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隠居人はせじぃさん
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箱根駅伝の復路応援の後は、遊行寺境内の散策。
時宗の総本山で『藤澤山無量光院 清浄光寺』が正式名称。
時宗の法主が遊行上人といわれるところから遊行上人のおいでになるお寺
ということで、遊行寺と呼ばれているのです。
大きな黒の冠木門(かぶきもん=門柱にぬきをかけたもの)が遊行寺の惣門。

惣門を入った左側には板割浅太郎の墓が。

板割浅太郎は、国定忠治の子分であった。ところが、忠次が浅太郎の叔父の中島勘助を
裏切り者と疑ったとき、忠次は浅太郎の忠誠心を試すために、浅太郎に勘助の殺害を命じた。
やむなく勘助を殺害した浅太郎だったが、そのときに4歳になる勘助の子勘太郎も
殺害してしまった。
これを悔やむ浅太郎は、遊行上人の手引きにより、遊行寺で出家し、やがて遊行寺の塔頭の1つ
貞松院の住職となった。貞松院は今はなく、浅太郎の墓は現在遊行寺内の真徳院の墓地にある。

境内の大銀杏。 藤沢市指定天然記念物。
幹周:7.1m、樹高:16m、樹齢:300年~700年.この大イチョウは雄株。
かつては樹高が31mもあったが、 昭和57年(1982)の台風で上部が折損してしまい、
繭玉のように横に広がった樹形となったとのこと。

本殿には多くの初詣客が。

宗祖一遍上人像。

境内にはたくさんの出店が。

中雀門。

鐘楼。

本殿へと続く立派な回廊。

回廊の隅の建物。

宇賀弁財天は開運弁財天ともいわれ、俗に銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の
人々に信仰されたと。現在でも銭を洗うことによって、財福を招くと信仰されているとのこと。

中雀門をくぐった先は本坊。

宝生池。
案内板には以下のように記述されていた。
この池は一名「宝生の池」とも称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」(元禄七年十月)の
日記によれば、金魚・銀魚等を放生せんと思わば、清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、
かつ放生の際は、その員数をしるし、目付へ届出づべし。
古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと
長寿を保つとされている と。

野鳥ものどかな正月か。

池の中の小島には祈りの像が。

遊行寺宝物館。
時宗美術とも言うべき、仏教美術を中心とした絵画・彫刻・陶磁器・工芸品・書跡・典籍や、
関連する中近世文書など、約二万点の収蔵品があるとのこと。

特別展 遊行寺の名宝が開催中。

そしてこの日はバスにて帰宅。
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