JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.08.17
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カテゴリ: 海外旅行
N21道路沿いのカトリック教会の境内に設置された祈念碑が右手前に。



再びTrinitarian Abbey(トリニタリアン修道院)の敷地内を散策する。

聖母マリア像(Our Lady / Virgin Mary) 」の石像。



近づいて。
合掌して祈りを捧げる姿 。これはマリア像の典型的なポーズで、信仰と謙虚さ、慈愛の象徴。
ローブには繊細な植物文様や十字架のような装飾が浮き彫りされ、非常に細密な彫刻。
これはマリアの「純潔」「神聖さ」を視覚的に伝える工夫 と。
手から下がるロザリオ は、 祈りと瞑想を意味し、マリア信仰に深く関わる象徴



塔を見上げて。



塔は四角い形状で、 要塞建築のように頑丈 に見えた。
胸壁(バトルメント) :上部には切り欠きのある石の防壁(クレネレーション)があり、
           これは中世の防御建築によく見られるスタイル。
スリット状の銃眼(ループホール) :塔の壁に縦長の狭いスリットがあり、これはかつて
                 弓や銃での防御のために用いられたものです。
石の外壁には苔や草が生えており、中世以来の長い歴史 を感じさせたのであった。



トリニタリアン修道会は12世紀末に設立されたカトリック修道会で、このアデアの修道院は
13世紀初頭にノルマン系の領主により創建されたと。
アデア村は3つの修道院遺跡(フランシスコ会、オーガスチン会、トリニタリアン会)で
知られており、特にこのトリニタリアン修道院はアイルランドで唯一残る同会の修道院建築。



ゴシック・リヴァイヴァル様式(Gothic Revival)様式の教会の入口
こちらは脇門?



脇門の正面に移動して。
・尖頭アーチ(ポインテッドアーチ)の入口。
・アーチ上部の小尖塔(ピナクル)
・壁上部には、ここにも胸壁(クレネレーション)が残されており、これは中世の要塞的建築を
 模していた。
・十字架が正面の三角破風の上に掲げられており、キリスト教会堂であることが明示されていた。
・ゴシック窓も側面に見られ、細い尖頭アーチ形のステンドグラス窓が設置されていた。


Adare
ÁTH DARA

TRINITARIAN MONASTERY
Mainistir Ord na Tríonóide
Founded in 1230, this is the only monastery of the Trinitarian order known in Ireland.
It is now Holy Trinity Abbey, Adare’s Roman Catholic church.
The Trinitarian order – or the Order of the Redemption of Captives – was founded in
France at the end of the 12th century. Their purpose was to rescue hostages taken
during the Crusades in the Holy Land. The monasteries in Northern Europe were set up
to recruit monks and collect ransom money, though some were hospitals for rescued
captives. The Trinitarians may have come to Adare from Scotland.
After the Crusades, the monks gradually assumed a way of life little different from other orders.」 

トリニタリアン修道院
Mainistir Ord na Tríonóide(アイルランド語名)
1230年に創設されたこの修道院は、アイルランドで唯一知られているトリニタリアン会の
修道院です。現在はホーリー・トリニティ・アビー(Holy Trinity Abbey)として、アデアの
ローマ・カトリック教会となっています。
トリニタリアン会(捕虜救済の修道会)は、12世紀末にフランスで設立されました。彼らの
目的は、十字軍遠征中に聖地で捕らえられた人々を救出することでした。北ヨーロッパに
設けられた修道院では、修道士を募り、身代金を集める活動が行われていました。
一部の施設は救出された捕虜のための病院でもありました。アデアの修道士たちは、
スコットランドからやってきた可能性があります。
十字軍の終結後、修道士たちの生活様式は次第に他の修道会とほとんど変わらないものに
なっていきました。】

( 右側小テキスト
「A panel from the stained-glass window above the altar shows a monk in chains about to redeem a hostage.」
【祭壇上部のステンドグラスの一枚のパネルには、捕虜を救おうとして鎖につながれた修道士が
描かれています。】 



こちらが「西正面ファサード」であっただろうか? 
大きな入口扉と壮麗なトレーサリー付きの窓が。



さらに奥に進んで。



教会の西側敷地内を見る。



西面と南面の接合部を斜めから捉えた構図 で。



道路沿いにあった「 記念十字架(Memorial Cross) 」。
十字架の上部はケルト風の装飾が施された石のクロス で、アイルランドの伝統的なハイクロス
(High Cross)を模した様式。
柱の上部には編み込み模様(interlace)が見られ、装飾的意味と象徴的意味
(信仰の堅固さや永遠性)を併せ持っているとのこと。
台座は4面構成で、中央に十字のレリーフと水飲み場のような突起があり、おそらくかつては
噴水機能があったのでは。



左右に碑文が刻まれた「 戦争記念碑(War Memorial) 」。



歴史的な 噴水(fountain)の修復記念碑



Unveiled 5th November 2021
by
Councillor Daniel Butler, Mayor of the
City & County of Limerick
to mark the restoration of this historic
fountain by Limerick City and County Council.」 

2021年11月5日 除幕
リムリック市および郡の市長、
ダニエル・バトラー市議によって
この歴史的な噴水の修復を記念して、
リムリック市・郡議会により建立された。】



Trinitarian Abbey(トリニタリアン修道院) を背景に。



ズームして。



Trinitarian Abbey(トリニタリアン修道院)の内部へ。
祭壇を正面から

写真中央の大アーチ(尖頭アーチ)はゴシック建築の典型。
アーチの上部に描かれた金文字のラテン語文が視線を引きつけたのであった。
QUAM DILECTA TABERNACULA TUA DOMINE VIRTUTUM
あなたの住まいはいかに愛されていることか、万軍の主よ
これは典型的な教会の祭壇上部に掲げられる句で、聖堂が神の住まいであることを讃えて
いるのだ と。



奥のステンドグラス窓。
キリストや聖人の姿が色鮮やかに描かれていた。
特に中央には、イエス・キリストの昇天または聖三位一体(Trinity)がテーマに。
中央の白衣をまとい、光輪(nimbus)を持つ人物は キリスト。
頭上から神の光が降り注ぐ様子が放射状のラインで描かれていた。
キリストは両手を広げ、両側には跪く人々が配置される典型的な「裁き主」としての姿に近い。
左側第2パネル :キリストの受難を示すような衣をまとった男性が登場(おそらくペテロ
         またはパウロ)
右側第4パネル :ひざまずく女性と子どもを祝福するキリスト(慈愛の象徴)
左右端パネル :説教や施しを行う聖人(福音記者または使徒たち)

Adare, Limerick County, Ireland - Travel Photos by Galen R Frysinger,  Sheboygan, Wisconsin

<小型の三連ランセット窓(three-light lancet window)
主に聖母マリアと幼子イエスに焦点を当てた図像構成となっており、母性・慈愛・信仰の
テーマが前面に描かれているのだ と。
中央:聖母マリアが玉座に座り、幼子イエスを抱く場面
左 :上部に聖歌隊の天使たち、下部には巻物を持った聖人(おそらく旧約の預言者)
右 :聖歌隊の天使たち。部には若い母親と子どものような姿(マリアの母アンナ)
各パネルの下部にはそれぞれ 紋章 が描かれていた。
中央 :王冠とユリ(純潔)のモチーフ → 聖母マリアの象徴
左右 :ダンレイヴン伯爵家の家紋である可能性(この教会の庇護者)



右:赤と青の衣に身を包んだ栄光のキリスト(Christ in Majesty)が玉座に座っており、
  威厳ある姿で右手を挙げ祝福。足元には地球を象徴する青い球体。
左:白衣をまとった復活のキリストが、手に十字架と勝利の旗(白地に赤十字)を掲げて登場。
  足元には倒れる兵士の姿。これはキリストの墓を守っていたローマ兵が驚いて倒れ伏す様子。



さらにステンドグラスをカメラで追ったのであった。







ステンドグラスを短い時間で慌ただしく楽しんで外に出る。
道路沿いの案内標識。



アイルランド・リムリック県の「 リムリック・グリーンウェイ(Limerick Greenway) 」の
観光案内看板。これは、 かつての鉄道路線を活用したサイクリング・ウォーキング用の全長
40km以上の緑道
(greenway) とのこと。



そしてアデア村の中心部、Main Street沿いにあった
Adare Heritage Centre(アデア・ヘリテージ・センター) 」。



Adare Tourist Information Point(アデア観光案内所)
上部にはおなじみの 緑地に白の "i" マーク があり、これは国際的に認知されている
「インフォメーション(案内所)」の標識



Adare Heritage Centre(アデア・ヘリテージ・センター) 」の内部には後ほどに と。



引き返して、再び Trinitarian Abbey(トリニタリアン修道院)を背景に
記念十字架(Memorial Cross) を。
戦争犠牲者の慰霊を目的に建立されたもの。



先ほど訪ねた「 藁葺き屋根のコテージ群(Thatched Cottages) 」を道路越しに。



ズームして。



道路の右側前方に見てきたのが、「 Adare Manor(アデア・マナー)の正門ゲート 」。
・19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式のマナーハウス(大邸宅)
・現在は5つ星の高級リゾートホテル& ゴルフ場・Adare Manor Golf Club
・広大な敷地には、ゴルフコース、スパ、ファインダイニング、乗馬施設などが整備
・2027年のライダーカップ(Ryder Cup)開催地にも決定されており、世界的に注目されている 



上空からの写真をネットから。
手前に巨大な ゴルフ場・Adare Manor Golf Club

Adare Manor: Resort review, golf courses, highlights and more

Adare Manor(アデア・マナー)

Le Adare Manor - Château irlandais reconverti en hôtel • Guide-Irlande.com

その先にあったのは、 Adare Manor(アデア・マナー) のも う一つのメインゲート
(セキュリティゲートハウス)
Adare Manorの敷地の出入口にあたるが、こちらはより厳格な管理用の入り口としての性格
が強いもののようだ。



宿泊ゲスト、関係者、スタッフなどの出入りを管理する受付・警備所。
石造りでゴシック調のデザインが施されており、 本邸と統一された建築様式 になっている。
屋根はスレート葺きで、 尖塔や煙突、尖頭アーチ窓が中世風の雰囲気 を醸し出していた。



N21を 「Desmond Castle Adare」の見学に向かって徒歩にてさらに北上 する。 
左手奥にあったのが「 アウグスチノ会修道院跡(Augustinian Priory / Abbey) 」。
1315年頃、ジョン・フィッツトーマス・フィッツジェラルド(John FitzThomas FitzGerald,
1st Earl of Kildare)によって創設 された と。
修道士の服の色から「ブラック・アビー」と呼ばれていた。
宗教活動は約200年間続きましたが、16世紀半ばにコミュニティは廃止されたとのこと。



アウグスチノ会修道院跡(Augustinian Priory / Abbey) 」入口ゲートにあった看板。
St. Nicholas’ National School(セント・ニコラス国立学校) 」の 2025年度入学案内
アイルランドの大学の新学期(学年度の開始)はイギリスと同様に一般的に9月から。

「St. Nicholas’ National School(セント・ニコラス国立学校)は、男女共学の小規模な
国立小学校で、3人の担任教師と2人のサポート教師が在籍しています。学校はアデアの郊外、
マイグ川(River Maigue)のほとりに位置し、アデア・マナー(Adare Manor)の門の向かいに
あります。ダンレイヴン伯爵夫人(Countess of Dunraven)がパトロン(後援者)を
務めています。
この学校はアイルランド国教会(Church of Ireland)の理念に基づいて運営されていますが、
すべての宗教、または無宗教の子どもたちを歓迎しています。」 と。



St. Nicholas’ National School(セント・ニコラス国立学校)の案内看板



アウグスチノ会修道院(Augustinian Priory / Abbey)の 正面(東面)から見た全景。



観光案内板「 Adare Nature Trail & Heritage Sites(アデア自然散策路と文化遺産地) 」。



Adare (Desmond) Castle (c.1226)
Adare Castle was built and owned by the O'Donovan family until the arrival of the
Normans in the 12th century. In 1226, the lands and castle were granted to the
FitzGerald family, Earls of Kildare.
The castle was rebuilt and enlarged during the 13th and 14th centuries and was used
by the Earls of Kildare until 1536 when it was confiscated by the Crown after
the rebellion of Silken Thomas against Henry VIII. It then passed into the ownership of
the Earls of Desmond who held it for over 100 years.
The castle fell into ruin after the Desmond Rebellion of 1580 and remained unoccupied
until restoration work in the 20th century. Guided tours of the castle commence
at the Adare Heritage Centre.」

Adare(Desmond)Castle(1226年)
アデア城は元々ノルマン人のディ・ブルゴ(De Burgo)家によって築かれました。1233年、
ヘンリー3世によって没収され、リチャード・ド・クレア(ストロングボウの孫)に
与えられました。
およそ300年にわたり、アデア城はリムリック伯爵(Earl of Kildare)によって占拠されて
いましたが、1536年、トマス・フィッツジェラルド(通称「シルバートン卿」)が
ヘンリー8世に反旗を翻したため没収されました。
その後、城は第1代サー・ジョン・フィッツジェラルドに譲渡され、彼の家系が19世紀まで城を
保持しました。20世紀初頭に修復が行われ、 現在はガイド付き見学が可能です
(出発点はアデア・ヘリテージセンター)。】





Franciscan Friary (1464)
The Franciscans arrived in Dublin around 1230. During the next century the Catholic Church was reformed by Henry VIII and the monasteries dissolved. The Adare Franciscan Friary was built in 1464 by Thomas Earl of Kildare and was used by the Franciscan Friars for over 100 years. In 1540, it was suppressed by Henry VIII and passed into the hands of lay owners.
It remained in use by the Franciscans in the 17th and 18th centuries and was restored by the Earl of Dunraven in the 19th century. Today the friary is used as a school (St. Nicholas National School) and as a venue for cultural and community events.」 

Franciscan Friary(1464年)
フランシスコ会修道士がアデアに最初に到着したのは13世紀でした。16世紀初頭にカトリック
信仰の改革の一環として再建され、第7代ダンレイヴン伯爵が支援しました。
宗教改革の影響を受けた1540年、修道院は**ヘンリー8世によって解散
(Dissolution of Monasteries)**させられましたが、地元の人々の手で保持され、再建も
進められました。
修道院にはプレバンダル・ハウス(教会の財務官の館)や墓地跡も残っており、歴史的にも
建築的にも貴重な遺産です。現在、聖ニコラス国立小学校が隣接しています。】



「14 Arch Bridge (1400)
Originally built by Gerald the 1st Earl of Desmond in 1400, this bridge was widened in 1836 by Windham Quin the 2nd Earl of Dunraven who added the pedestrian refuges.」 

14アーチ橋(1400年頃)
この橋は14世紀初頭、第1代デスモンド伯ジェラルド卿によって建造されました。その後、
1836年に第3代ダンレイヴン伯によって歩道が追加され、現在の姿となりました。】





MAPをズームして。





                                   ・・・もどる・・・




                  ・・・つづく・・・










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Last updated  2025.08.17 06:03:49
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