全30件 (30件中 1-30件目)
1
A Course in Miracles (奇跡の学習コース)という本がある。未だ、日本訳は出版されていない(準備中だとのことです)。この本はHelen Schucmanと言う女性が、イエス・キリストと名乗るスピリットから、何年にもわたってメッセージを受けた。そして、1976年に出版された。その根本的な考え方は「癒しは、神と一体化する思いによって起こり、病(苦しみ)は、神と分離した思いから生じる」にある。この世の中で、病気や悩みは神との一体化していないために起こっている。この言葉をどれだけの人が信じられるだろうか?また、このような発想をする人自体がとても少ないように思う。祈りは「神に呼びかけること」、瞑想は「神が降りてくる滑走路」との例えを聞いたことがある。通常、私たちは「エゴの思考」で生きている。それは、自分の価値を認め、安全に生きていくための思考だ。価値を認めるという事が、他人に対して認めて欲しい、認められたいと思い。身の安全のために、お金が欲しい、いい家が欲しい、社会的な高い地位が欲しい。この考え方は、今の社会に共通した考え方であり、勝ち組、負け組みなどという言葉がそれを象徴している。そこには、どうしても自分だけ、自分達だけがよければいいという、思考がある。それが、一体化からの分離であり、われわれの悩みの源になっている。しかし、これらの思考は生まれながらに持っているのではない。親から、先生から、社会の常識、文化から自然に小さい時に、潜在意識に埋め込まれた考えだ。私たちが本当に癒されるためには、宇宙(神)と一体になる事が必要であり、また、病気も宇宙(神)との分離により起こるのであれば、われわれは宇宙との一体感で生きることが大切だ。そのためには、騒がしく、興奮して生きる生き方から、静かな、平和な生き方へと転換を図る時期がゆっくりと、着実に来ているようだ。
2008.01.31
コメント(1)
「私の周りの人たちはいなくなった」この言葉は、28日に行われた「ほあーがんサポートネットワーク」の会である卵巣がんが再発して、4回の手術、抗がん剤を受けた来た患者さんが話した。とても、印象に残っている。がんが再発したり、進行がんである場合の予後は正直厳しい。その中で、担当医は誠意?を持って、抗がん剤や放射線治療を勧める。あたかも、何かに取り付かれたように。一刻も早く、抗がん剤の治療をしないと、命にかかわりますよ、と話す。その通りにしていると、例外はあるのだろうが、大体、統計通りに亡くなってしまう。生き残っている患者さんは、全く自己の道を歩むか、自分の身体の感覚を確かめながら、医者からの提案は受け入れる。だから、後者の患者さんは、医者のいいなりの治療法は受けない。医者からの提案を自分の感覚で、その治療法は自分に合っているか、今この時期が相応しいか?と自分の内側に聴いてみる。この自分の内側に聴ける人はやはり、凄いし、穏やかである。何しろ、自分を信頼しているから。その卵巣がん再発の患者さんは、適当(いい加減という意味ではない)に抗がん剤などを受けている。自分の感覚で。そして、最初の言葉となる。いずれにしても、自分を生きることが大切だ。それは、単なる知識ではなく、本来、その人の持っている直感、頭での知識ではなく、深いところにある本当の自分に接する人が、自分らしく、長生きできるのだろう。
2008.01.30
コメント(1)
この日記を書こうとしていると、緊急の電話が入った。ある小学生の児童の健康状態についてだ。いろいろ話をしていると、もう時間がない。今朝はこの日記を止めようかと思った。 でも、ゆったり、リラックスしたペースで。こんな時にどう考えて、行動するか。日々の暮らしの中で、いつも自分の思考をチェックする習慣を大事にする。焦っている自分。それって、どこから来ているの?こんな問答をしながら、感情を見ていく。頭から心への転換を少しずつでもしなければ。
2008.01.29
コメント(1)
昨日は「カウンセリング」のセミナーに出た。本来は、土・日の二日間の日程だが、土曜日は仕事でお休み、日曜日だけ、出席した。実際の悩みなどを、カウンセリングする実践形式である。印象的だったのは、事実関係を重要視すること。なぜなら、悩みの多くは、その人の思い込みが多い。物事を客観的に見られない。そこで、現実とのズレが生じる。そのためには、先ず、現実を直視する必要がある。そこが、先ず、カウンセラーの技術なのだ。クライアントのペースに巻き込まれずに、その事は本当なのですか?、と問う。次に、クライアントさんの思い込みである。一人の人を見ても、百人いれば、百通りの見方がある。「悩み」を感じている思考の源の考え方は何処にあるのか。多くは6歳くらいまでの、経験に基づいている。両親から受けたもの、あるいは、見たものが多い。その、価値感が知らず知らずの内に、潜在意識に埋め込まれている。だから、そこを穿り返さないと、同じパターンで反応したり、感じたりする。それが「コアー・ビリーフ」と言われるものだ。その源の考え方に到着したら、それを、新しい考え方に置き換えるのだ。しかし、これがそう簡単には行かない。なにしろ、何十年と親しんできた考え方だ。「はい、さようなら」とは簡単に行かない。それでは、それを定着されるのは、日々の中での新しい価値感の繰り返しと身体に定着されるのだ。そのために、アファメーションとフォーカシングを使う。カウンセラーを志すには、先ず、自分を思考を見つめる訓練をしなければならない。この事は多くのカウンセラーが指摘している。それから、観察力だ。クライアントさんの、話し方、頻回に出てくる言葉、その仕草、全てにその方の価値感、思い込みが込められている。それを、冷静に見つめる事だ。楽しい、セミナーだった。
2008.01.28
コメント(1)
自分を生きるという事は、とても大切な事なんだ。誰でもが毎日、生活している。自分を生きているのではないか?いや、見かたを変えると、自分自身を生きていないかもしれない。では、何を生きているの?人のために生きている!!そう、多くの時間を人のため、他人を意識して生きている。自分を意識している何十倍も、何百倍かもしれない。「自分を生きるという事」は、どんな事なの?それは、きっと、無人島にいて、一人で毎日楽しく生活できる事。いじめに遭っても、自分は一人で楽しく生きていくから、気にしないよ!!こんな生き方ではないか。自分を生きる生き方をして、輝いていると、周りの人たちは輝きに引き寄せられる。丁度、灯かりをつけて、魚を集めて、漁をするように。こんな生き方を目指して、実践したい。
2008.01.27
コメント(1)
「自分の内側に入りなさい」 「自分自身と対話をしなさい」 「自分自身の声を聴きなさい」など自分自身との関わりを持ちなさい、と多くの本や人たちが勧めている。常に、外部の情報や価値感を意識し、そこに価値感を置いている生き方をしてしまう。人はどう思っているのか? 人にどう思われたいのか?社会生活していく上で、人を意識しないで生きていくのはどこまで可能なのだろうか。われわれは無人島で一人で生きているわけではない。人とのふれあいが大切だし、利他的に生きるのがよいとされている。自分自身の内側に入るとは、自分自身の潜在意識につながる事により、日常生活を生きている時に使用している顕在意識から離れる。これは、一つの方法だろう。そのための「瞑想」は第二の母とも言われている。この世界には、騒音や興奮はないのだろう。静けさや沈黙や穏やかさが拡がる世界なのだ。また、自分自身の身体、細胞は全てを知っているという。ですから、体に聴けばいい事になる。その方法は、フォーカシングであり、スリーインワンであり、Oーリングテストなどだろう。スリーインワンやOーリングテストは実際に、筋肉を動かしていく。一方、フォーカシングは実際に体を動かしていくのではないが、体の部位の感覚を大事にする。いずれも、やはり、静かな世界が必要であり、騒がしいテレビの音や音楽の中では得られないだろう。静けさの中で、じっとしている事が心を澄ます、第一歩だ。
2008.01.26
コメント(3)
ある患者さんにお会いした。肝臓と腎臓が悪くて、腹水と透析を週三回受けている。腹水の貯留が著しく、腹腔穿刺も数回受けている。「あと、1~3ヶ月の命でしょう。突然、死ぬ事もあるかもしれません」と本人と家族に話をしている。本人は至って元気に歩ける。確かに、肝臓と腎臓の両方の機能が低下している状態では、予後は長期的には厳しいかもしれない。しかし、血液検査の値も落ち着いているし、患者さんは通常の会話や歩行が可能だ。このような人に余命告知をする必要が果たして、どれ位あるのだろうか。担当医師にとって、万が一に急変して亡くなってしまったら、家族の方たちから責められるという思いがあるのだろう。予防線を張っているのだ。しかし、この予後告知が、患者さんに与える影響や家族の方はいつ亡くなるかもしれない、という恐れのために、外出もままならなくなる。社会的立場から会社の経営や財産管理から、ある程度予後について話をしておかないと、万が一の時に混乱する可能性がある。しかし、通常の時に安易?に保身のために予後告知をして、患者さんを不安と絶望に追い込むのは如何なものかと思う。もっと、人の命の(これは肉体に関してだが)不確定さや、その為の日々の過ごし方など、別の言い方で人生を全うするように話が出来る医師が増えて欲しい。そのためには、医師と患者さんとそのご家族とのコミュニケーションがとても大切となる。
2008.01.25
コメント(1)
漢方薬の中でも、葛根湯はポピュラーな内の代表的な一つです。私は漢方は少しかじっているのですが、西洋医学とは違った観点から心身を診ます。一番の違いは、西洋医学は病名により処方が決まります。胃潰瘍にはこのくすり、膀胱炎にはこの薬、うつ病にはこの薬、と病名により使う薬が決まります。保険点数もその病名に合った薬でないと、保険では認められないのです。所が、漢方は証でみます。その方のバランスがどの様に崩れているのかを、実証、虚証、また、腹診などにより、全体の歪みを診て、それに対して、漢方薬が処方されます。病名は基本的には必要ありません。ですから、西洋医学的には複数の病名に対して、漢方薬は有効です。さて、「葛根湯」は、比較的体力のある人の風邪の引き始め、特に、熱が籠った状態に肩こりのような筋肉痛がある場合には有効です。私はカバンの中にこの葛根湯をいつも1包入れています。昨日も夜会合があったのですが、始まる前にどうも熱感がして、身体の中が暑く、風邪の引き始めのような感じがしたので、その葛根湯を1包飲むと、その熱感は帰る頃には収まりました。葛根湯はその他に、病気の引き始め、特に炎症性疾患に有効な薬です。例えば、膀胱炎、結膜炎、乳腺炎なども適応がある不思議な薬です。
2008.01.24
コメント(2)
昨日の朝、久しぶりで恩田川の川べりで、お友達のカラスのつがい、雀たち、ハトにあってパンをあげていた。突然、カモメの大群が現れた。20~30羽くらいだ。かれらは敏捷に飛ぶ、そして、ハトより大きい。パンが地上に着く以前にキャッチしてしまう。ハトたちは呆然としているうちに、餌は全てなくなった。海から20キロ以上内陸部でこんなに多くのカモメを見たのは初めてだ。海には餌がなくなっているのかなあ~生態系が変わりつつあるのか。そもそも餌をあげるのはどうなんだろう。なんて考えた。でも、カラスはいつも待っているし、雀も可愛い、ハトは腕に止まる。こんあ週、1~2度の交流は楽しい。
2008.01.23
コメント(1)
がん治療に抗がん剤が用いられる。時にとても良く反応することがあり、がんが画像上消失したようになる。その時に大抵の医師は、手術をして確かめましょうという。がんが残っていないのに、何故手術なの?多くの患者さんは不思議な思いをする。万が一、再発したら? 残っていたら?そのために手術をするの?がんがもし残っていたら、という恐怖はがん患者さんの誰にでもある。しかし、何時の時点で手術をするか?私はがんをきちっと追跡して、もしも、再発した場合にその情報をキャッチできる体制を敷いたなら、そのまま様子を見ても良いのだろうと思う。万が一、再発したらその時に手術をすればいい。その時には手遅れになる可能性があるのでは?その可能性は否定できない。でも、きちっとした追跡をすれば、かなり防げるし、再発する状況であれば、何時の時点で手術をしても予後は変わらない可能性も高い。
2008.01.22
コメント(1)
「夜寝る前に贈る言葉」(OSHO 市民出版社)という本がある。一日に一つのテーマ、365日、毎晩寝る前に読むようにできている。その中にこの様な文章があった。夕陽を見つめ、その中に溶けていきなさいただの観察者にとどまらず観察するものとされる対象にひとつに溶け合わせることだゆっくりゆっくり、あなたはそのコツを呑み込んでいくあなたは木の傍らに座るだけで木をの深い一体感を感じとれるようになるそうしたちょっとした試みの積み重ねが最終的にあなたを全体との一体感へと導くそしてその体験こそ神に他ならないこの文章は、実は6月19日に本来読むべき内容です。何故か、読んでしまったのです。でも、その内容はとっても意味があり、自分の求めていたものだと気づいたのです。木と話をする。木に呼びかける。木の気持ちが分かる。その終局が木との一体感であり、それは、自然との対話により訓練でき、一体感を味わえるようになるという事だ。その体験が「神」そのものである。全ての中に、神がいて、全ては一つだ。この体験なのだろう。
2008.01.21
コメント(1)
スティーヴ・ジョブズ氏(Steve-Jobs)はマッキントッシュのコンピューターの開発者だ。05年6月12日に米国、スタンフォード大学の卒業式にスピーチをした。彼は、大学を一年の時に退学して、それから、そのまま在籍しないで好きな授業を受けた。このような経歴の持ち主を、スタンフォードという一流大学が卒業式のスピーチを依頼するのも、度量の広さを示しているだろう。さて、このスピーチの原稿は以前、目にしたことがある。その中で、「もし今日が人生最期の日だとしられ、今日する予定の事を本当にするだろうか」という文章があり、気に入って洗面台の鏡に貼ってある。たまたま、ある人のブログを読んでいたら、この14分間のスピーチが日本語訳付きで聴けることが分かり、早速、聴いた。創造性豊かな素晴らしい生き方であり、人生の生きる上での大切な事を述べている。是非、一度聴いてみてください。
2008.01.20
コメント(1)
私たちには、3つの本能があると聞いたことがある。食欲、性欲、それから集団欲だそうだ。集団で生きていくのが、身を守ることであれば、そうかもしれない。この集団で生きていく事の大切さが、他人を協調し、他人を意識することにつながる。いつも、他人の目を気にしながら生きていくのが、われわれの宿命かもしれない。しかし、本当に大切なのは、他人にどう思われたいか、他人からどう評価されたいか、ではない。自分自身が自分をどのように評価し、そして、どの様に自分に対するかだ。この事は改めて私が指摘するまでもなく、古今東西多くの賢人たちが指摘している。しかし、つい忘れてしまう。そして、他人の評価を気にする。または、他人の自分への愛を気にする。大事なのは、変わらない自分自身への愛と信頼だろう。ここがしっかりしていれば、他人にもやさしくなれるし、他人を愛することが出来るようになる。日本メンタルヘルス協会の衛藤先生は「自分が自分の一番のフアンです。私が一番誰にもまして自分が好きです」と話している。そういえば、昨日、プロゴルファーの上田桃子さんも「試合に勝てたのは、自分自身に対する信頼です」と話していた。
2008.01.19
コメント(1)
催眠療法で、自殺をした人に家族やその他の人が会いに行った場合には、どうなるのか。何人かの人たちに、自殺した肉親に会いたいという人がいた。催眠療法の場合には、セラピストの技術もさるものながら、クライアントさんにより上手くいくか否かがかかっていると言える。セラピストは、クライアントさんが催眠に入って行き、そこで、経験する事を妨害しなけらばいいのだ。そうすれば、クライアントさんのハイアーセルフがチャントそのクライアントさんにとって、一番その状況に適した体験をさせてくれる。今までの経験では、全く会えない(催眠状態から醒めてしまう)、会えても自殺した人がうつむいてしまって、話ができない、チャント元気でいて、話ができる。いろいろなケースがある。自殺者は魂の世界では、否定的な意見が多いが、どうも必ずしもそうではなさそうだ。ハッピーな魂の状態でいる事も可能らしい。魂の世界から見ると、肉体的な「死」は決して、忌むべきものではないし、むしろ、窮屈な肉体から開放されて、喜んでいると捉えている事が多い。死を否定的な意味に捉えたり、地獄があるなどと言うのは、どうも恐怖を利用した脅しの面が強いようだ。魂の世界では自殺者はとても辛く、暗い状態にいるのかと思っていたが、魂が明るい、普通の人たちと変わらない状態でいることを、クライアントさんから教えてもらい、ほっとした。
2008.01.18
コメント(4)
昨年末に朝日新聞に「胃がん治療 合わせ技」というタイトルで、手術後に抗がん剤という副題のついた記事が掲載された。内容の要約は、胃がんでSTAGE2期の患者さんが、手術と術後抗がん剤の使用により、「手術単独」の3年生存率が70.1%に対して、胃がん術後TS-1という抗がん剤を内服した人は80.1%の生存率であった、と報告している。胃がんの中でも、2期という限られた患者さんにとって、胃がんの手術の後にTS-1という抗がん剤を内服すると、3年後の生存率が10%向上するという結論だ。それが、統計学的に有意差が見られるとされている。従来から、抗がん剤はその効果(生存率)を上げるのに役に立っているのか?この疑問には答えが出せなかった。というより、むしろ、有効性が認められなかったというのが正しい言い方なのだろう。私も病院に所属している時には、何回かこうような、抗がん剤の治験に参加したが、有効であるという差が出なかった。でも、それを使用していた。胃がん治療の第一人者の笹子先生も「手術だけで後は何もしないのはかわいそうだ、という意識が医師にあったのでしょう」と述べているが、本当にこの程度の信頼性や思いで使われてきたのだ。今回のこのデータが、あたかも他の段階(ステージ)にも効果があるように伝えられるのかもしれないが、2期という限られた患者さんにとって、10人に一人だけこの抗がん剤を内服する事による効果が期待できるのだ。これにより抗がん剤は全てのがんに効果があると解釈するのは危険だ。残りの9人は内服しても、副作用などが出るかもしてないが、効果はないのだ。医療もこのように不確実な内容でも、医師の思い(利益)と患者さんの思い(治りたい)と製薬会社を中心とする企業の思い(利益)がこのような結果を生み出しているのだろう。
2008.01.17
コメント(2)
単純な生活がいい。寝る時間、起きる時間、ご飯を食べる時間、これらが決まっていて、自然の流れがいい。いつも気持ちに余裕を持って。そんなに急がなくても、人生は待っていてくれる。せっかちになったところで、できることは知れている。根を降ろして、じっくりと、急がず、焦らず、そう、それと宇宙とつながって事を勧めれば、それでいい。静かで、微笑みのある生活。これが理想だ。
2008.01.16
コメント(1)
催眠は静かな所で、リラックスした準備状態で行うのが普通だ。たまたま、研究会の後の懇親会でカラオケに行く事になった。カラオケをするのは何年振りだった。その時に同席していた人二人が催眠にとても興味を示した。それではと、大きな声で歌っている人がいる状態でも、催眠誘導をしたら、ごく簡単に催眠状態に入った。話す声が聞こえない位に、うるさくても、気持ちの良いリラックスした状態を経験できたと受けた人は驚いていた。われわれは普通の状態でも、自己催眠という形で一日の内に何回も催眠状態を経験している。催眠状態とは潜在意識によりつながった状態だから、リラックスした状態、緊張状態、無意識状態など様々な状態で自己催眠を経験している。どんな方法であっても、こころの状態を見て行くためには、潜在意識に埋もれている記憶に到達し、そこでの感情を経験しないと同じパターンを繰り返す事になる。その方法にいろいろな手技があることになる。
2008.01.15
コメント(1)
いま少し前までこのブログはメインテナンスをされていました。やはり、定期的にチェックをする事は大切なのだと思います。それは、こころにも身体にもいえることでしょう。しっかりと管理した心身は、綺麗に手入れされた庭のようだ、との喩えがあります。今日はこれから群馬まで勉強会に一泊まりで出かけます。温泉に入れるかな~ 楽しみ!!
2008.01.13
コメント(3)
I can stand aloneこの言葉はチャーリー・チャップリンが書いたと言われている。昨日。NHKのBSでチャップリンについて放送していた。映画「独裁者」はナチス・ドイツの興隆と時を同じにして作られた。チャップリンは本来なら恋愛物と映画を製作する予定だったが、急遽この映画を作ることにしたらしい。チャップリンが喜劇王と称されるのは、悲しいこと、シリアスなことを笑いに置き換える。だから、余計、真実味が増してくる。独裁者の最後の場面は、兵士達がダンスを踊る事になっていて、実際そのように撮影された。しかし、チャップリンはその最後のハッピーなシーンに納得できず、6分間の演説を持ってきた。これに対しては、興行の面からも反対があった。彼は、それを押し通し映画は完成した。最後の6分は基本的な人間の生き方、真実、幸せについて演説している。それは、真実だから、いつまで経っても人々の心を打つし、価値は変わらない。それにより、彼は右翼からも左翼からも攻撃され、アメリカを一時期去った。彼をこれだけの行動に駆り立てた考え方が「I can stand alone」だ。チャップリンのような偉大な業績を上げる人は稀だろう。でも、日常生活において、自分は一人で立てるんだ、という考え方と行動は必要だろう。外部に価値感を置いて、自分自身の本当の内面の声を聞く機会が少ない。先ず、第一に自分の事を考える事が他者に対しても役に立つ。だから、自分を愛する事がとても大切であり、自分を愛する事が出来れば、他人も愛する事ができる。この逆は成り立たない。独り立ちすることの重要性を改めて感じた。
2008.01.12
コメント(1)
日経メディカル・オンラインにこんな記事が載っていた。アメリカ在住の津久井宏行先生が寄稿している。「水には金を払えるが、医療には金を払えない日本人米国ピッツバーグ大学 津久井宏行関連ジャンル:医療制度 かつての日本は、「水」と「安全」はタダの国、といわれてきた。 しかし、現在の日本では、「おいしい水は買うもの」という認識が浸透してきているのではないだろうか。蛇口をひねれば、廉価な水が飲めるにもかかわらず、高価なミネラルウォーターのボトルがコンビニの棚にずらりと並ぶ。日本ミネラルウォーター協会の統計によると、1986年に83億円であった消費が、2006年には、1862億円まで増えている(金額は「国内生産」と「輸入」の合計)。その成長率たるや20年間で約22倍だ。 「安全」もしかり。各種防犯グッズや安全を売り物にした商品が店頭に並ぶことが当たり前になった。また、安全に関するサービスを提供する会社の業績は順調のようで、今や東証一部に警備会社が3社も上場するような時代になった。 なぜ今、日本人は高い金を払ってまで、「水」や「安全」を買うのだろうか? ―― 「水」や「安全」は命にかかわる大切なもの。命にかかわるサービスにお金がかかるのは仕方がない、という認識があるからだろう。 一方、日本の医療サービスの良し悪しは、素人には分かりにくい。日本中どこに行っても、ほぼ同じレベルのサービスが、同じ値段で提供されてきたのだから、比較のしようがない。 例を1つ挙げると、海外で医療サービスを受けたことがある日本人は、日本の医療がいかに安価で、ハイレベルのものを提供してきたかを実感する。 つまり、海外に出れば「命に関わる値段は、高くても仕方ない」と受け入れられるようになるのだ。ところが、日本に戻った途端、この感覚は忘却のかなたへと消えていくようだ。医療サービスの価値説明が必要だ 私は、日本の医療従事者は、自分たちが提供している医療サービスの価値説明を怠ってきたように思う。」以上 私たちの持っている価値観や常識を短時間に変えようとすると、自分の意識が変化についていけないために抵抗が生じる。しかし、徐々に変わっていくと、知らず知らずのうちに受け入れてしまう。「水」に対する考え方もそうなのだろう。医療に関しても、外国では高いというのも常識だし、それを受け入れている(だから、外国に行く時にはセッセト保険に入る)。医療に関しては、国民皆保険制度がとても有益であるのと同時に別の側面からは医療を分かり難くしている。それは、医療は安い値段(外国などと較べて)で受けられる。全国で一律なレベルの治療が一応受けられる。その結果、少しでも体調が悪いと病院に行こうとなる。折角、保険料を払っているので、大いに利用しなければという発想が生まれる。診療所や病院は多くの患者を診ることにより収益が上げられる仕組みなっている。検査、処置、処方だ。だから、言葉が悪いが薄利多売になって、三分診療が出来上がってしまう。これは、医療者側と患者側の両方に原因がある。今回、現場の医師と話して感じるのは、「やっていられないよ!!」という言葉だ。それは、医療者と患者との信頼関係が失われつつあるからだ。一生懸命にやっても、何か事が起こると、患者側は直ぐに医療ミスではないか?という目で見て、そう話す。日常の医療の中で、医者が加害者かのように扱われる医療には、ヘキヘキしているのだ。精神的に疲れて、やる気をなくしている。これが最大の原因だと思う。
2008.01.11
コメント(3)
朝起きて、先ず、歯を磨く。その時には鏡に向かう。自分の顔が写る。その自分の顔を笑顔にして、「おはよう!! マサルちゃん 今日も宜しく」とご挨拶。他人に対しては挨拶をするが、自分に対して挨拶をする習慣はない。でも、自分が一番大切なら、その大切な自分に向かって丁寧な笑顔の挨拶をすると気持ちがいい。その鏡の右上の端に「もし、今日は人生の最期の日だとしたら、今日やる予定の事を本当にやりたいのだろうか?」という、マック創設者のスティーブ・ジョブスの言葉が貼ってある。それから、気持ちのいい、一日が始まる。
2008.01.10
コメント(1)
日本医師会雑誌は月一度発行されている。平成20年1月号で医師会長の唐澤よし人氏は年頭所感で以下のような事を述べている。概略は1)与野党逆転、京都大学の再生チームによる「人工多能性幹細胞」の臨床応用2)医療崩壊、各医療機関や医師をはじめとする医療専門職の献身的な尊い努力、また、勤務医は、多大な負担を強いられ、疲弊しきっている。3)病院勤務医と診療所開業医の医療機能分化と連携は一層推進・強化されなければならない。勤務医に対する救急、外来医療の軽減、勤務環境の改善、業務作業の軽減など、緊急かつ抜本的な取り組みが必要です。4)超高齢社会といわれる21世紀初頭において、健康寿命を延伸するとともに、要介護高齢者のための介護と、医療の提供基盤を整備することが求められている。5)国民皆保険精度は、わが国の公共財として大きな国富を産み出す源であるとともに、一人ひとりの国民にとっても、安心、安全と信頼の社会システムの原点です。6)社会保険制度の根幹である国民医療をより一層充実させることは、本会の社会的な責務である。医師会は元々開業医の先生方のために出来た組織だと認識しています。でも、既に日本の医師は勤務医の方が多くなっています(多分60%以上)。でも、勤務医は殆ど野放し状態なのです。勤務医がまとまって自分たちの意見を言える組織を持っていません。ですから、個別の学会や勤務医が個別にこの問題を取り上げているのです。勤務医の過重労働、開業医との賃金格差などは、前々から指摘されていたのですが、慣習的それが、大学病院の医局という枠組みの中で維持されてきました。所が、研修医制度の導入により、医局に医師が必ずしも縛られなくなりました。また、勤務医が通常の社会労働の仕組みからみて、労働体性が整備されておらず、その歪みが過重労働の科へ医師が行かなくなる。勤務医から開業医を選択するなどの流れが自然に起こり、その結果、患者さんに負担がかかた状態を作り出しています。社会の仕組みは、何処かにはっきりとした被害が出ないと、残念ながら改善を望めないようです。それは、患者さんが具体的なことで困った事態が生じないと、国も国民もその重大さに組織として認識しないからです。入院している患者さんは、医者も看護師も献身的にとてもよく働くと言っています。しかし、退院してしまえば他山の石ですし、大きな声とはなりません。マスコミもこぞって医療者をけなして来ました。それは、その様に書くと、よく売れるからです。医者は儲け過ぎているなど、ある一面を取り上げて書きます。良心的で現在の医療制度をよく分かっている記者もいるのです。でも、その記者の書いた記事はボツにされて紙面には載らないそうです。従来、医師会は勤務医に対しては、悪く言えば無関心であったのです。対岸の事として、見て来たように感じます。でも、勤務医体性の歪みは必ず開業医にも及んできます。医師会も真剣に勤務医との連携を取らないと、益々、医療体制は歪んできて、また、医師会の力も弱くなると思われます。
2008.01.09
コメント(1)
「神との対話」を読んだ。神と私が対話したわけではない。が、この本の内容から言えば、読者、一人ひとりが神と話しをしたことになる。この本は以前読んだことがあり、今度は再読だが、以前読んだ時とはまるで違う本を読んだ気がしている。この地球での壮大な出来事が織り成す仕組みが描かれている。著者のニールドナルド・ウォルシュが神からの聞こえてくる声を書き留めたのだ。このような、魂の世界からのメッセージを記録した本は多数出版されている。シルバー・バーチの霊訓、バシャール、ホワイト・イーグルの霊訓など数多くある。これらは、同じ事を語っている。だから、信じられると言えるのだろう。1)われわれの肉体での死後の世界はある。生命は永遠である。2)全ての源は愛である。3)全ては自分が引き寄せている。4)われわれは自分を創造し、思いだすのだ。5)時間は連続したものではない。一瞬に過去・現在・未来が含まれている。6)原因と結果は全て一致している。今回、自分が特に印象的な事を次回に書きたい。
2008.01.08
コメント(3)
「宇宙に羽ばたく鳥」地球から約6億5000万光年離れた所で、3銀河が衝突し、羽ばたく鳥のような姿になっているのが観測された(上が頭部、左右が翼)(欧州南天天文台=ESO=提供)ヤフーの写真で紹介されたこの画像は余りにも美しい。想像を超えた年月、宇宙ではこのような神秘が見られる。この青と緑の織り成す色彩は、宇宙は神によって創られたと納得させるだけの、十分は美しさを見せている。
2008.01.07
コメント(3)
こころのトレーニングはとても大切だ。最近、普通の西洋医学的な診療をしていて、60代以上の方でジムやフィットネスクラブに通っています、という方が多いのに気づく。血圧なども、そこで測定します、と話す。既に、退職して年金生活をしている人たちは時間がある。そして、健康にはとても関心がある。それと同じくらい、いや、それ以上にこころ持ち方を鍛えることも大切だと感じる。毎日が楽しく、充実していれば、それでオッケーだと思う。それなりに誰でもが折り合いをつけているが、自分のこころの健康状態に気配りする事が、先ず、第一になる。こころが健常状態になれば、生活のリズム、パターンが決まってくる。食べる物もしかりだ。テレビであれがいい、これがいいと振り回される必要がなくなる。心地よい精神状態の時にどんなものを自分が食べたいか、自分自身が教えてくれる。自然と食べたいもの、食べる量は決まってくる。腹一杯食べて、身体は満たされたように感じるかもしれないが、消化する器官には負担がかかる。それを、こころで感じられれば、そんなに量も種類も偏った食べ方はしない筈だ。こころの持ち方は、誰でも、どのようにでもする事が、可能なのだから。
2008.01.06
コメント(1)
聖な予言のDVDを見た。聖なる予言という本はジェームズ・レッドフィールドという人によって書かれた、精神世界の本であるが、内容がサスペンス調になっている。そのために映画化し易いのかもしれない。9の知恵をめぐる権力者と精神世界に生きようとしている人たちの攻防が描かれている。9の知恵とは第一の知恵 変化のきざし霊的目覚めが起こり始めている。それは、多くの不思議な偶然の一致によって導かれる旅であるということを体験した人々が、一定数達することによってもたらされる。第二の知恵 今という時人生における偶然の一致に気づくことによって、私達は地球上での人間生活の真の目的と宇宙の真実の姿に目覚めていく第三の知恵 エネルギー存在するすべてのものは聖なるエネルギーの場であり、私たちはそれを知覚し直感することができる。第四の知恵 権力闘争限られたエネルギーを奪い合う競争こそ、人々の間のあらゆる争いの原因である。第五の知恵 神秘体験内なる神のエネルギーとつながる体験を持つ、体が軽くなったような感覚ー浮揚感ーや愛にあふれた感覚、もしこの二つを感じていれば、それは本物である。第六の知恵 過去の清算わたしたちがストレスを受けている時は、内なる神とのつながりを失った時である。内なる神とのつながりを意識する事により、次第に、自分の人生の成長への道と、霊的な使命と、世界に貢献する方法を発見できるようになる。第七の知恵 流れに乗る自分の使命を知ることによって、不思議な偶然の一致の流れが早まり、私たちは自分の運命へと導かれてゆく。第八の知恵 人との新しいかかわり方自分の人生に現れるすべての人々にエネルギーを送ることによって、偶然の一致が起こる頻度を高めることができる。第九の知恵 新しい文化霊的な使命の完遂に向かって進化するに従い、自己の成長へと焦点を向け始める。このような成長は人間をより高いエネルギーレベルへと高め、究極的には私たちの体を霊体へと変容させる。内なる神との対話、偶然の一致など、スピリチュアルな世界を感じ、それに気づくための方法が具体的に出てくる面白いDVDであった。
2008.01.05
コメント(3)
いつもの様なお正月を過ごすことができた。予定通りと言ってもいいだろう。元旦は山に登り初日の出、お墓参り、神社にお参り、お雑煮を食べ、いつも会う人たちに会い、年賀状の交換、毎年の習慣がそのまま。当たり前の事が当たり前に行われていくのは、よくよく考えると奇跡に近いのかもしれない。朝起きて、この日記を書いている事も奇跡といえば奇跡。全てが驚きと感動と感謝になる。存在自体がありがたい。年末から「神との対話」を読み直している。前読んだときとは別の本を読んでいる感じがする。視点が異なっているからだ。物事に対する見方、見えない物を見て、感じる感性を磨く事の大切さを感じた。
2008.01.04
コメント(1)
宇宙は完璧であると教えられてきました。われわれも宇宙の一員であり、誰もが完璧なのだ。そして、皆が平等なのだ、と教えられました。でも、学校ではこの様な話を先生は教えてくれませんでした。社会でも、仕事でもこのような勉強はしてきませんでした。でも、とても大切な事だと気づいたのです。なぜ、こんな大事な事をもっと、もっと、小さい頃に教えてくれなかったのだろうか。そして、われわれが生まれてくる時には、長い魂の旅路でほんの一瞬立ち寄るこの地球で、何を学ぶかを決めてくるそうです。でも、われわれは生きていく上で自由が与えられています。自分自身で選択が可能なのです。基本路線は決まっていても、日々選択の連続なのです。世の中には、精神的、或いは、肉体的にハンディキャップを持った人たちがいます。通常、社会の枠からはみ出しています。社会の隅に押しやられているように見えます。しかし、この人たちも生まれる時から基本的なことは決めてきたのです。そして、そのハードルを越えることが今世での勉強の場なのだと言われています。普通の人(これも変な表現ですが)より、高いハードルに立ち向かっているのです。だから、必要な時には助けが要りますが、決して、同情すべきではないのです。むしろ、尊敬しなければならない存在なのです。だって、難しいテーマに挑戦しているのですから。だから言います「あなたはより難しいテーマを今回選んできたんだよ。それは、あなたにはそれを乗り越えられる力があるからなんだよ。神様は乗り越えられないような難しいことはあなたに与えないよ。普通の人よりも難しいテーマに挑戦していんだ。だから、とっても素晴らしいんだよ。辛くても、苦しくても、きっと神様が見守っていてくれるよ。そして、いつも応援してくれているんだ。だから、大丈夫、大丈夫」と
2008.01.03
コメント(1)
イーハトヴ クリニック 電話045-902-7240) は「催眠療法とがん患者さんにホリスティック医療」を行う完全予約制・自由診療のクリニックです。「週刊がん もっといい日」から取材を受けました。昨日の元旦、午前11時から午後3時まで、インターネットラジオと通じて、北海道の稲田芳弘氏が「元旦の、ガン、淡々トーク」という番組を企画した。稲田氏はご自分が男性乳癌でありながら、西洋医学的な治療を受けずに、ご自分の意思で補完・代替医療を選択している。がんと共存しているといっていいだろう。その稲田氏は毎週木曜日に北海道のローカルなFM放送を通じて、がんに関する番組を流している。その稲田氏が元旦に企画した番組では、がんに対する補完・代替医療を行っている医師に電話を通じて話をしている。そんな中の一人に私も加えて頂いた。西洋医学的治療はある意味では行き詰っている部分がある。デカルトが提唱した二元論(こころと体を分けて扱う)では、対応できない部分がはっきりしてきた。西洋医学的医療では、「幸せとは?」という問に、身体を治す事という以外の言葉は見つけ難い。なぜなら、幸せ感とはこころで感じる感覚だから、身体だけを見つめ、それを治すことに意義を見出している医療では、治らない場合には幸せ感を得ることは難しい。でも、でも、どんな状況でも、幸せと感じる事は出来る。それは、こころの選択にかかっている。これからは、通常の西洋医学的な治療に満足できない人、そこの適応からはみ出してしまった人への道を探る医者が更に増えるだろう。すると、西洋医学を行っている医療界とはもっと確執が増大するだろう。補完・代替医療を行う医師はそれだけの覚悟が必要となり、私もそれを自覚した医療を行っていきたい。
2008.01.02
コメント(3)
イーハトヴ クリニック 電話045-902-7240) は「催眠療法とがん患者さんにホリスティック医療」を行う完全予約制・自由診療のクリニックです。「週刊がん もっといい日」から取材を受けました。あけまして、おめでとうございます。平成20年の始まりです。どんな年になるのでしょうか。楽しみです。今朝は昨年と同様に午前5時に家を出て、故郷の秋川渓谷に行きました。自宅から40キロ少しあります。中央高速を利用すると、1時間弱で着きました。中央高速は以前は暴走族が暴れるために、大渋滞になるのが、恒例でした。壊れた車などが放置されていました。ここ数年は暴走族が影を潜め、快適に走れます。午前6時頃から登り始めました。海抜434メートル。登り始めが200メートル位の海抜があり、実際に登る距離は200メートルくらいでした。懐中電灯を頼りに暗い杉林を抜けて行くと、尾根に出る。その山は岩山なので、急な勾配があり、しかも、雑木が根を深く下ろす事ができないので、根が横に張っていて、とても歩き難い。尾根からは、真っ赤な朝焼け、街の灯かりが輝いているのが見える。気持ちよく、そして滑らないように注意深く、一歩、一歩、落ち葉を踏みしめながら、登っていく。6時27分には頂上に着いた。既に三人の青年がそこにいた。挨拶をして、そこから少し離れ独りになった場所から、朝焼けの空を見た。何時も行っている瞑想をその場で行い、静かに気持ちを落ち着けた。この場所はとても好きな場所だ。自分にとっての聖地のように感じる。風が頬に当たり、風のざわめきが聴こえてくる。やがて、6時50分過ぎに、僅かの雲の上に朝日を拝めた。とても、素敵な朝日だった。朝日と自分とが一直線になり、太陽の光を体一杯に浴びた。誰もが、太陽の光を平等に浴びることが出来る。真っ赤から輝く太陽をゆっくりと拝んでから、山を降り、車を留めた山里のお寺に寄り、そこで両親の墓参りをした。般若心経を唱えて、花の水を入れ換えた。少し離れた所にある神社に向かった。そこでは、7時から神主さんが地元の人たちと一緒に儀式をしていた。既に儀式は終わっていたが、焚き火を囲みながら昔懐かしい幼馴染の人たちに会うことが出来た。そこから、家まで車で逆戻り、9時過ぎには帰ってきた。すがすがしい元旦だ。
2008.01.01
コメント(1)
全30件 (30件中 1-30件目)
1