うそ 0
ものがたり 0
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バーベナ シャクナゲ今朝は有価物整理の当番に行ってきた。ペットポトルやアルミ缶、鉄缶、色瓶、透明瓶などの区別をしてそれぞれ大きな麻袋に入れる作業である。朝6時からなので数日前から緊張し目覚ましを5時半に合わせ時間通りに出仕した。全部で4人集まり、私以外は全て女性であった。近年高齢化が進み当番に出れない家庭も増えて当番制を見直してその作業はお金を払って業者にお願いしたらどうかという意見も出ているが、まだ具体化されず当番として出てくるのは女性が多くなってきている。女性の年齢はよく分からないが2人は30~40歳代、もう一人は50~60歳代と思われた。80歳代の男性の私を含め皆さんよく働いて30分くらいで作業を終了することができた。ペットボトルは蓋がついていてはいけないのを知らないで、蓋つきのまま提出している人がいてその蓋を取る作業も皆で協力して行った。数日前から気にかけてきた当番だが皆で協力してがんばったらあっという間に終わった。それから病院に出勤し、数日前から腸閉塞症状があり気にかけていた98歳の男性患者さんを県立中央病院に電話で状況を話して転院させていただくことができた。88歳の潰瘍性大腸炎の男性患者さんが退院を希望しているが勤務している家族の受け入れ態勢が難しく、本人の希望をかなえてやれず心を痛めていたが、看護師と話し合う中で、なんとか希望を叶えてやれそうな状況が出てきて安堵している。有価物の整理と病院の仕事は全く別の仕事のように見えるが基本は同じだなと思った。仲間とのコミュニケーションがうまく取れて、仕事がスムーズにいくと嬉しいものだなと思った。
2024.05.14
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ジャーマンアイリス チェリーセージをバックに咲くアヤメ(紫) 義兄が本日、酸素ボンベを抱えて、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、スイカ、レタスを植えるのを指導に来てくれた。畝を切り、肥料を入れて、苗を植えるところまで教えてもらったが、途中で雨が降ってきたので止めて、義兄は息子に迎えに来てもらって帰っていった。続きは今度晴れた日に行おうと思うが今日しっかり教わったのでその時は自分達だけでも大丈夫だと思う。 義兄は89歳位だと思う。私の姉と見舞い結婚して私達が両親と一緒に今の甲府の地に住むようになったら家の脇に僅かばかりの畑があったので耕運機を車で運んできて野菜を作ってくれていた。15年くらい前姉が脳梗塞になり、入院している間は毎日病院にお見舞いに行き、合間に我が家の畑にも来てくれていた。 姉は8年前78歳で亡くなったが、病気で入院していた4~5年は1日も休まずお見舞いのために病院通いしていた。姉が亡くなってからも季節になると我が家に来てくれていたが、5~6年前から、アスベスト肺で呼吸が苦しくなり耕運機を運んでこれなくなったので、事前に私がスコップで耕しておき、ジャガイモを植える時とナスやキュウリを植える時に、息子に送ってきてもらって来てくれて、口で指導してくれたが、時には息が苦しいのに実際に鍬を取って畝の切り方を教えてくれる時もあり、その後は苦しくてすぐ家の中に入って長椅子に横になっていた。 アスベスト肺になったのは21歳の時に電線製造会社に就職し、電線の絶縁の為にアスベストを使用しており、約10年間その仕事に従事していた結果だと思われた。80歳位までは普通に生活していたがその頃から息が苦しくなり、病院で診て貰ったらアスベスト肺ということでそれがだんだん進行して今では殆ど寝たきりになってしまった。しかし毎日のようにヘルパーさんやリハビリの人が来てくれて、料理を作ってくれたりお風呂に入れてくれて洗ってくれたりしているとのことである。 3月頃コーチしてもらって植え付けたジャガイモが今は青々と茂っており「よく育っているね」と満足そうだった。その畑の周りにジャーマンアイリスやアヤメやチェリーセージが咲いていたので写真を撮って冒頭に載せさせて頂いた。義兄は肺が悪くて自らは耕せないけれどもその指導力で野菜をこの花たちのように見事に生育させる力があるのだなと思った。おにいさんありがとう。
2024.05.01
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庭の一角、シバザクラ、チューリップ、スイセン、椿等滋賀県に住んでいる息子が東京に出張する用事があり、昨日の夕方来甲し、今朝早く中央線の新宿行きに乗って去っていった。一晩泊まるだけなのに、妻は昨日の昼、オートバイで買い物に行ってきた。腰が痛いというのに刺身や肉、野菜などをどっさり買ってきた。そして夕飯は肉をレタスで巻いて食べる料理、マグロの刺身、大根、卵、コンニャクのおでん、トマトと玉ねぎのサラダなどを食べきれないほどいっぱい作り、タケノコご飯も作った。息子は50歳を過ぎているのに子供時代、青年時代と同じだと思っているのか「もっとどう?」と勧める。齢とるとそれ程たべられるものではないが、母親からするといつでもいっぱい食べてくれるものと思っているので「もう腹いっぱい」と言われて少しがっかりしているようだった。その姿をみていると母親というものは息子が一晩泊まるだけでも張り合いがでて頑張るものだなと思った。息子が出発した後は、また寂しく老夫婦だけに戻ったが、母親というものはいくつになっても子供に対しては変らない気持ちを持ち続けており、家族と一緒でも、一人だけでも偶に来てくれるのをどんなに喜ばしく思っているかよくわかった。
2024.04.11
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当に老夫婦しかいないのに今年も老妻が雛を飾った。 ある新聞の人生相談に20歳代女性が同じ職場の女性が妊娠してめでたいことだが、その人が産休に入り自分の仕事が増えることもあり素直に喜べない。心の狭い人間なのだろうか?という質問に対して心療内科の医師が「人の幸せが喜べるのは自分が満たされている時だけです」と答えていた。「人間は人の不幸を喜び、人の幸せを妬むものだ」という人がいても、実際に他人の幸せを素直に喜べない自分に気が付いた時は「なんと自分は心の狭い、さもしい人間だ」と思って自分を卑下してきた人は数えきれない位いるのではないかと思う。今日の回答者の「自分が幸せでなければ他人の幸せは喜べないものである」の返答はずいぶん説得力があった。自分が不幸のどん底にいるのに、他人はどんどん幸せになっていく。「くそ!!」と思うのが普通で、他人の幸せなど祝福する気持ちには到底なれないというのが現実だと思う。そのように心が動くのが普通で、人の幸運を喜んでやれない自分はダメな人間だと思わなくてもよいとの返答で心が軽くなった人は多いのではないかと思う。自分も幸せになって人の幸運を喜んでやれる人間になろうと思った。
2024.03.01
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マンデブラ・ローズ・ジャイアントオレゴン州ポートランドに住むブログで知り合った友人が今までコロナのために日本に帰れず4年ぶりにこの9月に日本に帰ってくるという。仙台の人で仙台育英高校を卒業後6年半位してアメリカに渡り、飲食業店に勤めてもう35年近くになるとのことだ。アメリカ生活が気に入っているのだと思う。私が今の病院に来る前に石和の病院に勤めていた時にも日本に帰国時わざわざ訪ねて来てくれた。その時は病院の売店でコーヒー飲みながら話をしただけだったように思うので、今回は山梨の名勝地昇仙峡に案内して仙娥滝を見せてやろうと思っている。
2023.09.11
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スパティフィラム今月は卒業大学の同期会が9/29に札幌であり、本日2日午後5時から在籍していた地元大学医局の同窓会が甲府市内である。コロナでしばらく休会していて久しぶりなのでどちらも出席したかったが都合で札幌の方は諦めて甲府の地元大学医局の同窓会に出席することにした。医局同窓会では大体新入医局員の紹介、医局の業績発表、関連病院紹介などの話が続く。大学医局には研修医時代から中堅医師になる頃まで所属してその後は関連病院に出張するか開業するかする人が多く、ずっと大学に残っている人は講師、准教授、教授などになっていく人である。一通り事務的行事が終了したら懇親会を行ってお開きになる。今ではほとんどの人が車で参加するのでお酒を飲む人は少なく、ジュースや麦茶、ノンアルコールビールなどで乾杯して現在自分が働いている病院の状況などを話し合うが、酒がないと盛り上がりに欠ける。自分についていえばもう80歳を過ぎているのにリハビリテーション病院で常勤医として働いていることを話すつもりだ。仕事はそれなりに楽しく無理なくこなせているが、休日に家にいる時などに庭の草取りとか枝切り等をして農器具や取った雑草を運んだりする時、体が辛くて体力の衰えをひしひしと感じて、もう限界点に来てしまったと思ったり、亡くなっていった人たちのことが頻回に思い出されて、死が身近に感じられ、高齢になった時に感ずる人間の心情も話そうと思っている。しかし死を身近に感ずるようになったネガティブ思考を紹介するだけでは発展がないので、こういう老人になっても挑戦することは忘れず、努力の人生を歩んでいこうと思っていると結んでこようと思っている。
2023.09.02
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シラーベルビアナ(オオツルボ)昨日ソウルで日韓首脳会談が行われた。日韓の懸案だった徴用工問題をめぐり、岸田首相は「当時の厳しい環境の下で、多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む」と発言し、尹大統領は「過去の歴史問題が完全に整理されなければ未来の協力に向けて一歩も踏み出せないとの認識からは脱するべきだ」と発言して両首脳が歩み寄りの姿勢を示した。韓国には根強い反日感情があり、それを文前大統領は増幅させる政策をとり、日本側は1998/10の日韓共同宣言で補償問題を含め全てが解決されている筈だと主張して対立は深まるばかりであった。尹大統領が未来の協力に向けて踏み出すべきだと文氏と真反対の方向に舵を切ってくれたおかげで、岸田首相も応じて、新しい日韓友好関係関係が生まれてくる可能性が出てきた。尹大統領にもその政策に反対する沢山の韓国人がおり、日本にも韓国に歩み寄ろうとしている岸田首相に反対している人もかなりの数いる。しかしこうして両国のトップが手を握り合ったことは素晴らしいことで新しい時代の幕開けが期待できる。色々な分野で日韓の交流が益々盛んになっていくことを願っている。
2023.05.08
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玄関で咲いているアセビ(馬酔)茨木のり子さんの「癖」という詩を読んだむかし女のいじめっ子がいた意地悪したりからかったり髪引っ張るやらつねるやらイイッと白い歯を剝いたその子の前では立ち往生さすがの私も閉口頓首やな子ねえと思っていたのだが卒業の時小さな紙片を渡されたワタシハアナタガ好きダッタオ友達ニナリタカッタノたどたどしい字で書かれていてそこで私は腰を抜かしいえ抜かさんばかりになって好きなら好きとまっすぐにぶっつけてくれればいいじゃない遅かった菊ちゃん!もう手も足も出ない小学校出てすぐあなたは置き屋の下地っ子以来、いい気味、いたぶり、いやがらせさまざまな目にあうたびに、心せよこの人ほんとは私のこと好きなんじゃないかと思うようになったのだ子供の頃いじめられたことがある人はけっこういると思う。いじめられて自殺した少年や少女もいる。いじめられる子は傷つきその心情は日記や遺書で知る機会があるが、いじめる子の心情は表に出ることは少ない。上記の詩にあるように本当は好きだったり可愛いと思っていることもあるのだと思うが、いじめた子の反応が面白くて何度もいじめることになるケースが多いようだ。嫌いだからいじめるケースはそれ程多くないと思う。いじめられっ子に「強くなりなさい」と助言することが多いが、相手は集団で面白がっていじめてくることが多く、強くなって立ち向かうのは極めて困難な状況だと思う。茨木さんのようにいじめてきたら本当は自分を好きだからいじめているのだと思えばダメージはかなり少なくなると思われる。しかしいじめる相手が一人ならそう考える癖をつければかなり気が楽になり、苦しまないですむが、集団で虐められる場合にはそれは役に立たないと思う。勇気を持ってその学校で自分が最も信頼している先生に相談するのが最良の方法だと思う。
2023.03.27
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エール大学助教授の成田悠輔さんが高齢者は集団自決、集団切腹、安楽死した方がよいと発言したとしてニューヨークタイムスで報道されたりして大きな論争になっている。「女性は話が長い」の女性差別発言をした森喜朗東京オリンピック組織委員長は大バッシングの末辞職させられた。最近では「LGBT同士のカップルが隣に住んでいるだけで嫌だ」と発言して更迭された首相秘書官もいた。女性や性的少数者などに対する差別発言は過剰と思えるくらい敏感に反応して非難されているが、老人差別の発言も大問題で非難ごうごうになるかと思いきやそれほどでもない。成田さんは公的立場の方ではないが、その発言の真意はどこにあったのか調べてみた。成田さんは「体が思うように動かなくて言語ももつれているような人が、経歴や肩書を盾に重要な立場にしがみついているのはおかしい、世帯交代すべきだ。寿命を迎えている人が高額な延命治療で医療財政をひっ迫させているのもおかしい」ということを言いたかったみたいだ。「人間誰も価値のない人はいない。障害者であれ、LGBTであれ、同じ人間として最大限尊重されなければならない」は世界共通の根本精神である。女だからとか老人だからと言って差別していい訳がない。「老人とは次の世代にバトンを渡す存在で引継ぎが済んだら早く退場してもらいたい」という考えは、老人自身の生活を尊重する思いやりがない。成田さんは諸外国では国会議員の定年を定めている国が多く、80歳以上は国会議員になれない国があり、投票権も年齢制限をつけるべきであると述べていた。国会議員の定年はともかく、参政権まで奪った方がよいと考えておられ、「誰人にも基本的人権があり、平等に扱われなければならない」という憲法の精神からかけ離れた考えだと思った。しかし人間は十人十色で、各人は様々な考えを持っていいはずだ。成田さんは「固定化された考えに縛られない自由な発言が許されるべきである」と述べており、成田さんのような考えも尊重されなければならないが、「いかなる年齢層の人も差別されてはならない」という黄金律は絶対厳守されなければならないと思う。
2023.02.22
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本日発売のヘンリー王子の自伝本でチャールズ国王や兄のウイリアム皇太子を批判した内容が書かれており、マスコミなどが騒然とし、ヘンリー王子の好感度は20%台と最低になった。妻のメーガン姫の行動のことで言い争いウイリアム皇太子に暴力を振るわれたことも書いてある。ヘンリー王子が兵役義務でアフガニスタンに派遣されて戦った時に合計25人のタリバン兵士を銃撃したことも書いている。兵役業務のことはさておき、皇室批判は日本では到底許されないことである。父や兄に対する悪口を書いたりするのは、金のためとかメーガン姫にそそのかされたためとしか考えられない。メーガン姫の影響力が大きいと思う。ウイリアムとヘンリーは仲の良い兄弟だった。同じ親から生まれても性格や体格が似ているとは限らない。むしろ似ていないことの方が多いかも知れない。似ていなくても兄弟として一緒に育てられる中で仲間意識や相互理解も育っていくものである。でもヘンリー王子がアフリカ系の女性メーガンさんと結婚してからおかしくなった。皇室で育ったヘンリーさんは世間のことは殆ど知らないで育った。メーガン嬢はアフリカ系混血ということで様々な苦労を味わい社会の荒波とも戦ってきた。二人が結婚した後の指導権は完全にメーガンさんにある。ヘンリーさんは彼女に操られている感じだ。社会では男女同権、女性の地位向上などが叫ばれているが、家庭に入ると女性(奥さん)に支配されている家庭が多い。しかし社会の男女平等については多くの人が声高に叫んでいるが家庭での男女平等を叫ぶ人は殆どいない。各夫婦にはそれぞれの事情があり、一律には論じられないが、基本的には男女がお互いを尊敬し、相手の人が幸せになるように協力し合うことが大切だと思う。ヘンリーさんはメーガンさんが幸せになるように願い、メーガンさんはヘンリーさんが国民から嫌われたり支持されなくならないよう配慮しお互いが幸せになるように行動すべきだと思う。海を越えた遠い国の話だが、ヘンリーさんがあまりに気の毒に思えてここに書かせて頂いた。
2023.01.10
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朝、沢山の年賀状が届きました。このブログを読んで下さっている方からも賀状を頂きました。小生はパソコンとプリンターの同時故障で投函が12月30日夜になってしまったので元日には届いていないと思います。それでも出した人はいいのですが出していない人から沢山来ているのでその人たちに今からせっせと書かなくてはなりません。出した人と出さない人は印刷済みのチェックで区別できるはずですが、プリンターが調子悪いのでそれがあてにならず、かなりの不安があります。でもそれが正しい正しくないを判別できる頭脳は持っていないのでそれでミスしてしまった人には申し訳ないけれどチェック通りに印刷していない人にこれから年賀状を書いていこうと思います。100枚くらい新たに返信を書かなくてはなりませんが、プリンターの不調で二重~三重刷りで同一人を3人も印刷してしまったり同じはがきに二重刷りして画面がダブってしまって破棄処分にしたはがきが100枚位あり、年賀はがきが足りなくなってしまいました。セブンイレブンではがき売っているか分かりませんがとりあえず行ってみようと思います。大変な新年の出だしになってしまいましたが、これも試練と受け止めきちんと対応していこうと思います。皆様にとって良いお年になりますよう心よりお祈り申し上げ、自分はいかなる苦難障害に襲われようともくじけず明るく落ち着いて対処していこうと思います。お互いにとって今年は今までの集大成として最高の一年にしようではありませんか!!
2023.01.01
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エキナセア昨日アフガニスタン東部のパクティカ州を中心に地震があり1000人以上が亡くなり約1500人が負傷した。昨年8月アメリカ軍の撤退に伴い首都カブールが陥落してタリバン政権になって以来女性に対する教育や職業差別、飢饉による食量不足や貧困で苦しむ国民にとって更なる困難が重なってしまった。何十年も前から井戸を掘ったり用水路を造ったりしてアフガンのために尽くしてきた中村哲医師は2019年12月凶弾に倒れたが今なおその人徳は称えられアフガン人の日本人に対する親しみや尊敬の念は相当だと本「医者用水路を拓く」で読んだが、日本人に対する感情は特別のようだ。今度の災害に対して日本政府は早速お見舞金を送ったが、民間でも支援していきたい。支援などを通じて友好関係を深め、女性差別や貧困などに対して助言や援助ができるような関係を深めてもらいたいと願う。
2022.06.23
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庭のハクチョウソウ(白蝶草)母の日は5月の第2日曜日で今年は5月8日だった。母の日の起源は今から100年ほど前の1908年5月10日にフィラデルフィアの教会である女性が亡き母を追悼するため白いカーネイションを参加者に配ったのがはじまりと言われている。日本では明治末期頃からその習慣が始まり、1915年(大正4年)には教会で母への感謝祭が行われ次第に民間に広まっていったと言われている。母の日に対抗して父の日も作られたが恩義を感ずるのは母の方が圧倒的で父の日は商魂で作られた印象がある。病院に入院している患者さんにも生花や石鹼で作った造花などが届けられていた。我が家でも滋賀県に住む息子夫婦から「たねや」のバウムクーヘンが送られてきた。私もお相伴で毎朝の朝食の時と夕方帰宅後のお茶の時間に頂いているが美味しいので毎日食べているが飽きない。母の日プレゼントは花とか洋服とか履物など色々あると思われるが食べ物の場合はお相伴で母以外の人も一緒に食べられるのでそれがいいなと思った。しかし実際には母程の功績を積んできた存在はいないと思う。時々父子家庭で父親のお蔭で立派に育ったという話を聞くがそれは稀で大野雄大投手や佐々木朗希投手など母子家庭で立派に育った子供は枚挙にいとまがない。母がいてこその立派な成長だったのだと思う。バームクーヘンをお相伴に頂きながら亡き母への感謝を思い、母の日プレゼントをもらった当事者(妻)にも感謝しようと思った。3月末に結婚記念日ということで滋賀県から送ってもらった胡蝶蘭が未だ全く色あせることなく入り口の下駄箱の上で咲いている。
2022.05.10
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数日前に忠犬ハチ公に関するテレビをみた。渋谷駅の近くに住んでいた東大農学部講師の上野英三郎さんが秋田県大舘市で1923年(大正12年)11月10日に生まれた秋田犬をもらい受けてから物語は始まった。上野さんが東大に通うために渋谷駅で電車に乗るまで見送って帰宅時間が来たら必ず決まった場所でお出迎えする日課を送っていた。所がそのような生活も1年4カ月で終ってしまった。飼い主の上野さんが勤務中東大構内で脳出血で亡くなってしまったのである。お迎いに行ってどんなに待ってもいつものように手を振りながら現れてくれる上野さんは出てこなかった。ハチにはいなくなってしまった事情はうすうす分かっていたのだと思う。上野さんの通夜や葬式の最中3日3晩何も食べなかったとのことである。いなくなってしまったことは薄々分かっていながら上野さんとの思い出の場所、渋谷駅に何年間も通い続けたハチの心情を思うとかわいそうで多くの人の涙を誘い渋谷駅にハチ公の銅像も出来た。1935年(昭和10年)3月8日に通い続けた渋谷駅の近くでその11年の生涯を閉じたが多くの人の心に残った一生だったと思う。感動的な語だが、身近にもあるような気がした。息子の家でトイプードルのコロを飼っていた。息子が出勤する時は最後までじゃれついて見送り、帰ってきた気配を感じたら飛び跳ねて喜び姿を見たら飛びついて歓迎していた。今の時代は上野さんの時代と違って犬の放し飼いは認められていない。もし認められていたらコロも駅までついて行っただろうし、帰る時間が分かったら駅まで迎えに行ったかもしれない。今は犬より猫を飼う家庭が多く、ペットの数では犬より多いとのことだが、猫はご主人を見送りはするが迎えにはいかないと思う。猫も犬も人間の友達ではあるが、猫は自分を可愛がって餌をくれる人には懐くがその人のために尽くそうという忠誠心はなさそうである。犬はお世話になった人、仲良く遊んでくれた人の恩義は忘れないみたいだ。息子のコロは7才で癌でなくなってしまった。ハチと上野さんの関係の反対だがハチの心に残ったと同じような気持ちはコロが死んだ後息子家族にも残ったのだと思う。数日間は食事も食べられなかったかも知れない。犬の健気な気持ちは人をやさしさの原点に帰してくれるものだと思った。
2022.03.15
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北京冬季オリンピックが開幕した。ウイグル自治区に対する人権弾圧問題やコロナ・オミクロン株の感染爆発の中の開催で大嵐の中でのスポーツの祭典だが日本選手は勿論世界中の選手が今までの練習の成果を発散してスポーツの素晴らしさを世界に喧伝してもらいたいと思う。人権弾圧問題は極めて遺憾で重要だがこの期間だけはスポーツと友好に専念してもらいたいと思う。昨日テレビで石原慎太郎氏が少年時代の思い出を語ったビデオを観た。小学校何年生の時かは知らないが北海道から神奈川県の逗子の小学校に転校してきた時北海道訛りをからかわれたことがあり、その子を殴ってやった。すると数日後帰り道にその子と子分達7人が待ち伏せしていて最初は善戦したがかなりやられてしまった。その時帰り道に2歳下の弟石原裕次郎が通りがかったのに兄がやられているのに加勢しないでただ見ているだけだったので家に帰って母親に告げ口した。すると母親は怒って裕次郎にびんたを食らわしたとのことである。その後は喧嘩する時は兄弟で喧嘩するようになったが喧嘩は裕次郎の方が素早く強かったとのことである。この話を聞いて慎太郎さんは子供の時から喧嘩早かったのだと思った。裕次郎が喧嘩に加担しなくて母親に叱られたのは気の毒だったと思った。その時裕次郎が何年生だったのか知らないが2学年上の7人となるととても大きな存在に思えたのではないかと思う。いくら裕次郎でも怯えもあっただろうしどうしていいか分からなかったのだと思う。以後は兄弟一緒になって喧嘩するようになり大人になってからも助け合いながら社会で活躍してきた。裕次郎も亡くなってしまったのでその時の心境は聞けないが、兄を助けなかったことで母親から大変な剣幕で叱られたことは心に沁みたのではないかと思う。兄弟助け合うことの大切さを学んだのではなかろうか。石原兄弟は時代の英雄として一世を風靡してきた。その二人も今はない。お二人のご冥福をお祈りしながらそのお二人を超えるような時代の英雄を待望している。
2022.02.05
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2024年4月から勤務医の時間外労働(残業)は年間960時間に制限される。月間80時間である。勤務日を月22日とすると1日3.6時間の残業は許されるが月に2回当直をするとそれだけで30時間が時間外労働になり、普通の日の残業は1.8時間以内になる。月に4回当直すると残りの時間で計算すると普通の日の残業は0.9時間になり、1時間未満だから午後6時前に帰ってよいことになる。今迄は夜9時、10時頃まで仕事していた医師が多かったと思うがこれからは6時とか7時、遅くて8時頃帰宅する医師が増えると思われる。今までは医師ならば夜遅くまで仕事するのが当たり前と思われていたが、働き方改革の波の中で医師も一般労働者(サラリーマン)も同じ労働者として扱われるようになったのだと思われる。空いた時間を医学の勉強や趣味に使って下さいと言うことだと思うが、古い医者にとっては寂しい限りだが、慣れてくればそれが普通と思えるようになるかも知れない。今日79歳のパーキンソン病の女性患者さんが胃がんの手術後ということで入院してきた。声をかけても何の返答もない。入院予定期間の3か月が過ぎたら施設でなく、自宅に連れ帰りご主人が面倒見るとのことである。寝たきりなので3食ともご主人が介助して食べさせて面倒見てやるとのことだ。私はこの病院に来てから4人のパーキンソン病の患者さんを受け持った。74才の男性患者さんと64才の女性患者さんは退院したが77才と79才女性患者さんは入院している。パーキンソン病4人の内一人は男性だが他の3人は女性で全体の発症率も女性の方がやや高い。女性3人についてみるといずれの患者さんも旦那さんが献身的に看病しており、今日入院した人は殆ど話のできない状態だがご主人が発病以来ずっと10年間つきっきりで看病して来たとのことである。他の二人の女性患者の旦那さんも同様で頭が下がり、ほとほと感心している。医師の働き方改革で医師の勤務時間が減ることになっているがパーキンソン病患者の旦那さんの勤務時間は医師の何十倍も多く、自分のやりたいこと等は殆ど投げ捨てて奥さん一筋に生きている姿には何ともいえない気持ちになる。早くiPS細胞を使ったパーキンソン病治療が一般化するように心より願っている。
2022.01.25
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1月14日にお亡くなりになった開業医のI先生の自宅に17日にお伺いしてお顔を拝見し昨日18日にお通夜に参列し本日告別式に参列してきた。17日に死に顔を拝見した時は其の色つやが生前と全く変わっていないのに驚いたが、お通夜と告別式に参列してまた驚いた。コロナ渦なのに寒風吹きすさぶ会場に参列者が溢れていて、花輪の数は数百に及ぶと思われ今までに見たこともないお葬式であった。恐らく現職の知事さんや大臣、どこかの会社の社長さんがお亡くなりになってもこのように盛大なお葬式にはならないと思った。お葬式が盛大ならご立派な生涯という事ではないと思うが交友関係が極めて広かったのだなと思った。盛大なお葬式をみて私は17日に拝見した世にも稀なる死に顔を思い出し、それとこの類まれな葬式と関係あるのかなと思った。あの死に顔を見ているので死んだとはとても思えず生きているように思えてならなかった。生きていて参列者一人一人に挨拶しているのではないかと思った。今までは生と死には明確な境界があって、生きている人と死人は全く違うと思っていたが、I先生の場合は境界が感じられなかった。死んでいるようで生きている。生きているようで死んでいる。不思議な感覚だった。恐らく、いや間違いなく死んでいるのだと思うが生きてもいるのではないかという感覚もある。参列した方々もそれ程深刻な顔をした人はおらず私と同じような感覚を持ったのではないかと思った。今後もお付き合いさせて頂こうと思った。
2022.01.19
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暖房器具が壊れて新しいものを購入しなければならず機種選定で家庭内で言い争いがあり、気まずい雰囲気が続いているが職場にきたら気分が晴れて楽しくなった。職場は色々あり家内工業だと家庭の延長みたいなものだし、大企業だと大きな歯車の一部に過ぎない場合もある。私が勤めているのはその中間の中小企業である中型病院である。朝回診すると患者の皆さんが待ち構えてくれていて笑顔を向けてくれて癒される。2階、3階、4階の各病棟には数十人の看護師がいてそれぞれに挨拶して、返されてこれも楽しい。中にはつっけんどんで愛嬌のない人もいるがそれもそれほど気にならない。他に理学療法士や事務職や掃除の人達とも触れ合うが楽しい。それなのになぜ家庭はそれほど楽しくないのか。職場は横の広がりである。何十人、何百人という人達と触れ合わなければならない。そこは職業意識で誰をも平等に尊敬(リスペクト)しなければならないという意識が働いている。患者さんやスタッフについて誰かを嫌ったり見下げたりしたらいい仕事が出来ないことが分かっているからである。所が家庭はどうか。縦のつながりである。職場より家庭の方がつきあい時間は長い。そして家庭はプロフェショナルの世界とは違う。いい仕事をしなければならないという気持ちは働いていなかった。職場では総ての人をリスペクトしていたのに家庭ではそうしていなかった。相手もリスペクトしてくれないのでお互い蔑みあう結果となってしまっていた。たかが暖房機について自分の言い分を聞いてくれない相手をお互いがお馬鹿さんだと思い反目する。人間社会で楽しく暮らすには周りの人をリスペクトすることが最も大事だと思っていたのに家庭ではそれをしていなかったことを思い知った。相手の言い分や態度がお馬鹿さんだと思っても包み込める度量が無ければ相手をリスペクトすることは出来ない。まだまだ修行が足りないと思った。
2022.01.18
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今年は本日を入れて残り4日になってしまった。病院も30日から1月3日まで休みである。その間暮れの数日は家内に寒風の中窓ガラス拭きをさせられるが寒くて嫌だなという思いと高齢になってふらふらすることが多くなったので台から転落しないようにしなくてはと思っている。今年一年間の病院勤務について振り返ってみた。1年で約90人の患者さんを受け持たせて頂き、そのうち66人は退院した。ご高齢の患者さんが殆どで中には認知障害のある方もいた。でも患者さんを尊敬する、レスペクトするを心掛けて診療させて頂き皆さん満足して退院したと思うし今まだ入院している24人についても良好な関係が築けていると思う。人付き合いにおいては人を敬う、レスペクトすることが最も重要なことだと思っている。朝病院に着くと掃除のおじさん、おばさんがが掃除をしてくれている。心からの感謝の気持ちを込めて挨拶する。病棟回診では一人一人の患者さんをレスペクトしながら自覚症状などの訴えを聞く。病棟クラーク(事務職)や看護助手、看護師、理学療法士、薬剤師、検査技師、放射線技師、医療連携室のソーシャルワーカーなどが入れ替わりたち代わり病棟に来るので皆さんのお蔭で診療が成り立っているので声を出して挨拶する場合もあるし、お互いに仕事中なの声はださなくて表情で感謝の気持ちを伝えたりしている。病院という一つの事業体ではその中で働く一人一人の心が一つになることが大切だと思う。その鍵(キーポイント)はそれぞれの人は大切な任務を任されているのでその立場の人に敬意を表すること、レスペクトすることだと思う。それにはまず自分が他部署の人をレスペクトすることが大切でそれはこの一年よくできたと自省している。
2021.12.28
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この寒いのに庭の片隅でまだ咲いていた深紅の一重咲きのバラ アルテシモ菊を我が家に設置してくれた義兄が菊の季節が終わり枯れてしまったのでその鉢の回収に来てくれた。石綿(アスベスト)肺で呼吸がかなり苦しい状態なので「こちらで持って行きます」と言っていたのだが苦しいのを我慢して我が家にきてくれてしまった。10鉢位あり私も手伝ったが自分でもいくつか運んで車に乗せた。休んで行ってくださいと上がってお茶を飲んで行ってもらったが随分沢山色々な話をしてくれた。その中で県下一周駅伝の話になり、高校3年の時優勝してその時キャプテンをしていたとのことだった。勉強は嫌いでからっきしだめだったが駅伝では県下でトップクラスになった。駅伝を始めたのは高校に入ってからだったとのことなのでもともとその方面の才能があったのだと思う。卒業してからも社会人駅伝で活躍し選手でなくなってからは役員として何十年間も駅伝に関わってきたとの事である。勉強は出来なかったとのことだがその後の社会生活では超優秀だったと思っている。菊作りは天下一品だし我が家の家庭菜園で私の妻に教えるような形で野菜作りをしてくれて、社会情勢の分析なども中々のもので高校時代勉強が出来る出来ないは社会生活には関係ないと思った。私と比べると私よりずっと社会性があり、その差を感じて私は恥ずかしいと思った。しかし社会で活躍しているそれぞれの人はその人その人の得意分野があるのではないかとも思った。自分は積極的に親戚の家のことを手伝うことなどあまりできない質だが、病院ではほんの少し患者さんのお役に立っているかも知れない。その人その人の持ち分があるのだろうなと思った。あれもこれもできる人間になれればいいが、それは無理だと思うので自分の持ち分に工夫と努力を重ねて行きたいと思った。
2021.12.15
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義兄から頂いた菊の花11/22の新聞に米国デンバー大学教授のベッド・ナンダ博士のインタビュー記事が載っていて興味あったので紹介させて頂く。博士は87歳だが現役の教授である。インドのデーリー大学やアメリカエール大学などで学びヒンズー教に詳しい国際的な法学者である。私が注目したのは日本人にはなじみの少ないヒンズー教について語っていた部分である。「近年ヒンズー教は自らの慣習にとらわれるのではなく、全人類を一つの家族と見る傾向を強めている。仏教もヒンズー教も他者に寛容であれと説くが寛容であるだけでは差異を認めるにとどまり十分でなく、差異を受け入れ尊重することを教えている。紛争やテロリズムのような残忍な行為が後を絶たない世界にあって真に必要とされるのはこの姿勢である。他を差別し排除しようとする自分自身の偏狭な心と闘うように戒めている。全ての人には尊厳性が具わっており、それをヒンズー教では神性、仏教では仏性と呼ぶ。尊厳性が具わっている人間を傷つけることは断じて許されないはずなのに歴史上宗教の名のもとに暴力が繰り返されてきた。多くの場合そうした暴力は狂信と言う形をとり、この道が真理への唯一の道であり、従わなければ救われず神から罰せられると主張している。反対に仏教もヒンズー教も真理に至る道は多様であり目指す到達点は涅槃(成仏)と説いている。真理への道が一つしかないと思えば偏狭な狂信となり、人間の尊厳を破壊してしまう。インドでナマステと挨拶する際私達は自分の胸に手を置き、相手を見てお辞儀をする。ナマステという言葉自体に私の中の神性があなたの中の神性にお辞儀するという意味がある」と述べていた。これを読んで自分の不明を恥じた。ヒンズー教なんて仏教に比べたら格段に低い教えかと思っていたら基本的には相手を深く尊敬する姿勢は全く同じで、優れた宗教なのだなと思えてきた。双方の教義を詳しく比較すれば違うところもあるのだと思うが根本では同じだという事は兄弟みたいなものなのだなと思えた。世界には様々な宗教があるがあくまでも人間性を尊重する仏教やヒンズー教のような教えが広まってくれれば残虐なテロや戦争が少なくなるだろうにと思った。
2021.11.23
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アメリカから来た婿さん人工芝も敷いてくれた。アイダホ州に住んでいる娘婿の家族が子供の夏休みに日本の学校で体験学習するために我が家にやってきた。婿の実家は兵庫県姫路市なので先にそちらに行ってその後山梨にきて婿だけ7月4日にアメリカに帰国する予定になっているとのことだ。姫路に滞在中も実家の庭を綺麗に整備してきたとのことで山梨に来てからもこのところ毎日炎天下でも我が家の庭も整備してくれている。花壇と庭の境界に私達老夫婦がレンガを二段に重ねて並べておいたが、見たところはそれなりになっていたが曲がっていたり、崩れそうになっていたところもあった。それをみて糸で線を引いてまっすぐにしてレンガはただ置いておくだけでなく、コンクリートで固めながら境界を作ってくれていた。人工芝もしいてくれて本職の職人のようであった。アメリカでの仕事は半導体メーカーのマイクロンでコンピューターと向き合い事務的な仕事をしているとのことだがよくこのような土方仕事が出来るものだと思った。彼らは毎年買い物のためにアイダホ州からオレゴン州のポートランドに車で8時間以上かけて買い物に出かけていた。消費税がかからない町ということもあるが治安が良く風光明媚でもあり、住みよい街全米ナンバーワン都市に何度も選ばれることも魅力になっていた。婿殿の話を聞いたらポートランドも随分様変わりしてしまったとのことである。住みよい街ナンバーワンとのことで人々が集まりすぎて人口が増え渋滞が多く暮らしにくくなり、人権派と封建派との抗争が多発し危険な街になってしまったとのことである。先日ポートランドに行った時には家々の窓ガラスは襲撃を恐れてべニア板で保護してあった。デパートの入口も厳重に保護されていて、人々が簡単に入れないようになっていて襲撃対策がとられていて通行人も少なくその時は彼らの家族のみしか街を歩いていなかったとのことである。町の栄枯盛衰もあるものだなと思った。数年前までの快適度アメリカナンバーワンの都市も黒人の人権を守る人権擁護派と白人至上主義者との抗争で町は荒れてしまったとのことである。今日本ではオリンピック賛成派と反対派がほぼ同数でにらみ合っている。両者共かなり強固な思いを固めており武器携帯が許される国なら内乱が起こっていたかもしれず、武器非携帯が如何に重要かを心からありがたく思った。
2021.06.26
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今朝の新聞に昨年の認知症の行方不明者は17,565人、遺体で見つかった人が527人だったとのことである。拡声器でよく行方不明者を放送しているが生存が確認できた人が16,887人、当日見つかった人が74.2%、1週間以内に見つかった人が99.3%とのことだった。2年前まで一緒にゴルフしていた高校の同級生は行方不明になってから3週間経過しても未だに見つからない。どこに消えてしまったのだろうか?生存の可能性がだんだん少なくなっていく。ゴルフは自分の打った打数を記録していくゲームだがその打数の合計がだんだん出来なくなってきていた。自分ロッカーの番号が分からなくなり受付で教えてもらったりしていた。今度の場合散歩に出て帰り道が分からなくなってしまったのだと思われるが、道に迷っている人がいたら誰か見つけてくれそうなものである。何の情報もないということは間違えて電車や汽車に乗ってしまったのだろうか?同じ年齢なので他人ごとではない。自分もそうなるかもしれないという不安もある。早く見つかってくれと毎日祈っている。
2021.06.25
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赤いアジサイ外国に住んでいる娘の家族が夏休みの間子供の体験学習で我が家にやってくる数日前から妻は床磨きや風呂のタイル磨きをしている。客人達は恐らくそんなことをしてくれているとも知らず綺麗になっているかどうかにも気がつかないと思う。私は来る前夜に散らかっている衣服や一時寝用の毛布や書類などを片付けただけである。そこで「あなた(妻)は誰も気がつかない所を磨いたりするがそんなことは誰も気付かないので無意味で私のように目につく所だけ片付ければいいのに、性格の違いが出ているねと2回ほど言ったら「うるさいわね、何度も言って」と言われた。オリンピック開催については感染拡大を心配して妻は反対だが、私は選手団はワクチンを打ってから来日するので感染拡大と決めつけるのはおかしいと開催賛成である。妻は障子など開け放すのが好きだが私は閉めておいた方が安心する。新聞は私は地方紙の山梨日日新聞の方が地方の事も分かっていいと言うが全国紙の方がいいと言い張って朝日新聞を取っている。食事は私は必要量を少しずつ食べればよいと思っているが妻は色々な種類と沢山のおかずを作り「食べきれない」と言えば「あまらせればいいのよ」という。私はもったいないので無駄が出ないように作ってもらいたいと思うが「余ったら捨てればいのよ」とあまり気にしない。日用品等も古くなったら容赦なく捨てている。スリッパやサンダルなど捨てようと物置に集められているものをもったながり屋の私がこっそり持って来て使う。性格の違うところを挙げていくときりがないが、よくぞ真反対の性格の人同士が一緒になったものだと思う。似たもの夫婦で性格が同じもの同士でいい家庭を築いているケースもあれば性格が真反対でも我慢しあって何とか家庭を保っている場合もある。性格がこんなに違っていたらやっていけないと離婚する場合もあるが我が家のように真反対の性格でもなんとか我慢しあってやっていける夫婦もあるので早まらない方がいいと思う。
2021.06.22
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ボタン日医ニュース「南から北から」のコーナーに秋田県の小泉純一郎さんの「小泉純一郎で得をしたこと」という文章が掲載されていた。その名前のおかげで弔電を出せば有名人の最後に自分の名前が呼ばれたり、贈答品売り場で送り主の名前を書くと受付嬢の殆どが「立派な名前ですこと」と言ってくれるし名刺交換すると決まって相手はにこっと笑ったり敬意を表してくれるとのことで有名人と同姓同名でいい思いをしたきたという内容であった。同姓同名は必ず何処かにいる。小泉純一郎の同姓同名者は何十人といるのではないかと思う。私の名前もインターネットで検索すると何人も同姓同名の人がでてくる。上記小泉純一郎さんは有名人と同じ名前で鼻高々だったとのことだが、悪事を働いた人と同姓同名だとやりきれない気持ちになるだろう。親が子供に名前を付けるときはよきにつけ悪きにつけ他に同じ名前の人がいたら嫌な思いをするかも知れないのでなるべくそうならないように考えるが実際には同姓同名の人がいない人は一人もいないのではないかと思う。問題は上記の小泉さんのように「いい気分だった」のならいいが殺人や詐欺などの犯罪者と同じ名前なら救われない。何処かにいる同姓同名の人を傷つけたり嫌な思いをさせないように自分の名前に誇りをもって真っ当な生活をすることが同姓同名者に対する礼儀だと思う。新聞やテレビで同姓同名者の犯罪が報道されるのは辛い。自分も極力他の同制同命者に迷惑をかけないように生活を正していかなければと思った。
2021.04.16
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ひな祭りの飾り昨日はひな祭りでその前日から玄関の下駄箱の上に小型雛が飾ってあったので昨日その写真を載せてブログを書こうと思ったが、忙しくて書けなかったので今日のブログに載せた。仕事の方は2月中旬で一人の医師が退職して7人から6人に減ったのでその分各医師に入院受け持ちが振り分けられるので毎日のように入院があり、患者さんの名前と病態を把握するのが大変である。多くの患者さんは80歳台後半か90歳台前半である。朝回診すると認知障害があって挨拶もままならない人は反応は少ないが90歳以上の患者さん等は笑顔で迎えてくれることが多く「先生も体に気をつけて下さい」とねぎらってくれる。「高齢の認知障害があるような患者さんからねぎらわれるなんて」と滑稽に思われる方も多いと思うが、意外と滑稽ではなく身に染みるのである。それだけ自分が高齢になったからかとも思ったが、若い時でもねぎらいの言葉は嬉しかったかも知れない。医者ー患者、社長ー部下など何となく上下関係があるようだが医者も社長も同じ人間である。ねぎらいとか心のこもった言葉はだれから言われても嬉しいのではないかと思った。土曜日に滋賀県に住む孫娘が大学合格の報告に来るという。その連絡を受けた妻が、「風呂場の天井がカビで汚れている。Tちゃんがくるのできれいにしておかなくては」と言ってきた。親とか親しい友人が来るならともかく孫がくるのに結構大変なことなのにそれをしてくれということらしい。踏み台に上がって上を見ながらブラシでこするのはバランスをとるのも大変だし天井から汚れたしずくもおちてくるので出来ることならしたくないが妻とすれば孫を迎えるのに汚れた所を見せたくないらしい。入浴する時天井など見る人はおらず自分だって見たことがないのにと心の中で思ったが仕方がないと思い、今日勤めが終わったら早く帰って天井掃除をしようと思う。以前蛍光灯を変えようとして踏み台から転落してガラスを割り大騒動になったが今度も転落に気をつけて作業をしようと思う。患者さんに励まされたり、孫に気を遣うのは逆のような気がするが、渋滞学専攻の西城活裕先生は逆を考えることも大切とのことなので上下とか慣例などに捉われず誠実に対応していこうと思う。
2021.03.04
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寒くなって殆ど枯れてしまったが最後まで残っていた菊の花今は通信手段は殆ど電子メールなどに移行し郵便物はダイレクトメールなどの商品の宣伝のみなったような印象があったが、最近郵便手紙を見直す機会があったので書かせて頂く。私が今の病院に移ってきたのは7月で半年が経過した。超高齢者が多く骨折、脳卒中などの入院時の主病名以外に心不全や肺炎など合併症が多くて退院は難しいと思えた方々も所定のリハビリを終了して既に13人が退院した。発熱を繰り返していたり、食事を全然食べなかったリ、むくみがひどくて足がパンパンだった人等どうなることかと気をもんできた人達もその人の生命力がある限り私の予想に反して回復し、無事退院出来てきた。退院時にはかかりつけの病院や開業医に今後についてくれぐれもよろしくお願いしますという手紙を書いてきた。その結果退院後受診した病院、医院から診察結果のご返事をいただいている。今朝も机の上に手紙が乗っていて、すごくてこずった患者さんだったが「本日外来受診しましたよ」というお手紙を頂き安心し嬉しくなった。私が丁寧に手紙を書いてきたからか、先方からも丁寧な診察結果の返信手紙を頂き感謝に耐えない。退院時に手紙を書かなかったリ、ぞんざいの手紙だったらこのような手紙はいただけなったかもしれないと思った。手紙の威力は大きいと思い、これからも真心の手紙を書いていこうと思った。
2020.12.24
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本日はリサイクル当番の日だった。道路脇に出してあるペットボトルやアルミ缶、ビン類を仕分けする仕事である。朝早く起きて現場に行った。当番は各組の代表で6人位だったと思うが本日集まったのは4人であった。私以外は全て女性で30~40歳台2人、50~60歳台一人だった。おいでにならなかった2人は当番を忘れてしまったのかご高齢でご無理だったのかもしれない。3人の女性はテキパキと働き、私もそれなりに働いてそれほど遅くならない時間に終了することが出来た。私の家も以前は妻が当番で出ていたが腰痛があるので私が変って出るようになり10年位になる。どこの家庭でも大体奥さんが当番として出るようになっているようだ。ご主人はまだ寝ているのかもしれない。何をするにも女性はしっかりしているなと思った。
2020.11.10
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体調は日によって違う。曇りや晴れなどの天気によっても違う。前日の疲れとか昨晩よく眠れたかどうかでも違う。昨夜飲み過ぎたり食べ過ぎたことも体調に反映する。朝起きた時に大体自分の体調は自覚できる。悪ければ憂鬱な気分になり良ければ晴れやかな気分になるが、問題はこれからである。それから家族に会い、職場の人に会い、様々な仕事に取り組むことになる。調子悪いからとうつむいて歩いたり挨拶も小声でぼそぼそ言っていたらそのまま調子悪い状態で仕事もうまくいかない暗い1日となり、翌日に持ちこすことになる。家族にも、職場の人にも無理をしてでも大きい声でしっかりした挨拶をするべきだと思った。今朝も毎朝のことだが職場の入り口で別の棟に移っていく人達とすれ違った。皆さん威勢よく口々に「おはようございます」と言って通り過ぎていく。その声の調子でその人の体調は推し量ることができるが、小さなぼそぼそ声だと挨拶された方の人も沈んでしまう。演技でもよいから元気で挨拶してもらいたいと思った。家庭での最初の挨拶や職場での最初の挨拶から1日が始まる。今朝は皆さんの挨拶が爽やかで体調の向上が自覚できた。体調の良しあしは挨拶で決まるものだなと思った。
2020.10.05
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三重県の友人が高齢者サロンの活動報告の資料を送ってくれた。私の地区では念願であった自治会の公民館を本年2月に完成し、3月に落成式の予定だったが新型コロナウイルス蔓延の関係で延期になり未だその式を挙行しておらず折角の会館もその機能を殆ど果たしていない。そのような時今後の公民館活動の参考にと資料を送って頂いたのは大変ありがたかった。今回の資料は公民館を利用して地区の高齢者が市役所と連携して自主的に学習会やレクリエーション、ボランティア活動などを行って、高齢者が健康で楽しく暮らしている様子がよくわかる内容で、新会館の活用法を考えていた我々には大変参考になるものであった。そのまとめ役の人は男性で役員が全部で11人いるがその人以外は全て女性ということで女性パワーをまざまざと見せつけられた。いずれにしても我々も折角新公民館を建設したのだから地域交流の拠点として活発に色々活用していかなくてはと思った。中でも孤立しがちな高齢者を引き付け、まとめて行けるような企画を立てていこうと思った。
2020.07.29
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人間の幸せは何によって決まるかの研究がハーバード大学で1938年から始められ、75年間続けられてきた。その研究の名前はハーバード成人発達研究でハーバード大学2年生とボストンの極貧環境で育った同年代の少年の合計724人を毎年インタビュー、質問票、血液検査、脳画像検査などして追跡調査し現在最初からの人は90歳以上になっているが60人以上が生存しているとのことである。50歳の時の生活状況と30年後の80歳になった時の生活状況の推移をみると良い人間環境にある人が最も幸せな生活を送り脳の状態も最高だったとの結論である。幸せになるのは学歴でも富でも名声でも無我夢中で働くことででもなく家族、友人、コミュニテイーとよくつながっているほど健康で幸せ、脳機能もよく保たれていることが分かった。反対に自分よがりで孤独な人は幸せではなく健康も害して早く亡くなっている。自治会を抜けたい、入りたくないという人が増えてきた。自治会費を納めるのが嫌なだけでなく掃除当番や地域の行事に参加するのが嫌なのだ。一人静かにしていたいのだと思うがそれでは不健康になり楽しくないのである。自治会活動でもサークル活動でも思い切って外に出て友人を作って楽しく生活していくのが最高の幸せ道なのだなと思った。当たり前のことのようだが、親子、兄弟関係、夫婦関係、職場環境、コミュニティ、学校などで楽しい環境を作り上げていくのが幸せになる秘訣なのだなと思った。
2020.03.09
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12年8か月務めた職場に昨日最後のお別れをしてきた。ここ数か月は苦渋の連続で辛かった。私の後任探しがうまく行かず、入院している難しい重症患者さんとその家族との対応、長く診てきた外来患者さんを今後診てくれる先生への申し送り、医師になって50年の間で一番辛い時期だったと思う。おまけに地元自治会の公民館建設地を私道を介した奥まった所に選んだために何人もの地権者から通行承諾書を頂かなければならず、それに応じてくれない人もいて心労は極限に達していた。そのような中で昨日を迎えた。入院中の重症患者さんは後を優秀な先生が引き受けてくれて外来患者さんの申し送りも全て済ませたあと各部署に挨拶に回った。いくつかの部署では花束を渡してくれた。ある看護師さんは個人的に靴下と携帯用の小さな水筒を贈ってくれた。外来部門ではいつ準備したのか各人の写真とメッセージ付きのアルバムを贈ってくれた。笑顔に癒されたとか外来診察につくのが楽しみだったと書いてあった。いつも遅くまで外来がかかり、昼食時間が遅くなって迷惑をかけてきたのにそんなに言ってもらって有難かった。ここ数か月はこんなに苦しいなら生まれてこない方がよかったと思ったこともあったが、このアルバムを見ていたら生まれてきてよかったと思った。外から見ると長年経験を積んできた医者がそれほど苦しむことはないだろうと思うかもしれないが、人はそれぞれ目に見えない苦しみを負っているものだと実感している。公民館建設に関してはまだまだ難問が山積しており、生まれてきてよかったという心境にはなれないが、めげずに役目を果たして行きたいと思う。12年間務めさせて頂いた職場の皆さんには心から感謝している。
2020.02.29
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「おしん」の再放送を見ている。苦労して息子を育ててきたが、次男の仁とおしんは店の経営方針を巡って対立していた。今の店をセルフサービス形式のスーパーマーケットにすることにして仁の嫁になる人の実家のお世話にならないで銀行からお金を借りて拡張工事をすることになった。借りられてよかったと思った。当事と今では状況が違うが今はそう簡単にお金は借りられない。貸してもらえれば改築やあたらしい商品も仕入れることが出来るのに貸付資格審査に合格しなければ貸してもらえない。銀行が貸してくれなければその金の工面のために友人、知人にお願いに回ってもそう簡単に金を貸してくれる人はいない。そこで金策に困って強盗や横領などをする人も出てくる。銀行も損する訳にはいかないので審査を厳しくするのだと思うが、金を貸してもらえないために自殺する人もいる。そのお金のために何人もの命がかかっていることもある。審査は大切だが杓子定規で決めるのでなくそのお金の後ろにいる人達が生きて行けるのかどうかをよく見て頂きたいと思う。返してもらえることが確実であるならば借主の生死のことを考慮してあまり厳しい条件をつけないで貸し付けてもらいたいと思う。
2020.01.24
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今逆さに印刷してあったとして数枚が返ってきた。親切なのか不親切なのかそのくらい配達してくれればいいのにと思ったが、新年早々逆さでは失礼になってはいけないと思ってのご配慮かも知れない。纏めて印刷する時向きが反対になっていたものが混じっていたものと思われ(おそらく自分がしたのだと思うが)郵便局の人を煩わせて申し訳なかった。郵便局は昨年かんぽ生命の強制不正勧誘問題でダメージを受けたからか、毎年郵便局員が年賀はがきの販売ノルマを課せられていたが昨年はそれがなかったので、自分で買ってきた。年々年賀はがきの販売枚数は減っているが今年はさらに急激に減少すると思う。今若者の多くははラインなどのSNSで挨拶して年賀状を出す人は少なくなっている。年賀状全盛期を支えた年齢層も今では高齢化し、数年前から今年で年賀状は終了しますと書いた挨拶状を頂くことが多くなった。新年の挨拶を文書で行う風習は江戸時代以前にもあったがごく限られたものだった。明治になって郵便制度が出来てからはハガキでそれを行うことが多くなり、お年玉付き年賀はがき発行を契機に爆発的に興隆したが時代の流れと共に衰退してきた。年の暮れは何かと忙しい。その中で年賀状の準備をするのは大変である。12月25日までに投函されたものは元旦に届くとされていたが投函する方が今ではそれもあまり重視しなくなり1-2年前の調査では12/30が投函のピークだったとのことである。新年になってから出す人も多くなった。従って今では元旦だけでなく2日、3日、4日以後にも年賀状が届くようになった。上記逆さ刷りを書き直したものが着くのは7日か8日になってしまうだろう。年賀状は旧交を温めたり、お互いの消息を知ったりする上で極めて良い風習ではあるが、時代の流れの中でその在り方も次第に変わっていくものと思われる。
2020.01.05
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私は病院に勤めている。病院の入り口や院内で職員や患者さんその他色々な方々と出会う。その時私は総ての人に挨拶しているがこちらから挨拶すると大体相手方も返してくれる。病棟の廊下では職員とすれ違うことが多いが理学療法士はほぼ全員挨拶してくれる。看護師は挨拶しない人が多い。すれ違ってもこちらを見ないで通り過ぎてしまう。中でも男性看護師にそういう人が多い。仕事中で廊下を行ったり来たりしているので一々挨拶していたらやりきれないと思って対面してくる人の方を見ないで歩いているのかも知れない。私は院長ではないが恐らく院長にも同じ態度かも知れない。「仕事すればいいのだろう、一々挨拶などしていられないよ」と言うかもしれないが仕事と挨拶は密接な関係がある。目を合わせて挨拶するだけでチームワークがとれ職場の雰囲気も良くなり仕事能率があがるものだ。新人のオリエンテーションや定例の朝礼などの時に挨拶の必要性を徹底してもらいたいと思う。私の家の前の家の同級生を誘いに来る見ず知らずの女子中学生が私が家を出る時出くわすと「おはようございます」と挨拶してくれる。気分がよくてこれで一日頑張るぞと思う。病院の廊下を歩いていてこちらが挨拶しようとしても知らんふりして通り過ぎられると自分が無視されたようで暗い気持ちになる。アメリカに住んでいる孫が夏休みに日本に来ると日本人は皆下を見ながら歩いていると言っていた。アメリカでは誰でも正面をみて歩き見ず知らずの人でも声をかけたり挨拶するという。日本人はどうなっているのだろうかと言っていたので「日本人は悪気があってそうしているのではなく、元々シャイな性格で他人と目を合わせるのが恥ずかしくてそうしているのではないかと思うよ」と説明してやった。廊下で挨拶もしないで通り過ぎる看護師達も悪い人達ではないと思うが少し恥ずかしすぎなのかもしれない。恥ずかしいとは心が自分の中に向き過ぎているのだと思う。心を広げて相手のことを思いやる外向きの心も育ててもらいたいと思う。
2019.12.19
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私が2月末で病院を辞めると言ってからだんだんその日にちが近づいてきている。外来の患者さんには順にそのことを伝えているが心残りがある。辞めると決めて一番心苦しかったのはそのことである。でも誰でもいつかはそういう時が来るものだと自分に言い聞かせて「今度辞めることになりましたので」と順次伝えてきた。今日もそれを言ったら70歳台のある婦人が泣き出して「ずっと頼りにしてきたのにこれからどうしたらいいのですか」と迫られた。「次の先生にきちんと申し送りしますから」と言ったが納得できずに色々言われた。これで今生の別れと言う訳でもないのに手を握ってくれとか言って中々診察室を出てくれなくて、順番待ちの患者さんのカルテがどんどんたまってくるので、「これだけの人が待っていますので」と言ったらやっと部屋を出てくれたが自分も反対の立場だったらそうしたかも知れず別れは辛いものだと思った。でも誰もいつかは別れなければならないのでどこかで決まりをつけなければならない。患者さんのことを思えばずっと勤めを続けていたいが年齢のこともあり、体力的なこともある。いつかは辞めなければならない。それが今が適切かどうかよくわからないが決めたことだからお別れしなければならない。どんなに時間がかかっても一人一人きちんと次の先生に申し送りして、患者さんが不安に駆られないように最大限の努力をしようと思っている。見捨てるわけではないので誠意を尽くせばきっとわかってもらえると信じて残り数か月がんばって行こうと思う。
2019.11.28
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昨日の振り替え休日に約20年前私が新潟県の山北町の病院に勤めていた時のリハビリ療法士がはるばる山梨まで車で訪ねて来てくれた。24時間体制の病院なので病院のすぐ近くに単身赴任で住み込み救急車がきたら常に駆けつけることになっていたので、精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたので人間関係も粗雑なことが多かったが彼とは職種は違うがなんとなくホットなものを感じていた。その彼が山梨まで来てくれるとのことで山梨の名勝地昇仙峡を案内してきた。仙娥滝の水量が多く豪快だった。覚縁峰は輝いていた。そこから帰りに武田神社を見学して資料館で彼の地元上杉謙信と我が武田信玄の川中島の戦の話や信玄の息子武田勝頼も韮崎の新府城で信長に攻められて自害するまでにかなり活躍し勝頼の時代に領地を最大にしたと教えて頂いた。それから石和健康ランドに行って入浴した。薬草風呂や電気風呂、泡ぶろ、ゆずぶろなど一杯風呂があってとても全てには入れなかったが、薬草風呂、ゆず風呂、露店塩風呂に入ってきた。その後一泊して朝そこから病院に出勤したが楽しい一日だった。お互いに年をとったが彼の信条は患者さんの話をよく聞いてやるとのことで私もそれに近い気持ちは持っているがあまり聞いてやらないこともあったなと思った。でも患者さんのために尽くすことを第一にしていることについては同じだと思った。
2019.11.05
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昨日わが地区の公民館建設の地鎮祭が行われた。地鎮祭は建設工事に先立ち、土地の神を祝って敷地を清め、工事中の安全と建築物が何事もなく永くその場所に建っていられることを願う儀式とのことだが我々公民館建築準備員会のメンバーにとってはいよいよこれで建築がスタートするのかと思うと感慨無量であった。思えば3年前の4月、わが自治会にも公民館が必要だとの考えで、建設準備委員会が設置された。建設そのものに反対の人もいたし、建ててもよいがお金を出すのは御免だという人も多く、資金の問題、建設用地の問題、施工会社の問題、沿道住民からの道路使用やセットバックの承諾集めなどの困難が沢山あったがそれを乗り越えて昨日を迎えることができてそれまでの苦労が消し飛んだ。嬉しくて地鎮祭の終了後は建設会社の方と一緒に沿道住民の方々にこれから工事でご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いしますと挨拶にまわった。実際これからは銀行から借金する350万円位の返金方法や会館の使用方法など細かいことを決めていくことになるが、大きな山は越えたことになる。建設準備委員会の皆様、自治会執行部の方々、建築を引き受けて下さった株式会社内藤ハウスの方々、建設に際し何かと相談に乗って下さった市役所の担当者の方々、助成金関係で何かとお世話になった県の担当者の方々、それから様々な形でご支援下さった自治会員の皆様に心より感謝申し上げる。
2019.10.21
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台湾総統が「台風19号がもたらした記録的な雨によって日本では被害が広がっています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 日本は我々にとってもっとも大事な友人です。いつでも支援に駆けつけます。」のメッセージを下さった。台湾は東日本大震災の時も200億円以上の募金を集めて下さった。災害は天災+人災で防ぎきれないこともあるが備えをすれば防げたこともある。諸国の友情に感謝し、防災の備えと被災後の復興に一層努めていかなければ申し訳ないと思った。それと同時に災害はいつどの国に起こるか分からない。自国内はもちろんだが他国にあっても精神的な励ましや物的、技術的援助はどれだけ勇気つけられるか分からない。互いを尊敬し、常に助け合う気持ちを持ち続けたいものだと思った。
2019.10.14
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コビー博士の「7つの習慣」の中に相手の身になって相手を理解しない限り何をしたって得るものはないがある。貴方が重要だと思うこと、貴方が示す正直、率直、親切、礼儀正しさは相手の文化的、教養的フィルターからみると滑稽だったり、馬鹿々々しいと思うかも知れないというのがある。そういえば自治会館建設に際し通行道路のセットバック依頼に何度も伺って10回目位でやっと承諾印をもらったことがあったが、こちらは自治会のために誠意を尽くし礼儀正しくお願いしているのになぜ承諾してくれないのかイライラして相手を責めていたが、相手の身になってセットバックの問題を一緒に考えなかったからいつまでも承諾してもらえなかったのかと思った。しかし相手は承諾したくない、こちらは一刻も早く承諾を貰って建築をスタートさせたい。相手の立場に立ち相手を理解しても自治会館建設はいつまで経ってもスタートしなかったかも知れないと思った。相手の身になって相手を理解しても問題は解決しない場合はある。その場合は誠意が解決のカギだと思う。相手の身になると相手は公民館などいらない、人の為など考えない、自分の地所が公共のために少しでも狭くさせられるのは嫌だという立場なら相手の身になってその問題を考えただけでは絶対解決しない。あらん限りの自分の誠意を示すことによって相手の心が動くかもしれないのである。「7つの習慣」は世界中で何千万部も読まれている成功のためのバイブルだが、よく読むと抜けているところもあるなと思った。
2019.10.04
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本日午後6時頃から院内の「臓器移植に関する職員研修会」が開催された。講師は山梨県立中央病院の高度救命救急センター長であり臓器ネットワーク担当医である岩瀬史朗さんと山梨県移植コーディネーターの小林真澄さん、山梨県アイバンクの石井妃奈子さんの3人であった。日本で臓器移植を待っている患者さんは心臓323人、すい臓186人、肝臓402人、肺231人、腎臓12,337人、眼球角膜2,207人、小腸4人等およそ13,000人が待機しているが移植を受けられる方は年間300人と少ない。それは脳死した段階で臓器提供してもよいとドナー登録している人が少ないからとのことだった。スペインでは人口100万人あたり43.4人がドナー登録しているが、日本では0.8人で約50倍の開きがある。なぜ日本では臓器提供希望者が少ないのであろうか?死んだ後も体を傷つけられたくないという考えが強いのかもしれない。私は死んでもしお役に立てもらえるなら何でも使って下さいと目や腎臓、肝臓、心臓等全て提供しますと登録してある。しかし家内は反対なので「そんなこと無視します、黙って火葬にしてしまいます」と言っていた。しかし現実にそうなった時には私本人の意思を尊重してくれるかもしれないがまだ日本では臓器提供が一般的ではないので、遺族の考えで処理されてしまうかもしれない。生きてる間にそれほど人様のお役にたっているとは思えないのでせめて死んだ時くらいお役に立てるものがあったら使ってもらいたいと考えているが日本ではまだそう考える人は少ないみたいだ。他人に強制することは出来ないが、もう死んでいるので痛みはないのだからもっと多くの方が臓器提供を考えて頂ければ何人かの方は確実に助かるのでご考慮頂けたらありがたいと思う。
2019.09.30
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人間を信じてるから人は様々な活動に取り組めているのだと思う。少なくとも私の生きるモチベーション(動機)は人間はどのような人もかけがえのない尊い人たちだからその人達のために命を燃やすことだった。見も知らぬ危険なアフリカに行こうとしたのもそこで苦しんでいる人たちがいる。その人達のために何らかのお役に立ちたいと思ったからだ。そう思う根拠はどのような人も犯すことが出来ない尊い人たちだという信念があったからだ。其の信念が崩れたらどうなるか。自治会館建設のために沿道の方々に私道については通行の承諾を、4m以下の道の場合は今後家を新築する場合は道の中心線から2m下がったところに家を建てて下さる(セットバック)ことに同意していただく必要がある。下がってもその部分の所有権はそのままなので、土地を失う訳ではないがそれでも中々承諾して頂けないことがあった。人間に対する尊敬の念が崩れかけたこともあったが自分の立場だけでなく相手の立場をもよく理解して人間理解を深めていく必要があると思われた。
2019.08.24
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アルミ缶、スチール缶、ペットポトル、色付きビンなどを分類して袋や箱に入れる作業だが朝6時からと少し早いので数日前から緊張していた。今朝は4頃起きて時間を確認しあと1時間くらいいいかなと思って布団の上に横になっていたが眠れない。5時には起きて支度して5時45分頃現場に着いたら私が一番だったが続いて2人目3人目と来て全部で5人集まった。男性4人、女性1人だった。作業は殆ど下向きの作業で腰が痛くなった。どこも同じで高齢化の波が押し寄せており、若い人は少なく当番も高齢者が多い。当番に当たっても到底無理だという人は免除されているが年々その免除者も増えていく。自治会内の会議でも高齢者ばかりで段々無理になってきているのでこういう当番制を考えなおそうという意見も出ている。いずれにしても今業務終了して帰ってきたところである。慣れない仕事なのでそこにいくまでは緊張していたが、終わってみればすがすがしくて気持ちのいいものだ。私も後何年当番が務まるか分からないが後2-3年は這ってでも行こうと思っている。
2019.08.02
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私は病院では多くの重症患者さん達を受け持っている。地域では公民館建設準備委員長をしている。日曜日は趣味でいろいろのことを習っている。今度の日曜日28日の日程は詰まっていた。27日土曜日の午後は歌のレッスンの予定だったが歯医者に行くことになりそれが日曜日に回ってしまった。それで日曜日は朝8時半から英会話レッスン、午後1時半から歌のレッスン、3時半からピアノレッスンになっていた。ところが公民館建設にあたり急いで近隣住民から私的道路の使用承諾書をもらって歩かなければならないことになり、その役員会を日曜日に開かなければ間に合わない状況だった。そんなに急に役員会の会場を貸してくれるところもないし、各委員の都合もあるし、自分の日程も詰まっていたのでほとほと困ってしまった。病院では88歳の患者さんが重症で今日明日のような状況にあり、精神的にも日程的にも追い詰められて絶対絶命の状態だったが委員の一人がローソンの2階を午後5時から借りてくれて日曜日の5時からその会議を開催できることになり、その会議終了後手分けして承諾書をもらって歩く道筋が見えてきた。5時というのはピアノレッスンが4時半に終わるのでそこから会場まで30分でこなければならずかなり危ない橋だがなんとか形は整った。今になってみると絶体絶命とは少し大げさだったかなと思えたが解決の糸口が見えるまでは困惑して困り果てていたのでそのような心境だった。人生、誰にも絶体絶命と感ずることが人生には何度かあると思う。しかし何とかしようとしてもがいていればどこかに救いの道が見えてくるものだと思った。
2019.07.25
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健診の診察時などに介助してくれる女性がいる。はきはきしていてスタイルもよくて美人である。下肢の浮腫を診るためにズボンの裾を捲って下さいと受診者に言うが要領を得ないことが多い。その場合必ず彼女が床に膝がしらをつけて捲ってくれる。床は汚いものという先入観があり、潔癖症の私にはとてもできない。それなのに彼女は薄いストッキングだけの綺麗な膝を惜しげもなく何度も何度も床につけている。そのことだけでも素晴らしい女性だと思う。理想の男性像を聴いたことがある。「特別な条件は在りません。年齢も、学歴も、収入も家柄も気にしません。ただ嘘をつかない誠実な人がいいですね」とのことだった。あれからもう何年も経つ。未だに独りだ。世の中には結婚してない男性が増えているというのにこんな素晴らしい女性をゲットしてくれないのだろうか?誠実な男性がいなかったということなのだろうか?世の中は思うようにいかないものだと思った。
2019.06.15
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2年間喪中だったので喪中のはがきをだして年賀状は書かなかったが今年は喪が明けたので年賀状を出した。ずっと喪中だったし最近では年賀状を止める人が多いとのことで年賀状はあまり来ないかなと思っていたが結構大勢の方々から賀状を頂いた。しかもほとんどの方がハガキの隅に「おげんきですか」とか「私は○○才になりましたが今も週2回働いています」「ホノルルマラソン今年も走りました」など短文をボールペンで書き込みしていた。印刷した字や絵だけでは気持ちが伝わらないと一枚一枚に書き込みを入れたのだと思う。その書き込みを見て随分勇気づけられたし、何年も逢っていないのに昔の友情が蘇ったりした。印刷に比べれば下手糞な字だが、その威力は抜群だと思った。それなら自分はと振り返ったら何百枚も印刷するのでイチイチ書いていられないので何も書き込みしないで出してしまった。もらった人の気持ちを考えて来年は書き込みについて考えなければいけないと思った。
2019.01.02
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今勤め先の忘年会から帰ってきたところである。職員211人とご来賓の方2人を加えて213人が一堂に会しての大忘年会であった。昨年の忘年会で外科の先生を中心とするグループがかなり熟練した手品を見せてくれたので自分もただ参加するだけでなく何かした方がいいなと思ったので今年は伴奏なしで歌を歌わせてもらうことにした。日頃皆さんにお世話になっているので感謝の気持ちを込めて「白い制服」を歌わせてもらった。看護婦さんを歌った歌だが実際にはあらゆる職種の方にお世話になっているのでその人達に感謝の気持ちが伝わればいいと思った。もともと声は悪いし声量もなく、音程も不安定なところがあり、皆さんに気持ちがあまり伝わらなかったのではないかと思ったが、帰りしなに何人かの人から「よかったよ」と言ってもらえた。家に帰って家内に「歌ってきたよ」と言ったら「何人が歌ったの」と聞かれたので「自分一人だけ」と答えたら、もともと私は歌が下手と知っているので「よくもそんなに大勢の前で歌ってきたものだ」とたまげていた。音楽とかスポーツは素質がかなり関係し、練習しても必ずしも上手になるとは限らない。私の母は凄い音痴だったと以前に書いたがそのくせよくみんなの前で歌っていた。音程は外れていたが歌詞は最後まで間違えずに歌っていた。私も途中のセリフを含めて3番まで歌詞は間違えなかった。やはり親子でこんな所まで似るのだなと思った。
2018.12.18
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元貴乃花親方が離婚を「束縛なくお互いが自由に暮らすことにした卒婚です」と発言したことで卒婚の言葉がクローズアップされている。卒婚の言葉を最初に使ったのは杉山由美子さんで、2004年に発売された「卒婚のススメ」という本の中で使っており、そこでは離婚しないで別居したりして、それぞれが自由に暮らす方式について述べているので離婚した貴乃花のケースとは少し異なる。しかし別居したりしてお互い束縛なく自由に暮らすとなるとあえて結婚している必要はなく、離婚した貴乃花の方がすっきりしている。貴乃花はお互いが依存しないで自立して生活していけるので今までの結婚生活を卒業して各自新しい道を歩んで行こうという意味で卒婚という言葉を使ったのだと思われ、杉山さんよりより適切に使ったように思う。長らく結婚生活を続けてきたが疲れたのでここらで結婚生活を卒業しようかと貴乃花に続く夫婦が多数出現するかも知れない。従来は不都合なことや嫌なことがあっても夫婦生活を続けることが美徳とされてきたが、男女平等に財産を分け合う法律もできたし、無理して結婚生活を続ける必要はないとの考えから離婚が増えていくことが考えられる。しかし嫌なこともあったかもしれないがお互い支えあってきたからここまでこれたのであり、子供や孫もいるかもしれない。老後も支えあって行かなければならない。短絡的に考えて安易に卒婚を選ばないようにと願っている。自分達の将来のことや親せきなどとの横のつながり、子供の将来のこと等をよく考えてもらいたいと思う。
2018.12.01
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先週末神戸で開催された学会参加のあと兵庫県たつの市野田に住む友人M君宅を訪ねてきた。神戸とは対極の大変辺ぴなところであった。彼とは60年前静岡大学の入学試験の時同じ寮に宿泊したのが縁である。その時私は合格したが彼は不合格で翌年信州大学工学部に合格して信州大学に入ったので会ったのは受験の時だけだがどこか気が合って60年来の友情が続いている。後に私は静岡大学を中退して東京の晴海港で沖中仕として働くことになるが、沖中仕は今は港湾労務者と呼ばれるが港の土方で一般社会からは低く見られており、ホワイトカラーの人達は眩しい存在だった。沖中士から見ると大学生などはエリートでとても近寄れない存在だった。それなのにM君は遥々晴海港まで来てくれて高台から船底で働く私に手を振ってくれて感激した。その後私は医学部に合格して医師になり、彼はエンジニアとなって道はそれぞれ異なったが手紙などで交流を続けていた。最後に会ったのは20年位前に彼が東京出張の途中に甲府まで足をのばしてくれて会って以来なので20年ぶりの再会だった。彼は建築110年くらいの古い家が倒れかけていたので潰すつもりだったがそれには300万円位かかるとのことで金もないので潰すのを止めて自分で傾いたのを少しずつ引っ張ってまっすぐにして腐った柱は継ぎ足しをして見事に住める家に改築し台所は土間の上に自分で建てて暮らせるようにした。今はその家を奥さんが近所のお年寄りに集まってもらってコーヒーなどを出して学習しあうサロンとして活用しているとのことである。彼は私のことを和尚と呼んでおり、和尚背中が曲がっているぞ。窓ガラスに映る自分の姿をみて修正しろと忠告してくれた。背中や腰が曲がるのは年齢的に仕方ないことだと思っていたが60年来の友人の忠告なので今後姿勢を正すことを心掛けて行こうと思う。
2018.11.07
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トイレのウオッシュレットが故障して何度か修理に来ていただいたが直らなくて新しく買った方が良かったかなとこのブログに書いたが、部品を次から次に交換し、「これで大丈夫だと思います」と言ってお帰りになられた後1-2日でまた使えなくなりほとほと困っていた。最終的には電源コードの差し込み口が悪いのかもしれないと延長コードを使って別の差込口から電源を取ったら作動したのでそのまま様子を見て数日後元の差し込み口に差し込んでみたら今作動している。結局原因不明だが今使えているので修理代をお支払いすることにして部品を何万円分も交換したので、その部品代と出張して頂いた日数分の出張代の合計を想定していたら最初の出張代1日分だけでよいとのことだった。あまりのことにすごく恐縮してしまった。実際に取り換えて頂いた部品の代金は誰が持ってくれるのだろうか?その方もしくは会社が負担するのであろうか?法外な修理料金を請求されるのも困るがあまりに良心的すぎるのも困ってしまった。直らなくて何度も来ていただいて精神的ストレスは大変なものだったと思う。その都度対応した家内の態度に感銘してそのような大赤字の修理代金でよいと言ってくれたとのことだが、どのような場合でも人に対する心の態度は重要で、時には数万円分の価値もあるものなのだなと思った。
2018.10.25
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