inti-solのブログ

inti-solのブログ

PR

×

カレンダー

コメント新着

nordhausen@ Re:読売にしては思い切った(05/17) New! ところで、日経新聞も「女性、女系天皇も…
nordhausen@ Re:政府の方針を押し付けるのが教育基本法の趣旨だということか(05/23) New! 仰るように、辺野古の事故では船を運航し…
inti-sol @ Re[1]:目詰まりではなく不足だ(05/22) マルダリッグさん 商品がない、そういう…
マルダリッグ@ Re:目詰まりではなく不足だ(05/22) 昔ソ連など旧社会主義国が、商店に商品が…
2008.08.16
XML
カテゴリ: 戦争と平和

それに加えて日本軍自身、特に陸軍が補給・兵站を極めて軽視する体質をもっていたことが、事態を更に深刻化させたのです。

陸軍の補給・兵站軽視を象徴する有名な話があります。1942年ニューギニアのポートモレスビー侵攻作戦の準備段階でのことです。当時日本軍はニューギニアの北岸を占領していましたが、更に南岸の拠点ポートモレスビーに侵攻しようとしたのです。当初、日本軍は海からポートモレスビーに上陸しようとしますが、輸送船団を援護する空母部隊が珊瑚海海戦で損害を受けたことからこの作戦は失敗し、陸路の侵攻に切り替えます。しかし、ニューギニアは本州より大きな島で、北岸から南岸のポートモレスビーまで360kmもの距離がありました。その間自動車の通行可能な道路もなく、途中3000mを越える峻険な山脈を越えるのです。移動は全て徒歩によるしかありません。
現地の部隊(南海支隊)が机上計算(※下記参照)すると、5000人の前線部隊に補給するために必要な補給部隊の数は3万2千人になりました。そんな数の補給部隊があるはずもなく、とても実施不可能な作戦、というのが南海支隊司令部の出した結論だったのです。
しかし大本営はこの計算結果を無視して作戦を実行に移し、案の定ポートモレスビーに侵攻した南海支隊は飢餓地獄に陥って作戦は失敗します。

なぜそんなことになったのか。単純なことで、それまでの日本軍は、補給を重視する必要がなかったのです。「現地調達」つまり現地での略奪によって食糧を確保していたからです。南方の戦場でも、それまでの中国戦線と同様に現地で食糧を略奪すればいいと考えていた。しかし太平洋の絶海の孤島や、ニューギニアの密林地帯には、そもそも人がごくわずかしか住んでおらず、略奪すべき対象がいなかった。だから、略奪すればいいと補給を甘く考えていた日本軍は飢餓地獄に陥ったのです。

アジア太平洋戦争は1945年8月15日に終わりました。遅きに失したと思います。300万以上の戦没者の8割方は最後の1年に亡くなっています。すでに戦争の結末が事実上確定した後、100%勝ち目のない戦いで悪あがきを続けた結果の死者なのです。これを無駄死にといわずして何というのでしょう。
が、それでも、日本本土で南方の戦線のような餓死者が大量に出る事態に至る寸前に、かろうじて戦争は終わりました。(もちろん、「火垂るの墓」に見られるように、餓死者は少なからず出ていますが、程度の比較としての話です)
敗戦時の日本人成人の平均摂取カロリーはわずかに1500Kcal程度に過ぎませんでした。成人の必要カロリーは、概ね2000カロリー以上(当然、男性か女性か、また体の使い方や年齢によっても違いますが)ですから、かなりの栄養不足です。しかし、1945年の秋は記録的な不作でした。もし戦争があと半年でも続いていたら本土でも大量の餓死者が出たことは間違いありません。
父が、「もし1945年の冬まで戦争が続いていたら、学童疎開の子どもたちの中には餓死者が続出したはずだ」と言う所以です。

ところが、 毎日新聞の昨日朝刊のコラム によると、東条英機は敗戦間際の手記(上記のコラムには書いてありませんが、8月10日に書かれているらしい)で「もろくも敵の脅威に脅(おび)え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりし」と放言しているというのです。8月10日といえば、ソ連参戦、長崎原爆の翌日です。東京をはじめとした主要都市が焼け野原となり、2発の原爆が投下され、本土でも餓死者続出の事態が目前に迫った状況でなお、「簡単に手を挙ぐる」(降伏する)のは無気魂なのだそうです。しかも、東条の行動は単に手記に留まらず、実際に終戦工作の妨害に動いているのです。
そう書いている本人は、開戦時の陸軍大臣兼首相、1944年に首相を辞任したとは言え、戦死の危険も餓死の危険もない立場に身を置いていたのです。開いた口がふさがらないとはこのことです。

※ 人間が徒歩で進むことしかできないのですから、補給部隊も兵士が荷物を担いで進むしかありません。運べる食料は、1人あたりではせいぜい25kg。急峻な山岳地帯をとおる360kmの道のりを徒歩で歩けば、1日の歩行距離は頑張っても20km。往復するのに36日かかります。その間補給部隊自身も背中に担いでいる食糧を食べなければなりません。当時の陸軍の定量は、兵士1人あたり1日米4合でした。「多い」と思わないでください、他にほとんど何もなくて米4合だけです。カロリー計算すると、成人の標準必要カロリーである1日2000カロリー程度にしかなりません。米4合の重さは約600gですから、36日分は21.6kgです。つまり、25kgの食料を担いで出発しても、360km先の前線の部隊に渡る食料は3.4kgにしかならない計算になります。もちろん、それ以外に武器弾薬などの補給も行わなければなりません。その結果、360km先の5000人の戦闘部隊に補給物資(日量3トン)を徒歩で補給するのに要する人員は3万2千人という結論になったのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.08.16 11:39:38
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: