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7月29日に大腿骨骨折の手術を受けた姑は血液型は「A型」とカルテに記載されておりえぇーっ(O.O;)(oo;)だって………お姑さんは「B型」ぢゃないのかよ!結婚前からずっとそう聞かされていたしってか、本人は何十年もそう思ってきたわけだし…ようするに、戦時中の鑑定だから、この年代の人にはよくあるんだよね。って主治医はポーカーフェイスだったけど、姑の血液型が違っていた!ってどうってこと無いんだけど姑は無類の占い好きなんだよね。その占いによって、トドは内弟子を終える日を延ばされ、私達の結婚式の日にちも左右された。私は占いにはこだわりは無いので姑がそんなに気になるなら合わせてあげないと可哀想かなと思ったりしたもんだった。そして、その占いによれば、私は子供を持てないと決まっていたそうで…という忘れられないあの不愉快な会話に思いがつながる。そんなに占いにこだわった人の血液型が違っていた。アホらしいやら、情けないやら自分の血液型もわかんない人が、人の人生を占いを根拠に判断していたわけよね。この事がわかった日、私は一晩中、睡眠薬の影響もあって朦朧としつつも動きまわる獣のような姑を、抱きしめて宥めつつ馬鹿らしくて泣けた。と書こうと思っていたのでした。皆様の血液型は正確ですか?
2008年09月29日
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「やっとん(アッチソン)の次は、瓜(ウィリアムズ)やねんて」ママさんが教えてくれました。微妙に聞き間違えてますが…(^_^;)…さらに「キリハラを笑かすやて~」(笑)笑かしてどうする(-_-)ってか、アンタが笑ろてどうする(^w^)ってか、キリハラって誰?栗原を歩かす…これでこれだけ遊べる…(^_^;)等と言っている間に同点やて…をいっ\(__)本日の勝利者インタビューは、「甲子園園芸さま」やななんつっても、昨日からの雨にも関わらず、予定のとおり試合が行われるのは、甲子園園芸さまのご尽力によるものやとか何とか、ブツブツ、ママさん相手に言っている間に、金本アニキがつ~らぁ~んマジック7明日は甲子園球場での今期最終戦ってことは勝たなきゃ~(^_^)vってなるよねぇ。またマジックが減るっちゅうねんこりゃウサギドームで胴上げかな(^_^)v悪ぃねぇo(^-^)o
2008年09月29日
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んふっ・・・気がつけば一位巨人君が勝手に負けてくれて、マジック点灯しちゃったよ~直接対決まで引っ張ってくれてもいいのにぃ~本日ただ今、またもや単独一位だよん
2008年09月28日
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くっそーーーまた並ばれた(負けたとは書かない)でも平気最後に笑うのは、阪神タイガースや今岡も新井も帰ってきて、安心タイガースになってるもんこれからや今年は先にパリーグは西武が優勝を決めてる。日本シリーズでは、終盤にもつれたリーグが有利。まかしときっ、これからや!そや・・・景気づけに、タイガース掃除機買おうかしら・・と、十月を目前にした秋の夜長に、こんなにアツく語れるなんて・・・ありがとう、阪神タイガース優勝したら、パパさんのお墓にタイガース装飾しよっかな~っと・・
2008年09月27日
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今しがた流れたCMにママさんが反応した。それはゴスペル?かなんかのミュージカル?かなんかの日本公演のお知らせでママさんが突然「え~やだわ、ハツジョウニクってなにーっ!」とゲラゲラ笑いだした。は?…なんすか?あんまり気を入れてCM見てなかったわたし…けど、「初上陸ちゃうの?」と言ってみた。「あらやだ」と勘違いに喜ぶママさん、「発情肉」と聞いたんやね。(^_^;)先日も「甲子園ヘルペス」と言っていたので、何のこと?と思っていたら、「口周縁ヘルペス」のことだった。阪神タイガースのマジックがついたり消えたりによるストレスでおきるヘルペスかと…(>_<)思っちゃった。
2008年09月27日
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お猫お手玉屋さんでママさんが選びました。o(^-^)o
2008年09月27日
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電話がきた!解散総選挙について、共同通信からだった。問年代を教えて下さい。答40代です。問今回の立候補予定者の名前を言いますので、知っていたら「はい」とおっしゃって下さい。答自民党と民主党からの立候補予定者は、前回の選挙にも出た人なので、「はい」共産党候補予定者のお名前は知らないのだった。問投票する人を決めていますか?答入れないのは共産党と決まっていますが、入れる方は決めていません告示されて選挙活動でどうなさるかを見てきめます。問決めて居ない方に質問です支持政党はありますか?答ありません問今回の選挙に興味はありますか?答かなり興味はあります問今回の選挙に行きますか?答絶対行きます調査の方は、自民党と民主党はどっちもどっちなので地区の候補の言動ではなく、党の主張を聞いてきめます。という私に「私もそう思います」とおっしゃってました。電話による選挙に関する世論調査は初めてなので、緊張した。(笑)トドは政権が変わらなくちゃ駄目なんだ!と普段から主張しているので、民主党に入れるんだろうなぁ…民主党は、アベチャン、フクチャンと投げ出しが続いてあったことを批判しているけど小沢さんは、引き留められることを予期して投げ出すポーズをしたんじゃあなかったんかいな?離婚を仄めかしつつ、婚姻を継続している私と…一緒ぢゃねぇか…など自虐的に思うのであった。ママさん所へ行って行って来ま~すo(^-^)o
2008年09月27日
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Pとはパワー?イエイエ…言わずと知れた我が家の舅先般、自身の後期高齢者健康保険証をお洗濯、半分溶けてしまったために、再発行。ほどなく、妻の貯金通帳がない、ってわけで再発行のややこしい手続きを終えて、新しい通帳が届いたら、定期預金の欄が空欄で…郵便局がごまかしてると、ご立腹。聞けば定期預金は数年前に満期になって、普通預金に合算されているのであった。以前から、なんでもかんでも合算しがちなPさんなので総資産額はおそらく実質を越えていると思うよ。んな事があった後で、紛失したはずの通帳が現れた。ので、再度郵便局へ出向き、「ありました」Pさんの運動にもなるしね…と思ったら自宅の鍵がないというP家の鍵は(2つ)4セットあり、1セットは姑がデイサービスに持って行く鞄に付いており1セットは私が預かっている。残り2セットはPさん用なわけでそのうちの1セットには靴べらがもう1セットには、長くお稽古に利用しているとある自治会館の鍵が一緒に付けてあった。で…今回なくなった!のは、「お稽古場の鍵付き鍵」今までにも、度重なる鍵の紛失はあるが、外で落とした事はなく、いつも鞄か衣服から発見される。ので、どっかから出てくるだろう、とは思ったものの先んじて「靴べら付き鍵」も数ヵ月前から紛失状態にありとりあえず「姑デイ鞄鍵」をお使いになるようにと進言。すると「靴べら付き鍵」はあるという…へ?…なかったんちゃうん?「ずっとここにある」な返事を聞けばあ。。。ソーですか…で、昨夜「お稽古場の鍵付き鍵」も普段使っている鞄から、出てきた。現在、義理家の鍵はすべて…揃っている。いつまで?そして、次はなに?ちなみに、昨夜は冷えそうでもあり、義理家の寝具のチェックに立ち寄ったPさん帰宅直前の6時30分、電気はついたまま、洗濯物はいつものように洗濯槽に貼り付き台所の蛇口からは勢いよく水が流れていた。朝10時からのお稽古に間に合うように出かけたはずの日であった。
2008年09月27日
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全国津々浦々の虎党の皆様本日、聖地甲子園球場界隈は、清々しい秋晴れの朝を迎えております。一昨日の勝利で、単独一位に返り咲き本日は、今期リーグ最終の伝統の「阪神:巨人戦」、頂上決戦でございますこれが力入れずにおらりょうか。朝から燃えるっちゅうもんや今を先立つこと一週間、悪夢の巨人三連敗あの時は、(ρ_;)なんたること…あのゲーム差は、猛暑の見せたカゲロウ?ここへ来ての失速?まさかの、このまま…ズルズル…等と思ったあなた!←わたし?(^.^)(-.-)(__)でもやっぱり!野球の神様は見放してはいなかった!盟友「広島カープ」のホーム球場にかける思いに助けられ、再びの頂上決戦の日を迎えたのであります。リーグ優勝の後、クライマックスシリーズ、日本シリーズと短期戦を控えている今リーグ終盤の局面のこの盛り上がりは考えて見ればありがたい。いゃぁ、巨人クン、よくぞ追い付いて下さった。緊迫感を蘇らせたタイガース、今年の阪神タイガースはほんまにつおい今日も勝つこれから「ダイエー甲子園球場店」にお買い物に行きつつ、球場に「勝利のカメハメ波」送って来よっと六甲~おろしに~さぁっそぉぅと~o(^▽^)o
2008年09月27日
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昭和34年のこの日は、たしか伊勢湾台風が猛威をふるった日昭和42年のこの日、「うちに台風がきたんや」父は、待望の男子誕生を、そう言って喜んでいた。台風息子は、亡くなった長男とは違い、元気でやんちゃなガキんちょだった。家族で囲んでいる食卓に、ベビーチェアから這い出して、テーブルの真ん中に陣取りご満悦(笑)なんて光景も、弟の赤ん坊時代として記憶に残るヒトコマ。当時の私は小学校の三年生四年生で、ちょっとオシャマになりかけていた頃弟の傍若無人な食べっぷりは、「お行儀わるぅ~い」なんて思ってもいたけど両親は面白がってた。ハイハイのスピードがあがると、私の部屋にも侵攻してきて本棚の一段目はよく被害にあい、学校から帰ると本を放り出した一段目に弟が潜りこんでいてママーッ(T_T)・なんてことも両親は面白がっていて、我が家のアルバムには、弟も私もイタズラをしている様子が多く残る。河童ちゃんおめでとう!ママさんの通院予定日だったけど、朝方大雨で、傘を上手く指せないママさんなので、私のみ病院へ行き、お薬をいただいてきた。傘はさせないけど、ママさんは河童ちゃんの事も覚えているよ。…産んだ日はあやふやだし、自分の弟?だったりする事もあるけど(^_^;)来週末は、私が付き合えないので、河童ちゃん担当です。ママのこと、よろしくね~(^_^)v
2008年09月26日
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Pさん居住マンションの売り物件、格安につき、即決で他の方に決まっていました。僕がやる!と言いながら、やっとマンション理事長さんに連絡を取ったのが昨日、しかも夜。今朝は時間がない!ということで、アサイチで不動産屋さんに連絡を入れてくれ、と頼まれたので、電話したら…売れちゃってた(笑)これは…吉?凶?期待に胸を膨らませていたPさんには、トドが日曜日に伝えると思うよ。(^_^)v
2008年09月26日
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Pさん居住マンションに空きが…売りが…しかも格安で…マンション理事会の皆様が「格安で売られると、他の方が売るときに困る」と義理家の改修工事のおりにお世話になった理事長さんがトド家に買ってもらえば?と外堀…埋まりそう…ただし、義理家マンションは、我が家より狭くトドは今の自宅はそのままにして、Pさんに買わせようとしています。これは、ろくに資産もないのに、というより、息子一人しかいないのに、銀行がおすすめしにきた「相続セミナー」に勝手に申し込み、Pさんが仕事に穴を開けたことから、トドの怒りをかっている今なので、「相続セミナーに行くくらい後の事を考えてんのやったら、買うて!」PさんはPさんで「そのくらいの貯金も無いのか」なんか言っちゃってさらにトドを怒らせたりとなったのでありました。なんか…どっちも…どっち…で、場合によっては、買いで…トドの荷物優先で義理マンションに移し…て、私の物は実家に移そうかな~っとかっいろんな事を考えてます。家を買うについては、私は最初の連絡のみ、後はノータッチで行きます。
2008年09月24日
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な~んや、負けてしもた。。。。 ふんっ、振り出しに戻っただけや、ぜんぜん平気♪(-_-)一個も悔しいことないわ(-_-;)また明日から勝てばええねんし(/_;)でも今日はスポーツニュース見るのやめて、もう寝るねん(;_;)/~~~貯金は使うためにあるもんやし←そうなんか?(;一_一)まぁこれで、変に自信つけて安心した巨人が、明日から連敗するに違いないし、ぜ~んぜん心配してへんもん(/_;)虎バンだけ、見よっと・・
2008年09月21日
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頼む、今日は勝ってくれ!この点差をひっくり返してこそ巨人にダメージを与えることができるそのための今日であってくれ!勝つんや!!(-人-)関西でも読売系列で中継があり今日の試合は決まったかのような解説が続くばか野郎!野球は9回裏、ツーアウトからでもひっくり返るんやぞ!!
2008年09月21日
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金曜日、夜と言っていい時間帯からのお仕事のトドそれは週末の舞台のためのお稽古を兼ねた打ち合わせで普段あまり演じられることのない曲で、トドは初覚えの曲だった。木曜日、Pさん宅でパワーリハビリの説明や契約などがありそのあと一緒に食事もしたので、トドは帰宅してからも覚えてはいたけど金曜日の仕事に入るぎりぎりまで、覚え続けたい雰囲気もあってんじゃ車の中なら、大きな声を出してもいいし、送っていくか?ってことになった。お仕事会場は私にも初めての場所で、トドに大まかな場所を聞いて場所は京都、東西南北に通りの名前がはっきりしている場所で南北の大通りの一つ西側に入った筋、東西の大通りを南に折れたところということでナビをセットして出かけたのだけど・・・まさかね・・と思いつつひとつ南の東西の大通りに差し掛かったところで「この角ってことないよね?」と聞いてみたらはたして大きな東西の通りを一つ、トドは間違えており、そこだった。けど、聞きつつその交差点を私は通り過ぎており、しばらく北向きに走ってから、西に折れて南下した。問題の東西の大通りに面したところであとは道を渡ればすぐ?ってことでトドを下ろしたんだけど・・・今後のこともあるし(あるのかどうか微妙だけど)一応場所を確かめておこうと車を回して、問題の会場そばを通ると、道に迷ったトドが暗がりで鞄を放り出して手帳で住所を調べてた。(-_-;)ので、声掛けて、も一度乗せて送り届けた。すぐそばなのに・・・わからなかったんだ?トドには初めての場所でもないはずなんだけど・・・・よくまぁ、これまで事故なく過ごしてきたもんだ。っていうか、ちゃんと仕事行けてんのか?(>_
2008年09月21日
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0系新幹線は1964年東京オリンピックの開催に合わせて、それまでの日本の鉄道が培った技術の集積によって開発された新幹線です。丸みのある先頭形状と、青・白塗り分けられたスマートで愛嬌のある外観は、N700系など最新型の新幹線が主流となっている今でもなお、新幹線のイメージを確立しています。数多くの人々に愛され親しまれてきた0系新幹線も2008年11月末日をもって営業運転を終了することとなりました。 今日、JR利用で遠距離移動の仕事に出かけたトド、台風は去ったというのに大雨のため大幅な遅延などが発生しており、運行状況のチェックをしに覗いたJRのHPに、こんな記事が出てた。トラパパは電車大好き少年のまま大人になった人で、「電車に釘を轢いてもらうとペタンコになるねん」悪童だった思い出話をきいて、パパは不良?(@_@)などと驚いたこともある。いずれにしろ電車を身近に感じていたことがうかがい知れる子供時代の話の多い人である。男の子はおおむね、車派と電車派に分かれて、車種や性能、路線などに詳しい時期があるけど、トラパパは大人になっても電車小僧で、従妹の結婚式が東京であった時、今まで通ったことのない路線で帰る、などと言って、ママさんと日本海周りで帰宅コースを選んだりしていたこともあった。私はすでに嫁いでいて、時間に追われる生活だったので新幹線利用で先に帰ってきたんだけど、本当は一緒について行きたかった・・・弟も電車小僧だったけど、これは多分に父による洗脳があったと思われる。梅小路機関区や、交通博物館など、休みのたびに弟は洗脳されてた覚えがたしかにある。以前の日記にも書いたので、覚えていて下さる方もあるかもしれないけど新幹線開通直後、私は幼稚園で一番早くひかり号に乗って、当時東京で国内留学をしていた父に会いに出かけてる。私自身の当時の記憶はおぼろげながら、まだ食堂車のない車内でママさんに連れられてビュッフェに出向き、丸椅子に座った私がお目当てのアイスクリームに匙をつけようとするとクルッと椅子が回り食べられへん((+_+))・・・な覚えがある。私が窓が開かないことに不思議がり、景色の流れの速いことに驚いていたという話も、父母に何度も聞かされた。その折のことを父が母宛の手紙に書いていて、没後に整理をしているときにその手紙を見つけたのだけど、どうやら就学前の私には一人前の座席は用意されていなかったようでもあり、私は覚えてはいないけど、不満に思う幼稚園児であったようである。あの時の新幹線ひかり号は、私には何かご褒美のような記憶として、今も心に残っている。弟も、就学前のまだおむつしてたか?(してなかったとは思うけど)と思うような時期に、祖父と父と男三人で山陽新幹線で田舎に出かけたことがあり、その時も行く道で弟の座席は用意されていなく、祖父と父の座席の間に弟は座った。帰りは父と二人だったため一人前の座席を用意されていた彼は、「行く時はおじいちゃんが邪魔やったねぇ」と父に言ったとか・・・(^_^;)姉弟そろって座席にはこだわりがあったというべき?(笑)父が苦笑交じりに話してくれることの多い思い出の一つ。その車両が、今年で終わりなんだってさ・・・先日弟に「0系が無くなるねんで」と聞かされ、二人して「パパが乗りたがるだろうね最後の0系に」な話にもなった。ねぇパパ、あの時「ひかり号」は早かったね~。田舎の家を借りていただくことになり、このあと数回まだ出向かなくてはいけないことが続く今は「こだま」として運航している0系で父の代わりに、思い出と一緒に出かけてみるのも悪くない。
2008年09月21日
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祖父の代から三代続いたトラ党の私だけど今年の優勝はこのままぜひとも頂きたい阪神タイガースなのだけどここへきて広島カープが気になっている。今、阪神の快進撃を支えてくれている金本兄貴の実家ともいうべき広島カープ今期は新井もシーズン半ばまでがんばってくれていた。プロ野球12球団で唯一の市民球団「広島カープ」活躍目覚ましい選手が、結局は他球団へと移ってしまう、資金力がないから・・・言われてしまう広島出身の選手が、他球団で活躍している姿を見るにつけてもこの球団の底力を感じることは、野球ファンなら多いだろうと思う。このカープの本拠地として、野球ファンだけでなく、多くの市民から親しまれてきた広島市民球場が、今年51年の歴史に幕を下ろし来年からは新しい球場へ移る。広島は言わずと知れた原爆の被災地、その地の戦後復興の市民のシンボルでもあった球場。野球以外のイベントも多く、行われていたと聞く。企業が、その宣伝効果を見込んで抱えるプロ球団のなかで、あくまでも市民球団にこだわる広島の姿勢は実は好き。どこかの金満球団とは、その成り立ちからして違う気がする。今季、徐々に戦績を上げて三位争いをしているカープぜひクライマックスシリーズに、駆け上がってほしい。申し訳ないけど優勝は阪神が頂くとして(既成の決定^^;)野球の神様は、こういった節目の年に、こういった球団に微笑むのではないだろうか?と思えたりしてもしかしたら、広島が今年、日本シリーズに行っちゃうかも知んないな日本一になっちゃうかも知んないな、などと思ったりもする。明日からの巨人戦を制して、阪神は優勝を確実なものにしなくちゃいけないけどクライマックスシリーズや、日本シリーズと言った短期決戦の場で意外と強いのは、思いの強い広島ではないかと思ったりもする。いや、トラファンの皆様、裏切り者と言うなかれ広島に日本一になってもらうことで、金満球界体質改善が見込めるならそれもまたよしと、思ったり、思わなかったり、する今日この頃なのであった。いずれにしろ、広島に負けるのなら、ええか?と思えるトラ子なのである。とりあえず、明日からの三連戦、巨人をたたきのめさなあかん
2008年09月18日
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姑を退院させて、施設に移動したとき、姑は車いすに座り、乳母車用の可愛いポケット付きのベルトでウエスト部分を固定する形をとっていた。入院中にそれでもかなりの脚力が回復した姑は、目を放すと立ち、歩こうとすることが増えたので日中も家政婦さんか私が傍に居ないとき、たとえば私たちがトイレに立つときとか、何かの用事で部屋を出るときなど必ず車いすに座らせて、シートベルトを装着するか、ベッド用のテーブルを車いすの前輪軸に噛ませて、すぐに立ち上がれないような措置をとっていた。それでも食事を終えた姑から視線を離し 冷蔵庫に飲み物をしまおうとしているわずかな間に、姑が椅子から立っていた。などと言うこともあって、本当に目が離せない状態だったのだ。そして病院の車いすに付随しているシートベルトは腰と股の間を通すベルトがあって、しっかり止まっているのだけど、姑はベルトが嫌で、つけている間中、それをはずそうとしてずっと触っており、それは見るからに異常な風にも見える光景だった。また、外したいベルトが足の間を通っていることで、一層イライラとするようにも見えていた。退院が近付いて、車椅子を介護レンタルし姑の体のサイズに合うものを借り、さてシートベルトはどうしよう・・介護用品屋さんや、旅行用品屋サンに、使えるものはないか、私は昼間の睡眠時間を削って探した。思いついて赤ちゃん用品屋さんへも行き、乳母車用、と言うかわいいシートベルトを見つけた。そのベルトに付いているポケットに、ちょうど親戚から送られたトドの赤ちゃんのころの写真を入れ「お姑さんの専用ポケットです」ってなことを言い「トドちゃんの大事な写真ですから」と重ねて伝えることでなんとか大事なものが入っている、と装着を続けることができるようにもなっていた。ところが、ショートステイ先に到着し、荷物の整理などあらかた終えて、一息ついているところに現れた副施設長なる人物は、開口一番「これは拘束で、うちの施設では使えない」と言い。術後の今、立ち上がって不用意に歩くことが危険なため、家族がお願いして装着していただくということはできませんか?と申し出ているこちらの話を遮り「監査に引っ掛かる」と大声を出した。家族が承諾書を書いてもダメなのか?と聞いていることにもとにかくダメでしかない返事でその声も興奮して大きい。大声を制するために私は「このベルトが必要な体にしたのはこちらの施設でしょう?家族がぜひにとお願いしているこのベルトを外したことで転倒し、骨折に至ったら、次は訴えますよ」大声ではない分、凄味があったかもしれない。もういい加減にしてほしかった。最初に怪我をしたことは致し方なかったかと、あきらめつつも、もう少し注意深く姑を見てくださっていれば、あの怪我は起こらなかったのではないかと思えるのは今も同じででも、起きてしまったことは仕方がない。施設でなくてもショートステイ中でなくても、骨折の危険性はいつもはらんでいた姑でもある。自宅にいても同じような怪我はしていたかもしれない。そう思えばこそ、穏便にことを運んでも来たのに退院が近づいたある日、姑にも舅にもまだ退院後のことをぼんやりとしか話していない段階でこのショートの関係者が見舞いにきて、検査の結果が良ければ退院、と伝えてあったことを間違ってまた聞きし退院予定ではない日に「退院されるんですってね~」と言って帰った。その場に私はおらず、自宅で仮眠をとっていたところ、驚いた家政婦さんの連絡で、ショートの担当者が間違った日を病院で吹聴して帰ったことを知った。即座に施設に電話を入れて、「もういい加減にして頂戴、お宅のおかげでこのひと月、どんな生活になってるかわかってる?」「ことを荒立てたくはないと思っているけれど、もうこれ以上こちらの首を絞めるようなことはやめてください」と伝え私が付き添いを交代するために病院へ行くと、別の担当者がまた謝りに来る、といった馬鹿らしいことの繰り返しその手のことがいくつかありながらそれでも結局「どこの施設に預けても似たりよったり」と思う私は改めてほかの施設への入居を模索するより、「ともかくここで要注意入居者として過ごすことが安全」というトドの決定に従ったのだった。その初日の「今度は訴えますよ」が今度は問題視されている。このことを最前線のスタッフは「恫喝された」と感じているという。ユニットのリーダーと話をした。こちらの意向も解ってくださり、入居以降のこちらの態度で、単に高圧的に出ているばかりの家族ではないことも感じていただいているかと思うけどどうも、齟齬があるのを感じてもいる。その齟齬を埋めるかと言えば、実は埋める気もなく今少し高圧的に出て、あまり顔を出さない方がいい怖い嫁と認識されれば、私は助かる。それにしても、「恫喝」とは恐れ入る。実際に入院などと言うことになったら、矢面に立たされるのは私なのだ。月末にトドも交えて今後の介護体制についての話をすることになっている。煙たがられているのを幸い、姑のところへ頻繁に顔を出すのは最低限にしようと思う。(*^^)v今日はPさんのためのパワーリハビリの契約がある。トドが5時には義理家に入れるというので、あちらで夕食をとることになるだろう。Pさんはこのところ、姑関連の話をだれかとしたく、私にも頻繁に電話がかかっても来る。気持ちはわかるけど、最低限のお付き合いをするつもりしかない。季節の変わり目でもあるので、今日は覚悟をきめてPさんの秋物衣料の整理もするつもりで午後から出かける。この生活を続ける続けないにかかわらず、義理家との距離は置きたいと思いつつ必要なことはやらなければならずでも最低限にとどめたいと思うのであります。
2008年09月18日
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私も含めて(苦笑)我が家は懲りない人々で構成されている。姑の入院期間の二十四時間見守り体制が終わり、一応日常生活に戻りつつある我が家。とはいえ、Pさんの衰えも混乱も激しく、それが一人暮らしになってしまったわけで、そうは言っても干し忘れるとはいえ洗濯もするし、外食ばかりだとはいえ食事も欠かさない86歳。だから毎日ではないけれど、息子が早く帰れる日はPさん宅で食事の用意をし、ワタクシの手料理で不備ながらも家庭の食卓を演出すつ必要もありはしないかと思え週に二度、三度、夕食を一緒にとる機会を持ってきた。そうは言っても、この状態にもすでに慣れたかと思える息子は、積極的にその時間を作り出すでもないおかげで週に一度、そういう機会が持てるかどうか、といった現時点の生活です。姑はと言えば、「帰りたい・立ちたい」の毎日で、これも認知症としてはそれなりに微妙な段階にいる現在では無理のない話でそれを一番訴えやすいのは何と言っても愛する夫なわけでPさんは毎日のように顔を出し、姑を慰めるつもりではいるけれど、その愛情の深さとは裏腹に姑の不安を軽減するようなアプローチは出来るのかと言えば出来ないわけで思えば入院中の生活は、必ず姑の傍に家政婦さんか私がいて、見舞いにきたPさんを交えて姑が心地よく過ごせる空間作りに腐心をしていたわけでもありPさんは、病室に来れば好きなチャンネルを選びテレビは見放題、自分の話に相槌を打ってくれる家政婦さんなり私なりの第三者がおり個室なので他の患者さんに気兼ねをすることもなく、茶菓のサービスも受けていた。今のPさんは夕方夕食前の時間に姑を訪ねることが多く、私はお昼前後に訪れることが多いため姑の所でPさんと重複することは少ない。姑のため?と考えても、同じ時間帯に二人が訪ねるより、自分の相手をしてくれる家族が(私も家族とカウントすれば)入れ替わりで来るほうが結果的には手持無沙汰な時間が少なくて済むというものだと、考えているため基本、私はPさんと重複する夕方に出向くつもりはなく夕食前の時間帯はママさんと過ごしたい時間でもあれば、この先もこの基本を変えるつもりもない。だから、特養待ちロングショートステイ中の姑をPさんが訪ねてもPさんの話に積極的に相槌を打ってくれる人は、いないのだ。もとより姑はこちらが気を配り、気を迎えるような話をしなければ、反応は乏しい状態なのですでに自宅での生活でPさん夫妻が会話などを楽しむような状態ではなかったのだけど面会に行っても姑の気を迎える話をするでもないPさんとの会話はただただ「帰りたい、立ちたい、動きたい」に終始しているものと思われそれを回避するすべもないPさんであれば、居づらくなるのも無理はなく夕刻の面会は一時間ほどで終わる毎日なのであった。思えば病院の時は朝から晩まで病室で過ごしていたPさんなのに、特養に移るとせいぜい一時間の面会、というのも、無理はない話ではある。そんな中、他の入居サさんがPさんを自身の夫と勘違いする、という事件が起こった。そのご婦人はご主人の女性関係でご苦労があったという過去があり、認知症でもありながら、その波だった感情は今に残りPさんと姑が並んで座っている椅子に突進してきたのだそうだった。驚いたPさんが大声で制したこともあって、スタッフの知るところとなり問題のご婦人を引き離し、「ほら、良く見て、ご主人じゃないでしょ?」という言葉に我に返ったご婦人はそれを認識し「勘違いをして悪かった」と反省もなさった由、漏れ承っている。事件はそれで一件落着し、ご婦人はほどなく忘れ、姑の記憶にも残ってはいない。ただ一人、その件に固執しているのは言わずと知れたPさん自分も大声で対応をしたことについては、反省をしているらしい発言だけれどそれより、そのために問題のご婦人が姑に復讐をしているのではないか疑惑に、囚われている。重ねて姑の「こんなところにいたら、人間でなくなる」という発言もありPさんの見る限りにおいて、姑より重篤と思える認知症患者ばかりな今の環境は姑は限りなくかわいそうで見ていられない、という入院中のような環境を、と特養の本部スタッフに折りにふれて何度も話しているが姑専属のケア要因を配置しているのは夜間のみ、あくまでもそれは危険回避のためであり、昼間はそれなりの扱いしか受けておらずPさんは不満でならない。姑はこのショートステイで怪我をした。それは、回避できる怪我だったと私たち家族は思っている。そのことはショートステイサイドも認め、だからこそ退院後優先的に受け入れるという申し出があり今に至る。退院をしてこちらに移るについて、二度と骨折をさせないためには、と言うことをテーマに姑の介護を考えていただきたい、と言うことのお願いをしそのための体制を引いてもいただいており、今回の姑の配されたユニットは、そのスタッフが一番充実しているブロックでもあるらしいさらにその対策の一つが夜間のマンツーマン体制なのだった。今月はともかく姑を把握するための時間と、施設側からも言われ、トドと私は得心しているけれどPさんには言われている内容もイマイチ把握できておらずもともと感情的に物事をとらえる人なので、さまざま不満が渦巻いているというわけなのだけどどうしようもないもんねわずかに、Pさんは感じていないようだけど、そこは介護施設でもありトラブルがあったのちに入居しようという利用者の家族でもあり重ねてPさんの加齢認知症も認めて下さっていればこそ本部スタッフは丁寧にPさんの繰り返す話を聞いてくださってもいてそれは本来感謝すべきことと言えなくもないのだ。でも不満があり、かといって、家で二十四時間家政婦さんについてもらう生活など費用の点からいっても無理と言わざるを得ないと言うことはわかっていない、というか費用のことには思い至らないようである。現実にできること、という線引きがもともと苦手な性格であれば、無理ない話でつまりこの点は変わらないのだから、毎回、それなりにPさんの言いたいことを言わせ少しすっきりしてもらうということしか、対処のしようがないというものだ。そして、予想の通り、トドは仕事優先で、仕事の都合をつけて姑を訪ねるということはやはり積極的にはやらない。そしてまた、地雷を発見した私。持ってるだろうな~行ってんだろうな~と思っていたので今更何を見ても驚くでもないけど、やっぱり・・な感じで虚しい。この家には働き手としての私は必要で、それは家庭内だけではなく仕事の面でも・・・それなら働いて、今度は堂々と実母との時間を実家サイドの人たちとの時間を優先しようかとこのままの生活を続けることを考えかけていた私はそれでも夕べトドに「とりあえず見えないようにしてもらえないか?」と提案をしてみた。返事は「なんで探すねん」逆切れ?(笑)さらに自分が置き場所を失念したと見える仕事上の大事なものを、「返してくれへんか」私が隠したと思っているらしいあほらし・・・そういうことなら話は変わる。言い訳めいているけど、今回はトドに言われた発送作業のため、接着剤を探しにトドの机に向かうと見慣れない「フェラガモのポーチ」があった。ブランドには関心のないはずのトドの持ち物としては不自然で、しかも鍵付き(笑)内緒の大事なものが入っているに違いない風情に、微妙に隠しきれない状態で置いてあればんなもなぁあなた、見てくれって言ってるようなもんだろうが(笑)カギは単純な数字合わせで、イチコロだった。だから、そんなところに隠さず、捨てて来いと言っている。百歩どころか千歩、千里譲って、物の処分についてのみ言及しているにも関わらず逆切れとは、ほとほと、ケツの穴の小さい男ではある。トドは一生懸命仕事をして、その意味で認めるところもなくはないある部分、やり手、と言えないこともないけどその手法や考え方に「出来た男」を感じたことは正直ない。ただある種の一本気がお弟子さんたちにも好印象を与え、応援していただいてもいることは認める。基本は(あくまでも基本)真面目な奴でもあると思う。「貴方のいいところも知ってるし、心底悪い人じゃないとも思ってる、仕事を手伝うこともけして厭じゃない、でもね、もう疲れた」最低限のルール、と思えることを逸脱していると、私は思う。あなたが遊び歩いている内容は、そういうもの。そしてその時間、私は姑の看病をしていたのではないのか?とさすがにその間は行っていないというけれどあのね、とりあえず見つからないように、万が一見つかっても、みえみえでも、バカらしく全否定するのが少なくとも夫婦として最低限の礼儀じゃないのかと思うけどね?
2008年09月17日
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河童ちゃんと田舎の家に行くと、他にお住まいが決ったと聞いていた方も私達を待っていて下さって「是非とも借りたい」と…借家話の再燃になった。その方は76才なのだけど、家政婦さんのような事をしておられる現役さんとお聞きして、この夏、病院でお世話になった方達と重なる。アパートを見つけて契約も交わしておられるらしいのに…「もし貸してもらえるなら…」と熱心。家に灯が点ると思うと、私達もなにか嬉しく、耐震性にはうるさかった父が、「借り手があれば」と言っていた言葉を裏付けるように家はホントに頑丈だ。水回りも大きく変えなくてよいと言うのでシルバー人材センターに頼み掃除などお願いする事になりお世話役の方に一任してきた。古屋貸します。だから当分あの家はまだあり、だから時折様子を見に行く必要もあるけれどのんびりした在来線の車窓は、私の幼い頃と大きく変わることもなく懐かしい町に私達を運んでくれる。日頃、分刻みで走り続けている私を、なにかほっとさせてくれるようにも思えて、私達は遊びには出かけても住むことのない町だけど、この家には、父が祖母が暮らしたと思う何かが確かにあるように思える。二階の仏壇横の襖をあけるとアイロン?があった。なんか…古っ(笑)どーやって使うんやろ
2008年09月13日
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明日、一緒に田舎のを見に行こうってことになってた愚弟河童に、家を借りたいと言っていた方が借りないことになったので、などの工事を急ぐ必要がなくなったこともあって、忙しかったらパスしてもよいよ、と連絡を入れたら、今朝になってがかかった。行く前提で金曜日の出張を入れていたので、「予定してたしそのままでええで~一緒に行くわ」と、ここまでは良かった。「それでね、僕、骨折してるねん」ねぇちゃんは驚いた。はぁ?なんで?どこ?いつ?大丈夫?何でも先週の金曜日、接待飲酒の帰り道、自宅近くで結構深い溝にハマッタたらしいそのときは酔いもあって、そのまま自力で家に帰ったらしいけど翌朝「こりゃまずいやろ」な痛みを感じ、でもまぁ骨折とは思わなかったらしいけどともかく医者へは行ったらしいんでもってレントゲンなどを取った結果、肋骨折れてるんだってはぁ・・・普段から水泳で体鍛えてるし、今のところ順調に直ってるみたいだけどなんだか・・・なんだかです。コルセットを巻いてるし、体を起こしている昼間はもう痛みを感じないんだとかで車も普通に運転してるけど・・・いいのかね河童の今日の仕事は、新幹線沿線で、しかもまたもや接待ありきとのことなので駅に車を置いて仕事を済ませ、接待も済ませ、新幹線移動で広島入りをして(今週末は嫁のイングリも出張で家にいないってことでもあって)んじゃねぇちゃんと泊まるべってことになって在来線乗換駅(広島)のホテルを急遽取って、私も夜になってから新幹線移動して、一緒に(部屋は別だけど)泊まってます。相変わらず双方単身赴任夫婦の河童なので、平日の夜、骨折したからといって嫁が看病してくれるわけでもなくなんか可哀想っぽいけどあたしゃあんたの介護はしたくないからね、頼むよ~~~ま、このまま順調に治りそうではありますが・・勘弁してくれ~~~~皆様、酔った夜道は危険がいっぱい、お気をつけくださいまし(私も?^^;)っつうか、ふぅ・・・・
2008年09月12日
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田舎の家を借りたい、というお申し出があってから一週間、弟や伯母とも相談し相手の方にとりあえずとてつもなく設備も古い家であることも知らせ他にあてがあるならとお伝えしていたら他にお家が見つかったらしいとりあえず良かった・・・・とはいえ古い家なので、年に一度くらいは見に行かないとね・・ってこともあってやっぱり週末日帰りで河童ちゃんと行ってきます。(^_^;)今すぐ処分しないなら、借りていただける方が何かと安心でもあるしどこにどう手を入れて借りていただける家にするかどうか見てきます。
2008年09月10日
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Pさんの水分補給に各種お茶のペットボトルを義理家に置いている。どれが気に入るか分からないし、同じものばかりだと文句も言うので・・・そして、ある商品をいたく気に入ったPさんがそれを買いに行った。「九条麦茶ください」出かけた先は最寄りのコンビニそこにはあいにくほかの種類の麦茶しかなく、店員は「九条麦茶?」と知らないらしかった。「ものを知らん」と、お怒りなのだけど、専門店ならいざ知らず、コンビニの店員さんはそのほとんどがアルバイトさんであり商品は本部経由で売上に応じたものが届けられるシステムのコンビニであれば店内に置いてあるものの把握ができているだけでも、その店員さんは花丸なんである。しかも、問題の麦茶は本来「六条麦茶」でありもしや存在するのか?とネットで検索をしてみたけれど、「九条麦茶」なるものは世の中に存在しないようである。九条ネギと混同したのかもしれないんだけど・・・訂正を試みたところ、さらに混乱して「十条麦茶を買ってきてくれ」数が増えた。。。。。。
2008年09月09日
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昨日、朝Pさんの所へ行くと、一応出かける用意はできてはいるものの、あきらめ悪く姑の通帳を探してた。だいたい、この親子(P+トド)は探し物が下手で、ないというものが実はあった、ということは今までによくある話でPさんも探していることだし、私も探してみたけれど、とりあえずやっぱりなかった。ので、郵便局のカード紛失センターと書いてある電話番号に連絡を取り事の次第を話し、通帳を止めてもらい、再発行の手続きについて聞いた。Pさんは、紛失したのはカードではなく通帳なので、その電話ではわからん!と怒っていたけどそんなことはなく、的確なご指示をいただいたのだった。姑の通帳からは現在入居しているショートステイの利用料金が自動引き落としされることになっておりそこはもともとデイサービスに通ってもいたところであってデイサービスの利用料金を、Pさんが二度三度支払おうとしたり、別のデイサービスに持っていったりとややこしいことが増えたことから、六月に郵便通帳からの自動引き落としにしたものであったが案の定、姑の入院中の八月にもご丁寧に現金書留で七月分の利用料金をお送りしたPさんなのであった。通帳を止めてしまうについて、自動引き落としの件が気になったのだが残高があればその作業は滞りなく執り行われることをお聞きして安堵。ただ、Pさんは理解しておらず、一刻も早い再発行を望んではいる。再発行には姑の委任状が必要で、その用紙は最寄りの郵便局でいただけるとのことで今日の再発行はどっち道無理ですから・・ということは理解してもらい先週から懸念の年金の現況届を市役所に手続きに行ってから、お稽古場へお送りしようと申し出てみたところやはり、今日は行かんでイイということになりともかく最寄りの郵便局経由でお稽古先へPさんを送り届けたのであった。この日、Pさんのお稽古予定は10時半から4時までということでトドもちょうどその日は近くで仕事をしており、それが4時半ごろには終わるということだったので4時にPさんを迎えに行き、トドを拾って、そろって姑の所へ行き6時夕食の姑の配ぜんが始まったころに引き上げ、Pさん宅で仕事の話をしながら食事をするという予定にした。さてPさんを送り届けて私は自宅へ帰ったのかと言えばさにあらず先週の木曜日に、姑の左まぶたに赤い湿疹風のものを認めており、金曜日難病関連でお世話になっている姑の通院を予定したので迎えに行くと、その赤みが増し、額の左生え際あたりも赤くなっていたのを確認した。痒みも痛みもないと本人は言うけれど、軽く触ると身を縮める、つまりは何か痛みを感じている風情。昨年の実母の骨折後のヘルペスの可能性も思えて、不安になり通院した折に主治医に相談をし、ヘルペスウイルスの血液検査をしてもらっている。重ねて、発症から一週間ほどがウイルスの増殖時期であり、その働きを止めるためにお薬を3日分と、塗り薬を出していただいた。その赤みの部分がどうなっているかによって、お薬を再度いただく必要もあって、月曜日の朝、姑を訪ねることにしたいたため、Pさんのお稽古場から直行した。赤みは引いている。ということは薬が効いた?検査に出したのが金曜日なので、月曜日の時点ではまだ結果が出ておらず、ヘルペスかどうかわからないながら赤みの引いた部分を触るとやはり身を縮める姑。右側の同じ部分を触っても、身を縮めることはないところから、やはり何か痛みめいたものを感じているのではないかと推測される。いずれにしろ、その報告を兼ねて姑の主治医の所へ回り、もし検査の結果がヘルペスではなら、その時点で服用を止めればいいということでまた三日分のお薬をいただいたのであった。そのあと、義理家に回り、年金の現況届の用紙を持って市役所へ出向き、手続きをしてもらった。この年金だかどうだか記憶が定かではないけど、同じように現況届を市役所へ貰いに行ったことは過去にもあってその時には確か証明書めいたものは必要なかったのだけど今回もやはり本人を証明する書類は必要ないのだった。Pさんは現況届の手続きには保険証が必要だと思い込んでおり、前回もそのために確認の電話を市役所にかけたりしたことを思い出す。ま、とにかく現況届はあとは発送を待つだけの状態になった。そのあと自宅へ戻り遅めの昼食をとりつつ洗濯もし、ちょっとまったり・・・と思ったらPさんを迎えに行く時刻が迫ってた。ので、迎えに行って・・・Pさんとトドの仕事の終わる時間には半時間の開きがあったけどそんな時間はPさんが車に乗り込むのには必要な時間でもあって流れ作業で二人を拾って、姑の所へ本日二度目の訪問になった。お昼に訪ねた時に、福施設長さんから介護計画を説明されており、家族の同意サインが必要とのことでこの手のサインはPさんに限るので夕方再度説明もしていただき、Pさんにサインをさせる旨伝えてあった。ヘルペスの薬も追加で頼みたく、Pさんとトドがそそくさと姑の顔を見に行っている間に、看護ステーションに立ち寄り、お薬のことをお願いした。姑の薬の服薬について、薬を飲まずに隠しているので、散剤(すりつぶして食品に混ぜる)したい旨、金曜日に看護婦さんから同意確認されたのだけど姑は現在通常食を食べており、その嚥下能力についてはまだ問題ないものと思えること薬は必要だという自覚はあって、これまで拒否することなく飲んでいること水分補給の観点からも、服薬は大事なポイントになっておりまた嚥下機能を衰えさせないため、飲み込むということに集中した服薬は必要と家族としては考えることを伝え様子を見てもらうことにしたのだった。姑が飲まないといわれる薬は、食後の通常飲んでいる薬ではなく、就寝時に投与される睡眠薬であることがわかりそれは苦いのだそうだけど、病院ではずっと私が飲ませており、姑は飲むことに抵抗したことはなかった。施設に移ってからは時として飲むのを嫌がることがあるとのことトドは単純に進め方の問題ではないかというのだが・・・それはそうかもしれないけど・・・この日曜日も睡眠薬を拒否し、「毒を飲ませようとしている」とヘルパーさんを悩ませたのだそうだった。ヘルパーさんは手を変え品を変えトライして下さりながら、「ポポ子さんがお持ちになったお薬ですよ」と毒ではないことを知らせたかったらしいが姑は「ポポ子さんが毒を飲ませようとすることもある」とのことで(笑)そんなこんなで飲まないときはそこから散在するなりグミにくるむなりの工夫をお願いすることにし通常の食後の薬はさして抵抗もないところから、今までの通りということにしていただいたのだった。手間のかかることではある。そんなこんなで、食後の薬はヘルペス対策薬も増えて、でも昨夜は問題なく飲んだみたい。看護婦さんとあれこれ調整をしてから、姑の居室のある階へ顔を出すとユニット担当者から「今日は午後から帰りたい攻撃が強くて・・・」と当惑気たまたまこの日、ショートステイを終えて帰られる方が多かったらしく、自分も帰ろうと思ったのではないかとのこと姑はトドと舅に「一秒もここにはいたくない」と申し述べたそうで「ここにいると人間でなくなる」とも言ったとかトドは少々考え込んでいるようだったけど、これはあなたの決めたこと。さらに言えば、姑は自分の周囲の人に対して、人間ではないと思っているかのように見受けられる。姑のユニットは重症の方が多いのだけど、そのために手慣れたスタッフで構成されておりそれは姑も厄介な入居者ととらえられていることから、そのユニットに配されているのでもあるのだ。認知症の状態は、他の方よりは軽いかもしれない段階だけど不用意に動くため目が離せないことに関しては、一番手がかかるともいえる状態の姑。今週に入り、夜間の人員を増やして下さって、姑専用の見守り人員が配されてもいる。安全に配慮していただきたい旨お願いしているこちらの意向をくんでくださっていると言わざるを得ない。不備な点も垣間見えるけれど、本来の範囲を超えて姑に関して考えて下さっている姿勢は否定できないのでお任せするしかないもんね。Pさんは連れて帰りたく「でも僕はトイレに連れて行ってやれないからね」というが姑は「トイレくらい自分で行けます」とのこと堂々巡りでもある。姑の夕食の配膳をきっかけに引き上げてきたのだけど、「私たちも食事してきますね」のことばに「食べ終わったら出かける準備をしておく」と言っている姑に無駄とは思いつつ「お母さんはお怪我して手術したでしょう~♪」を繰り返し「今日は泊って下さいね」とその場限りの理解を得たが私たちがその後施設内で介護計画の説明を受けている間に夕食時間を過ごした姑は、帰りたく動きたく、ずいぶんと周囲にご迷惑をかけたようではあった。夜間、事故の連絡が来るかと思っていたけどそれはなく、一応ともかく無事に過ごしているんだろう。介護計画についての説明は、Pさんには聞こえたことあり理解できたことあり、どっちでもいいけど素直にサインをしてくれたので、とりあえず良かった。と、今電話があって、検査結果が出てヘルペスでした。こんなに早く気づいて、お薬を飲めたのはお手柄ですよと、嫁は褒められたのであった。褒められた嫁は、他の検査結果を含む施設に提出する主治医の意見書ができた連絡も重ねて受けたのだけど今頂いている薬がなくなる木曜日に、書類を取りがてらヘルペスの状況もお知らせして、この先の診断を仰ぐことにした。でもって、そんなこんなで、施設を辞してPさん宅へ移動し現況届の用紙を取りに立ち寄った時に、炊飯器をセットしていたのでご飯はあるよってことでなぜか時間もないので(ということもなかったけど)レトルトカレーを食べることになりスーパーに立ち寄ってレトルトカレーを買い込み、せっかくなのでサラダなどをおつくりし、食したのだった。住宅改修の折りに、水周りの配管も新しいものに変えたほうがよいことになって、キッチンの床下も上げたところからキッチン周りも新しくして食器洗い機を入れてもらっているので食後の後からづけをしながら、多めに炊いたご飯の残りをおにぎりに冷凍庫にしまいながら、さらに今年に入ってからマンションの目の前にできたお店の500円モーニングが意外と充実していることをお知らせしたため毎日食べに出向くPさんなのだけど、火曜日は定休日なので朝ごはん用のサラダなどの準備もしその間に仕事の話が終わったので引き揚げたのだった。こんな風に、仕事の帰りに立ち寄って一緒に食事をするという風景を私は実家の介護の初期に思い描いたものだった。トドは、わずかに二度ほど付き合ってはくれたけど、あとは頑として聞かず今も本来は家で食事をしたいところ、Pさんとは仕事の話もあるためこのスタイルを容認しているところがある。一緒に食事をするのが一家団欒を提供するためではなく、仕事のためというところがわずかに私が我慢できているゆえんでもあることを思えば複雑です。そして、現況届は帰り道で投函することにし、預かって帰り、トドが手に持ったまま車に乗っていたにもかかわらず、自宅についてしまった。ために、最後ポストのあるコンビニへ出かけたのであった。つまり、投函済み。私たちが持って帰ったことを忘れる可能性が大なので、P家の冷蔵庫に大きく「9月8日、現況届お預かりの上、帰途投函、ポポ子」と書いて貼ってきた。
2008年09月09日
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姑の郵便貯金の通帳が無くなった…らしい(無くなってない可能性を含む)しばらく前に提出するはずだった姑の何かの年金の(トドにこの方面の管理をするように任せていたけど、管理できていないので、何の年金なのかよくわからない)現況届けをPさんが出していなく、督促状の様なものが来たため先週の木曜にP家の片付けをした時に、役所へ同行しようと申し上げたにも関わらずその時には分室でことが足りるため、分室近くで仕事をする水曜日に自分が勝手に行くと言っていたのに通帳の再発行と現況届けを今日、やりたいんだそうで呼ばれてる。しかも今日は10時30分からお稽古もあって9時には行動を開始したいとのこと焦る気持ちはわかるけど住宅改修工事の最中から、通帳類と現金を持ち歩き、それは姑の入院期間にもそうであって無くさないように自宅に置くべしと言っていたのに多額の現金は(700万ほどあった)銀行なりに預けようと言ったのに先週金曜日に姑がいつもの難病関連医院に通院したため、そのまま私が預かっている保険証が必要なんだそうだ。必要なことはわかるけど、なんで今日?先週行こうと言った時には行かずなんで今日?ちなみにPさんは、明日は休みなんである。
2008年09月08日
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重なる時は重なる、と言うべきか、微妙に重なってないというべきか・・・今度は従姉が特養の待機をかけていたら、順番が回ってきちゃいました。従姉?とお思いのあなた!(誰?)そう、従姉です、私の・・・五歳上。従姉は昭和29年生まれ。歳がばれるけど(もうばれてるけど・・・)このブログを書き始めた少し前から、あれ?と思うようなことが増えたとはいえ父が発病した当時は、それなりにエキサイティングに父の看病をするように私に噛みついたりしてそれは従姉の変異の始まりでもあったわけですが・・・昨年あたりから、もう会話もまともに交わせなくなってしまいました。数年前から介護保険のお世話にもなっており、そのためだけではないけれど各種の検査の結果、若年性アルツハイマーと言う診断をいただいています。あっという間に物言わぬ動かぬ人になってしまいました。今は寝たきりで、食べること排泄することなども、すべて人の手を借りての生活になっています。鸚鵡返しに私たちの言葉を繰り返す以外、あまり言葉も発しない人になってしまいました。残酷な言い方になりますが、実はこうなってしまえば、介護はある意味楽ともいえます。動き回り、怒り悲しみの感情に翻弄されている間は、介護も体力勝負と思えるところが多く従姉の介護は80になる母親、私の父の姉が一人で見ていました。徐々に介護サービスを導入し、ショートステイなどの日数も徐々に増やしてはいましたが伯母も私も、実際の入所はまだ先と考えるところがありました。従姉の介護は大変ですが、動きまわらなくなってしまった今は、伯母にとっては以前より楽な部分もあり抵抗することのなくなった従姉は、ただただ可哀そうな、ただただ大事な存在。従姉には私たちのことがわかるのかどうかも、実は微妙で・・・・会えば話しかければ、それなりの喜んだ反応を見せてくれることも多いのですが入所を拒むような家族に対する執着は、従姉にはもう見られない。先日知らせがあり、待機していた従姉に入所の順番がきた、とのことです。伯母は、悲しくてならず、混乱しています。母一人子一人で、ここまでやってきた。伯母には耐えがたい時間だろうと思えます。とはいえ、伯母も80、この先いつまでも娘の介護ができるとは、思えません。伯母にとって娘の介護は生きがいにもなっていました。それを奪われる、という思いが強いのだろうとも思います。明日、母と伯母を訪ねるつもりです。
2008年09月06日
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曾祖父が建てた家がある。祖母はその家の長女で跡を継ぎ、父は幼い数年を跡取り孫に執着した曾祖父母とその家に暮らし、その養育は次女大叔母が助けてくれたと聞かされている。その家には次女大叔母が結婚後もずっと両親と暮らし、曾祖父母が亡くなった後、一階部分を人にお貸ししていた。小学校時代の私が夏休みに遊びに行くと、階下のお兄さんがメダカ取りに連れて行ってくださったり離れもあって、そこにも一家族住んでおられた覚えもある。団地住まいの私から見ると、複雑に広い、夜トイレに行くのに勇気のいる家だった。大叔母の晩年は、大叔母より少し若い高齢の女性が、一階を借りて下さって大叔母の施設入居の後も、亡くなった後も、父が亡くなってもそのままで住んでくださって、家の管理もしてくださっていたけど昨年末に、長くパーキンソンを患っておられたその方も施設に移り、以来無人の家。名義はまだ父のまま、管理は私、経費は父の遺産でまかなっているけど、父の兄弟姉妹も私達姉弟も、あの家に住むことは今後考えられない…ということから、いずれ時間ができたら処分、と思いつつ時間ができないので高い火災保険に入り続けている。明治の終わりに建てられた家は頑丈だ、と建物の専門家だった父は言ったけどなにせ古く、トイレもまだ水洗式に変えていなく、私達もこの家に訪れても、床がフガフがしているトイレは怖くて使えず、お寺でお借りしたりしてきた。思えばお家を借りて下さっていた方も、この数年はポータブルを使っておられたし…市からは、家の前まで水洗工場が出来ているので自宅内のトイレを整備するように、実は再三言われてもいる。いずれは処分、ということで了解を得ている状態なのだ。お風呂はその昔は薪を焚いていたかと思う五右衛門風呂だった。板を踏んで入るスタイル、あのままのお風呂になじんでいたら、今頃サーファーになってたかもね?なんて従姉と笑い合ったこともあった。私が大学生になったころ、ボイラーに変えたのは薪が手に入りにくくなったからだったかと、記憶している。このボイラーがまた曲者で、どうしたことか動かすと怪獣の咆哮のような、すごい音がしたもんだ。大叔母は一人入るために轟音を起こすこともない、と言いつつ、近所のお風呂屋さんを利用することも多かったようだった。大学院時代にこの家のある地域で学会があり、珍しく秋に泊まったことがあり、その日は私もお風呂屋さんへ行った・・・のだけどあいにくその日は定休日で(笑)ものすごい音のするボイラーを夜遅く動かすことも気が引けて、お風呂に入れずだったことを思い出す。そんなボイラーも、大叔母が施設入所するときに、完全に止める?とかなんとか、作業を確か父が話していたようにも思うけどそのころすでに私は嫁いでおり、まだ元気だった父と母が、伯母と三人で大叔母の介護もしていた時期なので、詳しいことはよくわからない。つまり、家は頑丈なのだけど、とてつもなく古く、トイレもお風呂も、使用に耐えるとは思えない状態。なのにそんな家を借りたい、というお申し出があった。しかもこの姑が施設入りをしたという絶妙のタイミングでのお知らせ・・・えらいこっちゃ・・・貸す以上、最低限の生活が営める設備は整えなくちゃいけないんじゃないの?と思うけど・・・・二束三文で貸すと言っても、それはいくらなんでもあんまりな状態なわけでお金もかかるけど、確認にもいかなくちゃいけないだろうしさて、どうしたものか・・・・とりあえず河童に連絡を取り、と言ってもアヤツには一人で決めることなんかどうせ出来ないんだから来週、家を見に行きます。借りたい、とおっしゃる方にも見てもらって・・・要は「これでも借りますか?」の確認なのだけど・・・頭痛いです。っていうか、頭もう一つほしいよ。トホホ・・・とりあえず・・・トイレ作るか?(>_
2008年09月04日
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Pさん、後期高齢者保険証を洗いました。只今再発行中。やってられん
2008年09月04日
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姑の怪我に関して、介護施設から保険で治療費を?な話が昨日出た。入院中にその手の話が一度あったのだけど、それ以降なしのつぶてだったので、立ち消えたのかと思ってたまたしても対応遅くない?と思うけどそしてお金でどうのこうのって問題じゃないと思うけどと思いつつ、その方面はトド担当なので、話を聞いてもらって、私はノータッチで行くつもりだ。現在の姑は、車いすに乳母車用の可愛いシートベルトをして、抑制されている状態。これが一番安全と思えるスタイル。退院初日、この抑制に、施設が過剰反応をした。姑がショートステイ中に怪我をした施設、そして現在暮らしている施設は、抑制をしないといううたい文句を上げているのだそうで監査に引っ掛かる、と言い出した。もう一度転んで、もう一度あの入院生活を支える自身は私にはない。父のためなら、母のためならできることでも、姑のためにこれ以上自分の体を削っての介護はもう、出来ない。愛情はないから。とは言わず、この抑制が必要な状態にしたのは、だれなの?とちょっと演技しつつ詰めよりベルトをはずしていることで転倒したら、今度は訴えますよ、と脅ししばらく、抑制ではない他の安全策を模索する間、という期限付きで、家族から強い要請があって行っている一筆も入れたのだった。便が固く、滞っていることが分かると、摘便をした。微熱があるからと言われて、お風呂に入れてもらえない日が続いた姑の、全身清拭もやった。そんなことは大したことじゃない、不安がる姑を抱きしめて過ごした夜は、安心するような話をしながら、吐き気がした。私はこんなに、この人が嫌いなんだ。嫌いな人に何やってんだろう、母をその間、ほったらかしにして・・眠らない夜には、心底憎いと思った。私の健康が損なわれていく、そのことは母の生命線にもつながると思えて「寝かせてよ」と低い声で告げたこともあった。病院から施設に移った姑は、少し落ち着き、一気に進んだかに思えた認知症状も、少し戻ったかと思える。昨日、姑の施設の部屋から見える山を見ながら、姑を天使と呼び慕って下さる甥姪のお話をした。姑が「私は自分がもめごとの原因にならないために、誰とも深くかかわらないの」といった。そうなんだろうね。舅とも心を開いて話すことはなかった人なのではないかと、思えたりする。自分が表に出なければ、もめごとの原因にはならないと思っているようだけどそのあなたの言動で、十分あなたの息子の家庭は揉めてきた。息子の嫁は、天使と呼ばれる貴方の「お父さんがね、ポポ子さんのお母さんをどうして施設に入れないのかと言ってるのよ」「お母さんはどうして施設に入らないのかしらねぇ」まだ、認知症状の出る前の姑の言葉は今も忘れていない。施設に顔を出すと「お嫁さんをお待ちでしたよ」と言われるけれどそれは、送迎担当だった私を見ると帰れると思うからだろう。私はそのつど優しく「お姑さんはお怪我をなさったので、思うように左足が動かないでしょう?今の状態でご自宅へお帰りになっても、お舅さんも歩行がおぼつかない状態なのでお二人で倒れてしまわれますからもうしばらくここで日常生活のためのリハビリをしなくてはなりませんのだから今日は帰れないんです、ここでお泊りしてくださいね」と話してくる。その瞬間は、私に迷惑をかけまいと思うのか納得した風情の姑。とはいえそんなことは覚えていなく、舅が現れると帰りたいの一点張りらしい。今のところ、まだ、施設で姑が安全に暮らすためにはさまざまな工夫が必要でその中には嫁の私のこれまでの言動を、介護スタッフの方に伝授するというような作業も含まれる。実家の母の場合、施設が不備なら私がサポートすればよい、と思えたけれど姑に関しては、最終的には丸投げしたいと考えている。体に触れ、その排泄の処理などをする、その作業は、愛情があればつらく、でも踏ん張れるものがあるけれど愛情のない相手には、ただただおぞましく、おぞましく思う自分もまたおぞましく思える作業だった。この作業、今この時も、際限なく請け負っておられる介護者が多い中私はギブアップです。週末、舅を同じ施設のショートに一泊させて、夫婦共にすごす時間を持てればと思っていたけどようやく少し施設での生活になじんだかに見える姑のためには粘着体質の舅の存在は問題視されており金曜日の通院に合わせての一時帰宅も、今週末の舅のお泊りも、再考する必要があるのではないかと、先ほど副施設長から連絡があった。何としても二人一緒に過ごさせてやりたかった実両親の場合とは違い、私は労力を割く気はない。明日舅を説得することになるだろう。この作業、トドに振ろう。
2008年09月03日
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女ができた、と言うなら話は早いのだけど(笑)昨日の日曜日、最後の夏の社中親睦会がありトドとPさんは宴会付きお仕事。この数年、この催しに私が全日付き合うことはなく、朝の設営と着付けを終えたら引き揚げることになっている。それはこの数年の実義両親(Pさんを除く)の介護のためであって、宴会の終わりごろに荷物を引き取りに行くのが常。この日曜日もいつものように、朝の設営と着付けを終えて引き揚げた私は、Pさんの自宅へ行き、いつものことながら洗濯途中のものを干し(なぜか、出かける日でも洗濯機を回すPさん、当然のことながら途中で出かける時間になり、洗濯物は洗濯機に張り付いたまま数時間経過することになる)そのまま昼食を終えたママさんを迎えに行って、一緒に姑の施設へ行った。相変わらず口は達者なママさんだけど、姑のところであったラジオ体操には、ママさんは全然ついていけないのだった。姑は上半身は指導しておられる方の通りに動くことができ、今更ながら難病さえなければ、骨折さえなければの思いが渦巻く。ママさんの身体能力が衰えていることを如実に感じてちょっとショック。やっぱりお散歩に出かけないと・・・しばらくは毎日というわけにはいかないけど、また夕方のお散歩を再開しようと思います。施設のおやつの時間には、あたりまえだけど訪問者にはおやつは出ないので(*^_^*)失礼してママさんとお茶を飲みに出かけ、グリーンティを飲んだ。例によって「久しぶりだから美味しいわ~」との歓声とともに、お茶の時間を楽しんでくれるママさんやっぱりかけがえのないありがたい存在。おやつを終えて、姑の所へ再び戻ったら、熱があるとか・・・聞けば眠りたいという意思表示もあるので、お布団に横になりアイスノンをいただいて冷やしてもらうことにした。そんなこともあり、少し早めに施設を辞してママさんを送り届け、夕食のサポートを少ししていったん自宅へ戻った。ママさんはやっぱり・・・左手を使うのを忘れて食べてる。左手も使って食事をするように促していたけど、ほぼ二カ月近くサポートできてないもんな・・・な思いが渦巻いて、申し訳なさに泣きたくなる。実義ともに残存能力をいかに温存するかは、大切なポイントだけど悪いけど義母のそれに割く時間は、私にはあまりないように思える。何よりトドが、これ以上の機能回復を望まないのでもあるし・・・来週から週末はPさんがショートステイに入り、お部屋は別だけれど、土日は夫婦共に暮らせることになる。Pさんは日帰りの一時帰宅を望んでいるけど、Pさんのみの家に帰せる状態の姑ではないので、帰宅にはトドの日程調整が必要だということだ。入院期間中に、一時帰宅を二度試みた。一度目はトドも共にすごし、二度目は私だけが付き添っての帰宅で、それはそれはヘビーなものだった。Pさんと姑、二人の憩いを提供する気力はもう私には残ってない、今後あるとすればトドも同行できる日が条件。すこしづつ、手のかからない方策を講じている、そんな私は鬼嫁(笑)なのだけど日曜にあれこれ終えて、宴会の最後に顔を出したら、多くのお弟子さんから「若先生がうちの女房は出来た女で」とほめていたとのことお弟子さんたちの大半は嫁の立場、姑の世話をしている私を、自分に重ねてねぎらって下さる。そんな方たちに私を「出来た女」と感謝して見せることも、仕事のうちか、本音か・・・。外堀を埋めたつもりか?(笑)改めてトドに、今後のこと、と切り出してみたらとりあえず今の仕事が終わってから考えるといいつつ、出来ればこの先もともにと拝まれた。先ほどコメントにも書いたけど、仏の顔も三度、鬼嫁の顔は何度拝める?(笑)確かに仕事も次々片づけなければならず、とりあえず十月の社中会待ち?((+_+))親戚の方々に姑の施設入りを知らせよと、その役割を振ったところ、一応数名の方々にトドが知らせてはいる様子その言葉の中には「ポポ子は反対したんですけど僕が決めました」な発言はありながらその理由は「ポポ子の負担が大きすぎて」わたしかい?なにかすっきりしない一抹の不信を覚える。明日も姑の熱が下がらなければ、摘便を試みるべきだろうか・・・入院中数度、実施済みだし(-_-;)いやだなと思っていたけど、発熱でお風呂に入れてもらえないので、今日は全身清拭してきた。こうやってなし崩しに、義両親の体に触れることも、本来はとても嫌なことなのだ。めんどくさいから女作ってくれ~(笑)
2008年09月01日
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と書き込みかけたら姑のショートから電話…発熱だって…ちょっと行ってきます(>_<)
2008年09月01日
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