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純純の好きな映画監督に岩井俊二がいる。この監督の作品に「UNDO」という作品があるのだが、ご存知の方はいるだろうか?ある日、妻の萌美が様々なものを縛り始める。最初は夫の買ってきたペットの亀。そしてサボテン タワシ 時計など、、、セラピストは言う。「何か強迫観念のようなものでしょう。自分が縛られているというような」夫は言う.「縛られているんじゃなくて、むしろほどけているんだとおもいます。僕らの生活にしたて、前よりずっとほどけてるし」結局ほどけてるのか縛られているのかはっきりしないまま、萌美の症状だけが悪化していく。緊縛症の末期になった萌美はやがて縛れないものを縛りだす。水道の水 石鹸の泡 蛍光灯の光 暗闇 午前中 午後土曜日とか日曜日 四月とか五月セラピストは言った「そうなったら患者を縛ってください。縛りたいというのは縛られたいという感情の裏返しなんです。縛られることでいくらかの安心感が得られるでしょう」言いつけどおり萌美をロープで縛り上げる。ところが、、、「ねえ ちゃんと縛ってよ」「ちゃんときつく縛ってよ」今度は跡が残るくらいきつく縛った。「ねえ ちゃんと縛ってよ」それ以上構う気になれず、萌美を放っておいた。翌朝目を覚ますと、夫はベッドの上でがんじがらめに縛られていた。そして床の上に縛られて転がっていたはずの萌美の姿はなかった。「UNDO」という作品、観てもらえればわかると思うが、人によって様々な解釈の仕方があると思う。純純的解釈としては、萌美はきっと色々なものを縛ることで、ほどけかけた自分たちの関係をそれになぞらえたかったのではないかと思う。だがそんな行動に自分が縛られた時、自分を自らほどき、二人の関係もほどいてしまったのではないか。そう思うのである。ほどけかけた関係を元通りに縛りたくなる気持ならよくわかる。だがあまりに強く紐を縛ろうとすればやがて切れてしまうのと同様、大切な相手への強すぎる縛りつけは逆効果となり、かえって関係がほどけていくことの始まりになってしまいはしないだろうか?束縛と拘束は違う。大切な人をいつなんどきも、手元に置いておきたいという気持ちはわかるが、その大切な人の行動や思想、考え方を拘束することは相手にとっては愛情ではなく、苦痛にしか感じられないだろう。相手を縛りつけて自分以外の世界を見せないことにより自分を相手にとっての一番だと思わせることよりも相手を縛りすぎず、相手の中の世界と自分を比較させてもなお、自分を一番だと思わせることができるよう、自らを高めていくことがなにより大事なのだと思う。ほどけないための最善の手段はきつくきつく縛ることではない。最初から縛らないことだ。縛らなければほどけることなどありえない。縛るからこそほどける。もっとも、、、多少なりとも縛りあわなければ相手の気持ちすら確認し確信することができない、それが人間の悲しいさがではある。だから世の中別れる男女が後を絶たない。大切なのは自由と束縛のバランスだとつくづく思う。
2003.11.30
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今日はネットの友達3人と共にすし屋でオフ会!ネット友達のうちの一人の友達が東京の大森に寿司屋を開いたそうで、そのお祝いもかねて寿司屋オフ会となったのだ。待ち合わせはJR大森駅。と思ったら、友達のうちの一人が京浜東北線の人身事故に巻き込まれたらしく、集合時間に遅れるらしい。もっとも時間にルーズな純純さん、みんなにくらべて家が大森に近いこともあり、車でむかったのだが、国道15号線が混んでる混んでる!!まさか平日の午前中にこんなに混んでるとは思わず、渋滞に巻き込まれ、純純さんも遅刻決定!!('0ノ'*)オーホホッさてそんなこんなで無事大森駅で待ち合わせをはたした純純を含め4人。そのうちの二人は以前にも何度か会ったことがあり、遊びに行ったりもしている。もう一人はネット上ではメッセンジャーなどを介してよくしゃべっているので、実際には初対面なのだが、思ったより緊張せず話すことができてほっと一安心♪♪♪4人で純純運転の車に乗り込み、その寿司屋へと向かう。ネット友達の人間ナビに多少不安を感じつつも、到着♪国道に面した、こじんまりとした造りながら、小奇麗な感じのよさげなたたずまい♪友達の友人の奥さんとその旦那さん、そしてもう一人若い職人の男性の3人で切り盛りしているらしい。寿司屋の奥さんに久々に会って旧交を温める友達を尻目に、早速注文♪これがまた、、、非常に絶品ナリ♪♪ 滅多に手に入らないというプチ幻の一品までいただいてしまった♪一緒に行った友達がサーモンを注文すると、職人の男性いわく、カウンターのガラスケースに入っているサーモンの切り身に見えたものを指し、「これはサーモンじゃないんですよ」とのこと!!なんでもそのサーモンらしき切り身は「鮭児(けいじ)」 というものらしく、まぁ要するに鮭は鮭なのだが、一万匹に一匹程度しかあがらないという、極上の品なのだそうだ。さっそくみんなそれにとびつき注文!!口に入れてみると、、、「うめぇぇぇぇぇ~~~!!」うまいよ!!実にうまいよ!!たっぷりと脂がのっていて、目をつぶって食べたら大トロでも食べているんじゃないか?!というくらい!寿司をつけた醤油にその脂が浮くくらいのこってり感♪こりゃ幸先よいです♪いくらはプチプチと弾力に富み、歯ごたえがすごい!たこの足は目の前で吸盤を切り落としさばく。よくある安物のたこのように噛み切れないなどということがなく実に食べやすい♪甘エビは身が大きく、今までみてきた甘えエビの1.5倍はありそう!プリプリの身は甘えびの名のとおり、ほんのり甘い♪あぶりホタテはほんのり柚子か何かの柑橘系の香りが心地よい♪鯖 鯵 鮪 海栗 天然物の鯛も実にいい味♪シャリの握り具合も固すぎずやわらかすぎずの加減で絶妙♪普段行きなれている回転寿司屋も回転寿司の割にはなかなか美味しい方だと思うが、さすがに本当の寿司屋の味は違う♪満足♪満足♪(>m<)ウププッまぁ、さすがにいいネタを使っているだけあって、値段もそれなりに張り、4人でしめてン万円だったが、あんなに美味い寿司なら、ボーナスの入った時にでもぜひもう一度行ってみたいものだ♪それまでは行きつけの回転寿司で我慢します^^:今日一緒に寿司オフに行ったみんな、またこういう機会をもうけて美味いものでも食べに行こう♪その時はオイラに、、、おごってください♪おごるべきだ!いやむしろおごれ!!(-公-)y-~~~
2003.11.26
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うちの店のレジバイトのA嬢。熱が出て仕事を早退したのだが、その帰りにちょっとした事故に巻き込まれたらしい。自転車で信号を渡ろうとした時に、赤信号で突っ込んできた車に危うくひかれそうになり、転んでしまったらしいのだ。運転手の男は「危ねぇだろ!ちゃんと信号見ろ!」などと言ってきたらしい。むかついたA嬢、逆に言い返した。「そっちが信号見てないんじゃん!今赤信号だし!すぐそこに交番あるから警察入れて話しましょう」するとその男、「生意気言ってんなよ!ふざけるな!」と捨て台詞を吐いて逃げて行ったそうだ。自分が悪いのに相手を逆恨みするような、そういう人間、あるいはそういう人間がおこす事件が最近多いような気がするのは自分だけではないだろう。事件や事故の被害者にはなりたくない。それ以上に加害者にはなりたくない。そしてそれ以上に自らの非を認められないような人間にはなりたくはない。
2003.11.24
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本屋で見かけて思わず手にとってしまいたくなるような、、、そんな本をみつけたことはないだろうか?つい最近純純もそんな本を見つけた。陳淑芬と平凡という作家の画集「藍調(Blue Note)」だ.これは日本の作家の坂本祐二という人の話と陳淑芬+平凡の共同画集なのだが、この絵を見てもわかっていただけるように、本当に生きているかのようなその絵に思わず心を惹かれてしまった。水彩画のように見えるが、オールCG、つまり全てコンピュータで描かれたものだという。 これまでにも色々な人の人物画を観たことはあるが、これほどみずみずしさにあふれた絵はみたことがない。貧乏純純なのに立ち読みでは飽き足らず、思わず「藍調(Blue Note)」を衝動買い!みればみるほどその表情の豊かさが目に焼きつく。とても美しく、ある意味人間離れしているような部分もあるのに、どこかにいそうな、そんな人たちの絵、、、CGで描かれた絵に偏見を抱く方もいるかもしれないが、本屋で見かけたらまず手にとって見てみてほしい。
2003.11.15
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「東に向かって○歩 そこから北に向かって○歩の場所に○○が埋まっている」一昔前の冒険小説や物語、はたまたRPGなどでおなじみのこの言い回し。これをヒントにして見つけた地図やヒントとなるアイテムから冒険の舞台が飛躍的に広がっていくのがこの手の話の常だ。しかし子供の頃にはなんの疑いもなく受け入れていたこの言い回し。自分が歳を重ねるにつれ、違和感を感じるようになっていった。人それぞれ個性があるように、歩幅だって違うはずだ。身長180cmの男性と身長160cmの女性だったらその差は明らかなのは目に見えている。歩幅の差も考えずに、そんな二人がもし一緒に冒頭のようなヒントをもとに宝探しをしたとしても見つかるはずはない。最近ネットの女友達から、付き合っている人とうまくいかないという相談を受けた。自分は会えないとさみしいのに、相手はそう思っていないんじゃないか?そういう態度や雰囲気を相手から感じてしまうらしい。そして不安になった時にその気持ちを相手に言えないまま抱え込んでストレスを抱えてしまうのだそうだ。その相談を聞いているかぎり、その相手の人は良くも悪くもわが道を行く!という感じで、女友達に自分を合わせるつもりがまったくといっていいほどないのではないか?と思えた。もちろん自分を持ち続けるというのは大切なことだ。相手に合わせて自分の全てを変えてしまうのは愚かなことだ。だが子供の頃なら相手のことまで考えずに自分の行動を貫くことはちょっとしたわがままで済むかもしれないが、子供から成長し、一人の人間として人と付き合おうとしたときに、多少なりとも相手の価値観に自分を合わせることは必要不可欠ではないだろうか?人との付き合い、特に男女の付き合いはよく二人三脚にも例えられる。歩幅の狭い者が歩幅の広い者に歩幅を合わせることはなかなかに難しい。だが歩幅の広いものが狭い者に合わせることは、ちょっと窮屈かもしれないができなくはないはずだ。歩幅を合わせ、相手のことを気にかけ、相手の求めていることに少しでも気を止めようという心があるならば、「東に向かって○歩 そこから北に向かって○歩の場所に○○が埋まっている」というヒントで宝物を発見できた、冒険物語の主人公同様、「共に歩むに足る相手」という大切な宝を手に入れることができるに違いない。
2003.11.04
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