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鳩、マメに夢中。
2011.05.05
ありんこたちの天下
2011.05.05
ケアホームの姑は、刻々と病状は進みつつも「この段階で100%寝たきりではないなんて!」と、医者をうならせる頑張りです。ホームのスタッフの皆さんの温かいケアの賜です。ありがたいことです。さて、このブログもずいぶん長らく放置しておりましたがたくさんの方々に助けていただきながら楽しく書かせていただきました。今回、思うところあって楽天ブログからお引越しすることにいたしました。当面、このブログはこのまま置いておくことになりますがコメントは受け付けない設定にいたします。もしも、私にご用の節はこちらまでお願いいたします。引っ越し先はこちらです↓毎日を大切にそれでは皆様、大変お世話になりました。ありがとうございます。
2009.06.24
姑をケアハウスに預けて、1年と2ヶ月が過ぎた。なんだかブログを更新できなくなって半年ほど経った。忙しかったといえば嘘ではない、がどこか自分に嘘がある。姑の状態は低下している。すでに言葉は完全に失い腕も足も自分の意思どおりに動かすことは全くできないと言っていい。昨年12月にはイレウス(腸閉塞)を繰り返し10日あまりの入院も経験した。姑の病気(大脳皮質基底核変性症)にはつき物の症状だそうだ。退院2週間後に控えた正月に、姑は自宅に戻ることを望んだ。姑がそれを望んでいるだろうことは承知していたのだが姑が口を利けないのをいいことに家族の誰もがその話題に触れないでいた。しかし、夫が風邪を引いたため私一人で施設に面会に行った日部屋で姑と私が二人でいるところへスタッフがやってきて「お正月はどうされます?ご自宅に戻られますか?」と尋ねたのだった。「私一人では決められないので…」と言葉を濁したのだがそのスタッフが出て行った後姑は言葉にならないうなり声をあげながら全身で何かを訴えようとした。帰りたいのだ。分かっていた。私一人では決められないというのは本当。全介助といっていい、この姑を自宅に迎えるのは普段、なんの介護もしていない私ひとりではとても無理だ。こと介護に関しては、夫は全くあてにならないので義妹と予定をあわせて、万全の体制を作らないといけない。でも「分かったよ。お正月には家に帰ろうね」と一言、言うくらいのことはしてもいい。でも、言えなかった。トイレにどうやって連れて行く?何が言いたいのか、全く分からないのにこっちの言っていることが理解できているのかも分からないのにどうすればいい?イレウスが再発して、突然嘔吐し始めたら?そんな不安が先に立つ。正月早々に、原稿の納品も控えていた。姑を迎える準備をしながら、納品に間に合わせられるか?そんな現実にも追い立てられていた。「大丈夫かな?」と聞ける相手が誰もいない。「帰ろう」の一言がどうしても出なかった。「ちょっと待って、一人では決められんのよ」と繰返す私を姑は怒気をはらんだ目で見据えて、口を一文字に結んだままうなり声を上げる。「でもね、おばあちゃんを家に迎えるにはK子さん(義妹)の予定も聞かないといけんし私一人で勝手に返事できんとよ。みんなの予定を合わせてみるけん、ちょっと待って。私も今いっぱいいっぱいなんよ。一人では決めきらんとよ。昼間は外で勤めて、夜や土日は家でも仕事せんといかん。もうすぐ高校受験やし、お金がいっぱいいるしね。」もはや支離滅裂だ。病人相手に何を愚痴っているのか。「ごめんね。文句も言えんのにね。『この鬼嫁!』ぐらい言いたいよね」そういいながら、泣けてきた。施設のスタッフに、何てことはないという風に「大丈夫よ」と言われて腹をくくるしかないと悟り1月2日に外出することに決めたものの結局、12月28日にイレウスを再発して、帰省は取りやめになった。しかし、この一件で、私は自分の中にある、寒々とした感情を思い知った。姑をケアハウスに入れると決めたときからその感情はずっとあったのだと思う。スタッフから遠慮がちに「お母さんは、どうもK子さんが生活に困っていないか心配しているようで…」と言われたときも舅から「俺が死んだら、保険金はK子にやってくれ」と言われたときも結局私って、お手伝いさんでしかないな、と思ったのだが一番そういう気持ちで接してきたのはほかならぬ自分なのだと思った。だから、ブログも書けなくなっていったのだ。
2009.01.11
昨日姑が、9ヶ月ぶりに一日だけ帰省してきた。先週の日曜日に面会に行ったとき本人が「お盆に帰りたい」と言ったのだった。理由は、去年の11月に姑が入所した一週間後に一度だけ面会に行ったきりちらりとも顔を見せない舅に会いたいから。正直なところ、たった一日であっても姑を家で看るのはとても不安だったが出ない言葉で必死に訴える姑の気持ちをむげにもできず決死の覚悟で「いいよ~」と言ったのだ。さあ、そうとなったら大変!前日は一日がかりで、ずっと気になっていたまま手つかずの家の掃除と模様替えに汗を流した。当日の料理は姑が元気な頃のように、さあ焼き肉!…というわけにも行かない。柔らかめのおかずを中心に、何品か作る。・揚げ出し豆腐・冬瓜と小エビの煮物・刺身・豚バラの塩焼きそれから義妹が炊いてきてくれたかしわご飯でけっこうなご馳走になった。写真を撮っておけばよかった。舅は最初、姑が帰ってくると聞いて戸惑ったようだ。「話しもできん奴がおったら疲れる」と、相も変わらず身勝手な言葉を毒のように吐き散らしていたがいざ姑の顔を見たら、そばを離れがたいようだ。難しい顔で黙りこくってはいるが姑が居間にいれば居間にベッドで寝れば、その隣の自分の布団にと近頃になく家の中を歩いた。(おかげで便秘が解消したそうだ。なんとお手軽な便秘なのだ。 その程度の便秘でふさぎ込むなら 私なんて世界中の不幸を背負ってるようなものだ)姑の介助は、昨日は義妹がいてくれたから二人がかりでなんとかできたが身障者手帳の1級になっただけに、体の不自由度はやはり進んでいてホームに入る前はトイレまで連れて行って座らせればなんとか自分で始末できていたのだが昨日はトイレに座ること自体がまず大変だった。意志の疎通もなかなかできず、丸一日一緒にいて姑の言いたいことが分かったのは3つくらいのものだった。義妹と二人がかりで「ヘルパーさんって、すごいねぇ!」と言いながらクーラーの効いた部屋でも汗だくになりながら介助して一日過ごし夕飯が済んだ後、ドラッグストアで買い物がしたいという姑の願いを叶えて夜、義妹達と一緒にホームに送り届けると、ケアマネージャーが当直だった。姑の顔を見て「わぁー、楽しかったのねぇ。いい顔をして。」と言ったまではよかったが「そんなに楽しかったなら、お正月には一泊できるように お嫁さんにお願いしなきゃ。」と、一同揃ったところで言われて困った。ぱっと顔を輝かせる姑を前に「いえいえとても…」とは言えず。しかし、そんなに気軽に一泊させられるくらいなら最初からホームに入れるはずもなく。(実際、このお盆で家に帰った人は18人中3人にとどまっている)入所者の家族にとっては短絡的で配慮のない言葉だったことにケアマネージャは気づいていないだろう。どうにも胸がざわついて、夕べ夢見が悪かったのはお正月への期待に胸をふくらませ始めたかもしれない姑を残して家に帰ったせいだと思う。
2008.08.15
視察と打ち合わせを兼ねて、宗像へ。 電車とバスを乗り継いで ほんの1時間ほどの道のりですが 滅多に電車に乗らない娘はご機嫌です。 今日は幼稚園が休みなので どうしようかと思ったけど 訪問先のご好意で、子連れとあいなりました。 たまには、こういうこともアリですね
2008.07.27
舅が、「街の電気屋」に電話をかけたらしい。夕方夫が帰宅すると子機を持って立っていたそうだ。何を勘違いしたのか「7月24日までで、放送は地デジだけになる」と思い込んだ舅は慌てて電気屋にテレビを買うからもってこいと電話をしたのだ。夫はすぐにその電気屋に電話をして間違いだから来なくていいと断った。「まだ3年猶予があるよ。 買うときは、電気屋よりも量販店で買ったほうが安い。 俺が選んでやるから、待っとけ」と、夫は言ったらしいのだがお金は舅が自分で払うのだし舅にとって、安く買うことはそれほど重要ではないと思う。第一、夫が選んだテレビを舅がすっきり気に入るはずはない。かならず、なにかしら問題を探してぐずぐずと文句を言うに決まっているのだ。と、私が言ったものだから夫はとたんに不機嫌になった。せっかくの親孝行に水を差された格好だからそれもしょうがないのかもしれない。だけど・・・布団の中でひっそりと枯れ木のように過ごしている舅が自分で電話をして新しいテレビが入り電気屋から感謝される…こんな画期的なことを、妨げるべきではなかったのでは?と思ってしまう。
2008.07.18
4月から、ある所で女性の就業に関するアドバイザーを務めている。そのおかげで、色々と勉強する機会を与えてもらう。先日はDVについて、詳しく聴講した。そこで思ったのは舅の姑への仕打ちは、まさしくDV以外の何者でもなかったということ。どんな理不尽な文句にも、要求にも全て「私が悪い」「私が我慢すれば」と思い続け、子どもたちにも言い続けた50年余りは姑にとって、どんな価値があったのだろう。息子と娘には、どんな影響が?週末ごとに姑を見舞って家にもどり舅に、その様子を話す。舅は、元気な頃とは変わり果てた姑を直視することができず昨年11月、入所1週間後に面会に行ったきり一度も会いに行ったことはない。「話しはできるとな」「いいや、話はできんけど、じっと顔をみたり、視線を辿ったりして時間をかけて言いたいことを推理するんよ。」「・・・」舅に話すたびに、同じ会話が繰り返される。二週間前。「……そこなった。」「え?」舅が言ったことが聞き取れず、聞き返すと「嫁をもらいそこなった。」私のことかと思い「あら、ごめんね。何が悪かったかいな」と返事すると「こげな、脳の病気になるなんて、思いもせんかった。もうちょっと違うのばもらわんばやった。」姑のことだ。「なんてこと言うんかね! 罰当たりな。口が腐るよ! 今までおばあちゃんから、どれだけのことをしてもらったとね!」私の大声に、舅は苦笑いして部屋に引っ込んだ。姑は、別れて暮らしてもなお舅のDVの被害者なのだ。夫や義妹には、とてもこんなことは言えない。これは、長男の嫁の胸に収めるしかなさそうだ。舅に、同情の余地があるだろうか。
2008.07.11
お久しぶりです。 kikiさん、メッセージありがとうございます。 七夕の今夜、ガイヤナイトと洒落こんでおります。 居間の灯りとテレビを消して、キャンドルの灯りで食事しました。 献立は、ロマンチックに 親子丼です。 テレビがないと、会話が弾みます。 子どもは、なんか楽しいそうです。 嵐のような、三ヶ月でした。 いろんなことをしましたよ~。 アドバイザーになったり、 セミナー開いたり、 講演会を企画したり、 起業の勉強をしたり、 濃~い三ヶ月でした。 追い追い、書きます。
2008.07.07
今日が今年最後の花見日和だそうです。 明日は雨だとか。 花よりだんご、花よりゲームの面々もいますが…
2008.04.05
昨日はケアハウスに出向き姑の介護認定の聞き取り調査に立ち会った。今まで自宅で何度か受けたことがあったのでだいたいどんなことをするかはわかっている。前回に比べて今回はずいぶん症状が進んでいるので時間も相当かかるだろうと覚悟していた。があっけなく終わった。あまりにも症状が進みすぎて「あれをしてみてください」「これをしてみてください」ということができない。聞き取りをしようにも、言葉がききとれない。そして、今まで「ご家族に伺います」といわれていたことはケアハウスの担当者に聞かれる。あぁ、そうだった。姑にとって、ここが自宅になったのだ。なんとなく、寂しい気もする。たぶん、要介護度は上がる。調査員の言うことには「一つあがるだけで済むかもしれない・・・」それは、2つあがるかもしれないってこと?要介護度5・・・施設に支払う自己負担金が上がる。いよいよ、姑の預金が目減りしていくのだろうか。「使えばいいよ」といいつつも本当に足りなくなったとき私たちが出してあげられるわけでもなく強力なスポンサーたるべき舅の財布はこれでもかっっというほど堅く紐が締められている。。。いや、それはこっちの思い過ごし?ケアハウスの階下にある、特老に入所希望は出してあるが認知面には問題のない姑にとってそれはつらいことだろう。ああでもない、こうでもない・・・と考えて、考えてま明日、考えよう。と、思ってしまう。今考えても、明日考えても、明後日考えても正解はあって、ないのだろう。
2008.04.01
舅から頼まれて通販に頼んでいたルームウォーカーが3日前、ついに届いた。その日は午前中に、ぜひ書き終わっておきたい原稿があったのだ。そういうときに限って、荷物が届く。当然、舅は私が開封するのを黙って待っている。ここで私が「今忙しいから」と言ったところでパソコンを打つ私の横に立って私がハサミを手に取るのを、ジーッと待ち続けるのだ。ここは早々に諦めて、畳一畳分ほどのダンボール箱を開封するしかない。私が動き出すのを確認すると、舅は自分の布団に戻った。いい身分だ。あやかりたい。(うそ)組み立てると、結構な大きさになる。それを見た舅の言うことには「大きいな…置くところがないが…」「だーから、最初からどこに置くとねっって言ったやないの。」「大きいな…置くところがないが…」おーい。。。私の返事は無視ですかぁ~~?「じいちゃんの部屋に置けば?」「いや、もう何も置く場所がナカ。」(お。ちゃんと聞こえたか)「布団たためばあるよ ( ̄ー+ ̄)」「俺の部屋には置けんしな…」はいはい。結局、行き先は仏間に決まった。これを置いたら、仏間は瞬く間に物置に変身♪荷物が着いたとたん「今日は具合が悪い…」と吐き捨てた舅を見て私は、きっと一度も使わないままお蔵入りになると思っていた。しかし、組み立てあがったルームウォーカーを見てゆるゆると歩み寄り、じわりと足を乗せるではないか!スタートボタンを押すと、時速0.5kmで足の下のベルトが動き出す。その上をそろりそろりと、舅はすり足で足踏みする。夫が「じいちゃんの歩行器」というので赤ちゃんじゃあるまいし、歩行器はないやろうとルームウォーカーやけん、と言い返した私だったがこの速度なら、確かに歩行器だ。「ちょっと遅すぎるね。」スピードを上げようとする私を制して「いや、これくらいが限界ばい。 それより、この坂道になっとるのがいかん。」ベルト部分が、10度くらいの角度で傾斜しているのが気に食わない。でもそのくらい傾かないと、運動にも何にもなりゃせんでしょうよ。…そう言っているうちにあろうことか、舅の足はベルトにとられてどんどん後退する。「予想しちゃろうか。じいちゃん、今日一回使っておしまいやけん。 もう二度とせんって。」高校生の長男が言った。予想どおり、その日以来使っているのを見ることはない。普段、ろくに会話もない二人なのによくぞ見抜いた。やはり、血にはかなわない。
2008.03.29
ここ数日、舅は外に出る。天気がいいし寝てばかりいると、「入院しろー、入院しろー」と呪文のように言われるしちょっとは頑張ってみる気になったか。我が家は、住宅街の袋小路の一番奥に建っている。すぐ横は竹やぶで、持ち主が手入れをしないのでいろいろな木が好き勝手に生えてボサボサになっている。でもそのおかげで、鳥たちが巣を作って賑やかに声を上げている。舅は、その場にひたすら佇む。昨日は二時間。家の横に夫が置いたベンチに腰掛けてじーっと虚空を見つめる舅はきっと近所では有名人だ。「あそこのじいさん、まるで置物だねぇ」と、私だったら言うかもしれない。声かけられたって、そちらを向くどころか眉ひとつ動かさないから、立派なものだ。そんな舅を見た人から「お嫁さんは大変ねぇ~~」と私が声をかけられたりする。何にもしないのに嫁の株が上がっちゃって悪いわね、じいちゃん。別に嬉しくも無いけどサ。
2008.03.25
姑の障害が、3級から1級に上がった。去年の夏の申請で3級だったのに1年も経たずに飛び級だ。もちろん、確かに障害の度合いは重くなったのだがもともと、3級の判定が納得いかないものだった。当時お世話になっていた、ケアマネージャーも、医師も首をかしげたものだ。3級と2級の間には大きな壁がある。2級と1級の重度身障者は、医療費の自己負担額が免除されるのだ。年金暮らしでケアハウスに入所している姑にとってはこの負担のあるなしは、大きいのだがすぐに不服申請をしても、心象を悪くするだけ…らしい。先月、またガクッと状態が落ちてようやく再申請をすることができた。しかし、この間チラッと新聞で見たのだが今年中に、重度身障者の自己負担免除は取りやめになり一医療機関につき、一律一月500円の負担になるとか。今までの負担と比べれば、安くはあるがいったんタダになったものを、負担するとなると年配者だけに、不満が噴出しそうな気配がする。。。今、政府批判がマイブームの夫とこれまた、政府の老人いじめを、常に嘆く舅の恨み節の大合唱が家中に響き渡るに違いない。いや、そうだけど。あんたたちの言うことは、一面、間違えていないのだろうけどなんか…素直に聞けない私。ワイドショーや政治家のパフォーマンスに踊らされちゃいないかい?「政府はダメダ!」と言うのは簡単だけどね。
2008.03.24
今日は先々週、舅が浮気した先の精神科から「もとに戻りなさい」と諭されいつもの精神科に行く日だった。今月、夫は舅の病院騒ぎですでに二日仕事を休んでいるのでさすがにこれ以上は休めない。仕方が無いので、私がつきそった。本当は、舅は精神科に私たちが付き添うのを嫌がる。ふとんを敷きっ放しとか一歩も家を出ないとか他所の内科から、睡眠薬を余分にもらっているとか余計なことを先生の耳に入れられるのが気に食わないのだ。しかし今回は、紹介状のお礼のこともあって拒まれなかった。舅は、待合室の長椅子に腰掛けて隣の女性と自分の間の隙間を指差しここに座れと合図する。いやいや、そんな…おしりをねじ込まなきゃだめじゃないですか。空間認識が、甘くなっているのか?それとも、舅の目には私がそんなにスリムに映っているのだろうか ( ̄∀ ̄*)程なくして、名前を呼ばれ診察が始まった。ところが、あれほど訴えていた「眠れない」の「ね」の字も舅の口からは出てこない。先生が、紹介状の返事を読んで「たまには気分転換に、話しに来てくださいって書いてあるよ。 セカンドオピニオンは、今の時代常識だから 行くといいよ。」舅は無言でうなづくだけで「では、いつものお薬で…」と、診察が終わりそうになったので私が、口を挟む。この数日、舅の春はどんどんディープになっていて胃腸科の医者が問題ないと言っているポリープがどうしても気になり近所の総合病院で、日帰り入院をして切除してもらうと言い出したことや(もちろん、全力で止めました。)食欲がないと言って、もともと少ない食事量を更に減らしたことやお風呂に入る元気がないと言って、もう3日入っていないことや心臓が苦しいと言ってまた、循環器科で検査してもらったけど異常がなくてそれでも、お願いして毎日点滴を打ちに行っていることなどぜ~~んぶ、洗いざらい話してやった。それにどうも様子を見ていると先生には、毎日散歩をしていると言っているようなので去年の秋から、布団は敷きっ放しで、散歩なんてぜんぜんしてないことも言いつけてやった。「家族は入院を勧めているんですけど、本人が…」本当は、先生から「少し入院されたらどうですか?」と言ってもらいたいのだがなかなかその言葉は出ない。「気候もよくなったし、毎日外に出ましょう。 程よい疲労感で眠れるようになりますよ。」と言われ、舅は無言でうんうんとうなづく。首に縄をつけて言うことを聞かせることはできない。せめていつの間にか月一回に回数を減らしてしまった通院を二週間に一度に戻してその分外出の機会を増やせないかと思ったがかたくなに拒否する舅の姿に、先生も諦め顔。結局、何にも状況は変わらないまま帰路についた。「じいちゃん、せめて近所の内科までは 歩けるようにしないとね。 何かあっても、逃げられんよ。 避難所は、小学校やけんね。 内科よりも、遠いところにあるとよ。」舅はうつろな目のまま、無言でうんうん。聞いているのかいないのか。寝たきりになったら、一番嘆くのは自分だろうに。
2008.03.21
姑が使っていた部屋が去年の11月以来、ガランと空いたままだった。部屋に仏壇があるので毎日、お水を替えてお経を上げる以外何にも使わないで5ヶ月が経った。2階では、3部屋に親子6人がひしめき合っているのにこれではあまりに非効率的ではないか!そこで、この週末。2階に置いてある整理ダンスを、この部屋に移動することした。その数、三棹。子どもたちの服を納めているタンスだ。でかくなった子どもたちとひしめく荷物に押しつぶされそうな2階にもう我慢ができなくなったのだ。タンス3つを運び込む仏間は、舅の部屋と襖一枚の続き部屋。さりげなく、模様替えの予告はしておいたが実際に荷物を運び始めると案の定、「変化する」のが大嫌いな舅の必死の抵抗に遭った。「俺が布団を敷きなおすとき この襖が開かんやないか!」時々、敷きっ放しの布団がよれて寝心地がわるくなると舅が仏間にいったん布団を移して、一枚ずつ丁寧に敷きなしているのは知っている。しかし、タンスを置いた後でも半間以上――つまり襖一枚分よりも広く、襖は開くのだ。すると舅がいうことには「なんが、そげな隙間ば布団が通るもんや。 布団の幅ば見てみろ!」…あなたの布団は、鋼鉄製ですか…?と言うのをようやく堪えた。これだけ広く襖が開けば、両手で布団を抱えて、悠々と通り抜けられる。いくらそう言っても、舅の耳には入らない。二つ並べたタンスの一つを、一人で(!)ズルズルと引きずり「これを!この上に乗せぇっ!」タンスを二つ重ねろと言う主張である。思わず噴出した。「上のタンスの引き出しは、どうやって開けるのよ。」とにかく。この部屋に、2階のタンスを3つ下ろす。私は、そう決めたのだ。作業の間、部屋を仕切る襖を時々細く開けてこちらを覗き込む舅の恨めしげな視線は、無視。夫と私は粛々と事を進めついにタンスは、計画通りの場所に収まった。やはり部屋は使ってこそ。家具が入って、寒々としていた部屋に温かみが戻った。おかげで、2階も整理が付いた。土日は家族でよく働いた。不満顔の舅を除いては。
2008.03.16
前日、行きたくなさそうな気配ぷんぷんだった舅を見て私一人では手に負えないと見た夫がまたしても仕事を休み夫と私、二人がかりで予約を入れた精神科に舅を連れて行くことにした。夫が付き添うと聞き舅も観念したようで、当日は文句も言わず車に乗った。片道30分の道のり。いつも家のベランダから、遠くに眺める山がどんどん近づいて、ついに見上げる位置まで来た所にその病院はあった。老人病院といっていいが案外若い患者さんもちらほら。相談員との面談の後医師の診察になった。舅が持参した紹介状に目をやって医師は困惑気に「うーん。。。」薬が効かず、眠れないという舅に「そうですか…。 でもね、拝見すると、よく考えられた処方なんですよ。 私が作っても、たぶん同じになるでしょう。 年齢的に言っても、これ以上強い薬はだせませんしねぇ…。」同じような効き目を期待できる、別の睡眠薬にときどき変えてみてはどうか、という一言を入れて、紹介状の返事を書くからということで、結局、今までの病院に続けて通うように諭された。これまで6年間に渡って時には入院しながら、関係を築いてきた医師や病院との「いい関係」を崩すのは惜しい。ということだった。「いつもの病院で診てもらいながら 先生の言うことが、なんとなくしっくり来ないなんて時は 気分転換に、うちにいらっしゃいませんか。 お話は、伺いますよ。」新しい薬を出してもらえると思い込んでいた舅はそれを断られて、肩を落として家に戻った。で、今朝から食事の量がまた減った。春の逆スパイラル、第二段階が始まったようだ。問題は、舅が入院に踏み切るために預金を崩す気になるかどうか。昨日の医師からも、入院で気分を換えることを勧められた。私達が、お金を出してあげられればいいけれどとてもじゃないが、そんな余裕はない。第一、銀行に行けば、充分にお金はあるのだ。舅の考えひとつにかかっているのだが…。言って聞くなら、苦労しない。
2008.03.13
今通っている精神科が、どうしても気に入らないというじいちゃんの訴えを受け入れ少し山あいにある病院を受診することにしたのが先週金曜日。老人専門の総合病院で、精神科の初診には予約がいるという。電話をすると、今かかっている病院から紹介状をもらわないといけないと言われた。「同じ病院に、続けてかかられることをお勧めしますよ」という先生の言葉と一緒に。病院を変えたところで目を見張るような変化が現れるとは思えない。それは、誰でもわかりきったことだろう。しかし舅は、はりきって紹介状をもらいに行った。ちょうどその日は、末っ子が溶連菌感染症で幼稚園を休んだので夫が仕事を休んで、舅を今の病院に連れて行った。先生は、慌てず騒がず「いいですよ~」と書いてくれたそうだ。夫がこっそり「本当に申し訳ありません。またお世話になると思います…」と言うとわかってる、という風に、うんうんとうなづいたとのこと。ありがたい。今度行く病院はたいそうはやっているようでその日のうちには予約が取れなかった。結局、連れて行く私の予定などとの兼ね合いで明日12日に予約を取れたのだが…今朝、朝食の席に着きながら舅が言うのである。「明日は、新しい病院へは行ききらんごたる。」私「なんで?」夫「やっと予約を取ったのに…。」舅「具合の悪か…。」もしも~~し!具合が悪いから、病院に行くんでしょ?元気なら、病院には行かなくてもいいんでしょ?さあ、明日はなんとしてでも行ってもらわなきゃならない。さもなければ、舅の春の袋小路はいつまで続くか分からない。
2008.03.11
この週末姑は顔色もよく、一安心しました。私の仕事のことや舅の病院騒動その他諸々、今週のできごとを報告すると目をいきいきとさせて、話を聞きます。一方、姑の話を聞き取るときはやっぱり一苦労します。先週から、単語がぽつりぽつりと出てくるようになっているのでおそらく、姑なりに日々努力をしているのでしょう。それでも、言いたいことと違う言葉が口をついて出てきていったんその言葉が出ると何度も繰り返してしまう…。夫は、そんな姑の話の腰を、すぐに折ります。「あ、こういうことやろ?」と、早合点して、違うとなると「うーん。。。じゃあ、こうかな。いや、それじゃ話がつじつま合わないし… あ、そうだ、こういうことじゃないかいな!」と、一生懸命言葉を振り絞っている姑の横でうるさい、うるさい。「あ゛ーっ!!」「ちょっと黙っとかんね!」と、姑と私の二人から同時に言われて、シュンとします。その日、姑が言いたかったのは「K子が、私の部屋にソファーを置くと言っているが どうやって運ぶのか心配だ。 みさこさんが手伝ってやってくれないか。」ということでした。早速、義妹に電話で尋ねると「いやいや、あったらいいねぇ~、と言っただけよ~」とのことでしたが。夫には、その会話の一部始終がぜんぜん分からなかったそうです。自分の思い込みで、話を先読みしようとするからです。ところで姑に、舅が精神科を変えたいと言っているという話もしました。夫が「すぐ周りに転嫁しようとする。変わらないといけないのは自分なのに。」と言うと、姑は一言きっぱり「むり。」と。そうね。きっと、舅を変えるのは無理な話。できるだけ、本人の気の済むようにして穏やかに過ごさせてあげることくらいしかできません。
2008.03.09
若い頃、虚血性心筋症をわずらったことがある舅は近所の循環器科に薬をもらいに行く。私の車の送迎付で。歩けないというから、しょうがない。使わないから、そのうち、舅の足は退化するに違いない。昨日も、その病院に行かないといけないと言うので送り迎えをしたのだが家に帰り着いてすぐに、血相を変えた舅が「薬を取り替えてきてくれ」と言う。「薬局が間違えたの?」「いや…アモバンの7.5mgをくれとったい。10mgばもらわんといかん。」そこまでは、全くなんの疑いもなく話しをしていたのだが「いや、だいたい、俺が10ばくださいって言わんばならんやったと。 俺も悪いったい。」「???先生が、処方箋に7.5って書いたのかね。 いつも、10をくれるのに、今日に限って7.5をくれたの?変ねぇ…」「う…うん。。。」そこで、私が病院に行けば悪事がバレると観念したのだろう。「10は、精神科でもらいよるとたい。 7.5は、今度初めて循環器科で出してもろうたと。」「えっ? なに? 精神科でもらっている薬を なんで更にこっちで貰わんといけんの?」これだ。これこれ。舅の依存癖は、あらゆるものに現れるが一番やっかいなのが、この薬への依存。最初、ピンと来なかったがアモバンは睡眠薬だ。これを余分に溜め込んで、自分で好きに量を増やそうという魂胆だったのだ。そして、それこそ初めて精神科へ強制入院したときの理由のひとつだったのだ。ま~~~だ分からんかっ!ばか者めっ!!「とんでもない! これは、絶対にしちゃならん事でしょう?! 私にはできません。」舅は、哀れっぽい表情を作り両手を合わせて「お願いします、お願いします」と、私を拝む。。。姑は、これで落ちたのだろうな、と思いながらどっこい、こちとらただの“嫁”そんな泣き落としなんて、ちっとも胸に堪えやしない。「いいや。そればかりは聞かれん。 それでお互い、どんな目に遭ったか忘れたとね?」「とにかくお願い。お願いします。このとおり。」そういいながら、舅はフローリングに土下座する。哀れな姿を嫁にさらしてでも、睡眠薬が欲しいのだ。これ以上、何を言っても無駄だと悟り無言で薬をもって病院へ向かった。この病院に変えたのは、つい先月のこと。そのとき、舅は精神科で出されている薬のプリントを全て見せているはずなのだ。それなのに、舅から「アモバンを出してください」と言われたら「はい、どうぞ」と出すか?普通!と思いつつも、舅が睡眠薬を溜め込む習癖があること以前それで入院したことなどを話し精神科系統の薬は、ここでは出してくれるなと丁寧に、お願いした。続いて薬局に、薬を返しにいって同じように話したところ「まあ。。。」と言って、その日出された薬の処方箋を見せられた。するとどうだ。その日は他にも、安定剤と睡眠薬ばかり3種類も出されているではないか!循環器の医院でしょうよ。舅も舅だが、医者も医者だ。他の循環器を捜したいが、私が連れて行かなければならないとなると…はぁ~~、、、大変だ。
2008.03.07
今月は、私がべったり家にいるのでじいちゃんネタが山盛りです~♪自分の死期を悟ったとでも言うように朝から舅の「俺が死んだら」攻撃が続いております。「みさこさん、あんたに話しておかにゃならんことがある。」「はい、なんでしょう。」「俺が死んだらね、通帳がここにあるけん。」「うん。わかったよ。」「保険証書と、年金証書はここやけん。」「はい。了解しました。」「墓苑の使用許可書は、この封筒に入っとる。」「ああ、そこね。」「退職した会社から、弔慰金が出るけんね、ここに連絡して。」「はい、はい。」一通り、書類の場所を教えられて「保険金やけど、俺が死んだらK子に遣りたいんやが。」K子は、義妹です。うん。それはもう、「お好きなように」なんだけどわざわざ私に言わなくても、ダンナに言えばいいじゃない?と思いはしました。ある意味、それだけ私に気を許していると言っていいのか私には何を言ってもいいと思っているのか…ま、どうでもいいけど化けて出られては困るので「じゃあ、紙にそうしたいって書いておきぃよ。」と言いました。「書き方分からんもん」「内容さえ分かれば、どんな書き方でもいいってよ。」便箋をくれと言うので出してやって横について、一緒に文面を考えてやって封筒を用意してあげて保険証書と一緒にしまってあげて―「昼メシば食おうかの」「あ、そう? じゃあパンを切ろうかね。」「みさこさん。苦情を言うようじゃけんど」「はい。」「パンを触る前には、手を洗ってくれんかね。」「……洗ってます。いつも。ちゃんと。ご心配なく。」私をいったいナンダト思っていらっしゃるのでしょう (-_-メ)
2008.03.05
昨日、ドラッグストアで見付けました。 で、普段から、自分の汗臭さを気にしているお年頃の長男に 買って帰ったんです。 が 「くせえ…」 と、却下されました。 ヤッパリ薔薇の香りは、あんたにゃ早かったね。 だけど、よく売れてますよ~。 夜に、また用があって同じ店に行ったら、 だいぶなくなってました。 旦那から薔薇の香りがするのは… 私が却下。
2008.03.04
今シーズン、初めての本格的な雪です。春はなかなかきませんね~
2008.03.04
今日は、パソコンで舅の確定申告用紙を作成した。e-taxだと、色々とメリットもあるようだが今回は準備が間に合わないので、用紙を郵送する方法だ。姑の分の配偶者控除が受けられなくなったので追加で納税しなければならなくなった舅は、不満だらけ。生活していけないと言い出した。「あれがホームに入ってから、なんもかんもヒチャガチャ(めちゃくちゃ)やが。 金ばーっかりかかってからに。」「じいちゃん、生活が苦しくなった?」「当たり前たい。あれのホームのお金を出してやってから、年金いっぱいいっぱいやもの。」「何か困ったことがある? お金がなくて、食べたいものが食べられないとか したいことができなくなった、とか 行きたいところに行けなくなった、とか…」「それは無いけど だいいち、入院なんかもうされん! 入院せずに死なんばならん。」「入院せんばならんときは、貯金ば使えばよかやん。 お金は持って行けんとやし、生きてるうちに使わんばね。 貯金残して死んだらもったいないよ。自分のために、ぜーんぶ使ってしまわんね。」「全部使うてしまって、なくなったらどうするね!」「そげん簡単になくなりゃせん。年金は、毎月何万かずつ残っていきよるとやろ?」「そりゃそうたい。」「じゃあ、なーんも心配なかよ。お金は使うためにあるとたい。」ああ、ほんとに使うお金があるのに、なにをそんなに悩むのか。私にしてみりゃ、うらやましい限りです。
2008.03.03
今朝、舅が「みさこさん」と言った。私の名前を呼ぶときはたいてい、ロクなことじゃない。案の定精神科を変えたいという話。「あそこでもらう薬が効かんごとなったとよ。 飲んでも眠れんとたい。」「それを、先生に言ったと?」「言ったってダメやけん。」「…言ったと?」「言ったってダメやけん。」う~~む。得意のリフレイン作戦だ。こうなっては、のれんに腕押し、ぬかに釘。「そろそろ暖かくなるし、昼間少し身体を動かしてみたら? 起き上がるだけでも、だいぶ違うよ~。」返事はない。これまた大得意技。「あんたが、大野城に新しい診療内科ができたって言いよったろうが。」「あたしが? そんなこと言ったっけ?」「覚えんとね?」信じられないという面持ちの舅。「ふっふっふっ。 いろんなことが、い~~っぱいあったけんねぇ。 全部は覚えとらんよ。ごめんねぇ。 まあ、それじゃ調べてみよう。」毎年、春はこの調子。今年も、入院までのフルコース突入か?
2008.03.02
出勤シフトの関係で、2月をあと一日残してパート勤めが終わりました。事務所にいる間中最後の挨拶をするまで手に冷や汗をかき通し心拍数は上がりっぱなししまいには、胃まで脈打つ始末でつくづく、この職場に私の居場所をつくれないままだったことをひしひしと思い知ったのでした。若い頃から、何度か転職しましたが人間関係が原因だったのは、たぶんはじめて。でも、一緒に仕事をしていた方を恨むような気持ちではないんです。もともとは、私のトロさが招いた事態ですから。もし、私がもっとシャキッ、キリッと仕事をさばけたら彼女も、あれほど私に言う必要もなかったことでしょう。好き好んで、人に嫌ごとを言いたい人はいない…と思いますし。それでも、5時にタイムカードを押して「お世話になりました」と挨拶するとお子さんたちに、とお菓子をくださいました。「大変でしたよね、色々と…」という言葉と一緒に。「ほんと、お互いに。。。」といいながら、なんだか感無量でした。辛かったけど、濃い3ヶ月半。トロいながらも、がんばった。会社にしてみりゃいい迷惑だったことでしょうが私にとっては、いい経験でした。
2008.02.28
週末ごとに姑に面会に行く。主治医が驚くほど、病気の進行は早く週1回の通院リハビリにもまもなく通えなくなるだろうとのこと。ケアハウスで、積極的に身体を動かそうとしているからどうにか座っていられるが普通なら寝たきりになっていてもおかしくない状態だそうだ。スタッフの手厚い介護に感謝する。言葉もいよいよ出なくなってしまった。「ん…」「あ…」という音を、途切れ途切れに発する姑の表情を読みながら「じいちゃんのこと? 違う?」「お金のこと? …そう? …ちがうね。」などと、予想できる話題の糸口を探り当てるまで根気良く付き合うしかない。その中で、よどみなく出てくる言葉が「じいちゃん」そして、「みさこさん」スタッフを呼ぶときにも、口から出るのは「みさこさん」。姑がふき出しながらそう言った。「まあ、光栄なことだわねぇ~」おどけて返事しながら、私は胸がちょっと痛む。
2008.02.25
このブログで何度か大騒ぎした、営業事務のパートを今月いっぱいで辞めることにしました。降参です。惨敗です。お手上げです。もう1人の事務員さんと毎日一緒に出てい最初の一ヶ月こそ、それなりに、日常会話を交わすこともありましたが交代で出勤するシフトに切り替わった後は連絡ノートに書かれているのは、私が1人で出た日に犯したミスの指摘だけ。週に一度、出勤が重なる日に彼女が発する言葉も、私のミス指摘だけ。それもキツイんですよ、これが。そのほかには、一切言葉を交わすことがなくなってしまいました。それだけ私の仕事覚えが悪かったと言われても仕方はありませんがこれでは悪循環だと、言い訳したくなりもします。まあ辛うじて、言い訳はしませんでしたが。それで「ごめんなさい。もう無理です」と言って辞めることにしました。姑をケアハウスに入れたときライター業に本腰を入れることに自信が持てず他に手っ取り早い仕事がないかと、ふいっと逃げた結果です。まずは、ライター業を充実させるようもう一度、初心に戻ります。事務のエキスパートにならなくていいから、ライターとしてがんばれと言ってくれたふくちゃん悩んでいる最中に、やりがいのある仕事を振ってくれたAN-ARTさんライターになるという夢を、最初に本気にさせてくれた松尾祐見子さん存在感でおしりに火をつけてくれる杉山弘道さん一生の仕事と思うなら突き進めと、大先輩のU平さん。決してやめるなと、実家の母。ありがとう。きっとすごく大変だけど、がんばるよ。■自分に嘘をついちゃいけません。
2008.02.22
夕方7時半ごろ、姑が入所する老人ホームのケアマネさんから電話があった。最近、姑が情緒不安定とのこと。今日は、スタッフと話をしながら泣き出したらしい。家にいるころから、毎週通っていた通院リハビリに今もホームから、スタッフに付き添われて通っている。何があってもひたすらに。だけど、確実に動きも言葉の出も悪くなってきている。それを自覚するせいかどうか苛立ちを隠せないことが多くスタッフが思い通りに動いてくれないと怒るという。2月19日に、ホームに美容師さんがやってくるが姑はそれでは遅いと言い張ると。では、個人で美容師を呼ぶというのか…とにかく、顔を出してあげてください、というケアマネの言葉は気遣いに満ちていてありがたい。しかし、正直なところ複雑な思いもある。週末ごとの面会は、けっこうギリギリのペースなのだ。いつでも行ければいいのだがはやり、そうはいかない。一度、こういうことで飛んでいってしまうとこれから先、事ある毎に呼び出されるのではないかという不安がよぎる。実際、家にいるころはこの調子で、姑のペースに巻き込まれて身動きがとれなくなった。動けないから、話すことができないからできることならやってあげたいのだけれど、というこちらの気持ち…動けないだけに、話すことができないだけに他人がいくら助けても、満足できない姑の気持ち…本当はどこまで行っても平行線の二つの気持ちにお互い折り合いをつけるしかない。病気と老いが、姑にそれを忘れさせなければいいのだけれど。
2008.01.31
高校男子の息子の仲間内で「すべらない話」が流行っているらしい。松本仁志の、あの番組よろしくみんなで「すべらない話」大会を開いたらしい。で、みんなで仲良くすべったらしい。「あぁ~~。なんか滑らん話は無いかいな。大体、うちの家族は面白みがない。」って、自分の家族で笑いを取ろうと思ってたのかい。あ。いっぱいあるじゃない。じいちゃんの話、ウケると思うよ。「ご飯の骨とか?」そうそう。「ポットのお湯を今朝増やしたのに、なんで夕方に減ってるんだ、とか?」そうそう。それから、万年床の話とか。「そりゃ、ヒクやろ~」まあまあ、じいちゃんを観察してごらん。面白いよ~~~ただし『愛情』を持った目で、観察しなきゃ面白さは見えないよ。息子は苦笑いして首を振る。ま、しょうがないか。煮ても焼いても食えないもんなぁ。このじいちゃんは。
2008.01.29
無理が効かなくなった。ちょっと前まで、一週間ぶっ続けで睡眠時間3時間なんてザラだったけど今は、パソコンの前に座るだけで精一杯。これでは仕事にならない。ここはいったん寝るべきか。それとも、なんとしても目を覚まして原稿を書くべきか…。「トムとジェリー」のトムみたいに上まぶたと下まぶたを、マッチ棒でつっかえ棒にしたらいいかしら。そういえば、今、マッチ棒って見かけない。さしずめ、綿棒か?いや、ちょっと長すぎるかも…あぁ。いったん寝よう。そうそう。それがいい。これじゃほんとに仕事にならない。。。
2008.01.27
久々にじいちゃんネタを。舅の昼ごはんは、パンと牛乳。これは手がかからないし、置いておけば自分で食べるので仕事に出だしてからは、特に助かっている。お好みのパンが何種類かあってそれをとっかえひっかえ買って置いておく。一袋に4切れ入っているミルクブレッドもそのひとつ。ある日の夕方、仕事から帰ってみると4切れ中、一切れだけ袋に残っているミルクブレッドがパンのかごに入っていた。舅がその日の昼食を残したらしい。お腹がすいていた私は、それを袋からつまみ出して食べながら夕食の準備に取り掛かったのだった。数日後。その日、パートが休みだった私は同じミルクブレッドを、舅の昼食用にテーブルに置いて居間で原稿を書いていた。お昼になり、すぐ横にあるダイニングテーブルで舅がパンを食べだした。そちらにふと視線を移した私は、絶句してしまった。舅は、口を破ったパンの袋に鼻先まで突っ込み中にあるパンをもぞもぞと食べている。食べ進むにつれて、袋が舅の口の周りでシワシワとたくし上がって鼻息で、袋の内側が白く曇っていく…。私は思わず目を背けた。なぜ?なぜ?普通は、パンを袋から出して、手で持って食べるよね?なぜ、口の方を袋の中に突っ込むの?同時に、私は数日前に自分が食べた舅の食べ残しのパンのことを思い出した。きっとアレにも、舅の鼻息が思う存分振りかかっていたのだ。くるくると丁寧に袋の口を閉じてあったがあの袋の内側には、舅の唇が満遍なく接触していたに違いない。げっそり。間接●●?あぁ、げっそり。数分後、舅が席を立った後のテーブルにはあの日と同じに、袋に一切れだけミルクブレッドが残されていた。パンに罪はない。捨てることはできない。お腹をすかせた4人の子供の誰かがこのパンを食べてくれますように。。。私は、そう祈ったのだった。
2008.01.26
お久しぶりです。パート先で毎日毎日、徹底的にダメだしされてなんだか自分の今までの人生全てが意味の無いものだったんじゃないかと思ってしまったこの10日間。…辛かったぁ~~…。で、言っちゃいました。辞めるって。そういう訳にもいかないだろうとは思いつつも。だって、そんなことしたら会社は大損ですもんね。こんな私にでも、大変なお金と時間と労力を使っているんですから。でも、「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と冷たくあしらわれるかと思っていましたが意に反して、懇々と説得されました。まだ2ヶ月じゃないか(でも、もう2ヶ月も経ったのに…と言われるもん)入ったころと比べたら、だいぶ仕事の流れは分かっているだろう(そりゃ、2ヶ月前と比べればね)1年後にちゃんとできるようになっていればいいから(そんな悠長な雰囲気じゃないんですけど)今辞めたら、ずっと引きずるよ。(それはそうだろうな)逃げるのはいつでもできる。(確かに)あなたはまだ頑張れる。(うーー・・・)うちには、あなたが必要です。辞められては困る。(・・・・・・)子供を諭すように、諄々と説得されました。お恥ずかしい限りです。厳しいことは言うけれど、言われるうちが華だよ。もっと大きな会社に行けば、だれもこんなに教えてくれないよ。ここで仕事を覚えることは、あなたのために必ずなる。ラッキーだと、考え方を変えるんですよ。とも言われました。おっしゃるとおりです。考えたら、正月休みも、成人の日にかかる連休もダンナと子供をほっといて、ひたすらマニュアル作りに費やした…それなのに、今辞めるのは、やっぱりもったいない。で、「辞めたい」と口に出したせいでしょうかなんだかすっきりしてしまったので、頑張ることにいたしました。ようやく、仕事が身についてき始めたようだし。煮詰まったら、吐き出すことをお勧めします。それにしても「そんなに自分を追い詰めなさんな。言われたことも、右から左に流す部分があっていい」って、そんな器用なことはなかなかできない。見た目ほど、お気楽じゃないんですのよ。
2008.01.21
なかなかPCの前にゆっくり座れませんが元気です。 今、昼休み。 パート、なかなか慣れません。 午後は、何を怒られるやら。 私、事務には向いてないです。「きっと引き継ぎかたが悪いんだわ…」と、悩ませてます。 スポンジのような脳みそが欲しい。
2008.01.10
一昨日と昨日の二夜連続でのだめカンタービレに見はまってしまった。。。一夜目は、千秋が二夜目は、のだめがそれぞれ壁にぶつかって挫折を味わいながらも大きく成長する話。やっぱり、売れてるドラマってシナリオがすばらしいなぁ。おチャラけているようでしっかり、心の機微が書き込んである。こんな風に、自由自在に話を組み立てられたら楽しいだろうな。原作のコミックは読んだことがないけれどこれだけの話を描くためにはどれほど取材したのだろう。昨日、のだめがぶち当たった「なんのために」という壁…22歳の、のだめにとっても42歳の、私にとっても実は忘れてはいけない、自分への大事な問いかけだと思う。「じゃあ、日本に帰りなさい!帰って、好きな曲を、好きなように弾いていればいいわ!」のだめが、教官にそう言われたとき、胸が痛かった。逃げるのは簡単。「なんのため」が自分の中にあればこそ踏みとどまれる。願わくば、のだめが苦しんで苦しんで、その壁の乗り越えたように今年は私にとって、一歩前進の年にしたい…などと、新年明けて1週間も経ってから書くのもどうかとも思うけど。それにしても、ドラマの間ずーっと流れていた曲たちのなんとすばらしかったこと。玉木宏のあの指揮は、そうとう練習したんだろうね。最後、泣きながら指揮棒を振っていたけどあのオーケストラの前に立てるなんて俳優って、売れれば幸せな仕事だよね~。
2008.01.06
姑から、差し入れのご要望。・インスタントコーヒー・ティーバッグ・砂糖・ミルク・通院リハビリの診察券・パズル姑は、人生を投げていない。脱帽。
2008.01.04
年末に、所長から出された宿題…仕事のマニュアルをワードで作って一月中に提出する一月中といわれても日常の生活が始まってしまってはまた忙しさに押し流されるに決まっています。正月休みの間に作ってしまおうと意気込んでみたものの…3冊のノートに、ところかまわず殴り書きされたメモをどうやってまとめたらいいんだか。。。頭痛いです。昨日と今日で、少しずつ作ってはいるけれど全体の何割できたんだか。はぁ~~休みはあと3日。ライティングの方も、締め切りや修正が迫っているし結局、正月からバタバタですね。こりゃ、今年も思いやられる。なんか、年が明けてから愚痴ばっかりだわ。ごめんなさい。
2008.01.03
昨日、遊びに来た義妹たちからお土産に、缶の箱に入ったおせんべいの詰め合わせをもらいました。「これ、買ったときから賞味期限切れだったんだ…ごめんねぇ~~」という言葉とともに。うーん。。。理解不能です。どうすれば、そんな状況になるのでしょう。こういう場合、笑うしかありません。その場で賞味期限を確認するのもなぜか悪いような気がしてそのままお仏壇に上げたのですが今日、見たら12月16日が期限でした。お仏壇に上げておくのも申し訳ない気がしたので、下ろしました。うーん。。。やっぱり、理解不能です。なぜ?なぜ?こういうことになるの?っていうか、賞味期限が切れていると分かっていながら持ってくるものだろうか。普通。ひとつ食べてみるところが、みみっちい私らしいところです。別に、なんともありません。おいしいです。だから、食べるけど。なんとなく腑に落ちない。うちは、馬鹿にされてるのか?と、思ってしまいますねぇ。以前、お歳暮セールで店から、同居する前の姑に贈ったハムの消費期限が着いたその日だったことがあります。すぐに姑から電話がかかってきて私は、あわてて店に電話をして送りなおしてもらい姑に平謝りに謝りました。その後、何年も、お歳暮の季節のたびに姑の思い出話として聞かされましたよ~~。「賞味期限が切れたハムが送ってきてびっくりした」って。でも、もちろん私は義妹にはいいません。だって、あっちは確信犯なんだもん。言いようがない。姑は、ちょっと子育て間違えた?今となっては、義妹に教える人は誰もいません。言われるうちが華です。私も気をつけよう。
2008.01.02
本年もよろしくお願いします。さて、今年のお節です。この中で自分で味つけしたのはエビだけ…便利ですね~(^。^;)今回は手抜きのきわみです。「来年は、余裕を持って準備したいなぁ。」と言う私に、長男が「いっぺんやったら、おしまいやろ」いいや。来年は、真心こめて手作りするって。見とってんしゃい。息子め…親を見透かしおって。
2007.12.31
ご飯に骨があることをご存知だろうか。それは、稀におかゆに炊いたご飯の中から見出される。とはいえ、だれでも見つけられるものではない。極、限られた人間にしかその姿を現すことはないのだ。たとえば――うちの舅。お米をといで、1時間以内におかゆを炊いたときまたは、普通に炊いたご飯を、二度炊きしておかゆにしたときご飯の骨は、舅の口の中で厳然とその姿を現す。しかし、ほかの家族がいかにそのおかゆを口に入れようとも恥ずかしいのか、決して現れることはない。「80近くなれば、あんたたちにも分かる」という舅の発言に対し中学2年生の孫娘の見解は「ご飯に骨は、ないっ! 80歳になっても、私には分からん! 私は、そげなおばあさんには、ならんっ!」である。舅も、この娘の発言に対しては言葉を失いただ苦笑いするにとどまるのみであった。
2007.12.27
知り合いのブログから転載です。--------------------------------------------------「 緊急!みなさんの力をお貸し下さい! 〓『◆捜索願いです◆』〓 12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です... 横浜市都筑区東山田 (港北ニュータウン)在住 岩田和輝(いわたかずき)君 皆様の力を貸して下さい。 お願いします... ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 良かったら、この日記をコピーして、貼り付けて日記を書き、 バトンのように回して頂けると、捜索出来る範囲も広がると思いますので、皆さんご協力を! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 詳しい内容は以下のHPを見てください。 http://ns.mediagate.co.jp/kazukikun/都筑警察署:生活安全課 TEL;045-949-0110 --------------------------------------------------私のブログの記事でどれほどの力になれるのかわかりませんが。。。私にも発達障害を持った甥っ子がいます。テレビのワイドショーで言っていた和輝くんとおなじような、特徴的な反応を示します。それだけに、ご両親の心配を思うと胸が痛みます。和輝くん、どこでどうしているのでしょう。
2007.12.27
毎週末に、姑のいるケアハウスを訪問するとたいてい機嫌よくすごしている。なかなか調子はいいようだ。相変わらず、意思ははっきり持っているのであれこれと細かい指示も飛ぶ。ケアハウスの支払いは、心配ないのか…あの人に、これとこれを詰め合わせてお歳暮を…そして帰ろうとする私たちに「いつも母がお世話になっています」と、スタッフに伝えないとだめよ…。「わかっとる。子供じゃないっちゃけん。俺をいくつだと思っとーとね。」ムスッとする主人は、そうは言っても大人気ない。先日、面会に行ったときお正月はどう過ごしたいか聞いてみた。入所する前、「お正月やお盆には、外泊で帰ってきたら」と言ったのは私。本人も、きっと帰ってきたいに違いない。そう思っていたが、返事は以外にも「家には帰らない」姑がケアハウスに入所すると同時にレンタルしていたベッドは返している。実際、うちへ来ても疲れたからといって横になることもできない。介護も、家ではプロのようにはいかないだろう。どこの家庭でも、同じような理由があるのかお正月だからといって、自宅に帰る人はほとんどいないという。姑の返事を聞いた夫は、複雑な心境だったようだ。しかし、もし正月に帰ってきても世話をする自身がなかった私はホッとしたというのが、正直なところだ。
2007.12.25
事務のパートに出始めて1ヶ月が過ぎた。研修期間が終わって、今週から週三日の出勤だ。今日はパートはお休み。家で原稿書かなきゃ。。。といいつつブログをうろついている。40を過ぎてから、まったく新しいことを始める大変さを実感している。私が結婚で退職すると決まったときに、私の仕事を引き継ぐために入ってきた40過ぎの女性のことが思い出される。何度言っても、教えてもまるで始めて聞いたような顔で「あぁ、そう?」と言っていたオバチャン。…それが今の私なのだ。1カ月間、毎日のように「何度もお伝えしましたよね。ノートに書いていないのですか?」と、怒られ続けた。それでノートをひっくり返すと、確かにメモが書いてある。まるで初めて目にするような気がするそのメモは確かに私の字で書いてあるのだ。。。情けない思いで、正直泣けてきたことも数度。でも、ここを乗り越えなきゃ先へは進めない。好きなことだけして生きていけるほど今の生活は甘くない。仕事に出て、収穫もあった。うちのダンナとほぼ同世代の所長が、仕事をする姿を見たことで外で働くダンナへの感謝といたわりの気持ちが自分の中に芽生えたことか。まったく業種が違う仕事だが男には7人の敵、という言葉がなんとなく分かった気がする。それから、もう一つ一ヶ月で3キロ痩せた。それでも、所長から「あなたは、これくらいのコトでへこたれないみたいだから」と言われたのは褒め言葉だと思っておこう。
2007.12.20
すっかりブログから遠ざかってます。子供たちは、クリスマスだお正月だと浮かれてますが、親は日々に忙殺されてます。心穏やかな年の瀬を迎えられるまで、あと何年かかるかしら…(∋_∈) 写真は、末娘が幼稚園で作った「かお」。 おとぼけ顔が、癒してくれます。 でも、本人は飾りたくないそうで。 怖いんだって(^m^)
2007.12.20
子どもが通う空手道場の忘年会がありました。二次会で、先生行きつけのスナックに連れて行ってもらって巨峰カルピスチューハイを一杯。それから、カラオケを二曲ほど♪これと涙そうそうこれ松田聖子『瑠璃色の地球(UGAカラオケ動画)』89点と、86点でした~~。90点だったら、カラオケ10曲無料で87点だったら、ビール1本サービスだったのに…まあ、人生とはこんなもんです。。。( ̄ー+ ̄)久しぶりに歌って、ちょっとすっきり。だけど、2曲じゃ消化不良だよね?あゆママさん( ̄ー+ ̄)
2007.12.02
6歳・4歳・1歳と、専業主婦で三人の子育てに追われていた頃近所のおばちゃんの「今が一番幸せなときよ~」という言葉を「そうですかねぇ~~」と言いながら人ごとだと思って…と内心、ちょっぴり苦々しく感じていた。ベビーカーがいらなくなったら手をつながなくてもよくなったら幼稚園に入ってしまったら小学校に上がったら…私はあんなこともしようこんなこともしよう…そう思いながら、毎日必死だった。4人目がまだ4歳だとはいえ幼稚園に夕方6時まで預けて外に仕事に出だした今。結局、何かに必死な毎日を繰り返している。昼休みに夕飯の買い物を済ませてしまおうと会社の近所のスーパーに行ったら店から出てきた親子連れ。一人をベビーカーに乗せ一人の手を引いて信号待ちをしている若いお母さん。横断歩道のこちらから、その様子を見ていて涙が出そうになった。なんと、しあわせな光景だろう。過ぎてしまってから気づくとおばちゃんたちが、口をそろえて言っていたことが今やっと分かった。親子がまとった柔らかい空気は光さえふんわりと集めているようだ。私も昔、あんなふうに温かく輝いていたのだろうか。時間を巻き戻して、もういちどやり直せたらもっと優しい、きれいなお母さんにきっとなるのに。懐かしさと、ちょっぴりの後悔で胸が少しうずいたのだった。
2007.12.01
洗濯機が壊れた。まだ買って2年なのにこれで2回目。ふたが開かない。縦型ドラム式で、コンピューターがバリバリ内臓されているから自分ではどうにもならない。修理も混んでいるとかで土曜日に洗ったものが、まだ閉じ込められている。今日の夕方、ようやく修理屋さんがくるけれど舅のお風呂の時間に重なってしまう。どうしたものかと、昨日から家族で話は紛糾。早く舅に風呂に入ってもらって修理が来る前に終わらせては?だから、娘に、部活をせずに早く帰ってきてじいちゃんのご飯を出してやれ、、、とか修理が終わるまで、風呂に入るのを我慢するように舅に言う? とか。いっそ、風呂に入れない?とか…で、。。----------------------------------…で、舅に「どうする?」と聞くしかないと。そしたらあなた。「修理と風呂が重なってもいい。」だと。ん~~ってことは、修理屋さんの前をスッポンポンで歩こうと?そういうことなのだ。うちの舅の場合。ここから先を議論しても不毛なので「あ、そう。」で話を終わらせた。「毎日、洗濯物を洗いすぎるから壊れるとたい。あんまり毎日、洗いすぎばい。」と、舅。あの、洗濯機は洗濯するためにあるんですが。そりゃ、7人分の洗濯物だから一日最低2回は洗うけどそれがダメなら、何のための洗濯機なんだ~。それを、「毎日着替えるな」?そりゃあなたのおパンツは、さぞお奇麗でございましょう。なんせ、何日も履いておられますもの。。。結局、修理が思いのほか早く済んで修理屋さんはスッポンポンに遭遇せずに済んだ。それにしても、なんでこんなバカみたいなことで悩まなくちゃならないんだか ┐( -"-)┌『激安!秋得々SALE開催中』サンヨー【電解水で洗おう】縦型10kドラム式洗濯機AWD-E105ZA-S★送料無料!【AWDE105ZA】おー。。。10キロか。でもドラム式は、なんかもう、いいかも。
2007.11.27
姑がケアハウスに入ってから舅は世界の中心ではなくなった。良くも悪くも姑は、全てにおいて舅を立て舅を中心に考えていた。風呂も、食事も、まずは舅の用意ができているかどうか。なかなか歩けなくなってからも下手したら這ってでも「じいちゃんのごはんは…」と確認しに来ることもあった。8人家族の中で小さな小さな、2人だけの世界があって姑は、その世界を我が家の中心に据えて考えているようだった。舅はその、姑が創り上げた世界の真ん中で自分のことだけ考えて生きていればよかったのだ。今も、変わらず舅が一番風呂に入るまで、誰も風呂には入らないし何をおいても、舅の食事の準備だけは時間どおりに用意している。しかし、みんなの気持ちの中心に舅はいない。その微妙な雰囲気は、結構舅にとって堪えるようだ。今日の夕食は半分しか食べなかった。「胃がもたれる。食欲が無い。」さあ、おいでなすった。このまま食欲が回復することなく2週間後に入院…か?
2007.11.24
今日から三連休、ほんとは休みたくなかった…だって、昨日頭に詰め込んだ仕事の手順が3日後に脳みそに残っている可能性は限りなく0に近い。「理解できていないことを、『はい、分かりました』と言わないでください。」というのは、昨日言われた言葉。まずは、毎日必ずこなさなければならない事務処理をすっかり覚えてください、ということでその方がされることを、横にピッタリくっついて見ながら聞きながら、メモをとる訳だけどそれはそれは、めまぐるしく仕事が進んでいってメモも追いつかないし、頭も回らない。。。しまいに、「はい。」を連発してどうも、相手に全部頭に入っていっていると誤解させたらしい。。。「嫌味じゃなく」頭がいいんだなぁ~、と思ったらしい。メモもとらずにはい、はい、言うもんだから。「こっちは『分かりました』と言われたら、分かったものとして理解するんです。それなのに、何度も同じ事を聞かれるのは堪りません。」って怒られたのなんのって。はぁ~~~。。。すみません。「分かりません」と言わないのは、癖でもあります。在宅で請け負いの仕事するとき、「分かりません、できません」は禁句といってもよかったので…。「分からないなら、分かる人に頼むからいいです」で、おしまい。だから意地でも「分かりません」とは言わずに後で一生懸命調べて理解して…ということが日常でした。でも、決まった仕事をそっくり覚えるのと過程はどうであれ、納期に仕上げて納めさえすればいいのとではそりゃ違いますよね。意識を変えないと。
2007.11.23
仕事に行きだして数日が経った。脳ミソに冷や汗をかきながら、私は日々奮闘している。舅は、昼間どう過ごしているのだろうか。もともと部屋にこもって、一日、口をきかない人ではあるがそれになおさら磨きがかかっている。「おはよう」「いってきます」「ただいま」私が舅に必ず話しかける三つの言葉。下手したら、この三つの言葉以外に、舅との会話(?)はない。先日の日曜日、姑のケアハウスに舅も一緒に面会に行った。部屋で座っていた姑の横に椅子を置き、舅に勧めると姑に一瞥もなく、スッと離してムスッと座る。それでも嬉しそうな姑。2時間ほどいたが、とうとう一言も交わさず(姑は、何か言いたそうにしていたが、なかなか言葉にならない)帰るときに姑がやっと声にした「ありがとう」に黙ってうなづいたのみ。あまりにも何も話をしない舅がいったい何を思っているのか、ふと気にかかる。姑が入所する前「寂しくなるね」と舅に声をかけると「しょうがない。」と返した舅。姑が行く前と行った後で、はた目には何も変わらないようだがやはり寂しいのだろう。このまま、石のように黙ったまま一生過ごしていくのだろうか。【みざる・いわざる・きかざる】
2007.11.20
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