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昨今季節の変動が激し過ぎる気がするのですが、今日の気温は一ヶ月逆戻りの肌寒さを通り越した、底冷えのする本格的な寒さを味わっています。明日は気温が高いとの予報がされていますので、10度前後の気温差の激しさには、健康管理がとっても大切になってくるようです。暑ければ温暖化の影響を真に受けて、一ヶ月は先の高気温状況になって、逆の時は今日のような一ヶ月前の低気温となって、都合二ヶ月間の気温差を繰り返されては、動植物も生きる環境変化に追いついていくのが、結構大変な労力がいる状況に馴染めなくなります。世界的な天候不順によって、陸の作物や穀物の収穫が激減したり、海の漁獲域が変化を起こして、人間族の食糧事情も困難をきたす予兆がでています。自国での産出が激減してしまい、食料の殆どが他国からの輸入品となっていて、追い討ちの地球環境の自然破壊や変化によって、ますます世界的な食料不足が現実化して、深刻な社会問題になっている気がします。自然災害も年々大型化しているようで、台風の数も例年以上に頻発していますし、定期的に連続した発生からは、自然界からのとっても重要な、危機メッセージを伝達させてくれているようにも思うのです。地球上で起きている様々な災害によって、一瞬において尊い命や自然資源が失われて、その普及や復元には、とてつもないエネルギーと時間の投資が必用に成っています。被災された方々は肉体的や精神的な損害はもとより、今までの平凡な生活を取り戻すべきことさへも、自立で災害普及することは困難な作業です。ここ数年間は、各国への災害義捐キャンペーンが頻繁となって、これほどに年中行事化しては、感情的にも感性的にも、慈善の意味合いが大きく薄れていく気がするのですが、ここ数年間の自然災害の発生現象からは、何かしかの重要なサインだと受止めて、しっかりと情報の分析が必用になってきていると思います。今回のミャンマーのサイクロンと言い、中国四川の大震災と言い、当事国一国で解決できる規模でなくなってしまって、地球人全体としての纏まりが必要になっている時代のように感じてしまいます。いまほど国連の役割の重要性と、国連の認識を改める必用があることを、人類とした全世界人が広義な役割を果たしていく必要があります。国家主義や民族とか言語や宗教を超越した、人類としての尊厳を敬愛することが、国家を超えた慈愛につながり、相互扶助の支援に結びつくことが最善なのです。定期的に発生する大災害からは、地球上に生きるものへの厳しいお仕置きにも受け取れてしまい、大小様々な犠牲を直視して、良き教訓として生かせるシステムの構築が、世界規模で進展できるようにさせたいものです。人類が地球から受けるすべての有益な環境を、共に育み共に受益して、平等で健やかな生活が出来ますことを念願しながら、他国の痛みとか他人の災難に対して、ただ傍観することなく、積極的な支援の気構えを分かち合っていたいものです。
2008.05.31
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月末の慌しい流れに身を任せられるのなら安心なのですが、あれもこれも、自分の頭と手足と口でもって率先でやりこなす必要があって、その立場を脱却したい努力をしている心算が、毎月同じ環境を作ってしまっています。昨日からいろいろと頭の中でシュミレーションをして、それ相当の準備はしていた心算でも、なんだかんだの用事が割り込んできたり、予定にしていた作業が捗らなく、思うように進捗できないもどかしさを覚えているところです。他の皆さんも大した変わりが無いらしく、銀行のATMやお役所の窓口には、慌しい様相をした方々が大勢見かけますし、目が血走っている方が何人も伺え、腕時計や携帯電話を何回も同じような動作で、繰り返して確認している様子が可笑しく観てとれました。尋ねたお役所も普段とは違っていて、担当する係官が面談とか電話の応対に疲れきっていて、本当に慌しい様子が、手に取るようによく理解されもしました。時には徒歩で駆け回り、時には自転車をかっ飛ばして、月末の役目を十分に果たすべき、駆け巡る仕事も一段落させて、夕刻には歯医者さんに向かって、昨日の治療の消毒をしてもらい、その帰路には思いつきの整髪をしてきました。ほぼ三ヶ月間床屋さんに行くことが出来なかったら、手に負えない長髪となってしまい、寝起きに櫛やブラシで整髪するのですが、直ぐにクセ毛が元気良く自己主張をしてしまい、彼方此方にツンツンと、アトムのような突起になってしまうのです。今流行のカット屋さんですが、行き着けて二年を迎えるようになって、カットを依頼する仕方や店の様子が徐々に分かるようになり、馴染みのスタッフとのコミュニケーションも気楽に出来るまでになりました。理髪店では髭剃りの時に、床屋さんの椅子を傾けた状態で、ぐっすり寝込む至福の時間があるのですが、何よりもリーズナブルな料金と、短い時間で整髪作業をしてくれるメリットがあって、ついつい便利にありがたく利用をしているところです。お店の中では殆どの方が女性の客で、次が若い男女の人、老齢な人は極少ないのですが、待っている間に本が読めたり、パソコンを弄っていると、たちまち順番になる具合が程よくて、予約無しで、時間の有効利用が発揮することができます。お店の中の雰囲気も、男性女性の差別をまったく感じさせない、中性のニュートラルな雰囲気は、最近になってなかなか粋なものと嬉しく感じています。カットをしてくれる若いスタッフも、腰に道具ザックを落っこちるくらいにぶら下げて、手際よく作業をしてくれる様は格好良く、すべてにリーズナブルでシンプルなシステムが好きになってきているように感じています。家庭でも社会でも男女間を区分けする、枠とか仕切りが徐々に無くなっている社会情勢に、感覚的な中性が自然に取り入れられてしまっているようです。個人的に思うことは、男は男らしく、女は女らしく表現をするのが美学と信じている身なのですが、世の中のシステムは、ますます中性の度合いが深まっていくようです。そう言えば、愛玩動物も強制的に中性に手術をさせられる身で、人間以上に区別が無い嘆きをしているかもしれません。
2008.05.30
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治療中の歯でない歯の痛さが気になって、時間があると何回もブラッシングをしていたのですが、歯ブラシが奥深くスポット入って、ブラシの先があたる歯根の部分が、我慢が出来ないほどの厳しい痛さになってしまいました。はれぼったくて、歯肉が膨れてしまい、なんとも不愉快な感覚がダラダラと痛痒く、舌の先でもって押したり吸ったりの、実に落着かない生活習慣が、ここのところ続いていました。奥歯の治療で一週間に一度、掛かりつけの女医さんに治療を御願いしていたのですが、漸く奥歯の治療が一段落したらしく、予約があった今日の午後に行ったときに、思い切って気になっていた痛い歯を打ち明けてみたのです。ザックリと切り裂いてみる、と問われても、意味合いも分からないまま、口に器具が入っているために首を立てに頷いてOKを伝えました。同年輩の女医先生が麻酔を打つに至って、切開をすることが理解でき、暫し時があってからのゴリゴリと廻しながら歯肉の奥深く作業をする感覚が、重い辛さがあるのですが、それ以上に一番気になっているポイントにメスが命中したとの、満足感と充実感で痛さを忘れるほどで、ただただ口を開けて任せることに専念できました。一通りの治療が終わって、器具が口から外れた瞬間に、先生病み付きの治療になりそうですと、変体趣味ではと疑われる言葉を吐露してしまいました。本当に気になって、歯がゆくて仕方ない痛さがあったところに、俟ったりとピンポイントで命中した快感が、そんな言葉に表現されてしまったのでしょう。治療が夕刻で、女医先生も一日の疲れがピークもあってか、他の椅子に俟っている患者さんをほったらかしにして、休憩ムードのまま、暫し歯根の大切さを模型を使って説明をしてくれたりしたのですが、此方とて夕刻の約束もあるので気が気でなかったのです。女医先生が一向に気にしないので、やがて勝手知ったる看護師さんが、先生に催促の声がけをしてくれて、気分を害されている他の患者さんの治療に移ってもらうことができました。顎の骨に確りと食い込んだ歯根を大切に守るためにも、歯肉を健康にすべきブラッシングで守り、年齢に関係なく何時までも自分の歯で美味しく食事を出来るように、歯のブラッシングを励まなければいけませんと、教えて頂いた講釈を有効に実践活用させたいものです。こうしている今でも、麻酔がきれた感覚が、とっても爽やかに切開の痛さだけが残っているように感じ、複雑な痛さが無いだけとっても気分が好いものです。同年輩の女医先生は、近隣都市にも歯科医院を経営されていて、ご本人曰く、仕事一筋に生きてきて、家庭人でない欠点があるから家族に迷惑を掛けていると、こんどは人相談を聴かなければならない雰囲気となって、即座に腕時計を見ながら会合に遅れてしまいますからと、急いで医院を後にしました。きっと、明日の通院時には気分良く爽快感があって、気分良くブラッシングでき、月末の事務処理が軽快に済ますことができることを期待してしまいます。
2008.05.29
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なんと言っても声が大きく、物事の進め方が強引な方には、決め事の優先順位が偏ってしまう気がしているのですが、会合での賛否を問う場であっても、ごり押しされる側の人数に関係なく、一人の声高な人の我流となる危険性を心配させられます。どうしても一本気な融通の利かない若気の至りが見えて、自己主張することだけが、生き甲斐の錯覚を持った方からは、大変な迷惑を被りますし、精神的な不安感と嫌悪感を増長させてくれたりします。集まる人の数は別にして、気持ちよく参加された方々が、ご自身の持論や意見を述べた上での決議の場では、何方もクレームをつけることがなく、爽やかに満場の賛成を得ることが出来ます。世代が幅広く広がった集合体で、世代にそった価値観をもって意見交流がされていますが、団体の方向付けなどを決議する際に、どうしても意見を発表する方とか、自己主張を強く述べる方の意見が、その場の空気を占領してしまうことがあります。年長者から遠慮がちに伝達する事項を、若輩者からは、勝手に決めないでくれとクレームをつけることが一般的な時流になって、大きな意見の相違になる気を感じられますし、現実の社会はそのような動きが主流の感じがします。今日の午後に会った一周り違う先輩と、二周り違う後輩の仲間達と、二時間ばかりの間、会合の仲間入りをさせてもらったのですが、こんなにも時代のギャップがあるのかと思うほど、価値観が違いますし、学ぶ意欲が希薄なことが心配になりました。確かに、二人の先輩に囲まれてアドバイスを受ける身とすれば、多少のストレスやプレッシャーがあるのかも知れませんが、先輩が後輩を思う心遣いの同情が、とっても不可欠なことが理解されました。人それぞれどんな立ち位置でも、お互いに相手の環境を理解してあげる、人の情けが必要ですし、分かち合うことが、肝心要めな事実であることを認め合うべきでしょう。だれしもが、自身が一番可愛いものですし、立派な誇りをもっていることは理解をし合って、尊敬しあう自然な交流を目指したいものです。ちょことだけ思ったことですが、比較的年の功である年配者が沢山気遣って、若年層の方が甘えてしまっている、可笑しな社会情勢を嘆くことになりました。老年に遠慮しない若年層と、若年に遠慮をする老年層の差は何処から来ているのでしょうか、ふと思うことは、家族構成にあるのかなと思っています。家人を労わりあっての多人数家族から、核家族で親子二世代、少子化で兄弟が少ないのであれば、必然的に自己中心の我侭人生に直結するわけです。老壮青と幅広く仲良く愉快に交流をするためにも、誰かが上手に調整役を果たすべきなのでしょうし、律する指南役を果たすべき役割を、上手く時々に演じるべきと思うのです。
2008.05.28
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約束の時間になって取引先の窓口に行ったら、直ぐに会議室に入って具体的な相談の書類を手渡され、具体的な資料を提出できる段階に進むことができました。それだけでも気の休まる思いが強く安心でき、過去に多くの無駄な時間が過ぎ去りましたが、無駄を教訓に学び取って、今後に活かすことに軸を移して生きていけそうです。世の中が、様々な人間関係と環境によって構成をされている事実のなかで、今後いかに上手く生きていくかを、広範囲に工夫していかねばならないのだと悟っています。素敵な接点が出来るまでの時間経過を構築させるために、多少の無駄な時間があることを、心得る余裕と、それまでの時間を耐える剛き心を養う必要がありました。本当に粛々とすることの意味合いと、謙虚になって素直で純粋な心掛けが、多くの幸運をもたらしてくれる気が、これほど真実に受け入れることができたのです。忍耐する限界もありますが、人によっての許容範囲が違いますし、価値観や生活観が違いますので、一概な心得を伝えることができませんが、人生とは修業の境地を歩むが如しで、自身の修練を自身の責任において、アレンジをする他ないようです。喜びも悲しみも幾年月、心安らかにして毎日を過ごすなかで、すべての経験をすることが、自身にとって最善な結果を生み出すことを信じたいものです。商取引の中でおこる様々な経過や結果がありますが、すべては自身が判断をして、撒いた種が原因となっているわけですから、つねに自己反省と自重する心掛けに重きをなして、世を構成し接する場を非難誹謗することなく、自身をしっかりと受止めて慎むべきことかもしれません。無邪気な子犬が我が家にやってきて、一週間を経験する中で、日を経験するに従がって感じることは、先輩が意地を持っていること、一日ごとに子犬は認知を願う行動をとること、今では少しずつですが、二匹のコミュニケーションが発揮されるようになりました。人は人、犬は犬で生きていく環境のなかで、剛く生きる生活術をそれなりに工夫と挑戦をしていることを、さり気無い共通項として知ることとなりました。家人が観ていないところでは、徐々にながら、先輩犬が威厳を示して、仔犬がよろしくとばかりに、先輩犬の下に入ってお腹を見せている動作は、二人だけの約束事やルールを決めているのでしょうか。我が家の中で、人も犬も一緒に同居することで、いかに人も犬も生き甲斐をもって、最大で最善な人生と犬生を目指していこうと、御互いが認め合い分ち合って、共生を目指しているところです。時として意識をもって、時として意識を忘れてみることで、今いる立ち位置の確認と、やらねばならないことの確認と、関係する人や窓口との良識ある対話が、如何にできるかの責任を確りと果たすべきでしょう。生きていく日々に、沢山の約束事を見極めて、それぞれのポジションを効果的に、また発展的に活き活きと見極めていこうと思います。
2008.05.27
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子供の頃は巨人、大鵬、卵焼きと言われた社会現象の申し子そのままに、純粋な庶民のテレビ時代幕開けの仲間入りをして、野球は全盛巨人を応援して、相撲は大横綱大鵬を贔屓にして、大衆食事の卵焼きを好物に、純情で素朴な小中学生時代を送っていました。心底夢中な贔屓といえば、憧れていた長嶋茂雄銘サード一人が大好きで、今でもファンの一人なのですが、これといった夢中の応援や、人に見せるほどの宝物を追いかけたこともありません。最近のプロ野球も、メジャーリーグの中継が当たり前のように観れることになってから、久しく見劣りする試合内容にがっかりして、今は試合結果や個人成績が全く気にならなくなりました。ましてや大相撲の場所成績もぜんぜん気にならなく、夜遅く放送されるスポーツ・ニュースを軽く観るくらいで、関心や興味までが薄れていましたので、小学校から帰ってきて大鵬と柏戸の取り口を、テレビの前で興奮をしながら、相撲を楽しんだ覚えを、懐かしく思い出しているところです。今月に大相撲があることは、ニースや新聞で知ってはいましたが、琴欧州が全勝で勝ち越したとか、角番大関を乗り越えたとかは記憶にあったのですが、10勝を越えたあたりから世間並みに気になりだして、相撲ニュースを楽しんで待つようになりました。十両のころに長身でハンサムな、ヨーロッパ人お相撲さんがいることはしっていましたし、ちょとばかり気になる興味をもっていた程度でしたが、優勝候補になってからは一層顔立ちが良くなって、一生懸命に応援をしている自分に気づきました。大関までの昇進は目を見張るものがありましたが、大関時代の成績や相撲の内容がいまいち納得できない相撲内容が、心もとない印象をもって心配をした時期もありました。しかし、個人的には礼節があって、実に謙虚そのもの、勝っても誇らず実直な仕草に好意をもっていましたし、相撲道のお手本を見るような、清清しい気分を感じるお相撲さんでもありましたが、気の細さも感じとることができました。勝負師とは、いつでも厳つくどこから見ても怖そうな、威圧する表情が良いのかもしれませんが、ことの真実とは厳しい環境にいる人ほど、根は優しく力もちであるべきと信じているところです。時には威厳をはって、肩で風をきることも必要であるし、それがプロの見せ場に結びつくことかも知れませんが、人の心の中に染み入る情愛が、もっとも大切なファン真理になると信じる一人です。剛い人ほど真に強さを秘めて、顔の表情は飛び切り優しいものだと思うと、琴欧州は横綱、大関の力士が大勢いる中で、一番の優しい心をもった力士として、ファン心理を魅了させるに相応しいと思っています。二人の横綱からは感じ取れない情愛と、心意気を感じてしまう大関琴欧州を、久し振りに応援をしなければと思っているところです。日本人力士が横綱を目指すところまでには、多少の時間があるのであれば、気は優しくて力持ちの力士に期待して、行く末は帰化して欲しい逸材に出世をして欲しいものです。厳しい顔つきも好き、ニコッとはにかんだ顔が好きといった、大勢のファンがここにきて、一挙に増えているのではないでしょうか。
2008.05.26
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初めて東京三宅坂にある国立劇場に観劇に行ったのですが、生で劇をみることの素晴らしさを、十分に堪能することができましたし、劇の内容が正義を味方とする人情味満載した『怒る富士』であったため、観劇中に自然と涙がでてしまうほどでした。自ら企画した積極的な観劇でなかったのですが、グループの催事に誘われて観賞を経験することができまして、久し振りに大きなホールでの、華やかで賑やかな雰囲気を楽んできました。『怒る富士』の劇内容は、宝永4年ですから約300年前に噴火をした、富士山の降灰の影響が麓の村々で農家の仕事が出来なく、生活ができない困窮を訴えた時の農民達と、村の政を司る関東郡代、伊那半左衛門が奮闘する歴史的人情劇です。簡素な舞台づくりでしたが、素朴な農民と一揆の悲哀を、信念をもって救済に奮闘する伊那の姿が、心にジンと染みこんできてしまい、手で涙を拭き取る動作が増え困りました。今の社会で、これほど国民の為に政治家が身を粉にして、無心で尽くす方がいるのだろうかと、何回も問いただしてしまうほどでしたし、農民を思う優しい心意気の代官を応援しました。常連のお客さんでしょうか、盛り上がりの場面で役者の屋号を、タイミング良く投げかけていましたが、劇場観劇の醍醐味を十二分に堪能することができました。それにしても、何時の時代にも悪代官が沢山いるなか、今の政治情勢をみるにつけ、どれほど命まで張った政治家が、国民のためにの政治を司ってくれるか、考えさせられる内容の劇でもあります。身の回りに関係する政治家の皆さんも、私腹を肥やす方は見受けられても、政治生命をかけても、市民の生活を守る活動をしてくれる方が、見受けることができませんし、そんな信頼の評価をアピールされる方も疑問符がついてしまいます。同じ民として、自身の家族を基本にして思えば当然の摂理として、市民国民の寄り良い生活を得る施策を目指せるはずなのです。過去には国民市民を代表しての政治化には、多額の報酬が当然のことと市民権を得ていましたが、経済情勢が厳しいときこそ、すべてに等しく情報と共益を分配する時流だと思います。それこそ献身的な奉仕をすることこそ、国家の主たる民への強い施しなのだと、絶対的に信じているところです。政治家の本心とか信念とかが、なかなか伝達されない歯がゆさと、納税対共益の効果が分かりづらい一面もあるのかもしれません。今の社会のように、ここまで多様化された国家と国民であれば、経済価値観や生活意識が様々な中で、民主主義をお題目とした物差しは、すでに時の流れではないのでしょうか。政治家とともに生きれる場作りが余りにも広すぎている現状も知って、市民の側の献身も一考する必要もあるのかも、怒る富士の観劇が好い教訓となっているところです。
2008.05.25
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今日の外気といったら真夏を思わせる高温で、地球温暖化の影響もあって、子供のころから比べてみても、確実に1ヶ月は早く、カレンダーが進んでいるように感じてしまいます。と言うことが事実とすれば、暦上では5月末ですが、陽気からすれば間もなく7月を迎える気候になっているのではと、体感と同じく推察をしているところです。この季節、すでに蚊が飛んできて、ちくりと、昨晩は二三箇所刺されてしまったのですが、気温があがって生活しやすくなると、害虫等も一緒になって元気がでてきたりして、好環境生活のバランス度を考えさせられます。日常に嬉しいことや素晴らしいことがあると、かならず困ることが併せ持って起きてきますのが、この世の中の決まりごとのようで、天上天下の神仏も良く心得ていてくれるようです。この世の中すべてに両極があって、そのバランス度合いが整っていると言うことなのですが、世の中には素敵な人もいてくれ又あまり好ましくない人がいたりして、素晴らしことがあった対峙には運の悪いことがあるように、思うように結果が出る時と、思わぬトラブルに追い込まれる事態が、必ず一対で交錯しているように思います。お付き合いしている方々、すべてに心を通わせて、お互いを分かち合う人間性を発揮させていきたいのですが、その反面、自己主張だけは確りと述べてみたりした、押し通す意欲ばかりが目に付く人が垣間見られます世の中です。身の回りに誠意をみせた後輩に当たる方がいるのですが、基本の礼節が欠けていたり、身勝手な自己擁護の語りを一方的に伝えられても、そのすべてを素直には受止めることができない方なのです。あらゆる能力を身につけていて、さらには頭脳明晰の飛びぬけて頭の回転が速いのですが、独り善がりの悪癖があるのが最大の欠点に観受けることができます。ご本人はその辺のことが理解していないのでしょうが、彼流の善意と良識にしているわけで、バランス感覚からして上手く食い合うには、引ける余裕のある此方側が歩み寄ることしかないのです。強い信念をもっていれば、押したり引いたりのどんな風にも歩み寄れることが出来るし、説得することも出来ますので、正々堂々と真摯に語り合うことをして、分かち合いの心愛を共有したいものと思います。昨夕にあった、各地から東京に集った方々の会合ですが、年齢なりの弁えがあって、なかなか充実した一時を、非常に楽しく過ごすことができました。これは、皆さんがインターネット上で交流をされていて、お互いに面識がある、面識が無いに係らず、大人の礼節を重んじた節操があることを、自心の門戸を快く開放してみせてくれました。人生の荒波を様々に経験され、徳を積んだ方ばかりでしたので、年の功と言ってしまえばそれまでですが、皆さんが謙虚になって弁えられて真情を語り合えたことは、とっても大切なものを確認しあえる場となったようです。袖摺りあって怪訝な関係になる仲、袖振り合うことなく心情を語り合える仲、人の住み合う環境とは、結局はバランスの尺度を上手く使い分けて、譲り合う知恵をもって活用した生活をすることこそ、もっとも大切な心掛けのようです。
2008.05.24
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結果的には随分冒涜された商談であるし、人の財産を無下に扱われた激怒がこみ上げてくるのですが、こんな時に感情のままに動いてしまい、暴力を起こして相手の責任を追及したところで、結果は肉体と感情の痛みが強く残るだけだと思います。2004年から事業の変革期を迎える中、まる4年間の努力と尽力がまったく無になることとなって、一からの出直しが決定的に伝達された昨夕でした。商談の相手の方は、夕刻に事務所に来訪されて、過去の商談を白紙撤回させて、0から上司を窓口にして交渉をしてくれと、頭を下げながら懇請をうけました。聴くほどに色々で複雑な環境と事情があるらしく、全部を真摯に受止めることは、民法の権利の主張となって、お互いに譲り合うことが出来なくなります。キツイ一言で言えば、告訴をして裁判で決着を願う内容に等しいのですが、ふっと、深い深呼吸をして、天上を暫し眺めてから、やおら、相手のお顔を覗き込めば、ご家族のある大黒柱の身が推察されて、結果的には、将来に綺麗な華と実をつける発展的な意識の切り替えをして、今後の具現化に際しての相談に入ることとしました。苦りきる腑もあったのですが、じっと堪えられるようになったのは、長年の苦難の修業と学びと人様の慈悲、慈愛、仁愛、が重ねてあったからこそと思います。忍び耐えて忍んで耐えられての繰り返しがあって、笑顔こそはできませんでしたが、じっと我慢をした顔相は、相手からするとどんな人相に見えたことでしょうか。相手をしてくれている若い担当者の、喉の渇きが見てとれて、音までが耳に届くほど、緊迫の時間があって、次の言葉が何と発して良いのか分からないほど、お互いが一種の興奮状態を醸し出していたはずです。しばし沈黙の後で、やおら手を差し伸べて、握手をしてあげたことが、どんなにか心を豊かにできたのか、笑顔がみてとれて、上司を交えて振り出しの再出発、ただし、今までの過失を全面的に克服する約束を自認して、今後の進捗を捗らすことを誓い合ったのです。いろいろと心情的な身の立場とかをご自身が吐露してくれましたが、組織の中の複雑な人間関係もあるらしく、言い訳じみた事情を語っていました。昨日その上司にお会いでき、改めての再スタートを切ったわけですが、ある程度は情報も共有されていて、おそらく、上司が見かねてくれて、ご本人が自ら交渉に乗り出たのではないでしょうか。ときにどうぞ御安心くださいと言わんばかりに、ニコッと笑顔を返してくれたのが嬉しくて、今後の幸運を誓ってしまいました。近々に上司が直接来社することになって、一層期待をもって、本気モードで対応がされる確約ができました。その足で監督しているお役所に向かい、これまでの経緯を改めて報告でき、あるめんご苦労の甲斐があって、進展できそうな気配に笑顔でもって一安心をしてくれていました。思い通りにはなかなか行かない事情と、難題を抱えるほど、多くの学びをすることができ、人として成長できていることが、とても嬉しいものです。
2008.05.23
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目をパッチリさせて、生後二ヶ月の小さな命は、懸命になって、小さな尻尾を振り振りさせて挨拶をしてくれました。知り愛のお宅で生まれた、パグとミニチュアー・ダックスフンド、キャバリアとのミックス犬が、我が家の二匹目の愛犬として、家族の仲間入りをしたところです。事務所で客人やら電話の応対をしていると、隣地の我が家の様子が違っていて、騒がしい物音がするのに気付き、帰宅して分かったことは、この可愛い仔犬の到着であったのです。8匹のお産であったのですが、その兄弟姉妹の仲で一番先に家族の仲間入りを見つける機会を頂戴でき、素敵な縁があって我が家の住人となりました。5年ぶりに仔犬を抱いてみて感じたことは、物凄い高温の体温でして、運動能力も意外なほど活発ですし、何よりも純真で無垢な動きぶりは、一言可愛い仕草ばかりです。狭いゲージに入れられて運動不足なのか、キャンキャンと力強い声でせがんで、時々ゲージ外に出ての散歩をするのですが、生後2ヶ月とは思えぬすばしこい動作をみせてくれます。居間でもってパソコンをいじりながら、深夜まで一緒にいたのですが、ぐっすりと寝入っていたと思えば、急に吼え始めたりして、結局、深夜も含めて二時間おきに鳴き声で起こされてしまいました。先輩の5歳になる愛犬は、同姓の仔犬にも係わらず、排他的になってしまい、全く近づこうとしなく、食事もまともに喉に入らない心境になっています。出来るだけたくさんの、スキンシップを図っているのですが、まったくもっていじけてしまって、相手にもしないし、一匹でもって孤高を張ってしまっています。何はともあれ第一日目の愛犬騒動が終えることと成ったのですが、今日から暫くは二匹の愛犬が中心になっての暮らしとなって、なにかと賑やかな生活に入るのですが、一日一日が成長していく姿と一緒に深呼吸ができる環境に、ちょっとばかり困難を背負い込んで知る身としては、若い息吹を身一杯に感じ取らせてもらいたいものと願うのです。家族になった人間と犬が、ともに共生の智恵を働かせて、我が家の家運隆盛を期待しながら、人犬ともに仲良く誠意を示せて生きていきたいものです。哺乳類の好でもって同じ屋根のした、共生と共有と共益とを分かち合って、それぞれが二つの目と耳をつけて、一つの口でもって、勝手な自己主張をはきながら、小言を耳にし目で仕草をおいながら興味津々に、、個々が存在感を強く示しながら、ますます賑やかな一時を楽しめるようです。懸案の事項も、これから会談する責任者との相談で、漸く春風が吹きぬける環境になりそうですので、今の愛犬と同じように、幸運をもたらしてくれる女神になることを祈っています。
2008.05.22
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のどが嗄れきるほど連続して、まる一日中電話の応答をしていましたが、夕刻になって思うことは、話をしあう意味合いは大きく、その波紋も度合いを深めるものだと思いました。昨晩にあった会合でのこと、普段から思考していた私案を発表させてもらう時間があって、事のついでに、私見も踏まえて一時間ばかり意見交換を図ってみました。皆さんが時間と共に真剣な眼差しになって、それぞれの意見を発表してくれて、会議の場が盛り上がってくるのが、良く理解されてきました。皆さんがそれぞれの意識をもって、高める意見交換の交流が、かんかん諤々されたことがとっても嬉しくて、しばし興奮状態を隠せませんでした。その余波が今朝からのひっきりなしに架かってくる電話の連続で、参加された皆さんそれぞれの認識と、価値観や個人観が織り交ざって、詮索した意見とか問い合わせとか、徹底的な批判とかが伝達されて、頭がこんがらかってしまうほどでした。その中でも、久しく交流が途絶えていた方からの電話が一番インパクトがあって、物凄く嬉しく思ってしまったのですが、彼曰く、昨晩の発言の真意は何でしょうか、不可解で承服することができません。一瞬ですが言葉に詰まってしまいました、しかし、好い機会とばかりに自分が普段から思っていることを、確りと自己主張をして、縷々細かな説明をしてあげたのですが、話をする時間が経過するに従って、昔摂った友愛の情けが蘇ってきるのを味わうことができました。電話をくれた時の剣がある語調も穏やかになって、すっかり興奮も収まった大人の会話が延々と続くことになったのですが、話が進み虚心坦懐なお互いを確認しあって、二人の友情を確認することができました。長い電話が終って、身体が興奮から熱を発していることがわかるほどで、暫し水でのどを湿しながら、一時間ばかり話をしあった内容を反芻してみたのです。話し合える環境があること、拒絶した中でも受け入れる器量があること、反対意見を真摯になってうけとめること、自分が成長できた姿に誇らしく思い、これで好いのだと自己満足と納得をすることが出来ています。話し合いすればわかることと、相手の話を忍耐もって訊き入れること、基本になることとは、話し合い出来る場を作ることがもっとも大切なことと認識をしています。人は噂話と流言と身近な人の話には、なぜか直ぐに納得をしてしまいがちですが、大きな度量でもって、全てを受け入れることを心得てきた信念が、大きく間違っていなかったことを嬉しく思います。何人もの方と同じ話題で話をしあうことができ、人それぞれにもっている自我を認め合うことが出来ることも理解をすることができ、その中で協調できる立ち位置を歩み寄ることだと、合点して学び取ることができました。昨晩は小さな提案であった心算で発言をしてみて、その反響が以外にも大きいことを実感しているところですが、この波紋が全てに将来に亘って、大きな成果を生んでくれることを期待してしまいます。
2008.05.21
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禍福は糾う縄の如しと言われていますが、事の発端は何であれ、世の中いろいろ、人様いろいろ、実に綾なす模様は良悪混在の千差万別で、ここ二・三日がなかなか面白い経験ができています。毎日呆れるように愚痴っぽい事案をコメントしていましたが、皆さん話せば分かることを、直接対話することを避けることによって、噂話が独りでに歩んでしまい、あの人が言った、この人が違ったことを言ったと、流言が真実となっていくことがあります。今回もまさしく噂話が一人歩きをしてしまい、ご自身が持っている真実と裏腹な情報が、人を介して歪曲されて、あの人は駄目はなっていないとの流言がされ、広範囲に増殖と蔓延が進んでしまったようです。今回話題になっている渦中の方がいるのですが、正直なところ、普段は苦手とする分野であまり理解をされていない分野に対して、色々な方々が入り知恵を与えてしまい、少々情報の交通整理ができないまま、頭の中が混乱をしていた様子にみえました。それぞれがお互いに持っている自負とか誇りがあって、胸襟をあけてまで周りの方々に相談ができない環境が出来てしまったために、なおさら孤独な作業が悶々と繰り返されたと推察しています。そんなチョッとばかり距離感を持っていた方と、ふと直接電話で意見を伝えることにして、電光石火の早業でもって、その渦中の人お二人に連続して私心を伝えることができました。確かにお二人は孤独な悩みの深まりにはまっていて、電話で真剣に実情と打開策を提案させてもらいますと、人が変わったように人情一杯のありがとうの返事を訊くことができました。まずもって立ち居地の役職は実感されているのですが、内容についてはちんぷんかんぷん、人が言われたことをそのまま受け入れて、自身の能力を超えた情報は整理がつかないまま、不信感とストレスになっていき、やがてはヤル気までが萎えてしまったことを吐露されていました。人助けをするタイミングが大変に難しいのですが、ひとつ反省をするならば、期限が切られている案件をもってして、何故に早くサポートをしてあげることが出来なかったか、悔やまれるのですが、役割上その役割が無いが為の発言を、あえて控えてしまっていました。それこそ越権の助言となってしまい、権利の乱用に摂られかねないわけでして、理解者の一員としての立ち位置は結構悩めることがわかりました。人一人がいますと、その周りにいる方々は、須らく同じ価値観をもって良き理解者として、役に立ってくれないこととか、人のいがみ合いとかに禍されて気遣いしてしまうものです。排他的な仲間作りでは決して善いことはありませんし、組織に悪影響をもたらしますので、あやを織り成す社会事情は置いといて、まずは快く情報の交換が話し合えることを願い、立ち位置が違ったままで、人様を認め合い許しあう、分ち合いの友愛を育みたいものです。先ずは助言をする形で応援をして、相談を願われる下地を構築させる中で、ひとつでも多くの支援を積極的に進めることを心掛けて生きたいものです。こんどお会いする時の渦中のお二人が、なんと言葉を掛けてくれるかが、大変に興味がありますし、非常に楽しみになってきたところです。
2008.05.20
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組織の決まりごとを書き込んだ文章があって、読み込むための努力をしていたのですが、理解をして応援をしてくれる人は少なく、結構孤独になって、細かな文章を読み砕いてきたのですが、昨日ですっかり終えることが出来たと思っていました。一応ですが自分なりの添削を含めて、長い決まりごとを加筆修正して終わり、昨晩に何人かの親しい方にメールで添付して、文章の校正方をお願いしておきました。ところが朝になってから、何箇所も訂正の問い合わせが重なって、人様に決まりごとの文章を解釈させる書き込み能力が、須らく欠けていることが実証させられました。確かに指摘をされた箇所を読み直していきますと、箇条書きにした連携性が上手くいかなかったり、数字の関係説明が崩れて連携性がなくなったりして、文章で伝達うることや、決まりごとをより理解をしてもらうことが、どれほど大変なことか納得させられました。自分が持っている頭脳の許容範囲を超えてしまって、少々パニック症状を引き起こしてしまいましたが、それでも支援する仲間がいてくれること、原本になる決まりごとを配布した本部とのコミュニケーションが取れたこと等々、幸いなことも恵みとして良き支援を受けることができました。こうして長い時間、根をつめて作業をしていますと、頭が混乱するほど複雑な文章に迷ってしまい、途中で気が絶えて飽きがでてしまいましたが、腑には偏屈な根性があるようで、最後まで自分で遣りきらないと納得できない悪癖を発揮しています。組織の決まりごとであれば、当然皆さんが参加をしてくれることと思いますが、決まりごとに書いてある組織があるのですから、担当する者が先頭を切れば良いことなのですが、人が作る組織とは、名ばかりの無責任さが日常化しているように感じています。組織の事情は良く分かっているけど、できない、遣れない、分からないの三つの返事が戻ることが見えてしまい、それであるならば、さっさと捗らせる仕事を勧めるのが身のためになると納得させています。自負として思っているのですが、忍耐をもって献身的なお手伝いを率先する自分の姿を誇り、これで好いことなのだと決め込んで、何の不愉快な思いや愚痴がでないように、心の鍛錬をしているところです。先日の講演でお聴きした、1000日回峰修験者の塩沼亮潤大阿舎利も、もうここでお仕舞いと思ったことが何度もあったそうで、堅忍不抜の精神で耐えることとは、孤高で厳しく寂しいものなのかも知れません。回峰修験者とは比較ならないことですが、自身の能力と環境下では、良く耐えて頑張っていると自身に御褒美をプレゼントして、我が人生は陰徳が似合っているのだと思ったりしています。今回の陰になっての尽力が役に立ってくれ、きっと皆さんからは、役にたち助かりましたと、喜んでくれることを期待しているところです。
2008.05.19
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休日の爽やかな天候に恵まれて、二階の事務所の窓を全開にして風を呼び込んで、溜まっている事務仕事を、夢中で片付けているところですが、ふと気休めに、ネットサーフィンを楽しんでみたりして、気ままな気分転換をさせてみたりしています。偶然のことですが、いつもホームページにお邪魔する、上司の方の日記を覗いたら、まったくのLIVEな書き込みをみつけてしまい、間髪いれず瞬時に電話を掛けてしまいました。それは思った通りでして、正しく上司が事務所でパソコンに向っていて、溜まっている日記を書き込んでいましたので、その内容に付きまして、いろいろ教えて頂いたり意見交換等をしてみました。片手で受話器をもちながら、片手でマウスを操作させて、おそらくは、こうしているだろうと予測がつく事務所の光景を頭に描きながら、パソコンの画面の日記を覗きあってしまいました。いつも話をしていることで、お互いに思いやりを大切にして、もっているわだかまりを希薄させて、友愛を高める交流をしなければ、人間としての成長が疎かになっていくと、二人して改めての確認がとれたところです。だからこそ、お互いが意識を高めていかなければいけないと、同調することができたのですが、参加する方を等しく同じレベルに高めることは、なかなか困難な作業でもあることを実感させられてしましました。お互いに直接話してみることが大切なことですが、その前にネットを上手く利用して、自己意見を公開をする効果をもっと活用すべきと、確りと確認することができました。上司と二人の心の中で相通じることは、慈悲とか仁愛とか慈愛の大切さを話することができたのですが、精神論を人様に伝達させることの困難さを、経験上解っているだけに、新たな一歩前進の勇気が貴重なのだと、認識をし合うことができました。上司の方も私も、ネットで日記を公開している時間が長いのですが、ある程度慣れてくると、話言葉以上に本心が文字化してくれるもので、日記の文字空間から読み取る本心と本音の意味合いが、阿吽の呼吸で理解されてくると期待してしまうのです。人様との協調をさせながら、お互いが刮目できる環境を構築させて、阿ね合う情けを無用にさせる心構えを、電話口で納得の頷きをしてみたのです。一人でも波長が合う方がいることで、とかく滅入る精神が、心豊かに活気をもてればと、瞑想できるほど静かな、休日の事務所で思いふけっています。孤高を楽しむことも時の流れだと思いますし、仲間が増えてくれれば、これまた心強い楽しみが沸き起こってくるのですから、耐えながらも夢がある充実感を味わうことが幸せに思えます。
2008.05.18
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懸案であった事務手続きがあったのですが、責任者のお一人が昨夕に事務所に寄ってくれて、徹底的な討論を交わしながら、ある程度の方向付けが出来ました。昨晩の寝しなにふと思ったことは、理解者が一人でも出来たことが嬉しくて、世のため人のために貢献できる喜びとして、土日を利用して滞っている懸案を整理することができると、ほっと安心をすることができました。目覚めも宜しく愛犬とごみ出しにいき、朝の諸々の用事を済ませて、いつものように居間のテーブルに座って新聞を読み終えた処で、いつもの状況と違っていることに気付きました。家の中では、家族の誰かと必ず一緒にいることが多い、愛犬の姿が見えないので、名前を呼んでみた処で、いつもの首に付いた鈴の音が聞こえないのです。日常が放し飼いになっていますので、良くある習性で、愛犬が一人で近所の散歩をしているのかと、特に心配をしていなかったのですが、今日はあまりにも長い時間帰ってこなかったのです。いつもの習性は家から100メーター離れた空き地で、10分程匂い嗅ぎの遊びをして、そのまま戻ってきますから、ほぼ20分もすれば自宅に姿がみえるのでした。ほぼ一時間経ってから、散歩コースを歩きながら口笛で呼んでみたのですが、観える姿は空想のままで、気持がだんだん不安になってきて、自転車に乗り換えてご近所中を捜し求めることとなりました。名前を連呼して口笛を吹きながら、まるで選挙運動の連呼と同じようになって、平常心であればとっても出来ない行動を、一時間程度することとなりました。途中でお会いした散歩仲間の方が心配をしてくれる中、通り過ぎた交番によって、迷い犬の相談をして見ましたら、8時過ぎに我が家の近くで捕獲して、パトカーに乗って本署に保護している迷犬がいる情報があるとのことです。早速自宅から車に乗り換えて、地元の警察署に行きましたら、一番奥にある署員の出入り口に、大勢の署員とともに愛犬がにこやかに繋がれていました。近づくに従って慣れ親しんだ首にある鈴の音が聞こえ、確信をもって我が家の犬ですと、係官に申し出することができました。こんなに大人しくて愛嬌があって上品な犬は珍しいですと、破格のお世辞を頂きながら、署内を駆けずり回ってお礼をして来たのですが、注意を受けるどころか、愛犬がもっている愛嬌さが、警察の皆さんの心を一手に引きつけて、署員の人気者になったようです。引取りの書類作成の時に知ったことですが、いつもの一人散歩の姿が迷い犬と勘違いをした人が、パトカーを呼んでしまったことが原因だったそうです。外に出て直ぐ30分くらいで、我が家から50メーター離れた処で、パトカーに自ら飛び乗ったそうで、その仕草とか愛嬌が一層人気者にしたようでした。すっかり世の中をお騒がせしてしまい、関係する方々に深々と侘びと御礼を伝えてきたのですが、当の本人は何食わぬ顔をして、いつものようにのんびりと寝転んでいるのです。すっかり昨晩の良き夢ごとが現実の厳しさに打ち消されて、午前中があっと言う間に過ぎ去って、午後に出掛けた家族との御墓参りが、騒動が落着してからできたことだけでも、大過なく幸いに生きていける事実に、ありがたく感謝をしているところです。
2008.05.17
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期限が切られている団体の決まりごとの変更に、所属する皆さんが以外のほか無関心でいることが不思議であったのですが、結局時間切れもあって、善意をもってお手伝いをすることにしました。いろいろな方に声がけをして、具体的な相談をしてみたのですが、仕事が忙しくてやっていれないとか、分からないし面倒だからできませんと言う方々が、なんとも多くいたことが情けなく残念でした。まったく積極的な言動が出来ない方々は、何の目的でメンバーになっているか、まったく持って不思議な存在にみてとれ、一人一人のお顔を走馬灯のように思い浮かべています。こんな方々の思いとは、とりあえず仲間になっていれば、何かの時に利己的な場面もあるだろうと、安易に我欲を張っているとすれば、まったくもって悲しいことで、一層のこと自ら辞めて欲しいくらいです。この世の中何かと無関心派が多くいると感じ取ってしまうのですが、個々の自意識を高めていかねば成らぬのに、その心を忖度すれば、本音は面倒なことには時間も金も関わりたくない心が本心であるように思えます。仕事が忙しい、時間がない、金がない、と決まり文句がありますが、これを言ってしまえばすべてが理解できると勘違いする輩が比較的多くいる現状を知って、何とか改善したいと打破をしたくなりました。人の集まりの中には、無風の環境が一番相応しいようで、事なかれの平穏な空気が徐々に支配がされていますが、時流刻々の変化があって、いつもいつも金時飴の無変な様子は通用しないのだと思います。時流をかぎ分けできる能力は個々によって違ってきますが、一つだけでも意識を高めていくだけで、いくらでも前向きになって取り組むことが出来ますし、積極的な考えも浮かんでくるものです。誰しもが思うことは現状維持の普遍な安易さでなく、少しだけ厄介で難しくても、改善することが自身にも他の方にも波及的に善行利得となるならば、喜んで参加をしてくれるものだと信じています。気付かなかったことが、意識を高めることによって、少しずつ効果をはっきして、周りの評価が味方となった時に、一人が二人、二人が四人になっての波及効果が生まれてくるのだと信じたいです。一人孤独になって改革改善を謳っていた時と違って、回りには大勢の協賛者が目覚めていてくれる分けで、意見交流の参加型から、積極的に変ることが嬉しいものです。これからお会いする方も、漸く変化の意義を認めてくれた人で、暫し口角泡を飛ばしながらでも、議論を遊びながら理解を得る話し合いをしてみたいと思います。どのような評価と協力が頂けるか分りませんが、聴いてもらえることが嬉しくて、話し合いができることが楽しくて、人の心の変容することがどんなにかを確りと観察をしてみたいものです。心のどこかに必ず気にしていることが、素直に表現することが出来なく、話を聴いてくれる人がいない環境も、参加しているメンバー全員の、無責任さとなるかもしれません。
2008.05.16
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世の中には多くの様々な役割がありますが、携わっている方との接点が無ければ、その実態はなかなか見えたり実感されたりできないもので、知って観て初めて理解できることがあります。先日講話をお聞きした、1000日回峰修験者の塩沼亮潤さんの体験談も、お聞きする中で経験された荒修行の厳しさは、十二分に理解できるのですが、その困難な修行は行ったものでなければ理解できないことです。話や文字で感覚的に分かったようで、自身が体験した状況を重ね合わせて、その状況をイメージしているのですから、個々のもつ価値観や生活観で、様々に大きく評価が分かれてきます。昨晩あったチャリティー・コンサートも歌手の芹 洋子さんをお迎えして、御協力を頂くなかで無事にコンサートが終了できたのですが、芸能界の一端を垣間見ることができて、いろいろな思いをしています。先ずは華やかなスポットライトを浴びて、きらびやかな舞台の注目を得るのですから、さぞかし華麗な生活をされているのだと思ってしまいますが、なかなか苦労人のようで、長いキャリアの中には、多難なる難儀を乗り越えてこられた様子が垣間見られます。舞台の上からでは、笑顔でさりげなくお話をされていましたが、身体ひつの舞台を稼業としているのですから、生身の身体の変調があって当然のこと、真のご苦労は他人には全てが伝わらないはずです。役目上リハーサルから会場で観ていたのですが、演奏の方や音響と照明の方との打ち合わせは、ことのほか細かく指示や相談をされていましたが、専門的なこともあって、最高の環境を目指す御本人の思いが尊重されていました。芹さんも全ての関係するスタッフを労わりながら、その細かな気配りに感心をしてしまい、予定されたコンサートが30分も延長されて、会場が一体になっての素晴らしいコンサートになりました。会場を満員にしてくれた友人達と、そのご家族の皆さんが醸し出してくれた、慈愛に満ちた応援の思い遣りが充満して、誠に穏やかな場の和みを感じ取ることができました。大勢の観客に囲まれて演技を披露する方々は、この舞台と会場が一体になっての興奮度を高める場の雰囲気は、一種媚薬的な陶酔を味わうことができるのでしょう。聴き手として感情的な満足度を満喫できる喜びは、芸を提供する側に立ってみれば、どれほど真剣に厳しい鍛錬を繰り返し、見ることができない修行がされているのだと、推察ができるのです。昨晩のように参加された友人達の暖かな温情を頂きながら、素的な宴を盛り上げてくれた芹さんとスタッフの心配りが加味されたからこそ、素晴らしい和合の場が出来上がったのですから、その全てに感謝をしなければいけません。そのことを一番肌身に染みこませて知っているのが、芸や演技をみせる方々なのでしょうから、自身を煌びやかにみせるためにも、周りの全てを味方に引き込ませる術を発揮させるのでしょう。外見からは窺い知れない骨太な根性は、最後まで感じとることが出来ず、今朝になってみれば、丁寧なお礼の電話が入って、徹底したプロ根性をうけてしまいました。
2008.05.15
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今夜はチャリティー・コンサートを企画した開催日を迎えることになりましたが、急遽司会進行役を仰せつかってしまい、今になってあわてて準備をしているところです。チャリティーの目的はAEDを県内学校に寄付しようと、ホテルを会場で歌手のディナー・ショーを企画して、その余剰金を活用してAEDを数台寄贈できればと思っています。今回この企画書を作成してはじめて知ったことが多くて、先ずはAEDなる自動体外式除細動器も見たこともなく、漢字の意味も分りづらく、AEDのスペルも知らないままに、準備会の仲間入りをしていました。期日が近付くにしたがって、ネット検索をしたりAEDの現物を見ることができたり、徐々に意味合いが理解されてきましたので、その貴重で有益な役割とあわせて、シャリティー支援の意義を強く意識することが出来てきました。なにごとも接してから、知ることから因り一層の知識と親近感を享受して、先ずは関心が持てる部分から興味を示して、一段と深みを増した成果を目指していける機会としたいものです。今回は初めての経験から多くのことを学び取ることができ、今にして思うことは工夫することが余りにも多くありすぎて、たくさんの反省をしているのですが、今晩最初のチャリティー・コンサートが幕を開けてしまうのですから、これも次回への教訓として生かしていきたいものです。まったく違うことを経験することで新しく知りえる知識や情報、関わる人々から数々の教えを請う事は、新しい友愛を育むことにもなりますし、精神的な刺激が得られて、自信の励みにさせてくれると依怙贔屓しています。いろいろな会合があるなかで役割も引き受けをするときに、馴染んでいる役割とかはいとも自然にひき受けることができますが、馴染みが無い役割についてはついつい敬遠をしてしまいがちです。こんなときこそ積極的に新しい経験ができること、人が敬遠をすることをあえて引き受ける器量を身につけて、結果として人様が喜んでもらえることが、自身の素直な喜びとなることを願っているところです。昨日に書き込んだ件もそうですが、他の案件でも人任せの無責任な事案が多くあって、手助けすること事態はなんの問題もためらいも無いのですが、相手の依頼する方のほうが、他人任せの無責任な意識を持っていては、此方の素朴で自然な善意が報われてこないのです。まったく自己責任を負えない方は、我侭で我田引水的な身勝手な方が多く見受けられますし、軽蔑をもって評価をしたいのですが、自分自身では自己修練としての学びごとと達観して、人様々な多様性を容認することが信念だと喜ぶことができていますので、心新たに無視するのでなく仲間の一人として受け入れることに腐心すべきと心得ているのです。心無い方からは、何でそこまで犠牲心を発揮しなければいけないのかと、大きな不信を買うことになりますが、人は人、自分は自分の価値観であって、自身の信念に正しい行いをすることで満足するのですから、正直に多様性の価値観を誇りたいものです。講演会などで良く耳にする、陰徳を積むもの必ず果報ありとか、陰徳あれば陽報ありとか、積善の家には必ず余慶があるの諺が、これほど好きで自身に似合っているのだと、自己自慢の納得をしています。
2008.05.14
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気配りして陰徳を積み上げる性格なものですから、自分の行いがすべてに利己的に結びつくことは期待していなく、その欲が無いところが自我自尊だと思っています。まさに期限が切られている、約束事項の変更が案件としてあって、担当する責任者には、その作業を行う必要性を、前から情報公開をしていました。持ちうる情報を提供開示していたのですが、一向にその相談をうけることと、作業を始める様子が見えてなく、第三者的になって、距離を離れて心配をしていたところです。私なりに、内心如何するのか心配をしていたのですが、今日が時間的な最終期限になることもあって、組織を先達された方に私心を打ち明けることにしました。提案事項を箇条書きにして、先日お目通しを願っておいたうえで、今日お時間を作って頂き会談を済ませてきたのですが、人のもつ価値観と危機感の勘違いを、まっとりと身に染みて感じることとなりました。これほど時間的な切迫を担っている、重要案件にも関わらず、いとも他人ごとにしか役割責任を感じていないとは驚きですし、組織としての役割の怠慢を露呈しているだけでした。もろもろの問題事項を箇条書きにして提案しても、さしたる反応が返ってこないことに、なにか不甲斐なさを感じるのと、あわせて共有する情報開示と問題提起の能力を、如何に能力アップすることができるか、真剣に悩んで討議すべきと思いました。ともに現状を把握して、問題事項を検討する積極的な環境づくりに貢献するには、どのような役周りを果たしていけば好いのだろうかと、本気になって思案をしているところです。どんな時にでも、出来ることを出来るだけ約束事に合わせて、組織の役割を動かす支援をすることが多いのですが、気付くそのたびに思うことは、時の役目を担った方を大切にして、沽券に関わることができるように、陰徳の尽力をつくしてあげたいと思うのです。率先して提案をして資料を集めて詳細な準備を進める能力をもっても、時の責任者の方が立場を保持できることを支援できることで、他意と利得を得れなくとも良いと信じるのです。なんのと気にも成らないことと、人の為に無駄な骨折りをする必要性を問う方がいらしても、それは他人の思う価値観であって、凛とした生き方の中での自己満足であれば、一生懸命人様へのお役に立てる役目を、発揮させて貰う思いをしています。損得だけで言えば、自身が思い実行したいことが、責任役割をもった方の口から提案されることが嬉しく、決議されれば尚更自負が出来るわけであって、自身の問題意識が間違っていなかったことが証明されて、かえって誇りにも感じるのです。今回お手伝いすることが、誰も意識無く無関心にいることに、とっても不可解な思いがあって、如何にしたら責任意識が持てるのかと、他人事でなく心配になっています。担当の役割をもった責任者の方は、役職が欲しく役職を誇って、役職を対外的に誇示することに喜びを感じるだけの方々のようです。その役職から得る人生の歩む道を学び、役職の責任を果たす努力もせずしているわけで、結果的には一番損をしている人なのですし、可愛そうで勿体無い方々だと情けなく思ってしまいます。
2008.05.13
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見かけによらぬと言うことは、目で見た範囲だけの判断と実際のことが違うと言うことで、日常的には人様の実年齢を表現することがあります。とくに最近になってのことですが、自分が初老の身でありながら、人様が野暮ったい年寄りに見えて仕方が無い症状に落ちいっています。今日あった会合でも、実際は若年の方が多くいらっしたと思うのですが、隣席の方も前席の方も後席の方も全てが自分より遥かに高齢な方だと認識できるほど、老け込んだ年齢をみせていました。確かに外見からはメタボリックな胴回りと、身体全体が脂ぎっている恰幅の良さから推察すれば、比べる年齢も10歳くらいは老いていると判断しまいました。溌剌とした視線が弱い感じで、全体的に覇気がない同胞を見るにつけ、果たして自身はどのように見られているのだろうかと、多少訝ってしまったほどでした。人は環境で大きくその表情や人相や思考までが、多様的に変容してきますが、実年齢を人より若く見せてしまう要素とは、どんなことがあるのでしょうか。何もかもが裕福な生活が出来、不安や不自由さが感じなければ、至って温容な安心をした人相や表情を見せることが出来ると思うのですが、安泰すぎると言うことは弊害もあるようです。土曜日にお会いした千日回峰修験者を体験された大阿闍梨の塩沼亮潤さんは、山伏として修験を積まれている時の壮観なお顔からは、目だけが鋭く光っている人に見えました。一種異様な顔立ちの修験者の姿を、写真から拝顔できたのですが、無事満行を果たされて、今となってのお顔の優しさは、誰をも許せ得る度量をおもちに感じられます。心の奥深い中からお顔に滲み出る優しいお顔立ちは、生まれたての赤子の様子が伺えて、無心で無欲で無我で素直で心優しい愛情の包容力を、如何なく発散させているようでした。私自身もここ何年か、幾多の艱難を体験してきておりますが、この苦難を自身の人生修行として受け止めて、耐えしのぐ難行を果たして行くならば、心優しい温厚な人相を、身に着けることが出来るのだと心掛けているところです。塩沼亮潤大阿闍梨のような、悟りを開いた自然体の人となりを身に着けて、自身が苦難から味わった教訓や体験を通して、世の中に恩返しができるように、日々挫けずに喜んで忍耐を味わっていこうと決心をしています。人よりの若く気持が持て、身体も年齢以下の若さをもって、毎日を生かさせてもらえる至福は、一つ一つ一日一日が修験の行と意識できて、より一層自分の心身を磨くことが出来ているのかもしれません。平々凡々と裕福な生きかたも良いのですが、よたよたとよろけながらも、苦行を乗越えていく耐える人の姿が、神々しく輝いて見えるのかもしれません。人に新鮮な感覚を提供できる立場になるためにも、このところは真摯になって見習ってみようと思っています。
2008.05.12
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昨日新宿であった、修験者塩沼亮潤大阿闍梨さんの体験談をお聞きしたり、先んじて紹介される方からのお話や、紹介文の中に出てきた言葉が気になっていました。何度も話された、修験者とか大阿闍梨とか荒行とかの言葉が、話の意味合いとしては理解できるのですが、漢字としての表現や、文字とか本来の意味合いとかになると、結構好い加減な浅知識としてか持っていないことを知らされたのです。今日の空き時間になって、ネットで調べてみれば、関連した情報が洪水のように接することとなって、一度では頭に知識として入らないほど、様々な情報量となりました。山岳信仰者は山伏として表現をされていますが、最近の生活の中にある日常語としては、滅多に言葉として使用しない言語があるものです。日常的にはある程度の知識をもって、普通の交流が果たせれば好い訳であって、それ以上の専門知識や情報を持っていても、社会の中ではそれほどの評価が得られないものです。知っていることの大切さは否定しませんし、知っていることの有り難味と自負心は、自身が一番良く評価を出来ることだと思います。人の顔には一つの口と二つの目と耳があると言われるように、二つの目で人を良く見極めて、二つの耳を利用して人の話を良く聞き分けて、見識をもって確りと熟知と理解をしたうえで、一つの口から責任をもった答えをしなさいと、自身の良き訓話と理解をしています。時にはですが、多くの仲間や知り合いの中には、知っていることを必要以上に公言をする人や、知った以上のことを他人に対して、何倍にも知ったかぶりをする方がいます。昨日の講演会ですが、修験者で1000日もの荒行を経験された塩沼亮潤大阿闍梨さんは、講演会の中で話された態度と言葉は、常に冷静に淡々とされていて、威圧的な言動は微塵も窺い知ることがありませんでした。それでも真実の重みと威厳は人の心に訴えてきて、聞き手の心の中に自然と感動を与えてくれて、聴衆が無心で聞き入れることができるのです。塩沼亮潤さんの様に、自己抑制が出来る方や懐が深い方は、自然と奥ゆかしい言動をするもので、一層人からの信頼と信用が積み増されてくるように思います。これは自身が体験された難儀や、苦労をされた艱難の時間に比例してのことと、今日になって改めて納得をしているところですが、忍び耐えることの素晴らしさは、人を成長させるための至宝に思っています。知ることの素晴らしさを誇れるように、より一層の勉強を重ねていくべきでしょうし、前向きな心掛けをしつつ、しっかりと腑に落とし入れてから、人様に無礼にならない会話に、言語を利用できればと願います。もっとも何時ものように無知がゆえ、人様からの教えを請い知ることばかりが多くて、人様への無礼が発揮出来ないことに安心をしているのですが・・・
2008.05.11
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角筈と書いて何と読むのだろうかと、成人になったばかりの社会人は、東京新宿駅の西口が再開発され淀橋浄水場の移転が決まって、新都心が出来上がる前の都会の人となって、若さを良いこと悪いことに遺憾なく発揮させていた頃がありました。その後地元に戻ってしまい、時々にしか新宿西口の街は縁がなかったのですが、本当に10年ぶりぐらいに雨天の土曜日の新宿に足を踏み入れてきました。新都心の30階の部屋には熱気が溢れていて、会場には立ち席が出来るくらい、老若男女の方々が集って、開演の時間を静かにまっている情景は、ちっとばかり大人の集まりを感じてしまいました。月刊誌の到知出版社が書籍の出版を記念して、1000日回峰修業を満行達成された、大阿闍梨塩沼亮潤さんのお話を有難く拝聴することができたのです。19歳で出家して、9年間の間に金峰山回峰修業を1000日間された、精神的な強さを感じさせない、淡々としたお話しぶりが伺え、時間が経つに従がって苦難の修業の模様と、生死をさ迷ってまで、ひたすら一歩前に行くことだけを目指したそうです。食事や就寝も満足にできる時間が無いほど、極限の困難さに立ち向かって、毎日繰り返されれる登山修業が、真の無心を開眼させてくれたようです。回峰修業を満行してから行われた、本堂内での四無行は連続9日間、食さず寝ず飲まず休まずの荒行だそうでして、命の限界まで極限されて、意識が無くなるどころか、肉体の働きが非常識に変化するまでおこなわれ、死と直面した中からの悟りは、あくまでも素直な感謝と真心だと教えてくれました。塩沼阿闍梨は特別な荒行を満行された方からでしょうか、とつとつとした一種独特な語り口は、決して饒舌とは言えないのですが、極普通の語り口で話されてる、阿闍梨からの苦行の経験談は、聞く方の意識を変化させる説法ではなく、あくまでも聞き手の意欲と意識を高まることを願っているようでした。無理に相手を納得させる手法でないのです、淡々と説法をするのでなく、心の中にある極自然な思いを伝道させるだけなのです。誰もが決して真似をすることができない荒行の経験を、いとも簡単に伝道させる素直な心は、人をすべてに許してしまえる器量の大きさを、修業から身につけることができた至宝なのだそうでした。命を預ける荒行を満願されて、常人が決して味わうことが出来ない修業からも、人様への親切心と許容心だと何度も話されてくれたことが、なんとなく嬉しくて当たり前の大切さなのだと、深い納得をすることができたのでした。大勢が集って熱心に学びをする講演会を頼もしく、その意欲ある方々の仲間にいれる幸福感を満喫することができ、荒行こそ出来ない身を思いつつ、苦行に立ち向かう剛毅を尊敬し、阿闍梨に合掌をするだけなのです。新都心の30階の近代的なビルの中空で、有難い法話を聞くことができ、阿闍梨の回峰と重ね合わせている自分を素直に感じていました。
2008.05.10
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時間が予約されて気が急いているとき時ほど、突然の来訪者があったり、複雑な電話が何本も入ったり、目の廻る忙しさになることが、当たり前のように現実化される昨今、一段落すれば結構満足感を味わっていたりします。慌しく過ぎ去った一日の時間が、何日間も過ぎさった感じを味わって、多少の疲労感が心地良く感じとることができています。約束の時間に約束した場所に行き届かない不愉快さと、焦りと羞恥心が織り交ざって、移動する車中では、独り言のように、ぶつぶつ自身の不甲斐なさを責めてみたり、悪癖の性格さを反省したりしています。今日も約束した事務所の直前で渋滞にはまってしまい、携帯電話で連絡をしようとしても、できない焦りを感じながら、ギリギリの時間で会議に間に合いました。何時も仲間になる方は、生活の時間管理がしやすい方なのか、毎度定時30分前には会場にこられる方で、心掛けが正反対の様子に接する度に、見習うことを心の中で誓ってみたりしました。余裕をもって集合できお手本になる方を見習って、是非とも実践が果たせる行動をしていき、沈着冷静な余裕をして、よき人様のお手本としてみたいです。集会と会議が連続しますと、移動の車中が頭の整理になって、気分転換とあわせて頭脳回路の切り替えが適度に作用してくれることが嬉しいものです。時にBGMを聴きながら、ボリュームを大小に切り替えながら、あえて声をだしてカラオケしたり、大げさなジェスチャーを発揮できるのも、孤独な車中だからこそできる技の一つです。同じ斜線で並行して走る車の方からは、アッと驚いてしまうだろう奇態が見てとれるのでしょうが、こうした自己管制ができるからこそ、人様に大きな迷惑をお掛けしない日々を送れるのでしょう。毎日の生活から発することができる波動があるとすれば、自分の為だけでなく、人様が喜んで貰える波動を意識して、ある程度は意識を高めて集合体の共和を図っていきたいものです。受け入れてくれる人と場があっての行動ですし、コミュにケーションが取り合える幸せがあってこそ、忙しくも移動することができるのだと思います。コミュニテーを感じ取り、交流できる場にいれる幸せを享受して、一人はみんなの為に、みんなは一人の為に、譲り合う互恵の精神は忘れてはならない、人の生きる基本なのかもしれません。会議場で集る方から、役を果たせてもらえる空気を感じる時の、それなりの存在感をたっぷり味わって、新たに自身を叱咤激励する自戒にしています。
2008.05.09
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よく風を読むとか風を感じるとか言われておりますが、極当たりまえに生活している街でも、気分によってなのか、その街が発している空気の流れを感じる時があります。久し振りに中心街で会合があって、出掛けてきたのですが、歩道を歩く時から活気が身に伝わって来る、力強い風を感じることができました。こころ踊る好い雰囲気の風を感じてしまい、一瞬嬉しくなってしまったほどですが、身体の奥深くまで、活き活きとした風が染み渡ってくる感動を味わうことができ、馴染みの街でなくて、初めて訪れた海外の興奮を覚えてしまいました。多少興奮を覚える躍動感があって、心底意欲が湧いてくる感覚は、恐ろしいもの無しの元気が漲りますし、年齢を忘れた張り切りぶりを発揮したくなりました。午前中には、先日依頼された確認事項に立ちあってきたのですが、それこそ空気が悪く風が淀んでしまい、まったく躍動風を感じ取れませんでした。立会いの相手方が、一方的に自分の利己主張だけをして、相手の方々を思い遣れない身勝手さは、いくら心を平にしても、許せない怒りがこみ上げてきました。自分の都合で確認事項の会合に呼んでおきながら、ご苦労様の一言が言えない初老の人も居ることを知り、なんとなく情けない思いを満喫してしまいました。ましてや初対面のお願い事は、丁寧な挨拶から始まることを礼とすれば、一方的な我がままを押し通すだけの人の心が理解できませんでした。心に染み渡る風は感じられなく、情けなく冷たい心の持ち主が、一人だけ勝手な言動を吐いていては、こちらの気分まで害されてしまい、不信のいらいらは募るばかりなのでした。こうした輩が多く居る世の中でも、自分の信念を確りと保つことで、自身の爽やかな心の中に風を吹き込ませることができる、自己コントロールを叱りと持ちたいものだと思うのです。相手の方の非ばかりを攻めることは止めて、自分自身が同じ言動を取らないように、非の言動をする人から学び取って、反面教師の自制をできる人を目指す必用があります。爽やかな興奮や感動を覚えることができ、人様の心の中にも新風を感じさせることができる、よき影響を及ぼすことを、粛々良識と礼節を重んじたいものです。
2008.05.08
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奥歯が完全な治療を済まさない為なのか、違和感と痛みがあって歯磨きばかりをしているところですが、連休明けの今日も歯科医は休診の様子でした。連休前に、急遽特別な配慮で治療をして頂いた時に、次回の予約を入れることを失念して、診察券も医院に置いたままの状況なのです。年齢からくる老化は如何ともしがたい事実でして、目が霞んだり足が重くなったり、健康体を維持する努力と心構えは大変な気構えと忍耐が必要になっています。飲酒は身体が受け付けない体質なものですから、若い時の暴飲は別にして、今は晩酌も縁が無い生活をしています、愛煙は約2年前に断煙をすることができ、食事も必然的な粗食をする環境をもって、比較的健康的な日々を過ごすことができています。情感的なことですが最近になって頓に感涙しやすく、テレビで報道されるドキュメンタリー場面とか、高校野球の閉会式の様子とか観ていると、ひとりでに涙が落ちてきてしまうのです。自分でも不思議なことだったのですが、たまたま中国の胡首席が国賓として来日していますが、今朝にあった歓迎式典に演奏された国歌を聴き、儀仗隊が整列する儀式演奏を聴きながらテレビを観ていますと、感極まって極々自然に目袋に涙が溜まってくるのでした。特別な国粋主義を自覚するほどの人間ではなく、普段には特別な主義主張を誇っても無く、いたって物事に疎く鈍感過ぎる生き方をしているのですが、自己コントロールができない感情の高まりを覚え易い性質なのかも知れません。感情移入しやすくなって、感激家まがいの情感になったことの源流は、数年前に経験をした艱難の非常事態に味わった、人様の温かな心情を受けた有り難味が、大きく起因しているように思っています。偏に年齢からくる症状に起因を求めることも、魔か不思議な思いをするのですが、ここに至っては、生まれ育ってきた環境も原因になっているなのかと思ったり、そうした成長過程で身に着けて自己形成された性格にもよるのかと推察しています。あくまで気弱な性格で、周りの環境に感化されやすく、自己管制が未発達な人間だと思っていますが、比喩的には鉄火面の無感情を性格に持つことのない、安心をしていいのかもしれません。厳しい世の中を生き抜いていくためには、人様の心を無にしても、時には非合法な手法をとってでも、身勝手な利己主義に帰結させる輩よりは、女々しくても、素直で自然的に筋の通った信念をもつ感情家として、自身を誇りにして生きること、とっても素晴らしいと信じてたいものです。感激家、感情家になることは好いのですが、いつもいつも涙目では、世間の信用や信頼をえることも難しくなりますので、こうした言動は慎むべきことかもしれません。感性が豊だからこその結果として、感涙性であると強い念願をもっていなければ成りませんが、感性豊な感激家として、その本質を遺憾なく世に発揮させていけたらと、儚い夢を持ったりしていることは、初老の五月病なのかもしれません・・・・・・・。
2008.05.07
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暦の上では、子供の日であった昨日が立夏だそうで、爽やかな春の風を身に受けて、輝かしい太陽の陽射しを眩しく感じていますが、乾燥した爽やかな風に感謝をしているところです。連休の最終日となって、ご近所にも生活観が戻ってきて、晴天のした洗濯物とか、布団の叩く音が耳に聞こえて、何となく安心感という安堵の気持にさせられてしまいます。この連休の間は仕事も片付き、私的な宿題も大まか済ませることが出来、遣れ遣れと言ったところですが、課されることが毎日更新されて、次から次へと未決済の事案が溜まってくることが、少しばかり負担に思うのですが、人様から信用を得て任される自分を、新たな評価をして喜ぶようにしています。目先にすること、時系列に先々まで予定が入ってくること、自分の置かれた立ち位置は人様が認めてくれて、人様が評価をした度量とか器があってこそ、任される範囲の遣るべきことが巡ってくるように思うのです。人生も初老から本格的な老人社会に確実に向かっていく中で、今一度接している家族と事業とそれを取り囲む社会に対して、良識と常識を併せ持つ賢人として生きていけることを目指さねばと念じているのです。平々凡々な生き方が健全ですし、身にあった生き方なのかも知れませんが、生きている筋を通す意味でも、常に良識をもって常識で判断をして、勇敢な意思をもって凛とした判断をしていきたいものと、老いの一徹を希望しているのです。優柔不断な生活が似合っていることは、自身が一番良く分かっている心算なのですが、この世の厳しい世俗に生きていく気迫だけでは、如何ともしがたい困難さが立ちはだかります。堅忍不抜の勇者になって、人の為に成る働きを心掛けて、新しい種も蒔きながら、古い枯れ木も整理が出来るように、時には屈んで草とりもしながら、仲間が意識を高めてくれることを信じて、意識と行動のステップアップを図って生きたいものです。君子ならっず凡子豹変する様は、人様から観ると、変人に思われるのかも知れませんが、信じる強さをもって、是非とも人の為に世の為に尽くせる働きを目指してみたいものです。そのためにも、今抱えている難問を無事に解決させる必要がありますし、まだまだ余裕を持った生活を味わうことには、時間と努力が必要だと認識している昨今です。爽やかな春の風を幸せに感じながら、遅々として改善されない大きな問題を思うとき、滅入ることなく信念をもって堂々と剛毅を共に強く生きていくことを、新たに自身に納得させているところです。先日から観はじめている講演会のDVDがあるのですが、二種類とも英語のみのお話ですが、今日の心情にさせてコメント引きだしてくれた、私淑する素晴らしいタイの方の信念をもった言葉は、こころからの表現として心に響き渡る享受を受けているのです。言葉は言語でない心語を味わいながら、一歩前に進み一段上に登れた幸いを、実生活で慈愛をもって接して活用しなければいけません。
2008.05.06
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五月五日の端午の節句は、ドンヨリした今にも雨が降ってくるような曇天候で、我が家から眺める範囲には、鯉のぼりを屋外に掲げたお宅は見当たらず、連休を利用して一家で遠出をしているのか、子供の日の祭日に子供の声も姿も見当たりません。きっと行楽地には大勢の家族連れが繰り出していて、一家が楽しい一時を過ごしている様子が、夕刻のテレビニュースに映りだされることでしょう。事務的な仕事を捗らせる必要があって、窓を開放させた事務所の中で、あれこれマルチな仕事を数点同時進行させている時の気休めに、衛星写真の地図を観る事があって、ついでに気になる上空写真を探し出す遊びをしていました。最近は物凄い精度の写真が公開されていて、地上の人さえも判読できるほど鮮明な衛星写真が、簡単にパソコンから見ることができるのですが、飛行機でも味わうことが出来ない、鳥瞰の感覚を身に着けてしまいました。まさに鳥類の目線で上空かなたから高度を自在に変化させて、地上のものものを覗き込む、一種のマニアックな喜びを味う時間に没頭してしまっていたのです。覗き趣味そのままの変体ではなかろうかと、時々自問い自戒するのですが、都会の眺望に圧巻させられたり、観光地の大自然に圧倒させられたしているうちに、国内から海外へと未知の鳥瞰の目は欲張ってしまいました。たとえばよく利用する成田空港と羽田空港の位置関係と距離感は、平面の地図上では理解できないことが、上空を何度も旋回するうちに、東京湾を挟んで適度な距離感が保っていたり、東京湾の意外すぎる狭さが解ったりしています。たまたま住まいの上空を、成田と羽田の発着便が交差して飛来する情景が日々あるのですが、衛星写真から鳥瞰すると、誰でも離発着できるのではと簡単に思ってしまうほど、滑走路の位置関係が理解されたのです。地上では車や電車で2時間も離れている距離が、上空から解る位置関係から、首都圏の立体的な自然観を具体的に捉えることが出来、深い納得を一人静かに満足してしまいました。不思議な謎が遥か高いところから、鳥瞰することで氷解できる面白みを体感して、子供のころの感動に近い喜びを知ったのですが、ここのところの評価は人様々な多様性に分かれるのでしょうか。こどもの日の祭日に、一人子供の気持ちになってパソコンで遊んでしまった反省があって、二階の事務所の踊り場で暫し曇り空を眺めてしまったのです。大昔の子供のころは、街の彼方此方に長い丸太の天辺に、何匹かの鯉のぼりが勢い良く泳いで、五月の風を感じさせてくれたものでした。ガラガラと賑やかな音を立てて、矢車が元気をくれたものですが、きっと鯉のぼり達も、当時の人が目にすることができない俯瞰をしていたのでしょうか。時代時代の流れと共に、人の生き方や価値観が様々に変容してきていますので、鯉のぼりに変ってパソコンで鳥瞰をしても、残念ながら五月の風は感じられません。わが国を背負って立つ子供達の、健やかな成長を期待していきたいものですし、いつまでも自然の豊かさを味わってもらいたいものです。
2008.05.05
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愛犬を呼んでもまともに言うことを訊かなく、寄り付こうともしない風情が可笑しくて、休日の我が家に新たに誕生したばかりの生き物の来訪に、我が家の人も犬もそれぞれ多様性のある表情を見せていました。ほぼ二か月ほど前のこと、知人から飼い犬が妊娠をしたらしいので、生まれたら引き取ってくれと伝えられていて、誕生一ヶ月になる子犬8匹が大きな籠に入れられて、初のお披露目にやってきたのです。漸く目が開いたのか、まだまだ丸くなって一団の塊になるだけですが、今のメス犬と同じ女の子を選んで、赤いリボンを首に飾って、暫しの間親元に帰っていきました。赤子の特徴である独特な動物臭を発散させて、飼い犬になる女の子は目を閉じたまま胡坐の間にうずくまっていたのですが、今の愛犬に面会をさせても、愛犬のほうが戸惑ってしまい、どんなリアクションをしたら良いのかわからない、うろうろ落ち着きのない状態でした。気持ちの中では飼い犬は一匹で好いのだと思っていたのですが、家人が飼うと決めたことでもあって、飼うからには愛犬として家族と一緒に、愛情を込めて一緒に暮らしてあげたいと思うのです。それにしても一塊になって、お互いの命を保身し合っている様子を観るにつけ、命の重みを改めて直視させますし、生まれてきた宿命と出会いの運命を実感させられ、ちょっとばかり感動を覚えてしまいました。小さな命は何処で縁をもって宿命を授かったのでしょうか、本能のままなのでしょうが、兄弟姉妹の8匹が一固まりになって小震えあっている姿が、自然と同じ動物としての感情を高めて、感動を引き起こす衝撃を与えてくれました。生まれたての子供を見たときの感激に似ているのですが、小さな命の尊さは言葉では言い表せない、鼓動が直に身体に伝わってくる恐さを味わいました。何の感情も表現できない鼓動があるだけの子犬が、人を感動させる力をもっていることを、改めて感じ取る機会を受けることとなって、人に命の尊さを教えてくれているのですから、素晴らしい存在感をもっているものと、小さな命に只管感嘆をしています。受け入れる家族全員が一致して、新しい家族の仲間入りを歓迎したことが嬉しくて、相手がどんな種類の動物であれ、時間が経つに従がって、仲間としての感情移入が深まることを、深く念じて生きたいものです。動物を飼うことから発生する、多くの縛りが負担になることはありますが、それ以上に家族の鼓動が一つ増えている事実が生きる励みに繋がりますし、慈悲と慈愛の宝物を沢山増やすことが自己成長に繋がるのです。豊かな心が成長できる喜びを、家族の絆に結びつける至福は、新しい幸福の呼び込みになることを念じています。
2008.05.04
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人様の善意は何処までも限りなく受けることができ、好意に甘えることもできるのですが、自分が持つ常識的範囲で自制をしなければ、際限が無く人様に助けをうけ、迷惑もかけることになります。このへんの按排を、上手く心がけて生きていく必要があることは、年齢的に充分に理解している心算ですが、時として人様の助けに甘えることが、自身の精神的安定をもって、世の中で生きていける活動の源にもなることがあります。一昨日から歯の治療に通っていた近くの歯科医が、今日から休診に入ってしまい、昨日の施術の後始末をするために、わざわざバケーションの時間を犠牲にした娘さん先生が、遠路通ってきてくれ治療をしてくれました。何時もは母先生とスタッフと患者さんが賑やかに揃っているのですが、休診の特別治療ではマンツーマンの特待をうけてしまい、時間の制限もなく徹底的な治療を受けることになりました。治療に入ってからは話も出来ない雰囲気で治療を集中してくれて、とりあえずは連休中の安泰を保証するまでの状態に快復をさせてくれました。歯茎が腫れて歯根がぐらついてしまっている状態の治療ですから、治療の際に鈍痛や激痛が連続して、身体全体に思わず力が入って硬直させている様は、年齢に関係ない自己保身の術なのかもしれません。なにはともあれ、娘さん先生のご好意にとっぷりと甘えることができ、我慢ができない歯痛も、痛痒さを覚えるまで治まることができ、平常心で過ごせることが何よりも有難い幸せを感じています。歯の治療を通して気付いたことが多々あって、人様の心配りを慈悲として受止めて、真正面から評価をしなければならないことを学ぶことができました。機会があれば、是非とも慈愛をもって、人様にご奉公させてもらう恩返しができることを念じて、金銭欲や物欲の見返りを期待することの無い、純粋な心遣いを人様に提供したいものだと思うのです。のお医者さんだから休日を返上してでも、患者を診るのが当たり前といった、自己勝手で傲慢な思いをしてしまうものですが、一人の掛かりつけの患者に特別な計らいは、報恩を決意しなければ帳消しにはならないほどの、恩恵を蒙った事実は胆に深く留め置こうと思うのです。一人は皆の為に成れるように、皆は一人の為に成れるように、何時も尽くせる施しの意味合いを心がけていかなければと、心底からの改心をしているところです。
2008.05.03
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天上の節穴を一点見つめ続けて、約二時間ばかりの忍耐の時が過ぎ去った時の開放感が、疲労感の塊となってしまい、自分の身体ではない様な意識と感覚となっていました。昨日急患の形で治療をしてもらった歯医者さんが、今日特別に時間枠を作ってくれて、治療室では一人だけの患者として、母娘先生による治療をうけることができました。昨日の治療方法を巡る母娘の相談の結果が、出来るだけ抜歯をすることなく、何とか傷んだ歯を生かす方法を考えて、先ずは二本の歯の神経を抜くこととなり、ほぼ二時間に亘って口を大きく開けた状態でいたのです。麻酔の効いた顎が麻痺してしまい、先生が神経を抜く作業の困難さが実感でき、治療作業の痛さと口を開けた苦痛の継続は、正気の限界を知らされるほどでしたが、女医さんが無心で作業をされている様子をみるにつけ、苦痛よりも治療する一意専心の厳しい労働環境を思い、手を合わせ土下座をしても、償いできない位のご尽力を身に知ることになったのです。施術技術の度量とか素人が迂闊に述べることが憚るくらい、労力の限界まで医療奉仕をされていることに、改めて尊敬の念をもち、勝手な愚痴はいえないことを知らされました。確かな正直な気持ちは、長い時間を椅子に固定されて、口を開けたままで治療する痛みに耐えることは、医師に訴えていいのかも知れないのですが、これを耐えれば楽になると呪文をかけてまで、忍耐の価値感を磨くことが身につけられたのです。時間と共に意識が薄れていく自分があって、その感覚は、ひょっとすると修行僧の苦行にあるのかと思えるほど、無心で無欲な環境に落ち込んでいくのを覚えるのでした。暫し気が遠くなる幻覚は耐える楽しさを覚えさせ、自分の忍耐限界を知り、精神統一の自己修練とすることを、異常事態の治療の中で学びとることができ、一種の悟りを開けた新境地を味わってしまいました。ある種の肉体労働を目の当たりにすることになって、我が身の病を無心になって治療をされているお医者さんを、自身の至宝と評価でき、治療の時間だけでも大きな感謝の心を養うこととしました。走馬灯のように駆け巡る痛さを伴う苦痛の連続と、身を粉にして頑張ってくれている母娘の歯科医に、自身の人生の苦難を重ねあわせて、苦難を乗り切る糧とできました。長い時期の治療が終わって、母先生が根をつめた治療から、脱力感をみせていましたが、ご苦労様でしたと労う言葉を伝えながら、人生すべてに人の恩恵ありと、素直な心境を噛み締めることができました。
2008.05.02
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一年の3分1が過ぎ去ってしまった時節の流れは、急流のごとく速すぎる気がしていますが、今日からは5月皐月入りですし、まさしく皐月の華が満開の時期を迎えることになりました。街の彼方此方では皐月に先駆けて、いろいろな種類のつつじが満開の見事さを見せ付けて、世知辛く欠乏しがちの情緒を豊かにさせてくれています。あいにくの曇り空ですが気温が異常に高いのが気になりますし、北海道が沖縄よりも気温が高いことを報道していましたが、異常気象が確実に遣ってきている気がします。気温が25度を超えてはいるのですが、湿気が無くて爽やかな風が嬉しく楽しむことができても、二酸化炭素を源とするエルニーヨ現象なのか、地球の温暖化がスピードを上げてきて、地球全体の異常気象を巻き起こしているのか不安が大きいです。昨夜のテレビでも報道されていましたが、アメリカでは竜巻が連続発生しているようですし、ロシアでは永久凍土が氷解して古代のマンモスが出現して、化石類資源の掘削が安易に出来やすくなったそうです。今朝ほどは久し振りに味わった、直下型の中型地震があったりして、地中の遥なるところでマグマがどろどろと沸騰していることを思えば、その真上で安穏と生きていれることだけでも、素直に喜びとして好いのかもしれません。初老の肉体も月日が経つと共に傷みがでてきて、目はしょぼしょぼしてきましたし、疲れやすく疲労が抜ける時間が掛かったりしてきましたし、足元が弱って怪我もし、重ねて奥の歯茎がはれてしまい、二本の大切な歯までもがぐらつきだしました。先日から歯肉が腫れていますし、首から顎のリンパが張ってしまい、ゴリゴリ感まで味わうことになり、急遽掛かりつけの女医さん母娘に診てもらうことにしました。一年前に反対側の奥を抜歯して以来、ブラッシングを丁寧にしてきたのですが、パソコン画面を見すぎるための、目からの疲れなのかと思っていましたら、とんでもないことに即抜歯を勧められてしまい、たまたま夕刻に約束した会食があることにこじつけて明日に延期を請い願いました。レントゲンの結果歯根が融けてしまい、化膿した菌が悪戯をして激しい痛みを伴ったそうで、母娘で鳩首の会合をもつほど施術の仕方が難しいそうですので、お互いが一晩時間を空ける中で、最適な治療方をみつけましょうと決まりました。生きていくことの変化が日々ありますが、大きな大地や天空の自然力の恵みを享受しながら、時々の最善をめざしていこうと思うし、一人で生きていけない辛さや寂しさを改めて知ることになりました。時間的に無理な診察を受けてもらうのも、他の患者さんの好意がありますし、自分だけの都合では決して都合よくは生きていけれない世の仕組みを再確認させてもらいました。夕方の会食でお会いできた仲間とて、美味しいおそばをご一緒しましょうと誘って頂く好意を受けましたし、素敵なお土産まで用意をして頂けた優しい気配りを、真摯に有難く受止めているところです。百花繚乱の今月も、様々な人々から心温まる好意を有難く受止めながら、心を満タンにさせていかねばと念じているところです。
2008.05.01
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