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皆様こんにちはもの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。昨日の愛媛新聞、1面にJ民党の地方組織だったっけか?そこにアンケート結果がのっていて32名のうち20名が「裏金議員やむなし(OK)」と回答。「裏金議員はダメ」という12名を上回った。という報道がありました。ふむ、J民党を支持する組織の60%は裏金OKという認識なのですね?くしくも XではJ民党総裁候補の林芳正氏が党規則を破り、別の人のチラシの裏面に出ている。という問題が取り上げられていてそこここで、J民党とその支持者の考えが透けて見えます。一言でいえば、彼らは「どんなルールも守らない人たち」なんじゃないですかねぇ?金でもみ消し、無視、邪魔者は消せ状態。公権力の座につかせてはいけない輩なのでは???・・・・・あぁ、それでいくらでも税収が増えても「まだ足りない」ってやってんだ。・・・そりゃそうですね、悪事の火消しと口止めには金が要る。でも口止めする奴も、いい奴じゃないからどんどん要求がエスカレートする。この無限ループ。自分の私財(ポケットマネー)でやれ!税金を使うな!マジでそう思いますよ。・・・ムカつく。そんなことのために税金払ってるんじゃないっすよ。それに前後してこのニュースですよ。 NHK:2025年9月26日 19時44分去年の政党交付金 総額369億円 衆院選行われ 前年比100億円増去年1年間に使われた政党交付金の総額は369億円で、衆議院選挙が行われたことから前の年より100億円増えました。政党交付金は、法律に基づいて届け出をした政党に対し、国会議員の数や国政選挙の得票に応じて交付され、去年は10の政党にあわせて315億円が交付されました。各党の報告をもとに総務省が去年1年間の政党交付金の支出状況をまとめたところ、総額は369億円で、前の年より100億円、率にしておよそ37%増えました。これは、去年10月に衆議院選挙が行われたためで、このうち公認推薦料などの「選挙関係費」は81億円で、大型の国政選挙がなかった前の年の5倍以上に増えています。支出の総額を政党別に見ますと、▽自民党が199億7900万円で最も多く、次いで、▽立憲民主党が68億7500万円▽日本維新の会が40億1500万円▽公明党が31億5100万円▽国民民主党が13億7300万円▽れいわ新選組が6億4100万円▽社民党が3億8900万円▽参政党が2億7900万円▽政党助成法上の政党要件を失っている教育無償化を実現する会が9200万円となっています。▽去年の衆議院選挙の結果、交付の対象となり、届け出を行った日本保守党は支出がありませんでした。 ↑支出がないってことは、そのまま懐に入れれるってこと?(by管理人)一方、▽政党助成法上の政党要件を失っているみんなでつくる党は、破産手続きが進行中で交付金の使途が記載できないとして、支出総額などを「不明」として総務省に報告しました。▽共産党は、政党交付金の制度に反対して交付を受けていません。政党交付金は、その年に使い切らない場合に基金として積み立てることが認められていて、支出が増えた結果、各党の基金残高の総額は、去年末の時点で前の年より56億円減って246億円となっています。-------------------------結局、既存政党に属してるほうが、政党助成金が入るから何かとおいしいのでしょうか?で、党議党則でしばられたため、有権者の希望は通りませんでした。っていつも言ってますよねぇ、いわゆるダブスタ議員の皆さん。J民党すら現役の重鎮議員が党則破ってるのに、有権者に対してだけ守ってるふりするのやめてください。政党助成金の出どころも私たちの税金。こんな茶番国会に出す金はないです。
2025.09.30
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。ここ何回か、地元の経済週刊誌の連載で新しく見つかった終戦時の庶民の日記を紹介しています。その中には、アメリカの貨物機?が、U市上空を飛行中に、エンジンが片方故障し、このままでは墜落するから積載していた爆弾を至近距離から市街地に捨て、(もちろんそれが)爆発し、多くの市民が犠牲になったのみならず、至近距離の爆発だったので遺体が引きちぎれていたとか・・・(U市街)昭和20年8月6日の広島原爆の日の当日にも、山を挟んで50キロ余り離れたI市に空襲があり、それが隣のM市から空が真っ赤になってよく見えた。なんてことが書いてあります。原爆の当日まで焼夷弾で街を焼け野原にするなど、虐殺以外の何物でもないでしょう。しかも、渡部悌治の「ユダヤは日本に何をしたか」によれば、キリスト教の牧師の中に、空襲の手引きをした日本人のスパイが数多くいたとのこと。もちろん自分が所属している組織のスパイ行為に気づいて抜けようとした牧師や、やめようとした人もいたようですがそういう人は、射殺や拷問、脅迫によって、命を落としたり、結局抜けられなかった人もいるようです。パレスチナのガザにおけるジェノサイドが止まりませんがたった80年前に 日本もこんなジェノサイドを受けていたんだ。と思うと何をもって、今 米国を同盟国だとか言えるんだ?と思います。今までやられてきたことを見ても、どう考えても↓だよねなぜ、あちこちの国を攻撃するイスラエルとアメリカを止められないのか?それはやはり、何かの思惑があると思わざるを得ません。こういうことは学校の教科書では一切教えられませんからね。でも、こういうことこそ、我々が知って、子供や孫に語り継いでいかないといけないと思います。国連での石破総理の演説は 私はいい内容だったと思います。ノーカット版で動画が出ていますのでよかったらご覧ください。(33分)Youtube 2025年9月23日国連総会で石破首相が一般討論演説また、「安保理が機能していない」「国連の常任、非常任理事国について、加盟国が4倍になったのに常任、非常任理事国を増やすべき。」(管理人要約)と、意見したことも、私は評価します。かつて、国連でここまで踏み込んで意見した首相がいただろうか?石破総理は、演説の中で「リベラリズムとは「寛容」である。」と述べています。(webllio辞書より抜粋)寛容とは・・読み方:かんよう寛容とは、広い心をもち他を受け入れるさま。具体的には、自分とは異なる意見や価値観を安易に拒絶せず許容しようと努めたり、他人の失敗や失礼な振る舞いをことさらに咎めだてせず許そうとする姿勢などが「寛容である」(寛容だ)と形容される。寛容の意味寛容の「寛」の字には「(気持ちや心が)広く大きい」という字義がある。「寛容」の他に「寛大」「寛恕」などの語で用いられている。寛容の「容」は「容れる」の意であり、容器や容姿のように多種多様な字義を持つ字であるが、寛容の容の字義は「許す」「咎めだてしない」といった意味合いと捉えられる。「容認」「許容」「容赦」などの「容」の字義もこれに該当する。これ、よくよく考えたほうがいいですよ。少数派でも権力を持てば強者になります。自分たちだけ、仲間だけよきに計らおうとする姿勢は、公にあってはいけない。憲法では「政教分離」が規定されてますよね。そして憲法順守義務は国務大臣、裁判官、国会議員、公務員、警察、天皇などの公権力者側です。軍艦島を強制労働として国際問題にしたのは、当時外務大臣のキッシーでした。何かとひどい言われようの石破さんですがこの演説については、正論を堂々と述べていると思います。現在進行形のイスラエルと米国のガザ地区虐殺と海洋油田の窃取。米国からの指示通りに日本を売ってきた自民党の政治家と官僚には一生できない演説だと思います。それに比べて、次期総裁候補5名のちっちゃいこと。何も見ていない、自分と党の保身だけ。裏金と統一教会が問題なのに、それについてはノーコメント。まあ、全員、米&中&カルト宗教のひも付きだから仕方ないか。だから麻生派の、異端児、石破さんは邪魔だったんですよね。何度でも言う。「与党つぶれればいいのに。」
2025.09.29
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。AIの学習と進化がめざましいようです。日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字(音読み・訓読み)、特殊な読み方があってそれらが今まで詐欺メールの障壁となっていましたが昨今のAIの学習と進化のスピードが、それに追いついてきたようで昨年末頃から一気に、スパムメール、詐欺メールが増えました。会社のメアドにくるメールの98%がそれです。(うんざりです)仕分けルールを作ってもイタチごっこで、ルールを作りすぎるとメールソフトがバグるというおまけつき。クロネコヤマトや佐川急便、ゆうパックはもちろんのこと国税局、NHK、ETCカード、税務署などなど、公機関を騙ったものも山ほど。遂には、ジャストタイミングで「国勢調査」までかたり出しました。先週くらいから↓こんなメールがやってきます。これ情報窃取の詐欺メールですからね!!騙されませんように。★国勢調査のインターネット回答期限は 10月8日です。本物の国勢調査は、ログインIDやらアクセスキーやらがありますそもそも個人のメールアドレスがわかるわけありません。早く回答を提出したからって、何かもらえるわけではないです。家族の代表者が回答しないといけないわけでもありません。・・・私が気が付いたツッコミどころはこの辺でしょうか・・・。国勢調査のネット回答は、ポストに入る 国勢調査の封筒の中身を見ないとわかりません。(そもそも、そのネット回答こそが、ビッグデータになるので、私は用途が気になりますがね。)えーと、こないだうちから見てると、欲張りさんが釣られそうな内容が多いですね。ここは、落ち着いて「小さいつづら」を選ぶ方がよさそうです。(わかるひとにはわかる「舌切り雀」の昔話www)あと、スマホの小さい画面で色々されている皆さん、こういうものは大きい画面で、よくよく確認したほうが騙されにくいのではないでしょうか?
2025.09.24
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皆様こんにちはもの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。物価高で、毎日のご飯に頭を悩ませる奥様、たくさんいらっしゃると思います。日用品もかなり値上がりしましたね。育ち盛りの子供がいれば、ご飯の献立に頭を悩ませるのはなおさらだと思います。食べること、暮らすことは生活の基本ですから、なかなか難しいですよね。政府は「賃上げ」と言いますが今の人手不足の元凶は、「賃上げしても税や社会保険料の負担基準が昔のまま」という現状にそぐわない規制だと思います。東京都の小池都知事風にいうと「ガラスの天井」でしょうか。例えば、年収103万円の壁の人がいたとしましょう。時給900円だと1,144時間働けますが、時給1,100円だと936時間となります。ところが時給が上がったところで、業務量はそうそう変わりませんから、金額に反映されないサービス残業をする他の人にツケを回す会社でDXや業務分担を見直し、活用して、時間内でおさめるちょっとの時間で同じくらい稼げる仕事に転職(待遇のいいところに転職)この4択となります。会社として辞められると困る人材ならば、望ましいのは③ですけど、中小企業だとなかなかそこまで進んでいないのが現状ですね。④のように「103万を超えても働けばいいじゃないか」と思う方もいらっしゃるでしょう。実際、政府はそう考えているようですし、そう考える人は、社会保障を考えて早々に正社員に転職活動もされてたりします。でも、そうじゃない人もいるんです。例えば、昨今、働きながら親の介護をするビジネスケアラーの増加が問題になっています。県外に実家があれば、帰省して介護・・・となり、役所や病院が開いているのは平日ですから平日に連休を取って介護や病院に付き添うことになります。そうなると、周囲でその穴埋めができないといけません。(理解のある職場も増えてきているようではありますが)病院からの急な呼び出しや、各所との打ち合わせもあって、1回かかってきた電話で30分、1時間と時間を取られることもザラです。・・・とはいえ、帰省費用や、入院中の日用品や消耗品等々、介護にもお金がかかるので、仕事をやめるとキツイのも事実。育児をしながらのパートタイマーもそうです。学校行事への参加や、子供の急な病気やケガもあり、その都度対応できないといけません。正社員で出張がある仕事は難しいでしょう。例えば、旦那さんの配偶者特別控除の金額。トータルで考えたら不要範囲内の方が得だとかパートに毛が生えた程度の収入ならば、手取りと社会保障費負担の逆転現象もありますよね。そんな訳で、パートで働く人は、パートでいたい理由もあるのです。解決するには、国会議員と同じ年収4000万円まで非課税でいいんじゃないですかね?以前、このブログで、国会議員の年収は総額4000万円なのに、所得税は基本給与を最低限にしているせいで2000円~3000円/月、後はほとんど手当なので税金を引かれない。・・・という内情をばらしている税理士さんのツイートを取り上げました。それと一緒にしたらいいんじゃね?賃上げは必要ですが、それよりなにより減税です。ついでに言うなら、外国人の土地登記を日本人同様、義務にすべきです。そして、マイナンバーで管理し、固定資産税を納めさせるべきです。インバウンドの免税も要らない。日本に来られるんだから、日本での消費もきちんと税金払うべきでしょう。こういう、国民逆差別のやり方を長年、日本の立法と行政がしてきたのです。よくそれで「民意」だの「公」だのと言えますね。公と民の働きの違いが理解できてない人、こういう矛盾に気づかない人は公務員になったらダメでしょう。就職で家を出た子供が、「仕事が終わって帰宅したら、あったかいご飯ができてて、 お風呂に入ってすぐ寝られたら、翌日、分かりやすく調子がいいんよ。」と言っていました。専業主婦が無能だなんてとんでもない。仕事に集中するには、それ以外のことを任せられる誰かも必要なんです。そうそう、手続きで気が付いたことなんですけど夫婦2人共働きで、厚生年金かけていて、年金生活者になったとしましょう。厚生年金に加入していた夫が死去したら、妻には遺族厚生年金が支払われます。この時に、妻が自分でかけていた厚生年金は、夫の年金から差し引かれます。年金は基本1人につき1本なので、高い方の金額が適用されます。ってことは、パートで厚生年金をかけても、正社員の旦那さんより長生きしたら、自分の厚生年金は払い損ってことになる可能性が高いのでは?だからなのか、国はお金を出したくない様子。旦那さんの遺族厚生年金は子供がいない妻には5年しか出さない。などという制度改悪がされましたね。何が女性の就業率向上だよ。女性も就業しないと夫婦で子育てしながら生活していけないくらいにまで生活水準落としたのは誰の責任だよ?その反面、今まで遺族年金がもらえなかった60歳未満の男性も年金をもらえるようになりました。うーん、どこがプラスでどこがマイナスなのかはよくよく吟味する必要がありますね。参考までに、この制度についての説明は↓のサイトをご覧ください。(東証マネ部)改正内容をめぐる誤解も多い遺族年金改正で損する人が増える?「5年打ち切りで改悪」の指摘は正しいのか今の自分の私見としては厚生年金を負担して、将来もらえる年金額を増やすという選択は女性のおひとり様だったらもちろん意味があると思います。でも、夫婦で、夫がサラリーマン、妻がパート勤務だったら、時間と収入のバランスをよく考えたほうがいいかもしれません。私は、自分に残された時間が残り少ないので、どうなるかわからない未来のお金より(貨幣価値も変わりますよね)無理のない範囲で老後の準備もしつつ、残された時間を大切に過ごします。働きながら親の介護をして1年余りたちますが、土日の休みがつぶれて、常に全力疾走しているのが時々しんどくはなりますが後悔はないです。特に親の病院付き添いは大事です。もし、できるなら、できるだけ付き添いをしてあげたほうがいいです。親の病状が変わって、転院やリハビリになった時、先方に必要な情報を伝えられるのは子どもだからです。そのためにも普段から親子でもしもの話し合いについてはしておくことをお勧めします。今も、親に何かあったら、仕事を辞める覚悟はしています。仕事は代わりがいますけど、(それを考えるのは会社ですけど)家族にとっての自分には代わりがいませんので。なにより、自分が後悔なく見送りたいんです。親にとっての最善を見つけてあげれたらなぁと思っています。結局のところ、最後は自分の気持ち次第なのではないでしょうか。どなたさまも、限りある自分の時間を大切にお過ごしください
2025.09.19
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。「日本経済の死角」という本を読んでいます。(子供も電子書籍で読んだらしい)あ、経済学的にはなかなか面白いと思うので、読んでみるといいと思います。グラフもわかりやすいですし。税金や社会保険料が高額なのに、こんなに還元されない、我々が還元されていると実感できない国は、ホントないと思います。一体どこに流れてるんでしょう? 私達の税金。もう、「自己責任」とかいうレベルじゃないですよ。物価高で、優先すべきは日々のご飯・・・つまり食費ですが家計に占める食費の割合を示すエンゲル係数が、半世紀のオイルショック時(昭和40年代)まで上がってるのに、みんなよく我慢していますね。お米の価格高騰が一番わかりやすいですが、加工食品にとどまらず、魚や野菜の農産物も価格高騰は止まらず、節約と満足のバランスをとる日々です。(基本、外食しないので、そういう点ではいい食生活できてると思います)「やせ我慢」でしょうか? それとも「自分は関係ないから・・・」ですか?政府や人から「自己責任」と言われ続け、「自分は関係ないから」と大多数の人が聞き流していたから・・の今の惨状なのにまだ我慢するんですか。人がいいですね。人がいいのも●鹿のうち、って言いますが・・・(口が過ぎましたwww)江戸幕府もそうだったですが、最初は頑張っていても、長年やっているとどうしても怠慢が生まれます。不正を働く者も生まれます。利害が絡むとなおの事です。そこで大事なのが、組織で働く個人の矜持なのでしょうが、残念ながら、今の日本の教育は「徳」は教えないんですよね。大人の社会でも様々なハラスメントがなくならないのに、子供に「いじめはダメ」とどの口が言うのでしょう?口先ばかりで行動が伴わないことは、子供はすぐ見抜きます。結果、表面だけ取り繕い、何も変わらない、もしくは、余計に手の込んだやり方をとるようになり、余計に悪化します。最近、「裕福な家庭なのに育ちが悪い」手合いが増えてると感じるんですがそれはこういうとこなんでしょうね。親の教育ができてないからなんでしょう。そもそも、親自身が教育できてないんでしょう。-------------------話を戻しますが「日本経済の死角」ではアベノミクスの不備を指摘していますがコロナ前から新聞のニュースをスクラップしてきた身からすると原因は一言で言えるんですよ。-----------------------戦後長年の(カルト宗教やスパイとくっついた)自民党政府のもとで、政治家と官僚&(有識者という名の賄賂元)にだけ適用される多くの利権や優遇がこっそり生まれ、「アベノミクス」を進めるにあたって国交省が、工事件数・工事金額を二重計上の粉飾決算をしたり厚労省ほか霞が関の官庁が、障碍者の雇用を水増し計上したり政治と行政が、口裏合わせて国民を騙して、予算を水増しし、口実を設けて増税してきたのです。(もちろんそこに米国や中国など、日本の資源を狙う外国勢力も跋扈している)カルト政府(政治家)が、(自分の利益のために)進めたい政策のために「公」と一緒になって嘘をつき、「一億総中流」だった社会のシステムを壊し、我々「民」が苦しめられてる。そして官公庁も政治家も、誰も責任を取らない、辞任しない、見直さない。そのまま間違った政策、嘘を根拠にした施策が継続されている。-----------------------一言でいえばこれです。今までカルト政府や霞が関がやってきたことは、民間なら即、融資停止、倒産案件ですよ。(私は「公」だろうが責任を取って(融資停止・倒産)やれ。・・と思ってますけどね)その後、官公庁が何をやったかというと・・・基幹統計29件 管理に問題 行政文書480件 同意得ず廃棄(2022.7.29新聞より)内閣府は28日、文部科学、厚生労働、農林水産、経済産業、国土交通の5省が所轄する計29の基幹統計調査で公文書の管理方法に問題点が見つかったと発表した。行政文書計約480件が公文書管理法に基づく内閣府の同意を得ずに廃棄されていた。 国交省の「建設工事受注動態統計」で不適切な処理が行われた問題を受け、内閣府が全49の基幹統計調査に関する文書の管理状況を5月17日時点で点検した。 廃棄された文書の多くが調査の元データとなる調査票で、公文書としての認識が不足していたとみられる。文書の管理簿への記載漏れについても、5省の15の調査で判明した。いずれも調査結果に影響はなく、内閣府は再発防止を求めた。いやいやいや、嘘の基幹統計の元データとなる調査票や管理簿への記載漏れとなっている元データだろ?なんで調査結果に影響がないと言い切れるんだ?証拠隠しじゃないのか?・・・で、こういうの証拠隠滅っていうんじゃないんですか?元データがなければ、嘘か真かわからないですからね。「石破が悪い」なんて大手マスコミが口をそろえて言ってますがそんなもの、真の黒幕の隠れ蓑にすぎません。マスコミもスポンサーに弱いですから、誰に言わされているんでしょう?石破さんの退陣表明は、職場で取っている新聞を確認したところ、5紙すべての1面で文言もほぼ同じでした。「ペンは剣より強し」と言い、言論のプロと思われるマスコミがそれですから、推して知るべしです。ただトカゲのしっぽ切りです。まあ、黒幕なんて絶対表に出てこないですよ。下っ端として自民党の裏番長、Aそーさんでしょうかね?それともCニーズ菅?またはZム省キッシーでしょうか?それ以外にも、ケケ中平蔵氏とか、あまたおりそうです。その後、総裁選に出馬表明した自民党総裁選の候補者見て下さい。小泉、小林、高市、茂木、林・・・みんな、ヒモ付きです。カルト宗教か米国かC、又は半島ルーツです。全員ダメ。いい加減、学習しましょうよ。国の最高法規の憲法で守られている国民主権。主権者である、国民のみなさん。カルト政府には、そっぽを向くのが正しい対応です。
2025.09.17
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。こないだうちから、親の公的な手続きに付き添って、色々とやっているのですがその中でとんでもないことがありました。来年5/26から戸籍に名前の読み方がつくことになり、今年の5.6月頃~、皆さんの家には、本籍地の首長名で「戸籍の名前のふりがな」についての通知ハガキが届いているのではないでしょうか?これ、きちんと確認されました?まだの人がいたら、今すぐ確認されることをお勧めします。戸籍の名前というのは、出生届に記載された名前(+フリガナ)なのでいわば親が正式につけた、「正しい名前+読み方」になります。それに比べて、住基ネット(住民基本台帳)の名前のふりがなは、機械が勝手にふっていくそうです。そしてチェックもされません。例えば、市役所の職員から聞いた話では「翔太(ショウタ)」→✖「シヨウタ」と大文字と小文字が間違われることや「紅緒(ベニヲ)」→✖「ベニオ」と同音文字の間違い「加地(カヂ)」→✖「カジ」等と、文字が間違われることがあります。で、問題なのはここから。各種公的な登録では、名前のふりがなだけが違っていても「データ相違」で引っかかり、手続きができません。うちの場合は、住基ネットと戸籍で、名前のふりがなが違っていたことが、手続きの最終段階で発覚し、それまでの記入した書類等々一式が、ふりだしに戻りました。先に市町村役場で、フリガナをなおしてもらって(更新に1週間程度かかるそうです)からの再チャレンジとなります。ハッキリ言いますが、このことに関して、我々に非は一つもありません。100%行政の過失です。住基ネットの名前のふりがなが違うだなんて、運用されてから今まで、十数年、全く知らなかったんですから。※住基ネットの登録が間違っていた場合、住所のある市町村役場に相談し、フリガナの届け出をし、まずは戸籍と住基ネットのふりがなの統一をしなければ、その先に進めません。フリガナの通知はがきで、相違がなければ、来年の5/26以降名前のフリガナが登録されますが別件で手続きをされていて、「来年まで待てない。一刻も早く訂正したい。」という方は、役所でフリガナの受付窓口がありますから、お時間あるときに、そこへ行って申請するのが一番早いです。本人確認のため、写真付きの身分証明書(免許証・マイナカード・パスポート)や、お手元にあれば、フリガナの通知はがきが必要となりますのでお忘れなきよう。念のため、先に役所に必要なものなどを問い合わせておくのも一案です。行政の怠慢なんて今に始まったことじゃないけどこれでよくも仕事していたなんて言えますね
2025.09.16
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皆様、こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。「優しい」という”呪縛”について話をして、なるほどと思ったので、ちょこっと話しさせてもらいます。私は、「優しい」などと言われたことがないのでw、正直こんなこと↓、思ってもいませんでした。---------------------「優しいねー」と言うのは、大人が子供に対してよく使う褒め言葉の1つではないでしょうか?例えばおもちゃを譲ってあげた時、何かを人にしてあげた時・・・etcでも、この「優しい」という褒め言葉、一歩間違うと「呪縛」にもなるのです。「優しいねー」と言われ続けたある子は「いついかなる時も、誰に対しても優しくあらねばならない。と思って、しんどかった。」と言いました。以下、その子の話ですが、「優しいねー」としか褒められてないと、自分は優しくなければならない。と思い込みがちなんだそうです。本人に接する時間が多い親や祖父母が言うのはOKだけど、例えば盆正月にしか会わない親族やら、クラスの友人やら、先生やらが「優しいね」とほめるのは要注意。実は本人は譲りたくなくても、「自分には”優しい”しか取り柄がない」と思って我慢して譲ったり親切にしてる場合があるからです。そうなるとストレス溜まるわなー ⇒たまったストレス、どこかで発散せなならん⇒本当は嫌でも「自分は優しいんだから」という葛藤が生まれる等々のよくないループ。その子は、それがもとで 心のバランス崩しました。けど、その中で悟ったみたいデス。(時と場合によるけど)「嫌なら嫌でいいんだ」「譲りたくなかったら譲らなくていいんだ」と。これ、長男長女に多いんちゃいます?「(お兄ちゃん・お姉ちゃん)なんだから弟妹に優しくしなくちゃ。」・・・いや、好きで長男長女に生まれたわけちゃうけど。お父さんお母さん、祖父母の皆さん、そんな言い方してませんか?子供をほめるときは「優しい」だけじゃなく、そのほかのいいところもたくさん見つけてもっとバリエーション豊かに、面白く、大げさに、褒めてあげましょう。もれなくハグつけてもよし!!・・・かと言って、うちみたいになんでも面白がってたらそれはそれで、ほめてると思ってもらえないようですから、うーん、褒めるって難しい・・・。ただ、私が言えるのは、いじめの加害者は許さなくてもいい。(一生許さなくてもそれはそれでいい)嫌いな人は嫌いでいい。やられたことを同じようにやり返すのもアリ。ってことでしょうか。そもそもおかしいんよね。前から言ってますがいじめの加害者が普通に進学できて、いじめの被害に遭って登校できなくなった子が希望の進路に行けないのって。そんなんどう考えても加害者が悪いやん。指導すべきも、リスクを背負うのも、加害者側が負うのが筋。優しい子が心を病む前に、こういうのこそ、毅然と対応せなならんと思います。「自分に非が無くて、いわれのないことで攻撃されるのであったら、毅然と言いたいことを言い、やられたらやり返して構わない」・・・とうちでは教育してきましたが、そういうのもあっていいんじゃないですかねぇ?
2025.09.08
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。この休み、リビングの片づけをしていました。スクラップ記事を再選別して、半分近く処分しました。スクラップ自体は、主に2020年以降のものが大半です。全部捨ててもよかったのですが、将来、孫ができた時、コロナでどんなパニックが発生し、国や政府がどんな手を用いて国民を騙し、圧力をかけ、恐怖を煽ったか(今もやってますけど)記録になるだろうと思うので、当面置いておこうと思います。(いい資料になるでしょう)例えば、私が持っているP社の副作用事例集はA4で29ページになりますし、初期の厚労省のワクチンの会議などの議事録やワクチンの特例承認報告書もあります。あの時、コロナで、マスクやワクチンを打ってない人が、組織や地域社会から旅行できないとか、旅館に泊まれないなどの仕打ちを受けたり、会社や学校の集団接種で、組織的に圧力をかけられたことが少なくありませんでした。やったほうは「仕方なかったんだよ」「みんなに協力するべきでは?」と言い訳するかもしれませんが、やられた方は忘れません。いじめと同じです。加害者は忘れても、被害者は忘れない。そのうち、色々つまびらかになった時、相応の報いがあるでしょう。さて、余談は置いといて、コロナの前後、世の中は第2次安倍政権から菅政権、岸田政権までの社会の移り変わりをスクラップを見ながら、反芻しました。その中に、令和4年9月の新聞に出ていた、曹洞宗の住職の話を取り上げます。当時、安倍総理が奈良で演説中に銃撃を受け、亡くなってから2ヶ月余たった時でした。令和4年 9.22 読売新聞「信じても 頼ってはダメ」 曹洞宗 禅僧 南直哉さん元首相が銃撃されて死亡した事件後、漠然と考えていたのは政治と宗教の本質的な近さだ。いずれも人に働きかけるという意味で、精神的にも物理的にも暴力的な側面を持っているのではないか。 政治は人々の暴力的な情動を管理し、権力を正当化するために教育をする。民衆に浸透させる点では、ある教えや価値観を信じさせようとする宗教にも通じている。理想とする社会を作ろうとする志向が強まると、宗教は政治的な動きを始め、過去には暴力を用いた歴史もある。政治も宗教も、自身の正当性を担保し、理想の社会を実現するため、力を利用することもある。潜在的に相互依存しやすい。(略)高度経済成長期には、日本社会の中に「成長」という一定の方向性があった。だが、長期停滞の時代に入り、経済不安の中で人間が貧困や病に襲われたとき、なぜ こんな思いをして生きなければならないのか。と思うこともあるだろう。豊かな生活をしていても、老いなどの不安を抱えている人もいる。不安や貧困の中でむき出しになった人間の心にカルト教団はつけこんでくる。 信じることは、「賭け」だ。捨て金になるかもしれないが、気持ちのために祈る。超越者と人間の等価交換ではない。カネをかけると、神様、仏様から相応のものが返ってくると考えるのは「取引」だ。これが行き着く先は、「このままだと地獄に落ちる」「先祖がたたっている」と、高額なものを売りつける偽の宗教になる。人間の生と死の理由なんてわからないのに、そこに理由を与えて根柢の不安を拡大させてくる。宗教は物事を解決するものだと捉えない方がいいと、私は考えている。信じるのは構わないが頼ってはダメだ。どんな教えも真に受けてはならないと、自分の説教では言っている。苦しくても、生きられるようにするのが宗教の役割。「問題は解決しないけど大丈夫だ」と。宗教は杖にはなってもおんぶはしてくれないものなのだ。 教えを丸呑みすれば楽になると思ってはいけない。問題の解を全て相手に任せるのは仏教的ではない。仏教もまた諸行無常なのだから。 宗教を信じるならば人を見るのではなく、教えを見る。信仰には、手間がかかる。キリスト教でも仏教でも、聖書なり経典なり、まず原典を読む。安易に考えたら取引になってしまう。「真に受けるな」とは言ったが、腹に落ちる言葉だけ信じれば間違いは少ないだろう。 社会から厳しい目を向けられている宗教者は、自分の足元と原典を見直すのが先だ。信仰の基となるものを確かめて出直すべきだ。 苦しみは病気と一緒だから、かかりつけの宗教者を探すことを勧めたい。名医と同じでそれほど多くはいないし、必ずしも宗教者である必要もない。でも、生きる意味や価値を考えるとき、宗教が与える示唆はとても大きい。 宗教を信じるときに大切なのは、神や仏が真理を与えると思わないこと。切なく苦しい私に、どのように生きるのか、どうするのかを我々に問いかけていると思ったほうがいい。前も書きました。「信者」と書いて、「儲ける」となることを。何かを買えば・・・、寄付をすれば、救われるのであれば、それは宗教ビジネスです。「地獄の沙汰も金次第」と言いますが、たくさんお金を積めば極楽に行けるのなら、この世は金持ちだけしか極楽に行けなくなってしまう。それを救ったのが親鸞聖人であり、法然上人であったのでは?庶民でも、貧乏でも、寄付しなくても、果ては罪人でも「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽へ行けると説き、絶大な支持を得たではありませんか。お金は大事ですが、お金があっても心が救われなければお金はないのと同じ事です。役に立たないのですから。コロナの時、お金で買えないものの大切さを、学んだのではありませんでしたか?お金はあっても困らない。でもお金がすべてじゃない。目に見える者だけがすべてじゃない。目に見えないものが、目に見える世界に作用している。ということも知ったほうがいいと思います。「心」なんてその最たるものですよね。ま、個人的意見ですが、お金次第で変わる神様なら、私は「やっすいなー」と思います。結局、自分の欲望に忠実で、賄賂で動く神様ってことの証明ですからwww。その教えを聞いて、その経典や法話を読んで「心が救われたかどうか」「前むいてガンバロ」って思えるかどうか。・・・それが一番大事なんじゃないですかね???
2025.09.07
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。さて、いよいよ今日これから(10時から)NHKで秋篠宮家の悠仁殿下の成年式が行われます。思えば昭和天皇の大喪の礼、年号が変わった平成の即位の礼平成から令和への退位の礼(史上初?)即位の礼と見てきました。その中で、加冠の儀は初めてなので、是非見たいです。装束も楽しみです。10時からNHKで。よかったらご覧ください。加冠の儀の中継後・・・いやー、よかった。平安時代から続く皇族の成年式。装束の解説もあって素敵でした。額宛が羅とは知らなかった。なるほど、羅織の帯は夏物であるけれど冠にも使われるのね。軽くて風も通るものね。・・・てことは当時から羅織があったってことなのかなぁ。装束の文様にもひとつひとつ意味があって、なかなか奥深いなぁと思いました。
2025.09.06
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。久しぶりに本棚を整理した。家人は、本棚を見るたびに「そんな古い本、不要なんだからもう捨ててしまったら」というのだが私は年に1.2回見直して、都度分別している(一応、見直すたび、不要と思う本は捨てている)その中に、子供たちが中学・高校に行っていたときの教科書がある。国語・数学・化学・社会科要領などである。普通の本と違ってこれらは、自分の意図しない話が載っているのがいいと思う。国語なんか特に、思いがけないところからいい話に出会うのである。その中から、これは・・と思うものがいくつかあったのでここで紹介させていただくことにする。「誰かの代わりに」 鷲田清一より抜粋・編「自分にしかないものは何だろう」「自分には、他の人にないどんな能力や才能があるだろう。」こんな風に考えたことはありませんか。「自分とは何か」という問いは、哲学者や思想家などによって、昔から繰り返されてきました。しかし、今はこの「自分とは何か」を、哲学者や思想家だけでなく、10代の若者から中高年まで、世代を超えて、誰もが問わすにいられない時代であると思います。 その理由として、今の社会が、これまでの時代に比べ、個人により大きな自由が保障される社会であるからだということができるでしょう。自分の意思で自分の人生を選び取っていくことを理想とする社会。何にでもなれる可能性のある社会。しかし、個々には自由があるからこそのしんどさがついて回ります。何にでもなれる社会。これを裏返していえば、その人の存在価値は、その人が人生において何を成し遂げたか、どんな価値を生み出したかで測られるようになる、ということでもあります。「何をしてきたか」「何ができるか」で人の価値を測る社会。そこでは、人は絶えず「あなたには何ができますか」「あなたにしかできないことは何ですか」と他から問われ、同時に「私には、他の人にはないどんな能力や才能があるのだろう。」と自分自身にも問わなければならないことになります。「あなたの代わりはいくらでもいる」「ここにいるのは別にあなたでなくていい」と言われることがないように、自分が代わりのきかない存在であることを、自分で証明しなければならないのです。こうした状況は、先ほどの「自分とは何か」という問いを、「こんな私でもここにいていいのだろうか。」という、何とも切ない問いへと変えてしまうしまうことがあります。 そのような問いに直面した時、私達はその苦しい思いから、今のこの私をこのまま認めてほしいという、いわば無条件の肯定を求めるようになります。何かができなくても、このままの自分を肯定してほしいと、痛いほど願うのです。自分の存在が誰からも必要とされていないこと、「お前はいてもいなくても同じだ」と言われることほどみじめなこと、怖いことはありません。だから「できる・できない」の条件を一切つけないで自分の存在を認めてくれる人、「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人を求めるのは、自然の成り行きです。 でも、これはちょっと危うい事でもあります。「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる他者がいつもそばにいてくれないと不安になるというように、自分の存在の意味や理由を、常に他人に与えてほしいと願う、そんな受け身の存在になってしまうからです。いつも他者に関心を持っていてほしい、その人が見ていてくれないと何もできない・・・そんな依存症に陥ってしまうことがあるからです。 このように受け身な存在でいては、人生で見舞われる様々な苦労や困難、社会で直面する様々な問題は何も解決することができないでしょう。私達にはそれらを引き受ける強さというものが必要なのです。 ここでいう強さのことは、今の社会ではよく「自立」とよばれます。誤解してはならないのは、「自立」は「独立」のことではないということです。「独立」は英語で「インディペンデンス」。と言います。「依存」を意味する「ディペンデンス」に、否定を意味する「イン」が付いた語で、誰かに依存している状態ではない、ということです。 でも私達は、誰も独りでは生きられません。食材を準備してくれる人(※農業や漁業従事者、畜産など)、看病をしてくれる人、手紙を届けてくれる人、電車を運転したり修理したりしてくれる人。社会の中では、数えきれない人たちが、互いの暮らしと行動を支え合って生きています。お金があれば独りでも生きていけるじゃないかという人もいるかもしれませんが、お金があっても、それが使えるシステムがなければ、更にそのシステムを支えてくれる人がいなければ、何の役にも立ちません。 「自立」は「依存」を否定する「インディペンデンス(独立)」ではなく、むしろ、「依存」に「相互に」という意味の「インター」をつけた「インターディペンデンス(支え合い)」として捉える必要があります。いざ病気や事故や災害などによって独力では生きていけなくなったときに、他人との支え合いのネットワークをいつでも使える用意ができているということ。それが、「自立」の本当の意味なのです。困難を一人で抱え込まないでいられること、と言い換えることもできるでしょう。いうまでもありませんが、「支え合い」のネットワークであるからには、自分もまた時と事情に応じて、というか気持ちの上ではいつも支える側に回る用意がないといけません。つまり、「誰かの代わりに」という意識です。 これがおそらくは、「責任を負う」ということの本来の意味でしょう。「責任」とは英語で「リスポンシビリティ」といいます。「応える」という意味の「リスポンド」と、「能力」という意味の「アビリティ」から成る語で、「助けて」という他人の訴えや呼びかけに、きちんと応える用意があるという意味です。日本語で「責任」というと、課せられるもの、押し付けられるものという受け身のイメージが付きまといますが、「責任」というのは、最後まで独りで負わねばならないものではありませんし、何か失敗したときにばかり問われるものでもありません。「責任」とはむしろ、訴えや呼びかけに応じ合うという、協同の感覚であるはずのものなのです。「君ができなかったら、誰かが代わりにやってくれるよ。」と言ってもらえるという安心感が底にあるような社会の基本となるべき感覚です。 人には、そして人の集まりには、色々な苦労や困難があります。それらを避けたい、免除されたいという思いが働くのも無理はありません。けれども、免除されるということは、誰か他の人に、あるいは社会のある仕組みに、それとの格闘をお任せするということであって、そのことが、人を受け身で無力な存在にしてしまいます。 これに対して、私は「人生には超えてはならない、克服してはならない苦労がある。」と書いた一人の神学者の言葉を思い出します。苦労を苦労と思わなくなる、のではありません。苦労を苦労としてそのまま引き受ける中にこそ、人として生きることの意味が埋もれていると考えるのです。苦労はしばしば、独りで背負いきれるほど小さなものではありません。人と支え合うこと、人と応じ合うことがどうしても必要となります。冒頭に挙げた、「自分とは何か」という自分が存在することの意味への問いについても、自分の中ばかりを見ていてはその答えを探し出すことはできません。その答えは、他の人達とのかかわりの中でこそ、具体的に浮かび上がってくるものだからです。 他の人たちと関わり合い、弱さを補い合うからこそ、人は倒れずにいられます。そして、自分が存在することの意味を感じながら生きることができます。「誰かの代わりに」という思いが、余力のあるときに、というのではなく、常に求められることの理由は、ここにあります。 最後に、私が十代の頃から愛読してきたパスカルという思想家の著書「パンセ」の中の言葉を紹介しましょう。「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている。」 今の社会を生きる私たちにとって、繰り返し味わうべき言葉だと思います。著者について:鷲田誠一(1949年~)・・・京都府出身、哲学者出典:光村図書(中学3年生国語教科書)のための書下ろし--------------------私を含め、「責任」について意味を取り違えていた大人はどれくらいいるでしょう?もちろん、「責任」という言葉とその意味について、西洋社会(英語圏)のそれと、日本社会では、社会における文化的、歴史的背景によっての差もあると思います。しかし、今の「失敗を極度に恐れる社会」「失敗をとても悪い事のようにとらえる社会」においてはこういう考え方が必要ではないでしょうか。私が育児の参考にしていた、精神科医でスクールカウンセラーの明橋大二先生は子どもの自己肯定感を高めるために「あなたはあなたのままでいい」という、親の受け止めが大事だと言われていました。家庭でありのままを受け入れてもらえた子どもは、安心して外に出ていける。これは事実です。実際に成人した子供を見ていてそう思います。嫌な仕事、苦労は誰かに変わってもらいたい。そう思うのは誰しも同じです。でも、いつもそれであれば、一向に成長はなく、できないままです。いつまでも「誰かの代わりに」はなれません。「誰かの代わりに」というのは、即ち「ギブ&テイク」の精神とも言い換えれるのではないでしょうか。そこで、いつまでも「テイク」しか言わない人に対して、あなたはずっと「ギブ(与える)」できるでしょうか。(神様ならそれが可能でしょうw)この文章を掲載するために、「リスポンシビリティ」の意味を調べたところ、「責任」の他に、複数の意味がありました。↓責任、責務、義理、(具体的な)責任、負担、重荷、信頼性、確実度です。「情けは人のためならず」という言葉がありますが、誰かの代わりになることは、まさにこれで、そのときに助けてもらった人が、後日、自分を助けた人が困っていたときに「義理(恩)を返す」のは少なからずあると思うのです。また、「恩おくり」といって、まったく別の時に、以前自分が助けられたのと同じような状況になった時、助けてもらった人が また困っている別の人を助ける。という社会のいい連鎖につながるかもしれません。まずは自分の身の周り(家族、友人、職場の人)から、そして、いずれは、出かけた先で、また、困っている人を見かけた時、時間に余裕がある時これができれば、住みやすい社会に1歩近づけるのではないでしょうか。ぜひとも「お手伝いできることはありますか?」と声をかけていきたいものです。そして、自分が困った時は「○○で困ってます。」と周りに相談できるような風通しのいい人間関係を築きたいものです。
2025.09.05
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。たまたま官報を見ていて見つけました。拡大します遺伝子組み換えトウモロコシの飼料の話、事実でした。で、このコルテバアグリサイエンスというのは、ダウデュポン(合併してますがデュポン社です)の農業部門です。ダニスコもコルテバが買収した企業です。https://www.corteva.jp/who-we-are/our-history.html
2025.09.02
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皆様こんにちは。もの知らず管理人の気まぐれブログにようこそ。今日はタイトル通り食レポ2本立てです。①カルローズ米何事も試してみないと気が済まない親が「話題の?」カリフォルニア米「カルローズ」を買ってきました。・・・ということで、独断と偏見に基づき感想文を書いてみたいと思います。まず、大きさですが、粒はやや大きめで、やや長細い形をしています。因みに炊いたのはパナソニックの「ビストロ」という炊飯器。「圧力鍋で炊いたご飯」というのがウリの、割と高級な部類の機種になります。以下、私が感じた食味レポート味はアッサリです。甘み、ありません。炊き立ては、欠点がうまい事隠されますが、 時間がたつ(冷める)と食味がかなり落ちます。 「これ、3Dプリンタ―で作った?」と聞きたくなるような不味さになります。大味です。モチモチご飯が好きな方はやめておいた方がいいと思います。うーん、何といえばいいか・・・冷めると、柔らかいプラスチックを噛んでるような食味に感じました。あと、なんとなくにおいが気になる・・・。因みにこのニオイ、日本のお米からは嗅いだことがありません。(それがなおさらプラスチックっぽい)何でしょう?、土地の水や気候の関係でしょうかね?ほら、化粧品だってあるじゃないですか、白人用の処方とアジア人用の処方が違うように。それの米版なんでしょうかね?まあ今回試してみて決意はしました。↓「私は、高くても日本のお米をチマチマと食べます。」(量を減らしてでも日本のお米の方が美味しい。)②ボトルコーヒーここ数年、1Lクラスのボトルコーヒーは買っていません。・・・たまたまの、もらいものです。某アメリカ企業のコークが出しているコーヒーシリーズ(無糖)です。(某じゃないがなwww)ここのコーヒー、私は合わなくて、ほぼ飲まないんだよね。ですが、まあ今回は某有名珈琲店が監修しているので、シリーズとしてはそこそこいいのでは?と期待して飲んだところ・・・・お腹壊れました。子どもと山分けしたのですが、お茶請けでカステラとかも一緒に食べたのですが、このボトルコーヒーを飲んでいる間、親子でトイレとお友達になりました。子どもも「心当たりはコレしかないんやけど・・・」と言っておりました。まぁ、某コークのコーヒーシリーズは、やっぱり今も合わない。ということが確定しました。ラベル見たら、無糖とはいえ混ぜものいっぱいですし。(珈琲風飲料なのかな?)インスタントコーヒーもメーカーや種類を選ぶし(スーパーで置いてある”ネス●”や”AG●”は受け付けない)お気に入りの豆を挽いて淹れてる身には、ボトルコーヒーや缶コーヒーは受け付けないらしい。ロブスタ種のコーヒーは胃が気持ち悪くなる。高くともアラビカ種が多いコーヒー豆を買っている。まぁ、贅沢とでも何とでもいっておくれ。誰に何と言われようとも、私は「美味しいものをちょっとだけ食べる方がいい。」という人間のようだ。何より満足感が違う。たくさん食べる人は、大食漢もあるかもしれないけど本来なら食べる(摂取)ことで補う栄養素が食べても食べても欠乏している。(つまり、食べ物を食べても摂取できてない)・・・ということもあるのではないだろうか?経験上、ちょっと偉そうに言わせてもらうと、本物(純度が高い)だと、ちょっとの摂取量でも満足感があります。偽物だと、摂っても摂っても、足りない感じがする。例えば、砂糖なら、白砂糖は時間がたつとまたほしくなる、麻薬のような中毒症状が出るけど、自然の黒砂糖だと、ほんの一かけらで、なんか満足する。これは黒砂糖には塩気もありつつ、様々なミネラルが含まれているからではないかな。と思うんですよね。それが味わいとなり、濃い味となる。普段の生活から改めると医者いらずになります。(たぶん)以上、独断と偏見の食レポでした
2025.09.02
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