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東丸の二階櫓。


多聞櫓門(たもんやぐらもん)を城外側から見る。
府内城の玄関口であるため大手門と呼ばれているが、正確には多聞櫓門とという名称。
昭和20年(1945)の空襲により焼失し、現在の建物は昭和40年(1965)に復原建築されたもの。


天守台(てんしゅだい・天守閣跡)・
府内城の中心となる建物として、1602(慶長7)年に竹中重利により4層式・高さ約16mの
天守閣が築かれたが、1743(寛保3)年の大火災により焼失。
それ以降天守閣は再建されることなく、現在は天守台の石垣のみが往時の面影を留めていた。
ちなみに天守台には登頂可能で、城内の様子が一望できるのであった。


天守台下の庭園と左側に人質櫓。


本丸天守台石垣から見る廊下橋。


西の丸跡から廊下橋に至る通路の間には、かつて「冠木門(かぶきもん)」という、
柱の上に横木を渡しただけの屋根のない門があり、両サイドにある石はその礎石。


再び廊下橋を渡ると松栄神社が。
松栄神社は、1729年(享保14)年に6代府内藩主・松平近儔(まつだいらちかとも)によって
近正八幡宮として現在と同じ場所に建てられ、1799(寛政11)年に松栄山(現在の大分県
護国神社の社地)に遷宮し、近正大明神となり、4年後には、栖克(すみよし)大明神に三たび
改称された。


明治になり、松栄山の名にちなんで松栄神社とし、1885(明治18年)に堀川町
に遷宮したのち、1900(明治33)年に現在の場所に遷ったっと。
現在の社殿は1968(昭和43)年に再建されたもの。


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