JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.09.06
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
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この日は藤沢周辺の散策に出かけました。

小田急線藤沢本町駅で下車。

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駅の横の踏切を渡り伊勢山方面へ歩を進める。

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右に折れ伊勢山の登山口?へ進む。

ここは昔からの階段、最近は線路側に綺麗な階段が整備されていましたが

あえて私が子供の頃上った階段を利用。この階段を上るのは50年以上ぶりか。

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狭い階段を上っていくと男坂、女坂の表示板が。

もちろん私は・・・・坂を。

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途中階段の横の草むらに白き花が。

カラスウリの花か?

カラスウリの花は夜間だけ開く花で知られているので、既にこの朝には

花を閉じていた。

「カラスウリの花」の画像検索結果

そして下から5分ほどで頂上の伊勢山公園に到着。

正面には4個の大きな石碑が昔と変わらずに建っていた。

DSC01884_R.JPG

伊勢山緑地(いせやまりょくち)(通称 伊勢山公園)は、藤沢宿の西、旧東海道の

北側に位置する小高い山。

昔、伊勢神宮がここに祀られていたので伊勢山と呼ばれるようになったと。

1923年(大正12年)の関東大震災の後、白旗神社などにあった戦没者慰霊碑が

ここに移され500本の桜を記念植樹、1927年(昭和2年)2月21日竣工式が

行なわれたのが伊勢山公園のはじめとのこと。藤沢市第1号の公園。

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正面向かって右側から

『明治十年西征陣亡軍人之碑』

西南戦争における高座郡下各村の戦没者11柱を合祀した慰霊碑。

有志によって明治13年(1880年)8月に建立された、ここではもっとも

古い石碑のようだ。

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『忠魂碑』。

日清戦争から日露戦争、第1次世界大戦までの陸海軍の戦病歿者7柱を合祀した忠魂碑。

大正2年(1913年)11月3日に建立。

碑正面には

「忠魂碑 陸軍大将子爵川村景明書」と刻まれていた。

DSC01887_R.JPG

『殉國勇士招魂碑』。

西南戦争、日清戦争、日露戦争の戦病歿者の招魂碑。

 なお、建立年は明治36年(1903年)。

碑正面には

「殉國勇士招魂碑   正三位野邨素?書」と刻まれていた。

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『明治丗七八年戰役陣亡軍人之碑』

日露戦争の戦病歿者7柱を合祀した慰霊碑。

碑正面には「明治丗七八年戰役陣亡軍人之碑

神奈川縣知事従三位勲二等周布公平書」と刻まれていた。

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『江の島が見える見晴台』

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遠く江の島の全景がはっきりと。

島の真ん中のV字谷『山ふたつ』もはっきりと。

江の島の花火の絶景ポイントは昔と変わっていなかった。

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伊勢山公園頂上の庚申塔。

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石仏(如意輪観音?)。

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庚申塔。

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庚申塔。承応二年(1653)

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右から見ざる、着かざる、言わざる。

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『北辰妙見大霊府神』の石碑。

農作業の目安や航行時の方角の目印としていた北斗七星を神格化し祀ったもの

とのこと。

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伊勢山公園の鐘楼。

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昔からここには鐘がぶら下がっていなかった記憶が・・・・。

調べてみると

「かつてここ に下がっていた梵鐘は、山王山(さんのうやま)(現県立藤沢高校がある丘陵で、

頂上に山王社があった)のものが、昭和の初めごろに女学校の建設に伴ってここへ移設され

地域の「時の鐘」として朝夕に時を告げていました。

しかし1943(昭和18)年、戦時の銅鉄回収により供出し、そのままとなっています。

関東大震災後の30(同5)年に発行された『大藤沢復興市街図』には「藤沢の新十名勝」が

掲載されていますが、その一つに「伊勢山の晩鐘(ばんしょう)」が挙げられていて、

当時いかに親しまれた存在であったかが伺えます。」との説明が。

私の記憶が合っていることに一安心。

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公園トイレは地元市立一中美術部員の作品とのこと。

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伊勢山の裏の坂道を下る。

右手には藤沢石名坂環境事業所の焼却炉の煙突が聳えていた。 

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坂の途中に竹林が。

いつもは車で通りすぎるだけの道。 

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旧東海道に出て右折ししばらく進み、引地川に架かる「引地橋」を渡る。 

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「引地橋西交差点」から100m程で右斜め上にある寺・養命寺(ようめいじ)

前に到着。

路地の先に養命寺の石段が。

藤沢市にある曹洞宗の寺院。引地山と号す。 

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創建は天正年間(1573年 - 1592年)頃に暁堂が開山。

延文年間(1356年 - 1361年)頃の創建であるとする説もあると。

延享年間(1744年 - 1748年)に大拙が中興したと。

こじんまりとした本堂。

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本尊は国指定重要文化財の木造薬師如来坐像。

建久8年(1197年)の銘があると。 

源頼朝に仕えた大庭景義の子景兼の守護仏であったと伝えられていると。

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藤沢七福神 の布袋様の寺院でもある。

本堂の扁額。

号の引地山ではないが、何と書かれているのであろうか?

「皆王堂」?

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五輪塔?

球形の水輪には卍が刻まれていた。 

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永代供養塔。

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大庭氏は、1213年(建暦3年)に起こった和田合戦で、景兼が和田義盛に

味方して滅びている。 

頭のない石仏や倒れている石仏が境内隅に。

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養命寺の脇を抜け、旧国道に出ると前方にメルシャン(株)藤沢工場が。

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七面地蔵尊。(身代地蔵尊)



道路を渡り引き返すと、養命寺の前に赤い小さな祠が。

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『おしゃれ地蔵』

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祠の中には顔が白い双体の石仏(道祖神)が祀られていた。

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「女性の願い事なら何でもかなえて下さり満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする。」

と伝えられており、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。

そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名付けられたとされている と。 

白粉を塗る女性の姿を見たかったが残念ながら・・・・・。

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Last updated  2022.02.06 14:08:22
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