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お腹もふくれて僕たちは禅林街というところへ行くことにした。田沢食堂からすぐのとこに禅林街はあった。禅林街は数百メートルの直線道路に30件以上のお寺が、道路を挟んで連続して立っているという。全国でも変わったところだった。どんつきには長勝寺という大きなお寺がドンと立っているようだった。長勝寺に向かって直線に伸びた道路の両脇には見事にお寺が並んでいた。禅林街通りを歩いて行くと左手に栄螺(サザエ)堂という建物が建っていた。それは福島県の本場のサザエ堂よりも一回り小さかった。このサザエ堂も会津のサザエ堂と一緒で登っていく人と降りてくる人がすれ違うことなく登ったり降りたりできるということだ。こちらのサザエ堂は入ることができるのですが、事前に予約しとかなければならないようだった。僕らは予約していなかったので、外から中見るだけだったここまでレンタカーを止めてきた駐車場から歩いて来たが結構遠くて、風も冷たくここを見学した後、レンタカーまで歩いて帰るのは辛いなと内心を持っていた。「あ、タクシーが来るよ」「ほんまやね」「こんなとこにタクシー来るんや」「誰か乗ってきやったんちゃう?」「そうやけど、見てみ。お客さん乗ってへんタクシーが今向こうに行ったで」「ホンマ?」「暇なタクシーがここまで流してんのちゃう。帰りタクシーがあったら乗ってもいい?」「いいよ。あればね」僕たちは圧倒されるお寺の連続するこの道路どんつきの長勝寺までゆっくり歩いて行った。緩やかな時間が流れている。これは個人旅行ならではの贅沢さだ。長勝寺は実に古いお寺で1611年に建てられたようだ。門も素晴らしく凝った作りだ。どことなく日光東照宮を思い出させる作りになっている。お寺に入るのは無料だった。こんなところまで誰も来ないと思っていたが、タクシーを使って見学に来ている観光客がいた。タクシーの運転手が3人連れのお客さんに、このお寺の説明をしていた。ゆっくりお寺を見物してからレンタカーを停めてある駐車場へ戻ることにする。「タクシーないね」「さっきまで、1台そこに停まってたんやけどな」「どうする?」「10分待ってタクシー来なかったら歩こか」「そうしよか」と待つ事にした。すると5分もしないうちに1台のタクシーがスルスルと近づいて来た。「空車みたいで!聞いてくるわ」と僕は運転手に尋ねに行った。ラッキーなことに空車だった。「乗れるって!ラッキーやね~」急いでタクシーに乗り込んだ。タクシーは今どき珍しいミッション車だった。運転手に話しかける「いや〜助かりました。風が冷たいし。それにしてもここはお寺が、集まって珍しいとこですね」「そうなんです。ちょっと前にブラタモリも来てましたから」運転手の声はとても小さく聞き取りにくい。「えっそうなんですね」「私も、ブラタモリの機材を運ばせてもらいました」「機材ですか・・」「タモリじゃないんだ(心の声)」運転手は聞き取りにくい小声で続ける「ここは全部同じ曹洞宗(聞こえなかったので後で調べた)のお寺で藩内のお寺を藩主が全部ここに集めてしまったんです」「へぇそうなんですね」「弘前城を守るための出城のような戦いに備えて集めたようです」「なるほど、昔はお坊さんは武闘派集団でしたからね」「でも、一カ所に集めてしまったもんだから法事をするとき県内からわざわざここまで来ないといけないので大変だと、檀家の者は言ってますね」なるほどそうなのだ。タクシーで戻るとあっという間に市役所前の駐車場まで着いた。運転手さんは歩道にぐいっと乗り上げて停めてくれた。サービスしてくれているようだったが「歩道に車停めたらあかんやん」と心の声が言っている。この後は今日の宿泊先の大湯温泉へ向かうことになる。
Nov 22, 2024
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田沢食堂つづき先ほどまで僕らのテーブルの横でご飯を食べていた老夫婦だがおばあちゃんがラーメンを食べ残して2人とも店を出て行った。結構店は繁盛していて、僕たち中華そばの醤油と味噌を注文したが、出てくるまで結構時間がかかっていた。お水とかお茶はセルフサービスになっていて、畳の部屋の両端にちゃぶ台が置いてあり、ポットが置いてあった。結構寒かったので、湯のみに熱いお茶を入れようと思ったが、ブッシュという音が出て少し残っていたお茶が吹き出して手にかかり激アツだった。僕らより後に入ってきたじいちゃんが同じようにお茶を入れようとしたが、ポットは虚しく、ブッシュという音を立てて飛沫を撒き散らすだけだった。おじいちゃんは常連さんなのか、お店の人を捕まえて「お茶がありません」と大きな声で訴えていた。お店の人も「あら、ごめんなさいね」と言ってすぐに熱々のお茶を持ってきてくれた。そう、こうしているうちに先ほど僕たちのテーブルの横で、ラーメンを食べていた老夫婦のおばあちゃんだけがまた店に入ってきてそこら辺をうろうろしだした。そのおばあちゃんは、先ほど自分たちが座っていた座敷のテーブルの下を覗き込んで何かを探しているようだった。おばあちゃんが「この辺にカバンはありませんでしたか?」と話しかけてきたので「いや〜なかったですよ」と答えると「スミマセンね」と言って座敷から出て行きお店の人に、「カバンは忘れてませんでしたか?」と地元の言葉で尋ねていた。しかし、お店の人も、「なかったですよ」と地元の言葉で言っていた。おばあちゃんは、しばらく納得が行かないようだったがトボトボと外へ出ていった。しばらくして僕らの中華そばが運ばれて来た。僕はしょうゆ味で妻はみそ味だ。どちらもボリューム満点で500円のラーメンとは思えない。スープも美味いし麺も美味しい。文句無しに合格だ。妻のみそ味を少し食べさせてもらったが、独特のみそ味でこれまた、美味しい。隠し味に生姜が入っていたかもしれない。とにかくこのお店は満点だ。美味しい中華そばをすすっているとさっきのおばあちゃんがまた店に入って来た。紫のジャージですぐに分かった。そしてまた座敷に上がって来て「カバン忘れてませんでしたか?」と聞いてきた。「いや〜なかったですよ」と僕が答えると向かいの席に座ったてた若いお母さんが「私も見たけどなかったよ」と地元の言葉でおばあちゃんに言ってくれた。おばあちゃんは「カバンに免許証や保険証が入っるからないと困る」と言ってあちこちの机の下をのぞくが見当たらない。諦めて座敷を出ていくとまたお店の人に「カバンが落ちていませんでしたか?」と尋ねている。お客さんか多い時間帯で忙しいにもかかわらずお店の人は粘り強く「あったら連絡するから」と答えている。恐らく常連さんなのだろう。おばあちゃんは一応納得してまた店から出ていった。中華そばは結構な量でお腹一杯になった。満足した。と思っていたらまた紫ジャージのおばあちゃんが店に入って来て座敷に上がって来た。今度はおばあちゃんは「皆さんスミマセンね、ちょっと机の下を見させてもらえませんでしょうか」と宣言して全ての机の下をのぞいて行く。他のお客さんも「仕方がないなぁ」という感じでおばあちゃんが一つずつ机の下をのぞくを見守っている。おばあちゃんは机ごとのお客さんに「スミマセンお食事中に」と毎回あやまりながら全部の机を見たがカバンは見つからなかった。おばあちゃんは諦めきれない顔で座敷から出ていった。そしてまたお店の人に同じことを言っていた。僕は妻に尋ねた、「あの人認知症と違うか?」「間違いないと思うわ」妻は認知症のスペシャリストのベテラン看護師だ。「やっぱりそうか、最初からカバンなんて無かったようやしなあ」「そうやね、お店の人も認知症て分かってはるみたいやし、慣れたはるわ」「そうか・・」「おじいさんはどこへ行ったんやろな」「さあね、おじいさんも認知症て分かっているはずなんやけどなぁ」「ほんまやな」僕たちは食事を済ませて席を立ち、お会計をしようと座敷から出ようとしてたら、また先ほどの紫ジャージのおばあちゃんが店に入ってきた。そして僕らの横を通り抜け、また座敷に上がっていった「あー こりゃ、アカンわ」僕ほなぜかため息が出た。妻がお会計を済ませてくれた。500円の中華そばというだけでも安いのに消費税すら取られなかった。お店の人が「お会計1000円になります」と言った時には思わず「え、消費税はいらないんですか?」と言ってしまった。「はい」とお店の人はさらりと言った。弘前に来た時にはこのお店は外せないと心に誓ったのである。お店を出て禅林街に向かおうとしたら、先ほどのおばあちゃんの連れのおじいちゃんが、白い軽トラを歩道を塞ぐような格好で駐車していた。もうカバンが最初からなかったのは明らかで。おじいちゃんもおばあちゃんが認知症なのは承知の上のはずで、お店の人に迷惑がかかるからなどとは考えないのだろうか?僕なら「カバンは家に忘れてきたかもしれないから、一旦帰ってみようか」と、声をかけておばあちゃんを車に乗せるけどね。このじいちゃんも半分認知症なのかも知れない。なんだか切ない風景だった。でも中華そばはうまかった。田沢食堂、弘前に来たら必ず寄りたい。中華そばみそ味
Nov 21, 2024
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旧弘前図書館を見学した後禅林街という1本の通りにお寺が30件以上、連続で立ち並んでいるというところがあるというので、行ってみることにした。図書館から1km ぐらいだというので、歩いて行くことにした。雨上がりで風も強く。少し寒かったが、スマホのナビを頼りにトボトボと歩いて行った。弘前城から前輪街までは緩やかな。登りになっているようで、歩いていると結構しんどかった。思った以上に遠く感じて、何度もスマホを見直したが、道はあっているようだった。特に何もない。街を抜けて前輪が通りの交差点までやってきた。ちょうど交差点のところに田沢食堂という看板が目に入り、そのお店に入ってみることにした。暖簾をくぐるとほぼ満席のような感じだったので、お姉さんに「2人ですけど行けますか?」と尋ねると「今すぐに席は空きますから、待っていてください」ということだった。待合席のようなとこに座っていると本当に23分で席が空いたようだった。手前にはテーブル席がいくつかあって、その後に結構広い座敷の部屋が広がっていて、そこにも多くのお客さんが来ていた。僕らは一番奥の門のテーブルに座ることができた。結構お店の回転は早いようだ。僕たちの席の隣のテーブルではじいさんとばあさんが2人で並んで座っていた。じいさんの方はもうラーメンを食べ終えたようでぼーっとしていた。ばあさんの方はまだラーメンがたくさん残っているようで、急いで食べているようだったが途中で諦めて少し残して帰って行った。何があるのかな?と僕はメニューを見て驚いた。「安いわ!ここ中華そばが500円やって味噌ラーメンも500円って書いたんで」「えー、ほんまどんなラーメンやのね」「カツカレーとかも安いで何でも安いわ。びっくりするぐらい」「そうやね。みんな何食べたんやろね?」周りのお客さんが食べている料理をチラ見する大体のお客さんはラーメンを中心にチャーハンやソバ。カレーなども良く売れているようだ肉炒め定食も人気メニューみたいだ。中華そばが定番メニューみたいで、しょうゆ、みそ、塩がある。いずれも500円という格安値段設定だ。「サヨコさんは何にする?」「中華そばにしようかと思うけど、しょうゆか、みそで悩むなぁ」「ホナ、しょうゆとみそ一つずつ頼もか」「そうやね」ということで両方注文した。
Nov 20, 2024
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津軽藩ねぷた村を出て弘前城へ行くことにする。弘前城はねぷた村の目の前にある。それにしても先ほどからものすごい土砂降りの雨が続いている。弘前城の追手門近くにある市役所前の駐車場へ移動した。あまりにも雨が強いのでしばらく車内で待つことにした。「雨雲レーダーによるとあと10分ほどで雨止むみたいで」「そうみたいね」「それまで待とうか」「今一番雨キツイみたいしそうしよ」僕は時間つぶしにゲームでもしようかと思い後部座席に移動した。雨の中、車内で過ごすのは意外とリラックスできるものだ。雨に濡れない安心感と時間的に余裕があるのでノンビリするのだ。雨はきっかり10分で急に弱くなりその後ピッタリやんで雲の切れ間さえ見えてきた。「雨雲レーダーって凄いなぁ、ちゃんと当たるもんな」「まるでバック・トゥ・ザ・フューチャーのワンシーンみたいやもんやね」「未来では郵便配達だけは進化してないってドクが言ってたけど、ホンマにそのとおりや」車から降りて弘前城へ向かう。駐車場の隣りにレトロなスターバックスがあった。説明書きによると明治時代に陸軍師団長の官舎として建てられたもので和洋折衷のデザインで登録有形文化財となっているようだ。でもスタバにはほとんど行かないので当然スルーだ。駐車場から弘前城までは道路一本隔てているだけだ。道路を渡るともう弘前城の追手門だ。「立派な門やね」「ホンマに、キレイに保ってるね」門をくぐるとその門の修復作業風景のパネルが置いてあった。それによると金属部分の黒いところは漆塗りになっているという。大した物だ。城内はとても広くまるで京都の御所のようだ。桜の木が至る所に植えてある。お掘りの桜も半端じゃないほど沢山植えてある。桜の季節はさぞかし賑わうのだろう。今日は雨上がりなので人影もまばらだ。本丸まで何度も角を曲がりやっとのことでたどり着いた。弘前城の敷地に入るのは無料だが、天守閣に登るには入場券が必要だ。切符売り場の前から天守閣が元あった場所の石垣工事の様子がよく見える。弘前城の天守閣はこの石垣工事のために「曳家」という技術で城を、解体する事なく70メートルも移動したのだ。石垣の工事が終わればまたもとに位置に天守閣を戻すようだ。日本の城はかつては4万ほどあったそうだが、現在見学できるのは200ほどだそうだ。その中でも現存するオリジナルの天守閣がある城は12城だけである。弘前城はその現存12城の貴重な城なのだ。今回初めて弘前城へ訪れたわけだがこじんまりとしてはいるがなかなかいい城だ。中に入ると強靭な黒い鉄骨で内側から補強されているのがよく分かる。曳家の早回しのビデオはずっと見ていても飽きない。曳家の体験もあったようで市民が大勢で実際に城をロープで引っ張っているビデオもあった。弘前城は桜の名所なので今度訪れるなら桜の季節に来たいものだ。桜祭りがゴールデンウィークにあるらしいが到底宿は取れないだろうな。弘前城を後にして近くにある旧弘前図書館に行ってみる。ここは入場無料で見学できる。周りにはレトロな建物が他にもある。カフェに改造されているところもありいい匂いが、漂ってくる。「カフェでランチでも食べて行こうか」「カレーライスセットが1400円・・・」「僕らには高いな」「やめとこか」いつまでも僕らは貧乏なのである。元はここに天守閣があったそしてここに移動した
Nov 19, 2024
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翌朝はやはりあいにくの雨だった。昨日のうちにもらっておいた朝食券を持って1階の朝食会場に降りていった。「やっぱり中国の人が多いみたいやな」「でも、中国人にしたら割と静かな人達やね、顔もほとんど日本と変わらへんし」会場の半数近くが中国人の旅行客のようだった。僕が座った席の隣りには昨日お風呂で話しをした爺ちゃんが一人で朝食を食べていた。僕の事は全く意に介さない感じで黙々と皿を平らげていた。奥さんの姿は無かったようだ。「野宿旅をしてるんです」と言っていたからではないが、細い体と年齢の割にすごい量を食べている。何回も料理を取りに行ったのであろう皿が積み上げられていた。野宿旅だから食い溜めしているのだろうか。僕は普段朝食を食べないので食べ過ぎないように控え目にした。食べ慣れない朝食を食べるとすぐにお腹が痛くなるのだ。ホテルをチェックアウトし立体駐車場から車を出してもらう。「朝は混雑しますので時間に余裕を持って駐車場に来てください」と昨日フロントに言われていたが僕らだけだった。朝からねぷた祭りの資料館へ行くことになっていた。「津軽藩ねぷた村」というところだった。弘前城のすぐ近くでホテルから5分とからなかった。雨が降っていたが傘をささずに車から急いで受付へ移動した。入場券を購入していると建物の中から賑やかなお囃子と太鼓の音が聞こえてきた。資料館の中に入るといきなりど~んと大きなねぷたが展示されていた。先ほど聞こえた太鼓らしきものが3つ並んでいた。すぐに係りの人がその大きな太鼓前に立ち、笛と太鼓と大きな掛け声の賑やかな演奏が始まった。短めの演奏が終わると「弘前ねぷた」の説明をしてくれた。ここの「ねぷた」は「ねぶた」ではないらしい。青森とか五所川原は「ねぶた」の方みたいだ。弘前のねぷたは人の形をしておらず大きな扇形で大迫力の絵が描かれている。ねぷたの説明が終わると「それでは、太鼓をたたいてみたい方はどうぞ」と言い出した。「私やってみよかな、はい!」「えっ、やるの?」「あなたもやったら?」「僕はええわ」「何でやの、やり〜な」「ええわ」「ほな、やってくる」と妻は太鼓の方へ行ってしまった。他の2名のお客さんも決まり、係りの人の指導と笛と掛け声で体験が始まった。「ドンドンドン、ピーヒャラピーヒャララ!」「はいありがとうございました!」周りのお客さんも拍手してくれていた。「面白かったわ〜」僕はこういうのは苦手なのだ。なんか恥ずかしくて無理なのだ。資料館の展示は僕らの知らない事ばかりでとても感心した。津軽三味線の実演があるというので展示を見た後先ほどの太鼓の所へ戻ると中国人の観光客で会場は満員御礼だった。大勢の中国人の端っこの最前列の席が空いていたので座らせてもらった。今日の津軽三味線の演奏者は長峰健一さんと言う人だ。長峰さんは津軽三味線の全国大会でA級チャンピオンに輝いた実績のある本物の人だった。長峰さんが大勢の中国人の方に津軽三味線の説明をしようと話しかけたが先ほどまで会場にいた通訳の人がどこかに行ってしまっていて話しが全く通じなかった。優しい長峰さんは「じゃ、演奏の方を、聴いてもらいましょうかね」と笑顔で呟き津軽三味線の局を弾き出した。繊細なイントロからすっと局に入ると中国人たちも長峰さんの演奏に釘付けになった。局の途中テクニックの見せどころになると中国人の観客から自然と拍手が起こる。ねぷた資料館の入場券だけでこんな素晴らしい演奏を聴かせてもらえるとは思ってもみなかった。僕自身、津軽三味線の生演奏を聴くのは初めてだったので鳥肌が立つほど感動した。演奏が終わりふと外を見ると土砂降りの雨になっていた。庭園になっている中庭を傘をさして歩いて行くと木工細工の土産物屋になっていた。土産物屋は木工細工の作業場にもなっていておじいちゃんが働いていた。どうやら駒を作っているようだ。作っている駒は逆さ向けにキノコが生えたように軸を下にして回すと、知らない間に普通の駒みたいに廻っているという変な物だった。すぐに気に入って土産として買った。漆塗りの物もたくさん売っていて漆塗りの箸を誕生日プレゼントととして妻に買ってあげた。実は僕も自分の漆塗りの箸が欲しかったのでいい口実だった。まあまあいい値段したよ。ねぷた資料館を出ると甘い香ばしい匂いがしていたので何かなと探して見たらピーナッツ煎餅を焼いているお店があった。目の前で煎餅を焼いているところが見られるのだ。フラフラとそのお店に入り2枚購入した。ずっしり重いその煎餅を車に持ち込み食べた。「めちゃくちゃ食べ応えあるな」「お腹ふくれそう」「半分だけ食べて残りは非常食にするわ」「そうやね」この後昼ごはんにありつけない場合もあるかもしれない。いつも昼ごはんを食べ損ねている二人だったのでこれで安心だ。
Nov 18, 2024
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以前長崎に行ってきた事を書いた事があったが、尻切れトンボになっていたことに気付いた。誠に申し訳ございません。今さらながらですが続きの最終回をアップします。〜島原へ行ってきた最終回〜長崎は四度目の訪問なので、目ぼしい観光名所は殆ど行き尽くしている。特に行きたかったわけでもないが、長崎市内の諏方神社というところは行ったことがなかったので、時間もあることだし行ってみることにした。諏方神社は、長崎では”お諏訪さん”と呼ばれ親しまれている総氏神様らしい。 国の重要無形民俗文化財となっている秋季大祭「長崎くんち」の大舞台としても広く知られているようだが、当然僕たちは知らない。ホテルをチェックアウトして早朝の長崎の街を歩く。路面電車に乗るためにホテルから川沿いの道を歩いて行く。途中見覚えのある長崎の中華街が右手に見える。「前食あそこでべた中華まん美味しかったよな」「でも神戸の中華街に比べたらショボいわ」「そりゃそうやな」長崎の人には悪いが、関西人はそこら辺は譲ろうとしない。中華街を過ぎて大通りに近づくと路面電車のモーター音が心地よく聞こえてくる。僕らも路面電車に乗り諏方神社へ向かった。電車に乗ったとたんに、急にお腹が痛くなり大きい方を催してきた。普段食べない朝食でパンやら色々食べたのがまずかった。僕は時々小麦粉を食べたあと急にお腹を下す事が多々あるのだ。諏方神社駅に到着する頃には我慢の限界に近づいていた。「やばい、どこかトイレないかな?下痢や」「あそこに、コンビニがあるわ」「ホンマや、行くわ」と言っているが僕はもう臨界点に到着寸前でお尻をすぼめて小股でしか歩けないほどだった。コンビニに顔面蒼白になりつつ突入し、何とか間に合い事なきを得た。つまらない事だが、下痢からの解放感というのは相当の快楽だと再認識した。諏方神社へは大きな鳥居をくぐり階段を登って参拝することになる。早朝から神社には地元の方と思われる人がポツポツ参拝している。鳥居を横切る道路を行く人も、神社には入らないのに鳥居の前で神社に向かってお辞儀をして通過している。信心深い人達がおおいのだ。階段を登りつつ、いよいよ本殿のある。最後の階段を登ろうとしていたら保育園のバスが駐車場にやってきて、小さな園児たちがワラワラと降りてきた。この神社が日常の散歩コースになっているのか?子供達にとっては大きすぎる階段を2列になって一生懸命登っていく。何とも微笑ましい。光景を目にして心が和んだ。諏方神社は本格的で立派な神社だった。本殿の右側には大きなクスノキの木が立っている。信じられないぐらいの巨木だ。樹齢800年だというから本当に巨木だ。一通り諏訪神社を参拝した後。諏方神社にある小さな動物園を見た後「さて、この後どこに行こうか」ということになった。「シーボルト記念館というのがあるみたいなんで行ってみようか」「そうやね。そこは行ったことないね」ということで、シーボルト記念館というところへ行くことになった。シーボルト記念館は諏方神社から歩いて行けるようだ。再び諏訪神社の階段を降りて行き歩いていく。しばらく歩くとどうやらシーボルト記念館に行くにはシーボルト通りという名前のついた道を通っていくといいらしい。途中橋の上でおばあさんがビニールシートを広げて露天を出していた。「おばあちゃん、これに何ですか?」とおばあちゃんに尋ねると「これは柚子胡椒です。うちのおじいちゃんが作ってるの」「あ、そう、一つもらえますか」「ありがとうございます、これ本当に美味しいよ」ということで1つ購入した。その柚子胡椒は何かの空き瓶を利用した容器に入っていた。旅を終えてから家でその味を確かめたが、今まで味わった柚子胡椒の中では一番美味しかった。柚子の香りがすごいのだった。シーボルト通りと書かれた看板をくぐりたくさんの商店が出ている通りを歩いて行く。面白そうなお店がたくさん建っている。ふとそこでシーボルト記念館への道案内を入れていたスマホのナビに目が行った。「あれあれ?シーボルト記念館。今日は休館日となってるわ!」「えー!嘘!そういえば今日、月曜日やよ。月曜日に旅行を入れたらあかんな〜私らいつもこうやんな」とサヨコさんが言う。今歩いてきたシンボルト通りを引き返しつつ路面電車の停留所近くまで歩いてきた。「これからどうしよう?どこ行こうかな」「ちょっと待ってや、行けるところ探してみるから」こういう時のスマホの検索能力はサヨコさんの方が僕よりはるかに上回る。次の行き先探しはサヨコさんに任せて僕は停留所近くの歩道の花壇に腰掛けてサヨコさんの答えを待つ事にした。しばらくしてサヨコの答えはこうであった。「もう、行くところないわ〜」仕方がないのでどこに行こうか考えた末、長崎に来た時、飛行場からのバスから見えた大村という町に行ってみようかということになった。大村は長崎空港のある方向なので空港に向かいがてら最後に立ち寄る感じだ。長崎からJRで1時間くらいかかる。結構遠いのだ。これで長崎の街とはさようならということになる。旅情溢れるいい街だった。JR に乗り大村までやってきた僕らはバスから見えていた、大村城跡らしきものがあったところへ行ってみようかということになった。大村駅は少しレトロな可愛い感じの駅舎だった。調べてみると駅舎は大正7年に2代目駅舎として建てられたようだった。いい駅だ。パンフレットを見つけて見てみると大村城だと思っていた城は玖島城という名前だった。玖島城は現在、大村公園として整備されているようだった。「大村公園までどうやって行こうか」「タクシーに乗って行く?」「ナビで見たら1.9キロって書いてあるけど」「1.9キロやったら歩いてみようかそうやな。街並みを置いてみたいしな」「ほな、歩いて行こうか」ということで、スマホのナビを頼りに歩き始めた。歩き始めて気づいたが、大村の街は何にもなく歩いてて全く面白くない街だった。ただ黙々と二人は歩いて行く。「結構遠いな」「そうやね」「この街面白くないね」「そうやね」どうも、退屈な風景で延々と歩いた。しばらくすると大きな幹線道路に出てきて更に面白くなくなった。「競艇があるみたいな」「うん、そうやね・・・」「エガチャンの看板の中古車屋があるな」「うん、そうやね・・・」「お腹すいてきたね」「うん、でもお店ないね・・・」トボトボ歩き続けやっとの思いで大村公園玖島城跡に到着した。公園の入り口に飲食店が2件並んでおり空腹だった僕らはそこでお昼ごはんを食べることにした。飲食店は向かって右側がちゃんぽんのお店で左側が中華のお店だった。「ちゃんぽんと中華どっちの店にする?」「そうやな〜、どっちでもいいけど」「ほな、今回ちゃんぽん食べられへんかったし、ちゃんぽんにしよか」「うん、そうしよ」ということでちゃんぽんの店に行くことにした。店に近づいていくと何か活気が無い。「閉まってるんかな」と店の前まで行くと、営業は昼と夜しかやっていないようだ。14時で一旦店が閉まるようだ。「なんちゅうやる気ない店やねん」「ホンマやね、でも、しかたがないなあ」ということで、中華のお店に行くことにした。店のドアを恐る恐る開けて「すみません、いいですか?」というと「はい、どうぞ」と元気な声が帰って来たのでホッとした。ラーメンとビールを注文した。今回は電車の旅なのでビールが飲めるのは最高だ。大村駅から歩いて来たので喉も渇いている。小さめのジョッキグラスもキンキンに冷えている。このお店は分かっているのだ。偉い!「かんぱーい」ビールは、あっという間になくなってしまった。ラーメンは白湯スープで胡麻がたくさんトッピングしてあり美味しかった。腹を満たし玖島城跡を見に行く。玖島城は、大村湾に突き出している半島に建っていた。現在は城郭のみ残っているが、なかなか立派な石垣だ。公園内には桜の木が多数植えられていて、春には相当美しいだろう。堀には菖蒲の花が多数植えられていてなんと10部株の菖蒲が植えられているという。菖蒲の季節に来たらこれまた美しいだろう。城内をゆっくり散策して帰ることになった。、「玖島城、意外と良かったね」「本当、桜が咲いたらきれいやろね」「ところで帰りはタクシーにしよな、もう歩くのいややで」「そやけど、タクシーなんかあらへんかったで」「そうやったな・・・あっそうや!公園やしバス停あるんと違うか」「そらそうやな、探してみよか」ということでバス停を探すとすぐに見つかった。「やっぱりバス停あったな」「そうやね、どこまで行けるかな」「ウ~ン、あっ!長崎空港行きがあるで!」「うそ、ラッキーやん!」バスの時間まで少しあったが空港行きのバスが、あり助かった。僕らはバス停のベンチに座り休憩がてら待つことにした。ベンチに座って待っていると道路を挟んだ向かい側に饅頭屋があるのに気がついた。金子饅頭と書いてあり「キンマン最高だよ、かき氷とイチゴ大福も最高だよ」と自信満々に書いてある。時間もあったんでサヨコさんに「サヨコさん、道路の向こう側見てみ、キンマンってどんなんやろな?」「私もさっきから気が付いてたねん、イチゴ大福も最高て書いてあるやろ」「ちょっと食べてみたくないか?」「そやろ、私買ってくるわ!」ということになり一目散にサヨコさんはベンチを立ち上がり信号のある交差点までもどりキンマンを買いに行ってくれた。しばらくして戻って来たサヨコさんは嬉しそうにキンマンを見せてくれた。2個入りのキンマンは塩豆大福だった。どうやらイチゴ大福は季節的に無かったようだ。でも、店の前ののぼりにも塩豆大福という文字も見えていた。さっそくキンマンを、いただく。とんでもなく美味しい。僕は普段甘いものはほとんど食べないのだが、このキンマンは絶品だと思う。旅でのこうした美味いものとの出会いというのは嬉しいものだ。そうこうしているうちにバスがやって来た。「バスがあるってありがたいね〜」「ほんまやね」二人して空港行きのバスに乗り込んだ。旅はそろそろ終わりを告げようとしていた。長崎は旅情あるいい街だ。次回は美味しいちゃんぽんを食べてみようと思う。
Nov 16, 2024
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居酒屋「和民」にやっとこさ落ち着いた僕らはさっそくビールで乾杯した。せっかく青森に来たのだから名物を食べたいということなので「貝焼き」「イガメンチ」「青森シャモロックのとり天」をメインに注文した。チェーン店だからと期待はしていなかったが出て来た料理はどれもちゃんと作ってありすごく美味しかった。ダメ押しにモツ鍋も注文したが結構なボリュームで大満足だった。お店の中には地元の人達でひしめいており、大きな声で方言が飛び交い、それはそれで僕らにとっては楽しい時間であった。妻は思いがけず美味しい食事にありつき美味しいお酒を飲めたので上機嫌で店を出たあと二人並んでホテルに帰った。ホテルに帰りビジネスホテルには珍しい大浴場があるというので入りに行った。ラジウム人工温泉ということでお湯は温泉風に感じて良い感じだった。大浴場には僕の他にツルッパゲの爺さん一人しか入っていなかった。大浴場に浸かっているとその爺さんが「観光で来られましたか?」と声をかけてきてくれた。「そうなんです」「どちらから来られましたか?」「京都です、ご主人はどちらかですか?」「私は東京なんです、家内と二人でクルマで野宿旅行をしてるんです」「そうなんですね」「北海道をぐるっと回ってここまで来ました」「キャンピングカーか何かに乗っておられるんですか?」「いやぁ、トヨタのボクシーですよ、アレぐらいのサイズが丁度いいんです。明日はどちらへ行かれますか」「大湯温泉というところです」「私は昨日、酸ヶ湯温泉に行って来ましたが、そりゃ紅葉が見事でした」「そうですか、僕らも明後日、酸ヶ湯温泉に泊まる予定なんです」「それは良かったホントに見事ですよ」などと爺さんと話しが弾んでしまった。爺さんはずっとお風呂にいるようで、風呂の縁に腰掛けてじっとしていた。部屋に帰るとまたビールを飲んて明日に備える。明日は天気が悪そうだったが弘前城へ行く予定である。
Nov 15, 2024
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今日の宿は弘前駅前にあるビジネスホテルを予約していたので一路弘前へ向かった。青森県の道路はすいていて走りやすい。秋田県ほど飛ばす人も少ないようだ。すでに夕暮れの気配になっていた。しばらく走ると岩木山の美しいシルエットが見えてきた。津軽の人は「お岩木様」と畏敬と親しみを込めて呼んでいると聞く。正にお岩木様に相応しい神々しさを感じられる山の風貌だ。美しい夕焼けの中クルマを走らせるのは気持ち良かった。弘前駅前のホテルの駐車場は立体駐車場だった。僕は立体駐車場に停めたことが無くて初体験だ。オジサンに誘導され丸い回転板の上に乗ったのはいいが、使いにくいニッサンノートeパワーだからサイドブレーキの外し方がよくわからずモタモタしてしまう。「すみませんね、レンタカーで使い方よくわからないもので」「本当ですね今どきのクルマはややこしいですね」と優しく対応してくれている。アタフタしながらなんとか立体駐車場に突っ込むことができた。立体駐車場って狭くてキチキチなんですね。運転下手やったら乗せられないね。チェックインを済ませて晩ごはんを食べに行く事にした。ルートインのホテルはちゃんとビールの自動販売機もあるので安心だ。出かける前にビールを買って冷やしておいた。初めての街だったのでネットで良さそうな居酒屋を調べておいたので行って見る。「安い!美味い!みんなの津軽衆」という赤いどデカい看板が目印だった。名物の「貝焼き」はなんと100円だという。さっそく暖簾をくぐってドアを開けるとお姉さんが迎えてくれた。「二人ですけどいけますか?」「あのー、ご予約はされてますか?」「いや、してません」「すみません、満席なんです」「そうですか・・・」とすごすご撃退された。「席なんぼか空いていたんやけどなぁ予約しなあかんのか」と次の店を探す。早くも嫌な雰囲気だ。「居酒屋難民になりそうやな」「ホンマやねどこか探すわ」と妻が得意のスマホサーチで探し始めている。その横で待っている間にもオッサン4人組がさっきの居酒屋に入ろうとしたが、やはり撃沈してフラフラと店から離れて行った。妻はしばらくスマホで居酒屋を探していたが「しのや、っていうところがあるんやけど良さそうよ、電話で空いてるかどうか聞いてみるわ」とすぐに電話をかけだした。しかし、「アカン、しのやも予約で一杯やて」とダメなようだった。「もう一軒、アバっていうところがあるし、そこはここから近いし一回行ってみよか」と妻が言うので行ってみることにした。妻のスマホのナビを、頼りに居酒屋アバをめざす。ホテルの前を通り越して弘前駅を、右手に、見ながら歩いて行く。途中でチェーン店の居酒屋の前で呼び込みのお兄ちゃんが暇そうにしているのが目に入った。「ああいう居酒屋には行ったらアカンで」と妻には内緒で伝える。居酒屋アバはすぐそこだと言う妻の情報とは裏腹に10分近く歩いても到着しなかった。だんだん周りが暗くさみしくなってきた線路際にお店らしきものが見えてきた。民家を改造したようなお店に赤提灯が出ている。「やっと着いたわ、あそこやな」「そうやね」店に近づいて行くと、「あれ、アバちゃうで、しのやって書いてあるで」「え〜、なんで」「なんでってナビで来たんやろ」「何でか知らんけど、電話かけたしのやにナビなってしもてるわ」「そんなアホな、アバはしかも反対報告やん」「ごめ~ん」ということで、また居酒屋難民と化したのである。結局再度ホテルの前まで戻って来てしまった。「もう仕方がないしチェーン店でもいいし入ろ」と言うことになり、ここなら空いてるであろうホテル近くの和民に入った。「すみません、二人ですけどいけますか?」「次の予約が入ってる9時半までで良かったらいけます。」「ああ、充分ですよ」「それではコチラへどうぞ」ということでやっと晩ごはんにありつけることになった。〜本日の教訓〜「地方都市の居酒屋は予約しとかないといけないです」
Nov 14, 2024
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青森空港に降り立つとやはり京都と比べるとだいぶん寒かった。正確な気温は分からなかったが5度ぐらい低いという感覚だ。青森空港に来るのは初めてだった。到着口を出るとねぶた祭りの小さいねぶたが迎えてくれる。ねぶた祭りは一度は見てみたいものだ。今回はレンタカーを予約していたのでレンタカー屋を探す。紅葉の季節ということもあり5ヶ月前にレンタカーを、予約したがそれでも最後の数台しか残っていなかった。青森県などはレンタカーが無いと観光するにはめちゃくちゃ不便なのだ。レンタカー屋は空港を出て右側に行くとすぐに見つかった。「レンタカーターミナル」と大きく書かれている建物に入るとそこには色々なメーカーのレンタカー屋が勢ぞろいしていた。僕らは今回ニッサンレンタカーで借りることになっていた。受付カウンターを見ると他のレンタカー屋は行列になって順番待ちができていたが、ニッサンレンタカーだけは誰も並んでいなかった。たまたまかもしれないが。受付の背が低くてぽっちゃりしたお姉さんの淡々とした説明を受けて車のところに一緒に行く。ボディーの傷の確認をしたらアッサリ何の操作説明もなく鍵を渡された。今回の車はノートeパワーだった。「ノートeパワーか、eパワーは初めて乗るなぁ」おそるおそる車内に入る。「ウ~ン、エンジンスタートのボタンがどこか分からん」あたふたしながらボタンを探すがなかなか見つからなかった。ハンドルの右側ばかり探していたら、左のギアセレクターの前にあった。「なんちゅう所にスタートボタン付けとんねん、普通エンジンキーがあった場所に付けるんちゃうんか!」憤怒しながら次はETCカードの差し込み口を探す。「え〜、どこやねん、あらへんわ」必死で探すが見つからない。「お店のお姉さんに聞いこようか」と思った時、右手の暗やみで何かが手に触った。「もしかしてここ?」運転席の暗いところに何の表示もないスリットが空いていた。「こんなん分かるわけないやん!」次はギアを入れないといけない。変なシフトが付いているがこれまた使いにくい。「ニッサンの人間工学はどうなってるねん、アカンわ!」そらニッサンが低迷するのもうなづける。何とかスタートしたが今度は車内のバックミラーに問題が生じた。ノートeパワーのミラーはバックミラーが鏡ではなく映像が映るタイプだった。老眼の僕は顔から30センチぐらいの位置にあるモニターは見えないのだ。遠近両用のメガネをかけていたがそれは手元の下側を見る構造になっている。普通はそうなっている。だからミラーをメガネ越しに見ようと思うとアゴをぐいっと上げて天井を見ないとミラーは見えない。普通の鏡に切り替えようとしたがどうやらそんな仕掛けはないようだ。「ニッサン!アカンでミラー見えない!ちょっと考えて!」普通の鏡のミラーの方が視界も広く距離感覚もつかみやすいしいいのにね、値段も安くできるし。仕方がないのでそのまま走ることにした。青森空港は有料道路の中にあり空港から出ようと思うと有料道路を必ず通らねばならない。「なんか腑に落ちなんな、何で有料道路の中に空港があるねん」意味がわからないまま料金所でお金を支払った。220円という中途半端な料金設定も微妙だ。
Nov 13, 2024
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何とか伊丹空港の無事に発着ロビーに入る事ができた。青森行きの搭乗口は一番端っこの6番ゲートだった。端っこまでトコトコと歩いていくと6番ゲートの前の待合席は小さくてどの椅子も人が座っていた。「うーん、いっぱいやね」「なんか狭いし」「あっちの通路のとこにもベンチあったし、あっち行こか」「そうやね」ということで動く歩道のあるあたりまで戻ることにした。動く歩道は子供たちにとっては最高のアトラクションのようでどこかのガキが「きゃっきゃ」言って何度も乗っている。「まあ、人が少ないからええか」とベンチに座りながらボンヤリとその光景を眺めていた。しばらくして気がついた。「あれ、メールが来てるわ」メールを見てみると、ANAからの通知だった。「青森行きの搭乗口変更やて、8番ゲートに変わったみたいで」「えっホンマ」「ヤバいな、僕らの事やから、ぼーっとしてたら乗り遅れるわ」僕らは夜行バスに乗り遅れた実績があった。すぐに移動するとまだ人はまばらだった。ベンチに座って出発時間を待っていると今度は「機材の都合により出発が20分遅れます」とアナウンスがあった。サヨコさんが「えーっ、縄文の山内丸山遺跡行こうと思ってたのに閉まってしまうやん」「しゃーないな、別の日に行こ」「そうやね、その方がゆっくり見られるし」「うん」20分遅れで搭乗するとすぐに出発となった。今回の飛行機ハビラントはプロペラ機とはいえ双発のターボプロップエンジンを搭載し700キロという驚異的なスピードで巡航できるという。騒音も特殊な装置により抑えられていてジェット機より静かだ。ジェット機より低い7000メートルあたりまでしか上昇しないので地上の様子がよく見える。僕は窓際に座りたかったがレディファーストでサヨコさんに窓際席を譲ってあげた。サヨコさんはスマホでしきりに動画や写真を撮っていた。旅行の先々でラインによるリアルタイムで家族へ報告をするのがサヨコさんの旅のスタイルなのだ。天候も良くてほとんど揺れることもなく快適な1時間40分で青森空港へ到着した。結局25分遅れての到着となった。
Nov 12, 2024
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展望テラスで昼食をすませ、搭乗手続きをしに下に降りることにした。 手荷物はもうすでに手荷物カウンターで預けていたので小さなリュックサック一つしか荷物はない。伊丹空港の手荷物カウンターは自動引受のマシーンがずらっと並んでいるのをご存じたろうか。今までカウンターで人間に預けていたのが、マシーンで自動に引き受けてくれるのだ。今回マシーンで荷物を預けようと列に並んで待っていたのだが、混雑していた。そして、マシーンの横の人間がいるカウンターから「こちらへどうぞ」と僕に声がかかり「何だろう」と思って近づいていくと「こちらでお引き受けします」という。「なんじゃい、人間でできるのかい」と突っこみは心の中に押さえて、荷物を預けるとあっという間に手続きは終わった。荷物を預け、列から離れると相棒のサヨコさんは、まだ、マシーンと格闘していた。サヨコさんもマシーン受付が終わりこちらに近づいてくると「どうしたん、荷物、預けたん?」と言う、「そうやねん、待ってたらお姉さんがカウンターでやってくれはってん」「なんや、そっちの方が早いやん、最初からゆうてほしいな」と、何か腑に落ちない様子だった。 飛行機に乗るときに一番緊張するのが、危険物の持ち込みチェックだ。べつに悪いことをしているわけでもないのに何故か犯罪者の心理のようになってしまう。最近では、タブレットやパソコンを別のトレーに出すよう指示されている。「タブレット出しておくの忘れたらどうしよう」とか思いながら、慌てていないふりをして作業する。以前はベルトまで外してトレーに載せていたが、一度ベルトを外すのを忘れてそのまま金属探知機をくぐったが、なんともなかったので、以後、国内線では身に着けたままゲートを通っている。センサーにひっかかったことは一度もない。「思いっきり、金属なんだがなぁ」と、これまた腑に落ちない僕であった。 僕の荷物はすんなり出てきたが、サヨコさんの荷物がなかなか出てこないようだった。「どうしたん?なんか変なもの入れてたんと違う?」「そんなことないと思うんやけど」と言っていると、サヨコさんの荷物は、ベルトコンベアの分かれ道で、向こう側に行ってしまっていた。「なんで、向こうに行くんやろ」と二人して疑問に思ったが、係の人から何の話もなく、これまた腑に落ちないの連続であった。
Nov 8, 2024
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今回は青森県に行ってきました。旅のお供は妻のサヨコさんです。 前回秋田に行った時と同様ANAの格安便で行くことにしました。早割を使っていくので片道1万1千円ほどで大阪の伊丹から青森空港まで行けます。フライト時間は予定では1時間40分ということでした。伊丹を14時10分に飛び立ち青森空港到着時刻は15時50分の予定です。 伊丹空港のレストラン街は昼前ということで何処も混雑していた。 「どうするお昼ごはん?ここのピザ屋さんもおいしそうやで」「どこでもいいよ」「ハンバーガーもあるな、おいしそうやな、いくらやろかな」値段を見ると「1980円!高っ!」「いつもの、ローソンでええよ」「そうしよか」 ということで、僕は、ローソンのてりやきバーガー(税込み192円)、サヨコさんはおにぎり3個を購入した。おにぎり3個買ったらお茶500ccが無料でもらえた。どんだけ安いねん。ちゅうか、僕らは貧乏人が染みついてるのです。 いつものように屋上の展望テラスで食べることにした。 青森に着いたらレンタカーを借りる予定だったので、アルコールは飲めないのが残念だったが、てりやきバーガーは、ジャンクなうまさだった。飛行機が離着陸するのを眺めながら食べる昼食は、充分気持ちがよくまんぞくのいくものだった。 今回青森まで乗る飛行機は、この前秋田県に行った時と同じ型のプロペラ機だ。ハビランド・カナダ製の飛行機で74人乗りだ。ボンバルディア系の飛行機で、プロペラ機とはいえ、巡航速度は650キロだ。えらく速いのである。ターボプロップエンジンは、ジェット機とプロペラ機のあいの子みたいなエンジンだ。また、機体から音波を出し、機内に入るプロペラによる騒音や振動を小さくする装置がついており、ジェット機よりも騒音値が低いという。前回もエンジンの真横の席だったが、エンジン音は全くうるさくなく、ジェット機より静かだった。飛行する高度もジェット機より3000メートルほど低い7000メートルぐたらいのところを飛行するので、晴れた日には、地上の様子が手に取るように見えるのも良い。
Nov 7, 2024
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いよいよ僕たちの鹿児島旅行の旅も終盤に近づいてきた。山形屋で焼きそばをたらふく食べた後は鹿児島の名勝「仙厳園」に行こうということになった。仙厳園は鹿児島の島津光久が1658年に作ったと言われる美しい庭園があるという。僕たちはまた天文館通りに戻り鹿児島市営バスの「鹿児島シティビュー」という市内を回覧するバスに乗ることにした。シティビューは観光名所を順番に回ってくれている巡回バスで、我々が持っているキュートという乗り放題きっぷで乗れるということだった。シティビューを持っていたが、まあまあ夕方になってきて「いよいよ旅も終わりだな」という気配が漂ってきた。天文館通りにやってきた鹿児島シティビューというバスは結構混雑していた。鹿児島市内から少し離れた桜島を見渡せる場所に仙厳園はありました。しかし、入場料が1000円という高額だったので少し躊躇したが、ここまで来たので隊長と相談し入ることにした。閉園時間が近づいていたが、せっかくここまで来たんで入ることにした。庭園以外に、屋敷に入るには別料金がかかるということでしたが、時間がないのでそちらの方はやめました。隊長がすかさず窓口のお姉さんに質問していた。「このフリーきっぷの特典で何かあると聞いていたんですが、何ですか?割引とかしてもらえるんでしょうか?」窓口のお姉さんは淡々と答えました「こちらの、絵葉書が、特典となります」「ああ、そうですか。ありがとうございます」ということで受け取って中に入りました。仙厳園は本当に立派な庭園で太陽炉の跡までありました。少し小高い庭園からは桜島が見事に見えていました。歴代の藩主と、また西郷さんたちが訪れていたと思うと感慨深いものがありました。あまりにも暑いので少し辟易しましたが、庭園内にはミストの噴射とかもあり、なんとか過ごせました。土産物屋のコーナーに行くと数々の芋焼酎が売られていました。売り場のお姉さんは「どうぞ試飲をしていってください」と言って焼酎を勧めてくれましたが、僕は「いや〜僕買わないと思うんですけどいいですか荷物が重たくなるんで」と言いましたが「いいですよ。どうぞお試しください」と快く試飲をさせてくました。鹿児島の芋焼酎は上品で芳醇でとっても美味しかった。あと 15 分時時間があれば郵送で買ったと思います。ごめんなさいね。お姉さんそう、こうしてるまに閉園時間が近づいてきたので慌てて仙厳園の、出口へ向かった。もう少し時間が欲しかったな。仙厳園を出た出たところのバス停ではシティビューを待つ、お客さんが列をなして待ってました。そのうちの半分以上は外国人でした。バスの到着時刻にギリギリだったので、すぐにバスは来ました。僕と隊長は一番後ろの席に座ることができました。途中からヨーロッパ系の外国人が乗ってきて、僕らの目の前に立っていました。色白の可愛い兄弟とごつい感じのお父さんとお母さんでした。兄弟の弟は少し疲れているようでぐずっていましたが、この一家はビーチで下車していきました。外国で家族で旅行するのはは大変ですよね。これで今回の鹿児島旅行は終わりです。鹿児島空港へ向かい飛行機を待つことになります。空港では西郷さんが僕たちを迎えてくれます。僕たちは無事にこれで関西へ帰ることができたのですがなんと!翌日大きな地震が宮崎と鹿児島に発生し、飛行場は大混乱になったと言います。タッチの差で無事に帰れたことは本当にラッキーだたと思います。今回の旅行も隊長の協力があり、本当に助かりました。ありがとうございます。これからも老年坂をともに登りながら、いろんなところへ旅行しましょう。よろしくお願いします。終わり
Nov 4, 2024
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「山形屋デパートの最上階にあるレストランに鹿児島県民が絶賛するソウルフードがあるみたいなんだけど行ってみる?」と隊長が言ってきた。僕らはそのソウルフードを求めて、また路面電車に乗り込んだ。僕たちは「いづろ通」という駅で下車し山形屋デパートを目指した。鹿児島市内には天文館通りを中心とした。アーケード街が縦横無尽に広がっており、山形屋デパートの近くにもアーケードが広がっていた。アーケード街というのはなぜかワクワクするよね。何でだろうね。山形屋デパートの建物は少しレトロな感じの建築で見るからに老舗という感じだ。中に入ると結構な人で、僕らはエスカレーターで最上階を目指した。山形屋デパートは増築増築でやってきたのか1号館、2号館、3号館と準々奥に立っており、なかなか複雑な構造だ。そこら辺のベンチにはマダムのようなおばさま方が楽しそうに話をしている姿があちこち見られた。最上階のレストランは結構な広さがあり、多くの人で賑わっていた。けれども待ち時間なくすぐ席に案内された。隊長の言う、鹿児島県民のソウルフードというのは、どうやら皿うどんのような焼きそば(880円)だった。焼きそばといってもどう見ても油で揚げたパリパリ麺の皿うどんだった。周りのテーブルを見ると、やはりマダム風の奥様方が多数見られ、そのソウルフードと言われる焼きそばを召し上がっていられる方が多かった。その焼きそばはレギュラーサイズでもめちゃめちゃ大きくて、あんなおばさんたちが食べきれるのかというぐらいの量であった。オバサン(マダムか)が食べている焼きそばの量を見てビビった僕は焼きそば(小)というのがあるのを発見し、それを注文することにした。隊長はレギュラーサイズだ。ビールも注文して焼きそばが出てくるのを待った。昼間からビールを飲めるのも鉄道旅ならではだ。隣のテーブルでは家族連れが楽しそうに昼食を食べていた。4人家族で中学生ぐらいの男の子と、小学生の高学年ぐらいの女の子がいる。お母さんはラーメンを食べていたが、足らなかったようで焼きそばを追加で食べ始めている。鹿児島のオナゴはすごい食欲だ。更にデザートのパフェまで後で追加していたから恐るべし。僕らはビールで乾杯し、運んてこられた焼きそばを食べ始めていた。隊長のレギュラーサイズの皿うどんは結構なボリュームだ。僕は小にして正解だった。ビールものんでいたので充分満足できる量だった。ちなみに、山形屋は「やまかたや」と読むようですね。これで(小)です
Nov 2, 2024
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鹿児島交通の間違ったバスを降りて再び炎天下の下、鹿児島市営バスを待った。しばらくすると、あの黄色い鹿児島市営バスがバス停の手前までやってきた。そのバスに乗れるのかとほっとしたのもつかの間だった。そのバスはバス停の手前で停車し、頑なに動くことはなかった。「隊長あのバスは僕らの行き先とは違うバスなんですかね?」「どうだろうね」「でも取扱していないようで乗れないみたいですね」「うん、待つしかないね」ということで、炎天下の中、10分ほどまだ待っていた。するとどうだろう、バス停の手前に止まっていたあのバスが、僕らの待っている停留所にやってきてドアを開いた。「なんやねんいったい!乗せてくれるん?それやったら最初からバス停まで来て止まっといてくれや。こんな暑い中。待ってんのに何考えてんねん?」「本当だね。乗せてくれたらよかったのにね。」全く愛のない話である。やっとのことで、クーラーの効いたバスに乗れたが、どこに行くかは決まっていなかった。「隊長、どこまで乗れますか?」「そうだね。水族館口にしましょうか?」「えっ、それなら歩いて5分の距離ですよね?もったいないんじゃないですか?このまま鹿児島中央まで行きましょうよ。せっかくバスに乗ったんだから」「じゃあそうしようか」ということで、お馴染み鹿児島中央駅まで行くことにした。鹿児島市電の完全乗車はまだしていなかったので、再び市電に乗ることになった。郡元行きの路面電車に乗っていたがアナウンスで「次は神田駅です。交通局前、車両基地のが見学もできます」というようなアナウンスが入ったので、隊長と顔を見合わせてすかさず、下車することにした。交通局の建物に入っていくと受付のお姉さんがいた。どうやら無料で入れるようだった。いろんなグッズも売っている。2階にある資料展示室に行くには、首からかける見学者の札をもらわなければならなかった。2階に上がると隊長と僕の2人だけだった。こじんまりした資料室からは車庫が一望でき、色とりどりの可愛らしい。車両が止まっていた。「ここ、最高じゃないですか!」「本当だね。いい写真が撮れるね」資料室の中で僕が目についたのは花電車を改造した。散水電車だった。鹿児島市では路面の場所でも車が入れないようになってるところがほとんどで軌道上に緑の芝生が生えているのだった。最初は人工芝かな?と思ったけど、近づいて触ってみると本物の芝生だった。「これは、メンテナンスが大変だな」と思っていたのだが、散水電車で芝刈りと水やりが同時にできるような仕組みになっているような感じだった。「なるほど。この電車で水を撒いていたのか、どおりで綺麗に芝生が生えてるわけだ。」この暑さの中でも芝生が青々としているのが納得できた。クーラーの効いた資料室であれこれ見ていると小学生たちが付き添いに連れられてたくさん入ってきた。急に賑やかになって良かったが、ちょうど潮時なので僕らは退場することにした。その後、鹿児島の路面電車を完全乗車した。僕たちはそろそろ腹が減っていることに気がついて昼食にすることにした。
Oct 30, 2024
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サクラジマアイランドビュー(バスの名前)はフェリーの桜島港から桜島マグマ温泉、桜島ビジターセンターなどを、経由して海沿いを走っていく。サクラジマアイランドビュー(バスの名前ね)は基本的に観光客向けのバスであるが、よく見ると地元の人達も乗ってきたり降りたりして普段の地域の足としても利用されているようだった。途中、赤水展望広場というところがあり、そこはかつて、シンガーソングライターの長渕剛さんが、野外コンサートをやったばしょであるという。2004年8月21日にオールナイトで開催されたコンサートには7万5000人か集まったという。桜島の人口は4000人ちょっとなのでものすごい数の人が来たことになる。バスの窓から長渕剛さんをモチーフにしたちょっと気持ちの悪い石像が立っているのが見える。「叫びの肖像」という題がついていたが、地面から突き出た長渕剛の顔は繰り返すがちょっと気持ちが悪い。バスはしばらくすると左折して一気に山の中に入って行く。ぐんぐん高度を稼いで標高373メートルにある湯之平展望所まで一気に登って行く。視界が開けたところでははるか下に海岸線が見える。素晴らしいビューだ。バスは湯之平展望所に到着した。展望所では15分停車するというので下車して展望所に登ってみることにした。「隊長、どうしますか15分停車だと言ってましたけど、アイランドビューは30分に一本ですよね」「15分あったら充分かな」「そうですね、じゃあ急ぎましょう」ということで急いで写真などを撮った。しかし、こういう大自然の写真を撮っても、実際の目で見たのと全然迫力が違うので、どう撮影してもショボい写真になってしまう。やはり、実際の目で見ないと値打ちがないような気がする。あっという間に15分が過ぎそうになり急いでバスに戻った。しかし、定刻になってもバスは発車しない。「もう出発時間を過ぎてるのに何で出ないのかな」と思っていたら、展望所の方からオジサンとその息子さんらしき人物が何となくこちらに向かって歩いて来ているような様子だ。急ぐ気配はなくトボトボ歩いている。しかし、そのうちバスに近づいて来た。どうやらバスに乗りたいようだ。しかし定期をもう3分ほど過ぎている。バスの運転手は、何事も無かったように普通にドアを開けて二人を迎え入れた。入って来た二人も何にも恐縮することもない様子で黙って乗ってきた。「う〜ん、鹿児島はのんびりしているのだ、恐るべし」である。
Oct 23, 2024
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桜島島に到着してバス乗り場を確認する。「サクラジマ アイランド ビュー」という観光バスが出ているようだ。このサクラジマアイランドビューには、例のフリー切符キュートが使えるのだ。サクラジマアイランドビューの料金は1日乗車券で500円、一区間230円という値段設定だ。30分に1本で運行されている。サクラジマアイランドビュー(長いねこの名前)の発車時刻にはまだ少しあったので港の周りを散策してみることにした。繰り返すがそれにしても暑い。ターミナルを出て右手に行くとスロープがありその下に案内板が立っていた。「隊長、この近くに溶岩が見られるところがあるようですよ」「ちょっと行ってみようか」「バスの時間があと20分なんで、片道7分で行けるところまでとしましょうか」「そうだね」我々は溶岩のある公園に向かってトボトボ歩き始めた。歩き始めてすぐ、歩道の前方にモウモウと立ち上がる煙のようなものが見える。「なんですかあれ、火山灰ですかね」「うーん」さらに近づいていくとそれは、老人会のような人達が草刈りをしていたのだった。草を刈るのと同時にモウモウと積もっている火山灰を巻き上げているのだった。「この辺の人は火山灰で大変やなぁ」と頭の下がる思いで近づくと、作業を止めて通してくれた。少し歩くと大きな温泉施設があった。駐車場にはたくさん車が停まっていた。なかなか人気のようだ。温泉施設の横を通り抜けて海岸へ出た。小さな海水浴場が見える。「溶岩はありませんね、もう少し先ですかね」「行きましょう」「でも、あと2分で折り返さないとバスに乗れませんので」「そうだね」そこから2分ほど歩くと溶岩の海岸線が見えた。隊長は、素早くシャッターを切り、名残惜しそうではあったが、時間がない。我々はそこから引き返す事にした。帰り道、先程の草刈りの現場の人達は暑さに負けて休憩していた。もう一度モウモウと巻き上がる火山灰の横を通るのは嫌だなあと思っていたので丁度良かった。バス乗り場に到着すると数名の乗客が既にバス停で待っていた。すぐにバスはやって来て乗り込んだ。バスは天井までラウンドして窓があり視界は抜群だ。車体はさほど大きくない。なかなか快適なバスだ。
Oct 22, 2024
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いよいよ鹿児島旅行の最終日の朝を迎えた。鹿児島市内の路面電車を乗りつぶすという目的はまだ果たしていなかった。今日は天気もいいので昨日買った鹿児島市のフリー切符「キュート」が桜島へ行くフェリーもその切符で利用できるということなので、桜島へ上陸することにした。桜島へ向かうフェリーの乗り場は路面電車の水族館口で下車することになる。路面電車でその駅まで行き、フェリーターミナルへ向かう。それにしてもものすごい暑さだだ。街路樹にクマゼミがびっしり張り付いてシャアシャアとうるさい鳴き声を出している。路面電車の駅からフェリーターミナルまでは歩いて5分ぐらいだった。フェリーターミナルの横には水族館もある。僕は日本中の旅行をしている際、水族館と化学センター、そして鍾乳洞があればなるべく入ることにしている。しかし、今回は隊長と一緒なので、水族館はやめにする。フェリーは20分ごとに出ているようで、いつでもスムーズに乗れるようだ。僕らがフェリー乗り場に到着した時、ちょうど出発時間が近づいていたようで、すでに乗船が始まっていた。慌てて船に乗り込む。「いや、綺麗なフェリーですね」「そうだね。うどん屋さんもあるみたいなんだよ」「そうなんですね、隊長、展望デッキみたいに上に上がれるようですよ」「じゃあちょっと行ってみようか」僕たちは最上階にある。展望デッキへ足を運んだ。そこには結構な数の観光客がすでに登っており、みんな桜島の方に向かってスマホを取り出して撮影したりしていた。すぐに出向になり、桟橋を離れていく眺めは「こんなに短い時間でも船旅っていう感じがするね」という感想だ。港から続く白い船の軌跡を眺めていると旅をしている。充実感が上がってくる。
Oct 16, 2024
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吉都線も保線状態は極めて悪く揺れに揺れる。車内では古風な扇風機がグルグル廻っている。冷房は一応入っているようだが殆ど効いていない。よって、扇風機の風が頼りとなるのだ。その扇風機がまた、あまり調子が良くないようだ。さっきまで扇風機は首をグルグル廻して風を送っていたが、カチカチという異音が発生して首を廻さなくなってしまった。扇風機は僕と隊長が座っているボックス席に丁度風が当たる位置で首の回転が止まってしまった。まるで僕たちが故意に扇風機をこちらの方向に向けて止めてしまったかのような状況になっている。女子高生二人組が僕らから少し離れた席に座っていたが彼女達のところには全く風が当たらなくなってしまった。「どうも調子が悪いみたいですね」僕は扇風機のスイッチを一度切ってまた入れてみた。すると扇風機は元通り首を廻し始めた。と思ったのも束の間で、扇風機はカチカチという異音とともにまた僕らの方向に向いたところで首を廻さなくなってしまった。「あきませんね、、」女子高生の様子をチラッと見ると、暑い車内の中2人とも爆睡しているようだった。「まあ、いいか」と仕方なく諦めた。ディーゼルカーの車内は暑すぎるので少ししか開かないが窓を開けていた。すると沿線の木にバチバチ車両が接触して葉っぱが大量に車内に飛び込んで来た。「どうなっとんねん」である。都城に近づくにつれ窓の外は激しい夕立ちになっていた。ものすごい量の雨である。窓も開けらないので車内は蒸し風呂状況だ。運転士も真っ赤な顔をして汗ダクのようだ。「なんか、気の毒やね」都城駅に着いた頃には雨は完全に上がっていた。都城駅からは特急列車のきりしま15号で鹿児島中央駅まで一気に行くことにした。特急はまあまあの乗車率だったが座ることができた。窓の外はすっかり夕暮れになっていた。鹿児島中央駅に着いた我々は今日のお宿である天文館にあるビジネスホテルにチェクインした。そのビジネスホテルは飲食街のど真ん中にある。チェクインして衝撃的だったのは、ビジネスホテルなのにアルコール類が売っていないということだ。自販機もない。フロントで確認したが「アルコール類は売っていません」とつれない対応だ。仕方がないので少し離れていたがコンビニまで行ってわざわざビールを買いに行った。「2度と宿泊しないからな!」ビールを冷蔵庫に入れた後、隊長と二人で居酒屋を求めて再びホテルの外へ出た。ホテルの周りは手頃な居酒屋が無くて、ポン引きの兄ちゃんがしきりに声をかけてくる油断ならない店ばかりだった。ホテルで入手した「当ホテルおすすめ居酒屋マップ」を片手におすすめ居酒屋を探しでみた。しかしおすすめと書いてあるのに、怪しいロケーションと不明瞭な会計のためにどの店にも入りたくないタイプのお店ばかりだった。「隊長、このおすすめマップぜんぜんおすすめと違いますね」「そうだね、もうちょっと探してしようか」「そうですね、この辺りはお姉ちゃんがいる店ばっかりであきませんね」「そうみたいだね」と、さらにウロウロしていると、緑のTシャツのポン引きの兄ちゃんが「お店お探しですか?」と声をかけてきた。「まあ、居酒屋をね」「旅行ですか、どちらからですか」「いや、京都からです」「僕ね、今はこっちで店やってるですけど、若い頃京都の宇治でお茶屋で働いてたんです、今もあるのかなぁ◯◯というところなんですけど」「ああ、◯◯なら今もあると思いますよ」「居酒屋なら魚のうまいお店があるのでお教えしますよ」「はあ、、」「そこの角を曲がって少し行った左側に△△というところがおすすめですよ」「△△ですね、行ってみます、ありがとうございます」ということで、緑Tシャツの兄ちゃんから何とか逃れ、その△△という店に向かった。しかし、その△△というお店も細いビルの奥まった階段を登ったところにあり店の中も伺えず、メニューも外に出ていない。「怪しいですね、やめときましょう」「うん、入りにくいね」ということでやめにした。仕方がないので、さっきの緑Tシャツの兄ちゃんに出くわさないようにウロウロしてみたがなかなか手頃な店が見つからなかった。「いいお店が無いですね。ホテルの前にあった焼き鳥屋でテイクアウトして部屋飲みしましょうか」「そうだね、そうしようか」また振り出しのビジネスホテルの前まで戻り焼き鳥を注文した。焼き鳥屋のおっちゃんは、次々焼いてくれた。僕の大好物のつくねも頼んだ。しかも一本100円ちょっととめちゃくちゃ安い。「写真撮影禁止」貼り紙がしてあったが隊長は、道路の反対側から「ここからやったら撮影しても大丈夫やね」と素早くシャッターを切っていた。ホテルに帰り隊長の部屋へお邪魔して焼き鳥を頬張る。ビールと酎ハイもグビグビ行って大満足になってしまった。「天文館あたりは僕らのライフスタイルに合いませんどすえ」特急きりしまは787だ
Oct 11, 2024
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山の中を走ってきたキハ47は吉松駅に到着した。この駅は吉松から都城方面の吉都線と八代方面へさらに山を駆け上っていく肥薩線の分岐点になっている。以前この駅に訪れた時は「いさぶろう・しんぺい号」という特急列車に乗ってやってきた。肥薩線が不通になっている現在、「いさぶろう・しんぺい号」は走っているのだろうか?隼人駅で買った僕らの切符は途中下車ができるので、吉松駅の改札口をくぐった。駅の待合室には肥薩線が栄えていた頃の写真が貼ってある。駅の向かいには温泉という看板が上がっている銭湯が見える。「あれっ?あの銭湯見覚えがある。そうや、前来た時、あの温泉に入ったな。」あの温泉に入ったことを完全に忘れていた。あの時はそうだ、とても暑かった。同行していた叔父は暑いのが嫌なので温泉には入らなかった。だから妻と二人あの温泉に入ったのだ。記憶というのは面白い。完全に忘れていたことを現場に来れば思い出すのだ。駅の外に出ると左側に蒸気機関車が静態保存されているのが見える。鉄道グッズのお店もあるようだが、しまっていた。置かれている蒸気機関車はC 55という旅客型の美しい機関車でモンデフという九州独特のデフ版をつけている。デフ板というのは蒸気機関車の前方についている左右の立っている鉄板のことである。この鉄板によって蒸気機関車から吐き出される煙を上空の方に吹き流す効果がある。蒸気機関車に近づいていくと、地元の子供とお母さんが遊んでいた。静態保存されている蒸気機関車の程度はそんなに悪くなかった。動輪と呼ばれる車輪はとても大きく、かつて九州の特急列車を引っ張っていたその姿を想像できる。吉松駅から都城駅に向かって吉都線が走っている。ここで吉都線のディーゼルカーに乗り換える。すでにディーゼルカーが停まっているホームへ行くと、運転士がホームで何やらやっている。近づいてみると、運転手は水の出ているホースを持って、車両の下に水をかけている。水の当たっているところを見ると、どうやらラジエーターらしきものがついている。あまりに暑すぎるので、冷却が弱っているのか。水をかけてそれでオーバーヒートを直せるとは思わないが。まあ、日常的にこうやって冷やしているであろうから、少しは効果があるのかもしれない。2両編成のディーゼルカーの車内に入ると、僕たちの他に女子高生が2人乗っているだけで、乗客は全部で4人だった。車内の天井には最近では見かけなくなった。懐かしの扇風機がブンブンを音を立てて回っていた。扇風機の軸のところには懐かしの JNRのエンブレムが描かれていた。
Oct 9, 2024
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隼人から吉松へ行き、そして吉都線で都城へ。そして、また日豊本線で隼人から終点の鹿児島中央まで一筆書きの切符が買えるかどうか、隊長は切符売り場のお兄さんに聞きに行っていた。結果から言うと、やはり同じ隼人駅を2回通るので、そこで一旦切符は途切れるということでした。僕の言ったことのが正しかったね。しかし、隼人駅から隼人駅行きという面白い切符を購入することができた。A コープで購入したビールと軽食を片手に日立線の吉松行きの列車に乗り込んだ。肥薩線は2020年7月の九州豪雨で被災し、八代―人吉駅間(52キロ)が現在不通になっている。肥薩線の歴史は古く1903年の明治36年に開業している。肥薩線は当時海外と戦争しようとしていた。日本にとって海沿いの鹿児島本線は軍艦の艦砲射撃に攻撃がさらされるという危険を回避するために、わざと山の中に作られたという。つまり山線なのだ。山の中を走っている肥薩線だがループあり、スイッチバックありと鉄道ファンにはたまらない魅力的な路線だ。復旧できるなら復旧して欲しいところだ。隼人駅を出発して山の中に入っていくと人気の嘉例川駅というのが見えてくる。この駅は明治時代の駅舎がそのまま残っており、とても魅力的だ。「隊長、そろそろ左側に嘉例川駅が見えてきますよ」「窓開くかなあ」と隊長は撮影の準備に忙しい。今どきの列車は窓が開かない。40年以上前に製造されたキハ47だが、事故防止のため少ししか窓が開かない。下側のほんの10センチ程度しか窓は開かなかった。嘉例川駅は明治時代の風格で堂々と迎えてくれた。ホームには七夕飾りがたくさんされていた。駅員の姿は無くて無人のようだ。「いい駅ですね」この駅を見るだけでも価値がある。列車はすぐに発車となった。駅前では若い女性の二人組が駅の写真を撮っていた。しかし、彼女達はレンタカーでこの嘉例川駅に訪れているようだ。「駄目なんだよ、車で来たら、分かってないなぁ」と僕は嘆いた。列車があっての駅なのだから。しかし、その列車が少なすぎて不便極まりないのだから仕方がないか。列車は立派な築堤の上に引かれた山の路線を唸るエンジン音と共に走り、吉松を目指ざす。
Oct 3, 2024
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鹿児島駅の貨物ヤードを堪能した我々は、肥薩線と吉都線を乗りに行くため、ひとまず隼人駅まで日豊本線で行くことにした。そもそも、本当は、都城まで特急きりしま10号に乗車して、都 城で吉都線に乗り換えようという計画だった。しかし、JR九州の嫌がらせにより普通列車で隼人駅 まで行きそこで乗り換える羽目になった。なぜかというと ① 特急きりしま10号は都城駅に13時11分に到着する ② 吉都線の5時間に一本しかない列車は、13時8分にすでに発車している ③ 特急に乗る意味がないということでした。5時間に1本しかない列車を、なぜ、もともと少ない日豊本線の特急の時刻に合わせられないの か。数少ない特急きりしまが到着する3分前に連絡もせずに発車するのか。「責任者出てこい!」なのである。JR九州はもう死んでいる。特急列車で効率よく旅することをあきらめ、普通列車で隼人駅まで行きそこから肥薩線に乗り換 えることにした。鹿児島駅は、鹿児島中央駅とは全く違い駅周辺にはコンビニすらない。駅前の 再開発でブルドーザーが動き回っていたが、改修工事をする意味すらないぐらい何もない。「なんで、こんなところ改修工事してんでしょうね」「ほんと何にもないね」「自販機があったので水を買いました」「あっ自販機はあったんだ」と、こんな感じだ。待合室も極端に狭く数人しか座れない。仕方がないので暑いさなか誰もいないホームのベンチで列車を待った。しばらくして、電車はやってきたが、たったの2両編成だった。桜島を車窓に見ながら、隼人駅まで乗車した。隼人駅は、これまた周りに何もなかった。コンビ こもない。田舎の定番のAコープのスーパーが少し離れたところに建っているぐらいだ。Aコー ブまで行き、ビールと軽食を購入した。隼人駅から肥薩線に入って行くのだが、吉松駅で乗り換えになる。吉松駅で待ち時間があるので 途中下車したかった。しかし、100キロ以上の切符でないと途中下車はできないルールなので 我々は考えた。「隼人から肥薩線の吉松駅経由の吉都線で都城まで行き、都城から日豊本線で隼人まで一筆 書き切符をつくってもらおうか」と隊長の提案があった。「そうですね、それなら余裕で100キロ越えてきますね」「いっそのこと、鹿児島中央までの片道切符を一本で買えないかな」「それは、できないでしょう。隼人駅を二回通りますからそこで片道切符は終わりです」「そうかな、鹿児島中央まで一本で買えると思うんやけど」「じゃあ、駅員さんに聞いてみてもらえますか」「うん、ちょっと聞いてみるわ」と隊長は切符売り場のお兄さんに相談しに行ったのであった。
Sep 30, 2024
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テイクアウトの白熊くんはのカウンターはガラガラだった。テイクアウトもいろんな種類があって通常のカップに入ってるタイプ各種とアイスのコーンのデカいやつに入っているハンディ白熊がある。カップタイプはレギュラーサイズ900円とベビーサイズ550円でハンディ白熊は500円だ。カップサイズのレギュラーサイズといってもめちゃくちゃデカいので要注意だ。僕らはハンディ白熊を注文した。ハンディ白熊は店内で作ってカウンターまで持ってきてくれるようだ。先ほども言ったが、ハンディ白熊は店内で食べるのと同じの仕上がりだそうだ。少し作るのに少し時間がかかったが、すぐに持って来てくれた。この日はめちゃくちゃ暑かったのでハンディ白熊くんの一口目はしびれる程美味しかった。味は練乳ベースだが練乳だけじゃないようだ。店の前でひたすら食べる。カップの手でつかむところまで白熊くんが詰まっているので食べ応えがある。このあと肥薩線と吉都線に乗りに行くので、せっかくなんで路面電車で鹿児島駅まで行くことにした。鹿児島中央駅ではなく鹿児島駅の方だ。路面電車は頻繁に走っているので時刻表を見るまでもない。天文館駅から鹿児島駅まで乗車した。路面電車の鹿児島駅は路面電車の終着駅だ。駅手前で保線作業が行われていて最徐行で入線した。下車するともう一つの乗降場が閉鎖されていた。どうやら、先日脱線事故があったらしくそのための保線とホーム使用不可のようだと隊長が、教えてくれた。鹿児島駅からのJRはまだ時間があったので鹿児島駅周辺をうろついた。鹿児島駅は貨物列車のターミナル駅にもなっている。ヤードにはコンテナ車と休んでいる電気機関車が停まっていた。電気機関車は関西では見ることのできない、交流機関車が置いてあった。近づいて見てみるとなんとED76だった。かつてブルートレインを牽引していた花形機関車だ。その後ろには銀釜と呼ばれているEF510の300番代の姿も見える。炎天下の下、歩いて近寄った値打ちがあった。
Sep 26, 2024
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枕崎のバス停でしばらく待つと定刻通りバスはやって来た。僕らの他は3名の家族連れが待っていた。僕らは、バスの最後尾の座席を占領した。バスに乗るときの特等席だと僕は思っている。いよいよ、バス旅という感じになってきた。バスは指宿の町を抜けると山の方へ進路をとりぐん ぐん国道を進んでいく。バス停の数も少なくバスはかなりのスピードで走行している。それでも バス停には定時についているようなのでいつもこんな感じで飛ばしているのだろう。 のどかな風景の中を軽快に飛ばしていくバスは、「えっ、こんなところで降りるの?」というようなバス停で降りていく人もいれば、それなりに乗ってくる人もあり10人以上いつも 車内にいるような感じだ。鉄道で枕崎駅から鹿児島中央駅へ行くと、2時間33分(1850円+特急料金1780円)、バ スで行くと1時間30分(1580円)といことになる。鉄道の存在価値は全くない。鉄道ファン の僕でも見捨てたくなる。「もう、廃止でいいんじゃない」これが正直な僕の意見だ。鹿児島に近づいてくると峠から一気に降りてきて桜島が見えてくる。隊長は撮影をするので右に行ったり左に行ったり忙しそうだ。峠を降り切ると鹿児島市内に入ってくるが、やや渋滞ぎみだ。それでもほぼ定刻通りバスは鹿児島中央駅に到着した。今回鹿児島の路面電車をすべて乗りつくすということになっている。なので、フリー切符を求め て観光案内所に行ってみた。観光案内所で地図などをもらい、フリー切符「2日共通利用権~キ ュート~」というのをお姉さんに勧められて購入した。この切符は2日間、鹿児島市営バス・電 車・フェリーの乗り放題なのだ。フェリーまでついているのは驚きだ。気を付けなければいけな いのは「市営」しか乗れないことだ。市営バスの他に鹿児島交通など複数のバスが走っているが こちらには乗車できない。僕らが乗れるのは黄色の市営バスのみなのだ。午後は、肥薩線と吉都線というJRのローカル路線を乗りに行く予定だが、少し時間があるので、路面電車で天文館というところへ行ってみることにした。天文館には非常に大きなアーケードがあり繁華街になっている。天文館駅の近くにアイスクリー ムの「白くまくん」の発祥の「むじゃき」というお店がある。そこで元祖の「白くまくん」を食べようという作戦だ。天文館駅から歩いて5分くらいのところに白くまくんの「むじゃき」はあった。しかし、店の前 にはすでに30人ぐらいの行列ができていた。我々にはそんなに待っている時間の余裕はない。 「隊長、どうしますか、並んで待ちますか」「待ってる時間はないかな」「ちょっと待ってください、テイクアウトのところは誰も並んでいませんよ、ちょっと見てきます」ということでテイクアウトのカウンターに近づいて行った。どうやら、カップに入っているものと、その場で作ってくれるタイプと2種類あるようだ。その 場で作ってくれるのは「店内と同じように作ります」と書いてある。「隊長、これにしましょう」 「うん、そうだね」ということでテイクアウトの方を注文することにした。
Sep 25, 2024
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翌朝、宿泊した枕崎ステーションホテルの朝食をいただく。ビジネスホテルにしては珍しくバイキング方式ではない。前日のチェックインの際に「明日の朝食ですが、洋食と和食どちらになさいますか」 と聞かれるのだ。僕たちは二人とも和食を選択した。朝ごはんは、旅館や民宿で出されるような正統派の朝食だった。魚、きんぴらごぼう、漬物、納 豆、味付け海苔、卵焼き、磯のもの、生卵、みそ汁、そして大量の白ごはんと、食べきるのに一 苦労だ。JR枕崎駅の時刻表は「7時35分発指宿行普通列車」の次は「13時27分発指宿行普通列車」 までない。なんと6時間も間隔があるのだ。「こんなダイヤを組んで誰が乗るというのだ」と怒りを露わにした我々であった。こんな調子で営業していては、当然「廃止」の2文字しか思 い浮かばない。隊長が「港の方も朝に行ってきたけど、何にもないよ」報告してくれたが、7時35分は、とっくに過ぎていたので「13時27分までウロウロするしかないですかねぇ」と絶望していたがふと壁を見るとバスの時刻表が貼ってあった。「隊長、この際バスで移動しましょうか、ちょうど9時15分発の鹿児島中央行特急バスという のあるようですよ」「そうだね、そうしようか」ということで、鉄道旅を原則とする我々も枕崎線を見捨てて、バスで行くことに決めた。バス停はホテルの目の前にあった。 バスの待合室に売店がありお爺ちゃんが店番をしていた。売店の店内には、昔の枕崎駅の写真も あり土産物もたくさん置いていた。お爺ちゃんに 「以前は、この先にも鹿児島交通の鉄道が走っていたんですよね」と話しかけると「そうです、この場所が以前の駅でした」 と言ってくれた。なるほど売店の隣に立っている灯台の形をした枕崎駅モニュメントは、鹿児島 交通時代の写真で見たことがある。コンクリート製の大きなモニュメントの位置は当時から変わっていないはずだった。売店の外に出てあたりを見回すと、鹿児島方面から鉄路が伸びていた面影が残っている。枕崎か ら西方面は、スーパーマーケットが建っていて途切れてしまっているようだ。 鹿児島交通の時代に訪れたかったが昭和59年には廃止されてしまっていた。流線型のオレンジ 色のディーゼルカーに一度乗ってみたかった。
Sep 24, 2024
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枕座名物料理屋「だいとく」さんで、「枕崎ぶえん鰹刺身定食」を頼んでから気が付いたのだが、 このお店のもう一つの名物料理「かつおラーメン」というのがあるようだ。先客で来ていた家族 連れの客がかつおラーメンをたのんでいたようで運ばれてきていた。薄いダシ系のラーメンの上 に鰹のづけの様なものと鰹節と卵焼きが乗っているようだ。ウマそうであるが、食べきれる余力 はないと思われ注文を断念した。「ぶえん鰹」という聞きなれない鰹だが、昔から枕崎では、塩をしていない新鮮な魚を「ぶえん (無塩)」と呼んでいたことから「ぶえんのように新鮮な」という意味を込め「枕崎ぶえん鰹」と 命名したそうだ。一本釣りの後、速やかな活き締め処理により歯ごたえがよくモチモチの食感が 自慢だそうです。生ビールが一杯からになる頃、「枕崎ぶえん鰹刺身定食」が僕らのお膳に運ばれてきた。 かつおの刺身が大量にお皿の上にのっている。京都なら3人前といったところだ、しかも刺身が 分厚い。そして刺身の横にはてんぷらの様なものがある。メニューをもう一度見てみると「腹皮 のてんぷら」と書いてあった。腹皮とは鰹のおなかの部分だそうだ。ぶえん鰹はもちもちで激うまだ。鰹のたたきとは比べ物にならないくらい新鮮でおいしい。腹皮 のてんぶらも油がのってて鰹の風味と相まってめっちゃおいしい。ビールにも合うのだ。 ぶえん鰹の刺身はやはりすごい量で食べても食べてもなかなか減らない。ご飯なんか全然食べて る場合ではないのだ。またご飯の量も多いし。結局、ごはんを大量に残してしまった。お会計の時に 「ごはん、残してしまいました、すみません」というと「田舎のごはんは、多いのよ、大丈夫ですよ」とやさしく答えてくれた。それにしても、枕崎の「ぶえん鰹」は訪れた際、絶対食べてみて欲しい。
Sep 20, 2024
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枕崎駅は最果ての駅と言えるだろう。これより南に線路は続かない。かつては鹿児島交通という 私鉄が続いていたが、もう何十年も前に廃止になっている。枕崎駅の駅舎は比較的新しい感じだ。以前は鹿児島交通の路線に乗り入れていたということらしいので、この駅舎は最近建てられたものだとおもう。昔ながらのホームはおそらく現在の駅より 少し降りたところにあるバス停付近にあったと推測される。この日は駅前のビジネスホテルに予約を取ってくれていたのでチェックインする。駅前にある飲食店はすべて閉まっていた。前日が枕崎の夏祭りだったというので、みんな疲れて休んでいるのかもしれない。ホテルの受付で晩御飯が食べられるようなところはないか訊ねてみた。「この近くにおすすめの居酒屋とかそういったところはありませんか」「そうですね、駅前にもありますけど」「いや、そのお店は見てきたんですが閉まってましたね」「そうですか、それならあと2軒くらい近くにありますよ」 と地図を見せてくれた。「ここと、ここですね、その横にもあります」「今日営業してますかね」「ちょっと、電話で聞いてみましょうか」「いいんですか、お願いします」「この○○というお店で、定食とかもやっています、ここでいいですか」「はい空いてるならどこでも」ということで、電話で聞いてくれた。 どうやら営業しているようで、席の予約まで電話でしてくれた。さっそく、その居酒屋へ向かう ことにした。ホテルから歩いて5分くらいのところにお店はあるようだ。お店はすぐにわかった。「だいとく」というお店で居酒屋というより食堂みたいな感じだ。 店に入ると2組のお客さんが先客で食べていた。一組は学生さんのようで定食系をがっつり食べている。もう一組は家族連れの観光客のようだ。 僕らは座敷に上がりメニューを開いた。なるほど居酒屋メニューはほとんどなく定食中心のメニ ューだ。僕は小食なのでお刺身程度があればそれでいいのだが、単品のメニューはないようだ。 全部定食になっている。おかみさんに「単品のお刺身とかはありませんか」とたずねると「単品はやってないのですが、時間が少しかかるかもしれませんけど単品にしましょうか」 といってくれた。しかし、手間がかかるのならと「枕崎ぶえん鰹刺身定食」を注文することにし た。1500円である。その前に生ビールを注文して乾杯だ。 「かんぱーい」「お疲れさま」 今日もビールがうまい。
Sep 19, 2024
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指宿駅から本日の宿泊地である枕崎まで行くことにする。枕崎に行くには、JRの有人駅最南端 である山川駅行の列車に乗ることになる。山川で乗り換えだ。 山川は指宿の次の駅なのですぐに到着となった。山川駅では、アロハシャツを着たおばちゃんの駅員が改札で迎えてくれた。山川の駅前には何もなくてタクシーが一台停まっているだけだった。以前ここへ訪れた際は、こ こから「たまてばこ温泉」ヘタクシーで行ったのだが、その「たまてばこ温泉」も現在リニュー アル工事中で閉まっている。たまてばこ温泉は、めちゃくちゃ開放的な露天風呂があり、開聞岳 がデーンと海の向こうにそびえ立っているのが見えるという絶景温泉なのだ。今回は行けずに残念だ。駅周辺は、本当に何もなく、だいぶん離れたところに山川の港が見える。何もすることがないので 海をしばらく眺めて、駅の待合室に戻った。山川から先の枕崎までは一日6本しかない。まった くやる気がないのだ。待合室には、青年が一人と女子高生が一人待っていたが、女子高生は鹿児島方面の列車に乗っていってしまった。改札のアロハシャツおばさんは、鹿児島方面に去ってい く列車に深々と頭を下げて列車を見送っていた。隊長は、いつものようにあたりをウロウロして撮影しまくっているようで、待合室には青年と僕 の二人きりになってしまった。青年はどうやら青春18切符を使って旅をしているようだ。青春 18切符とはJR全線の普通列車に5日間乗り放題という、鉄道好きにはたまらない切符なのだ。 しかし、最近ではJRから第三セクターに変わってしまっている路線が多くなり、第三セクター を利用することができない青春18切符はそろそろ終焉を迎えるかもしれない。アロハシャツのおばちゃん駅員はおそらく地元の嘱託社員だと思う。運転手はここ山川駅で交代し切符売り場の奥にある乗務員室に入って行き、駅のことはこのおばちゃんにまかせきりのようだった。なにもすることがないまま時間が過ぎる。でも、僕はこの無駄に過ぎていく待ち時間が好きなのだ。やがて、枕崎行のディーゼルカーが到着し乗り込んだ。キハ47だ。JR最南端駅の西大山駅は、山川から二つ目の駅だ。隊長に「降りますか」とたずねたが次の列車は1時間20分後だったこともあり下車しなかった。西大山の駅前には、黄色の丸型ポストが設置されている。何年か前に下車したときは、きれいな黄色 だったが、黄色のポストは汚れてボロくなっていた。この路線ももう廃止間近なのがひしひしと 感じられる。アカンね。山川から枕崎までおよそ1時間15分だ。車窓左手には雄大な開聞岳が見える。本当に美しい。 ただ、保線状況はかなり悪く、雑草や木の枝が車両にバチバチ当たっている。トンネルから出た 時なんか、「バーン!」 てトンネル出口に垂れ下がっている木に激突して車両前面の窓が割れるか と思うほどの衝突だったが、運転手は何もなかったことにしてそのまま運転を続けていた。
Sep 18, 2024
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砂蒸し会館「砂楽」の大浴場のお湯は透明無色で温度はやや高めだった。小さな子どもは多分熱くて入れないと思う。僕らの他にはパラパラとオジサンがいたのと、小学生ぐらいの男の子とそのお父さんだけだった。「砂蒸しもいいですけど、普通の温泉もなかなかいいですね」「そうだね」「ちょっと暑くなってきたんで水風呂に入りましょう」ここの大浴場にはサウナもあるのでその横に水風呂があるのだ。水風呂はそんなに冷たくはなかったがそれなりにキーンと体を冷やしてくれる。むしろ、お湯の方よりも水風呂にずっと浸かっていたいぐらいだ。水風呂と温泉を行ったり来たりして温泉を、堪能したのであった。風呂から上がってロビーで涼んでいるとあることに気がついた。入り口からやって来る新しいお客さんと風呂に入って来たお客さんが、何のチェックもなしにロビーに混在してウロウロしているのだ。隊長もそのことにすぐに気づいたようだ。「こんな状態ならお金を払わなくてもなんぼでも入れるね」「僕もその事を考えていたんです、まあええけど」もうちょっと、中と外の境目をちゃんとしてほしいものだ。鹿児島の人はそこら辺もおおらかなのだろう。「砂楽」をでて階段を降りると施設の前の広場にポケモンのマンホールがあった。「隊長、こんなところにポケモンのマンホールがありましたよ」「指宿に全部で9箇所ポケモンマンホールあるみたいやね」「全部集めますか」「無理でしょう」当然だ。この猛暑、オマケにそれほど時間もない。「指宿駅にもどりましょうか」「そうだね、あるくとだいぶんあるよ」「タクシー呼んでもらいましょか」「うーん、あそこにバス停があるし、ちょっと見に行ってみよ」「砂楽」の前の道路に丁度バス停があった。道路を渡りバスの時刻を確認しに行った。テレビでよくある「路線バスの旅」のように、バス停の時刻表を恐るおそるのぞき込むと、なん と、つい先ほどバスは行ってしまったようであった。「うわー、行ったところですね」「一時間に二本しか来ないね」「しゃーないな、駅まで歩きましょうか」と隊長に言うと、日陰に腰掛けていたちょっとかわいい女性が「私、バスの時間より前から待っているんですけど、バスはまだ来ていませんよ」と声をかけてくれた。「ええっ、そうなんですか、バス遅れてたんですね、ありがとうございます」と女性にお礼を言った。あのままでは、駅に向かって歩き出した途端にバスに追い抜かれるところである。女性の言う通り、その後すぐにバスがやってくるのが見えた。「あっ、バス来ました、ラッキーですね」とバスに乗り込み、「親切な人がいるものだ」と通路を挟んだ座席に座った女性をチラッと見た。「惚れてしまうわ」バスは、あっという間に指宿駅に到着したが、歩いていたら暑くて大変だったに違いない。
Sep 13, 2024
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指宿の元湯温泉にタクシーは到着した。タクシーから降りてみると、元湯温泉は思ったり小さな建物だった。しかし、なんか活気がない。「あれっ? 閉まってるんとちゃう?」「月曜日はお休みて書いてあるね」「なんでやねん!案内書のおばさんは営業してるて言ってやん」とんでもないのである。タクシーまで使って来たのに「タクシー代返せっちゅうねん!」暑いさなかに隊長と二人町中に取り残されたのであった。「しかたないから、さっきのポケモンのマンホールでも見に行きましょうか」「そうだね、行ってみようか」二人は先ほどタクシーの爺ちゃんが教えてくれた場所まで戻り、ポケモンのマンホールを探した。すぐに先ほど爺ちゃんが教えてくれたところにたどり着いた。交差点にあったカラフルなマンホ ールを見て再び愕然とした。「隊長、これポケモンのマンホールと違いますよ。ただの町の色付きマンホールですよ」「そうだね、、、」猛暑の中二人は再び茫然と立ち尽くすのであった。この町は嘘つきばかりか・・交差点から砂蒸し温泉のある海岸線を歩いて行った。しばらくするとお馴染みの砂蒸し温泉のテント場が見えてきてきた。「この暑さの中、砂蒸しなんかしたら逝ってしまいますよ」「絶対無理だね」「でもどうしますか、せっかく指宿に来たのに温泉に入らないというのももったいないですね」 「うーん、どうしようか」隊長も困り顔である。「ここの、砂蒸し温泉は入ったことありますけど、内湯は入ったことないので、普通の温泉に入りましょか」「そうだね」ということで、砂蒸し会館「砂楽」の砂蒸しではない普通の温泉に入ることにした。入場料は620円だ。 カウンターで受付をしてもらう。身障者手帳も使えそうだったが面倒なので通常の料金で入った。 ロビー付近は結構な人出だ。ほとんどの人が砂蒸しも利用しているようだった。 温泉の大浴場はすいていた。れっきとした温泉なのでとても心地よい。壁には「地下水を汲んでいるような感じと思っているかもしれないが、ちゃんとした温泉なんだよ」と念を押す説明書きがしてあった。そこまで疑っていないのにね。
Sep 12, 2024
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指宿の町を訪れるのは数年ぶりだった。昨年亡くなった叔父と一緒の旅行で訪れたのが最後だ。 指宿は僕にとって因縁の町と言える。話は50年以上前にさかのぼる。僕の父親は僕が4歳の時に突如として蒸発してしまったのだ。母と0歳の弟と三人で父の帰りを待ったがとうとう帰って来なかった。僕が小学校の3年生になろうかといういうある日、家の近所の金物屋の慰安旅行でこの指宿に行ったそうだ。そしてその時金物屋が泊まるホテルのフロントに僕の父親が立っていたというのだ。「○○ちゃん、こんなとこで何してるんや、みんなずっと探してたで」と金物屋が言ったという。すぐさま京都の実家に連絡がはいり僕の叔父が、父を説得して京都まで引き連れてくる役目を負いここ指宿まで迎えに来たという。 数年前、叔父とこの指宿に訪れたが、その叔父も昨年亡くなってしまった。ともあれ、指宿駅を下車して温泉に入ることにした。指宿と言えば砂むし温泉が有名だ。しかし、二人とも以前行ったことがあったので、今回は隊長 が、「いぶすき元湯温泉」というところに行ってみたいと提案があった。隊長が、「観光案内所でちょっと聞いてくるわ」といって駅構内にあるカウンターへ情報収集しに行った。隊長はすぐに戻ってきて「営業してるみたいけどちょっと歩かなあかんかも」と言ってきた。「どのぐらいの距離なんですかね」と尋ねると「歩いて10分ぐらいとちがうかな」と隊長が答えた。この日はめちゃくちゃ暑かったので「ちょっと僕歩くのかなんし、タクシー代出しますんでタクシーでもいいですか」といって駅前に停まっているタクシーに乗りこんだ。「すみません、元湯温泉までお願いします」「はいわかりました」と老年の運転手は答えてくれた。車が動き出してから僕は、「交番の前にポケモンのマンホールがあるらしくて人が集まっていましたよ、他にもポケモンのマンホールはあるんですか」と運転手に尋ねると 「ほら、ここの奥の堤防の手前のところにもありますよ」と交差点の奥の道路を指さしてくれた。 「じゃあ、後で見に行ってみます」と言っているうちにすぐに元湯温泉に着いたのであった。
Sep 11, 2024
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「指宿のたまて箱」は特急列車で車内販売もあるという。鹿児島中央駅を出発してしばらくする と左側に海が見えてくる。車内販売の車内放送の後前方の一号車からお姉さんがワゴンを押して 我々のいる2号車に入って来た。地ビールの販売があるということを隊長が事前に調べてくれて いたので注文することにした。隊長が「すみません、地ビールありますか」と尋ねると「すみません、後の3号車まで行ってそこから販売になりますので、もう少々お待ちください」 と返事が返って来た。ただでなくても1時間しか乗車時間がない観光特急なのに、一番前の車両から順次販売すればい いんじゃないの。わざわざ一旦一番後ろまで行ってから販売する必要がどこにありますか?僕たちは茫然と揺れまくる車内でワゴン販売が去っていくのを眺めていた。やっとのことで、ワゴン販売が僕らのところまで戻ってきたころには30分ぐらい経過していて、 行程の半分をもう過ぎてしまっていた。しかし、一応ビール好きとしては飲んでおきたいので注文した。隊長が地ビール2本と焼酎のハイボールを注文してくれた。 あわてて、飲んでみる。ビールは二種類あってどちらもうまい。焼酎のハイボールはうまいのか まずいのかわからなかった。車内では記念撮影や景色の紹介など次々と絶え間なくアテンダントのお姉さんが車内放送で話している。「サプライズなどのメッセージカードも受け付けています」と放送されていたが結局一枚もなかったようで「今日は運転手さんからみなさんにメッセージをもらっています」と苦肉の策だ「本日は指宿のたまて箱にご乗車いただきありがとうございます。この後のご旅行も安全に楽し くできますよう心からお祈り申し上げます」的なありきたりのメッセージだった。さみしい。誰も聞いていない。とにかく揺れる車内ではワゴン販売のワゴンがこけるのではというぐらいに揺れている。 景色を楽しむ余裕もなくビールをあわてて飲んでいると、もう終点の指宿に近づいていた。 「特急で来る意味なかったですね。これなら鈍行でゆっくり各駅停車の旅をしたほうが良かった ですね。」「これではリピーターはないね」と二人してちょっと残念な気持ちになっていた。 1時間弱で乗車券1020円、特急券1780円でした。14時49分定刻で指宿駅に到着し、途中下車することにした。
Sep 10, 2024
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ビールをやっとの思いで購入し改札をくぐってホームに降りたが「指宿のたまて箱」はまだホー ムに入ってきていなかった。この「指宿のたまて箱」は特急列車として運行されている。したが って乗車する際には特急料金と指定席料金を別途支払わなければいけない。特急と言ってももと もとは国鉄時代の40年以上前に製造されたキハ40とキハ47という普通列車の車両を改造 したものだ。デザインはJR九州御用達の水戸岡鋭治さんだ。水戸岡さんは豪華列車のななつ星 のデザインなどで知られる人だ。「指宿のたまて箱」がやっと入線してきた。今回は3両編成だ。車体は黒と白に塗り分けられている。それは、浦島太郎がたまて箱を開けた際に黒髪から白髪に変わってしまったというお話をイメージして いるとう。ホームに到着すると乗車する人たちが代わる代わる車両の先頭で記念写真を撮ってい る。車両の入り口ドアの上からはたまて箱の煙をイメージしたミストが出ている。僕たちも車両 の写真を撮っていざ乗り込もうとしたら、入り口のミストはもう出ていなかった。到着したとき にちょろっと出るだけなのだ。「つまらないなぁ、せこいなぁ、がっかりだなぁ」僕は一人嘆いていた。気を取り直して座席に向かった。木のぬくもりを感じさせるデザインは水戸岡先生ならではのデ ザインだ。今回隊長は進行方向左側の海に向かうカウンター席を予約しておいてくれた。「いい感じだぞ」すぐに出発時刻となった。キハ47はさすがに古く車内はやかましい。そして思いっきり揺れて乗り心地は最悪だ。 アテンダントの素敵なアナウンスも騒音にかき消されて聞こえない。アテンダントのお姉さんも 大きい声で一生けん命アナウンスしてくれているが悲壮感が漂ってくる。僕たちは、ビールと食糧をあらかじめ駅で買っておいたが車内販売で地ビールなどもあるという ので楽しみしていた。ひとまず持ち込んだビールで隊長と乾杯だ。「カンバーイ、ありがとうございます」「うまい!」とビールをテーブルに置くが、あまりの揺れでビールが「ビューっ!」と横滑りしてあやうくテー ブルから落ちそうになった。電車に乗ってビールが横滑りしたのは始めてだ。それほと揺れるの だ。枕崎線は線路の保守が悪いのは以前から体験済みだが、今回「指宿のたまて箱」は特急列車 扱いなのでか知らんけど飛ばす飛ばす。キハ47の設計上の最高時速は95キロだが80キロは 出ている。枕崎線は40キロでも本来揺れるのだ。「あかん、あかん、もっとゆっくり行こう、観光列車なんやから、ゆっくり景色を楽しみたいね ん」という思いもむなしく揺れまくりの「指宿のたまて箱」なのだ。
Sep 6, 2024
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「維新ふるさと館」のシアターでは映像と偉人たちの動く人形で解説してくれるそうだが、僕ら が見た「薩摩スチューデント西へ」という映画は、薩摩藩が鎖国時代にいち早く海外に目を向け、 英国へ留学生を派遣した様子をダイナミックに再現したドラマだった。外国人の四人家族がちょうど訪れていて、翻訳用のイヤホンを使って鑑賞していたが、映画の内容が「幕末の薩摩の若者がイギリスに行って勉強したよ」という内容の映像だけなので外国の人にはつまらな かったと思う。少し時間があいて、その次の回の上映は「維新への道」という題で、こちらは西郷さんやら大久保さんやら動く人形が出てきて楽しませてくれたのでそちらを見て欲しかった。 館内の資料は結構なボリュームなのでゆっくり見たかったが、「指宿のたまて箱」の時間があった のでさっとひととおり眺めて維新ふるさと館を後にした。西郷さんの生まれた家の跡を見てそのまま鹿児島中央駅に戻った。それにしても、鹿児島市内のナポリ通りの名前の由来は、少し調べてみたがはっきりしなかった。 でも、鹿児島はなぜか東洋のナポリと言われていたらしく、それでナポリ通りと名付けているよ うだが、どこがナポリかと言えばよくわからない。ちなみに本物のナポリとは姉妹都市提携をし ているようだ。「指宿のたまて箱」は13時56分発だ。車内でお弁当を販売しているようなのだが予約制なので頼んでいなかった。鹿児島中央駅で駅弁を買うことにした。せっかくなので「カイノミ&黒豚食べ比べカツサン ド」 1480円!を購入した。 「高すぎー!」「まあええか」ビールも購入しておこうということでファミリーマートに行くとものすごい行列だったので改札の駅員さんに「改札の中に売店とかありますか」と訊ねると、不愛想に「ありません」と一言返って来た。仕方がないので、ファミリーマートの行列に並んでビールを買うことにした。 しかし、これがまた鹿児島県民の県民性なのか、レジが全然進まない。のんびりしているのだ。 隊長は「指宿のたまて箱」の入線から写真に収めたいと思うので「ビール買っておきますので、隊長は先に改札入っておいてください」 と言って先にホームに行ってもらった。それにしてものんびりしている。関西人には「辛気くさい」のである。やっとレジの順番が回っ て生きてレジのお兄ちゃんが「レジ袋はいりますか」と聞くので「いりません」と答えたのに、レジ袋にビールを入れるものだから「レジ袋サービスなんやろか」 と思っていたらちゃっかりレシートにレジ袋代がついていた。「なんやねん、いったい」半ギレになりながら改札をくぐりホームに降りた。
Sep 4, 2024
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「さんふらわーライナー」のバスは鹿児島中央駅に到着した。ここが終点なのだ。 バスを降りると赤い観覧車が目に飛び込んでくる。鹿児島中央駅だ。以前来た時なかったビ ルが鹿児島中央駅にくっついて生えている。だいぶん景色が変わってきた。鹿児島中央駅は かつて西鹿児島駅と呼ばれていて、ブルートレイン全盛期には「あこがれの終着駅」として 少年だった僕は行ったこともない西鹿児島駅を想像したものだ。今やブルートレインと言 われた寝台特急はすべて廃止になってしまった。時代は変わってしまった。駅前には、「若き薩摩の群像」と題する巨大な石造りのモニュメントができていた。石造り のモニュメントに十人以上の立像があちこち立っているのだが、誰が誰だかさっぱりわか らない。薩摩の人ならきっと全員誰か知っているのでしょうね。今回は、鹿児島中央駅から「指宿のたまてばこ」という特急列車に乗る予定だ。「指宿のたまてばこ」の発車時刻までまあまあ時間があるので、鹿児島中央駅界隈を散策し てみることになった。それにしてもこの暑さはどうだ、強烈に暑い。駅前の案内地図で「西郷南洲翁宅地跡」というのがあるのを見つけたのでそこに行ってみる ことにした。目的地はどうやらナポリ通という道沿いに歩いていけばあるようだ。そんなに遠くはない。 信号待ちをしているが鹿児島の信号は京都の信号に比べて長すぎる。鹿児島の人はのんび りしているのだろうか。ほんまに信号はどこも変わるまでが長い。ナポリ通りを5分ほど歩いて右に曲がると公園のようなところにたどり着いた。 そこは共研公園というところでかつて女学校があったところのようで、門柱跡が残っていた。そのすぐ横に西郷隆盛が住んでいた住宅があったようです。 「そんなに大きくないなあ」という印象です。そこから少し歩くと南洲橋という雅な橋が見えてきたので行ってみる。橋を渡ったところに「維新ふるさと館」という資料館があったのでひとまず入ってみた。 冷房が効いていて涼しいだけでも助かる。入場料も300円という格安だ。「こういうところには入っとかなあきませんよね」「うん、そうだね」と隊長も納得である。映画の上映時刻をお姉さんが説明してくれるが、まったく頭に入って こず、何回も聞きなおしてしまった。「年なんで、ぜんぜん頭に入らないんですよ、すみませんね」とお姉さんにあやまっておいた。「維新ふるさと館」は入場料とは比べ物にならないほど充実した資料館で必見だ。館内には色んな施設がある、西郷どんと力比べもできる、知らないオジサンが西郷どんに挑んでいた
Sep 3, 2024
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レストランのバイキングチケットを買う列がどんどん伸びてきたところで、なぜかもう一台の自動販売機が使えるようになり「こちら側にもお並びください」ということになった。しかし、何の秩序もなく説明もないので並んでいる人の判断で列は二列に分裂した。「どちらの列が早いかなぁ」と観察すると、左側のもとから並んでいた列には高校生ぐらいの若い男の子がたくさん並んでい た。隊長に「右側の列に移りましょう」といって右側の列に移った。右側の列は家族連れが多いようだった。 高校生が多い左側の列は僕がにらんだとおり、進むのが遅かった。高校生は、まとめてチケット を買うということはしないでひとり一人現金で決済しているようだった。僕らの並んだ右側は、 家族連れが多いので「一家まとめてクレジットカード払いで」という感じで早く進んだ。 別にどうでもいい話なのだが。昨夜と同じ窓際に席を確保して朝食バイキングをいただく。 窓の外にはもう陸地が見えていた。隊長の説明によると宮崎県の都井岬だそうだ。 都井岬には何年か前に昨年亡くなった叔父と訪れたことがある。岬には野生の馬が自由に歩き回 っている。馬が見えはしないかと目を凝らすが遠すぎでそこまでは見えなかった。 しかし、岬を眺めながらの朝食は満ち足りたものだった。志布志到着は8時55分の予定だったが少し早まるようだった。志布志から鹿児島市街地までバ スでの移動になる。今回はキャンペーン中ということでなんと無料で鹿児島市内までバスに乗れ るということらしい。志布志港に到着する直前までデッキに上って着岸するまで眺めていた。着岸する瞬間だけは絶対 に見たかったのだ。フェリーは器用に横移動してぴったりと着岸した。下船してすぐにバス乗り場に行くことにする。さんふらわーライナーというバスが出ていると隊 長が受付で聞いてきてくれた。事務所を抜けて外に出るとさんふらわーライナーのバス停がすぐ にあった。やはり無料で乗れるようで僕らのほかに10人ぐらいの乗客がいた。バスに乗らない 人は、港にお出迎えがきていたりレンタカー屋に行ったりしているようだ。バスに乗るのは少数 派でしたね。バスは何もない志布志の町を通り過ぎ山の中に入っていった。高速道路に乗るのかと思ったが山 道の国道をクネクネと走り続けた。かなりの距離を走った後やっと高速道路に入り結局鹿児島市 内の終点である鹿児島中央駅に着いたのは2時間近く後のことだ。結構志布志から鹿児島まで遠いのだ。
Sep 2, 2024
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フェリーの船内は冷房が効きすぎてとても寒かった。ベッドで寝ていて布団をかぶってもまだ寒かった。「冷やしすぎやっちゅうねん」夜中の2時ごろ目が覚めて船内をウロウロするが、もう酒類も売っていない。お酒の自販機は夜 の11時から朝の6時まで使えないようになっている。「11時から使えないのは、車で乗船している人がいるからやけど、朝の6時からまた販売してたら意味ないやん」と一人で突っ込みながら、今度はカップヌードルでも食べようかと自販機の前に立っていた。 しかし、購入しようと思ったが箸がどこにも見当たらないのだ。「お箸は一人で一つしか取らないでください」みたいな張り紙がしてあるが、どれだけ探しても箸は見つからない。自販機の取り出し口の中まで確認したが、箸は見当たらなかった。「ゴミ箱に捨ててある箸を洗って、...」とも一瞬考えたが、どう考えても無理だ。しかたなくカップヌードルは、諦めた。 寒い船内で深夜にひとり熱いカップヌードルをすする自分を想像したら、やはり食べたかった。 残念である。早朝、天気も良かったので日ノ出を見るためにデッキに出てみた。 やはり、日の出の写真を撮ろうかという人が何人かデッキに出てきていた。 上等そうなのカメラを持ったオジサンに「いい写真が撮れそうですか?」 と訊ねたら、「二日酔いでどうにもそれどころじゃないですわ」と返事が返って来た。みんな船に乗ると酒を飲むしかないのだ。隊長もデッキに上がってきていてあっちこっちと歩き回って写真を撮り続けている。ついに、日の出が水平線の雲の少し上から上がってきた。「きれいだ」一人旅をしている風の中年の女の人が、小さなカービーというゲームのキャラクターと一緒に自撮りしてる。カービーを地面に置いて日の出を背景に撮影したいようだが風でうまく取れないようだった。そのうち突風が吹いてカービーが「ピューっ」とデッキを転がって海に落ちそうにな った。女の人はあわててなんとかカービーを取り押さえたのだった。危なかった。オタクのおばさんの一人旅なのですね。よかよか。朝食もレストランのバイキングで食べることになった。レストランの前まで行くと長蛇の列ができていた。入り口の前にある自動販売機でチケットを購 入するための列だった。自動販売機は2台あるのに一台しか稼働していないようだ。
Aug 29, 2024
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船というのは乗ってしまうともう大したイベントは無いのである。夕食は船内のレストランでバイキングがある。料金は1800円である。17時30分からオー プンだが乗船してすぐに他のお客さんはレストランの前の自動販売機に列ができていた。僕らはひとまずビールを飲んで一息ついたあと大浴場へ行くことにした。フェリーとはいえ、大きな浴室には立派な浴槽が2つある。大きな窓もついているので大海原を眺めながらお風呂に入れるのである。「うーん、最高!」お風呂の利用時間が始まってすぐは、常連さん的なお風呂グッズを手提げ籠に入れた人たちが 次々お風呂に入っていく。おそらくトラックの運転手さんたちで慣れいる感じかする。その一団 が終わった頃に僕らは入ったのだ。それにしても海の上で大浴場に入れるなんて贅沢だ。せっかくなので食事はレストランのバイキングを利用することにした。窓際の席を確保して、いざ突入である。隊長は例のごとくものすごい量の食事を皿に載せている。料理は標準的だがまあ美味しいと思う。アルコール類も販売していて良心的な価格だ。 料理が並んでいるゾーンは入口が二か所ありぐるりと一周料理が並んでいるのだが、部屋の真ん 中を挟んで左右に同じ料理が対照的に並べてあり、ぱっと見て「うわー、すごい種類の料理やん」と思ったが実際は半分を境に同じ料理が並んでいるので、言うほど種類は多くなかった。隊長は、ひととおり食べた後「よし、次は洋食ラウンドや」と言いつつ元気よく二回目の夕食に突入して行った。僕は、無理なので1ラウンドで終了だ。 隊長が「サンフラワー特製カレーがあったわ」と喜んでいたが、いざ食べてみると「うーん、普通のカレー、、、」と残念そうなコメントを残していた。サンフラワーのカレーはレトルトになっているやつがお土 産屋さんにも売っていたのだがなぁ。トラックの運ちゃん組もバイキングを利用していて楽しそうにビールを飲みながら仲間内で話をしていた。夜が更けてきても酒を飲む以外たいしてすることがないのが船旅のつらいところだ。 フェリーにあるお酒類の自動販売機は夜の11時になると朝まで使用が停止になる。ドライバーが多く乗船しているための対処だと思うが、11時までにしっかりビールを飲んでお かないとさみしい夜になってしまうのだ。あわててビールを買い込んでおいた。
Aug 28, 2024
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ニュートラムはすいていたが、先頭車両の特等席には先客がいた。外国人ファミリーの四人組だった。お父さんとお母さんそして小学生ぐらいの息子と娘だった。お母さんはスマホをフロントガラスに押し付けて始発駅からがんばって前面展望画像を撮り続けている。駅についても途切れ ることなくずーと録画は途切れることなかった。ユーチューブにでもあげるのだろうか。そんな に面白い映像にはならないだろうが、外国人にすればちょっと変わった風景なのかもしれない。サンフラワーの港があるトレードセンター駅まで西梅田駅から290円という安さでおどろく。 ニュートラムを下車して超長い直線のエスカレーターに乗る。ホンマに長い。そして、フェリー 乗り場まで遠い。フェリー乗り場は、別府行と志布志行で少し離れている。別府行はターミナルから直接乗船できるのだが、志布志行はバスで移動しなければならない。移動といっても目の前なのだ。距離にし て300メートルぐらいだろうか。安全のため構内をうろうろされたら困るからバスでの移動と いうことになっているようだ。ちょうどバスの時刻があったので志布志行の乗り場へ移動した。今回は、隊長が持っている商船三井の優待券と僕自身の障がい者割引でとびっきり安く乗船させ てもらえるようだった。カウンターで体長が手続きをしてくれる。なんでもしてくれるので本当 にありがたい。今回はプライベートシングルという部屋を予約してくれたようだ。乗船まで時間 があったので写真を撮るため隊長とウロウロする。サンフラワーが二隻ならんでいてなかなか壮 観だ。写真にすると大きさがわからなくなるが、全長192メートル、総数トン1万3千トン以 上の巨大な船はなかなかない。今回は「きりしま」という船のようだ。以前乗船した別府行の「く れない」よりは少し古いがまだまだ新しい船である。フェリーなので車で乗船する人たちは構内で車に乗ったまま結構待たされるが、今回僕たちは徒歩なので最初に乗船できる。船内に入ると左手にエスカレーターが見えた。しかし、乗客 は右手のエレベーターに案内された。エレベーターを降りると女性のスタッフが笑顔で迎えてく れる。サンフラワーのスタッフは皆さんとても気持ちがいい対応をしてくれる。部屋の場所はす ぐわかったのでさっそく行ってみた。カードキーでドアを開けるとそれぞれがアコーディオンカ ーテンで仕切られたプライベートシングルの部屋がずらっと並んでいた。僕と隊長の部屋は、カ ードキーで開けたドアから一つ目と二つ目の部屋だった。4人部屋のプライベートベットとは違 い一人ずつ完全に独立している部屋なので安心感がある。ただし、各部屋の入り口はアコーディ オンカーテンになっているので貴重品には気を付けなければならない。荷物を部屋に置き丸い窓が並ぶスペースで早速ビールを飲むことにした。隊長がいろんなアテを 持参してきてくれていた。ひとまず無事に乗船できたのでほっとして乾杯をした。フェリーの出発時刻は、17時00分の予定だ。
Aug 27, 2024
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今回は鹿児島へ行くことになりました。そもそも、日本のどこに行っても良かったのですが、ハ 鉄会の隊長と京都駅で昼飲みをしながら相談した結果、「安くて旅できるのはどこか」ということになり、隊長が商船三井の株主優待券を持っているというので、商船三井が運行して いる「サンフラワー」 という長距離フェリーを利用しようということになった。僕は少し前に別府行のサンフラワー 「くれない」には乗船していたので、今回は大阪南港から鹿 児島県の志布志行の船にのることになったのである。そして、帰りはLCCのスカイマークでー 気に神戸へ帰ってくるプランだ。隊長とは山科駅のホームで合流することになった。12時53分に山科駅に着くというのでホームで待っていると「新快速にそのまま乗れますか」 といLINEが入ってきたので、新快速にそのまま乗車することにした。 湖西線からやって来た新快速は12両編成のフル編成で行先は姫路行だった。 「湖西線から姫路行の新快速があるんや」と感心しつつ11号車の窓に隊長が手を振っているのが見えたので乗車した。大阪駅に郵便局の新しいビルが建ったというので、見に行ってみることにした。 JPタワー大阪というビルはKITTE (キッテ)という商業施設が入っていた。場所はもともと 大阪中央郵便局があったところだ。大阪駅で下車して右側に立派なビルが建っていた。人の流れ はほとんどそのビルに向かっている。入り口にどんどん人が吸い込まれていく。阪急百貨店から このKITTEまで空中通路が新設されており抜群のアクセスになっている。本気モードなのだ。KITTEに入ると右手に見えるエスカレーターに人が連なっている。ビルの内部は、昔の郵便 局風の出材の壁もある。レトロ感と今風をうまく取り入れてある。館内は日本中の特産品とあら ゆる種類のレストランや飲み屋があり昼間っからみんなお酒を飲んでいる。 「ここは楽園か」と思うほど楽しそうに飲食をしている。ただラーメン屋だけは異常にひとが並んでいて 「そこまでして、ラーメンを食べんでもええのに」 と京都人の僕は思ってしまうのであった。 まあ、大阪に寄った際は行ってみる価値はあると思う。大阪南港へ行くには、地下鉄とニュートラムを乗り継いでいくこになる。今回はわざわざ地下鉄 四つ橋線周りで行く。地下鉄四つ橋線を完乗(完全乗車)するためだ。地下鉄で住之江公園まで行 き、コスモスクエアまでニュートラムに乗る。ニュートラムは自動運転なので、一番前の席はお 客さんが座ることができる。運転手気分を味わえるのだ。早速、先頭車両へ行ってみた。
Aug 20, 2024
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コンビニカウントゲームは、空港に着くまで続けられた。結果は一位ローソン、二位ファミマ。 三位セブンイレブンの順番になった。秋田県はローソンが強いのですね。秋田市内は、さほど渋滞もなく順調に空港に到着した。空港近くのガソリンスタンドで満タンにしてレンタカーを返した。「教えてもらったスポット全部行ってきましたよ」「どこへ行きましたか」「乳頭温泉とか、角館の秋田犬がいるとこなどですね」「秋田県の温泉はリピーターが多いですよ」「そうなんですね、ありがとうございました。良かったですよ」赤Tシャツのにいちゃんは気さくで親切だった。すぐ隣の空港ロビーで、搭乗を待っていた。スマホでチェックインしようと試みたが画面が出て こない。「おかしいいな、なんで表示されへんのやろう」と何度もトライしてみるが乗るべき便が表示されない。「なんでかなぁ」と予約した時のスクリーンショットを見てみると、なんと出発時間が13時05分になっている ではないか。すーっと汗が引いていった、、。現在の時刻は15時30分だ。「サヨコちゃん、やってしまったな、飛行機の時間間違えてたのとちゃうか」「ええっ!」「13時05分発やったみたいで」「どうするの」「、、、、新幹線やったら帰れるかな、飛行機はもうないみたいし」冷静に現在の状況を確認しようとしても色々あせってしまって、すぐに判断できなかった。 念のためもう一度スクリーンショットを確認してみたら、なんと、次回の青森旅行の方の画面を見 ていたようだ。「ごめん、間違えてた、青森の旅行の方を見てたわ」「もう〜!しっかりしてや、私らやったやりかねんしな」以前、居酒屋で飲んでて夜行バスに乗り遅れたことがあったのだ。落ちついてスマホを操作すると、18時05分発の大阪伊丹行の画面が出てきた。 「チェックインできたわ・・」サヨコさんにもう一度あやまり、事なきを得た。コンビニで買ったビールをそのまま中に持ち込めるかどうかサヨコさんに聞いてきてもらった。 どうやら持ち込めるようだ。飛行機のルールは、良くわからない。チェックインした後中にビールが売っているかどうかを係の人に聞いてもらったが、「わかりません」といわれたそうだ。 それぐらい把握しておいてほしいものだ。すぐに、コンビニでビールおつまみを購入してチェッ クインした。飛行機の出発までは、だいぶん余裕があった。僕は、飛行機待ちのこの時間が実は好きなのであ る。出発カウンターのロビーの大型テレビにドジャースの大谷翔平の特大ホームランの映像が流 れていた。秋田の旅は終わろうとしていた。 僕とサヨコさんは、缶ビールで乾杯した。「乾杯」おわり
Aug 16, 2024
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なまはげ館を後にして次に向かったのは「男鹿水族館GAO」だ。なまはげ館からまた先程来た道を 戻り男鹿半島をぐるりと回る。およそ20分で水族館に到着した。男鹿水族館GAOは、岩のごつごつした海岸線に建っている。比較的すいているようだ。旅行に 行った際、水族館と科学センターそして鍾乳洞この3つは、あればなるべく行くようにしている。 男鹿水族館には白熊がいて結構広いスペースでウロウロしている。でも何だか元気があまりない ようで、表情もうつろだ。自然じゃないところに閉じ込められていて何だか可哀そうになってく る。僕らが見学していると、変に色っぽい服装のケバイ女と中年のカップルが、ずっーと僕らと同じ タイミングで見学するものだから鬱陶しいのなんの。やたらスマホで自分と水槽を撮影している。「えっ、これかわいい――」 「みてみて、これきれーい」と年甲斐もなく甘えた声で腹の出たおっさんにベトベトくっついている。「えっ、きもちわるーーい」と言いそうになった。水族館内のガラス張りになっている休憩ゾーンに、秋田の食材を生かしたご飯の自販機が置いて あった。最近よく町で見かける赤いボディーの冷凍している自動販売機だ。パスタとかチャーハ ンとか色々あるようだ。自動販売の横にはちゃんと電子レンジが置いてありその場で解凍して海を見ながらご飯が食べられるという寸法だ。お手軽な感じでこれはいいなと思った。食べてない けど。魚と触れ合うコーナーなんかもあり、ナマコやウニなどもじかに触れる。平日なので子供はあま り見かけなかったが、十分楽しめると思う。 小さな水族館なのであっという間に見学コースは終了するがいい水族館だった。変える間際に老 人の群れと遭遇した。老人たちは貸し切りバスで水族館にきているようだった。老人会でこんな ところにも来るのですね。この水族館が今回の予定の最後の訪問地なので一路秋田空港へ車を走らせた。 秋田空港へは当然高速道路なんかあるわけもなくひたすら地道で行くことになる。しかし、本当 に何もない県なのでとても退屈なドライブになってしまう。ようやく秋田市内に入ってくるとさすがにコンビニなんかも出現してくる。よく見るとコンビニ はファミリーマートが多いような気がした。ファミリーマートの次にローソンが多いようだった。 車の中ではすることもないのでコンビニの件数を数えてみた。「あっ、ファミマ!、今度はローソン」 という風に一軒見つけたら1点として、どのコンビニが空港までに一番多くあらわれるか、サヨ コさんと賭けてみた。僕はローソン、サヨコさんはファミマで勝負してみた。
Aug 15, 2024
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なまはげ館のなまはげ実演は、なまはげ館の横にあるかやぶき屋根の建物の中で行われるようだ。実演を見に来る人が少なくて「見に来る人、僕らだけだったらどうしようか」なんて思っていたが、それどころか大盛況で実演時間が近づいてくると20人ぐらい集まって来た。靴を脱いで、家に上がらせてもらう。本当の昔ながらの建物のようで、囲炉裏に火が入っており 煙の香ばしいにおいが立ち込めている。室内は裸電球の照明しかなく相当に薄暗い。 女性の係の人かひととおり実演の流れを説明してくれて、その後2人のオジサンが入ってきて実演は始まった。方言がきつくてだいたいのことしかわからないが、なまはげ方のオジサンは「お前のところの嫁はあんまり働かない」とか「お前のところのせがれは、勉強もしないで遊び惚けている」という感じのいちゃもんをつけている。家の方のオジサンは「すみません、嫁と息子にはしっかりするよう言っておきます」という内容のことをなまはげ方オジサンに釈明するのだった。その後、なまはげの乱入ということになる。「うい―――!」「うお―――!」と大声を上げて壁やらふすまやらをバンバンたたき大きな音をたてて動き回る。案の定、観客側まで突入してきて、女の子を見つけて「悪い子はおらんか―――!」と脅しにかかってくる。女の子は何とか泣かずにこらえていた。えらい。ニ人のなまはげは、家の中をウロウロしてワラでつくったむしろの破片をまき散らして暴れまわっている。一人のなまはげの姿が消えたかと思うと思いもしないドアから「ばーーん!」と出てくる。めっちゃ面白い。しばらく暴れたあと、家の人が、酒と食事をお膳で運んできてなまはげ軍団に接待をする。 なまはげ達は、一軒ごとに酒を出されるので大変だと思うが、田舎の人は酒に強いのかもしれな い。なまはげがまき散らしたワラの破片は、縁起物として財布に入れたりしておくと幸運がめぐって 来るという。見学者の人たちは殆どの人が幸運のワラを拾っていた。サヨコさんもこっそり拾っていた。僕は、自称ミニマリストなので拾わなかったが、幸運はどこかへ行ってしまっただろう か。実演が終わり、外に出ると雨が降っていた。家の外には次の実演を見に来た人がすでに待ってい たが3人だけだった。「3人だけだと、なまはげにいじられるんだろうな」と、少し心配になった。僕らは大人数だったので良かったと胸を撫で下ろした。小心者なのである。
Aug 14, 2024
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男鹿ホテルを出発し、ひとまず男鹿半島の先っちょの入道崎というところを目指した。男鹿ホテルから海岸沿いに10分ほど走ったところに入道崎はあった。白と黒のボーダー柄の灯台が立っ ている。駐車場には、お土産屋やお食事処がずらっと並んでいる。昭和のたたずまいだ。朝早い のでまだ空いている店は少ない。ぼつぼつと観光客も来ているようだ。外国の人もいるようだ。半島は荒涼とした風景が広がっており、まるで北海道の最果てにいるような錯覚がする。灯台の横には草原が広がっていた。人が歩いた跡の小道が続いている。半島の先っちょまで歩いてみる ことにした。ホテルから近いので何気なく立ち寄ってみたが、なかなか素晴らしいダイナミックな景色で訪れて良かった。何か碑のようなものが祠の横に立っていたので見ると、「菅江真澄」という人の文章の一部が書い てあった。旅行記のようだった。この「菅江真澄」という人物を僕は全く知らなかった。ネット で調べてみると、菅江真澄は江戸時代の今から240年ぐらい前から日本各地を旅行し、長野、 新潟、秋田、青森、岩手、宮城、北海道とめぐり「菅江真澄遊覧記」という89冊の書物を発行 しているらしい。その書物は、国の重要文化財に指定されるほどのものだという。知らなかったわ。当時の庶民の生活や風景などが文章と絵で緻密に描かれていて素晴らしい(ネットで見ただ けだが)。入道崎の崖の下には漁師小屋のような建物も見えている。最果ての土地でみんな生きているのだなあ。灯台の近くにユニークな看板が立っていた。それには「本年度の透視船は船長不在のため休業しております」と書かれている。船長はいつまで不在なのだろうか。ウロウロしないで早く帰ってきてほしいも のだ。入道崎からまた車で移動する。「なまはげライン」と呼ばれる道路があるのでそれを利用して「なまはげ館」を目指す。なまはげラインは広域農道的な道でとても整備されている。あっという間 に「なまはげ館」に到着した。「なまはげ館はどんなところだろう」とちょっと不安になりながら駐車場に入れるが、思ったより多くの車が停まっていた。僕らはホテルで割引入場券を手に入れていたので、さっさと入館した。なまはげ館は木々に包まれて静かに立っている。わりとこじんまりした施設だ。ここには、いろんな種類のなまはげが展示されている。まるで、外国の島国の衣装のようだ。男鹿半島には90以上の集落があり、それぞれの集落になまはげがいるそうだ。なまはげを演じ る人はその集落の未婚の男性しかなれないという。なまはけの実演があるというので、急いで外に出て藁葺屋根の家の前で待った。
Aug 13, 2024
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初代ウルトラマンに出てくるアラシ隊員をご存じだろうか。次作のウルトラセブンではフルハシ隊員として出演している、あの俳優、毒蝮三太夫という俳優 さんだ。ホテルの夕食を食べていると、僕の目にアラシ隊員が飛び込んできた。一つ向こうのテーブルに こちらを向いて座っている。食事のとり方もワシワシ食べて豪快だ。「アラシ隊員が座ってる」とサヨコさんにこっそり伝えたら「ホンマや、そっくりやね」と答えが返って来た。僕には、人の顔を一度見たら忘れないという特技があり、自分では「顔面力(がんめんりょく)」と言って公言している。その顔面力をそなえた僕が見てもアラシ隊員と寸分変わらない人が目の 前にいるということが驚愕だ。神経がアラシ隊員に行ってしまい、食事の味がわからなくなってくる。あまりにも似ているので、男鹿名物「石焼」の実演のときにこっそり実演を撮るふりをしてアラシ隊員も写真に入れた。大切に保存しておこうと思う。残念ながら写真を公開するわけにはいか ないが、「世の中には3人の自分にそっくりな人がいる」 と聞いたことがある。まさに、そんな光景だった。ちなみにアラシ隊員は、だいぶん年上の彼女と宿泊しているようで、なんか、訳ありな感じのカ ップルだった。どうでもいいけど。ホテルの部屋からは海が見えて9階という高さもあり眺めが良かった。食事もおいしく量も多い ので、僕らみたいな小食な人向けの「小食プラン」があってもいいかなと思う。まあまあ早めに就寝したが、夜中に突然目がさめて寝られなくなってしまった。「まだ2時30分やしなぁ、どうしようか」と悩んが、もう一度一人で飲みなおすことにした。焼酎にビール、酎ハイと立て続けに飲んで何とか3時30分ごろにもう一度眠りにつくことができた。朝から温泉につかった。浴場には僕一人しかいなかった。最高である。そして、朝食の会場へ行 った。翌朝の朝食も最近はどこでもバイキング方式が多いのだが、ちゃんと一人分づつテーブルに運ん できてくれる方式だった。そして、サヨコさん越しにまた、あの、毒蝮三太夫のアラシ隊員が飛 び込んできた。「何べん見てもアラシ隊員や」もう、忘れることはできない。朝食もおなか一杯食べて、男鹿ホテルを後にした。アラシ隊員
Aug 9, 2024
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男鹿ホテルの温泉は源泉かけ流しで、お湯が出てくるところからもう温泉成分がどんどん出てき ていてそこら中が茶色に変色している。さすがに、玉川温泉のように酸性がきついわけどもなく マイルドないい温泉だ。温泉に使用しているバイブは、温泉成分ですぐに詰まってしまうという 説明が書いてあった。風呂上がりに売店でビールを買うことにしたが、店員さんがいない。呼び鈴を押すと、フロント のオジサンが今度は売店の奥から出てきた。どこも人手不足なのだ。このフロントのおじさんは、 食事の時にはボーイになって食事を提供してくれていた。感じのいいオジサンでした。夕食はレストランで食べることになる。いつもは、素泊まりにして居酒屋に行くのですが、今 日は夕食付きだ。ちなみにメニューは、以下のとおりだった。本日のお献立前菜帆立南蛮漬け 男鹿の海藻ギバサ 鯖のいぶりがっこソース ハタハタ寿司割鮮北浦産・鯛 メジ鮪 勘八平目鮪なかおち主菜1 男鹿産平目の幽庵焼き 菜の花ソース炭火焼5品のうち2品をお選び下さい炭火焼料理は下記の中から2品お選び下さい。 ①男鹿産“さざえ”の壺焼き(さざえ独特のほろ苦さと焼けた醤油の香ばしさをお楽しみ下さい。) ②男鹿名物“舗〈はたはた〉”の一夜干(男鹿名物はたはたの熟成された味をお楽しみ下さい。) ③ “ふぐ”西京焼き(秋田味噌で焼きたてをお楽しみ下さい。)④きりたんぽ味噌 (香ばしい焼きたてをお楽しみ下さい。)⑤秋田“比内地鶏”のつくね焼 (秋田名物比内地鶏の焼きたてをお楽しみください。)主菜2 国産牛ステーキ 赤ワインソース 若鶏山椒焼き 八幡巻き男鹿名物「石焼」鯛めし 秋田のがっこ※当館のお米はすべて、 秋田県産米を使用しています。デザートイチゴケーキ カスタードプリン食べきれるわけがないでしょ。「石焼」は熱々800度に熱した石を鍋の中に放りこんで料理するという豪快な料理だ。「石焼」は各テーブルでというわけには行かないので「石焼タイム」が来たら現場にお客さんは呼ばれます。集合出来たら「石焼」の実演が説明付きで始まります。なんでもこのあたりの石は石焼に向いているそうでなかなか割れないそうです。もともと漁師さんがこの調理方法をしていたといいます。まあ、「石焼」しても味は変わらないけどね。
Aug 2, 2024
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男鹿半島へ向かう道は単調だった。そのうち、海の気配がしてきて明らかに海岸線に近づいているのがわかった。 秋田空港に着陸する直前に飛行機の窓から海岸線に巨大な風力発電設備が並んでいるのが見えた。 まさに、目の前にその風力発電の巨大なプロペラが見えてきたのだ。「やっと海岸線まで来たな」国道101号線沿いに男鹿半島へ向かう。風力発電所は、今までに見たことないぐらいの数で、 海岸線に沿って無数に立っている。砂丘のような地形の国道の両側は、ボウボウの草に覆われて いる。草の間の道と風車が嫌というほど連続する。「ガソリンが、そろそろなくなってきたんやけど」「そういってもガソリンスタンドなんかもう何十キロも見てないし」「まあ、あと100キロぐらいは走れると思うけどな、明日は一回ガソリン入れないと秋田空港 までは、無理やな」「うーん」といっても、国道101号線は雑草と風車しかないのだ。飲み物の自動販売機すらない。 仕方がないので、男鹿半島を目指す。今日の宿泊は、「男鹿ホテル」というまともなホテルの予定だ。 僕らにしたら一泊二食付きで結構な値段のするホテルだ。男鹿半島に入ってもガソリンスタンドは見つからなかった。 しかし、ホテルのある温泉街の手前の町に小さなガソリンスタンドを見つけて満タンにしてもら った。ガソリンとお米とビールが少なくなると本当に精神的に悪いのだ。ナビに従って男鹿ホテルへ向かう。しばらくすると温泉街の真ん中に男鹿ホテルという文字が見 えた。「もう、そこやわ」といって、ナビに従って進むと、草むらの砂利道になり車はそれ以上進めなくなった。 「このナビおかしいで、ホテルはすぐそこやのに、この道は人しか歩けんで」 「バックしよ」その後なんとかホテルにたどり着いた。ホテルの駐車場には、あまり車は停まっていなかった。「満室のはずなんやけどな」とサヨコさんか言う。僕は、「大きいホテルやけど、結構古いな、幽霊が出そう」 などと失礼なことを言いながら、ホテルの玄関をくぐった。 ホテルの中は、昔の造りだがきれいだった。 ここのホテルのお風呂は源泉かけ流しの温泉だという。楽しみだ。
Aug 1, 2024
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小坂鉄道レールパークを後にして、男鹿半島へ向けて出発した。小坂市には、小坂鉱山が栄えて いた明治時代の建物が多く保存されていて「明治百年通り」という名前で観光客を呼んでいるようだ。 ちょうど康楽館という明治時代の歌舞伎小屋(小屋といってもそうとうでかい)で歌舞伎の公演 をやっているようで、のぼりがいっぱい立ち並んでいた。康楽館の前を通り過ぎようとしてたら、 いかにも歌舞伎役者(名前はわからん)の人がファンに囲まれて写真を撮っていた。一路男鹿半島へ向かうが、途中見どころは何もない。秋田の人には申し訳ないが「本当に何もない」のである。神社もなければお寺もない。田舎の道を走っていたら何かしらの変な看板とか立ってて、「まあ、一応見てみるか」くらいの気持ちは普通起きるものなのですが、秋田は何もない。仕方がないので、「道の駅たかのす」というところでおひるごはんを食べることにした。道の駅たかのすには、ギネスブックに載っている「世界一大きな太鼓」があるという。 そういえば、土曜日の朝の旅番組で紹介されていたのを思い出し、入場料200円という安さな ので、大太鼓の置いてある資料館に入ってみることにした。 資料館は人気がないのかひっそりとしている。入ってすぐにいきなりギネスの大太鼓が表れた。 ちょっとした家ぐらいの大きさがある。でかいことは間違いない。「見ておいて良かった」なのである。その他の資料は、世界の太鼓などが集められているが、これまた大したことはない。ただ、この ギネスの大太鼓は現役で年に一度夏祭りの時に町中をこの太鼓が練り歩くという。映像で見たが、 太鼓の前で子供たちが踊り、大人は太鼓の上に乗り太鼓と囃子で盛り上げるという、一度見てみ たい風景ではあった。道の駅でお昼を食べた。特に珍しいものはないが、鳥キモうどんというのがあったので注文した。 サヨコさんは、牛すじうどんだ。鳥キモうどんは、本気のキモで、見た目はグロテスクでちょっ と神経質な人は食べられないと思う。鳥の卵になりかけの部分とかも入っていて、味は、めちゃ くちゃ美味しかった。牛すじうどんも少し分けてもらったが、そっちの方がさらに美味しかった。 「鳥キモ、負けちゃった、でもウマかった」腹も一杯になったので男鹿半島へ向けて再び走り出した。先は遠い。
Jul 31, 2024
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さっそく、促されるままレールバイクにまたがりおじいちゃんに説明を受ける。「これアシスト、、。椅子は、、、。」僕の耳が悪いのか、あまり明瞭に聞き取れないが、まあ、なんとなく分かった。アシストのスイッチは入れてスタートした。ゴトゴトと意外とペダルは軽くスムーズに進んでいく。24系客車(あけぼの)を左手に構内を進 んでいく。右手には、かつて使用されていた気動車がボロボロに朽ち果てて止められている。 あっという間に250メートル先のゴール地点へ到着した。ゴール地点では係の人が一人待っていてくれる。いったん下車してくださいということなので、降りた。線路を見るとそこは小さなターンテーブルのように加工されている。オジサンが手動でくるりとトロッコを方向転換してくれた。「はい、どうぞ乗ってください」ということで、また250メートル戻ることになる。ふと見るとさっき方向転換してくれたオジサンが隣の線路の上をトロッコ型のモーター付きの やつで「クイーン」と僕らを抜いていった。僕らが最初乗車するときに電動トロッコで先回りし て待っていてくれたのだった。「ありがたいなぁ」構内側から24系(あけぼの)を撮影するには、この、レールバイクからしか撮影できないのであ わてて撮影する。24系客車は、極めて良好なコンディションのように見えた。レールバイクの後は、いよいよ車庫の見学だ。 赤いピカピカのDD13が最初に迎えてくれる。その奥には、ボロボロのDD13が置いてある。 これらのDD13型ディーゼル機関車は、昭和42年製とプレートに書いてあった。もう、56 年も前に製造されたものだ。車庫内には、当時使われていた、ラッセル車や事業用車両や物品が展示されている。エンジンだ けになってしまったDD13も何基か置いてあった。展示されているDD13の運転席に登って入ることができる。このDD13は、小坂鉄道用に 改造されていて、運転席は、進行方向の正面を向いている。国鉄型は、入れ替え用として使用さ れていたため、運転席は横向きなのだ。だいたいの凸型のディーゼル機関車の運転台は、横向き なのだ。だから、ここのは、超珍しいが、一般人にはこの感動は理解できないところだと思う。さみしい。車庫の続きに小さな資料館があり、それで終わり。車庫に座り込んで楽しそうに話しをしている、 おそらくOBの人達が笑顔で挨拶してくれた。楽しそうだ。まあ、これだけで600円というのは、鉄道好きでなかったら高いと感じるだろうな。帰り際に、募金箱があったので1000円札を入れておいた。あの笑顔のおじいちゃん達の役に立ってほしいと願う。
Jul 30, 2024
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翌朝、玉川温泉からマイクロバスに乗り込み、離れた駐車場まで行った。駐車場は新玉川温泉の駐車場なのだが、広い駐車場は満車状態で大盛況のようだ。今日は男鹿半島のホテルに泊まるということ以外予定はない。 玉川温泉から男鹿半島までおよそ160キロもある。秋田県は広いのだ。そして、山があるから 迂回しないと目的地に着かないのだ。まあ時間も十分あるので、以前から一度訪れてみたかった、小坂鉄道レイルパークへ行ってみる ことにした。小坂鉄道は、小坂鉱山から出る鉱物を運ぶための鉄道として1909年(明治42年)に開業して いる。その後、旅客も取り扱うようになるが、2009年(平成21年)に廃止している。 小坂鉄道の廃止後、小坂駅に「小坂鉄道レイルパーク」として2013年(平成25年)に営業するようになった。小坂精練(株)からディーゼル機関車も借りて営業している。 ディーゼル機関車は、国鉄のDD13と同型の姉妹機関車だが、入れ替え用のDD13と違い運転席は前後方向正面を向いて設置されている。同機関車は動態保存されていて今でも、ピカピカで美 しい。あと、小坂鉄道レイルパークの目玉は、ブルートレインの24系寝台車の展示がある。この24 系ブルートレインは宿泊施設としても利用でき、先ほどのD013による牽引で、レールパーク構 内で動くブルートレインに乗車できるのだ。すばらしい。しかし、残念なことに、限られた季節の土曜日しか宿泊できないのだ。「やる気あるんか、小坂鉄道さんよ」と言いたくなる。特に、夏休みのシーズンなんか毎日営業すれば、絶対満員御礼になるとおもうけどなぁ。 とにかくやる気がないのである。これは、やはり、小坂町が経営しているということで、親方日の丸主義なのか。今回も、曜日が合わず京都からわざわざ秋田まで来ていても宿泊できなかった。残念。「儲からなくてもいいんですよね、小坂鉄道レイルパークさんよ」旧の駅舎をそのまま使用している事務所で、入場料600円と、レールバイク体験500円を払 って改札をくぐる。ちゃんと入場の際に係の人が、切符にハサミを入れてくれるのだ。うれしい。 「レールバイクは、こちらでーす!」と半ば強制的に誘導されて、入場と同時にレールバイク体験となった。レールバイクとは、線路上に人力のトロッコを乗せたもので片道250mぐらいの構内を往復で きるのだ。一応、電気アシストもついている。レールバイク乗り場に行くと、爺さんたちが数名待っていてくれてて、 笑顔で迎えてくれた。
Jul 29, 2024
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