2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
明日からは卯月4月入りですが、新しい事業年度替りでもありますし、なにかと慌しくも気忙しくもあるなか、新しい出会いや行事に期待感をもって、ある種の楽しみが見いだせる喜びも感じ取れています。陽気も開放的になってきて、気も心も朗く躍動感を覚えてきますが、今日の週初めと月末であり年度末の重なった日が、花冷えと言うよりも氷雨と言ったほうが的確な異常に寒い中で、忙しい思いを精一杯努めることができました。期限が切られていた何件かの用件があったのですが、先週から準備をしてきた甲斐があって、朝から気持ちよく関係先を飛びまわることができたのです。遣り繰り算段と云う言葉がありますが、在るものの中で限りなく効率を高めるために、最小限の努力でもって最大限の効果を発揮させる為の知恵を活用しながら、準備を進めてきても、なかなか上手く事は回転が利かないものでして、自分なりに歯がゆい思いをすることがあります。もてる能力には限りがありますし、学びを受け入れる許容はもっとも苦手なことと思っていますので、幾つになっても甲斐甲斐しく前を向いて自助努力をすることが、とっても大切な要だと自認しています。この世の中、すべてに相手があることが常識なのですから、此方の思うように、いとも簡単に話しが進まないのが当然なことですし、期待感を持てば持つほど裏切りのギャップが大きくなってきます。人の言葉を信じることの難しさを、年齢を重ねるがごとく経験してきていますが、人の約束事は信用と信頼の駆け引きがあって、ひたすら誠実で率直な対応が、多少の時間は掛かりますが最善な成果が望めると信じています。小手先の言い逃れをしたり、言い訳を重ねていては、先方との信用度が無くなってしまい、決まることが決まらない最悪の状況になる可能性があります。不撓不屈と言う言葉が好きで肝に銘じながら、毎日の生きるために心の支えにしていますが、勿論のこと世間の厳しさに負けないための自身への激励なのですが、常に気丈にしていく自身の元気付けとして、最近特に気に入っているところです。すべてが思うように行かないことを前提にしつつ、前向きな心掛けをもって、何時も謙虚さの根をしっかりと這わせるように、人様との健康的な交渉ごとに心得を強めて生きたいものです。明日に新しい月初を迎えるにあたり、先ずは心新たな躍動感をもって、清らかな自信を腑に溜め込みたいと願いますし、何事にも逃げない誤魔化さない正直にです。
2008.03.31
コメント(0)
もう12年も前のことですが、うちの長男が成人式前の年齢の時に、台湾の高雄市に始めて訪問して、1週間のホームステーを経験する機会がありました。最初予定されていたステー先に一泊したのは良かったのですが、急遽二日目からは他の友人の宿泊先に変更となって、驚きと戸惑いで大変であったと、帰国した倅から第一声の報告をうけた記憶があります。以前から家族同士の付き合いをしていた友人が、倅を引き受けるのは自分が賄うと主張して、急遽予定を変更させて二日目からの宿泊を引き受けてくれたのです。後日談なのですが、高雄の友人が解説するに、一番の友人の倅を引き受ける先は、当然自分だと自己弁解と説明をして、私の倅がホームステーすることが周知していなかったと、一生懸命に弁解をしていました。今年で連続して13回目になる、高雄北区ロータリークラブとの、ロータリアン関係子弟の短期交換が、この春休みを利用して行われているのですが、その第2回目の派遣交換生として倅が仲間と訪台したのでした。所属するロータリークラブの姉妹クラブとして、締結されてから33年間の経過がされているのですが、様々な奉仕活動を実践してきた中でも、子供達のホームステー交流と小学生の書画交流事業が、一番理解がされて大きな利得に結びつくことができていると認識しています。18年前に入会したてから夫婦で訪問させて貰っていますから、古い会員も比較的新しい会員も阿吽の呼吸で親善交流が重ねることができて、今では大勢の仲間ができて、少しだけ本音の意見交流をさせてもらえるようになりました。行き来するたびに大きなお土産を頂く慣習があって、新人の頃には一種感激の喜びを味わうことがあったのですが、年数が重なってきますと、お土産が友情の証でないことに気付き、意見を言える立場になってからは、堂々と合同委員会での主張を伝えていたのです。今後は心と心の交流に重きをおいて、お土産無しの姉妹クラブ訪問をしていきましょうと、問い掛けしたのですが、国民性が違ってか、即実行させる判断が難しいと返事されてしまいました。短期の子弟交流も同じことで、万年同じ形式を踏襲するだけではなんの進歩も無く、ただの観光旅行と同じことで、少しは時代背景と子供達の為になる奉仕活動に目覚めなければ、ただ回数を積み重ねている形骸化だけになってしまいます。子供達も親御さん、提唱するロータリアンも奉仕活動を通して、いろいろなことを学びあえる機会として、原理原則にある理論も学び取れる姿にしたいものです。家族と一緒に自己満足をするだけの奉仕であれば、あえてロータリークラブでなくともできる環境が沢山ありますが、いまこそロータリーだからこそできる奉仕を目指すために、確りと理念を理解して自分の心の形成に結びつける役割を強く意識しているところです。ただ前例に従がうだけでなく、ただ批判をするだけでなく、よく全体の流れと個々の意義を、積極的に見極めていきたいものです。
2008.03.30
コメント(0)
昨夕は、まさしくベートーベンのシンフォニー第6番田園を思い出す、突然に天空が真っ暗になったと思ったら、春雷が轟いて稲妻と雨が嵐のように吹荒れていました。近隣にある桜花の木は満開の花びらを見せびらかせて、冬の間の厳しい寒さを吹き払うように、誇らしく淡いピンクを咲き開いて満足しているようです。いろいろな雑木の枝枝からは、若葉の萌芽が顔を出し始めて、桜花の淡さを楽しみながらも、心が和む新緑が日々楽しみにもなってきています。甲子園では選抜高校野球が熱戦をしていますし、プロ野球も開幕して、スポーツにも熱が入るし、エネルギーが最高に昇華してくるのが実感されます。今日の第一試合では、母校に当たる千葉経済大学附属高校が、素晴らしい試合を展開させて、ベスト8に名乗りをあげてくれました。後輩たちの活躍を頼もしくも誇らしく感じながら、野球の試合結果ばかりを目標とするのではなく、野球と言うスポーツの場を通して、高校生としての人間性を磨いてもらい、社会で活躍する場において、人の為に思い遣りをもって役立つことができる、懐が大きな人になってほしいと願うのです。厳しい練習に耐えられてこそ、大勢のチームメートと競う中で、限られた枠の選手登録がされて、数々の試合を勝ち抜いていく選手たちが、時にはスランプに悩み、時にはレギュラーを外されて悩み、苦しみを重く抱えるようになります。白球一筋に青春を謳歌することも人生の選択肢かも知れませんが、正選手の選抜にのみ期待を持つのではなく、控え選手に成った時こそ輝きを持たせて、裏方の苦悩を味わう中で、人間関係の助け合いを学び取って欲しいものです。青春の真っ只中、のんびりと学園生活を楽しむこともできるのですが、あえて厳しさに立ち向かって挑戦する選手達に、大きな声援をしてあげたいものです。人の立場になって物を考えられる、人を思い遣れる、そんな人生を構築できる若者の将来を、溌剌と甲子園のグランドで活躍する野球部選手に、大きな期待をかけてしまいます。母校が選抜大会で勝ち進むほどに、試合で活躍する晴れやかな姿と同じように、学生らしさの輝きも身につけてもらい、青春の純粋さを満喫して欲しいものです。季節が一日一日と変化をしてくる中で、自然界から発散される大きく強いエネルギーを、われわれ人類は改めて感謝をしなければいけないことですが、日々恵みを享受していることに報恩をできる思考や意識を確認したいものです。春の息吹きのエネルギーを満喫しながら、青春を野球に賭けている後輩の熱き情熱が、上手く重なり合うことができるように、春の萌に期待をしています。
2008.03.29
コメント(2)
止血の為に平手で額を抑えていた手の平には、大げさで言えばコップ一杯分の鮮血が溜まっているのをみた家内から、救急車を呼びますと言われて、自分でも納得してみたのですが、先ずは病院に電話をしてみてと願ってみれば、生憎夜間のために電話が通じない状況でした。一昨日のことですが、何時ものように夜になってから事務所棟の外階段を下りていて、手にはラップトップのパソコンと書類を抱えながら、最後の階段を感じたと思ったら身体が忠に浮いていて、まったくのコントロールが利かないまま、前のめりに額を植木鉢の淵に、思い切り頭突きをしていました。鈍痛とともに鉢が大きく割れる音を感じて、身体が漸く止まって地面に転がりこみ、痛い額に手の平を当ててみたら、驚きの鮮血が垂れ流れてきたのです。直径が30センチもある大きな淵の付いた鉢が割れたのですから、物凄い瞬間馬力であったようで、その衝撃から気が遠くなるのを感じていました気丈にしてとぼとぼと自宅に辿り着き、馬鹿なこと遣っちゃった、と言いながら、垂れ流れる鮮血と傷を診てもらったら、以外なほど家内が落ち着き払っていて、テイッシュとタオルを鉢巻にして止血をしてくれました。ずっきんずっきんする傷口と、流れる鮮血に驚いたのですが、タオル鉢巻のお蔭で止血が早く、そんなこんなをばたばたしているうちに、漸く自分の気持ちが冷静になってきて、とりあえず一晩様子をみてから判断をしようという結論になりました。深夜になってから子供達にパックリと口が開いた傷を、消毒液で洗って貰いながら、朝一番に病院に行きなさいと指示をうけながら、老人として弱く成った足元をしっかりと心配してくれるのです。けっして粋がっているのでなく、今回の怪我の元は暗闇のなか、引っ掛け靴でもって階段に荷物を持ちながら下りたことが主因なので、確かに老体が為に目が利かなかったり、大きな傷にしてしまったりしたことは認めています。朝になってから身体中の筋肉痛があって、特に首と腰が痛いのは、軽い鞭打ち状況になっているようでしたが、以外にも傷からの出血はすっかり納まって、気が楽になって清水消毒を繰り返してみました。幸いなことに歳の割りに健康体が物言って、瞬時の危険逃避ができたことと、髪の毛がある場所にぶつかったことを重ね合わせて、幸運なことだったと改めて不幸中の幸いを享受しています。日々時々に訪れる危険動作がありますが、若いときには避けられることが、年齢の老化の為に、徐々に運動能力が衰えていることを身につまされています。これまでの人生の中では、大きな病も無く怪我もなく過ごしてこれた健康体に、改めて身体の元となってくれた先祖と両親に感謝をして、身に余る人生を過ごせていられる運命と宿命に、心からの謝礼を声掛けしているところです。何事も明日は我が身であることを、こうした機会に改めて自戒をして、心も身体も大切に扱っていくことを、自覚していこうと思います。
2008.03.28
コメント(4)
春の選抜高校野球が活況を見せているが、今年は80回記念大会と言うことで、21世紀枠として千葉県は安房高校が特別に選ばれて、千葉経済大学附属高校と併せて2校が活躍している。それぞれ初戦を突破していますが、今日は安房高校の二回戦があって、地元のNHKも粋な計らいで、終盤に中継放送をしてくれましたが、まことに残念なことに、9回裏さよなら負けをしてしまった。後半まで1:3で勝っていたのですが、結果はさよならと言うドラマティックな結末で、あっけなく幕を閉じ、特別枠の活躍振りは充分に発揮され、地元の県民を大いに堪能させ喜ばせてくれた。残る千葉経済大附属高校の活躍を期待して、明日からの試合を気にしながら、暫し高校野球を味わってみたいもの。たまたま安房高校野球部OBの、関係者が身近に居るのですが、仕事も手に付かなくて、大金を後援会に寄付をされて、母校の応援に奮闘されていましたので、敗戦の後遺症がなければいいのですが。夢中に入れ込んでいる一途な態度は、傍からみると異常に見えてしまうのですが、当のご本人からすれば、寝ても醒めても一心不乱に熱中するばかりなのでしょう。人事になってしまうのですが、仕事や何もかも忘れ去って、夢中になって行動できる方こそ、存分な感動と喜びを味わっている、純粋な幸福者だと思えるのです。日常は正道を歩む人間としても、時として訳もなく脇道に入り込んで、歩むほどに初めて目にすること、耳にすることの体験に興味が高まって、我を忘れて脇き道を突き進んで楽しんでしまうことって、誰しもが持っている願望なのでしょう。平常の我と違う人を見ることがあったら、多少の批判や軽蔑の目でみてしまうことがありますが、程なく本道に戻ることに応援をする余裕をもって接し、脇道の大らかな楽しみを堪能させるぐらいの、懐の深さを持ちたいものだと思う。翻って思うことは、自分の趣味や好きなことを持っている人が羨ましく、果たして自分自自身には、我を忘れて脇道に入り込む度胸や器量があるのだろうかと、しっかりと自問自答させられてしまいます。人は見かけによらないと言われますが、自制心が有る人ほど、普段の自分を離れてみると、意外すぎる一面を持っているものです。一見すると堅物で真面目な方がお付き合いするほどに、愉快な方に変身されますし、一見する豪傑者が以外や小心者で、気弱な一面を見せてくれることがあって、なかなか面白い人間模様を感じ取ることができます。この年齢になってもまだまだ見ぬ自分の姿を楽しみにして、どんな人間像の一面性があるのかと、期待をしながら、他人がもっている多様性を見抜こうと、しょぼくれた目を虎視眈々と見開いているところです
2008.03.27
コメント(0)
どんな立場になっても、完璧なことができないもので、一人一人その人によって違う、価値観と判断をもって任されている範囲の制限を、身一杯使って努力を発揮している。今日も仕事と個人との折衝ごとがあって、一日中交渉をしてきたのですが、結論としては、できることとできないことの住み分けと、無理を押し通してまで勧めることのリスクを、肌の常温の感覚で持たねば成らないことでした。そのためにも、常に冷静に心を定めることを気配りして、変化ができる範囲の多様性をもって、臨機応変さを発揮させていくことを心掛けました。先ずは仕事の折衝ごとなのですが、お互いが上手く分かり合えばなんとも無い問題なのですが、不都合な原因が何なのか、一向に提案と理解がされなくて、すれ違いの話し合いを続けています。此方の事情を時間を掛けて説明しているのですが、要請を受け入れてもらえなくて、御願いします-分かりました-少しお時間をください-難しいですが頑張ってみます-是非御願い致します・・・と言った折衝が連続しているのです。この繰り返しを、何年も同じ担当者との折衝作業をしていますと、結論を出すステージはどこにあるのかが不思議に思えてきます。あくまでも正当な商取引の中で、当然の交渉成立度が高いと思うのですが、希望する結果を得る具体的な条件闘争にならない苛立ちがあるのです。たとえば、此方が100を望んで希望したが、相手側は80で答えが返ってきたら、相手には差分の20を交渉できるのですが、具体的な提示案件がされない不満があるからです。今日の結論も、分かりました、ではもう一回お時間をください、明日にも電話しますで終ってしまい、一層不信感が募っている処ですが、愚痴として不平は伝達することはやめています。一方の役所とは過去5年間に亘って、同じ場所の判断折衝をしてきたのですが、最初は空論をしていたものが、折衝側も責任者が担当してくれて、時間が無駄に過ぎ去ると思っていたのが、何とか市民側の現状と要請とを理解してくれています。法の決まりごとを一点張りにして、納得できなかったら法的な訴えを要請され、裁判で決着をつけましょうと言い出す始末でした。此方も諦めることなく、地道に説明をするなか、上司の判断も冷静に受止めてくれて、此方の現状の内容をほぼ認めてくれました。これまでの経過時間が、5年と言う途轍もなき長い年月になってしまい、当初の感情論が同情論に変容されてしまいましたが、お互いを理解しあえる納得する余裕ができました。今日経験した交渉や折衝ごとの中から得られたことですが、分かり合える時間や空間や間合いがあってこそ、お互いの物事は進んでいけるのです。全ての希望することが、上手く行って当たり前でなく、時々の場面でみせる不都合を、あり難い学びの場と心得て、自分の豊かで心強い心の余裕とすべく輝きとして、堂々の切磋琢磨のステージアップを、限りなく与えてくれているように思います。
2008.03.26
コメント(0)
碌な知識や知能や技量が無いことは、本人が一番良くわかっていることなのですが、この悪癖と言える習性はなかなか簡単には抜け切れないようです。今までも興味が強い機械物をみると、手に道具をもって触らなければいれない状況になって、ついつい裏蓋を開けたり、止めネジをはずしたりする行動になるのでした。今キーボードを叩いているパソコンも、どれほどフリーズをさせたことでしょうか、あれこれと、分からないまま弄くりまわしてしまい、とどの詰まりが自分の手に負えなくさせてしまい、結果的には専門家にご厄介になることが明白なのです。いまも困惑しているのが、DVDを再生するのに、各種プログラムが干渉している為なのか、コピーを繰り返していたら、映像画面が大きくならなくなりました。インストールしているソフトがいけないのだと、勝手な自己判断をしてソフトを削除してしまったら、ものの見事にDVDの認識さえもしなくなりました。このパソコンはラップトップ型なのですが、同じメーカーのデスクトップを開いて、インストールしているプログラムを参考にして、比較して見比べているところです。上手く配列を同じくすれば、何とか復帰をしてくれるだろうと、一人合点をしているのですが、果たして結果はどうなることでしょうか。結構気になる無駄な時間が過ぎ去るのですが、正常に復帰するまでのイライラを、意味無く楽しんでいるのかも知れません。いつもこんな調子で、すべてのことを賄う気心が強くて、頓珍漢なことばかりを羅列させてしまう、おっちょこちょい生活者をしでかしていますし、自分の悪癖を誇れない悔しさを味わっています。ここにきて少しでも進化をさせてみたいと、叶わぬ願いを望んでいるのですが、様々なことに興味津々と八方美人的な得意技となっています。ここで開き直った悪性を、大いに発揮をさせてみたいものと、自棄な言動に結びつける自分を感じています。懸念を利得に結びつけること、正常な人の判断をさせること、世間と同じ尺度の生き方をすること、ある程度評価を得れる人となりを構築させること・・・・等々の欲張りな願望が、ここでも遺憾なく発揮させて、そのまんまの我侭人間は変らないのですから。これが自分の個性と言うのでしたら、開き直って、堂々と遺憾なく発揮させていくしかないように、少々無理な理屈をこじつけています。
2008.03.25
コメント(0)
とっても大事で気になることが、思うように捗らない苛立ちがあり、週末に確認してあったことが待ち遠しく、週明けになっても結局結論が出ないまま、週明けの一日が過ぎ去ってしまった。かねてから懸案事項であったことが、今月に入ってから急速に歩調を速めて、具体的な調整と事案解決に向かって、進捗が大きく動きだしてくれたのです。心強く期待をもって毎日を過ごしてきたのですが、解決のために最後の詰め時間が必要なのでしょうか、申請をだしている取引先からの、吉報が待たれるところです。年度末の流れと、今後の計画をすでに良く説明をしてありますし、事情は汲んでもらっているのですから、相手先を信じて、寝て待つ果報にしたいものです。できるだけ体好く解釈をすることで、精神的なストレスを紛らわしているのですが、只管待つだけの身の辛さと忍耐をすることは、結構難儀を伴うことを学びました。午後に入ってから、約束の返事を聞かせて欲しいと、相手方に電話を掛ける判断をした時もあったのですが、ここ何年かの経緯を思いかえせば、先方にしても充分に事情は理解していることで、先方なりの最善を発揮してくれて、一生懸命な働きを尽くしているはずなのです。此方ばかりの都合で考えるから、いろいろな不都合があった時には、身勝手な行動をとりがちで、とかく勝手な思いに馳せるのですから、人を苦しめたり自分も不愉快に陥れていると思うのです。自嘲と思慮をすることだけでも、自分の感情をコントロールさせることができ、何時も大らかな態度で過ごすこともできて、人様との折衝も穏やかに、和をもって深めることができるものなのでしょう。一方的に自身の都合ばかりを可愛がって、相手の立場を思い遣れない心では、所詮はただの自己満足を目指す、度量の小さな人となり、寂しい人間になってしまうと諌めているのです。さてさて明日から月末までの進捗状況が、人生のおおきな運命を左右する時間になる気がしていますが、結果がどうであっても、正々堂々とこの世の中を闊歩できるようにしたいものです。自身の宿命を信じて、ものごとに対峙をして行こうと思うし、心を信じて、人にも世にも優しくして、自らを律することを強く念じたいし、剛毅な人生を目指していかねばならない役目があるのですから。少々格好良すぎる啖呵をきったのかも知れませんが、身を案じ身を護る自己責任を果たすためには、許される範囲の発揚とことの融通を図ってみるのでした。誠心誠意を尽くしてきた結果が楽しみな今夜ですが、夜明けとともに届けられる朗報を、正夢としてじっくりと味わいたいものです。
2008.03.24
コメント(0)
極端なドル安円高の気配が突発的に強くなって、不透明な国際政治とリンクした経済情勢のなかで、経済評論家のコメントが伝える、先行き不透明な日本経済の心配事が、すぐには結びつかない、複雑怪奇な思いをさせられました。昨日群馬県高崎に向かった際に、新幹線の発車時間が余裕あることに気付き、その合間に、かねてから縁があった駅中デパートが、まったく新しいビルに移転してからは、なかなか尋ねることができなくて、漸く意を決して初めて足を踏み入れ、ちょっぴり店内を覗き観ることができました。東京駅の混雑ぶりと駅中デパートの買物客の物凄い勢いに、土曜日と重なった為なのか、お昼時なのか、物凄い人ごみでしたが、中国からの団体観光客が列を作って、大勢移動をしている様子と出会いました。新規開店してから半年が経っているのですが、裏に当たるJR口から入って、玄関からでるただの通り抜けだけでしたが、煌びやかな店内と気品ある店員と商品が、グレードアップの価値を誇るように輝いているように受け取れました。高崎からの帰宅後に観たテレビの経済番組では、六本木周辺から東京駅丸の内及び八重洲再開発事業と、赤坂周辺の開発事業が整って、人の流れが立体的に波及する効果が生まれていると言う、タイムリーなコメントを聞くことができました。テレビや新聞を通した報道と、自分の身体で実際に体験できた感覚が一緒になって、より具体的に判断することができたり、自己分析の判断材料が手に出来たわけなのです。昨日初めて訪問した高崎の街の落ち着きと、都心の喧騒は比べ物にする尺度と価値観が違うのですが、人が人らしく生きる環境を望むならば、自然環境が豊かな環境を先先に臨んでしまいます。都会の人が行きかう雑踏の中で感じる活気も、時には良き刺激になり、元気を貰うことができますが、静寂感と自然に恵まれた空間環境は、何よりも精神的な安らぎを味わうことが出来るのですから。住めば都とは良く言ったもので、どこに行っても立ち並ぶ住まいの数々を観て、なぜにここに住まわれる人たちは、この場所に住まいを求めたのかという、素朴な疑問を抱くことを不思議になりました。それぞれの皆さんがそれぞれご縁があって、その土地土地に居を構えて、安住の地とする経緯は、尋ねる街ごとに沢山のお家が立ち並んでいる現状からみれば、摩訶不思議で素朴な疑問を抱いてしまうのです。お宅によって違うお家のルーツは、地方も都心も関係なく、代々の人が生きる術の中で、係わりの深い土地となってきたのでしょう。居住する街への奉仕活動をはじめ、住む方々とのコミュニケーションを、一層深める時代要請があって、自らの積極的な関与と意思の発揚を心掛けて、住む都を誇れるようにして、工夫をしたいものです。
2008.03.23
コメント(0)
偶然の出会いからは思いがけない展開をみせてくれるもので、その時々にハプニングの喜怒を味合うことができます。今日は初めて群馬県高崎市を訪問する機会があって、お昼前に東京から長野新幹線を利用して、一路高崎に向かったのですが、初めて足を踏み入れた街並みは、清潔に整然とした街作りがされていました。駅前にありがちな雑踏がなくて、人も車も大らかに動いて見え、情緒と落ち着きが感じられ、とっても大人の感覚を持った雰囲気が感じ取れました。会合があるホテルまでは、気持ち良く街の動きに合わせてゆっくりと歩を進めて、好天のなか目に入る風景を楽しみながらの散歩ができました。道路沿いに建っている商店もシックリと落着いて、忙しない雰囲気や気忙しい動きが無いことから、街の祭りを準備していた光景を観ても、一種無音の感覚を覚えてしまったのです。広い公園も多く在るためか、空間の多い近代的な建物も天空に伸びている高層ビルも、のびのびと余裕をもって観ることができ、すべての調和が程よく行き届いているのでした。会合の中で主催者から聞くことができた、上州名物である、カカア殿下と空っ風の本来の意味合いが、随分歪曲されているが、本来の意味は厳しい寒さの中でも一生懸命に尽くしてくれる女性であることの、尊敬と激励の比喩であるとの説明を受けました。東京から僅か1時間弱で到着できるほど、非常に便利な交通網のお蔭で、日帰りの会合が可能となって、ゆっくりと旅の情緒を味わうことができませんでしたが、夕刻に行われた懇親会場では、その人情深い県民性を遺憾なく発揮されて、我々他県組みを心を込めて大いに持て成してくれたのです。十二分な心配りを受けることができ、すっかり心を許し合える歓談の輪が、いくつものグループとなって賑やかに交流がされて、時間を忘れて友愛を深めることができました。その中でも偶然にも会合でご一緒できた、仲間達の共通する友人が何人も同席していることが分かって、思いがけない感動を受け取ることとなりました。人から人への紹介バトンが広がって、ゆっくりと食事もできない名刺交換となりましたが、普段いろいろな場でもって見聞きしている方が、知り合いを通して紹介を得ることは、言葉にはできない新鮮な喜びを受け取れるのです。結果的には思いがけない多くの友人ができたことが嬉しくて、帰路の新幹線車中では、頂いた名刺を一枚一枚確認しながら、出会い時の光景を思い出すことができました。何人もの方から、また近いうちにお会いしましょうと言われて、儀礼でない心からの伝達を真にうけることが、誇らしくも自負できた喜び多い一日となりました。
2008.03.22
コメント(2)
普段便利に使っているものほど特段な有り難味を持たなくて、空気があたり前にあるように活用できているのですが、一旦故障をしたりトラぶってしまうと、その便利さがとんでもなく実感されるものがあります。何軒かの受発信を極普通に携帯電話で利用していたのですが、突然に受話の声がまったく聞こえなくなってしまい、どんな作業をしても、分る範囲の操作を繰り返しても、無音のままの症状は変りませんでした。一時も携帯電話が使えない状況では、いまの社会情勢では、まったく役に立たない孤島の生活同様で、週末を前にして重要案件も控えていましたから、電話故障の思案をしていたのですが、やはり埒が明かなくなって、とうとう携帯電話の会社を訪ねることになりました。店頭ではしばしの間、メカニックの方が調整を試みてくれたのですが、結果的には電話機の交換を勧められて、その場で素直に応答することになり、即その手続きを御願いすることにしました。機器交換をしてくれて、電話機の機能は完璧に復活できるのですが、電話に記録されている様々なデータがあって、この移し変え作業が結構大変な作業となりました。この機会にSDメモリーカードを購入して、すべてのデータをバックアップできるようにして、少しでもリスクを軽減する試みをしたのです。電話機が供えているスキルのうち、僅かな活用率になりますが、心がけと努力と工夫次第では便利以上の価値観が発生して、高いスキルの共有ができる環境となるのです。固定電話通しから携帯電話通しは便利さがアップできただけですが、メールとかの情報発信がパソコンと同じようにできる能力を活かす技量は、これからのレベルでは当然の活用となります。便利な道具に溺れることなく、確りとスキルアップを図って、できるだけその能力を発揮させるべく、レベルアップはこのIT時代を生き抜く者の責任でもあるのです。時代の流行だけで手にするIT器機も、使いこなして価値があるのですから、先ずは興味を沢山発揮させてから、先端技術のIT器機と仲良くすることにして、もっと大切な心構えとなってます。携帯電話もパソコンも、その利用説明書の何分の一を使っている現状に、できるだけ早くステップアップをするためにも、手引書の読破も必然なことに、漸く気が付いたところです。
2008.03.21
コメント(0)
今日お彼岸の中日は寒の戻りが物凄く、低気圧が突風となって雨を吹き付けて、昨日までのうら暖かな陽気から一転した、荒天の一日となってしまいました。朝からお彼岸参りの親類達がみえてくれ、先祖への供養をしてくれたのですが、皆さんの接待をしているうちにお昼時間になってしまい、親類を訪問してのお線香参りが遅れてしまい、昼食をそこそこにして、春分の日の街中に出かけてきました。祭日でしたが街中は車が多く走り、近くにある大型墓苑に行き交う車が渋滞をしているなか、親類関係のお宅への近道を選んでの走行でした。垣間見る街中の和菓子屋さんには、結構なお客さんが出入りしていて、おはぎを買い求めている様子からは、お彼岸の中日らしい光景が見て取ることができました。同じ市内にある従兄弟の家は久し振りの訪問でしたが、奥さんが若々しさと余裕を感じ取ることができ、懇談の中から知ったことですが、余暇の時間をどのように暮らそうかと、真面目に考えているとのことでした。年下の従兄弟とは、2歳の年齢差があるのですが、彼の次女が生まれながらの障害児でして、彼女の生涯すべてが、人様の世話にならなければ成らない状況の身体でした。誕生から僅か33年間で儚い命が終焉して、突然に昨年の秋に天国に召されたのですが、この一生はいつでも何処でも、母娘共々一緒の共同生活があったのです。33年間の母娘一心同体の生き様からは、すべてが同行二人が当たり前として、生活の時間経過がされてきたようです。どこに行くのも、何をするのも二人は常に一緒でしたから、急遽死別してからは、悲しい寂しさに浸ることよりは、母親一人として積極的な行動が取れない、誠に悲しい習性になっていたのだそうです。つい半年前の寂しさからは、完全に立ち直ることができていないのですが、ご本人は何とか自立できる環境を手に入れたいようで、その方策を求めて、試行錯誤の日々を繰り返している様子が理解できました。雑談の中での相談を受けても、これと言った名案も直ぐには浮かばなく、出る言葉は33年間の看護の慰労を労って、暫くはゆっくりと自分の時間を楽しんでくださいと、直言してあげたのです。両親や親類からの愛情を一身に受けながら、不自由な身体でもって、精一杯に生きてきた彼女の33年間であり、余りにも儚く感じてしまうのですが、両親や家族や親類の人々の心温かな眼差しに護られた生涯は、とっても幸せ一杯の一生でもあったと思うのです。半年経った今では、母親は毎日の重労働から開放されて、笑顔と余裕がでて顔つきもふっくらと若さを取り戻すこともできたのですが、一挙に精神的な自立ができるまでは、暫く時間が必用な状況です。時間を持て余すほどの身を、他人は羨ましく思っても、33年間の生活習慣から脱却する術とは、毎日の過ぎ去る時間しかないようです。娘との思い出を護りながら、健康な意識の変容をさせてあげたいものと、親類の身内としての応援を約束してあげました。
2008.03.20
コメント(0)
昨晩にあった会議で提出された資料を、会議室の自分の机の上に置いてきた様子で、今朝になって資料の整理をしようと、カバンの中を開けてみてもありませんでした。この会議に出掛ける前には、カバンを入れ替えて書類を確認したら、前回までの資料が全く見つからなくて、事務所の中を右往左往して探し回って、結局JR駅までの時間がなくなってしまい、急遽車で出掛けることとなりました。何時もの悪い癖が出てしまい、事務所の机の上とか、書類棚が書類の山となってしまい、あれこれ仕事の分別がつかないほどになって、参考本とか書類が散らかったままの状態は、まったくもって効率が悪く、困っているところです。どうしようもない性格で、過去にも何度となく同じことを経験していて、そのつど人様にも迷惑をお掛けする事態になったり、様々な破廉恥行為を恥ずかしく身に感じています。普段から空き時間があるときには、多少は心得をして、事務所の整理をすれば済むことですし、何よりも会議が終わったたびに、その時々きちっと、整理をすれば済むことなのですから。昨晩の会議中は自分のアイディアを述べさせて貰って、出席された方々からも大きな賛同を得られたりして、なかなか意義のある結論を果たすことができましたが、肝心な手元の資料をカバンに入れ忘れては、全く持って面目がたちませんでした。これまでに準備をされた担当者に申し訳なく、労苦に対して失礼極まりない無礼をしてしまい、心底恐縮しているところです。人様が観る目とは、誤魔化しをすることができませんから、こうした集中力に欠けた無礼で見っとも無い行為は、それなりの軽蔑をもって評価されていることでしょう。自分の悪癖から、人様に迷惑と悪気を起こしている、強い責任を感じていますし、年甲斐も無く、何とか改心を念じているのですが、悪癖の剛毅は身に染みていて、なかなか清心できそうもありません。余裕をもって約束時間の会合出席すること、忘れ物をしないこと、前もっての準備をすること、等々の改善を目標にして、初老の意識改革を心がけていきたいと思っています。こんな体たらくでは、人様への忠告も進んで言えませんし、ひたすら自己改革を心にして、謙虚に落ち度を少なくしていくことを心がけていきます。
2008.03.19
コメント(2)
早春の爽やかな風が心地良く感じる季節に、心許せる仲間との語らいほど気持ち穏やかな一時はありません。23階の会合する部屋からは、薄霞のはった界隈が見渡せるのですが、陽春が差し込んでぽかぽか陽気に、語りあう友との胸襟が、時間とともに開いていくことが感じ取れました。年齢は少しだけ下の方ですが、長いお付き合いの中で話しをすることがなかなか機会が無くて、顔だけをあわせる交流が続いていたのですが、たまたま座った隣の席に座り合わせたのです。食事の再に先方から話しかけられて、雑談に応じていましたら、時間とともにいろいろと気配りをしてくれて、積極的な相談を持ちかけられてしまいました。素直に言わせて頂ければ、まったく思いがけない言動を聞かされてしまい、意外なことだけにとっても嬉しくて、春の陽気そのままに気分良く食事を済ますことができました。堅苦しいことばかりを話すことが高尚でないこと位は理解しているのですが、何時もいつも会うたびに余興の遊びを種にしては大人気ないし、競った掛け金とか夜のネオン街の噂話では、いくらなんでも度合いが過ぎれば、好い加減に飽きがくるのです。その場の環境を判断することなく、自分たちの勝手な判断で、我が物顔で破廉恥な行為をしていては、決して大人のすることではありません。とかく聞きようでは、下品にしか受けることができない、馬鹿声と内容には、ただ呆れてしまうのですが、お利口であればその辺の空気は読めるはずなのですが、とても残念なことです。ほんの限られた方が大切な場の空気を荒らしているのですが、こうした懸念は、周りにいる誰しもが同じように感じ取っていて、機会があれば直言をしようと悩んでいたようでした。その内のお一人が今日の隣席にご一緒された方でして、偶然にも出会った機会を捉えて、前向きなご意見を伝えてくれたのでした。たまたまですが、会場を去るときに出会った会場責任者の方が、4月の転勤に際して御別れのご挨拶がされて、その立ち話でも、第三者の立場で観察されたご意見を述べられてくれました。こうした話題は内部よりも、外部の方が良く見極めているもので、まったく同じ評価で心配をされていることが改めて理解することができました。立場立場で慣れてしまうと、とんだ誤解や迷惑を掛けることになる、悪例の典型を教えてもらうことができて、心新たな気構えをすることができました。生まれ持ったその人の役割があるとすれば、時には強い意見を主張して、伝える真意を伝えていかなければならないのでしょう。そんな生き甲斐と喜びを積極的に身につけながら、与えられたあり難い役割を熟成させていきたいと念じているところです。
2008.03.18
コメント(0)
暑さ寒さも彼岸までと言われる諺どおりに、ここ最近の気温はすっかり春本番となって、コートは全く要らない陽気になっていますし、すっかりと心地よい生活が出来ています。その春のお彼岸が今日から始まって、起床後には、我が家の代々6代と親族の霊を祭るお仏壇の掃除をして、灯明とお線香を手向けることができました。先祖夫妻の位牌はあるのですが、俗名と生年月日が不明で、二代目にあたる仏さんも全く同じです。三代目からは俗名が分るのですが生年月日が分らなく、役所の戸籍謄本がこの代から判明出来ますが、先祖からの写真が無いことが残念なことです。もう何年も前の40歳代の時ですが、急に先祖の系図が知りたくなって、生まれ育った町にある菩提寺に尋ねてみたのですが、戦時中にお寺が類焼してしまい、全ての過去帳が消失して、代々の資料が分からないと言われてしまいました。そのことが切っ掛けとなって、市役所に行って原戸籍を探してもらい、調べた結果が何とか3代目まで、調べ上げることができましたが、先祖と2代目については位牌とお墓にあります、墓誌だけが頼りの資料集めとなりました。まったくの自己流で、自分なりの系図を系統立てて書き込んでみたのですが、その当事の当主が結婚をすると、その傍系まで書き込む必要が生じて、代を重ねるほどに子供の傍系が複雑な系図の線になって増えてしまい、まるで綾取りか阿弥陀くじかのごとく、複雑な線描きになってしまったのです。何回も失敗を繰り返しながら、当時の生き甲斐にとして毎日机にかじりつき、結構楽しみながら家系図を書き込んでいた記憶があります。今日のお彼岸を機縁に開いてきたのですが、約30年後の今となっては、手作りの家系図が古風な味わいがでてきて、こうして平凡にも毎日が過ごすことが出来ているのも、全てに先祖のお陰が大きいと、改めて影響の重さを身に感じています。この世の中に一生を送り、我が家の歴史を積み重ねてきた歴代の先祖達に、心行くまで安らかな眠りで過ごしてもらい、これから歴代を重ねていくであろう生き仏共々、家運安泰を強く祈願しているところです。更には月末に結論が出される取引結果に、最善な結果を期待をして、心機一転、七代目の役割を恙無く果たしていこうと思います。そのためにも、一生懸命に誠心誠意を尽くして、常に謙虚な志をしていこうと思います。
2008.03.17
コメント(0)
もっともっと温暖の地なのかと思っていた徳島空港に降り立ったら、以外にも浜風が肌寒く感じたのですが、素敵な笑顔で迎えてくれた、Nさん御夫妻の心温まる歓迎に、心からのありがたさを感じることができたのです。初めての徳島でしたが、整然と整備された街並みと道路の行き届いた様に驚き、Nさんの運転する車に身を任せて、一路地区大会会場に向けて快調に走ることができました。どこからもふと見上げることができる眉山を、物珍しく眺めながら、初めて訪れた徳島を興味津々と楽しむことができ、好天にも恵まれて、車中でのNさんご夫妻との会話が弾み、気分もすっかり落着いてくるのがわかりました。昼食時間ともあって、Nさんが気配りをして作ってくれたおにぎりを、車中で美味しく頂きながらのドライブは、すっかり遠足気分で、渋滞気配も裏道を適度に活用してくれた配慮があって、会議の時間に余裕をもって到着することができました。四国全県と全国からのお客さんを含めて、約2000名の大会が厳粛の中にも華々しく行われ、女性声楽家が歌うアカペラ国家とロータリーソングが、ことのほか心の中に染み渡り、精神的に高揚してくるのが分りました。台湾からの会長代理をお迎えして、様々な嗜好で歓迎挨拶がされて、会場に集った会員の感動の拍手が大きく木魂してくれました。知人のEさんが活躍された功績に対して、素晴らしい表彰の数々をお受けになるお姿は、実に爽やかに華々しく見て取ることができ、大きな拍手をして誇りとすることができました。Nさんも所属する委員会の活動報告を、立派な展示方で発表されて、バングラデッシュでの奉仕活動がリアルに伝道されてきました。一足早く訪徳していたお仲間のYさん共々、本会議場や展示パネルコーナーを楽しみ事ができましたし、EさんNさんYさんとの交流が愉快にできたことが嬉しく、大変に有意義な時間を過ごすことができました。夜に行われた歓迎晩餐会では、徳島名物の浄瑠璃人形劇や阿波踊りが賑々しく披露されて、参加者全員と心を一つに共鳴できたことも嬉しく、いろいろな方々と大きな友愛を広められたことも、財産の積み増しになってくれました。全国に公平な立場でいてくれるロータリアンですが、新しいメンバーとお会いできることが、更なる自分の意識向上に結びつき、宝庫の再確認ができて素直に喜びあえた二日間でした。ご一緒した地元のガバナー夫妻も、こうした遠距離間での交流ができていることに感激してくれ、所属するロータリーの素敵な理念を、もっと広める自信とすることに結びつきました。
2008.03.16
コメント(2)
昨晩は春雷の威力をまざまざと見せ付けられて、雷鳴が鳴り響く深夜に、ベートーベンのシンフォニー6番の田園を思いだしていました。ついさっきテレビのニュースで観た、スペースシャトルの船外活動を思い、遥か400キロ離れた宇宙では、雷様はどのように観て取れるのでしょうか、とっても興味があって、自ら宇宙で浮いた心算になって夢をみています。土砂降りの雨が如何したら降ってくるのか、理屈では分っていても、これほどのエネルギーの源泉がまったく不思議に思えます。雨の威力は時として集中豪雨のような大きな被害をもたらすのですが、それ以上に人間にとっても生き物すべてに、天恵の水を配分してくれる、大きな役割があると思います。最近になって俄かに報道されだした、仮想水なる言葉も、一つの物を作るに当たって、どれ程の水が使われているかを、改めて評価しているところです。鉄を見ても一見水との係わりはありませんが、製鉄所では予想以上の水を使って冷却して製鉄していますし、農作物のすべてが水分を育成の要として、土中で成長しているわけです。その過程で使用された水のことが、仮想水となるわけで、身の回りでは、如何に多くの水が必要とされているのか、知れば知るほど驚愕の暈になります。とかく雨模様を憂うつとして思うのですが、積極的に雨の恩恵を感謝する心を、本気で養うことをしなければ、環境破壊からくる弊害はこれから迎える時代は、水の心配が大きくクローズアップされてきます。人ごととして問題視していない風潮がありましたが、いずれ食糧問題と水の保全問題が、生きている人類としての、大きな責任解決を果たす時が確実にやってくることです。意外なほど極当たり前に当然のこととして、水の恩恵を受けている自分自身が、まずは意識改革してみて、水の成立ちと現実を評価するべきことだと思います。自然任せにしていたことが、とんでもなく危機的な状況になっていることを、知って反応できる思考を、もっと有意義に活用させていければと良いのですが。せめては、集中豪雨でも台風でも、雨を降らしてくれる環境をありがたく評価してみたいものです。
2008.03.15
コメント(0)
毎日当たり前の生活に慣れ親しんでしまっていると、そのありがたみが薄れてしまって、あまり感激も感動もなく、無関心に過ごしているように思います。急な病になった時には、健康のありがたみがことのほか実感させられますし、資金的な窮状に陥った時には、改めてお金のありがたみが理解できますし、家庭内や身内関係での難儀なことに悩まされると、やっぱり平凡で平和な生活が、この上ない幸福なことだと感じてしまいます。人によって価値観とか生き様が違いますので、一言では評価をすることが出来ませんが、概して言えることは、誰しもが健康で平凡な生活を、望んでいる様子が伝わってくるのです。地球上で生きている人種の国籍は関係なく、人がもつ家族愛は、何よりも宝物で大切にしていかなければならないことです。どこの国でも、国情が豊かになればなるほど、子供に対して過度の期待を背負わせて、実力以上の架空の虚像を創り上げてしまい、子供に負担をかける結末が聞かされます。今日は友人からの伝え聞いたことなのですが、都会生活に疲れた若者とか、学校への登校拒否をする子供とかを、長野県の山村にある民間の授産施設で受け入れて、すべてが家族として一つ屋根の下、共同生活をされている所があるそうです。それぞれが各種の問題を引きずっているのですが、助け合い、労わり合って、お互いが思い遣りの心を自然に発揮して、とても素敵な空間を構成させているそうです。そこには、みんなを信頼して一人一人が誇りをもって、堂々と生き返った輝きをもち、澄んだ瞳が印象的に観ることができるそうで、純粋な心遣いが新鮮に感受できると言っていました。自然に恵まれた環境で、住む人々が純心になれて、一つのことに一致協力した共同生活は、当たり前の家族愛なのです。いまは、この当たり前の愛情が過小してしまい、いろいろな問題が浮上してしまい、家族で支えることも、労わることもできない、非常に厳しく悲しい時代になっているように思います。人から聞かされるまでも無く、自分自身も家族にも友人にも、できるだけ愛情の交流をもって、労わりあい助け合える心の養いと、意識の高揚を確実にして生きたいものです。誰でもが親や家族のもとを離れて実感する、家族愛の本当の温かさを、もっと自然な形で極当たり前に、享受できる時代にさせるための、一助ができる願いは大きくなるばかりです。
2008.03.14
コメント(0)
治療の椅子に寝かされて、目の前に大きなマスクをした女医さんが、目を丸く見開いてこちらの顔の口の中を覗きながら、器用に奥歯の治療をしてくれているのですが、時々目があってしまい、天井を見つめる目線を瞬きでごまかしたりしてきました。去年の10月からですから、おおよそ半年間歯医者さんに通うようになって、漸く最終的な治療が終わる気配なのですが、毎月一回ずつの、歯茎のブラッシングと治療の効果が上がってきて、年齢以上の健康歯を、目を輝かせて褒めてもらえるようになりました。お医者さんは毎回治療のための作業動作として、顔を近づけてきたり覗き込んでくれるのですが、此方が目を確りと見開いている為に、作業をする角度とかで、どうしても目線があってしまい、瞬間ですがお互いが戸惑った反応をしています。歯を治療するためには、どうしても口を開けることが最低の条件となりますし、覗く行為も覗かれる身も極自然な行為でいれるのいですが、全ては治療の関連した対応を理解しても、なぜか身構えている自分を可笑しく意識して、心の純真さのほどを耳を赤くさせているのでした。眼力と言う言葉があるように、目の勢いと威力は心理的に重くあるのですが、目には言語以上の表現と威力があって、お互いの対話には必ず視線を感じてしまい、言葉を発する以上の意味合いを想像しています。歯医者さんの目線からも、治療をする技術者の目とは別の、生き物の人間としての心中を感じ取って、瞬間に思い遣ってしまえる心理状態を、天上を向いて寝ながら思う自分が可笑しく思い、目線を意識的に外してしまうのです。歳が若かったら男と女の情愛が起きてくるのでしょうが、お互いが枯れた人生をまっしぐらなのですから、野暮な下司の勘ぐりとは縁がありませんが、目線を外すことの不埒さを表明しているようです。ふと思ったのでしたが、目だけの表現で語り合えることが、ひょっとすると可能なのではと、大きなマスクで顔を隠したお医者さんに、目で語りかけてみましたが、眼力がないのか怪訝な顔をされてしまいました。目だけが表に見える大きなマスクのお蔭で、いまだ歯科女医さんの素顔を見たことがなく、いつも目を見つめているのですが、治療が間もなく終わる症状の安心感からか、何時になく目尻に沢山の皺をつくって応対くれました。歯工士の方やお手伝いの方も、皆さんが同じような大きなマスクスタイルで、同じユニホームを着ていては、観るものすべてが目だけしか無くて、今も頭のなかに浮かぶのは、マスクの上に動く二つの目なのです。世の中も人様もじっくりと観ることができ、判断できる眼力を身につけて、磨いていこうと願っているところです。
2008.03.13
コメント(0)
知ることに喜びを感じて感動を味わえると言うことは、精神年齢が若いと言うことでしょうか、この齢になっても、老体を忘れて知らないことを知る喜びを、もっと沢山味わって生きたいものだと、まさしくがめつい念じをしているところです。そのためにも幅広く興味を持つことが大事なことと認識して、できるだけご縁が薄い人とか関係する先々に、心がけて接するようにしています。仕事や趣味とかはなかなか時間の関係で、思うようには捗らないことがありますが、人様との交流は、できるだけ積極的に、お会いできるように気配りをしています。子供のころは、信じられないくらいに臆病の小心者でして、内弁慶の典型の子供時代がありましたから、随分と人見知りが激しくて、子供なりの悩みが重くあって、それなりの苦労は味わってきました。成長と共に随分悪気な経験を過ごしてきた中で、精神的にも図太く図々しい交流をすることができていますが、体験の中から築き上げてきた自我の構築が大きくあったと思います。ある程度血縁として身体に流れている、DNDが影響しているようで、先祖にあたる方のいろいろな血を引きついている中に、興味津々で様々なことに顔を出すことが好きな先代がいたようで、あちらこちらと気ばかりが多い、小心な人間に育ってきました。子供の頃が嘘のように、今では人見知りも無く図太く図々しい態度で、いろいろな会合に顔をだして、人様から学びごとをさせて頂いているのですが、あくまでも聞き耳を立てて、語る言葉を少ないように心掛けているところです。多くの老若男女から学ぶことはたくさんあるのですが、残念なことに知識の積み重ねがないことが、誠に情けなく感じるこのごろなのです。折角知り合えて素敵な交流が出来るにもかかわらず、一方的な聞き役ではコミュニケーションが取れるわけが無く、情報の交流が広がるためにも、知識の引き出しの数が沢山あることを願うのです。情報を伝達する能力は、自分の頭で考えたものを言葉で伝えることと、文章で伝えることがありますが、どちらかと言えば書き物が身に適しているように思います。会合等の人前で話しをする機会が多いのですが、話し終えて満足感が得られることは少なく、何時も反省をするばかりなのですが、書き物であれば何回でも納得するまで、修正ができることが救いになっています。できるだけ多くの出会いを得る中で、ご縁を一層深めて、人様や経験から得られた知識を、なるべく感動をもって受け入れることに、心掛けと我欲を持ち続けたいものです。ことごとく新鮮に感じ取れる感性を、積極的に身につけることが、若さを維持させるとすれば、まだまだ夢中に学べる未熟さを誇れるのです。
2008.03.12
コメント(0)
本格的な春を迎えて、陽気も心地よく感じるようになると、どこかに眠っていた思いや情熱が目を覚ましてくれ、あれも遣らなければ、これも遣らなければと、頭の中が超忙しく回転をしだしてきました。春眠暁を覚えずの諺どおり、ぐっすり睡眠も取れるようになって、肉体も健康的な運動を欲してきているようで、適度なスポーツや庭仕事を気持ちよくできそうです。精神的にも凄く充実した季節環境があり、事務所で仕事に追われていると、屋外で遊びに夢中の子供達の大きな声を、元気よく聞くことができて、爽やかに心地良く聞き取ることができます。庭のあちこちには、野草が勢いよく緑を敷き詰めてきましたし、球根類の発芽が目ざましく成長している姿からは、春本番からいろいろな形で元気を貰えることができます。自然のサイクルの中で、季節の節々を溌剌と生活することが出来、季節の息吹を感じることができている、今生きている自分の生活環境に対して、とってもあり難い感謝を感じています。朝、春眠の目覚めをした時に、一日の始まりを元気な身体で迎えられたことを、ついつい忘れがちになりますが、これとて無意識になって、生きて起床できる喜びを感じ取らねば、もったいないほどの感動があります。とかく惰性的になりがちな毎日の生活ですが、毎朝の神仏への手向けを心がけて実践したり、時々けじめの仕来りを粛々と護る立場に、もっと大きな自認と誇りを感じとる気構えも必要かもしれません。何気なく平凡ながらも、自分と家族が生きていれる場に対して、改めての価値を見出して、じっくりと評価をしなければいけません。日々世の中に対しての、漠然とした甘えを享受するだけで、積極的に報いを発揮させることなく、惰性を繰り返しては、何と勿体無い人生になるかを心配したいものです。時間が流れさるままに過ぎ去る中、自己満足するだけの他愛ない生き方は、この世の中を蔭で支えてくれている方々に申し訳なく、あまり努力もしない中で満足に生きれる仕組みに、改めての感謝をしながら、生きている証を自らの心意気で示してみたいものです。世の中から御蔭を受けていると言う謙虚な意識と、お蔭で授かっている御利益に報いるべく、世に尽くす素直さを身に着けたいものです。この世の春を満喫するためにも、生きている場の重みと、生きている証を残すための、新たな心構えをしているところです。春爛漫を自身だけの喜びとするのでなく、一人でも多くの方との共益に、喜びの声が木霊する役割を果たしてみたいものです。
2008.03.11
コメント(0)
気があった同じ価値観をもつ方との語り合いは、時間を忘れて楽しいものがありますし、お互いの意識を高めることとなって、思わぬ気付きやアイディアが湧いてくることがあります。週初めの多忙な中でしたが、いつも何かと相談できる方にお聞きすることがあって、突然の電話をしてみたのですが、目的の本題が済んでからの様々な話題が新鮮で、長い時間を語り合ってしまいました。今日の話題になったのは、一つのことを専念して一生懸命に励むことは好いのだけれど、関係する人が特化すればするほど、反対に退いてしまう方がいることを知るべきであると、そんな話題を延々と話していたのです。確かに天井天下唯我独尊ではありませんが、仕事に限らず物事が順調に運ぶことができると、殆どの方が誇らしげに自慢に思ってしまう錯覚があって、上手く行っている起因になっている自分に対して、もっと良い評価して欲しい要望を、他人に求めてしまうことがあります。時々仲間内でもあることですが、あの人が世間で認められていることは、実は自分が陰で支えているからであって、その評価は全くしてくれないことに不満があると、大袈裟に述懐する方がいるものです。たまたま長い間継続されている事業があるのですが、責任者が定期的に交代をして、順調に捗っていたと思われる事業内容が、時たま当年度の責任者の個性が豊かなために、個人プレーとして表現されてしまい、折角の団体事業が埋没されてしまうことがありました。一人の我侭な方のお陰で、他の大勢の方が気分を害してしまい、折角のチームワークに亀裂が生じて、組織の存在が危ぶまれてしまいます。逆の立場もあるのですが、いつも陰になって力強い支えをする方がいて、決して奢ることなく謙虚に場を弁える心配りに接すると、心からの尊敬をしてしまいます。きちっと遣るべきことを実践実行して、人の一歩前には決して出しゃばらない方は、いつも無口で控えめで優しいのです。もっと堂々と振舞ってみたらと思うのですが、この方の生き様なのでしょうか、不満もなく淡々と働きをするだけで、実に空気のようなありがたさを味わうことがあります。人の生き方を雑談の中から教授してくれる電話の主とは、人様への中傷や非難をするのでなく、全てが自分自身への警鐘として、人様の生き方を参考に伝達してもらっています。時々の会話から、人の道を正しい方向に軌道修正させて貰い、他人事としない学びの軸足を確立させているのですが、まだまだ反省が多く人として未熟な思考があるのでした。
2008.03.10
コメント(0)
今の時代では極当たり前のように画面を観て、映像やデータを仕事やプライベートに活用させていますが、それこそ子供のころと言えば、どこのお宅も小さな映像画面のテレビが高級家具のように、カバーがされて飾られていました。その前の時代では小さな町の富裕層のお宅に、宝物のように鎮座したアメリカ製のテレビがあって、両親付添して申し訳なさそうに覗かせてもらい、ただ興味津々に一緒に付き添っていました。その頃見せてもらった番組も、相撲とプロレスが記憶にあるだけで、その迫力に一喜一憂してしまい、伺ったお宅の居間は中継現場の興奮がそのままに、大きな歓声をあげて楽しんでいました。今思うことですが、テレビ時代初期の当時でも、競技会場から生中継できる技術能力があったと言うことが驚きですし、小さな箱の中のガラスに映る動画が誠に不思議でもありました。我が家にも漸くテレビが買えるころでも、ご近所とのお付き合い具合とか兼ね合いがあって、ご近所に気配りをしてか、大きなアンテナを夜になってから、隠すように庭の隅に立てていた父親の姿が思い出されます。白黒のテレビが2台目になったころから、漸くカラーの放送が時間限定で始まったのですが、よく学校とか公民館とかにテレビ放映車がやってきて、後楽園からの巨人戦の野球を、感動をして観にいったものでした。そんなテレビも携帯電話を始め何処でも自由に観ることができて、今や壁掛けとかの超薄型で大画面が主流なので、放送される番組内容も多チャンネル化して、番組選択する作業が一苦労するほどバラエティーに富んでいます。我が家もケーブルテレビと契約して、数え切れないジャンルの番組を選ぶことができていているのですが、パソコンからも見れるYouTubeのように様々な動画を通して、心の中に感動を覚える為に、大いに利用をして生きたいものです。時に重く悩む事案や、時に試合にのめりこむ興奮を味わって、時に喜びを共有させてもらい、画面を通した健全な精神高揚を図れる、積極的な心構えをしたく思います。時間を忘れてじっくりと番組にのめりこめる感激ある番組を、今では自由に探せる環境がありがたく、是非是非娯楽だけでない学び取りにも活用させて、老い更ける世代に活力とさせる工夫を念じています。移動する先々にどこででも簡単に携帯でき、画面を眺めれる環境がありますので、ジャンルを超えた楽しみも、若さを保つ秘訣になるのではないでしょうか。漸く気分的にも余裕が取れる環境を構築させることができ、そろそろ家人と自分の喜びとを味わえる余裕を、画面の中からも身に付けて応用させたいものです。
2008.03.09
コメント(0)
草花や庭木の小枝に小さな萌が芽生えてきて、早春も百花繚乱と新緑がおりなす春本番が間近になってきたようです。底冷えも無く穏やかな気候が心地良く感じて、時々肌に感じる寒気もさほど身体にきつくは感じなくなりました。何よりも太陽の輝きが増してきて、朗い陽射しはなかなか嬉しいもので、安心感と安堵感が満喫できています。昨晩あった会合で、所属するロータリー・クラブの初代会長が亡くなってから3年目を迎えるに当たって、関係する縁戚関係クラブとの、今後の奉仕活動を相談させていただいたのですが、参加された皆さんと素晴らしい協議ができました。それぞれが6クラブを代表して参加されて、それぞれのクラブ事情を抱えながらも、提案した主旨を積極的に取り入れてくれて、おおきな理解と協力を頂くことができました。同じ環境に過ごしていても価値観は様々ですから、一方的に理解が得られると勝手な思いをしたところで、クラブ内部の事情があることは、十分に承知をしていた心算でしたが、内情を吐露して貰うと改めて感じ取る複雑な情報に、我々のクラブ一同が唖然と顔を見合わせてしまうことがありました。ロータリー暦が長い方ほど、こうした相互交流の意義の大きさを評価してくれて、普段の交流ではとても聞くことのできない、建設的な素晴らしいスピーチを聞かせてくれたのでした。故人となった初代の方が、こうした企画に集ってくれて、初代の遺徳を評価してくれ、なおかつ将来に向けての遺業を継承させるための、真剣な討議を見聞きしたら、どんな声がけをしてくれることかと、ひとり心の中で問い語りをしていました。故人もお酒が大好きでしたから、食事の時間に頂いたお酒が心地良い気分にさせて、皆さん立場が違うクラブの責任者の方々も、提唱する側の親元クラブの歴代責任者に、敬意と尊敬を表してくれて、クラブ活動の本来のあり方を、少しでも学んでくれたようです。提唱した立場でも、決して押し付けることなく、一つ一つ丁寧な説明と、時には親元としての威厳を発揮させて、伝統の重みを感じ取って貰うことができました。とかく自流になりがちなクラブ運営ですが、こうした真剣な討議の場で、学ぶことができる歴代方の存在を、もっともっと積極的になって、身につけてもらえたらと願うのでした。我々も恵まれたクラブ環境に甘えることなく、一致団結して関係するクラブの協力方ができることに、誠意を一生懸命に発揮させる役割があると受け止めています。
2008.03.08
コメント(0)
ご自身の人生を賭けたといっても過言でないと思われる情熱をもって、純粋に取り組んでこられた役目の一つに、ロータリー・クラブの奉仕活動がありました。30歳代半ばで入会してからは、お仕事と同じように熱意をもって、毎日のようにロータリーを思いつめていられたと、その愛することに誇りと喜びを語り伝えてくれたことが、今になっては懐かしく思い返されてきます。うちのクラブを作った初代会長の方が亡くなって、今年で3年が経つのですが、亡くなる直前のことふと天を仰ぎながら、私に向かって言った言葉がありました。うちのクラブが拡大して生まれた子クラブとその孫クラブは何クラブになるのかな~、と聞かれても咄嗟には返事ができなかったのですが、親子孫の縁戚関係クラブは全部で6クラブになって、総勢会員約200名が年に一度だけ一同に集って、楽しく語り合える有意義な会合にしたいと発案されたのでした。以前からうすうす御身体が優れないことを知っていましたし、奥様から厳しい容態をお聞きしていましたので、どのような対応をすれば良いのか、仲間が集って急遽相談をさせてもらいました。本当に急な提案でしたが、各クラブから快諾をえられて、まさしく圧巻のクラブ旗6枚が飾られた合同例会開催でしたが、その時の感動の余韻が今も頭の中で興奮をしていますし、早いもので創立順に開催されて3回目が終えることができたばかりです。30数年前は今と違って時代背景が良かったのでしょうか、入会の厳しい制約があってもクラブの会員も増強の勢いがあって、クラブの数は拡大され、なおかつメンバーが増強されていった、非常に活力がみなぎっていた時代に、強いリーダーとしてその手腕を遺憾なく発揮された時代であったようです。ご自身が先頭になって新しいクラブを拡大して初代会長として活躍し、30年間に3クラブを拡大させましたし、孫クラブの責任者として熱い情熱を傾け、お元気な頃は常に各クラブを訪問することが楽しみで、殆どご一緒のお誘いを受けて同行してきました。ご自身が積極的にロータリー活動を啓蒙されて、関係するクラブにも進んで参加されて指導をする姿は、今の時代にはあまりお目にかかれない存在となりましたが、どこのクラブでも会員減少のなか、ロータリー活動の原点を探り、よきリーダーを求めている現状のロータリーには貴重な存在の方でした。書ききれない思い出が沢山ある方なのですが、時間と言う魔物は記憶と感動を薄れさせてしまいますし、更には新しいメンバーにとっては、この方の存在を知らない方も出始めて、少しばかり合同例会の軌道修正が必要となる時期がきたようです。生前にお世話になったご縁が深いからこそ、この方への思いが強くあって、合同例会の陰りに心配をしているのですが、やはり独立した各クラブメンバーからすれば、自クラブ自体が一番大切で楽しい空間なのだと推察しています。生前は何時もご一緒させて頂き、様々な教えを頂いた立場から、是非意義ある合同例会を確立させたいと、今夜関係するクラブから2名を集って頂き、相互訪問時のビジターフィーの無料化とか、記念事業化とか提案をさせて頂き、ご遺志を引継いていくための相談をさせていただきます。深いご縁に繋がれて、いまこそ恩返しと、執念を護るための実行を引継いでいくつもりです。
2008.03.07
コメント(0)
ものごととは、常にとんとん拍子にことが運ばないものですが、日常ついつい順調な運びごとができていますと、自分の人生すべてに上手く進んでくれるものだと、勝手に傲慢と成ってしまい、とんでもなく大きな錯覚をしてしまうことがあります。今までの生きてきたなかでの経験から推して、自分流の判断をする時に、その予測と裏腹な結果が出た時に、多少の裏切られた猜疑心と悲哀感が味わえて、その落胆を大きくしてしまうものです。先日来の銀行との懸案事項が今日に結果がでると言われ、その朗報を楽しみにしていたのですが、約束の朝一の銀行からの連絡が肩透かしとなって、明日にと一日延期となってしまいました。昨日は気になって気になってしまい、なかなか寝付けないほど期待感の興奮を隠せなく、今日の約束の結果が吉報であるとの願いを込めて、重ねて期待を込めた念じをしてしまいました。長い年月を掛けて漸くたどり着いた決着への道筋が、手の届くところまでの範囲に寄ってくれただけでも嬉しいのですが、これまでの間の折衝ごとの試練が余りにも重くて、家族に対しての酷が申し訳なくあって、様々な不遇を味あわせた反省をしているところです。家族が味わった悲哀や悲壮感は、いくばかりのものがあったのか、今となっては難儀を振り返るよりも、交渉結果とした朗報をきっちりと伝えなければならないと、強い執念で義務感を意識しています。家族愛ですと言うことは凄く簡単なのですが、それまでの順風が波乱に様変わりになれば、家族の心は離散する確率が大きくなると思うのですが、この度はお陰様で深い慈悲をもって大きな力となって結束してくれ、家族愛の言葉以上の感激を重く味わうことができました。沢山のご家族を身の回りには当たり前のように拝見することができますが、苦難を共に分かち合って、難儀と堂々と対峙して乗り越える気構えを一致団結させている姿には、これほどに誇りとして持つ我が身内に対して、大きな感謝を伝えるとともに至宝にすることができています。世間一般の平均的な杓子定規に適合するかは別にして、我が家の家系と伝統とが家運を支えてくれる一助になって、代々の積み重ねが精神的な応援をくれている至福は、我が家の至宝として引継いでいかなければなりません。その代々の役割を確りと受止めて、その時々には高い評価ができる役目が如何に大切なことであるか、難儀なときほど素直になって見極めることとしたいものです。苦髪楽爪なのか、苦爪楽髪なのかは分りませんが、最近になって加齢した身体以上の新陳代謝があって、頭髪や指爪が日数の割りに早く伸びています。これほどの難儀は苦悩に入らないのかも知れませんが、健康体だからこそ乗り切れていることを、この世の神仏と代々とのご縁なのだと、深い御加護に感謝をしています。
2008.03.06
コメント(0)
中国大陸から偏西風に乗ってやってくる黄砂が、各地の風景を霞ませていますが、千葉の我が家でもガラス窓とか、車の屋根にうっすら黄砂が被っていることに気付きます。何千キロと遥か距離を渡ってくる黄砂ですが、自然気象のもつ異常な力学に驚かされてしまい、なおさら困ることが、花粉が飛散するじきとまったく重ね合わせてしまっていることです。すでに杉花粉が最盛期になって、猛威をふるっているのですが、今年は黄砂と複合的に悪害が相まって、花粉症の症状が一層酷くなっています。一回くしゃみがでると、連鎖的に継続してしまい、この複雑なくしゃみタイムの無想時間は、まったくの無空間を感じて、ただただくしゃみが止むまでを耐えるだけです。昨日は最も酷くて、外出している間には、どれほどくしゃみを連発をしたのでしょうか、くしゃみの数と共に鼻水が多量に出ることが、何よりも始末が悪いものです。ティッシュ片手に鼻の孔を掃除する仕草は、自分でも恰好悪いことこの上ないと感じたのですが、こんなときには駅前のティッシュ配布員を見つけるほど必死なのです。なによりも花粉症の最たる悪性は、連発するくしゃみとともに流れ出る鼻水の酷さもありますが、偏頭痛がして思考能力が無くなってしまうなど、副次的な悩みを解決したいものですが、咄嗟に出始めるくしゃみのタイミングもなかなか厄介なものです。普段から健康体の自分ですが、季節限定の花粉症を患ってみて、その悩ましい難儀を困惑しているのですが、これだけ医療が発達している世の中でも様々な難病があって、多くの方が闘病し悩まれている現状があることを思い遣らなければいけません。たかが一過性の花粉症で辛いと文句を言う前に、難病の苦難と闘って、病床で苦しまれている患者さんが一日も早く全快されて、健康体で普通の生活ができることを念じたいものです。さらには、世界中には生まれながらの難病を患って、充分な医療を受けることもできない子供達が居る事を、改めて親身になって考える必要があります。普段は何気なく健康体に甘えてしまって、身の丈以上の欲望や願望をする生活をしていますが、まったく欲望や願望を果たすことさえできない人たちがいることへの目線を、確りと自分で弁えることができる人となりを確立したいものです。日々時流を過ごす極々自然な生き方を目指しているなかで、人様への思い遣り、目配り、心配り、気配りの達観を、いつも心得ることができる雅量をもって、大きな振り子時計の振り子の役を演じてみたいものです。その心は、いつも変わりなく静かで謙虚にして、かつ的確な役目を果たしている姿に、自分の裁量をあてはめたいのです。
2008.03.05
コメント(0)
春真っ盛りを目の前にして、季節は24節季にあわせて、春夏秋冬の四季の変化を見せてくれていますが、人生のなかにも四季があることを始めて知ることができました。以前からメールマガジンの配信等で、多少の情報を得ていたのですが、約2年間ばかし諸般の事情によって、自身の手にすることができなかったことが、月刊誌「到知」の存在でした。現在直面している身の環境進退が、大きく改善されることが感じられるようになって、心の余裕ができたのでしょう、思い切って一年間の講読を申し込んでみたのです。年間購読が原則システムの為に、単行の書籍として本屋さんには並ばなく、滅多に目にできる本でない為に馴染みがなかったのでしたが、今日初めて宅配された「到知」を時間を忘れ仕事の手を休めて、ページを開いてしまいました。その中で知ったことが、青春―朱夏―白秋―玄冬の言葉でもって、人生にも季節があるのだそうで、その人の寿命に関係なく、人の一生内でこの四季が体験できるのだそうです。人生齢ですと、青春とは30歳代、朱夏は40から50歳代、白秋は60から70歳代で、玄冬はそれ以上の年代を表すのだそうで、ほぼ自分は白秋を生きている真最中のわけで、のこされた玄冬の時代を、せめては楽しんで生きて、この世を去りたいものだと思っています。青春と言われる30歳代は結婚をして、仕事も家庭も満ち溢れた活気があったように思いますし、40から50歳の朱夏はロータリー活動を始めて、新しい生き方を学び実践した、新世界を経験することができました。60歳を超えた白秋の現在は、軌道に乗っていた仕事が時代の変遷に付いていけなくなって、様々な弊害を経験することとなって、ここ数年間は各種お役所と取引先、銀行に多くの迷惑と支援を請うことから始まりました。男子最後の厄年を地のままに経験したこの数年間でしたが、前厄、本厄、後厄と時間が経過する内に、ようやく解決策に到達したところです。白秋の残る年数を、慈愛をもって家庭内共々健康と多少の豊かさを味わい、せめて順調に時間が過ぎ去ってくれることを願うだけです。今回の難儀な経験からは、自分の性格を変えるほどの、世の中の温かみを学び取ることができたのですが、今後に『到知』を読み始めることから、あらたな人生の価値観を構築させることができる喜びを期待しています。今後は一周りも二周りも成長した身で白秋を全うさせて、一層慈愛にみちた人となりでもって、世の中の為に役立つように実践できる姿で玄冬を迎えたいものです。
2008.03.04
コメント(0)
今日の穏やかな日差しにひな祭りを迎えても、昔ながらの風習で雛壇飾りをされている家庭が、どれ程の数でされているかは窺い知れませんが、せめても御はぎやさくら餅くらいは、口にして季節感を味わえると嬉しいものです。三月に入って陽気は一気に春爛漫へと、一直線に暖かくなっていきますが、庭の片隅には雑草が伸びだして、一足早く新緑の萌を見せ付けています。迎える季節ごとに催されている古くからの仕来たりが、徐々に消えうせていくなかで、世代間で季節の受けとる感覚にバラツキがあるようです。ここまで陽気が暖かくなりますと、自然と心が軽くなって、頭の回転能力も開放的になり、自分自身のもつ能力範囲を越えて、思考と行動がリズミカルに昇華していくのが分ります。我が身を思えば極寒の厳しい寒さを心底味わうことができ、冬来たりなば春遠からじの心境で、銀行との長年の懸案事項が纏まって、漸く氷解できるための前進ができました。先日来取引銀行と融資の相談をしていたのですが、その結果が今週にも出されると、先週末に担当者から伝達されていました。早ければ週中には結論がだされることを期待しているのですが、結論を待つ身としては、一時間でも早く朗報を聞きたい心境で、すっかり春の陽気が安定したひな祭りの日に、大きく強い願望を抱いているところです。今年は春遠からじの心境を、これほどまでに真剣になって感じ取ることはなく、自分の経営管理能力が無いことを恥じたり、嘆いたりしているのですが、せめても時流とともに流れる技を上手く身に付けたいものです。天空から降り注ぐ春の陽光を眩しく受止めながら、長い冬眠から目覚めた後の対応を、心嬉しくあれこれと思考をしているのですが、先ずは冬眠をする前のつまずきを反省しているところです。冬の寒さで静かになっていた自然界も、温度が上昇するごとに、地中に眠っていた昆虫や小動物が、本格的な活動を始める時期になり、五感で感じることの喜びが一層賑わってくるようです。季節を優しく愛でることができるのも、この世に生きれる豊かさがなければ体験することができなくて、耐えていくだけの氷河期がない生活を目指して、冬眠のない新たに得られるステージを、最も大切にしていきたいものです。
2008.03.03
コメント(0)
先日出席した500名が参加した会合に、偶然ですが幼い頃に一緒に遊んだ友人がいて、共通する知人が紹介の声がけをしてくれました。一つ離れたテーブルに座る友人は、真横から見て取れる顔立ちから、遥か50年も前の幼いころの友人が思い起こされて、意外な若さ振りを懐かしく見ることができました。幼友達と一緒に暮らした町からは、35年も前に転出しているのですが、こうした昔の友達とは縁切り状態で、巷の話しとして仲間の情報を耳にすることがあっても、こうした偶然の機会がなければ、なかなかお会いできるものではありません。この時にお会いできた友人のお宅は、当時からパンを家内工業で作り販売していましたが、時代の変遷のなか業態を拡大させて、今では地域でも有数の食品製造メーカーとして、その名を馳せている優良企業に生長されています。先程インターネットで企業内容を拝見したのですが、素晴らしい経営理念をもって、先代の事業を引継ぎ、一層の事業拡大を成功されてきたようです。しかし久し振りにご挨拶できた友人の対応は、どこまでも謙虚で遠慮っぽく、身形も極々質素なものを身に付けていて、とても年商100億円に届くオーナーとは思えない、実に地味で言葉静かな友人に成長していました。人様の生き様に対して、どうのこうのと評論する立場ではなく、詮索する心算はまったくありませんが、自分の性格をもってきても多少の懐具合が豊かになれば、誰しもが少なからず見栄を張ってしまうものですし、乗る車も遊びにも金満の欠片を見せてしまうと思っています。身の回りにお付き合いする友人知人の中にも、虚勢をはってしまう方が以外に多いことを観て知っていますが、成功者の方の意識の中には何時も堅実な生き方があって、外見の姿や行動に見栄をはることをさけて、自助努力と自己管理の厳しさを、果てしなく追及されている様子が伺えます。事業成功をされている方は、稔るほど頭を垂れる稲穂を確りと自己理念として弁えて、頭を下げて腰を落として堂々と社業を隆盛にさせている姿があって、外連味のなさが成功者のステータスになるのでしょうか。この歳になって、いまさら事業の成功を望むことは無理というものでして、そのチャレンジの精神を大切に護りながら、どんな立場になっても何時も謙虚で優しい心を持ち合わせてみたいものです。一人孤高の頑張りで、すべてが上手く捗る時代でもありませんし、この世の中に生かされる自然の摂理があればこそを心得て、質実剛健な謙虚さを宝物としたいものです。
2008.03.02
コメント(0)
弥生三月に入り、一気に春爛漫の陽気さを実感できる暖かさに満足して、春本番への期待感があって、冬の月初めとは、まるっきり気分が違う目覚めができました。今朝には無意識に早起きできましたし、自意識の気構えが違っていることが、身体の芯から湧き上がってくるようで、ことごとく捗る仕事が気持ちよく感じ、久し振りに爽やかに元気に、朝から順風な具合になっています。昨晩に届いたメールの中に、親炙している方から大きな宿題を提供されて、昨晩の寝しなに一読してみたのですが、余りにも重い内容に多少の難儀を感じていました。そのことが気になっていて、早朝から目覚めたのかも知れませんが、立場が上の信用している方から、思いがけなく意見を問われたことが嬉しく思い、多少の興奮があって気が昂ぶっていたのでしょうか。ここまで信頼をしてもらっている立場とは、まったく認識していませんでしたし、立場の違いを思えば、余りにも過分な評価をされている気がして、あくまでも冷静に対処して、自身の立場を奢ることなく、極素直で謙虚な見直しをしているところです。平常心のなかで誇りとして崇める方から、たまたまの問い合わせが届いたところで、素直に喜びを味わうと共に、重い責任感をどっしりと身に染みているところです。今回の身に余る評価に対して、多少の虚勢を張ってみたい気もするのですが、あくまでも返信行為をする心構えとして、ただただ恐縮する平常心を心掛けて、昂ぶる気を抑える普段の冷静をもって、自然さを心得て行こうと自制をしているところです。こうして気配りの配慮をして、分不相応の評価をしてくれた方に、素直になって感謝の御礼をしなければいけないと思っています。今回のメール受信から、今後のご縁がどのように広がっていくのかが、結構嬉しく楽しんでいる自分がいて、少年時代のときめきを、春の陽気の心地よさに重ね合わせています。
2008.03.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


