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ここにきて、一番気になって心配をしていたことが、思いのほか理想的に決着をつけることが出来て、現実に抱えていた不安と心配が払拭でき、関係する皆さんと共に、一年最後の重き役目を無事に終えることができました。いま自身が抱えている難事も、こうした自然な流れに恵まれることで、今日の重き役目と同じように素晴らしい効果を発揮させて、一日も早く安堵の感激を味わいたいものだと、心から強く念じているところです。今日は所属する団体の会計監査が行われて、過去四半期ごとに経過が発表されていましたから、凡そのお金の流れが把握していたのですが、前年度繰越金をそのまま友好的に活用させた結果として、次年度への繰越金がまったくなくなってしまいました。この事態につきましては、そのつど行われている会議でもって把握されて、様々な忠告や意見が述べられていまして、次年度の予算編成をも大きな影響を及ぼす、大変な物議を起こしてしまいました。関係する役員の方々の中にも、以外なのですが他所事ととして、無責任な他人事を決め込んで、騒々しく物議を引き起こしているにも係らず、平然無関心でいる人がいること事態が、大きな無責任問題だと悩んでしまいます。今住んでいるこの厳しくも世知辛い世の中で、ことお金の収支については、誰しもが厳しいチェックの役目を果たしている世情があるのですが、常識的な理論を持って、建設的な意見を述べる人は、極限られる事実を知りました。内輪の気心が知れた仲間の集まりごとには、風評の声を高らかに掲げてくれるのですが、肝心な議論の場では声が出ない人が多く、侃々諤諤の意見交流が成されない現実と直面をしてきました。そんな空気を知っての監査をしてきたのですが、予算執行に際して、費用対効果の物差しを確りと確立をしなければ、正確な決算評価が出来ないことを、強く主張させてもらいました。とかく数字だけを評価するのであれば、結果的には高い数字が残るほど、高評価を得易いのですから、金額と効果がイコールでないことは、誰しもが認めざるを得ないのです。数字のマジックで、足し算と引き算だけでは、説明することが不可能な、高い評価をしている人々が大勢居ることを、一生懸命に説明役を果たしてみたところです。予算を大きく上廻って執行した支出項目が、結構多く散見させられて、質問事項も必然的に集中され、具体的に利得となっている現実を説明すると、始めて赤字決算の隠れた意味合いを理解してくれるのでした。予算を残して黒字を評価することは簡単ですが、事業の内容まで徹底した監査をしなければ、マイナス決算の評価はできないのです。数字で表わせない評価を、補足的な言葉で満足させることができる、そんな人情をきちんと読み取ることが出来、高い評価をすることができる、読み取り名人に出世を出来るようにしたいものです。当初の予算で間に合わないくらいで、繰越金まで必用になるほど、活動が活発で、参加する方も喜んでくれて、予想以上の評価に対応したら、結果的に予算がオーバーになって、繰越金を活用したのでした。とかく繰越金が無くなってしまった、無駄ずかいを指摘するのですが、それだけでなく、奥深い人為的な思い遣りの心を読み取ってあげるべきなのです。ただの悪例と非難するのでなく、良き経験談として、裏側からの評価と、側面からの見方とを、立体的に判断をして、建設的な意見交流をさせて、次期に良き教訓として生かすことを、大きく認識をさせるべきなのです。
2008.06.30
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今朝の8時から地元のソフトボール大会があって、前から応援を願われていたのですが、早朝にあった、雨天中止の電話が安堵の睡眠薬になって、ぐっすりと熟睡して目覚めれば、お昼の時間でした。昨日は曇天の中午後にあった草野球を楽しんで、心地良い疲労感を感じて、昨晩床に就いたのが深夜でしたから、久し振りに長時間の爆睡をしてしまいました。今回ほど疲労感を強く感じて、夕食が終えてからは睡魔が襲ってきて、コックリの連続をしていましたから、若いときの一年の加齢と、初老になっての一年の疲労感は数倍に匹敵する思いをしています。お陰様で熟睡の結果体調が復活して、気分爽快の日曜日を楽しんでいますが、予定通りに今朝ほどのソフトボール大会があったら、おそらくは怪我をするほどに、筋肉痛の身体が動かなかったことでしょう。すべての巡りあわせの幸運を享受しているところで、有り難くも、この世に何とか役目を果たせる立場と働きをさせて貰う場があることが現実にあって、シトシトと降り続く雨模様の空間を眺めて、のんびりと過ごしています。そんな時に一回りも上の先輩から電話があって、関係する行事のお手伝いに、段取り良く準備がされていることを評価してくれて、心よりのお礼を伝えてくれたことが嬉しかったのです。話をしているうちに、今問題を抱えている状況を語り合うことが出来、同じ価値観と思考が分かち合う確認が出来て、同じ波長で話し合える心地良さに、思わぬ長い電話となってしまいました。時間の経緯を持つほどに、心が通じ合う安心感が生まれて、様々な意見交換ができたことが嬉しくて、快眠の目覚めとあわせて喜びが倍増されてきています。以前ですが、この先輩からは同じ役目を引継ぐ役職があって、以来いろいろとご縁を深くさせて頂き、付かず離れずの等距離をおいた、なかなか程よいお付き合いができていました。過去に引継ぎをされた役職も、今では随分若い後輩が継承をしていまして、時間が経過された流れの中では、役職の果たす役割が、大きく変容されている事実の確認もされました。時が流れ、世代も変り意識が変る宿命を負っての人間関係は、言葉のキャッチボールが最善な良薬になることを、改めて確認をし合う必要があります。昨日あった草野球の時も思ったのですが、多少のわだかまりを持った人でも、同じユニホームを着てグランドに立ち、キャッチボールを相手のグラブに向かって投げ合えば、自然とつまらない人間関係のわだかまりが氷解していきます。今思うに、最近のブログや日記やSNSのコメント交流からは、活用している人達の、芳心で健全な精神が沸き起こっている様子が伺えて、その仲間でいれる効能を大いに活用させて貰いたいと思うのです。当然のことですが、相手の方の立場を思い遣って、礼節をもっての交流を心がける必用は、対面でも非対面でもまったく同じことを認識し合う必要があり、新たに心にしているところです。
2008.06.29
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思惑が外れてしまった、と言う言葉を良く聞く事があるのですが、ご自身が活動をしている環境のなかで、退いて無関心でいた方と、積極的で熱心に学び取っていた人の差は大きくあって、無関心の方の判断はとかく頓珍漢な問答になりがちになっているようです。昨晩あった会合でのこと、新しく責任ある立場になる方が、沢山の愚痴をこぼしてくれ、自身が思っていた理想の運営が出来ない、心細さを吐露していましたので、思考の切り替えと自信をもって運営をするように、言葉を強くしっかりと激励をしてきました。ご本人が知っていた心算のなかでは、独りで決めることが出来ない心細さがあって、いろいろな方に相談を持ちかけて問い尋ね、真摯に聞き耳を立てることはとっても素晴らしいことだと思っています。様々な生き方をしている世の中に、いろいろな考えをもった人も多く居る事を知って、幅広い情報を自身が得る中で、正しく有益な答えが手にできることを学び取る作業も必要だと知って欲しいです。いきなり責任者になったわけでなく、準備時間があった訳ですから、積極的に幅広く、立場の違う人からも公平な意見交流をして欲しかったものと、今になって傍目でみているところです。ここに至って組織の納得できない部分について、愚痴にして批判までしている姿をみて、準備期間の間に幅広く多くの方との、積極的な交流を怠ったが為のツケがきているようにも感じています。とかく身近にいる方ばかりの意見や、お仕着せの情報を便利に受けていたが為に、その身近で偏った人に上手く利用をされてしまい、ロボットのようなコントロールをされる羽目になっているのが垣間見れるのです。観ていますと本当にお気の毒な方で、自身が狭めている狭義の交流範囲の方々の意見を、ほぼ飲み込まなければならない、交流状況になってしまっているようです。今になって広義の人と交流を始めて、情報の流れの経緯を伝えてくれても、何を今更相談を聴かねば成らないのかと、ちょっとばかり反発をしてしまいます。体制への批判を聞かされては、なんとも情けなく悲しいばかりで、一回りも年長の方であるのですが、年齢から来る偏見なのか能力なのかよくは分かりませんが、悲壮感と孤独感を漂わせては、建設的な活力ある運営は望むことができないと思っています。それでも、間近になった責任者への就任が待ったが効きませんから、理解をしてあげることができる仲間達の結束をもって、是非とも一致団結しての、バックアップを心がけていきたいと思うのです。此方はまったくの白紙の状態で控えて拝見をしていたわけで、まさかこんなにも追い込まれて正しい判断と行動が出来なくなっていたとは、まったく持って信じられないことです。人の持つ器の大きさと度量は、幅広く沢山の方々と交流をした学びの結果だと信じていますので、今からでも心を大きく開いて、素直な聞き耳と人を見極めることができる、判断力を磨いて欲しいものです。偏見の見識は先ずは白紙にしてもらって、組織を信じることから心の入れ替えをして欲しいですし、改心をしてからの進捗は目覚しく進化してくれることでしょう。すべては大切な仲間達を信じる事から始まって、様々な立場にいる人たちは度量を大きくさせて、誰彼ない公平な意見交流を自由にすることを、新たに心しなければいけません。
2008.06.28
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役目が終わる側と始まる側の引継ぎ式があって、半日間を掛けて事務手続きを終えてきたのですが、去る側の穏やかで頬が緩んでいる方々とは違って、引き受ける側の方々が、少々緊張をして不安な様子が見て取れる複雑な場の空気を味わってきました。所属する7クラブから指名を受けて集ったのが昨年の2月でしたから、すでに一年間が過ぎ去って、最終的な事務処理が終わるのが8月中旬を予定していますので、まるまる一年半の長きに亘ってクラブ代表の7名の方々が、一まとめになってチームを結成してきました。集った当初は右も左もよく分からない者通しでしたが、当初は結構な自己主張を述べ合って、侃々諤々の議論をし尽くして、最善の答えを求め合って連日の会議を重ねてきたことが、今となっては大変に懐かしい思い出となっています。知らない者通しが何の損得勘定に関係ない、気楽な主張を述べることができたからこそ、わだかまりの無い活き活きとしたチームが継続できたと感じています。今思えば、長年気心が知り得た仲間であれば、チームを結成する時も気安い間柄を発揮させて、安易に結成がし易いのでしょうが、えてして相手の性格が分かるが為の、先入観が判断を間違えさせることになり易いと思っています。まったくの初対面であれば、お互いが平等の公平な立場になって、同じ環境をもって会合ができますので、チームを統括する責任者の方も、率直に請願できますし判断もしやすかったことでしょう。責任者の方が掲げたことは、すべてに亘って幅広く組織の見直しと、簡略化を目指すことでした。無駄なことを徹底的に洗い出して、行事も予算も出来る限りの集約を図ることから始まったのですが、組織を熟知していない者通しの素直さが、結果的に素晴らしい計画を創り上げることができ、さらには実践に移すことができたと思っています。期間の時々に会合が何回も繰り返し開催されたのですが、所属する7クラブの環境がそれぞれ違うことが、結果的に相乗効果を発揮させることに繋がってきたようです。統括責任者とすれば、最初から気をもんで不安な心配事があったのでしょうが、今となっては気心が知れた、絶対的な信頼できる仲間達に成長して、喜びも倍増の安堵感を味わっているように伺えます。役目を終える責任者の方が満足感を笑顔で示せば、新しく重い役目を引き受ける方が、新しくチームを結成した顔見知りの仲間達と、共に真剣に協議をされている姿が、溌剌と新鮮に受け取ることが出来たほどです。それでも不満と言うほどでもないのですが、せっかく改革改善を進めてきた組織が、新しい執行部によって、一部分継承がされない事実をちって、非常に寂しい思いをしているところです。同じ団体を執行する年度によって、責任者の個性と特徴が発揮されることは良いとして、是正された基本的な基軸だけは、是非とも年々継承をする努力を見せて欲しいものです。決まりごとを安易に簡単に変更することは、誰にでもできることですが、最善の組織を構築した経緯と価値を是非とも大切に評価をしてもらいたいのでした。絶対的な最善な結果はありえませんが、理想に向かって努力と工夫をしてきた事実だけは、改めて心することを、立場が違った時にこそ理解できる人となれることを念じています。
2008.06.27
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精一杯のできるだけを、気配りや心配りをしている心算であっても、人様から見てみると余計なスタンドプレーの一端にしか、好い評価を得られないことが間々あって、何処までが程良い効果が出るのか、時と場合の、空気を読める自分を目指しているところです。集団の中にいますと、様々な考えを持って自己主張をされる方々が、非常に多くいることが分かりますし、そのお互い同志が、烏合の衆になっていることさえもが、上手く理解できていない場合が多くみうけられます。余りにも数を重ねてアドバイスをすると、抵抗感をもって嫌われ者になりやすいですし、立場上傍観をしていると進む方向がずれて来て、気付くころには修復が利かないことがあったりして、判断する具合とタイミングが難しいのかも知りません。経験すればするほど、過ごしてきた時間の中での知識や情報をもって、色々な人との接点をも活用して、自分なりの施しができやすくなるものです。この度年度が変わるに当たって、随分前の段階から、経験上の知識を責任者になる方にアドバイスをしてきたのですが、その結果が上手く受け取ってくれなさそうで、精神的に空回りをしている様子なのです。おそらく沢山の方から、様々なアドバイスや指示がされているのでしょうが、教えてくれる人や、接する人を間違ってしまうと、とんでもない悪影響が出てしまいがちです。アドバイスを受け取る側も、人と情報の取捨選択を真剣になって判断しなければ、徒労の結果が見てとれて、ただただ混乱を引き起こすことに成りかねません。真摯になって思うことは、アドバイスをする側も、アドバイスを受ける側も、自分が置かれている環境を、良く知る努力をしなければ、出せる答えも、それなりの凡としたものだと言うことだと思います。責任を負う者とすれば、組織の歴史と仕組みを良く学び取って、自分なりの評価と判断とが出来るようにし、実体を把握をすればするほど組織を良く理解でき、利点と欠点が見えてくるように成長して欲しいものです。利点とは先達の知恵が積み重なっての評価となり、欠点とは何をどのようにすれば改善できるのか、改善されるとどんな効果が発揮されて、どれ程のプラスメリットと成りえるのか、自分なりのビジョンが出来上がってくるものです。この度の場合なのですが、好意的に善意をもって、以前よりアドバイスをさせて貰った方々ですが、以外にも素直に聞き入れてくれない結果を知って、少しばかり愕然としているところです。その結果とは、実践をしてみなければ効果を云々できませんが、ただ具体的な数字については、具体案を提示して、その効果を説明した心算ですが、当時は受け側の方も絶大な評価をしてくれたものでした。期限が来て提示された数字を見せてもらったのですが、まったくアドバイスが生かされてない事実を知って、責任ある立場になる方がまったく反映してくれないことに、唖然とさせられてしまいました。責任ある方が、ものを見極めることが出来ないと、とんでもない弊害を引き起こすこととなって、結果的に自身の立場が揺るいでしまうのです。友人を見捨てる態度は取れませんし、どのような教示をすれば理解をしてくれるのか、いまだ不安が残るのですが、出すぎず引きすぎずに良い塩梅を見いだしながら、効果あるアドバイスを心得ていこうと思っているところです。
2008.06.26
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時間が流れると言う経過の中で、人の心が如何に遷り変わっていくのかを、ここ何年間ですが、色々な方々を通して、観ることが出来ているように思います。あるお役所の担当される方が、初めてお会いしたのが昨年の8月でしたから、ほぼ丸一年間が過ぎ去ろうとしているところです。当然のことですが、まったく初対面の見知らぬ関係から交渉が始まって、この一年間はほぼ定期的に連絡を入れている担当官がいるのですが、最初の対応からしますと随分と変化があって、こちらの依頼する立場を、随分と良く理解をしてくれるようになり、いまになっては激励の言葉を受けるようになっています。一年前にお会いした時は、それこそ杓子定規に決められた応対ばかりがあって、時には威圧を受ける言葉も耳にしたのですが、今ではとっても懐かしい思い出になっています。今日あった金融機関との相談内容を、管理監督をするお役所に伝えたのですが、それこそ紳士的に相談を受けてくれて、尚且つ将来に亘ってのアドバイスや、個人的な相談をも、深い人情をもって優しく話し合いをしてくれました。世の中とは基本的な約束事があってこそ、多くの方との平等で公平な遣り取りができるのですが、その約束事が少しでも解れると相互理解が薄まって、人間の信頼関係が滞ることになります。世の決まりごとで、先ずは優先して護るべき約束事に則って、そのことを確りと果たすことは純真さからで、飾らない真心こそが、大きな有益な価値が発揮されてくるのだと思います。自身の正直な誠意を継続して表明することこそ、信用と信頼の証を伝達することになるのだと思いますし、不信感を抱いてしまっては、払拭するまでには相当の無駄な時間が必要です。難儀を背負った時には、とかく弱気になってしまいがちで、さらには子供の時のような純真な心も甦るのですが、反省や期待をこめて、この純心な心境を大切に持ち育てたいものです。自分自身が難儀を背負ってきているなかで、様々な取引先に向って、諸事解決の糸口を見つける手立てをしているのですが、交渉ごとの中で見え隠れする、身勝手な豪腕は時として恥ずかしいものがあります。どんな境遇になっても、常に一歩退いた静かで落ちついた礼節をもてば、どんなに大変なことでも、心の中にもつ純真な確信こそが、何よりも心強い指針になってくれるものです。伝統的な格式を重んじるお役所も、人様のもつ優しい品格を表現できる時代になっているようです。このことはとっても喜ばしいことであって、相談窓口の人情味溢れる担当官の、人格を大きく評価をさせて頂き、真をもった優しさを徹底させて欲しいものです。官も民も軟らかな発想をもって、威厳だけでなく大きな抱擁の優しさを、できるだけ意識をもった弱気になって持ち合わせたいものです。
2008.06.25
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以前から気になっていたものの、漸く手にすることができたのは数年の月日が経っていたように思いますのは、月刊『到知』誌を講読することでした。ウエッブ上で到知社にアクセスして、さも愛読者の境地になっていた時間が長く、3月号からの講読ですから、まだ半年も時間が経っていません。この本に巡り合うまえのことですが、松下幸之助さんが主催していた、『PHP』誌を浪人の頃から読み始めていて、形式に拘りをもつ性癖があるために、早速年間購読を始めて、暫くの年数を郵便配達をされる、PHPに目を通していました。このPHPにたぶんに意識をして発行されたのが、到知ではないかとおもえるほど、月刊誌の意図するところの趣旨は同じように感じていますし、到知が世代層と読者層を高く設定しているように思えます。PHP社もそうでしたが、出版社が企画する講演会が数多くあって、毎月単位で何かしらの催事が案内されていますなか、先月には千日回峰の荒行を満願された、修験者塩沼亮潤さんの講演会に始めて参加することが出来て、定員を超過する札止めの活気ある空間で拝聴することができました。会場には老若男女の意識の高い方々が目を爛々と輝かさせて、修験者の唐突とした苦難行を、一心不乱に聴き入る姿が新鮮な感動を呼び起こしてくれて、久し振りに満足をした講演会でした。好きなクラッシクコンサートの帰路に味わう、身体中に沸き起こる満足感と優越感を楽しむ感覚を思い出して、JRの帰路車中では一気にパソコンのキーボードを夢中で叩いて、昂ぶる感情を文章化していたほどです。その会場には到知出版社の出版本の販売コーナーがあって、休憩時間にちょっとばかり気に留めておいた書籍が『小さな人生論』全三巻でした。先週末にあった、100歳の禅士松原泰道さんの講演会への申し込みが、なぜなのでしょうか迂闊にも忘れてしまい、50名ものキャンセル待ちが生じていることを電話で聴かされて、正直に思ったことは、これだけの真面目な方々が、一生懸命になって自身の心を磨くために、講演会に夢中になっている姿は真に頼もしく感じられました。本気になって松原泰道さんのお話を聴きたい方が、熱心にも順番待ちをされているのでは、キャンセルなんてありえないことを悟って、これもなにかの機縁とばかりに、前から気になっていた『小さな人生論』を送付願う購入手続をさせてもらいました。週明けの今日になって全三冊が届いたのですが、以外や普通の単行本よりはひとまわり小ぶりな書籍なのですが、一ページ目を開けて読み始めると、そのまま引きずられて読書人になってしまうほど、読みやすく分かり易い人生論なのでした。あえて小さな人生論と表題されていますが、誰しもが己を律する必然と大切さは、自分自身の小さな心の中で大きく涵養されあって成長できることが、語彙は違えどすべてに共鳴されていると感じています。先代にいる偉業を成し遂げた方々の、力強い人生論も、所詮は克己心である学びあう素直さから、共感を得ることなり、人生を感動をもって受止めている方々の力強さが、自分磨きのエネルギーになっていることを学び取ったところです。人生何歳になっても、謙虚な心と自分を律する剛毅と向学心を養えることを、幸福の道筋に重きをおいて生きたいものです。
2008.06.24
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情報がない間にお役御免の御礼を頂ける手配になっていて、明日の会合でその伝達が行われることを知って、頭の中では少々驚きと嬉しさと不満が奢って、いまになっても整理が出来ないままにいます。心当たりにあることは、一年間会合の中の大きな役職を担うことがあって、その任が無事に終わるに当たっての、所属する会合の皆さんから、心温まる配慮があったからだと推察をしているところです。誠に突飛なことですから、相談をする立場にいる方も思い浮かばなく、仕方無しに今年度の責任職にある方に連絡をして再確認をしたところ、要職を務めた方々の中から、誰彼なく任務終了に当たっての御礼を贈ることが議案となって、急遽決まったことらしいのです。皆さんが心して決めていただいたことと、役割を終わる時期に確りとケジメをして頂ける配慮は、本当に感激をするほど有り難いと思っています。今改めて素直になり、ありがたく感謝をして御礼を受け取る度量を持てば良いのですが、組織の内部を良く知っている身としては、今更なにも改めて礼の場を持たなくとも良いと思います。受ける側の本人としては、まったく意にしていないことですし、それを期待しての役目を果たしたことでもなかったわけですから、できれば白紙に戻してくれることが正直に嬉しいことに成ります。昨年からほぼ一年と半年間を、組織の事務職をお手伝いすることになって、公な立場で責任をもって粛々と自分自身が学びながら、担った役職に向かって励むことができました。その間には知らない分野が多々あって、組織の中の基本を改めて学ぶことが出来ましたし、役割を務めるうちにもまったく新しい知識を覚えることができて、知る喜びと学ぶことの大切さを、新鮮な気持ちになって満喫することができました。何よりも、役目を果たすことのなかで知り合った多くの未知の方々から、友愛のお付き合いを重ねて頂くことができて、年齢も性別も関係なく多くの友人が、新しく出来たことが至宝となっています。ですから所属する会合で、御礼をするのは自分自身からする役目であって、身に受ける事情が無いことを強く感じているところです。久し振りで自身のことで人様からお礼を頂ける立場になったことで、少々ばかりか大いにうろたえてしまっているのが真相なのですが、正直な本心とは、自然な盛り上がりの中で会合全体が承認を得られる環境であれば、一層嬉しさが何倍かに増幅するのだと信じているところです。今回のことは天邪鬼的に偏見を持っていることはなく、ごくごく冷静になって判断をしてみたところですから、自身としては人様に迷惑を掛けるところもなく、納得の最善の判断をしている心算なのですが。責任ある立場の方には心からの辞退を伝えて、会合に迷惑な掛からない方法をもって、出来るだけ早めに事前処理をして頂けるようにお願いをしたところです。その方の言葉として、そのまま受けてしまえば好い事で、何故に受けてくれないのですかと、問われてしまったのですが、自身の真意が汲み取ってもらえなくて、ちょっとばかり残念な思いをしているところです。感動をもって礼を受けるためには、受ける側が納得できるだけの環境を創って、一人一人の誰しもが惜しみなく、賛同の総意を得れる時間をかけて欲しかったのです。ここまで一方的に書いてしまうと、身勝手で我侭だけの言掛かりだと、強い非難とお叱りをうけることは重々承知をしていますが、残念なことに現実として、礼を受諾する場の空気が満たしていないのです。
2008.06.23
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昨晩のこと時間を忘れて、まる四時間も椅子に座ったまま一喜一憂の試合観戦をして、最後は応援するジャイアンツがさよならゲームを飾って、感動の応援が出来たことが嬉しくて、帰路のJR電車乗換えの時間も苦にならない経験をしてきました。東京ドームには超満員の観衆が集って、午後6時試合開始で、福岡ソフトバンク・ホークスと東京読売ジャイアンツとのセパ交流試合を観る機会があって、誘ってくれた先輩とJRを利用して試合前の東京ドームに到着できました。接戦の投手戦を堪能した満員の観衆が、帰路でもJR駅に溢れかえっていて、入場制限がされるほどホームには帰路を急ぐ人々が混雑をして、結局乗車できたのは4本目に来た電車でした。試合前には超満員のドームは異様な雰囲気に包まれていて、両チームを応援する鳴り物いりの声援は、時間が経過するごとにドーム内を熱く木魂して、反響が異様な空間を醸し出してくれました。夕飯のお弁当を生ビールと一緒に賞味しながら、手に汗握る接戦の素晴らしい試合内容を満喫して、一点差の緊迫した試合に息を殺すほどに楽しんでいたのですが、結果的には二試合分の試合時間を忘れさす、2対3の僅差で逆転さよなら勝利に湧きあがるドームの感動を味わうことができました。こんなにも感動を満喫した試合に参加できることの幸運は、滅多なことでは経験することができなく、誘ってくれた先輩にただただ感謝をするばかりです。この先輩とはかれこれ20年以上に亘っての親交を頂いているのですが、常にユーモアと頓知を交えて、人生論を語ってくれる、何時も面倒見が最高の方なのです。時々の空気を読みきる能力が高くて、場によっては男らしい下ネタを驚くほどに発揮させてくれて、場の雰囲気を和ますこと天下一品の持ち主です。常に口癖とする言葉は、人様に絶対迷惑をかけないことと、何事も知り合うことがご縁だから巡り合いを大切にすること、生きていれることに感謝をすること、喜怒哀楽のすべては掌の中に納まる些細なことである等々を学ばせてくれています。野球の試合のように、毎回一喜一憂を繰り返していく中で、最後には勝利が出来ることを信じて、繰り返し戦略の工夫を重ねていくことが、最終的な勝利の女神にツキを貰えることになるのです。滅入るほどに緊迫した試合をしていては、時には投げ出してしまいたくなる弱気になることがあるのですが、最後まで諦めない精神力を養ってこそ、貪欲になって勝利を勝ち取る姿勢は、日々の生活にもまったく同じように当てはまることを同意できました。深夜に地元に到着してみれば、天気予報どおりに大雨になっていて、優しい先輩がタクシーに同乗してくれて、行きつけのすし屋に向かうことになりました。応援するジャイアンツがさよなら勝利を収めた試合に参加でき、JR車内での人生論に華をさかせることができ、覚めやらぬ興奮と感動を納める為にも立ち寄った、馴染みのすし屋のカウンターでも様々な学びをすることができ、同じ目線で語り合える喜びとなりました。身近にいてくれる素晴らしく頼りになる気配り先輩に、改めての感謝をしていますし、いつかは人の為になれる先輩の役を果たせるように、見習いながら尽力をして生きたいものです。
2008.06.22
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早いもので今日は24節季の夏至だそうで、一年の内一番昼間の時間が長く夜の時間が短い日ですが、典型的な梅雨の一日で、すっかり朝から湿った天候となっています。東北地方も遅い入梅が報じられていますが、先週に起こった大震災の救助作業が、雨による二次災害とかが心配になるところですし、救助作業の難航が心配なところです。お天気も晴天と曇天と雨天が繰り返されるのであれば、まだしも安心して陽気を楽しむことができるのですが、台風とか地震とか大きな爪あとをもたらす自然災害は、できることなら避けて欲しいものです。先のミャンマーのサイクロン被災と、中国四川省の大震災の模様は、連日テレビを通して報道されていましたし、世界中からの温かい支援が即刻援助されて、各地で起こっている天災の支援活動は、被災地が発展途上国であればあるほど、各国からの支援を頼りにしているようです。今回の岩手・宮城内陸地震の救援は、国内の救助隊が結成されても、国外からの支援は受け付けていないように思いますので、災害規模にもよるのでしょうが、わが国の経済力とか自治能力が優れている証拠にもなるのでしょう。連日報道される、山間部の崩落現場とか、土石流の爪あととか、土砂ダムの決壊とか何十箇所にもなる災害現場の普及作業は、組織的に確りと管理されているように窺がえます。自衛隊を始めとして、各県からの防災救援隊の能力は、機動する人材と機械類もヘリコプターの支援も、今まで報道されてきた被災地からの救援模様とは遥かに違い、応援隊の豊富な救助能力をみることができています。先日の新聞にもありましたが、報道ヘリコプターも含めて、何十機というヘリコプターが花巻空港に集中して、予備の燃料タンクも空になる誤算があったと報道され、こうした経験も今後の見直す教訓になっているそうです。自然災害が比較的多く発生する、我が国特有の自治能力が、経験を重ねて充実してきた結果なのでしょうが、組織が違う救難隊が纏まってチームを作り上げて、連日泥んこに成っての救済作業に勤しむ姿は、同じ国民として頭がさがる思いをしています。犠牲になった行方不明の方を捜索する救助隊は、自衛隊、警察、消防のほか、海上保安庁も高い救助活動の能力をかわれていたようで、国家防衛以外での、国民の命を護る災害救助は、平凡すぎる生活に慣れきっている我々の感覚に警鐘をならしているように思えます。山間部の崩落現場で道もなく泥んこになって作業をし、各お役所の専門官が調査をしたり、二次災害予防に専念したりしている様子は、同じ国民として誇らしく感じるところです。一番の被害者で身も心も疲労しきっている被災者はもとより、疲労困憊の救助にあたっている方々への支援や手当てを十二分に支給することこそ、われわれ傍観する立場にいるものの役割であると認識したいものです。いつ何時にも、今の立ち位置が変る可能性がありますし、同じ国民として人の痛みが分かる理解者として、被災をされて呆然としている方への思い遣りと、救難作業を徹夜で作業されている関係者に、感謝の慰労と激励を念じなければいけません。地震発生から一週間を迎えて、いまだ行方不明の方の捜索が急がれていますが、現地で避難生活をされている皆さんが、一刻も早く元気に復興できることを応援したいものです。
2008.06.21
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世の中にある便利とは、その人にとって便利に有効活用ができているのであって、反面では、それを逆手にとって悪戯に悪用をしている人もみうけられます。いまほど瞬時に誰でもが生の情報を集めることができたり、発信を自由にできる時代は過去にはなかったことですが、国や民族や文化を超えてウエッブ情報の環境は、広範囲に開放されています。日常のネット社会では、ブログやEメールの遣り取りが日常化されて、沢山のメールが届いているのですが、現在のところ完全必用メールの比率は、残念ながら急激に少なくなってきています。アドレスの管理をしている心算でも、ネットの中でも印刷物でも簡単に個人情報である、Eメールアドレス関連は手にすることができますし、それを目的にする様々な業者のアドレス収集が巧妙化されて、手に余る悪用が巾を利かせている時代です。いわゆる悪戯メールがどれ程多くあって、どんなにか迷惑を蒙っているのか、多くの皆さんが一様に弊害を嘆いている情報が見てとれます。便利がゆえに管理を確りと怠らないこと、自らが悪用をしないことは勿論ですが、時代先端の流行りものには、つねに時代の悪癖がつきやすいものと、現実の納得をすべきのようです。ウェッブのなかで、瞬時に世界中情報の交流ができる時代背景は、おそらく年代が加齢化するほど、思考のなかに意識がなかったことですが、いまでは誰でもが簡単に日常的な行為として、ネット交流がされていますし、考えてみるほどに、不思議で便利な世界が構築されたものだと感嘆しています。今日もいろいろな方とのメーリングをしていましたが、用事があって台湾に出かけた方とのメールも極当たり前にでき、時間と空間を飛び越えて瞬時に交流が果たせる享受は、時として感動を薄めて忘れもさせてくれます。事情があって参加できなかった訪台の第一陣が、今朝ほど成田から出発したのですが、いろいろと連絡事項もある中で、携帯電話よりもメールを活用する心境は、先ずは通信費の軽減もありますし、応答する間合いと文字化することで、問答の確実性を図ることができます。世代が下がるにしたがって、理屈抜きのメーリングが日常化よりも頻度ある、時常化されていますし、ブログ関係も携帯電話で、簡単に発行することが出来る時代です。つねに便利と裏腹な悪用する人がいて、つい最近の社会問題化されている、ブログへの書き込めと等々、見知らぬ人との交流がされやすい環境があって、一層広まっています。悪戯は別にして、こんなにも簡単に意思の表現と応対ができるツールは無いことで、使う側のモラルとルールを徹底することと、自己管理をすることで、時代性の善行有益を楽しんでいくべきだと思っています。メールもブログも反社会的なモラルをもって、徹底的に悪用有害化させる輩がいる事実を把握して、ますます基本的な護りごとを周知徹底させたいものです。便利を担保するための危険負担は、どんな分野にでも応用することができるようで、あくまでも利用する立場にある人の、節度ある自制心と品格があってこそ、共有共益の効果が生まれてくる気がします。
2008.06.20
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漸く仕事がヤル気モードになってきているようで、日薬のようにですが、徐々に無駄な時間がなくても、実のある働きができるようになってきました。集中力に欠けて、すべてにちゃらんぽらんで、好い加減な捗りしか出来ていなかったのですが、漸く仕事の成果が出るように集中力が高まってきました。かく言うことは意外なのですが、一点集中的に物事を没頭して進めるタイプでなく、あれこれと種類が違う仕事を、マルチにやりこなすことが似合っていそうで、机を渡り歩いて汗を流しています。こうした反省点として思い出してくるのが、人生で情けない屈辱を味わった、大学受験の浪人生活があります。早朝の電車に乗って東京の予備校に入るのですが、この意味合いは唯一つ、併設されていた図書館の自修室で、自分の席を確保する為の早朝登校でした。30名ほど入れる静かな隠れ部屋は、なかなか大変な人気があって、早くに満室になるので、授業が始まる前に自席を確保してから、朝弁を食べて、カリキュラムにあった教室に顔を出していました。午後に終了する勉強もそのままに、図書館の自席に戻って復習と予習をして、真面目に予備校生を演じていたのですが、日を増すに従がって都会の魔力に引きずられて、図書館の自席を空にすることが多くなっていきました。授業や図書館での自修も含めて、それこそマルチに幅広く勉強をすればよかったのでしょうが、額面通りにガリガリに無駄な勉強をしたが結果が、すぐに飽きる悪癖となって、意気地のない逃避の生活を始めてしまったのです。今にして思えば、随分と親不幸な遊びに没頭したものだと、少々反省をしていますので、自分の子供にもこの辺は心して、手綱を引いてきた心算ですが、血はあくまでも水よりも濃いことを証明するのみでした。今日の午後になってから、営業で事務所にやってきた上場企業の若者と、暫し懇談をする機会があったのですが、理路整然と営業トークを話す姿は、年齢で40歳の違いをダイレクトに感じましたし、世代を生きてきた時代背景が違った凛々しい価値観として受け取れました。しかしながら同じ人間として、浪人生活の経験談とか人生の先輩としての失敗談とかを、今流の朗い感覚で反応をしてくれて、遥か昔の自分を重ね合わせているのでした。様々な失敗があっての財産として、成長をしてきた若者世代を振り返り、今一度振り返って若者の時代に戻る希望はまったくありませんが、気持ちだけは何時も青春をイメージして、それこそ心のアンチ・エージィングを強く磨いていきたく思っています。うぶな田舎者が都会にでて、余りにも都会の煌びやかさに目をくらんだ時から、むやみやたらと気が散って、あれもこれもの欲張り人生の、はしりを身につけてきたようです。それはそれとして、これからの残された人生を、溌剌と意義ある時間にするためにも、我流を押し通す若き生き甲斐と、精神的なギャップを乗り越えて、若者達を受け入れる雅量をもって、一歩前に近付く積極性を発揮させていくことが、若さこそが財産であることを意識する必然であると心得ています。日々のメディアは、年金と保険の問題を含めて、保護保証保身ばかりに福祉行政の役割を責めていますが、将来の若者こそが国家の至宝なのですから、大きな国家目標を若者達にむけて、飽きるほどに先行投資をしていくべきだと信じます。
2008.06.19
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誰しもがこの世に生きるなかで、幸運に恵まれている時、チョッとばかり幸運に見放されてしまった時、順調に物事が捗っているとき、少しだけ躓きをしてしまった時、所謂波乱万丈の人生は、生きている人の自然な摂理なのかもしれません。隣の芝生は良く見える、と言われる諺がありますが、兎角他人を見る目は一面的な羨望の眼になりがちで、目から入ってくる外見上の情報ですが、みせている側の情報を裏打ちさせる努力とは、計り知れない負担になっているはずです。芝生が青ければ青いほどに、日々の手入れは大変なはずですし、そのための気遣いや出費はそれに見合った努力と金額になるはずです。生活が質素であればそれなりの小エネルギーで済みますが、贅沢な生活になれば、それだけの高エネルギーが加算されますので、芝生の青さを見るのでなく、維持する人の甲斐性に思いをはせる必要があります。随分と長い間、家族同士での親しくさせて貰っている先輩のお仲間がいるのですが、ここ暫くの間ですが先輩とは音信が途絶えていました。数年前までは、それこそ一週間の半分を、ほぼ午後から深夜までの半日間、食事や歓談等いろいろとお付き合いさせて貰っていましたが、時代の趨勢と重なる加齢もあってか、徐々にながら離れる時間が増えていきました。そのことが気になってはいたのですが、こちらも経営母体の再建を真剣に考える必要があって、切羽詰った時期ですので、ついついご無沙汰の時間が過ぎ去っていきました。昨日のことですが、来週にある会合の出欠について問い合わせる必要があって、夜になってお住まいに電話をかけて、奥様に先輩の在宅を尋ねてみたら、何時になく元気ない奥様のか細い声が聴き取れないくらいで、唐突と先輩について伝えたいことがあると切り出されました。急に涙声になって話す言葉は、先輩は肺がんに侵されて今日入院したばかりで、手術が手遅れで治療が難しい状況を伝えてくれました。健康に恵まれ、家庭も事業もなんの不自由がなく、それこそ羨望の眼で活躍ぶりをみていたのですが、家長のがん発病を切っ掛けに、精神的な悩みと家庭と事業とか、それぞれが背負っている家庭の事情が、一気に不安定な状況に悪変して、奥さんとしてはパニック状況で、一気に気弱な言葉ばかりを語る人になっていました。聞くほどに様々な心配事が重なってきて、家庭や親類や事業先や、走馬灯のような難問を抱え込む心情は、家長の立場が重いほど、辛く大きな努力が必要になる思いがしています。誰しもが順風満帆に人生を過ごすことはできないのですと癒すと、今迄なんの不自由なく生きてきたので、家長が病魔におかされて入院し、その不安と落胆の重圧を嘆く心境を吐露してくれました。人生はなるようにしかならないと、良く言われますが、順風なときはそれなりに、逆風の時もそれなりに、確りと遣るべきことを粛々と演じていくほかはないように思います。自身は仕事の躓きで、資金的な汲々とした難儀の生活に、家族や親戚を巻き込んで再建にむけて一心不乱の踏ん張りをしているところですが、人がもつ健康と幸福の天秤は、時としてバランスを崩して、生き様の警告を発してくれるものです。思えば躓きをした当時は、家族が涙を流して不安な将来に、唖然呆然と無意味な時間を過ごしていましたが、昨晩は先輩の奥さんが涙する電話に、慰めと激励の声掛けをしている自分がいたのです。お互いに何時まさかな難儀を背負うことになるのですから、思い遣れる確かな心と、応援することをできる器量をもった、謙虚で誠実な心の持ち主として、自身の胆に青き芝生を管理して、いつでも普遍に青く活き活きと丹精をこめて生きたいと念じています。
2008.06.18
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世代が違うと当然のことなのですが、人様のことを比較すると色々な方がいらっしゃって、相談をするにも、すんなりと決まらないことが多々あるものです。ロビーで顔を合わせたら急なことなのですが、来年の早々に予定する会合の相談を受けてしまいましたので、立ち話的に軽い気持ちで話を聞いていたのですが、年齢が一回り上の相手の方は、そのまま立ち話のままで全てを決める気配を強めました。途中で話を折って、まだ来年の話で時間があることと、依頼相手の方の立場もあるし、会場の予約状況もあるし、一回で決着を持つのは大きな無理があると、アドバイスをしてあげました。その方は、総勢200名ほどの会合を企画する役目があって、結構精神的なプレシャーを感じているのでしょうが、ことを余りに急ぎすぎの帰来があって、更には大きな会合であれば、それなりの下準備も時間を掛ける必要があります。それでも、立ち話の短い話の中で気づいたことは、ご自身もそれなりの老人仲間に入る年齢の方ですが、できればもっともっと、若い方に分かりやすく利得になる世代の低い方々に向けての会合にしたい希望をもっていて、生きている時代の流れの空気を、なかなか良く読めている様子に伺えました。世代間のギャップは、自分自身が一番強く感じていることで、集まりが多くなればなるほど、老壮青のバランス調整が難しくなるものです。今の時代はトップダウン式の、頭からの命令は不似合いですし、世代を超えて若い方は自己主張がはっきりしていますので、幅広いコンセンサスが必然ですし、できるだけ譲り合いの精神が大事になってきます。気になることは、少しばかり若者に対して同調する傾向が強くあって、いくら時流とは言っても、老から青への妥協の流れを調整する歩幅が、非常に難しい感じがしてきました。今に至ってですが、壮の立場に居る自分が、どんな役目を果たすべきかを迷うことが強く感じていて、内心忸怩たる思いと実行が、なんだかアンバランスになってきています。最近になって思うことは、若い方は素晴らしい発想をお持ちの方が多くて、多用な刺激をそれなりに受けていますが、こちらが鷹揚になって理解を示す割には、協調をはかる心配りが希薄に思えることが残念です。老は老なりの経験と信用信頼がありますし、青は青の溌剌とした感覚と実行力がありますし、お互いに同じ歩幅で同じ目線で協調ができれば、間に立つ壮の私の役割がなくなってくれるのです。世代を超えた理解のしあう姿から共鳴が起こり、共に世代を超えて感動が心の中に沸き起こり、年齢がこだわりの障壁でない事実も、お互いが立場を譲り合えば解決することなのです。弁えることができる老世代が、大きな懐をもって譲り合う行動が、以外にも世代を超えて滑らかな話し合いとなれると、素直に断言してみたいものです。
2008.06.17
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普段なんともなく極当たり前のように、便利に利用している道具が、具合が悪くなると、改めてその有益性を認めて、道具の具合が悪くなった状態を悲しみ、暫し不便な生活を嘆いてしまいがちです。先週末のことですが、夜家人がお風呂を使おうと、湯沸かし器の電源をONにして、暫くテレビを観ていたそうで、そこに帰宅したのですが、何故お風呂のスイッチを切ったのかと、頓珍漢の問い詰めを受けました。改めて理由を訊いてみれば、30分も前にスイッチを入れているのに、電源が切れていて不思議だと言い訳をするのです。自ら風呂場に行って、桶の中を確認しても不具合なところがなく、再度スイッチを入れてみたのですが、5分ぐらいすると点滅の状態になるのでした。懐中電灯を片手にして、外壁に取り付けている大型湯沸かし器を確認してみたら、水がぽたぽたと漏れているのが観てとれました。その時点で故障であると判断をして、ガスと水道の元栓を閉めてから、家人にその状況説明を伝えてみたのですが、改めて特別な誤りもなく、お風呂に入れない嘆きごとを呟くだけでした。週明けと同時に、修理をお願いしたメーカーのサービスマンがみえて、早速点検をしてくれた結果が、約半分の部品交換と補修が必要との結論でした。費用の見積もり額も、新品交換をきわどく迷わせる額でしたが、今回は修理を依頼して、後日部品到着時に、半日間で修理を完了させて頂ける運びとなりました。ホッとして昼食から事務所に戻ったら、FAX受信が上手くいかないことが分かって、今度はFAX受信不具合の手配で、慌てまくる場面となりました。何故か受信は出来るのですが、印刷が出来ない不具合らしく、電源を切ってみたり、用紙の引き出しを何度も出し入れを繰り返してみたり、いまだ原因不明のままで、今でも対応を検討しているところです。調子よく稼動している時は何の心配も無く、稼動していることが極当たり前にしていますので、一旦不具合になった時には、その対処方が判断できなく、余計な心配事と無駄な時間が経過して、取引先にも迷惑をお掛けするだけなのです。それだからと、危機管理を徹底する必要性になるのですが、そのための新たな投資とか、事務的な費用負担とかを考えると、FAXはEメールに代行させて工夫をして、急場を凌いで修理をするのが妥当だと判断をしたところです。ある程度の時間的な経過がなされますと、必然的に、物は消耗で傷み故障の原因になる確率が高く、何時襲ってくるか分からない故障という事態を、確率論で心得ておく必要があるようですが、新しい機能付きを求める便利性の追求もあります。昔の単純な機械であれば、簡単な道具をもって、いとも容易く修理ができた時代もあったのですが、デジタル化と小型密閉化が進んで、小型ニッパーやドライバーと半田鏝だけでは、全く役に立たない、先進的な部品交換式の時代を感じています。長年空気のような存在になるまでは、FAXやパソコンは、我が事務所に鎮座すること事態で、自己満足感を味わえることが出来たものでしたが、極々当たり前になっているIT機器現象には、経年による故障が潜んでいる事実を、しっかりと再確認させられました。携帯電話に見る、年度ごとに機種の買い替えをすることは、そろそろ時代反故として見直して、できるだけ修理を受けての保守をして、出来るだけ経過時間を長く使用する、エコ時代を迎えているように感じているのです。
2008.06.16
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つい先日の朝日新聞特別版に、克己しげるさんの最近の活躍の様子が、記事になって紹介をされていました。あれは高校生の頃でしょうか、もう少し大人になっていたのでしょうか、かれこれ40年ほど前になると思いますが、克己しげるさんは超売れっ子歌手として、毎日のようにテレビに出て活躍していた気がしています。まったくのうる覚えに成っていた、歌手の名前と最近の写真が新聞で紹介されていて、改めて克己さんの往年の活躍場面と、その後に起こった彼自身の罪人としての不名誉な経験を、新聞記事として読むことができました。当時は特にファンと言うほどでもなかったのですが、テレビ局も今ほど多くなく、歌謡番組が全盛をはなっていた時期だと思いますので、連続してヒット曲を出して、華やいで活躍をしていた記憶があります。そんなに飛びぬけた芸人顔ではなく、極不通の人が角刈り頭で、マイクをもって歌っていた記憶なのですが、歌唱力といいましょうか、メリハリの利いた力強い発声は、今でも強い記憶が残って忘れてはいません。そんなトップスターが、何故か愛人の殺人事件を引き起こしてしまい、犯人として極刑に服役して、模範囚人として釈放後に、芸能人として再起を果たす途中で、精神的な重圧もあったのでしょうか、麻薬に縋ってしまい再逮捕の汚名がかさなるのです。いまでは30歳も若い奥さんと再婚をして、昔のファンを中心にする、個人的なミニコンサートに、励んでいる様子が語られていましたが、自らが引き起こした事件の犯人として、苦しみの服役を乗り越えているそうです。いまでは献身的な奥さんのバックアップを貰いながら、一生懸命に社会復帰を目指す姿に接して、人間として大きく成長されている克己さんを理解し、ささやかな応援をしている自分に気付きました。人を殺めた経験がある、30歳も年上の男と結婚を決意し、再起に全力で応援をしている勝気な奥さんは立派ですし、齢70歳の克己さんも、現役として歌えることが命とばかり、何処へでも出掛けて昔の力強い声を披露しているそうです。奥さんは歌手克巳しげるでなく、あくまでも個人本人を尊重して、献身的な応援をしていることを強調していました。世の中の諺が沢山ありますが、新聞の記事を読み終えるころには、罪を憎んで人を憎まずの意味合いを、これほど大きく強く、自身の心の中で納得をさせているのでした。人間は時として誰でもいろいろな躓きの魔があるものです、それがどんなことであっても、自身が生きるための望みをもって、社会に向って役に立てる意思と姿を示すことで、自らに課せられていた呪縛から、僅かでも解放されるのだと信じています。世間は厳しいものですし、一旦罪を起こしてしまった過去ある人を、大らかには許せない環境があるようで、とくに殺人を起こして服役を終えた人には、社会は冷たく酷があって、ある程度の距離をおいてしまうのが世間だと思います。そんな社会情勢をすべてに承服して、結婚をして支えている奥さんの度量に喝采の応援をしたいものですし、克己さんもこれほどの幸せを無にしないための、克己心を大いに発揚させて、歌手として活躍して欲しいと思います。
2008.06.15
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つい先程中国の四川省で大震災が起きて、多くの方々が被災されていまだ復旧の目途のたたない状況で、各国各地から救援の手が差し伸べられている様子が、連日のように報道されています。我が国の多くの方々も救援の寄付をして、各報道機関や日赤への基金が多額にのぼり、日本国民の善意が、被災された方々の心の中にしっかりと感動をえられ、一時も早い復旧の元気を念じなければいけません。そんな他国の大震災に心を痛めていたら、今朝ほど東北地方で起きた大きな地震にはびっくり驚かされ、午後からテレビ各局が中継報道を始めて知った、各地の悲惨な被害の様子は、なんでこんな酷い自然災害が起きてしまうのかと、ただただ唖然としてしまうほど心配です。国内でも国外でも過去に何度もあった大震災ですが、被災を受けられた方々が、皆さん途方にくれて、家族や家とか家財を一瞬で無くして、肩を落として力ない目で遠くを見つめる姿は、じつに悲惨で嘆悲しく寂しいものです。今朝は遠く離れた地でも、大きく長い時間に亘って横揺れを感じたのですが、被害の実態が明らかになるにしたがって、山間部の土砂崩れや、道路鉄橋の崩落が次々に現場から中継されて、その自然破壊の大きな力を、空しくみつめるだけでした。実行力がある方は、直ぐにでもふっ飛んで駆けつけて、救援作業を手伝いするのでしょうが、テレビ画面に傍観するのでは、ちょっとばかり歯がゆい思いをしてしまいます。自然災害とは、天候的地理的には起きて当たり前の、地球内外構造の歪があって、大きな台風や地震のメカニズムが解明されてくるのでしょうが、まがりなりにも安全を信じて大地に居を構える人類とすると、災害が起きたことが信じられなく、呆然が何よりの自己表現となるのでしょう。あまりにも各地で頻発している震災に、何時も思ってしまうのですが、地殻が変動している上の大地の活断層に、仮の住まいをさせてもらっている現状を認める必用があります。大宇宙からと大自然界からの豊かな恵みは、与えてくれている事実を受け入れて、傲慢なエゴは素直に捨てて、時として起きる震災は反省を促す警報として、災害発生が起こされるのかもしれません。被災をされた方にはお気の毒で、誠に申し訳なく心からのお見舞いを申し上げ、しっかりと元気に復旧を目指してほしいものです。災難にあわれたことは難儀なことになりますが、何時何処でも誰でもが被災をうける条件はあるのですから、幸いにも震災を免れた立場になれば、率先して救援の心配りを強くして、被災された方への支援をして、辛く苦しい痛手をともに分かち合いたいものです。改めて、ここ各地で連続している台風とか地震で、被災を受けている方々にお見舞いとを申し上げ、自然界の仕組みに理解をもとうと思っています。
2008.06.14
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日によって半袖と長袖のシャツを着替えるほど、陽気が定まらなくて、寒暖の激しい日送りがされているのですが、右腕にできた大きな瘡蓋が痛痒くて、最近になってむず痒さが気になりだしました。先週に行なわれた草野球チームの試合で、老体に鞭打ってセカンドを守り、8番の打順を指名されて、久し振りに屋外で野球をできる喜びを味わってきましたが、二回三回とあった相手チーム選手とのクロスプレーの際に、二の腕に数箇所作った擦過傷ができました。真っ赤な擦り傷が日薬のお陰で、漸く固まって大きな瘡蓋ができあがったのですが、瘡蓋の周りが少しずつ取れてきて、痒さとあわせて、とっても気になることになりました。半袖のときは直に傷に触って爪先でかいてみたり、長袖の時にはシャツの上から同じ動作をして見たり、まことに落ち着きがないこととなりました。大きな楕円の周りの皮膚が、生え変わるための脱皮をしているのですが、その痒さに我慢が出来なくて、少しだけ爪を入れてみましたら、勢いあまって傷の三分の一ほどを剥がしてしまいました。結果は、はがれた箇所が生傷になってしまい、出血となってしまい、半袖の腕は再度止血の絆創膏を、貼り付ける事となってしまいました。なにもしなければ自然治癒が進んで、間も無く完治ができる状況であったのですが、ことほど左様に好奇心が旺盛が為に、気が散る行為をするばかりです。しかしながら、生傷が癒えて間も無く、完治ができる状態の痛痒さは、ついつい悪戯をしたくなるような心境となって、久し振りで瘡蓋の持ち主となった特権を、遺憾なく子供心にさせてくれているのです。それこそ、子供の頃はなんでも不器用でしたから、年がら年中怪我で生傷が絶えなくて、足とか腕とかは大きな瘡蓋が取れないときは無く、今では懐かしく思い出されてきます。その懐かしい思い出の印として、両足のすねに残されている、数個の傷あとは名誉なのか不名誉なのか分かりませんが、元気に遊び廻っていた子供の頃が、鮮明に思い出されてきます。齢を重ねてきて思うことは、自身に残されている自己責任の傷は、納得でき誇らしくも思い出を語れますが、人様に与えた傷跡は、後々お互いが嫌な思い出を引きずってしまう悲しさがあります。長い年月のこと、滅多には思い出しはしませんが、子供同士がちょっとした弾みで怪我をさせてしまった相手を、ふと思い出してしまい、誰も知らない知りようが無い隠れた傷を、二人だけの思い出に出来ている、ご縁の不思議さを面白おかしく思い返しています。せめてものこと、相手の心の奥に、忘れることの出来ない痛手を与えたことが無かっただけがホッとでき、今では心の生傷の瘡蓋を気にすることなく、家族と一緒に、元気で健康的に生きている時の幸運に、ただただ感謝をしなければいけません。
2008.06.13
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日常的に目で観て、耳で訊き、語ることが出来る範囲では、良く理解をしている心算であるルールごとが、ついついお座成りになって、基本的な決まりごとを知ろうとしないままに、惰性で過ごしていることに気づかされることがあります。仕来たりだからとか、慣習だからとか言われる範疇の、表面的な理解度で時々の諸事を流されてしまい、根本的なルールを辛うじて踏みとどまって歩んでいる姿は、一見ほほえましく観ることができます。しかしながら、良く理解をして、知った上での踏襲であれば好いのですが、俗な慣習ばかりを信じて優先させて、その逸脱に重きを置いていきますと、徐々に基本から離れていく危険が大きいと、チョッとばかり心配ごとをしてしまいます。どんな集まりでも、基本にある約束事が大きな要としてありますが、用紙に書き込まれた決まりごとがあっても、なかなか改めて積極的な解読はしないものです。その所属する団体が、民間であれお役所であれどちらにも関係なく、そこに集う人々の公平で平等な立ち位置を基本にして、もっと尊重させるべきものだと思います。それさえも甘えてしまい、積極的に触れようとしない傲慢な心がけは、多少の許しを与えても、決まりごとにあることさえ知ろうとしない、非常に卑怯な人々が多いことが残念です。自分自身の意識でもって、書かれている決まりごとを良く読み込めば、より一層集合体の決まりごとが理解でき、新たに知る喜びをもとに知識や知恵が沸き起こる機会となり得るのですから。慣習とは恐ろしいものでして、仕来たりで通してきた人の、意見が強く繁栄をされることがあって、どうしても慣習でこられた方には融通性がありますので、寛容に慣用の大まかにもなりがちなのです。結果的にあの人はこう言った、この人はこう言ったとの解釈の差が出てしまいがちで、同じ集まりの中でも、分列した仲間の集まりが出来やすいのです。上辺だけの知った心算が引き起こす、極々ありがちな、意見の相違が出来てしまうのですが、これとれ、日頃からの情報のキャッチボールが疎かになっていた証でもあるのです。日ごろから問題になることとか、新しい情報の収集とかをもとに、参加する皆さんが一つになって情報の交流をすることで、言葉の語り掛けと同じ目線で意識も高まるのです。違う価値観の方が居るとすれば、こうした環境でもって切磋琢磨の学びが出来やすく、お互いに所属する決まりごとをも知って、相乗効果の改善がなされてくると信じています。あまりにも高飛車な改革改善を謳ってしまいますと、他の方との歩調も合って、一人だけ孤独な立ち位置になる可能性もあって、集合体での歩幅は心構えが必要になってきます。皆が基本の守りごとを好く認識をしてこそ、和みをもち穏やかに分かち合うことができることを、改めて推進をしていきたいものだと思っています。
2008.06.12
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目の廻る忙しさとは、すべてに整理整頓がつかない、とんでもなく乱雑になった状態を作ってしまい、何処に何があるのか、書類が整理できない状況は、完全にパニックを引き起こしてしまっていました。未処理の資料の上に他の書類を乗せて、その繰り返しで電話の応対をしていますと、結果的には整理されていた資料が、混在の状況になってしまい、机の上は一層ゴチャゴチャして、観るに耐えない様相になっています。朝から電話での大事な資料の確認要請が重ねてあって、2台のパソコンのデータを読み合わせながら、沢山の書類に目を通す作業をしていました。決算資料と損保代理店の資料が、別々の机に整って置いてあったのですが、会計事務所からの問い掛けに揃えた資料が、次から次へと積まれてしまい、パソコンがある机には画面に合わせた資料が、結構な厚みで積み上がっていました。かさねて別件の相談があったり、その資料を見つけ出す時間に、前件に依頼されていた案件をすっかり忘れてしまったり、とんだ頓珍漢な生活ぶりは、自身が得意としている一面でもあります。そろそろ効率を求めて分業をして、専門職の方にお任せすることが理想なのですが、なかなか諸般の事情が許さなく、今までの経緯がありますと、ついつい自分自身の手で書類の処理をしてしまいます。自分の身の丈に合わせて、極々当たり前に、あくまでも自然体にして、過分にならない事を目指すとすれば、今は今のままで最善だと理解をしてしまうのです。やがては理想の実現に向けて、確実な一歩が踏み出せることを期待して、その準備と心構えをしていく心算でいますが、あくまでも謙虚に虚栄だけはすまい事を、確りと心掛ける必要があると思っています。全てを人任せにするのが良いのか、ある程度は自己管理をできる、チェック能力を保持していたほうが良いのか、なかなか難しい判断が必要なのですが、適材適所の役割を果たせる組織を作り上げる責任を持てば、それだけで良しとすべきかもしれません。基本的には働き好きですし、あれこれ忙しく動き回っていることが、天賦の性に合っているようですので、できることなら、一生涯現役の働きをして生きてみたく思います。身体はお陰様で加齢が重なっていますが、程よく健康体で健全な思考をもって、日々凛として生きることを目標に、ますます意気盛んにできていますことは、この上ない喜びを感じています。こうした恵まれた生活状況を、少しでも還元すべきこととして、世の中の為に少しでも役に立てる心構えと学びをしていくことを、心新たに教訓として刻み込んでいるところです。
2008.06.11
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日ごろに、まったく優先順位を考えない生活をしていますと、徹夜をしてまで仕事の片づけをしなければいけなくて、徹夜をすれば翌朝が寝坊をする、寝坊をすれば、頭が朦朧として無駄な時間ばかりが過ぎ去っていく、そんな悪循環の環境を過ごしてしまいました。これも偏に言えることは、仕事の優先順位を考えなく、やり易く興味があるものを優先してしまいがちなことが、結果として不利益な生活内容になってしまいがちです。どうしても、片付けをしなければならない仕事があって、夕飯のあとに事務所に行って缶詰となっていましたら、母屋から聴こえる子犬の悲鳴のような連続の金切り声がして、時間帯がご近所迷惑に成るので、しかたなしにゲージに行きましたら、赤ん坊で言う夜泣きなのでしょうかヒステリー状態になっていました。仕方なしに抱っこのまま事務所に戻って、ソファーで子犬を愛子ながら横になっていましたら、結果的に子犬ともども惰眠となってしまい、ふと目覚めてみれば深夜の二時でした。意識が朦朧としたまま、徹夜をすべきか、眠るべきかが判断付かなく、ただただ眠い頭に両手で目頭をこすって、まるで犬のような仕草を暫くすることとなりました。寝坊の朝を迎えて、結局何の為の徹夜であったのか、何にも成果がでない、無意味な時間浪費をしただけの、名ばかりが残業の事務所となってしまいました。こうした反省を何回してきているのか分かりませんが、身についた悪癖は直すことが出来ないようで、結果的に自分を苦しめて、取引先をも迷惑に取り組んでしまっているのです。会合があっても集合時間ぎりぎりに到着して、人様に迷惑を掛けることが多く、反省はしっかりとしているのですが・・・・・悲しい性なのです。先日に東京であった会合でも、各地から参集された方々に、物のみごとに大遅刻の迷惑をお掛けする羽目になってしまいました。今回だけはご迷惑を御掛けすることができないと、早立ちをして余裕をもって約束のJR駅に到着できたのですが、駅から会合場所までを自分の勝手な解釈で、延々と歩んでしまい、時間経過と共に迷子となってしまいました。迷いに迷って一時間の遅延をしてしまい、参集された初対面の方を初めとして、とんだ失態をさらけ出していたのです。皆さんが恩情があって、強い叱責はありませんでしたが、おそらくとんだ顰蹙をかっていたことだと思っています。予定時間に到着できていれば、どれほど皆さんが和やかに親しく歓談をでき、親交が一層深まってくれたことだと、今になって深謝と反省をした処で、この無様な失態は取り戻すことができません。昨晩の子犬との仮眠で過ぎ去った無駄な時間も、今夜こそ徹夜をして、確りと遣り遂げる必要があります。気忙しいほど、あれこれと雑用もあって、改めて優先順位を組みなおすとき、やっぱりパソコンに向かってしまたり、ネットに繋げて一服してみたり、思うようには捗らない仕事を、ボチボチと捗らせることの他には、良い名案と智恵が湧いてこないものです。せめて人様に被る迷惑と実害を無くすことだけには、真剣になって心配りをして、安心して信用を得られる人間改革に努めなければならないと、真面目に真摯になっているのです。
2008.06.10
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最近起こっている極悪非道な惨たらしい、無差別殺人事件は、現代の社会情勢を反映しているの一言ではすまされない、若者を含めた現代社会の根底にある、人の心が荒んでいる証拠なのでしょうか。ことの良悪の判断がつかない、つけることができない、精神的にひ弱な若者が増えている事実が、昨今の事件と結びついているとしたら、どこに原因があるのか、家庭や学校で経験する幼い時からの躾が、とっても大切になる気がしています。各地で連続して極悪非道な事件が起きているのですが、時と場所が違うだけで、根本的な悪行の原因となっている問題とは、そんなに複雑で難解ではないと思っています。今の日本では、平均して何処のお宅もそれなりの豊かな生活が出来ていて、昔のような食べるものに事欠いた、困窮の生活スタイルは滅多にはないと思います。身につける衣装も、昔のような継ぎ接ぎだらけはなく、清潔感がありますし、食べるものは残すほど余る贅沢をして、住む家も冷暖房がつき、一人一部屋の時代と誰でも車のオーナーで、それはそれなりの自由奔放な豊かさを、万人に社会からは恵まれをうけています。学校の環境も御家と同じように改善されて、物質的にはなんの不自由がなく、日々平安に過ごすことが出来ているにも係らず、全国的に理解できない不思議な事件が連続しています。メディアから発信させられる事件からは、余りにも同じスタイルの事件が多くありすぎて、事件の識別さへもできない有様になっています。夜遅くにある、テレビ各社から流されるニュース番組のコメントも、心が塞いでいる原因や、遠因を専門家の口から伝わるのですが、根本的に事件を事前に起こさない手段とかを、社会問題として、徹底的に語り合う番組がない思いがします。子供が育つ中では、家庭教育が一番の要素になるし、学校で学ぶ勉強よりも、もっともっと大切な人の情が身につくことが出来る場なのですから、お金で買えない両親の愛情を、こぼれる程に接して欲しいものです。とかくですが、今の時代はすべてが金銭的な欲求が優先されて、その生活をするために、育児養育は他人任せになっている気がするのです。子育てで一番大切な時期に、家庭の中に両親と共に生活をしている姿があれば、それだけで立派に子供は躾られるはずなのですが、現代社会はそれさえも許さない、忙しい人間を作り上げてしまっています。朝早くから保育所に子供を預けて、仕事に出掛けるお母さんが、増えているように思いますし、現実の問題としてある程度の便利な生活を維持するためには、それなりの収入を得る糧として、必要があっての働きとなります。幼育児の真っ盛りに必用なのは、母親からの愛情提供と、徹底的な母親に甘えきることだと思いのです。中途半端な育児からは、一見大人びた子供が成長するだけで、実は身体だけが大人の変人が、社会に飛び立ってしまう危険があるのです。厳しさと優しさを適度に加味させながら、ご近所の温かな見守りをうけて、国家からの育児保証が徹底されれば、事件の何割かが無くなっていくのだと信じたいのです。両親の育児休暇を義務化させて、その為の投資を国家がするのであれば、政党に関係なく大きな賛成が沸き起こることでしょう。なにはともあれ、誰しもが安心をして生活をできる街づくりが必然ですが、国家も国民も貴方に任せることなく、自ら声高らかに切実な社会問題を訴えるべきで、尚一層引け目を感じて社会から逸脱している人々に、温かい手を差し伸べることも大切なことなのです。そのためにも、社会人の大人が心に余裕をもって、少しくらいの落ちこぼれを許してしまえて、甘えん坊さんを受け入れられる、大きな度量をもつことが、もっとも大切な用件になってくるのですから。
2008.06.09
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この世の中のご縁とは、どこで誰が袖摺りあうことを綾繰りあっているのか分かりませんが、まったく検討や予想がつかないところで、縁の結びつきは仕組まれているように思います。今日は姪っ子が約10年ぶりの子連れ結婚をすることになって、身内だけの極簡単なお祝い会を、両家の身内が集ってすることになりました。先夫との間に出来た愛娘はすでに小学生高学年で、身体も健康に恵まれて、現代風の朗い学校生活を楽しんでいるように感じとっています。時々機会がある時に一緒に過ごす時間があると、愛犬をお供にして、ご近所の散歩を同道することを心がけていましたが、自ら確りと自己主張をして、現代っ子らしく、時にはたじたじにされる気迫をもっています。ことあるごとにできるだけ、叔父さんとしての接点をもって、父親がいない寂しさの代役していた心算もありましたが、その効果があったのか未だに不明です。数年前に学校の参観事情で、父親がいない母子家庭を僻んでしまい、離婚した父親と定期的な面会も行って、愛娘の情緒安定への環境を心がけていたときに、時として無口で陰湿になっていた、女の子らしいセンチな時がありました。今回の再婚への経過でも、口数が極端に少なくなって、母親の恋愛を彼女なりに理解をしてあげようと、一生懸命に頭の中で整理をしているようでした。姪っ子には母親の実家があって、祖父祖母と80歳を超えた祖祖父と祖祖母も健在でして、ほとんど自分の実家として何不自由なく暮らすことができています。経済的と住環境には恵まれすぎる環境をもっていても、彼女からすれば実の父親がそばにいて欲しい年頃なのだと、深い慈愛をもって推察をしています。定期的の実父との面会も、今からすればそれなりの効能があったのでしょうが、まだまだ未成熟の女の子にたいして、実夫が存命しているにも係らず親の都合で離別している複雑さは、子供の思考では非常に難し過ぎたと、同情をしているところです。今日の両家との顔合わせの中で、新しい父親に成ってくれる若者と初対面と歓談ができて、実直で確りと生きるビジョンを語ってくれた姿勢に、一安心をしながらお祝いと激励の言葉を交わすことができました。介護施設に勤務する若者は、子連れ再婚を積極的に捉えてくれて、頼りになる気構えを感じさせtれくれて、すっかり家人の長としての心構えを発揮させてくれました。お互いの身内が心の中で心配をしていたことが、こうして良きご縁を頂き恵まれた生活が出来ることになった慶事に、関係する身内として大きな安心と安堵の笑顔を伝えることができました。新しい縁戚の皆様と食事を挟んで語り合うなかで、出身地とか赴任地のエピソードに、関係する話題が重なる喜びを一層感じて、和やかな祝宴となった安心感が沸き起こってきました。少々お節介に成った若者への教訓をさせて貰ったのですが、素直に聴き入る若者の姿に、自身の若き当時を思い重ねて、新しい家族の幸せな未来に祝意を心から伝えることができました。
2008.06.08
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衝突した瞬間に遠い昔のできごとが蘇ってきて、最近経験していることは還暦を過ぎて二度目の人生を過ごす中で、過去の強烈な経験が、再度巡りまわってきているように思っています。午後にあった草野球チームの試合に出掛けてきたのですが、チームとしては第二戦目、自身はいろいろな事情があって、初めてユニホームを身に着けて、初戦を意気込んでグランドに向かうことになりました。最近愛犬の散歩時に感じていたことですが、足元に疲労感があって、やけに足運びが重く感じていましたので、できるだけ準備運動を軽いランニングに専念するほど、準備万端に運動をすませました。後輩の配慮があったのでしょう、先発のセカンドを任されて、意気込んで守備についたり、三回の打席に立つ事ができ、それなりに試合を堪能することができましたが、相手チームの一塁野手に体当たりを受けたり、デッドボールを左脚関節に受けたり、ファーストの守備に入った瞬間に、ランナーと衝突をして、どんでん返しをさせられたり、おおよそ当たり役を一人で請け負ってしまった試合になったようです。お陰様で、大事に至らなくて、打撲と擦過傷と胸に頭突きをくらって、瞬間に息が止まってしまいましたが、現在のところ肋骨が大きな鈍痛を感じ、大きく息ができないくらいで、今のところこうして丈夫にいれる幸運を感じています。問題は明日の朝になってからで、おそらく身体のあちこちが筋肉痛で、今回は衝突の後遺症が多少あるのではと、少々懸念をしているところですが、スポーツの醍醐味を久し振りに体感して、程よい疲労感が心地よく感じとることができています。ナインからは労わりの声と一緒に、随分キツイジョークが混じって聴こえてきましたが、一塁手が捕球をした時点で、ファーストベースの守備に入って交錯をした時の、衝撃的な三回転捕球がアウトになった判定が嬉しくて、最後まで捕球を護った喜びを感じ自負をしています。衝突した瞬間に胸が圧迫されて、息苦しくなってしまったのですが、この辛い思いでは小学生の時に、鉄棒から落っこちて、そのはずみで胸に嫌というほどぶっつけて、そのときにも小学生は深呼吸ができない辛い時間を我慢したのでした。その苦い思い出が鮮明に蘇ってきて、こうして人生を長く暮らしていると、はるか昔の経験が、まったくの再現の出来事と重なりあいました。頭の中ではその初体験の時には、どんな出来事があって、子供心にどんな思いをしていたのであろうか、是非とも知りたい内容の一つになって、同じ場所の苦痛に興味が湧いてきました。三度目にあった激突で、グランドを転げまわった恰好で、座り込んでいる初老人を、多くの後輩達が駆け寄ってきてくれて、声がけやユニホームの泥を叩いてくれたり、なかなかの敬老の労わりを享受することができ、テレビの青春物ドラマを観るおもいでした。人生を送る中で体験する様々な出来事は、過去に似たような場面が必ず重なり合うようで、加齢が増せば増すほど、走馬灯の場面が多く残影されてきているように思います。不思議なことに、ここに至って難儀を経験している身としても、5年前に久し振りで飼ってみた愛犬が、再度子犬が仲間入りしたり、人生の節々で経験してきた、大きな歯の治療も再発していますし、事ほど左様な巡り合わせは、すべてが善処できる良縁となっていることが嬉しいのです。久し振りに身体をぶっつけたり、大きな青なじみを作ったり、擦り傷が痛くて我慢が出来なくしかめっ面をしていても、内心では時の節目にあるラッキーな叱咤であることを、好意的に信じて、幸運のなせる果実益を期待しています。
2008.06.07
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一転して真夏のような陽気になった一日でしたが、溜まっていた案件の一つが進捗でき、週末を充実した時間を過ごすことができました。損害保険代理店をしていますと、書類の締め切りが限定されていて、尚更金融機関への入金等とか事務方が、土曜日曜の休業となっていますので、どうしても金曜日が慌しくなってしまいがちなのです。特に契約書とか関係する書類が、やたらに多い業界なのですが、その管理方が結構面倒なのですし、結果として事務所の中は書類だらけになりがちです。更には性格上ですが、整理整頓が大の苦手でもありますので、気分が乗らないときには、目先の書類すら行方不明にさせてしまい、一人でもって気をあらわにして、大人気ない行動をとってしまい、結果的に周りに迷惑をかけることが多々あります。昨日は梅雨の典型的な一日で、気分的にもしっとりと落着いて、精神的な満足感を味わうことができ、リラックスの効能を発揮させることができたのですが、やはり、人の感情とは天候に左右されるもののようです。夕刻になって、事務所の全開の窓から入ってくるそよ風が心地良く、ちょっとばかり蒸し暑い陽気が、少しだけ癒されているのですが、人工的な空調でない、自然を満喫することの意味合いを感じているところです。近年の自然破壊による様々な弊害がもたらしている、未来への絶望的な心配事は、目ざましい温暖化など、年々世界中に深刻さを増していて、人間だけが我侭に進化を遂げた悪害は、将来的な禍根として、何処まで悪影響を引きずるのでしょうか。そろそろ自然に親しみ、自然な環境に順応させて生活するべき、機械的な空調の活用は、極限られた範囲の中で、制限をもって利用すべきではないでしょうか。今では車も家族が一台、エアコンも一部屋ごとにいきわたって、効率を考えれば物凄いエネルギーの消費と無駄をもって、一人の自己満足だけを満たしている現実があります。車もエアコンも流行る前の時代では、利用できることだけがステータスになって、自分だけの便利な環境が誇れる時代もありました。しかし社会の情勢や時代の背景が、目まぐるしく変容する中で、自分だけの世界から、他人や社会を思い遣り、それが地球全体が目指す環境の保護に結びつき、人類が共有する受益の平等分配に、上手く結びつかせる時代思考に移行されたいものです。温暖化が影響するのか、台風の数が激増していますし、先のミャンマーでのサイクロン被害とか、中国四川省での大震災等々近年には数え切れない、自然災害がめまぐるしく起きているのです。水保全も大切な課題ですし、特に仮想水と言われる、産物商品等を生産するときに使用する、水資源をもっと、根本的に利用責任を果たす心がけが必然となっているのです。一時的な便利さを得ている現状の中で、形として観得ない隠れた仕組みまでを、良く考慮させる配慮をすべきことで、利用している受益の源泉を考えてみる必要があるようです。こうして書き込んでいる時にも、手足の何箇所かを蚊に喰われてしまいましたが、大きな悪害がないのであれば、多少の害虫とも共生できる喜びを感じ取り、煩わしさを我慢する時代背景に、納得させる時流なのかも知れません。
2008.06.06
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すっかり入梅の様子が実感され、雨が降ったりやんだりの間断があったり、一日中曇天模様は、やっぱりうっとうしいものです。スカッとした晴天とはいかないにしても、青空の下で気分も快適に生活をしたいものですが、自然界の空模様とは、人生の日めくりとおんなじで、晴雲雨の繰り返しが循環されてくるようです。それでも、しっとりとした梅雨の環境は、時として大人の感覚と時空を醸しだしてくれて、なかなか乙な気分も味わいさせてくれるものです。朝から仕事の切れ間ができると、彼方此方に積んである月間誌などをぺらペらと括ってみたり、ちょっと気になるページを見つけてみたり、まったりとした空間の坩堝にはまってしまい、時間をわすれて戯れたりしてしまいました。外はしとしと小雨が降ったりしているなか、道路では車のスピードに合わせた雨水を跳ね返す音が、心地良いリズミカルな刺激となって、ふと現実に引き戻してくれたりもしました。今日は一日中、仕事の資料を作成していましたので、時として気分転換が欲しくなって、適度な雨音は心地よく響き、癒しもしてくれて、その日の気分と仕事の内容によっては、じっくりと捗らせることができるものです。日頃の人間的な交流の煩わしさから離れて、勝手気ままな物思いに更けこむのも、時として自然界からの贈りものとして享受でき、ありがたく満足を受け止めなければ成りません。ここ暫く続いた人間関係の捗りも、時が大きく味方をしてくれて、皆が円満に思う方向に一歩を踏み出してくれて、志を強く意識をすることと、善意を表明することが、どんなに良薬であるかを認識することができました。とかく胡散臭くなる人間関係も、梅雨空のしっとりさが、上手く調整弁の役目を果たしてくれて、精神的な潤いを齎してくれています。物事の蟠りに見える要因は、その全てに原因と解決策が、殆ど身近な足元と手元にある気がしています。自己の身のこなしと結果を確認して、生きている存在と意味合いを自覚して、夢見る目標に向かって気概をもてるプライドとしたいものです。人が持つ生き甲斐も、時には梅雨空の環境をもって、じっくりと歩みとどまることができ、その中で心の微調整をできる余裕と、自身の判断能力で言行が一致できる、自負をもってみたいものです。いつもいつもピン感の晴れ間でなく、心の梅雨を有効に活用させることができますように、腫れの役目、曇りの役目、雨天の役目を持つことによって、世の中に恩恵の慈愛を撒き散らせたらと、改めての自己形成を、成長させることを自覚しています。
2008.06.05
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何もかも知ってる心算になって、日頃は便利に活用しているパソコンですが、突然にひらがな文字入力に変わってしまって、慣れていたローマ字入力が出来なくなってしまいました。知っている知識をもって色々と修正操作をしていたのですが、どうしても復元することができなくて、仕方なしに利用サポートの、電話サービスを受けることとなりました。まる二日間分かってる範囲のツールを全部見つけて、弄っていたのですが、結果的には素通りしてしまったクリック先があって、サービスセンターのアドバイス一言で、元のローマ字入力が出来るようになりました。初期時にはこの極々簡単である作業を、操作してきているのですが、頭の隅にも記憶が残っていないほど、普段はまったく忘れ去られたプロパティーのクリック先でした。人様から言わせれば、大変に迂闊といえば迂闊なことですし、常識内と言われればそれまでですし、スキルが無いことは自身が認めているのですが、悪い性格の一面があって、頑なに意固地になって、時間の無駄を過ごしている自分があるのです。徹底して自分で解決させる、と言う強い決意は好いとしても、その修正スキルが無いのであれば、的確な判断で適時な解決策を、素早く見つけることができるのですが、それさえも怠る判断ミスを、いつも日常化して過ごしていました。自分では分かっている、知っている、そんな心算だけが多いことに、改めて気付かされているのですが、世の中には複雑に入り組んだ人間模様の中に、お互いに同じような心算が隠されていることを、日常のなかで確認をする作業が、基本的に大切である気がしています。午後にあった友人と電話でのこと、彼が大切な重い役目を引き受けることが決まり、託されている案件で相談がありました。彼は普段の気楽な友人関係の口調でしたが、私は役職を背負った重き立場の責任者として、丁寧に応対をし始めて、最後まで公的な立場に敬意を表して、アドバイスを伝えました。その伝える内容も、基本的なルールと約束事に重きを置いて、確りと実務的な電話の遣り取りを律儀に押し通してみたのですが、時間と共に友人が役職をもった責任者として自覚をしてくれて、真摯になって役職としての責任を感じ取ってくれました。これほどに拘って仰々しくすることも無いのですが、いくら友人でも役職と責任を持った仕事の話であれば、公私をわきまえて、きちっと礼儀とルールに則った問答をすべきことを伝えたかったのです。公私の分別を分かっている心算であった彼が、こちら側の丁寧な応対の仕方に目覚めてくれて、礼節をもって時々のTPOを弁えて、話の口調も変えるべきことに気付いてくれたのです。電話の後半には、大切な取引先と格調高い相談をするが如し、心地良く過ごすことができて、晴れ晴れと電話を終えることができましたこと、きっと相手の友人も良い経験となったことと推察しています。気安い関係だから、兎角好い加減な約束や相談になる帰来が嫌でして、礼節をもった時々のケジメは頑なに護っていこうと信じていますし、相手方へも自然に知って欲しい工夫を重ねて生きたいと思っているところです。
2008.06.04
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不撓不屈と言う文字が、配達されたばかりの月刊誌、「知致」に威厳をもって印字されていまして、瞬間に思ったことは、当時の横綱貴の花が横綱昇進伝達式に口上した、不惜身命とあわせて不撓不屈の精神で横綱を務めますと述べた言葉が、昨日のように鮮明に思いおこされてきました。不撓不屈とは、どんな困難にであっても、決して心をくじけずにふんばり強く生きることだと、そんな意味だと思うのですが、いざ難儀な場にでくわすと、なかなか上手く心情を平然とさせることができないものです。人は生きてこそ価値のあるものですし、生きてこそ創意工夫をする智恵も湧きますし、生きる意欲がでてくるものですが、こと難儀で苦難に陥った時には、感情も判断力も普通ではなくなるのが普通です。何事もなく平然と生きていくことが出来れば、この世の喜びだけを享受して、愉しく安泰な生活で満足ができますが、この世の中とは時として、波乱を引き起こす宿命をもっています。過去にない困難な出来事が起きた時にこそ、平然と向き合って、その試練を学びの場と心得る余裕をもって、更には乗越えることができる自信をもった、克己心を目覚めさせる絶好の機会にしたいものです。陰に籠もるわけではないのですが、確りと自信の腑に落とし込んで、耐える魂胆が難儀なのですが、堅くて剛くあるべきこととは、反面に大変孤独でもあるのです。この世で功成り名を遂げた方々のなかには、皆さんが夫々の立場をもってご苦労をされているわけで、内なる闘志はそれこそ不撓不屈の精神で耐えて、陰に籠もって胆力を強められたのだと思います。身の回りには必ず目にする方で、常に自身の意見を通す豪腕な性格をもった人は、何が何でも自身の考え方にこだわって物事を進めるのですが、その結果が良しとすれば、すべてが自身の手柄として誇りたがる方でもあるのです。政治家の方にはこのタイプの方が沢山目に付きますし、どんな環境の集合体にも意外に多く存在している人種でもあるようです。人の恩情に甘えてまでも、自身の名誉と名跡に拘る声高な人は、耐えることもなく、安易な人生を傲慢に送ることになるのだろうと思います。絶叫調で我こそはと喚き叫ぶ人ではなく、いつも世の中を冷静に見極めることができて、ポイントを確りと確認できる能力を、上手く持ち合わせることができるようにしたいのです。不撓不屈と難しい漢字に、ただ慣れ親しむことでなく、自身の堪忍袋を大きく強くすることだけで、自らの夢の実現に向けて、周りの方からの人望を深めることに目指していきたいものです。
2008.06.03
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今朝の朝日新聞朝刊から目に付いた記事は、「あの人とこんな話」のコラムが気になって、園田天光光さんの長年に亘っての政治活動と、様々な波乱万丈の生涯を語っている記事でした。大きな文字で書かれた題名が、「人生の修羅場では静かに待つ。 腹をくくれば、事は動きます」とあって、一層興味が湧いてしまい、園田さんの顔写真を観ながら一読できました。更にはネット上でいろいろ検索をしましたら、たくさんの情報を見つけることが出来、著書も発行されている様子ですので、機会を見つけて手にしてみようと思います。1919年生まれですから、たしか89歳の高齢なのですが、矍鑠とボランテアとしての団体役員をしっかりと果たされていて、品格のある日本人女性をもって、国際貢献を立派に務められているそうです。若い頃の記憶にある厚生大臣であった、園田直さんの後妻として結婚されて、ご自身が女性代議士として活躍されていた議員活動を、清らかに身を引いてまで、男女の深い恋愛に陥ったようです。確りと園田直代議士を身を粉にしての貢献と献身があって、園田直代議士が外務大臣のときに、日中国交正常化を締結させて、大きな歴史を動かす尽力になったそうです。女性初の政治家としての活動も、敬意を表するのですが、ご本人の生き様が凛としていて、大変な人生を歩んできた訳ですが、天光光さんの言葉にある「人生にはね、いくら話しても理解してもらえない修羅場がある。 あなたにも訪れるかもしれない。 そんな時にはただただ腹を据え、胆の力で受け止めて、真心で応じるしかないのです。」ただただ腹を据えて胆力で我慢をして、真心でもって心するとは、今の自分自身がこれまでの人生の難儀と対峙してきたなかで、合点を得た言葉ですし、修羅場では静かに波風が収まるのを待つこと、最後は腹をくくって決意する生き様が、大きな共感となって確かな元気を頂くことになりました。失敗やつまずきがあって、とかく苦しい生活になっている時には、なにかと目先が狭い視野となってしまい、いろいろな心配事から否定的で、気弱な思いが深まってしまうものです。こんな時こそ中村天風が言う、「今日一日 怒らず 恐れず 悲しまず 正直 親切 愉快に 力と勇気と信念をもって 自己の人生の責務を果たし 恒に平和と愛とを失わさず 立派な人間として生きていく」声明を思い出し心にすべきなのです。自分を護り世に尽くすためにも、正々堂々と勇気をもって生きていく心掛けは、時として感化され、時として共鳴共感を発信させて、常に孤高とした姿を、頑なに表現させてみたいと心得てしまいました。園田天光光さんの生涯が、自身の生涯にダブらせてしまって、26歳も年長の生き方を、夢と希望をもって、見習い真似た生き方をしたいものと、強い信念を抱くことができました。
2008.06.02
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昨日の氷雨のような天候がすっきり回復して、穏やかな皐月晴れの日曜日となっていますが、昨日の午後には草野球の第二試合が予定されていて、結果は雨天中止になってしまいました。今年度は4月が開幕戦であったのですが、止むを得ない事情で参加することができなく、順当であれば、昨日が今期初のユニホームの袖を通すことができたのですが、次回に持ち越されることになりました。素晴らしいお天気に誘われて、屋外で楽しくエンジョイされている方が、大勢いらっしゃることだと思います。何が無くとも家族が健康であるならば、それだけで満足としなければいけないのでしょうし、人が持つ5欲の限りない欲望にのめりこんでしまうと、それこそ際限が無い我欲の塊となって、無意味なエネルギーを発揮させてしまい、やがては、家族と社会にまで迷惑を被らせることになります。人の5欲とは良く言ったもので、食べる食欲、お金欲しい金銭欲、社会的地位の名誉欲、高価品の物欲、異性への色欲等々、調べるものによって睡眠欲が入ったりしていますが、全てを満足させることの現実は無理があるのです。どこが自分の満足感なのかも分からないまま、身の丈知らずに夢中で我欲をはるから、社会で人様に迷惑を掛けることになるので、その迷惑さえも感じない人が、強欲な人として嫌われることになるのでしょうか。この世の中で適等に好い加減で生きて、できれば無欲をもって中庸を心するならば、とっても素敵な環境が構築されて、周りの方々とのコミニュケーションも豊になって、大いなる存在感と果たす役割が評価を得られ、無欲な立ち位置が、高く評価がされることでしょう。草野球で選手として参加する時に、世代的に若い方が技能的にも体力的にも優れているわけで、優先的に先発選手を組めるのですが、ここに配慮をもって、老年壮年の方々を上手く組み込んで、人間的な味わいをもったチームに纏める必要があります。勝敗を優先してしまえば、最初から若い方だけでナインを構成すれば済みますが、ユニホームを着こんでグランドで、一生懸命にサポートの仕事に精を出す壮年の方も、本心は一回でも打席に立ちたいし、守備位置に立ってみたいものです。所詮草野球は勝敗と同時に親睦も兼ねている訳で、勝つが為に目的を果たせば、おのずと一部の方から要求不満の意見が噴出することにおなりますから、選手の起用がリーダーの頭の痛いところです。選手も試合の勘所を押さえて、自の判断で、仲間の選手を推薦して起用してもらえる工夫も必然なことに思うのですが、なかなか試合経過と試合内容によっては、ことの判断が難しくなって、思うように行かないことが多くあります。全ての人が持つ欲を上手く調整する気配りの術は、この世の中を上手に生きていく宝物として、是非とも成熟度をまして持っていたいものです。そんな気配りや無欲な応対があれば、誰彼なく信頼の目をもって、親しく交流をすることができるでしょうし、意見交換も感情的でなく、友愛をもって思い遣りの和やかな空気に満ち足りることだと信じています。我欲を上手くコントロールできることを心掛けながら、その場の空気を読むことから、相手の欲をも満足させられる、無欲の効果を信じて期待していきたいものです。
2008.06.01
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