ジョナサンズ・ウェイク
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1
あなたはびっしりと並んだドアを前にして途方にくれるだろう。扉、扉、扉・・・。すべてのドアを開けるのは、一生かかっても無理かもしれない。それは、満天の夜空に散りばめられた星を一つ一つ数え上げるぐらい大変なことだ。 試しに、と、あなたは一つのドアを選択する。鍵はかかっていない。扉はスーッと音もなく開いた。 ドアの中に入ると、男が服を着たままベッドに横たわっていた。体格の良さが服の上からでも分かる。何せ男は元ヘビー級のボクサーだったのだから。 「何の用だい?」 あなたは、男が殺し屋に狙われていることを知っていて、町から逃げ出すように説得する。 「おれはただ」壁に向かって、男は言った。「外に出ていく踏ん切りがつかなくてな。朝からずっとこうしてるんだ」 あなたは、二言三言ことばをかけると、男の代わりにドアへ向かう。扉を閉めると、先ほどと変わらず、扉が幾列にも静かに並んでいた。まるで誰かに開けられるのを太古の昔から待っていたかのように。 二つ目の扉の向こうは、太古の世界だった。強烈な陽光が、丈高い草におおわれた、広々とした草地を照らしている。あなたは、魂を奪われたように湿原を見つめる。シダの葉のあいだを、恐竜たちがゆっくりと移動している。カモノハシ竜のおだやかな啼き声が響きわたる。べつの群れは悠然と岸辺を動いている。 だしぬけに、周囲のいたるところから、血も凍るすさまじい咆哮が降りそそいできた。茂みが荒々しくゆれている。そこに、襲いかかってくる巨大な動物の姿がちらりと見えた。あなたはすぐさま背を向け、一目散に逃げ出す。純粋なパニックで、体中にアドレナリンがあふれ出す。どちらに逃げたらいいか分からない。唐突に、なにか重いものに背中のバックパックを引き裂かれ、がくっとひざをつく。その時、あなたの目の前に扉が飛び込んでくる。 パタンと扉を閉じると、同時に恐ろしい獣の姿も霧消した。あなたは、激しい鼓動の高鳴りとともに心地良い昂揚感さえ覚えている。大冒険のあとにもかかわらず迷わずに扉を開き、足を踏み出す。 扉の先は地獄であった。燃えさかる火の中では絶世の美女が、炎と黒煙とに責められて悶え苦しんでいる。あなたは女の断末魔の叫びを聞いて、恍惚とする。この世のものとは思えない異常な美しさに、あなたは恐れと哀しみと驚きに包まれる。火の柱が星空に突き上がる。 見上げた空からは、きらきらと輝く一筋の細い糸が、垂れている。あなたは、地獄から逃げ出そうと、必死に糸をたぐり上へ上へと這い上がる。ただひたすらに昇り続ける。「あの人を殺してください」 ふいに女の憎むべき、呪わしいことばが、あなたの耳に触れる。 言霊は、あなたを嵐のように、遠い闇の底へ、真っ逆さまに吹き落とす。落ちる・・・ 墜ちる・・・ 堕ちる・・・ ぱっくりと口を開けた地獄の扉があなたを呑み込む。 扉の部屋へ戻って来たあなたは、また新しい扉を開ける。開いた扉はあたかも両手を広げてあなたを迎え入れているようだ。扉の向こうには、さらに開いた扉が待ち受け、その扉の向こうにはまた他の扉が、扉が、扉が、扉が、果てしなく彼方へと続く路を作りあげていた。あなたは走り始める。 すっすっはっはっ。険しい山道を走る。すっすっはっはっ。あの夕日が沈むまでに町へ戻らなければ。すっすっはっはっ。走れ。すっすっはっはっ。走れ。 扉の境の、長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。さらに、扉をくぐると、そこは火星だった。(火星人はネリリし、キリリし、ハララしていた。)あなたは、くしゃみをして扉を抜ける。猫がいた。まだ名前のない猫は、にゃーにゃー鳴いていたが、あなたは猫のことばを解する。何やら小難しい猫の文明批判に耳を傾けながらまた扉をまたぐ。不思議な島の小さな畑であなたは、喋る案山子と話をする。「すべては神のレシピに書かれた通り」次の扉で時を越える。千年後の日本。時をさかのぼる。一九八四年。扉。光るかもめが優雅に飛び去る。扉。草原が燃え武将達の怒号と矢の雨が降りそそぐ。扉。コインロッカーから赤ん坊の歌声が。扉。あふれる叡智が。扉。叫びが。扉。しあわせが。扉。ちゃぷん。古池に蛙が飛び込む。深い静寂。 どこまでも続く、扉、扉、扉・・・。 あなたはびっしりと並んだドアを前にして心を躍らせるだろう。あなたさえ望めばどこへだって行ける。あなたが願えば何にだってなれる。あなたが想像すれば、未来や過去へも飛んで行ける。人生は一度きりだが、扉を開けば何度でも人生を生きることができる。 手のひらサイズの扉たちは、いつだって、あなたの指に開かれるのを待っている。扉の先に広がる物語の世界は、あなたを夢中にさせるに違いない。そして、扉を閉じたとき、あなたは今までに見たことのないような、素晴らしい景色を目にするだろう。
2011.02.07
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