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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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普門寺門前の道を南方に向かい、クランク状になったところを過ぎた左側に
歴史がありそうな建築物が現れた。
斉藤家長屋門。
斉藤家は鎌倉時代に三河から鵠沼に移り住み、代々名主を努めた。江戸時代の砲術家
江川太郎左衛門が鵠沼海岸に鉄砲場を設けるにるに当たって、鵠沼から二人が
見回り役とされ、その際、名字帯刀を許されたという。

うっそうとした屋敷林に囲まれた邸宅で、地元では「大齋藤」と呼び慣わしている
齋藤本家であるとのこと。
門の両袖が納屋などの長屋になっている様子。
現在もお住まいのようで、残念ながら中には入れなかった。

藤沢バプテスト教会。

長屋門を過ぎて道なりに行くと、風化した道祖神右側に道祖神三体が。
ここが苅田の辻という所らしい 。

中央は浮彫りの相対道祖神で、左右にあるのは五輪塔であろう。
建立時期は不明だが、江戸時代のものと。

すぐ目の前の民家の塀に、新しく設置された小さな祠の中に
庚申供養塔がが組み込まれていた。

苅田稲荷社入り口。
小さな社殿。
祭神の稲荷神は五穀豊穣の神。

道路沿いの民家の塀には朝顔と瓢箪が。

湘南新道を横断し更に南下すると原町の道祖神が。

そして原の辻石像が3体並んでいた。

原の辻 史蹟案内。

光明真言供養塔?。
石碑には四国三十三所・・・と刻まれていたが。

出羽三山供養塔。
文化6(1809)年、159cm。

一番左のものは小さな祠内に。

青面金剛像浮彫。
宝暦3(1753)年、60cm。

そして近くのバス停から江ノ電バスに乗り、日本精工前で下車。
小田急線のガード前で左折し湘南高校方面へ歩く。

湘南高校の前を通り、一中方面の曲がり角にはあったのが
車田白旗稲荷。

これは飯尾常吉翁頌徳碑(大正10年銘)。
飯尾常吉は明治26年に車田町に住み、町内のために力を尽した人で、
この稲荷の敷地も飯尾翁が寄付したのだと。

元々この車田といわれる町内は白旗神社の直轄田(神田・しんでん)で
例祭の時に行われる神輿渡御は、この車田から出発、収穫された稲穂が
神輿に供えられていたのだと。

鳥居建設のための氏子の寄付金リストも。

この庚申供養塔は元禄2年(1689)の銘が。

藤沢第一中学正門。

藤沢第一中学の敷地に接した小さな一画に、小さな庚申供養塔が祀られていた。
ここは、その昔、内田の辻と呼ばれた場所で、古い道が通っていたと。

祠内の青面金剛像。

第一中学の裏を歩く。

第一中学西南隅の小さな林の中の石碑は昔の姿を留めていなかった。

その横には鵠沼内田土地区画整理組合落成記念碑が。

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