はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

hatabo1237

hatabo1237

カレンダー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1243)

土壌    菌ちゃん畝

(878)

ハブ茶  コメ  天候 花 米 虫

(1895)

玉ねぎ

(686)

ソラマメ

(408)

エンドウ

(755)

いちご

(425)

サニーレタス 高菜   ワサビ菜

(703)

チンゲンサイ

(496)

カブラ

(536)

大根

(767)

白菜

(125)

水菜

(43)

ブロッコリー

(747)

ネギ

(1066)

菊菜

(329)

キャベツ

(334)

ニンニク

(562)

にんじん

(545)

ニガウリ

(393)

キュウリ

(451)

トマト

(867)

ナス

(670)

モロヘイア

(28)

コーン

(280)

唐辛子

(528)

じゃがいも

(390)

枝豆 黒豆

(304)

インゲン  ささげ

(429)

うり  すいか

(499)

ごぼう

(227)

しそ

(465)

ホウレンソウ

(21)

サトイモ

(583)

かぼちゃ ズッキーニ

(351)

さつまいも 空心菜

(430)

ショーガ

(84)

山芋

(453)

計測

(2998)

アスパラガス

(195)

らっきょとあさつき

(1045)

ニラとみつば

(936)

ルッコラ コリアンダ バクチ

(267)

バセリ  山椒

(495)

ぶどう  庭の花  木  メダカ

(1486)

サラダ菜

(15)

小松菜

(77)

落花生

(138)

オクラ

(520)

しし唐  ピーマン 伏見アマナガ   万願寺

(754)

神社  ため池  樹木

(57)

雲   晴   空模様   天候

(169)

宇宙  月   太陽   惑星

(20)

気象データ   年と月の日の 数字   グラフ

(49)

温室  細菌  病気

(29)

水くみ  雨量  水路の動き  バケツの水の状態  水と栄養と雑草とり

(31)

フリーページ

2015.01.21
XML
カテゴリ: チンゲンサイ
  • ちんげんさい.JPG





今年
01月05日 4回目の収穫 また 1個
01月12日 5回目の収穫 こんかいも1個
02月11日 6回目の収穫 また 1個だけ
02月16日 7回目の収穫 3個
02月23日 8回目の収穫 3個  これで おしまいに




今年
08月10日 また hcで 種をかっきてた
08月31日 追加で また hcて 種を買ってきた



苗の植え付け 水をしっかりと確保しておこう
昨年は 栽培に失敗したので 今年は たくさんの青梗菜を つくるぞーーー

08月31日 庭で 種まきを開始した
09月5日 発芽してきている
09月06日 G-03の畑の畝に植え付けをしておいた

第二弾の種まき
09月07日 庭で 第二弾の種まきをしておいた
09月11日 発芽してきている
09月14日 畑に移動した g-03などに植え付けをしておいた

第三弾の種まき
09月15日 庭での種まきをしておいた

09月20日 畑に移動した m-20の畑の畝に植え付けた

第四弾の種まき
09月21日 また 庭で 種まきをしておいた
09月28日 発芽してきている
10月05日 畑に移動した m-06の畑に植え付け




10月12日 青梗菜 すこし生育してきている
が まだまだ 小さいなあ まあ ゆっくりと成長していく予定
虫に強い 結構と大きくなってくれるので 楽しみである

10月19日 その後 まあまあ大きくなってきつつある

10月26日 その後 青梗菜は それなりに 成長してきている  見事なり

11月09日 その後 青梗菜は かなり大きくなってきている 追肥をしておいた


他の野菜もそれなりに成長してきている
青梗菜 高菜 大根 カブラ ぶろっこりー 菊菜 ネギ 芽キャベツ
そこそこ 大きくなってきている  

11月12日 ちんげんさい もう 収穫してもいい 大きなサイズになっている  日曜には 収穫していこう

11月15日 今年は青梗菜は良く育っている  まずは 初の収穫 4個なり
11月16日 2回目の収穫をした
11月22日 3回目の収穫をした
11月29日 4回目の収穫をした
12月06日 5回目の収穫をした
12月13日 6回目の収穫をした
12月23日 7回目の収穫をした
12月30日 8回目の収穫をした
12月31日 9回目の収穫をした
01月03日 10回目の収穫をした
01月05日 11回目の収穫をした
01月12日 12回目の収穫をした
01月18日 13回目の収穫をした




東日本大震災 3月11日発生
1月21日は既に3年と10か月と11日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から21年目に
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている

武田さんのブログ


最期の一撃 第六話 大英帝国海軍旗艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈

(日本の歴史教育ではほとんど触れないが、もっとも大切な記録)

コタバルで激戦が続いているとき、シンガポールの英軍司令部がレーダーで国籍不明機を発見し、直ちにシンガポールに灯火管制の命令を出したが、防空本部は留守で、おまけに変電所の係の軍人が鍵をもったまま外出していた。

大東亜戦争では日本が負けたので、負けた原因として、日本軍のダメさを強調した本が多いけれど、軍隊はそういう面もあって日本軍だけではない。

それはともかく、サイゴンから飛び立った海軍第22航空戦隊の九六式陸攻17機が、煌々と輝くシンガポールの街を空襲し、日本機は全機無傷で帰還した。すでにコタバルで激戦が行われ、シンガポールが空襲を受けているのだから、戦争が始まったことは明らかになったわけであるが、イギリス軍はそれをなかなか認めなかった。「認めない」ということこそがこのシリーズを執筆する意味であり、イギリス人が東洋人に対して何を思っていたかを示している。

イギリス東洋艦隊司令長官のフィリップス大将が旗艦「プリンス・オブ・ウエールズ」に幕僚を召集し、日本艦隊に奇襲をかけたいと言ったが、その時には既にイギリスの命運は尽きていた。

緒戦で日本軍が地上の英軍機を爆撃し、その日にはイギリス軍機は150機から50機に、更に翌日には10機に減り、プルフォード空軍司令官は出撃する東洋艦隊の援護ができない状態になっていた。

しかたなく、航空機の護衛なしに午後5時、Z部隊と言われた世界最強の旗艦プリンス・オブ・ウェールズ、戦艦レパルスを主力とする英東洋艦隊がシンガポールを出港した。日英の激突の火蓋は切って落とされたのだ。

日本軍はすでにアナンバス沖(シンガポールの東の海域)に機雷456個を敷設していたので、Z部隊は機雷を迂回して進撃した。この時点での日本軍航空隊の戦力は、九六式陸攻81機、一式陸攻27機、零式戦闘機27機、それに陸上偵察機9機だったので、仮にイギリス航空機150が無傷なら制空権は互角だったが、すでに10分の1になり制空権は完全に日本軍が握っていた。

午前10時15分、三番索敵線を偵察していた帆足少尉機がZ部隊を発見。日本海海戦の信濃丸同様に歴史的電信を打つ。まさに日露戦争の時にバルチック艦隊を発見した信濃丸の電信と終をなす輝かしい日本軍の偵察だった。

「敵主力見ユ。北緯4度。東経103度55分。針路60度。1145」

日本の歴史、世界の歴史を考える上でもっとも大切な戦闘なので、この「最期の一撃」のシリーズの著述では唯一、戦闘の詳細を記述することにした。

11時13分、美幌空(みほろくう。航空隊)5中隊8機が攻撃開始。Z部隊が毎分数千発を射撃できるポムポム砲で日本航空隊を攻撃、これに対して美幌空がレパレスに高度3千mから250キロ爆弾を投下。一発が第四砲塔に命中した。

11時34分、元山空(げんざんくう。韓国に基地がある航空隊)1・2中隊が到着、8機がプリンス・オブ・ウェールズに魚雷攻撃を行い2発が命中し、艦は操艦の自由を失い、日本機も一機撃墜される。

11時38分、2中隊7機が戦艦レパルスを攻撃。命中せず。

11時57分、美幌空8中隊8機が到着。「レパルス」に魚雷攻撃。命中せず。

12時20分、鹿屋空(かのやくう)1・2・3中隊26機が到着。6機がプリンス・オブ・ウェールズに魚雷攻撃。三本が命中。日本機2機撃墜。20機がレパルスを攻撃。五本が命中。左舷に30度傾き、艦長が退艦用意の命令を出す。3分後に沈没。

12時43分、美幌空6中隊の武田攻撃隊の500キロ爆弾がプリンス・オブ・ウェールズの後部に命中。

13時15分、イギリス旗艦ついに退艦命令。フィリップス提督、リーチ艦長は艦に残る。5分後に沈没。英駆逐艦三隻が沈没した生存者を救出。日本機はこれを妨害せず、戦場のルールを守った。

この戦いは世界史の史上でもっとも重要な戦いと私は思っている。たしかにローマとカルタゴの戦い、コンスタンチノーブル陥落、ワーテルローの戦いなど戦史に名高い戦いは多いが、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈とそれに続くシンガポール攻略戦が、もっとも意味の大きい戦いだった。

それは「日本」を強調したいわけでもなく、私が日本人だからでもなく、また日本が勝利したからということでもない。世界史に記録されている戦闘の殆どは「アーリア人同士の内輪もめ」か、「アーリア人が他の民族を侵略した戦争」だけで、それが約4000年にわたって続いた。

彼らは地球全体を自分たちのものにしようと思っていたし、それは成功しそうな状態にもあった。でも、最終的にアーリア人の野望は成立しないということを全世界に知らせたのが、この大英帝国旗艦プリンス・オブ・ウェールズの撃沈であり、チャーチル首相はそれを感じて生涯でもっとも大きな精神的打撃を受けたのである。

このことは最期の一撃のシリーズで綿密に明らかにしていきたいと思う。その中で大東亜戦争、日本の軍部、そして日本人が何をしてきたのか、深い反省のもとではっきりさせていきたいと思っている。

(平成27年1月11日)

(注)読者の方からのご指摘で、録音を聞き直しましたら、元山空は韓国ではなく北朝鮮でしたから、ここは朝鮮というべきでした。また美幌空は正しくはアイヌ語で「びぼろ」が正しいようです。

ふむふむ

はた坊







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.01.21 02:24:25
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: