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ツイッター(Twitter)を始めて見ました。https://twitter.com/imimi39使い方がよくわからなくて、どうしたらよいのか・・・(笑)リツイートって何?みたいな感じです(笑)それにしても、最近の技術の進歩はすごいですね。私の読者ならお分かりだと思いますが、そもそもインターネットという技術がトータルセルフのような意識間のつながりを彷彿とさせるものがあります。これに、ミクシィやらツイッターやらフェイスブックなどが組み合わされば、ますます今までになかった「つながり」が増えていきますね。私は今まで、主に意識(心)の探求をおこなってきました。どちらかというと意識は常に内側に向いていたわけです。今後もたぶん方向性は変わりませんが、「双」方向性というものをもっと意識出来たらいいかなと漠然とですが思っています。別になんでもいいんですが、ブログもミクシイもツイッターもそのための手段として捉えています。ツイッターまでやっている暇はないかもしれませんが、既になさっている方はぜひご覧になってみてくださいね。 Some rights reserved by [cipher]
2013.05.31
今朝の夢の中で、私はある記事を書いていました。忘れないうちに内容を簡単にご紹介したいと思います。内容的には以前も記事で書いたような気がするのですが、明け方の夢で見たことには今までの経験上示唆的なものが多かったので。 魔界というのも、突き詰めれば自分自身で作り出したものです。言い方を変えれば、そういうものがあると思えばありますし、ないと思えばありません。問題は、そういったものを作り出している信念を変えるかどうかではなく、そういったものを作り出している自分自身の信念に気づくことです。信念の存在に気づけば、あとはそれを手放すかどうかは自分自身の選択の問題ですから。他方で、闇には光がつきものです。というか、魔界が存在していることに同意し、そこに執着している場合、それと同じかそれ以上に光にも執着していることが多いです。そう言う人というのは、無意識のうちに何らかのパワーを求めます。それは多くの場合、他人のパワーであることが多いです。ここでいうパワーというのは、象徴的な言い方で、あらゆる現象を解決する力とでも言ったらよいでしょうか。ですが、他人のパワーにすがったところで、なんの解決にもなりません。だって、そのパワーなるものが存在したとして、そのパワーはそれを作り出した人の内面で引き起こされたものであり、その人の内面で作用するものだからです。これは結局、光の存在だけではなくて、闇の存在についても言えます。いかなるパワーであろうと、それが最終的に自分の宇宙の中で効力を持つのは、「そのパワーを自分が受け入れたから」です。非物質界においても、物質界においても、「思いは現実化」しますから、自分自身が受け入れた思いが、強力な羅針盤となって、あなたを牽引し、あなたのエゴとは無関係に、あなたが意図したことを実現化するように方向付けていきます。ですから、突き詰めていくと、結局はどの想念を受け入れるか否かも自由なんですが、自分が受け入れている(受け入れると決めた)想念の存在に気づき、自分で自分の内面を観察していく(みつめていく)ことが必要となってきます。それは、自分自身の過去の体験を思い出してみるとわかりやすいかもしれません。ですが見つめるのは、他人ではなく、自分です。自分の想念というのは、他人との関係で生じやすいですから、他人との関係で生じたところをつぶさに見ていきます。我々の常識からすればものすごい飛躍があるように感じますが、結局はそのような自分自身の持つ信念が、魔界や闇の存在を作り出していきます。自分自身の内面を見つめることによって現実世界で体験する体験そのものが変化する(する可能性がある)のも、結局のところこういった理由からなんだろうと思います。非物質界だろうと、物質界だろうと、自分の信念によって影響を受ける点では変わりがないからです。世界を変えようとするよりも、まずは自分自身を変えることです。自分さえ変えられないのに、世界なんて変えられませんから。 Some rights reserved by Swami Stream
2013.05.31
新ブログですが、今ブログ管理会社との間で手続中で、もうしばらくかかりそうです。来週の週末あたりには完成する予定です。先日申し上げたように、新ブログは課金制にします。料金は当初考えていた1記事500円だとちょっと高すぎるので、定額制にし、1ヶ月1000円にする予定です。私のブログは最近、傾向がはっきりしてきていて、チャネリング、つぶやき、神社巡り、翻訳紹介といったようにジャンルごとに分かれるようになってきました。なので、最初は好きな分野だけを選んで読んで頂ければいいかなと思ったんですが、それだと、全部読んでくださる方とかなりの料金的な差異が生じてしまいます。なので、一律定額制ということでいきたいと思います。ご理解のほどよろしくお願いします。なお、新ブログではコメント欄は復活させます。また、コメントしにくい方のために、G-mailも設けようかなと思案中です。難しいかもしれませんが、もっと双方向性の度合いを強められたらいいなと思っています。また共同探索なんかもできたらいいですよね。ところで、最近、『謎の出雲帝国』という本を読んでいます。この本です↓オフ会の時にお借りした本で、今は絶版となっている貴重な本です。以前、この本ブログでもご紹介したことがあるんですけど、一言で言うと、出雲の歴史は一筋縄ではいかない!といったような内容です(笑)。この本はネットなんかで検索すると、トンデモ本だといった書き方を一部でされていますが、決してそんなことはないと思います。この本を書いた吉田大洋氏は、単なる空想で書いているのではなくて、綿密なフィールドワークによって裏付けをいろんなところでしています。私は日本の歴史にはそれほど詳しくないんですが、この本ではある事実に対してきちんとした裏付けをとっている(とろうとしている)姿勢が伝わってきます。書いてあることが真実かどうかよりも、物事を探求する姿勢としてそういった検証はとても大切な気がします。そう言った意味で、非常に勉強になる本です。機会があれば内容をご紹介したいなと思います。話は変わって、今日は少し時間の流れ方についてお話したいと思います。我々は時刻というものを世界レベルで定めて、それに合わせた生活を送っていますから、時間が同じ速度で流れていると思っています。しかし、年齢によって時間の流れ方というのはずいぶんと違っているように感じられます。例えば、小さい頃というのは、時間がとてもゆっくりと流れているように感じます。私は祖父にとてもかわいがられたんですが、今でも覚えているのは、夏休みとかに祖父の家で二人で過ごしている時に、まるで時間が止まっているかのように感じられたことです。時間がものすごくスローに感じました。それに比べて、今の時間の流れの早いこと(笑)。一日12時間働いても、それほど長く感じません。まあ、疲れますけどね(笑)。何が言いたいかというと、時間というのはそのくらい、感覚によって支配されているものだということです。ヘミシンクでは時間も空間も超えた旅をしますが、もし自分の持つ時間の概念を根本から変えることができれば、より体験に変化をもたらす可能性があるように思います。もちろんそれは、現実世界でも同様なわけです。UFOも、時間と時間の間を飛んでいるという見解があったりもします。確か、りんごの神様の木村さんがおっしゃっていたように思います。もしこれが本当だとすれば、UFOは空間の中を飛んでいるのではなく、時間の中を飛んでいることになります。我々の感覚からすればブッ飛んだ話ですが、そのくらい、我々というのは、既成概念(「~ねばならない」)に凝り固まっているわけです。ヘミシンクはその点、いいですよ。ハートを開いて意識を開放するということをやったりしますから。セミナーとかでセッションを受けていると、ガイドからハートを開くように仕向けられたりします。すると悲しくもないのに泣けてくるんですね。私の場合、あの時のハートを開く体験が、知覚向上に大きく役立ったように思います。時間から開放されて、ハートを開いて、未知の世界を旅してみる。旅するのはもちろん、現実世界でも構いません。そんな時間がたまにはあってもいいかもしれませんね。 (写真:AFP時事より)
2013.05.31
前回は主にシュメール文字にフォーカスした記事を書きましたが、今日は今回訪れた別の場所についてご紹介したいと思います。まずは、住吉神社ですね。すごくよく整備されていて、立派です。 エネルギーのよくわかる知人の話では、橋というのは、構造上、エネルギーが高いそうです。最初、下に水があることが多いせいかなと思ったらしいんですが、上のように水がなくても高いんだとか。建物の朱色に新緑の緑が映えますね。素晴らしい美しさでした。 下は境内の中です。下の写真ですが、屋根が見えますよね?これは、この神社に祀られている5柱の神様を表しているらしく、全部で5つの屋根があります。屋根の下にも、ちゃんと柱があって、それぞれが独立しているらしいです。 下の写真は、御神木です。楠(くすのき)らしいです。今回ご案内してくださった方の話によれば、楠というのは、昔は船の部材だったらしく、とても貴重なものだったみたいです。また、九州、中国地方には、縄文古来からの伝統を継承する海人族(かいじんぞく)というのがあって、確かお話では3つぐらいあったらしんですが、ここの住吉神社もその1つの流れをくんでいるのだとか。私も海人族については別の呼称でブログ上で取り上げたことがあって、あくまでも個人的な見解なんですけど、海人族はムーの流れを継承しているのではないかと考えています。昔は、交通といえば海上交通が便利でしたから、船の部材に使われる楠も、御神木として大切にされたんでしょうね。地球意識に通じている、とてもやわらかい波動を持っています。別のポイントに移動しまして、下の写真は本州最西端の地での写真です。龍神様に歓迎されたのか、ものすごい強風でした~ 写真では写ってないんですけど、確か写真の左側が、九州だったと思います。下の写真は、私達が今回アプローチしていたシュメール文字の時代からはかなり下った時代の歌碑ですね。当時はこの辺は防衛の要だったでしょうから、大変なお役目だったんでしょうね。再び場所が変わって、今度は前回ご紹介しなかった3つ目のシュメール文字があるポイントです。旅館の裏庭にひっそりとあります。写真は横向きになってるんですけど(右が下で、左が上です)、ここの旅館のご主人のお父様の時代に別の場所(後でご紹介する楠の大木があるあたり。この場所から7kmぐらい離れた所)から運ばれてきたものみたいです。確か、ご主人の話では昭和20年代とおっしゃっていました。日本の岩刻文字(シュメール文字)の研究というのは、前回お話した彦島にある岩刻文字の研究から始まったらしいんですが、それを研究されたのが吉田信啓氏という方で、この旅館にも何度も足を運ばれたらしいです。下の岩刻文字を解読したところ、「この地をあとにして、今から朝鮮のどこどこの国に帰る」みたいな内容が書かれているらしいです。前回お話した、日本人の容貌をした人が岩刻文字を書いているヴィジョンを見たのは、ここの場所を訪れる前のことですから、あとでよく考えてみると妙に腑に落ちるものがありました。 下の建物は、上の旅館のすぐそばにあったんですが、横長で、古墳のような形状をしています。面白そうなので入ってみると、中は資料館になっていて、日本全国から古い時代の小物(カゴや、藁や麻で編んだ道具類)が展示されていたり、おしゃれなカフェがあったりします。ここのすぐ近くには温泉も湧いていて、なかなか良さげなところでした。下の楠は、天然記念物に指定されている、ものすごい巨大な大木です。高次元の波動を放っていて、訪れたときはちょうど花の咲く時期でしたから、なんともいえない芳香が辺り一帯にただよっていました。楠の根の周りに、つわぶきを植えてあるんですけど、これは根を守るためらしいです。大木を守る知恵というのも、素晴らしいものです。我々もいろんなものからこうやって守られながら、生きているのかもしれませんね。木を結んでいる縄は11mあり、木の高さは約24m、横幅は約52mとのことでした。木が大きすぎて写真には入りきれていないんですが、まるで森のように見えます。下の写真には花が写っていますが、楠の花の香りって、すごくいいですね。癒されました。下は、楠の枝にくっついていた、巻貝です。こんなところに巻貝があるのが驚きなんですが、正式名は「シーボルトコマキガイ」というらしいです。シーボルトというのは、あの有名なドイツ人医師のシーボルトが発見したためで、小さな巻貝なので「コマキガイ」と命名されたんだとか。最後は、前回もご紹介した紫陽花です。あまりにも綺麗なので、もう一度載せます。楠の大木のすぐ近くに生えていたものです。
2013.05.29
最後に、外国のシュメール文明について見てみたいと思います。シュメール文明と日本との結びつきは実際にあったと感じます。いつ頃のことなのかを見ていきますと、紀元前2500年~3000年あたりではないかと思われます。まずはどちらからアプローチがあったのかというと、シュメール側から日本に使者が送られています。使者は、当時の航海技術を駆使して、船で日本までたどり着いたみたいです。当時は、日本では縄文時代と呼ばれる時代ですが、カタカムナ文明(ムー文明)の優れた技術が口伝によって継承されていました。当時まだ存在していたカタカムナ人というのは、直感能力だけで宇宙の本質を見通すことができる程の能力がありました。おそらく、当時の縄文人すべてがこれほどの能力を持っていたわけではなく、いわゆる神官とか、特別の存在だったのではないかなと思います。彼らは、シュメール人の要請を受けて、「大陸間移動」と呼ばれる方法によって、日本からメソポタミアの地までやってきます。彼らはシュメールの人たちに、最先端の「農耕技術」、「青銅技術」、そして「文字」を伝えました。つまり、古代日本にあったペトログリフ(岩刻文字)がシュメール文字なのではなく、シュメールの文字が古代日本にあった文字に似ているのです。もしかしたら、シュメールの伝説には神のような存在が我々に技術をもたらしたといった伝承が残れているかもしれません。もしそうなら、それは古代日本人(カタカムナ人)のことです。彼らは実際にメソポタミアの地を訪れて、その地でカタカムナの音を宇宙空間に発し、そこで天然自然の理を発揮し、農耕技術を伝えている様子が見えてきます。カタカムナ人は見た目アジア人に見えます。服装は素朴で、麻で作られたようなシンプルな服を着ています。彼らを助けていた宇宙種族がいたのかもしれませんが、そこの部分というのは見えてきません。私に感じられるのは、彼らが「大陸間移動」によって現地に赴いた後の様子で、そこの地で自ら率先して農業などの優れた技術をシュメール人に伝えたことです。<参考>・日本のペトログリフ群についてhttp://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/petoro.htmlhttp://www.hikoshima-guu.net/petoro.htmlhttp://www.246.ne.jp/~y-iwa/hikojimakodaimojiiwa.htm・シュメールについてhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB・土偶についてhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%81%B6・徐福についてhttp://www.east-asia.jp/archives/50610354.html
2013.05.28
前回の旅の最後で訪れた角島(つのしま)には、今回の旅の最後に皆で再び訪れたんですが、そこで感じたものは、前回見た古代朝鮮民族の衣装を着た女性の姿と、水平線を見渡したときに見えてきた巨大な船でした。当時そんな造船技術があったのかと思わせられるほどの大きさです。当時、角島(つのしま)は島全体が御神体だったと感じます。つまり今で言う禁則地(きんそくち:神聖な場所なので入ってはいけない所)です。この島と目と鼻の先にある本州側の地に、土居ヶ浜(どいがはま)遺跡という古墳が残されていて、当時の豪族の首長は、この地から角島(つのしま)への思いを馳(は)せ、さらには角島(つのしま)に故郷(朝鮮)への思いを重ねて見ていたようです。(下の写真の一枚目の丘のようなところが、古墳です。二枚目の写真は古代ハスの栽培地です。他に古代米なども植えていたり、高見やぐらがあったりして、弥生時代の生活が一部再現されています。) 土居ヶ浜遺跡では、200体あまりの人骨が発掘調査によって出土していて、皆、古代朝鮮人だったと思われます。まあ、国境というのが無いに等しい時代ですから、古代日本人といってもいいわけですが。知人から指摘のあった、この200体の人骨が秦の始皇帝の時代の徐福(じょふく)の一員であった可能性についてもリーディングしてみました。すると、徐福は確かに日本を訪れていたと感じます。ですが、この古墳の地ではなく、北九州だったみたいです。当時、北九州というのは、今で言うとニューヨークとか上海にも匹敵するような大都市で、様々な交易の中心地だったと感じます。徐福は何をしに日本に来たのかとうと、水銀及びその応用技術(錬金術)を求めてです。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求めて水銀を手に入れようとしていたらしく、それを古代中国において伝説として残されていた古代日本の錬金術に求めたわけです。日本の錬金術というか、超古代に日本に優れた文明が残されてたという伝承をもとにです。話を戻すと、先ほどの角島(つのしま)一帯というのは、寄港地(きこうち:目的地までの途中に立ち寄る場所)としての役割を担っていたみたいです。それは、朝鮮半島から古代出雲王国へと向かう船や、北九州から古代出雲王国へと向かう船の寄港地です。あるいはその逆のルートの可能性もあります。おそらくは休息をとって嵐が過ぎるのを待ったり、あるいは食料なんかを手に入れたのかもしれません。角島(つのしま)で見た朝鮮民族の服装をした女性は、古代朝鮮民族(=古代日本民族)の宗教上の女性神のような存在だったみたいです。もしかしたら巫女として実在した可能性もあります。実際に、現地を訪れてみるとわかるのですが、古墳のある本州側と、当時御神体だった角島では、エネルギーの感じられ方が違います。角島のほうは、何とも言えない落ち着いたエネルギーがあたりに満ち、同時に、ハートにくる澄み切ったエネルギーを感じます。それも、角島の端にある龍神が祀られた神社の、あるポイントでそれを特に強く感じます。それに対して、本州側の古墳では、私は現地では武将のような男性の姿と、「おだやかでない」といった印象を受けたんですが、別にそれはこの古墳のあった場所だけがそうだったわけではなく、それは当時このあたり一帯を収めていた人物の様子を伝えるひとつの手法だったわけです。むしろ、角島に流れるエネルギーが、当時も今も特別だと見るべきなんだと思います。
2013.05.28
岩刻文字をリーディングしていきます。PART1で書いたように、最初、岩刻文字にフォーカスしていたんですが、途中からガイドの指示でまっすぐ「本来の自分」にアクセスし、そこで情報を読み取っていきました。「4~6世紀」の文字が見えます。おそらくは紀元前ではないかと思います。当時、今の日本の北九州、中国地方沿岸には、朝鮮系の人々が多く入ってきていて、定住していました。彼らは集団で生活し、小規模なコロニー(部落)を形成していました。大きな国家はありませんでした。彼らはいわゆる弥生系の人々のようです。それとは別に、日本古来の縄文系の人々も住んでいましたが、ある時代までは住み分けがなされたみたいです。つまり、お互いに自分達の文化には干渉しないといった暗黙のルールのようなものがありました。リーディングによれば、岩刻文字=シュメール文字というのは、発見者・研究者の考えが大きく影響しているといいます。シュメール文化と関係があるかないかというと、あるんですが、事情が複雑なのです。まず、発見者がシュメール文字だと考えたものは、古代朝鮮人が日本の地に残した古代朝鮮文字だと感じます。当時(今からやく2000年前)の国境というのは、今とはずいぶんと異なっていました。朝鮮と日本の国境というのは、ほとんどないに等しく、姉妹国、姉妹都市のような関係にあったと感じます。この点、中国とは明らかな文化的相違がありましたし、中国は朝鮮に対して内政干渉をすることはなぜかほとんどなかったのではないかと思います。ある意味、中国は独自の優れた文化面等から古代朝鮮に一目置いていたのかもしれません。古代朝鮮の人々は、既にその一部は日本を永住の地として決めて日本にやってきて、そこで独自の農耕を主体とした文化を築いていました。ですが、その一部の人々はそのうち、自分たちの故郷(古代朝鮮)に思いを馳せるようになりました。思慕の念といったらいいんでしょうか。そして、実際、朝鮮に帰る人々もいました。その時に、彼らは自分たちの文化や生きた証を石版として残すことにしました。そこで彼らは、その時の自分たちの心境を、石版に刻んだのです。現地を訪れている時にするリーディングでは、現実世界からの五感の刺激が強く、また深く集中もできないので、あまり深く読むことはできません。何も予備知識のない状態で実際にシュメール文字が刻まれた岩を見たとき、ある場所では、カエルの姿をした自然霊的存在を幻視し、別の場所では当時現地(日本の遺跡発見現場)にいた人々がシュメール文字を残している様子が見えてきました。まずは、カエルの意味についてなんですが、いわゆる自然霊というのは、その土地に住む動物に宿って土地を守ったりメッセージを伝えたりすることがあります。ヘビやカラス、ワシ、タカなどがその例です。ヘビなんかは、非物質体だけで白い姿で現れることもあり、その場合神社などの霊的な眷属神(けんぞくしん)として現れることがあります。かつて弊立神宮に非物質的に訪れたとき、その訪れる数日前に、神宮の使いとして白いヘビが私のもとを訪れたことがありました。カエルというのも、霊的には地球意識の延長であり象徴としての役割を担っています。そこでその地に生息し、土地の息吹を伝えていくわけです。あとは、ガイド的なメッセージを伝える使者としての役目もあるように感じます。今回の私の場合、それは、シュメール文字にまつわる話です。キジ、トンビなどの出現も、霊的なメッセージを運ぶ使者としての意味合いがあったり、他方でものすごい突風に見舞われたりといったことは、土地の龍神のあいさつだったりします。今回の旅でも、前回と同様に、旅の途中でキジが出現しました。前回も今回も風が強かったのは、たまたまそういった気象条件の時を選んだこともあったのでしょうけれども、なぜそういう日を選んだのかといえば、それも偶然を超えた必然が霊的にはあったりします。余談ですが、縄文時代などの土偶で宇宙人の姿を思わせるものが見つかったりしていますが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JomonStatue.JPG土偶の大きな目は、今回非物質的に見た大きなカエルのヴィジョンにそっくりだなと思いました。それは、最初に訪れた彦島の岩刻文字を見ている時に浮かんできたたんですが、ひとつの可能性として、古代人に力を貸していた宇宙人の可能性があるように思います。もっとも、私は今回そこにはあまり深入りせずに、シュメール文字が書かれた状況と、本来のシュメールと呼ばれる外国の地と古代日本との関係にしぼって見ました。
2013.05.28
今回のオフ会は、主にシュメール文字が書かれた岩刻文字(がんこくもじ、ペトログリフ)の史跡を訪れる旅となりました。シュメール文字の遺跡は、北九州や下関などかなり広範な地域から見つかっていて、まず訪れたのはシュメール文字研究の出発点となったとされる山口県下関の彦島(ひこしま)にある杉田丘陵と言うところです。 私はシュメール文字について全く予備知識がなく、なんとなくシュメール文字という呼称から、古代においてシュメール人が日本にやってきて、そこで岩刻文字を残したのかな?ぐらいの漠然とした印象しかありませんでした。実際、下関一帯で発見されているペトログリフは、古代シュメール語で書かれている可能性があることが専門家によって指摘されています。しかし、実際に現地に行ってリーディングしてみると、シュメール文字とおぼしきものを日本人のような容貌の人が描いている様子が見えてきました。シュメール人じゃなかったのか?と思いつつも、見えてきたものは仕方がありません。とりあえず現場では、知人の案内に従い様々な史跡を訪れ、深いリーディングは家に帰ってから行うことにしました。リーディングでは、現場の写真だけを見て、他には何も見ずに行いました。リーディング中に興味深かったのは、高次から、現場から意識を離して「本来の自分」の情報の源までくるように言われたことでした。私は現場に近いところに意識があったほうがよくわかると思ったんですが、そうではないということらしいです。シュメールの岩刻文字の他にも興味深いところをいくつか訪れましたので、そこは次回以降に番外編としてご紹介できればなと思っています。ちなみに今回の旅では、他のところにある岩刻文字も見て、全部で彦島の杉田丘陵を含めて3ヶ所を探索し、そのうち彦島ともう一つ神社の境内に置かれている岩刻文字を見ながらもリーディングしました。下がその場所です。 以下は私の主観的事実です。実際の歴史とは違っている点もあるかもしれませんし、一致している点もあるかもしれません。その辺を考慮に入れて読みすすめてください。
2013.05.28
人が集まると体験が強化されるというのは、確かにある気がします。たぶんそれは、人が持っている物質界に近いエネルギーが集まると、それが強化されて、普段以上に知覚が進んだりするからなんでしょうね。私もかつてヘミシンクのセミナーに出ましたから、よくわかります。それはもう、ひとりでやるよりも、明らかに違いました、当時は。で、今はどうなのかというと、よくわかりません。たぶん今でも、体験は深くなる気がします。でも、最近思うのは、そもそも体験の深さとはなんぞや?ということです。ぶっちゃけた話、私は自分の体験が全然深いとは思いません。いや、真面目な話です。ヘミシンクを初めて5年くらい経ちましたが、現実世界ほど深い体験はないですよ(笑)。そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、私はそうは思いません。体験のリアルさを求めれば、現実世界での体験にかなうものはないんです。ですが、非物質世界での体験というのは、別の意味がある気がします。それは、感覚を超えた真実味です。我々はよく、感覚というものを大切にしますよね。それはそれで素晴らしいことだと思います。五感の世界で生きていますから。ですが、感覚では捉えきれないものがあります。なぜそれがあると言い切れるのか?証明できない以上、言い切ることはできないという理屈になりますが、私は自分自身のなかであらゆる感覚を超えた何かがあると確信してます。私にとってそれが、目に見えない五感を超えた非物質界に向かわせる原動力となっています。感覚に頼りすぎないこと。もし体験を深めるコツみたいなのがあるとすれば、私はこれをお勧めします。体験に優劣の差などありません。自分の意識をクリアにして、偏った思い込みを捨てて、真摯にヘミシンクと向き合えば、必ずブレークスルーがきます。それは、今までの思い込みを捨てたときにきます。体験とはこうあらねばならないという思い込みです。ヘミシンクを聞いたけど、寝落ちして何も覚えていなかった。いいじゃないですか(笑)。寝落ちしたあと、もう一回聞いてみたけど、今度は何も見えなかった。いいじゃないですか(笑)。そんなときは、自分から妄想してみるんです。どんなキャラクターでもいいから、自分が主人公になって、誰かに会うフリをします。ガイドが誰かわからなくてもいいんです。家族でも親戚でも誰でもいいですから、よく知っている人をガイドに決めます。その人とああでもない、こうでもないと、世間話を始めます。その流れで、今の自分に対するアドバイスなんかを聞いてみます。ガイドを試すようなことを聞くよりも、まずは当たり障りのない、解釈次第でありえないことではないような話を聞くんです。つまり、そんなこと誰でもアドバイスできるよ、ぐらいの話題から入ったほうが、何が真実かにこだわりすぎずに済みます。何が真実かにこだわるというのは、体験のリアルさに固執するのと似ています。この現実世界だけの接点を最初から求めようとすると、針の穴に糸を通すようなものです。それよりも、あらゆる蓋然性を考慮すれば、ありえないことではないぐらいの広い心で受け入れます。実際、そうなんです。「自分」とは何かを突き詰めていくと、到底、針の穴だけでは満足できなくなります。もっと広大な可能性を直感的に理解するようになります。そうすれば、真実というものにあまりこだわらなくなります。だって、真実なんてあらゆる蓋然性のもとでは無数にあるわけですから。気軽に、でもコツコツとヘミシンクを続けてみてください。Some rights reserved by TANAKA Juuyoh (田中十洋)
2013.05.25
「では、フォーカスレベルについてはどうでしょう?」「君たちのいうフォーカスレベルとは、指標だ。君たちは今、思いを現実化する過程を学んでいるところだ。現実世界だけではなく、ヘミシンクを使って意識状態を変えることによって他の世界でもだ。どの世界であろうと、思いは現実化される。君たちは、本当は、存在しているようで、していない。どこか特定の場所にいるわけではない。確率的に存在しているのだ。つまり、いるようでいないというのが正しいところだ。それは、現実世界でもそうだし、他の世界でもそうだ。つまり、周波数を変えて意識状態をずらす(ヘミシンクのこと)というのは、その確率的に存在するどこかの自分に焦点を合わせるということなのだ。だから、フォーカスレベルというのは、本当は次元とは関係がないのだ。」「次元とは関係がない?」「そうだ。次元とは、存在が、そのものが持つ固有の動的エネルギーによって生み出された、ある程度普遍性のあるエネルギー状態だ。例えば、今の私が置かれている環境がそうだ。私は自由に他の次元に移動できるのかというと、そういうわけではない。もちろん、私という自我のみが今置かれている状況を決めているわけではなく、私の進化レベルや霊体の振動数その他ありとあらゆることが関係した結果、今わたしはここにいることになる。」「それも、確率的に、ということですよね?我々が現実世界にいるのと同様に。」「そうだ。」「進化の方向性について聞きたいのですが、我々は今地球上で5次元世界に移行しつつあると聞いています。それについてあなたの見解を聞かせてください。」「地球は私がいた頃よりも振動数が上昇している。だがそれは、今の地球人達が私がいた頃よりもレベルが高いということを意味するのではない。すべて合意によってその現実が選択されている側面がある。だから、先ほどの次元でも、合意というのがとても大きく影響している。意識の進化レベルというのは、常に内面で起きる。つまり、個人個人の内面だ。地球とは、君たち全体の象徴のようなものだ。地球が意識レベルを上げるのではなく、君たちが意識レベルを上げるのだ。そうすれば、君達の総体である地球も意識レベルが上がる。」「それは、宇宙レベルでもそうですか?」「そうだ。宇宙レベルの意識上昇も、個々人の内面からもたらされることには変わりない。ただ、その規模が異なるだけだ。」「宇宙レベルでのアセンションが起きるのは、あとどのくらい先ですか?」「わからない。わからないが、君たちの内面でそれを観察するこができる。もっとも、君たちはその頃、別の何かになっているだろう。ゼロ地点に戻る。つまり、最初から宇宙が始まることになる。他の次元において。それを君たちは目撃することができるということだ。」「キリスト意識が宇宙レベルのアセンションに関係していますか?」「キリスト意識が総指揮者だ。」という感じでした。シュタイナーにアクセスしたのは、今年の1月の大阪でのオフ会で、ある方からアリス・ベイリーという人物の論文をいただきまして、たまたまそれを今日手に取って見たためです。(アリス・ベイリーは神智学の人です。シュタイナーは神智学を脱退して人智学を作りました)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%99%BA%E5%AD%A6今度その論文の内容もご紹介できたらいいんですが、なかなか興味深いことが書かれています。バシャールにアクセスするときもそうですが、コンタクト時に我々はハイアーセルフの影響を強く受けるみたいです。この辺はもう少し調べてみる必要があるかもしれません。それにしても、シュタイナーがまだ5次元程度の領域にいると感じられたのは、少し意外でした。Some rights reserved by PostcardsFromYou
2013.05.24
ヘミシンクでは、ロート(思念のかたまり)として情報を受け取るというのがありますが、私は受け取った情報をロート化して保存し、現実世界で記憶を再生して記事を書いています。いつもリーディングはこの方法で書いています。この辺の技術も、おいおい新ブログやオフ会等でお話しできればいいなと思っています。なお、新ブログの開始時期は、きりがいいところで6月1日としようかなと思っています。その時期が来ましたらまたブログでお知らせします。なお、mixiは残そうと思ってるんですが、外部ブログにします。今回は、ルドルフ・シュタイナーとの非物質的なやりとりをご紹介したいと思います。シュタイナーというのは、こういう人です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC 20世紀初頭に現れた霊能力者です。非常に知性豊かな人で、教育、芸術、医学、農業、建築などあらゆる分野に多大な影響を残しました。教育分野では、日本でも「シュタイナー学校」が今も全国に存在しています。私見では、ドイツの原発撤廃・自然エネルギー志向、その他革新的とも言える政策決定の原動力は、社会の根底に根付いたシュタイナー教育が影響しているように思えてなりません。シュタイナーは今、ヘミシンクで言うところのフォーカス35にいて、6次元への指向性を持ちつつ、「内面の探求をしている。」らしいです。あとのシュタイナーとの対話でも出てくるんですが、このフォーカス35というのは、シュタイナーによれば5次元領域を指すものではないみたいです。私との面会場所に適切だろうということで、私の意識に合わせてこのフォーカス35という領域に現れてきたみたいです。次のような感じで会話が始まりました。「君は自分自身の能力がどこから来ているのか、気づいているか?」「いえ。」「君が私に会いに来て、このように話すことのできる能力のことだ。君は、本体との結びつきが強い。多くのエネルギーが君のところに流れてきている。その本体との結びつきによって君の多次元的能力が開花しているのだ。」「なるほど。ところで、今回は少しお尋ねしたいことがあって伺いました。それは、マカバと、フォーカスレベル、次元についてなんです。以前私は、マカバは自分自身の周りにあるエネルギーフィールドであり、それをまとってUFOのように移動することができると捉えていました。最近私は、フォーカス15で今の自分が選択しつつある将来と、その時の自分のエネルギーフィールドをチェックしていたとき、いとも簡単にフォーカス15に移動できることに気づきました。でもそれは以前抱いていたマカバやフォーカスレベルなどの考えにマッチしないのです。マカバをまとわないと移動できない、あるいは、フォーカスレベルはゆっくりとでないと移動できないといった考えです。まずは、マカバについてからご説明願えませんか?」「マカバというのは、モチーフであり象徴なのだ。エネルギーフィールドであり、人間の周りに意図せずとも存在しているものだが、君たちが考えているよりも、もっともっと自由度の高いものだ。マカバは、君たちのあらゆる側面を具現化し、真の可能性を見出させるものだ。それは単なる象徴ではない。内なる可能性を具現化し、実際に君たちを先導していくことのできるモチーフなのだ。マカバは意図によってあらゆる形を表すことができるが、その表現力というのは、君たちの自我だけではなく、君たち自身の総体から生み出されるものだ。だから、意識しなくてもマカバは自動的に形成されるが、君たち自身の意図も相まって自由に形を変えていくことのできる可能性が秘められている。」
2013.05.24
仕事も住むところも失った私は、カバンひとつで新天地にたどり着きました。自転車すらなかった私は、どこに行くのも、徒歩でした。貯金もなかった私は、公的機関の援助を受けて生活しました。でも、絶望は微塵もありませんでした。生きるためについた仕事では、毎日経営者から罵倒されていました。もういいと自分の中でふんぎりが着いたとき、その仕事をやめました。それから数ヵ月後、月収50万を超えるようになりました。あの時の思い出は、今でも忘れられません。劇的に稼げるようになった後ではなく、すべてを失ったときです。でも、すべてを失ってみてわかったんです。ああ、いろんな守護があるな、と。自分は一人ではないということを感覚として毎日感じていました。思いが現実化するスピードが早まってきたのも、この頃からです。当時は、いつも次元の境目を感じていました。自分の変化が早すぎて、次元の境目を感じるほどだったのかもしれません。でも、今でもいろんな恩寵を感じるんです。今ここの自分が、あの時の自分を助けています。Some rights reserved by Nicholas_T
2013.05.24
人間というのは、何もないときほど、貴重な何かに気づきやすい気がします。仕事も家も全て失った。でも、自分にはまだ命があった。また一からやり直せばいい。私にもありましたが、結局、そうします。そうするしかないわけですから。でも、失えば失うほど、自分はなんて幸せなんだと感じました。すべてを失うと、「命」にしかフォーカスしなくなるからです。そこには、安心感しかありません。 Some rights reserved by starmist1
2013.05.24
今の自分を超えた「自分」というのは、変性意識に入れば「自分」を自分だなと感じられるときがあります。けれども、日常生活を送っているときには、「安心感」として感じます。非物質的に見ると、パステルカラーのオーロラのように見えます。透明感のある、淡い色彩色のように感じられてきます。でも同時に、腹の底から湧いてくる「安心感」も漂ってきます。それを感じると、「そうか、何があっても大丈夫なんだ」と思います。所詮、我々は、人生という劇場で、ある役を演じているにすぎないからです。私の表現力では伝えきれませんが、内側から湧き上がってくる「安心感」、感じてみてください。 Some rights reserved by matsuyuki
2013.05.23
もともと私はブログを有料化するつもりなどありませんでしたから、今までもセスの本の翻訳などをご紹介してきたわけです。しかし、ブログの有料化に伴い、セスの本の翻訳をどうするか?という問題があります。有料化した場合、楽天ブログはそのまま残しておいて、他の有料化できるブログを探すことになります。ですから、既に掲載したセスの本の翻訳は楽天ブログにそのまま残します。問題は、新たにセスの本の翻訳を有料で載せる場合です。通常、例えば本の引用をする場合、それが引用であることを明記していて(クレジット表記等)、商用目的でなければ(学術目的等であれば)、問題はないとされています。おそらくは、翻訳の場合も似たような状況なんだろうと思います。ところが、ブログを有料化してセスの本の翻訳を載せた場合、はたしてそれが著作権上問題ないと言えるのかどうかです。この辺に詳しい方がもしおられれば、ミクシイからメールでもいただければありがたいです。私がセスの本の翻訳を公開する目的は、セスの本が非常に有益であると感じられるので、できるだけ多くの人に読んでもらいたいからです。それが、ひいては自分自身の進化にもつながるからです。最悪、セスの本の翻訳がご紹介できない場合、伝聞形式で内容をご紹介することや、セスの本だけは無料で公開する方法、あるいは私がセスと直接チャネルした内容のみ有料化で載せる方法等を検討していきたいと思います。本来、セスの本にこだわる必要はないんです。でも、特にへミシンカーならばあまりに重要だと思われる内容が特に三冊目の本「The 'UNKNOWN' REALITY」(=「知られざる」現実)には多すぎます。既にブログでご紹介したように、ヘミシンクの開発者であるロバート・モンローは、ジェーン・ロバーツのもとを訪れています。それは、セスの二冊目の本『個人的現実の本質」がチャネルされていたときです。この次の本が『「知られざる」現実』になるわけですが、この本の中には、セスはおそらくモンロー氏の体外離脱者としての特殊能力を想定しているであろうと思われる記述があります。そこはまだご紹介出来ていない部分なんですけど、それ以外にも、モンロー氏の体験の中に、この本に出てくるセスの言った内容に重なる部分というのがあったりもして、はっきり言ってヘミシンクを深く極めようと思う者ならば必読の書であると断言していいほどの本です。ナチュラル・スピリットさんが出版してくれればいいんですけど、今加速度的に人類の意識の進化が進んでいると感じられますから、それまで待てません。というわけで、なんとか方法を考えたいと思います。あと、私がいつも掲載している写真ですけど、これは皆様に少しでも癒されてブログをあとにして欲しいという思いから、癒しのちからの強いと思われるものを選んで掲載してきました。その多くは、商業利用可能のもので、クリエイティブ・コモンズに登録されているものがほとんどです。クレジット表記のないものは、私個人が撮影したものです。私はブログを有料化するなんて思ってもみなかったことですから、先々のことを考えて商業利用可能な写真を選んできたわけではなく、作品としてのオリジナリティを尊重したい、作者の方にご迷惑をかけたくないという思いから、あえてクレジット表記にこだわり、商業利用を許されたものを中心に選んできた次第です。ですから、ブログが有料化されても写真は積極的に掲載していきますから、ぜひ癒されてください(笑)。最後に、これからのブログの内容について触れたいと思います。今までは有料化するつもりは全くなくても、読者の方に喜んでいただけるような内容を私になりに選んできたつもりでした。だいたいパターンは決まっていたんですけど(笑)、同じパターンが続かないような配慮はしてました。うまい具合に地元でのオフ会があったりもしますから、神社とかでのリーディング等の話も入れたりしながら。で、おそらくですが、有料化後も、今までどおりの感じになっていくのではないかなと思います。ですが、お金をいただくわけですから、それなりに価値のあるものにする必要があります。また、読者のご意見を反映させることも考えていかなければなりません。それで、もしこういうふうにして欲しいとか、こういうことをリーディングして欲しいとか、そういう要望がありましたら、ミクシィからでもメールください。ただし、そのとおりになるとは限りません(笑)。あと、ちょっと前にしたような個人的なリーディングは基本的にしませんので、ご了承ください。あのケースは例外ということで捉えていただければと思います。どうぞご理解くださいね。 Some rights reserved by Cirrus Sky
2013.05.22
実は最近、ちょっと検討していることがあります。私は最近、現実世界での物事の決断でも直感力を用いるようになってきました。その流れだと思って聞いていただきたいんですが、ブログの有料化についてです。最近、意識の自由化ということが私の中でキーフレーズとなっています。人間というのは、自分に対して自分で縛りを与えるところがあります。それに気づいたら、それを開放してやることで、もっと自由に生きられるのではないか?という単純な思いです。私の場合、どうもお金に囚われがあるみたいなのです。罪悪感と言い換えてもいいかもしれません。本来、何をしてもいいはずなのに、なぜか「・・・ねばならない。」的な発想にいつの間にか染まってしまうことが、以前は顕著に見られました。最近は、ずいぶんとそういった囚われた考えもなくなってきたんですが、それでもまだあるみたいです。ですから、そういったお金に対する囚われた思いを少しでも減らし、もっと自由に活動していけたらいいなという思いから、ブログを有料化するのも一つかなと思うようになりました。あとは、オフ会、セミナーの開催というのがあります。私は基本、土日がメインの仕事ですから、その土日の仕事を削って、例えば東京や大阪などでオフ会を開催するとなると、かなり収入が減ります。そうかといって、平日にオフ会、セミナーを開くわけにもいきませんから、どうしても仕事上の足かせがあるわけです。そこで、例えば年に1~2回にでも時間を作って、東京ないしは大阪あたりでオフ会ないしセミナーなんかをできたらいいなと考えています。実際、オフ会やセミナーを開催して欲しいというのは、以前からコメント等で頂いていました。ですが、私の方が頭が硬すぎて、全然実現しなかったんですね(笑)。ところが、そういった縛りも、最近はなくなってきました。要は、好きなようにしたらいいんじゃないかと。というわけで、そのような流れの一貫として、最初のとっかかりとして、ブログの有料化というのを検討中です。金額的にはワンコイン(500円)ぐらいで見れるものにしようかなと考えています。ぶっちゃけた話、書店で並んでいる本よりも、情報量は多いですよ。電子書籍として考えてください。何かを始めるというのは、勇気がいることですし、今の流れを選択しない蓋然的現実もあります。ですが、より大きな流れというものを感じているのも事実です。私は数年前、5次元化された世界で講演会のようなものをしているのを見ました。講演会といっても、それほど大人数ではなく、20~30人程度だった気がします。私がお話できることとすれば、どのようにしてヘミシンクでコツをつかんで今のようになったのかですとか、リーディングの技術やコツについて、あるいは、私が時々ブログでつぶやく、日常生活を送る中でのポジティブなつぶやき的なもの、などでしょうか。あとは、ご賛同いただけるのであれば、他の方とコラボで講演会等をやってもいいかなと思っています。その流れに差し掛かっているのではないかと感じる、今日このごろです。もっとも、コラボで講演会というのはちょっと言い過ぎなんですけど(笑)、そういったお話があればという意味であって、私個人は年に1~2回オフ会を開催できたら十分なんです。そのための交通費くらいの捻出ということです、ブログの有料化は(笑)。もっと多くの方にお会いできたらいいんじゃないかと思いまして。私たちは、現実世界でいかに有意義に体験して、経験と積み重ねていくのかがとても重要だと感じています。ですから、ヘミシンクで何か体験しても、それを現実世界とリンクさせないと、絵に描いた餅となってしまうおそれがあります。ですから、ブログの有料化やオフ会等も、そういった現実化の流れなんだと思います。それは、多くの方が既にされておられることでもあります。もっとも、私は今の自分の仕事も大切にしていきたいと考えていますから、そちらがメインであることには変わりありません。Some rights reserved by Dougtone
2013.05.22
今回は、与那国島海底遺跡についてリーディングしてみました。http://www.yonaguni.jp./newspaper%20of%20ruin/asahi20090124/asahi20090124.html 与那国遺跡が地上に存在していたであろうとされているのは、リーディングでは約12,000年前と告げてきます。これは、一部の方で言われている年代と一致しているように思います。この遺跡は、人工的に作られたもので、当時ここには王国がありました。琉球王国の元になった王国だと感じます。人々は、ムーの時代の「香り」を色濃く残した文化を持っていました。それは、口伝(くでん)によって伝えられていました。当時は既に、宇宙人との交信能力は退化していましたが、農耕技術、狩猟技術、宗教的側面(ムーが太陽信仰となったあとのその太陽信仰の継承)の三分野において、口伝によって技術や英知を受け継いでいました。ムーの英知は、口伝の他、カタカムナ文字のような文字として残す方法もありましたが、ここでは口伝が採用されていました。王として存在していた人物は、ムー時代の意識を強く継承するものでした。どちらかというと、支配・被支配の関係がすでに相当程度あったと感じられます。人々は、農耕や牧畜、漁などをして生活していました。王国はやがて地殻変動によって海底に沈みますが、沈む前に、台湾方面、琉球、そして今で言う鹿児島のあたりに人々は逃れました。当時は、この王国が日本国だという認識が海外ではあったみたいです。ここが、日本の文化の発祥地だったわけです。例えば、古代中国などにもし中華文明が成立する以前に日本に文明が存在していたという伝説が残されていれば、それはこの与那国の王国を意味します。他のムーの王国との関連性も探ってみたんですが、見えてきません。他の場所とのつながりが感じられないのです。時代が違うのか、次元が違うのか。いずれにしても、この与那国の王国の時代には、ムーの「香り」は残されていても、すでにムーの時代ではなかったと感じます。我々の常識を超える側面があるので、直感的に感じ取って欲しいんですが、いわゆる時代というのは、人と人との意識の結びつきによって生まれてくるという側面があります。もちろん、人と人といっても、2人だけではなく、たくさんの人がいます。そのたくさんの人との意識のネットワークによって、ある時代というのが生まれてきます。でも、その意識間のネットワークというのは、非常に複雑でして、我々が今ここだと感じられている時代だけではなく、別の時代の人とも複雑に絡み合っています。つまり、時代は意識と意識のネットワークによって形成されているのですが、その意識の担い手が多次元的に存在しているために、別の時代とも間接的につながり合って、どちらかというと、時代それ時代が複雑に交差し合っているかのように感じられてきます。例えば、今我々が生きている時代、この時代というのは、この時代という劇場にいますと、他とは独立して分離しているように感じられてきます。しかし、いったんここから離れると、例えば今から1000年後の未来に生きる人が今の我々をリーディングしますと、我々の作り上げている意識間のネットワークを感じ取ることできるのですが、例えば同時に、アトランティス時代やレムリア時代も感じられてきます。つまり、我々というのは本来が多次元的存在ですから、ひとつの時代だけで生活しているのではなく、複数の時代、次元に同時に存在しているわけです。ですから、多次元的に見れば、時代というのは、複雑に交差し合って互いに影響し合って存在しているように感じられてきますから、例えば与那国に存在したであろう王国と、例えばムーとのつながりを考えるときも、その影響性というのはさまざまな時代に連鎖しているように感じられてくるわけです。その意味では、与那国の王国の時代は、ムーとの関連性はありますし、その後に登場してくる琉球王国や、九州の鹿児島地域で生活していた古民族の歴史ともつながりがありますが、与那国の王国がそのまま継承されたのではなく、あくまで人を介した意識間での、どちらかというと個々人レベルでの生まれ変わりを介した継承となっています。与那国遺跡の王国も、その時代の「中」から見ると、他とは分離した独立した時代として感じられるのですが、その時代を作っている意識(人)は多次元的に存在していて、他の時代にも同時に生きているために、与那国の王国の時代と他の時代との関連性が(関連性が人を介して存在するために)わかりにくくなっています。ですが、我々から見て今から約12000年前、ここが文化の中心地だと言われる時代があったのは確かです。ある意味、時代というのは、ピンポイント的に存在していて、他との関連性というのが見えづらいという特徴を、おそらくはどの時代も持っているんだと思います。それが、我々の時代と関係性が薄れれば薄れるほど、その時代の本質というのが見えにくくなります。ムーやアトランティスなどは、そのいい例なんだと思います。(参考:「与那国島海底地形」)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E5%BA%95%E9%81%BA%E8%B7%A1Some rights reserved by Hashi photo
2013.05.21
セスの話でわかりにくいところがあったとすれば、空間の捉え方についてではないかなと思います。セスによれば、空間と時間は本質的に同質的なところがあり、しかもはっきりとは言っていませんが、我々の空間の捉え方は間違っていると考えているふしがあります。以前、私は、数年前に盛んに宇宙探索をしていたことがありました。古くから読者の方ならばご存知だと思います。その中で、あるとき、どこだったか、確か天王星あたりだったと思いますが、我々の空間認識は錯覚であるといった話をされたことがありました。我々は、例えば自宅から最寄りの駅まで歩いていくときに、空間的な連続性を感じつつ歩いていき目的地まで到着します。ですが、それは錯覚であって、本当は意識の上で目的地を引き寄せているのだといった話だったように記憶しています。当時、私はその意味について読者の方にも質問を受けたんですが、その意味が正直自分にはよくわかりませんでした。ところが数年経って、同じようなことをセスという存在が言っているではありませんか。しかも、当時私がしていた宇宙探索のやり方は、非常に特殊で、私の記憶では誰もそのようなやり方をしている人はいなかったように思います。私は、どの惑星、銀河においても、外面の探索のあと、惑星の内側に向けて垂直に侵入していき、惑星の内面を探索していました。でも、当時私は、確か読者の方から冥王星オコツトをご紹介していただき、オコツト的な視点から自分なりにその内面探索の意味を捉えていた気がします。ですが、数年経って、セスという存在も同じような視点から宇宙を捉えていることに驚かされました。しかも、前回ご紹介しましたように、セスの宇宙観というのは、私が数年前に探索していたときに気づいた宇宙観によく似ていることも驚かされました。例えば、火星は表面的には岩石で覆われているのに、内部に入って次元を上げていくと緑豊かな空間が広がっていて、人が住んでいたりします。そういったことは、当時の私は特に疑問に思わなかった(体験としてそれもありかなと思っていた)んですが、改めてセスのその説明を読んでみると、そういうことだったのかと腑に落ちる点があります。最近、宇宙探索はしていませんが、急に懐かしくなった次第です。当時、私と一緒に宇宙を探索された方もおられるかもしれません。あの時の探索というのは、結局のところ、自分自身の内面の探索だった気がします。内宇宙と言いかえてもいいかもしれません。しかもそれは、私の内宇宙というより、我々の内宇宙といったほうが適切かもしれません。我々は本来的に一つなのですから。また、宇宙探索をするときが来るかもしれません。その時はどうぞお付き合いください。一緒に究極の旅でもしましょう。Some rights reserved by BONGURI
2013.05.21
ここで、私が意味することを思い起こしてもらうために、非常に簡単な例というのをあげたいと思います。先日、ルバートは、問題を抱えているカリフォルニアに住む女性から電話を受け取りました。ルバートは[ヒーリング]エネルギー(カッコは原文のまま)を送ることを約束しました。電話を切ってから、彼は目を閉じて、彼の体を通して宇宙の源からエネルギーが送られて、それを必要としている人物に(エネルギーが)向けられるのをイメージしました。ルバートがそのようにした時、彼は心の中で、眉間のところから長い「強力な」ビームが真っ直ぐに西へ向かって伸びているのを見ました。それはなんの障害もなく届きました。彼は、この(ビーム)の広がりはエネルギーから成り立っていて、それは非常に強力なように思えたので、人がそれを受けることでなんの困難もなく歩けるようになるだろうと感じました。主観的には彼は、このエネルギーのビームがその目的地にたどり着いたと感じました。そして、実際にたどり着いていたのです。エネルギーは、ある特定の個人から他の人物へと、大陸を超えてほとんど瞬時に伝達されました。この種のエネルギーを扱っている時、そしてとりわけあなたがその(エネルギーの)存在を信じているとき、空間は問題になりません。感情的なつながりが出来て、彼らの間で独自の調和が作られます。そのエネルギーのビームは、光のビームよりも速く移動しますが、鋼鉄製の梁(はり)と同じくらい強固でリアルです。もしルバートが飛行機でその女性を訪れようとしていたならば、彼は地球の曲面に沿っ (て移動し)たでしょうが、その(地球上での)言い方に従えば、そのエネルギーは「まっすぐに」突き進んでいきました。そういうわけで、このサイキックで感情的なコミュニケーションは、身体的な調和を切り開きます。ルバートは一時的にその女性とつながっていました。さて、同様にして、あなたがたは、あなたがたの時間・空間軸と一致していない他の蓋然性とつながり、意識を合わせることができます。銀河を含んだ外宇宙では、―あなたがたが理解しているように、そしてその活動レベルでのことですが―、ある堅固な空間・時間的調和に出くわします。あなたがたは、あながたがの現在においてのみ、他の惑星を訪れることができます。あなたがたの現在は、ある惑星の住人にとっては過去あるいは未来かもしれないのです。 あなたの身体的な感覚は、それらの感覚とあなたの現在の中で作用するだけです。「効果的」な宇宙旅行というのは、それはあなたがたにとって創造的な宇宙旅行なのですが、あなたがたが空間・時間システムが(数多くあるうちの)一つのフォーカスなのだということを学んで初めて、生じてくるでしょう。さもなくば、あなたがたには一つの死んだ世界から別のそのような世界へと訪問しているように思え、それらの中に存在しているかもしれない文明に対して目を閉じた状態でいるのです。(しかし)もしあなたがたが、自分自身の身体的構造においてさえ存在する奇跡的な多次元性を理解するようになり、あなたがたの意識をいくぶんより自由度の高い状態に開放してあげれば、これらの困難の中で超えることのできるものもあります。ある程度において、あなたがたは神経学的に自分自身を盲目にしているのです。あなたがたは、ある範囲の神経学的な刺激のみを「現実」であるとして受け入れています。あなたがたは、生物学的に自分自身に対して偏見を持たせているのです。身体的構造というのは、あなたがたがそうさせている以上にはるかに多くの確固とした現実の(他の)バージョンというものに本質的に気づいています。理論的に言えば、あなたがたの時代において(多次元的観点も含めて様々な視点から)徹底的に教育された宇宙旅行者ならば、自分自身の意識を調整することができ、その結果、様々な「連続性のある」時間におけるその惑星というものを知覚することができるでしょう。(他方で)もしあなたがたが宇宙船で惑星に着陸し火山を発見したならば、おそらく、その惑星の他の部分が異なった様相を示すことに気づくでしょう。あなたがたは空間を移動する能力に自信があるので、あなたがたが最初に到着した時点からは見ることのできない地域をその後に探索するかもしれません。(しかし)もしあなたがたが空間の質が変化することを理解できなければ、あなたがたはその惑星全体が巨大な火山だと想像するかもしれないのです。しかしながら、ある意味において、あなたがたは空間を移動するように時間を移動することができることをまだ理解していません。そして、それを理解できてはじめて、あなたがたは真の旅の意味を知ることになるか、あるいはいかなる惑星、いかなる現実であっても、あなたがた自身の現実をも含めて、それを完全に探索することができるようになるでしょう。あなたがたは自分たちの地球が地図にされて、地球上の場所で知られていないところはないと思っているでしょうけれども、それは、あなたがたの惑星での生活の直線的な側面によって、その現実を最も最小化した断片が表されているだけなのです。精神の断片は、宇宙の最小の部分から最大の部分までにおいて、宇宙の断片を反映し作り出します。あなたがたは(全体からみれば)自分自身の一つの小さな精神を自分であると認識しているので、宇宙のほんの小さな一つの側面にすぎない部分を現実であると名付けているのです。 (引用終わり) 私は、セスの説明が優れているのは、同一の側面・見方だけでなく、複数の側面・見方から現象を説明している点にあると思います。というのも、一つの物事を説明するのに、平面的な視点だけから説明する場合と、立体的に説明する場合、さらには時間の流れも考慮に入れて説明する場合とでは事情が異なってくる可能性があるからです。その意味で、セスの説明というのは十分に「論理的」なのです。でも、セスの述べていることから生じている説得力は、これだけが理由ではないと思います。我々はセスが述べていることを、本当は既に知っているのですが、忘れている側面があるからです。つまり、我々は常に「何かになりつつある」存在なわけですが、多次元的に見れば、現在よりもはるかに進化した「自分」が既に存在しています。その多次元的な「自分」から得た叡智と重なる点があることも、説得力の要因であるように思えてなりません。いずれにしても、セスの説明する宇宙人にまつわる話は、興味深いものだなと思いました。(写真:ナショナル・ジオグラフィックより)
2013.05.19
今回は、いわゆる宇宙人について興味深い知見をセスが述べているので、ご紹介したいと思います。 セッション7121974年10月16日こんばんは。(こんばんは、セス。)ルバートのメモに従えば、それぞれの現実体系は、その蓋然的な現実によって実際に囲まれていますが、どの「蓋然的な現実」のうちの一つも、ハブ(中心)あるいは核の現実として用いられる可能性があります。その場合、他の全ての現実が蓋然的なものとして見えるでしょう。別の表現をすれば、相対性がここでは適用されます。その堅固な現実は、知覚者がフォーカスしている現実です。その見地からみれば、他の全ての現実は周辺のもののように見えるでしょう。しかし、それを前提にすると、どんな現実体系も、その蓋然的な断片によって囲まれていることになります。これら(の蓋然的現実)は、ほとんど衛星とみなしうるものです。しかし、時間と空間を結びつける必要はありません。すなわち、ある現実と他のいかなる蓋然的な(現実の)断片との間に存在している互いに引き寄せ合う力も、時間と空間とは全く関連性がないかもしれません。例えば、いかなる現実に対してもそれに最も近い蓋然的な衛星は、完全に異なった宇宙にあるかもしれないのです。この点、宇宙の内側ではなくその外側に―あなたがたが考えるような―自分たちのような同胞(宇宙人のこと)を見つけるかもしれません。あなたがたは宇宙を空間の外側に広がっているものして、そして時間的にさかのぼっていくものとして、想像します。あなたがたはそれ(宇宙)を外部にあらわれたものとしてみなし、内部的にではなく外部的なやり方でおそらくは広げていきます。例えば、あなたがたの考える宇宙旅行というのは、「宇宙の表皮」上を旅するということです。あなたがたは、自分たちの宇宙がそれ自体の内側にも拡大していて、新たな創造性やエネルギーを生んでいることを理解していません。あなたがたの宇宙は、多くのうちの一つにすぎません。それぞれの宇宙は、多くの蓋然的なバージョンの宇宙を作り出します。地球上で旅をするとき、あなたがたは地球の外の周りを移動します。これまでのところ、あなたがたの宇宙旅行の考えというのは、そのようなたぐいの表面的な移動を伴うものなのです。ただ、地球での旅というのは、地球の表面の旅であることを知覚した上でなされています。けれども、あなたがたが他の天体や他の銀河への旅について考えるときも、同様の表面上な旅が関係しているのです。あなたがたの言い方にできるだけ近づけて説明できるとすれば、あなたがたの宇宙旅行の概念というのは、宇宙を直接的に通り抜けるのではなく、宇宙の周りを(表面的に)移動するものなのです。同様に、あなたがたは自分たちの太陽系を、自分たち独自の時間の捉え方を通して見ています。それが関係しています。あなたがたが宇宙の中を外へ向けて見つめていくとき、あなたがたの言い方では、あなたは「時間をさかのぼって」見ます(例えば「あの銀河は今から50億年前に誕生した」といったように)。もちろん、未来も見ることもできます。あなたがたが独自に調整することによって、あなたがたは自分たちの太陽系の中でさえ他の高度な知的生命体が実際に生きて生活を営んでいることを認識できなくなっています。しかし、あなたがたの外的な現実の中で、かれらに出会うことは決してないでしょう。というのも、あなたがたは彼らの存在している時間にフォーカスしていないからです。あなたがたは物理的にそれらが住んでいるのと「全く同じ惑星」を訪れるかもしれませんが、あなたがたにとっては、(土地が)不毛であるように見えたり、生命が維持できないように見えることでしょう。同じようにして、他(の生命体)はあなたがたの惑星を訪れることができますが、同じ結論になるのです(不毛に見えたり生命が維持できないように見えるということ)。そういうわけで、あなたがたが知っている宇宙でさえ、全体としての偉大なる内なる領域があり、それをあなたがたが知覚できないのです。あなたがたの銀河系の外、それはあなたがたの銀河に隣接したところではありますが、高度な知的生命体がいます。理論的には、あなたがたの科学がものすごく発達すれば、あなたがたは彼らを(表面的に)訪ねることができますが、それには膨大な年月がかかるでしょう。他の知的生命体たちは、特有のやり方であなたがたの惑星を今までに訪れてきました。(それに対して)あなたがたのはまだ直線的な科学技術なのです。高度な知的生命体の中には、あなたがたの惑星を訪れているものがいますが、それはあなたがたが知っている世界ではなく、蓋然的な世界を発見しているのです。蓋然的なシステム間には、常にフィードバックがあります。ひとつの蓋然的な体系において支配的な種族は、他の体系においては奇異なものとして見えることがあります。このこととあなたがたの惑星については、この本の後の部分でより多く述べるつもりです。あなたがた自身の知性と存在にとって最も近い種族は、言うなれば、宇宙の外側の表皮を追いかけることによってではなく、宇宙を突き抜けることによって、見つけられるものなのです。繰り返しますが、電子の内側のふるまいに関係した、内側の調和というものがあります。もしあなたがたがこれらを理解することができれば、そのような(宇宙間)旅行は比較的即座にすることができます。あなたがたとおよそ同種である他の存在との調和関係は、精神的・心理的交わりに関係していて、その交わりは(最終的には)空間と時間の枠組みのようなものに帰着するのです。
2013.05.19
前回書いた内容で不親切なところがありました。DNAの秘密を過去のリーディングで書いたという部分なんですが、初めて記事中でそれについて示唆したのは、この記事でした。http://plaza.rakuten.co.jp/imimi/diary/201102270002/ 当時は、地球人が宇宙人によって作られたなんて到底自分自身の中で受け入れがたいことでした。今はどういった心境かというと、ありえないことではないかな、ぐらいの心境です。宇宙人に作られようがそうではなかろうがどっちでもいいとは思うんですが、個人的にはどっちでもよくないところが本心ではあります。それというのも、今まで散々、もう数年前から人類の起源について非物質的に調べてきました。現代の考古学では、人類は猿から人へと進化してきたというのが通説とされています。ところが、実際にはそうではないのではないか?というのが、最近いくつかの記事でリーディングとしてご紹介してきたとおりです。人類が猿から進化したのではないとすれば、ではどうやって人類は誕生したのかというのがずっと疑問でした。そのひとつの終着点が人類は宇宙人によって作られたというものです。この結論は、数年前にたどり着いたものなんですが、今は様々な記事を書きながらそのことを再検証している感じです。というか、そもそもの出発点は、今から約20年前に出会ったカタカムナにある気がします。私はカタカムナを自分自身で研究したことはないんですが、カタカムナを世に広めた楢崎皐月の弟子である宇野多美恵に直接師事した人物に教えを受けたことがありました。当時私は20歳くらいで、霊的なこととは全く無縁でしたが、カタカムナの教えにはなぜか惹かれるものがあったのを記憶しています。その後、ずっと霊的なこととは無縁の生活をしていき、ひょんなことから精神的にドン底の体験をしたのをきっかけに霊的世界に入り、ヘミシンクを知りそれを深く体験していき、やがて人類の起源について自分なりに調べるようになりました。カタカムナの世界観は、セスのいう現実世界がどのようにして出来上がるのかという話によく似ているところがあります。カタカムナでは、物質世界のもとは潜象世界にあり、潜象世界と物質世界との間で、超高速で情報のやり取りが行われていると考えるらしいんですが、そのあたりがセスの話と共通する点があるのです。人類の起源を探ることも、結局は自分自身の内面を探求する旅であり、自分自身を探す旅という側面があるのだという気がしています。それは、ムー関連の情報を探したり、あるいは能古島のリーディングでお話したような天皇家のルーツを探ったりすることも、皆最終的には自分自身に還ってくるような気がしています。通常の瞑想が「静的瞑想」だとすれば、ヘミシンクワークはいわば「動的瞑想」だと思うんですが、結局のところ自分自身を探求する旅であるように感じられる、今日このごろです。Some rights reserved by BONGURI
2013.05.17
フィクションだと思って読んでください。今から約2万3千年前の話です。当時、今の日本のあたりには4つほどの島が点在していました。四国はまだ存在していませんでした。朝鮮半島と日本は陸続きの部分がありました。九州と本州はつながっていましたが、今とは形が異なっていたみたいです。ただ、人々の居住の中心地だったのは、今でいうフォッサマグナのあるあたりから上だったみたいです。もしかしたら、今でいう岐阜から新潟あたりまで栄えた可能性があります。もっともこのあたりも、今とは地形がかなり異なっていた可能性があります。ここは、ムーと呼ばれる時代のようです。人々は、農耕をして暮らしていました。5~6人ほどの大家族です。家は、私にはワラで出来ているように見えます。その形は、今の伊勢神宮の神命造りに似ています。当時の気候は今より若干涼しい印象があります。夏は27度くらいまで上昇し、冬はマイナス3度くらいまで下がりますが、人々が暮らしていく上で特に問題はありませんでした。この時代の大きな特徴はなんといっても、人間と宇宙人との交流が頻繁にあったことです。この時代、人間は宇宙人を神として崇めていました。人々は宇宙人と毎日のように交信していたんですが、人々には宇宙人は光り輝いて見えたみたいです。それは、人のようにも見えましたし、太陽のようにも見えました。当時は既に、内在神(自分自身の内側にある神的部分)とのつながりは薄れていたように感じられます。もっとも、人々は現実世界だけはなく寝ているとき活動したことを現実世界にフィードバックする能力を持っていて、寝ているときにも宇宙人と交流し様々なことを学んでいたみたいです。この宇宙人というのは、以前私が今から約5万年前に位山に降り立った(天孫降臨した)と述べた宇宙人であるように感じられます。のちに人々は太陽信仰をするようになりますが、その時はすでに宇宙人と交信する能力が失われていました。ですが、彼らが宇宙人と交信していたときに見た、光り輝く姿が記憶として潜在意識にあって、その憧憬の念が太陽信仰として継承されていったと感じます。当時の人々にはまだ宗教というものがなかったみたいです。ですが、人々は日々の生活で頻繁に宇宙人から援助を受けていて、そういった宇宙人との関係というのが、宗教の代わりとして人々を精神的に支えていたのかもしれません。人々は、日々の生活の中で使う道具なんかは全て自分たちで作っていましたし、家の中で料理する際に使う加熱装置も、火を動力源として使うような原始的なものでした。人々は山菜の他、魚も食べていたみたいです。ただ、肉を食べていたのかどうかは、はっきりしないところがあります。肉の映像は見えてきます。ですが、問題はそれを何に使っていたのかです。一つには、儀式の可能性がありますが、今回のリーディングではその辺ははっきりしませんでした。当時一番の自然の脅威となり得たのは、このあたりの場合、富士山でした。富士山は当時の日本において既に存在していて、今とは比べ物にならないくらい火山活動が活発でした。ですから、富士山というのは、当時は崇める対象ではなく、脅威の対象だったわけです。実際、火山灰の影響なんかが人々の生活に影響を与える可能性があったんですが、宇宙人は富士山の周りにシールドを貼ることによって、火山灰が人々を襲う影響を防いでいました。こういったことが可能であったのも、おそらくは当時の地球の次元が今よりも高く、宇宙人が地球上に影響力を行使しやすかったのではないかと思います。ですが、宇宙人が地球に影響力を行使するのは、必要最小限度にとどめられていました。あえてそういうスタンスをとったんだと思います。なぜ宇宙人がそこまでしてムーに住んでいた人々を援助したのかについては、DNAに秘密があると思われます。その辺については以前リーディングしましたから省きます。この時代の人々は、非常にのどかな生活を送っていたんですが、行動範囲は狭かったみたいです。たとえば、船を使って他の島に移動したりといったことはしませんでした。それが行われるようになるのは、さらに時代が3千年くらい下ってからのことです。ただ、時代の連続性というのはそれほど感じられません。というか、とにかくこの時代は平和でのどかではありましたが、他との交流という点ではそれが(なぜだかわかりませんが)非常に希薄に感じられるのが特徴の一つです。 Some rights reserved by BONGURI
2013.05.16
見たものの解釈は、難しい側面がありますし、とても重要だなと思うときがあります。見るものだけではなく、情報でも、なんでもそうだとは思うんですけど。しかもそれは、物質世界でも、非物質世界でも。私は普段は普通にC1現実世界で生きていますが、たまに多次元世界を探索したりします。その場合、たいていは自分自身の高次の存在(私の言い方でいうと、「トータルセルフ」や「本来の自分」)とコンタクトをするんですが、ごくまれにそうではない場合というか、情報が自分から能動的に得るのでなく「向こうから」やってくる場合というのがあります.最近の例で言うと、高次の存在がUFOの飛び方というのを教えてくれたことがありました。現実世界でUFOを見られるかたは結構おられると思いますが、私の場合、現実世界は現実世界、非物質世界は非物質世界ときちんと分けて生活したいという以前の信念が影響しているからなのか、現実世界でまだUFOを見たことがないんですね。ただ、YouTubeなんかではUFOの飛んでいるところを見たことはありますがはじめて体外離脱をしたときもそうだったんですけど、たとえばガイド的存在が体外離脱の練習をさせてくれていたとき、それはあきらかに自分自身で作り出した妄想ではないという実感がありました。もちろん、映像だけではなく、体感覚も伴っていたわけですが。それと同じくらいの「向こうからやってきた」感というのが、今回高次がUFOの飛ぶところを見せてくれたときにありました。感覚的には、フォーカス12ぐらいです。かなり深いリラックス状態に入っています。あるとき、私は自分の目の前にまるで窓が開くような感覚を覚えました。感覚としか申し上げられないんですけど、何かが開いた、あるいは、何かスクリーンのようなものが目の前に用意されました。その後、次から次へと、UFOと思われるものが、いろんな発光色を出しながら、縦横無尽に目の前を飛んでいくんです。その飛び方もさまざまで、YouTubeで見るような一定の飛び方をしているものはなかったように思います。見たところ、重力の影響や空気抵抗といったものを、一切受けていないような感じです。しかも、形も、さまざまに変えられるというのを象徴として見せてきました。UFOがテレビ画面のようなものに化けて、非常にランダムな動きをして飛んでいるパターンなんかもありました。テレビ画面でなくても、例えばパソコンの画面でもいいんですが、我々の現実世界でそのテレビ画面ないしはパソコンの画面それ自体が、ランダムに縦横無尽に空を飛ぶなんてことはありませんよね?しかも、上で述べた体験は、明らかに夢とは感覚的に異なっていました。現実世界に戻ると、面白いな~で終わってしまうんですが、それでも、それらに含まれる高次からの自分だけへのメッセージ的なものを感じましたし、ヘミシンクの世界でよく言われる、自分の体験を信じてくださいということとは別の観点になるんですが、「見えたものをいろんな角度から検証する必要性」というのを、改めて感じました。非物質界だけでなく、現実世界というのも一種のホログラム的な部分というのがあるわけなんですが、我々は習慣として何が真実かにこだわりますから、もしその習慣にのっとって生きるならば、自分が見たもの感じたものをいろんな角度から検証してみる必要があるわけです。ただ最近は、セスの影響からか、自分の持つ信念が知覚に影響を与えるだけでなく実際に現実が変化する可能性もあることを、自分自身の信念として受け入れるようにもなってきました。我々は、現実世界でメインで生きていますから、そこでの習慣やものの考え方、捉え方、信念等に従わなければならないときがあります。ですが、それだけですべてではないと思うんです。ひとくちに現実世界といっても、我々がリアルだと感じてる現実世界の周りには、まるで惑星の周りの回る衛星のように、違うバージョンの現実世界が存在しています。また、それは現在だけでなく、過去や未来においても、同じように違うバージョンの現実世界が存在していますし、さらには、今生だけではなく、過去世や未来世においても、同じように、違うバージョンの世界が存在しています。しかも、それらはすべて、相互に密接に影響をし合っていて、現実世界が交差して、他の世界から来ている部分を受け入れて、その世界独自の体験となっているという部分があります。しかも、我々はただそれらを受け入れるだけでなく、自分から積極的に自分自身の世界を作り上げていくことができるわけです。でもそのためには、自分自身がとらわれていた古い価値観やものの考え方を少しずつ客観視できるように意識を広げていくこともときとして必要なのではないかと感じているところです。そうすれば、「同じ」ものを見ても、「違った」見え方をするようになる可能性もあります。そうすれば、もっと自由に生きられる気がするのです。 Some rights reserved by pixelshoot
2013.05.15
7000年前から南海トラフ付近で、一定の周期に大規模な津波が500年ごとに来ていた可能性があるという研究結果が公表されています。南海トラフ付近の太平洋で、大規模な津波が7000年余り前から500年前後の間隔で起きていた可能性を示す痕跡が和歌山県で行われた調査で見つかり、大規模な津波が繰り返し発生してきた周期を知る手がかりの一つとして今後、注目されそうです。 この調査は独立行政法人産業技術総合研究所の宍倉正展さんの研究グループが去年12月、和歌山県串本町の弥生時代の遺跡がある場所で行いました。その結果、今から1800年前までの5500年分ほどの地層の中に、津波で運ばれてきたとみられる12の砂の層が見つかりました。このうち最も古い砂の層の年代は、7300年前と推定され、南海トラフの津波の痕跡の可能性があるものとして、これまでに国が確認している調査結果より1000年余り古いということです(NHKニュース)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130514/k10014552461000.html今後は、もっと多くの科学的データを集めていく必要があると個人的には思っています。科学というのは、人間が作り出したものですから、一定の限界がありますし、私は科学者からみれば「非科学的」データを集めるのを得意としていますから(笑)、方向性が異なるのですが、科学的な視点というのも、我々の意識を広げていく上でひとつの突破口になるのではないかと考えてもいるからです。セスなんかは、我々人類の意識を広げることを主眼に様々なアプローチをしてきますから、どちらかというと(全面的にではないですよ)、我々の科学に否定的なニュアンスで書いてきます。特に自然科学の中の医学なんかではその傾向があるように見受けられます。ですがこれは、我々人類よりもはるかに進化した立場から見た見解ですので、人類側にいる私は少し別の見解を持っています。つまり、科学も「現状においては」人類の役に立ちますし、科学を利用しつつも意識を広げていくことは可能だと思っています。ある意味、バランス感覚が要求されてくるように思います。地震については、科学的な調査がかなり有効だと思います。ただ、科学を超えた視点から見た場合、地震と意識とのつながりをもっと研究していけば、格段に予測可能性は高まっていくのではないかと感じています。この点セスは、地震や台風、水害などの自然災害に、その土地に住んでいる人間の意識が影響を与えていることを示唆しています。現代科学では証明不可能なことですが、私はありえないことではないと考えています。変にネガティブになったりする必要はないわけですし、当たり前のことを当たり前にしていればいいんだと思います。たとえば、大自然に対する感謝の気持ちとかですね。土地に住まわせてもらってありがとうという気持ちとかですね。土地だけではなく、他の人間や、動植物が「存在してくれて」ありがとうという気持ちとかですね。それって、別にスピリチュアルを持ち出す必要もなく、ごく当たり前の自然に湧き上がる気持ちだと思うんです。そう言う人が一人でも多く増えていけば、未曾有の災害は減ると私は考えています。
2013.05.14
(Mさんから私への返信)イミミさんのリーディングの結果、やはり、息子が完全に自立するのが問題の解決につながると確信しました。末っ子なので、寂しいですが。 マンションのほうは、やはり引っ越しの方向に向かった方が光が見えてくると思います。結局引っ越ししなくてもです。確かに心の持ち方で、すべて解決口はあると確信します。 隣人の方はいみみさんはご存じないかもしれないけれど、かなり難しい人で、直接のコンタクトは難しいけれど、意識を中立にして調整のほうにむけてみます。 自分のスピリチュアルな面については、何かネガティブな恐れが前に行くのを阻んでいる気がします。 自分の持つ意識がポジティブであれば、ポジティブな世界を作れると確信しているので、やはり問題から離れて大きな意味で自分の人生、これからやりたいことを日常で忘れず過ごせば、問題から離れて、結果的にはいい方向に行くという気がします。 なので、もっと楽しいことを考えて、問題から離れて日常を過ごします。考えすぎは良くないので。 今回はもしかして私に足りない忍耐を学ぶ機会かなと思います。 リーディングありがとうございした。 まだ、霊的成長が足りないと自分で感じますが、近い将来もしオフ会に出られて皆さんとお話しできたら嬉しいです。 ありがとうございました。
2013.05.12
(私からMさんへの返信)メッセージを拝見したところでは、息子さんも成人されて働かれているとのことですし、ちょっと考えにくいんですけど、感じたままにお話しさせていただきますね。ご家庭のご事情はよくわからないんですけど、客観的に見れば、息子さんはお母さんを頼っている(甘えている)ようなところがあるそうです。もしかして、金銭的に?でも、ちゃんと働かれているんですよね?よくわからないんですけど、はた目にはそのように映る側面があるみたいです。ですが、より大きな問題は、Mさんのほうが息子さんに頼っている(依存している)側面があるみたいです。それは、精神的にだと言います。Mさんの無意識が、私にそのように告げてきます。息子さんは、今までいろんな問題を抱えていたのかもしれませんが、見たところ、しっかりしていますよ。Mさんはまず、息子さんとの別居をなさったほうがよいと思います。一緒にいると、お互いが甘えるところがありますから。今のマンションを売るかどうかは、ぶっちゃた話どうでもいいことです。どちらを選択しても、大して問題にはならないと思います。息子さんは、内面ではしっかりした方ですから、まずは完全に自立して、一人で生計を立てていかれた方がいいと思います。それはとりもなおさず、Mさんご自身のためでもあります。その上で、Mさんは今後、マンションを売って別の場所で暮らされるのか、それとも今のマンションに住み続けるかをご自身で選ぶことになります。でも、その前に、Mさんも息子さんも、やるべきことがあるように思います。火のないところに煙は立たないと言います。隣人さんとのトラブルの原因は、Mさん宅にある気がしてなりません。たとえそうではないと思われても、まずはMさんのほうから折れて、息子さんと一緒に謝罪しに行くのがよろしいと思います。いや、そんなことは絶対に無理だともし思われるのでしたら、まずは謝罪の気持ちをその隣人さんに向けるのがいいと思います。もちろん、息子さんもです。でも、本当は、それだけで足りないんです。何が足りないのか?思いを現実化する力です。行動にまで至ってはじめて自分の思いが相手に伝わるほど強いものとなるからです。Mさんだけではなく、息子さんも心の底から謝罪の気持ちを持ち、できることならとなりに住まわせてもらってありがとうという気持ちを持つことです。そんなことはできない。こう思われるかもしれません。ですが、考えてみてください。人間は、自分一人では生きていけないんです。たとえ家族があっても、他人と協力していかなければならない時がどうしてもあります。社会で生活していくためには、となりの家族と協力しあわなければならないことだってあります。人間ですから、どうしても馬が合わない人はいます。でも、たとえそんな人との関係であっても、人問してその人を尊重できます。同じ人間として、自分と同じ人間である相手に、敬意や礼儀を向けるのです。そうすれば、相手も人間ですから、必ずその気持ちは伝わります。隣人の方はガンを患っておられるとのことですから、なかなかお会いする機会はないかもしれません。ですが、その方のご家族の方がおられるはずです。その方たちに、敬意や礼儀を向けてみてください。花や菓子折りでもいいです、何かご病気の方への気持ちを形で表してみてください。繰り返しますが、それはMさんがマンションを売るかどうかにかかわらず、です。そうすれば、たとえ修復不能な人間関係に思えても、徐々に好転していくと思います。私は、まだ隣人の方たちとうまくやれる可能性があると思います。あと、霊的な問題かどうかについて触れておきたいと思います。今回の問題は、霊的な問題ではないと感じます。単なる人間関係の問題です。それも、突き詰めればMさんご自身の問題です。誤解であれば、忘れてくださいね。息子さんから自立してください。彼はもう一人で生きていけますから、大丈夫です。Mさんは、ご自身の幸せをもっと考えてみてください。確かに、Mさんは、スピリチュアルな方だと思います。たとえご自身で霊感がないと思われていても、です。ですが、その霊的なものを引き寄せる力がどこから来ているのかというと、Mさんの持つ信念だと感じます。ですから、Mさんご自身の信念を変えれば、霊的なものを引き寄せなくなります(今回の件は違いますよ。)。でも、それは並大抵のことではありません。何十年もの間保持してこられた信念ですから。ですから、アファメーションなんかも有効だと思いますよ。「私は、私の作り出した信念とは独立した存在である。私は、自分の信念に必要以上に影響されない。」などです。あと、なぜご自身が霊的なものに興味があるのか、ご自身の内面を見つめてみるのも有効です。ですが、霊的なものに興味があるということと、自分自身の信念に影響されるかどうかということとは、別のことです。Mさんが作り出された信念がMさんではありません。MさんはMさんなんですから。参考になさってみてくださいね。
2013.05.12
今回は、最近ご依頼のあった案件についてご紹介したいと思います。いつもこのようなご依頼を受けているわけではありません。ですが、最初のメールで有料先生のところに行かれるとあったんで、私は有料先生についてはよく知らないですし、この方とも以前からのお知り合いだったんで、私でよければ見て差し上げますと申し上げたんです。それなら、先方から「もし見てくださるなら、これは願ったりかなったりです。」という形で今回のリーディングとなりました。とても考えさせられる内容でしたので、ご本人の了解のもと、皆さんとシェアリングしたいと思います。いつもIMIMIさんの興味のある日記を拝見し深く考えさせられます。ありがとうございます。今日はちょっとお尋ねしたくメールします。三年前に引っ越してきた現在の四谷のマンションの隣人からの二年以上にわたる執拗なる根拠のない日常音に対する壁叩きや、暴言及び罵倒になすすべなく、困っています。相手はこちらの言い分を聞かず一方的にますます興奮しています。他の部屋からの音はいくら私たちが注意しても止められず、もうこの嫌がらせに対処するには逃げるしかないと思っています。そのことで、占いや霊的能力にたけていて問題解決を促してくださる方(有料)をご存知でしたら、名前や電話番号を教えていただきたいのです。東京近辺の方で、。トラベルメ―カ―の標的になってしまったと感じますが、ご家族が皆問題ある方で、話し合いは無理なのです。一方的なお願いで申し訳ありませんが、もし力になってくださる方をご存知でしたら、ご紹介よろしくお願いいたします。一方的に責められて、心の均衡を保つのが難しい状況です。この依頼者さんのお名前をMさんとしたいと思います。(私からMさんへの返信)おはようございます。土日はちょっと忙しいので、少し遅れるかもしれません。今日の夜にリーディングできたらします。もう少しMさん側の事情も教えてください。昨日のMさんのメールを拝見したとき、もしかして息子さんが関係しているのではないか?とちょっと思ったんです。息子さんは部屋でドラムの練習とか、音楽を大音量で聴いたりとかされているのですか?また、息子さんはどういう仕事をされているのですか?差し障りのない範囲で教えてください。(Mさんから私へのメール)息子についてですが、23歳去年大学を卒業しマネージャー、エキストラ、通訳として働いています。時間が不規則で帰りが遅いし、寝るのが遅いのが悩みです。 音楽可能なマンションなので引っ越し当初は、ちょっとドラムやギターをやっていました。音は小さかったけれど、古くすべて聞こえる建物だから、問題の隣人の息子さんが3階に住んでいるのですが、すぐ彼からクレームが入りやめました。以前は埼玉県に住んでいましたが、、ベランダですう煙草の煙でクレームの手紙が郵便箱にはいいっていました。音楽はそれほどでもなかったけれど、少しクレームがあったかも知れません。 ・・・中略・・・IMIMIさんが息子と関係があるのではと思われたのはどんぴしゃですね。16歳から性格がガラッと変わりました。今回の試練をうまく切り抜けられるのか、その試練の意味は何か、それも大事ですね。魂の修行でしょうか。どうかよろしくお願いいたします。
2013.05.12
我々が空間だと感じているものは、一種の幻想であって、本当は我々は出来事を自分の意識と対象(それも意識です)とを結びつけることによって体験しています。ですから、私が今回宇宙人と接触したのも、実際には最初に訪れた遺跡群ではなく、表現を変えれば亜空間、さらに表現を変えれば意識と意識の結びつきによって成立していることになります。コンタクトした宇宙人によれば、最初に私が彼らの姿を小型宇宙人や狐の姿として見ましたが、いかなる姿として認識したとしても、それは私側の問題であって、それが本質ではなく、他方でそれは我々とのコンタクトであったと言います。ですが、現実世界で生きている間には、我々は三次元世界にあまりにもフォーカスしていて、その影響というのを強くうけてしまいます。そのため、宇宙人とのコンタクトも難しくなってしまうのだということのようです。そのプレアデス系の宇宙人さん、UFOに載せてくれました。宇宙人さんによれば、UFOの飛行原理には2種類あって、一つはプラズマを使い亜空間を飛行するもの、もう一つは、反重力装置を使って例えば地球なら地球上において飛行していくものなのだそうです。私が案内されたUFOは、その両方を用いるのだといいます。つまり、目的地(特定の意識レベルによって作られたエネルギーフィールド)に到着するまでは前者を使い、目的地についた後は後者を用いるみたいです。私は意識だけの状態すなわち体外離脱をした状態でUFOに乗っているわけですが、二箇所を訪れました。一つは木星、もう一つは月の裏側です。木星に行くには、私自身の高次を通して木星の管理者に許可をとることが必要となります。木星にはいくつかの次元によって多次元的に構成されていて、私はその一つを選びました。しかし、今回私は、上述したプレアデス人とのコンタクトを維持すべく意識レベルを下げていたために、木星についたあとの木星人とのコンタクトがうまくできませんでした。諸説あるみたいですが、私は木星は高度な生命体だと思っています。それは、数年前に宇宙探索をしたときにお話しました通りです。あれからも個人的な印象は変わっていません。私は木星での深いリーディングは別の機会に譲ることにし、その後月へと向かいました。月の裏側や表面は、地球と同じく、ホログラム的特徴を多く有しています。おそらくそのホログラム的特徴というのは、地球人のもつ価値観等に強く影響されているように思います。宇宙人によれば、月というのは、生命維持装置としての機能を持っていると言います。その生命というのは、我々地球に住む存在のことです。我々は、自分だけで他とは独立して生命の維持を行っていると「錯覚して」いますが、実はそうではなく、いろんな存在との関わりから生命を維持していて、月もその一つなのだということなんです。月は、地球の生命体からの負のエネルギーを吸い取って、あらたに浄化されたエネルギーを地球に向けて送り出しているみたいです。つまり、月はエネルギー的なろ過装置の役割をしていることになります。最後に、今回コンタクトをした宇宙人に、どうやったら我々地球人が宇宙人とコンタクトできるのかについて聞いてみました。すると、我々の方から地球人にコンタクトをするには限界があるので、地球人の方から意識を拡大してコンタクトしてきてほしいと言われました。我々は宇宙人というと、どうしてもネガティブな印象を持ちがちですよね。実際、そういう存在もいます。いるんですが、そうではない(言い方は妙ですが)善良な宇宙人もいます。どちらとの交流を大切にするかは、我々次第なんですが、それにはなんといっても我々の意識レベルを上げることが肝要なのだということです。我々はどこかで、地球人だけで生きていると思い込んでいますよね?でも、私はそれは違うと思います。むしろ我々は、宇宙種族に守られながら、今ここで平和な日常生活を送ることができているのだという側面があります。もっというと、我々も宇宙種族の仲間なんです。地球「人」だけが生命体ではないですし、地球「人」だけが特別な存在でもありません。我々は、地球の一部であり、宇宙の一部であり、我々は皆、一つなんです。 上の4枚は、第二の遺跡群と記事の中で言っているところです。宇宙人のリーディングをしたところとは別のポイントですが、番外編のUFOの写真は最後の水平線の写真以外(ハレーションにしては小さすぎると述べた写真です)すべてここで撮れたものです。 上の3枚は岩場とは別の場所にある神社で、巨大な龍岩(りゅうがん)があります。頭部の龍上の巨石の後方に、山頂に向かって龍体が続いています。ここでリーディングしていると、黒龍の姿を幻視しました。おそらくは、地球意識の象徴なんだと思います。最後に行った角島でも龍を感じましたが、現場では女性の姿として感じました(私の住んでいる県では特に龍の存在を強く感じます。それは日本国全体に影響力を及ぼすようなエネルギー体だと感じます)。韓国の民族衣装を着たような女性です。時代はおそらくは今から1500年前くらい、紀元4~5世紀くらいに生きた人物のようです。この人物については、次回のオフ会での旅で深く見る予定です。
2013.05.09
一昨日のオフ会では、遺跡群を3カ所訪ねた他、弁天池と呼ばれるところ、そして、本州の最西に位置する角島(つのしま)というところを訪れました。どの場所も魅力あるところでした。最後に訪れた角島は、本州と島が道路で結ばれているのですが、その道路から見る景色は絶景で(海の中を車で通るような感覚でした)、素晴らしい美しさでした(下の角島の写真は、車中から撮影できなかったのでWikipediaからです。)。今回の一番の印象的な出来事は、宇宙人との交流だったわけですが、私が宇宙人とコンタクトを試みたのは、はじめに訪れた遺跡群でした。巨石がゴロゴロと山の斜面に敷き詰められているところでして、どのようにして出来たか不思議なところです。 そこでリーディングしてみますと、この場所自体は自然に作られたのだということですが、ここはある種の次元の交差点となっているみたいでした。三人でこの地を訪れ岩場を探索していた時、私は小柄の宇宙人の存在を感じました。だいたい、背丈は50cmくらいで、頭部は体に比べて不釣り合いな程大きく、体は痩せていました。ですが、私が同行された方と宇宙人の存在について話しているうちに、その存在の気配が消えました。私は詳しくはわからないんですが、霊的な存在や宇宙人との交流というのは繊細なところがあって、人の念の影響というのを受けやすいのかもしれません。我々人間がただ会話をして楽しんでいても、そこには見えない領域で一種の念が出ています。電波のようなものと言いかえてもいいかもしれません。その電波が、宇宙人とのコンタクトを阻害してしまうことがあるのかもしれないと思いました。 帰り際、再びさきほどの宇宙人に意識を向けてみると、動物の姿をして出来てました。狐(きつね)系です。波動的には悪くないです。こちらの様子を伺っている印象があります。しばらくして、面白いことに気づきました。その狐を飼っている女性が見えてきました。なんとなく高貴が雰囲気を持っています。もちろん、飼っているというのは、私にはそう見えたというだけで、本当のところはどうなのかわからないわけですが。この時感じたのは、狐に見えた存在は狐という形態を一時的にとった多次元的存在で、女性はその狐に見えた存在の高次の存在ではないかということです。我々が人間を見てその人のガイドが見えるように、存在というのは多次元的に存在しています。ですから、ある存在を見ても、その更に意識レベルが上の存在が見えてくるということもあるわけです。(以下のリーディングは、オフ会の翌朝したものです。オフ会当日はオフ会のあとまっすぐ仕事に行き、帰ってきたのが夜遅くでしたから・・・リーディングでは私は宇宙人に今朝会ったことになっていますが、実際には昨日の午後に最初に遺跡群を訪れたときから会っていました。向こうの世界には時間というものはありませんから、我々も含め宇宙人達は「いつの時間でも」自由に会う時間を選ぶことができます。しかもそれは、実際の現実として作用します。下の話の中で、私がUFOに乗った話が出てきますが、それは「時空を超えた」ところでの話です。昨日や今朝の我々の時空間での出来事とは異なっています。複雑ですが、これらの事情を考慮の上お読みいただければと思います。)あとで深いリーディングをしてみると、我々が訪れた最初の遺跡群において多次元的に見てみると、5~7機のUFOが飛来していました。我々はその時、遺跡の無数にある石の上で景色を見たり、談笑したりしてしばらくの間そこに滞在していたんですが、まさにその時、私には多くの宇宙人も我々がいた次元のすぐ近くにいたと感じられてきました。印象的には10人くらいだったような気がします。案外多いなと感じましたから。その方たちは、我々の時間軸の中では「かなり古くから」地球との関わりを持っているらしく、私の感応では地球が出来てしばらくしてから、そうですね、約35億年前あたりから地球との関わりを持っているように感じられてきます。別の言い方をすれば、地球の管理に関わる存在達です。そのような存在というのは、例えば私たちが訪れた遺跡群に常にいるわけではなく、それらの存在につながりやすいポイントというのがあって、そこで意識を向けるとつながっていきます。逆に、彼らも、我々と接触しやすいポイントにフォーカスすることで、我々との接点を持ちやすくなるみたいで、実際そうしているといいます。 宇宙人さん曰く、「我々は(あなたたちが考えるような)物質的にだけではなく、非物質的にも存在しています。」ですが、この表現自体が我々の固定観念によって事実が歪んでいます。というのも、我々はいわば、ある特定の周波数に「常に」強くフォーカスしています。そのフォーカスポイントは我々が現実世界だと考えている世界です。そのフォーカスする力があまりにも強いために、我々にはこの世界だけが唯一のリアルな世界だと思い込んでいます。ですが、我々の世界というのは、他の宇宙人や他の高次元の霊的存在と同様、特定の周波数に強くフォーカスした世界にすぎません。高次の存在にはそのことに気づいていて意識レベルを自由に変えられる存在もいます。我々はただそのことに気づいていないだけです。
2013.05.09
番外編は、一番最後に載せようと思っていたのですが、下書きするところを間違って8日のところにしてしまったので、先に載せます。UFOっぽい画像集ということで・・・ まず、下の写真を見ていただきたいんですが、一見するとただの飛行機のように見えます。ところが拡大してみると・・・ 飛行機が透けて背後の空が見えているように見えます。これが撮られたのは、第二の遺跡群でのことです。記事でご紹介した岩場での体験は、最初に訪れた場所での体験だったんですが、ここはそことは別の場所にある、でもとてもよく似た岩場なんです。実際に、上空には飛行機が飛んでいたのを3人全員が確認しています。ですが、なぜ透けているのか?これはホログラムではないのか?(笑)。あと、お気づきでしょうか、飛行機の前方部分にご注目ください。何か見えませんか? 拡大してみると・・・私はUFOの専門家ではないので、なんとも言えないのですが、UFOっぽくは見えます(笑)。まあ、鳥の可能性もあるわけですが・・・(笑)これらはすべて、第二の遺跡群で撮られたものです。ちなみに、現場では何の気配も感じませんでした。むしろ感じたのは、記事で書いたように、最初の遺跡群のほうです。似たような映像に、下のような映像もありました。 二枚のうち下のほうの写真は、鳥には見えませんが(笑)、ハレーションの可能性はあります。ただ、他の写真で出ていたハレーションの映像を見比べてみると、他の写真はもっとはっきりと出ていて、しかもいろんな色が入っていました。首をちょっと右に傾けてみると、クラゲっぽく見えます(笑)。最後にご紹介する写真は、水平線付近を見てください。 拡大すると・・・これも、他の可能性があるとすれば、ハレーションの可能性があります。ですが、他のハレーションの写真とはちょっと異なるように見えましたので(ハレーションにしては小さすぎる)、読者の皆様に検証していただくために、一応載せます(笑)。
2013.05.08
昨日は昼間、宇宙基地だったらしいという所を探索してきました。3人で行ったんですが、なかなか素晴らしいところでした。詳細は明日ブログで書きたいと思います。最近、知人とよく、UFOコンタクティーの坂本さんの話をしています。私も最近知ったんですけど、すごいですよね(笑)。ところどころ?なところもあったりしますが、一番の驚きは、私がヘミシンクで見てきた宇宙の真実と似ている部分が多々あることです。例えば、日本人の起源に関係する話なんかがそうです。他にも似たところがいくつかあって、私は坂本さんのブログはよく読んでいないんですけど、マイミクさんが紹介されていたのを見ると、かなり興味深かったです。具体的には、以前私が見た約5万年前に位山にシリウス系から生命体が降りた話と、知人から聞いた金山遺跡群(位山から40kmほどのところ)に今から約7万年前に多次元生命体が降りた話が似ていたり、あるいは、太陽系の管理者について、以前私は確か12人であるという情報を得たんですが、坂本さんは18人であると述べている点など、数字に近似性が見られる点です。5万と7万、12人と18人は違うではないか?と思われるかもしれません。ですが、私は非物質的情報を物質的情報におろす際に100%正解というのはないと思ってます。まず、我々の思考形態や言語的制約を超えたものを、それらに当てはめる時点で相当に無理があります。もっというと、誰のどんな情報も、唯一の正解ではないんだと思います。あくまでもその人の見方であって、その人が感じた真実にすぎないからです。私は宇宙人にはあまり興味がなかったんでそれほど接触しなかったんですけど、今回コンタクトをとってみてなかなか興味深いものだなと思いました。ただ、私は宇宙人との接触に関しては、たぶん今でも慎重派です。でも、UFOに肉体ごと乗せてくれると宇宙人に言われれば、たぶん乗ると思います(笑)。最後に、今回の旅を案内してくださった方のブログをご紹介したいと思います。最近よくいろんなところに連れて行ってくださっている方であり、とても博識のある方で、いつも勉強させていただいています。前々からブログは拝見させていただいていたんですが、ある時私のブログでご紹介させていただいたのをきっかけに、オフ会でお会いするようになりました。多面体の造形の専門家でもあり、個展も開かれているみたいです。 「真理探求と歴史探訪」 http://plaza.rakuten.co.jp/opektal/Some rights reserved by fauxto_digit
2013.05.08
今まで何度か、私はブログ内で「キリスト意識」という言葉を使ってきました。自分でも何度か探索してきましたが(最近も記事にしました)、そもそもキリスト意識とは何ぞや?といった定義をしてきませんでした。キリスト意識の定義というより、我々との関係で問題となるのは、キリスト意識と我々人類との関係ですよね。時々、人類は皆キリスト意識に属しているなんていう言い方もされることがあったりしますから。正直言いまして、よくわからないところがあります。ですが、興味深いことを高次から聞きました。それは、我々の物理的宇宙を創ったのはキリスト意識だということです。私は今回、流れ的にキリスト意識のもとに向かうことになりました。キリスト意識というのは、私の知る限り多次元的に存在しているのですが、例えば私が7次元相当の領域に行ったとします。すると、キリスト意識の全体像が見えてきて、本来の自分のエネルギーフィールドの占める領域の大きさとの比較から、キリスト意識の存在する次元の範囲や意識レベルの高さを想定することができます。存在する次元についてはこの前お話ししたとおりだと感じますが、今回訪れたのは、そんなに意識レベルは高くない領域だと思いました。ある人物とお会いしました。この方はキリスト意識と深い関わりを持つ方なんですが、彼の感覚では、彼自身がキリスト意識であるという認識があるみたいでして、私が彼に最近宇宙は作ったのかと聞いてみると(私も高次と融合した状態での質問なんですが、高次同士の会話というのは謎な部分があります。)、彼はこう言いました。「(私が)作った宇宙は、(地球のある)あの宇宙だ。」と。つまり、今の我々が住んでいる宇宙のことを指しています。つまり、この会話に真実性が含まれているとすれば、キリスト意識は我々の住む宇宙を作った存在だということになります。我々の物理的宇宙というのは、我々の内面世界の現れとしての特質を備えていますから、つまり、キリスト意識を我々自身だとすれば、この宇宙は我々が作ったということになってきます。高次の存在が自分自身の鏡であり別側面の自分であるとすれば、上のような考えもありえないことではないと思います。そういえば、今回お会いしたお方、面白いことを言ってました。我々の時間軸からみてはるか昔、我々の太陽系には青い地球が二つあったというのです。この方にとっては、我々の時間軸は無いに等しいらしく、この方には今でも二つの地球が見えているようでした。私が今は地球は一つですよと言うと、意外な様子でしたから。基本、高次の方というのは、我々の物理的宇宙には無頓着みたいです。基本、次元の違いから見えないでしょうし。上の情報については私は今まで聞いたこともありませんでしたから、ちょっとどう解釈したらいいものか戸惑ってしまいました。すぐに私は、もうひとつの青い地球というのは、太古の火星のことかなと解釈しましたが。でも、その方ははっきりと、「二つの青い地球」という言い方をされました。何か、当時はどちらの地球で暮らすのか、選択出来るみたいなニュアンスが含まれていました。どうやって惑星間を移動するのかなと一瞬頭をよぎったんですが、それも問題ないような印象を受けました。 (画像:ナショナル・ジオグラフィックより)
2013.05.07
私は、自分の人生の中でこれほどいわゆるスピリチュアルなことにどっぷり浸かるとは思ってもみませんでした。特に学生時代なんかは、ガチガチに頭が硬かったですから(笑)、スピリチュアルなことに興味はあっても、それを普段の生活の中で認めようとはしなかったように思います。ですが、いろんな経緯があり、気がついたらヘミシンクをし、セスの本を読むようになっていました。ものすごい端折ってますけど(笑)。欝(うつ)になったり、精神的にはどん底の体験をしました。上ではセスの本を流れ上スピ系に位置づけていますが、他方でセスの本がいまだに世界的に支持されているのは、スピリチュアルなことに興味がなくても一種の哲学書として読むことも可能だからなのかもしれません。 セスの本を読み進めていくと、特に最初の2冊目の「個人的現実の本質」には、いわゆる引き寄せの法則的な話が出てきたりします。エイブラハムのチャネラーさんなんかも、似たような話をしたりします。あと、バシャールなんかもそうですよね。いわゆるニューエイジ思想の端緒はセスの登場に始まると言ってもいいと思うんですが、私はセスの本を読み進めるうちに、いままでなんとなく違和感を少々感じていた、スピ世界に広がっている現世利益的なものを追求する考え方というものを少し考えるようになりました。ぶっちゃけた話、引き寄せの法則などについてなんですけど、「単純すぎないか?」と思うわけです。 たしかに、セスは「現実は自分自身で作り出している」と言ったり、「パワーポイントは現在にある」と言ったりします。また、我々が現実世界を生きる上でより自分達が有意義に生きられるようなアプローチをしたり、多くのニューエイジ系の本が紹介するような、現実創造プロセスを学ぶ一貫として自分の意図を現実化することが出来るという話をしますが、より深く読み進めていくと、むしろ大事なのは、この現実世界がいかにして作られているかを知ることであったり、自分達の意識をもっと広げることであったり、夢の世界との関わり方を学び現実世界を拡大することあったりといったように、もっともっと多岐にわたっています。簡単に言うと、巷に広がっているニューエイジ系のやり方というのは、いわゆる商売に特化しすぎている気がします。私はバシャールはYouTubeで見る限りかなり深い話もしているとは思いますが、本だけだと内容的に薄いように感じます。他方で、エイブラハムはセスとは意識的なつながりのある「家族」であるとエイブラハムのチャネラーさんは言っていたりしますが、セスよりもエイブラハムの方は現実世界との接点をより多く持とうとしているように感じられます。おそらくこのへんは、情報の送り手の考え方の相違なんだと思いますが、受け手側の理解力の問題で大きな誤解を産んでいる部分があります。つまり、受け手側つまり人類は、現世的な利益のみを引き寄せの法則から引き出そうとします。つまり、物質的価値観にフォーカスしすぎてしまうわけです。その結果、内的世界が物質世界を生み出す元となっていることすら忘れ去ってしまい、引き寄せの法則を単なる道具とみなし、そこから現世的利益のみを引き出そうとします。しかし、大切なのは、現実世界をより心身「共に」より豊かに生きることであって、要はバランスが大切なのではないだろうかと、最近特に感じるようになってきました。ポジティブ・シンキングだけでは実際にはうまくいかない理由というのも、この辺にある気がします。私がまだセスについてほとんど何もわかっていなかった頃、セスと思われる存在から、認識力を高めるには自然をよく観察するとよいと言われたことがありました。その頃は、ヘミシンクを熱心に学んでいる最中ですから、「認識力を高めるには」という限定付きの情報となって情報が返ってきましたが、今になって思えば、自然の中で生きること自体を我々はもっと大事にしてもいいのではないか、そういう趣旨でも上記メッセージを解釈することができるのではないかなと思います。メッセージというのは、いろんな解釈があっていいというのは、初期の頃にヘミシンクトレーナーから教えていただいたんですが、例えば上記メッセージにしても、もっと適用範囲が広いような気がしてきます。つまり、あるがままで自然を見つめて生きること、その中で、本来の自分自身のあり方や、生きがいや、人間としての魂の学びや、そういったものが得られるのではないか、そのようにも思うわけです。実際、人間として人生を生きてみると、楽しいこと、つらいこと、いろいろありますよね。楽しいことばっかりというわけには、いきません。誰もがそれをわかっているはずなのに、なぜか楽しいことばかり得られると言われると、それに「引き寄せられてしまう」のが人間としての心情です。スピリチュアルにどっぷり浸かる前には、こんなこと考えもしませんでした。我々は、自分が自由だと思っていたのに、実は思考的には自由じゃなかった、なんてこともあります。いろいろうまくいかない経験をしてみて、初めて、うまくいったときの喜びを知るわけですが、そう考えてみると、うまくいくのも人生、いかないのも人生、どちらもありかなと思います。人類の中で悟りの境地に到達したとされる人物にブッダがいますが、ブッダは中庸(ちゅうよう)を説いたとされています。偏(かたよ)らないという教えは、真理をついていると思います。私的には、引き寄せの法則も大事だと思うんですが、それも現実創造プロセスを学ぶ一貫として、より意識を拡大してあらゆることを現実世界で学びたいなと思っているんです。まずは、思考の枠組みを少しずつ広げていく方が、より「引き寄せられる」気がしています。
2013.05.06
今日は、日本航空機墜落事故の救出活動の追体験をしました。もうだいぶ前になりますが、ある方のご依頼で、あの事件のリトリーバルをさせていただいたことがありました。それ以来、何度かニュース等で慰霊祭を見るたびに気になってはいました。といいますのも、あまりにも凄惨な事件だったからです。中曽根康弘元首相が、あの事件の真相を墓場まで持っていくという発言をしたり、またさまざまな傍証があがっていることから冷静に考えても、私はあれは偶発的事故などではなく、事件であると捉えています。墜落原因は、一部で有力視されている撃墜説が最も可能性が高いのではないかなと、いろんな多角的視点からみて(非物質的視点も含めて)思います。今回、リトリーバルの追体験をしてみて、驚いたことがありました。数年前に初めて救出活動をしたときには、ターゲット(救出対象者)のその後(救出された後)の様子というのがあまり見えてきませんでした。というのも、現場の怨念めいたエネルギーがすごくて、ターゲットのその後の様子を見る余裕などなかったからです。救出活動であれほど負のエネルギーを帯び、また逆にあれほどパワフルな高次の援助を感じたのは、あとにも先にもあれだけです。今回追体験したのはどれも断片的だったんですが、まずは墜落した直後の機体周辺の様子と、日が完全に暮れた真っ暗な中で墜落機の周辺を捜索する集団の存在を見た後で、現場付近の次元を離れ、救出活動の様子を追体験していました。救出活動には、二人の高次の存在を見ました。男性と女性です。その高次の存在はおそらく集合意識として存在していると思われますが、私には容貌から性別があるように見えました。当時、私は、短時間で大勢の人々を救出するために光のエスカレーターというのを作っていました。正確に言うと、自分が低次元と高次元のパイプ役となり、自分の体を通して高次のエネルギーを現場付近に流します。そうすると、自分にものすごいエネルギーが流れ出し、同時に私を伝ってターゲットがどんどん別の次元へと旅立っていきます。その救出の様子を、私なりの表現で「光のエスカレーター」と称していたわけです。今回は、高次とのパイプ役を務めたあと、すぐにフォーカス27と呼ばれるところに向かいました。見えてきたのは、飛行機が飛び立つ前の待合室のようなところです。感覚的にそこはフォーカス27だとわかります。そしてあの墜落した日航機に乗っていた乗客が多数そこで搭乗するのを待っているということも感じられてきました。私には、乗客たちは、航空機のトラブルのために飛行機が飛ばなくなり、それぞれの乗客のところに迎えの人が来ているのが感じられてきました。それが誰なのか?おそらくは、亡くなった方と縁が深いガイド的存在なんだろうと思いました。ですが、私がそれよりも驚いたのは、あの事故現場の凄惨な雰囲気とは一転して、落ち着いた、穏やかな気配が待合室一帯に覆われていたことでした。その空気感というか雰囲気が、手にとるように伝わってきます。数年前感じることのできなかったもう一つの光景を感じました。それは、亡くなった人々がその後どのような生活を送っているかです。私は二人の方を見ました。一人は男性で、40代半ばの働き盛りという感じ。もうひとりは女性で若い方です。おそらくは20代前半ぐらい、もしくは10代後半ぐらいといった印象を受けました。男性の方は、家族のために頑張って働いているという心境が伝わってきました。自分には守るべき存在がいて、そのために充実した日々を送っているといったオーラが漂ってきます。女性も男性と同じがそれ以上に人生を謳歌(おうか)しているといった印象を投げかけてきます。この女性のほうがエネルギッシュな印象を強く感じました。お二人共、信念体系領域にいるような雰囲気はなく、別の次元で人生をやり直しているような印象を受けました。まるであの日航機墜落事故などなかったかのように、です。もしかして本当にそうなのかとさえ思いました。つまり、お二人共、あの墜落事件がなかったバージョンの現実世界で生きているという可能性です。私は、このお二人だけではなく、亡くなった方全員が、トータルで見れば最終的には救われることになると思っています。向こうの世界は因果関係などありませんから、誰かが救出活動をしたから救われたのではなく、救われるべくして救われるのだと感じます。我々現実世界にいる者は、あの事件に関して凄惨な場面を見るという形で出来事を体験しましたが、どこかで必ずバランスが取れているんだなと思います。それは、人類全体についても言えます。ある事件や、人間個人に起きたことは、相似象となって人類全体にもあてはまるということがあるからです。我々はこの先、人間ですから間違った方向に進むこともあるとは思います。ですが、我々がいかなる方向に進もうとも、トータルに見れば「すべてはうまくいっている」ことになる気がします。話がちょっとそれますが、特にそれを感じたのは、安倍首相がとった最近の政治的決断を見たときです。いろんな問題を抱える可能性のある政策を実行されているように見受けられますけれども、安倍さんは、私は政治家としては好きです。安倍さんを見たときに感じる、安倍さんに力を貸していると思われる背後の存在はともかくとしても、個人的に一人の人間として見たときに、私は嫌いにはなれません。これからの日本の先行きをみても、トータルに見れば(いろんな問題ある政策があっても)それでもうまくいくと思います。話がそれましたが、個人レベルで見たとき、そして国家レベルで見たとき、いずれにおいても、様々な問題を抱えつつも最終的にはうまくいくようになっていることを、日航機の例を通じて感じた次第です。
2013.05.05
今回は、ヘミシンクのコツ的なものをお話したいんですが(「imimiのリトリーバル日記」ですので(笑))、その前に、我々はどこまで行っても、半分ぐらいしか世界を見ていないのかな~という話をしたいと思います。我々の体を構成している細胞、もっと細かく見ていくと、分子、原子、素粒子、そして究極的にたどり着く意識が現象界に現れた「物質」は、点滅しているといいます。フラッシュライトのように、光がついたり消えたりしている、そんな状態です。で、我々は、いうなればその光がついているときに「だけ」フォーカスしています。それが現実世界であり、それが現実世界での我々の活動なんです。おそらくは非物質界でもそうだと思います。非物質界の場合は、次元が異なりますから同一には論じられませんが、所詮我々が知覚できる範囲には限りがありますから、見える部分しか見えていない点では現実世界における事情と一緒です。 単なる光の点滅だけならいいんですけど、問題はそもそも大本である意識のあり方、その表現の仕方が、我々の想像をはるかに超えるところに問題を複雑にしている事情があります。同一の次元においても、種の枠を超えても、あるいは異なる次元においても、あらゆるところに「自分」がいて、ことなる立場においてそれぞれの生活、命を営んでいるという側面があります。そのすべての「自分」は、本質的に今我々が自分であると感じている自分となんら変わりがありません。しかもそれらの異なるレベルの自分は、我々の点滅が消えている間すなわち我々が知覚できない間に、ものすごい量の情報のやりとりを、潜象世界と現象世界で、あるいは、他の意識との間で、あるいは、自分が属している物質とは異なる物質との間で、絶えず情報交換が行われているみたいです。例えば、読者の皆様が今いるところで歩いて部屋を出ていく間にも、読者の皆様を構成する無数の細胞は、それぞれが独立した意識を持ちつつも調和して行動し、あらゆる予想可能性を瞬時に計算し、また、肉体だけでなく、例えば部屋にある全ての物体の粒子レベルでの活動までも蓋然性レベルで瞬時に計算し、読者の方が例えば歩いて部屋から出るといった目的達成に協力して働きます。つまり、我々が当たり前だと思っている世界は、実は見えないところで当たり前ではないことが日常茶飯事に起きているわけです。そういった事情を考慮の上で、それでもなお最初のとっかかりとして、あらゆる次元において体験を深めるためには、知覚能力や情報取得能力を高める意義があると私は感じているので、以下それについて少しお話していきたいと思います。体験を深めるにはなんといっても、自分なりの知覚の仕方を確保することが、経験を深めていく上で有意義なこととなっていくように思います。この点、りトリーバル(救出活動)をやると、知覚や情報取得の両方を鍛えることができて便利です。ですが、別にやらなくても、なんら問題はありません。まず、知覚力の鍛え方からですが、これはなんといっても、イメージ力を駆使して自分から「妄想」することだと思います。この辺も、今はいろんな本やセミナー等でたくさんのやり方が指導されていることと思います。この点、妄想から得られる情報には二種類あって、ひとつは自分自身の空想力で作り出したイメージそのものです。もう一つは、ヘミシンク流の言い方では、「呼び水」のあとに得られる非物質的イメージがそれです。厳密には、非物質的に得られた情報を視覚的情報に変換されたもの、ということになってくると思います。現実とは突き詰めれば「どの次元においても」自分が作り出したものということになってきますが、そうはいうものの、実際にやってみると、「向こうからやってくる」イメージというのがあります。ですが、問題なのは、この「向こうからやってくる」というのがどの程度のイメージなのかということです。もちろん、個人差やその時々の体調差なんかもあります。ただ、あくまでも私の場合ですが、「向こうからやってくる」イメージといっても、「なんとなくそんな気がする程度」です。それでも、見えているのは見えているんです。その見え方というのが独特でして、よくよく注意深く観察してみると、非物質的情報にゆらいするイメージというのは、同じような「見え方」をすることが多いです。私の場合でいうと、なんとなくイメージに透明感があります。ですが、透けているわけではないんです。私の表現力では説明しきれないんですけど。ですが、この辺は、何度も何度も練習を積み重ねていき経験値を増やしていくことで体得していけると思います。あとは、すぐれた指導者に学ぶのも近道だと思います。人間とは不思議なもので、その場にいるだけで感化されることがあります。言葉を超えたテレパシー的なものでコツを体得する可能性があります。どのセミナー指導者が優れているかは、ここでは端折ります(笑)。そんなことは私の口からは言えません(笑)。ですが、私の見る限り、同じコース・内容を受けていても、価格が大手より安くても、優れたセミナーの受講者の体験はより深いものになっているように見受けられます。オフ会なんかでは、この人のセミナーを受けるといいですよと言えるんですけどね(笑)。話がそれましたが、それるにも理由がありまして、いかなる説明をしようとも、言葉では説明しきれない部分があるからです。それは、上でお話ししてきた知覚力習得だけでなく、情報取得の方法についても言えます。情報取得のコツについては、もしかすると私がお話できることが多少はあるかもしれません。情報取得において何よりも大切なのは、直感力を磨くことです。言い換えれば、左脳を介さない情報取得です。最終的には左脳による情報変換が必要となってきますが、一つには左脳に介さない段階でどれほど多くの、かつ正確な情報を取得できるか、という部分と、二つ目には、情報を受け取った後でそれをどれだけ効率よく左脳によって情報処理をするか、の二つの段階の「いずれにおいても」重要となってくるように思います。一つ目の段階を鍛えるには、瞑想法なんかがいいかもしれません。いわゆる思考(左脳の処理)を止めて、右脳の働きを活性化させるためです。これには、ヘミシンクを活用するのもアリだと思います。問題は二つ目のほうなんですが、私の場合は、速読法を用いました。最初は、ヘミシンクのためにしていたのではなかったんですけど、結果的にヘミシンクに活かすことができました。ポイントは、情報取得に漢字を利用することです。漢字というのは、認知科学においても、認知した瞬間に直感的に理解まで出来ることが知られています。これを最大限に活用するわけです。もちろん、私はそこまで考えて速読法の習得をしていたわけではなく、繰り返しになりますが、結果的に役に立ったというにすぎません。他にも優れた方法はたくさんあると思います。以前ご紹介した、ガイドといっしょに訓練するというのもいいです。さらには、体験を記録することで、情報変換能力が格段に高まります。ぜひお試しいただければと思います。
2013.05.03
ちょっと前になりますが、ある方を通じて、セスからの伝言を受け取ったことがありました。そのメッセージを下さった方は、私個人はよくわからないんですけど、スピリチュアルな能力をお持ちの方で、しかもセスについて全く知らなかったらしいんです。で、あるとき、セスという人物からメッセージを受け取り、それが日本人あての伝言だとわかったそうです。それで、偶然にも私と面識がある人物とそのチャネラーさんが知り合いになり、ひょんなことからこういう人がいると私のことが話題になったそうです。それを聞いて、そのチャネラーさんは、セスと名乗る人物からのメッセージが、私への伝言であると確信したそうです。そのチャネラーさんは、どうやってそのメッセージを届けたらいいのか途方にくれていたみたいなんですが、偶然に偶然が重なり、私を知る知人に辿り着き、私のところまでその伝言が届きました。内容は個人的なものなのですが、ひとつ言えるのは、アメリカでのセスの事情というのがその伝言をきっかけにわかったことです。そのチャネラーさんからの伝言によれば、セスのチャネラーだと称する人物がアメリカには現在いて、彼女達がキリスト教の影響からか、アメリカナイズされた情報を伝えていて、セスの伝えたい真意を伝えていないというのです。私は、そういったセスのチャネラーさんがジェーン・ロバーツがなくなったあと存在していることを知らなかったので、初めて伝言を見たときには半信半疑でした。ですが、あとでYouTubeで調べてみると、確かにセスのチャネラーと名乗る人物がいることに気づきました。私は、セスとコンタクトをとるときに必ずしていることがあるんですが、それは今までブログでも書いていませんし、誰にも話していないことです。チャネラーさんからの伝言には、そのことを示唆する内容が含まれていました。そういった感じで、今まで長いことブログを書いてきてこんなことはなかったので、ちょっと驚いた次第です。チャネラーさん独自の言い方ですが、曰く、「私に外交官としてセスからの真意を伝えて欲しい」というのです。私にそれができるかどうかわかりませんが、今読んでいる本の紹介等も含め、自分自身でのコンタクトなんかも、随時ご紹介していけたらいいなと思っています。それにしても、人と人とを結ぶ縁というのは、不思議なものですね。どうやって伝言を伝えたらよいか途方にくれていたのに、ちゃんとある人物に偶然出会って、その人物がさらに偶然にも私と面識のある人だったなんて・・・偶然はなく、全ては必然であることを感じさせる出来事でした。
2013.05.03
ヘミシンクをしていて、例えばガイドらしき人物にあったとします。その人物は一般的にいって、その時に自分がいる次元と同じ次元にいて、自分とは対等な感じを受けたりすることがあります。でもそれとは、明らかに異なった次元にいる高次の存在が別にいて、それはまぎれもなく自分自身の別側面だと感じるときがあります。その高次と自分との関係というのは、例えるならば、今の自分と、自分の中にある一個の細胞のような関係に似ています。自分の意識はその高次側にあって、高次が自分だと感じています。ですが、その一個の細胞にも意識が残っていて、高次側の自分は「私の中の一個の細胞が私に何か聞きたがっている。」という感覚を持ちます。つまり、ここでいう一個の細胞が本当は現実世界にいる私で、一個の細胞の総体が高次の存在なんです。そんな風にして情報取得したのが、下の内容です。以下は、私の妄想だと思って読んでくださいね。最近目についたのは、皇太子ご夫妻のオランダへのご訪問です。皇太子ご夫妻、オランダ国王即位式に出席オランダのアムステルダム(Amsterdam)で4月30日、ウィレム・アレクサンダー(Willem-Alexander)新国王の即位式が執り行われ、皇太子さま(Crown Prince Naruhito)と皇太子妃雅子さま(Crown Princess Masako)が出席された。(c)AFP=時事/AFPBB News雅子様は、体調を崩されておられるということですが、スピリチュアルな見方から何か問題を抱えておられるのでは?と一般的には気になるところです。ですが、雅子様が体調を崩されているのは、個人的な問題に起因すると感じます(皇室側の問題ではなく)。既に周知の通り、雅子様はご結婚前、外交官として活躍された方でした。どちらかというと、ご自分がお持ちの高い能力のために、ご自分がこうありたいと思ったことはなんでも出来たんじゃないかと思います。もちろん、職務上の制約は当然あるでしょうけれども、それ以外の、自分の外交官としての能力をいかんなく発揮する部分においてです。ところが、皇室に入られて、ずいぶんと不自由な生活をされたんじゃないかなと思います。それは、物質的にというより、精神的に、です。つまり、ご自分の能力をいかんなく発揮する場というのが、外交官に比べてないわけです。その精神的ギャップに、ご自身で相当悩まれたんじゃないかなと思います。加えて、皇室のもつ独特の体質です。私は皇室のもつ因習等にはまったく詳しくないんですが、直感的に感じられるのは、男尊女卑的な考え方です。簡単に言うと、女は男を盛り立てなければならない、みたいな考えです。ただ、そんな皇室も、雅子様が皇室に入られたことで、ずいぶんと変わったと感じます。雅子様が体調を崩されたのは、ご自身の問題であって、皇室とは直接的には関係ないと感じます。ですが、世間はそうは見ませんよね。要は、皇室とはなんてひどいことをするんだ、みたいなバイアスがかかってくるわけです。たとえ皇室が、雅子様の意向を丁重にかつ真摯に受け止めて対応されていたとしても、です。そんな世論の影響からなのか、雅子様が皇室に入られてから、皇室の持つ古い因習的部分に自浄作用とでもいうべきものが働いているのが感じられます。たとえそんなに表面的には変わっていなくても、です。つまり、皇室は、雅子様が皇室に入られてから、ずいぶんとよくなったんです。今回のオランダ訪問での雅子様への気遣いも、以前の皇室の対応からは考えられないほどであると、直感的に感じます。転じて、皇太子及び現在の天皇陛下を見ますと、天皇陛下は心臓手術をされておられますが、その影響からなのか(私は違うと思います)、心臓に負担がかかるような役職についておられるのを感じます。つまり、天皇という役職は、日本国憲法上は象徴としての地位をもつにすぎませんが、スピリチュアル的にみれば象徴どころか、それ以上の重要な働きを担っています。つまり、日本国を鳳凰(ほうおう)に例えると、天皇という役職は最も重要な翼にあたります。ですが、皇太子が天皇になられる頃には、今の天皇陛下よりももっと心臓の負担が軽くなるように感じられます。つまり、天皇という職務をずっとやりやすくなるということです。日本国を一つの人間の体に見立てますと、天皇という役職は、日本という国の持つネガティブな波動を一身に受けやすいようです。それが、今後、日本列島の「地場」(電磁的なエネルギー場)の変化により、エネルギー的な邪気を受けにくくなっているように感じられます。深入りしませんが、例えば今の富士山あたりの変化についても、私はポジティブにみていて、今後ますます地球からの「地場」が、日本に住む人間や他の生物、土地などに好影響をもたらしていくとみています。もっと長いスパンで見れば、世界各国、とりわけ中国、ロシア、アメリカには驚くような変化が数百年後には生じてくる可能性を感じますが、日本は、非常に小規模の国家になっていくものの、世界的にも影響力のある国家になっていく可能性を感じます。その大きな理由の一つには、おそらくはエネルギー問題の解決というのがあるように思います。日本の国土は、数百年後も大きな変化はなく、田舎での生活というのが見えてきます。古き良き時代という感じです。でも、世界を見れば、現時点でも争いに明け暮れている国家があとをたちませんから、平和ほど素晴らしいものはないと個人的には思います。このような今後数百年間の日本列島の様子を俯瞰(ふかん)した上で、皇太子が天皇になられたときのことを見てみますと、私には現在の天皇陛下のご苦労よりも、皇太子の方のがご苦労がより少ない、職務をやりやすいと感じられるのです。その大きな支えとなってくるのは、現皇室を陰ながら支えている女性達の「存在」です。私には、皇太子ご夫妻のお子様も素晴らしい魂の持ち主だと感じますが、それだけではなく、秋篠宮ご夫妻のお子様達も、これからの皇室を陰ながら支えていくと感じます。天皇という職務は、表にたちますから、とても強い心臓が要求されてきます。それは、先述したように、日本の場合は単なる国家の象徴ではないからです。ですが、太極図的な見方をしますと、陽と陰は一体なものです。天皇が陽だとすれば、皇后は陰で、一体的なバランスを保ちます。それは、皇室全体にも言えることで、男性が陽の役割をすれば、女性が陰の役割を担い、陰ながら支えます。本当はその支えのほうが重要であって、支えがないと、つぶれます。皇室の日本全体への役割をみても、支える女性の「存在」が今後重要になっていくと感じられます。つまり、今の皇室に女性のお子様が多いのも偶然ではなく(これからの日本にとっては)必要なのだと思っています。
2013.05.01
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