JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.01.12
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

国道1号線の『岩崎ガード』。
『ガード』とあるが『Iwasaki Overpass』と表示されており要は歩道橋。



この先旧東海道は右手に折れていくので、『岩崎ガード』を渡りながら横浜方面を見る。



旧東海道の分れ道を右側の旧東海道に進む。



『東海道保土ヶ谷宿の松並木と復元事業』。
「保土ヶ谷宿の松並木 我が国に於ける街道並木の歴史は古く、遠く奈良時代まで遡りますが、
全国的な規模取り組まれるようになったのは江戸時代にはいってからです。慶長9年(1604年)
幕府は諸国の街を植えるよう命じました。以来、夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぎ、
植樹帯は旅人の休息場所となることから、官民挙げて大切に保護されました。 
保土ヶ谷宿の松並木は、この付近から境木まで3kmあまり続き、広重や北斎などの浮世絵にも
度々描かれました。その後、昭和初期までは比較的良好な状態で残されてきましたが、
時代とともに減り続け、現在は旧東海道の権太坂付近にわずかな名残を留めるだけに
なってしまいました。 
この度の松並木復元事業では、「上方の松原」と呼ばれていた今井川に沿った約300mの区間に
松などの木々数十本を植えました。 
保土ヶ谷宿の一里塚 松並木と同時期、街道の距離の目安として、日本橋を起点に
一里(約4km)ごとに築かれたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土を盛って小山をつくり、
その上には遠くからでも目立つよう榎や松などの木々が植えられていました。 
保土ヶ谷宿の一里塚は日本橋から八番目に位置し、この付近(現在の車道上)にありましたが、
古くから南側の一基の存在しか伝わっていません。その一里塚も明治時代の始め、宿場制度の
廃止に伴って姿を失いました。 この度の一里塚復元事業では、場所の制約から文献にあるような
「五間(9m)四方」に相当する大きさの塚を築くことができませんでしたが、塚の上には
昔のように榎を植え、松並木と併せて宿場時代の再現に努めました。 」と。



日蓮宗 『樹源寺』を訪ねる。



かって境内に大ケヤキがあったことから「樹を源とするお寺」として命名されたと。



薬師如来が安置されている講堂。



鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期(1628年)に苅部家により
身延山久遠寺の末寺として開山した。庭園が美しい。



池には見事な鯉が。



本堂。
寛永年間( 1624-44 )になり、保土ヶ谷宿本陣刈部吉重の室(奥方)が日蓮聖人の御教に
深く帰依され妙秀尼(みょうしゅうに)と号し、焼け残った薬師堂の大欅(おおけやき)の
傍らに庵を結ばれ、師の善通院日了上人を招いて日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山。



『旧元町橋跡』
保土ヶ谷区郷土史(昭和一三年刊)によれば、明治時代の東海道線鉄道工事以前の
今井川はここで街道を横切っていました。
橋は江戸時代の「東海道分間延絵図」にも描かれている。またかっての字名は、
ここから東側を「元保土ヶ谷」、西側を「元保土ヶ谷橋向」となっていました。



保土ヶ谷宿の道路標識。



堅牢地神塔(右)
青面金剛庚申塔(左)
横浜市保土ケ谷区権太坂1-2-4の道祖神。



『権太坂』へ。



ここを右折して権太坂へ。
権太坂は、横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂。



権太坂を上る途中左に小さな稲荷神社があり境内に旧東海道権太坂道路改修碑が。



旧東海道権太坂「改修記念碑」



 急な権太坂。



横浜横須賀道路の上に架かる権太坂陸橋。



横浜横須賀道路。



保土ヶ谷バイパスを権太坂陸橋で渡ると神奈川県立光陵高等学校の場所に
『権太坂』石碑が。この辺りまでが一番坂、境木までが二番坂と呼ばれたと。



この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験する
きつい上り坂であった。日本橋から四番目の宿場であった保土ヶ谷宿までは、ほぼ江
戸内湾沿いの平坦地であったが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く
険しい登り坂となります。1828(文政11)年に成立した地誌「新編武藏風土記稿」には、
もともとは「一番坂」・「二番坂」と呼ばれていた坂であったが、ある旅人が「一番坂」を
上りきったところで、「急勾配で長い坂道ですね。この坂は何という名前なのですか」と、
そばにいた農夫に尋ねたところ、その者の耳が遠く、自分の名前を尋ねられたものと
勘違いして「(私の名前は)権太です」と答えたがために、「権太坂」と伝えられるように
なったようだ・・・と。



『東海道名所之内 権太坂』。
「権太坂は正月恒例の箱根駅伝の通過地点として知られていますが、『新編武蔵風土記』には
「其地形十丈あまりも高く屈曲して長き坂なり、街道往還の人夫、此所を難所とす」と
あるように急峻な坂になっていました。江戸を立って初めての難所といわれ、
近くには行き倒れの人を葬った投げ込み塚がありました。
江戸方面からは長い上り坂になり、上りきった所に名物牡丹餅の茶店がありました。
この絵は「上洛東海道」とも呼ばれる文久3年(1863)の14代将軍家茂上洛の図ですが、
侍たちがヤレヤレといった表情で茶店の女たちに牡丹餅やお茶を振舞われている様子が
描かれています。保土ヶ谷宿は、この坂以外にも焼餅坂、品野坂、不動坂といった坂があり、
『東海道宿村大概帳』にも「此宿内山坂多し」と記されています」と。



右手に神奈川県立光陵高等学校正門。



更に権太坂(二番坂)は続く。



横浜ランドマークタワーが左手遠くに。



『歴史の道 権太坂』
再び、権太坂の名前の由来に2つの説があるとの表示板が。

その1ー「老人の返事」説
旅人がこの坂の近くにいた老人に坂の名前をたずねたところ、自分の名前を聞かれた
と思いこみ「ごんたでございます」と答え、その名が坂の名になったと。

その2-「本当は権左坂」説
昔、権左衛門という人が代官の指示によりひらいてできた坂道を、その名をとって
「権左坂」と名付けたものが、いつのころか「権太坂」と呼ばれるようになったと。



『富嶽三十六景東海道保土ヶ谷』。
権太坂は、明治17年(1884)の新道開通や明治20年(1887)の鉄道開設により旧道は、
通行量も減って道幅も狭くなった。
権太坂にはもともと人家もほとんどなかったため、昭和30年代に本格的に道が改修
されて宅地開発が進むまで往時の街道の面影を残していた。



坂の上から見る神奈川の海は美しく、浮世絵などにも描かれたと。
現在は海は見えずに高層ビル群が。



旧東海道を離れ左手に折れて投込塚の碑を訪ねることに。



旧東海道からそれて『投込塚之跡』へ。
「投込塚之跡」碑の右に無縁・馬頭観世音と左に宝永7年(1710年)銘と天保2年(1831年)銘の
庚申塔も。



『投込塚之跡』。
「この地は権太坂投込塚と称し、旧東海道品濃坂につぐ難所であって往時旅人の行倒れせし者多く
之を埋葬せる処也。偶々当地区開発に当り多数の白骨を発掘現在平戸町東福寺境内にて
再埋葬供養碑を建て、之ヶ菩提を弔い在者也 昭和三十九年四月建之」と。
投込塚は、江戸時代に病や疲労のために行倒れた旅人や牛馬の骨を多数埋めた場所。
昭和36年(1961)の宅地開発時に発見され、この地に移動して供養塔が建てられた。
宿場の外れにはこのような無縁仏を葬る投込塚があった。



斜め左側の道が旧東海道、左にバスターミナルが。再び旧東海道に戻り歩を進める。



権太坂二番坂を上り、境木中学校前のT字路突当りで右折すると右手に若林家が。
大名なども立ち寄ったとされる若林家(現在は民家)。
武蔵国と相模国の国境。



境木立場跡



『歴史の道 境木立場跡』
宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場です。
中でもここ、境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、見晴らしの良い高台で、
西に富士、東に江戸湾を望む景観がすばらしく、旅人が必ず足をとめる名所でした。
また、茶屋で出す「牡丹餅」は境木立場の名物として広く知られており、たいへん賑わったと
いうことです。「保土ヶ谷区郷土史(昭和13年刊)」によると、こうした境木の立場茶屋の
なかでも特に若林家には明治中期まで黒塗りの馬乗門や本陣さながらの構えの建物があったとされ、
参勤交代の大名までもが利用していたと伝えられています。 



「江戸名所図絵」の「境木」を着色模写した「横浜往古絵巻」。
画像中央下部、ケヤキの高木の傍らに境木が描かれている。
街道歩きされる方ならご存知の藩境などに立てられた榜示杭、これと同じような国境を示す
棒杭が境木地蔵近くに立てられていたのだ。
地名はこの国境に立つ木杭ということから付けられたようで、江戸時代は木杭の北側が
武蔵国橘樹郡保土ヶ谷宿のうち保土ヶ谷町、南側が相模国鎌倉郡平戸村であったのだ。
この境木付近の尾根筋は頂上部が平坦であったからか、立場や茶屋が立ち並んで
旅人の休憩の場となっていた。
現在はレプリカの境木が境木地蔵近くに立っていると。



『東海道五拾三次 保土ヶ谷 初代広重(狂歌入り)』
武蔵と相模の国境の境木の立場で、急な権田坂を登り、休憩のための茶店の賑わいを描いている。
狂歌は遊鶴亭千代子「諺のまはるもはやき双六やいそげばいそぐ程かやのえき」とある。



『横浜旧東海道戸塚宿周辺散策案内図』
戸塚宿の成立は、慶長9年(1604)で隣宿である藤沢、保土ヶ谷の宿が成立した慶長6年
(1601)に遅れること3年であった。
日本橋から数えて5番目の宿場町で、起点の日本橋から10里半(約42km)の距離にあり
朝、江戸を発った当時の旅人の一番目の宿泊地として最適であり、さらに鎌倉への
遊山の道、大山参詣の道の分岐の宿として大変な賑わいを見せた。



戸塚宿は江戸寄りに権太坂、京寄りに大坂という難所にはさまれていたため、朝、江戸を発った
当時の旅人にとって、初めて宿泊する場所として最適であり、鎌倉への遊山の道、
大山参詣の分岐点の宿としても大変にぎわっていました。
天保14(1843)年の東海道宿村大概帳(しゅくそんたいがいちょう)によると、
宿内の人口は2900人余り、家数は613、本陣は2、脇本陣は3、旅籠は75と
東海道五十三次の中では10番目に宿泊施設の多い宿場でした。



品濃一里塚は江戸から数えて九番目の一里塚で、保土ケ谷宿と戸塚宿の間に位置しています。
神奈川県内では、ほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定史跡となっています。
現在は、塚とその周辺が公園として整備されています。



『境木立場跡』
『立場茶屋』
宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場。
中でもここ、境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、見晴らしの良
い高台で西に富士、東に江戸湾を望む景観がすばらしく、旅人が必ず足をとめる名所
であった。また、茶屋で出す「牡丹餅」は境木立場の名物であった。
こうした境木の立場茶屋のなかでも特に若林家には明治中期まで黒塗りの馬乗門や
本陣さながらの構えの建物があったとされ、参勤交代の大名までもが利用していたと。



国境を示すモニュメント(平成17年に設置)。



『境木の由来』
ここは武蔵国と相模国の国境で、江戸時代にはそのしるしとして傍示杭(ぼうじぐい)、
あるいは境杭(さかいぐい)と呼ばれる木柱が建てられたことから、
地名が境木になったと伝えられている。



道路を整備して新しく建った道標。「右 環状二号線」、「左 東海道」とある。





『境木地蔵堂』



『境木地蔵の由来』
この地蔵は、鎌倉腰越の海岸に漂着したもので、引き上げた漁師の夢枕で、
「この私(地蔵)を江戸に運んでくれたら、この海を守る」と告げられ、
漁師たちは、江戸へ運ぼうとしたが、この境木で動けなくなり、
地蔵を安置したところ、村が繁盛したと。



境木地蔵堂 本堂。



素朴な地蔵様。



水場の可愛らしい地蔵。




「阿頼耶識」は仏教用語。仏教の中でも「唯識派」という思想の中で説かれるもので、
心を表層から深層まで八つに分けたときの、一番深いところにある「根本の心」を
「阿頼耶識」といい、ここが、心の動きや感情、表情、生きる力など、人生のすべての
よりどころとなるのだと。



『東海道保土ヶ谷宿周辺散策案内図』
境木地蔵尊から、保土ヶ谷宿への案内。



旧東海道」の説明板。
境木地蔵~信濃一里塚~白幡神社が紹介されていた。



旧東海道の『焼餅坂』へ。
旧東海道を戸塚方面に下るこの坂は「焼餅坂(別名:牡丹餅坂)」と呼ばれていると。
武蔵国と相模国の国境にあたる権太坂と焼餅坂は、昔の旅人にとって日本橋を出発してから

このあたりには、一服する旅人を目当てにした茶屋が並んでおり、坂の傍らで焼餅を売っていた
事がこの坂の名の由来だと。



焼餅坂は当時の品濃村と平戸村の境にあり、一町半(約160メートル)の坂道。
坂の傍らの茶店で、焼餅を商っていたので、焼餅坂と名づけられたといいます。
別名牡丹餅坂(ぼたもちざか)とも呼ばれています。




旧東海道を 保土ヶ谷から戸塚方面に抜ける途中に,権太坂・焼餅坂・品濃坂 と、
坂が続く。境木本町の“境木地蔵”の前から 南西に入るとすぐに 下り坂となる。これが 焼餅坂。
坂の両側は 鬱蒼とした林になっていて いい雰囲気だが、途中から 西側一帯が宅地に造成され
坂に面して 新しい住宅団地が建設されていたのであった。



                           ・・・​ その2 ​・・・に戻る
                ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.26 15:48:11
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