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勤務先の日本橋界隈は雑居ビルが並び、昼食時には飲食店が多くの人で混雑している。同世代のメンバーで昼食を食べに出る事が多く、毎度お蕎麦屋に成る。200M圏内に蕎麦屋だけで5件もあるが、最近は毎回家族経営の小さな店に出掛けている。最近、店のレジの椅子に小さな女の子が座ってお母さんのお手伝いをしているが、つり銭を出したのにはビックリ。とても可愛らしい女の子で、年は2歳半なのにしっかり者。暫く前迄は、お母さんがおんぶするか、店の奥の乳母車の中で寝ていたので、未だあかんぼと思っていたのに。この子に会いに店に通う様に成ったのかも知れない。
2008年09月30日
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今日から1泊2日で相模湖の天下茶屋へ。入社以来、米国赴任迄の13年間勤務したF工場のI部の設計課長経験者のOB/現役合同の集りである重陽会の、年一度の例会に出席した。後期高齢者世代2名を含むOBが17名、現役12名の参加で、前半の現役、OB各1名の講演で活発な議論をした後、懇親会では各人の近況報告を懐かしく聞いた。昨年、仏からの帰国直後に、本会に10数年ぶりで出席したが、今年30年ぶりに再会した旧上司も2人いた。この会の特長はエンジニア集団でもあり、70歳を越えても、未だ元気でバリバリ働いている人が多い事で、60歳でリタイアーして、体をいたわっている我が身を思うと複雑な心境。大いに、叱咤激励された感あり。当時設計課長として、指導した新人も居たので昔話をしたが、此方が憶えていないエピソードも幾つか出て来た。懇親会終了後は、遅くまで三々五々語り合ったが、現役には煙たい時間であったかも知れない。
2008年09月27日
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昨年の7月に仏から帰国して以来、仏語を使う機会はほぼ皆無、暫く仏語でメール交換していたアン先生とも、何時しか英文でのやり取りに成っていた。今回の、フランス、イタリアの美しい村の視察旅行を期に、此処の所、仏語でメールの交換をせざるを得ない機会が生まれて来て苦労している。「フランスの最も美しい村」協会のシャペル会長や「ベルギーの最も美しい村」協会のコリン会長と仏文で交信しているが、意思の疎通が出来ているかは、甚だ心もとない。と言うのも、込入った内容では英語で書かざるを得ずに、仏英チャンポンの文章を送っているため。読むほうは、辞書を見て何とか理解出来てはいるが。
2008年09月25日
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今日は勤務終了後、非常勤でお世話に成っている会社の東京本社勤務メンバーの大学同窓生の懇親会に出席した。現役を卒業した事もあり、年代を超えたメンバーと意見交換する場も少なく成ったので、喜んで出席させて貰った。予想通り、50歳以上のOBが大半であったが、中に紅一点、今年入社した中国人のGさんがいた。英語、日本語、中国語が堪能で、此れから大いに活躍して呉れそうな予感がした。余興で、政界、芸能界、アナウンサーで活躍するOBの名前を何人知っているかを競った。意外とFull nameでは出て来ない物だ。
2008年09月24日
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イタリア旅行のお土産を持って、湯河原の母を訪ねた。週末に撮った孫娘の最新の写真を見せる目的もあり。写真スタジオで撮影した孫娘の着せ替え写真(お宮参りやピンクの星型鉢巻スタイル)を、お嫁さんが送ってくれたので、毎日楽しく眺めていると聞かされた。母は重いものが持てなくなったので、布団干し等の力仕事を手伝った。
2008年09月23日
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今週は疲れた。10日間のフランス、イタリア旅行から帰国して、当然の報いではあるが、普段は2回/週の非常勤勤務であるのに、今週は、会議や三重への出張が重なり連続勤務に成った。おまけに、「イタリアの最も美しい町村」BBIの視察レポートの日限もあり、遅くまでのハードワークに成った。まあそれでも、現役の頃に比べたら、肉体的、精神的なプレッシャーは何でも無いけれど。
2008年09月19日
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本当に長かったイタリア、フランスへの旅も今日が最終日。毎日の昼食が重かったので、後半の数日はほとんど夕食抜きで過ごした。パリへのFlightがローマ発14:45分なので、最後の頑張りで朝8時にホテルを出て、メトロでバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に出掛けた。ローマのメトロは、A線とB線のみでパリに比較して分かり易い。落書きだけはNY並みだが。 朝早い方が、Security検査に並ばないとで済むと聞かされていた。それでもサン・ピエトロ広場に向う道は、国旗を掲げた各国からのカトリック信者や観光客の群れが。バチカン市国やサン・ピエトロ寺院の衛兵のユニホームはスマート。 広場前には国旗を掲げた団体客が列を成していた。 サン・ピエトロ大聖堂は、カソリックの財力や権力の大きさを痛感させられたが、芸術的な興味は沸かなかった。急いでメトロを乗り継いで次の目的地のコロッセオへ。6万人を収容する大きさには見えなかった。 メトロでテルミ駅近くのホテルに戻ったが、簡易地図しか持ち合わせて居なかったので、ホテル探しに苦戦した。
2008年09月10日
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連合本体のメンバーは今日がイタリア最終日。カールだけは、パリ経由のマイレージ利用の特定航空券のために、ローマでもう一泊してから、明日の便でパリから帰国の途に付く。ローマからフィレンツェ迄は4.5Hの行程。バスの中では、事務局のGさんが初日に緊急入院して手術を受けたTさんが、同じFlightで帰国出来るかのぎりぎりの折衝を病院側や航空会社と遣りあい、漸く最終の許可が下り、全員で拍手。今日の昼食は、ローマに事務局を持つBBI事務局長のウンベルトさんが紹介してくれた、ローマのアッピア街道沿いのローマ遺跡を利用したレストラン。ウンベルトさんの顔で休みの日に店を開けて貰った。 料理も特別に安くして貰い、2種類のパスタや生野菜以外のメインは3種類のイタリア家庭肉料理が大皿で出てきた。圧巻は、ローマ時代のお墓を利用したワインセラー、ワイン好きには堪らないお宝を見せて貰った。 庭には廃墟の跡も。 昼食後にバスはローマ市内に入り、カールは今晩泊まるホテル前で下車して、メンバーとは別れを告げた。帰国メンバーは、これまた短時間のローマ市内観光に向った。ホテルにチェックインした後、Tさんが退院して休息中のホテルにお見舞いに出掛けた。思ったより元気そうで一安心。本体のバスが市内観光をして、TさんをPick-Upに来る迄付き添う事にした。入院中の御苦労や視察旅行中の出来事などを語り合った。Tさんが乗車してローマ空港に向うバスを見送り、その後で急いでトレビの泉とスペイン広場まで歩いて出掛けた。一人歩きは危険だと聞かされて居たので、最新の注意を払った。
2008年09月09日
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BBIのフェスティバルの日程を全て終えて、帰国前にフィレンツェに寄り道をしてイタリアの歴史と文化を学んで研修旅行を終えるスケジュール。移動中のバスの中で、歴史に造詣の深い連合副会長のMさんより、フィレンツェ訪問の趣旨とレオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロのルネッサンス芸術の3偉人が輩出した時代背景を解説して貰い、真実に迫る科学(解剖学)が美しい村運動の精神的なルーツにも繋がってくるとの説明を受けた。此処でもバスの通行税を払い、市の中心街から離れた場所に駐車して、アルノ川沿いを歩いて観光名所が集まる中心部へ。川沿いには、バイクの駐車場が続いていた。 フィレンツェでは、現地の日本人ガイドの方に案内をお願いした。先ずは日本語のメニューもあるイタリアンで昼食、ビネガー味の前菜セットが代わり映えして人気が有った。観光時間が4H程度しかないので駆け足で有名スポットを巡った。ドゥオモからヴェッキオ宮を通り、ヴェッキオ橋へ。ドォウモ内部では、階上まで登れる特別日であったが、疲れが溜まった我がメンバーは誰も登るとは言い出さず。 ヴェッキオ宮前広場で、ダヴィデ像のレプリカやその他の銅像を撮影、此処でも酔っ払いの破壊被害が過去に有った。 第二次大戦時にも破壊されなかったヴェッキオ橋へ。 ここら辺りで晩飯の心配が始まり、和食・中華が食べたい中年組と最後の晩こそイタリアンを希望する若手組みで意見がわかれた。日本食は生憎お休みで、中華の場所を確認しながら市内を散策、革製品の店を覘いて家族へのお土産探し。ミケランジェロが若き日に暮らしたアパートも近くに有った。 サンタ・クローチェ教会前に再集合してバス乗り場へ移動。 ホテルに向う途中で、ミケランジェロ広場へ寄り市内を一望した。
2008年09月08日
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いよいよ今日がフェスティバルの最終日。午前中は日本ブースに詰めて、物産販売のイタリア人の反応を観察。自分で使える日本スタイルの衣料品や遊具の剣玉や独楽に興味を持っていた。剣玉に興味を持った子供がTRYしていたが、連合のベテランが教えては見せたものの、コツが呑み込めずにやたらと力任せにぶん回すので危なっかしい。 昼食前にBBIのプリミ会長から、各国から参加のゲストが招待されて、トラメジーノ湖の遊覧船旅に出た。 船上で、旧知のフランス協会のシャペル会長と旧交を温めたり、ベルギー協会のコリン会長と情報交換をした。 港に戻り、BBIのプリミ会長とウンベルト事務局長との昼食会談をする為に、カスティリオーネ郊外の広大な農家を改造した5星ホテルのレストランに移動。此処は、俳優のジョージ・クルーニーも宿泊した素晴らしい場所だった。周囲は広大は畑が広がり、ホテルの広い庭園は葡萄やオリーブ、花々で溢れていた。 カスティリオーネ元市長のプリミ会長からは、現在大きな発展を遂げたカスティリオーネ・デル・ラルゴやBBIの創業期の苦労談や将来のビジョンをヒヤリングした。1960年代後半に紡績業が衰退、農業以外に産業が無かったカスティリオーネは、住民の流失や出稼ぎに出る人が増えて、プリミ夫妻も仕事を得るためにミラノに働きに出たほど。故郷への思いは捨てがたく、5年間で故郷に戻って、大切な町の為に何が出来るかを必死で考えたことが、カスティリオーネを復活させ、BBIを立ち上げたきっかけに成ったそうだ。ツーリズムが国内で発展するのを目の当たりにして、トラメジーノ湖の景観と質に拘った農業(ワインのDOC、オリーブのDOP)、町の歴史を生かした多様なツーリズムを起こして滞在型の観光地として町の復興を実現した。プリミさんの情熱とバイタリティー、周りの人を動かすリーダシップや政治力には脱帽させられた。過疎化を食い止めるのには、住民にアイデンティティーを持たせて、自分の住む町の素晴らしさを認識させて、歴史や文化をそのまま未来に繋いでいく価値観を共有することと見て取れた。BBIも、政治的に異なる立場の町長さん連を束ねる苦労は大変な物と思われるので、会長としての苦労はと水を向けたが、苦労なんて感じない、いろいろ遣る事があって楽しいだけと笑って答えてくれた。1961年の人口は19000人、1970年には11000人が今では15000人に回復した。町の年間宿泊数は130万泊、ツーリズムは他の産業への波及効果も大きく、宿泊施設の建造や農家の改築で職人も集まり、地場の農産物の加工産業や軽加工産業も育った。湖ツーリズム、歴史・文化ツーリズム、ワインやオリーブ等の食のツーリズムの組み合わせで、1年中観光客を呼び込めるのが強み。1970年には、湖の周囲には宿泊施設やレストランは無かったそうだ。ウンベルト事務局長には、BBIが急成長を遂げたPromotion活動の歴史に付いて質問した。やはりガイド本の出版や雑誌への露出、ネットでの発信などの広報活動の成果が大きいそうだ。現在ガイド本は、年間7万冊で累計50万冊、毎年改定版を出している。ホームページへのアクセスは年間150万件。女性向けのガイドブックを出した所、大当たりして20万部売れたそうだ。BBIが国営放送で紹介されたのも反響が大きかった、最近はテレビの露出度も高い。今後の活動は、Globalな各国協会との連携強化や国内ではBBI加盟の上限数を来年には決めたいとの意向。イタリア国内のスローフードやチッタ・スローとは距離を置いて活動する方針。昼食後には、フェスティバルの各ブースを巡ってお土産探し。トリュフの瓶詰めとコンチャーナのオリーブオイルを買い込んだ。 日本のブースでも値札を下げて、完売目指して最後の追い込み。 夜21:30からの閉会式前に、感謝状の贈呈式が町の高台の城砦内で実施された。此処でも子供達の姿が目立った。 スタンドに腰掛けて贈呈式を見ていたが、周囲を見回すと一際高い城砦の最上部に展望台があるのを見付けた。下から階段を登り継いで上まで行けそうなので、展望を求めてチャレンジする事に。高度差で100M以上有りそうで、同行者から心臓は大丈夫かと止められたが、牛歩で登りきった。此処からの夕日に輝くカスティリオーネの街並みやトラメジーノ湖の展望は一見の価値は有った。一緒に登ったO女史と何時までも周りの景色を眺めていた。遥か下の日本ブースの前から、皆此方を見上げて何か叫んでいるのが見えたが、声は全く聞こえず。
2008年09月07日
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今日は、カスティリオーネのフェスティバル会場でのオープニングセレモニーに出席後、BBI加盟のトルジャーノ、トレビを視察して、町長や評議員、オリーブオイル製造業者にヒヤリングするスケジュールで強行日程が続く。カスティリオーネの町はお祭り気分で賑わいを見せていた。 フェスティバル会場の物産販売ブースには、各BBI加盟町村の紹介と地元産品の販売、日本連合のブースでは加盟11町村の特産品の展示販売。食料品やお酒の持ち込みは出来なかったので、着物やはっぴ、ぞうり、下駄等の衣料品やコケシなどの民芸品や小物類に、写真やポスターの展示。初日は安く売らない様(売り切れ防止)に、Nixita会長のペルージャ国際大学のN教授よりのアドバイス。フェスティバル会場にはイタリア熊の剥製も展示された。 フェスティバルの開始はイタリア時間で、パレードで幕開け、テープカットの後で、市庁舎内で開式セレモニー。主催者側の挨拶の後で、フランス協会、ベルギー協会、日本連合からのお祝いのスピーチ。 フェスティバル会場に若手の売り子組みを残して、インタービュ組はバスでトルジャーノに移動。市庁舎前で町長の出迎えを受けて、カフェで一服したあと近くの陶器店で絵付けの作業を見学、訓練校を経て独学で学んだそうだ。 地元の旧民家を改築した5星ホテルのレストランで町長、ワイン協会長との昼食懇談会。天井に古木を使った素敵なレストランで、味も此れまででベスト。 トルジャーノは、葡萄やオリーブの木に囲まれた丘の上にある古代ローマ人の居住地であった古い町。ワインとオリーブが特産品で、DOCG(原産地表示)認証の赤ワインルベスコやDOCの白ワイン トッレ・ディ・ジャーノが有名。町にはワイン博物館もあり、BBI及びチッタ・スローのメンバー。町長とのヒヤリングでは、町は14001の環境認証やEUの安全規格を認証しており、町の発展と景観の整合性を重視した質の高いツーリズムを目指している。古い建物を作り変えたホテルや古民家レストランが充実。葡萄やオリーブ生産では、量より質を重視した投資をして来たお陰で、ワインは70カ国に輸出されている。オリーブオイルも、高品質維持のために、24H以内の処理や酸化防止のため低温での石臼絞りを実施。コルチャーノは人口6500人で、役場の職員31名、議員17名。イタリアでは町長の任期は5年で2期迄で、地方議会まで政党色が付いて廻る。自治体TOPは専業と兼業の2つのケースがあるが、何れも手当ては僅かで、ボランティア的な色彩が強いのはフランスと同様。BBIクラブの自治体長も全国レベルでは連合右派と連合左派の勢力が拮抗しているが、政党は違っても地方の意見を中央に反映するニーズは共通で、政党の枠を外れた自主的な地域新興がBBIクラブの理念と強調された。議会は21H以降の開催で、1回/月の頻度であるが、行政執行委員会は1回/週の開催。この村の特筆すべき内容は老人福祉で、家族と共に暮らす老人は99%に達するとの驚くべき数値。イタリアを巡った中で、年齢の壁を越えた世代間で仲良く一緒に、楽しく生活する様を見て来たが、同居率が99%とは正直びっくり。近隣の自治体長からは羨ましがられているそうで、ペルージャでは老人ホームの入居順番待ちとの事。最大の要因は、介護のために外国人労働者(東欧、アフリカ)を個人が雇う仕組みと習慣が定着した事で、行政側も滞在許可証など合法移民を推進するためのサポートをしている。年金制度に付いても、老齢年金と勤続年金の統合や受給年齢の引き上げなどの年金改革の現状を聞いたが、需給年齢を65歳に引き上げるのは2011年で現在は過渡期との回答だった。昼食を終えて、ワイナリー経営のルンガロッティイ財団が運営するワイン博物館を見学。ワインの歴史や製法などの展示と共に、地中海文明やエトルリア文明の展示迄あり、イタリアのワイン文化に触れる事が出来た。ワインの足踏みの木製の絞り機械が40年前まで使われている事を知った。 次いで、最高級オリーブオイルで知られたBBI加盟のトレビへ。評議員のブリツィさんから町の説明を受けた後、オリーブオイル博物館へ。トレビのオリーブは最高級ランクのエキストラバージンオイルで、樹齢2000年のオリーブを含めて町には30万本の木がある。収穫は11月初旬で、酸化を防ぐために傷を恐れて全て手積み。博物館には樹齢2000年のオリーブの木の写真やオリーブに纏わる歴史や風俗の展示が興味深かった。 オリーブバーでワインと生ハム、無花果を御馳走に成り休息。 今日の最後の行程は、地元のオリーブオイル加工工場の見学。町には2つの協同組合があるが、小規模な家族企業の集まり。トレビ全体のオリーブオイルの生産量は180トン/年、オリーブの実からの歩留まりは15%程度で、小売価格は7-11ユーロ/KG。この工場では、50トンの生産物量で、従業員は10名、その他手摘みの作業者は60-70名。オリーブの生産ラインは絞りラインと瓶詰めラインで、前者は季節操業と工場の稼働率が難題。世界中に輸出されており、日本へは大丸に出荷しているそうだ。トレビはオリーブ畑に囲まれた高台にあり、絶好の全貌写真撮影場所をバスで通り過ぎたが、悲しいかな時間がおした団体行動で撮影出来なかった。
2008年09月06日
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今日は、イタリアの世界遺産のアッシジを見学した後、BBI加盟のコルチャーノを訪問、ウンブリア州観光推進局長のチミッキさん、コルチャーノ町のジネッティ町長にインタービュ、同市でフェスティバルの開会式出席、歓迎夕食会への招待に出席すると言う長丁場のスケジュール。ホテルからアッシジ迄は約1Hの行程、アッシジ市内への乗り入れも通行税の支払いが必要だった。世界遺産の聖フランチェスコ大聖堂を誇るアッシジには、聖バジリカ聖堂、市庁舎など聖人フランチェスカに因んだ宗教的な建造物が幾つかあり、観光客も多い。 アッシジより今日の目的地のコルチャーノへ。コルチャーノは、中世の面影が強く残る町で、シテ内の市庁舎の塔も13世紀の建造。毎年8月のコルチャーノ・フェスティバルではコンサート等の各種のイベントが実施される芸術の町でもある。遅い昼食をシテ内で取ったが、既に年長組みからはあっさり味の要望が出される。市庁舎に移動して、チッタ・スローの初代会長でもあるチミッキ局長、イタリアNO1の美人町長と評判のジャネッティさんへのインタービュ。市庁舎前にはBBI旗や今回のフェスティバルのポスターが掲げられていた。 カールは今回の視察団での代表質問者の役目を仰せつかっているので、日本連合のH会長の挨拶の後から張り切って質問開始。 イタリアではGDPの10%が観光収入、一方ウンブリア地方は20%と観光業のウエイトが高く、守るべき農業が景観を作り、自然の中で農業体験すると言うアグリツーリズム型の観光が育った。220万人の観光客は平均3日滞在、120万人のホテル宿泊以外にアグリツーリズム型の農家民宿やカントリーハウスを100万人が利用する多様な観光メニューが準備されている。スローフードからスタートしたチッタ・スローと小さな町のIdentityや住民のpromotion目的のBBIは姉妹関係にあり、アイディアを競って政策提言し、政治的な発言力を高めて地域を強化するとのチミッキ局長の説明。BBIの加入資格はコミューネ(自治体)人口15000人未満、フランスのコミューン(自治体)人口2000人以下に比べて大きいが、遺産が残るゾーニングされた旧地区人口を2000人以下と縛りを掛けている。自治体を15000人未満に限定した理由は、15000人を超えるコミューネは中規模都市と定義されて選挙制度が異なるため。コルチアーノ町長へは、BBIのミッション、加入のメリット、国など行政への影響力発揮、補助金の仕組みなど幅広く質問した。Global時代の荒波を地域が受ける中で、地域の歴史や芸術力、景観を武器に、住民のIdentityやMotivationを高めるために奮戦している姿が伝わって来た。BBIのメリットとしては、補助金や政治的な発言力の強化以上に、加盟都市のNetworkや相互のアイディア交換、選ばれたブランド力や住民の参画意識向上など、ソフト面の効果を強調していた。補助金は、EU、政府、州からの3階層で、何れも公的コンテストやPJ審査を経て認定される仕組み。遺産の修復などの公的な補助金や公的組織への援助金がある。インタビュー終了後に場所を移して、BBIフェスティバル開会式。BBIクラブのプリミ会長やコルチアーノ町長、来賓の挨拶。 その後は歓迎のレセプションやコンサートが夕食会開始まで続いた。会場付近には子供達の姿が目立ち、町長が芸術の町と述べたように、老いも若きも多くの住民がブラスバンドやコーラスに参加して、客人を持て成し自らも楽しむ姿が印象的だった。 歓迎の夕食会が始まったのが8時30分、終了は夜中の1-2時と覚悟は決めていたが、以外に早く11時台にお開きに成った。メインの子豚の丸焼きやデザートのケーキは大きな姿で運ばれて来た。日本の連合に対してBBIは特別の歓待をしてくれ、最前列のテーブルを用意してくれた。食事中に沢山の人々が席から消えたので、途中退席あり?と不思議に思ったが、外に出ると沢山の人が夕涼みをしながら、お喋りしていた。途中に休憩ありのスタイルと理解した。コルチアーノから宿のカスティリオーネ迄は同方向に帰宅する他の町長さんが車で送ってくれた。
2008年09月05日
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今日は、ローマから専用マイクロバスでイタリア中部のウンブリア州のオルヴィエートに移動して市内を視察、地場企業のTOPと市の文化・スポーツ評議員から地域振興のヒヤリングをした後、座席数99の世界で最も小さなコンコルディア劇場で知られた、「イタリアで最も美しい村」BBIクラブに加盟のモンテ・カステッロ・ディ・ヴィビエを訪問するスケジュール。ウンブリア州の州都はペルージャ、ローマの北170KMで車で約2Hの行程。ウンブリア州は、緩やかな丘陵や緑の山峡が続く農村地帯ではあるが、雨が少なくオリーブやワインが主な農産物。多くの小さな町村や城塞で囲まれた村落が散在しており、BBIに加盟している町村も多い(26/全土181)。各町村では、スポーツや音楽などの様々なイベントが開催されており、ツーリズムが州全体の大きな産業に成っている。ローマ出発前に、同行のTさんが緊急入院する事態が発生し、入院中のバックアップ体制を敷く準備の為に出発が遅れた。待ち時間に、ホテル前の朝市で野菜や果物、水を仕入れたが、この買い物が後で大いに役立った。宿泊先の朝食では、野菜や生鮮果物は皆無で、皆で持ち寄った野菜をシェアーして、朝食にもバランスある食事が摂れた。珍しい唐辛子の形をしたトマトや花の付いたズッキーニも見掛けた。 オルヴィエートでは、最初に市を遠望できる展望台に向った。丘の上の要塞都市のオルヴィエートの歴史は古く紀元前7世紀のエリトリア時代に遡る。凝灰岩の上に聳え立つ300年掛けて建造された大聖堂が見事で、特に西日に輝くファサードの金のモザイクが美しい夕刻がベストタイミング。しかし日中は逆光で良い写真は撮れなかった。 展望台の売店でアイスクリームを食べたが、2ユーロのグラスワインの方が安かった。人口2万人余りのオルヴィエートはBBIの加盟資格は無いが、イタリアで発祥した今や世界規模のスロー・チッタ(スロー・ライフ)協会のメンバーである、スロー・チッタ運動の発案者で初代会長のチミッキ ウンブリア州観光推進局長は元オルヴィエート市長。シテの裾野の駐車場でバスを降りて、ケーブルカーに乗ってシテに登った。聞くと、ケブルカー使用で旧市街に入るのはイタリアでも珍しい。 ケーブル駅前にはシテ内を巡回する公共の小型バスが停まっていた。イタリアでは、外部から市中心部に入る自動車には規制が設けられているが(通行税徴収)、環境に優しい配慮が随所に見られた。高台に旧市街が発達した構造はフランスと同様であるが、シテのサイズはイタリアの方が相当大きく、ケーブル駅よりシテ内を縦断して最奥部のレストランまで歩いて20分以上は掛かった。昼食は、洞窟スタイルの洒落たレストランで。今回の視察団メンバーは、町村長や職員等自治体メンバーとサポーターズの総数14名、20歳代から70歳代迄と広範囲の年齢層が参加した。55歳以上の中年組みと30台以下の若手組みとテーブルが分かれたが、カールは若者テーブルに入れて貰った。トリフ入りのリゾットを注文。 昼食後、シテ内の大聖堂を見学して麓に戻った。 次いでバスで移動して、市内のアルファロメオの販売会社を訪問して、社長と市の文化・スポーツ評議員に地域振興のヒヤリングを実施した。オルヴィエートは前橋市と姉妹都市で文化、スポーツ、スローフード、スローライフで地域の活性化を図っている。特にスポーツはスロー運動の柱として、町を有名にして若者を集める重要政策として位置付けている。アルファロメオの販売店の社長のアンセルミ社長はフットサルチームのオーナーでもあり、現在セリエBに所属。地元の選手のみ(外国人は1名のみ)でチーム編成して、小さな町に根をおろしている事がジャーナリストにも関心を持たれて経済的な波及効果も出て居るそうだ。フットサル試合場の体育館には900人の観客が市内外からも観戦に来るようでツーリズム効果も出て居る。スポーツを核に、地域と企業との連携や行政面でのスポーツ事業への支援もある。マイナースポーツのフットサルチームはメジャーのサッカ経営が法人組織の必要があるのに対比して、税金面での優遇措置があるNPO組織での運営が可能で、中小企業でもスポンサーが可能な仕組みに成っている。イタリア社会は、小さいやスローや弱いものを守る社会的な合意や価値観が醸成されており、スローフードやスローライフ運動が社会に根付いている背景の一旦は理解できた。次に向ったのはBBIクラブ加盟のモンテカステッロ・ディ・ヴィビオ。丘の上に中世の街並みが残る小さな町で、19世紀の初期に建てられたコンコルディア劇場が見所。町からは長閑な丘陵地帯が望めた。 町には、劇場200周年の記念ポスターを多数見掛けた。ここの座席数99の世界一小さい劇場は名高く、NHKのテレビでも放映されている。劇場で、運営法人のブレンチ会長やチェルクアリア町長より説明を受けた。 年間25回の公演回数で、世界中の会員(入会金18ユーロ)に公演案内をメールで送付している。因みに此処の会員登録をした。ナポレオン時代の地域財産である劇場を、公演継続と言う生きた形にして町を挙げて守って行く姿勢には感心した。「日本で最も美しい村」連合加入の大鹿歌舞伎を公演している大鹿村と連携してはとの話題も出た。モンテ・カステッロを後にBBIのフェスティバル会場と成る、カスティリオーネ・デル・ラルゴのホテルに移動。此処には4泊するスケジュール。
2008年09月04日
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今日のスケジュールは、成田からローマに直行してくる「日本で最も美しい村」連合のイタリア視察団のメンバーとローマ空港で合流して専用バスでローマ郊外のホテルへ移動する。午前中は時間が有るので、パリ市内を散策して孫娘の秋物ファッション探し。モヌプリで1歳児用の茶のフード付きのアンサンブルを買った。凱旋門よりシャンデゼリゼを下り、エリゼ宮前を通ってオペラ座迄歩いた。 途中、道路清掃車やバキュームカーを見掛けた。 路上に設置された無料のトイレスタンドも試して見た。以前よりは、随分と清潔に成った。これから暫くは和食とおさらばするので、サンタン通りのうどん屋さんでの昼食。ホテルに戻り、荷物をPick-Upして、AFバスでドゴール空港へ。自動チェックインで荷物も機内持ち込みに、予定より早く1H40分でローマに到着。今回、現地協力して頂く旧知のNIXITA(日伊交流協会)のHさんと空港で先に再会して、連合の視察団を待った。
2008年09月03日
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半年振りのパリ。今回のフランス、イタリア訪問はスロー旅行を心掛けて、移動はバス、メトロ、SNCF(国鉄)の公共交通に絞ったが、パリのメトロのホームや移動通路の整備が急速に進んでいたのには驚かされた。暗くて汚いと言うイメージは消えてしまった程。今日は、アン先生とノルマンディーのVERNONで昼食をした後、昨年6月まで勤務して居たPACYの会社に寄って、フランス人の同僚達に1年ぶりに再会するスケジュール。VERNONまでの列車のパリ、サンラザール駅発がAM11時なので、朝食後に凱旋門に立ち寄った後、当時住んでいたヌイイまでブルーニュの森の脇を通って1Hかけて早足で歩いた。途中のポートマイヨールでは、2004年に信号無視で違反切符を切られた場所で、何故信号違反か納得の行かない多くのドライバーが同じ様に捕まっていた。 ブローニュの森の遊歩道は既にマロニエの木が色付いていた。 気温も20度以下で肌寒い陽気、途中で雨も降り出した。メトロでヌイイからサンラザール駅に移動、VERNONまでの往復チケットを購入して、郊外列車に乗車。サンラザール駅のTicket officeやホームの表示も随分と解かり易くなっていた。 列車でのセーヌ川沿いの車窓の景色は、通勤でドライブしていたA13沿いに走る場所も多くあり、懐かしいのんびり旅で、1H20MかけてVERNON駅に到着。アン先生と懐かしの再会、抱擁やビズは無く握手のみ。VERNONの馴染みのレストランで昼食、相変わらずアン先生は良く食べ、良く飲む上にスピードは衰えていなかった。食事後PACYに向かい、懐かしのOFFICEや旧友達と再会、お互いの近況に話しが弾んだ。 VERNON駅に戻って、列車の時間を調べるとパリに戻る列車は18時まで無く、2H以上時間が空いたので、ジベルニーに行く事に。モネの家には既に10回以上も行っているので、此処はパスして周囲の景観を楽しみ、カフェでお喋り。 American museumの庭には白い花が咲き乱れ、お洒落なアン先生の白い服が良く映える。 今日一日、先生はスケジュールを空けてくれて、カールとデートしてくれた。
2008年09月02日
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現在、成田空港のラウンジから記入している。パリへのFlightがメンテナンスの都合で1.5H遅れの見込み。チェックイン時にその旨を伝えられて、MEALCOUPONを支給された。当日、発行空港でのみ有効の条件で、ラウンジに一旦入ってしまうと、再度出掛ける気は起こらないのでメリットなしと踏んでいたが、今度は築地の寿司屋の弁当が届けられた。この気配りされたリカバリーサービスは中々の物である。
2008年09月01日
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