JINさんの陽蜂農遠日記

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2010.06.02
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カテゴリ: 国内旅行

江戸時代の佐倉城跡に広がる城址公園へ漸く到着。佐倉城は江戸時代初期の

慶長15年(1610)に佐倉に封ぜられた土井利勝によって翌慶長16年(1611)から

元和2年(1616)までの間に築造された平山城。

幕末期の藩主・堀田正睦は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名。

城の建物は明治初期にすべて取り壊されたが、堀、空堀、曲輪など当時の城の様子を

伺うことができるのだ。

DSC07159_R.JPG

園内は佐倉城址の名の通り?多くの桜の木々の新緑が見事であった。

これほどの桜の木々が一斉に花を開いた姿を想像してみると是非この時期に訪れたいと

思ったのであった。

DSC07160_R.JPG

園内の三逕亭(茶室)の前にはタウンゼント・ハリス像と並び堀田正睦の像が。

DSC07162_R.JPG

天守閣跡は今は何もなく広々とした広場となっていた。台所門跡から望む本丸跡。

中央左の長方形をした生垣で囲まれたところが、三重の天守が建っていた天守跡。

佐倉城は石垣のない土づくりの城で、城の防御のための土手を土塁と呼ぶのだ。

周囲は土塁でかこまれ、土塁の上には土塀が存在したとのこと。

DSC07164_R.JPG

夫婦モッコクの樹。本樹は、もともと二株植えられたもののうち、一株が夫婦モッコクと

なったものとのこと。佐倉城本丸の天守台近くにあるこの二本幹の夫婦モッコク(木斛)

には、兵士によるものと思われる「佐野」、「昭十八年十月 砲隊」などの落書きが

刻まれているのだ。

「佐野」は人名なのか「佐倉野戦砲兵隊」の略なのかは分からないとのことだが。

DSC07165_R.JPG

昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際、あやまって若君を溺れさせてしまったと

いう哀しい話が伝わる「姥が池」。

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水面の睡蓮の白い花が美しかった。

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佐倉城址公園菖蒲田には白や紫の菖蒲の花が開花を始めていた。

DSC07179_R.JPG

緑の草木とハナショウブの鮮やかなコントラストが見事であった。

DSC07181_R.JPG

DSC07183_R.JPG

約2時間強の早朝散歩であったが、佐倉市内も名所は旧堀田邸を除くほぼ全て?を

駆け足で訪ねたのであった。

午後には親戚のご主人にこの旧堀田邸と武家屋敷の中も案内していただき

多くの佐倉市内の主要観光スポットを楽しんだのであった。

今回の早朝散歩で感じたことは、やはり城下町は素晴らしいと言うこと。

我が家に客人が来られても、案内できる場所が直ぐに思いつかないのである。

先日の来客に対しても、案内したのは我が農園と養蜂場。

精々 湘南海岸と江ノ島か。そして足を伸ばして鎌倉となるのであろう。

しかし決して徒歩で見て回れる距離ではないのである。

佐倉市民が羨ましいのである。いつまでも大切に保存し子供達に伝えていって

欲しいのである。

そして次回の観光は8月7日(土)の印旛沼湖畔で開催される佐倉市民花火大会か。






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Last updated  2010.06.05 20:36:25
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