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2011.12.16
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テーマ: ニュース(96635)
カテゴリ: 戦争と平和
1942年、太平洋戦争の転機といわれたのがガダルカナル島の戦いです。ソロモン諸島の南端近くに位置する、東西に137キロ、南北に45キロ、面積5300平方キロの、熱帯ジャングルに覆われた島を巡って、同年8月から日本軍が撤退する翌年3月まで日米が激戦を繰り広げました。

日本海軍は、米国(ハワイ)とオーストラリアの連絡を遮断するため、フィジー・サモア・ニューカレドニアなどの南太平洋上の島々を占領することを計画し、その前線基地としてガダルカナル島に目を付けました。6月にミッドウェー海戦で日本軍が大敗し、空母4隻を一挙に失ったことから、フィジー・サモア・ニューカレドニア攻略作戦は一時中止となりますが、ガダルカナル島の飛行場建設は続行されました。
8月5日に飛行場は完成するのですが、その2日後の8月7日に米軍が海兵隊1個師団を上陸させます。このときガダルカナルにいた日本軍は2800名ほどですが、大半が飛行場建設の労務者で、武装した兵力は550人ほどに過ぎませんでした。対して上陸した米軍は1万人以上ですから、もちろん勝負にもなりません。飛行場はあっという間に占領され、日本軍はジャングルに逃げ込みます。

陸軍は、急遽飛行場奪回のための部隊を差し向けました。ミッドウェー島上陸作戦に予定されていた歩兵第28連隊麾下1個大隊を中心とする、兵力2000名です。通称一木支隊と呼ばれます。彼等が乗っていた輸送船はあまりに低速のため、このうちの900人が高速の駆逐艦に移乗して、ガダルカナル島に先行しました。1個師団の米軍に対して圧倒的な小兵力ですが、彼等自身はそう思っていなかったのです。米軍上陸の時点では、日本側は米軍の兵力を比較的正確に把握していたにもかかわらず、その後根拠のない思いこみから敵兵力の見積もりをどんどん減らし、最終的に敵は2000人と見ていたのです。
一木支隊長が「ツラギ(ガダルカナルの隣の島で、同時に米軍に占領された)もうちの部隊で取っていいか」と上級部隊の参謀に問い合わせたというエピソードからも、彼等がきわめて気楽に考えていたことは疑いありません。
8月18日、一木支隊第一挺団900人がガダルカナル島に上陸しました。20日深夜に一木支隊と米軍が衝突、たった1日の戦闘で一木支隊は壊滅し、支隊長一木大佐は行方不明、生存者百数十名という結果になりました。

陸軍は、次いで歩兵第35旅団(川口支隊)を派遣します。兵力は約4000人。今度はジャングルの中に道を切り開いて、ひそかに飛行場に近づき、奇襲攻撃をかけるという作戦を考えます。発想は面白いのですが、肝心なことが忘れられていました。ガダルカナル島の地図がない、土木機械もないということです。地図もなくスコップとツルハシで密林に道を切り開けというのだから、こんなメチャクチャな話はないのです。案の定、攻撃予定日、多くの部隊はジャングルの中で自らの位置すら見失い、米軍と接触することすら出来ませんでした。わずかな部隊が米軍に攻撃をかけ、一時的に飛行場近くまで到達するものの、結局は撃退されて、再び作戦は失敗しました。

三度目は歩兵第2師団(丸山師団)が派遣されました。今度は、重砲と戦車も大量に用意し、火力で米軍を正面から打ち破る、という作戦です。しかし、それらの重火器をどうやってガダルカナル島まで運ぶかが問題でした。ガダルカナル島上空の制空権は米軍が握っていたからです。
日本海軍は戦艦を送り込んで飛行場を猛砲撃によって破壊し、米軍機が動けない間に輸送船を送り込もうとしました。輸送船は、ガダルカナル島まではたどり着いたのですが、米軍はほんの数機の戦闘機と爆撃機が生き残っており、それらの飛行機の爆撃によって上陸作戦の最中に輸送船の大半が撃沈されました。歩兵は上陸しましたが、重火器や弾薬、食糧は多くが失われました。

日本軍はそれでもまだ懲りず、今度は第38師団を送り込みます。前回成功した戦艦による艦砲射撃を計画しましたが、今度は米軍の艦隊に待ち伏せされて激しい海戦となり、派遣した2隻の戦艦とも撃沈されました。輸送船団は猛爆撃に晒されて、部隊はほとんど水没しました。

米軍機の爆撃によってガダルカナル島への輸送は困難を極め、食糧が不足して上陸した日本兵は飢餓地獄に陥りました。ガダルカナルの頭文字をもじって、「餓島」と呼ばれるようになります。恐ろしい、しかしきわめて正確な生命判断が流行るようになったそうです。

立つことの出来る人間は、寿命30日間。
身体を起して座れる人間は、3週間。
寝たきり起きれない人間は、1週間。
寝たまま小便をするものは、3日間。
もの言わなくなったものは、2日間。
またたきしなくなったものは、明日。

こと、ここに至って、日本軍もついに作戦の中止を決断しました。1942年12月のことです。実際の撤退は翌年2月。派遣された兵力は約3万人、撤退したのは1万人で、戦死者は2万人ですが、このうち実際の戦闘での死者は5000人程度で、残りの15000人は餓死者といわれます。
失った航空機は約900機、航空機搭乗員の戦死は2000人以上、戦艦2隻と軽空母1隻、巡洋艦5隻、そして艦隊の手足となる駆逐艦が15隻も撃沈されたことも致命的でした。日本軍は、ここて一挙に継戦能力をすり潰して、戦争の主導権を失い、そのまま敗北への道を転がり落ち続けたのです。

この島から撤退するとき、日本軍はそれを「目的を達したので転進」と発表しました。もちろん、実際には負けて撤退したのですが。終息してもいない原発事故を「冷温停止」などとうそぶいている首相も、やっていることは同じとしか思えないのです。


そうやって考えると、ガダルカナルの戦いと原発政策に奇妙な一致点があるように、私には思えます。根拠もなく敵を見くびり、「無敵皇軍」という神話に酔って手痛い失敗を犯したことです。放っておくと、もう一つ一致点が出来てしまうかも知れません。
ガダルカナルの日本軍は、一度失敗してもまた新たな部隊を送り込んで、またまた同じ失敗を繰り返しました。こういうやり方を「兵力の逐次投入」と呼び、「やってはいけない軍事の常識」の一つです。それを日本軍はやってしまった。いつまでも勝ち目のない戦いにこだわらずに、もっと早く撤退すべきだったのです。
原発も、一度手痛い失敗をしました。この失敗を取り戻すことは出来ませんが、今撤退すれば、更に失敗を繰り返すことは避けられます。しかし、今引き返さなければ・・・・・・。





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最終更新日  2011.12.16 23:13:57
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