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国際ロータリーでCLP導入が提案されて、各クラブがそれぞれ検討をしだして何年になるのでしょうか、すでに取り入れて活動を始めたクラブもありますが、漸く我がクラブは先ずは検討委員会を作りましょうと、重い神輿を上げることになりそうです。ここ数年クラブ運営が陳腐化していることに、誰彼なく気付いているのでしょうが、多くの会員は事なかれ主義で、ことを避けて通っていた気がしますし、事実そうした時代背景とクラブの疲弊が聴こえていました。創立33年間、生みの苦しみを知る方も少なくなって、創立時に入られた古参の会員の皆さんも、張り切って活動をしていた旬の時代が過ぎ去って、そろそろ代替わりを願いたい年代に入ってきました。この間にはクラブを創り上げてきてくれた初代会長も逝去され、それまでは何かと纏め役をされていた大きなリーダーでしたが、いまの時代では纏め役の後継を名乗る方も無く、集団指導体制は名ばかりの、お互いが一歩退いて遠慮がちの運営支援が実体に思えます。歴代の会長幹事と時の理事役員が結束して、クラブの奉仕活動を継承できていますから、運営自体はまったく問題がないのですが、クラブの長期的な活動計画とか、国際ロータリーや地区が進化し年々変容している様は、会員は意外や無関心のままの方が多いのです。時代的にはネットから瞬時に世界の情報が得ることができたり、地区ガバナー事務所を通しての情報が開示されているのですが、ロータリーを心底好きになれない人には、なかなか複雑な文章からは専門用語もあって、えてして避けてしまいがちなものです。多くの方が知らぬが仏の阿吽の呼吸が合ってしまい、本音が言い出せない陳腐の運営が暫く続いていたように感じてしまいます。偶然にと言うことでなく、意識を持っている方が以心伝心の集まりを持とうと昨年から言い出していたのですが、二年がかりで、漸く主だった方が集ってくれて、その強い思いを吐露しあうことになりました。不易流行とよく言われますが、変えてはいけないこと、変えなければいけないことを篩にかけてより分けて、組織を新鮮にさせて、知るべきことへの基本をお浚いして、一人でも多くの学びの場をつくる意識を高めたいものです。誰しもが一律に気をはって学びの意識を高めることができれば、クラブ全体のレベルアップがはかれて、問題意識を定義しやすくなるものだと認識しています。永遠の課題になるのでしょうが、クラブは親睦ありきなのか、理念を追求する場なのかを、普段の会話の中で切磋琢磨できれば、素晴らしいクラブ環境が反映されて、新しい問題定義もされやすくなります。フェローシップを強く意識して事あるごと、会合のたびに耳にするのですが、人と人との思いやりこそ、友愛を越えた交流になると思っています。今回支援をすることになった財団奨学生が国際親善大使として、ロータリーを通して世界に羽ばたける応援ができうことに誇りをもって、ロータリアンの名誉と意義ある奉仕活動に感謝をしなければなりません。一人一人の心の中に違った価値観と名誉をもって、ロータリアンとして究極のステータスが華ひらくことを期待しています。
2008.09.30
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一雨ごとに秋が深まってきていますが、今日の冷え込みはとても強く感じてしまい、冬の身なりでなければ過ごせませんし、暖房すらほしくなってしまいました。週明けの中、各所にいろいろの諸事連絡ごとがあって、主に初めての問い合わせをさせて頂くところでの、商談になるかが不安な状況での話し合いには、自身の自信のなさが露呈してしまい、しどろもどろの対応をしてしまい、少々自己嫌悪に陥っているところです。氷雨のようなお天気が追い討ちをかけるように、気分も退いてすっかり落ちこまさせてしまい、物事に静かに対応をしているのですが、こんなときに限って公私の電話が比較的多くあって、抱える懸案がますます増えることに、頭の中が多少混乱を引き起こしてしまいました。マイナス思考は良くないことは重々理解している心算でも、しとしとと冷たい雨が降っている事務所の中で、悶々と心細くなってしまい、不覚にも自制心が利かなくなっている自分が情け無く思ってしまいます。予定通りになってくれ、思惑通りにいければ最高なのですが、世の中はそんな甘く簡単に上手くは運ばないもので、思っていたことの裏返しが現実だとするのが殆どの社会構造だと思っています。日々反省を繰り返して生きていくことこそ、人生の王道であると思っていますし、あえて王道に踏み込んでいける気合と勇気も必然のこと、強く心に命じているところです。困難から逃げては良くないことと、矛盾がありますが恒に前を向き合って、積極的な思考を持つことの大切さは心するべきことで、しっかりと難題と対峙をして、真剣に対処をすることが、結果として時間の流れの中で自然に解決できるものだと信じています。事が上手く運ばないと、とかく人の性にしたがるのですが、全ての結果は自分自身が追うことですから、世の中の決まりごとを信じて忍耐して、堅忍不抜を守るだけでも秘策になると思います。海岸に寄せる波と同じことで、引き潮満ち潮の繰り返しがあって、満遍なく海岸線が新鮮に活力があって、全ての生態系に対して、生息環境の恩恵を与えているように、ごくごく当たり前の方策を繰り返していれば、自然な法則にのせて貰えるのだ確信します。日ごろの生活のなかでも、人との交流をこまめにさせて、いつも新鮮な相互意見の場をもって、淀みのない意識を継続させたいものですし、臨機応変の自在さも身につけて、気分を朗く元気にさせなければなりません。天候に左右されなく、周りの環境にも左右されなく、いつも泰然自若にできる心の芯をもって、磐石な気概を維持させたいものです。さながら波乗りの極意を学ぶように、打ち寄せる波を上手く利用させて貰える環境こそ、最適な生活環境なのです。いつも場の風流と波動を判断できるように、明朗な頭の感覚を維持させることが、先決の役割かもしれませんし、当然に実践させたいものです。
2008.09.29
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秋が深まってくると、スポーツや文化の催事が一気に増えてくるのですが、我が街の自治会も昨日今日と地元のコミニティーセンターで、利用者の祭典があって、今朝にはソフトボールの自治会対抗試合もありました。前々から選手としてお手伝いをしてくれとの、お誘いの声がけをされていたのですが、世代的にも年齢的にも、そろそろ引き際と心得て、今回はすべてを不参で遠慮をすることにしました。正直なところ、二三日前までは今朝のソフトボールの試合に、出かける心算でいたのですが、昨晩になって家人からきつく意見を言われてしまい、即刻反省の実践をして参加を取りやめることにしました。自身では、なかなか納得できない心情があったのですが、少しは老いた年齢を思い遣って、自分がプレーヤーとして現役で楽しむことばかりを、一人勝手に思っていたこを反省したところなのです。試合に出れる人数が限定しているなかで、地元の若い方達が参加されても試合に出れないことは、参加しても選手の醍醐味を味わえないわけで、自分だけが良ければとの解釈では、人に迷惑を掛けるだけになることなのです。若いときを振り返れば、当時の我々若い選手の起用をすべきと、若手で陰口を言っていた時代がありましたから、今では大いに改心が必要と自戒をしたのです。最近になってから、年齢的な立場を持っている役割を果たすことに普請をして、老いた人と若い人の中間層として、上手く調整できることを心得ていくべきと心得ているところです。今回この機会に反省を要することは、いろいろな場面で参加を要請されることがありますが、時に応じて臨機応変の出席選択をして役割分担をしないと、若い方の活躍の場が無くなりますし、年寄りの我侭だと非難をうけるだけになります。時まさしくスポーツ界の王さん、政界の河野さん・小泉さんと引退の表明がだされていますが、引き際の見極めが大切なものと理解をしています。相手が居て組織があってのことは、こうした意識を高めていけば、最低の迷惑で済むことですから好いのですが、自分自身は何時までも元気で溌剌とした生き方を目指したいものです。自身としては一生現役として、社会に向けてお役に立てる奉仕活動を念じておりますので、隠居とする考え方はまったく無く、これからは一層健康に留意をして、地域社会のバックアップ役を専念したいものです。地域住民と気軽に声を掛け合って、出来ることを自然に交流させてもらえて、頼りにされる人間として、いつまでも若さを維持させていきたいものです。
2008.09.28
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父親の立場で言ってくれた、光陰矢のごとしの一年間の速さが実感させられたのですが、従兄弟の次女倫子さんが若くして亡くなって一周忌の法要があり、絶好のお天気の元、供養とお墓参りをしてきました。倫子さんは30数年間、身体を不自由にしたまま一度も口を利くことなく、一人で歩くことなく、家族の温かな愛情を一身に受けながら、彼女なりの充実した人生を全うして、去年の10月に突然の天寿の終焉をして天国に召されていきました。告別式で最後のお別れの時には、両親を始め姉弟が泣きじゃくってしまい、参列した親類はともに悲しみを分かち合って、ただただ号泣をするばりの葬儀であった様子を思い出していました。一周忌法要のあとに、御前様からの法話があり教えられたのですが、天国の世界にも決まりごとがあるようで、同じ命日をもった先輩の御仏が新仏の身の周りの世話や面倒をみてくれて、一年が過ぎると、今度は先輩役として新仏の世話をするそうです。今日からは先輩として、倫子さんは忙しく世話をする役目になっていますと伝えられ、なにやら微笑ましく思えましたし、生きている時は人様の手助けが必用でありましたが、天国ではそれなりの役目を果たしてくれている姿が思い浮かび、安心と安堵が感じられる和みの一周忌法要となりました。今日は身内だけの法要であったのですが、法要と御墓参りを済ませた後には、精進落しの供養膳の席があって、諮らずも献杯の発声を願われてしまい、何時も思っていたことを素直に話をさせて戴きました。倫子さんは一切表情をだせない身体であった身でも、きっと何時も笑顔で迎え入れてくれていたこと、元気な我々に色々な人生訓を教えてくれたこと等々、彼女なりの気配りを感謝していることを、淡々と話させてもらいました。従兄弟からの計らいで奇しくも献杯の挨拶もさせて頂き、ご縁の有り難さを身に感じて、自分の役割が天命として授かっていることも、改めての学びごととして納得をしています。それにしても人の繋がりとは不思議なもので、なんの係わり合いの無い者同士が家庭を持つことから、それこそ派生的な家族関係が広がり重なって、親類として集合できる環境と境遇を得れるのですから、親類縁者とは実に不思議な縁を感じるのでした。天国に居る倫子ちゃんは、きっと多くの方々と活発におしゃれを楽しんで、行きたいところや遣りたいことを、自由に捗らせていることでしょうし、天地の架け橋役を叶える為にも、きっと大きな瞳で、にこやかに見守ってくれていることでしょう。人間とは、生前も死後も役割をもった存在があると信じていますので、倫子さんも生前の役割を全うでき、死後も同じように果たせることを期待してあげています。
2008.09.27
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慌しかった一日が終って、あたりの宵闇が深まるに付け、秋の虫が一斉に鳴き声を高らかにさせて賑やかになって、頑張れと叱咤激励を受けている気がしています。低気圧の関係からか、朝から突風のような風が吹き込んでいますが、フェーン現象のような湿った暖かな気温となって、エアコンが必用なくらいの蒸し暑い陽気の一日でした。おかげさまをもって、今日も充実できた時間を過ごすことができ、三つの役所への陳情が重なりましたが、それぞれ丁重に好意的に対処を受けることが出来ましたし、来客があったり商談のプレゼンがあったり問い合わせありの、非常に慌しく時が流れ去った一日となりました。合間に地元の信用金庫に飛び込んで、仕事の進捗状況を報告方々、新規の支援を願ってきたのですが、いろいろ難題があった中で懸案の課題が決着でき、一歩前進の捗りが出来ることになりました。足掛け3年に亘る事業計画を漸く銀行が理解をしてくれて、これからは新たな事業も含めて、再度仕切りなおしで事業展開をしていくわけで、銀行の書類に押印をする時も、ホッとした気分はあるのですが、これからの難題課題が山積した状況を思うと、改めて心を引き締めての励みをしなければいけないと、奥歯をきつく噛み締めたのでした。実にありがたいことですが、地元の信用金庫や取り引先の担当者が心から喜んでくれて、指導や忠告をくれていたお役人までが、今までの苦難の経緯を知ってか、長い間ご苦労様と慰労の声掛けをしてくれました。日常様々な方々が仕事に携わっていてくれますし、知り合いも沢山交友に係わってくれていますが、艱難辛苦の孤独な心境を察して、本心から支援をしてくれる人は稀で少なく、支援や応援までしてくれる方となると、本当に限られた僅かな人たちになってしまいます。世の中は元気で景気が良くて羽振りが良ければ、誰でもが仲良く寄ってきてくれて、頼みもしない余計なことまで、お節介をしてくれるものですが、一旦躓いて半身不随の苦難をもっていると、人様は一人一人と自然に去っていく状況を何度も観てきています。心を許した真の友人とは、困難な時にこそ真正面から対峙して、意見や忠告を出してくれるものだと信じていますので、そんな人が居なかったのかと思うと、少々悲しく侘しさが残るのですが、今回は友人には真の相談を持ち掛けない状況を思えば、これで良かったのだと結果を良しとして納得をしているところです。時々の最善とは、そのときの置かれた様々な状況とかが大きな影響をもって、広義で均一な評価は出来ませんが、最善とはそのときの状況が最高に素晴らしい善きことだと信じることだと思います。あくまでも真摯な立ち位置で誠意をもった、奢ることなくいつもの素の自分を忘れずに、人様の御蔭を十分に享受しながら、粛々と確実な一歩を前進させていこうと念じています。
2008.09.26
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グローバル化された現代社会には、ごく普通のこととして各国から多くの留学生が滞在してきて、全国で一生懸命になって学びごとをしている姿を観ることができます。住む街をみても、JR駅の乗降客の中には、当たり前のように留学生の姿が垣間見ることが出来、上手な日本語で日本の友人と元気に話をしている様子があります。日本に滞在して学びごとをする学生は多くいますが、外国から来ている留学生をサポートする、米山記念奨学生制度はアジアを中心に、数多くの学生を金銭的精神的に支援をして、その担当する役割のカウンセラーが、きめ細かな指導や面倒を見る事によって、ロータリーの素晴らしさを実感してもらい、将来的に良き理解者となってくれています。ロータリークラブが日本に定着する時代の創世記には、最初のクラブ発足として1920年10月に東京ロータリークラブがありますが、日本最初のロータリー・クラブを創立した米山梅吉氏の功績を記念して、1952年に東京ロータリー・クラブが国際理解と親善を深めるために発足しました。主にロータリー・クラブの所在するアジア諸国からの留学生に、奨学金を支給するための国際奨学制度の設立をしたことから、翌年に米山基金として募金を開始1954年には奨学生第1号としてタイからの奨学生が来日して、漸く1957年から国内全クラブの共同事業として、ロータリー米山奨学委員会が組織されたようです。その後になってから、煙草一箱を節約してという目的によって、会員 1 名あたり月額50円の寄付金を募る運動が全目的にスタートしたそうで、今から思えば大変な紆余曲折の努力をもって組織化されたことが分かります。来月初めに東京で開催予定のセミナーは、初期に米山記念奨学生になった方が、何十年かぶりで来日して講演をする機会があるのですが、非常に興味をもって参加する予定ですし、韓国からの学友である李さんの体験談が待ち通遠しく思っています。日本でロータリアンの応援を得ながら、米山記念奨学金を糧に学業に励んで、母国に帰って活躍をされている方々は、2万名にならんとしていることを思うと、奨学生を通して素晴らしい国際交流がされている現実と、両国の友好理解の架け橋の民間大使として、その役割は計り知れない有益さがあると思います。今回は知り合いである、東京のロータリアンからセミナーの案内を戴き、早速一人で参加を希望していたのですが、我がクラブから3名の仲間がセミナーに参加してくれることになり、講演を聞き入った時に、是非とも多くの感動をえて、ロータリアンとしての悦びを身に感じ取ってほしいものだと思っています。今は顔を合わす仲間に対して、今回のセミナーを誘っているのですが、是非是非元奨学生の実体験に基づく感動を共有させて頂き、奨学生もロータリアンも共に生きている仲間としての、大きな誇りを味わって貰えることを、心から念じておるところです。ますます国際化が当たり前に広まる社会で、ロータリー財団と米山記念奨学活動を通して、人間としての達成感と満足感を分かち合え、人としての学びと喜びを得る環境を少しでも構築させて、R財団と米山記念奨学生のお手伝いができることを念じているところです。地区委員会を通して、近い年度に是非とも奨学生を引き受けて、できればカウンセラーとして、身近に相談相手の役割を果たすことができればと、強い希望を持っているのですが、これもご縁ですから、実現を心待ちにさせてもらいます。国から出て学ぶ、国を出て学びにこられる若者、これらの方々にサポートするプログラムを広めているロータリー活動は、積極的に参画できるメンバーの喜びとして、国際的な役割を担える一助を広めたい気がします。
2008.09.25
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日常的に国際交流が盛んになってきて、個人でも自由に各国にビジネスや学びごとや観光をすることができ、情報もグローバルにインターネットの中を、24時間盛んに飛び交っていて、自由自在に利用できていますし、誰しもが一瞬に同じ境遇の立ち位置になれる時代になっています。学びごとも同じことで、世界中の好きな学校に自由に留学が出来るわけですが、事情によって私費よりも様々な奨学金制度を活用して、工夫をしながら留学をする方も大勢いらっしゃることだと思います。所属しているロータリークラブは、認証を得て加盟している国際ロータリーの一員ですが、世界規模になるプログラムには色々ありますし、特に若い世代の方々への支援プログラムも幅広く充実しているように思います。国際ロータリーには、人道的や教育的プログラムが各種ありますし、世界中のロータリアンが同じプログラムを共有して、共になって各種の奉仕活動を目指しています。そのための資金的なバックアップを構築している一つに、ロータリー財団があって各種奉仕活動の資金的な支援をしていますが、一方の我が国固有の奨学金プログラムである、ロータリー米山記念奨学金制度と共に、我々ロータリアンの奨学金奉仕活動に、大きな励みを与える窓口になっています。クラブ事情によってですが、財団の教育的プログラムである国際親善奨学生とか、人道的プログラムである世界社会奉仕とか、国情によってこと違う事業を考査して、その人その国に最適な実情に合わせた活動ができるように、情報の交流が盛んになっています。先日のことですが、関係するローターアクトの卒業生が、偶然にもピアノ留学を希望している学生さんを紹介してくれて、ヨーロッパへの音楽学校への希望を叶えてあげたい相談をうけました。早速クラブの会長と理解者の相談を持ちかけて、基本的な決め事を勉強しているところですが、関係するメンバーが積極的に賛同をしてくれて、新たにチームを作ってクラブ全体で応援をしたいと、異常な盛り上がりが感じられることになりました。若いピアニストはできればフランスかイタリアの音楽学校で学びたい希望があるのですが、先ずはロータリー活動を良く理解をして貰ってから、来年の募集要項を見出しながら、クラブ会員一人一人からの応援を受けながら、留学先の受け入れロータリアンともども、感動の支援を感じ取って貰いたいと思っています。こうしたプログラムは、クラブ全体の活性化にもなりますし、何よりも会員が身近に候補生と接することができることから、目的と参加意識をもつことができ、一人一人の心の中に激励と応援の心意気が強まってくれると信じています。様々なロータリー活動の中から、会員も候補者もお互いに顔を合わせながら繰広げる交流からは、新しい友愛を醸し出すことができますし、お互いに切磋琢磨の相乗効果ができることが楽しみになっています。所属するクラブを通して会員の一人として、国際的なプログラムに関与と参画ができ、一人の奨学生を中心に、国際交流と友愛が広がる素晴らしい感動を、ともに分かち合って、世界中に活動をしているロータリアンの中間として、できる範囲の頑張りと悦びを感じ取ってみたいと思っています。奨学生候補者との広がりが何処まで続いてくれるのか、近々に直にお逢い出来ることを楽しみにしているところでもあります。
2008.09.24
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台風一過から漸くにして、お彼岸の中日の今日になって穏やかな天候になりましたが、姉夫婦がお彼岸参りにきてくれて、暫し取り留めない話をすることができました。普段はそれぞれが、離れた街で家庭をもって生活していますので、たいした交流ができていませんが、加齢が重なるがごとく子供のころに戻るようで、共に居るだけで心を許せる、身内の懐かしい親しみが強く沸いてきます。とくに感傷的になるのは、仕事で躓いた時から、なにかと相談相手になってもらったり、さまざまな理解者として心強い応援をしてもらったりしていることが、兄弟としてだけでなく、人間としての信頼関係が強まった気がします。子供のころから、共通する同じ境遇で長く生活をしたことが、言葉では言い表せない真情を醸し出して、暫しの時間が相互扶助の確認作業のような、ごくごく普通の在り来たりの幸せを納得し味わっていました。親が一緒の環境で育って家族としても親密な愛情をもって共生していた者同士が、大人として別々の人生を歩む中で、他人の伴侶を仲間に入れながら、暫しの間はそれぞれの家庭を構築させ、子供の成育を見守る時間は、自身の家庭だけで誠意一杯の成長時なのです。子供が独立して親も定年の時期を迎えるころから、心の中の郷愁なのでしょうか、誰彼と言うわけでなく、伴侶共々初老人になって、身体も心の中もすっかりと円みがました兄弟の存在が気になって、家族同志の集る機会が嬉しくなるものです。姉夫婦がこれから墓苑にお参りに行くと言うので、先日の墓掃除の時に忘れてきてしまった、剪定ばさみ一式を持ち帰る依頼をしてみたら、後になって忘れた場所にきちっと置いてあった報告を聞き、さすがに墓苑に来てくれる方々の資質が高いことを納得できました。そんな姉夫婦とののどかで穏やかな秋の一日を過ごした後に、気分を落着かせて事務所に籠もって難しい仕事も随分と捗ることができ、季節の移り変わりが心境も感化させてくれると同じように、心を落着かせた余裕をもたらした生活にさせてくれるものです。日一日と秋が深まっていきますが、時間を上手く活用でき、様々な学びごとと仕事を励んで、高齢からくる老化を補って、少しでも活力が生まれる環境を、自身が認識と確認をする必要がありあります。人任せな行為が如何に安易な結末を迎えるかは、認知症の症状が比較的早く訪れることで判断でき、できればにこやかに健やかな生活を意識させて、住む環境を余裕を持った豊かな場にしたいものです。家族は勿論ですが、親兄弟の身近な親類達との適度な交流は、人の心のオアシスとして、高齢になるほどその役目が大きくなってくれることを実感し、大人の付き合い方を円滑に発揮させてくれるのです。家族が健康で円満な環境で生活でき、時には兄弟一家が集って、相互扶助の思い遣りの行動が出来るように、損得の勘定をぬきにした心の交流の場を持ちたいものだし、受け入れる余裕を持っていたいものです。
2008.09.23
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季節が変わって夏ばてなのか、歳に似合わず野球の試合にでてプレーをした性なのか、時構わずこっくりと惰眠を摂ることが多くなりましたし、疲労感から甘いものを欲しがるようになりました。休憩時に少しばかりの甘いチョコレートを口に入れると、暫くすると脳の活性ができたようで、僅かに仕事が捗ることを覚えてしまいました。冷蔵庫にチョコレートを保存するようになって暫く経っているのですが、食べ時の加減をしなければいけないと、心を頑なにして自己管理しているところです。披露気味な身体には惰眠が一番で、10分間でも摂ると気分爽やかになって、これまた仕事の能率が上がるのですが、こうした現象がでると言うことは、気分がだらけている証拠なのかもしれません。日常にだらけている弊害として、事務所には未処理の仕事が溜まりきっていて、気にしつつ日送りをしている自分が情けないのですが、提出制限の或る書類にあたふたとしている状況です。今月中の書類を整理しなければいけないのですが、今になって危機感が募り漸くお尻に火が点いて、朝早くから閉じこもっての仕事をすることになり、気温が下がって大雨の中で孤軍奮闘の処理をすることができ、毎度のことですが何故平均した捗りが出来ないのか、自問自答の反省ごとをしていたのでした。世の中をみれば、相変わらず惨たらしい子供の殺害事件が横行して、アメリカの証券会社が破産して世界の金融恐慌不安が高まり、日本の総理大臣への党内選挙があったり、北朝鮮の国情不安があったり、現世とは日々刻々の騒々しさもエネルギーになっているようです。ことあるごとに政治が悪いとか、国が悪いとか、教育が悪いとか、ことほど左様に人様に責任を擦り付ける気配が強いのですが、そろそろ自己責任をもって論議ができる環境を身の回りに置きたいものです。静寂だけではこの世の中が上手く機能しないのか、騒々しさが人を発奮させるのか良く分かりませんが、家族も社員も含めて、礼節をもっての議論の噴出が好ましく、言い争そうのでなく語り合う環境を心がけて生きたいものです。我侭に同調を請う人、声が大きい人に靡いてみたり、意見の場でも意見発表をできなく、関係ない場での愚痴を広める行為は破廉恥極まりなく、皆さんとの堂々とした意見の主張と、協調と協和は有益に結びつける必用があります。まずは基本的にどんな人でも憎まないこと、責めないこと、隔たり無く協調できる自身の心を形ずくることを優先させるべきことで、どんなにか強い個性を持った人でも、友愛をもって許しあうことが肝要です。好き嫌いは極自然の理ですが、極端に嫌いに重きを成すのでなく、その人の秀でた好きなところを重点的に評価をすれば、世の中とは騒々しくしなくても、お互いの心が通じ合えるのです。世の中が何かと落着かなく騒々しさがあるのですが、せめても自身と家族には、動と騒、寂と静のバランス感覚をもって、上手に自己コントロールができることを願いたいものです。自分が積極的に動き家族が仲間になって、事業所や地域住民をも影響させる、健全な共鳴を期待しながら、適度な惰眠と甘味を有益な活用アイテムとさせたいものです。
2008.09.22
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家人の実家が御嶽神社の講元を務めている関係で、正五九の月例祭事には出来るだけお参りをするようにしています。この御嶽神社は祝詞の途中で般若心経を唱えるのですが、この場になると信者の皆さんが一斉に般若心経を唱えて大勢の合唱になるのですが、何年も同じことを体験すると、自然に脳裏にやきつくのか、メロディーとお題目が頭の隅に残っているものです。特別な意味合いはないのですが、最近般若心経を唱えられるようになりたいと希望し、菩提寺から頂いた宗派の教え本の中の般若心経を開いて、朝の仏壇に線香をあげる時に声明してみています。全てが漢字で、全部にひらがながふられているのですが、発音が難しくて上手く唱歌できないので、いつかはまともに唱えることが出来ることを願っていて、今は一生懸命に字を追って読み声明を試みているところです。詳しくは良く分かりませんが、仏説般若心経が何故に神社でも唱えられるのかが理解できませんでしたが、六世紀に仏教が伝来して以来、仏だけでは、神だけでは心の痛みを慰めることができない、一層の精神的安堵を求める高貴な方々がいたようです。そんな時代の流れの中で、仏を奉る寺院が鎮守様を建立して寺院を併設したようで、代表的な関係が、奈良の興福寺が春日大社を京都の東寺が伏見稲荷を建立させたことを知りました。一方神を奉る神社は8世紀になると、寺院で雑密として活躍する遊行僧が神宮寺を建立させながら、神仏習合の紆余曲折の時代背景が交わされたようです。時代が過ぎ去って明治に入ってから、神仏分離がされてから、今の神社仏閣が別々の組織として成立したことを学び取れば、必然的に般若心経が神仏両方で声明されている背景が納得させられます。どんな時代であっても変遷によって人の心が変容して、より自身が安泰できる安らぎを求める気持ちは、神でも仏でもその信仰心の境は無いのかもしれません。時の帝との利害関係とか政治的な手法は別にしても、その時々の社会にはそれなりの苦悩があったはずで、人としての苦悩が宗教心として、深く信仰を励んだことは、現代とて同じことだと思います。厳しい時代になればなうほど、成長と共に過激で過酷な仕事が日常化するときに、誰しもが心の支えとして、神に拍手をして祈願し、仏に手を合わせて許しを請う事は、ごくごく自然ですし、混迷する今の意時代ほど、信仰心を上手く活かすことが出来ることを、それぞれ創意工夫したいものです。そんな自己心理を解明しながら、声明とあわせて、いつかは般若心経の写経も勉強してみたいと思っていますし、心の拠所としての般若心経を身に付けて、因り一層の人間味が深まり裕になることを心底から願っています。最近になって創めたばかりの声明でも、毎朝の体調とかによって、物凄く波があることも実感できて、自身の体調管理にも役立っていることもあって、できれば大きな声で般若心経が声明できる時を、心の中では密かに期待をしているところです。
2008.09.21
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台風一過とは言い切れませんが、大きな被害もなく、陸から海にそれてくれた台風13号の吹き返しの風を受けながら事務所に上がったら、なんと、トイレの窓が全開で、マットが水浸し状態でした。幸いにも被害なくマットの水を脱水して、床に溜まった水を拭き取る作業で済みましたので、自身に落ち度があってもこの程度であれば、普段からの行ないごとが善幸だからと、納得をさせているところです。今日から秋のお彼岸入りで、午後に家族と一緒に植木バサミと剪定バサミを持ち込んで、お墓掃除と一緒に、墓地に植わっている、柘植とヒバの刈り込作業をしてきました。お墓の小さな木だから30分もあれば済み、可燃物ゴミ袋で間に合うと気楽な思いで出掛けたのですが、余りにも大きく混んでしまって、出入り口が狭くなっている柘植と、墓石が隠れるごとく茂ったヒバを、根本から風通し良く刈り込んでみたら、とんでもなく剪定ごみがでてしまい、ごみ袋一つでは足りなくなってしまいました。たまたま出かけ易い時間帯なのか、多くの墓参りの方が行き来しながら、綺麗になりますね~、と嬉しいお褒めを頂きながら、家人が請う、これくらいで済ませて、の言葉も聞き入れずに思い切って枝を切り落としてみました。大分格好が悪くなりましたが、気分良くとっても見晴らしが善くなって、風が爽やかに通り抜けることもわかり、自分でも納得の剪定作業を捗らせることができました。行き来する方々が何度も綺麗ですね~、の声をかけてくれて、何回も、ありがとうございますの返事は、先祖代々の墓守の役目を満喫できましたし、お墓でこれほどの方と声を掛け合ったのは初めてで、気分上々の健やかさでした。今から30年ほど前に事情があって、墓苑の移転時期にお墓を整理して植えた幼木であったのですが、墓苑の中で管理が行き届かない厳しい環境の中で、不思議と木の成長が早く、墓石と木のバランスが年々吊り合わなくなって、気にしていたのです。今秋漸くにして納得できるまでの切り落としと剪定ができ、今までよりは数段のバランスがとれた墓地として、随分落ち着きが感じ取れるようになりました。日常で普段思っていても中々出来ないことは多く、出来る時が絶好の縁機と心得て、台風が去った彼岸の入りに、家族共々剪定作業と墓掃除をして、小奇麗に作業が終えることが出来ただけでも、家族としても大きな安心を感じ取っています。縁起ごとや先祖からのご利益を請い願う分ではありませんが、墓掃除の善行を終えた時に感じる爽やかな充足感と、気にするでもなく天声の囁きが心のなかに響き渡り、勇気のために背中をどっしり押してくれているお陰様を感じとるのです。日常に生きるとき、家族だけでは、自分だけでは、どうしようもない艱難辛苦事が必ず訪れますが、関係する先祖を敬い、心を落ち着かせての合掌からは、頼りない身の助けとして心強く心の支えになってくれます。剪定の後に、丁寧に濡れタオルで墓石を拭き、墓石に刻み込まれた先祖代々と縁者の24仏のお参りをする中から、代々の御加護を素直に受けさせてもらい、人力では叶わぬ護りごとを授けていただきたいものです。前世、現世、来世と心の中で引継がれる護り神が存在するとすれば、墓守の大事な役割として、しっかりと墓を小奇麗にする管理をしていかねばと、改めての念願としているところです。
2008.09.20
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台風が九州から四国沖を通って関東方面に接近しているために、朝から雨模様のなかで、晴れ間を利用して地元の法人会のメンバーに、連絡事項を届けたり外回りの仕事を捗らすことを心掛け、早足で小一時間ほど歩いたら、身体中が汗でびっしょりになるほど湿度が高く、蒸し暑くなっています。配布物が結構あったので、傘を差しての歩行ができなく、僅かな晴れ間の時間に、急いで各企業巡りをしてきたのですが、窓口で対応をしてくれる方々が、一様に朗くはきはきと接してくれたことが気分良く、ある企業の5階の事務所も、階段をスキップして行けるほどでした。年に何回かこのビル訪問する機会があって、体調の維持管理の場としてのバロメーターに、便利に活用させて貰うことが出来ています。5階までを徒歩で登ることは、簡単なようでとっても苦痛を感じる階数で、二階までは何とも無く登れるのですが、4階から5階までが胸突き八丁の厳しさを感じる階です。時には胸が苦しく息が上がってしまい、事務所では言葉が話せないほど息苦しくなりますし、時には筋肉が痛くなってしまい、途中で一服をする事態も何回かありますし、貴重で存在価値がある階段です。今日は体調が良くて息も上がらず、筋肉の調子もよくて、あっさりと5階までの往復を、一気に駆け巡ることができたことは、時の健康状態にもよりますが、一昨日野球で身体の筋肉が解れていたのかもしれません。心臓も特に苦痛を感じなく、心地良く駆け巡れてことのほか嬉しい思いをしましたし、予定通りに役目が果たせることが出来た安堵感は、重い背中の荷物が解けるほどでした。小売店の訪問は何件かあったのですが、概して一般の顧客数が少なく、経営規模とかを外部から見れる身としては、よそ事でなく本気で心配をしてしまいました。訪れた時間帯にもよるのでしょうが、動物病院さんも雑貨屋さんもキーセンターさんも、家具屋さんも・・・人っ子一人居ない様子には、同じ仲間として侘しいものがありました。人様に店に来て頂き、財布からお金を出してもらえる商いごととは、創意工夫だけでお客さんに好かれて、買っていただけるとは限らない、不思議で奥深い魔力があります。断りを入れるほどの長蛇のお客様の列があったり、チラシを入れて宣伝をしても、閑古鳥の日があったりして、思うがままにならないところが、商人にとっては知恵の出しどころでもあり、腕の見せ所でもあるのです。地域復興を目指して、地元商店会も統括する商工会議所も、経営者仲間の法人会も、こぞって創意工夫をするなかから、是非是非地域活性化のキーポイントを見つけ出してみたいものです。形式的に経営諸団体に入会していても、何のメリットも享受できないのであれば、参加する者たちで工夫をし合って、街興しを実施しなければならないでしょうし、会として、会員として発奮努力をする必要に気付かされます。自店の繁栄を願うのであれば、先ずは地域の活性に何が優先するのか、何が不足しているのかを良く精査して、地域での情報を共有化することで、地域全体での連帯感と繁栄が望めると思います。それにしても地域での細かな交流ごとを、普段から綿密にさせることから、お互いが声掛けできる友好を構築させてみて、自分の店の繁栄に結びつけることができるのだろうと、心強く期待をせざるをえません。経済人が心を許せる環境をみずから探しもとめて、ご近所の店主の苦悩を分かち合って、相互扶助の実践をめざすべきなのでしょう。
2008.09.19
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何ヶ月ぶりかで掛かりつけの歯医者さんに行ったら、スタッフが一人増えていて、患者さんが引っ切り無しに待合室から診察室に出入りし、沢山の患者さんから信頼され、親しまれている様子が伺えました。女医母娘なのですが、お互いに開けっぴろげで遠慮会釈ない会話が面白く、家庭的な診察室は治療の回転が効かなくて、診療予約がほぼ遅れているのが毎回のこととなっています。母先生の癖は患者さんの切り替え時に、娘先生の癖は待合室に来て、気分転換と思われる世間話をされるのですが、患者さんの家庭の中まで入り込んだ井戸端会議には、ほとほと早く治療をして欲しいと願ってしまいます。治療する患者さんは一面ガラスを通しに座って、手入れの行き届いた前庭の木々を楽しめるのですが、治療椅子に座っての待ち時間にはすっかり目の保養ができて、歯の治療が億劫にならないくらいの、リラックスした気分が味わうことが出来ます。そんな関係で予約時間から遅れること1時間余りを待ってから、治療に取り掛かってくれたもので、出かける前の想定どおりに読書が捗ることができました。今日は何の本を持って来たのかと、口癖の切り口上で訊かれるのですが、急ぎの用事が無い時には、こちらも心得たもので、待たされた時間分の交流を心得て話をすることとしています。今回持参した月刊到知誌の、10月号の記事を紹介してあげたのですが、今月号の特集は、心学のすすめとして、様々な方の対談集となっていて、たくさんの学びごとを得ることができました。とくに誰とのことは無いくらいに、掲載されている記事からは、赤ペンのラインが引っ切り無しに引かれるがごとく、全ての行間から人の大切な心の持ち方や、生かされ方を学ぶことができました。天与からの恩恵のなかで、前世を顧みて反省と償う自然な心構えは、きっと現世で慶事となって実現できる、ものの考え方は新鮮に感じとれました。詫びる心、感謝する心、喜びの心、いつもいつも感動を得られる素直な心で居ることが、自然結果的に、自身の恵まれごとに結びつくことを知りました。こうした概略を大雑把に伝えてみたのですが、女医さん曰く、忙しさに感けてついつい感性が鈍ってしまっていると嘆いていましたが、弁解じみた言葉よりは、いつも母娘が話をしている、開けっぴろげでざっくばらんな意見交流が一番ですと伝えました。先日駅前にある銀行のATMで、引き出したお札を数えながら、頭の上にかざして深々と頭を下げていた人の様子を話したのですが、今ほどお金の有り難さを分かっている人が少なくなっていることを、二人して納得をしていました。何事でも感性を豊かにしていくことで、心を学びとる心学を心得る良き機会として、学び取りの大切さを味わっていこうとなりました。
2008.09.18
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真実を伝えることと、真実を理解してもらうことは別物で、こちらの真実を訴えても虚位として判断をされれば、それまでの時間が、淡く寂しい交渉結果になってしまいます。いま大きな問題を抱えていることは、何度もコメントしていますが、いろいろなお役所と銀行に対して、シュミレーションを提案させてもらっているのですが、今一の進捗が捗々しくなくて、お互いの主張が上手く噛み合っていない現状なのですが、相互の理解を得ることには、お互いに立場上の厳しさがうかがい知れます。思うように行かないそれぞれの立場があって、譲り合うことよりも、自己保身的な利害を手に入れることばかりが、優先されているような気がしてなりません。何処までも保身のための身勝手だとすれば、真実は何処にも存在しなく、体裁上の虚実になりやすいのではないでしょうか。真実だけではありませんが、世の中にはうっかりと言う落とし穴もあって、その心算でいたことが、とんでもなく勘違いの仕組みになっていることに気付かずに、はなはだ迷惑の結果を押し付けることがあります。今日の午後のこと、ある会社からリース料の催促電話がきて、はじめは頓珍漢な話をしてしまったのですが、思い違いのはなはだしさの結果が、支払いがされていなく、これには自身が呆れてしまったのですが、思い込む度合いによっては、人様に大きな迷惑を掛けてしまいます。毎年のことでありますので、自動的に銀行口座から、引き落としが出来ていたと思っていたのですが、今年度に限っては、リース料が別立てで徴収する案内がされていたそうなのです。今までの仕組みをそのままに、支払い方法を勘違いがされていたのですから、当然に説明をうけて落ち度を詫びることになりました。今回は勘違いが許されてほっとしているのですが、もっと危機管理を持たなくては、許せない責任もあることを確りと自覚しなければなりません。勝手ご都合主義とは、自身には何の不都合も無く普段通りに生活が出来るわけで、結果が人様に迷惑を掛けていることを無視できるので、人様の痛みが分からないままになることです。自身の過失をしっかりと認めて詫びることができ、かつ負担を積極的に保証させることを自己責任として果たせる慈愛を心がけて生きたいものです。人も自身も慈悲をもって助け合い分かちあう余裕は、その人が身につけている真実として評価され、真実が評価されることから自身の信用も得られるのだと思います。常に真実の重みをしっかりと受止めて、生活に潤いがあるように工夫をさせてみたいものです。
2008.09.17
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最近の電車は親切にも車両の連結付近の座席が、優先席のシールを貼っていて、障害者とか妊婦とか老人には優先して座って貰える場が作られています。日中の電車内ですとさほど混んではいなく、優先席も特に意識をしなく済むのですが、混雑する通勤帯の時間には、優先席が有効に活用していることでしょうし、その仕組みの恩恵を受ける方が大勢いることを信じたいものです。一ヶ月ほど前の夏休み中はさほど混雑も無く、余裕をもった車内風景がありましたし、時節柄子供同士とか、家族連れの方々が目に付いて、優先席には受動的に子供さんが座っていたようにも身受けられました。ここのところ電車を多く利用する身として、車内風景を垣間見る機会が多くなって、車内のマナーについて感じ入ることが多くありますし、自身が反省をしなければいけないことが多々ありますが、がいして電車内のマナーが向上しているように感じます。特に高校生を中心にする学生が、比較的素直にマナー良く接することは、気持ちが好いものですし、学生が殆ど立っていてくれる姿が清々しく、その健康的な態度には賞賛の拍手を贈りたいくらいです。成田空港からの直通線と言うこともあって、大きなスーツケースを抱えた外国からの方も多く見受けられますが、概して静かに座って語り合っているようで、大きなバックを身の回りに寄せて、気遣っている姿は社会的なマナーの基本が出来ていることを伺い知ることができます。しかし不特定多数のお客さんが乗車するのですから、中には酷く無礼で非常識な方もいて、持っている荷物を一席余計に占めて知らんふりで、周りの空気を読めない勝手な輩も結構見受けることがあります。更には朝晩のラッシュ時の様相は経験がありませんから、すべての状況を知る由もありませんが、我侭で理不尽な態度が消えた原因は何かあるのか、これはいつも利用しているJR線の特徴なのでしょうか。遥か昔の電車内風景とは、どこが違うのか具体的に言い表せることが出来ませんが、血の気が少なくなってきているように思うのですが、これは勘違いでしょうか。年齢に関係なく老若男女がお行儀良すぎるように思う昨今なのは、場の状況を読みきって判断できることでなく、時流が車内で立っていることに、ただ同調している結果がお行儀良く見えるだけかもしれません。新聞やテレビで報道されている、みだらで破廉恥な行為である、化粧とか食事とかの風景を観る機会が無いがために、こうした判断をしているのですが、そうした破廉恥行為は一過性の流行り物であったかも知れません。不易流行は何時の時代でも、それぞれの時代背景とあわせて価値が変容するものですし、人の心が柔軟に対応できる巾があれば、自然の流れの中で良悪の判断をしながら、悪行が駆逐され善行が優先されていく、流行の新陳代謝が行なわれるのでしょう。電車の中で世の移り変わりを垣間見る経験は、自身の人生を振り返ってみることになって、先ずは人の振り観て我が身を正す心構えに役立ててみたいものです。
2008.09.16
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休みなく刻々と過ぎ去る時の流れの中で生きてくこと、その時が流れる音もなく一瞬を体験することが、即、時の経過となって、自身の成長する為の、大きな要因になってくれています。人生とは人それぞれがもっている宿命であると思いますので、如何にもって生まれた時間を素直に受けいれて過ごすかで、人生観が変わってきたり歩む歩幅までが決まってくると思われます。1945年9月15日の生誕ですと、年数で63年間、月数で756ヶ月、日数で22995日、時間数で551880時間と言う計数に変化するのですが、時間はともかく日数で数えると、数え切れないほどたくさんの、22995日を息をしてきたことになるとは、ちょっとばかり驚きの感があります。3年前に還暦を迎えて、仲のいい友人が集まり、仲間内のささやかなお祝いをしてくれて、初めて人生60年間の重みを味わうことができたのですが、それからの3年間はあっという間の時間経過でした。この3年間は自身の経験でも初めての大きな行事を体験したり、真の知り合いを亡くしたり、新しい知り合いが沢山出来たりして、まさしく第二の人生に相応しい、沢山の感動と喜びを味わうことができています。当然のことですが、63年間の過去には沢山の喜怒哀楽がありまして、そのつど大きな学びごとを経験することができたのですが、還暦を迎えてからの苦悩は人生経験で初めての難儀なこととなり、一山二山を越えて一歩一歩前進の日々となり、まさしく修験者の様を呈しています。人とは同じ時間の数字内では、計り知れない体験と学びが出来ているのですが、みんなの年齢が、イコールで人生を表現していないことを実感しています。年齢の割りに若いですねと言われますが、その分苦労の経験が未体験である証拠であり、まだまだ命を大切に生きてこそ、苦悩を味わう必用があることが命題だと思い、まだ学びごとをしなさいと、まさしく実証されているのだと思います。その結果として肉体的な若さを保って、叱咤激励の励みに耐えることが許されているのが、人生の宿命だと自己理解をしているところです。苦悩とは苦しみ悩むことの中に、自身に与えられた時間の中で、社会に向けて遣らねばならない役割があることだと思いますし、目の前の役割を果たす過程のなかから、喜びや幸せを味わうことができる、人生のプログラムが組み込まれているように思っています。たくさんの遣るべきこととは、安易に出来るものや、難しく困難な物事でもあるのですが、未体験の勉強をする必要は、それだけでも多くの方との出会いと学びとりが体験できる悦びにもなると思うのです。固定された自身の環境でなく、常に新鮮な交流ができる場をもって、未体験の場と人との出会いに積極的に参加していくことが、自らの宿命を豊かに大きくさせていくことになるのでしょう。年齢だけに固守した既成の生きかたでなく、柔軟な思考をもって世の中に存在できる役目をもって、時間の積み増しができれば良いのですが、これからの人生では無駄を少なく効率を意識しなければいけません。人生100年を目指して、まだまだ修験者として満願は先のことになりますが、苦悩を喜びに変えること、人を万遍に隔たり無く交流できることを目指すことが大きな指針として、自身の課題として有り難く受止めていこうと思っています。人生100年とは、残り37年間、13505日のカウントダウンが始まったこととイコールです、喜愛と気合を程よく心配りをして生かさせてもらいたいものです。
2008.09.15
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テレビを観ていましたら、玄関ピンポンを押すと、留守の場合は自動的に携帯電話まで通話を繋げてくれるサービスがある、家電メーカーのコマーシャルがありました。これほど情報が密となって、子供も大人も情報収得が変わりない社会ですが、お宅訪問でお互いを呼び出す方法は、電話や玄関ピンポンのマイク通話に変っていますし、家に向かって声がけが少なくなっている、社会背景がかいまみられます。子供のころ友達の家に迎えに行く時とか、迎えに来てくれた時に、今で言う玄関ピンポンの代わりが口笛とか、指慣らしとか舌打ちとかで、それぞれ個人の特徴をもって、誰なのかを判断することができていました。舌打ち名人であった友も、口笛や指鳴らし名人も今ではすっかり孝行爺さんになって、生まれ育った街で地域復興に一生懸命頑張っていますが、子供のころのマイピンポーンを覚えているのだろうかとふと思っています。何故か当時を思い出してみると、我家が遊び場として集っていた回数が多くて、入れ替わり友人が集ってきて、舌打ちや口笛を聴かされることになっていました。遥か遠くから序奏の合図があって、徐々に近付くに従がって、音色の強弱に変化をつけて、その日の具合を音色に乗せて伝達しあっていたもので、親からすると事情があってあまり頻繁に遊ばないで欲しい友もいて、学年が上がるに従がって、親の感心も受験の監視度が強くなって、友達のマイピンポンが鳴っても居留守が多くなって、自然と戸閉をされるようになって、徐々に友達の来訪が少なくなってしまいました。個性あるマイピンポンでもって、母親は友人をえり分けしていたようで、真っ暗になるまで遊びまわる年長の友には、徐々に遊ぶ時間が制約されるようになりました。丁度学年が小学生から中学生に上級する年代で、上級した仲間はそれらの新しいサークルを構成して、年代年代の成長が上手く機能して、街の子供達の住み分けが上手く機能していたように思います。だいたい丁目ごとにグループが出来て、中学生が小学生を面倒見て、親の立場になって危機管理の役割を自然とこなしてくれていました。まだまだ時代背景として中学生就職が一般化していて、進学組みとの遊び時間が制限を持たされていた社会情勢があり、家庭においても親の考え方で、子供の遊び方に制約をつけれてもいました。マイピンポンがどこの街の子供グループに通用するかは別物で、街ごとにいる子供達の纏め役となる中学生の采配一つによってルールが決まっていて、街を越えての対外的な交渉ごとは、兄貴閣の中学生が工夫をしてくれていました。そんな牧歌的な日々の遊びの中から子供達の遊びのルールが身について、先輩から後輩への継承と、先輩が親代わりになっての家族的な遊び仲間の輪が構成されていたのです。最近の子供達は日常で口笛や指鳴らしや舌鳴らしは無用で、日常生活でも指鳴らしや口笛とも出来ない子が多いのではないでしょうか、ましては舌鳴らしはとんと生活には関係なく、口は話すことと食べること外の利用が思いつかないでしょうし、実用することができないと思っています。今のお子さん達は暗黙の呼び鈴を持っているのか分かりませんが、ピンポンに向かって挨拶する姿は、温かな人間性が薄れてしまっている気がしていますし、なによりも子供心が希薄になってしまっているようで、物悲しく思っています。
2008.09.14
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庭木に手入れをする本人として、だいたい何処にどの木があるかが分かっているのですが、草花類になると話が別で、てんで理解をしていないのが現状です。明け放れた事務所の窓から観て、手前にあるみかんの木の天辺付近に、真っ白な大きな花が目に飛び込んできました。今頃咲く花は何だろうかと気にしたままでいて、午後になったら白が無くなって桃色の花ばかりに変化していることに気が付きました。そのまま事務所での仕事を励んで夕刻になった時に、鮮やかな紅色の花が夕日に映えて、大きな花弁が誇るように咲いている様子が目に入りました。不思議な花を咲かせる草木は、春先のある日に、家人から移植を頼まれてみかんの木の裏に移植したことは記憶にあるのですが、草木の名前も知らないままでした。夕食時に初めて気付き観た、大きな花が変容する様を感激をもって家人に話をしたら、あっさりと言われたことが、何年間同じ花をみているの、と余りにも無関心で鈍感な連れ合いの質問に愛想をつかしてくれました。改めて家人から草木の名前は酔芙蓉であることを教えてもらい、朝から昼が真っ白、午後一杯桃色、夕刻から紅色に見事に変色する様は、まるで違う種類の草木を感じさせ、唖然と驚いています。家人が呆れた顔をしながらも、改めてその謂れの説明を聞けば、酔った人の顔色を表現して、酔芙蓉としたようで、言われれば納得の変色模様です。花の持命は短いのですが、蕾が次から次ぎへと開花を準備して、まるで時計の文字盤のような形で茎の天辺に広がっていました。植物が持つ特性が不思議なほど沢山ありますが、余りも見事すぎて、可憐に色を変えて咲き誇る大きな花弁は、何を表わし何を自身に施しをして保身しようとしているのかも、上手く理解することができません。人で言えば、これほど多趣味があるのだとか、仕事の能力が幅広く発揮させることができるとか、自己アピールの範疇と合致するのかもしれません。花のように可憐であることをアピールすれば、人間族からの愛着度が高まって、多くの方から飼育をしてもらえる利点がありますし、結果として人の心を潤してくれる大きな施しをしてくれています。スポーツする際もですが、自己アピールを意識すぎるとチームメートも相手チームからも、大きな反動の懸念が感じ取れてきます。結果が好ければ気分もおのずと高揚して、感性豊かで思うようにことが進む爽快感を味わうことができ、相乗効果をもって気分爽やかな好事が重なってくるようです。逆に、しくじった時の沈み込んだ思考能力も、一段と澱むものですが、気が滅入ったままでは遣ること為すこと引きずって、よい結果が知れてしまいます。今朝から気合十分で気分も高揚して草野球の試合に出かけたのですが、こんな時によくある、気合と身体が噛み合わない状態で、消化不良のままに試合が大敗するものです。試合の流れと好く言われますが、チームが合体した能力は、一人一人の持つ能力を超越した、ジッパーの噛み合いを構成して、素晴らしい効果をあげることができます。人の道、出来るだけ自己意識を高めていくことが大切ですが、埋没することなく周りの環境の流れに乗っていけることを心がけて、酔芙蓉花のような役目を補ってみたいものです。
2008.09.13
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10月12日に亡くなった父親のお墓参りは、余程のことがない限り時間を作って先祖代々への線香を手向けているのですが、今日はそれすら忘れさるほどに、気になる緊張感があって、午前中があっと言うに過ぎ去りました。父親と母親や先祖が眠る墓前へのお参りは、今回の事情を鑑みれば、理解と恩情が得られるはずで、病状の友へのお手伝いが出来ることの友愛が、素晴らしいものと理解をしていました。宣告をうけてから最新の医療技術をもって、2ヶ月間の投薬と放射線治療が覿面に効果を発揮して、次週明けから最終治療を受ける前になる今日のこと、親しい仲間が集まり見晴らしの良い喫茶店をお借りして、病身である友人と、楽しい一時を過ごすことができました。体調が頗る良く、少々お痩せにはなりましたが、お元気な姿と会話に華が咲いて、介護役の身とすると、ほっとしたことと合わせて、この企画をたてて好かったとの、強い安堵感を味わっていました。侵されてきた悪性腫瘍も、治療を受けて大分小さくなっていることも、ご本人には大きな励みになるのでしょうし、何よりも、元気なお声で一生懸命に治療の様子を話されているお姿を拝見して、確実に治療の効果が発揮されて、完治への道筋であるものと確信がもてました。参加された方々も同じ思いがしていたのか、噂で聞いていた悪い容態と違いすぎ、普段と変らぬお元気さに圧倒されてしまい、お見舞いの言葉を伝達しなければいけないのですが、最初から軽いジョークが出るほどに、和やかで賑やかな懇談になりました。健康体の時から、大きな声でジョークを連発していた方ですから、当初は心配をしてしまい、体調によっては気が滅入って可愛そうになると、病人への心配ばかりが先になっていました。病を治療することは、お医者さんの科学的な治癒もそうですが、それ以上の精神的な柔軟さと、病を認める素直な受止めがあってこそ、完全治癒へのパワーが漲るのだと思います。病人が闘病すると言う事は、病と喧嘩をしてまで治癒する根性を奮い起こすためでなく、快復完治への実直な心構えすることが、本来の闘病生活の意味合いになるのでしょうから、病根と苦闘をするのでなく、病状を受け入れて根治への環境作りが必要だと思います。病は気からと言われる通りに、臓器的な疾患が病気に結びつくのではなく、疾患を通して気弱や怯えを増徴させて、病根を必要以上に成長させてしまうことが、闘病生活に結びつくのだと感じ取っています。健康体も病身もあくまでも極自然体の鑑でありますから、病を悪者にすることなく、健康を常識にすることなく、全ての自分自身を受け入れて、時々に鑑の中に情をもって労わっていくことを心がけたいものです。
2008.09.12
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お宅には世話になったんだよ、お宅のお父さんお爺さんにはいろいろ力になって貰って、今までの生活には随分助けてもらい、お宅にはたくさん報恩する義務があるんだ。何かの拍子になると、同じ話が繰り返されるのですが、昨日亡くなった叔父貴は、機会があると口癖のように、先の話を繰り返していた時期がありました。叔父の口癖は社交辞令なのか、どれほど支援を受けていたのかは、関係者が仏となった今では、詮索することもできません。昔はお互いに助け合う相互扶助の精神が確立していたようで、細かな事情は分かりませんが、我家の語りごとのなかにも、何回か親父やお袋から聴かされていましたから、数人の方が恩を感じているのは事実のようです。父親は少なく二人兄弟なのですが、母親の兄弟姉妹が7人と多くて、父親と母親は従兄弟同士ということも重なって、他所のお宅の倍くらい伯父貴叔父貴伯母叔母が存在する、親戚関係が多い立場なのです。昨日亡くなった叔父が最後の存在で、残っている叔母が二人だけとなって、実にお寂しい気がしているのですが、それぞれの家の跡継ぎが多くいて、誰が誰だか分からないのが実情で、ジグソーパズルのように関係を解く必用があります。昨日はお通夜があって、今日は葬儀告別式と納骨式があったのですが、その儀式の合間合間の場では、まるで同窓会のように輪になって語り合って、実に賑やかな家族の紹介となりました。お互いの身体の中に脈々として流れている一族の同じ血が騒ぎ出して、遥か昔の微かな思い出に呼び戻されて、記憶のダイヤルを廻して同調をし合って、彼方此方で納得した大きな歓声が聞こえたほどでした。最語の叔父は太平洋戦争中、衛生兵として下関から小さな船に乗って、当時の朝鮮釜山に向かっていた時に、アメリカ軍の空からの機銃に遭って、船は沈没してしまい乗組員は溺死し、ただ一人叔父が左腕を欠き釜山沖で漁船に救助されたそうです。戦後50年目に初めてロータリー・クラブの姉妹クラブ訪問で、釜山の町に初めて訪問をしだして以来、毎年何回か訪問をするなかで、遥か昔に叔父が怪我をした左腕を、釜山の地に眠らせていたとは、奇縁や奇遇を感じてしまいます。本人が生存中にこの話ができれば、もっとリアルでピンポイントの情報交換ができたし、意外な関係が明らかになったとすると、少々残念でもあります。近々に釜山に行く用事があるのですが、叔父の滞在した町で接する人と場所が、今でも重ねあっていたとしたら、そんな歴史事実を亡くなる前にでも、沢山伝授されていたと思うと、これまた奇遇な人生の流れを考えてしまいます。より親密度が深まった近代都市の釜山の地に、生前に行かせてあげたかった叔父ですが、奇縁の齎したご縁を探して、一層好きになり、63年前に爆撃された歴史探報をしてみたく思っています。お宅には世話になたと言い張っていた奇縁は、ひょっとすると釜山の街がその役目を果たしているかもしれませんし、根が共通する人脈が隠されている気がして、新たな興味がわいてきたところです。
2008.09.11
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もって生まれた宿命があるのでしょうか、どうも人様へのご奉仕を捧げることが、世のなかから自身に対して授かった至宝のようで、あれこれの仲裁役とか相談ごとが、八方から集中してくれているように思っています。昨日から今日にかけて、ロータリー・クラブの会合が重なって、各委員会の運営の相談を受けながら、夜間の会合の設定をしていましたら、昨日の例会時に秋田県の友好クラブである会長さんが見えてくれました。来会案内を事前に受けないままに出かけて、遠来のお客さまを初めて知って、少々受け入れ態勢の粗雑さに失礼があったと、クラブの反省点を指摘することになりました。帰郷する新幹線の時間ギリギリまで、喫茶室での談笑と情報の伝達ができ、お互いの地区とかクラブの問題点等を、いろいろ話し合うことが出来ました。10年前に秋田のクラブと友好締結する際に、先遣隊でクラブ訪問をしたのですが、先達であった初代会長のお供の形で訪問でき、今では発足当時のエピソードを知る、貴重な一人なのですが、相互クラブの先達も含めて、亡くなられた方が多くいらして、お互いクラブの会長同士もまったく歴史を熟知できない状況にあります。昨晩の会合でも若い方への情報伝達であったのですが、先ずは興味を持って参加をして貰うこと、お互いに意見交流ができる環境を共有すること、世代を越えて分かち合える奉仕事業の意識を高めることが理解でき、大変に有意義で楽しい時間を経験することができました。ロータリー独自の財団と日本独自の奨学金制度である米山プログラムの寄付支援と、仕組みの把握と活用について、委員会の皆さんと勉強会をしてみました。ざっくばらんの意見交流ができ、おもいがけない興味も沸いて、一歩深く学びをして生きたいと、力強い理解がされてとても有意義な時間となりました。先日から直前ガバナーを囲んでの、フォーラム仲間との同窓会の発起人役を仰せつかったり、お仲間が病に倒れてお見舞いする機会の、中継ぎをさせてもらったり、先輩が奮起してクラブの発展に尽力する意識革命のお手伝いのアドバイザーをさせて貰ったりしてます。年代的に中間管理職の位置にあって、先輩からも後輩からも、便利に使うことが出来ると思われているのでしたら、特にうれしいほど先輩達からの信用を自覚して、中間層だから知りえる情報と判断をもとに活躍を果たしてみたいものです。会員の飽くなきロータリー愛の追求に、少しでも役立つ情報公開と伝達をしてみたいものと、人さまへの友愛を広げ理解しあえる環境つくりと、共に学べる悦びを味わっています。ことあるたびに、最終的な場面になって色々な方からの相談をうけて、自分を信用してくれることへの感謝と、少しでも報恩できる働きを目指してみたいものです。近々に設定できた、治療中の先輩を励ます集まりが、設定できたことが凄く嬉しく、ご本人も仲間達も、心から素晴らしい企画を実現させてくれたと、あくまでも天命をうけた宿命に心の中で合掌しているところです。昨日も韓国の池さんが、術後の報告を電話でされてきましたが、幅広く信頼されていることを自認できて、その責任も重くあり貴重な経験できていることに、享受できた喜びを分かち合える余裕ももちたいものです。
2008.09.10
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日本の国技である大相撲が度重なる親方や力士の不祥事が発覚して久しく、ことあるごとに八百長問題等がよく週刊誌を賑やかしていましたが、相撲界の古き体質は歴史の積み重ねになっているようです。今回の大麻事件は国際的な権威をもった検査機関が詳細な判定資料をもっていながら、また本人が大調査委員会に対して麻吸引を認めながら、本人達が否定していると親方が擁護して、子供と同じ弟子を信じてあげたいと言い張っていました。すっごく人情が厚くて師弟の絆がしっかりと結ばれている様子に、日本人が一番欠落している思い遣りの心が感じ取れ、親子の情愛の大切さを改めて感じ取ることもありましたが、これほどの悪戯の大きさを理解して、その責任を問う管理能力は別物のようでした。事件の経緯と責任追及や相撲界の将来についての論議は、各人の主権や観念に任せるとして、今回の相撲部屋の騒動の一件が、今の世の中の一般家庭にも当てはまるのか、大変に興味があるところです。国技を伝統する相撲界で、各一門とは先祖の本家分家に当たる関係だと思いますし、一門の部屋数が多いほど歴史があって結束が強く、それなりの有力力士を輩出して、隆盛を極めた結果があると思います。いま相撲部屋が幾つあるのか、更には一門の系統がどうなっているかは良く知りませんが、一門の信頼関係は深く、良きにつけ悪しきにつけて一致団結の統率力が強いようです。昔の部屋は師匠の言葉は重く絶対の力があるあったと思うのですが、今の部屋では友達関係が強くあって、師匠の年齢も若く、同世代的な親近感と理解してあげる容認ごとが、愛弟子への良き指導方と心得ているようです。歴代が創り上げてきた古き謂われがある一門と部屋の関係を、仲良しクラブ的な安易な気安さをもって、安泰として甘えた部屋の経営が保証されていては、今回のような破廉恥な行為は、ことの良悪の判断さえ出来かねる、甘えん坊のボンボン育ちになってしまっている気がします。相撲協会という国家の保障を有り難く頂戴している組織には、古き体質の一門親方になればなるほど、事なかれ主義の甘えがつよくあって、改革心が劣っているのでしょうし、理不尽さが理にかなってしまっている体質は、如何ともし難いことで、狭い相撲社会の閉鎖的な中では、世間の厳しさも恐さも感じ取れない空気が淀んでしまっているようです。相撲の場所さえ開催すれば、天下り的に各部屋の分配が保証され、親方は一門の団結のなかで身を守られては、厳しい社会の感覚が薄れるはずです。報道を観る限り、今回の事件を切っ掛けに組織と仕来たりの改革に無心となったのは、新興部屋の若手親方であったことが、社会に安心感をもたらしてくれたようです。一般家庭には全てが当てはまりませんが、先祖からの分家分家の流れの中で、伝統と時代趨勢の狭間で、世代間の心の交流が淀んでしまい、厳しさの親子関係が希薄になっていることが、相撲界の不祥事とイコールに重ね合わせてしまいます。こうした一連の事件の発生からは、何かの警鐘を世の中に提示していることを、各自なりに自戒をすべきことと思っています。
2008.09.09
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週明けの仕事が込み入った日程の中で、効率よく仕事を消化でき、気分も爽快に手当たり次第の懸案になっている未消化用事を捗らせることができました。ついでながら、事務所と家の中の書類や郵便物の整理作業まで始めることとなって、何かが自分を覚醒させたのか知りませんが、ヤル気モードのスイッチが入りっぱなしの状態となりました。こんな按配の気力を、毎日にわたって充実させることができれば、自分の思うままの勝手気侭で世間を渡り歩くことが出来ると思うのですが、物事が上手く行っている時ほど、程々の制御弁と自制心をもって捗ることを対処しないと、決まり文句の、人生のマサカ、が待ち構えているようです。先日終わりました、北京オリンピックを見ていてもそうですし、国内外のアスリート達が好調と不調の体調を繰り返しながら、厳しい練習に明け暮れて、ベストのコンディションを創り上げての試合でも、自己ベストを出すことすら難しい様相があります。肉体的なトラブルや精神的なミスマッチがあったり、怪我に泣かされたり、思わぬアクシデントは不意打ちに遣ってきて、アスリート本人ならずも、多くのファンに期待を裏切らせることとなり、マスコミを通して社会から、厳しい非難がされることを思えば、注目や応援をされていない身とすると、まだまだ気が楽過ぎると言えそうです。生身のアスリート達を客観的にみていますと、自他大きなプレッシャーを受けながら、その重圧と闘ってなおかつ自己管理をしていく毎日は、人事でなく孤独で辛い練習の日々になっていると感じています。更にはプロフェッショナルとは、自己能力をアピールする機会が毎日あるわけですから、それなりの気分転換とメンタル調整や体力維持が課題になってきます。スポーツの秋を迎えて、北京パラリンピックも佳境に入り、プロスポーツも最終ゴールに近付いていますが、一年間の体調管理は並大抵の苦労でなく、家族ともども気遣いや体調管理が大きな課題となって、生身のリスク管理の大切さとなっています。ここのところBS放送されていた、テニスのUSオープンは男女とも物凄い長時間の死闘を繰り返し魅せられて、肉体的な限界と気力の消耗が狭いコートの中で繰り広がれている、格闘技の荒々しさまで感じてきます。肉体と精神の限界を目指しての厳しい闘いは、他のスポーツを圧倒するほどの激しさを感じ取らせてくれ、すり鉢型のテニススタジアムの瀟洒さとは裏腹の一球ごとの格闘を、夢中に引き込まされました。過酷なまでの集中したトレーニングから、美しい勝者の微笑が誕生できるのでしょうが、長い時間を継続して練習の苦しみに打ち勝つアスリートが、全てに能力を開花させてナイスプレーを発揮するかは別物のようです。時に運、時につきがあるのでしょうが、一心不乱な鍛錬の苦しみの孤独な姿があるからこそ、時には天空からの味方が現れてくれて、ナイスプレーとして、耐えたことへの御褒美が恩恵されるのでしょう。たしかにこの世の中を生きることは、気合の持ち方が大切かもしれませんが、日々を無意味にさせることなく、目的意識を高めて精進させるモチベーションを、上手くコントロールできるようにしたいものです。時に応じて精神的な高揚を意識させることが出来るような、刺激でも覚醒でも自己管理ができることを心がけて、人生の歩留まりと効率をハイレベルに環境整備させたい気がしてきました。あくまでも生身の立場である以上、時々に変調があって当然のことですが、その起伏を楽しみながら有意義に活用させるスイッチを、必然のアイテムにしてみたいものです。
2008.09.08
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ずるずると日ごとに後回しにして、遅れていた事務仕事を決着させるために、早朝から事務所に引きこもって、パソコンと書類の整理に没頭することができました。時々小雨が降ったり晴天になったりの不安定な陽気のなか、窓から爽やかな風も入ってきて、頭のエンジンパワーを全開にしての奮闘をしていたのですが、仕事に夢中になれる爽やかな充足感と共に、ささやかな幸せ感も味わうことができました。なかなか自身から、夢中になれることが出来ない性格なので、時として長時間に亘って一心不乱にデータ処理をすることが出来たことが、とても嬉しく御腹の中から満足感を味わっています。結果的には一週間ばかり、無駄な時間が過ぎ去っているのですが、今日こそ徹夜で頑張ると意気込んだ日が何日間あったことでしょうか。机の前に座ったまでは良いのですが、気が散ってしまい他の用事に現を抜かして、本当に要領の悪い無駄な時間を空虚にさせてしまい、いつも大きな反省をしているところですが、このことは子供の頃からの悪癖だと心得ています。よく言われますが、三つ子の魂百までと、この歳になって今更改心はできませんから、せめても、人様だけには迷惑の掛からないことを自認して、いつもいつも自戒をするばかりです。御蔭をもって完璧に集中心が高まって、時間を忘れて溜まっている仕事を捗らせることができ、安堵の満足感のなかで、明日から始まる週のなかで、今まで滞っていた金融機関とお役所との進捗を大きく飛躍させ、最終的な合意を見出してみたいものです。あまりにも長すぎる交渉ごとなのですが、いまさらどちらが悪いと不平不満をぶちまけても、結果は自分の危機管理能力が劣っていること、危機処理が迅速にできないことが主因になっていて、改めて願うことは今後将来的に改善されたプログラムが、最善的に発展して成長してくれることを願うのです。先日お会いした方が話した言葉なのですが、自身が事業を創めてスタートを切ったら、一生乗っている自転車をこぎ回る責任があり、こぐことをやめることは倒産することだと、話を聞かされていました。自転車操業ではありませんが、結果的には成長するも躓くも、自身の仕事である自転車に乗って、常に移動をし続けなければならない宿命があるようです。曲芸のように一輪車でも二輪車でも、上手くタイヤを回転反転する技術を身につけて、自身の特技を活用させることができて、上手く難局を掻い潜ることが出来つつあるのかなと思っています。それほど際どい自転車の走行なのですが、世の中に生かされている事実を承知して、常に謙虚で誠心誠意を心がけることが、最善の運転方法に結びつくことを学び取りました。これからも一山二山と山も谷も、幾つも乗り切っていく人生なのでしょうから、世の中との協調を心得て、世から頂く御加護に改めての感謝をしなければなりません。今、世に報恩をする夢の形もみえてきた現実に、変らぬ利他的の心と寛容をもって、大きな大きな志を胸にときめかせ、人様から尊敬を受けるに値する人生の為にも、一生懸命に人生の自転車を漕いでいこうと念じています。
2008.09.07
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同年輩の方と一回りお若い方の二人連れの来客があって、週明けに面会予定がされていた方々なのですが、初めてお会いする人の性格とか動作とか気風に興味をもっています。お二方が新規事業に関する提案をする為に、時間をとって欲しいと面会をしたのですが、時流にのった事業展開をアレンジさせてもらうことが紹介されて、我が社の将来を見据えた事業協力を提案してくれました。もっぱらお若い方が具体的なプレゼンテーションをして、同年輩の方がじっくりと間合いを作りながら、場を和ます工夫をしてくれて、こちらの言い分を聞き分ける調整をしてくれましたが、年齢もそうですが着るもの持つものがまるで正反対で、しばし人間観察を楽しんでしまいました。年配者はごくごく普通の半袖シャツスタイルで、身なりは清潔感を持って、ありきたりの持ち物でしたが、お若い方が大きな体格に素敵な夏物の上下を着込み、時計もバックもブランド品を身に着けていました。しばし時間が経過して、和みながら一服の時に、高価なブランド品を着目して一言褒めてあげたのですが、若者が一応は大したものでないと謙遜をしてくれたのですが、それなりのプライドをもち、自分で意識をしてコーディネートされ、趣味として楽しんでいることを説明してくれました。年代によって衒い方が違うのでしょうが、恐らく年配者がブランド品を身につけていれば、それなりの評価と自然な仕草に受け取ることができますが、若い方とブランド品とのバランスがそぐわない感じがしているのをみてとれました。確かに高級品を身に付けることは、それなりの効果があって、身に着けた本人も優越感があるだろうし、気合も違うだろうし、凛々しく気分が高揚してくるものかもしれません。観る相手になる側からも、それなりの高級品を身につけることが出来る、経済的余裕の働きを評価することになるし、羨望の眼からチャレンジする刺激を貰うこともできます。もちろんのこと、ブランド品を身に着けてしっくりと、さり気無い気品を漂わせてくれると最高なのですが、品性品格とは一朝一夕の時間で身につけることができないものです。ブランド品を身に付ける行為が悪いことでなく、それなりの風格も併せ持って、バランス感覚を啓蒙して欲しいと思うことなのですが、そのためにも外見からの形ばかりでない、心の中から湧き出る気品も磨いてほしいものです。多分にブランド品を持てない者からの僻みになってしまいますが、持つ人によって輝き方も違いますし、一層の人格があがることであれば、先々はブランド効果を期待させて、遺憾なく活用させてみたいものです。さり気無いおしゃれ心とは、自覚することも必要ですが、ブランド品に関係なく、身につけるものがどんなものでも、プライドとして見せることができる、その人のもつ魔力と輝きが、素敵さの魅力に発揮させてくれるのでしょう。素肌の人間身だけでその人の魅力を発揮させて、誰しもが漂う高貴な品性に酔いしれるくらいの、心の豊かさを身につけることを目指してみたいものです。初対面であった小太りの若者が、事務所から帰る際に見せた背中からは、上着もネクタイも時計も靴も、ブランド品だけが踊っているように見えて、若者の姿が薄れているように観えたのですが、先々仕事のパートナーとするならば、次回からはご自身の姿が確りと認識できることを期待してしまいます。年配の方が寄り沿うように寡黙な場を見せてくれましたが、礼儀正しくその活き活きとした動作をみて、身に付けるものが関係ない颯爽とした後姿から、信頼できる人として目に焼きつけることができました。
2008.09.06
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何時も穏やかに物事を判断して、出来るだけ人様への迷惑を掛けないことを心がけているところでありますが、ヒョとした切っ掛けで腑の中に眠っている我侭虫が起きだして、とんでもない行動に出ることがあることは、とっても反省をしながら恥ずかしくも思っています。毎日の生活には思うが如し物事は捗らなくて、じれったくも苦痛になって、何かしらの形で鬱憤を重ねてしまい、腑の中にはストレスが大きく積もり重なる様子です。日常の経験する中で精神的に大人になっていく様子は、協調と融和の世界でありますが、性格が丸く丸く温和になって行くのが加齢と共に実感されていたのですが、地に隠されている本性はなかなか簡単に消せるものでなく、どこまで何時まで眠らせておくことが出来るかが、自分が持つ人の大きさのように思えています。特に際立った厳しい状況は変るわけでもなく、生活環境が厳しいなりの進捗が捗々しくなくあっても、家人とも平穏な毎日が変わりなく過ごしていた今朝のことですが、姉愛犬が朝食の盗み食いから、自制心が切れてしまい、徹底的な暴力をもって叱りつけてしまい、愛犬は尾をだらりとたらして怯えきってしまい、逃げ惑う後を追ってまで、足を使って暴力をふるってしまいました。たしかにルール的には愛犬の盗み食いが悪いのですが、その行為の落ち度には多分に飼い主も責任があることを知っていて、何時もの通りに頭にピンタを一発お仕置きをする程度で済んでいたのです。これほど感情に任すままに、手と足を使っての暴力沙汰は、感情抑制できる成人男子としても、随分破廉恥であって、人の懐と心の大きさがまったく無いことを証明することになったわけです。暴力を振るっている時の行動とは裏腹に、頭の中では抑制力が働いていることが気が付いて、それこそ子供の我侭が無邪気に発揮された形になっていましたが、血が頭に昇ってしまった狂気沙汰は、ただただみっともない幼児性をさらけ出し、反省することが暫く続いてしまい、落ち込むほど情けない思いです。毎日溢れるほどの愛情をもって、姉妹犬の面倒をみている心算りなのですが、人の持つ自制心の弱さを愛犬にぶつけるほど、未熟な行動をとってしまった自身の反省度をどのように納めて、家人と姉妹犬に謝りを伝達するかが戸惑うばかりでした。愛犬のほうが遥かに大人でして、犬ができているように感じてしまうのですが、凶暴を振るう飼い主が情けないと怯える姿が可憐で、そばで訳が分からないままでいる仔犬が戸惑う姿をみて、漸く醜い行動を収めることになりました。この一件があって、一日中不愉快な気分であったのですが、夕刻の日課の散歩の途中で、公園のベンチで二匹と一人の円陣を組んで、今朝の奇態と反省をお互いに納得しあうことの儀式をしてみました。なんとなく理解されたのか、出だしは気まずい気分があった散歩でしたが、何とか蟠りと反省がお互いに理解でき、いつもの快調な散歩をすることができ、ほっとしている飼い主です。人には大きく、己は小さく、心を円く、腹をたてずに気を長~くすることを、長年心の中に備えて置いたものが、今回の件を機会にして反省をこめて再点検しています。飼い主を支えてくれている愛犬のご利益を受けとりながら、家人共々自制心と快適な感情をもった、良き大人の人間を目指したいものです。
2008.09.05
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そばにいてくれるだけで好いという言葉は、一世を風靡したうたの歌詞にありますが、家族や身内は勿論のことですが、素敵な仲間こそ何時もそばにいてくれる人であって欲しいものです。以心伝心できる仲間がいてくれればなんでも相談でき、辛苦を分かち合えるのですが、現実社会の中にはとことん身の上話ができる人がいるかと訊かれると、簡単にYesとはこたえることができない現状があります。心が通じ合える仲間として阿吽の呼吸で交流ができること、簡単なようでなかなか難しいものなのですが、以心伝心以上の適語として、心の分かち合いが出来る言葉が拈華微笑(ねんげみしょう)であるように思えています。以心伝心は自分から何かをして欲しい場合に、願いを叶えてくれたときの適語として好いと思うのですが、お互いの阿吽の心の伝播には拈華微笑の言葉が、よりぴったりと納得がされる気がしています。拈華微笑の言葉はつい最近知った言葉ですが、日々生活の中で上手く心してみたいものですが、いつも慌ただしく常に動き回る世の中には、人を思い遣る心が欠けやすく、とかく自身の狭い範囲での我欲だけに、しがみつきたい心理が有り有りです。いずれにしても、人様への思い遣りの心の余裕が無いと、利己的な判断になりがちですが、年齢とともに思い遣れる心の清さと、心の豊かさの余裕を備えあって持ちたいものと念じます。今朝になって電話で連絡をくれたのですが、風の便りで耳にしていた保険のクライアントさんと、チームの年長者との会談が昨晩あったそうで、アドバイスが生かされて良い結果が得られたと、心底喜んで貰えました。クライアントの一人として、サークルの仲間としては付かず離れずの交流ができていましたが、仲間としての分け隔てをすることなく、自身が善いとして判断をしたことを問われては、思っている良識を直言をさせて貰い、自分なりの公平なアドバイスをさせてもらいました。偏った利己的な判断でなく、総合かつ建設的な意見表明は、発信する側も受ける側も常に虚心坦懐にしていれば、分け隔てなく仲間の交流の中で生かせるものです。おそらくは、昨晩に集まった長老達も同じような意識でもって、サークルを公平に見ての判断がされて、その結果がサークルにとっても、最善の判断がされたことだと思っています。サークルの仲間達としては、一人ひとりの心の中では拈華微笑がされて、衒いとかエゴがあって、なかなか本来の素直な表現がされていなかったのだと信じます。少しでも心の発信度を深めて、一人でも多くの方々との拈華微笑を実現させてみたいものですし、これが信頼に繋がればと思うのですが、信頼があってこその拈華微笑であれば、それこそ切磋琢磨の信頼をしあえる仲間創りを優先させなければなりません。保険のクライアントさんがいみじくも伝えてくれた、あなたが仲間からの信用があるから、安心して相談に乗ってもらえると言われて、改めて自戒をしながら信用の積み増しを心掛け、先ずは人様から信頼されるようにと念じたいものです。家族を思い遣ることで人様にも思い遣りの心が芽生え、人様を思い遣ることが自分に信用が付き信頼される結果となって、感性を豊かにさせながら、沢山の人の拈華微笑を感じ取りたいものです。
2008.09.04
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保険のクライアントさんとしての契約事務が終って、しばし四方山話をしている時に、少しの間をおくかのような仕草があってから、相談があるのだけれど聞いてくれる、と言われて丁度一ヶ月になります。サークル仲間でもあるクライアントさんは、年齢も近いのですがサークルの主だった役職も少なく、ましてや責任者の立場も経験しないままに時が過ぎて、サークル内ではあまり活発な行動がなく、付かず離れずの仲間との交流がされていました。仲間の若い方々が引き受ける責任者の役職があっても、比較的古参の立場であるクライアントさんは経験することなく、長い年数だけが経過していったのです。サークル活動が順調に運営されていましたから、責任者の役職もそれなりの順番をもって、滞りなく引き受ける方がいらっしゃいましたが、傍目には気づくことなく保険のクライアントさんとしては、いつかは役職を引き受ける時を模索していたようです。このことは自身が自問自答する形で、少し悩みながら長年経過されていたようですが、自身の業界での役職が時系列にカウントダウンされた今、お腹のなかで熟成させていたサークルの責任者役を早めに体験したい思いが芽生えたようです。比較的円滑に役職が引き受けする中で、自身が名乗りを上げて責任者役を引き受けますと表明をした時に、ある種の排他的な空気が流れる環境を先読みできたのかも知れません。サークルに長年在籍している身であれば、誰彼となく仲間の空気が読めるもので、仲間との人間関係を思えば、ごく自然に違和感を感じる仲間の感情が気になるものだと思います。それでも意を決して、責任者役を引き受ける覚悟があると伝達してくれて、サークル活動に恩返しをしてみたい願望が日増しに増していたことを吐露してくれました。相談相手に選んでくれたことを心良くして、長年の経験を自分なりにアレンジしてアドバイスをしてみたことが、いきなり立候補をするのでなく、サークルの長老達に集まってもらい、自身の熱意を意思表明する前に、責任者としてはるか昔に引き受けすることができなく、サークル運営に迷惑を掛けたことを詫びて、その報恩を果たすためにも、今回の果たすべき時を決断した旨をアドバイスしてみました。クライアントさんは少々感激しながら経験談を聞き入れてくれたのですが、そのアドバイスをもとにご自身が判断をされて実践された会合が今夜あるらしいことが風の便りに耳に入りました。サークルのためにもクライアントさんのためにも、長老達との会合で確りと意思の伝達が出来て、長年の鬱積を晴らす好機として、その管理能力を遺憾なく発揮され大いに活躍して欲しいものだと期待をしています。もっと単純に考えて、堂々と役職を立候補すれば好いものですが、複雑に絡み合う人間関係と自薦他薦の自己顕示欲が絡み合って、ファスナーのごとく咬みあうようには上手く行かないものです。自己表現が比較的下手な人が多くいて、自己主張をする場で静かに口を塞いでしまい、その結果が思わしくないと、後になってから勝手なクレームをほざく人が多く、サークルの人事構成は万人が応援をしてくれるとはかぎらないことを知りました。人の振り観て我が身を直す反省として、賛否を問われるときもそうですが、感動を得られた講演とかコンサートの際には、堂々と感激感動の意思表示を心がけしてみたいものです。最近のスポーツ観戦で良くスタンデンィグ・オーべーションがみられるように、もっともっと素直になって感情のままに立って拍手をするくらいの思い切りをしてみたいものです。遅すぎた仲間の決断ですが、思いついたときが最善の時なのですから、いかに感動を沢山味わうことができるかの活躍を念じたいし、本気になっての応援をしなければなりません。
2008.09.03
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表面上の体裁ではなんでも繕うことができますが、御腹の中から許せて心の中から思い遣られて応援ができる人になりたいものと願っているのですが、朝の心掛けが夕刻になるとしばし反省をするところが大きいこのごろです。若いときからすれば、随分温和で優しい心の持ち主になったと自覚しているのですが、まだまだ全ての方の存在を許すことが出来なくて、こそばゆい自身が情けなく思うことが大きいのです。世の中には様々な思いの方がいることは当然の理ですから、お互いが全ての人と仲良くできることは不可能にちかいことであり、理想を実現させることは並大抵のことではありません。数年前に事業の躓きを経験してから、因り自然に神仏の崇拝を心掛け、あわせて色々な方が書かれた精神論を目にすることに傾注する中で、いままで構築されていた人生論が少しずつ薄皮を剥がすように、まるくまるく温和に変容してくれていますし、こうして自心を文字化することで多少の呵責も味わうことができています。インターネットを通して知りえたと言ってよい、到知出版の講演会で知り合えた修験者の塩沼亮潤さんとは、書物共々つい最近になってご縁を頂いたものですが、以前から読み齧っていた経営の神様と言われる、松下幸之助さんの書物も、改めて人様が紹介する形で様々に読文をしています。素直な心になりましょうとは、松下さんが経営者の心を確立させた自身の学びの中で磨き上げられた言葉ですが、PHP誌の標語を飾るに相応しい綺麗な言葉は、誰でもが極当たり前に心のなかに指標としなければいけない言葉です。人は、簡単なものごとほど、意外にも難解で厄介な問題であることを教えられますが、人間交流の躓き程お互いのエゴがむき出しになっていることは無く、とかく自分勝手な判断と利己的に解釈がされて、自分自身から離れてしまい烏合の衆を目指します。まずに心にしたことが孤高という環境を目指して、今までの烏合の環境から離れてみたことですが、今になってみると、自身が大きく心の進捗が出来ていることを自覚して、精神的には遥かに大人になることができたと喜んでいます。自分自身で捜し求めた結果の出会いの人、書物が結果的に誇れるほどの心の至宝となっていることは、大きな自信となって支えてくれています。烏合の中でしか仲間が出来なかったことが嘘のように、垣根を取り払った素晴らしい交流が新しく構築されていますし、その出会いと経験が自己形成に大きく寄与してくれています。過去に蟠りをもって交流をしていた友人も、積極的に声がけをするようになりましたし、心の中にもっていた蟠りが少しずつ氷解している事実もあって、心得が漸く現実になっていることを喜んでみているのですが、時として元の蟠りに復帰していることがあるのです。自虐的になるのですが、まだまだ修業が足りないのでしょうか、日々の改心の念じが足りないのでしょうか、自制できるための、己を律することのパワーが不足しているようです。毎日の修業は継続されるのですが、迷い悩む時に、軌道の修正と激励の指針と成り薫陶を受けるのが、幸之助さんであり、塩沼さんであります。時々に立ち止まりながら、お二人の言葉を心に照準させて、他人を許し愛いできる自身を目指して、素直な心、謙虚さをもって事業経営にも結び付けてみたいものです。
2008.09.02
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月が明けて季節は本格的な秋を迎えるのですが、一年の三分の二が過ぎ去って残り三分の一で、すぐに新しい年を迎えることになりますが、毎年毎年同じような生活の繰り返しの中で、多々反省とボヤキが多くなっている気がするのは、ただただ年齢の性なのでしょうか。最近は毎日のように雷雨とゲリラ豪雨と言われる、物凄い雨量が瞬間的に降る日が続いているのですが、天空に光り輝く雷の閃光と雷鳴は、何かを訴えている悲鳴か怒りの声に感じてしまうほど、一種の恐怖感を味わう時があります。あれほど酷暑だ猛暑だ激暑だと言われた真夏の暑さも、暦どおりに処暑を迎えてからはすっかりと秋のそよ風を感じられる風情になりました。先日に安房鴨川まで出掛けたおりにも目に出来た、秋の稔りの稲穂が黄金に輝いている姿は、確実に季節が移りすぎていることを教えてくれています。今回のゲリラ豪雨もテレビ報道でコメントされている時は、いままでの人生で初めての経験でした、と言われる被災者の声がありましたが、昔だって大昔であっても同じような豪雨の頻度は結構あったと思います。昔と今では大きく違うことがあるのは、天からの雨量は同じでも、地面に溜まる量が違うのではないでしょうか、砂地の地面と木々や緑地が少なすぎると感じているのです。昔の森林が道路と住宅地なっているのですから、生活者が犠牲を被る確立があまりにも大きくなっているから、災害被害が甚大になっていると思います。時代を遡るほどアスファルトとコンクリートの道路や建物が無かったわけで、その分雨水は地面や建物の屋根や壁板に吸い取られていたわけで、更には地面に植栽されていた大木のお陰で、極々自然に雨水が地下に十分に時間を掛けて浸透できた環境があったわけです。今の時代はすべての道路がアスファルトで舗装されてしまい、建っている建物も全て水分を撥水してしまう構造では、一気にアスファルトが川になってしまいますし、その濁流の勢いが加速されて、下水溝に入り込み河川の堤防をも破壊してしまう猛威となる気がします。河川決壊氾濫等の自然災害は大昔も有っただろうし、近代都市化されたいまでも、同じように繰り返される自然の摂理をみるにつけ、完璧に治山治水を務めることは無理がある気がしますし、地震や台風の被災もある程度は覚悟の範疇と、あえて暴言をコメントしてしまいます。防災の日である今日ですが、治山治水事業を怠りなく施す以上に、被災されて時の対応と支援体制を確りと組み立てて、行政指導ばかりでない民意の助け合い制度を構築させていくべきと思います。今年も多くの方が自然災害で犠牲になっていますが、尊い命や体験を無駄にすることなく、それぞれの生きる生活環境の中で、創意工夫と意識の向上を、生活を共にする仲間たちと確認し合う必用があるでしょう。この夏の初めに、ロータリーの地区ガバナー主催による、自動体外式除細動機・AEDを県外の学校施設に常備支援のチャリティー・コンサートを開催したのですが、数年前には考えもしないことが常識化する時代の流れを知るべきだと思います。被災した万が一のときこそ、AEDや食料や医薬品や諸々が誰でもが平等に活用できる環境と、各人の思い遣りを発揮することができる、困った時にこそ、助けあう相互扶助の意識の高まりに結び付けたいものです。忘れた頃にやってくると言われている災害が、日本列島で考えれば忘れないうちうちに、連続して被災を受ける時代なのですから、自身と家族だけでなく他人にも目や気が付ける優しさを、自分自身の宝物として心の中に輝かせてみたいものです。
2008.09.01
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