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「 Eyre Square・エアスクエアー
」は1710年、市長エドワード・エアによって市に正式に
寄贈され、その名が付けられた。エアはトネリコの木を植え、公園を木製の柵で囲んだ。
1801年、メイリック将軍は広場の周囲に石垣を築き、当時はメイリック・スクエアと
呼ばれていた。19世紀半ばには、公園はジョージ王朝様式の再開発を受け、鉄製の柵
(これは後にセント・ニコラス教会を囲む現在の柵に再利用されました)と遊歩道が
整備された。
1965年、この広場は、暗殺される直前の1963年にゴールウェイを訪れ、この広場で演説を
行ったアメリカ大統領に敬意を表して、ジョン・F・ケネディ記念公園と改名された。
演説が行われた場所にはJFK記念碑が建てられ、その後2005年に胸像が設置された。
近づいて。
記念撮影する方も。
John Fitzgerald Kennedy Memorial・ジョン F. ケネディ・メモリアル
「John Fitzgerald Kennedy, President U.S.A., became a Freeman of Galway Borough,
at this place on June 29th, 1963.」
【 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ アメリカ合衆国大統領は、
1963年6月29日、この場所でゴールウェイ自治区の名誉市民となりました。
】 
歩道の中央にあったのが「 Liam O'Maoiliosa Statue・リアム・メロウズの像
」。
リアム・メロウズは、20世紀初頭のアイルランド革命運動において最も著名な人物の一人で
あった。彼はアイルランド共和同胞団(IRB)とアイルランド義勇軍のメンバーであり、
1916年のイースター蜂起、独立戦争、そしてアイルランド内戦において主導的な役割を
果たした。1922年に自由国軍によって処刑され、共和主義運動の殉教者となった。
1957 年、リアム メローズの生涯と功績を記念して、ゴールウェイのエア広場に
リアム メローズの像が建てられた。この像は、ダブリンでパトリック・ピアースと
ジェームズ・コノリーの像を制作したアルバート・パワーによって彫刻された。
この像にはアイルランドボランティアの制服を着たメロウズが描かれている。

O'Maoiliosa ・
メロウズ
と。
台座にはアイルランド語で「 Liam Ó Maoilíosa、Ceannaire Éireannach、Bascaodh é ag
an Stat Saor 8 Nollaig 1922
」(アイルランド指導者リアム・メローズ、1922年12月8日に
自由国によって処刑)と刻まれているのだ と。
様々な紋章?が描かれた幟が並ぶ。
「 BROWNE DOORWAY
」
「 BROWNE DOORWAY
The Browne Doorway comprises the arched doorway and first-floor window of the
seventeenth-century mansion of a Galway merchant, which originally stood on
Lower Abbeygate Street (formerly Skinner’s Lane).
Beneath the window is an armorial stone bearing the arms of Browne and Lynch,
two of the fourteen Tribes of Galway, and the year 1627.
In 1905, following proposals from the Galway Archaeological and Historical Society,
the doorway was rebuilt as the northern entrance to the then-railed Eyre Square.
One of the finest surviving examples of its kind, the Browne Doorway serves as a
reminder of the great architecture of Galway’s mediaeval hey-day」
【 ブラウン・ドアウェイ
ブラウン・ドアウェイは、ゴールウェイの商人の17世紀の邸宅にあったアーチ型の玄関と1階の
窓から成っています。この邸宅は元々、ローワー・アビーゲート・ストリート
(旧スキナーズ・レーン)に建っていました。
窓の下には、ゴールウェイの14部族のうちの 「ブラウン家」と「リンチ家」の紋章
、そして
「1627年」という年号が刻まれた紋章石があります。
1905年、ゴールウェイ考古歴史協会の提案を受け、このドアウェイは当時柵で囲まれていた
エア・スクエアの北側入口として再建されました。
現存する同種のものの中でも最も優れた例の一つであり、ブラウン・ドアウェイは中世の
ゴールウェイが繁栄していた時代の優れた建築を今に伝える記念碑となっています。】
在りし日の姿を写真で紹介。
窓
。
窓の下には
、ゴールウェイの14部族のうちの 「ブラウン家」と「リンチ家」の紋章
、そして
「1627年」という年号が刻まれた紋章石があります。
内側に廻り込んで。
「 THE
BROWNE DOORWAY
"This feature consists of a ground floor doorway and a 1st floor Oriel window and
came from the main frontage of the mansion of Dominic Browne and his wife
Maria Lynch and is dated 1627. Their achievements of arms occur above the door case
which is a fine example of Renaissance influenced design. The doorway was relocated
from its original position in Abbeygate Street and relocated here in 1905 by Local
Authority with funding from Galway Archaeological Society and Urban District
Council (now Galway City Council).」
【ブラウン・ドアウェイ
この建造物は、1階の玄関ドアと、2階の張り出し窓(オリエル・ウィンドウ)で構成されており、
ドミニク・ブラウンとその妻マリア・リンチの邸宅の正面から移されたもので、1627年の
ものです。
玄関上部には彼らの紋章があり、ルネサンスの影響を受けたデザインの見事な例となっています。
このドアウェイは、もともとアビーゲート・ストリートにありましたが、1905年に地方自治体に
よって現在の場所に移設されました。この移設は、ゴールウェイ考古学協会および都市地区
評議会(現在のゴールウェイ市議会)の資金提供によって実現しました。】 
「Officially unveiled by Mayor Terry O'Flaherty
on the 15th of September 2012」
【2012年9月15日、テリー・オフラハティ市長によって正式に除幕されました。】
そして「 Beef & Lobster
」で夕食。
やや高価であったが・・・。
そして帰路には、スーパーマーケットで部屋でのこの日の反省会ようにいろいろと買い込む。


そして、部屋で再びの宴会で、寝る時間を忘れる程に盛り上がったのであった。
・・・ もどる
・・・
・・・ つづく
・・・