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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
仙石原から帰る途中、小田原城に花見に行ってきました。
小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と
言われています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、
関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて
城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に
発展していったようです。
江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、
その家臣大久保氏を城主として迎えたとのことでした。
昔城内に小学校があったとのことで名付けられた赤い欄干の橋である
『学橋』を渡って城内に入りました。


階段を上がっていくと大きな黒い門が正面に現れました。
これは小田原城の城門の中でも、最も大きく堅固に造られていて、
常盤木門(ときわぎもん)と呼ばれているとのことでした。
記録によると江戸時代初期から設けられていたようです。
何度か崩壊、再建を繰り返し、現在の常盤木門は、市制30周年事業として
再建したもので、昭和46年に完成したものです。
常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、
また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、
小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたと
言われています。

ここを入った小田原城の二の丸広場では骨董店や飲食店が多数出店され、
人が溢れるほどの賑わいでした。
また『小田原おでんサミット2009』が開催されていました。
今回で5回目となるこのイベントは、「小田原おでん」をはじめに
「北海道おでん」「青森生姜味噌おでん」「焼津おでん探索隊」「静岡おでんの会」
「富山おでん」「讃岐おでん&うどん」「沖縄おでん」など全国各地のご当地おでんが
一堂に会し、ふるさと味のおでん横丁などの飲食ブースや特設ステージでの
各種ライブなどがおこなわれていました。
なぜか『静岡おでん』が超人気があり、この前には長蛇の列が出来ていましたが
その理由は解りませんでした。もちろん美味しいからでしょうが・・・・。
これも、『待ちの列を作り客を呼ぶ』と言うこの店のビジネス戦略なのでしょうか。
そして文字通り『サクラ』が多く並んでいる?のでしょうか。

小田原城の天守閣の周りには、小さな動物園がありました。
動物園には長寿日本一の人気者の象「うめ子」と、ニホンザルがいました。
この象「うめ子」は何と!私が生まれた昭和25年に小田原城にやってきたそうです。
当時3歳!!。と言うことは既に還暦を迎えています。
象の寿命がこの様に長い事を初めて知りました。
また、遊園地には豆汽車や豆自動車、メリーカップなどの遊具があり、
親子連れで大賑わいでした。

天守閣下の階段には多くの人が天守閣に登るために列を作っていました。
天守閣内部には甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、
武家文化にかかわる資料などが展示されているようです。
ちなみにこの建造物も昭和35年に復興された鉄筋コンクリート造のもの。
桜に生える天守閣です。
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報徳二宮神社は二宮尊徳翁(二宮金次郎)を御祭神とした神社で結婚式なども
行うことが出来るようで式服を着た方が何人か入っていきました。

最近復元されたようで新しく白が映える馬出し門。
馬屋・大腰掛(番所)があったとのことだ。

門の前には甲冑を着込んだ案内人が何人かおり、客と記念の写真を撮っていました。
これも市民へのサービスの一環なのでしょうか。

二の丸に戻り、桜の木の下の空いている場所を漸く探し、そこに皆の風呂敷を敷いて
ビールで花見。つまみは空いているおでん屋からおでんを購入。隣の家族の所にピザの
宅配が到着。どのようにこの混雑の中、この場所が解るのでしょうか?
携帯のGPS機能?。
1時間ほどライブをバックに酒盛りを楽しんだ『アラカン』5人組なのでした。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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