JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2017.12.30
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク

更に鎌倉散策を続け荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)参道に到着。

長治元年(1104年)に創建。

源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、

さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行ったと。

現在は菅原道真を祀る神社。

DSC09072_R.JPG

荏柄天神社の石碑には、

『「和名鈔」当郡に「荏草」と記せる郷名あり。今、その名を失すれども、当社付近の旧称

なりしがごとし。草に「かや」の古訓あれば、「えがら」は「えがや」の転訛なるを、

後、文字をさえ今のごとく改めしものか。社前の松並木を、古来「馬場」と称す。

本社はもと、中央に管公(菅原道真)束帯の坐像、右方に天拝山祈誓の立像、

左方に本地仏十一面観音の像を安置せしも、勧請の年代を伝へず。

頼朝公はじめて大蔵の地に幕府を設けし時、当社を以て鬼門の鎮守となす。

爾来、歴代将軍の尊奉せし所。

天文年間(1532~1555年)、北条氏康社前に関を置き、関銭を取りて社料に供せしめし事あり。

徳川氏の世には、鶴岡八幡宮造営の節毎にその余材残木を受けて、本社修造に抵(あ)つるを

例とせしと云ふ。』と書かれていると。

荏柄天神拝殿・本殿(重文)。

寛永元年(1624年)に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築されたと。

社務所。

ここ荏柄天神社は、 鎌倉を代表する学問の神様。

荏柄天神社は、福岡市の太宰府天満宮、 京都市の北野天満宮とともに日本三天神に

数えられている。お守りは守袋、梅守、祈願鉛筆、祈願絵馬 、祈願はちまきなど受験に

欠かせない祈願グッズが各種揃っているのだ。 

拝殿横の壁にはたくさんの合格祈願?の絵馬が。



絵筆塚。

平成元年(1989)には、清水崑の遺志を受け継いだ横山隆一をはじめ漫画家154人の

カッパの絵を青銅にレリーフした筆形の「絵筆塚」を建立された。

高さ3m20cm、最大直径1m、重さ800kgもあると。

漫画家を目指す人にとっては、大きなパワーを得られる場所であると。

カッパのレリーフが飾られた筆形の塚をズームで。

04efudehduka02[1]_R.jpg

熊野権現社へ。

二階堂の鎮守だった社で、1873年(明治6年)、荏柄天神社に合祀されたと。

熊野権現社は山の洞穴内に鎮座。

奥に熊野権現の石祠が。

熊野三柱神である伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、

天宇受売命(アメノウズメノミコト)が祀られているのだと。

img_21_m[1]_R.jpg

神輿庫。

大銀杏。

鎌倉では一番古い樹齢900年以上の銀杏の木と。

境内には尾崎迷堂の句碑が、御神木の大銀杏の下に建てられていた。

尾崎迷堂は、杉本寺の住職も勤めた僧侶。

僧侶のかたわら俳句に精進し、土地の人々と俳句を通じて交流を深めた人物でると。

句碑には「大慈咲き大悲さきたるさくらかな」と刻まれ、右大臣・実朝の姿が偲ばれる。

裏面には「荏柄天満天神献詠 鎌倉右大臣 実朝の忌なりけり」と刻まれているのだと。

荏柄天神本殿。

三間社流造、銅板葺き。

若宮旧本殿は正和4年(1315年)の鎌倉大火の後、翌正和5年(1316年)に建立された。

記録によれば、中世、近世を通じてたびたび修理が行われているが、社殿全体が再建された記録は

ない。移築と度重なる修理を経ているとはいえ、鎌倉地方における中世建築の稀少な遺構の一つで

ある。関東大震災でも被害を受け、幣殿と拝殿は震災以降の再建。



次に近くにある鎌倉宮へ向かう。

護良親王(もりながしんのう)を祭神とする神社。

明治天皇から武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武の新政に尽力した

親王の功を賛え、親王が捕えられていた寺の跡地に今の鎌倉宮が出来たのだと。 

建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社。

神社本庁の包括下には当初より入っていない単立神社。別名 大塔宮(おおとうのみや)。

鎌倉宮・一&二の鳥居は全国的にも大変珍しい「白地に赤」の配色。

白は「純真無垢、純粋」、赤は「赤誠・赤心、まごごろ」の意味が込められていると。 

鎌倉宮 配置案内図。

Collage_Fotor_R.jpg

拝殿への階段。

祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現したが、

その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、建武2年(1335年)の

中先代の乱の混乱の中で尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)に

よって殺められたのだと。

階段の右横には「厄割り石」の置かれた祠が。

拝殿の前に置かれてある「かわらけ」(有料)に息を吹きかけて身体の中の悪いものを移し、

そのかわらけを地面に埋め込まれた「厄石」に投げて割ります。

かわらけが割れることで厄払いになるといわれています。

そして階段上に鎌倉宮 二の鳥居。

手水舎。

手の汚れを洗う場所とともに心の塵を洗いおとすこと、心の煩累(はんるい)を

洗い去り浄める場所と。



拝殿。

鎌倉宮拝殿・本殿の裏側には、護良親王が幽閉されていたとされる土牢がある

とのことであるが有料であった。

拝殿向かって左の「南方社」と右の「村上社」の2つ境内社があり

「村上社」の前には「撫で身代り」像が。

「村上社」には、「元弘の変」において護良親王の下で戦い、親王の身代わりとなって自刃した

村上義光(むらかみよしてる)が祀られていると。

村上義光は、1333年(元弘3年)、窮地に立った護良親王を救うため「われこそは護良親王」と

身代わりとなって自刃したという。

2004年(平成16年)12月20日、台風で倒れた境内の樹齢103年の欅を使って

彫られた像が村上社前に置かれたこの「撫で身代り」像。

「撫で身代わり」と呼ばれ、病気や厄除けの身代わりにご利益があるとして多くの者が

参拝しているのだ。

撫でるとと体の悪いところを身代わりになってくれるとされると。

私も頭と顔とお腹を丁寧に撫でたのでした。



社務所入口門。

社務所前より境内に向けて。

社務所前の庭の紅葉を楽しむ。











休憩所(太平殿)には鎌倉宮の獅子頭が展示されていた。

そして拝観後、鎌倉宮からはバスに座って鎌倉駅まで戻る。

更に頑張って駅前にある大巧寺を訪ねる。

大巧寺は別名「おんめさま」とも呼ばれ、安産祈願の寺として知られている。

「おんめさま」とは「お産女様」(おうめさま)が訛った言葉で、境内に祀られている

「産女霊神」を指す。

私も孫の誕生の前には安産祈祷と安産お守りを授かる為に何回か訪ねた寺。

本堂。

安産祈祷は毎朝住職が本堂で産婦の安産を祈願する祈祷で、出産予定日まで続けられる。

産婦に授与される安産お守りはお札、腹帯守、麻紐、秘妙符から構成される。

このうち、腹帯守は腹帯に入れるお守りで帯祝いの時に使う。また麻紐は産後、産婦の髪を結ぶ

お守りになる。秘妙符の中には粒が3つと折り紙が入っている。粒のうち1つは出産予定月の朔日に

飲み、他の二つは陣痛が始まった際に飲む。

折り紙は色によって性別を占うものといわれており、赤だと女子、白だと男子が生まれるという

伝承があるのだと。

犬はお産が軽く安産であるという伝承から、犬を縁起物として扱っている。

このため戌の日は吉日として安産祈願者で混みあうことが多いと。

来年は戌年でもあり参拝客が増えるのであろう。

そして本覚寺(ほんがくじ)へ。

日蓮宗の本山(由緒寺院)で山号は妙厳山。

本尊は釈迦三尊像。身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも呼ばれる。

若宮大路に向けて入り口を作ってはいけない規則があったため、本覚寺は小町大路(辻説法通り)に

入り口を向けているのだと。

DSC09202_R.JPG

現在の本覚寺の山門がある場所の前には、夷堂と呼ばれる堂があったと。

この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守とし

て建てたとされ、天台宗系のものであった。文永11年(1274年)に佐渡配流から帰った日蓮が

一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていたとのこと。



山門(仁王門)。

江戸時代のもの。明治初期に三浦半島の寺院より移したという。

巨大な仁王像 阿像。

仁王像 吽像。

手水舎。

夷堂。

前身となった天台宗の夷堂は、本覚寺の創建時に境内に移されたが、明治の神仏分離令によって

寺とは分離され、地区の七面大明神、山王台権現を合祀して蛭子神社(ひるこじんじゃ 

「蛭子」は「えびす」とも読む)となった。

昭和56年(1981年)に本覚寺境内に再び夷堂が再建されたと。

人形塚。

毎年10月の第一日曜日に行われる人形供養は、「物を大切にする」という考え方から

始められたものと。本堂で供養法要が行われた後、人形のお焚き上げがあるのだと。

DSC09206_R.JPG

寺務所・僧坊。

DSC09208_R.JPG

本堂。

本堂は大正時代の創建。 何故か山門と本堂は一直線上にないのだ。 

DSC09209_R.JPG

鐘楼 

応永17年(1410年)銘の梵鐘。

日出上人が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられていると。



日蓮上人分骨堂とその前の紅葉。

本堂右側にあるこの分骨堂には、日蓮上人の墓がある身延山から分骨された遺骨が

安置されていると。 

DSC09215_R.JPG

赤い帽子と前掛けをしている「しあわせ地蔵」が境内に。

願い事をとなえながらその頭をなでると願いがかなうと言われていると。

私もこの地蔵様にも「・・・・・」 と唱えながら。

DSC09214_R.JPG


                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2022.05.19 15:01:45
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