JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.06.20
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

次に訪ねたのが『五社神社・諏訪神社』。
隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして
五社神社・諏訪神社と称したものである。合併の後に神社本庁の別表神社に加列された。
現社殿は昭和57年(1982年)の再建である。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、
子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めていると。



朱の大鳥居の扁額『五社神社 諏訪神社』。



『五社神社 諏訪神社 由緒』
「五社神社
曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。
後、徳川家康公、浜松城主となり天正7年(西暦1579年)4月7日、秀忠公誕生に当り
産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座す。
寛永11年(西暦1634年)家光公上洛の砌、社参し朱印300石を奉る。その節改めて社殿の造営が
なされ、寛永18年(西暦1641年)竣工す。「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの
五社や諏訪」と謡われ戦前まで国宝建造物に指定されていた社殿がこれである。
諏訪神社
延暦10年(西暦791年)、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎と伝えられる。
弘治2年(西暦1556年)に曳馬城下、大手前に遷座される。
秀忠公誕生に当り、五社神社と同じく産土神として崇敬され、天正7年(西暦1579年)徳川家康公、
社殿を造営す。
元和元年(西暦1615年)、秀忠公、社地を杉山に改め、更に寛永11年(西暦1634年)、家光公、
社参し朱印300石を奉ると共に現在地に社地を遷し、寛永18年(西暦1641年)竣工す。
国宝建造物に指定されるも、昭和20年(西暦1945年)戦災により五社神社と共に消失す。
五社神社 諏訪神社
昭和37年(西暦1962年)、両社が合祀され、新たに五社神社諏訪神社として発足する。
                         【五社神社諏訪神社HPより】」



『光海霊神(うなでりのみたま)の碑』。



賀茂真淵が、師の森暉昌(もり てるまさ 荷田春満の弟子、五社神社神職)を顕彰して
明和四年(1747年)に建立に建立した碑。
この碑は現在、ここ五社神社・諏訪神社にあるが、第二次世界大戦中1945年6月18日の
空襲により碑の上部が破損している。



「賀茂真淵大人がその師、五社神社神主森暉昌大人の功業を記したる漢文体の誌銘なり。
真淵大人の心情を遺憾なく吐露せしものなり。
森暉昌大人は諡号を「光海霊神」と称す。近世国学の創始者荷田春満大人の門流にして
賀茂真淵大人若年の学父とも尊親したる碩学なり。
この碑は明和4年5月建立せらる。
惜しむらくは昭和20年6月18日戦火により上部損壊せしも真淵大人の本意は
ここに歴然として存す。」



『拝殿』へ向かって進む。



『手水舎』。
「徳川3代将軍家光公 寛永11年7月当社に参詣あり。
時の浜松城主高力忠房を普請奉行として、社殿を修造せしむ。完成の後、本手水鉢寄進す。
この手水鉢は花崗岩を素材とす。四方に枠取りなく素朴なる形式と水穴深く角を正確に掘たるは、
古式に属し、貴重な文化財なり。正面に次の如く刻す
 奉寄進
 五社大明神
 寛永十五年戊寅年五月吉日
 高力攝津守従五位下  平忠房
高力忠房は2代将軍秀忠の寵を得、元服の際 「忠」の一字を賜り 忠房となのる。
温厚篤実なる人格は、領民に敬慕されたり。」



『拝殿』。
五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、
ここから「五社神社」という社名になっている。元々は太玉命を祀る神社であったものに、
春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られている。
戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれる。
後に徳川家康が浜松城主になり、天正 7 年( 1579 年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると
当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正 8 年( 1580 年) 7 月に遷座、社領 15 石を寄進した。
慶長 15 年( 1610 年)に秀忠から 100 石が寄進された。寛永 11 年( 1634 年)の家光上洛の際、
東照宮(徳川家康)を勧請し、 200 石が加えられ、以降、 300 石の朱印地を領することとなった。
明治 6 年( 1873 年)に県社に列格した。
かつての社殿は寛永 18 年( 1641 年)に家光の命で再建されたもので、大正 3 (1914 年)に
特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されたが、昭和 20 年( 1945 年)
6 18 日に第二次世界大戦の戦災(浜松空襲)により全焼した。
焼失した社殿は、拝殿・石の間・本殿が一体となった権現造であった。
-御祭神-
[五社神社]
     太玉命 武雷命 斎主命 天児屋根命 姫大神
 (相殿) 応神天皇 舎人親王 菅原道真公 徳川家康公



『狛犬』(右)。



『狛犬』(左)。



拝殿の『扁額』。
諏訪神社は、
延暦 10 年( 791 年)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に
奉斎したのに始まるとされる。幾度かの変遷を経て、弘治 2 年( 1556 年)に神託により
浜松に遷され、五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けた。
寛永 11 年( 1634 年)の家光上洛の際に、五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受け、
以降 300 石の朱印地を領することとなった。
寛永 18 年、家光の命により現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され、遷座した。
旧社殿には元和元年(1615年)と寛永18年(1641年)の棟札があった。この社殿は様式的にみて、
元和年間建立のものを寛永年間に移転改築したものとみられる。
この旧社殿は昭和13年(1938年)に当時の国宝保存法に基づく国宝(現行法の「
重要文化財」に相当)に指定されたが、昭和20年6月18日に戦災により全焼した。
権現造の社殿のほか、透塀、唐門、楼門を含む4棟が旧国宝に指定されていた。
-御祭神-
[諏訪神社]
     建御名方命 八坂刀売命 事代主命
 (相殿) 徳川家康公



拝殿の内部。



同行の旅友は昭和二十二年生まれ。



『五宝稲荷社』。



拝殿前から鳥居方向を見る。



『社務所』。



御朱印を頂きました。



『浜松復興紀念館』の裏手を通る。



浜松市は太平洋戦争において艦砲射撃を含め、実に27回に及ぶはげしい空襲を受け、
市街地の大部分が焦土と化しました。
戦後いち早く着手した復興土地区画整理事業も、昭和58年3月中央工区の換地処分を
最後に長期間にわたる事業が終了いたしました。
浜松復興記念館は、この事業の完成を記念して昭和63年に開館しました。



ザサシティー浜松のトルコサンドウィッチ「ケバブ」の専門店『Mega Kebab』で一休み。



伸び~~る伸び~~るトルコアイスクリームを楽しむ。



光の芸術。



浜松駅前モール街店を散策。



「カルミア」か?



遠鉄電車(赤電)新浜松駅前。



新浜松駅前カリヨン『​ 友愛の鐘 ​👈リンク』。
1日6回、定時に曲が鳴るのですが、四季によって奏でる曲が変わるというのが特徴的。



『浜松アクトタワー』



浜松駅北口前をエスカレーターで地下に降りると、階段の左:西側は
滝と噴水のあるサンクンガーデンになっていた。



蓮田修吾郎(金沢/1915-2010)作の巨大なモニュメント『伸びゆく浜松』。



滝が涼しげに。



地上を見上げる。
浜松駅前地下広場と周辺施設を結ぶ接点で、空の見える解放された半地下空間。
半地下から上部へかけて立体的に都市景観をとらえるダイナミックな空間構成がすばらしく、
全国的にみてもユニークな施設であると。



浜松市のゆるキャラ・出世大名「家康くん」の「モザイカルチャー」のある噴水前。

「モザイカルチャー」とは花や緑を組み合わせて、色や特徴を生かしながら形にする作品。
骨格に土を詰め込み、表面に植物や花を植えてこしらえる。00年のモントリオール大会から
使われ始めた新しい言葉で、「モザイク」(寄せ集めの模様)と「カルチャー」(文化)を
組み合わせた造語であると。



再び『浜松アクトタワー』を。



時間はまだ14:47。



駅の中央通路には、『リニア中央新幹線の開業に向けて』のパネル展示が。



品川から名古屋まで最速40分と。
しかし、未だ名古屋以降のルートは未決定?



山梨リニア実験線を走行するL0(エル・ゼロ)系。



浜松市のゆるキャラ・出世大名「家康くん」人形もお土産に販売中。



『​ 浜松駅南口のカリヨン ​👈リンク』の下の大きな大理石の球。
噴水の水圧で浮き上がりゆっくりと自由に回転していました。



『元祖 日本で二番目に大きいたい焼き』。
『二番目商法』?ちなみに、日本で一番大きいたい焼きは、60cm、3.5kgらしい。




                             ​ その12 ​  に戻る。

       ・・・旧東海道を歩く(見付(磐田駅)~浜松) 完・・・






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Last updated  2020.05.01 12:21:28
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