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2013.10.20
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カテゴリ: 音楽
先週、私が甲斐駒ヶ岳に登っているちょうどその頃、福島県川俣町では、日本最大のフォルクローレのイベント「コスキン・エン・ハポン」が開催されていました。私は、1992年から2000年まで9年間と、一昨年と去年、合計11回このイベントに参加しています。
2000年を最後に長らくこのイベントからはご無沙汰していたのですが、一昨年は、震災と原発のことがあって、こういう時こそコスキンを応援しなくては、と思い、私自身は演奏しなかったのですが、見学のためだけに参加してしまいました。昨年は、私に声をかけていただいたグループ(広島のカスティージョ・デ・ロス・アンデス)があり12年ぶりにコスキンの舞台を踏みました。(私の担当はギターでしたが)
今年も、声をかけていただいたら一も二もなく参加したところですが、このグループが今年はコスキンには参加しない、とのことだったので、私も今年は山登りに行ってしまったわけです。

↓一昨年2011年のコスキン・エン・ハポンの演奏(前述のとおり、私の演奏ではありません)


ところで、この「コスキン・エン・ハポン」の第1回が開催されたのは、1975年のことです。フォルクローレ関係者(ま、かなり狭い世界の話ではあります)の間では、「第一次フォルクローレブーム」と言われた時代です。かの「コンドルは飛んでいく」をサイモンとガーファンクルがカバーして流行らせた直後の時代のことです。だから、来年が40回目ということになります。(私が初めて参加したのが18回目だから、時の流れを感じます)
実は、「コンドルは飛んでいく」が日本に紹介されたのは、サイモンとガーファンクルが初めてではありません。アルゼンチンのギタリスト、エドゥアルド・ファルーのアルバムに、確か「鷲は飛び行く」というようなタイトルで収められていたと、何かの資料(濱田滋郎氏の著作だと思う)で読んだ記憶があります。おそらく1960年代のことでしょう。1960年代から70年代初めにかけて、ファルーは何度か来日公演を行ったことがあります。

※この記事を書くために何気なく調べていて、エドゥアルド・ファルーが今年8月に亡くなったことを知りました。享年90歳、随分長生きされました。

1960年代から70年代初め頃は、日本でアルゼンチンの音楽が結構人気があったようです。もっぱら人気があったのはタンゴですが、それに付随して、アルゼンチンのフォルクローレも日本によく紹介されていました。
エドゥアルド・ファルー、それにアルゼンチン・フォルクローレ界の生き神とも言うべきアタウアルパ・ユパンキ(1992年死去)も、1964年から76年まで4回来日公演を行っています。


ただし、ケーナやサンポーニャ、チャランゴといった楽器がアルゼンチンで人気があるかというと、必ずしもそうではありません。アンデスのフォルクローレの本場はボリビアであり、平均的なアルゼンチン人から見れば「よそ者の楽器」です。

ただ、見た目のインパクトで言うと、ギターとボンボ(太鼓)だけで演奏する伝統的なスタイルのアルゼンチンのフォルクローレより、ケーナやサンポーニャなど見た目に風変わりな楽器を使うアンデスの音楽の方が、少なくともアルゼンチン国外では受けがいい。特に日本人にはそうです。だから、ギター一本で弾いたファルーの「コンドル」は一般にはそれほど知られなかったのでしょう。

私自身にしても、現在はアンデスのフォルクローレもアルゼンチンのフォルクローレも、どちらも好きだし、どちらも演奏していますけど、フォルクローレを知って最初のうちは、買ってきたレコードにケーナが入っていないと、何となくがっかりしたものです。

先に「コスキン・エン・ハポン」のことを書きましたが、このイベントの元になったのは、アルゼンチンのコスキン市で1961年以来行われているコスキン・フォルクローレ・フェスデイバルです。
日本のコスキン・フェスティバルはアマチュア音楽家の祭典ですが、アルゼンチンのそれは、開催期間1週間、毎日ゴールデンタイムに2時間全国ネットでテレビ放送されるという巨大イベント、もちろんプロの音楽家の祭典です。
音楽祭への出場権そのものが狭き門の上に、テレビ放送される時間帯の出演枠に誰が出るか、放送時間帯枠の一番最後の時間帯(テレビ放送としてのトリを誰が勤めるか)を巡って、日本の紅白歌合戦並みに毎年熾烈な争いがあると聞きます。
で、この音楽祭で、ケーナやサンポーニャを使う、いわゆるアンデス系の音楽が演奏されることは、皆無ではないけれど、多くはありません。

↓アルゼンチンのコスキン音楽祭のオープニングです。演奏者やアレンジは毎年変わりますが、この歌が毎年使われます。この年のアレンジでは、イントロとエンディングに少しだけアンデスの楽器が使われていますが、あくまでもごく一部だけです。


それに対して、日本の「コスキン・エン・ハポン」はほぼ真逆で、まず9割以上がアンデススタイルの演奏です。ケーナもサンポーニャもチャランゴも使わないという、アルゼンチンスタイルの演奏は、まあ全体の1割くらいでしょう。
前述のように、日本のコスキンはアマチュアの祭典ですから、演奏の腕前は千差万別です。ケーナ教室の発表会といったおもむきの演奏も結構な割合を占めます。

では、何でそういった楽器が本場のボリビアではなくアルゼンチンから世界に発信されたかと言うと、その時代(1960年代から70年代)のボリビアは貧しく政情不安で頻繁にクーデターがあり、音楽を海外に発信する力など、なきに等しかったからでしょう。




ボリビアのフォルクローレがアルゼンチン経由ではなく、直接日本に入ってくるようになったのは1980年代に入ってからのことです。特にインパクトがあったのは、おそらくカルカスというグループだと思います。

↓80年代末頃のカルカスの来日公演の映像です。このグループは現在も活動していますが、最近はエレキベースとドラムが加わり、この当時とは編成が少し変わっています。メンバーも半分くらい変わっている。


同じケーナやサンポーニャを使っていても、アルゼンチン経由のアンデス・フォルクローレとは雰囲気が違います。なんといっても、線の太さが違う。風の音色のようなか細い音をケーナの音だと思っていた時代、この太い音色は衝撃的でした。
ただし、じゃあアルゼンチン経由のアンデス音楽はダメかと言うと、そうでもない。私は、これはこれで捨てがたいと思っています。

とはいえ、1980年代以降、日本のフォルクローレ界はボリビア音楽に席巻され、アルゼンチン系はかすんでしまいました。私も、自分の演奏の出発点は明らかにボリビアの音楽です。私は節操がないので、フォルクローレと名がつけば、ボリビアでもチリでもペルーでもアルゼンチンでも、何でも演奏しますし、過去にはアルゼンチンのフォルクローレ舞踊の伴奏を専門にするグループに加わっていたこともあるのですが、一番得意で応用が利くのがボリビアの音楽であることは否定できません。演奏技量そのものが、ギターより管楽器の方が上、ということもありますけどね。


音楽市場としてはたぶん違います。フランスをはじめとしてヨーロッパ諸国では、昔からラテンアメリカの多くの音楽家が活躍していましたし、現在でもそうです。だから、「フォルクローレを聞く人口」は、日本よりヨーロッパや米国のほうが多いだろうと思います。が、演奏人口に限定すると、ひょっとしたら・・・・・・、ちゃんと検証していないので、確たることは言えませんけど。





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最終更新日  2013.10.21 00:18:48
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