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今年最後の日記。今年365日目の日記。最後の最後の日記。泣いても笑っても2006年最後の日記。夕方、今年最後の夕陽を見るためにJR温泉へ行く。最後の最後に雲があって、海には沈まなかった。でも、きれいな夕陽だった。温泉は、これまでで一番混んでいた。今年最大の出来事は、365日、日記を書き続けたこと。今年は、後にも先にもこれしかない。今年の最優先課題を見事にクリアー。クリアーできれば、次へ進める。来年は同じことをする必要はない。来年は、また新しいことにチャレンジする。何をやるかはわからない。それは来年になってから。ガイドとして多くの人に会った。ネットを通しても多くの人に会うことができた。とても楽しかった。ありがとう!日記を読んでくださった方、屋久島ナチュラルヒーリングの写真を見てくださった方、コメントを書いてくださった方、重ねて、ありがとう!たいへん充実した1年だった。今年は、日記を書くことが人生だった。実に充実していた。何も悔いはない。今年は終わった。次は来年。今年はパーフェクト。すべてリセット。『一年の 別れを告げる 最後の日 夕陽を眺め 名残を惜しむ』『一年を 通して日記 書き通し 自分の中が 整理整頓』『途中から 短歌を添えて 書くように なって短歌が たくさんできた』『もう何も 言うことはない もうこれで やるべきことは すべて尽くした』『すばらしい 一年だったと 総括を すればすべてが すばらしくなる』『日記書く 今年の課題 クリアーし すべて完了 すべてリセット』これが729日目の心境です。
2006.12.31
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9時45分に宮之浦のトッピー乗り場に迎えに行く。今日は久しぶりに仕事。昼食を買って、木霊の森へ向かう。途中で九州本土の開聞岳が見えた。しばらくぶりの木霊の森は、とても新鮮だった。昨日まで激しい雨が降っていた。今日は快晴。極めてさわやかな木霊の森。ヤクジカが三頭、のんびり苔を食べていた。お客さんが持参のオカリナを吹く。ヤクジカはこちらを見つめたまま、じっと聴き入っていた。オカリナの音色は、鳥の声と似ていた。お客さんは、高崎市で精神科のクリニックを開業しているとか。もう一人は、そこでヨガを教えているらしい。クリニックの予約は半年待ちらしい。極力薬を使わないで、アロマや水晶など、いろいろ活用しているようだ。そのようなトータルな医療が、これからもっともっと発達していくだろう。時代は、薬から波動へ変わりつつある。波動やエネルギーで癒すようになる。その際、いろんなものを活用すると、その人に合えば劇的な効果が現れる。二人は、原始の森に大喜び。冬にしては暖かかった。二人が食事をしている間、こちらは森の奥の方で・・・大きな声で歌っていた。こんなことは初めて。よほど気持ちがよかったのだろう。今日の木霊の森は、なぜかとても懐かしく、親しかった。久しぶりだからだろうか。自分と木霊の森との間に違和感がなく、なんとなくひとつに溶け合っている感じ。ここが自分のホームグラウンド。シカ達ともまったく違和感がなかった。仲間や友達感覚。木霊の森の一番奥は、最も波動が高い。滝の流れが気持ちいい。大きな屋久杉の切り株の中に入ると、あたたかい。屋久杉は、いろんな意味で大きい。不老長寿の水を汲み、抹茶のソフトクリームを食べに行く。水晶が生えているところを見たい二人を、水晶海岸へ連れて行く。高崎には海がない。目の前に広がる海に喚声!断崖の一番先端まで行って、海を見下ろす。海は透明。波もなく穏やか。釣り人が何人かいた。ポストカードがほしいとのことで、自宅に寄る。29枚のポストカードをリクエスト。ちょうど在庫があってよかった。その場で、手を見せてくださいと言われた。手を見ながら、いろいろ話してくれた。どうも女性の方は霊感があるらしい。極めてクリアーだと言われたことには驚かなかったが・・・将来、仏像を造ります?屋久杉などに光を入れるらしい。それを手にした人は、内なる光に目覚めるとか。まったく予想外のことを言われて、何とも返事のしようがなかった。光に満ちたポストカードなら、来年作るつもりだが・・・最後に、水晶が好きな二人をパワーストーンの店に連れて行く。ちょうど社長がいて、いろいろ話してくれた。こちらは、アパタイトの小さなものを購入。彼女は、フローライトの大きな結晶を買った。店を出ると、辺りは暗くなっていた。急いでシーサイドホテルへ送る。また来ますと言う言葉と共に別れる。今度は暖かい季節に来るとのこと。しばらく里にいて、久しぶりに森に入ると、自分の波動が森と似ているのに気づいた。いや、森と似ていると言うより、何もない感じ。森に行けば森になり、里にいれば里になる。だんだん自分がなくなりつつある。日記のタイトル通り、徐々に無色透明に近づきつつあるのだろうか。そのうちに透明人間になってしまう?そうなったら、もう宇宙人?でも、まだしばらくは地球人。肉体にあるうちは、地球人を楽しもう。やがて、肉体から抜ける。やがて、意識だけになる。意識は自由。何の制限もない。自分で制限しない限り、いかなる限定もない。自分だけが、過去だけが自分を縛る。それ以外に縛るものはない。自分自身の意識の成り立ちを理解すれば、その縛りは解ける。自縄自縛。無意識の制限。無自覚なだけ。すべてを意識化し、理解する。明確に意識し、はっきりとわかる。わかれば、そこに自由がある。思い込みが解ける。幻想からリアリティへ。思い込みから事実へ。時代はクリアーになりつつある。意識は更にクリアーになっていく。『屋久島の 森に入れば 森となり シカに出会えば シカは友達』『違和感が 何もなければ 目の前に 森が広がり 自分は消える』これが728日目の心境です。
2006.12.30
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屋久島は、今日も風が強い。昨日もフェリーが欠航した。今日もたぶん欠航だろう。帰省客に影響が出るかもしれない。今日は、最後の燃えるゴミの日。溜まっていたものを全部出す。水晶が届いた段ボールなどがあった。ポストカードの用紙やインクが入っていた箱もあった。新聞は、とうとう読むのを諦めた。2ヶ月分溜まると、さすがに読む気力が起きない。最近は、ほとんど新聞を読まなくなった。それで特に困ることもない。明日、ビンや缶の最後の収集がある。それらを出せば、かなりスッキリする。カレンダーを入れるクリアーケースが、まだ150個ほど残っている。置き場所に困ったが、なんとか収まった。整理が進んで、年末ムード。明日、もう一日だけ仕事が入っている。でも、気分は新年に向いている。今年はもう終わった感じ。あと2日分日記を書けば、完全となる。365日、完璧に書いたことになる。今年は日記に尽きる。日記に始まり、日記に終わる。書くことによって、精神的にはこれまでになく充実していた。ほぼスピリチュアルに生きた1年。仕事よりも何よりも、今年は日記だった。日記を通して、自分自身がクリアーになった。書くことによって、これまで曖昧だったものが明確になった。自分の中が整理整頓され、余計な摩擦が消えた。エネルギーが、これまでにも増してスーッと通るようになった。何も問題はない感じになっている。書くことによって自分自身を理解し、人間を理解し、人類を理解した。人の意識の成り立ちを更にクリアーにわかった気がする。自分を見守る意識も定着した。いつも静かに見守っている。すばらしい体験もあった。歓喜に涙したこともある。愛があふれ出たこともある。意識が澄み切ったこともある。多くの人に読んでもらい、書き込みをしてもらい、書くきっかけをいただいた。お互いのコミュニケーションによって、理解は更に深まった。自分一人ではない。共同作業。共に理解を深め、共に意識を深化させる。そういう約束の下に生まれてきている。みんなで新しい時代へ向かう。一人ではない。人間理解の基本的なことは、今年で書き終わった気がする。思考にまつわる様々なことを書いてきた。既に何度も書いたものもある。ほぼ書き尽くしたのではないだろうか。来年からは、懇切丁寧路線を改めて、シンプル路線でいく。エッセンスだけの日記にしたいと思っている。「いのちの島=屋久島」のように。読みやすくていい。楽に書いていきたい。読む方も楽に読めばいい。重たいテーマも楽に理解する。そんなに深刻になることはない。もう深刻な時代は、どんどん遠ざかっている。これからは更に軽くなる。軽やかに生きる時代。さわやかに生きる時代。新しい年が始まれば、新しいエネルギーが流れ込む。更に新しい時代に一歩近づく。時代はどんどん明るくなってきている。光が強くなってきている。時代の光に照らされて、人の意識も輝き出している。内にあった光が、外に出ようとしている。これまで秘められていたものが、明らかになろうとしている。光の時代へ、すべてが着実に向かっている。『日記書く ことで1年 真剣に 自分見つめて 生きてこられた』『真剣に 見つめて書いて 一年を 過ごせば心 カラカラカラリ(空空空り)』これが727日目の心境です。
2006.12.29
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屋久島は、寒くなっている。昨日まで暖かかったのに・・・でも、正月になれば、また暖かくなりそう。最近は気候がコロコロ変わる。1月の水晶祭りに出す水晶たちの解説文を、ぴあのさんに送った。これで水晶たちが自分の元から遠くなった感じ。逆に、美しさは一段と増している。それぞれが旅立ちの準備に取りかかっている。昨日、海と川で浄化して、本当に美しくなった。今日は解説も確定して、更に輝きが増している。いつものことながら、だんだん手放すのが惜しくなる。惜しまれながら去る水晶たちは幸せだ。最後は美しく去っていけると、すばらしい。終わりよければ、すべてよし。確かに、その通り。有終の美とも言う。今年もいよいよ秒読みという感じになってきている。官公庁は今日で御用納め。年末年始の休暇に入る人も多いだろう。1年が終わろうとしている。1年が終われば、また新しい1年が始まる。終わりがあれば、また始まりがある。延々と続く循環。その中に区切りをつけ、印象を刻む。それが記憶であり、歴史となる。区切りをつけなければ、すべては同列に並んでいる。前後関係なく、同時に存在する。それが時間のない世界。人は時系列に物事を整理している。しかし、時間がなくなると、すべては同時に存在する。宇宙ではすべてが同時に存在している。時系列は人間界だけ。時間がなくなれば、ただ今があるだけ。永遠の今があるだけ。今この時があるのみ。今も実際はそうであるように。時間は、観念の中にだけある。目に見えるところにはない。ただ記憶の中にのみ存在する。区切りであり、決まり事。永遠の今の中で、限られた時間を生きる。時間の制約の中で、永遠の今を生きる。時間の中だけで生きると、息苦しくなる。時間を外すと、ゆったりと生きれる。自然と共にあれば、時間はない。ただ永遠の今があるだけ。始まりもなく、終わりもない。最初からすべてがあり、今もすべてがある。そういう空の次元の中で、有限の色を生きる。時間という色を生きる。色だけにこだわると、儚(はかな)い人生になってしまう。空だけでは現実から遊離してしまう。色と空とバランスよく生きることだろうか。空の中で色を楽しむことだろうか。空だけでも、色だけでもつまらない。今ここは、すべてが同時に存在している。『永遠の 中で時間を 生きてみる それが人生 人物語』これが726日目の心境です。*「720日目 - 動くな!」 も同時にアップしました。*「719日目 - 現実」 も同時にアップしました。
2006.12.28
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今日は久しぶりに朝から晴れた。気温も低くなかった。それでは、水晶の浄化へ行こう!今日を逃せば、またいつ行けるかわからない。最近は満潮と波動が合っている。今日も満潮に近く、大波が打ち寄せていた。水晶を入れたザルを海中に置いておくことはできず、手に持っての浄化。最近はこのパターンが続いている。川の方は、冷たいと感じたのは最初だけ。慣れると、ぜんぜん問題ではなかった。サンダルを脱いで裸足になる。川の中の大きな石の上に座り、水晶を一つ一つ丁寧に浄める。数がたくさんあるので、全部終わるのに軽く1時間以上はかかる。それでも、自宅にある水晶の三分の一は持って来れなかった。1月の水晶祭りに出すものと、最近届いたものを中心に持ってきた。是が非でも浄化したかったヒマラヤ2007も、もちろんある。本当はヒマラヤ2007を浄化したかったので、わざわざ来たみたいなもの。未浄化のまま2007年の元旦を迎えるわけにはいかない。2007年のkimi宅の柱になる水晶。2007年のキミタクを支える水晶。海と川との浄化によって、ヒマラヤ2007は見違えるようにきれいになった。ピカピカ、キラキラ!既に自宅に来て、だいぶ時間が経っている。この間、太陽や大きなクラスターでの浄化は何回も受けている。それなりにきれいにはなっていたが、何と言っても海と川の浄化力はすばらしい。海に浸かると、一瞬にして浮き世の垢が溶ける。川の流れに浸せば、余計なものは流れ落ちていくしかない。本来のピカピカのヒマラヤ水晶に戻る。ガネーシュヒマールから何人もの手を経て屋久島へやって来た。その間は浮き世の垢を吸収し、浄化している。この水晶に関わった人は浄化されただろう。しかし、この水晶は余計なものを吸収してしまった。屋久島の自然によって本来の状態に戻す。ヒマラヤに存在していた時のような輝きに満ちた状態に還ってもらう。そして、来年のキミタクを支えてもらう。家の柱になる水晶。実は、家の柱になる水晶は、もう一本ある。それは巨大なシトリン。これもヒマラヤ2007に負けないくらいすばらしい。これは2008年を支えてくれることだろう。名づけて、シトリン2008。これも家の柱となりキミタクを支えるのだが、来年の主役はヒマラヤ2007。シトリン2008は、次の年の主役。本当は、もう一本柱がほしいと思っている。この二本に匹敵するくらいの大きな水晶を求めている。ヒマラヤでもブラジルでもなく、どこ産だろう?他に大きなのが取れそうなのは・・・中国?今のところわからないけれども、もう一本は大きな水晶がほしい。三本あれば、kimi宅をしっかり支えられるだろう。もう一本はどこからやって来るのだろうか。楽しみではある。海と川に浄化に行くと、ついでに人間も浄化される。水晶の浄化に行く度に、自分自身も浄化されている。最低でも月に一度は浄化に行く。定期的に自分も浄化されることになる。いつもクリアーな状態でいられるのは心地よい。精神的にも肉体的にもピュアーであるに越したことはない。定期的にクリアランスをすることは、水晶に限らず人間にとっても必要なこと。いつも良い状態で過ごせるのは、すばらしい!ただ日々の暮らしがあるだけ。その日々の暮らしが、クリアーで爽快であるのが最も重要なこと。毎日が苦しかったら、それは辛い。何かのために今を犠牲にすれば、苦しい人生となる。日々の暮らしがすべて。日々、快適に心地よく過ごす。それが人生。それ以外に人生はない。日々の連なりが人生そのもの。一日一日を充実して生きるしかない。日々快調で、楽しく嬉しく生きることが人生の幸せ。特別なことがあるわけではない。何かを達成するのもいい。何かを創造するのもすばらしい。でも、日々の生きることが苦しかったら・・・結局、苦しい一生となる。ゆっくり落ち着いて、無理なく楽に暮らす。自然と共に、周りの人と共に楽しく生きる。時代の流れと共に、今を生きる。それで何も問題はない。『水晶の 浄化と共に 人間も クリアーになる 自然によって』これが725日目の心境です。
2006.12.27
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朝からカレンダーの発送の準備。外は雨。11時までに本局へ届ければ、今日の飛行機に間に合う。イギリスへも1セット送る。帰りに生協に寄る。途中の木々が紅葉していた。里の紅葉が始まったようだ。生協ではマスクをしている店員がいた。風邪?何か珍しいものでも見る感じになった。屋久島へ来て、3年9ヶ月。まったく風邪を引かなくなったので、風邪というものを忘れてしまった感がある。屋久島でも風邪を引く人がいるのか・・・なんとなく不思議な感じ。見るところ、地元の人。こんなに湿度があるのに・・・カレンダーを梱包しながら、来年はもっと早く作ろうと思った。少なくとも12月上旬には発売できるようにしたい。11月まではガイドの仕事があるので、12月に入ったらすぐに作り始めて、10日までには見本を発表したい。タイトルは既に決まっている。屋久島・光のカレンダー。光が縦横に走っているカレンダーを作りたい。光り輝くカレンダー!オッと、これではあとりさんは買えないか・・・まあ、来年までには光にも慣れてもらおう。あと1年あるのだから。他の人は、光のカレンダーは大歓迎だろう。できれば、もう少しカレンダー部分が実用的にできればいいのだが・・・カレンダー作りとポストカード作りは、シーズンオフの内職として定着するだろうか。本職のガイドに比べると、収入はかなり少ない。何と言っても材料費が高い。内職だからしかたがないか・・・昨夜、ゴールドルチルのクラスターを買いそびれた。実に美しいクラスターだった。アップされて3時間後ぐらいにクリックしたが、既に在庫はゼロになっていた。このレベルのルチルになると、アップの直後でないと手に入らない。このサイトはよく利用する。いつも午後9時ごろにアップされる。だいたい毎日チェックしているのだが、よりによって昨夜だけ忘れていた。というか、年末なので、たいしたアップはないものと油断していた。年に1~2回しかないゴールドルチルクラスターのアップ。ウーン、残念!最近は、それほどゴールドルチルをほしいという感じではない。それが影響したのだろうか。しかし、見れば見るほど美しいルチル。これだけ透明感のあるものはめったに出ないだろう。それに、価格もそんなに高くない。今日、別のサイトでもゴールドルチルのクラスターがアップされたが、なんと34万円。美しくて手ごろな価格のゴールドルチルを手に入れるのは、ますます難しくなっている。アップはされるものの、瞬時に売れてしまう。みんながほしいのだ。良質のルチルは極端に少ない。質の悪いものなら、いくらでもある。質が悪くて高いものさえある。たまに良質のものもあるが、残っているのは高価なものばかり。良質のルチルをアップするサイトは、極めて少ない。実は5日ぐらい前に、このサイトからアポフィライトという石を購入した。それまでは名前すら知らない石だった。その日は別のサイトで午後9時からアップがあることになっており、8時半頃から準備をしていた。なにしろ、こちらはISDNなので、事前にログインしておくとか、いくつもサイトを開いておくとか、いろいろ準備をしておかないとADSLや光ファイバー相手では太刀打ちできない。早めに準備が終わって時間があったので、別のサイトを何気なくチェックしてみた。すると、美しい石がアップされていた。それがアポフィライトだった。そこの解説によると・・・これまで見てきた中で最も美しいアポフィライトと書かれていた。当店自慢の一品ともあった。確かに美しかった。こんなに自慢することは、このサイトとしては珍しい。早速、グーグルでアポフィライトを検索してみる。意外とたくさん出て来た。しかし、あまり美しいものはなかった。どれもこれも透明感がなく、結晶も小さかった。唯一、すばらしいと思えるものがあった。透明な中に濃いグリーンが美しく結晶していた。しかし・・・なんと20万円もした。良いものは高い。手も足も出ない。しかし、こちらのものは、その10分の1以下の価格。これなら手が出せる。まるでグリーンの水晶のように見える。エメラルドグリーン!それもとびきり透明の・・・確かにこれだけ美しいアポフィライトはない。ということで、思わず購入してしまった。こういうものは寸秒を争う。良いものはすぐに売れてしまう。定時にチェックしている人は自分だけではない。その証拠に、これまで何度苦い思いをしたことだろう。逃がした魚は大きい。それなりに悔しさは残る。すぐに忘れるけれども・・・石というのも過去世の縁があるのだろうか。どんなにほしいと思っても手に入らないものもある。ほしいと思っていなくても、なんとなく手に入るものもある。不思議としか言いようがない。アポフィライトについては、次のように書かれていた。【古代より霊力を高める石として崇められ、精神修行や儀式の際によく使用されました。自己を解き放って精神的に自由になり、直観力や洞察力をサポートすると言われてきました。また、脳を活性化し、目の疲労を取り除く効果があるとも云われています。直観力と洞察力を高め人間関係を円滑化する石です。】別の本によると、エネルギーや波動を強力に伝達するらしい。そのため、物理領域と霊的領域を結びつけ、アカシックレコードや未来へのアクセスを可能にする。真実を象徴する石であり、本当の自分を認識させ、世の中にそれを示すことを認める。肉体や精神と、魂や霊との同調をサポートする。特にグリーンアポフィライトは、心臓のチャクラを活性化する。普遍的なエネルギーを一旦吸収した後に伝達する。良いことばかり書かれていた。どうも過去世で使っていた気がする。これまで緑色の石はなかった。透明な水晶は数え切れないくらいある。金色のルチルもたくさんある。黄色いシトリンもある。紫色のアメジストもある。こげ茶色のスモーキーな水晶もある。真っ黒のトルマリンも電磁波対策としてたくさん置いてある。淡いピンクのレムリアンシードもある。濃いグリーンのクローライト(緑泥石)が混じったヒマラヤ水晶はあった。しかし、こんなに透明な緑色ではなかった。本当に美しい。めったに出ない石の一つだろう。このアポフィライトは、インドからやって来た。世界中から石が集まって来る。世界の五大陸で、まだ来ていないのはオーストラリアだけだろうか。いや・・・実は、以前に知り合いからエアーズロックの石をお土産としてもらったことがある。そういうわけで、世界の五大陸からすべて集まっている。特にヒマラヤが多い。ここは地球で最も古い地層と言われている。太古の地球のエネルギーを秘めた石たちが自宅に並んでいる。すばらしい!ただ見ているだけで幸せになる。それぞれがウットリするほど美しい。縁により、やって来る石、来ない石。やって来たものを大事にするしかない。やって来なかったものは、自分より更に深い縁のある人の元へ行ったに違いない。そう思えば、悔しくもない。それぞれの石を愛で、共に生きる。十分に楽しんだら、他の人に回す。それで何も問題はない。ただ喜びだけがある。お金の許す範囲で無理をしないで楽しむ。自分が楽しんだら、他の人へも楽しみを分かつ。独占しない。ゆっくり循環させる。自分のところへ流れて来るもの、来ないもの。流れて来るものを大切にし、流れてこないものは忘れる。新しい流れを掴むように冒険し、チャレンジする。常に新しい流れと共に生きる。『目に見えぬ 縁を手繰(たぐ)って はるばると 世界中から 石が集まる』これが724日目の心境です。*「723日目 - 白紙の器」 も同時にアップしました。
2006.12.26
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朝から曇り空。カレンダーの写真を撮りたいと思ったが、暗すぎ。明るくなるのを待ったが、逆に雨が降りそうな雰囲気に。しかたがないので、外でカレンダーの写真を撮る。最初の撮影は、暗くなりすぎ。もう一度チャレンジ。今度はうまくいった。最近はこのパターンが多い。どうしてかと言うと、カメラの調子がイマイチ。露出が正確に出ない。雨の中で多用しているためか、かなりイカれてきている。自分の勘を頼りに撮影するしかない。撮影したものを、ぴあのさんへ送る。これで屋久島ナチュラルヒーリングのHPに、カレンダーの案内が出せる。写真の配置が真っ直ぐでないとか、台紙から浮いているとか、いろいろぴあのさんに言われたが・・・今回は時間がないので、そのままページを作成してもらう。夜になって、知り合いから電話がかかってきた。メリークリスマスと言われた。そうか、今日はクリスマスか・・・まったく忘れていた。屋久島ではクリスマスツリーも見かけないので、あまり盛り上がらない。都会でも商業ベースの宣伝がなければ、静かなものだろう。日本には、それほどキリスト教は浸透していない。神道がベースの国。日本は、あまり宗教宗派にこだわらない。神道自体が八百万(やおよろず)の神々であり、特定の経典もないので、あまり束縛感はない。宗教に関しては、海外に比べれば、かなり寛容と言えるだろう。まあ、これからの時代向きではある。八百万の神々とは、それぞれの役割の象徴。大元のひとつの神から、いろんな役割分担で多数の神々ができた。そのそれぞれの神が、宇宙の創造の一端を担っている。そして、その神々の末裔として人間も存在する。人は、大元の神から連なる宇宙創造の末端を担っている。人も、やがて神上がりする。修行が進めば、神となることになっている。まあ、気が遠くなるほどの時間がかかりそうだが。キリスト教やユダヤ教やイスラム教では、唯一絶対の神。仏教や神道では、そのようなことはない。宇宙のシステム全体を提示する。大元だけにフォーカスするか、その展開も含めてフォーカスするかの違い。大元の神だけを意識するのもいいが、全体を理解した方がトータルと言えるだろう。唯一絶対の神だけというのは、信仰の時代の遺物。自分の拠り所を外に求めた時代。天にまします我らが神よ・・・今は自分の中に神を見出す時代。自分の中にすべてがある。別に何かを信じる必要はない。神も救世主もいらない。「初めに言葉ありき」と聖書にある。言葉は、事波だろうか。何かを創造する時の原初の衝動みたいなものだろうか。波が発せられ、それが形となる。それが何段階も繰り返されて、この物質次元ができあがっている。物質も本質的には波。すべては言葉の末裔とも言える。言葉が形となったもの。イメージは物質化する。その中には神の末端に属する人間が造ったものもあれば、八百万の神々が造ったものもある。天使たちが創りあげたものもあれば、龍神たちが造っているものもある。それぞれが役割に応じて、いろんなものを創造している。その元の元は、ひとつの神から出たもの。それを神と呼んでも宇宙と呼んでも、ひとつと呼んでも何でもいい。要は大元の大元。唯一絶対なるもの。元の元を理解し、宇宙の構造を理解すれば、特定の宗教にこだわることはない。科学と同じで、ただ宇宙の構造を理解すればいいだけのこと。人類は、まだまだ理解が浅い。まだ幼稚園児ぐらいだろうか。これからもっと理解が深まっていく。理解が深まれば、もう何も信じる必要はなくなる。わかったことは、信じる必要はない。わからないから、信じたり信じなかったりする。この世のことをすべて理解していく。そういうスタンスでいれば、間違いはない。一つ一つ体験し、実地に理解していけばいいだけ。何も難しく考えることはない。すべては学びのプロセス。いろんなことを学んでいくのは、基本的には楽しいこと。多くの人は、受験勉強によって学ぶことの真の楽しさを奪われてしまった。百害あって一利なし、受験勉強!ゆっくりと一つ一つ学んでいけばいい。いくつになっても人生は学び。学ぶことは楽しいこと。新しいことの発見。人生は新しい気づきの連続。楽しいことだらけ。何も苦しいことはない。自分で苦しくしない限りは・・・理解が不十分だから、誤解したり曲解したりして苦しむ。苦しむ必要のないところで、勝手に苦しむ。何もわかっていない。何かを思い込んでいる。そういうものを全て捨てて、もう一度ゼロからやり直せばいい。所詮、人生はいつもゼロポイント。今ここは、いつもゼロ。白紙からスタートするしかない。過去がなければ、何の負担もない。過去だけが重くのしかかる。いや、過去をベースにした未来が両肩に重たい。過去がなければ、今ここは軽い。日々、学びがあるだけ。日々、気づきがあるだけ。それは楽しいこと。それは嬉しいこと。小さな子供たちは、そのように生きている。新しいものに心がときめく。ワクワクしながら日々を生きている。子供だけでなく、子犬でさえいきいきとしている。大人になると、いきいきしなくなる。ときめかなくなって、精神的には老人となる。冒険やチャレンジをしなくなる。保守的になれば、人生は後ろ向き。若さとは、子供たちを見れば一目瞭然。いきいきと輝いている。今この時をいきいきと生きる。過去は過去として置いておく。今を過去に支配させない。今が過去に支配されると、人生は重苦しくなる。楽しさは消え、夢も希望もなくなってしまう。過去はあくまで参考として活用するだけ。今ここには何もない。白紙。ただ学びがあり、気づきがある。ただ喜びがあり、楽しさがある。今ここには、何も問題はない。問題は、過去のもの。脇に置いておく。ベースは、白紙。大きな白紙の中のほんの一部に過去がある。片隅の方に記憶がある。心の傷も心の痛みも、片隅にあるだけ。すべては白紙という大きな器の中にある。その白紙の器をベースにして生きる。間違っても、片隅の心の傷や痛みをベースとしない。過去や経験を自分の依って立つ土台とはしない。基本は、今ここ。今ここは、大きな白紙。無限の可能性と、無限のキャパシティを持っている。自分が限定しなければ・・・すべては自分の切り取りしだい。今ここ=白紙を土台とする時、そこに不動のものがある。揺るぎないものが厳然としてある。今ここにある。それは微動だにしない。そういうところにベースを置けば、揺るぎない人生を生きることができる。何か特定のものにベースを置くと、足下をすくわれる。特定のものは、神々や人間が造ったもの。白紙の状態は、元々存在するもの。だからこそ、不動。不変。揺るぎないもの。元の元。それは、今ここにある。常に今ここ。今ここにしかない。すべてのすべてが今ここにある。『星々に フォーカスするか 星々を 包む宇宙に フォーカスするか』『星々を 包む宇宙 と共にあり 一つ一つの 星を楽しむ』『移りゆく 現象だけに 目が向けば 振り回されて 目が回るだけ』『現象の 奥に静かに 存在し すべてを包む 空をベースに』『空という 白紙の中に 色という 千変万化の 現象がある』『空という 不動のものに 足を置き 無常の色を 楽しく生きる』『今ここに すべてのすべてが 生きてある 今は白紙の 大きな器』これが723日目の心境です。
2006.12.25
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今日も朝から快晴。明日からは太陽が出そうにないので、水晶祭りの写真を撮る。今回は15組、30個の水晶をアップする予定。正月なので、特別に美しい水晶がたくさん登場する。400枚近く撮影して、パソコンに入れて確認。やはり、イマイチのものがたくさんあった。再度、撮影。今度は300枚ほど。いつも最低でも2回は撮影する。多い時は3~4回撮影する時もある。そのくらい撮らないと、納得のいく写真は撮れない。今回は時間がないので、まあまあという感じ。写真撮影の後、宮之浦に水を汲みに行く。ここ一週間ほど自宅から出ていない。ポストカードとカレンダーの作製に没頭していた。水も冷蔵庫の中も空っぽ。水を汲んで、中川スポーツに行く。今日は登山用品のバーゲンをやっている。屋久島のガイドにとってカッパは消耗品。カッパを買いたかったが、気に入ったものがなかった。登山用のステッキを2個買う。これがあるとないとでは、膝への負担がまるで違う。通常の森歩きでは必要ないが、山登りでは下山時に役に立つ。来年は登山をする?仕事であれプライベートであれ、多少は山に登るだろう。下界とはぜんぜん違う気分が味わえる。山へ行けるのは4月以降。早く春になれ!食料品などを買って帰る。店はどこも混んでいた。とは言っても、屋久島なので行列ができることはない。都会に比べれば、ガラガラ状態。帰宅後は、水晶の写真の選択。これがものすごく時間がかかる。それに目が痛い。700枚ぐらいの中から71枚を選択。夜になって、カレンダーを入れるクリアケースが届いた。予想より遙かに大きな箱だった。これでカレンダーの準備は整った。と思いきや・・・カレンダーのオーダーが殺到して?在庫が・・・30セットは、一日を待たずに完売。アッという間になくなった。そうなると増刷するしかない。ところが・・・用紙が12セット分しか残っていなかった。急遽、用紙とインクをオーダーする。カレンダーの見本写真をアップする前に、すべて売れてしまった。見なくてもいいの?と思ってしまう。本当に見なくてもいいのだろうか・・・少なくとも今回オーダーした人は見なくてもいいのだろう。信頼関係?kimiさんの写真を信頼している?すばらしい!ありがたいと言うか、嬉しいと言うか・・・もうすばらしいとしか言いようがない。ありがとうございます!ワンダフル!!オーダーした人の多くは、ガイドをした人か水晶をオーダーしたことのある人。ガイドをした人は、お互いによくわかっている。しかし、水晶をオーダーした人は、知らない人がほとんど。でも、水晶を通して信頼関係ができているということだろうか。今回が初めてという方も何人かあった。最初はみんな初めて。ガイドの依頼をした人も水晶のオーダーをした人も、最初はみんな初めて。やがて信頼関係ができていく。もっとも、ガイドも水晶も関係なく、日記やHPだけで一方的に信頼している人もいる。こちらはまったく知らない。そういう人から、突然、いつも読んでいますとお礼のメールが届いたりする。思いがけない喜び!やはり何かの役に立っているというのは、なんとなく満ち足りた感じになる。この日記を読んでいる人も、圧倒的多数は知らない人。毎日200~300人の方が読みに来てくださっている。それは、とてもありがたいこと。読めば、会ったことがなくてもエネルギー的には繋がる。これからはエネルギーの時代になるので、更に繋がりは強くなっていく。ガイドや水晶も、カレンダーやポストカードも、その繋がりをより強くしてくれる。これからもいろんなことで繋がりながら、ゆっくりと新しい時代に向けて進んでいくことになるだろう。いや、ゆっくりとではない。これから更にスピードアップしていく。最近の1年は、アッという間に過ぎてしまう。一週間も速いし、一日も速い。どんどん波動が加速している。地球全体がアップしている。しかし、どんなに波動が速くなっても、変わらないこともある。それは・・・しっかりと自分自身にグランディングするということ。それ以外にベースはない。自分以外に拠り所はない。ベースはしっかりと安定している必要がある。自分にしっかりグランディングして、新しい時代を迎える。いかに深くグランディングできるか。ただそれだけ。しっかり自分自身を生きるしかない。『水晶や ポストカードや カレンダー みんな互いの 繋がり強める』『いろいろな ものを介して 一段と 光のネット 強まっていく』これが722日目の心境です。☆ 見本を見ないでオーダーしてくださった方には、心ばかりのお礼があります。 それは・・・ 先着25名の方に、試作品のカレンダーを1枚プレゼントします。 試作品と言っても写真が違うだけで、立派にカレンダーとして使えます。 レパートリーが一つ増えましたね!☆ カレンダーの見本が屋久島ナチュラルヒーリングのHP の方にアップされました。
2006.12.24
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今日も朝から快晴。昨日、今日と晴天が続いている。明日までは晴れそう。その後は、また雨の予報。晴れると暖かい。風は冷たいが、室内にいると春の陽気。ワイシャツだけで十分。これが続けばいいのだが・・・朝から来年のカレンダー作製。昨日の段階で、ほぼ試作は完成していた。今日は、どれにするかを決めればいいはずだった。ところが・・・どうしても納得のいかないものがいくつかあった。また作り直す。昨日、25ヶ月分ぐらい試作した。今日も7ヶ月分ぐらい作った。今日は光の写真を使った。これがよかった。光は、カレンダーにすると映えた。これならみんな光の写真にすればよかった!しかし、もう間に合わない。今回は、季節に合った美しい写真を選んでいた。それも悪くはない。しかし、光の写真は、それ以上にすばらしかった。来年は、これでいこう。屋久島の光のカレンダー!今年は、屋久島の美しいカレンダーと言ったところだろうか。それでも、3ヶ月分だけでも光の写真が入ったので、かなり波動が上がった感じ。一応、2007年のエネルギーに合わせて作った。2007年のカレンダーにふさわしいものにしたつもりだ。12ヶ月分、12枚。いや、実はもう1枚ある。それはオマケ。屋久島ナチュラルヒーリングのHPの中にある「屋久島の雪男」という物語をお読みになった方だけがわかる、ペットのカレンダーが1枚入っている。つまり、1月が2枚ある。まあ、気分転換にチェンジするのもいいだろう。今日は、30セット作製した。明日、カレンダーを入れるクリアケースが届く。これに入れると、立てて置けるようになる。クリアケースに入れれば、プレゼントとしても使える。サイズは、ポストカードと同じ。裏側はポストカードとしても使えるようになっている。毎月、月末に来月分のカレンダーにメッセージをしたためて送るというのも、シャレているかも。ほぼ全面が写真なので、カレンダー部分は小さい。価格は、1セット2000円(送料込み)。この価格が高いか安いか・・・市販のものに比べれば、高い。しかし、手間を考えると、超安い。市販のものは大量印刷。こちらは1枚1枚手作り。今は、部屋中がカレンダーに埋まっている。このままでは寝る場所がない。クリアケースは、200個届く。大量に購入しないと単価が高くなる。これはポストカードにも使う予定。ポストカードは、これからたくさん作製する。今日、カレンダーを作りながら思いついたのは、ヒーリング系のポストカードを作ろうかということ。これを見ていると、癒されますとか。内なる光を思い出しますとか。潜在意識が浄化されますとか・・・光シリーズ、虹シリーズ、苔シリーズ・・・そういうものとは別に、違う角度から作ることができるかもしれない。もちろん、光シリーズや虹シリーズでも癒される。それは自然にそうなる。しかし、もっと意識的に、そのつもりで見れば、また違うかもしれない。そういうものも作製してみようかという気になった。但し、それには時間がいる。ゆっくり検討する必要がある。今年のように日記にばかり集中していたのでは、他のことはほとんどできない。今回もポストカードやカレンダーを作り始めたら、日記を書く時間がなくなった。最初に日記を書いていたら、他のことはほとんどできなくなる。最初にやるべきことをやらないと、日記の後では、もう時間もエネルギーも残っていない。今年は日記最優先。来年は他のこともしたい。日記も書きながら、他のこともする。日記は週休2日。そして、これまでより短くなる。読む方も、その方が楽だろう。これまでは、わかりやすいように懇切丁寧に書いていたので長くなった。これからはエッセンスだけでもいいだろう。せめて2時間ぐらいで書けるようにしたい。これまでは短くて半日。長ければ一日という感じだった。ほとんど日記漬け。そういう年もあってもいい。しかし、何年もは続かない。1年で十分。来年は、もう少しゆったりしたい。来年は、更に光が強くなる。明るいし、光の方向性がはっきりしてくる。明確に光に向かって進む。未来の光がはっきりと感じられる年。そういう明るい年のカレンダーが完成した。カレンダーの写真や販売の詳細は、屋久島ナチュラルヒーリングのHPの方に掲載する。但し、もうしばらく時間がかかる。明日、写真を撮って、ぴあのさんに送るので・・・もう正月が迫っているので、お急ぎの方は、直接、こちらにメールしていただければ、カレンダーをお送りする。写真を見る前に予約している人もいる。どんなカレンダーが届くか、お楽しみというのもいい。たぶん、期待を裏切ることはないだろう。カレンダーの発送は、25日から。なんとしても年内には届いてほしい。やはり、元旦から見たい。30セットで足りるだろうか・・・『来年の 光感じて カレンダー 心を込めて 大事に作る』これが721日目の心境です。☆ カレンダーのオーダーについて ご希望の方は、住所、氏名、電話番号、希望数を書いて、下記へメールしてください。 kimi77@m10.alpha-net.ne.jp☆ 価格は、1セット2000円(送料込み) 屋久島在住の方は、屋久島価格で1500円。 但し、自宅渡し。 (郵送の場合は、切手代として140~200円必要)
2006.12.23
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《自分の意識の中に、宇宙の始まりから終わりまで、すべてが含まれている。 ありとあらゆる次元が存在する。 》ということに関して、えっちゃんがBBSで一人ホームワークをやっている。全文は以下の通り。【kimiさんのいつも話されるこの言葉を、どうしたら消化しきれるか、私の血となり肉となるくらい納得出来るか・・・。何しろ見えない世界です。見えない世界が見えない私は、この言葉を理解するのに、または、見えない世界を感じるのに「想像力」を思ってみた。人に与えられた想像力という力は、数多満ち満ちる宇宙すべてのものと繋がる探知機であり、導管であると思った。すべて自分の意識に内蔵されるというのは、自分の意識が「すべて」からの端末機であるということだとしても、私自身にはそれを実感できる能力はない。それを補う能力として、人は想像力を持つ・・・と思った。人は時にインスピレーションを得る。それも、想像力の研ぎ澄まされたもの・・・そんなふうに考えると、宇宙にも、あらゆる次元にも、私もつながり得ると思った。もうひとつ、何処にフォーカスして生きるか! ・・・というのと、自分の意識の中にすべてが存在する・・・ということについても、光も闇もすべて同時に存在している。どちらかに偏る事はない。これからは光の時代・・・・ということは、闇が無くなるのでなくて、意識のフォーカスが光に向かうということ。エッシャーの絵に、左に黒、右に白、そして中間は、それぞれ同じパターンの鳥が沢山飛んでいるというのがある。黒に視点を置くと、白い鳥は単なる背景となる。白に視点を置くと、黒い鳥も単なる背景となり、それぞれ視点をはずした方は、その存在が視点から消滅する。ああ、こういうことか・・・・と思った。何処にフォーカスして生きるかというのは、意識点を何処に置くかで世界が一変するということなんだ。次元すら一変する。すべては同時に存在していても、何処に意識を置くか、はたまた、置き得るかで、見えるもの感じるものすべて異なってしまうということなんだ・・・と思った。けれど、私には、見えないものはやはり見えない。想像力の域を出ない。】どうしたら納得できるか?頭で納得するのは不可能。実感するしかない。実感すれば、納得する必要もない。では、どうやったら実感できるか。どうやったら?方法はない。方法があるのは思考の次元。根源へワープする方法はない。それなら、どうしたらいい?どうしようもない。諦めるしかない。頭で納得するのは。方法を探すのも。諦めて、静かに自分自身と一緒にいる。そうすれば、運が良ければ実感できるかもしれない。何の保証もない。想像力とインスピレーションは違う。想像力は能動的なもの。インスピレーションは受動的なもの。インスピレーションは、どこか別の次元からやって来るもの。それは突然やって来るので、自分ではコントロール不能。しかし、想像力は自分でコントロールできる。想像力は、過去ベースの場合が多い。過去の記憶を元に、いろいろ創造を巡らす。突拍子もないことを思いつくこともあるが、それも過去ベースの組み合わせか別の次元からのインスピレーション。想像力は、思考の次元。いくら想像しても、全宇宙の実感とは異なる。インスピレーションにより実感するということはあり得る。直にわかってしまう。それは他の次元の自分自身からのサポート。ハイアーセルフや魂次元からの。しかし、思考の次元だけで宇宙の始まりから終わりまで、すべてが自分の中にあるのを理解するのは不可能。遙かな次元でなければ理解できない。光も闇も同時に存在している?この世では。光が何かに当たる時、その影として闇ができる。光だけの時、闇はない。光のグラデーションはある。それがなければ、何もない世界。全宇宙は光のグラデーションで成り立っている。その違いが存在の有り様。どこにフォーカスするかで世界は違ってくる。物質次元だけにフォーカスすれば、人生はたかだか100年。虚しいものになってしまう。生まれ変わりの次元にフォーカスすれば、因果律の世界。カルマに縛られ、不自由な世界となる。永遠の次元にフォーカスすれば、完全に自由になり、リーラ(神の遊戯)となる。同じ次元でも、巨人ファンと阪神ファンでは、ゲームの見え方がまったく異なる。同じゲームを見ていても、住んでいる世界は同じではない。一方が喜べば、片方は嘆く。相対の世界とは、そのようなもの。自分の中にすべてがあることを理解するためには、自分自身を理解していくしかない。その先に、すべての理解がある。想像では理解は生まれない。思考では真の納得はあり得ない。思考を超え、静かさの中で自分自身を見出すしかない。それは今ここにある。どこにも探し求める必要はない。自分のただ中にすべてはある。動くな!自分から逃げるな!自分と共にあれ!すべては自分の中に、生きて今ある。『自(みずか)らの 中にすべてが あることは 理屈を超えて わかるしかない』『目に映る 世界はすべて 自らの 意識の投影 心の写し』これが720日目の心境です。
2006.12.22
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たくさんの水晶がある。でも、それぞれ個性がある。その水晶をどこに置くかで、まるで違ってくるものがある。置く場所によって、水晶そのものが違って見える。その水晶が最も美しく見える角度がある。逆に、まったくさえなくなる角度もある。どこに置くか。どの角度から見るか。水晶を生かすも殺すも置き方しだい?とまでは言わないが、置き方を誤ると、すばらしい水晶もくすんでしまう。それは水晶に限らない。人間についても同じことが言える。適材適所。向き不向き。それぞれの個性が自分に合ったところを占めれば、その個性は輝き出す。その逆では、個性は死んでしまう。人それぞれ。たくさんの側面を持っている。長所・短所様々。どこにフォーカスするかで、その人の印象も違ってくる。その人の好感の持てるところにフォーカスすれば、その人が好きになる。その人のイヤなところにフォーカスすれば、その人が嫌いになる。どちらでも可能。しかし、実際は・・・どちらでも可能ではない。どちらかに偏っている。自分の癖、傾向がある。それは、しなやかとは限らない。ある一定の角度から人を評価するようになっている。その人の欠点だけに目がいく。イヤなところだけが気になる。長所に目がいかない。それは自分の意識の反映。自分の色眼鏡で人を見ていること。自分の中の傾向に気づかずに人を判断すれば、客観的とは言えない。思い込みのままに人を評価し判断することになる。人の欠点だけが目につくということは、自分の意識が欠点にフォーカスしているということ。人の長所に目がいくということは、自分の意識が長所にフォーカスしているということ。相手は相手そのものではなく、自分の意識の投影。自分の見たい角度から見ているだけ。人生がイヤだということは、自分がイヤなことにフォーカスしているということ。人生がすばらしいということは、自分がすばらしいことにフォーカスしているということ。自分がフォーカスした通りの人生が目の前に展開する。それ以外の人生はあり得ない。目に見える世界は、自分の意識の投影。自分が見たいように見ているだけ。けっして客観的ではない。自分が見ている自分の人生。自分の意識が変われば、自分の人生も変わる。意識しだいで、どうにでもなる。人生とは、自分の意識を外に見ているだけ。自分を投影させて見ているだけ。どんな人生にするか、それは自分しだい。どんな人生にでもできる。今の人生が気に入らなければ、意識を改めればいい。フォーカスを変えればいい。すばらしいことだけにフォーカスすれば、人生はすばらしくなる。イヤなことだけにフォーカスすれば、生きるのがイヤになる。どちらでも自分の意識しだい。何にフォーカスするかというだけ。宇宙の壮大さにフォーカスするもよし。自然の厳しさにフォーカスするもよし。人生の奇跡にフォーカスしてもいい。人類の非苦にフォーカスすることも可能。自分がフォーカスした通りの人生が目の前で展開する。自分が見ている現実は、自分の意識の投影。意識が変われば、現実も変わる。いかようにも変えられる。現実を固定的なものと捉えることは、思い込み。現実は可変的。見る人の意識しだいで、どうにでも変わる。自分が選ぶ自分の人生。美しい人生を生きるのもよし。苦しい人生を生きるのも、またよし。ダイナミックな人生を体験するのも、すばらしい。安全第一の人生もある。いかように生きようとも自分の人生。誰も文句は言わない。自分の人生を変えられるのは、自分だけ。いかに生きるかは、自分が決めること。見える世界は自分の意識の投影であるということを自覚しているといいかもしれない。現実に振り回されなくなるかもしれない。自分が解釈し判断しているだけ。自分のフィルターを通して見ているだけ。自分の中のフィルターを外していくと、また世界が違ってくる。解釈や判断や評価のない次元もある。ピュアーな意識の上に、いろんなフィルターがかかっている。そのフィルターを自覚することだろうか。目に映る世界は自分の意識の投影。自分が見ている現実は、自分が選んでいるだけ。意識が変われば、世界も変わる。まずは自分の意識の有り様を自覚することだろうか。『フィルターを 通して現実 見てるだけ 良いも悪いも フィルターしだい』『美しい ものにフォーカス していれば やがて世界は 美しくなる』『フィルターを 超えて世界を 見る時に 自分を超えた 世界が見える』これが719日目の心境です。
2006.12.21
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今日は、ポストカードの表紙を作った。ベスト10[第1集]は、太陽のオーラの写真を使った。[第2集]は、光る海の写真を使った。いずれもベスト10の中に含まれているもの。なかなか気に入ったものができた。あとはポストカードを大量にプリントして、袋に詰めればいいだけ。ところが、肝心のポストカードの用紙がない。明日には150枚ほど届く。明後日には500枚が届く。とりあえず30セットずつ作る予定なので、600枚あれば足りる。インクも補充した。準備は万全。一方、カレンダーの方は、ソフトが届かない限りどうにもならない。一応、写真だけはセレクトした。光や虹や苔などのシリーズものを使わずに、新たに選び直した。これまでHPのトップに掲載したものの中から、季節に合わせて選んだ。まだ12枚までは絞れていないので、最終決定ではない。最終決定はソフトを見ないとできない。ソフトに合った写真を選ぶ必要がある。年内に間に合うだろうか。本当は写真立ても付けられたら最高なのだが、そこまでは・・・プラスチックの安いものをネットで見つければいいのだが、取り寄せるのに、また時間がかかる。離島は何かと時間がかかる。不便なところも多々ある。もっとも、それは早くから準備すればよかっただけの話。精神的にも時間的にも余裕がなかった。来年は少し違うだろうか。まだまだいろいろ学習中。写真を通して、ある程度の屋久島のエネルギーは届くだろう。ある程度と言うのは、こちらサイドから見た屋久島だから。いろんな屋久島がある。人によって受け止め方も様々。多様性がある屋久島。その一面を伝えるに過ぎない。自分が感じた屋久島。屋久島のほんの一部。屋久島の、いのちと光を届けられたらと思う。愛も少しは届くだろうか。やさしい写真もある。あたたかい写真もある。光に満ちた写真もある。神々しい写真もあるだろうか。動物シリーズがリリースされると、かわいい写真やユーモラスな写真もある。花シリーズは美しい。虹シリーズは、ハッピーな感じになるだろう。苔の宝石シリーズは、キラキラ輝いている。光シリーズは、それこそ光の爆発。夕陽シリーズは、赤い黄金の世界。木霊の森のシリーズも出したいと思っている。そのうちには、滝シリーズも出るかもしれない。屋久島の山々のシリーズも出したい。キノコシリーズなら、すぐにでも出せる。その他にも、雲シリーズ、巨木シリーズ、巨石シリーズなども可能。シャクナゲシリーズも、いつでも出せる。この冬に、少しずつ出していきたい。なにしろ、シーズンオフしか、そのような余裕はないので。3月になれば、新しいシーズンが始まる。それまでの2ヶ月ぐらいで、ある程度の目処をつけるつもりでいる。基本的には好きなことなので、時間さえあればできる。もう一つ、そこそこ売れてほしいのだが・・・まあ、爆発的に売れるということは期待していないけれども、ボチボチは売れてほしい。せっかく作るので。もうしばらくしたら、屋久島ナチュラルヒーリングのHPの方にポストカードの常設コーナーを設けたいと思っている。いつでもポストカードをオーダーできるようにしたい。今は冬場の内職だけれども、軌道に乗れば水晶代ぐらいにはなるだろうか。どこまでも水晶をほしい人ではある。水晶は、今あるものをベースに順繰りに回していってもいい。ほどほどの金額設定にすれば、ある程度新しいものも購入できるだろう。ポストカードも水晶も、自然も人も、みんな同じ。自分の中では、美しいという共通点があるだけ。どの美しさも変わらない。みんな同じ美しさ。美しさの現れが、個々に異なる。水晶とポストカードは同じではない。人と自然も同じではない。しかし、美しいということに関しては共通している。ただ美しさがあるのかもしれない。それがいろんな現れ方をしているだけなのかもしれない。いのちが無数の命として現れているように。光が数え切れない星々として輝いているように。愛が無限の表情を見せるように、美も限りない美しさの一面を表しているだけかもしれない。いのちも光も、愛も美も、元はひとつなのかもしれない。ひとつのものの無数の現れなのかもしれない。元はひとつの美しさがあるだけかもしれない。美しいものを、美しいものが見ているだけかもしれない。美しいものを、美しく感じるものが見ているだけかもしれない。自分が自分を見ているだけかもしれない。神が神の姿を見ているだけかもしれない。美しいものを創造し、それを楽しんでいるのかもしれない。元々美しい心があって、美しいものを創造し、美しく感じる心で、それを愛でているだけかもしれない。神の遊戯?リーラ?ただ美しいものがある。ただ美しいものがあるだけ。他には何もない。ただ美しいものがあるだけ。自他の分離が消えると、ただ美しいものがあるだけ。自分自身が美しく、周りが美しく、すべてが美しい。ただ美しさがあるだけ。他には何もない。『様々な 姿形に 現れて 美しきもの 美しく咲く』『美しき ものを感じる 美しき 心の中に 源はある』『内にある 美しきもの 外に見て 美しきもの ひとつに溶け合う』『分離なき 世界の中に あるものは ただ美しさ 生きてあるだけ』これが718日目の心境です。
2006.12.20
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雨の屋久島が続いている。ほとんど家にこもっている。冬場は、このパターンが多い。太陽が恋しい。水晶の浄化に行きたいのだが、寒くて行く気にならない。太陽も出ていないので、海や川に入る気分ではない。太陽さえ出れば、なんとかなるのだが・・・冬場は水晶の浄化も簡単ではない。シトリンという水晶がある。和名は、黄水晶。この水晶が、なかなかユニーク。というのは・・・この水晶は、浄化を必要としないと本に書かれてある。なぜ?ネガティブな状態にならないから。常にポジティブなエネルギーに満ちているらしい。この黄色は、含有する鉄分の影響。アメジストに含まれている鉄分が、マグマの地熱などにより変色して黄色く変わるらしい。しかし、地熱によって変質した天然シトリンは非常に少ない。一般に流通しているものは、ほとんどが人為的にアメジストに熱処理したり、透明な水晶に放射線処理したもの。天然もののシトリンの産出は少ない。しかも、きれいな結晶をしたものは更に少ない。きれいな六角形の天然シトリンは、貴重品と言える。無研磨の美しいシトリンは、めったに見かけない。シトリンは、太陽のエネルギーを持つ石らしい。どの本を読んでも良いことしか書かれていない。心身を温め、活性化し、創造性を高める。オーラのバリヤーとしても使えるようだ。特に太陽神経叢=第三チャクラを活性化させる。それを第七チャクラと繋ぐ役割も果たす。要は、この世とあの世、物質界と霊的な世界を繋ぐ。この世的であり、霊的でもある。この世的には、富貴の石とされてきた。豊かさの象徴であり、成功や繁栄の象徴でもある。自尊心や自信を高め、自己表現を促す。個性や創造力を活性化させる。善きことを引き寄せ、顕現させる。周りの人に喜びを与える。過去にしがみつくのではなく、流れと共に楽天的に生きる。新しい体験を楽しみ、最良の結果をもたらす。集中力が高まり、恐怖心や憂鬱を克服できる。内面が落ち着き、叡智が顕現する。否定的な感情を解放し、生きる喜びを実感。高次の心と繋がる。遂には、霊の金色の光を肉体の領域に呼び込むとまで書かれている。なにしろ、すごいことばかり書いてある。シトリンが1個あれば、何でも願い事が叶いそう。もちろん、そんなことはない。しかし、シトリンが古来より繁栄の石と見なされて珍重されてきたのは事実。確かに、その黄金色は豊かな気分にしてくれる。太陽エネルギーがいっぱいで、すべてを活性化し、明るくする。元気がない時は、特に効果があるようだ。ゴールドルチルでもいいのだが、シトリンが1個あると、なかなか便利かもしれない。太陽を持っているみたいなものだから。落ち込んだ時は、シトリンを見ていればいい。自然に元気になる。できるだけ明るいシトリンがいいかもしれない。できれば天然ものがいいだろう。人工的に黄色くしたものは、なんとなく引いてしまう。成分や構造的には変わらないらしいが。自分の中にいつも太陽があれば、シトリンはいらない。自分の中が常に太陽のように明るい光で満たされていれば、どんな水晶もいらない。そうではないから、いろんな水晶が役に立つ。しかし、水晶に依存しすぎると、内なる光が弱くなる。内なる光が雲に覆われた時、水晶類は役に立つ。水晶を見ることで、忘れてしまった内なる光を思い出せる。あるいは、いつも水晶を見ていることで、落ち込むことが少なくなる。水晶のエネルギーに触発されて、内なるエネルギーが活性化する。人は肉体は動物であり、精神も常に変化している。逆に言うと、不安定とも言える。水晶は常に安定したエネルギーを放っている。エネルギーが凝縮されているので、人間よりも安定している。太陽の光がないと、人は健全に生きることはできない。シトリンは、常に安定した太陽エネルギーを放射している。そういうものを身近に置いておくと、心身共にあたたかくなる。心身共に冷えやすい人には向いているだろう。シトリンに限らず、それぞれの石の特徴を生活に活かすこともできる。今の自分に必要な石を求め、それをじっくり味わう。そうすると、その波動によって影響を受ける。いろんな変化が起きてくる。自分の望む方向がはっきりしていれば、その方向性に見合った石を選べばいい。水晶たちは、いろんなサポートをしてくれる。見ているだけでも美しい。そのエネルギーを感じるだけでも、幸せになれる。石は友達。友達は大事にしよう。そうすれば、友達も大事にしてくれる。お互いが幸せになれる。見て、触って、感じて・・・心ゆくまでじっくり付き合う。深く味わえば味わうほど、深い影響を与えてくれる。石は限りない波動を秘めている。『水晶を 静かに見れば それだけで 波動としての 影響受ける』これが717日目の心境です。☆ 水晶に関する本でお薦めは、 ジュディ・ホール著「クリスタルバイブル」 産調出版 2600円 とてもスピリチュアルな本で、クリスタルがスピリチュアル的に解説されています。
2006.12.19
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最近は、暖かい日と寒い日の寒暖の差が激しい。心身共に、かなり鍛えられる感じ。太陽、風、雨・・・一日に何度も天気が移り変わる。今日は種子島でロケットが打ち上げられたらしい。新聞配達の人が教えてくれた。成功したようだ。まったく知らなかった。今日は一日中、ポストカードを作製していた。昨日、今日で300枚ほど印刷した。用紙の残りが50枚ほどになった。急遽、500枚ほどオーダーする。一度に作製できるポストカードは、150枚ほど。300枚までは一度に乾かせるが、そうなると寝る場所がなくなる。狭い我が家。毎日、150枚ずつ乾燥させるしかない。ポストカードのベスト10は固まった。第二集の選定も、ほぼ決定。第三集の候補までピックアップ。ベスト10枚の集合写真を撮って、HPの方にアップする予定。但し、10枚というのが、どうもバランスが悪い。9枚なら、きれいに収まる。1枚は隠し味?お楽しみということで内緒にしておこう。ベスト10の第一集は、それはそれはすばらしい。これまでに撮った写真の中から、たぶん一万分の一ぐらいの確立で選ばれたもの。保存してある写真の中からでも、千分の一の確立。選りすぐりの10枚。一方、カレンダーは何をチョイスするか、まだ決まらない。今年は苔の宝石のカレンダーを作るつもりだった。でも、できなかった。そういう意味では、苔の宝石ならいつでも準備はできている。でも、なんとなく来年のイメージと合わない。2007年は、明るい。光の方向性がはっきりして来る。そうなると・・・光系を12枚選ぶか。虹にするか。あるいは、美しい森にするか。はたまた、水晶がいいというリクエストもあった。水晶というのは、まったく想定外だったので、意外と面白いかもしれない。でも、みんながみんな水晶が好きなわけでもなさそう。やはり、屋久島の写真がいいだろうか。楽しい迷い。光や虹は簡単にチョイスできる。水晶は、これから写真を撮る必要がある。なかなか太陽が出てくれないので、少しきびしいかもしれない。やはり、ここは光系だろうか。光シリーズと虹シリーズは、ポストカードでも出すつもりだった。すぐに出せるだけのクオリティの高いものが揃っている。それをカレンダーに回すと、逆に苔の宝石シリーズがポストカードとしてリリースできるかもしれない。いろんな選択肢がある。ポストカードは、これまでに500種類ほど試作してある。試行錯誤を繰り返して、残っているものから選ぶベスト10。何度見ても、惚れ惚れする。ナルシスト?あと二週間で今年も終わる。年々、時間が経つのが早くなっている。アッという間に一年が過ぎていく。もう何歳というのは、あまり意味をなさないような感じになっている。歳を取っても若々しい人が増えている。肉体年齢は関係ない。精神年齢がすべて。だんだんそんな感じになりつつある。これから、ますます精神的なものが前面に出て来るだろう。精神的なものが、姿形により現れるようになる。これまでは肉体的・物質的な条件に支配されてきた。しかし、これからは精神的なものが、肉体的・物質的なものに優っていく。精神優位が確立する。精神主体が不動のものとなる。精神が肉体や物質をリードする。それが厳然たる事実となる。精神をベースに生きるようになる。精神をベースに、いろんなものを創造するようになる。精神を肉体や物質次元に顕現する。精神の精髄が現れ出る。精神とは、神の精髄。神の現れ。神のエッセンス。生きてまします神そのもの。一人一人の内深くに宿るものが、精神。神の精髄。神の一人子。神のエッセンスそのもの。『年齢は 参考程度に なっていく 精神性が 前面に出る』『内側の 精神性が リードする 物質・肉体 すべてのものを』これが716日目の心境です。☆ カレンダーについて、何かご希望があればコメント欄に書き込んでください。今年は時間がないので、作製するのは一種類だけです。大きなサイズをご希望の方もあるようですが、とりあえずはハガキサイズが基本です。それ以外にも作るかどうかは、現時点では何とも言えません。
2006.12.18
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屋久島は、とても寒くなっている。風が強い。雨も降っている。不思議なことに、時々、太陽が顔を出す。太陽が出ると、虹も出る。太陽が高く上がると、虹は低くなる。180度逆のところに出るので、相対的。最近は低い虹が多い。日記にやっと追いついて、少し余裕が出て来た。日記が溜まっていると、なんとなくプレッシャーがある。せめて一日ぐらいだったらいいのだが・・・仕事が続くと何日も書けないこともある。新聞もずいぶん溜まっている。もう二ヶ月分ぐらい読まずに積んである。主要なニュースはほとんどネットでチェックするので、あまり新聞は必要ない。別にやめてもいいのだが、屋久島の情報が折り込みで入ってくるので取っている。それに、新聞を配達している人が近所の人なので、断りにくいというのもある。サッとでも年内に読めるといいのだが・・・秋が忙しかったので、何かと溜まっている。ここへ来て、やっと整理されてきた。今年は日記最優先なので、他のものはどうしても後回しになる。今年はなんとか全日書けそう。来年は少し余裕がほしい。週休2日ぐらいにはしたい。シーズンオフになって余裕ができた。そこで、えっちゃんに頼まれていたポストカードを作製した。「ヒメウチワダイモンジソウ」と「ハートマーク」の二種類を、各10枚ずつ。本当はカレンダーも頼まれていたのだが・・・カレンダーについては、ぴあのさんの意見を聞いて、新しいソフトをオーダーした。少し洒落たカレンダーができるといいと思っている。なんとか今年中に?できるだけ早く作るつもりでいる。シーズンオフで時間はあるが、お金がない。まあ、たいていはそんなもの。お金に余裕がある時は、忙しい。お金がなければ、大好きな水晶も買えない。そこで、アルバイト?いや、内職?もちろん、屋久島にそんな都合のよいアルバイトや内職はない。第一、外に出て働く気など毛頭ない。自分にできることは?ポストカードを作ること。カレンダーを作製すること。写真を大きくプリントすること。それらのものをネットを通じて販売する。それによって多少の収入を得る。それくらいしか思いつかない。基本は写真。普段であれば絶対にしない。そんな手間のかかること・・・でも、今は時間がある。今しかできない。屋久島の写真にはエネルギーがある。光もある。いのちが宿っている。手にした人は、きっと満たされるだろう。これまでに作製した数百枚のポストカードからベスト10を選ぶ。それを「屋久島のポストカード・ベスト10」として販売する。と計画したのだが・・・ベスト10が選べない。わずか10枚に絞るなんて・・・とてもできない!やむなく、「屋久島のポストカード・ベスト10」[第一集]と[第二集]を同時に発行することに。ベスト20なら、なんとかなりそう。10枚セットで、価格は2000円の予定。これには送料も含まれる。印刷所で大量に印刷すれば安くなるが、手作りではこれが限界。しかし、一枚一枚心とエネルギーがこもる。ベスト10の次は、虹シリーズが続く。その後は、光シリーズ、夕陽シリーズ、森シリーズ、花シリーズ、動物シリーズ・・・3年半で撮り溜めたものを次々とまとめていく。シーズンオフの間に、できるだけのことはやっておこう。ポストカードだけではなく、A4サイズの大きな写真も販売しようと思っている。大きなサイズで自宅に飾りたい方にはいいだろう。オーダーがあれば、2Lサイズとかでも大丈夫。価格は、まだ未定。ステキな写真は、これからもどんどん増えていくだろう。ある程度まとまったら、ベスト10の第3集も出るかもしれない。大量に印刷しない限り生活の糧にはなりそうにないが、多少は水晶が買えるかも。水晶のために作るポストカード?ポストカードが水晶に変わり、その水晶がまた全国へ飛んでいく。いずれにしても、ポストカードも水晶も誰かの手元へ行くことに変わりはない。自分の元には何も残らない。ただ循環しているだけ・・・別にそれで何も問題はない。自分の手元にある間、楽しければ、それでいい。人生は、その連なり。何も持ち続ける必要はない。これから何をベスト10にするかという楽しい悩みが待っている。さてさて・・・何がいいだろう?もうしばらくすれば、光のポストカードがお手元に届くことだろう。『屋久島の 三年半で 撮り溜めた 光のカード みんなへ送る』これが715日目の心境です。
2006.12.17
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昨日ぐらいから、また寒くなっている。つい先日はTシャツだったのがウソのよう。まだヒーターを出していないので、完全武装でないと寒い。頭はクリアーになるので、ちょうどいいのだが・・・今日は午前中に水晶が届いた。いつもは、ゆうパックか宅急便。今日は普通郵便。なぜ?このサイトは、札幌。札幌からゆうパックや宅急便を使うと、ものすごい料金になる。普通郵便は全国どこも同じ。ありがたい。屋久島は離島なので送料が高い。安い水晶を見つけても、送料を加えると安くなくなる場合もある。まとめて1万円以上になると送料が無料になるところが多い。たいていはそれを利用するのだが、一品だけという時もある。今日は、ペルーのクラスターが3点届いた。前回ペルーのクラスターをオーダーしたら、すばらしいクオリティのものが届いた。そこで、もう少しオーダーしてみた。今回も、なかなか良いものがやって来た。水晶のクオリティは、前回のものの方がわずかに優る。しかし、今回のものは形状が面白い。まるで花が咲いたようなものや、アンテナのようなもの。クラスターには独特のエネルギー場があって、魅力が尽きない。金額も3個で1万円を切った。このくらいだと、ありがたい。その代わり、大きくはない。小さくてもクオリティが高ければ文句はない。今の時代、人は愛を確かめるために抱き合う。肉体的なセックスによって、お互いの愛を確かめようとする。肉体人間としては、それが自然なのかもしれない。肉体を持つからこそできる愛の確かめ方でもある。セックスによる快感もあり、子供もできる。何も問題はない。ところが・・・多くの人と愛を分かち合いたい時は?不倫?フリーセックス?援交?プラトニックラブ?肉体ベースであると、すばらしいこともあれば不便なこともある。愛を確かめるのに、いちいちセックスしなければならない。もっとも、親子の愛であれば、ただ抱擁するだけでも事足りる。しかし、男女の愛となると、そうもいかない。ハートベースで生きるようになると、どうなるだろうか。ハートとハートが交流する。交流することによって、お互いのハートは活性化する。ハートが活性化すれば幸せに満たされる。ハートは活性化すればするほど、周りに幸福感をまき散らす。それに感応して、周りの人もまた幸せになる。幸福の循環が起きる。みんなが幸せになる。ハートとハートの交感は、ハートとハートの交歓。お互いのハートが歓びに満たされ、幸せに満たされる。それは抱擁するよりも簡単。エネルギー交流だから。お互いが挨拶代わりにハートで交歓すれば、もうハッピーそのもの。愛のエネルギーは、その度に広がっていく。もうすべてが愛に満たされていく。淡いピンクの光に満たされる世界。そういう時代も、そんなに遠くはないかもしれない。今は言葉で交わす挨拶を、ハートで交わす。ハートとハートが交わる。愛の交流が起きる。みんなとハートで挨拶するようになれば、みんなが幸せになる。ハートがいっぱいに膨らんで、みんなが豊かなバストを持つようになる?それは何とも言えないが、ハートがあたたかくなるのは確か。幸せに生きていけるようになるのも間違いない。新しい時代はクリアーな意識の時代であると共に、ハートの時代でもある。クリアーコンシャス&ウォームハート。クリアーな意識とあたたかなハート。これからの人類の生きる方向だろうか・・・『クリアーな 意識を持って あたたかな ハートと共に やさしく生きる』『あたたかな ハートに抱かれ クリアーな 意識は絶えず 現実創造』『クリアーな 意識と共に あたたかな ハートを持って すべてを見守る』これが714日目の心境です。*「713日目 - 水晶が届いて」 も同時にアップしました。
2006.12.16
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(「713日目 - 水晶が届いて(1)」の続き)他の人からのメールも、どれも心がこもっていた。少し紹介したい。(女性のみ?)本人の了解を取っていないので、匿名で。事後承諾、よろしく!【Kimiさん 先ほど(30分ほど前)。。無事に届きました~★丁寧な包装で。。開けようとするとき、我が家のらぴたが。。興味津々で近くに寄ってきて匂いを嗅いでいました。。何かを感じたのかな~。。?うん!たぶんね♪子供たちや主人に自慢して見せちゃいました~。。もちろん。。お値段は内緒です。。真ん中っ子が。。「オオ~!すげ~!!」と言って水晶をしげしげと見ていました。。ゴールドルチルでも、これは大小さまざまな水晶たちがキラキラ輝いていて、見る角度によって表情が違いますね~。。素敵過ぎます!ちょっと頑張ってみて良かった~。。♪ほんとうに憧れの屋久島から素敵な贈り物が届いて感激です♪もし。。迷惑でなかったら、ナチュラルヒーリングのHPの掲示板で自慢してもよろしいですか~。。?ちょっと。。せこいですか。。。?でも。。誰かに自慢したい~。。(笑)この前戴いたゴールドルチルと並べて置くことにしました。なので。。前からあった自分の石たちは、ちょっと移動です。一緒に置いてある物をよりクリアにしたいので。。♪今年の終わりに。。素敵なご褒美が自分にたくさんあって良い1年の締めくくりになりそうです~。。ありがとうございました!でわでわ~★】誰かに自慢したいくらい喜んでいただけて、こちらも嬉しいです。どうぞ自慢してください!【屋久島から鳥取まで迷子にならずちゃんと来てくれました。感謝!開いてまた感謝!小さな結晶がお花が咲いたようにびっしり!きれい~!!思った以上のボリューム!びっくり~!!!そしてツインと言う計らいにこれまた感謝!東京に単身赴任中の主人の所にエネルギーのおすそ分けしま~す。この上に置こうと決めてた台座に載せてみました。木のカーブが石の形ピッタシカンカン!!特注で作ったような出来栄えです。この上に載るために来てくれたような気がしましたよ。この台座3年前逝った義母のお兄さんが彫られた観音様が載っていた台です。観音様は母の棺にいれ台座が残っていたのです。まさに観音様の代わりに来てくださった石かもしれません。屋久島の美しい自然の写真もありがとうございました。クレアゆうこさんの写真と一緒にボードに張りました。kimiさんのHPはクレアゆうこさんのページで出合いました。11月3日たまたま東京に行っていたので光の写真展に行って見ました。その後彼女が逝ったことを知りました。とても悲しかったけど彼女が与えて下さった愛と光のことを思うと出会えた奇蹟にただただ感謝です。みんな繋がっていることがとても嬉しい気がします。with love 】みんな繋がっているのですね。愛と光で繋がっているのでしょう。それにしても観音様が乗っていた台座に乗れるなんて・・・幸せな水晶ですね。そう言われれば、なんとなく観音様の雰囲気を持つクラスターではありました。すばらしいベストマッチングですね。【昨日の夕方水晶とどきました^^☆どうもありがとうございます。今はこたつのテーブルの上にPCの横に置いてあります。しばらくここにおいて、光とエネルギーを皆でかんじてから、それぞれの置き場所へ置こうと思います。息子も水晶をみて「うおぉ~!ピカピカだあ~」と、さわっていました。「今日の日記水晶の事書いていい?」と日記に水晶が届いたこと書いていました。^^花の咲いているクラスター、当にたくさんの花が咲いていて綺麗です。こちらは玄関に置くことにしました。NO.16のゴールドルチル、大きなキラキラ光る虹があってとても綺麗です。落札できてよかったぁ~♪嬉しいです。あぁ~今とっても幸せ感じてます。実は12日にとてもショックで悲しくてつらいことがあり、なんとかkimiさんの日記や言葉を思い出し立ち直ろうとしましたが簡単にはいきませんでした。でも昨日ある出会いがあり、また水晶達が来てくれて、私も台風一過浄化された気がします。今はその出来事があった事がついていたんだ、ありがとうございます。という心境です。kimiさん、本当にありがとうございました。】花が咲いているようなクラスターは、玄関が似合いますね。水晶に架かるレインボーもきれいですよね。いろんなことがあっても、それを感謝と共に受け止められたら、すべてがすばらしくなりますね。この方からは、以前にもステキなメールが届いていました。次のものです。【以前見た夢で、ヒマラヤの山の中に小さな小さな校舎が1つの学校があり、そこで私の子供達が勉強をしていて、私は外にいました。なんとその校舎はすべて水晶で出来ていました。校庭?というか外もすべて水晶のクラスターで、アメジストやローズクォーツや色んな水晶でキラキラ☆輝いていました。なんとクラスターの上を歩いているのです。もう綺麗で綺麗で今でもはっきり覚えています。学校の帰りの道端にもクラスターがびっしりあり、そのクラスターを主人に採ってとお願いしたのですが、すぐに「こーんなに普通にたくさんあるのに採ってなんて、なんて欲深いんだろう」ととても恥ずかしくなったという夢でした。】ステキな夢ですね。水晶でできた校舎・・・そこで学んだら、何でも一発で覚えられそう。水晶の上を歩いてみたいですね。きっとヒマラヤの別の次元にあるのかもしれませんね。ぴあのさんも水晶でできた宮殿を見たようだし、水晶の建物がある次元があるようですね。水晶に縁があるのですね。【こんにちは!本日、スッキリ爽やか水晶を受け取らせていただきました!ありがとうございます!この水晶で体のあちこちを押すと、と~っても気持ちが良いですね♪特に頭は、スーッとしてGoodです(*^-^)bそれに、見ているとシャキッとするんですよね。とても頼もしい、助っ人水晶くんです。もちろんルチルちゃん達とも仲良しですよv(^-^)v今回も素敵なご縁をいただいて‥心からありがとうございました!来月の水晶祭りも楽しみにしています♪いつか、屋久島からのアメジスト‥な~んてのも夢みちゃうなぁ‥☆ではでは 明日も素敵な日であります様に。。ありがとうございました(=^▽^=)/】水晶で体を押したら気持ちいいでしょうね。屋久島からアメジスト?ステキなアメジストをアップしたいですね。【水晶をお送りくださって、ありがとうございました!日記を、読ませていただきました。何度も浄化をされて、大切に大切に、あつかってくださったのですね。kimiさんの水晶への思いが、奇跡を呼び寄せてくれたのだなあって、そんな水晶を届けてくださったのだなあって、ますますうれしくなりました。ほんとうにありがとうございました。あの、ちょっと、ふしぎなことを書くようで、勇気がいるのですが、この水晶を見つめていたら、いろんな思いがあふれてきて、kimiさんに、聞いていただきたくなりました。ほんとにたまに、なのですが、夜みる夢のなかで、メッセージのようなものを受け取ることが、あります。そして、ある夜の夢でわたしは、いのちの光輝いている、きよらかなエネルギーにみちた森の中にいたのですが、その森を感じていたら、「ここが、わたしの本当にいきたいところ・・・」と、祈りのような声が、お布団で寝ているわたしの体の奥深くから、するすると出てきて、その森へと流れていったんです。この夢の場所がどこなのか、じぶんでは分からなかったのですが、たまたま夢をみた2日後にチャネラーさんに会う機会があって、夢のことを話してみたら、そこは屋久島のようですよ、と教えてくださいました。それ以来、屋久島のことが気になって、あれこれ調べているうちに、kimiさんのホームページへたどり着いたのでした。届けてくださった水晶のことを、どこかなつかしいと感じるその理由のひとつは、夢で感じた屋久島の自然のエネルギーを、水晶をとおして感じているからかもしれないなあと、思いました。この水晶のおかげで、また一歩、屋久島に近づけた気がしています。自然とともに暮らすことは、わたしの理想でもあります。なので、kimiさんの709日目の日記は、ひときわ胸にしみこんできます。いつか、ほんとうに、屋久島へ行ってみたいです。・・・と、すみません!ついつい、つらつらと、長いメールになってしまいました、ごめんなさいです。つぎの水晶まつりも、たのしみにしています。また何かご縁がありましたら、うれしく思います。このたびは、ほんとうに、ありがとうございました!】屋久島と縁があるのですね。ぜひ屋久島へ来てください。すばらしい自然の中へご案内しますよ。自然と共に暮らすのは、すばらしいですよね。早く実現するといいですね。【昨日、水晶が無事やってきてくれました♪まさに、これが無色透明なんだろうな~♪と感じる美しい水晶に感激しています。形は、角ばっていますが、手にすると丸みのあるものを包んでいるかのように、柔らかい優しさを感じます☆むぎゅ~と抱きしめました(/*^-^(^^*)/ ダキッそして、私がいつも身につけている5ミリ位のクリスタル球とも、ご対面させてあげました。(ёё。)(。ёё)。うふうふ♪ネックレスのトップにしているのですが、届いた水晶の先端に、クリスタル球を近づけていくと、ご対面できたのが嬉しいみたいに、不思議な動きをしていました♪今は、水晶のパワーをお借りすることの方が多いと思いますが、水晶とともに一歩ずつ前へ進んでいきたいです☆どうもありがとうございました。】水晶は無色透明なのですが、柔らかくて優しいですよね。ヒマラヤ水晶は本当にステキです。なかなか離れられません。それぞれの方が、水晶との出会いを楽しんでおられるのがよくわかる。送った方としても、これ以上の喜びはない。また、日記をきちんと読んでいただいているのも嬉しい。屋久島とも、光のkimiとも縁があるのだろう。これからも屋久島の光を、宇宙の光を、水晶に乗せて送りたいと思う。光の水晶があなたの元に届くのはいつだろう・・・『光乗せ 日本全国 水晶を 送り届ける 光化のため』『魅せられた 水晶すべてに 光込め 送る喜び 光り輝く』これが713日目の心境です。
2006.12.15
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屋久島は不安定な天気が続いている。暖かくなったり寒くなったり。そのため、里ではまだカエルやヘビが冬眠していないらしい。道路際をのろのろ動いていて危ないとか・・・今日から東京ではミネラルショーが始まっている。おかげでいつもチェックするサイトのほとんどが、新規のアップが止まっている。出店しているか、買い出しに行っているか・・・朝の楽しみが半減。しかし、午後になると水晶が届くので、ワクワクとなる。一番興奮するのは、箱を開けて水晶の包みを解く瞬間。どんな水晶が出て来るか?今日は・・・ヒマラヤ水晶が7個やって来た。ガネーシュヒマールのクラスターが2個。ラスワのポイントも2個。アンナプルナのポイントが1個。オマケとして、ガネーシュヒマールのポイントが1個。別のサイトからは、クル・マナリのクラスター。ところが、これが・・・ウーン!前回のインドヒマラヤのクラスターと同じ。過激な浄化を必要とする感じ。どうもクル・マナリ産は、調整が必要なようだ。クル・マナリ産というより、インド産は・・・とりあえずは、入浴してもらった。雨が降れば、雨にも打たれてもらおう。太陽が出れば、太陽にも晒してみよう。もちろん、天気が良くなれば海と川へ連れて行く。一方、ヒマラヤ系は、浄化の必要を感じないくらいきれいだった。特にガネーシュヒマールのクラスターは、透明感に溢れていた。またラスワの水晶は、とても個性的。他のヒマラヤ水晶とは一味違う。トップに子供の水晶を載せていたり、きれいなレインボーが現れたり。金色や銀色の鉱物も含有している。同じヒマラヤ水晶でも、まったく雰囲気が違う。これはハマりそう。そのレインボーは、昆虫の背中を連想させる。点ではなくて、線。線というより、流れ。それはそれは美しい。アンナプルナのポイントは、かなり大きい。身長64mm。これだけのアンナプルナは、なかなかない。しかも、透明で形も美しい。オマケのガネーシュヒマールも、とてもユニーク。ほとんどは緑のクローライトで覆われている。ところが、裏側に二本角が生えている。まるで般若のお面のような雰囲気。こんな水晶は初めて見た。ラスワの水晶といい、今回はユニークなのが揃った。みんなすご~くいい。これだけ集まっても2万円もしない。安いものをたくさんというのも、楽しみ方の一つ。厳選した高価なものを一つというのも、また別の楽しみ方。いろんな楽しみ方がある。TPOで使い分ければいい。今回の水晶祭りで旅立った水晶たちの新しい持ち主からメールが届いた。今回は全員からメールが来た。いや、一人だけメールを寄こさなかった人がいた。それは・・・それは、こともあろうに秘書のぴあのさん。でも・・・その代わりに電話があった。一人息子のおなもみ君と共に。おなもみ君は、ブラジルのクラスターが一番気に入ったらしい。確かにあれはキラキラ輝いていた。ぴあのさんは、アメジストのクラスターをゲットしたとか。あれ? おなもみ君へのクリスマスプレゼントでは?ぴあの家が興奮しているのが、直接伝わってきた。前回といい今回といい、楽しいセットが届いている。お楽しみ福袋セットは、大ウケ!もっとたくさんできるといいのだが・・・(「713日目 - 水晶が届いて(2)」へ続く)
2006.12.15
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屋久島は、サツマイモの収穫時期を迎えている。近くの畑では焼酎芋の収穫がおこなわれていた。最近の焼酎ブームで焼酎芋が不足気味。だいぶ耕地面積が増えているが、それでも焼酎「三岳」はなかなか手に入らない。近くの日曜大工の店で無農薬のサツマイモを売っている。近所の農家の人が置かせてもらっているもの。毎年置いてあり、それなりの人気があるのだろう。よく買って食べる。石焼き芋用の鉄の鍋に入れると、本当に石焼き芋並みに美味しくなる。サツマイモも5~6種類あって、微妙に味が違う。黄金色のものが、美味しい。紫芋は、イマイチ。昔の屋久島は、これが主食だった。米が取れなかったので、サツマイモを食べて暮らしていた。屋久島の痩せた土地でも、芋なら取れる。昔はサツマイモとサトウキビをたくさん栽培していたようだ。今ではサトウキビは、ほとんど栽培されていない。農業も漁業も林業も昔ほど振るわない。ただ観光だけが屋久島を支えている。観光客だけは増え続けている。屋久島で増えているものは、ホテルと民宿とガイドとレンタカー。観光産業の従事者だけが増えている。いや、もう一つあった。お年寄り。若い人は職がないので、みんな島の外に出てしまう。わずかに役場や営林署などの公的機関に多少就職できる程度。屋久島の所得は低い。文化施設も乏しい。島の若い人にとっては、あまり魅力的ではないかもしれない。一方、都会からは、たくさんの人が移住してくる。自然が好きな人にとっては、たまらないところ。山も川も海も滝もある。熱帯魚もいれば、雪も降る。温泉もあれば、水も美味しい。空気はクリアーで、天気さえ良ければ満天の星が見える。自然で揃っていないものは何一つないくらい。屋久島はリピーターが多い。一度来ると病みつきになってしまう。それほど見るところがたくさんある。やがて住みつく人も多い。今日も水晶クラスターが2個届いた。一つはアメリカのアーカンソーのクラスター。もう一つはブラジル産。同じ水晶でも、産地によって雰囲気が異なる。ブラジルのものは、白い感じ。ガラス質で透明。アーカンソーのものは、鋭角で成長線がはっきりしている。質感としては、アーカンソーの方が多少高いだろうか。アーカンソーの水晶は、なんとなく馴染みがある。何か繋がっているものを感じる。ヒマラヤ水晶にも感じるが、アーカンソーはまた違う感じ。過去世でアメリカインディアンだったり、ヒマラヤに住んでいたような気がする。夜、アメリカの歴史物の映画を見る。白人とインディアンの関わりの歴史。最近、異様にインディアンに親近感を覚える。なぜだろう?水晶の浄化のためにセドナ産のセイジの煙を使う。しかし、本当は煙よりもセイジの香りそのままの方が好きだ。いつも座る椅子の後ろにセイジの入ったビニールの袋が置いてある。ビニール越しにセイジの香りがする。その香りを感じると、何とも言えない気持になる。幸せとも、懐かしいとも、神々しいとも・・・それらが綯(な)い交ぜになったような気分。何とも言えない心地よさ。それは今生だけでなく、過去世から知っている香り。アメリカインディアンの時の香りだろうか。もう幸せでしかたがない。ただそれだけで満たされる。もう少ししたら、セイジの袋をまとめてオーダーしたいと思っている。部屋中に袋を置いて、部屋の中をセイジの香りで満たしたい。なんとなく神聖な気分になるだろうか。それとも、精霊が宿る感じの部屋になるだろうか。セイジの香りは、ヒマラヤ水晶ともよく合う。空気をピュアーにしてくれる。殊更(ことさら)に香を焚いたりしないで、自然に香っているのがいい。野の花のように・・・最近は、ポイント(単結晶)よりもクラスター(群結晶)の方に関心が向いている。やはり、クラスターの方がエネルギーが高い。そして、自然な感じがする。ここのところ、クラスターを多くオーダーしている。水晶はどんどん増えている。既に軽く百個を超えた。まだまだこれからも届く。1月の水晶祭りには、たくさんの水晶を出す必要があるだろう。そうしないと、置く場所がなくなる。狭い部屋なのだから。無理にでも循環させないとならないようにできている。すばらしい!これまでの水晶祭りで、手元にあった大きな水晶はほとんど出払った。そうなると、なんとなく部屋の中が寂しくなった。なくなってみて初めてわかる大きな水晶の存在感。あの水晶たちによって、この家は支えられていたというのがよくわかった。部屋の空虚感を埋める必要を感じて、シトリンの大きなポイントを購入した。これまでに見たこともないような立派なポイント。無研磨で、色といい形といい最高クラスのもの。まったく欠けもなく、透き通っている。そして、昨日はヒマラヤ2007が届いた。これまでに持っていたものより、更にバージョンアップしている。手放すことによって、更にすばらしいものがやって来る。まず手放すこと!すばらしいものが入ってから手放そうと思うのが人情。ところが・・・それではいつまで経っても、すばらしいものはやって来ない。まず手放す。手放せば、そこに空白が生まれる。虚のエネルギーが生じれば、そこに実のエネルギーがやって来る。風呂に入って、お湯を手で自分の方に集めようとする。いくら集めても、集めた端からお湯は去っていく。そうではなくて、お湯を先に送り出す。そうすると、いやでも新しいお湯が入ってくる。低気圧のところを目指して高気圧から風が吹くように。まず出すことなのだ。出さなければ、新しいものはやって来ない。いつまでも古いものを溜め込んでいれば、新しいエネルギーはやって来れない。何かをやってもらったら、やってあげるのではなくて、まず自分からやること。そこからすべての動きが始まる。受け身、受動的なのも悪くはないが、自分から創造するのもすばらしい。自分から動きをクリエイトする。波紋の中心となる。新しい波を創り出す。まず手放す。まず自分から解放する。そうすると、解放した以上のエネルギーが返ってくる。連鎖反応が起きる。連鎖反応を起こし、相乗作用を呼び、波紋は広がっていく。隗(かい)より始めよ。すべては自分自身から始まる。まず手放すこと。解き放てば、やがて必要なものは自然に入ってくる。解き放たなければ、いつまで経っても返ってくるものはない。まず自分から。愛もエネルギーも、すべてがそのようになっている。自分の中にあるものを惜しみなく与える。お金も貯め込んでばかりいてもしかたがない。必要な時は思い切って使う。そのためにコツコツ溜めるのも悪くはない。お金もエネルギーも、いつも使いっぱなしでは、その日暮らしになってしまう。それでもいいのだが、それではまとまったものは得られない。そういう意味では、蓄えるのも否定はしない。しかし、蓄えてばかりいるとエネルギーが滞ってしまう。蓄えたら、思い切って使う。使えば、また自然に入って来る。それが循環。すべては循環している。その日暮らしでもいいし、多少の蓄えがあってもいい。蓄え過ぎないように注意する必要がある。富が一部に偏ると、社会はおかしくなる。常に流すこと。余計なものが溜まり過ぎると病気になる。風邪は余計なものの解放作用。熱で溶かし、痛みで解き放つ。必要以上に溜め込まない。自分から出していれば、間違いはない。手放す。解き放つ。与える。自分の創造エネルギーを解放する。自分の望む現実を創り出す。それが神の一人子の役割。みんなが神の一部であり、神そのもの。クリエイトする。創り出す。解き放つ。創造のエネルギー!『自分から 解放すれば 順繰りに 周り回って 戻って来るもの』『使わずに 持ってるだけでは 持ち腐れ どんどん使って どんどん回す』『まず出して どんどん出して 空になる 後は自然に 入るしかない』これが712日目の心境です。*「711日目 - ヒマラヤ2007」 も同時にアップしました。
2006.12.14
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庭に出ると菊の香りがする。特に天気の良い日は香りが強いような気がする。寒いと菊も身を縮めるのだろうか。暖かいと菊も開放されるのだろうか。午後になって、水晶が届いた。今回はビッグワンが含まれていた。オーダーしたのは、ヒマラヤ水晶。オマケでブラジルの水晶も入っていた。このサイトは、いつもオマケを入れてくれる。それも楽しみの一つになっている。良心的なサイトなので、よく購入する。やはり自分と波動が合うところから購入する方がいい。ガネーシュヒマールは、全部で8個。それぞれ個性的。普通は透明感のあるものを買うのだが、今回はまったく透明感のないものが一つ含まれていた。それは詳細を見ないでオーダーしたから。ここは詳細画面を見ているとISDNでは買えないサイト。一枚の写真だけでオーダーするので、たまにミスも起きる。ミスが起きても何万円ということはないので、数千円の範囲なら許せる。ミスもまた楽しいこともある。自分が思ってもみなかったものがやって来る。今回は、水晶全体が苔で覆われていた。まるで屋久島の森で取れたかのような水晶。緑色のクローライトという鉱物で全体が覆われている。これもガネーシュヒマールの特徴の一つ。なかなか味わいがある。ヒマラヤらしいと言えば、言えないこともない。こういうのも嫌いではない。逆に、透明そのものの水晶もあった。但し、これは小さい。わずか3cm程。しかし、ハキーマーダイヤモンド並みに透き通っている。こういうものの大きなものがほしいのだが、なかなかない。ヒマラヤ水晶も透明感のあるものは少ない。白濁したものが圧倒的に多い。大きくなればなるほど、その傾向が強い。しかし、今回届いたビッグワンは、その常識をかなり覆すものだった。残念ながら、完全に透明とは言えない。しかし、上半分は透明。下半分は欠けていて、雲がある。これまでたくさんのヒマラヤ水晶を見てきたが、大きくて完全に透明なものは見た記憶がない。大きなものは、ほとんどが白濁している。7~8cmぐらいなら、透明なヒマラヤ水晶もある。5cm前後なら数え切れない。しかし、10cmを超えて透明となると、そうそうあるものではない。大きくなればなるほど、時間の経過と共にいろんなものが含まれてくる。今回のものは、半分以上は完全に透明。しかも、トップも美しい。これまで自宅にあった最も大きな水晶は、高さが13cm、重さが675gのシトリンのポイント。しかし、今回のガネーシュヒマールは、これを上回る。身長17cm、体重790g。一回り大きい。これだけの透明感と大きさがあれば、この家の柱になるだろう。この家を支える柱の一つになるに違いない。単にこの家だけではなく、もっと大きなものを支えられるかもしれない。屋久島?いや、屋久島は支える必要はない。十分に自立している。自立しているだけではなく、他へもエネルギーを送っている。それでは何?この大きな水晶は何を支えるのだろうか。もちろん、この日記を書いている本人を支える。本人を支える必要があるの?とお思いになる方もあるかもしれない。しかし、光のkimiと言えども生身の体。それなりに波もある。そういう時に、光に満ちた水晶は安定性をサポートしてくれる。しっかり光で包んでくれる。同じことは、他の人についても言える。常に光をチャージしているものが身近にあると、自分自身が安定する。それに依存すれば問題だが、サポートとして活用するなら役に立つ。それが水晶の役目でもある。この水晶は、宇宙の光をキャッチし、地上に放射する光の柱の一つになるだろう。それくらいのサイズがある。脇に子供のような水晶が付いており、横幅は9cm近くもある。なにしろ大きくて存在感がある。これがやって来たということは、ここが光のキー局になるということだろう。既に今でも光のキー局の一つではあるけれども、更にバージョンアップするということだろう。水晶は光をチャージしてくれる。この水晶は、母船並みのスケールがある。まだ屋久島の海と川での浄化が済んでいないので、ほとんど機能していない。まだお客さんという感じ。やはり海と川で洗礼を受けないと、屋久島バージョンにはならない。屋久島の海と川で洗礼されて、生まれ変わる必要がある。新しい光の水晶となって、ヒマラヤ水晶が持つ本来の機能を発揮することになるだろう。まるで新しい大きなアンテナが立つような気分。水晶というのは、光のアンテナ。特に透明な水晶は、ピュアーな宇宙のエネルギーをチャージする。しかし、この台座を作るのは困難を極めた。なにしろ重いので、紙粘土が潰れてしまう。この体重を支えられない。全体を一度に作るのは難しいので、まず基礎を作ってから・・・何日もかけて、この水晶の台座を作ることになりそう。今はシーズンオフなので、時間はたっぷりある。最近は雨が多いので、なかなか浄化にも行けない。台座が完成する頃には、ちょうど浄化に行けるだろうか。2007年に向け、更にバージョンアップするために、この水晶はやって来たのだろう。新しい時代を切り開く水晶。この水晶を「ヒマラヤ2007」と名づけよう。2007年のエネルギーを象徴する水晶だから・・・透明感。光の方向性。明確な指向性。光へ向かうことがより明確になる年、2007。それを象徴するような水晶の到着。来年も光へ向け、日記を書き続けていくことだろう。また新しい光の展開があるだろう。人類にとって、かなり期待できる年のはずだ。『新しい 光の年を 指し示す ヒマラヤ水晶 屋久島に着く』『新しい 光地上に 放射する アンテナとして 水晶届く』『新しい 年に向かって 様々な 準備静かに おこなわれている』『人類の 意識浄めて 新しい 時代を開く 水晶届く』これが711日目の心境です。
2006.12.13
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朝から水晶の発送作業。繊細な水晶が途中で折れないように、厳重に梱包する。梱包のノウハウは、度重なる水晶祭りでほぼマスター。購入する水晶を包んでいる梱包材料をリサイクル。11時過ぎに宮之浦の本局に届ける。エクスパック500は、明日には届く。ゆうパックも今回は近いので、明日中に届くとのこと。近いからか、クロネコより料金が安い感じ。郵便局は混んでいた。郵便局だけでなく、買い物に行ったスーパーなども混んでいた。なんとなく師走という感じ。今年も残り少ない。せっかく宮之浦まで来たので、縄文水の工場の湧き水を汲んで帰る。本当は白谷雲水峡の不老長寿の水が一番。しかし、あそこまで行くのは大変。とりあえずは、今日はこれでガマン。自宅に帰ると、引き取り手のないゴールドルチルが3個だけ寂しそうに残っていた。かわいそうなので、配置転換。1月の水晶祭りの準備スタート。さて、何を出そう?自宅にある水晶たちを、とくと眺める。ゆっくりリラックスしながら見つめていると・・・ふと、あるアイデアが。ヒマラヤ水晶とゴールドルチルを組み合わせる。名づけて、クリアー&歓喜セット。ヒマラヤ水晶は、人の意識をクリアーにする。ゴールドルチルは、人を歓喜に導く。その二つをセットにする。歓喜のための準備として、意識をクリアーにする必要がある。それにはヒマラヤ水晶が役に立つ。意識がクリアーになったら、次は歓喜に導いてもらう必要がある。それにはゴールドルチルが役に立つ。この二種類の水晶をセットにする。なかなかすばらしいアイデア。ところが・・・見渡すと、圧倒的にゴールドルチルが足りない。ヒマラヤ水晶は、なんとか手に入る見込みがある。しかし、ゴールドルチルは、まったくその見通しが立たない。いくらネット上を探しても、良質のものはめったに見つからない。たまにあったとしても、既に売却済みか極端に高い。良質のゴールドルチルを販売した実績のあるサイトを、常時チェックしている。それでも良いものを手に入れるのは至難の技。なかなかセットにするのは骨が折れそう。とりあえずは、自宅にあるゴールドルチルを活用するしかない。これまでは、手に入れた水晶を屋久島の自然で浄化・充電して、お譲りしますコーナーに出していた。これからは、もう少しクリエイティブにコーディネイトして出すことにしよう。もちろん、これまで通りのものもある。みんながみんなコーディネイトできるわけではないから。前回も今回もセットものが楽しかった。いろんな水晶を組み合わせてセットにすると、まるで福袋のようになって面白い。コーディネイトする方も楽しいし、開ける方も楽しいだろう。これからはできるだけ、そのような楽しい組み合わせを工夫したい。組み合わせることによって、それぞれの水晶の効果が更にアップする。相互作用から相乗効果が生まれる。単に右から左に回すだけではなく、少しは付加価値を創造しよう。コーディネイトするのは楽しい。自宅にあるヒマラヤ水晶とゴールドルチルを、ゆっくり眺める。何か共通点や惹かれ合うものはないだろうか。コンビを組める水晶を発見!芸術コンビ?ヒマラヤ水晶が、芸術的な形をしている。ゴールドルチルも、一風変わっている。これで一組決定。次は・・・そう、これ。超ピュアーなクラスターセット。これは美しい。ここまできれいなガネーシュヒマールのクラスターも珍しい。長い間、自宅で活躍していたクラスター。ヒマラヤ水晶の中のスペシャル。母岩がなく、すべてが水晶質。透明感に溢れている。一方のゴールドルチルのクラスターも、ピュアー。形も整っているし、水晶の質も透明。もちろん、ゴールドも輝いている。こちらは、わりと新しい。両方とも小さい。小さいけれども、クオリティは申し分ない。すばらしいマッチング。ベストに近いペアー。他にもいくつかセットになりそうなのを発見。しかし、セッティングはなかなか難しい。そう簡単ではない。焦らずに、気長に見守るしかない。もう少しストックを増やす必要がある。ベストのマッチングを探すには、ある程度の数がいる。しかし、ゴールドルチルは少ない。その上、価格が高い。まあ、ボチボチやるしかないだろう。商売ではないのだから。趣味?新しい価値の創造?ヒマラヤ水晶とゴールドルチルを組み合わせて売っているところは、これまで見かけたことはない。たぶん、まったく新しいマッチングだろう。自分自身が自然におこなっていたマッチング。自宅にあるのは、ほとんどがヒマラヤ水晶とゴールドルチル。このようなマッチングをしてお譲りするのも、自然な成り行きなのかもしれない。少なくとも、この日記を読んだり屋久島ナチュラルヒーリングのHPを見ている人にとっては、そんなに違和感はないだろう。もちろん、違和感をおぼえる人もいるかもしれない。それは各人の自由。ヒマラヤ水晶とゴールドルチルの組み合わせが自分に合っていると思う人は、リクエストすればいいだけのこと。選りすぐられたものであり、数も限られるので、希望価格は多少高くなるかもしれない。なにしろゴールドルチル自体が高いので。まあ、どうなるかは1月の水晶祭りのお楽しみということで・・・『クリアーに なって歓喜の 時を待つ ヒマラヤ水晶 ゴールドルチル』『役に立つ 水晶いろいろ マッチング 新たな価値の 創造楽し』これが710日目の心境です。*「709日目 - 最後の充電」 も同時にアップしました。
2006.12.12
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朝、太陽が出た。旅立つ水晶たちの最後の日光浴。一昨日、海と川での浄化を済ましているので、本当に最後の最後の充電。もう数え切れないくらい屋久島の太陽を浴びている。お譲りします水晶に当選した屋久島の知り合いが、水晶を引き取りに来た。同居している人と二人で来た。しかし、残念ながら今日は水晶には近寄れない。もちろん、彼女に行く水晶は別。日光浴している水晶の2m以内、立ち入り禁止!普段はそんなことはしないので、もう一人の方がなんとなく不満そう。しかし、ここで水晶に触られたら泣いてしまう。ここまで来るのに、どんなに大変だったか・・・本当は、触るだけでなく息も吹きかけてほしくない。それくらい水晶というのは敏感。完璧な状態で送りたい。そのために何度も何度も自然による浄化を繰り返している。ヒマラヤ水晶を手にした彼女には、もう1個別の水晶が待っていた。それは・・・前回、彼女が来た時、彼女が気になった水晶。その時は届いたばかりで、とても譲る気にはならなかった。数日前、彼女は日光浴している水晶を見て、きれい!と叫び声をあげた。それはL字の形をしたブラジルのコリント産の水晶だった。透明感があって、ユニークな形をしていた。その水晶も手作りの台座付きで譲ることにした。両方とも、そんなに高くはない。合わせて5000円。そんなに安くていいんですかという感じ。原価が安いのでしかたがない。朝の太陽は1時間ぐらいで姿を消した。しかし、1時間太陽の光を当てれば、それで十分。今日は仕上げ。既に十分充電してある。思い返せば、今回の水晶たちは奇跡の連続だった。連日の雨で、満月も見れなかった。しかし、この水晶たちは、前日に日光浴と月光浴を済ませていた。その後も雨が続いたが、天気予報が外れて太陽が出た時に海と川での浄化ができた。そして、今日。天気予報では晴れる気配はまったくなかったのに、1時間だけ太陽が出た。これで明日発送できる。完璧!明日の11時までに本局へ持っていけば、次の日には新しい持ち主のところへ届く。それで12月の水晶祭りが完了する。ここ数ヶ月繰り返していること。屋久島ナチュラルヒーリングのスペシャルイベント。夜、地震があった。かなり長いこと揺れていた。久しぶりの地震。屋久島は、あまり地震はない。地震が起きる直前、鳥や動物の鳴き声がした。その直後に、地震が来た。すごい!動物たちは大地が揺れる前にキャッチしている。それは波のようなものだろうか。電磁波の異常?何かの信号をキャッチしているのは間違いない。辺りがなんとなく騒然となった。自然から離れた人間が忘れてしまったもの。動物たちは、未だそれを持っている。本能?人間だけが退化してしまった?そういう感性も、また取り戻す必要があるだろう。人工的なものに囲まれて、人は大切なものを失っている。もうその失ったものが何かさえわからなくなっている。もう一度原点に戻る必要がある。自然と共に生き、自然のリズムと共に生活する。自然ベースの生き方を取り戻す必要がある。これからは自然との共生の時代。自然と共に自然に暮らす時代。風を感じ、雨を感じ、太陽を感じる。川を感じ、海を感じ、滝を感じる。山を感じ、森を感じ、木を感じる。自然のすべてを感じる。自然の中で自然に囲まれて暮らす。自然はお友達。自然は身内。屋久島の自然に囲まれて暮らす幸せ。『浄化して 浄化しきって 送り出す その水晶の 光と共に』『屋久島の 自然の中で ゆったりと 自然と共に 暮らす幸せ』これが709日目の心境です。
2006.12.11
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(「707日目 - 浄化」を読んでから、この日記をお読みください)昨夜は最悪のコンディションで床に着いた。目が痛いだけではなく、頭も痛かった。食欲もなく気力も失せていた。寝るしかなかった。一夜明けると・・・様相は一変していた。昨日のあの重苦しさが、まるで嘘のよう。スッキリした気分。頭さわやか。目も軽やか。何も問題がなくなっていた。まるでベタ凪。このパターンは何度も経験している。昨夜は浄化の嵐。今日は台風一過。雲一つない青空。気分爽快で、溜まっていた日記を三日分も書いてしまった。昨日は目が痛くて日記が書けなかったのが信じられない。まあ、よくもこんなに激変するもの。すばらしい!激変したのは人間だけではなかった。一昨日書いたインドヒマラヤから届いた水晶クラスター。昨日は他の水晶と一緒に海と川で浄化。そして、今日は・・・まるで見違えるようになっていた。これがあのクラスター?という感じ。もう届いた時の雰囲気はまったく残っていない。昨日、浄化に行く前、クラスターの剪定をした。剪定?そう、盆栽の剪定と同じ。これには訳があった。このクラスターを持った後、何度が指から血が流れた。どうも水晶で切ったらしい。たぶん、折れたポイントで切れたのだろう。いくつか折れたポイントが見受けられた。そういう訳で、まず折れたポイントをペンチでカット。意外と簡単に取れる。次にクラスターの周囲のデコボコを修正。ケガしないように欠けているところを取り除く。その他にも全体的に調整。この作業は盆栽の剪定と変わらない。ペンチで容易に調整できる。クラスターというのは意外と壊れやすい。これまでに何度も壊したことがある。高い授業料を払って、それなりに学習している。今回は極めてきれいに調整できた。その上で海と川へ持っていった。海と川で更に丁寧に浄化。二日間、お風呂にも入った。それも一晩中。雨や風や太陽にも当たった。可能な限りの浄化は尽くした。そして、ピカピカになった。実にハイクオリティの水晶に蘇った。元々素質は高かった。まるで鶴のような雰囲気。誰かに購入価格で譲ってほしいと言われても、もう譲る気にはなれない。届いたその日なら、喜んで譲っただろうに・・・そのくらいきれいになった。今では自宅の入口近くに置かれている。光線の関係で、ここが一番この水晶が映える。やはり、水晶ごとに合う場所がある。それぞれの水晶が活きる場所に置いてあげることだろうか。このクラスターは、一本一本のポイントがとてもしっかりしている。天を向いているものが多く、全体的に調和している。透明感や照りは、それほどでもない。しかし、全体のバランスがいい。安心できるというか、見ていて心が落ち着く。これは剪定したからではないだろうか。それに風雨で鍛えられたからかもしれない。なんとなくスマートな鶴を彷彿とさせる。しばらくはここに滞在して、この場を浄化してもらおう。せっかくインドヒマラヤからやって来たのだから。やがて、このクラスターもどこかへ旅立つだろう。誰が屋久島で強烈に浄化されたクラスターを引き取るのだろうか。人間も水晶も、磨かれ、浄化され、美しくなっていく。雨も風も太陽も月も、自然はすべてを浄め、美しくする。嵐は嵐のためにあらず。すべてを浄化し、自然のバランスに戻すためにある。病気は病気のためにあらず。すべてを浄め、健全にするためにある。この世の荒波も、ただ苦労するためにあらず。心身を浄め、光り輝かせるためにあるもの。そう思えば、何も怖いものはなくなる。すべてによって人は磨かれる。そのつもりでいれば、何も問題はない。嫌がるから、問題が起きる。「艱難辛苦を我に与えたまえ」と言った昔の人もいた。「艱難汝を玉にす」とも言う。逃げないことだろうか。逃げ腰になれば、何事も辛くなる。立ち向かうことだろうか。正面から対峙すれば、なんとかなるもの。前を向いて生きることだろうか。前を向いて生きれば、艱難辛苦も魂(たま)磨きの材料となる。磨かれれば磨かれるほど、玉も魂も美しくなる。水晶も人間も美しくなる。屋久島の自然は、すべてを浄め、美しくしてくれる。『屋久島の 自然の中で 磨かれて 光り輝く 水晶となる』『人もまた 艱難辛苦に 磨かれて 光り輝く 魂となる』これが708日目の心境です。
2006.12.10
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朝、太陽が出た。旅立つ予定の水晶たちを日光浴させる。新しく来た水晶たちも、その隣に並べる。久しぶりの太陽が眩(まぶ)しい。天気は良さそう。それではいっそのこと浄化に行くか・・・ザルを出して水晶を入れる。4個の大きなザルでも入りきれない。とりあえずは、旅立つものと新規優先。いつもの海岸へ行く。ちょうど満潮時で波が高い。とても水晶を海中に置いておける状態ではない。しかたがないので、海に入ってザルを手に持ったまま浄化する。しばらくしたらザルを取り替える。激しい波なので、浄化力は強そう。短めに切り上げて、川へ行く。川の水も、そんなに冷たくはなかった。ここのところ暖かい日が続いている。なんと今日はTシャツでOK。12月というのに・・・川で1個1個の水晶を手で磨く。たくさんあるので時間がかかる。新しく来たものは小さいものが多く、数だけはたくさんある。川の中の大きな石に座って、のんびり水晶磨き。足と手は水に浸かっているので、自分自身も浄化されているみたいなもの。かなり長い時間やっていたが、そんなに冷えた感じはしなかった。陽射しがあって、水晶たちは川の中でも日光浴。誰もいなかった。少し曇ってきたので、ピカピカになった水晶を持って帰る。車に乗ると、雨がポツポツ・・・抜群のタイミング。自宅に帰って水晶を干す。1~2時間は太陽が出ていた。しかし、その後は土砂降りになった。なんというタイミング!すばらしい!ここのところ雨続きだった。そのため、水晶の浄化にもなかなか行けなかった。水晶の引き取り手が決まって、最高のタイミングで晴れた。水晶は完璧に浄化された。水晶の浄化は何も問題なかった。ところが・・・だんだん目が痛くなってきた。ここのところ目を酷使していた。この数日、水晶のネットサーフィンをしまくっていた。水晶中毒は、どんどんひどくなっている。仕事がシーズンオフになって、水晶を見るのが楽しみになった。時間があるので、ネットで新しいサイトを探しまくっている。その結果、目が痛んでしまった。仕事の時は、森の中で癒されていた。森の中に入ると、目が痛くなって、アクビが出続けた。それによって、定期的に目はクリアランスされていた。今回は、水晶の浄化と共に自分自身も浄化されたようだ。目が痛いのなんの・・・もうパソコンの画面を見ていられない。もちろん、テレビも見れない。やがて、頭も少し痛くなってきた。食欲もない。もう寝るしかない。早めに布団に入る。ところが、布団に入っても、そんなに眠くはなかった。肉眼は使えないが、意識の目なら使える。いったい自分の頭の中はどうなっているのだろう?頭の中を意識の目で見てみる。左脳が詰まっていた。左脳が完全ではないのは以前からわかっていた。特に右脳との境目あたりの詰まりがひどかった。何か黒いものがいっぱい張り付いている感じ。これはひどい!詰まりを取り除くために、いろいろテクニックを使う。先日DVDで見た脳内体操もさっそく活用。左右に伸ばしたり、前後に伸ばしたり・・・いろいろやっていたら、かなりきれいになった。右脳の方は問題はない。左脳の方はまだまだ硬い。右脳と左脳をつなぐ間脳は?こちらは非常に活性化していた。いつも動いているところ。松果体や脳下垂体がある辺り。脳の中で動いているのがわかる。この辺は霊的な中枢部分。宇宙的なエネルギーをキャッチするところ。ここら辺りは完璧。何も問題はない。この辺りが常に動いているということは、更に活性化しようとしているということ。宇宙とより強く繋がろうとしている。これからもその繋がりが強化されることはあっても、弱まることはないだろう。一方、左脳の方は・・・これはこれまで生きてきた心理的な外傷だろうか。あるいは、緊張の結果だろうか。まだまだ自覚されていない心理的な傷があるということかもしれない。なかなか解放するのは時間がかかる。心理的に解放するのは、早い。しかし、肉体レベルで記憶されているものを解放するのは時間がかかる。固まった肉体を本来の健全な状態に戻すには、それなりの時間が必要。特に脳の場合は、いろいろ大変。脳の傷を修復するのは、他の部分とは異なるようだ。脳の密度は、肉体の他の部分とは比較にならない。極めて緻密にできている。その部分が傷つくと、ダメージは大きい。心理的な傷によって、脳も変化してしまうのだろうか。心理的、肉体的痛みを記憶する際に、脳もまた傷つくのだろうか。なんとなくそんな感じがする。幼少時期の心理的な傷は、成人してからも尾を引く。幼少時期の心理的な傷を思い出すのは、なかなか骨が折れる。しかし、そういうものが脳内の傷になっている。あるいは、心理的緊張が脳を硬くしている。先ずはそういう事実を自覚することだろうか。肉体人間として生きる場合、どうしても肉体の状態に影響される。いくら心理的に完璧でも、肉体に欠損があると、何かと支障がある。やはり、肉体もメンテナンスする必要がある。できるだけ健全な状態に保つことが不可欠。左脳と左眼は、まだ完全ではない。左脳や左眼の調整は20代からやっている。もうかれこれ30年近くやっているのに、まだ完璧には程遠い。いかに幼少時期の影響力が強いかということだろうか。それは単に幼少時期だけの問題ではない。過去世からの問題に繋がっている。過去世を背負って幼少時期がある。過去世と無関係な幼少時期ということはあり得ない。すべては自分自身の歴史に繋がっている。過去世を超え、魂レベルまで繋がっている。そのすべてを浄化する必要がある。歪んでしまった部分は、健全な状態に戻すしかない。けっして歪まない部分もある。けっして曇らない部分もある。しかし、曇ったり、歪んだりする部分もある。肉体が傷ついたり、痛んだりするように・・・心も傷つく。意識も肉体同様傷ついたり、歪んだりする。そういうところを自覚して、修正する。バランスの取れた健全な状態に戻す。自分自身が自覚されるにつれて、自分の歪みや傷もわかってくる。心理的にはすぐに消えるが、肉体的には時間がかかる。ゆっくり気長にやるしかない。焦る必要はない。自分の光の部分にベースを置いて、影の部分に光を当てる。自分の光の部分は、人類共通の光。自分の影の部分は、人類共通の影。自分の影を浄化することは、人類の意識を浄化することでもある。自分と人類は別ではない。人類の中の自分。それは繋がっている。一つのものの一部でしかない。しっかりと光に意識の中心をフォーカスして、闇に光を当てる。間違っても闇に呑み込まれないように。ベースは光。光ベースで闇を浄化する。『軸足を 光に置いて 我が闇を 光を当てて 浄化していく』これが707日目の心境です。
2006.12.09
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今日は水晶が届く日。楽しみに待っていた。先ず、札幌から届く。送料が高いので普通郵便にしてある。かなり日数がかかったが、ペルー産のクラスターは予想を超えてきれいだった。ペルー産にしては非常にクオリティが高い。これならヒマラヤ産にも負けない?と思うくらいすばらしかった。これは大当たり!抜群の透明感で、欠けているポイントもほとんどない。この品質とサイズで数千円は超破格と言える。ペルー産の水晶を見直さなければ・・・もう一つ、アフリカのスモーキークオーツのクラスターもやって来た。これは写真通り。可もなし不可もなし。トップも完璧な美しいクラスター。アフリカの水晶を初めて買った。パワフルで生命力に溢れているような気がしていた。ブラックパワーのような感じ。このクラスターは、確かにエネルギーを秘めている感じがする。午後になって、愛知県から宅配便が届いた。こちらはヒマラヤ水晶。小さなものがほとんどで、全部で10個。箱を開けると、オマケが1個入っていた。このオマケが一番迫力があった。ガネーシュヒマールのガーデンぽいポイント。大きくて、照りと透明感があった。これはネット上には掲載していないものらしい。残念なことに、トップに少し傷がある。これでオマケになったのだろう。これが完璧なら、かなりの価格で売れる代物。まあ、7000円以上はするだろう。今回のヒマラヤ水晶の特徴は、アンナプルナの水晶を初めて買えたこと。アンナプルナは豊穣の女神の住むところ。これまでもほしかったのだが、アンナプルナ産はあまり流通していない。たまにあると、すぐに売れてしまう。今回は、サイズは小さいけれども7個も手に入れることができた。みんな透明感に溢れている。これはサイトの写真通り。そして、自分の予想通り。ガネーシュヒマールのクラスターも2個入っていた。それほど大きくはないが、なかなかユニークな形をしている。残る1個は、あまり名前を聞いたことがないところのもの。ネパールのラスワ産。どこにあるのかもわからないが、これがなかなかすばらしい。高さの半分ぐらいは母岩。しかし、この母岩がキラキラしていて美しい。いかにもヒマラヤらしい。上に乗っている水晶たちも、なかなか趣がある。いろんな方向を向いている。全体的に見るとガーデン水晶といった感じ。これは楽しめる。今日は、当たりの日。インドヒマラヤのクラスターみたいに、外れることもある。照る日曇る日、いろいろ・・・一喜一憂しても仕方がない。実は、数日前にも10個ほどの水晶が届いた。こちらはヒマラヤのカンチェンジェンガ産がメイン。カンチェンジェンガはクラスターが多く、ポイントは少ない。ポイントはクラスターから外れたものがほとんどで、みんな小さい。ブラジルのコリント産の水晶も3個入っていた。ブラジルのコリント産は、ガラスのような透明感が特徴。カンチェンジェンガのようなやさしさはない。もっとクールな感じ。3個はゴールドルチルが入っていた。これはすばらしかった。予想を遙かに超えていた。ここから届くゴールドルチルは、いつも予想以上に美しい。まず、水晶自体の形や透明感がすばらしい。その中に美しいルチルがちりばめられている。他の水晶に比べて価格は高くなるが、それだけのことはある。間違いなく美しい。今回の水晶祭りにアップした水晶は、全部で22個。既に19個は引き取り手が決まっている。残りの3個は、まだ引き取り手を募集中。残っているのは、ゴールドルチルばかり。やはり、価格が高いからだろうか。ゴールドルチルは、今も値上がりを続けている。どんどん高くなっていて、安くなる気配はない。入荷はクラスターが断然多い。旅立つ19個を上回る数の水晶がやって来ている。これからも更にやって来ることになっている。これまでに25個ぐらいは来た。これから少なくとも15個ぐらいは来る予定になっている。もっとも、最近届いているものは小さいものが多い。旅立つものは、それなりに大きなものもある。全体的に見ると、そんなに増えているような感じはしない。しかし、明らかに減ってはいない。これでは、1月も水晶祭りをやるしかないかもしれない。管理できないくらいの水晶が自宅に溢れそう。小さなものは、当然、価格も安い。みんなも求めやすいだろう。水晶祭りをやっていて一番面白いのは、お楽しみセットみたいなものを作る時。今回もNo.13のミニクラスターセットは楽しめた。これは、ぴあのさんの一人息子のおなもみ君のところへ行くことになっている。おなもみ君にぴったしの水晶たち。このようなセットを組み立てる時が一番楽しい。子供時代に還ったような気分になれる。数が多くなると、撮影や発送などの手間が大変だが、なかなかやめられない。水晶に光を乗せて、これからも楽しむことにしよう。ヒマラヤ、ブラジル、ペルー、アフリカ・・・世界中から水晶が屋久島へやって来る。それぞれに特徴や個性がある。感謝をして、味わい、楽しませてもらおう。『屋久島へ 世界中から やって来る 水晶たちを 愛でて楽しむ』これが706日目の心境です。
2006.12.08
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雨の屋久島が続いている。雨が降り出すと、止まない。晴れだすと、晴れが続く。極端なのが、屋久島。昨夜、水晶クラスターが届いた。インド産のヒマラヤ水晶。かなり期待していた。ところが・・・箱を開けてみて、ガックリ。色が・・・ネットで見たものより黄色い。照りも透明感もない。写真と実物が違い過ぎる。インターネットでの買い物では、間々あること。驚きはしないが・・・困った!このサイトでは初めて買い物をした。利用案内をよく読むと、返品不可と書かれている。返品を認めないサイトも珍しくはない。ネットでの買い物もなかなか・・・2万円以上もした。説明では、これ以上のものはこれまでに入荷したことはないと書かれていた。写真を見てもすばらしかったので、相当楽しみにしていた。しかし、これでは明らかに外れ。そうは言っても、返品できない以上、なんとかしなければならない。よく見れば、素質はいい。さて、どうする?先ずは、水道の水で浄化。しかし、この程度ではほとんど変化はない。次に、セドナ産のセイジの煙で浄化。しかし、これでもビクともしない。それでは・・・外は激しい雨と風。その中に水晶を置く。まるで水晶の滝行?激しい風雨にさらされれば、少しはきれいになるだろうか。雨、風、太陽、月、海、川、そして、雷。自然のものは何でも活用できる。それらに当てることによって、水晶の汚れが除去される。水晶本来の姿を取り戻す。昼間は風雨にさらしていた。夜になって家の中に入れた。そして、風呂の中に浸けた。今夜は一晩入浴してもらおう。自宅の風呂は特殊な風呂。汗や汚れを吸収する菌がたくさん入っている。以前、この中に長くサンゴを入れていたことがある。取り出してみると、サンゴは真っ白になっていた。余計なものを菌が食べてくれたようだ。水晶の周りの余計なものも食べてほしい。昼間は外に出し、夜は風呂に入れ続ければ、少しは輝きを取り戻すだろうか。かなりハードな浄化。水晶祭りでは、ヒマラヤ水晶に人気が集中した。今回のヒマラヤ水晶は、価格が安かった。それに加えて品質も良かった。リクエストが殺到しても不思議ではなかった。ヒマラヤ水晶は、ピュアーな意識を象徴している。この日記のタイトルのような無色透明の世界。空の次元。すべての源。一方、ゴールドルチルは、色の世界。歓喜の世界。ハートが歓びに満ちあふれる世界。それもなくてはならない世界。無色透明だけでは、それこそ味気ない。ピュアーで濁りはない。純粋無垢で何の穢れもない。しかし・・・それだけでは、なんとなく物足りない。面白くも可笑しくもない。濁世に生きているからこそ純粋無垢の空に憧れる。しかし、空の中にあれば、それだけでは味も素っ気もない。やはり、ここは歓びや愛がほしくなる。感極まる感動も体験したい。それには苦しみもいる。いろんなスパイスも必要になる。ヒマラヤ水晶だけでは、単色の世界。まるでモノクロ映画みたいなもの。やはり、フルカラーの方が楽しめる。それが色の世界。フルカラーになれば、時に濁った色も出てくる。スパイスが利き過ぎて涙が出ることもある。人生いろいろ・・・色の世界は、色とりどり。ゴールドルチルの良いものを見かけると、つい買ってしまう。もう十分あるのに、また買ってしまう。なぜ?美しいものに心惹かれるからだろうか。この世はこの世で美しい。しかし、変わりやすい。そこで、人は変わらぬものを求める。それが空の世界。しかし、空の世界だけでは味気ない。歓喜がなければ、心は満たされることはない。意識は空、ハートは歓喜。それが理想だろうか。歓喜も宇宙に充ち満ちている。しかし、それは無色透明ではない。それはゴールドルチルに似ている。あのゴールドが歓喜に似ている。それは無の世界ではない。ゴールドルチルは、透明な水晶の中で際立っている。それは明らかに有の世界。色の世界のきらびやかさ。歓喜の世界から愛は流れ出す。その奥に空の世界がある。それは同時に存在している。まるで透明な水晶の中にゴールドルチルが輝くように。意識を浄化したかったら、透明なヒマラヤ水晶が向いている。歓喜を体験したかったら、ゴールドルチルに限る。それぞれの水晶に、それぞれの役割がある。他の水晶たちにも、それぞれの役割と効果がある。空と色に大きく分ければ、ヒマラヤ水晶とゴールドルチルということになる。もっとも、これは個人的な見解なので、一般的に認められていることではない。まあ、参考程度に。自分の感性で直接感じる方がいい。小さな水晶にも、ものすごいエネルギーが宿っている。大きさではない。あくまでクオリティ。質の高い水晶を持つことだろうか。そうすれば、その水晶がいろいろサポートしてくれる。水晶と一緒にいて、その水晶をよーく感じてみるといい。それは計り知れないものを持っている。感じれば感じるほど、無限のものが溢れ出す。小さな水晶に詰まっているものをよーく感じてみる。それはそれはすばらしいものがある。それは人智を超えている。宇宙の波動の結晶と言える。心身が浄められる。歓喜に誘(いざな)われる。透明な空間に引き込まれる。歓びの世界にハートが震える。『透明な ヒマラヤ水晶 空意識 ゴールドルチルは 歓喜の世界』これが705日目の心境です。* 「703日目 - 脳内体操」「704日目 - 友達依存」も同時にアップしました。
2006.12.07
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屋久島は、断続的に雨が降り続いている。雨が降れば、虹が出る。今日も何回か虹を見た。今日のは、地上に張り付くような平べったい虹だった。久しぶりにシアトルから電話があった。元気そうだった。かなりピュアーになっている様子。だいぶ抜けた感じ・・・最近は、友達依存が外れたらしい。あまり友達とは会っていないとのこと。だいぶグランディングが効いてきたのだろうか。しっかり自分自身を生きれているのだろうか。他の人から認められたいとか、わかってほしいというのは、他人依存。自分をベースに生きていない証拠。そういう状態では、すぐに友達に電話したり、会いたくなる。自分一人でいられない。しっかり自分自身にグランディングできていれば、特に人を必要とはしない。周りに人がいてもいいし、いなくてもいい。自分自身にグランディングできていれば、周りのことは気にならない。どのように評価されても、それは評価する人の自由。自分自身に深くグランディングできていないと、心はぐらつく。周りの状況に振り回される。そのため、心身は不安定となる。不安定にならないために・・・信念を持とうとする。あるいは、信仰にすがろうとする。または、主義主張に走ろうとする。いずれにしても、自分の外に拠り所を求める。しかし、信念も信仰も主義主張も、いずれも不動のものではない。やがて、現実とのギャップに心は揺れ動く。不安定にならないためにすがったものが、新たな不安定要素になる。いつまで経っても不安定は消えることはない。自分の外にすがっている限りは、振り回される。自分自身にグランディングしない限り、安定はない。信念も信仰も自分の内ではない。それらは自分の外にあるもの。自分の本心には、信念も信仰も主義主張もない。そういう思考的なものは一切ない。そういうものを超えて存在そのものがある。そこにグランディングする。自分の全存在にグランディングする。自分の全体性にグランディングする。そうすれば、不安定は消える。不動の安定がある。意識の表面的なところにいる限り、安定は望めない。それらは湖面のように、少しの風でも波立つ。表面意識はそのようにできている。刻々に変化するものをキャッチする必要がある。しかし、刻々に変化するものに囚われ、振り回されていたら身がもたない。それらのものを受け止め、しっかりと見極め、心静かに行動する。自分自身にグランディングできていれば、外のものに振り回されない。他の人を求めるということもない。自分自身にベースを置き、他の人とつきあう。それなしでは、相手に振り回されて自分を見失う。いかに自分自身にグランディングするか。自分自身を生ききるか。外に意識が向くから、心配や不安が襲ってくる。しっかりと自分自身にグランディングできていないから、恐れに負けてしまう。いついかなる時も自分自身と共にある。そうすれば、安定がある。安定しているとか、しっかりしてきたというのは、自分自身にグランディングできているということ。自分にグランディングできた程度に応じて安定する。いかに深く自分自身にグランディングするか。それに尽きる。深い自分と共にあって、ゆっくりと生きる。周りの状況に振り回されないで、自分自身を生きる。しっかりグランディングできていれば、それは可能。いかに深く自分と共にあるか、ただそれだけ。絶えず自分に聞くことだろうか。いつも自分に問うことだろうか。常に自分を見守っていることだろうか。自分の本心を見失わないために・・・自分自身と共に、ゆっくり生きる。しっかり自分自身にグランディングして、自分を生きる。ゆったりと落ち着いて、自分自身を生ききる。すべては自分の内にある。『人はみな 自分以外と いる時に 心乱れて 自分をなくす』『揺れ動く 心は外に 向いている 内に向かえば 揺れることなし』『問いかける 真に自分が 望むこと 常に問いかけ 自分確認』『確認を 求めて人に 頼るより 自分自身に 確認すること』『しっかりと 自分自身に フォーカスし 自分自身の 人生生きる』これが704日目の心境です。
2006.12.06
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今日から屋久島ナチュラルヒーリングのHPでは水晶祭り。旅立ちを待つ水晶たちがアップされている。その水晶たちは日光浴。ちょうどその時、来客があった。太陽を浴びている水晶たちを見て、キレェー!一つ気になる水晶があったらしく、それがほしそう。とりあえず、リクエストしてもらうことに。屋久島の知り合いだからといって特別扱いはない。来客は3人。一人は、昨日パワーストーンの店で会った彼女。残る二人は、自宅にDVDプレーヤーがないので、DVDを持参して見に来たもの。それは「脳内体操」という本の付録だった。こちらは洗濯をしていた。彼女たちは、DVDを見ながら体を動かしたりしていた。最後の方だけ一緒に見た。それは・・・先ず両手を摩擦する。その両手を近づけたり離したり・・・そうやって気を感じる。その両手を頭に持っていく。頭を両手で包むようにして、近づけたり離したり・・・脳を縦に伸ばしたり、横に伸ばしたり、上下に伸ばしたり・・・そうやって脳の体操をする。彼女たちは、頭の中が気持ちよくなったらしい。これは韓国の人が書いたもので、韓国を始め世界中で百万人が実践しているとか。お年寄りはアルツハイマーの予防。子供は脳の発達。お年寄りから子供まで、いろんな効果があるようだ。こういう目に見えないものが一般化する時代。時代は着実に変わっている。外側から刺激を与える技法は、これまでもあった。しかし、それは他の人にやってもらう必要がある。この脳内体操は、自分でやれる。それが画期的なところだろうか。自分で自分の脳をある程度コントロールできる。それは手足をほぐすのと、そんなに変わらない。手足は自分の手でほぐせる。しかし、脳はそうはいかない。イメージやエネルギーでやるしかない。それでも、ある程度は自覚できる。特に子供たちは脳の状態を細かく感じられるようだ。自分の脳の状態を絵に描くことができる。五感を超えた感覚。これからは、それが当たり前になっていくだろう。これまでは、そういう感覚は子供時代だけだった。大人になると、そういう感覚は自然に衰えていた。しかし、これからはそういう感覚を持ったまま大人になっていく。思考力だけではなく、五感を超えた能力も兼ね備えるようになる。自分の心身は、自分でコントロールする。肉体に支配されない。肉体を自分で自由にする。それには五感を超えた感覚も必要となる。五感を超えた繊細な感覚。そういうものを身につける時代になろうとしている。思考ベースの荒っぽい時代は終わる。より繊細に生きる時代になる。よりピュアーに。よりセンシティブに。より感覚が研ぎ澄まされて。純粋に人は生きるようになる。繊細になればなるほど、世界は豊かになる。こまやかな違いを感じられれば感じられるほど、世界は美しさに満ちてくる。荒っぽく生きては、世界の美しさはわからない。美しさは繊細さの中にある。感性が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、世界は精妙になる。まるで幾何学模様のように整然と美しくなる。宇宙は幾何学であり、音楽でもある。夜空の星々は、それを示している。星の響きがあり、星の繋がりがある。星の調和があり、星の運行がある。全体が調和し、全体として動いている。その全体と共に人も生きている。宇宙から降り注ぐ響き。宇宙から降り注ぐ光。宇宙から降り注ぐ愛。それらと共に生きていく。それには繊細な感受性がいる。それには自分の中を整理整頓する必要がある。それには自分自身を理解する必要がある。それには思考というものを理解する必要がある。自分の中が整理整頓される時、余計なものが剥がれ落ち、本来のピュアーな自分自身になる。自分の中のあらゆるものを見つめる。体の状態も、脳の中も、思考パターンも、反応の癖も・・・いろんなものを見て、理解して、整理整頓する。余計な思い込みがある間は、感受性は歪められる。純粋に感じることを極めることも大切。しかし、純粋に感じることを妨げているものを自覚することも同様に大切。両方が必要。人生は、質。量ではない。いかに深く生きるか。いかに深く体験するか。深くなればなるほど、世界は美しくなる。繊細さと共に、神秘は花開く。余計なものを手放し、美しさを極める。繊細さと共に、美しさは花開く。『感性が 研ぎ澄まされれば 限りない 美しさ秘め 世界は開く』『繊細に なればなるほど 限りなく 宇宙は調和の なかで息づく』これが703日目の心境です。
2006.12.05
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朝9時に尾之間のいわさきホテルに迎えに行く。ここまで迎えに行って、また戻ってくるのは、なかなか辛いものがある。しかし、最近はいわさきホテルに泊まる人が増えている。確かに屋久島ではナンバーワンのホテルではあるが・・・木霊の森へ行く。緑が美しい。誰もいない。静かに歩く。今年は暖かかったからだろうか、リンゴ椿の赤い花が咲いている。いつもは3月に咲くもの。狂い咲きとしか言いようがない。時季外れのためか、みんな地上に落ちていた。今日は母と娘。最近は、このパターンが増えている。このパターンでは、軽く歩くことが多くなる。どうしてもお母さんの体力に限界がある。今回も軽く歩いて、早めに下りる。里で昼食。いつも行くレストランは好評。今日は首折れサバがあったらしい。屋久島のパワーストーンの店に寄る。ちょうど近くの民宿で働いている知り合いが来ていた。きらハピ☆さん母娘がお世話になった人。久しぶりに会う。自宅にあるルチルを見に来たいとのこと。ちょうど明日、彼女の知り合いが来ることになっているのを話す。「一緒に行ってもいいですか」「それでは明日会いましょう」それから抹茶のソフトクリームを食べに行く。ここでお客さんは、たくさんお土産を購入。特にタンカン入りの黒砂糖を10袋も買った。これは美味しくてお薦め!最後は木霊のストラップの木工所。最近の定番コース。子犬たちが生まれてから、しょっちゅう行っている。子犬効果というのはすごい!しかし、もう子犬と言えども、咬まれると痛くなってしまった。ついこの間までは、咬まれても痒い程度だった。もう母乳は飲んでいない。母犬が拒否するようになった。ドッグフードを食べているので、丸々太っている。行動範囲も広くなり、迅速に動けるようになった。見るたびに成長している子犬たち。すばらしい!この日、木工所は喜びに満たされていた。というのは・・・木霊のストラップが、賞を取ったらしい。日本商店街連合会長賞というもの。お土産品のコンテントみたいなものだろうか。全国のお土産の中から選ばれたらしい。確かにユニーク。映画で有名にもなってるし・・・受賞を記念して、今日は木霊のストラップが特別に半額とのこと。今日のお客さんはラッキー!ここでも、たくさん買い込むことに。前に来たお客さんもたくさん買ったとかで、かなりストックが減っていた。来年には、雑誌の「るるぶ」にも木霊のストラップの広告が載るらしい。木霊のストラップもメジャーになるのだろうか。今のところ屋久島で売っているのは目立たない二軒のお店だけ。それに作っている木工所。「るるぶ」に載ったら、たくさんの人が買いたがるだろう。嬉しくもあり、寂しくもあり・・・なんとなく希少価値がなくなるようで。でも、良いものはやがて知られる。来年からは、新しい企画も考えているらしい。自分で作った屋久杉の木霊と一緒に森の中で記念撮影をするツアー。もののけ姫の森や木霊の森でやりたいらしい。もののけ姫の森は問題ないが・・・木霊の森でやるとなると、ちょっと・・・みんなに知られてしまう。ここが難しいところ。誰も来ない森というのが売りなのだから・・・木霊の森で自分が作った屋久杉の木霊と記念撮影!確かに、これなら受けそう。しかし・・・こちらは実物の木霊との記念撮影が売りなわけで・・・天気がよくて木霊の写真が撮れない時には、いいアイデアかも。来シーズンから始めたい様子で、そのうちに打ち合わせをしたいとか。どうしたものか・・・いろいろある。ここの木工所は、最近まで災難続きだった。ところが、子犬たちが生まれてから様子が一変した。一気に福の神が舞い込んできた感じ。子供というのは、犬でさえすごいパワーを持っているものなのだろうか。近所の子供たちが毎日やって来る。お客さんも増えた。木工所が一気に明るくなった。子犬効果!新しいいのちというのは、新鮮。それだけではなく、パワフル。生命力に溢れている。見ているだけでハッピーになる。犬の子に限らない。猫も鹿も猿も、どんな動物の子も可愛い。まして人間の赤ちゃんは・・・みんな周囲に幸せを振りまいている。子供は幸せをもたらす。周囲に新鮮なエネルギーを吹き込む。新しい流れが始まる。すばらしいとしか言いようがない。みんなが永遠の生命では、こうはならない。みんな死ぬからこそ、新しい生命が生まれられる。それも悪くはない。出会いがあり、別れがある。それがこの世というところ。別れだけにフォーカスすると、悲しい。出会いだけにフォーカスしても、やがて別れがやって来る。全体にフォーカスすることだろうか。全体の流れの中で生きる。全体の循環。増えもせず、減りもしない。ダイナミックな創造宇宙。その中で人は生きている。とどまることのない現象世界の中で、人は生まれ、死ぬ。喜び、悲しみ、笑い、嘆き、悲喜交々の人生がある。それらをトータルにとらえることだろうか。一方だけに偏らず、全体として捉える。喜びだけを掴もうとすると、必ず得られない苦しみが生じる。悲しみだけに浸ると、すぐ後ろにある喜びがわからない。喜びも悲しみも、その全体の成り立ちを把握することだろうか。すべてを包み込んで生きることだろうか。喜びだけ、楽しみだけに偏らず、すべてをわかって生きることだろうか。相対の中ですべてが流れていることを深く理解することだろうか。個々の現象に囚われないことだろうか。全体と共に生きる。喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、すべてと共に生きる。それが愛というものだろうか。すべてを包み込む愛。喜怒哀楽の一切を否定せず、そのまま認める。それらを自分の内に持ち、それらと共に生きる。それらに囚われず、それらを味わう。ゆっくりすべてと共に生きる。『喜びと 悲しみ共に 包み込み 出会いと別れ 共に味わう』『現象に フォーカスすれば 現象に 振り回されて のたうち回る』『現象の 奥に息づく 生命の ダイナミックな 宇宙を生きる』『全体と 共にありつつ 目の前の 個々の現実 味わい生きる』『起こり来る すべての現象 そのままに すべて包んで 見守り生きる』『逝(ゆ)く人も あれば生まれる 人もある いのちの海の 波頭(はとう)の如し』これが702日目の心境です。
2006.12.04
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屋久島ナチュラルヒーリングのHPの掲示板に、次のような書き込みがあった。【どうしてこんな大変な思いをして毎回水晶祭りをやるのか?っていうkimiさんの書き込みですが、それは”屋久島”の”kimiさんの下”から、縁ある方々に水晶を通してその光のエネルギーをあまねく届け、光のエネルギー場をネット以外の形でもつくるためですよ。(きっぱり)私は、そう思っています。大変、大変と言いながら、やっている本人は、大変なのに楽しいのですよね。徹夜の準備もハードな作業も楽しいです☆kimiさん、ぴあのをこき使ってくださいませ。←マゾか?光のネットワークを広げていくこと、光のエネルギー場を大きくしていくこと、それが私にっとってこの上なく幸せなことです♪】これは水晶祭りを準備中のぴあのさんからのコメント。インターネットからだけではなく、水晶を通しても光を広げていこうとするぴあのさんの気持ちが伝わってくる。もう一つ。【私はkimiさんが3日にと言われたら、3日にちゃんとアップしたいのです。5日の満月にと言われたら、5日にきちんとアップしたいのです。kimiさんの思いに添うことが、私の心が喜ぶことなのです。もちろん、パソコンが調子悪いなら、あせっても仕方がないし、今このときをできるだけのことをして、後は宇宙にお任せします。けれど、困る人がいるとかいないとか、そういう問題じゃなくて、月の満ち欠けには大きな意味があるから、kimiさんがこの日と言われる日程には何か意味があるのだろうと思い、いつもその日に向けてベストなページを作成していきたいという、その真摯な気持があるだけです。いつも、kimiさんの意向に添うことを真剣にやりたいのです。それが私の魂が喜ぶことなのです。それに、何も実生活に支障をきたしてなんて、ぜんぜんないんだけど・・・家族も何~~にも大変な思いもしていません。うちは私が徹夜して朝起きられなくてお布団の中から行ってらっしゃいを言っても、主人が病気で倒れて死にそうになっても、大変でも支障でも、なんでもないのですよ。信じられないかもしれないけど、ホントなんです。事実ベース一家だから。ご心配なく、大丈夫です♪】これは秘書としての心構えのようなものだろうか。kimiさんの思いに添うことが私の心が喜ぶこと?いつもkimiさんの意向に添うことを真剣にやりたい?なんとも心強い秘書ではある。こんな秘書を持っている会社の社長や会長は少ないだろう。せいぜい仕事として真面目にやる程度。徹夜も厭(いと)わず、それで心や魂が喜ぶと言う秘書は皆無だろう。宗教やカルト以外には考えられない。残念ながら、こちらは宗教でもカルトでもない。単なるブログ日記に過ぎない。あるいは、屋久島のガイドのホームページでしかない。特別なことは何もない。もちろん、報酬も出ない。何の名誉もない。この世的なメリットは皆無。にもかかわらず、どうして?過去世からの縁だろうか。今生だけではない深い深い縁があるのだろうか。今生は秘書として働くことによって、多いに学ぶことがあるのだろうか。そういう魂の計画なのだろうか。いずれにしても、すばらしい!としか言いようがない。秘書としては最高の心構えだろう。これ以上の秘書はいない。彼女は定期的に頭痛が起きる。これがなかなか厄介。仕事もできないくらい強烈。それがだんだんひどくなっている。今回も非常に激しい頭痛に見舞われた。しかも、長く続いた。いつ果てるともわからない。心は動揺する。病院に行こうかと思う。でも、できれば行かないで済ませたい。心は揺れる。何か悪い病気でも・・・しかし、今回も彼女は病院には行かなかった。そして、全快した。電話があった。その声は・・・今までになくクリアーだった。かなりピュアーになっているのがわかった。長い頭痛に耐えただけのことはある。相当浄化されている。頭の調整。この世的な頭から、多次元的な頭へ。この世的な詰まりを溶かし、エネルギーがスーッと流れるようにするために。調整のための頭痛。ここで病院へ行けば、鎮痛剤が出るだろう。それによって、一時的には頭痛は楽になる。しかし・・・やがて、また再発する。根本的なところが変わらない限り、頭痛は何回も襲ってくる。鎮痛剤は、単なる一時しのぎ。結局、浄化を遅らせるだけ。でも、あまりにも耐えられなければ、それも否定はしない。しかし、浄化であることがわかっていたら、耐えることを選ぶだろうか。それとも、楽な方を選ぶだろうか。一時的に楽になるだけ。結果的に苦痛は長引く。彼女は、よく耐えた。そして、ピュアーになった。その時、彼女の口から次のような言葉が・・・「たくさんの水晶が来たからではないでしょうか」前回の水晶祭りで、彼女は余っていた水晶セットを引き取った。その時に、正式に秘書として認められた証(あかし)として特別な水晶が同封されていた。それはめったに目にすることのない極めてクリアーなヒマラヤ水晶。自宅にある水晶の中でも3本の指に入るもの。その水晶が届いたことによって、浄化が一気に進んだのではないかと彼女は感じたようだ。その通り!限りないピュアーなエネルギーによって、彼女は浄化された。頭痛を伴いながら・・・よく病院に行かずに耐えた。ピュアーな水晶であればあるほど、浄化力は強い。秘書用のスペシャル水晶は、限りなくピュアーだった。その水晶を持つにふさわしい人になるための浄化だったのではないだろうか。ヒマラヤ水晶が持つ力。それは想像を遙かに超えているのかもしれない。たぶん、その力を感じた程度に応じて、その力を発揮してくれるだろう。深く理解されれば、限りないパワーを発揮するに違いない。世界最高峰の山々がそびえるヒマラヤ。そこで採れる水晶は、世界最高峰であるに違いない。限りない霊的な力を秘めている。最高のスピリチュアリティを保持している。そのような潜在力を持った水晶を、屋久島の自然の中で浄化する。浄化するという意味は、本来の状態にするということ。途中の流通段階で付着した人間的なものを一掃する。本来のピュアーな状態に戻す。それだけではない。たぶん、それだけではない。この日記が書かれているエネルギー場にいることによって、水晶は影響を受ける。光の磁場の影響を受ける。その状態で日本全国へ飛んで行く。水晶が届けば、変化が起きる。それは個人によって異なる。いろんな変化の報告が届いている。これまでは、そんなに意識して水晶を送ってはいない。屋久島で浄化し、光の磁場から発送される。それはわかっていたが、意識的に光を広めようとはしていなかった。でも・・・新しい段階へ移行する時が来ているのかもしれない。意識的に光を送る時が来たのかもしれない。水晶に光を乗せて・・・ヒマラヤ水晶が持つ霊性を最大限に活用して・・・光を乗せるにふさわしいヒマラヤ水晶を集めるのは至難の技。そうそうピュアーなヒマラヤ水晶はない。あっても高い。手頃なものは、すぐに売れてしまう。そんなに大量生産できるものではない。ゆっくり一つ一つ心を込めて輝かせることだろうか。来年から新しい段階にシフトする。そんな感じがしている。『ヒマラヤの 水晶が持つ 霊的な 力最大 花開かせる』『新しい 時代を開く ヒマラヤの 水晶送る 多くの人に』『透明な 意識を開く ヒマラヤの 水晶送る 光を込めて』『水晶に 宿る光は 霊的な 次の時代の 意識の光』『霊的な 本質秘めた ヒマラヤの 水晶送る 光と共に』これが701日目の心境です。
2006.12.03
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最近は、鳥が集団で飛んでいるのをよく見かける。それも、ものすごい数。数十羽の時もあれば、百を超えている時もある。しかも、いろんな種類の鳥たちが集団で飛んでいる。今年は鳥が多いのだろうか。それとも、冬には集団で飛ぶのだろうか。これまで屋久島ではあまり見かけなかった風景。何なのだろう・・・自我の生は、何が何でも自分でやろうとする。自分でやり遂げようとする。自分がポイント。自分が中心。達成できた時は、すごい満足感がある。自信もつく。我が世の春を謳歌できる。しかし・・・失敗すると、自信喪失。お先真っ暗。自分だけが惨めに見える。最悪の場合、自殺もあり得る。自我の生は、ジェットコースター。有頂天になる時もあれば、失意のどん底に落ちる時もある。そこからまた這い上がり、成功を目指して努力する。それが自我の一喜一憂の人生。うまくいっては喜び、うまくいかないと落胆する。自分がやれたかどうかが、キーポイントとなる。自分を思いっきり体験する生。良くも悪くも、自分、自分、自分・・・自我を超えた生は、自分、自分ではない。ゆったりと見守りながら、流れと共に生きていく。望みや願いはある。しかし、それは是が非でもということではない。こうなるといいなぁー、といった程度だろうか。何が何でも実現したいということはない。それは自我の領域。ただ希望するだけ。希望すれば、実現する。楽に希望すれば、楽に実現する。がむしゃらに希望しても、実現はしない。流れの中で実現する必要がある時に、自然に実現する。自我の生は、みんなが競合する。そのため、願ったことが実現するとは限らない。必死に願っても、叶わぬことも多々ある。願い方の次元が異なる。がむしゃらに必死で願うのは、自我。意識の前面にフォーカスが行っている。自我を超えた生では、何事も自分の望むようにしたいということはない。もっと全体にフォーカスが向いている。なんとなくゆったりと願う。結果を気にせず、ただ願う。流れの中で必要があれば実現する。何が何でも実現させようということはない。自分の意のままに、というのは自我。願望実現は、自我の世界。自己実現も、まだ自我の世界。別にそれが悪いわけではない。いろんな状況の中で、願いや望みも出て来る。こうなるといいなぁー。楽にそう思う。自然にイメージが湧く。そうすると、いつのまにか実現する。それが自我を超えた生の実現の仕方。自我の実現方法は、自分でやろうとする。何でも自分でやらないと気がすまない。どちらがいいということはない。ただ事実として違いがある。自分、自分、自分、結果、結果、結果・・・楽にゆったりとお任せ、結果は気にしない。自我の生とは、何事にもこだわる生き方。こうでなければならない。こうあるべきだ。自分で決めた枠の中の生。自我を超えれば、そのようなこだわりはない。すべてを包容し、ゆったりと生きる。すべてを見守り、すべてを包み込む。こうでなければならないということはない。自我で生きるとは、自分こそが宇宙の中心。自分を中心に世界は回っている。見ているのは、自分を通した世界。本当の意味では世界が見えていない。事実を見てはいない。自分の思い込みを通して世界を解釈しているだけ。自分流に世界を捉えているだけ。自分の思い込みワールドの中で生きているだけ。自我を超えれば、事実をそのまま見ている。個人的な願望というのがないので、世界がありのままに見える。欲に目が眩んで身を誤るということも起きない。自分だけにフォーカスし過ぎると、周りが見えなくなる。自我とは、経験、記憶、所有、達成、集中・・・自分のイメージを確立し、そのイメージに基づいて生きる生き方。全体から分離した個を体験する期間。それも数ある宇宙の人生の中の一つ。一喜一憂、喜怒哀楽。自分をベースに様々な感情を体験する。自分ベースで、すべてを生きようとする。それも悪くはない。ただ、それだけに浸りきっていると、苦しみが生じる。成功と失敗。勝ちと負け。常に表と裏がある。全体にフォーカスしないで、一方にだけフォーカスしようとする。成功と勝ちだけを欲しがる。しかし、成功の裏には失敗があり、勝つ者があれば敗れる者も必ずいる。その全体を理解することだろうか。自我の人生とは、まるでシーソーの片方から片方へ移るようなもの。常に低い方から高い方へ移ろうと努力する。しかし、高い方へ行けば、高い方は自然に低い方になってしまう。必ずそうなる。自我の人生は重たい。たくさんのものを抱えている。そして、更に多くのものを所有しようとする。みんな自分のものにしたがる。自我を超えれば、すべてのものは流れているだけ。自分のものはない。ただ、ひととき使わせてもらっているだけ。物も体も心も・・・意識はある。しかし、自分はない。個性もあるし、人格もある。しかし、自分、自分、自分ではない。自分も全体の一部。全体と共に生きていく。何が何でも自分の思う通りに、ということはない。自然体がベース。成し遂げよう。達成しよう。成功しよう。それもいい。そういう人生を生きたければ、思いっきり生きればいい。しかし、時代は自我の時代を超えようとしている。自分中心では世界がたちいかなくなってきている。全体と共に生きるしかなくなってきている。自我の生を理解する。自分自身を通して理解する。そして、ゆっくりと超えていく。それがこれからの人類の課題となる。自分に対するフォーカスをゆるめ、ゆったりと生きる。流れと共に、ゆったりと生きる。全体と共に、ゆったりと生きる。すべてを見守りながら、ゆったりと生きる。『がむしゃらに 成し遂げようと 努力して 一喜一憂 自我の人生』『自分さえ よければいいと 思うのが 自我の自我たる 狭い了見』『どのように 思われてるか 気になって イメージの中 生きている自我』『イメージの 中で生きてる 自我の生 リアリティから 遠く離れて』『様々な ものを創って 楽しんで 執着せずに 新たに創る』『何ものも 所有しないで 使うだけ 無限のものが 絶えず流れる』『軽やかに すべてのものを 見守って 流れと共に ゆったり生きる』これが700日目の心境です。☆ 屋久島ナチュラルヒーリングのHPでは、今年最後の水晶祭りをおこなっています。 よろしかったら、のぞいてみてください。 たくさんの水晶が出ていますよ。
2006.12.02
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朝から晴れた。さわやかに晴れあがった。今日は仕事はない。念願の水晶撮影をおこなう。ここ2週間近く太陽は顔を出さなかった。顔を出した時は、あいにく仕事だったりした。12月の水晶祭りが近づいている。ぴあのさんは水晶の写真を首を長くして待っているに違いない。今回こそは余裕を持って写真を送るつもりだった。事実、日程的には余裕があった。水晶の選定も終わり、浄化も済ませ、後は撮影するだけ。ところが・・・連日の雨。まったく撮影できなかった。そのため、当初3日の予定の水晶祭りを5日に延期した。結果的には満月となり、結果オーライなのだが・・・朝から順に22個の水晶を撮影する。背中から直射日光が当たるので、だんだん暑くなる。一枚ずつ洋服を脱いでいく。最後にはTシャツになってしまった。不思議なことに、写真を撮っていると水晶がきれいに見えてくる。浄化しても、きれいになる。しかし、写真撮影しても、きれいになる。まるで嫁入り前の娘のように・・・水晶も旅立ちがわかるのだろうか。以前よりも見違えるくらいきれいになっている。花嫁姿を写真に残そうとしているのだろうか。予想以上にきれいに撮れる。気がつけば600枚近く撮影していた。一旦、パソコンに入れて確認する。パソコンで大きくしてみると、やはりイマイチのものがある。実物の美しさを表していないものは、もう一度撮り直すしかない。全体写真も、今回は大きなものがあったので外に出して撮り直す。背景に海で拾ってきた白い線の入った石と大きなサンゴが写った。屋久島らしい?他にもいくつか撮り直す。太陽光を反射して、とてもきれいに撮れた写真もあった。これは5日の屋久島ナチュラルヒーリングのHPのトップに使う。みんなに水晶祭りであることを知らせるために。これは本当にステキな写真に撮れている。今回の水晶祭りに出るのは、全部で22個。それにオマケとしてメノウのスライス板が一枚付く。内訳は、ゴールドルチルが9個と圧倒的に多い。次は、ヒマラヤ水晶の5個。ブラジルと中国の水晶が、各3個。それに、ペルーのクラスターとウルグアイのアメジストクラスター。今回は、これまでにないようなものもある。その第一は、エレスチャル水晶。水晶の最終形態と言われるもの。日本名は、骸骨水晶。骸骨のように痩せ細っているからだろうか。なにしろ水晶のエッセンス。今回のエレスチャルは、けっして痩せ細ってはいない。透明感と艶がある。照りのきれいな結晶。それに、サイズも大きい。買った当座は、美しくて美しくて、毎日のように見ていた。今も美しい。でも、もう新鮮さが薄れてしまった。他の人がその美しさを楽しむ番。このエレスチャルは、オークションとなる。購入価格は、35000円。たぶん今はこれでは買えないだろう。とても大きくて美しいから・・・しかし、この水晶は写真を撮るのに苦労した。なかなか美しく撮れない。何度撮影しても、実物以下にしか撮れない。実際は、写真の何倍もの透明感がある。次に個性的なのは、中国水晶のクラスター。水晶の花が咲いている。小さな結晶が集まって花のような形になっている。それがいくつもある。それはそれは美しい。本当に花が咲いているようだ。にもかかわらず、安い。中国の水晶は一般的に安いが、特にこれは安かった。もっと高くてもいいと思うのだが、原価が安いのでどうしようもない。結晶が小さいと安くなる傾向がある。立てて飾れるような台も付いている。玄関や居間に飾るとちょうどいい。この写真はきれいに撮れた。水晶自体が透明なので、光の反射が美しい。中国のクラスターは、他に2個ある。それはセットになっている。大きい方のクラスターは、小さな結晶がビッシリ並んでいる。ブレスレットやネックレスの浄化に向いている。群結晶のパワーによって、上に載せたものは浄化される。ペンダントなども、使った後はクラスターの上に置いておくに限る。自宅では、パソコンをやる時に自作のブレスレットを付けている。パソコンが終わって寝る時には、必ずクラスターの上に置いておく。そうすれば、朝までには浄化・充電されている。なかなかクラスターは便利。その他でユニークなものは、カナダから輸入したゴールドルチル。わずか3000円ながら、とてもきれい。原石なので、形は六角形ではない。しかし、キラキラ光って美しい。これも安すぎるので、オークションということになった。しかし、オークションと言っても何万円もするわけではない。1万円以下なのは間違いないので、気楽にエントリーしてみるといいかもしれない。本当にきれいで明るいゴールドルチル。もう一つオークションになったのは、5日のHPのトップを飾ることになったゴールドルチルクラスター。これは大小たくさんのポイントが集まっている。とても自然な感じ。ルチルもたくさん入っている。今回、予想以上に写真が美しく撮れた。ということは、本来の波動がそれだけ美しいということかもしれない。とても調和されたバランスのいい水晶。そのままで自立する安定感もある。5個のヒマラヤ水晶は、どれも美しい。ヒマラヤらしい透明感に満ちている。みんな小さいが、極めてクリアー。他の産地の水晶とは質感が異なる。ヒマラヤ水晶の透明感は、持った人の心身を浄化する。なにしろ美しいので、見ているだけで心身は浄化される。今回の5個は、1200円~3000円。なんとも安いヒマラヤ水晶。これなら、ほしい人は誰でも買える。但し、5個しかないので、申込み多数の場合は抽選となる。送る手間が大変だが、一人でも多くの人にヒマラヤ水晶を体験してもらえれば、こちらとしては嬉しい。それだけの価値のある水晶。今、地上にある水晶の中では、最も波動が高い。スピリチュアルそのもの。霊的な水晶。霊的な成長や深化に役に立つ。肉体人間を超え、スピリチュアルに生きるには、ヒマラヤ水晶はとても役に立つ。屋久島の自然の中で浄化されたヒマラヤ水晶は、その本来のパワーを発揮するに違いない。採掘した人や中間業者の波動が浄化され、ヒマラヤ水晶自体の波動に戻っている。ピュアー!それにしては安すぎる?浄化代なし。原価以下。何の因果で・・・まあ、いいか。手にした人が浄化されれば・・・ヒマラヤ水晶を大量に仕入れて、屋久島で浄化して販売しようかな?2~3倍で売ったらと言った人もいたが・・・取り敢えずは、きれいなヒマラヤ水晶を楽しんでほしい。当分は安いままだろう。そう、思い出した。今生は商売はしないのだった!ゴールドルチルは、最近も値上がりを続けている。時々は新しいものがアップされるが、どこも高い。安くて良いものは、ないに等しい。まれに良いものがあると、すぐに売れてしまう。質の良いゴールドルチルを手に入れるのは、ますます困難になっている。そのゴールドルチルがバーゲン?自宅にある最高価格の水晶は・・・そう、真っ二つに折れているゴールドルチル。購入価格は、13万円。以前に10万円で出したことがあるが、引き取り手は現れなかった。今回は更に安くなって、7万円!実に半値近い。この水晶は13万円もしただけあって、本当に美しい。長くて太いタイチンルチルがビッシリ。これだけのルチルを見つけるのは、ネット上ではまず不可能。光が当たると、ゴージャスそのもの。ただ置いておくだけなら、折れているのはまったくわからない。誰が見ても一本の水晶に見える。10cm以上もあるゴールドルチルというのは、めったにない。ゴージャスという言葉がぴったしのルチル。他のゴールドルチルも貴重なものばかり。どれも美しい。集めるのに苦労したものばかり。それなら、なぜ手放す?いつまでも古いものに執着しない。必要なところへ流す。新しいものを入れる。新陳代謝をよくする。それが生き方の基本スタンス。いつまでも固執しない。流れ流れて・・・人を浄化していく水晶たち。最後に、ミニクラスターセットというのがある。小さなクラスターを5個集めたもの。ほとんど水晶のママゴトセット。ところが、これがなかなか楽しめる。これにはメノウのスライス版のオマケが付く。子供だまし?いや、だまされてみれば?なかなか楽しいことになるかも・・・水晶たちは、嫁入り前の最も美しい姿で目の前にある。娘を嫁がせる父親の気持ちがわかるような・・・嬉しいような、寂しいような・・・それでは、5日の水晶祭りをお楽しみに!『遙かなる 白き峰々 ヒマラヤの 波動と共に 水晶来(きた)る』『透明な 深さを秘めた ヒマラヤの 水晶見れば 心浄まる』『ヒマラヤの 波動にプラス 屋久島の 波動も付けて みんなへ送る』『水晶は 流れ流れて 人々の 心身浄め 流れ続ける』『限りない 深さを秘めて 水晶は スピリチュアルな 目覚め促す』 これが699日目の心境です。*「698日目 - 展開」 も同時にアップしました。
2006.12.01
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