inti-solのブログ

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2017.08.02
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カテゴリ: 医療・衛生
読売新聞の大誤報「第五福竜丸」


この件については病理解剖の詳細なデータがあり、少なくとも久保山の死因が死の灰ではないことは100%確実である。したがって読売新聞の大スクープは誤報であり、専門家もそれを指摘してきた。しかし読売はそれに答えず、いまだに「語り継ぐ 福竜丸被曝60年」といったキャンペーンを張っている。
慰安婦問題と同じく、いったん世界に広がった誤解を解くことは容易ではない。政府がやると「隠蔽工作」などと疑われて逆効果になることも、慰安婦で経験した。世界の誤解を解くには、まず読売がみずからの報道を検証し、第五福竜丸事件の真相を明らかにすべきだ。

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「反・反原発派」の新自由主義礼賛者池田信夫が、相変わらずの主張を繰り返しています。背景を無視して現象の一断面のみを切り出して、「久保山の死因は放射能じゃない」と言い募るのは、「木を見て森を見ず」ということに尽きるのではないかと思います。

確かに、久保山の直接的な死因は、輸血によって肝炎ウィルスの感染した頃による肝障害である可能性が高いと、現在では言われています。
だけど、それを言うなら、癌だってインフルエンザだって、その他の多くに疾病だって、最後の最後、直接的死因は心不全だったり肺炎だったり、老衰だったりすることは多々あります。それと同様のことでしょう。
池田は簡単に、「東大病院の過誤」と書いていますが、これは特定の医療機関の過誤責任に帰する問題ではありません。1950年代当時、輸血に使用する注射器はおろか、注射針ですら、使い捨てにはしていませんでした。殺菌はするものの、複数の患者で使い回しが普通でした。また、輸血用の血液も、現在のような献血ではなく、売血、つまり血を売ることが多かったのです。そのような医療環境の下で、輸血を通じて肝炎やその他のウィルスに感染することは、いわば不可避だったのです。それは、どこの医療機関でも同じです。強いて言えば、そのような状況を許してきた当時の厚生省の責任でしょうし、突き詰めれば注射器1つ使い捨てにするだけの医療費を投入できなかった当時の日本の貧しさ、無償の献血では輸血に必要な血を賄えず、金銭を対価に払わなければ血液が確保できなかったという当時の日本の状況の問題です。

しかし、それでも、必要に応じて輸血は行われてきたし、それによって何らかの疾病に感染して、それですぐ死ぬ人が大勢いたわけではありません。にもかかわらず久保山は亡くなった。普通だったら死ほどではないのに、放射線障害によって免疫力が落ちていたことが原因であろうことは、容易に想像できるでしょう。
では、輸血をしなければよかったか?もちろん、輸血をしなければ肝炎ウィルスに感染することはなかったでしょうが、放射線障害で造血機能に異常をきたしている状況で、輸血なしで生命を維持できたのでしょうか?それはそれで、死者が出たのではないでしょうか。ひょっとしたら久保山ではない別の人だったかもしれないけれど。
私は医者じゃないし、もし医者だったとしても、その場で診察に立ち会ってでもいなければもし輸血をしなければどうだったか、何てことは分からないですが、(感染症のリスクがあっても)輸血が必要だ、と考えた当時の医師の判断を、誤っていると考える根拠は何もありません。

結局、現在の医療水準だったら、久保山は命を取り留めたかもしれないけれど、当時の医療水準ではどうしようもなかった、ということに尽きるのではないでしょうか。大量の放射能で免疫力が失われていなければ、輸血で命が失われることもなかったし、そもそも輸血を受ける必要すらなかった、ということを考えれば、最後の直接的死因が肝炎だったとしても、そんなことは問題の本質ではなく、久保山は放射線障害で亡くなった、というのが本質でしょう。


もっとも、池田信夫がこの種の「木を見て森を見ず」の論法で本質を偽ろうとするのは、今回に限ったことではありませんが。





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最終更新日  2017.08.02 19:00:03
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