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2015.10.24
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
旧日本軍「幻の150トン戦車」 極秘の設計図発見


図面や仕様書、試作車の報告書や作業日誌が近年、古書市場に出た。軍用車両の研究家で知られる精密模型メーカー「ファインモールド」社長が入手し、復元模型づくりを進めている。

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日本軍がそんな凄まじい戦車を開発していたとは、私は知りませんでした。
150トンと言えば、ドイツが試作した重戦車マウス(180t)に匹敵する大きさです。ただし、そのマウスは2両だけ完成したものの、あまりに重すぎてまともに動かすことができませんでした。1両は試験場に放置され、もう1両はベルリン攻防戦に出動したものの、前線に着く前に故障で動かなくなり、やはり放棄されています。
当時70t以上のティーガーII型戦車を運用していたドイツ軍でさえ、180tという巨大戦車をまともに扱うことはできなかったのです。まして日本軍が当時運用していたもっとも重い戦車は15tの97式中戦車です。「中戦車」という名前ですが、米英ソ独の当時の中戦車の水準からは大きく立ち遅れており、実質的には軽戦車に過ぎませんでした。なぜ日本がそんなに貧弱な戦車しか開発できなかったのか。当時の陸軍の戦車に対する認識が甘すぎたこと、技術水準が低かったことと並び、社会インフラの水準による制約というものがありました。つまり、ティーガー戦車を当時の日本に持ち込んだって、重すぎて道路や橋の強度を超えており、まともに走ることができないし、クレーンの吊り上げ能力の限界もあるので、輸送船に積み込むことも難しかったのです。

もっとも、ドイツ自身だって、ティーガー戦車は戦闘で破壊されたものより、戦場に着く以前に故障や地形に足をとられて動けなくなって放棄されたものの方がはるかに多いといわれます。70トンという重量は、現在の戦車より重いのです。(現在のドイツのレオパルド2とか、米国のM1A1、イギリスのチャレンジャーなど、いずれも60t台前半)それでいて、エンジンはたった700馬力(現用戦車は1200から1500馬力程度)なのだから、そりゃすぐ動かなくなります。

もちろん、日本軍が150t戦車を製造したところで、まったく使い物にならなかった、そもそも戦場まで運ぶこと自体がほぼ不可能だったことは想像に難くありません。道路を走ること自体が、可能だったのでしょうか。まして、路外でまともに機動できるとは思えません。泥濘にでもはまったら、それっきりでしょう。
だいたい、復元図を見ると、この戦車は多砲塔戦車なのです。 Wikipediaの記事 によると、主砲は九二式十糎加農砲(実口径105mm)、副砲に47mm戦車砲(当時日本軍の主力だった97式中戦車改の主砲)を装備したそうです。
通常の戦車は、主砲を1門だけ登載しています。他に機関銃や発炎筒なども搭載していますが、「砲」と呼べるものは1門です。しかし、第二次大戦以前には、主砲を複数持つ戦車もありました。たとえば、史上最初の戦車であるイギリスのマークIは57mm砲を2門装備していました。しかし、複数の砲塔を装備することはデメリットのほうが大きく、戦車黎明期の第一次大戦ではともかく、第二次大戦ではもはや時代遅れの産物でしかなかったのです。1930年代ならともかく、1941年開発なのに多砲塔戦車とは、かなり時代錯誤的だったといわざるを得ないでしょう。






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最終更新日  2015.10.25 09:55:29
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