音楽雑記帳+ クラシック・ジャズ・吹奏楽

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bunakishike

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2010年01月25日
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 しばらく前から気になっていた作家兼ピアニストの青柳いずみこ。

彼女の本をヤマハで立ち読みしたアルゲリッチがソロを弾かなくなったことに関する文章を見たことがことが切っ掛けで、青柳氏の著作に興味をもちました。

色々調べているうちに、氏が師事した安川加壽子の評伝をものしていること知り、読みました。

 個人的には、安川加壽子の演奏は聞いたことがありません。

生前の名声も全く知りません。

 記憶に残っているのは、私が中学か高校の頃に、「レコード芸術」誌上で、ドビュッシーのレコードが出るたびに推薦されていたことと、大きな眼鏡をかけていて、いかにも日本のお母さんといった感じの姿だけでした。

 この評伝では、ピアニストらしい専門的な見方が随所に書かれていて、ピアノを弾けない私にとっては、なるほどと思わせるところが多々あり、まさに目からうろこが落ちるようでした。

また、精緻な分析も印象深いです。

 たとえば、演奏家の資質と教師の指導の食い違いについて、例として、戦後天才少年と褒めそやされ、後年自殺という不幸な経過を辿ったヴァイオリニストの渡辺茂夫について書かれています。

渡辺は7歳でデビューし、神童の名をほしいままにしていたが、メニーインに見出され16歳の時、留学先のニューヨークで多量の睡眠薬を飲み、自殺を図った。

一命を取り留めたものの、再起不能になった。

原因は、父から伝授されたメトードとジュリアードの師ガラミアンのそれがかみ合わなかったことにあると指摘しています。

ヴァイオリンの場合には技術の90%がボーイングだといわれています。

これは、声楽における発生と同様に、師事する先生次第で全く変わってしまうそうです。

楽器を弾くことは運動であり、運動であればフォームやトレーニングはコーチで変わる。

演奏の場合には、3歳や4歳で勉強を始めることが多く、渡辺の場合には、メトードが正反対であったため、本質的な矯正を余儀なくされた。

ところが、楽器演奏の場合には、この技術的な問題が音や音楽の本質にかかわることまでもが変わってしまうことがあります。

手ほどきされた技法とあとで要求された技法が違うために弾けなくなった例としてドビュッシーの例があげられています。

 ドビュッシーが手ほどきを受けたのは、上流階級の婦人で、一説にはショパンの弟子と言われている。  

ショパンの技法は当時革新的なもので、筋力より柔軟性、指の分離より重さの移動を利用するものであった。

ところが、ドビュッシーの指導に当たったモンマルテルは、ショパンの隣に住んでいたこともあり、彼の演奏はよく聞いていた。

しかし、モンマルテンの教則本は師ジンメルマンから受け継いだ古い奏法で窮屈な奏法にとどまっていた。

このため、ドビュッシーは次第にピアノ演奏への興味を失っていき、紆余曲折を経たのちに作曲家に転身したのであった。

安川加壽子の場合には、幸いそういう不幸なことにならなかったそうです。

 安川加壽子の優れた指の運動性についての記述も大変興味深いです。

日本の女性としては手は小さい方ではなかったが、柔軟性、指と指の間を広げる能力は驚異的だったそうです。

何しろ、女学生と比べたときに、加壽子の親指と薬指、小指はゴムのように伸びて、その女学生の小指をはるかに超えて180度以上に広がったそうです。

 それから、後進への教育に関する記述もあります。

師のラザール・レヴィが先生のディエメールが何も教えてくれなかったので、自力で技法を20年かけて編み出さなければならなかった。

それを、たった5分で伝えるのでよく聞きなさいと言ったといいます。

それを、何の抵抗もなく吸収していった加壽子には、自分のピアニズムを分析する必要性がなかった。

そのために、後進に教えるすべを提示できなかった。

弟子は、形態模写のようにしてそのピアニズムを盗みながら、求める音楽に自分を適応させるしか方法がなかったと著者は述懐しています。

 ピアニズムに関して言えば、加壽子のピアノが「フランス風」とひと括りにされ、日本ではその自然で合理的なテクニック、スタイルに忠実な客観的な解釈を、「フランス風」の名のもとに封印することにより、否定したことになったといいます。

幼少のころの、少し小癪な感じの加壽子の姿や、評判の美貌で、舞台での所作の美しさを称賛された姿など、さぞや美しかったのだろうと思いました。

晩年リュウマチに悩まされたり、それに伴う様々な症状や、骨折などを繰り返し、悲惨な様子が克明に描かれていて、そこまで書かなくてもと、痛ましい気持ちになってしまいました。 

著者も先生の赤裸々に描こうとは思っていないと思いますが、正確な記録を残そうと、心を鬼にして記したのではないかと思います。

普通の評伝の人間中心の描きかただけではなく、技術的なことや、果ては音楽界の問題点も顕わにされていて、眼を見開かれました。

 これを読んでいる途中で、実際の音を聞きたいと思い、ドビュッシーの全集を物色しましたが、出てくるのは氏の校訂した楽譜ばかりで、CDはすべて廃盤でした。

何かの機会にでもいいので、是非再発を希望したいです。

特に、タワーレコードには大いに期待したいです。

青柳いずみこ著 評伝安川加壽子「翼のはえた指」




また、氏の弟子で、ショパン国際コンクール(1955)に日本人として初めて入賞した田中希代子のCDもあまりありませんでした。









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Last updated  2010年01月25日 22時50分14秒
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