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隠居人はせじぃさん
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川見四季桜公園を後にし、坂を下り豊田市役所小原支所の隣にある
小原ふれあいの公園の駐車場に車を止めた。
既に駐車場待ちの車の渋滞が始まっていたが何とか駐車場を確保。
散策道として全長9.4Kmある「おばら四季の回廊」の内、小原役場から「泥打観音」
~「西運寺」~「市場城址」~「広円寺」~「市場三十三間堂」~「緑の公園」~小原役場へ
戻る約4キロメートルを散策することに決定。
まずは国道419号線を再び昇り『泥打観音』へ。
この観音様は昔、田んぼの中に泥だらけで埋まっていたとのこと。
大変泥を好む観音様とされており、観音様に泥をぶつけると願い事がかなうと云われ、
泥をぶつけてはお参りするようになったとのこと。当然私も泥をぶつけた。願いは秘密。

続いて右手に田園風景を見ながら歩くこと10分、「西運寺」に到着。
戦国時代の市場城主夫人の菩提寺として1580年代に建立された
浄土宗亀寿山西運寺。参道に向かう坂道の紅葉が見事。

ここの特徴は、四季桜と紅葉の鮮やかなコントラスト。参道の上下に真紅の紅葉が
広がり、層を織り成すように四季桜が重なる光景が非常に美しかったのである。

更に足を進めること5分、駐車場の入口に『市場城址』の案内板、この城は小原谷大草城
ともいい、標高380メートルの山頂にある室町時代末から安土桃山時代にかけての山城
であるとのこと。旧小原村には当時の山城が11あり、その中でもこの市場城は主城の
役割を担っていたという。

足助より移住した鈴木氏が鈴木親信(後に鱸氏と改称)の時期の1502年に市場城を
築き、市場古城より移ったもの。その後、鱸氏が徳川氏家臣団に組み込まれ、
あの本能寺の変があった翌年の1583年に市場城は大改修されたと。
1592年に鈴木重愛は改易され、市場城も廃城にされたと案内板に。
城趾頂上からの桜と紅葉である。

四季の回廊の散歩も廣圓寺にたどり着いた。正確な開山の時期は解らないが、
1508年以前に開かれたと言われていると。この日も開山500年の法要中。
1571年に市場城主鱸越中重愛により本堂が建立、本尊は阿弥陀如来像で
この時期には境内にある四季桜やモミジ、イチョウなどの色とりどりの樹木が長い歴史と
風格を持つこの寺を美しく彩っていたのだ。

そして終に最終目的地の三十三観音へ。
三十三観音は、観音さまがその姿を変えて人々を救済するというあらゆる人を救い、
人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に
表されることが多いという。

坂道をひたすら息を切らせて登りながら、駐車場に戻る。ここで簡単な腹ごしらえをして
帰路へ。女性軍を豊橋駅まで送る、途中の反対路線は渋滞又渋滞。この渋滞の列は
約10キロはあっただろうか。正に驚愕の大渋滞なのであった。
豊橋駅で3名の女性軍と又の再会を約束して別れる。女性軍の皆様からいろいろと
お土産を頂き恐縮&感謝・感謝。
豊川ICから東名高速を上る。しかし案の定、事故渋滞が数カ所、渋滞の間、Hさんに
運転を委せながら今回の錦秋の旅を振り返る。
何故か ふと大好きな日本画家 故東山魁夷のドキュメンタリー放送
「巨匠たちの肖像・東山魁夷」を思い出していた。

東山魁夷作『一枚の葉』
そしてこの彼の感動の言葉が頭を過ぎったのであった。
『私は庭の木を眺めている。いや枝に付いた一枚の葉を見ている。私はその葉が未だ
小さな芽として初めて私の眼に触れた頃を想い出す。それは去年の冬の初めであった。
今の葉のある場所には乾いた茶色の葉が着いていたのが枝を離て散り落ちていった時
である。そこに未だ小さな硬い芽であったおまえが瑞々しい生命を宿して誕生していた。
幸いにおまえは無事に夏を迎え今仲間と共に青々と茂りあっていた。私はおまえの未来
を知っている。やがて黄ばみ茶色になって一夜風が雨戸をならすと翌朝、おまえの姿は
もう枝には見られない。ただその後に小さな芽が着いているのを私は見いだすだろう。
その芽が開く頃地上に横たわっているおまえは土に帰っていくのである。
これが自然でありおまえにだけではなく地上に存在する全ての生あるものの宿命である。
一枚の葉が落ちることは決して無意味ではなく、その木全体の生に深くかかわっている
ことがわかる。一枚の葉に誕生と衰滅があってこそ、四季を通じての生々流転が行われ
る。一人の人間の死も、人類全体の生にかかわっている。死は誰しも好ましくないに違い
ないが、自分に与えられた生を大切にして、同時に人の生をも大切にして、その生の
終わりの時、大地へ還って行くことは幸いと思わねばならぬ。それは、私が庭の木の一枚
の葉を観察して得た諦観というよりは、一枚の葉が【生と死の輪廻の要諦】を、
私に 向かって静かに語ってくれた言葉なのである。』
東山魁夷 『一枚の葉・私たちの風景』 より
(もちろんこの文章をすべて覚えているわけではない。DVD録画したものを
再生⇒巻き戻しを繰り返して、ナレーションを書き写したものである。)
そして香嵐渓の真っ赤に燃えたモミジ葉と、その命を終え散りゆく枯れ葉を
思い出しながら、 翌日から再び始まる喧噪の世界と、とある現実に思いを馳せ
家路に 向かったのであった。
------完-------
牛久大仏へ(その4) 2025.11.20
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19 コメント(1)
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18