の木々が次々と育っていきます。」森では確実に循環は行われているし、木は休むことなく空気を浄化し、太陽エネルギーを蓄え続けてくれています。本当は私たちにとって、なくてはならないものだけど、意識しないと、見えにくいものでもあります。一昔前までは、化石燃料や電気などに取って代わる前までは森は暮らしにとても密着していたようです。暖をとるため、日々の煮炊きに、家畜の肥料にと森の中に落ちた木や、下草、のびた枝、間伐材などがそれこそ徹底的に利用されていたようです。だから人々はもっと敬意をもって森と接していたのかもしれません。それに森の中では見事な循環が行われていて、無駄なものがありません。身のまわりにあるものを利用していた時代には、まわりのものに対する敬意や慈しみの気持ちがあったかもしれませんが、 ・・・・次の日の日記に続く
2005.02.13
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朝、まだまだ陽が昇らないうちに目覚め、起き出して本を読む。心に留まったことを専用のノートに書き留める。ほほうと発見があったり納得したり。素敵な時間。ベランダに出て、ひんやりした朝の空気を体いっぱいに吸い込む。新鮮な空気が体中に流れ込んでくる。全身に行き渡ると爽快。ローズマリーを摘んで熱々のお湯の中に入れる。じんわりとローズマリーの成分が溶け出すのを待ってから飲む。パソコンを起動させる間、しばし運動する。肩と背中がほぐれる。お気に入りのサイトを訪れる。それぞれから素敵なものをもらい、なんだかハッピー^^充実した時間・・・。平日は少し時間を気にしながらだけど、今日はお休みなので、ゆったりした気分で起きてからの時間を過ごせた。ついでに久しぶりに紅茶のパウンドケーキを焼いています。香りと味が大好きなマリアージュ・フレールの「ボレロ」の茶葉を混ぜ込みました。どんな味になるかな。
2005.02.11
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娘がインフルエンザにかかってしまいました。土曜日に吹雪きの中で雪に埋まったりして遊んで、その後、湯元の温泉に1時間浸かって、(これもけっこう疲れたかも)帰りにかっ@寿司に行ったのですが、どうもいつもと様子が違う。人一倍、食べる娘が・・・お皿が進んでいない。(5皿は食べたけど)壁にもたれかかって、ぼ~っとしている。よっぽど疲れちゃったのかなと思っていたんです。でもなんだか目がうるうるしていたので、帰ってから熱を計ったら38.5℃。インフルエンザも疑いましたが、様子を見ていると次の日には熱も下がったし、体の痛みなどの全身症状もないし、インフルエンザにはないような咳が出ている。だから昨日は風邪かな・・・と思っていたのです。予防接種も打っていたし。今朝、熱を計ると37.0℃。まだ微熱があったので、学校をお休みさせ、一応お医者さんに受診しました。鼻水を綿棒にとって、待つこと10分。すぐに結果が出て、A型のインフルエンザにかかっていたことが分かりました。!検査してみないと分からないものですね。インフルエンザの認識と違ったものだったので、少し驚きました。でも48時間以内に飲めば効果があるお薬をもらったので、どんどん効き目があらわれてくるといいのですが。今朝、同じマンションの同じクラスの仲良しのお友達に欠席を知らせる連絡帳を持っていってもらおうと思ったら、その子もダウンしてしまったようで、お母さんが同じように連絡帳をもって、うちの子を待っていました。あらら・・・。「うち、土曜日の夜から熱が出てね・・・。」「うちも!」「熱はそれほどずっと出ている訳じゃないんだけど、咳がでてるの。」「うちも同じ。」ということで、その子も同じA型のインフルエンザにかかっており、仲良しの二人は同じ時期にうつってしまったようです。今日は午後から熱が上がってきて、お薬を飲んでから何故か熱がさらにぐうんと上がってきています。経過症状なのでしょうか。毎年、予防接種を受けてきて、かかったのは今回が初めて。先々週に風邪でめずらしく熱を出し、一日で治ったものの数日後にプールに行ったり、いろいろと忙しい毎日を送っていたので、ちょっと体力が落ちてしまっていたのかもしれませんね。やっぱりこの時期、栄養としっかり睡眠をとることが大事ですね。インフルエンザにかかると、熱が下がってからも2日間はお休みすることになっているので、充分休養はとれると思いますが、今回は特にしっかり体力が回復できるようにしたいです。それと家族もうつらないよう、手洗い・うがい、部屋の保湿などを徹底しなければ。それにしても、今はちょっとおかしいな、と思ったら早めに受診したほうがよいですね。普通の風邪との見分けも難しいですから。みなさん、お気をつけて!
2005.02.07
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昨日は日光・湯元に行ってきました。2つのサイトで天気予報を調べて、1つは雪。もう一つは晴れ。晴れていることを願っていたけれど、山の上に着いたらば、ごうごうと雪が舞っていて視界は真っ白。スノーシューイング(かんじきを履いて、森の中や平原などを歩く)をしようと思っていたけれど、このお天気では・・・と少し様子を見ることにしました。降ってくる雪よりも、積もった雪が風で舞い上がる・・・というか、吹き上げてくるほうが激しく、ごうごうと荒れる中、あまりに寒くて私はビジターセンターの中に早々に退散してしまいました。娘は出たり入ったりしていましたが、夫と息子はいっこうに入ってくる気配なし。外を見ると、大きなつららを抱えて雪の上に運んだり、雪の壁を滑り台にして滑り降りたり。途中、何回か「すごく楽しいから一緒にやろうよ。」と言われて滑ったりしましたが、楽しいけど寒い~~!結局、夫と息子は4時間くらい遊び続けていました。誘われて私も娘と雪の中を歩いて、その、ふかっと柔らかな雪の踏み心地を楽しんだり、天然ふわふわの新雪滑り台でスリルを味わったりしましたが、でも寒い~~。湯元の温泉にゆっくり浸かった後、出るとアイスを食べていた息子が食べ終えて、「じゃあ、もう一回遊びに行こうよ。」なぬ?「今日はもう夕方になっちゃうし、おしまいだよ」と言うと、「え~~~~!! もっと遊びたかったのに、いじわる~!」 まだ遊び足りないのか・・・。夫も窓の外の雪が白く舞う世界を見ながら「スノーシューに来て、荒れてたの初めてだけど、なんだか嬉しかったなぁ・・・。」としみじみした声で。むむむむ・・・。動いていたのでポカポカしていたし、雪が荒れているのも悪くなかったみたい。「価値観ってめまぐるしく変わるよなぁ。」吹雪も(静かに降っているときもあった)堪能したようでした。私は寒さに及び腰になってしまい、そんな風に楽しむことはできなかったけど、確かに価値観て体験しながら、どんどん塗り替えられていくものかもしれませんね。もうちょっと、体を動かしちゃえばよかったかな。
2005.02.06
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朝、夫が「今日は節分だね。」と言うのを聞いて、あ、そうかと気がつきました。息子も「うん!魔女のつぶやき(?)でも せすぶん って言ってた。」じゃあ夜に豆まきでもしよう・・・。いつも節分の日に発表会のときに作った「鬼のお面」を持って帰ります。幼稚園のお迎えの帰りにお豆を買って、家に帰ってから、息子がお面をすると、「あれ?なんか目の位置がずれてる?」ちょっと縦長のお面で、穴の開いている目の部分がおでこあたりに来ています。可笑しい。・・・とは口には出さないけど。片目だけ合わせて真面目な顔でじっとこっちを見ているのが、また笑える。本人も顔に合わず、痛かった様子で、幼稚園からもらってきた本に鬼のお面の型紙が入っていたのを思い出したようで、作り始めました。はさみで切ったり、色を塗ったり、テープでとめたり・・・。出来上がったお面をつけて嬉しそうでした。夜になっても、なんだか忙しくて「じゃあ、やろうか。」と言ったときにはもう9時をまわっていました。そう言いながらもお茶碗などを洗って、居間に行くと、私とお姉ちゃんと自分の3人分の豆の箱を紙で折って、お豆を均等に分けて待っていました。こういうことは夫に似ていて、なにやら楽しそうに準備して行き届いているんですよね。「鬼は~~外!」と一人一粒づつベランダに豆を投げて部屋の中では心持ち勢いよく「福は~内!」と豆を投げました。豆を投げ終わると、また拾って、今度は鬼のお面をつけた息子に向かって・・・。なんだか息子がやたらと嬉しそうに逃げるのが、可笑しくて笑ってしまいました。次は私が鬼になって、豆を投げられ「きゃあ」と逃げていたら「気持ち悪いよ~ 鬼なんだから~」と。「節分って楽しいね~~~~」と実感のこもった声で息子。3人で豆を歳の数だけ食べながら和んだひとときでした。夜、私がお風呂に入っている時、娘と息子と派手に口げんかをして、泣きながら訴えにきたりしていたので余計に。お風呂の中で聞いていると、断然お姉ちゃんのほうが筋が通っているのですが、まぁ2人ともきれいさっぱり忘れた様子で美味しそうに食べているのでよかったし、私も楽しかったよ。ところで、節分・・・。豆の袋を裏返すと、書いてありました。「本来、四季を分ける季と季の区切りのことであったが、今日では冬と春の境目の節分だけが残されている。季節の変わり目には陽と陰が対立し邪気を生じて災禍をもたらすと考えられたことから、これを追い払うための行事として行われるようになった」じゃあ、明日から春?・・・そんなにはっきり分けられるものではないでしょうが、でも陽も延び、梅の花も咲きはじめ春になっていっているんだと感じます。春・・・と思うと何だか細胞が騒ぎだしたかのように、体がむずむずしてきますね。
2005.02.03
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自然の中で、土や木に触れたときとても気分がよくなって、心身ともに充実感でいっぱいになるのですが、家にいると少しずつ元気が萎えていくようです。森林にとても興味があるので、毎日本を読んでいるのですがやっぱり体験に勝るものなし。・・・自分の体を動かして、実際にどんなものなのかを味わってみたい。これは「森林塾」の話ですがそんな想いがふつふつと湧いてきます。「森林塾に行ってみたいなぁ」最初に呟いたとき、夫に「でも、チェーンソーで簡単に腕一本切れちゃうんだぞ」 次に呟いたとき、「いつ?」「今年の日程がまだ出ていないらしくて、資料ができ次第送ってくれるそうなの。」でも去年の日程とほぼ同じだと、実家に夏休みに行くのを子どもだけ少し早めにするという案を考えていると伝えたところ、「それは嫌だな」と言った夫でしたが、(こどもだけで飛行機に乗せるのは何かあったときのことを考えて不安だったみたい)少し考えて、うちの実家に預けるなら俺もそっちに行けるからいいかな・・・。でも飛行機に乗せるというのも、いい経験になるかな・・・と前向きに考えてくれているようなので、私もすっかりそのつもりになっています。でもチェーンソーで指を切る夢を見たりして、冷や汗もかいています。すごく行きたいと思う反面、いろいろと不安も浮かんできますが、この沸々した気持ちはとにかく経験してみないと収まらないでしょう。
2005.02.02
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