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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
一旦国道に合流して、「山中城口」信号を渡ると旧道が真直ぐ続くのだが、
今回、この先の箱根旧街道2箇所が工事中のため通行止めになっていた。
この工事は長く続いているようであった
仕方がないので、大きく左回りの国道1号線を歩く。
右手に『菊池千本槍の碑』が建っていた。
建武2年(1335年)11月、この箱根・竹ノ下の戦いにおいて、足利尊氏の弟として知られる
足利直義の率いる兵3,000名と戦った菊池勢1,000名は足利勢に圧され、弓、薙刀の大半を失い
敗走寸前の状況に陥ったようです。
しかしこの時、菊池勢を率いる菊池武重が、竹藪から各自、手頃な竹を切らせ、それに各自が
腰に差している短刀を結わえて作らせた即席の槍を発案し、これを用いて菊池勢は反撃に
討って出て、これまで見た事のない武器を用いた相手に足利勢は大いに苦戦し大逆転したと。
当時の武器は太刀や薙刀で、槍のように突く武器がなく、この戦いから槍が全国に
広がったのだと。
国道1号線の大きなカーブを下って行く。
駿河湾が見えて来た。
そして富士山の雄姿も。
ズームで。宝永噴火口もはっきりと。
国道から見ると右から左へと通行止めの旧道が縦断しているのであった。
「富士見平ドライブイン」がある広場に出る。
ここにも『山中新田』の道標が。
旧東海道の通行止めはここまでの様であった。
この広場の右側に大きな芭蕉句碑が建っていた。
「霧しぐれ 冨士を見ぬ日そ 面白き 芭蕉」
貞享元年(1684)旧暦8月、『野ざらし紀行』で箱根越えをした時に詠んだ句。
芭蕉が歩いた時は、私と異なり霧時雨で富士山が見えなかったようだ。
そして国道を横断し、更に旧街道の坂道を下りながら富士山の雄姿を楽しむ。
同時に反対側には駿河湾の雄姿も。
前方に三島スカイウォークが見えて来た。
再び富士山の絶景。
旧街道の『上長坂』の石畳道を振り返る。
『笹原新田』の『夢舞台・東海道』標柱
標柱には『函南町(宿境まで二十一町) ← 三島市 笹原新田(笹原地区石田) →
三島宿(宿境まで一里二十三町)』と書かれていた。
そして国道1号線に合流し、『日本一の大吊橋』・『三島スカイウォーク』
を右手に見ながら進む。
静岡県三島市にある、歩行者専用としては日本一長い全長400mの大吊り橋。
三角形のコラボの絶景。
この日に中に入るとこの様な絶景が見られたこと間違いなし。
【https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1782/】より



























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