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私の情報探知能力がそれほど高くないせいかもしれないが、最近の日本では良いニュースというのがとても少ない。そのせいか、いまや普通のニュースが良いニュースに思えてしまう。 その一つに「「黒い雨」訴訟 84人全員被爆者と認める 広島地裁判決」(7月29日付け中國新聞電子版)というニュース速報があった。広島に原爆が投下された後に放射能を含んだ「黒い雨」が降って多くの人が被曝したことは、井伏鱒二の小説『黒い雨』に描かれたこともあってよく知られている。しかし、同じように健康被害が生じているのにその雨が小雨だったという理由で被爆者手帳を交付しないのは違法だとして広島地裁が広島市と広島県に手帳交付を命じる判決を下した言うニュースである。 もともと黒い雨がどの地域でどの程度の強さで降ったのかという知見に信頼性がなかったにもかかわらず強引に線引きしてしていて、健康被害に対しては放射線障害によるものではないとされていた。このような根拠のない線引きで救済すべき人たちを切り捨てるという手法は、ヒロシマばかりではなく66年後のフクシマでも無反省に行われている。 この判決が黒い雨による放射能被曝から75年も経てから出されていることにいまさらながら唖然とする。この訴訟を起こした84人のうち9人はすでに亡くなっている。原爆、原発、放射能は宿痾のように日本人にしがみついているように思えてしまう(単に、政治的な犯罪に過ぎないのだけれども………)。 もう一つのニュースは、「同意なく被ばくデータ使用の論文2本を撤回 早野東大名誉教授ら執筆 」(7月31日付け東京新聞電子版)である。 福島県立医大の宮崎真講師と早野龍五東大名誉教授は、福島原発事故後の伊達市民のガラスバッジによる個人線量測定データと内部被曝線量データを用いた論文を2編発表していたが、それらの個人情報を同意がないまま使用し公表した倫理違反を犯したばかりか、データの数量的取り扱いにもいくつかの誤りを犯したまま伊達市民の放射線被曝はきわめて低いという結論を導き出していた。 その2編の論文は、放射能被害を小さく見積もりたい政府にとっては好都合で、いわば安倍自公政権の神髄たる「忖度」を絵にかいたような論文となっている。この「宮崎早野論文」事件は当ブログでも3度ほど取り上げ、私の考えをすでに書いているので再掲しておく。 「宮崎早野論文」はそのインチキさにおいて事態の深刻さは計り知れない。70パーセントの人が家に置きっぱなしだったガラスバッジのデータを使って「被曝線量はとても低くて問題ない」という結論の「科学論文」を書いて政府・行政の判断をミスリードしたのである(もちろん、政府・行政サイドはミスリードされたがっているのだが)。 科学論文なのに、データにまったく信頼性がない。加えてデータ処理(計算)が間違っていたと著者自身も認めている。つまりその「科学性」はほとんど皆無なのである。その上に、個人データを許可なく使用したという重大な倫理違反まで犯している。「何をかいわんや」である。 このような科学者はほんのわずか(なはず)だが存在している。ごくまれに科学的実力以上に評価されたい、高い地位を得たいと科学とまったく無関係な欲望につき動される科学者がいるのは残念ながら確かである。「宮崎早野論文」がその典型的な事例である。 宮崎早野論文は「Journal of Radiological Protection」という専門誌に掲載されていたのだが、その専門誌が論文2編とも撤回すると発表した。それに伴い、福島県立医大はその論文の内容を含んだ内容で取得した宮崎講師の博士の学位を取り消した。 このような結果になるだろうということは予想していた。政治とは異なり、少なくとも自然科学の領野では捏造、隠蔽、忖度によってでっち上げられた業績が生き延びた例はないということは、経験的には知っていた。とはいえ、物理学を職業として生きてきた私にとって、「宮崎早野論文」事件がどのように治まるかは気がかりではあった。未曾有の「非知性」政権下では捏造科学論文も生き延びるのではないかと、一抹の不安はあったのである。 科学論文ではこのような結末になることは当然なのだが、そのニュースが「良いニュース」に思えてしまうことが情けない。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/7/31 18:22~18:36) 久しぶりの青空のような気がする。いつもと夕方の明るさが違うのである。撮影条件を気にせずカメラのシャッターが押せる(かと言って、いい写真が撮れるわけではないのだが)、そんな気がするほどである。 主催者挨拶もフリースピーチも、東北電力女川原発2号機の安全性を検証する宮城県の有識者検討会が7月29日に最後の会合を開き、検討結果を県知事に提出した話題である。 知事は、この報告を女川原発再稼働判断のよりどころとしたいようだが、検討会は女川原発2号機が安全だという結論を出してはいないし、事故時の避難計画についてはまともな議論もしていない。いわば、典型的な県のアリバイ作りのための忖度会議だったのである。 そのほかに、「黒い雨」裁判や、フクシマ避難者の裁判の報告・告知などがあって、25人のデモは元鍛冶丁公園を出発した。一番町。(2020/7/31 18:36~18:43) デモが一番町を通ると、先週と同じように「なまはげ」が立っていて、デモに向かって小さく手を振ってくれた。その時、私はデモの後方で撮影していたので、手を振る姿をカメラに収められなかったが、異形の大男のその小さな身ぶりがとても「かわいらしい」のだった。青葉通り。(2020/7/31 18:46~18:52) 昨日の午後、妻が左手の橈骨骨折で手術を受けた。病院での手術の事前説明と術後の経過説明のときは病棟に入れてもらえたが、それ以外はコロナウィルス感染予防のため面会禁止とされている。 それで少しばかり解放気分を味わっていたが、「あれを持ってこい、これを持ち帰れ」という指令電話は容赦なくかかってくるのである。病院の玄関口で指定された時間に荷物の受け渡しを引き受けてくれるのである。荷物にコロナウィルスが付着していたらどうするんですか、とクレームをつけて病院通いをさぼるだけの勇気は私にはない。 そんなことを考えるデモ帰りの日暮れではある。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.07.31
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日本という国がかつて科学技術で先進国家であったことは事実だが、現在は泣きたくなるほどの凋落の道を辿っているのは様々な局面で明らかになっている。テレビなどのマスコミで「日本すごい!」レベルの報道が多くなったのは凋落と軌を一にしているのは当然である。自分で自分を騙る以外に、気が休まる方法がないからである。問題なのは、多くの日本人がまだ日本は先進国だと信じているらしいことである。 そんな日本の現状にあたかも傷口に塩を擦り付けるようなニュースが7月17日付け日経電子版に掲載された。「日本すごい!」という迷妄報道の先頭を走っているような日本経済新聞の報道である。 「遠い「最先端IT国家」 20年前宣言、現実は10位以下」という記事だ。2019年におけるIT関連の国際競争力で日本は世界の12位だったというニュースである。日本政府は20年前に「5年以内に世界最先端のIT(情報技術)国家となる」と宣言したうえに、2020年の経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)で「社会のデジタル化」を柱にしているにもかかわらず、である。韓国、エストニア、デンマーク、シンガポールにはるかに及ばないのである。 20年前の2000年の日本の宰相は森喜朗衆院議員で、彼はIT(情報技術)を「イット」と呼んで日本中に苦笑と嘲笑を巻き起こした。ごく最近は、安倍内閣では、パソコンの知識がまったくないというよりパソコンに触ったことすらない大臣が「社会のデジタル化」政策を管掌していた。IT関連の国際競争力が凋落こそすれ、強化されることはもともと絶望的なのだ。 ITに詳しい官僚もいるだろうが、いまや官僚はそのような無知な政治家に忖度することに力を注いでいるらしいので、これも期待できない。政治家の不祥事の後始末を下級官僚に押し付けて、その死を踏み台に出世する官僚たちが跋扈しているのだから………。 「科学技術立国」などという言葉があったが、まだ生き延びているのだろうか。政治家以外に今でもそんな実体のない言葉を使う人間がいるのだろうか。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/7/17 18:15~18:36) 曇ってはいるが、雨の心配はないようだ。元鍛冶丁公園に着くと、スタッフの一人が私の手にアルコールを吹きかけてくれる。「多い方がいい?」というので「たっぷりと」と答える。「多すぎると文句を言う人がいる」そうである。 午前中にやっと再開した町内会行事があった。いつもはその行事には出ないのだが、初めの方だけ顔を出した。体温測定やアルコール消毒などのコロナウィルス対策がマニュアル通りにやれているか、マニュアル作成者としては心配だったのである。私のマニュアルでは、15秒以上両手で揉みこむことができる量のアルコールと決めている。いずれにせよ、少ないより多い方がウィルス対策としてはリスクが小さいはずである。 フリースピーチは、「女川原子力発電所に関する住民説明会」について何人かが話した。宮城県は、8月1日から女川原発近郊の市町村7ヶ所で「原子力災害に関する緊急時の国、県、市町等の対応について」の説明会を開催する。説明するのは、原子力規制庁、内閣府、資源エネルギー庁の役人と東北電力の社員である。 しかし、宮城県も国も女川原発の事故時の緊急避難計画の不備についての市民団体からの質問に答えることを拒否したままである。答える必要性がない、というのではなく、おそらくは合理的な根拠に基づいて答えることができないのだろう。 二日ほど前、テレビのワイドショーに出演した自民党の国会議員がコメンテーターから「GO TO キャンペーン」の不合理を問い質されていたが、最後には「頑張ってやっているのですからどうかご理解いただきたい」という絶叫の連呼でしか答えることができなくなっていた。根拠が十分で合理的な説明ができないとき、「ご理解いただきたい」と大声で喚きちらすのはこれまで何度も見てきた自民党政権の姿である。 たぶん8月の住民説明会も「ご理解いただきたい」の連呼で終わるだろう。それよりも何よりも、宮城県のコロナウィル感染症発生は県が定めた「みやぎアラート」のレベル2で、まもなくレベル3になろうという勢いである。そんな時に住民を1か所に集める説明会に「合理的な理由」が存在するのか、その疑問に答えるのが先のような気がする。一番町。(2020/7/17 18:36~18:45) おしどりマコさんは、東京電力の記者会見での質問・取材を通じて東電1F事故の真相を明らかにし続けていて、その能力はその辺のジャーナリストの取材力・追求力をはるかに凌いでいる芸人さんである。 彼女が最近「【福島第一】測定員不足、計器故障、二次処理の実験もされないまま議論は大詰めに【ALPS処理水】」というレポートを書いている。ご自身が「6行まとめ」という記事の要約を書いているので引用しておく。・「トリチウム水」とかつて呼ばれていた福島第一原発のタンクの「ALPS処理済水」はトリチウム以外の核種もたくさん残っていることが分かり、それは「二次処理をする」ということになっていた。・「ALPS処理水」の処理の議論が大詰めになっているにも関わらず、二次処理の針画はまだ公表されていない。・6月22日の筆者の質問に「今年度中に2000t程度」と口頭で回答されにのみ。・しかし「ALPS処理水」には、今まで取リ切れない核種だけでなく、測り切れていない核種もあることがわかった。ヨウ素129、カーボン14、テクネチウム99である。・これらの核種は測定が難しく、2019年度までは東京電力はこの核種を測定できる測定員が1人しかおらず、この核種をよく把握できていなかった。2020年度は測定員を増やしたが、今度は測定に必要な計器が壊れ、外注している状況である。・カーボン14はALPSで除去する対象の核種ではないため、ALPSに何度通しても、取り切れないことが予想される。R0装置で除去するというが果たしてうまくいくのか。なぜその重要な実験を議諭の前にやらないのか。このまとめをさらに一言で言えば、いまその処理をどうするか議論の対象になっている「トリチウム水」(これは政治的な命名で、実体はまぎれもなくただの高放射能汚染水である)にはどれほどの放射能が含まれているか、東京電力は把握していない。把握していないどころか、測定する能力すらないということである。汚染水をどうこうするという議論以前のレベルである。 このまとめをさらに一言で言えば、いまその処理をどうするか議論の対象になっている「トリチウム水」(これは政治的な命名で、実体はまぎれもなくただの高放射能汚染水である)にはどれほどの放射能が含まれているか、東京電力は把握していない。把握していないどころか、測定する能力すらないということである。汚染水をどうこうするという議論以前のレベルである。 これは、おしどりマコさんが東京電力を問い質して引き出した「事実」である。報告記事では、さいきん「トリチウム水」を海洋放出すべきだと盛んに主張している細野豪志衆議院議員の主張にきっちりと反論をしているので、そこも注目に値する。 細野という人は原子力問題の知識にまったく疎いのになぜ「トリチウム水」にこだわって発言するのか不思議だったが、彼はいま必死に自民党幹部に取り入らないと政治家として先がないらしいということで得心がいった。わが身が可愛くて、無知をさらけ出して頑張るしかない政治家というのは見ていて辛いものがある。青葉通り。(2020/7/17 18:49~18:55) コロナ禍での中断から再開したデモは、大声を出さないためにコールはしていない。市民へのメッセージは録音したものを流している。それだけでは寂しいので、メッセージとメッセージの間にかつてのデモのコールの音声を流すようになった。 録音されたコールのコーラーの声があまりよく聞き取れないのだが、スタッフの一人が「これはおれの声かなあ」と言っていたが、なんど聞き直しても私には判別できなかった。 私は耳が悪く、両耳には補聴器を入れている。補聴器が入っていてもいなくても雑音混じりの音には極めて弱いのである。会議では何の問題もないのに、会議が終わってざわざわし始めると、隣の人に話しかけられても聞き取れないことが多い。 もともと静かな山や川が好きなのだが、ますます雑音の多い町や人間集団が苦手になっている。デモが終わり、今日も人通りの少ない道を選ぶように帰るのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.07.17
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昨日、友人が悪性リンパ腫で癌専門病院に回されたという連絡があった。急いで見舞いに行かなければ、そう思ったのだが、コロナ禍のために面会禁止なのだった。 14年前、大学で1年後輩の友人が肝臓癌で亡くなった。現役の高校教師で、若いころには何度か会うこともあったが、仕事が忙しくなるにつれ、会うこともなくなった。その後、4、5回ほど電話で話すことがあった。時には、街で飲んでいるのだと夜中に電話が来ることもあった。彼も私も会いたいという気持ちでいたに違いないのだが、会わずじまいで時は過ぎてしまった。 職業人として私の先(の終端)も見え出したころ、彼に会おうと思ったのだが、その時、彼は肝臓癌を患い入院中だった。見舞いに行くと、ときどき入院しては癌を散らすのだと言っていた。しばらくして、自宅か入院中か尋ねようと思って連絡したら、彼が亡くなったと電話口で奥さんが言うのだった。 5年前に中学時代の同級生がこれも肝臓癌で亡くなった。東日本大震災で家を流され、被災者住宅で暮らしていた彼は、私が幹事を務める同級会を楽しみにしていた。大震災後の2年後の同級会は体調不良で、会に顔を出してすぐに帰って行った。次の同級会のときは、会場に向かう途中でもらい事故に遭い、参加できず残念だと電話口で口惜しがっていた。次の同級会の開催が決まった時、彼を喜ばせようと思って案内状を作る前に彼に電話したのだったが、彼の携帯電話に出たのは息子さんだった。癌を患っていたのだという。同級会は、間に合わなかったのである。 友人のリンパ腫の連絡があったとき、二人の癌死のことを思い出した。どちらも私はどこか一歩遅いのだった。だからこそ、今度はすぐにでも会いに行こうと思ったのだったが、面会禁止なのである。動かなければ手遅れ、動こうとすれば立ち往生。これからも友人たちに不義理のまま別れるしかないのか、そんなめげた気分のまま家を出て、ときおり強くなる雨脚の中、元鍛冶丁公園に向かった。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/7/10 18:13~18:34) 雨のせいか、今日の参加者は多くはない。その少ない参加者が屋根のあるステージに上がっていて、私はステージの真正面の公園入口から入って行ったのだが、そろってこちらを見ていてなんとなく足が止まりそうになった。とくに私を見ていたわけではないのだろうが、どうも気まずい感じがする。 人前に出るのが苦手なのである。職業として講義をしたり講演をしたりするのはまったく問題がなかったのだが、それ以外はまったくダメなのである。ダメと言うよりたぶん嫌いなのである。人の集まりではいちばん後ろに控えているのが落ち着いていられる。367回を迎えた金デモの集会でも一番後ろが私の定位置である。 もっとも写真を撮るために動き回るのだが、それでも写真を撮り始めて1年半ぐらいはみんなの後ろ姿しか写せなかったのである。 集会のスピーチは、原発の半径30km圏内に住む石巻の市民が女川原発の再稼働の地元同意の差し止めを求めた裁判で、仙台地裁はその申し立てを却下したというニュースについてなされた。 住民の申し立ては、女川原発の重大事故を想定した避難計画に実行性がないとして再稼働に同意しないように求めたものだが、ここでも権力に忖度する司法の姿が露わになった。ただし、住民側は仙台地裁の決定を不服として仙台高裁に即時抗告したので、闘いはまだまだ続くのである。 重大事故時における避難計画に実行性がないのはつとに指摘されていて、どんなものでも形式的に避難計画を作りさえすればいいだろう、そんな程度のものなのである。金デモでは、市民へのメッセージをデモ中に読み上げているのだが、その1節に避難計画に触れた一文があるので、転載しておく。 女川原発で事故があった場合、住民がどのように避難するのかについて、宮城県の試算が公表されました。これによれば、重大事故発生時、原発5キロ圏内の住民が避難先へ到着するのに、なんと50時間もかかる恐れがあることが分かりました。これまでの計画では、6時間かかるとみていたので、まったく異なる結果になりました。しかも、この試算でも、まだいろいろなことが検討から抜け落ちているので、実際にはもっとかかる可能性が高いのです。みなさん!原発で重大事故がおきても、3日も逃げられないのでは、被ばくを避けることは不可能ではないでしょうか? また、放射能の被害を避けるためには、「密封」が基本になりますが、新型コロナ対策には「三密」をさけなければなりません。放射能対策とコロナ対策は、まったく逆のことをしなければならないのです。 避難計画には実効性がないとして、石巻市民が地元同意の差し止めを求める仮処分を仙台地裁に申し立てていました。これに対し、7月6日、仙台地裁はなんとこの申し立てを却下する決定をだしてしまいました。しかし、そこでは避難計画の実効性についてはまったく評価していないのです! この決定をうけて、村井知事は再稼働を進めようとすることは明らかです。いまこそ、再稼働を絶対に止めるんだという私たちの願いをデモで示していこうではありませんか!一番町。(2020/7/10 18:37~18:43) 宮城県知事も女川町や石巻市の首長も女川原発2号機の再稼働ありきの姿勢で、ずさんな避難計画を認めた県や国の姿勢に追随するばかりである。そのような首長を選んだ責任と悲惨は住民の上に降りかかってくるが、ちゃんとした人物を選べば異なった事態が生じうることを暗示するニュースがあった。 「原発事故時 「現実的な避難計画を」 柏崎市、国に感染症対策要望 /新潟」(7月3日付け毎日新聞電子版)である。 柏崎市の桜井雅浩市長が、政府が示した感染症流行下での住民避難についての「基本的な考え方」や政府が了承した感染症対策を盛り込んだ女川原発の避難計画が「現実性に欠ける」として「住民の行動を想像し、より現実に即した計画に高めてほしい」と要望したというのである。 こういう要望だけで十分かどうかはさておいて、住民の生命財産を守ろうとする地方自治体の首長ならとるべき行動の第1歩にはちがいない。青葉通り。(2020/7/10 18:49~18:51) 悪性リンパ腫の当の本人は「なに、一病息災ですよ」と言っていたというが、たしかにそういうことはあるだろう。昨夏に亡くなった義母は健康体であったが、病気好きというか、ちょっと加減が悪くなるとじつに立派な病人らしい病人になるのだった。そんなことを繰り返しながら115歳まで生きたのだから、見事な一病息災と言うべきだろう(その時々で身に付けている一病は異なるのだが)。 考えてみれば、悪性リンパ腫の本人が何も病んでいない私より長生きするというのは大いにありうることである。その程度には私たちは老いているし、その程度には医学は発達しているのである。 友人の悪性リンパ腫を悲しみつつも、友人たちと私の人生をひそかに愛おしむことができればそれで良しとするか………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.07.10
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フランスで一番古い原発を閉鎖・廃炉にするというニュース(6月29日毎日新聞電子版)があった。原発を廃炉にするというのだから喜ぶべきニュースには違いないが、それほどのことでもない。 ただの電気を作るだけの原発一基の事故で何十万人の住民が故郷を放棄せざるを得ないことがフクシマで証明され、しかも時代はすでに原発はコストが嵩むだけの古臭い野蛮な工業技術に成り下がってしまったことを歴史的に証明しつつある現在、視野を世界に広げて原発のことを考えると、原発の廃炉というニュースは当たり前すぎて特別の感慨がわくようなことではない。 フランスのフェッセンハイム原発は1977年から発電を開始したが、35年を経過した8年前に当時のオランド大統領が廃炉を決意したもののマクロン大統領や原発推進派の抵抗でペンディングとなっていた。しかし、新規の原発はトラブル続きで運転開始の見通しはなく、原発の発電コストはほかの技術に太刀打ちできなくなって、マクロンをはじめ原発業界や右派(なぜどこの国でも右派は原発推進なのだろう、原発に賛成する人間をすべて右翼と呼んでいいのか)が諦めたという構図である。世界的な金融投機筋が原発企業への投融資にしり込みを始めたということもあって、世界全体の流れから言えば安倍政権が目論んだ原発の輸出という企みがことごとく失敗したのも当然なのである。原発推進で経済に貢献できるといまだに考えているのは世界で日本ぐらいなものである(今しばらくは中国もそうかもしれない)。 中国のような原発後発国が原発建設に邁進しているのは、炭酸ガス削減で世界が動き出そうとしているとき工業後進国は先進国ほど排出していないとして抵抗する動きと同じ現象で、時が経てばしだいに炭酸ガス削減、原発廃炉に向かうに決まっている。大気中に増えていく炭酸ガスや、大地、海、大気をことごとく汚染する放射能は工業先進国、後進国を区別することはない文字通りグローバルな現象だからである。あるとすれば、それぞれの国で責任の重さが異なるということぐらいに過ぎない。 フランスの原発廃炉のニュースも、「泊原発 運転期間の延長検討」(6月26日付けNHK NEWS WEB)というニュースと並べてみるととても味わい(?)ぶかい。「北海道電力の藤井社長は、運転開始から30年前後がたっている泊原発の1号機と2号機について原則40年に制限されている運転期間の20年延長を検討する考えを示した」、というのである。 その際、「原子力は二酸化炭素を出さない低炭素の電源として電力のネットワークを維持することができる。私はできるだけ長く、長期的な電源として位置づけたい」と述べたというのである。 「原子力は炭酸ガスを出さない」などというメリット論はいつの時代の話だ。時代はもっと先に進んでいて、古い原発の廃炉を決めたフランスは原発大国と言われながらも再生可能エネルギーへの転換を標榜しており、原発廃炉が炭酸ガスを大量に排出する火力発電に切り替えることを意味するなどという話は世界のどこでも(特に先進国では)起きようがないのである。 日本の原発推進の議論は、明らかに世界の新しい潮流とはかけ離れている。安倍自公政権の政策の例にもれず、原子力政策も極端なガラパゴス化が進んでいる。コロナウィルス対策もまったく同じで、世界全体との比較がまったくできないため、考えるのが嫌になるほどの無策にもかかわらず、世界に誇れる対策を行ったなどと吹聴して世界のジャーナリズムの嘲笑の的になっている。 日本の政治家やマスコミ・ジャーナリズムのガラパゴス化はもう救いようのないほど進んでしまっているのではないか。 ところで北電の泊原発は活断層の上に建設されていると原子力規制委員会が指摘しているので、再稼働そのものもできないまま廃炉になるのではないか。20年の運転延長など脳天気なことを話している場合ではないのである。規制委員会がインチキをやらない限り、廃炉しか残された道はないはずだ。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/7/3 18:18~18:35) 梅雨寒の日である。元鍛冶丁公園に集まったのは30人である。 集会のフリースピーチの話題は、やはり女川原発再稼働のことがメインとなる。宮城県は、有識者の女川原発の安全性検討会の結論がまだ出ていないにもかかわらず、8月1日から女川、石巻など7カ所で住民説明会を行うと発表し、村井知事が再稼働に前のめりになっていることを露骨に示した。 県民投票条例案を否決して県民の意思を聞く姿勢がないままの住民説明会がどんな意味を持つのかという批判スピーチのあとで、原発立地自治体である女川町の町議会特別委員会の傍聴報告がなされた。 特別委員会は再稼働の地元同意の是非を判断するためのもので、旧鹿島台町の元町長・鹿野文永さんと女川町の元町議・高野博さんの二人が福島事故の反省、避難計画の非現実性などから再稼働に反対する意見を述べたのだが、賛成派からはやはり「温暖化を防ぐために原発が必要」などという意見が出されたという。 ここでも「炭酸ガス対策のための原発」という古典的な理屈が生き延びているのである。言ってしまえば、それぐらいしか理屈っぽく聞こえる賛成理由がないということである。科学的、合理的な理由はほとんどないので、地方自治体議会(町議会、市議会、県議会)では、数を頼んでの暴力的な採決に恃むしかないことをおそれる。なにしろ、そういう議論・議会の進め方には安倍自公政権という模範があって、そのやり方をそっくりそのまま倣えばいいので、かなり厄介なのである。一番町。(2020/7/3 18:37~18:45) 先週の金デモの帰り、中央通りを歩いた。仙台で一番通行人が多いうえにアーケードで天が閉じられているので、コロナウィルスのことを考えるとあまりいい気分の道ではないが、さすがに99.5パーセントぐらいの人はマスクをしている。マスクをしていない人はほんの数人だったが、「マスク警察」らしき人物も見受けられなかった。 賑わっている商店街を歩いている老若男女のマスク人たちは、ふしぎなことにほぼ例外なく美男美女に見える。顔を全部隠してしまうと不気味だが、控えめに少し隠す美学というものがあるのだろう。 しかし、醜いもの、悪辣なものを隠して「美しい日本」を演出する政治やマスコミの手法は犯罪的としか思えない。いまや、日本は安倍自公政府のもと「隠蔽の美学」が殷賑を極めている。もちろん、マスクをして中央通りを歩いている人たちには何の責任もない。そんな思いが誘発されただけである。青葉通り。(2020/7/3 18:48~18:53) 涼しくてデモには最適だったものの、デモの周りを急ぎ足で歩くとさすがに汗ばんでくる。この節は、汗ばんでも風邪をひく恐れはないので、汗ばんだ体を撫でていく微風を楽しみながら歩いた。 今日のデモ帰りも中央通りを歩いて帰る、たくさんの美男美女とすれ違いながら………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.07.03
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