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隠居人はせじぃさんComments
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直ぐ先左側にあったのが真言宗密蔵寺。

真言宗大覚寺派の寺で宝盛山薬師院密蔵寺と。
相模国準四国八十八箇所のうち十七番札所。
鎌倉時代末期に有弁僧正によって開山され、何度かの火災に会ったが、
江戸時代に良忍上人によって再建されたとのこと。
本尊は創建時から薬師如来だが、本堂に祀られている愛染明王の方が
知られているのだと。
蜜蔵寺寺号標石

青銅製の「親子の愛情像」。
実はこの寺のみふじ幼稚園に妻は幼き頃通っていたのだ。

「相模国弐拾一ヶ所 十七番」と刻まれた石碑。

南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と刻まれた石碑の横の庚申塔。

これも庚申塔。

庚申塔と刻まれた古そうな石碑。
石碑の下には三猿が。

本堂。
この中には、本尊「愛染明王」が祀られているのだ。

本堂横には、弘法大師「南無大師遍照金剛」の立像が。
脚の下の台には、四国八十八箇所の砂が納められているのだと。

桂の木「愛染かつら」。
「愛染かつら」は、川口松太郎の昭和12年の小説を映画化したもので、金持ちの医師と
看護婦の叶わぬ恋物語。二人が桂の木の前で、願い事を書いて木に結ぶと叶うと聞いて、
願いをかけた。この映画に小暮美千代が出演しており、かつて小暮美千代は、
江ノ島カーニバルのお芝居に出演していて、その時密蔵寺に泊まっていたとのこと。
そこから、密蔵寺本尊の愛染明王を奉るご本尊の前に桂の木を植え、命名したのだと。

「記念植樹 愛染かつら 小暮美千代 昭和三十二年四月二十二日」と札に。

境内左手には六地蔵が並んでいた。
六地蔵の後ろの銀杏の木も立派。

六地蔵の隣には、小さな弘法大師の石像が26体鎮座。
四国八十八ヶ所巡りの大師像を大正時代に実現しようとして
関東大震災で頓挫した名残りとのこと。

如意宝珠。

富士見大師。

門前の江ノ島弁才天道標。

密蔵寺の先三叉路の側面に「左ゑのし満遍」と彫られた庚申供養塔。

左手に並立した江の島弁財天道標。

本蓮寺(ほんれんじ)参道が左手に。

本蓮寺門前の西行もどり松。

本蓮寺は片瀬にある日蓮宗の寺院。山号は龍口山。龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。
本蓮寺寺号標石。

参道沿いには美しい白壁と曲線美の石灯籠が並んでいた。

冠木門(かぶきもん)の総門の傍らには鎌倉殿(源頼朝)が馬を繋ぎ止めたという
伝承にちなんだ「駒繋の松」の案内立札が立つ。
戦前までは樹齢数百年の老木があったと。

寺伝では創建は推古朝のころ義玄和尚によって開山され、三輪寺と号したと。
手前の石橋は1800年(寛政12年)に架けられたと。

本蓮寺山門。

本蓮寺脇門から入った右手には庭園が。

手水舎。

1931年(昭和6年)再建された本堂。
推古天皇3年(595年)義玄が創建し、その後真言密教の寺院となったと伝わる。
元暦元年(1184年)に、源頼朝が源立寿寺として再建したのち、文永8年(1271年)、
日蓮が龍ノ口法難の後、休息をとったという伝承が残る。嘉元年間(1303年-1306年)頃、
日秀が日蓮宗に改宗し現在に至るとのこと。
明治19年まで住職がいなかった龍口寺の輪番寺の一つ。
境内の石畳の周りには竹製の行灯もあるので夜間が見どころ?

同じく1931年(昭和6年)再建された鐘楼。

本堂裏稲荷山中腹には、1989年(平成元年)建立した多宝塔が。

本堂横の五輪塔。

本堂に向かって右手前には、宗尊親王(むねたかしんのう。1242~1274)の歌碑が。
「帰り来て 又見ん事も 固瀬河 濁れる水の すまぬ世なれば」。
宗尊親王(後嵯峨天皇の皇子)は鎌倉幕府第六代将軍(1252~1266在位)。
源氏将軍三代が途絶えたのち、四代五代の藤原摂家将軍に続いて、
執権北条氏が待望した親王将軍として、京より鎌倉に迎えられたと。
この歌は、京に送還されることになった親王がここ本蓮寺(当時は源立寿寺)において
行われた別離の歌会で詠んだ、とされるとのこと。

片瀬市民センターを過ぎて角を右折し、しばらく行くと角地に設けられた小さな公園。

ここ片瀬界隈においては日蓮上人の「龍ノ口(たつのくち)法難」があまりにも有名であるが、
この一遍上人の故事も忘れてはならない歴史なのであった。

鎌倉仏教の開祖六人衆(浄土の法然・禅の栄西・浄土の親鸞・禅の道元・
法華の日蓮・浄土の一遍)のトリを飾る、時宗(じしゅう)開祖・踊念仏の一遍上人(1239~1289)。

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