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茨城県鉾田市に出張し、同僚の車で次の訪問地勝田へ。
途中、昼食に和食店ばんどう太郎へ立ち寄る。
入り口に『福来一升餅』の案内が。
昔の日本は正月ごとに年をとる「数え年」で年齢を数えていたので、誕生日自体は
お祝いする習慣がなかったそうですが、赤ちゃんが生まれて1年目の初誕生日だけは
特別扱いで、大々的にお祝いをしていたとのこと。
この初誕生日には日本独特のお祝いの行事が伝統的に残っていて、その大部分が
「餅」を使ったもの。
数多くのやり方が地域ごとにはあるが、基本的には2通り。
赤ちゃんに餅を「背負わせる」タイプと、「踏ませる」タイプ。全国的に「背負う」タイプ
が多く、九州地方には「踏む」タイプが多いとのこと。
これらの行事に使われる餅は、地域にもよるが「一升餅」と呼ばれていると。
これは、人間の一生と餅の一升をかけて、「一生丸く(円満に)長生き出来るように」とか
「一生食べ物に困らないように」などという願いをこめているのであると。
我が孫にも1才の誕生日には・・・・・・と。
昼食は『かきみそ煮込みうどん』を楽しむ。


そして同僚の薦めで甲斐武田氏発祥の地を訪ねる。
茨城県ひたちなか市武田、陸上自衛隊勝田駐屯地の南西隅から 常磐線の線路を
挟んで向こう側に湫尾(ぬまお)神社が。


その神社の参道入口に 写真に示す石碑と 説明板が建っていた。


武田氏といえば 甲斐国の発祥 という印象があるのだが,はるか離れた ひたちなか市
(旧・勝田市)が 甲斐武田氏の発祥地とされる経緯は,下記の碑文に詳しく書かれている。
しかし 「武田信玄の祖先が常陸国の出で そこの地名「武田」をとって姓とした」というの
は全く知らなかったのであった。
武田氏の常陸国発祥説は 1960年代に発表され,現在はこちらの方が定説となって
いると。
説明版には
名将信玄を出した甲斐武田氏発祥の地
源頼義の長子八幡太郎義家の弟新羅三郎義光は,後三年の役(1083~ 1087)に際し
兄義家軍への参加や,常陸介に任ぜられて東国常陸への赴任を 通して,早くから在地
勢力と提携し,常陸大掾(たいじょう)平氏と縁戚関係を結んで,常陸進出の野望を着々と
実現していった。義光には,義業(よしなり),実光,義清,盛義(もりよし),親義(ちかよし)
らの数子があったが,まず,長子義業を,常陸国久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に土着させ
常陸進出の拠点とした。
一方,三男の義清を,常陸国吉田郡武田郷(野田市武田)に配して勢力の扶 植をはかった。
ここが甲斐武田発祥の地である。
義清は刑部三郎と称し,武田郷の地名をとって初めて武田氏を名乗り武田冠 者と呼れた。
この義清が甲斐武田氏の始祖となったのである。
「武田系図」によると,義清は上野介源兼宗の女を妻とし清光をもうけてい る。『長秋記』
によれば,大治五年(1130)十二月三十日の条に「常陸国 司,住人清光濫行の事などを
申すなり,子細目録に見ゆ」と記されている。 十二世紀初めの武田郷周辺の地は在地
豪族の間で互いに勢力を張り合っていた が勢力拡張をあせる義清,清光父子にゆき
過ぎの行為があった。
そのため吉田郡地方に隠然たる勢力をもつ常陸大掾の族吉田清幹(きよもと)らに疎外
され「清光濫行」として告発された。その結果,義清,清光父子は告発された直後,
甲斐国市河庄に配流となった。
義清の曾祖父頼信,祖父頼義,父義光と三代にわたって甲斐守に任ぜられ, 清和源氏と
甲斐とは密接な関係にあった父祖ゆかりの地に土着し,新天地を開 いて甲斐源氏発展の
基盤を築いた。名将武田信玄は義清から十八代目にあたる。
武田氏略系図
義光─┬─義行──昌義──隆義──義重......
│ (佐竹)
├─実光
│ (武田)
└─義清──────清光──信義......晴信(信玄)......

湫尾(ぬまお)神社。


本殿に近づくと火災で燃えてしまっていることを理解。


昨年9月11日に放火で 本殿・拝殿ともに全焼したと。


武田氏館入り口。


かつての武田氏館は那珂川を見下ろす武田台地の突端にあったと考えられていると。
この復元された武田氏館は、竹下元総理による「ふるさと創生事業」により、往時の位置の
近くへ建設したもの。


厩の白馬は今にも動き出しそう。


源義清、清光親子武者人形。


義清は同国内に元来強い勢力を持つ大掾氏らと争って敗れ、勅勘を蒙って長男清光と
ともに甲斐国市河荘に配流となったと。


武田義清公像。


武田氏家紋の「四つ割菱」


甲斐国市河荘までの配流ルートも解っていると。


母屋から見た入り口。


そして武田氏館の近くにの民家?真っ黒なドーム状家屋。


牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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牛久大仏へ(その1) 2025.11.17